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ボブ・ディラン Archive
TOGETHER THROUGH LIFE
ボブ・ディラン大将の新譜だそうです。
4月28日発売予定。
またいろいろな種類で出るので、紛らわしいな。
amazon.co.jpの扱いだと下のようになってます。
Together Through Life [Deluxe Edition] [Import] [from US]
\2,760-
Together Through Life [Analog] [Import] [from US]
\2,903-
Together Through Life [Import] [from US]
\1,937-
CD2枚+DVDのやつと、アナログ盤、CD1枚のやつらしい。
この値段なら、最初の「デラックス版」でしょうなあ。

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Track Listings
Disc: 1
1. Beyond Here Lies Nothin'
2. Life Is Hard
3. My Wife's Home Town
4. If You Ever Go To Houston
5. Forgetful Heart
6. Jolene
7. This Dream Of You
8. Shake Shake Mama
9. I Feel A Change Comin' On
10. It's All Good
Disc: 2
1. Howdy Neighbor (J. Morris) - Porter Wagoner & The Wagonmasters
2. Don't Take Everybody To Be Your Friend (M.Gabler/R. Tharpe) - Sister Rosetta Tharpe
3. Diamonds Are A Girl's Best Friend (L. Robin/J. Styne) - T Bone Burnett
4. La Valse De Amitie (O. Guidry) - Doc Guidry
5. Make Friends (E. Mcgraw) - Moon Mulligan
6. My Next Door Neighbor (J. McCain) - Jerry McCain
7. Let's Invite Them Over (O. Wheeler) - George Jones & Melba Montgomery
8. My Friends (C. Burnett/S. Ling) - Howlin' Wolf
9. Last Night (W. Jones) - Little Walter
10. You've Got a Friend (C. King) - Carole King
11. Bad Neighborhood (Caronna/M. Rebennack) - Ronnie & The Delinquents
12. Neighbours (M. Jagger/K. Richards) - The Rolling Stones
13. Too Many Parties and Too Many Pals (B. Rose/M. Dixon/R. Henderson) - Hank Williams as Luke the Drifter
14. Why Can't We Be Friends (S. Allen/H. Brown/M. Dickerson/J. Goldstein/L. Jordan /C. Miller/H. Scott/L. Oskar) - War
Disc: 3
1. Roy Silver - The Lost Interview (DVD)
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船がはいってくるそのとき
夕方西の空に雲が出てしまったが、雨上がりの好天。
洗濯をして、畑仕事をして、浜へ夕陽を見に行く。
気持ちの良い日だった。
浜の堤防へ、団体さんが撮影に来ていた。
三脚を立てて、高そうな長尺のレンズを据えて、でもおしゃべりに夢中だね。
良い写真は撮れたのかしら。
私の場合は夕陽と対決できるようなすごいレンズを持っていないので、手持ちで歩き回ることになる。
船がずいぶん浜に近づいてきたので、その動きに合わせて移動。
寒い日だったけれど、少し汗をかきました。
→bobdylan.com: When The Ship Comes In
♪ Oh the time will come up
♪ When the winds will stop
♪ And the breeze will cease to be breathin'.
♪ Like the stillness in the wind
♪ 'Fore the hurricane begins,
♪ The hour when the ship comes in.
♪ その時がきて
♪ 風はやみ
♪ そよとも吹かなくなるだろう
♪ あらしのまえの
♪ しずけさのようだ
♪ 船がはいってくるそのとき
(片桐ユズル訳)
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タランチュラ #2
ボブ・ディランの"tarantula"をぱらぱらと眺めていて、これは小説ではないなと気づきました。
普通すぐに気づくわな。
断章に綴られた象徴詩。
何に似ているかというと、ディラン自身の一部の歌詞に似ています。
数寄者も多いようで、サイトにテキストをアップしている人が簡単に見つかります。
冒頭はわけがわからないので、第二章(のようなもの)に読み進んでみます。
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Having a Weird Drink with the Long Tall Stranger
back betty, black bready blam de lam! bloody had a baby blam de lam! hire the handicapped blam de lam! put him on the wheel blam de lam! burn him in the coffee blam de lam! cut him with a fish knife blam de lam! send him off to college & pet him with drumstick blam de lam! boil him in the cookbook blam de lam! fix him up an elephant blam de lam! sell him to the doctors blam de lam...
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なんだかドタバタした言葉遊びみたい。
やっぱり意味がわかりませんな。
少し前に片岡義男訳『タランチュラ』を借りることができたので、その部分の訳を抜き出してみましょう。
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背の高い他所者と奇怪な酒を飲む
バック・ベティ、ブラック・ブレディ、ブラム・デ・ラム! ブラディにはベイビーができたブラム・デ・ラム! 身体障害者を雇えブラム・デ・ラム! その男を車輪に乗せろブラム・デ・ラム! 彼をコーヒーの中で煮ろブラム・デ・ラム! 彼を魚包丁で切れブラム・デ・ラム! 彼を大学に送りドラムスティックでかわいがってやれブラム・デ・ラム! 彼を料理本の中でゆでろブラム・デ・ラム! 彼に象を料理してやれブラム・デ・ラム! 彼を医者たちに売ってしまえブラム・デ・ラム......
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「バック・ベティ、ブラック・ブレディ」
「彼をコーヒーの中で煮ろ」
「彼に象を料理してやれ」
この三ヵ所はちょっと違うんじゃないかと思います。
「ブラム・デ・ラム!」も、もう少しどうにかならなかったのかしら。
ま、いろいろな翻訳があって良いのですが、これ以外に「翻訳」がないという状態ではなあ。
訳者片岡義男さんによる「あとがき」の最初の部分を引用しておきましょう。
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ボブ・ディランの『タランチュラ』は、難解である、とよく言われているが。けっしてそのようなことはない、という点についてのみ、すこし書いておこう。
知的な好奇心に多少とも燃えていて、普通程度あるいはそれよりすこしましな教育をうけたアメリカ人ならば、ボブ・ディランのこれまでの活動や作品に関してほとんどなんの予備知識がなくても、『タランチュラ』は楽しく読みとおせるし、ボブ・ディランがなにを言っているのか、充分に聞くことができる。
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片岡さん、あなたの翻訳では、それは無理です。
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CHRONICLES #45 ディランとマイク・ハマー
- 2004年12月29日 11:06
- ボブ・ディラン
またもや[http://gensenkan.hn.org/]のドメインが使えません。
幻泉館サーバをご利用の方は、urlの上記部分を下のどちらかに置き換えてください。
http://goodmusic.ddo.jp/
http://goodmusic.dyndns.org/

ディラン少年はラジオドラマ『パラディン』で人生を学びます。
「石(stones)」というのは宝石のことだよ。
悪者はコンバーティブルに乗ってるんだ。
もしも木を隠すのなら、誰にも見つからないように森の中へ隠せ。
わくわくとラジオを聴いて、こんなことを覚えながら成長したのです。
ラジオ番組は世間がどんなものなのかを知る手掛かりを与えてくれた。
番組が終わってからも、楽しい空想をかきたててくれた。
ラジオのCMからも、ディラン少年はいろいろなことを学びました。
実際に消費活動を行なうずっと前に、ラジオのCMによって特定の商品を使う生活が頭に刷り込まれていたのです。
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Before I had ever gone into any departmentstore, I was already an imaginary consumer.
デパートというものに入る前から、僕は既に想像上の消費者だった。
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1940年からら1950年代に、こんな商品のラジオCMがよく流れていたのでしょう。
ディラン少年は幻の消費者になります。
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僕は「ラバソープ」を使い、「ジレットのブルーブレード」で髭を剃り、髪には「バイタリス」をつけていた。
お通じが悪ければ「フィーナミント」の錠剤を。
それから「ドクター・ライアン」の歯磨き粉。
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→LAVA SOAP
ラジオCMを聴くことができます。
豊かな大量消費時代のディラン少年。
なんだか不思議です。
僕は鉄腕アトムに正義を学びましたが、ディラン少年はマイク・ハマー(Mike Hammer)に学んだそうです。
あれれ?
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My sentiment was that the law is fine but this time, I'm the law----the dead can't speak for themselves.
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ハードボイルドですな。
→the Unofficial Mickey Spillane Mike Hammer Site
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CHRONICLES #44 ディランとパラディン
- 2004年12月28日 02:49
- ボブ・ディラン

70年代初頭、田舎町の少年であった私もよくラジオを聴いていました。
AM局の受信報告書を書くことはありませんでしたが、北京放送やモスクワ放送もちょこっと聴きました。
タモリさんの芸で北京放送の真似というのがありましたが、似たようなことをやっていました。
両手で口を覆って、開いたり閉じたりしながら、あの独特なイントネーションでアナウンサーの真似をするのです。
「アメリカ帝国主義」
「ソビエト修正主義裏切り者集団」
こんな言葉を使いながら、時々シューシューというとよろしい。
彼の国は文化大革命の真っ最中でありました。
FENもよく聴きました。
「Far East Network」、つまり米軍の「極東放送網」ですね。
今は聴きませんが、確かAFNに名前が変わっていたように思います。
「American Forces Network(米軍放送網)」だったと思いますが、もしかしたら「Armed Forces Network」かもしれません。
FENは音楽番組がお目当てでした。
「American Top 40」みたいな番組ね。
番組スケジュールがわからないので、なんとなくスイッチを入れて、ヒットチャートをやっていればアタリなわけです。
フットボール中継だとハズレ。
わけわからないんですもの。
ラジオドラマもよく流れていて、これはビミョーにハズレかな。
田舎町のディラン少年がラジオを聴いていたということで、そんなことを思い出しました。
1950年代から60年代の、アメリカのラジオ番組。
昨日書いた「Inner Sanctum」「Suspense」「The Lone Ranger」はなんとなく雰囲気がわかります。
でも、他に挙げられた番組はお手上げです。
「This Is Your FBI」
→Jerry Haendiges Vintage Radio Logs
「Fibber McGee and Molly」
→The Unoffical Fibber McGee and Molly Home Page
→Frequently Asked Questions about Fibber McGee and Molly
「The Fat Man」
→Brad Runyon
「The Shadow」
→The old-time radio show The Shadow
「Dragnet」
→Dragnet
「The Colgate Comedy Hour」
→The Colgate Comedy Hour
なるほど、ディランが覚えている番組は人気があったものばかりなようですね。
人気番組はそのままテレビにひきつがれたようです。
日本でパクって番組にしてしまったものもあるみたい。
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遠すぎる場所なんてなかった。
全部目に見えた。
サンフランシスコに関して僕が知る必要があるのは、パラディンがそこでホテル暮らしをしていることと、彼が雇われガンマンだということだけだった。
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なんとなくこのパラディン(Paladin)を辞書で引いてみると、ちゃんと載っていました。
さすが「リーダーズプラス」!
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(西部の男)パラディン 《米国テレビの西部劇 `Have Gun Will Travel'_ の主人公; ふだんは高級ホテルで優雅に過ごし `Have Gun, Will Travel …' (腕に自信あり, 依頼により参上) と書いた名刺を持ち歩く雇われガンマン; 依頼があると黒装束で出向いて仕事をする; Richard Boone (1917-81) が演じた》.
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→Paladin
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CHRONICLES #43 ディランとローン・レンジャー
- 2004年12月27日 20:12
- ボブ・ディラン

今日は丸一日オフだったが、餅つきに始まりドタバタ忙しく動き回った。
それでも夕方なんとか浜に出ることができた。
大晦日までずっと予定が入っているので、これが今年最後の夕陽撮影かな。
平日なのでそれほど人は多くなかったのだが、元気に散歩をしている初老の方が声をかけてきた。
勝手にカメラの話を始めたのだが、実はこの手が一番タチが悪い。
自分のカメラの話をしたいだけなのである。
ニコンのデジカメを持っていて、アドビで彩度を上げるときれいな写真になるのだそうな。
困ったな。
PENTAXのデジタル一眼レフを触らせろと言い出す。
無礼者め。
本当に迷惑なおっさんやなあ。
あっという間に日が沈んでしまうから、時間が貴重なのだよ。
CONTAXのコンパクトカメラには興味を示さない。
ご存知ではないようだ。
善意の人なのである。
退職教員にありがちなタイプだ。
人間関係のプロというプライドを持っているが、実は世間知らず。
写真雑誌や本でデジカメの使い方を勉強したんだろうな。
デジカメの画像をホームページにアップするような時には、彩度を上げろと書いてあったりしそうだ。
それを私に教えてくださらなくても結構です。
私の場合、たとえば鳥の部分を切り取るトリミング、画像の大きさを変えるリサイズ、画像の外側に少し影を付ける、この3種類の処理以外は行なわない。
元々空が様々な色に撮れるのがおもしろくて始めた撮影なので、明度や彩度をいじりたいとは思わない。
他の人にどう見えるかわからないということもある。
今はノートPCの液晶画面に向かうことが多いのだが、家にはナナオのモニターが2台ある。
CRTだと、液晶画面の画像とはまったく違うものに見える。
自分できれいだと思う画像に加工したい場合、どちらでいじればいいのだろう。
わからないし、面倒くさい。
というわけで、本日もイフェクトなしで夕陽画像をアップしました。
【追記】No.1
餅つき終了。
もらった餅米が妙に固くて、とても疲れました。
昨年のように撮影をしている余裕はなかったのです。
→2003年12月29日付幻泉館日録@楽天「おもちつき♪」
今日は銀行へ行って、墓参りして、畑仕事をして……予定がぎっしり。
暮れだわ。

クリスマスケーキで思い出したのだが、去年の日記では今年読んだ本のベストとして『やちまた』を挙げていたのだった。
→2003年12月26日付幻泉館日録@楽天:足立巻一『やちまた』
私の読書速度はめちゃくちゃ速いのでその気になればあっという間に読み終えたはずなのですが、とにかくゆっくりと読んだ本です。
早く終わってしまうのがもったいないのです。
今年のベストはもちろんBob Dylanの"Chronicles: Volume One"。
googleを使って調べないと出てくる固有名詞がわからないので、いつ読み終わるのかわかりません。
もちろんそれが楽しいのです。
「Kettle of Fish」は何と訳したらいいのかわかりません。
店の名前なので「ケトル・オブ・フィッシュ」でもいいのですが、まあ「魚鍋」ということで。
未来に向けて壁があったという記述の後で、また二行空き。
いきなり「魚鍋」の話になります。
それでライブハウスの様子を書くのかと思ったら、田舎で聴いたラジオ番組のタイトルを列挙し始めます。
御大ディランおやじ、やっぱり思いつくままに書いているのではないかしら。
ラジオ番組は、中西部にいたころのディランの心象風景の大きな部分を占めているのです。
その時は今生きている時間が永遠に続くかのように感じる多感な思春期。
ディランは田舎町でこんな番組を聴いていました。
1940年代と50年代の、アメリカのラジオ番組。
★「Inner Sanctum(心の聖域)」
★「Suspense(サスペンス)」
ディランはホラーとユーモアという解説を付けていますが、傑作ドラマが多かったようです。
テレビの「ヒッチコック劇場」が始まったのは1955年。
「ミステリー・ゾーン」「ロアルド・ダール劇場/予期せぬ出来事」も同系統ですね。
→全米ラジオドラマ傑作選
★「The Lone Ranger(ローン・レンジャー)」
テレビ版は私も知っています。
小さなころ、おもちゃの拳銃とガンベルトを買ってもらいました。
白馬シルバーに乗っています。
「ハイヨー、シルバー!」
ストーリーはまったく覚えていません。
→The Lone Ranger
→CLAYTON MOORE, THE LONE RANGER
→ノスタルジック ワールド
田舎町の少年ディランは、こんなラジオ番組を夢中になって聴いていたんですね。
ただいまp.50です。
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CHRONICLES #42 ディランとハロルド・アーレン
- 2004年12月26日 00:00
- ボブ・ディラン
【追記】No.1
昨年に続き、あやりん(仮名♀十代)のお手製ケーキ。
今年はクリスマス翌日になってしまいましたが、わいわいとおいしくいただきました。
ろうそくのサンタさんが、犬っころみたい。

クリスマスの土曜日夕方、浜に行ってみた。
海も空も静かで、夕陽を眺めに来る人も多い。
昨年のクリスマスイブに見かけた高校生とよく似たカップルがいたのだが、別人なのだろう。
人は去り時は流れ、でも海と空は変わらない。
来年のクリスマスにもまたほほえましいカップルが夕陽を見に来るのだろうか。

ジュディ・ガーランド(Judy Garland)が歌った名曲"The Man That Got Away"と"Some where Over the Rainbow"はハロルド・アーレン(Harold Arlen)が書いた曲です。
アーレンはハーレムのあのコットン・クラブでピアノを弾いていた人です。
デューク・エリントンとの競演もあるそうですが、このあたりではもう私にはわからない世界です。
ディランはアーレンのヒット曲として次のようなタイトルを挙げています。
つまり、好きだったんですね。
"Blues in the Night"
"Stormy Weather"
"Come Rain or Come Shine"
"Get Happy"
「ハロルドの曲には、田舎のブルーズとフォークが聞こえた」とディランは書いています。
なんだか仲間のような感情(emotional kinship)を抱いたのですね。
当時のディランはウッディ・ガスリーに夢中だったのですが、その前にはハンク・ウィリアムズが大好きだったそうです。
ハロルド・アーレンのほろ苦く、孤独な歌の世界が大好きになったのですが、ヴァン・ロンクはそういう歌を歌うことができました。
ディランは自分もそんなふうに歌うことができたはずだが、そうしようとは夢にも思わなかったと言っています。
自分の台本にはそんなことが書いていなかった。
自分の未来にもそんなことはなかった。
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What was the future? The future was a solid wall, not promising, not threatening----all bank. No gurantees of anything, not even the guarantee that life isn't one big joke.
未来はどんなものだったのだろうか。未来は固い壁だった。見込みがあるわけでも、不気味なわけでもない堤。何の保証もまったくなかった。人生がおおげさな冗談ではないという保証さえなかった。
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CHRONICLES #41 ディランとジュディ・ガーランド
- 2004年12月24日 15:32
- ボブ・ディラン
ただいま[http://gensenkan.hn.org/]のドメインが使えません。
幻泉館サーバをご利用の方は、urlの上記部分を下のどちらかに置き換えてください。
復旧は午後11時過ぎの予定です。
http://goodmusic.ddo.jp/
http://goodmusic.dyndns.org/
【追記】No.2
『Chronicles: Volume One』の翻訳権はソフトバンク パブリッシングが獲得した模様。
ビミョーだな。
あそこには、書籍の本文用紙を使った本を作ったことのある人がいるのだろうか。
ソニー・マガジンズの『メイキング・オブ・ブレードランナー』のようなひどい本作りはしてほしくないものだ。
頼みますよ。

ジュディ・ガーランド(Judy Garland)はミネソタ州グランドラピッズ(Grand Rapids)の出身で、ディランの生まれたところから20マイルほどのところなのだそうです。
ミシガン州のグランドラピッズ以外に、ミネソタ州にもあるのですね。
ディランはミネソタ州ヒビング(Hibbing)の出身だそうです。
それで、ジュディの歌を聴くと、なんだか隣の家の女の子が歌っているような感じがしたのだと書いています。
なるほどね。
うちの親父様が若い頃に伊豆の山中で代用教員をやっていたのですが、研ナオコさんが出てきた時、隣の家の娘のことのように話していました。
研ナオコさんの親戚をよく知っていたのですね。
ジュディはディランよりずっと前の時代の人なので……ここでディランはエルトン・ジョン(Elton John)の歌を引用しています。
♪ I would have liked to have known you,
♪ but I was just a kid.
これは「Candle In The Wind」という曲ですね。
冒頭は
♪ Goodbye Norma Jean
♪ Though I never knew you at all
♪ You had the grace to uphold yourself
♪ While those around you crawled
そう。
これはノーマ・ジーン、つまりマリリン・モンローのことを歌った曲なんです。
♪ Goodbye Norma Jean
♪ Goodbye Norma Jean
♪ Goodbye
♪ Goodbye Norma Jean
→MIDI INTERNATIONAL: Elton John
もちろんディランはジュディ・ガーランドのもう一つの名曲「Some where Over the Rainbow」にも触れています。
「the cosmic」という修飾語を付けて。
→2003年9月15日付幻泉館日録@楽天
世紀を刻んだ歌 オーバー・ザ・レインボウ
【追記】No.1
私の自己宣伝リンクをご覧になってくださると、なぜディランがジュディを隣の姉ちゃんみたいだったと語りながら、マリリン・モンローを歌ったエルトンの曲を思い出したのか、なんとなく納得できるのではないでしょうか。
ジュディが第二次世界大戦時に軍を慰問したように、マリリン・モンローは朝鮮戦争時に在韓米軍を慰問しています。
二人とも、兵士たちに守るべき「家」を思い起こさせるアイドルだったのでしょう。
スターになってしまったために幸福とは言えない短い一生を送ったジュディとマリリンは、今もやはり偶像として人々の心に中に生き続けているようです。
と、怪しい与太話を付け加えてしまいましたが、googleで「マリリン・モンロー」「慰問」と検索すると、朝鮮戦争で慰問した時のマリリン・モンローを再現したフィギュアなんぞがヒットしました。
驚き。
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CHRONICLES #40 ディランとジュークボックス
- 2004年12月23日 00:02
- ボブ・ディラン

ディランは後に親友になるニューワースのことを才能のある人物だったと書いています。
でも、あまり野心というものは持っていなかったとも。
二人は同じものを好むことが多かったそうです。
ジュークボックスの中の曲でさえ。
ジュークボックスというのは、私が高校生だった70年代前半には既にレトロな雰囲気をもったものでした。
小さいころ、あの西武が開発した箱根のスケート場でお兄さんお姉さんたちが興じているイメージ。
高校2年の高原教室では、ホテルのラウンジでこっそりかけたつもりが、大音量で響いてびっくりしてしましました。
「While My Guitar Gently Weeps」を聴くと、今でも志賀高原の夏を思い出します。
ボブとボビーが聴いていたジュークボックスは、ほとんどがジャズだったそうです。
日本のジュークボックスとはだいぶ違いますね。
→Zoot Simms
→Hampton Hawes
→Stan Getz
リズム&ブルーズ(rhythm-and-blues)もあったそうです。
→Bumble Bee Slim
→Slim Galliard
→Percy Mayfield
ディランによれば、いわゆるビート族はフォークに寛容ではあったが、別に好んでいたわけではないそうです。
好まれたのはモダンジャズ、ビバップです。
なんだかおかしいのは、ディランは実際に自分でコインを入れて、ジュディ・ガーランド(Judy Garland)の「The Man That Got Away」を何度かかけたと書いてることです。
夢中になったわけではないと言ってますが、好きな曲だったんですね。
→The Man That Got Away Lyrics
音源を探したのですが、歌詞しかみつかりませんでした。
amazon.comあたりで試聴できることでしょう。
ジュディ・ガーランドは去年ベスト盤が出てるんですね。
すごいわあ。
ただいまp.49です。
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CHRONICLES #39 ボブとボビー
- 2004年12月22日 17:40
- ボブ・ディラン
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Like Kerouac had immortalized Neal Cassady in On the Road, somebody should have immortalized Neuwirth.
ジャック・ケルアックが『路上』でニール・キャサディの名を不朽のものとしたように、誰かがニューワースの名をそうしておくべきだったのだが。
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ボブがボビーのことを語る時には、その思い入れがあふれてしまっています。
実際に二人が行なったのは「放浪」ではなかったのでしょうが、でもディランにとってはかけがえのない旅だったのでしょう。
OFFICIAL WEB SITE OF JACK KEROUAC
The Neal Cassady Experience

「ガス灯」は混雑していたので、ディランはポーカーをやっている楽屋に行くほかに、隣の「魚鍋(Kettle of Fish)」という店にもよく遊びに行っていたようです。
もっとも、そこもいつも混雑していたというのですから、ディランはふらふらするのが好きだったのでしょう。
そこでいろいろな人を見るのがおもしろくてしかたがなかったようです。
お隣さんに出演していた人としては、こんな名前が挙がっています。
→Richard Pryor
→David Amram
→Gregory Corso
→Ted Joans
→Fred Hellerman
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ある夜、ボビー・ニューワース(Bobby Neuwirth)という奴が友人と一緒にやってきて、大騒ぎを起こした。
その後、僕とボビーはフォーク・フェスティバルで何度か会うことになる。
最初から挑発的なやつで、あいつの自由はなにものも制することができないのがすぐにわかった。
何かに対してめちゃくちゃに反乱していた。
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ボビーはアクロンの出身で、ボブと同い年のバンジョー弾き。
ボストンの美術学校に通っていて、来年の春には田舎に帰ることになっていたそうです。
後に二人は親友になり、一緒にツアーをします。
→A MOVIE FOR DAVID GEFFEN
ディラン19歳当時のグリニッチ・ビレッジを説明したサイトがありました。
→Village Walking Tour
→Google翻訳サービス:村の歩く旅行(???)
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CHRONICLES #38 ディランとポーカー
- 2004年12月21日 03:24
- ボブ・ディラン

「ガス灯」では出番が終わると演者は楽屋に上がっていったそうです。
そこでは夜通しポーカーをやっていました。
いつもそこにいたメンバーとしては、ヴァン・ロンク(Van Ronk)の他にストゥーキー(Stooky)、ロムニー(Romney)、ハル・ウォーターズ(Hal Waters)、ポール・クレイトン(Paul Clayton)、ルーク・ファウスト(フォースト? Luke Faust)、レン・チャンドラー(Ren Chandler)の名前が挙がっています。
この中のストゥーキー(Stooky)とロムニー(Romney)が誰なのかわかりません。
Stookeyというと、Peter, Paul and Maryのポール・ストゥーキーしか知りませんが、そうなのでしょうか。
→Noel Paul Stookey
そこは出入り自由で、小さなスピーカーからステージの様子が流れていました。
自分の出番が近づいたらわかるようになっていたわけです。
掛け金はニッケル(5セント)、ダイム(10セント)、クォーター(25セント)といった小銭の硬貨だったけれど、時には総掛け金(pot)が20ドルといった大勝負(?)になることもあったそうです。
ここで確認しておきますと、ディランが後に初めてレコード契約をした時に渡された当面の生活費が100ドルでした。
週末に観光客の投げ銭目当てに徹夜で演奏して得たお金が一晩20ドルで、これは悪くない金額のようでした。
さて、若造ディラン君は、正直ポーカーをしていて助言をもらったようです。
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二度目か三度目のドローでワンペアもできなければ、僕はいつもカードを伏せてゲームを投げた。
ある時チャンドラーが教えてくれた。
「ブラフのかけ方を覚えなきゃ。それをやらなきゃ、このゲームでは絶対に勝てないよ。ブラフでしくじることだって必要なんだ。後で、勝ち札を持っているのにブラフをかけていると他の連中に思わせたい時に、役に立つだろ。」
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悪いこと教えるオトナがいるもんですな。
いや、チャンドラーさんは親切なんです。
こうやってオトナの仲間入りをしていくものなんでしょう。
ポーカーの用語やルールはこちらをどうぞ。
→ポーカーの種類とルール
ただいまp.47です。
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CHRONICLES #37 ディランと「ガス灯」
- 2004年12月19日 00:00
- ボブ・ディラン

クラウゼヴィッツに触れて「政治は力だ」と言い、バルザックに触れて「人生は金だ」と語るディラン。
これだけだとなんだかその辺にいる普通のおじさんみたいに見えますね。
でも、二十歳ぐらいのディランがやってたことは尋常ではありません。
普通のおじさんがやらなかったことです。
歌手になるという目標を決めて、そのために突っ走っているのです。
自らの定義が「歌手」なんですから、他の仕事はしません。
自分の部屋はなくてもなんとかなるから、その分の時間を人脈作りと学習に当てます。
学習といえば、フォークロア・センター(the Folklore Center)はディランにとって文字どおり「私の大学」だったのではないかと思います。
レイとクローイの部屋も大衆文化の一般教育課程のようなものですから、グリニッチビレッジが「私の大学」かな。
バルザックの話から二行空けて、いきなり「The Gaslight(ガス灯)」の話に戻ります。
覚えておいででしょうか。
ヴァン・ロンクと一緒にステージに立つことができるようになってディランが喜んでいた、あのカフェです。
→GASLIGHT CAFE
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「ガス灯」はかぶりつきのテーブルといったような特別なものは何もなかったが、最初から最後までいつもすし詰めの混雑だった。
テーブルに腰掛ける者もいれば、壁際に立っている者もいた。
壁は煉瓦造りで、照明は暗く、パイプが剥き出しだった。
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唐突です。
これでレイとクローイの部屋の回想は終わったのかしら。
よくわからないまま読み進みます。
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寒い冬の夜でも、入るのに列ができた。
地階にある二つの入り口まで、人の塊が続いていた。
中にはいつもとてもたくさん人がいるので、息もできないほどだった。
どれぐらい収容できたのか知らないが、いつも一万人以上いるみたいだった。
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ディランのおやじギャグです。
そんなに入るわけがない。
こういう状態ですから、いつも消防署長が出たり入ったりしていたそうです。
ディランはここで二十分の持ち時間で演奏をしました。
持ち歌のフォークソングを歌って、何が起こるか注意していたそうです。
はい、半端ですが、今夜はここまで。
ただいまp.46です。
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CHRONICLES #36 ディランとバルザック
- 2004年12月18日 00:02
- ボブ・ディラン

ディランの書物談義はまだ続きます。
ロバート・グレイブス(Robert Graves)の『白い女神たち(The White Goddess)』を読んだと書いています。
どうも映画『アマゾネス(The Amazoness)』(1973年)はこの人が原作者なんですね。
この映画は高校生の頃、友人たちと観に行きましたぞ。
お目当ては『燃えよドラゴン』(1973年)。
もちろん、あのブルース・リーの主演作です。
のんびり市では、この二本立てで興業していたのでありました。
あ、ロバート・グレイブスが映画になってるんですね。
来年公開のようです。
→Poetic Unreason
グレイブスの詩にリンクを張ってくれてます。
ディランは数年後、ロンドンでグレイブスに会います。
あれれ?
"Don't Look Back"のころかしら。
二人でパディトン広場を元気に歩き回ったということです。
本に書いてあったことをグレイブス本人に尋ねたかったけれど、その場ではあまり思い出すことができなかったそうです。
それはそういうものですね。
それからまたまた意外なことに、ディランはあのバルザックが好きだったようです。
たくさん読んだと書いています。
『従兄ポンス(Le Cousin Pons)』はわかるんですが、『運と革(Luck and Leather)』というのはのは何なんでしょう。
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バルザックはとてもおもしろかった。
彼の哲学は平明で単純。
狂気に対する処方箋は基本的には純粋な物質主義であると言っている。
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う?ん、よくわかりません。
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B氏からはたくさん学ぶことができる。
彼を仲間として迎えることは、おもしろい。
彼は修道士のローブをはおり、絶えずコーヒーを飲み続ける。
眠り過ぎると、動きが滞ってしまうのだ。
歯の一本が抜け落ちると、こう言う。
「これはどういう意味だ?」
あらゆることを尋ねる。
彼の服はろうそくの火がついて燃える。
燃えるのはいい兆しかもしれない。
バルザックは楽しい。
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私の鬼門領域なのでありますが、確かに文豪というだけあって、バルザックは豪快さんらしいです。
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CHRONICLES #35 ディランとクラウゼヴィッツ
- 2004年12月17日 00:00
- ボブ・ディラン

昨日のゴージャズ・ジョージは強烈でしたが、読んでいて映画『ブルース・ブラザーズ』のジェームズ・ブラウンを思い出しました。
ジェイクとエルウッドが歌って踊る説教に天啓を受けてしまうところね。
ディランに聞こえた"You're making it come alive."は、まあ「君はそれを生きている状態にさせている」なんですが、たとえばナベサダさんの言葉だったら、「ゴキゲンだね」という誉め言葉になるんでしょう。
当然ながら、その時一緒に演奏していたバンドは例によって引き抜かれてしまいます。
他にも演奏を観ていた人がいたんですね。
またバンドのメンバーを集めようとはするのですが、結局その時から独りで演奏して歌うというスタイルを練習することになります。
「お金を払ってバンドを雇うことができるようになるまで。」
ここで、やっとクラウゼヴィッツの名前がふたたび出てくるのです。
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クラウゼヴィッツの本は時代遅れのようだったが、その中には本当のことがたくさん書いてあった。
それを読めば、慣習的な生活と環境からの圧力が理解できた。
政治が道徳に取って代わったが、政治とは暴力なのであるとクラウゼヴィッツが言う時、別にふざけているのではない。
それは信じなければならない。
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道義ではなくて力が人間関係を支配しているのだと、やや露悪的な書き方をしています。
この現実を人は直視しなければならないのです。
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クラウゼヴィッツはいくつかの点において預言者である。
気づかぬうちに、この本の中のいくつかのものが君の考え方を形成するかもしれない。
もしも自分が夢想家だと思うのなら、この本を読んで、自分が夢見ることさえできないのだと気づくかもしれない。
夢を見るのは危険なことだ。
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ただいまp.45です。
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CHRONICLES #34 ディランとゴージャス・ジョージ
- 2004年12月16日 00:00
- ボブ・ディラン
【追記】No.1
コーヒー豆の焙煎を始めたのです。
ずっと前からやってみたかったのね。
焙煎器なる道具はとても高いのでずっと躊躇していたのだけど、ほうろく(焙烙・炮烙)で良いのだ。
通信販売のコーヒー豆屋さんだと2千円台だが、「ほうろく」で検索すると、千円ぐらいからあった。
まだちょっとヘタクソ。
豆がはじけてから長く煎り過ぎるらしい。
煎った後は、家中が天津甘栗屋さんのように香ばしくなってしまう。
見掛けがちょっと黒いのだけど、でも、飲んでみるととてもおいしいのです。
それを見て、おっ母さんが青大豆を買って来た。
煎って食べるつもりらしい。
大豆ならかまわないが、魚はやめてもらいたいなと思った。

ディランのバンドが復員軍人会のロビーで演奏していても、誰も振り向いてはくれませんでした。
ところが突然ドアが開いてゴージャス・ジョージ本人が入って来ました。
これもすごいリングネームですね、ゴージャスって自分で名乗っちゃうんですよ。
「豪華絢爛ジョージ」って、あぁた、叶姉妹じゃないんだから。
で、その豪華絢爛な登場の仕方を描写するディランの筆致がおもしろいのです。
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He roared in like the storm, didn't go through the backstage area, he came right through the lobby of the building and he seemed like forty men. It was Gorgeous George, in all his magnificent glory with all the lightning and vitality you'd expect.
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まさに一騎当千、後光がきんきらきんにまぶしいゴージャス・ジョージです。
従者が何人も付き、薔薇の花束を抱えた女性が取り囲み、長いブロンドの巻き毛がなびいていたそうです。
そして、音楽がする方向を向くと、ディランと視線を合わせ、ウィンクして言うのです。
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"You're making it come alive."
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さらにおかしいのは、本当にゴージャス・ジョージがそう言ったかどうかは問題ではないと、ディランが続けて書いていることです。
ゴージャス・ジョージがそうつぶやいたように、ディランに聞こえたということ、そしてそれを決して忘れてはいないということが大切なんだそうです。
自分が人に認めてもらって、それに励まされたということ。
とても嬉しかったんでしょうね。
ただいまp.44であります。
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CHRONICLES #33 ディランとプロレス
- 2004年12月15日 00:00
- ボブ・ディラン
【追記】No.1
楽天広場にメンテナンス入りますね。
→12月16日 1時00分?10時00分
12/15(水)の深夜です。
システムの改変を行なうようなので、休止時間が延びたりシステムが不安定になったりすることもあるかもしれません。
幻泉館に御用の方は、本館(自宅サーバ)やミラーサイトにいらしてください。
[幻泉館 本館]
幻泉館 本館
幻泉館 blog(試験運用中)
[幻泉館日録 ミラー]
幻泉館日録@goo
幻泉館@livedoor
幻泉館@So-net
googleで「幻泉館」を検索すると、やたらにヒットするはずです。
サイトが楽天広場から突然削除されることもあるようなので、その際もこちらへどうぞ。
楽天広場の削除は理由を一切説明しないそうです。
2ちゃんねるなどで呼びかけて、気に入らないサイトの削除要請を楽天広場対して集中的に行なう卑劣な連中もいるようです。
特に、戦争に反対している女性のサイトが狙われるようです。
ストーカーみたいなものですな。
楽天広場は簡単にそういう理不尽な要求を受け入れるようなので、同じ内容を書き込んでおくミラーの構築をお勧めします。
無料のblogサービスをいろいろ試していますが、楽天広場住民の場合はgooのblogが使いやすいのではないかと思います。

私が初めてクラウゼヴィッツの名を目にしてから二十年ぐらい経ったころのことだろうか。
広瀬隆さんが『クラウゼヴィッツの暗号文』という本を出したので、ふむふむと読んだ。
どうも閨閥などというのがピンと来なかった。
わたしゃ血で人を語るのが好きではないんだな。
従妹が防衛大出身の自衛官と結婚した時、うちの家族で私だけ結婚式に招待されなかった。
反戦自衛官の本を出したりしている会社にいたので、出世に関わるとでも思ったのだろうか。
その後NHKの下請け仕事をしている時には、その叔父さん(従妹の父親)が揉み手をしながら近寄ってきたのはおかしかった。
ディランが絶大な信頼を寄せていたおばあちゃんは、傷心のディランにこういったことを言います。
"There are some people you'll never be able to win over. Just let it go--let it wear out."
「お前が絶対に勝てない連中もいるんだよ。それが廃れるまで放っておきなさい。」
そりゃそうなんだけど、ディラン少年の気持ちは収まりません。
せっかく作りかけたバンドを取り上げてしまう連中は、地域の議会や商店会にコネのあるやつらでした。
こういった血縁関係は、どの地域でもいたるところでさまざまに結びついていました。
なんだか丸裸にされたような気がしたと、ディランは言っています。
だからといって、それでスネるということもなかったそうです。
一族のコネはそれはそれで正当なのだと、オトナです。
コネがあるからといって誰も責めることはできない。
だからディラン少年はほとんどいつも自分のバンドを失ってしまうし、もし失ってもこれ以上ショックを受けることはなくなりました。
失ったら、また作ったのです。
とにかく演奏したい、だからバンドを作り続けました。
何度も停止して待ち続けても、認められることがほとんどありません。
それでも続けるのです。
すると、時にはこの不可解な存在の退屈さを変化させるようなウィンクや合図が訪れることもあるのです。
50年代半ば当時のディラン少年は、町の復員軍人会の建物にある州兵軍事教練場(the National Guard Armory)のロビーで演奏していたそうです。
なんだかすごい場所ですが、いろいろな催しを行なうイベント会場になっていたのですね。
ディランはここでSlim WhitmanやHank SnowやWebb Pierceといった歌手のステージを観たそうです。
この会場に、ゴージャス・ジョージ(Gorgeous George)という偉大なレスラーがやってきました。
→Gorgeous George
おっと、このサイトかなりおもしろいです。
力道山やタイガーマスクもいます。
ゴージャス・ジョージと一緒に来たレスラーのリングネームが笑えます。
ゴリアテ(Goliath)
吸血鬼(The Vampire)
竜巻(The Twister)
絞殺魔(The Strangler)
骨砕き(The Bone Crusher)
厄介者(The Holy Terror)
ディランはプロレスが好きだったのでしょうか。
妙に記憶が詳しいですね。
女子プロレスや小人プロレス(midget wrestlers)も一緒に来たというのですから、田舎町ではすごいイベントだったのでしょう。
ああ、あの有名なゴージャズ・ジョージが、ディラン少年に声をかけてくれたのです。
とっても嬉しかったんですね。
その話はまた明日。
ただいまp.44です。
実はディランはまだクラウゼヴィッツのことを書いているつもりなんですよ。
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CHRONICLES #32 (Bob Dylan)
- 2004年12月14日 03:13
- ボブ・ディラン

私がクラウゼヴィッツの名を知ったのは、たぶん高校生の時に寺山修司の『さかさま世界史』といったものを読んだ時だと思います。
「怪物伝」だったか「英雄伝」だったか、覚えていません。
漠然と『戦争論』は読んでおいた方がいいんだろうなあと思って読んだのですが、どうもあまり残っていません。
似たような経緯で読んだジョルジュ・ソレルの『暴力論』の方が強烈な印象を受けたように記憶しています。
もっとも中身を全然覚えていないので、今読めばだいぶ印象が違うのでしょう。
そうそう、ベンヤミンの『暴力批判論』を読もうとして忘れていました。
ディランの場合は、クラウゼヴィッツの『戦争論』がかなり気に入ったようです。
もしかしたら、本に載っていた肖像画のためかもしれません。
詩人か俳優のような容貌に好感を持ったのでしょう。
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クラウゼヴィッツにとって、石を投げたりするのは戦争ではなかった。少なくとも、理想的な戦争ではなかった。彼は戦場において大きな役割を演じる、天候や気流といった心理的偶然的要因について多くを語っている。
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ディランの言葉に妙に力が入っているのは、実は歌手を志す前には陸軍士官学校(West Point)に入ろうかと思ったこともあるかららしいです。
これは意外です。
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Years earlier, before I knew I was going to be a singer and my mind was in full swing, I had even wanted to go to West Point. I'd always pictured myself dying in some heroic battle rather than in bed.
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思春期の少年が畳の上で死ぬより戦場で英雄的な死を遂げたいと夢見たりするのは、わからないでもありません。
でも、ディランがベトナムで死んだりしなくて良かったです。
少年ディランは、どうしたら陸軍士官学校に入れるのか、父親に尋ねたのだそうです。
すると、名前に"De"や"Von"が入っていないから、コネや身元証明書が必要だと言われました。
なんともとぼけた親父さんです。
とにかくコネを探せと。
叔父さんはもっとずっとそっけなかったそうです。
「政府のために働かなきゃいけないなんて思うな。兵隊ってのはおまんの方だ、モルモットだ。鉱山に行って働け。」
ディランは父親の「コネと身元証明書」という言葉にカチンと来たようです。
その言葉を思い出して、どうも人生ではうまく行かないことが起こるものだという回想を始めます。
自分のバンドのメンバーが揃いそうになると、誰かに持っていかれてしまう。
毎回そうだった。
演奏でお金が稼げるぞという甘言で、みんな釣られていってしまったのだそうです。
その度にディラン少年は、一緒に暮らしていたおばあちゃんに愚痴をこぼしていたのであります。
話はどこへ行ってしまうのか。
これでまだクラウゼヴィッツの話は終わってないのですよ。
【追記】No.1
思えば軍人というのは、ディランの父親が言うように支配階級に属していたのです。
たとえば天皇の一族も、天皇にならない場合は軍人か学者になるものでありました。
圧倒的な数の人々は、軍人になるのではなくて、兵隊さんにとられるのです。
軍事おたくというような連中は、自分が内務班でいじめられるところを思い描くほどの想像力を持っていません。
脳内でいきなり参謀になっちゃってます。
そりゃ楽しかろうよ。
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CHRONICLES #31 (Bob Dylan)
- 2004年12月13日 17:18
- ボブ・ディラン

今はamazonなんぞで本を買うことが多くなったので、本屋さんで立ち読みをすることが少なくなりました。
中学生や高校生ぐらいの時はどんなジャンルの本でもおもしろくて、何時間でもいろいろな本を読んでいたものです。
レコード屋さんでも、LPの大きなジャケットを一枚ずつ引っ張り出しては眺めていたものです。
二十歳ぐらいのディランも、何にでも目を通していたようです。
近くに大きな本屋さんがなかったそうなので、レイとクローイの部屋の本棚を隅から隅まで漁ったのでしょう。
曲がった膝の治し方、助産のやり方、寝室での虫垂切除法といった"how-to"もの。
こういった本はホットな夢を与えてくれるかもしれないとディランは書いていますが、これはヤバイなあ。
フェラーリやドゥカッティのデッサンや、アマゾネスの女たち、ファラオのエジプトの本。
サーカスのアクロバットや、恋人たちや、墓地の写真集。
思いつくままにそこで見た本のことを書き出しています。
でも、やっぱり歴史物が好きなんですね。
フリードリヒ大王が作曲もしていたと知って驚いたと書いています。
詳述しているのは、クラウゼヴィッツの『戦争論(Vom Kriege)』。
名前はヒンデンブルクみたいだけど、本にある肖像画では詩人のロバート・バーンズ(Robert Burns)や俳優のモンゴメリー・クリフト(Montgomery Clift)みたいだと、妙な感想を書いています。
ただいまp.41です。
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CHRONICLES #30 (Bob Dylan)
- 2004年12月12日 00:15
- ボブ・ディラン

ディランはスティーヴンズの伝記の他にも、テディ・ルーズベルトの伝記を読んだそうです。
第二次大戦時のフランクリン・ルーズベルトではなくて、20世紀初頭のセオドア・ルーズベルト大統領です。
この人も共和党。
とてもとんがった印象のある若きボブ・ディランが、共和党の政治家の伝記を読みふけっていたというのは、なんだか不思議です。
→The White House: Theodore Roosevelt
→WikiPedia: セオドア・ルーズベルト
「ルーズベルト」という表記は原音と比べてあんまりだと思うのですが、「ロウズヴェルト」と書くと誰のことだかわからないので、おなじみの「ルーズベルト」で行きます。
ルーズベルトは農場主でそれから警察(crime buster)に勤めたのだが、カリフォルニアをめぐる戦争(米西戦争)のため、職を辞さなければならなかった。
当時のアメリカのほとんどを所有してしまったのがJ.P.モルガン。
ルーズベルトはモルガンを退却させようとして、投獄するぞと脅した。
私もずっと以前にモルガンとルーズベルトの話は読んだことがあるのですが、何がどうだったのか、まるで覚えていません。
モルガンのことをディランは「a deity figure」と書いています。
アメリカ経済界の絶対神だったんですな。
ステーヴンズにしても、ルーズベルトにしても、モルガンにしても、まるでバラッドの中の人物が外に出てきたみたいだったとディランは言います。
バラッドを聴くように、歴史物の本を読んでいたのでしょう。
そんなバラッドの例として、ディランは三つの曲名を挙げています。
「Walkin' Boss」
フレイトフル・デッドが演ってますね。
→Walkin' Boss
「The Prisoner's Song」
Jimmy Martinのバージョンが有名?
→The Prisoner's Song
「Ballad of Charles Guiteau」
Charles Guiteauは1881年7月2日にガーフィールド大統領を暗殺した犯人です。
猟官運動に失敗したために逆恨みして大統領暗殺に走ったのだそうです。
→Ballad of Charles Guiteau(すごい音源が聴けます)
次には、書棚で見た美術書を思い出しています。
マザウェル(Robert Motherwell)
ジャスパー・ジョーンズ(Jasper Johns)
アドルフ・メンツェル(Adolf von Menzel)
この辺りの本の方が自然ですね。
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CHRONICLES #29 (Bob Dylan)
- 2004年12月11日 02:13
- ボブ・ディラン
【追記】No.1
また楽天広場がやってくれた模様です。
理由を明示しないまま「平和の砦」さんが削除されました。
これはひどいですな。
詳細はこちらでどうぞ。
→なんとまた楽天がとんでもないことを!!

ページの途中で二行空けて、ディランの意識はまたレイの部屋に戻ります。
その部屋は本当に静かな部屋でした。
ラジオやレコードを聴いていなければ、墓場のような静けさの中でディランは本に没頭していたのです。
考古学者のように本を発掘していたと書いています。
共和党急進派サディウス・スティーヴンズ(Thaddeus Stevens)の伝記を読んだそうです。
アンドリュー・ジョンソン(Andrew Johnson)大統領弾劾の中心人物ですね。
→『剣なき闘い』
ジョンソン大統領はリンカーン大統領の時の副大統領で、リンカーン暗殺によって大統領に昇格した人物です。
ケネディ大統領暗殺の時もリンドン・ジョンソン副大統領が昇格したので、二人とも「ジョンソン」だと話題になりましたが、まあ平凡な姓ですからね。
奴隷解放を推し進め、黒人の待遇改善や公民権授与を求めて努力したのが、スティーヴンズです。
死後は黒人墓地に埋葬してくれという遺言を残したそうですが、現在のブッシュ大統領で共和党をとらえていると、ちょっと想像できませんね。
ディランの記述によれば、スティーヴンズはバイロンと同様に内反足(clubfoot)でした。
バイロンと同様にと書くところがディランです。
→先天性内反足
貧しかったけれど自分の力で財を成し、そして社会的弱者を擁護するために戦ったのだそうです。
リンカーン大統領がアメリカン・ドリームの一つの典型として引き合いに出されるのと似ています。
リンカーンもスティーヴンズも共和党。
スティーヴンズが糾弾したジョンソン大統領は元々民主党なんですが、共和党に鞍替えして副大統領になったのだそうです。
スティーヴンズはブラックユーモアのセンスがあり、鋭い口舌で、当時の傲慢な「貴族」に対する熾烈な憎悪を表現しました。
奴隷所有者の土地を没収しようとしていました。
議会の同僚議員のことを「自分の粘液の中をこそこそ歩く」などと評しました。
反メーソンであり、敵対するフリーメーソンを口元から血煙が上がっていると批難しました。
政敵の真っ只中にいながら、その敵を「光を避けて群れの中に隠れている、動きののろい、弱っちい爬虫類」と呼びました。
この伝説的な共和党員に、ディランはずいぶん惚れ込んだようです。
ただいまp.40。
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CHRONICLES #28 (Bob Dylan)
- 2004年12月10日 00:03
- ボブ・ディラン

ディランはそのころまで、書物や作家に夢中になったということはなかったのだが、物語は好きだったと言っています。
mythical(神話的な、伝説的な、架空の)といった語を何度も使って、昔お気に入りだった物語に触れています。
エドガー・バロウズ(Edgar Rice Burroughs)
裸のランチじゃありませんよ、ターザンです。
→TARZAN
ルーク・ショート(Luke Short)
19世紀のガンマンではなくて、1975年に亡くなった西部劇作家だと思います。
→Luke Short (Frederick Dilley Glidden)
ジュール・ヴェルヌ(Jules Verne)
→Jules Verne Page
H.G.ウェルズ(H. G. Wells)
→H.G.ウェルズ(1866-1946)
1950年代の中学生が夢中になって読んだ大衆小説という感じですね。
少年ディランはこういう読み物が好きだった。
私も中学生ぐらいの時にフレデリック・ブラウンを読んで、もう少し大きくなってからP.K.ディックに進んだりしたのでした。
ああ、図書館にあった「SFマガジン」で筒井康隆さんの連載『脱走と追跡のサンバ』を読んだな。
でも、ディランはフォークソングを発見したのです。
フォークシンガーなら、こういった本まるごと一冊を、数行の詞で歌うことができる。
ディランがここで言っているフォークソングは、バラッド(ballad)と呼ばれるものに近いようです。
物語詩に節をつけた流行歌、ぐらいでしょうか。
-------------------------------------------------------------
どうしたらある人物や出来事がまともなフォークソングになるのか、説明するのは難しい。
たぶん、公明正大で正直な性格といったものと関係があるのだろう。
つまり、勇敢さといったものと。
アル・カポネはギャングとして成功してシカゴの地下世界を支配することができたが、誰もカポネの歌など作らなかった。
どのような点においてもカポネはおもしろくないし、英雄でもなかった。
カポネではつまらない(frigid)。
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バラッドというと無法者を歌っているような気がしますが、やはり感情移入できる気持ちのいい人物でなければ、歌の主人公にはならないわけです。
高倉健さんの時代の東映ヤクザ映画は歌になるけれど、『仁義なき戦い』シリーズでは歌になりません。
ディランはカポネのことをボロクソに書いてます。
カポネは凶悪犯や暴漢といった類いのもので、歌の中で名前を与えられるほどの価値もない。
それに対して「美少年フロイド(Pretty Boy Floyd)」は、わくわくさせてくれる。
彼のことを歌った曲は、本当に血肉を持っているし、人間というものを表現して、感動的だ。
ディランがアル・カポネに対峙させた無法者「美少年フロイド」はオクラホマ州で活躍した義賊。
ディランはそう書いていませんが、ウッディ・ガスリー(Woody Guthrie)の歌のことを言っているのです。
→Woody Guthrie Lyrics: Pretty Boy Floyd
→Digital Tradition Mirror: Pretty Boy Floyd
→Pretty Boy Floyd 美少年フロイド
ウッディ・ガスリーとレッドベリーに捧げられた『Folkways: A Vision Shared』では、ディランはこの曲を選んで歌っています。
→11月24日付幻泉館日録 我が祖国
【追記】No.1
またamazonからギフト券が届いたので、何かないかと思ってうろうろしていた。
文庫の新刊を眺めたり、おなじみの名前を検索してみたり。
「いしいひさいち」「つげ義春」「つげ忠男」「田中克彦」「田川建三」
「Bob Dylan」「Neil Young」「春一番」「高田渡」……お。
12月15日に、URCのシングル盤を集めたシリーズが出るらしい。
1998年に東芝EMIから出た時は3枚のCDだった。
今回は2枚組み×2なので、少し曲が増えているはずだ。
しょうがない、買うか??

URC シングルズ vol.1
1. イムジン河(ミューテーション・ファクトリー)
2. リムジンガン(ミューテーション・ファクトリー)
3. 坊や大きくならないで(トソン・コーン・ソン)
4. もしも平和になったら(トソン・コーン・ソン)
5. 大ダイジェスト版三億円強奪事件の唄(高田渡)
6. 大ダイジェスト版三億円強奪事件の唄(実況)
7. 転身(高田渡)
8. 電車問題(高田渡)
9. いやなやつ-ボクを郵便でおくりましょう(西岡たかし)
10. 退屈なうつりかわり-ポケットは空っぽ(西岡たかし)
11. 私の大好きな街(藤原秀子,中川砂人)
12. この道(藤原秀子,中川砂人)
13. 坊やの絵(ザ・ムッシュ)
14. ともだち(ザ・ムッシュ)
15. お父帰れや(赤い鳥)
16. 竹田の子守唄(赤い鳥)
17. 砂漠(西岡たかし)
18. 森・梟(西岡たかし)
19. オーソドックスなフォーク・ソング(小森豪人)
20. 青春のキャンパス(小森豪人)
21. あくまのお話(秘密結社○○教団)
22. アリス(秘密結社○○教団)
23. なあお母ちゃん(バラーズ)
24. この広い海に(バラーズ)
25. ホーチミンのバラード(高石友也)
26. ベトナムの空(高石友也)
27. 殺し屋のブルース(中川五郎)
28. うた(中川五郎)
29. 血まみれの鳩(五つの赤い風船)
30. まるで洪水のように(五つの赤い風船)
31. 追放の歌(休みの国)
32. 楽しいさすらい人(休みの国)
33. 九官鳥(やまたのおろち)
34. 明日なき世界(やまたのおろち)
35. 腰まで泥まみれ(中川五郎)
36. 恋人よベッドのそばにおいで(中川五郎)

URC シングルズ vol.2
1. 自衛隊に入ろう(高田渡)
2. 東京フォークゲリラの諸君達を語る(高田渡)
3. こもりうた(アテンションプリーズ)
4. 私が一番きれいだった時(アテンションプリーズ)
5. それから(六文銭)
6. 五年目のギター(六文銭)
7. あかりが消えたら(愚)
8. マリアンヌ(愚)
9. 悩み多き者よ(斉藤哲夫)
10. とんでもない世の中だ(斉藤哲夫)
11. 7月21日早朝に(山平和彦&ザ・シャーマン)
12. そっと二人で(山平和彦&ザ・シャーマン)
13. アナポッカリマックロケ(久保田誠)
14. 昭和元禄ぼけぼけ節(久保田誠)
15. されど私の人生(斉藤哲夫)
16. われわれは(斉藤哲夫)
17. 風がなにかを…(五つの赤い風船)
18. ふる里の言葉は(五つの赤い風船)
19. 男らしいってわかるかい(ザ・ディランII)
20. プカプカ(ザ・ディランII)
21. 教訓I(加川良)
22. ゼニの効用力について(加川良)
23. 風がなにかを…(仏語)(五つの赤い風船)
24. ポケットの中の明日(加川良)
25. その朝(加川良)
26. 夢は夜ひらく(三上寛)
27. 誰を怨めばいいのでございましょう(三上寛)
28. 青森県北津軽郡東京村(三上寛)
29. よいしょよいしょ(三上寛)
30. えんだん(五つの赤い風船)
31. 小さな夢(五つの赤い風船)
32. もう春だね(友部正人)
33. 乾杯(友部正人)
34. 僕の街(ザ・ディランII)
35. ガムをかんで(ザ・ディランII)
36. ジャンジャン町ぶるうす(五つの赤い風船)
37. ある朝こっそり(五つの赤い風船)
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CHRONICLES #27 (Bob Dylan)
- 2004年12月 8日 18:42
- ボブ・ディラン
【追記】No.1
また12月8日が来た。
I don't remember "the" Pearl Harbor.
I remember John.
1980年。
僕は深夜に7-11で、それから吉祥寺のちょっと特殊な本屋のアルバイトをして暮らしていたのだ。
金がないのでアルバム『ダブル・ファンタジー』は買っていなかった。
篠山紀信が撮ったジョンとヨーコが、小学館の雑誌『写楽』の表紙になっていた。
バイト先でそれを立ち読みしたのだ。
毎年、この日にはその表紙を思い出す。

さらにレイとクローイの蔵書に関する記述が続きます。
-------------------------------------------------
潜在意識の王者フロイト(Sigmund Freud)の「快感原則の彼岸(Beyond the Peasure Principle)」という本があった。
ある時僕がその本をかじっているとレイが入ってきて、その本を見て言った。
「その分野のトップは広告代理店で仕事をしてる。あいつら、空気を売ってるんだ。」
僕はその本を戻して、二度と手に取ることはなかった。
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金の動くところにはどこにでも現われて、需要どころか欲望まで創り出して、後は草も生えない状態にしてしまう、日本の大手広告代理店を思い出しました。
ディランの若い頃に近い時期だと、日本ではウィスキーや化粧品が思い浮かびます。
南軍の総指揮官だったリー将軍(Robert E. Lee)の伝記も読んだそうです。
この人は敗軍の将なんですが、アメリカでは非常に高い評価を受け、尊敬されてるんですな。
ディランは特に、その父親が家族を捨てて西インド諸島へ出奔してしまうところに興味を持っていたようです。
敗戦後は南部の人達へ、連邦への忠誠を説いていたそうで、この人の言葉のおかげで合州国は内戦の泥沼が続かずに済んだのだと、ディランは高く評価しています。
ディランは歴史物が好きなんですね。
ディランは言葉の響きが好きだったので、多くの書物を音読したのだそうです。
詩を読むのなら、正しい態度ですね。
ミルトン(John Milton)の「ピエモンテの大虐殺」がお気に入りで、「フォークソングの詞のようで、しかもずっと優美だった」と言っています。
→On the Late Massacre in Piedmont
書棚にあるロシアの本は、ひときわ暗い存在でした。
革命的だと考えられていたプーシキン(Aleksandr S. Pushkin)の政治的な詩。
貧農たちを教育していたトルストイ(Count Leo Tolstoy)の本。
ディランはそれから二十年以上経ってからトルストイの家に行ったと書いています。
モスクワの「トルストイの家博物館」に行ったようですね。
ツアー・ガイドがトルストイの自転車に乗らせてくれたと、嬉しそうに書いています。
→tolstoy.ru
ドストエフスキーが社会主義の宣伝をしたかどでシベリア送りになったことも書いています。
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He was eventually pardoned and wrote stories to ward off his vreditors.
Just like in the early '70s I wrote albums to ward off mine.
結局ドストエフスキーは赦免され、債権者から逃れるために作品を書いた。
ちょうど僕が70年代初めに債権者から逃れるためにアルバムを書いたのと同じように。
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p.39に入ったところです。
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CHRONICLES #26 (Bob Dylan)
- 2004年12月 7日 00:01
- ボブ・ディラン

ディランは友人の果てしない蔵書について、続けて書いています。
ソポクレース(Sophocles)の、神々の本質と機能に関する本……性が二種類しかない理由。
アレクサンダー大王はペルシャに進軍したのだが、部下たちを現地の女性と結婚させたので、反乱などで苦労することはなかった。
完全に支配する方法を知っていたのだ。
シモン・ボリバル(Simon Bolivar)の伝記もあった。
フォークナー(William Faulkner)の『響きと怒り(The Sound and the Fury)』を少し読んで好みには合わなかったのですが、フォークナーはすごいと思ったそうです。
アルベルトゥス・マグヌス(Albertus Magnus)も少し読んでみました。
彼にまつわる伝説を少し書いていますが、これは読破するには至らなかったようです。
「足の大きな人に合う巨大な靴のようなもので、読むには大きすぎる本も多かったのだ。」
大抵は詩集を読んでいたようです。
バイロン(George Gordon Byron)
シェリー(percy Bysshe Shelley)
ロングフェロー(Henry Wadsworth Longfellow)
ポー(Edgar Allan Poe)
ポーの「鐘のうた(The Bells)」はギターを爪弾きながら暗唱したそうです。
これは聴いてみたいですな。
モルモン教の創始者ジョセフ・スミス(Joseph Smith)の本や、イタリアの詩人レオパルド(Leopardi)の"La Vita Solitaria"についても、少し書いています。
まだp.37であります。
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BOB DYLAN the collection
- 2004年12月 6日 14:25
- ボブ・ディラン
昨夜ちゃんと書き込めなかったようです。

loveminus0さんが『Oh Mercy』の「Ring Them Bellsをベタぼめしていたので、買いました。
輸入盤なら千円ぐらいだろうとと思ってamazon. co. jpで見ると、1310円(悪税込)。
日本盤と比べると安いのだが、なんだか少し割高感があったので躊躇していたら、3枚のアルバムのボックスセットを見つけました。
BOB DYLAN the collection
Oh Mercy/Time Out of Mind/Love and Theft
これで3282円(悪税込)。
常々『欲望(Desire)』(1975年)で私のディランは終わったと公言していたのですが、まあ食わずぎらいみたいなものなので、これを機に残りのアルバムも聴こうと思いまして。
どうせ買うんだから、この方がお買い得だろうと。
それで、届いてから驚いたのです。
あら、こういう格好していたの。
これは収納に困るなあ。
オリジナルのジャケット(といってもぺらぺらの紙ですが)は中に入っているので、この箱の写真がオマケみたいなものかしら。
このヒゲがなあ。
ダリみたいなインチキおじさんの雰囲気出してますねえ。
BOB DYLAN the collection
Oh Mercy/Time Out of Mind/Love and Theft
[BEST OF] [BOX SET] [FROM US] [IMPORT]
Bob Dylan

disc 1: Time Out of Mind (1997)
1. Love Sick
2. Dirt Road Blues
3. Standing in the Doorway
4. Million Miles
5. Tryin' to Get to Heaven
6. 'Til I Fell in Love With You
7. Not Dark Yet
8. Cold Irons Bound
9. Make You Feel My Love
10. Can't Wait
11. Highlands
disc 2: Love and Theft (2001)
1. Tweedle Dee & Tweedle Dum
2. Mississippi
3. Summer Days
4. Bye and Bye
5. Lonesome Day Blues
6. Floater (Too Much to Ask)
7. High Water (For Charley Patton)
8. Moonlight
9. Honest With Me
10. Po' Boy
11. Cry a While
12. Sugar Baby
disc 3: Oh Mercy (1989)
1. Political World
2. Where Teardrops Fall
3. Everything Is Broken
4. Ring Them Bells
5. Man in the Long Black Coat
6. Most of the Time
7. What Good Am I?
8. Disease of Conceit
9. What Was It You Wanted
10. Shooting Star
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CHRONICLES #25 (Bob Dylan)
- 2004年12月 5日 11:56
- ボブ・ディラン
【追記】No.1
明け方の暴風がすごかったです。
幻泉館の二階はがたがた揺れておりました。
先日フェンスを修理してもらったばかりなので心配でしたが、それは大丈夫。
でも、事務所の方は被害が出たようです。
ベランダのドアがロックしてなかったようで、壊れた模様。
窓も割れてしまったということで、やれやれ。
人に被害がなかったのが不幸中の幸いでしょうか。

今日はネタがないからはっぴいえんどの「12月の雨の日」のタイトルだけ書いておこう。
というのが幻泉館日録のスタイルだったのですが、そんなことがなくなってしまいました。
夜にクロニクルズのネタはつきまじ。
どこまで行っても終わりません。
日本語版が出たら?
その時は誤訳指摘サイトに変わってしまうかもしれませんね。
あの『メイキング・オブ・ブレードランナー』や『9.11』の訳者だったら絶対に間違えるよなあという箇所が毎ページ出てきます。
英文を読む時はいちいち日本語に訳したりしないものですが、さすがにこのペースだと、ここはどう訳すといいのかなあなどと考えてしまいます。
私が立ち止まって考えたところでは、品川四郎さん(の下請け?)や山崎淳さんは間違えるはずです。
そんな水準で訳書を出したら、力いっぱい誤訳指摘サイトに変身しますよ。
一粒で何度でもおいしい『クロニクルズ』です。
良質な翻訳書を出してくださいよ、あなた。
もちろん私の間違いがたくさんわかったら、大お詫びサイトになります。
さて、段落が変わっても、ディランはまだレイとクローイの書庫を描写しています。
二十歳ぐらいの時の友人の蔵書……確かに結構はっきり覚えているものです。
Standing in this room you could take it all for a joke.
There were all types of things in here.
この部屋の中に立っていると、全部が冗談のようにも思えた。
部屋の中にはあらゆる種類のものがあったのだ。
活版印刷(typography)
碑文研究(epigraphy)
哲学(philosophy)
政治思想(political ideologies)
このあたりは、私の部屋も似たようなものです。
エピグラフィの本はありませんがね。
その後にまた固有名詞が続きます。
う?ん。
『ローマ皇帝伝(The Twelve Caesars)』
ペリクレス『民主主義の理想国家(Ideal State of Democracy)』?
トゥキュディデス『アテネの将軍(The Athenian General)』?
こりゃわかりませんわ。
ディランは読んでますよ、これ。
「寒気を催すような物語だ」と書いています。
キリストが生まれる400年も前に、人間というのはさらに優れたモノに対して常に敵であったと書かれた、のだそうです。
「トゥキュディデスは、彼の時代の言葉が、その本来の意味からどれだけ変わってしまったか、瞬きする間に行動や意見がどれだけ変わるのか、書いている。
彼の時代から今まで、それはまったく変わっていないのだ。」
その後には、もっとおなじみの名前が並んでいます。
ゴーゴリ、バルザック、モーパッサン、ユーゴー、ディケンズ。
ディランは適当に本を手に取って真ん中辺を数ページ読んで、気に入ったら最初から読んだそうです。
『薬物学(Materia Medica) 病気の原因と治療』はいい本だったと言っているのがおかしいです。
自分が受けなかった分野の教育を求めたのだそうです。
表紙に走り書きのしてある本もありました。
レイとクローイが一言で感想をメモしたのでしょう。
マキャベリの『君主(The Price)』には、「活動家の精神(The spirit of the hustler)」と書いてあり、ダンテの『地獄篇(Inferno)』(『神曲(La Divina Commedia)』中の初篇)には「コスモポリタン」と書いてありました。
本は特定の秩序やテーマもなく並んでいました。
ルソーの『社会契約論(Social Contract)』は『聖アントニウスの誘惑(Temptation of St. Anthony)』の隣にあり、オウィディウスの『変身物語(Metamorphoses)』はデイビー・クロケットの自伝の横にありました。
ディランは本が好きですね。
この後まだ延々と書物の話が続きます。
ただいまp.37に入ったところ。
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CHRONICLES #24 (Bob Dylan)
- 2004年12月 3日 22:17
- ボブ・ディラン
【追記】No.3

ひさしぶりにヒナのひるね画像。
寒くなると、二階の廊下がサンルーム状態になるのです。
【追記】No.2
ところで幻ちゃんの最新大人のおもちゃZaurus君は、ミニ6穴システム手帳と同じぐらいの大きさです。
amazon.co.jpでたくさんもらったビニール製文庫カバーにピタリと収まる……はずだったのですが、通信用のカードがはみ出ているので、ぴったり収まらないのです。
それで、三省堂あたりで買った革製の新書版ブックカバーに入れています。
ちょっと大きすぎるんだなあ。
システム手帳型の専用革製ケースを発注したのですが、納期は三週間。
それまでちょっと恐々と扱うことになりそうです。
住所録の入力は面倒だなと思っていたのですが、さすがにZaurusは成熟しています。
ちょっとしたアシストで、ずいぶん入力しやすくなっているなあと思いました。

【追記】No.1
私が学校で習った「英語」は、意味が漂白された一般名詞の言葉だった。
たとえば人種差別にしたって、それは遥かな国遠い昔のできごとなのだ。
生きている言葉ではなかった。
数行に渡ってただ並べられた固有名詞の羅列に、そんなものは役に立たない。
1961年2月のアメリカ合州国ニューヨーク。
米ソ対立やハリウッド映画のコラージュはどんな意味を持つのだろうか。
別に裏など読む必要もない。
その固有名詞にどんな音や映像を思い浮かべることができるのか。
それがディランの言葉を楽しむということだろう。
どうも誤解されているフシがあるようですが、私はボブ・ディランのことは歌以外にはまったく知らないのです。
コンサートは一回しか観たことがありません。
本は片桐ユズルさんと中山容さんの訳詞集を持っているだけです。
音楽雑誌は買いません。
おっと『ロック画報』という日本の音楽雑誌は買うようになりました。
洋楽雑誌は買いません、だな。
だから、まったく虚心にディランの散文を読んで、そこに現われる固有名詞がよくわからないのでいろいろ調べてみている。
そんな読書ノート、読書メモです。
ソ連のフルシチョフ第一書記は、1959年に訪米しています。
アイゼンハワー大統領とキャプデービッドで会談するのですが、テンガロンハットのようなものをかぶってはしゃいでみせたり、ニクソン米副大統領と一緒にテレビに登場してカラーテレビぐらいソ連でもすぐに開発してみせるわと強がってかわいいところを見せたりしていました。
そのニクソンは1960年に大統領選に出ますが、ご存知のようにテレビのためケネディに敗れています。
「祖国があなたのために何ができるかを尋ねてはなりません、あなたが祖国のために何を行うことができるか尋ねてほしい。」
有名な就任演説は、1961年1月20日。
清新なイメージでケネディ大統領(42歳)が登場したばかりのころなのです。
ディランはラジオのスイッチを切って、部屋の筋向かいにある白黒テレビを点けます。
そう、『巨人の星』で一球投げるのに何週間もかかったのと同じように、今までディランはラジオを聴いていたのです。
もっとも、本文では丸三ページ分ほど。
おそらくそんなに長い時間ではありません。
1961年2月の寒い日に、ディランがレイとクローイの部屋に泊まったのは事実だと思います。
その部屋にあるラジオでロイ・オービソンの新曲を聴いたあたりまではやはり事実だと思いますが、実際にラジオを聴きながら今まで書いたようなことを、その時に考えたのかどうかは、怪しいなと思います。
もうすぐ二十歳という年齢のころに考えていたことではあるのでしょうが、レイとクローイの部屋ではどうだったんでしょう。
もちろん意図的に伝説を作ろうとしているのではないでしょう。
再構成された、ディランにとっての事実。
それでいいのだと思います。
二行空けて、僕はラジオを切ったという文が出てくるので、読者はハッと我に返るのです。
そうなんだ、ディランはラジオを聴いていろいろ考えていたのだと。
テレビでは"Wagon Train"を放映していました。
この番組は知らないので調べてみると、日本では『幌馬車隊』というタイトルだったようです。
平尾昌晃さんが主題歌を歌っていたとか。
♪ 隊長アダムスの指揮のもと
♪ 時には憎み、また、愛し合う
♪ 野越え、山越え、幌を連ね
♪ 行くぞ、我らがWAGON TRAIN
うん、まるでわかりませんわ。
60年代前半のテレビ番組は、日本のドラマやバラエティは生放送。
アメリカ生まれのドラマはフィルムのものを流していました。
うちはお金持ちではなかったのでテレビが来たのは遅かったし、地方局の民放は一つしかなかったので、たぶん見ていません。
ディランはすぐにテレビのスイッチを切って、別の部屋に行きます。
窓のない、洞穴のような書斎です。
床から天井までジャンルを問わずぎっしりと本が詰まっていて、過剰な存在感があります。
固有名詞が列挙してありますが、その関連の本があったということでしょう。
Brando
マーロン・ブランド(Marlon Brando)のことでしょうか。
『波止場(On the Waterfront)』は1954年の作品です。
James Dean
ジェームズ・ディーンの死(1955年)から六年後です。
Milton Berle
ヴォードヴィルの人気者で、テレビの寵児となったそうです。
「Uncle Miltie」「Mr. Television」と呼ばれる。
Marilyn Monroe
マリリン・モンローが亡くなるのはこの翌年、1962年です。
Lucy
この流れから行くと、「I Love Lucy」や「Lucy Show」のルーシーでしょう。
ルシール・ボールさんの当たり役ね。
Earl Warren
最高裁判所首席裁判官(1953-69)
ケネディ大統領暗殺事件調査委員会の長(1963-64)
Khrushchev
フルシチョフ、もちろん共産党第一書記&首相。
脱スターリンの時代です。
Castro
1959年にカストロが首相になって、まだ2年しか経っていません。
21世紀になっても君臨しているとは、ディランも夢にも思わなかったことでしょう。
Little Rock
高校でアフリカ系アメリカ人が登校することを阻まれた人種差別事件のことだと思います。
→Little Rock Crisis
Peyton Place
これはテレビドラマですね。
ん、小説の映画化(1957年)の方かな。
→The PEYTON PLACE Pages
Tennessee Williams
おお、これぞグリニッチ・ビレッジの青春ですな。
Joe DiMaggio
こちらもアメリカの英雄ですな。
→Joe DiMaggio
J. Edgar Hoover
半世紀近く(1924-1972)FBIの長官を務めた人物です。
→FBIの歴史
Westinghouse
わかりませんが、総合電機メーカーのWestinghouse Electric社のことでしょうか。
Westinghouse
The Nelsons
これがどちらのネルソンさんなのかわかりません。
このシリーズなのかなあ。
→Here Comes the Nelsons
Holiday Inn
これは普通にホテルのチェーンでしょう。
1952年創立だそうです。
hot-rod Chevys
シボレーの改造車でしょうか。
チバラギなスカG?
Mickey Spillane
私立探偵マイク・ハマー(Mike Hammer)シリーズの作家ですね。
→外国テレビ映画紹介
Joe McCarthy
「赤狩り」を巻き起こした大嘘つきの上院議員です。
Levittown
大規模な住宅開発が行なわれた町ということでいいのでしょうか。
今ではとてもわかりにくい固有名詞が並んでいるのですが、意外にup-to-dateなモノが詰まった書庫であるようです。
並んだ固有名詞から想像すると、もしかしたら雑誌の方が多かったのかもしれません。
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CHRONICLES #23 (Bob Dylan)
- 2004年12月 2日 15:44
- ボブ・ディラン
【追記】No.2
下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるで、乱立したミラーの一つにフィドル演奏家の方がトラックバックを付けてくださった。
若き日の渡さんと写った写真もある、実にいい感じのblogでした。
→フィドル少年漂流記♪
【追記】No.1
あ、光っちゃいましたね。
ひさびさのペコちゃんです。
冬場の季節商品?
「とろけるミルキー」
少しやわらかいので、ついつい噛んでしまいます。
中からとろ?り。
おいしかったです。

あら不思議、また眉毛生えてますなあ。

ディランにとって、歌は自分を導いてくれるものでした。
解放された、自由の共和国へ。
それを三十年後にグリール・マーカス(Greil Marcus)が「目に見えない共和国(invisible republic)」と呼ぶことになります。
→The Official Greil Marcus Home Page
とにかくディランには、大衆文化の主流というものが時代遅れでインチキなものに見えました。
窓の外に壊れることのない霜の海があって、そこを不便な履物で歩かなければならないようなものだった。
誰もそんなことで思い悩んではいなかった。
自分たちがどんな時代にいるのかということも、歴史の真実とは何なのかということも、僕にはわからなかった。
もしも本当のことを言えば、それで万事よくなるだろう。
でも、本当じゃないことを言っても、それで万事よくなってしまうのだ。
フォーク・ソングは僕にそんなことを教えてくれた。
何時だったのかといえば、いつも陽の光が差し始める時だった。
そして僕も歴史のことがちょっとだけわかった。
ほんの数ヶ国の歴史だけ。
それはいつも同じパターンなんだ。
社会が成長し、栄え、そして崩壊していく、歴史のどの時点にアメリカがいるのかということが、ディランには気になっていたようです。
二十歳ぐらいの若者ディランが、一所懸命に時代のことを考えていたんだなあ。
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CHRONICLES #22 (Bob Dylan)
- 2004年12月 1日 16:41
- ボブ・ディラン
【追記】No.2

セブンイレブンで飲料にミニチョロQが付いてました。
こういうのはすごい勢いで買っていく人がいるので、揃えるのは難しいんでしょうね。
画像は左がRX-8、右がキューブです。
→ミニミニチョロQコレクションキャンペーン
そうか、チョロQが25周年なんですね。
そういえば80年代に毎年チョロQを買ってました。
暮れ正月に実家に帰った時に、高校時代の友人とショッピングセンターにあったおもちゃ屋さんに行くのです。
そこで干支の動物を模したチョロQを買いました。
12個は揃わなかったなあ。
猪なんかをよく覚えてます。
どこに行ったんだろう。

し・は・す!
ディランはオービソンや他の歌手たちのことを延々と書き綴っていますが、場面としてはまだレイとクローイの部屋でラジオを聴いているところです。
僕はとにかくレコードを作りたくてしかたがなかったのだが、ラジオで流れているような音楽、45回転のシングル盤を作りたかったわけではない。
フォークシンガー、ジャズ・アーティスト、クラシックの音楽家たちはLPを作っていた。
この溝の中に山のように歌を詰め込んだロング・プレイ・レコード(long-playing records)だ。
LPなら何なのかがはっきりわかるし、重さがわかるし(決定的な影響を及ぼすし)、大きな絵がもっと描けた。
LPは重力みたいだった。
カバーが前も後ろもあって、何時間だって見ていられた。
ディランは最初からアルバムの重要性を強く感じていたようです。
シングル盤のバブリングポップスを歌いたかったわけではないということです。
もちろんビートルズ以前。
ディランは「フォークソング」を歌っていたけれど、商業主義的なラジオで流れるようなレパートリーはまったくなかったと断言しています。
ディランにとって歌とは、単なる軽い娯楽以上のものだった。
大胆にはしょってp.34が終わろうとしています。
私、今夜はちょっと忙しかったのであります。
ザウルスとSo-net専用モデムカードが届いた。
別々なのだが、同じ日に届いて良かったわあ。
即インターネットに繋いでいろいろ試してみる。
いつも光やCATVを使っているので、まあ遅いこと遅いこと。
画面がおもちゃみたいでおもしろい。
アプリケーションが豊富で、とりあえずは困らない。
カレンダー
アドレス帳
ToDo
メモ帳
メール
インターネットNetFront v3.1
Music Player
Movie Player
HancomSheet
HancomWord
プレゼンテーション
イメージノート
マルチメディア辞書(広辞苑/ジーニアス英和和英)
翻訳これ一本
ブンコンピュータ
電卓
世界時計
時計
ファイル検索
ありゃ、コンソール画面はどうやって呼び出すのかしら。
USBでPCとつないでデータのやり取りをしたり、ザウルスを外漬けドライブのようにも使える。
携帯の画面に慣れているので、思ったほど目も疲れないようだ。
こうなると、システム手帖型のケースなんぞが欲しくなるな。
【追記】No.1
ザウルス付属のソフトだが、たぶん私が最もよく使うのはブラウザだろう。
NetFront/3.1という名前なのだが、情報としてはMozila/4.08を吐き出している。
→[Mozilla/4.08 (PDA; SL-C3000/1.0,Qtopia/1.4.9) NetFront/3.1]
システム側のスイッチから表示を拡大縮小できるのが便利。
やはり極小ノートPCよりも、発展型PDAの方が練られているようだ。
ワープロと表計算はHancomWordとHancomSheet。
Linuxのオフィスとしておなじみなのだが、この前Win用のものも買った。
Micro$oftのWordとExcelのファイルを開けるので、重宝している。
プレゼンテーションビューワやイメージエディタも、このセットなんですな。
→Hancom Mobile Office
PCといえばWindowsにワード&エクセルが当然という「常識」を学校の教師が教え込むのは良くないんじゃないかな。
Micro$oftの食い物になるお客さんを、公教育で仕込んでるようなものだ。
端末にはLinuxやFreeBSDを使うべきだと思う。
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CHRONICLES #21 (Bob Dylan)
- 2004年11月30日 13:19
- ボブ・ディラン
【追記】No.1
そうそう、書き忘れてた。
ただいま『クロニクルズ』はp.33です。
ふと気づいたのだが、プロバイダのSo-netがblogを始めていたのであった。
まだβ版のようだが、早速登録。
いろいろ使い勝手を試してみましょう。
chappiさん、御苦労様ですが、どこも同じ内容をアップしただけです。
元は楽天広場から削除された場合のバックアップ用ミラーなんですが、本当は自宅サーバのblogをちゃんと機能させたいと思ってます。
まだうっかりLANから「再構築」してしまうと、トラックバックなどがおかしくなるのです。
→幻泉館日録@So-net
→幻泉館 blog 試運転中@自宅サーバ

1961年の聖バレンタインデー直後にディランがラジオでロイ・オービソンの新曲「Running Scared」を聴いたころ、既にいわゆるフォークソングがラジオでよく流れていました。
キングストン・トリオやブラザーズ・フォア。
いわゆるモダン・フォークやカレッッジ・フォークの時代ですね。
ディランにとっては小ぎれいにまとまりすぎていたようですが、それでもキングストン・トリオは好きだったそうです。
→モダンフォークの幕開け
→The Offcial Kingsotn Trio
→Official Web Site of the Brothers Four
ブラザーズ・フォアの結成は1956年、キングストン・トリオは1957年、私が生まれたころに、カレッジフォークも生まれたのですね。
そりゃ古いわ。
ブラザーズ・フォアの「グリーン・フィールズ」が全米チャートを駆け登ったのは1960年なので、そのヒットのことをディランは言っているのでしょう。
毎年来日して地方公演を行なっているので、おなじみのグループですね。
しかし、「グリーン・リーブス・オブ・サマー(遥かなるアラモ)」なんてのはどうなんだろうなあ。
→TOP10 HITS OF LAST CENTURY 映画『アラモ』
Remember the Alamo
Remember the Maine
Remember the Pearl Habor
私は実に気持ち悪いのです。
今は同様に"Remeber 911"が声高に叫ばれているのでしょうか。
ディランにとっての「フォークソング」は、まだブレイクしつつあるぐらいのところ。
当時はそんな雰囲気を持った流行歌が常に現われていたと言っています。
→Jody Reynolds "Endless Sleep"
今はどのヒット曲もオールディーズのくくりに入れられてしまうので、ディランが言っていることがわかりにくいかもしれません。
オービソンの場合はもっといろいろな要素がごたまぜになったチャンプルーでした。
フォーク、カントリー、ロックンロール……。
ささやくように歌い始め、フランキー・バリーのような裏声になったり、オリンピアの丘の上から歌っているようだったり。
オペラやマリアッチまでディランは引き合いに出しています。
オービソンは既に「Ooby Dooby」というヒットで人気があったけれど、今度のヒット曲はまったく違うものでした。
He was now singing his compositions in three or four octaves that made you want to drive your car over a cliff.
ディランの表現おもしろいですね。
崖から跳んではいけませんわよ。
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CHRONICLES #20 (Bob Dylan)
- 2004年11月28日 03:59
- ボブ・ディラン
【追記】No.1
ふと、PDAを買おうと思い立ってしまった。
だいたいシステム手帳は使い切れない人間であった。
電子手帳は欲しいと思わなかった。
でも、なんとなくシャープのザウルスを買おうと思い立ってしまったのだ。
だいたい、PDAって何なんだ?
知らない。
→IT用語辞典 PDA [Personal Digital Assistance]
ほぉ、そうなんだ、[Personal Digital Assistance]なんだ。
これだけじゃPCと変わらないな。
本当に携帯できるというところがポイントなんだろう。
でも、この英語、変だな。
「補助」じゃねえだろ、「補助」じゃ。
で、リーダーズ英和を引いてみたら、やっぱりそうだわ。
PDA→[personal digital assistant]ですな。
上のサイト、辞典を名乗ってるのに、間違えてます。
MacのOSがFreeBSDになった時も猛烈に欲しくなったのだが、それはなんとかこらえた。
ザウルスがLinuxを搭載したという時もグラグラっときたが、もっとPCのスペックに近づいてくれないと使えないなと、やめたのだ。
それが、ふとした拍子に、ザウルスの新製品に気づいてしまったのだ。
Zaurus SL-C3000
4GBのHDDを内蔵して、画面は640*480のVGA……使える……。
これで重量が300gを切って、おまけで「広辞苑」「ジーニアス英和・和英辞典」も付いている。
実は以前SONYの極小PC、PCGなんたらというやつを使ったことがあるのだが、妙に横長な画面のおかげでドライバにバグはあるは、SONYタイマーが即働いてすぐにおしゃかになるわで、PC側からのアプローチはダメだろうと思っていたのだ。
PDAがどこまでまともなPCに近づけるかというのを待っていた。
Win機でないところも、スジが良いと思う。
2ちゃんねら?だったら、「??━━━━(?∀?)━━━━?!!」って感じ?
本体の実売価格は6万円台。
なんとかギリギリの価格。
ネックは通信費だな。
と、少しだけストッパーが働いたのだが、私の欲望はすぐにSo-netで「bitWarp PDA」というコースを見つけ出してしまった。
専用のカード型PHSを使って、通信費&接続料が時間無制限で月々2100円(悪税込)。
既にSo-net会員なので、もう少しだけ安くなる。
登録料&「bitWarp専用通信カード」の初期費用も、今なら半額以下。
これは買うしかない。
と、まんまと資本主義の魔手に操られ、購入を決定したのでありました。
ちょっと早いけど、今年一年間の、自分への褒美ということで。
早く来ないかな。
う、長い追記だ。
タイトルに偽りありで、ごめんなさいまし。

雪の積もった通りをいろいろな人達が通り過ぎます。
ニューヨークには常にとてもたくさんの物語があるはずなのですが、それはいつも渾然となって目の前に現われます。
ここでディランは日付がわかるようなことを記しています。
聖バレンタインデーがやってきて過ぎていったが、ディランはそれに気づかなかったそうです。
ロマンスの時間なんかなかったと言っています。
1961年2月15日。
身体を温めようとカップにホットチョコレートを注ぎ、それからラジオのスイッチを入れます。
僕はいつもラジオで何かを漁っていた。
汽車や鐘と同様に、ラジオはいつも僕の生活のサウンドトラックだった。
ダイヤルをあちこちに回すと、小さなスピーカーからロイ・オービソン(Roy Orbison)の声が炸裂した(blasted)。
彼の新曲「Running Scared」が部屋の中で爆発した(exploded)。
→Roy Orbison Midi Files
その日聴いた「Running Scared」の他に、それ以前にフォークということでディランが聴いた曲の名前が並んでいます。
「Big Bad John」
→Big Bad John
「Michael Row the Boat Ashore」
→Michael, Row the Boat Ashore
→こげよマイケル
「A Hundred Pounds of Clay」
→gene mcdaniels
→Jack's MIDI Music -A-
意外な曲名が並んでいるような気がします。
60年代のディランといえば、なんだかトンガリまくっているようなイメージがあるので。
汽車や、鐘や、こういう曲もまた、ディランを作っていったんでしょうか。
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CHRONICLES #19 (Bob Dylan)
- 2004年11月27日 15:36
- ボブ・ディラン

【追記】No.2
blogのスタイルというのが少し見えてきた。
つまり、楽天日記で私が上に重ねていた追記は不要なのだ。
どなたかが、一日に一つしか書けない楽天広場という言い方をしていたが、その意味がやっとわかった。
ばらばらの内容をやたらに後から書き込む私のような場合は、blogの方が合っていようだ。
ただ、blogの場合自分でサイトのデザインをする自由度は低い。
お仕着せの方がかっこよくなるのだが、どれも似た感じになるのはしかたがないのだろう。
そんなことに気を使わず、気軽に更新できるのが良いところか。
自前サーバ試験運用blogは、三段カラムのスタイルをもらってきたのだが、日記(エントリー)内の画像を幅300ピクセル程度に抑えないと、表示が崩れてしまうようだ。
幻泉館日録 自前サーバ 試験運用 blog
【追記】No.1
昨日(11/26)付日録の夕陽画像をよく見ると、左の方にモヤっと汚れがあります。
これはレンズを交換しても同じ位置に現われるので、どうやらまた本体内部に汚れが付いてしまったようです。
それで、PENTAX istDはまた修理(内部清掃だけど)に出しました。
寂しいのぉ。
雪景色のニューヨーク。
通りの向こうには、鐘楼のある教会が見えます。
鐘の音も、ディランの心が安らぐのだそうです。
僕は鐘の音が聞こえると、いつも耳を澄ました。
鉄の鐘、真鍮の鐘、銀の鐘……鐘は歌った。
休日の日曜には、礼拝のために鳴った。
誰かが亡くなったときに、結婚する時に、鐘が音を立てた。
何でも特別なことがあると、鐘が鳴ったものだ。
鐘の音が聞こえると、なんだか嬉しい気持ちがするものだ。
僕はドアの呼び鈴や、ラジオで流れるNBCのチャイムの音まで好きだった。
レイとクローイの部屋から見える教会の鐘は、今静かです。
粉雪が舞うニューヨークの街を、ディランは詩的に綴っています。
A blizzard was kidnapping the city, life spinning around on a drab canvas.
Icy and cold.
さて、ディランが好きだったNBCのチャイムがとても気になりますね。
なにげなくgoogleで検索すると、そのものを説明しているページがありました。
"This is the National Broadcasting Company, Bong Bong Bong."
この「ボン、ボン、ボン」のことです。
アメリカだと、誰もがいつか聞いたことのある、おなじみの「ボン、ボン、ボン」なんですね。
ちゃんと音も聞けました。
→A History Of The NBC Chimes
あはは、なかなか進みませんね。
まだp.32です。
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CHRONICLES #18 (Bob Dylan)
- 2004年11月26日 14:49
- ボブ・ディラン

トラックバック試験のための書き込みです。
すんません。
【追記】No.1
食事をしながら国会中継を見てしまった。
首相の答弁の非道さに飯がまずくなってしまった、失敗。
イラクで何人殺しても、まるで気にはならないらしい。
「Movable Type」の設定はやはりちゃんとドメイン・ネームを設定しないと不都合が多過ぎる。
LANからまともに見えなくなってしまうのだが、それで設置しなおしてみた。
午後に外からトラックバックを試してみよう。
どう見えるでしょうか。
→幻泉館本館 試験運用blog
遅々として進みませんが、何も焦ることはありません。
要するに何が書いてあるのか、などと問うなかれ。
ボブ・ディランという人物が生きている、その一瞬一瞬が活写されているのですよ。
ディランは回想から我に返ります。
といっても、まだレイとクローイの部屋でニューヨークの雪景色を眺めているところから、まったく進んでいません。
ディランはクリーム色のドレープ(カーテンのような覆い)まで歩くと、ネチャンブラインド(ひもで上げ下げや採光調節をする板すだれ)を巻き上げて、雪の大通りを見下ろします。
ここの家具は上等なもので、手作りのものもあった。
衣装箪笥は象眼細工が施されており、掛け金にも飾りがあった。
本棚も床から天井まである、装飾的なもの。
不規則な幾何学模様の付いた、長細い直方体のテーブル。
There were electric plates ingeniusly placed in closet shelves.
これが何のことだかわかりません。
まさかホットプレートじゃありませんわね。
う?ん?
レイとクローイの部屋がどんなだったのかを詳細に思い出してくれているのですが、これは私にはとてもわかりにくい部分です。
1960年ごろのニューヨークの生活実感というものが、まるでつかめないのです。
台所は森のようだった。
メグハッカ(pennyroyal)、クルマバソウ(woodruff)、リラの葉といったものの箱でいっぱいだった。
流行というよりも、やっぱりちょっと変わった人達だったのだろうと思います。
北部の血統だけれども南部生まれのコールという娘は、バスルームで物干しの綱を使うのが上手だった。
僕(ディラン)のシャツもよくそこにぶら下がっていた。
僕はいつも夜明け前にやってきてソファにすべりこんだ。
血を求めて蒸気で動く鉄の馬、夜行列車のガタゴトいう音(rumbling and grumbling)に合わせて寝入ることが多かった。
ディランは小さなころからよく列車を眺め、その音に親しんでいたので、列車を見たりその音が聞こえたりすると、安らぐのだそうです。
心の故郷。
あの不思議なジャケットを思い出します。
→Slow Train Coming (1979)
私の場合も谷間の村を走る列車に郷愁を感じます。
小さなころ谷川で泳いだ村。
→絵の中のぼくの村
他の映画にも印象的な列車が出てきますね。
主人公が鉄橋にぶらさがる『路傍の石』は、何度も映画化されています。
『スタンド・バイ・ミー』も狙って作ってますなあ。
お、翻訳の誤りを指摘しているサイトがあります。
→"The Body" (「スタンド・バイ・ミー」)の翻訳について
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CHRONICLES #17 (Bob Dylan)
- 2004年11月25日 10:45
- ボブ・ディラン

【追記】No.1
自宅サーバでblogを運営する「Movable Type」の設定を少しいじってみた。
ひっかかったのはサイトの「再構築」。
たとえばスタイルシートをサーバに転送して上書きしても、デザインの表示に反映されない。
「Movable Type」上で設定しなおして「再構築」しなければならないのだ。
思えば、livedoorのblogは同じ作業を要求していた。
Netscape/Mozillaだと、表示が少し崩れるようだ。
スクリプト上ではLANのIPで、「Movable Type」ではドメインネームでという矛盾した設定でも、なんとか動きそうだ。
今日の午後、外からアクセスして試してみることにしよう。
→あ、ダメですね。
LANのIPが出ちゃいます。
外から書き込みできない。

ニューヨークで知り合いの家を泊まり歩いているころのことを回想しているディランに戻ります。
窓から雪景色を眺めながら、小学生のころのことを思い出していました。
今はニューヨークにいるんだ。
周りには、きっと共産主義者も反共主義者もたくさんいることだろう。
ファシストもたくさんいるんだろう。
左翼の独裁者気取りの者(would-be)も、右翼の独裁者気取りの者も、たくさんいることだろう。
あらゆるタイプの過激派がいる。
第二次世界大戦によって啓蒙の時代が終わったのだと言われていた。
でも、僕(ディラン)はまだその中にいた。
そういうものに光明を感じた。
ヴォルテール、ルソー、ジョン・ロック、モンテスキュー、ルター……。
こういった予言者、革命家は、まるでうちの裏に住んでいる知り合いみたいだった。
おもしろいなと思ったのは、ディランがこういった啓蒙思想家の名前を挙げていることよりも、こういった人の本を読んでいたということです。
たとえば日本の高校生は、そこそこ優等生の部類なら今ここに挙げた人の名前をほとんど知っていると思います。
でも、実際に彼らの著書を読んだかというと、逆にほとんど読んではいないのではないかと思います。
貼り付けられたラベルを暗記しているだけではないでしょうか。
これで日本の文化の浅さがわかるような気がします。
まだp.30。
できれば追記して読み進めたいと思います。
『クロニクルズ』の追記は下に付けます。
【メモ】
「MovableType」は実に簡単に自前サーバにインストールできた。
高機能である。
これはいい。
ただし、URLを明示的に書き込んで置かなければならないので、私の場合はLAN専用で使うのか、公開用にするのか二者択一となる。
コメントやトラックバック機能が欲しいので公開用にすると、LANからでアクセスできなくなってしまうのだ。
惜しいなあ。
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我が祖国
- 2004年11月24日 13:21
- ボブ・ディラン

【追記】No.1
苺姉さんが学童疎開のことを書いているので思い出しました。
前にも書いたと思うのですが、しつこく書きます。
うちのおっ母さんは、食べ物を分けるのがとても上手です。
どんな形状のものでも、それらしく均等に分けてしまいます。
戦争末期に学童疎開の引率をしたからです。
毎回食事の度に、飢えた子供たちの目の前で食べ物を分け与えていたのです。
女学校を出て、戦争中だけあった東京都の教員養成所で促成栽培の教師となってすぐのことです。
今の大学生諸君の年齢です。
それはもう六十年近く前のことになりますが、母が子供たちにケーキを切り分けたりする度にその話をしてきたので、私は戦争といえば飢えを連想するのです。
今日はピンボールで遊んでしまったこと以外に、CDが届いたので『クロニクルズ』はお休みします。
届いたCDはですね、11月13日付日録 CHRONICLES #8 (Bob Dylan)で書いた『FOLKWAYS:A VISION SHARED』(1988年)です。
ちょっと時間かかりましたね。
失礼な言い方だけど、ディランは歌うまいわ、うん。
3曲目の「DO RE MI」は、アレだ、渡さんが歌ってるやつだ。
「銭がなけりゃ」。
♪ 東京はいいところさ 眺めるには申し分ない?
原曲だとこうなってます。
♪ California is a garden of Eden, a paradise to live in or see
→(IF YOU AIN'T GOT THE) DO RE MI
U2の「JESUS CHRIST」、とってもいいです。
「ホーボーの子守唄」を女性が歌うというのも、ちょっと不思議。
実はその時一緒に、『Folkways: The Original Vison』というアルバムも注文したのです。
これは、『FOLKWAYS:A VISION SHARED』で採り上げられた曲のオリジナルを集めたもの。
もちろんガスリーとレッドベリーの歌です。
レッドベリー本人が歌う「おやすみアイリーン」は、初めて聴きました。
本家amazon.comでは、この2枚のアルバムが全曲試聴できます。
お薦めよ。
それで、ウッディ・ガスリーといえば、なんといっても「我が祖国」らしいんですが。
→This Land is Your Land
→「我が祖国」すずききよし訳詞
やっぱり「Land」は「国」なんだろうなあ。
でも「nation」や「state」ではないので、抽象的な国家を歌うのではなくて、国土を、むしろ大地を歌っていると思いたい。
「身捨つるほどの祖国」なんてものは要らない。
前に書いたことをコピー&ペーストしておきます。
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(2004年8月6日付日録)
ホイットマンはアメリカを歌う。
先住民や黒人を歌う。
侵略と虐殺と差別の歴史。
それでもホイットマンはアメリカを愛し、アメリカを誇らしげに歌うことができる。
私はそんなふうに日本を歌うことができない。
そんなふうにアイヌや朝鮮人を歌うことはできない。
千本浜の夕陽を愛しているが、「反日」の言葉しか出てこない。
「やさしいにっぽん人」よ、私は何よりもお前がダメだと思うのだ。
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ところでマウンテン・ミュージックの映画があったなあと思い出して、検索してみた。
あら、観たいと思っていた映画『Songcatcher』は日本版DVDが出たんだ。
→
悪税込みで4935円か、ちょっと高いなあ。
どうしよう。

Folkways: A Vision Shared - A Tribute to Woody Guthrie & Leadbelly
1093円(悪税込)
1. Sylvie - Sweet Honey in the Rock
2. Pretty Boy Floyd - Bob Dylan
3. Do-Re-Mi - John Mellencamp
4. I Ain't Got No Home - Bruce Springsteen
5. Jesus Christ - U2
6. Rock Island Line - Fishbone
7. East Texas Red - Arlo Guthrie
8. Philadelphia Lawyer - Willie Nelson
9. Hobo's Lullaby - Emmylou Harris
10. Bourgeois Blues - Taj Mahal
11. Gray Goose - Sweet Honey in the Rock
12. Goodnight Irene - Brian Wilson
13. Vigilante Man - Bruce Springsteen
14. This Land Is Your Land - Little Red

Folkways: The Original Vision
1860円(悪税込)
1. Sylvie - Anne Graham
2. Pretty Boy Floyd - Woody Guthrie
3. Do-Re-Mi - Woody Guthrie
4. I Ain't Got No Home - Woody Guthrie
5. Jesus Christ - Woody Guthrie
6. Rock Island Line - Leadbelly
7. 4, 5, and 9 - Leadbelly
8. Will Geer Reading Guthrie - Will Geer
9. Hard Travelin' - Woody Guthrie
10. Fannin Street - Leadbelly
11. Philadelphia Lawyer - Woody Guthrie
12. Hobo's Lullaby - Woody Guthrie
13. Bourgeois Blues - Leadbelly
14. Grey Goose - Leadbelly
15. Goodnight Irene - Leadbelly
16. Vigilante Man - Woody Guthrie
17. This Land Is Your Land - Woody Guthrie
18. Woody's Rag (Hard Work) - Woody Guthrie
19. Midnight Special - Leadbelly
20. We Shall Be Free - Woody Guthrie
【メモ】
自宅サーバでblog環境を構築するツールだが、今度は「MovableType」というのを見つけた。
前回の「Blosxom」と同様にperlで動くらしい。
SQLが必須というのが、なんだか本格的。
導入を詳述しているサイトを見ながら、とりあえずダウンロード。
http://www.movabletype.org/
ああ、なるほど、売り物なんですね。
アカウント無制限だと$99.95。
5人までなら$69.95。
「1 author and 3 weblogs」という制限付きなら無料なんです。
あら、ダウンロードしようとしたら、TypeKeyを登録しろと言われてしまった。
「Public name/nickname/handle」を決めて登録メンバーにならないといけないんですな。
う?ん。
とりあえずダウンロードは先に延ばすか。
http://www.movabletype.jp/
あらあら、ちゃんと日本語サイトがあるわ。
限定個人ライセンス(無償)というやつだな。
5ユーザー版悪税込で8820円。
ユーザー数無制限版は悪税込みで1万2600円ですな。
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CHRONICLES #16 (Bob Dylan)
- 2004年11月23日 17:37
- ボブ・ディラン

【追記】No.1
そう、貘さんがいたじゃないかと、chappiさんのレスで思い出しました。
近頃は妙に渡さんといえば「自衛隊に入ろう」だと持ち上げる人がいるのだが、ちょっと違うように思います。
少なくとも私にとっては、最初に出会った渡さんは「生活の柄」だったので、山之口貘さんとセットだったのです。
まだベルウッドができる前にキングから出た『ごあいさつ』には、何曲も入ってましたね。
「鮪に鰯」の原詩はここにありました。
→な?んちゃって通信
追記で『クロニクルズ』を進めようと思ったのですが、ドタバタとしていて時間がとれませんでした。
ピンボールのサンプル版で遊んだせいもあります。
久しぶりに「中村正三郎のホットコーナー」を覗いたら、紹介していたのです。
Windowsの時代になってからはPCでゲームなどやらないのですが、DOSの時代は機種に合ったピンボールでよく遊びました。
アメリカのシェアウェアなんぞも買いました。
LITTLEWING PINBALLというところは、いろいろなピンボールを出してるんですね。
最新版のMONSTER FAIRでなくても、楽しそうです。
→ダウンロードページ
MONSTER FAIRは2980円ですが、1200円のゲームもありますね。
時間制限があるようですが、とりあえずダウンロードして遊べます。
極東で米ソの代理戦争が行なわれていたころ、アメリカではつい数年前に友軍だったロシアに対する脅威が声高に叫ばれていました。
誰かがショットガンを突きつけている時に怖がるのと、現実ではないものを怖がるのは、まったく違うことだ。
でも、この恐怖を本当だと受け取って、それを押しつけてくるやつが多かった。
そして、簡単にこの空想の犠牲者になってしまうのだ。
小学校の教師は、ディランの母親を教えたのと同じ教師だった。
母親の時は若く、ディランの時には年をとっていた。
アメリカ史の授業では、共産主義者(commies)は銃や爆弾だけではアメリカを壊すことはできないと教わった。
アメリカ合州国憲法(the Constitution )を壊さなければならないのだ。
でも、まったく同じことだった。
空襲警報が鳴れば、机の下に顔を下に向けて寝ころばなければならない。
筋肉一つ動かしてはならないし、物音一つ立ててもならない。
まるでこうすれば、爆弾が落とされても助かるかのように。
ディランの回想から、当時のアメリカ国民が、いかに共産主義者の攻撃を恐れていたのかうかがえます。
同時に、アメリカ人が空襲や核兵器に対して無知であったこともわかります。
このくだりを読んで、『アトミック・カフェ』(1982年)という映画を思い出しました。
マイケル・ムーア監督のお師匠さんたちが作った映画です。
冷戦下アメリカで流されたニュース映像や政府広報映像のコラージュです。
まさにノー天気に核戦争を考えているのだなあとわかります。
一般的なアメリカ人は原爆を落としておいて、その下でどんなことが起きたかということには無知なのです。
→『アトミック・カフェ』
もっとも、アウシュビッツや広島長崎については教えても、南京のことは教えない日本であまり偉そうなことは言えません。
アメリカの人種差別に関しては詳しいのに、日本の人種差別に目を向けないというのもありましたな。
ほんのちょっとしか進んでません。
p.30。
ひさしぶりに丸一日お休みなので、追記できるかな。
『クロニクルズ』の追記は下に付けます。
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CHRONICLES #15 (Bob Dylan)
- 2004年11月22日 15:20
- ボブ・ディラン

【お知らせ】
幻泉館サーバ御利用の皆様
下記時間帯はNTTの工事のため、一時停止します。
11月26日(金) 04:00?06:00
ほんの一瞬で済むこともありますが、午前中いっぱい停止してしまう場合もあるので御了承ください。
【追記】No.1
書斎の蛍光燈が点滅して鬱陶しいので取り外した。
買って来なくては。
スタンドがあるので別に困ることはないのだが、暗い部屋の中で中島みゆきを聴いている。
そう、中島みゆきさん。
少し前にamazonからクーポンが届いたのだ。
「地上の星」の苦しそうな歌い方があまり好きではないので今回の新譜はどうしようと思っていたのだが、それで買うことにした。
すべて昔の曲である。
なんとなく「夜会」を観ているような気分になる。
オリジナルより聴きやすいものが多いように思うが、凌いでいるかというと微妙なところだろう。
「怜子」「信じ難いもの」「傾斜」といったあたりの選曲が嬉しい。
よく間違えられるようだが、「怜子」と「玲子」はだいぶ意味が違う。
「怜悧・伶俐」の「怜子・伶子」。
「玲瓏」の「玲子」。
「知」と「美」の選択である。
と、レイコさんが言ってたなあ。
1978年のアルバム『愛していると云ってくれ』。
お元気ですかという語りで始まるこのアルバムが、やはり「中島みゆき」だなあと思ってしまう。
「本当に泣いているんですか?」
「教えてあげない。」
詩人との対談を思い出す語りに続き、♪れ?い?こ?♪と歌い出すこの曲は凄かったなあ。
「化粧」や「世情」も入っていた。
「ネクラ」という流行語で片付けれられることが多かったけれど、あのころのそういう凄みが、今は乏しいように思う。
中島みゆき『いまのきもち』
3150円(悪税込)
1. あぶな坂
2. わかれうた
3. 怜子
4. 信じ難いもの
5. この空を飛べたら
6. あわせ鏡
7. 歌姫
8. 傾斜
9. 横恋慕
10. この世に二人だけ
11. はじめまして
12. どこにいても
13. 土用波
The trial reminds the whole world of what led to the formation of the Israeli state.
アイヒマンの裁判は世界中に、イスラエル国家の成立を生み出すことになったものを思い出させる。
これはナチスのユダヤ人殺戮を意味するのだと思います。
こう書いた後、原文は2行アキ、やっと年号が出てきます。
I was born in the spring of 1941。
ヨーロッパでは既に第二次世界大戦の戦火の下にあり、アメリカもまもなく参戦することになる。
世界が分断され、新しくこの世に生まれた者たちの顔にはいきなり混沌の拳が見舞われていた。
すんません、元の語の雰囲気を生かそうとすると、よくわからなくなりますね。
世界は変わろうとしていた。
このころ生まれた者はみんな、旧世紀と新世紀をまたがって生きてきたのだ。
ヒトラー、ムッソリーニ、スターリン、ローズヴェルト。
似たような連中が現われることはもうなさそうな、そんな人たちが世界に屹立していた。
みな独りで行動し、互いに無関心であり、承認されようともしなかった。
みな人類の運命を支配しようとし、そして世界を瓦礫にしてしまった。
アレキサンダー大王、ジュリアス・シーザー、ジンギス・カン、カール大帝、ナポレオンといった長く続く列に連なり、彼らは世界を切り刻んだ。
ディランは第二次大戦時の列強指導者や、世界の英雄を批判します。
論証不能な、こんな感覚がいいなと思います。
やっぱりボブ・ディランはこういう人だったんだというのが嬉しいです。
そうでなければ、「戦争の親玉」や「ハッティ・キャロルの寂しい死」を歌ったりしませんわな。
そういえば、最近「戦争の親玉」がニュースに登場してました。
コロラド州の高校で、「戦争の親玉」を歌った高校生がシークレットサービスに捜査されたというものだ。
→暗いニュースリンク
ディランの父親は小児麻痺にかかったことがあるので、戦争に行かなくて済んだそうです。
でも、ポールおじさん、モーリスおじさん、ジャック、マックス、ルイス、ヴァーノンといった人達(たぶん叔父さん)は戦争に行きました。
それぞれ、フィリピン、アンツィオ(イタリア)、シシリー、北アフリカ、フランス、ベルギーへ出征しました。
そして、ガラクタをお土産に持ち帰りました。
日本製の麦わらでできたシガレットケース(?)、ドイツ製のパン袋、イギリス製エナメルペイントのマグカップ、ドイツ製防塵ゴーグル、イギリスの戦闘用ナイフ、ドイツのルガー拳銃。
これも順番どおりなのだと思います。
ともて詳細な記憶です。
1951年に、ディランは小学校に通っていました。
その時に訓練されたのは、空襲警報がなった際に机の下に隠れることです。
ロシア軍が爆撃するかもしれないから。
いつなんどきロシア軍のパラシュート部隊が降下するかもしれないのだとも、教わったそうです。
ほんの数年前に、ディランのおじさんたちが味方として共に戦った、あの同じロシア人が、です。
もちろん日本のすぐ近くで戦争があったころです。
例によって広辞苑の説明。
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ちょうせん‐せんそう【朝鮮戦争】
大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国とが、第二次大戦後の米・ソの対立を背景として、1950年6月25日衝突し、それぞれアメリカ軍を主体とする国連軍と中国義勇軍の支援のもとに国際紛争にまで発展した戦争。53年7月休戦。朝鮮動乱。
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道草を食ったので、まだp.29です。
【メモ】
せっかく自前鯖があるのだからweblogサーバにならないかと思っていたら、perlで動く「Blosxom」というものがあるそうだ。
読み方はblossomと同じ、「ブロッサム」ぐらいの感じ。
本体はなるべく簡素化してあり、プラグインでトラックバックやXMLに対応するようだ。
意外に簡単に設置できそう。
問題は日本語文字コードの扱いかな。
blosxom :: the zen of blogging
Bloxom 本家
blosxom::日本語訳
Bloxom 日本語訳
hail2u.net
blosxom starter kit
ということで、早速試してみました。
ちゃんと動くのですが、LAN内から扱う時は外を経由することができないというのが、ネックになりますな。
ルータの仕様だからしょうがない。
iswebのようにcgiを使える外のサーバだったら問題なく動くだろうけど、それだったら楽天広場やgooやlivedoorがあるので、意味がない。
さて、どうしようか。
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転がる石のように
- 2004年11月21日 13:29
- ボブ・ディラン

【追記】No.4
ミッシェル・ポルナレフの「シェリーに口づけ(Tout, Tout, Pour Ma Cherie)」(1971年)がヒットする少し前に、ミッシェル・デルペッシュという人が「ワイト・イズ・ワイト」という曲をヒットさせました。
この人は日本では「青春に乾杯(Pour Un Flirt)」という曲が最大のヒット曲だと思うのですが、よくミッシェル・ポルナレフと間違われました。
「ワイト・イズ・ワイト」、不思議な歌詞なんですよね。
といっても、最初の英語の部分しかわかりませんが。
ウッドストックではなく、ワイト島が原点である人達がいるんですね。
♪ Wight is Wight
♪ Dylan is Dylan
♪ Wight is Wight
♪ Viva Donovan
Michel Delpech Wight is wight(1969)
【追記】No.3
書き忘れました。
もちろん「Rolling Stone」誌の「500 GREATEST SONGS OF ALL THE TIME」、略して「RS500」のことです。
RANK #1にBob Dylanの"Like a Rolling Stone"が選ばれたよということですね。
変な言い方ですが、神格化されがちなディランの曲も普通に流行歌なんだという感じが嬉しいです。
このランキングは雑誌のオフィシャルサイトで見ることができます。
→The Rolling Stone: 500 GREATEST SONGS OF ALL THE TIME
表の上下に並べ替えできるスイッチがありますから、お気に入りの歌手が何曲入ってるか、すぐにわかります。
試聴できる曲が多いのが嬉しいですね。
ディランは11曲入ってました。
1 Like a Rolling Stone 1965
14 Blowin' in the Wind 1963
59 The Times They Are A-Changin’ 1964
68 Tangled Up in Blue 1975
106 Mr. Tambourine Man 1965
185 Desolation Row 1965
190 Knocking on Heaven’s Door 1973
203 Positively 4th Street 1965
230 Just Like a Woman 1966
364 Highway 61 Revisited 1965
404 Visions of Johanna 1966
私の好きなMy Back Pagesが入ってないなあ。
ま、それは私がオレ様ベスト10を選べばいいだけの話ですね。
【追記】No.2
昨年のことになるのですが、正月三箇日を、新生フォークルを聴いて過ごしました。
マーチンの音や和太鼓の重低音にひたってました。
昔の曲ばかりではなくて、新曲もありました。
御霊を送り、そして自らがこの世を去ろうとする佳曲が「感謝」。
もうい一つ、「ライカはローリングストーン」という楽しい曲がありました。
あ、去年のネット忘年会のころ書いてますね。
→2003年12月7付日録 新生フォークル「感謝」(2002年)
この「ライカはローリングストーン」は、もちろん「ライク・ア・ローリングストーン」をパクったタイトルです。
幸之助さんが実に器用にディランや拓郎さんの物真似をやったりして、ライブが本当に楽しそう。
この歌では「ローリングストーン」が、「いつまでも変わらないとっても大切なもの」という意味で使われています。
それが「ライカ」であったり、「マーチン」であったり、「カルチェ」であったり、「九州大学」であったりするわけです。
最後は「ワイフ」が「僕のローリングストーン」となって終わる、温かい曲です。
松山猛さんの作詞ですね。
【追記】No.1
オリジナルの「Like A Rolling Stone」は『ハイウェイ61再訪(Highway 61 Revisited)』(1965年)に入っています。
例によってbobdylan.comで試聴できます。
この曲名から、マジメな日本人は「A rolling stone gathers no moss.(転石苔を生ぜず)」という諺を思い出してしまうようですね。
この諺、まるで逆の意味に取れるので、大混乱してしまいます。
「転々と商売換えしては金はたまらない」が本来の意味で、「絶えず動いていれば苔がつかず新鮮である」というのがアメリカ型の意味だと習ったように記憶しています。
何分大昔の話なのでうろ覚えですが。
日本社会での世間様は、前者のイギリス型の意味の方が諺としてはしっくり来るでしょう。
何事もちゃんと腰を据えて地道にやりなさいなという、ありがたいご教訓。
ディランの「Like A Rolling Stone」は、もちろん「A Rolling Stone」を悪い意味で使っています。
「昔あんたはいい服を着ていた」
「一流校に行ってたね」
「みんな言ってた 気を付けろ 落ちるぞ」
「だれも宿無しの生活なんぞ教えてはくれず」
♪ How does it feel
♪ How does it feel
♪ To be without a home
♪ Like a complete unknown
♪ Like a rolling stone?
♪ どんな気がする
♪ どんな気がする
♪ ひとりぼっちで
♪ かえりみちのないことは
♪ ぜんぜん知られぬ
♪ ころがる石のようなことは (片桐ユズル訳)
ね、明らかに転落を意味してるんです。
いきなり「a rolling stone」と言えば、やっぱり住所不定で定職のない人なんかを指すんです。
根なし草とか、デラシネに近いんじゃないでしょうか。
ところが日本の受験英語のおかげで、この「ローリング・ストーン」が良い意味で受け取られているように思うんです。
昔はいい服を着て物乞いに施しをしてやっただろうに、今は次の飯をどうやって手に入れようか悩み、何も言わなくなってしまった、そんな「あんた」像ではないように思います。
なんというかな、こんなになっちゃったけど心はロックだぜ、みたいな使い方かな。
気持ちはわかるけど、かなり特殊だと思います。
今日は『クロニクルズ』をお休みして、「Like A Rolling Stone」を少し。
いえ、特になんだというわけではないのですが、何人かからおめでとうみたいなことを言われましたので。
思えば、最初に買ったディランのレコードがこれだったんですよ。
シングルでもアルバムでもなくて、CBSソニーが出していた「ポピュラー・コンパクト・シリーズ」。
以前にも書きましたね。
→2003年10月6日付日録「花はどこへいった Where have all the flowers gone?」
シングル盤が400円、LPが1800円の時代に、盤のサイズはシングル盤と同じなんですが、33回転でAB面に4曲から6曲程度詰め込んだシリーズです。
アルバムから抽出した盤が多かったようですが、この『BOB DYLAN / LIVE AT ISLE OF WIGHT』はオリジナル編集です……かと思っていたら、後述アルバムからのピックアップでした。。
このシリーズはLP盤と似たような作りのしっかりとしたジャケットに入って、600円ナリでした。
アルバムのダイジェスト盤は、同じデザインでした。
この盤はダイジェストなのにジャケ写真が違うんですよ。
1970年に買ったのかなあ。
もう少し後かもしれません。
「風に吹かれて」「時代は変わる」は知っていましが、おなじみだったのはPP&Mによる演奏でした。
きれいなのね。
PP&Mに先行ヒットさせたのはディランを売り出す作戦だったそうなので、まあ私も見事にはまったわけです。
さすがにボブ・ディランの弾き語りによる「風に吹かれて」は知っていましたが、エレキギター(死語か?)に持ち替えたディランは、まだ聴いたことがなかったと思います。
それぐらいの感覚で買ったので、聴いた時には驚きました。
これがボブ・ディラン?
ぶっとびであります。
ジャケットを見ても、ディランが抱えてるのはアコースティック・ギターなんですよ。
A面1曲目、まさに「ライク・ア・ローリング・ストーン」が、その冒頭でありました。
この曲自体は1965年にヒットチャート1位になった、ディラン最大のヒット曲です。
なんとまあいいかげんに歌うんだろうと、びっくりしました。
バックはザ・バンド。
何度か聴いているうちに、どちらかというとこの音の方が70年代のベースになってしまいました。
順番が違いますが、『セルフ・ポートレイト』(1970年)に入ってますね。
例によってbobdylan.comで全曲試聴できます。
本当はワイト島で最初に歌ったのは「She Belongs To Me」だそうです。
当時のディランのお気に入りの曲ですね。
BOB DYLAN : LIVE AT ISLE OF WIGHT
ワイト島のボブ・ディラン(1970年)
A-1 Like A Rolling Stone
A-2 Minstrel Boy
B-1 She Belongs To Me
B-2 Mighty Quinn(Quinn, The Eskimo)

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CHRONICLES #14 (Bob Dylan)
- 2004年11月20日 15:18
- ボブ・ディラン

【追記】No.2
東京新聞(11/20付統合版)文化欄は益岡賢さん「ファルージャからの問い」。
米軍がファルージャ制圧作戦で行なった犯罪行為を挙げている。
米軍が最初に標的とした場所の一つは病院だった。
病院を占拠した米軍は、無抵抗の医者と患者の手足を縛り上げた(米CNN11/7)。
明らかにジュネーブ条約違反なのだが、これは四月のファルージャ包囲の際に、犠牲者に関する最も信頼できる情報が病院から発信されていたからである。
他にも国際人道法違反がいくつもある。
ファルージャを逃れようとする人々を強制的に戦闘地域に連れ戻した。
民間人を狙撃した。
無差別爆撃を行なった。
13日の時点でファルージャでの犠牲者数は千人を超え、ファルージャに閉じ込められた人々は、きれいな水も電気もなく、食料も医薬品の供給も受けられない絶望的な状況にある。
これが、小泉首相が「成功させなければならない」と述べた作戦の実態である。
★下に【追記】No.1があります。
ヴァン・ロンクの友人でポール・クレイトンという人がいました。
ディランによれば少なくとも30枚はレコードを出しているはずだが、あまり知られていないそうです。
Dr. Paul Claytonということで、学者さんなんですね。
あれ、違うか。
googleで何人も違う人がヒットしてしまいます。
この人だな。
→The Bob Dylan Who's Who: Clayton, Paul
インテリで、学者で、詩人。
民謡(Balladry)の知識がとても豊富なんだそうです。
いきなりこんな記述があるということは、話は「Gaslight」で歌っているころのことなんでしょうね。
それで、このポール・クレイトンがディランに紹介してくれたのがレイ・グーチ(Ray Gooch)とクローイ・キール(Chloe Kiel)。
この部屋の持ち主はこの二人でした。
この二人に関しては、googleで検索しても、この『クロニクルズ』の記述がひっかっかるだけですな。
クローイは「ダフニスとクロエ」のクロエと同じ名前なので、女性です。
レイとクローイはカップルなんでしょう。
ディランはベッドから起き出て窓から外を見ます。
下には白と灰色の通りが川に延びています。
The air was bitter cold, always below zero, but the fire in my mind was never out, like a wind vane that was constantly spinning.
「a wind vane」というのは風向計です。
心の中では火が絶えず燃え続けていたという比喩に、くるくると動き続けている風向計をさらに加えるところがちょっと不思議です。
「midafternoon」と言ってるので、もう午後3時過ぎ。
部屋の主であるレイとクローイはいません。
レイはディランより十歳ほど年上と書いてありますから、三十路に入ったぐらい。
バージニアの出身で、年老いた狼のように痩身で喧嘩慣れした印象です。
血筋は良家のようで、司教や将官、植民地総督まで先祖にいます。
非国教徒で、非統合の南部ナショナリストだとありますが、その辺りの感じは今ひとつピンと来ません。
昨日出てきた「連邦様式の建物」にが似合いそうな気がします。
日本でいえば草莽の志士といった趣を持った人物でしょうか。
当時ディランが歌っていたような伝説の中に出てきそうです。
レイはアメリカの都市でのゴタゴタにはほとんど興味を示さず、本当の行動とは「コンゴにある」と言っていたそうです。
旧ベルギー領のコンゴ民主共和国と旧仏領のコンゴ共和国が独立したのが1960年。
レイは民族派だったのでしょう。
クローイは金髪で薄茶色の目をしていて、人形のように不可解な笑みを浮かべているのですが、たぶんかなりかっこいい女性ですね。
爪を黒く塗っていたというのはどうなんでしょう。
八番街の「the Egyptian Garden」で「a hatcheck girl」をしていたそうです。
ベリーダンスなんかを見せる店の、まあ受付みたいなものでしょう。
雑誌『Cavalier」のモデルもしていたというのだから、やっぱりかっこいいんですね。
二人は夫婦のようでもあり、兄妹のようでもあり、従兄妹のようでもあり、とにかく説明できないけど、一緒に暮らしていました。
p.26が終わります。
【追記】No.1
クローイはちょっと変わった人だったようで、ディランに妙なことを言います。
あんたアイシャドーを塗った方がいいよ、邪悪な目から逃れることができるから。
え、誰の目?
ジョー・ブロウ(Joe Blow)やジョウ・シュモウ(Joe Schmoe)の目。
この二人の名前は、つまり俗物を個人名化して言っているようです。
日本語で言えば、ミーちゃんハーちゃんといった感じ。
ピンクレディじゃないですよ。
さらにクローイは、この世はドラキュラに支配されているというのです。
ドラキュラとは、印刷機を発明したグーテンベルクの息子。
含蓄があるんだかないんだか、よくわからない会話です。
そして、ディランはこんな会話がとても楽しかったと書いています。
50年代のこんな文化はもう滅びる時が来ている。
でも、宗教のように深く心に刻み込まれたフォークソングは、そんな目先の文化には揺るがないだろう。
自分のねぐらがなかったので、ディランはこんなふうにビレッジ中を泊まり歩いていたのです。
一晩や二晩泊めてもらうこともあれば、一週間以上泊めてもらうこともありました。
ヴァン・ロンクのところに泊めてもらうことが一番多くて、レイとクローイのところが気に入っていたようです。
そこはくつろげたということですね。
レイはいい家の出身なので、サウスカロライナのキャムデン陸軍士官学校(Camden Military Academy)に学んだこともあるし、ウェイクフォレスト神学校にいたこともあるのですが、どうも放校処分になっていたようです。
バイロン(Byron)の「ドンジュアン(Don Juan)」を引用したり、ロングフェロー(Longfellow)の物語詩「エヴァンジェリン(Evangeline)」を暗唱したり、確かにディランの好きそうな人です。
レイは「a too-and-die factory」で働いていたと書いてありますが、金型工場ということでしょうか。
その前にはサウスベンドのパン工場や、オマハの屠殺場と、いろいろな仕事を経験しながら、グリニッチ・ビレッジに流れついたのです。
ディランがレイに屠殺場はどんなところだったか尋ねます。
「アウシュビッツって聞いたことがあるかい?」
これがレイの答えです。
もちろん聞いたことはあった。
聞いたことがないやつなんているのだろうか。
ヨーロッパにあった死の収容所だ。
ゲシュタポの長官アドルフ・アイヒマンが管理していたんだ。
最近エルサレムで裁判が始まった。
戦後に逃亡していたのだが、アルゼンチンのバス停でイスラエル人に捕まった。
ディランは急にナチの蛮行とイスラエル国家による裁判のことを書き始めます。
エルサレムでアイヒマンの裁判が始まったのは1961年2月11日、死刑が宣告されたのが1961年12月2日です。
→『ウィキペディア (Wikipedia)』アドルフ・アイヒマン
p.28に入りました。
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CHRONICLES #13 (Bob Dylan)
- 2004年11月19日 04:35
- ボブ・ディラン

【追記】No.1
ふと気づいたのだが、どうも管理工学研究所は、松茸のサポートをやめたのではないだろうか。
日本語IME(入力ソフト)の話であります。
DOSの時代にVZeditor+松茸という組み合わせで文章を書くようになった。
あれはまだ80年代だったかしら。
一太郎Ver.4で書いていたらPCがフリーズして、一晩の成果およそ四千字ほどが消えてしまったのだ。
これに懲りて新松に乗り換え、松茸に馴染んだ。
さらにワープロよりもエディターの方が軽いので、VZ+松茸になったのだ。
日本語FEP(Front End Processor)という呼び方をしていたなあ。
Windowsの時代になってからはWZeditor+松茸。
WZは一つ前のバージョン(Ver.4)の方が軽いので、それを使い続けている。
私は手書きだと四百字詰め原稿用紙5枚程度でもヒーヒー泣きが入るほど字を書くのが苦手なのだが、PCのキーボードを打つのなら、一晩で400字×20枚程度でもそれほど苦ではない。
以前はそれで糊口を凌いでいたのだ。
こうなると、松茸は手放せない。
少しでも違う動作の入力ソフトだと、途端に入力速度が落ちるのだ。
特にM$の日本語IMEとかいうのは使えない。
それなのに、松茸はどうも生産終了品扱いになっているらしい。
自動車を運転していて、じゃあ5分後にメガネ外しますよと言われた感じ。
夜中に、急に心配になってしまった。
そこでWnnに乗り換えようという結論になった。
LinuxやBSDでおなじみのソフトだ。
FreeWnnというのもあるが、その製品版のWnn7をオムロンが出していて、Linux機で作業をする時はこれを使っている。
Wnn98というWindows版のWnnが出ていたはずだ。
ところがオムロンのサイトに行ってみると、本来の対応OSは「Windows95/98/NT4.0」。
あら、Wnnよ、お前もか……。
うんぬ、困った。
ちなみに、携帯電話の日本語入力には、このWnnを採用しているメーカーが増えているはずです。
第一章「Markin' Up the Score」では、プロとして契約を結ぶところと、その少し前にニューヨークに出てきてグリニッチ・ビレッジで歌うところが描かれていました。
年代記という意味のタイトルなのに、何年何月にこういうことがあったという編年体ではありません。
とりあえずプロとして活動を始めた時に強烈に印象に残っていること、鮮やかに思い出すことから書き始めたのかもしれません。
自信と希望に満ちた若者が第一章のボブ・ディランでした。
登場する曲名や人名もさることながら、やはり文章そのものがやっぱりディランなのでわかりにくいところがあります。
本人は曲を作る時ほど凝っていない素直な言い回しのつもりなのでしょうが、よく調べないと大誤読しそうです。
いや、間違って読んだっていいんですよ。
日本語の歌詞や文章だって、そんなに厳密に読み取ってはいませんよね。
第二章は「The Lost Land」という題が付いています。
ウッディ・ガスリーの「This Land Is Your Land」や、一神教(ユダヤ教/キリスト教/イスラム教)の「promised land」なんぞ思い浮かべながら、p.25に入っていきます。
ベッドの中で身体を起こして、周囲を見回した。
そこはベッドではなくてリビングのソファで、ヒーターからは湯気が上がっていた。
いきなり回想記っぽいですね。
本当にそういう目覚めがあったのでしょう。
暖炉の上には、植民地時代のかつらを付けた肖像画がこちらを見つめています。
引き出しの付いた楕円形のテーブル、手押し車のような椅子、小さな机、長椅子(カウチ)、フランス風の敷物……ディランはどこで寝ていたのでしょうか。
ブラインドを通して光が差し込んでいます。
その部屋はジントニックと木精と花の香りがしています。
連邦様式の建物(a Federal style building)の最上階と書いてありますが、何だかわからないので辞書を引いてみます。
リーダーズ英和辞典によると、「1790年ころから1830年ころの米国で流行した古典主義復興の様式」だそうです。
なんとなくわかったような感じもしますが、一応googleで探してみると、なるほど、やっぱりこういう感じねとわかります。
インターネットというのは、何よりもまず巨大な検索システムなんですね。
→ARCHITECTURAL STYLES of AMERICA / FEDERAL (1780-1820)
→American Federal(Adam Style)c. 1780 - c. 1840
→Federal Style 1790-1830
リーダーズ英和の定義と少し時期がずれている説明もありますが、だいたい見当がつきました。
この建物は運河近くのベストリストリート(Vestry Street)にあって、ハドソン川も近くです。
同じブロックにはブルズヘッドという居酒屋があって、ブース(John Wilkes Booth)がよく飲みに行っていたとディランは書いています。
アメリカのブルータス、ジョン・ウィルクス・ブースと言われても、誰のことかわかりませんね。
1865年4月14日に、リンカーン大統領を撃った人物です。
→A History of John Wilkes Booth
ディランはそこで悪酔いして、ブースの亡霊を見たことがあるそうです。
で、これはいつのことを書いているのかしら。
まだp.25が終わったところです。
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CHRONICLES #12 (Bob Dylan)
- 2004年11月18日 12:20
- ボブ・ディラン

【追記】No.2
リンク先で延々と、ゴミがいかにゴミであるか論証してくださっています。
御苦労様です。
勝手に質問攻めにしてオレ様の質問に答えろとか、オレ様の約束に従えとか、そんなものは即刻削除していいのだということがよくわかりますな。
つまり、嫌がらせのための嫌がらせですから。
そういう輩は相手の反応が餌みたいなものなので、餌を与えてはいけません。
楽天広場の女性住民が特に狙われているようですね。
サイトの編集権は、まとわりついてきたストーカーのようなものにはありません。
ネズミの糞以下のものを貼り付けられたら、さっさと削除してください。
【追記】No.1
ふと枕許を見ると、エリック・クラプトンの『アンプラグド』が転がっておりました。
6曲目に入ってますな、「Nobody Knows You When You're Down and Out」。
amazon.co.jpで調べてみると、邦題は「ノーバディ・ノウズ・ユー」になってます。
もう少しどうにかならなかったんかい。
日本盤はamazonで2325円(悪税込)。
輸入盤はamazonで980円(悪税込)。
もう少しどうにかならないんかい。
本家amazon.comだと、この曲も試聴できます。
Unplugged [LIVE] /Eric Clapton
フォークロア・センターの奥にあるイジーの部屋で、ディランはいろいろな曲を教わります。
The Country Gentlemenの「Girl Behind the Bar」を聴けとか、Charlie Pooleの「White House Blues」を弾いてみせて、これはThe Ramblersが演ったとおりの演奏で、ディランにぴったり合ってると言ったりします。
→The Country Gentlemen
→Charie-Poole.com
→Charlie Poole and the North Carolina Ramblers
→「White House Blues」楽譜とMIDIファイル
このあたりをgoogleで検索して潜っていくとおもしろいですね。
いくら時間があっても足りません。
ある寒い日にディランがこんなふうにイジーの部屋で修業を積んでいると、あるいは遊んでいると、通りから大男が入ってきました。
まるでロシア大使館から来たような風体の男は、上着の袖の雪を払い、手袋をはずしてカウンターに置くと、煉瓦造りの壁に掛けてあるギブソンのギターを見せてくれと言いました。
センターでは楽器も売っていたのです。
デイブ・ヴァン・ロンクでした。
以前ディランが口もきけなかった、あこがれの歌手です。
ロンクがギターを試し弾きして置くと、ディランは思いきって近づきます。
お店の若造という立場ですから、ギターに手を置いて、ついでに尋ねます。
「Gaslightで働くにはどうすればいいんですか。誰かご存知ですか?」
馴れ馴れしくならないように気をつかってます。
「門番の仕事をしたことある?」
ぶっきらぼうにロンクが答えます。
ディランはないと答え、歌を聞いてもらえないか尋ねます。
快諾を得て歌ったのが、「Nobody Knows You When You're Down and Out」でした。
→http://www.theguitarguy.com/nobodykn.htm
ニーナ・シモン、エリック・クラプトン、ロッド・スチュワートとまあ、実にいろいろな人が歌っています。
憂歌団の「ドツボ節」も同じ曲ですね。
→憂歌団「ドツボ節」の歌詞
ディランの歌を気に入ってくれて、デイブはディランに名前やニューヨークに来てどのぐらいになるか聞いてきます。
そして、自分の持ち時間の中で数曲歌わないかと言ってくれます。
「The Gaslight」で歌えるというのは、大きなステップアップでした。
フォークロア・センターを出て「Mills Tavern」というコーヒーハウスへ行くのですが、もう気もそぞろ。
仲間のフラメンコギター奏者フアン・モレノ(Juan Moreno)が新しいコーヒーハウスができたぜと教えてくれるのですが、かろうじて耳に入ってくるだけです。
フアンの唇が動いているのに、その声が聞こえてきません。
自分は「The Gaslight」で認められるので、もう劣悪な環境のコーヒーハウスで歌う必要はなくなる。
運命が姿を現したのだと、ディランの自信は並外れたものがありました。
これでp.22。
このページで第一章が終わりました。
次は第二章「The Lost Land」です。
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CHRONICLES #11 (Bob Dylan)
- 2004年11月17日 03:16
- ボブ・ディラン

【追記】No.2
イラクにおける戦争犠牲者数を示すバナーを貼って一週間が過ぎた。
米軍のイラク軍事侵攻によって亡くなった民間人の数。
イギリスの市民団体によるもので、根拠はマスコミに報じられた死者数である。
実数よりもかなり少なめだし、大規模な殺戮があっても数字に反映されるまで時間がかかる。
毎日バナーを貼っているが、表示する度に「IRAQ BODY COUNT」から数字の画像を読み込むので、古い日記に貼った画像も同じ数字になってしまう。
初日、11月9日付日録にその数字が書いてある。
《 Minimum:14272 》
明けて11月17日になろうという深夜。
《 Minimum:14400 》
今もイラクでは米軍によって民間人が殺されているのだということを忘れないように、毎日貼り続けます。
日本政府がそれを積極的に支持しているということを忘れないためにも。
【追記】No.1
「子供にはこういってやんな」
amazonから荷が届いた。
あれ、何だろう。
すっかり忘れていたわ。
『小さな恋のメロディ』のDVDが出たんだ。
まだ開封していない。
今度の休みに観よう。
ビージーズの曲が印象的だったけど、エンディングはCSN&Yで「Teach Your Children」。
ナッシュさんの曲ですね。
温かくてきれいです。
CSN&Yというと個性派のヤングや本命のスティルスという感じですが、実はC&Sかなあという気もします。
デビッド・クロスビーとグレアム・ナッシュ、この二人はディランが「Cafe Wha?」で出会ったフレッド・ニールの影響が大きい、いわゆる「フレッド・ニールズ・チルドレン」なんですね。
この「Teach Your Children」を、中山ラビさんが歌っていました。
訳詞は故中山容さんです。
題して「子供にはこういってやんな」。
♪ 子供には こういってやんな
♪ 親父の地獄は ゆっくりと消えてく
♪ 夢がお前を育て 拾えば
♪ それがお前 その夢でつながってるのさ
ラビさんの弾き語りにギター、バンジョー、男声コーラスが付いたライブバージョンが、『続関西フォークの歴史』に入っています。
ディランは非常に複雑な現代社会に興味を持っていなかった。
タイタニック号が沈む話や、ガルベストンの洪水、鋼鉄を駆るジョン・ヘンリー、西バージニア鉄道で人を撃つジョン・ハーディ、そんなものを歌った歌が好きだった。
実際、当時はそんな歌が歌われていたのだ。
ディランはイジーの部屋でこんなものを聴き漁る。
イジーはちょっと変わった人物だったようで、ディランのことをあれこれと質問攻めにする。
そして、それを日記に書き留めるのである。
イジーに尋ねられて、ディランは一緒に暮らしていた母方の祖母のことを答える。
高潔で優しい人だった。
幸福とはどこかにいたる道にあるのではなくて、道が幸福なのだと教えてくれた。
それから、人には親切にしろと教えてくれた。
これからお前が出会う人は誰も皆、激しい闘いをしているのだから。
イジーの闘いが何なのかは、わからなかった。
社会的不公平や、飢えや、ホームレスといった問題にかかわるような人で、それを公言していた。
エイブラハム・リンカーンとフレデリック・ダグラスを尊敬していた。
究極の魚釣り物語『白鯨』が、彼の大好きなほら話だった。
イジーはいつも借金取りや地主の命令に苦しめられていたが、そんなことではへこたれなかった。
ワシントン広場でフォーク・コンサートが開けるように闘った。
みんなイジーの味方をした。
これでp.21に入りました。

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CHRONICLES #10 (Bob Dylan)
- 2004年11月16日 19:38
- ボブ・ディラン

【追記】No.2
晴天好日。
大菜園で柿の実の残りをすべて採ってくる。
ただし、一つだけ残して。
もう手の届かない場所に生ったものばかりなので、高枝切り鋏が大活躍。
今日は70個ほど採れた。
今年は大豊作で、特に今日まで残っていたものは実が大きくてきれいに熟している♪
その後浜へ出て夕陽を眺める。
いい日であった。
が、まだ少し仕事をせにゃならんのです。
はぁ。
【追記】No.1
あちこちで歌うようになったディランは、午後に「Cafe Wha?」へ行くことをやめます。
その代わり、「フォークロア・センター(the Folklore Center)」に出入りするようになります。
そこにはフォークソングに関係のある、ありとあらゆるものがありました。
特にレコードと楽器が充実していたようで、若きディランはここでフォークやブルーズの知識を吸収したようです。
フォークロア・センターでは、イジー・ヤング(Izzy Young)という人物と出会います。
センターの主催者ですね。
イジーはブルドーザーのようにやたらに声が大きくて、いつも何かしらガーガーとしゃべっていたそうです。
ディランはレコードを聴きまくり、楽器を演奏し、イジーのタイプライターで詞を書きます。
→FOLKLORE CENTER
→Izzy Young's Folklore Center
googleで[イジー・ヤング]を検索すると、ニール・ヤング&クレイジー・ホースがヒットするので笑ってしまいました。
イジーはコンサートも主催したので、そこでディランはいろいろなミュージシャンを見ることができました。
「unmistakably authentic folk and blues artists」ですね。
→Clarence Ashley
→Gus Cannon
→Mance Lipscomb
→Tom Paley
→Eric Darling
「秘伝のレコード」もたくさんあって、ディランは全部聴きたいと思いました。
「フォリオ(folio)」もたくさんあったと書いてあるのは、楽譜のことでしょうか。
船乗りのはやし歌(sea shanties)、南北戦争の歌(Civil War songs)、カウボーイの歌、挽歌、教会の歌、反ジムクロウ法の歌、組合の歌。
それから民話の本、世界産業労働者組合の機関誌、女性の権利から飲酒の危険性にいたるまでのあらゆる政治パンフレット。
フォーク・センターは、まさにディランの「私の大学」だったのかもしれません。
そこにあった楽器はダルシマー(dulcimer)、5弦バンジョー、カズー、ブリキ製の小さな横笛(pennywhistle)、アコースティック・ギター、マンドリンが挙げてあります。
p.19まで来ました。
当時ディランが歌っていたのは「hard-core folk songs」というスタイルだそうです。
たえずギターを大きな音でかきならしながら歌います。
もっと歌がうまい歌手もいたけれど、自分は独りだけ際立っていたと言っています。
フォークソングは「宇宙を探険する手段」であり、「言葉では言えないほど価値のある絵」だったと、力がこもっています。
「僕には物事の内部にある本質が見えていた。」
「僕はばらばらの破片を繋ぎ合わせることが簡単にできた。」
すごい自負ですが、この物事というのは、曲のことを指しているようです。
Columbus Stockade
Pastures of Plenty
Brother in Korea
If I Lose, Let Me Lose
こんな曲名が並んでいます。
最初の二曲はウッディ・ガスリーが歌っていたり、PP&Mが歌っていたりするので、カントリーやフォークに近い曲なんでしょう。
(いいかげんですまん)
「他の歌手たちはたいてい歌よりも自分のことを伝えようとしたのだが、僕はそんなことは気にしなかった。」
ディランはその歌自体を聞き手に伝えようとしていたのだ。
意外な言葉だが、歌い手ボブ・ディランの真骨頂を示すものではないだろうか。
帰りが遅かったので、ちょっとだけね。
追記できるかな。
p.18を読んでおります。
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CHRONICLES #9 (Bob Dylan)
- 2004年11月14日 02:42
- ボブ・ディラン

【追記】No.2
「ずるいこと」と書いてしまいましたが、「ワザ」ぐらいの感じかもしれません。
その例として、リッチー・ヘヴンズ(Richie Havens)の例を挙げています。
リッチーはいつもきれいな女の子を連れていて、その子にお金を集めさせていました。
するとたくさん集まることにディランも気づいたのです。
そこで、「Cafe Wha?」で知り合った見た目のきれいな子にお金を集めてもらったのです。
ちょっと奇抜な格好で。
お金の取り分に関してはごたごたとうるさいのですが、それでも独りで歌ってお金を集めるより、ずっと多かったそうです。
彼女の格好は、こんな感じです。
... wear a funny little bonnet, heavy black mascara, low laced blouse--looked almost naked from the waist up under a capelike coat.
う?ん、やっぱりそういうものなのか。
→THE OFFICIAL SITE OF RICHIE HAVENS
【追記】No.1
ところで楓。。さんにそそのかされて、いきなりですが「KYON2 My Best 5」
No.1 「なんてったってアイドル」(1985年)
No.2 「木枯しに抱かれて」(1986年)
No.3 「The Stardust Memory」(1984年)
No.4 「夜明けのMEW」(1986年)
No.5 「ヤマトナデシコ七変化」(1984年)
う?ん、時期が集中してますね。
このころがアイドルとしての旬だったのかしら。
筒美京平メロディと高見沢俊彦メロディか。
「渚のはいから人魚」「スマイル・アゲイン」が次点。
「まっ赤な女の子」「私の16才」ってのも悪くないです。
→小泉今日子 EPコレクション
ヴァン・ロンクは「The Gaslight(ガス灯)」というクラブで働いていました。
「The Gaslight」は派手な横断幕が外に掲げてあるというのが、いまひとつイメージがわきません。
ここは週給で支払ってくれた。
お酒は出さないけど、持ち込み可。
昼間は閉まっていて、夕方からだいたい六人ぐらいで一晩のステージをやったそうです。
オーディションは一切なし。
ディランは歌いたかったし、そうする必要がありました。
この「The Gaslight」のステージにいるボブ・ディランの画像がありました。
→GASLIGHT CAFE
真ん中にディランが写ってるんですが、くわえてるのは葉っぱでしょうか?
通りで出会ったヴァン・ロンクに声をかけそびれた時のことが書いてあります。
ディランはヴァン・ロンクと一緒に演奏をしたかったのです。
でも、行き過ぎる時にヴァン・ロンクの目の光を見ることができただけでした。
「The Gaslight」以外のコーヒーハウスはかなり劣悪な環境だったそうです。
もちろんマイクなんてものはありません。
「pass the hat」と書いてあるのは、つまりステージを務めた者自身がお金を集めたのでしょう。
大道芸を小屋の中でやってるようなものです。
たぶんすべて場所で一度や二度は演奏したはずだと言っています。
こういう薄汚れた暗い小屋には、タレントのスカウトは来ません。
どうやら観光客相手の商売だったようです。
投げ銭を期待して演奏していると、週末だったら、夕暮れから夜明けまで(from dusk 'til dawn)までで20ドルぐらい。
ルー・レヴィのリーズ音楽出版社と版権の契約を結んだ時、ディランは100ドルを前払いで受け取りました。
これはやはりなんとか一ヵ月暮らせるかという程度の金額みたいですね。。
ウィークナイトは悲惨だったようです。
客の数に比べて競争相手が多すぎた。
したがって、生き残るためには多少ずるいこともしなければならなかったと書いているのには驚きました。
ちょっと戻ったので、まだp.17であります。
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CHRONICLES #8 (Bob Dylan)
- 2004年11月13日 21:42
- ボブ・ディラン

【追記】No.3
「ブッシュで良かったじゃないか、ケリーが大統領になったら日本はもっと大変だったろう」などとわけ知り顔で言う人がいます。
まあ、床屋政談、どこかで聞きかじった知識を断片的に披露してくれます。
そりゃ、ブッシュが落選していたら、当選した時に大喜びしていた、あのコイズミ君やザイカイは大変なことになっていたことでしょう。
でも、コイズミ君やザイカイがそのまま日本ではありません。
少なくとも、ブッシュでなければファルージャでの蛮行はなかったことでしょう。
「誰がやっても同じ」なんてデマを流したがる人もいますな。
選挙の結果で世界が大きく変わることがあるのだ。
【追記】No.2
ところでレーベルという言葉はちょっと気持ち悪いんですが、レイベルと書いたところで別に原音に忠実なわけでもなし、でもどうしてレコード会社だけラベルじゃなくてレーベルというのか不思議です。
「label」がラベルとレーベルというように、意味によって言い分けられてるんですな。
類義語のレッテルはオランダの「letter」が由来だそうです。
作曲家のラヴェルは「Ravel」。
英語だと「ravel」は「ほぐす」という意味です。
反逆者は「rebel」。
水準のレベルは「level」。
並べるとかえって混乱しそうです。
きわめてあいまいな使い方をしますが、「ラベリング理論」というのがありました。
社会が標識を貼り付けることによって、貼り付けられた人がそのラベルに応えるような形で行動するようになってしまうという現象を指します。
犯罪の発生、社会からの逸脱を説明するために用いられることがありました。
ゴミはゴミだというように分類してしまうと、ゴミになります。
ところがさらに細かく分類すると、資源として再利用できます。
ゴミでなくなるのです。
ネズミの糞ではいくらラベルを貼っても再利用できないわなあ。
それでもネズミの糞なら有機物なんだから、土に還ることもあるかもしれない。
憎悪を振りまくだけの悪意に満ちた言葉は、ネズミの糞以下で、本当に何の役にも立ちません。
相手をしてやろうという奇特な方もいらっしゃるようですが、まったくかみ合わなくても、とにかく誰かに威張れるんだから、大喜びさせているだけですよ。
あんなものに餌は与えないでください。
【追記】No.1
ボブ・ディランにも憧れのレーベルがあったというのは楽しい。
「folkway」というのは「習俗」ぐらいの意味です。
辞書を引くと、「同一社会集団の全員に共通な生活・思考・行動の様式」などと説明してありました。(研究社『リーダーズ英和辞典』)
ディランが家にいるころ一所懸命聴いていたのは、「FOLKWAYS」というレーベルのレコードなんですね。
今は「Smithsonian Folkways Recordings」となっています。
あのスミソニアン博物館のスミソニアン協会が運営している、非営利レコード会社になってしまったのです。
1949年にモーゼス・アッシュ(Moses Asch)という録音技師が、人間の生み出した世界中の音を記録しようとして始めたレコード会社が「FOLKWAYS」でした。
1986年にアッシュが亡くなると存続の危機に陥ったのですが、この貴重な資料を保管するために、文化団体のスミソニアン協会が運営に乗り出したのだそうです。
その窮状を知ってボブ・ディランが「FOLKWAYS」救済のために作ったアルバムがあります。
ウッディ・ガスリー(Woody Guthrie)とレッドベリー(Leadbelly)へのトリビュート・アルバム『FOLKWAYS:A VISION SHARED』(1988年)です。
ボブ・ディランの他に、ブルース・スプリングスティーンやU2が二人の曲を歌っています。
私はこのアルバムを持っていなかったのですが、ふとamazon.co.jpで検索してみると、ちゃんと輸入盤がありました。
悪税込みで1127円。
これは買わないと。
amazon.comのレビューでは、特に次の2曲がお薦めだそうです。
"Jesus Christ"はamazon.co.jpで試聴できますよ。
-----------------------------------------------------------
Particularly exciting is a supercharged version of Leadbelly's "Rock Island Line" by Little Richard with Fishbone and U2's take on Guthrie's "Jesus Christ." --Ian Landau
-----------------------------------------------------------
Folkways: A Vision Shared
- A Tribute to Woody Guthrie & Leadbelly

1. Sylvie
2. Pretty Boy Floyd
3. Do-Re-Mi
4. I Ain't Got No Home
5. Jesus Christ
6. Rock Island Line
7. East Texas Red
8. Philadelphia Lawyer
9. Hobo's Lullaby
10. Bourgeois Blues
11. Gray Goose
12. Goodnight Irene
13. Vigilante Man
14. This Land Is Your Land
Little Richard, Brian Wilson, Bob Dylan, Bruce Springsteen, Sweet Honey in the Rock, and U2
洞窟のような賄い場で立ち食いをしてラジオから流れるリッキー・ネルソンの歌を聴きながら、ディランはリッキーと自分の身を比べてみる。
だいたい同じぐらいの年齢で、たぶん似たようなものが好きなんだろうけど、なんとまあ違う環境にあることか。
将来の関わりについてはまだ知る由もない。
何よりも肝心なのは、リッキーが今もレコーディングをしていて、自分はまだそれをしていないということだ。
ウッディ・ガスリー(Woody Guthrie)がレコードを出している、あのフォークウェイズ(FOLKWAYS)からレコードを出したいものだなあ。
ディランはボスであるフレッドにレコーディングのことを尋ねるのだが、フレッドはそんな話にはまるで乗り気でない。
フレッドには歌い手としての何かが欠けていると、ディランは感じていた。
それが何であるのかわからなかったのだが、デイブ・ヴァン・ロンク(Dave Van Ronk)に出会って、わかったと書いている。
#5で会いたい歌手の最初に挙がっていた名前だ。
デイブは当時のグリニッチ・ビレッジでは、ストリートの王者であったと、ディランは書いている。
ディランは故郷にいる時からレコードでデイブの歌には親しんでおり、情熱的に吠え、そしてささやき、ブルーズからバラッドへ、バラードからブルーズへと切り替わるデイブのスタイル大好きだった。
ディランのデビュー・レコードに入っている「朝日のあたる家(House Of The Risin' Sun)」のアレンジはデイブだと言われている。
私のおなじみさんだと、ジャクソン・ブラウン(Jackson Browne)が歌っている「コカイン(Cocaine)」はデイブの曲だ。
デイブは2002年2月に亡くなったが、ニューヨーク市では5月18日を「デイブ・ヴァン・ロンクの日(Dave Van Ronk Day)」として、コンサートを開催している。
→dave van ronk unauthorized
p.16に入ったあたりです。
ところで思わぬ連載になっちまいましたが、これは翻訳でもダイジェストでもありませんよ?。
ちらっと読んで、内容を少し紹介しているメモのようなもの。
私の感想や調べたことが混じっております。
これでボブ・ディランの自伝『クロニクルズ』を読んだ気になってはいけません。

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CHRONICLES #7 (Bob Dylan)
- 2004年11月12日 00:00
- ボブ・ディラン

【追記】No.2
NHK「夢・音楽館」のサイトを覗いてみると、リピートがあることがわかりました。
見逃した方、特に番組冒頭の「トランジスタ・ラジオ」はお勧めですぞい!
再放送 11月16日(火)総合 2:55?(月曜深夜)
再放送 11月17日(水)BS2 2:45?(火曜深夜)
1. トランジスタ・ラジオ / 忌野清志郎
2. ひとりぼっちのアイツ / オリジナル・ラヴ
3. ステップ! / 忌野清志郎&オリジナル・ラヴ
4. 銀ジャケットの街男 / オリジナル・ラヴ
5. JUMP / 忌野清志郎
【追記】No.1
いやあ、良かったわ、NHK「夢・音楽館」の忌野清志郎さん。
なんといっても一曲目「トランジスタ・グラマー」、違う、「トランジスタ・ラジオ」。
たっぷり5分近く。
バックがやけに豪華だったので、思わず調べてしまいました。
こういうメンバーだったのですね。
忌野清志郎 & NICE MIDDLE with NEW BLUE DAY HORNS
Vo. 忌野清志郎
- NICE MIDDLE -
G. 三宅伸治
Dr. 宮川 剛
B. 中村きたろう
Key. 厚見玲衣
- NEW BLUE DAY HORNS -
A.Sax 梅津和時
T.Sax 片山広明
Trump. 渡辺隆雄
ギターの三宅伸治さんは今年の春一番で堪能してきました。
→春一番 第四日
手前味噌リンクでございます。
ディランのボスとなったフレッド・リーチは、まったく野心など持ってないように見えた。
二人は個人的な事情など語り合ったりはしなかった。
He was very much like me, polite but not overly friendly
(僕ととてもよく似ていて、ていねいではあるが、さほど愛想よくはなかった)
そして一日の終わりには、小銭を渡して「さあ……これで困らないだろう。」
本当に小銭だったみたいですね。
それでも、ここ「Cafe Wha?」で働いていれば、食うのに困らないのがとてもありがたかったと書いてあります。
ウクレレを弾いて裏声で歌うタイニイ・ティムと一緒に、ディランは賄い場で飯をかっこみます。
脂っこいハンバーガーとフライド・ポテト。
コックのノーバート(Norbert)が、缶に入ったポーク&ビーンズや、フライパンに入ったままのスパゲッティをくれます。
あれ?
ディラン、豚肉食べてるよ?
食べないんじゃなかったっけ?
崖を掘り抜いて作ったような雰囲気のキッチンの中で働きながら、ノーバートは、イタリアのベローナへロミオとジュリエットの墓を見に行くために貯金をしています。
こういう描写がいいですなあ。
ディランの文章はとてもうまいと思いますよ。
ある日の午後、ディランがコップにがばがばとコーラを注ぎ込んでいると、ラジオからとてもいい声が聞こえてきました。
リッキー・ネルソン(Ricky Nelson)が新曲「Travelin' Man」を歌っていたのです。
ディランはここでリッキー・ネルソンを絶賛します。
ことさらに奇をてらったりしない、本物の歌。
ディランはずっとリッキーのファンだったし、今もそうだと書いています。
でも、そういう歌はすたれているし、これからも栄えることがないのだろう。
悲しそうにディランは続けます。
→Rick/Ricky Nelson's Official Website
→リック・ネルソン
これでp.14に入りました。
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CHRONICLES #6 (Bob Dylan)
- 2004年11月11日 00:00
- ボブ・ディラン

【追記】No.3
携帯にメールが届く。
今夜のNHK総合TV「夢・音楽館」(23:15-23:45)はゲストが忌野清志郎さん。
私の大好きな「トランジスタ・ラジオ」も歌ってくれるそうなので、早く帰らないと。
教えてくれてありがとう。
【追記】No.2
パレスチナ自治政府ヤセル・アラファト議長の死亡が発表された。
イスラエル軍に包囲されたまま晩年を過ごし、最後はフランス軍の病院で亡くなった。
アラファトさんはずっと領土のない国家、パレスチナの代表だった。
危篤が伝えられた時でも、喝采を上げるイスラエル人の姿が映されていた。
しかし、それがすべてのイスラエル人であるはずもなく、映像に現われた人達の憎悪よりも、その映像を作って世界中に配信した者の心の醜さが印象的だった。
アラファトさんが亡くなるとPLOは求心力を失うというのは、分裂を願う者がいて、それを宣伝しているである。
たとえばイラクのように、元CIAのエージェントを代表に据えた傀儡政権作りが容易になる。
そう簡単には行かないと思う。
イスラエルとブッシュが本当に平和を建設するわけではないのだから。
皮肉なことに、モスクの町ファルージャへの米軍の蛮行は、シーア派とスンニー派の枠を超えて反米感情を煽っている。
アラファトさん、お疲れ様でした。
【追記】No.1
ディランが「Cafe Wha?」でハーモニカを吹いていた頃、プロとしてそのステージに上がっていた人々。
Richard Pryor
→Richard Pryor, a Comedy Legend's Official Site
Woody Allen
→woodyallen.com
Joan Rivers
→JoanRivers.com
Lenny Bruce
→LADIES AND GENTLEMEN LENNY BRUCE
The Journeymen
→The Journeymen
→Scott McKenzie
Karen Dalton
→Karen Dalton "Sweet Mother K.D." ( -1993)
同名のKaren Daltonという歌手がいるようですが、別人です。
ディランがハーモニカを吹く仕事をもらった「Cafe Wha?」は、歌を聴くところというよりも、さまざまな芸人が登場するライブスポットだったようです。
特に昼間は誰でも、なんでもあり。
売れない芸人や素人が次々に登場します。
コメディアン、腹話術師、詩人……。
「a steal drum band」はスティールバンドと訳したりしますが、あのドラム缶から作るスティールドラムを演奏するバンドですね。
「female impersonator」というのが何のことかわからなかったのですが、辞書を引くと「《ヴォードヴィルの》女装の男性俳優」と出ていました。
ブロードウェイのヒット曲を歌うデュオ、帽子にウサギを仕込んだ手品師、客席で催眠術をかけるターバンを巻いた男。
本当にめちゃくちゃです。
午後8時以降はプロのステージです。
Commedians like Richard Pryor, Woody Allen, Joan Rivers, Lenny Bruce and commercial floksingers like The Journeymen
ウッディ・アレンとレニー・ブルースの名前が並んでいるのに驚きました。
そうなんだ。
なんとなくダスティン・ホフマンが演じているレニー・ブルースと、『BRINING IT ALL BACK HOME』(1965年)の一曲目、「Subterranean Homesick Blues」のディランが重なります。
ここでディランは、昼間の時間に出演していた悲しいた芸人たちのことを愛情込めて描写しているように見えます。
ウクレレを演奏しながら少女のような裏声を出して歌うタイニイ・ティム(Tiny Tim)、一曲しか持ち歌のないザ・ブッチャー(The Butcher)。
ティムからはタイムズ・スクェアに歌える場所があるということを教えてもらいます。
「Tiny Tim」という名前はディケンズの『クリスマス・キャロル』に登場する名前から採ったのだと思いますが、さらにそれ以前からなにかいわくのある名前なのでしょうか。
浅草出身の芸人さんと似たところがあるのかな。
ディランは、自分は芸人だと思っているのかもしれません。
歳をとったから温かい視線でほんのすれちがっただけの芸人を語れるのではなくて、最初からそんなふうに感じていたのだと思います。
昨日、ディランが「Cafe Wha?」でハーモニカを吹いている写真のあるページへのリンクを張りましたが、ニールとディランの間に写っているカレン・ダルトン(Karen Dalton)の描写もありました。
ディランはこの歌手とニューヨークに来る前に会ったことがあり、ずいぶん気に入っていたようです。
ビリー・ホリデイ(Billie Holiday)のような声をしていて、ジミー・リード(Jimmy Reed)のようにギターを弾いていたと書いてあります。
→[Fred Neil]
だいぶはしょって、p.12であります。
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CHRONICLES #5 (Bob Dylan)
- 2004年11月10日 00:00
- ボブ・ディラン

【追記】No.2
東京新聞「大波小波」、今日の筆者は「(定年待ち)」氏。
四方田犬彦『ハイスクール1968』、高平哲郎『ぼくたちの七〇年代』の類書として「ロッキング・オン」の橘川幸夫さんが書いた『風のアジテーション』を批判している。
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この手の本の常套だが、かつての粗野で貧乏で、だが純粋だった自分たちの青春を甘く捏造(ねつぞう)したあと、決まって現在の若者を取り巻く状況を批判的に素描してみせる。
-------------------------------------------------------
『風のアジテーション』がどんな本か知らないが、卑劣な匿名批評だなと思う。
タイトルは《「あのころ」は良かったか》。
-------------------------------------------------------
同時代人として言わせてもらうが、「あのころ」は決してカッコよくなんかなかった。少なくとも個人の生活では、金と性欲に飢えていただけの幼稚な時代だった。そう言いきって葬り去った方が世のためではないのか。
-------------------------------------------------------
冗談じゃない。
匿名批評(定年待ち)氏の70年代はそうだったかもしれない。
そしてこの本もアマアマの回想録なのかもしれない。
でも、あんたの70年代と一緒に、オレの70年代まで葬り去られてたまるものか。
オレの外見はすっかり醜いおっさんになってしまったよ、でもな、匿名批評(定年待ち)氏のように精神まで醜いおっさんになったつもりはない。
それは逆だ。
そんなことどうでもいいじゃないかと日和りそうになると、オレは自分の原点を思い出す。
他人様からどう思われようと気にはしないが、あのころのオレに軽蔑されたくない。
【追記】No.1
古典的な短編推理小説に、一つの殺人を隠すために無謀と見える軍事作戦を実行してしまう将軍の話があった。
事実は小説をはるかに凌駕してしまい、今では気に入らない外国の為政者を「暗殺」するために空爆まで行なう。
今回は幻のゲリラを消すと称して、町を殺戮している。
人間の闘争本能で戦争を説明する御仁がいたが、それは誤りだ。
動物はそんなことをしない。
自分の身にひきつけて想像するだけ力のない、愚かな人間の行ないだ。
ブッシュよ、小泉よ、殺すな。
ディランがヒッチハイクでニューヨークに辿りついたのは厳冬まっただなか。
この凍てつくメトロポリスに、知り合いは一人もいません。
おそろしく無鉄砲ですが、ディランはニューヨークに着いて興奮しています。
It wasn't money or love that I was looking for.
(僕が探していたのは、金でも愛でもなかった。)
なんだかレコードで歌を聴いていた歌手に会いたかったみたいなんです。
ボブ君たら、やっぱり意外に普通。
レコードで聴いていたという歌手たちの名前が並んでいます。
Dave Van Ronk
Peggy Seeger
Ed McCurdy
Brownie McGhee and Sonny Terry
Josh White
The New Lost City Ramblers
Reverend Gary Davis
そして、とりわけこの人に会いたかった。
もちろんウッディ・ガスリー(Woody Guthrie)です。
→http://www.woodyguthrie.org/
とりあえず、人に教えられた「Cafe Wha?」というクラブに向かいます。
そこで昼間ショーをやっているフレディ・ニール(Freddy Neil)という歌手に会うといいと教えられていたのです。
「Cafe Wha?」は洞窟のようなところで、天井が低くて明かりも乏しいのですが、広い学生食堂のようにテーブルと椅子が並んでいたそうです。
正午開店、午前四時閉店。
ディランは店を見つけて入っていきます。
He couldn't have been nicer
(ニールはこのうえもなくいい人だった。)
懐かしい受験英語、仮定法過去完了でんがな。
「Neil was the M.C. of the room」と書いてあるのは、クラブの司会進行役(master of ceremonies)だったということでしょうか。
出演者を仕切っていたようです。
何かやってみなと言われて、ディランはギターを弾き、歌を歌い、ハーモニカを吹きます。
フレディ・ニール自身が出演している時にハーモニカを吹いてくれと、即決です。
ディランは大喜びです。
少なくともここなら寒い思いをしなくて済む。
なんといっても真冬のニューヨーク、外は極寒なのです。
この妙な名前のクラブは今も同じ場所にあるようです。
→Cafe Wha?
Cafe Wha
115 MacDougal Street
New York, NY 10001
→map
フレディ・ニールという名前はどこかで聞いたことがあるなあと思ったら、実は大物歌手でした。
→fredniel.com
→[Fred Neil Discography]
そう、映画『真夜中のカウボーイ(Midnight Cowboy 本当に犯罪的な邦題じゃ)』の主題歌、ニルソンが歌っていた「うわさの男(Everybody's Talkin')」はフレッド・ニール(Fred Neil)の曲でした。
上記リンク先のディスコグラフィによれば、2001年7月9日、フロリダ州サマー・キーの自宅で亡くなっているのを発見されたそうです。
享年64。
彼の影響を受けた「フレッド・ニールズ・チルドレン」と称されるような人々も多いようですね。
おなじみのメンバーですが、ディランは「ガスリーズ・チルドレン」です。
フレッド・ニールのステージでディランがハーモニカを吹いている写真を見つけました。
下の方にあります。
→[Fred Neil]
Bob Dylan, Karen Dalton and Fred Neil
at the Cafe Wha? Feb. 1961
Photo by Fred W. McDarrah
はい、p.10まで来ましたよ。
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CHRONICLES #4 (Bob Dylan)
- 2004年11月 9日 00:00
- ボブ・ディラン

【追記】No.4
イラク市民死者数のバナーですが、楽天広場の場合はGIF画像を使った「NON-JavaScript Version」を貼ることができます。
デザインやサイズはいろいろ選べます。
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【追記】No.3
今日は亡き親父様の祥月命日なので、ちらりと墓参り。
線香も上げないいいかげんなものだが、亡くなった人を思い出す日。
湾岸戦争のころに死んだ。
こんな日本を見なくて済んで良かったのかもしれない。
貧乏人の一族なので、親父様は警察予備隊にいたこともある。
まさか自衛隊がイラクに派兵されることになるとは、夢にも思わなかったことだろう。
今の「IRAQ BODY COUNT」はMinimumで14272人。
イギリスでマスコミに報道された、イラク市民の犠牲者数だ。
実際はもっと多いはずだ。
ブッシュよ、どこまで増やすつもりなんだ。
ブッシュの再選で大喜びしてみせた日本の首相。
アラブからは、まるでイスラエルのように見えたことだろう。
【追記】No.2
イラク攻撃での民間人死者数をカウントするバナーをトップに貼りました。
米軍は民間人の死者数を数えていません。
そこでマスコミに発表された数字を元に自分たちで犠牲者の数を数えているのが、「Iraq Body Count」です。
下の画像をクリックすると、そのサイトにジャンプします。
![]() |
【追記】No.1
Dr.悠々さんが付けてくださったレスのように、最初は全文日本語に訳してみようかと思ったのです。
少しずつなら楽しみながら進められますので。
でも、正式に翻訳契約を結んだ出版社から損害賠償請求など来たり、いきなり楽天から削除されたりするのもいやなので、それはやめておきます。
邦訳が3千円より安くなることはないでしょうね。
しかも、まともな翻訳だとは限りません。
気になった方は、amazon.co.jpで原書を買うことをお勧めします。
だって、ディランが書いたんですよ。
今までディラン本といったものを読んだことがなかったのですが、ここまで来たら菅野ヘッケルさんが訳している伝記本は買って読んだ方がいいかなと思います。
内容紹介であんまりウソを書くといけませんので。
本当は曲を聴くのに本を読む必要なんかないんですけどね。
今まで読んだ印象だと、あたりまえだけどディランは歌が好きなんだなあと思いました。
言葉遊びが好きで、きれいなメロディが好きで、すごい曲を作ります。
それでまた、すごい歌い方をします。
その歌い方が問題でして、これがダメな人もいると思います。
オフィシャルサイト[bobdylan.com]では全曲試聴できるはずですので、ディラン未経験の方はあんまり能書き聞く前にお試しあれ。
コロンビアでの録音契約書にサインをした後、ディランはコロンビアの宣伝担当者に会います。
いかにもエール大学出身でございみたいな身なりのビリー・ジェイムズに、ディランは違和感を抱いたようです。
ビリーが次々に質問して、ディランが答えていきます。
「出身地は?」
「イリノイ州。」
ビリーは真面目にそれを書き留めます。
これはウソなんです。
ディランは本当はミネソタ州の出身です。
「ニューヨークにはどうやって来たの?」
「貨物列車に乗った。」
「旅客列車だろ?」
「いや、貨物列車。」
「有蓋車両ってことだろ?」
「そう、有蓋車両。貨物列車みたいな。」
「わかったよ、貨物列車ね。」
答えたくない質問にいいかげんに答えた様子を書いた後、ディランはこのニューヨークまでの旅を回想している。
ディランは本当は1957年型の「インパラ」という4ドアセダンに乗せてもらってやってきたのだ。
ニューヨークに降り立つとひどい雪が降っていて、顔に突き刺すような寒さを感じた。
青雲の志を抱いた、男おいどんである。
インパラというのはシボレーの車ですね。
どんな形をしてたのか気になったので探したのですが、なかなか57年型4ドアセダンが見つからない。
そうこうするうちに、Classic Chevrolet Linksというのを見つけました。
年代別にシボレーマニアがいるんですね。
これは驚き。
なにげなく「1955-1957 Chevy Enthusiasts」の中にあった57 Chevy's Homepageを覗いてみたら、強烈でした。
このあたりの車は、「古き良きアメリカ」の象徴なんでしょうか。
半ば「9.11」サイトと化しています。
絶対ブッシュに投票してるよな、このおっさん。
ビリー・ジェイムズがディランに行なったインタビューは、録音テープが残っている。
→THE BILLY JAMES INTERVIEW FALL 1961
このテープの日付からすると、ディランがコロンビアと契約したのは冬というよりも、晩秋だったようです。
長いやりとりの一部分だけらしいが、ディラン君、態度悪いですね。
最初から、ディランは「ボブ・ディラン」を演技していたようです。
少し前にディランのインタビュー集という半端なCDを買ったのですが、これも入っていたかもしれません。
今発掘できないので、確認できませんが。
ところで、トッド・ラングレンやフランク・ザッパのことを書いているビリー・ジェイムズという音楽ライターがいるようなのですが、さてこの人はコロンビアの宣伝担当だったビリー・ジェイムズと同一人物なんでしょうか。
amazon.comで下記の書籍がヒットしました。
あ、amazon.co.jpでも扱ってます。
「A Dream Goes on Forever: The Continuing Story of Todd Rundgren」
Billy James
「Necessity is.....the early Years of Frank Zappa and the Mothers of Invention 」
Billy James
「An American Band: The Story of Grand Funk Railroad」
Billy James
ちょっとはしょっちゃったので、もうp.8まで来ましたよ。
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CHRONICLES #3 (Bob Dylan)
- 2004年11月 8日 00:00
- ボブ・ディラン

【追記】No.3
久しぶりに午後10時ごろからテレビ朝日系列の番組を見る。
ゲストが石原都知事。
嫌だなあ。
なぜこの時期にこんな人物を呼ぶんだろう。
いったい何を言わせようというのか。
石原都知事が憲法前文を汚い言葉だと罵り、司会者古館伊知郎が同調する。
これを太鼓持ちと言う。
都知事をヨイショするために呼んだのか。
電波芸者というのは、これよりもう少しましなものかもしれない。
そうか、古館アナウンサーは石原都知事に期待しているのか。
どっしり国政の方でがんばれと。
おいおい、やめてくれよ。
飯がまずくなったじゃないか。
【追記】No.2
「私は『真ん中』行っている」と小泉首相。
おう、確かに、極右の「真ん中」行ってるぞ。
【追記】No.1
今朝の東京新聞一面トップは、陸上自衛隊の「中央即応連隊」構想。
宇都宮駐屯地に新設する連隊で、海外派遣やテロ対処の実働部隊となる。
指令部は朝霞駐屯地(東京都練馬区)。
新設部隊の他に第一空挺団(パラシュート部隊・船橋市)、対テロ専門部隊の特殊作戦群(船橋市)、第一ヘリコプター団(木更津市)、第一〇一化学防護隊(さいたま市)を指揮下に置く。
同時に国連平和維持活動(PKO)に派遣する隊員を教育する「国連平和教育活動センター」を駒門駐屯地(御殿場市)に新設する。
まことに勇ましい話である。
明らかに自衛のための軍隊ではない。
既に現行憲法をはるかに超えて暴走を始めている。
とりあえずこれに反対しているのは財務省。
来年度防衛費の政府原案交渉では四万人の削減を主張する。
主計局は一気に軍縮を狙っている。
名プロデューサー、ジョン・ハモンドはディランのどこに未来を見いだしたのか。
ジョンがディランに言ったことが書かれている。
ジョンはディランのことを流行の最先端にいる新奇な鬼才といったようなものではなくて、長く連なっている伝統の中にいる者だと感じたのだ。
ブルース、ジャズ、フォークと連なる伝統……もちろんこれは今の日本で「フォーク」と呼ばれているものとは違う。
ディランは50年代末から60年代冒頭のアメリカ音楽シーンが、かなりお眠い状況だったと書いている。
ポップスを流すラジオ番組は行き詰まっており、空虚な冗談でお茶を濁していた。
「It was years before The Beatles, The Who or The Rolling Stones would breathe new life and excitement into it.」
(それはビートルズやフーやローリングストーンズがポップス番組に新しい生命と興奮を吹き込むことになる、何年も前だったのだ。)
ここでディランがこの3つのグループを並べているのは興味深い。
つまり、ボブ・ディランはこの3つのグループの曲が流れるポップス番組はとても楽しかったと言ってるわけだから。
当時のディランが歌っていたのは「hard-lipped folk songs with fire and brimstone servings」だった。
公民権運動は終わっていなかった。
私の部屋に貼ってある「SEPT. 19 - 1960」のライブのポスターには、料金の一部が有色人種の団体に寄付されると書いてある。
自分の歌はポップス番組にはなじまないだろうし、歌を商業主義にゆだねたくもないと、ディランはジョンに言う。
ジョンは、そんなことはさして重要なことではないと言う。
ぶっきらぼうな物言いだが、目がきらきら輝いていたと、ディランはジョンを描写している。
不世出の敏腕プロデューサーは、人間的魅力にあふれていたようだ。
その直前に、ジョン・ハモンドはピート・シーガーをコロンビアに連れてきていた。
ピートはジョンが発掘したわけではない。
それ以前にウィーバーズで活躍していた。
しかし、マッカーシズム、つまり「赤狩り」でやられ、ブラックリストに載せられたのだ。
仕事がなくなった。
ピートは干されたわけだが、歌を捨てなかった。
今では好好爺といった印象のピートだが、彼は生涯を通じて気骨の人であります。
「花はどこへいった」という反戦歌は、この赤狩りの時代に作られました。
→幻泉館日録 2003年10月6日花はどこへいった Where have all the flowers gone?
日本でヒットした「小さな手」も原詞はとても具体的な主張をはっきり述べた、戦闘的な歌でした。
これも赤狩りの時代に核軍縮の運動で歌っていたのです。
→幻泉館日録 2003年9月29日 ピート・シーガー「わたしが一番きれいだったとき」
ジョン・ハモンドはピート・シーガーを救おうとしていたのだ。
ジョンは憤然として言う。
「ピートの祖先はメイフラワー号でやってきたんだ。バンカーヒルでも戦っているんだ。(バンカーヒルは独立戦争最初の本格的交戦があったとされているところ。)それなのに、あのくそったれどもはピートをブラックリストに載せるなんて。あいつらはタールを塗って鳥の羽くっつけてやらんといかん。」
ずいぶん物騒な話だ。
煮えたぎるタールを身体中に塗り付けて鳥の羽毛をまぶすというのは、KKKが黒人に行なったリンチを思い出す。
独立戦争に由来するというので、アメリカ独特の私刑。
辞書によっては鳥の羽を突き刺すと書いてあるのだが、刺してはいないようだ。
→文学の中のアメリカ生活誌(40) Lynching(私刑)
まったく場違いなのだが、私はこのジョンの言葉で、『ジャイアンツ(Giant)』(1956年)でロック・ハドスンが演じた主人公を思い出した。
人種的偏見に満ちた主人公が老いてからその信条と反するように、人種差別の言葉を投げかけた者と大立ち回りを演じる。
ロック・ハドスンは喧嘩に負けるのだが、だからこそ英雄として屹立する。
ジェームズ・ディーンの最後の映画という印象が強いけれど、主人公はこの小さな英雄なのだ。
今のアメリカの危機は、『ジャイアンツ』の主人公のような健全な保守が見えなくなっているところにあるだろう。
ロック・ハドスンが演じたテキサスの大牧場主ビック・ベネディクトは現代に生きていたら共和党支持者だろうが、きっとブッシュのことは大嫌いだと思うよ。
もちろんジョン・ハモンドが共和党支持者だったということではありません。
ジョンから才能を生かすんだよという忠告された後、ディランはその場で契約書にサインする。
契約の中身なんぞろくに読んではいない。
どんな契約書であっても喜んでサインしただろうと、ディランは書いている。
これは40年以上前のできごとなのだ。
御大ボブ・ディランも若者だった。
最初のレコーディング契約のことを克明に覚えている。
それだけ緊張しており、そしてとても嬉しかったのだろう。
これでやっと本文4ページ分、p.6を読み終わりました。

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CHRONICLES #2 (Bob Dylan)
- 2004年11月 7日 00:00
- ボブ・ディラン

【追記】No.2
続けて幻泉館鯖のアクセスログなのだが、teacup.comから飛んでくる人も何人かいるようだった。
懐かしフリー掲示板のteacupも、今はblogを始めたらしい。
ボブ・ディラン自伝『クロニクルズ』を読んだよという方らしい。
せっかくだからトラックバックを付けようとしたのだが、どうもうまくいかない。
楽天のせいなのか、teacupのせいなのか、わかりません。
loveminus0の“コーヒーをもう1杯”
相変わらず「出産シーン」で検索して飛んでくるんだけど、何かあったのでしょうか?
【追記】No.1
幻泉館鯖のログを見ていると、時々不思議なことがある。
今日は「search.msn.co.jp」で「出産シーン」という検索語で飛んできた人が何人もいた。
う?む。
なぜ「msn.co.jp」で「出産シーン」なのかわからない。
う?む。
さて、ボブ・ディランの自伝『クロニクルズ』に戻りましょう。
2ページ目(ノンブルはp.4)で一段落を使って、ニューヨークの街が描写されています。
いわゆる分詞構文が並び、リズムを作っています。
外では風が吹き、叢雲が流れ、赤い街灯がともる通りには雪がうずまき……といった調子です。
ウサギの毛の耳あてや、焼き栗や、マンホールからの蒸気ということで、冬の街の様子が思い浮かびます。
ニューヨークの街に詳しければ、だいたい正確な時季がわかるように書いているのしょう。
ディランはまだ自作曲が少なかったようですが、ルー・レヴィのリーズ音楽出版社と版権の契約を結びます。
ディランへの先行投資です。
書類にサインすることで、ディランは100ドルを前払いしてもらいます。
1960年ごろの100ドル。
今の金額に換算しても、そんなに大金というわけでもないと思います。
一か月暮らせる程度の、当面の生活費といったところでしょうか。
「and that was fine with me」とディランは書いています。
ボブ・ディランの偉いところは、生活のためのアルバイトをしなかったことです。
だから本当に着たきり雀。
誰かしらに食わしてもらって、とにかく歌を歌う。
それができたのだから、やっぱり天才だったんでしょう。
事務所に戻ってディランは自分のギターを爪弾きます。
乱雑な事務所の描写もいいですね。
レコードやサイン入りブロマイドが散乱しています。
音楽出版社ですが、芸能プロダクションをイメージすれば良いのでしょう。
当時ルー・レヴィの会社に所属していた歌手の名前が挙げてあります。
Jerry Vale
→Jerry Vale collection
リンク先で「ブルー・ベルベット」や「サンホセへの道」が聴けます。
Al Martino
→Al Martino Welcome!
The Andrew Sisters
→THE OFFICIAL WEB SITE
ルー・レヴィの奥さんはこのメンバーの中にいるそうです。
Nat King Cole
→NAT KING COLE HOUR
キャピタルレコードのサイトで「モナリザ」「ルート66」などが聴けます。
Patti Page
→Miss Patti Page
なんと健在、現役バリバリ!
11月8日が誕生日だそうですが、幻子心母と同い年ですな。
The Crew Cuts
→The Crew Cuts
カナダのコーラス・グループ。
「Sh-Boom」(1954年)
ルーは葉巻をくわえたまま、オープンリールのデッキでディランの歌を録音します。
ルー・レヴィがディランの面倒を見ることになったのは、非常に有能なスカウトであるジョン・ハモンド(John Hammond)に依頼されたからです。
いわゆる敏腕プロデューサーですね。
ディランをコロンビア・レコードに連れていったのもジョン・ハモンドです。
このジョン・ハモンドが発掘してレコードを録音させた人達がまたすごいんですわ。
Billie Holiday
→The Official Site of Billie Holiday
→The Unofficial BILLIE HOLIDAY Website
ファンサイトの方では音源にリンクが張ってあります。
Teddy Wilson
→Wiki Pedia "Teddy Wilson"
Charlie Christian
→Legend of the Jazz Guitar
Cab Calloway
→CCO Offcial Homepage
Benny Goodman
→Selected Artist Biography - "Benny Goodman"
Count Basie
→Count Basie
Lionel Hampton
→Lionel Hampton: His Life and Legacy
ジョン・ハモンドはベシー・スミス(Bessie Smith 1895-1937)の最後のレコーディングの時に指揮を執ったとも書いてあります。
まさに伝説的なスカウトなんですが、みんなジャズの人ですね。
ディランの説明によれば、当時フォークはまだガラクタみたいなもので、小さなレーベルからしかレコードが出せなかったのだそうです。
「But John was an extraordinary man.」
そんな時代に、ジョン・ハモンドは大レコード会社コロンビアに、ディランのレコードを作らせてしまうわけです。
世の中にはすごい人がいるものですな。
おっと、googleで検索したら、解説ページがありました。
http://www.pbs.org/wnet/americanmasters/database/hammond_j.html
ディランが挙げた名前以外に、Aretha Franklin, Pete Seeger, Bruce Springsteenといった名前が挙がってますね。
もちろんBob Dylanも。
同名のJohn Hammondという歌い手さんは、この超大物プロデューサーの息子さんです。
お父さんはJohn Henry Hammondで、息子さんはJohn Paul Hammondです。
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CHRONICLES #1 (Bob Dylan)
- 2004年11月 5日 00:00
- ボブ・ディラン

【追記】No.2
何の映像だったのか。
イギリス(という国はないのだが)のブレア首相が大統領選の話をしている。
周囲に「あれ?」と思わせておいて、最後に「アフガニスタンのカザル大統領は」と落とす。
アフガニスタンでも大統領選があったのだ。
周囲にかなりウケていて本人も御機嫌だったのだが、非常に不愉快な気分になった。
つまり、本音の部分での、傲岸不遜さである。
言葉の字面だけだと何の問題もないのだが、「な?んだアフガニスタンの話かよ」と、アフガニスタンの大統領選挙をオチにしてしまったことだ。
話し手と聞き手の間に、暗黙の価値観がある。
アメリカ(という国もないのだが)の大統領選挙の結果は一大事だが、アフガニスタンはね。
その落差が笑いになる。
他国を侵略して植民地を持っていた大国の傲慢さは、今もこんなふうに日常的に現われる。
もちろん日本もそうだ。
【追記】No.1
テレビをつけると清志郎さんの声が。
♪ 幸せになりたいけど
♪ ガンバリたくな?い
通りをギター弾きながら忌野清志郎さんが歌って歩いてる。
グロンサンのCMなんだ。
この町、なんかよく知ってる風景みたい。
どこだろ?
気になって夜も眠れない。
それでgoogle検索しました。
CMのオフィシャルサイトがあるんですね。
gronsan.com
な?んだ、やっぱり☆☆☆☆か?。
☆☆橋だ。
ギターは1950年製ギブソン「J-20」なんですね。
歌の楽譜までありました。
ボブ・ディランの自伝『クロニクルズ』(Bob Dylan "CHRONICLES VOLUME ONE")なんだけど、読んだ先からどんどん忘れていって人の名前がわからなくなるので、ちょっとメモしておこう。
既刊の第一巻(VOLUME ONE)は五章仕立て。
第一章は「Markin'up the Score」。
楽譜、つまり曲の値上げのことだと思うんだけど、評価かもしれない。
最初に出てくる人がルー・レヴィ(Lou Levy)といって、リーズ音楽出版社(Leeds Music Publishing company)の社長さん。
ウエスト・コースト・ジャズのピアノ弾きで同じ名前の人がいるんだけど、同一人物なのかしら。
これがまずわからない。
あ、あった。
ピアニストのルー・レヴィは1928年生まれで2001年没。
別人だ。
こちらのルー・レヴィは1912年生まれで1995年没。
ASCAP(American Society of Composers, Authors and Publishers)のホームページに人物紹介がありました。
1930年代にティンパンアレーで仕事を始めたとありますね。
プロデビューをする若きボブ・ディランが、このやり手のおっちゃんに連れられてタクシーで小さなスタジオに行きます。
ビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツが「ロック・アラウンド・ザ・クロック」を録音したスタジオです。
実はロックンロール小僧だったディランが嬉しそうに書いてます。
それからジャック・デンプシーがやってるレストランへ連れていってもらいます。
なんだかおのぼりさんみたいね。
ジャック・デンプシー(1895-1983)はもちろんボクシングの元ヘビー級チャンピオン。
「クロニクル」のくせに何年のできごとか書いてないのでわかりませんが、ボブ・ディランとしてデビューする直前なんですから、60年代冒頭。
もう結構いい歳になった元チャンピオンが、若きボブ君に向けて握り拳を突き出します。
「重量級にしちゃ軽すぎるな。もう少し体重増やさないと。」
ルー・レヴィが「こいつはボクサーじゃないんだよ」と誤解を解くのですが、なかなかいい出だしでしょ。
300ページ近い本の、これでまだ最初の一ページ。
メモになりませんな。
人の名前がわからないのは、かえっていいかもしれない。
いろいろ調べながらゆっくり楽しめます。
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ブルーにこんがらがって
- 2004年10月24日 00:00
- ボブ・ディラン
【追記】No.3
ぐずぐずしていた空だが、午後から晴れ上がる。選挙の投票と畑仕事に出かけて、一服しているところ。
これからまたちょっと仕事をして、浜へ夕陽を見に行こう。
選挙は市長選挙。
現職と元市長の対決。
というとかっこいいが、どちらも建設官僚の天下りだ。
元市長が国会選挙に出て敗れたので、こんなことになってしまった。
現職は元市長の政策を引き継いでいるので、元市長はかつての自分の施策を否定するというばかばかしい選挙になって、有権者は白けきっています。
それでも棄権は悔しいので、いわゆる批判票を投じてきました。
畑は何といっても柿ですよ、柿。
赤みの濃いものを70ほど採ってきましたが、まだまだこれから。
甘い「富有」です。
蓼の花がたくさん咲いていました。
薬味に使う植物で、「蓼食う虫」の蓼です。
葉をすりおろして酢と混ぜたものが蓼酢。
鮎の塩焼きなんぞに添えますね。
柿の渋抜きにも使うそうですが、試したことはありません。
【追記】No.2
ところで今日の日記のタイトルはもちろんボブ・ディラン御大の「Tangled Up in Blue」から採ったものです。
御大の場合はbobdylan.comで歌詞を見ることができるので、実に便利。
「Tangled Up in Blue」
英語はちょっとという方、今は便利なものがありまんにゃ。
URLを入力すると、ページをそのまんま翻訳して表示してくれるサービス。
これで実に明解に……
excite翻訳 英→日「Tangled Up in Blue」
……う?ん、かえってこんがらがってしまうかな。
【追記】No.1
新潟ではまだ地震が続いているらしい。
電気・ガス・水道といったライフラインを絶たれて、温かく眠る場所を確保するのも困難な方たちも多いそうだ。
疲労が限界を超える前に、なんとか十分な救援がいきわたってほしいものだ。
特に独居老人が心配だ。
今から四十年前、東京オリンピックの年の6月に新潟で発生した地震は、石油化学コンビナート火災を引き起こした。
下のリンク先、消防防災博物館から引用する。
消防防災博物館
-------------------------------------------------------------------
また、石油コンビナート災害には、昭和39年6月16日に発生した新潟地震により、石油コンビナート地帯で発生した原油タンク火災がある。これに対応する化学消防自動車及び消火剤が新潟市では不足したため、東京消防庁から化学消防自動車5台と応援隊員36人が、高岡市消防本部から化学消防自動車1台と応援隊員7人が、さらに石油連盟からも化学消防自動車5台が応援出動した。消火剤はトラックにより陸送したが、それでも不足したため航空自衛隊、在日米軍の協力を得て空路による緊急輸送が行われた。この大規模油火災に出場した消防自動車は延べ255台、消火活動にあたった消防職団員2,173人、使用した消火薬剤はエアフォーム原液約100キロリットル、ドライケミカル消火剤約3,000キロリットルに達した。
-------------------------------------------------------------------
これだけの消火活動にもかかわらず、タンクは二週間燃え続けた。
二週間後に消火できたのではない。
自然鎮火である。
東京消防庁 公開情報
当時幻泉館地方では、二市一町の住民が石油化学コンビナート反対運動を繰り広げていたのだが、この新潟の石油化学コンビナート火災が住民運動の勝利を決定づけたといってもよい。
「安全だ」と言われる大規模開発がどれだけ恐ろしい結果を招くことがあるのか、目の当たりに見せてくれたのだ。
おかげで、高度成長期に反開発の住民運動が勝利を収めた希有な例となった。
追い出されたコンビナートは関東地方に計画を変更した。
それが鹿島だったのか千葉だったのかは知らない。
新潟や鹿島(?)の方々には申し訳ないと思う。
私たちの町には富士山の湧水と、きれいな夕陽の沈む浜が残った。
amazonでボブ・ディランの自伝を見つけたので、即購入。
『Chronicles: Volume One』
(Simon & Schuster, $24:悪税込 2067円)
まだ出たばかりなんだな。
三巻本で出る予定の一冊目らしい。
そんなニュースを知らなかったので驚いた。
これまた即届いたのだが、今ちょっと読んでいる時間がないかな。
読んだぜという報告でなくてすみません。
買ったぜ、です。
これからぼちぼちと読むのです。
ぱらぱらと眺めると、タイトルは「Chronicles(年代記)」なのに、なんだか時系列に従って書いてはいないようだ。
きっとブルーにこんがらがって(Tangled up in Blue)いるんでしょう。
まあとりあえずデビュー前のことが書いてあるのでいいのだが。
固有名詞がよくわからん。
ハードカバーで2067円(amazon.co.jp 悪税込)は安いなあと思っていたら、やっぱり紙や印刷製本はあまり良くない。
カバーはきれいなので、飾りにはいいですぜ。
一応楽天市場で検索したけど、扱ってる店はありませんでした。
念の為。

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ボブ・ディラン Live 1964
- 2004年10月 9日 19:03
- ボブ・ディラン
【追記】No.4
予報では午後から夜にかけて台風が上陸することになっていたのですが、午後五時には風も止み、雨も弱くなりました。
それだけでなく、天空を覆った雨雲の西半分が赤い色を帯びてきました。
夕焼け?!
急いで車を出して浜へ向かうと、パトカーが止まって交通規制をしています。
木が倒れているのです。
松原に面した道路は松葉が散乱し、すべりやすくなっていて危険です。
地元の人が枝を片付けていました。
ごくろうさまです。
五時半ごろ堤防に上がってみると、水平線の近くは雲が切れて、夕焼け空がのぞいています。
周囲が暗いので色が飛んでしまいましたが、本当は青空も少し見えていたのです。
台風通過直後雨が降っている中、夕焼けが見られるとは思いませんでした。

【追記】No.3
午後五時、雨は降ってますが、風は止んで、通りに人影が見えるようになりました。
のんびり市の場合はあっけなく抜けたようです。
でも、雨台風なので床上浸水などの被害はこれからも出ることでしょう。
不謹慎ではありますが、やっぱりうきうきしておりました。
気圧が低いと小さな子供が騒いだりするのと一緒でしょう。
映画『台風クラブ』のような狂騒にはもう縁がないのですが。
首都圏はこれからですね。
台風が来ている間は外に出ない方がいいですよ。
あれ、西の空が赤くなってる。
雨中雨雲の中の夕焼け?
【追記】No.2
10日(土)午後三時半。
あら、台風直撃なんですか。
今事務所の窓から外を見ると、だいぶ風が激しくなってきたようで、樹木や電線が揺れています。
黒い雲が東から西へ流れています。
おお、速い、速い。
お、あの家網戸が壊れてる。
山の方にある大菜園には柿の木があって、今年はたくさん実がついています。
もうすぐ赤くなるんですが、風で落ちちゃうのかなあ。
海を眺めていたらおもしろそうだけど、危ないから行きませんよ。
とか書いてるうちに、物が飛び始めました。
また風が強くなった。
外でガシャンガシャン音がしています。
電線がすごく揺れている。
どこかで切れるかもしれないなあ。
【追記】No.1
雨雲が厚いので、BSやCSは画像が乱れてダメです。
今年は台風が多いから、そうなる回数が多いですね。
ヤフーオークション、『うたうたうた フォークリポート』全14冊は三万円を突破。
「わいせつ事件」になった号があればすごい値になったかもしれないが、もっと地味な音楽誌のころなので、意外に伸びない。
残り19時間。
少し前に赤塚不二夫さんの『まんがNo.1』の付録ソノシートのみが出品されていた。
はがした跡や傷がある、ぺらぺらのソノシート一枚。
曲は井上陽水さんの「桜三月散歩道」。
とても欲しいものではあったが、一万円以上でないと落とせないので断念した。
この雑誌、ソノシートが付いたままのきれいな状態で、希望落札価格10万円で出品した人がいた。
誰も入札する人がいないので、今は希望落札価格を6万円まで下げている。
2万円なら買う人がいるだろうなあ。
早速アマゾンからCDが届きました。
本当に早速ですな。
日本盤だと2560円(悪税込)の2枚組CDが、わずか980円ナリというのは嬉しい。
日本盤はよほど御立派な解説を付けてくださってるのでしょう。
歌詞の精緻な新訳が入っているのかな?
あるいは、日本のレコード業界はほとんど他人の褌で荒稼ぎしてきたのでしょうか。
そういうズルい既得権益が侵されるという被害妄想が膨らめば、輸入CD規制に走りたくもなるでしょう。
この「Bootleg Series」シリーズは、演奏も音もいいんですよね。
ライブ盤としてかなり出来がいいんです。
昔の言い方をすれば元は「海賊版」ということになるんですが、今は立派な正規版でございます。
1964年なので、東京オリンピックの年、ニューヨークのフィルハーモニック・ホールで行なわれたコンサートです。
10月31日なので、別名「ハロウィーン・コンサート」。
おお、ちょうど40年前のことではありませんか。
ブルースハープを首に掛けて、アコースティック・ギターの弾き語り。
23歳の若者ディランが語り、歌います。
才能にあふれた、生意気な、だけど何かを悩んでいる若者の声が、聴衆を魅了しています。
DISC TWOに入って「Don't Think Twice It's All Right(くよくよするなよ)」で声を張り上げると、聴衆が沸き返ります。
「待ってました!」
続いて"The Lonesome Death of Hattie Carroll"「ハッティ・キャロルの寂しい死」。
「これは本当にあったことなんだ」と言って、ディランは歌い出す。
♪ William Zanzinger killed poor Hattie Carroll
ああ、何も変わっていない。
指にダイヤモンドの指輪を付けたアメリカは、貧しい国に出かけていって、ハッティ・キャロルを殴り殺す。
子だくさんのハッティ・キャロルは毎日一所懸命下働きをして、なんとか暮らしている。
それがいきなり杖で殴り殺されてしまうのだ。
裕福なアメリカはけっして罰せられることがない。
DISC TWOでは4曲をジョーン・バエズと歌います。
いきなり世界が変わる感じ。
Bootleg Series, Vol. 6: Bob Dylan Live 1964 - Concert at Philharmonic Hall [LIVE] [FROM US] [IMPORT
2004/03/30
US $21.98
価格980円(悪税込)

DISC ONE
1. The Times They Are A-Changin'
2. Spanish Harlem Incident
3. Talkin' John Birch Paranoid Blues
4. To Ramona
5. Who Killed Davey Moore?
6. Gates Of Eden
7. If You Gotta Go, Go Now (Or Else You Got To Stay All Night)
8. It's Alright, Ma (I'm Only Bleeding)
9. I Don't Believe You
10. Mr. Tamborine Man
11. A Hard Rain's A-Gonna Fall
DISC TWO
1. Talkin' World War III Blues
2. Don't Think Twice, It's All Right
3. The Lonesome Death Of Hattie Carroll
4. Mama, You Been On My Mind - with Joan Baez
5. Silver Dagger - with Joan Baez
6. With God On Our Side - with Joan Baez
7. It Ain't Me, Babe - with Joan Baez
8. All I Really Want To Do

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コーヒーもう一杯
- 2004年9月 6日 15:56
- ボブ・ディラン
【追記】No.2
ヨーロッパ地区のワールドカップ予選が本格的に始まりました。
世代交替を図ったフランスが地元でイスラエルと引き分けるなんて番狂わせもありました。
イスラエル?
そう、今はヨーロッパで予選に出場してるんですね。
オセアニアにいた時が長いかったように思います。
いくらなんでもオセアニアはないだろうということで、ヨーロッパで参加することになったようです。
まさにディアスポラ。
しかし、イスラエルがヨーロッパに近いのは歴史的経緯からいくと自然です。
アラブにとってみれば、ヨーロッパがいきなり攻めてきて作った国がイスラエルなのですから。
【追記】No.1
う?ん、コーヒー飲まないと目が覚めない。
学生時代からの習慣なので、もうン十年コーヒーで目を覚ましてきたんだなあ。
今日の東京新聞にまた防衛庁の記事。
まだ目が覚めない。
今文民統制が危機に瀕している。
防衛参事官という「カセ」を、防衛庁長官が自衛隊から外そうとしているのだ。
よく「誰がやっても同じ」という人がいるが、今制服組の言うままに動く無能な防衛庁長官を頂くことは、非常に危険だ。
内閣改造をするのなら、とにかくあの防衛庁長官を替えてもらいたい。
あんなのをこのまま長官に据えておくと、内閣支持率は急落するよ、コイズミさん。
これからコーヒーがおいしくなりますね。
私は晩秋が好きです。
街路樹の見える、窓の大きな喫茶店。
文庫本を持って入りたいです。
それでついついボブ・ディラン様の「One More Cup of Coffee」など口ずさんでしまうのですが、世界が違いますね。
俺は一人の修羅なのだ、という感じです。
[One More Cup of Coffee(Valley Below)]
♪ 道行くために コーヒーをもう一杯
♪ 旅立つ前に コーヒーをもう一杯
♪ 谷へ向かって下りて行く前に
全訳の例としてはこんなサイトも見つけました。
[One More Cup of Coffee コーヒーをもう一杯]
妙な言い方だが、ディラン最後の傑作アルバムが『欲望(Desire)』(1976年)だと思う。

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われ解放さるべし
- 2004年5月26日 23:32
- ボブ・ディラン
ミドル英二さんの今日の日記では森達也さんの講演会のことが書かれている。
残念なことに私は行けないのですが、興味のある方はぜひおでかけくださいませ。
森達也氏講演会へ行く
5/28(金)には、『放送禁止歌』の上映もあるそうです。
【追記】No.3
PENTAXのUSBケーブルが届いたのであるが、PCに接続すると、やはりショートしている模様。
あれれと思って本体側を見てみると、溝の一つが金属色をしている。
切れた線が埋まってしまったようだ。
これは自分では取れない。
う?ん、修理に出すしかないか。
面倒ナリ。
【追記】No.2
今夜、楽天広場に緊急メンテ入りますね。
[5月27日1時00分?5月27日9時00分]
前回のシステム改変で不都合が発生しているのでしょうか。
またメンテ後多少不安定になるかもね、です。
今夜は楽器いじりだわ。
あ、掃除もしないと。
【追記】No.1
岡林信康さんの「アイ・シャル・ビー・リリースト」ですが、1973-1974の年越しコンサート・ライブと、五つの赤い風船解散記念実況盤は、同じ訳詞でした。
でも年越しライブは「岡林信康訳詞」となっており、風船の盤では「中山容訳詞」となっています。
これは容さんの訳ですな。
該当箇所はこう。
♪ 陽はきっと東から
♪ 西に光るのだ
♪ もうまじか(間近)
♪ それだけでいいだろう
これはリフレインではなく、上2行がその度に変わります。
そして、最後に原詞のリフレイン箇所「I see my light」以下を繰り返します。
年越しライブでは、2番の途中で岡林さんが声をつまらせます。
泣いているように聞こえるのですが、それは歌詞から来ている誤解かもしれません。
初期の明るい岡林さんと違い、屈折していた時期なんですよね。
♪ いつだってとやかくいう
♪ いつだって川は流れる
♪ でも皆身を守り たまらないだろう
♪ 水はきっとあふれて ひくきにつくのだ
旧版と言ってもいい「春一番スペシャルセレクション」のシリーズは、最後の四枚目のタイトルが『生命の光が昇っていく』となっている。
これは「いとうたかお+山岡安司」が1978年のステージで歌った「解き放たれる」の歌詞の一部である。
もちろんおなじみの曲、Bob Dylan「I Shall Be Released」の「いとうたかおバージョン」です。
♪ 生命の光が昇っていくよ
♪ 俺の身体通り抜け
♪ もういつだって
♪ 解き放たれる
この曲はディランIIの「男らしいってわかるかい」が有名ですね。
風太さんは70年代の春一番をやめる時、最後の曲にこの曲を選びました。
ずいぶん考えた末の選択だったそうです。
1979年、天王寺公園での最後の春一番に、最後の曲でして選ばれたのがこれ。
前年に封切られた『ラスト・ワルツ』の影響だそうだけど、これで風太さんは春一番に別れを告げたのだ。
CDの最後にも、「大塚まさじとツアーバンド」で「男らしいってわかるかい」が入っています。
♪ 朝日はもう昇るよ
♪ 少しずつだけどね
♪ そのとき その日こそ
♪ 自由になるんだ
おなじみのリフレインの箇所を並べてみましたが、ボブ・ディランの原詞だとこうなっています。
♪ I see my light come shining
♪ From the west unto the east.
♪ Any day now, any day now,
♪ I shall be released.
「any day」は「いつだって」の方が原義に近いと思います。
ただ、大塚まさじさんの訳はもう耳になじんでしまってるんですよね。
あ、せっかくだから片桐ユズル&中山容訳の『ボブ・ディラン全詩 302篇』から該当部分を引用しておきましょう。
♪ おれの光りがひかってくるのが見える
♪ 西から東へ。
♪ もういつだって、いつだって
♪ われ解放さるべし
ところで、あの岡林信康さんもよく「アイ・シャル・ビー・リリースト」を歌っていました。
五つの赤い風船ラスト・コンサートのCDにも入っているのですが、他のライブ音源では、泣きながら歌っている(ように聞こえる)ものがあって、それがとても心を打ちます。
えっと、これだな。
『ライブ1973 PM9:00 - 1974 AM3:00』(1974)
(Dr.松本隆, EB:細野晴臣, Kb:矢野誠, Kb:鈴木慶一, EG:伊藤銀次)
年越しコンサートですね。
不思議なメンバーです。
歌詞は岡林信康訳だったと思います。
どんなだったか、後で発掘してみます。
『春一番スペシャル・セレクション
?生命の光が昇っていく』

1. 風景(中塚正人)
2. 解き放たれる(いとうたかお+安岡安司)
3. いつも戸口までだったね(中川五郎&トカゲバンド)
4. 絵葉書(友部正人)
5. 雨(1928 B. B. )
6. 最終列車(佐久間順平&バレル・ハウス・レヴュー)
7. 風小僧(小村功)
8. インスタント・コーヒー・ラグ(田中研二)
9. 街の君(西岡恭蔵)
10. 夜汽車にのって(シバ)
11. 淋しい気持ちで(なぎらけんいち)
12. 私の青空(高田渡)
13. カーカー(武蔵野タンポポ団)
14. 男らしいってわかるかい(大塚まさじとツアーバンド)
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マイ・バック・ページ
- 2004年5月24日 00:00
- ボブ・ディラン
【追記】No.1
注文してあっという間に届いた本を読みふける。
有馬さんの本と田川さんの本です。
いかんなあ、もう寝ないと。
ああ、本棚周りも片付けて、一五一会の写真を撮らないと。
ということで、夏見還さんのリクエストにお答えして、ほとんど片付けないままに撮影してしまいました。
そのままではあんまりなので、猥雑物を一部カットしました。
こんなふうに、机に向かった私の右手に一五一会がぶらさがっております。

このCDは借り物です。
もう十年近く前のアルバムなんですね。
ボブ・ディランの「MASKED AND ANNONYMOUS」に入っている、真心ブラザーズが歌う「MY BACK PAGES」は、このアルバムの「マイ・バック・ページ」でありました。
他に「マイ・ガール」なんてタイトルがあるのでカバー集かと思ったら違いました。
ディランの曲だけがカバーで、他はオリジナル。
東京スカパラダイスオーケストラの人たちが演奏で入ってたりして、なかなかおもしろいアルバムです。
制作者の意図で歌詞カードが入ってないんですね。
「マイ・バック・ページ」はこんな感じです。
♪ 白か黒しかこの世には ないと思っていたよ
♪ 誰よりも早くいい席で いい景色が見たかったんだ
♪ 僕を好きだと言ってくれた 女たちもどこかへ消えた
♪ ああ あの頃の僕より 今の方がずっと若いさ
ストレートで好感が持てます、真心版「マイ・バック・ページ」。
真心ブラザーズ
『KING OF ROCK』(1995年)

1. スピード
2. 高い空
3. 愛
4. マイ・バック・ページ
5. 上手な眠り方
6. すぐやれ 今やれ
7. マイ・リズム
8. マイ・ガール
9. 忠告
10. 今しかない 後がない
11. ストーン
12. 日曜日
13. スピード2
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Bob Dylan : Royal Albert Hall Concert
- 2004年2月14日 00:00
- ボブ・ディラン
【追記】No.5
たとえば『ハックルベリー・フィンの冒険』なんかでは、南部の黒人が話す言葉を東北弁のような言葉に訳してあることが多い。
あんまり博多弁や河内弁で訳したりはしないね。
なんとなく木訥な下僕っぽい雰囲気を出したいんだろうな。
ところで、その時に一緒にいる南部白人の言葉は、日本語の標準語っぽくなってしまっているのだが、よく考えるとそれは変です。
南部訛は反映されてないのです。
以前深夜映画で『イン・カントリー』というのを観て、意外な拾い物みたいで良かったのだが、あの主演女優の女の子はイギリス人なんだけど完全に南部訛をマスターしているとほめられていたように思う。
どうしてこんなことを考えたのかというと、ジャクソン・ブラウンは南部出身じゃないのに、時々もごもごっとわかりにくい発音で歌うことがあって、あれは南部訛とは別なのかなと思ったから。
アメリカ語に詳しい人、教えてください。
ニッティ・グリティ・ダート・バンドに在籍したり、ニコのバンドにいたり、ジャクソン・ブラウンというのはよくわからない人ですね。
でも、基本はLAなんだと思います。
【追記】No.4
昼ごろはとても好天でヒナもぽかぽかあたたまっていたのだが、午後には全天を雲が覆ってしまった。
それでも少しは切れ目ができるかもしれないと、夕方浜に行ってみる。
待っていると少しだけお日様が見えた。
これが今日の限界。
寂しいバレンタインデーです。
明日は晴れてほしいなぁ。

【追記】No.3
そうか、このアルバムの発売は歴史的大ニュースだったのですね。
音楽雑誌など全然買わないので、知りませんでした。
なんとなくamazon.co.jpのカスタマーレビューを覗いたら、妙に低い評価を付けている人がいた。
「ただのコレクターズ・アイテムさ。」で、★が5分の2。
>まるでNHK BS2の「フォーク大集合」じゃないか。
には笑ってしまいました。
そんなにパフォーマンスの程度低くないと思います。
少なくとも2105円+悪税を払う価値は十分にある。
レビューを書いた人のプロフィールを見ることができるので、ちょこっと見てみる。
日本公演のライブ盤「At Budokan」(1978年)に★5分の5を付けてる。
う?ん、これほどの差があるかしら。
私とはだいぶ趣味が違うらしいということで。
【追記】No.2
さて、ディラン様のアルバムなのだが、仕事をしながらだったので、いまひとつちゃんと聴けませんでした。
特に2枚目は有名な野次とのやりとりがどこだったのかわからないまま通りすぎてしまった。
ダメじゃん。
ちゃんと聞き直さねば。
生ギター1本で社会に対するプロテストを行なうというディランのイメージが、ロックバンドをバックに演奏するということで大いに反感を買ったという時代だったのです。
裏切り者めということで、「ユダ!」と観客から野次が飛びます。
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A folk zealot in the audience shouts, "Judas!" earning cheers from the contentious crowd. Dylan responds by snarling, "I don’t believe you. You’re a liar," then turns to his group, the Hawks (soon to become the Band), and, as the intro to "Like a Rolling Stone" takes shape, commands, "Play loud!" A crucial moment and, time has demonstrated, the correct call. --Steven Stolder
--------------------------------------
アコースティックの方は、妙に静か。
これは緊張した雰囲気なんだろうか。
ややテンポを崩して歌うあの感じ。
とてもいいできだと思います。
【追記】No.1
人が夜なべ仕事をしているというのに、ヒナは人の布団の上でのうのうと眠っていたのである。
悔しかった。
ん、これではヒナの日記である。
いかん。

とてもいいお日和だった。
ここのところ、日没時刻がだいぶ遅くなってきたと感じていた。
日ざしは確かに春めいてきた。
外は寒いけれど、幻泉館2階のサンルームでヒナは陽光を浴びて眠っている。
三十年前、この縁側にちょこんと座り、こっくりこっくりと船を漕いでいたおばあちゃんを思い出した。

結局全部買ってしまった、ボブ・ディランのオフィシャルな「ブートレグ・シリーズ」。
最後にやってきたのが、イギリスでの伝説的なライブアルバム。
1枚目がアコースティック、2枚目がエレクトリックという構成になってます。
2枚目のバックは「ザ・ホークス」。
ロビー・ロバートソン(ギター)
リック・ダンコ(ベース)
ガース・ハドソン(オルガン)
リチャード・マニュエル(ピアノ)
ミッキー・ジョーンズ(ドラム)
なんだ、ザ・バンドじゃんか、です。
これから夜なべ仕事の友に聴きます。
ぼちぼちと追記できるのかしら。

The Bootleg Series, Vol. 4:
Bob Dylan Live, 1966:
The "Royal Albert Hall Concert"
[FROM US] [IMPORT] [LIVE]
U.S.: $19.98
価格: 2116円 (amazon)
Disc: 1
1. She Belongs to Me
2. Fourth Time Around
3. Visions of Johanna
4. It’s All Over Now, Baby Blue
5. Desolation Row
6. Just Like a Woman
7. Mr. Tambourine Man
Disc: 2
1. Tell Me, Momma
2. I Don’t Believe You (She Acts Like We Never Have Met)
3. Baby, Let Me Follow You Down
4. Just Like Tom Thumb’s Blues
5. Leopard-Skin Pill-Box Hat
6. One Too Many Mornings
7. Ballad of a Thin Man
8. Like a Rolling Stone
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Bob Dylan Bootleg Series 1-3
- 2004年2月 7日 00:00
- ボブ・ディラン
【追記】No.2
本日のヒナの昼寝。
外を眺めているように見えますが、目をつぶってすやすや寝ております。
眺めながら寝入ってしまったのでしょう。
十分にあたたまっており、だっこしてひなぼっこするには最適な生き物となっておりました。

【追記】No.1
すっかり忘れていたのだが、2002年の年末に買った傑作ライブアルバム"Bob Dylan Live 1975"も、このBootleg Seriesでありました。
それがVol.5。
あら、Vol.4が抜けてるじゃないですか。
早速調べてみると、Vol.4はBob Dylan Live, 1966: The "Royal Albert Hall Concert"というものでした。
しょうがない、注文しておこう。
2枚組みで2117円+悪税です。
Vol.5については過去日録Bob Dylan Live 1975に出てきます。

The Bootleg Series, Vol. 5:
Bob Dylan Live 1975
[FROM US]
[IMPORT]
[LIVE]
With Limited Edition Bonus DVD
U.S. 定価: $19.98
価格: 2117円
ディスク: 1
1.Tonight I’ll Be Staying Here With You
2.It Ain’t Me, Babe
3.A Hard Rain’s A-Gonna Fall
4.The Lonesome Death Of Hattie Carroll
5.Romance In Durango
6.Isis
7.Mr. Tambourine Man
8.Simple Twist Of Fate
9.Blowin’ In The Wind
10.Mama, You Been On My Mind
11.I Shall Be Released
ディスク: 2
1.It’s All Over Now, Baby Blue
2.Love Minus Zero/No Limit
3.Tangled Up In Blue
4.The Water Is Wide
5.It Takes A Lot To Laugh, It Takes A Train To Cry
6.Oh, Sister
7.Hurricane
8.One More Cup Of Coffee (Valley Below)
9.Sara
10.Just Like A Woman
11.Knockin’ On Heaven’s Door
amazonで勧められるままに、ボブ・ディランのブートレグ集を買った。
といっても、オフィシャル盤。
なんだか不思議です。
高校生ぐらいの時は、ジャズの海賊盤をよく買いました。
コルトレーンのヨーロッパ録音とか、延々と演奏が続くやつね。
チャーリー・パーカーは海賊盤しか持っていなかったのだけど、後にちゃんとしたレコードを買って驚きました。
演奏も録音もすごいじゃん。
これは安物買いの銭失いの例ね。
ディランのブートレグ集、三枚のCDに収められた演奏は年代順、1961年の「Hard Times inNew York Town」から2003年の「Series of Dreams」で全58曲。
本文60ページのしっかりとした解説パンフレットが付いています。
まだ最初の方しか聴いていません。
4曲目「No More Auction Block」(1962)が聞こえると、「お!」。
そうそう、これは「風に吹かれて」の元曲ではありませんか。
ああ、そういえば14曲目「Walls of Red Wing」(1963)は高田渡さんの「系図」(1972年)がメロディを拝借してる曲だ。
さらに元歌があったような。
なんだっけな。
ブートレグ文化というのは好きじゃないんですが、こうしてオフィシャルに出てしまうようなものは録音もいいし、なかなか楽しいです。

Bob Dylan
The Bootleg Series, Vols. 1-3 :
Rare And Unreleased, 1961-1991
[FROM US]
[IMPORT]
[BOX SET]
U.S. : $39.98
価格: 4236円
(amazon.co.jp)
ディスク: 1
1. Hard Times In New York Town
2. He Was A Friend Of Mine
3. Man On The Street
4. No More Auction Block
5. House Carpenter
6. Talkin’ Bear Mountain Picnic Massacre Blues
7. Let Me Die In My Footsteps
8. Rambling, Gambling Willie
9. Talkin’ Hava Negeilah Blues
10. Quit Your Low Down Ways
11. Worried Blues
12. Kingsport Town
13. Walkin’ Down The Line
14. Walls Of Red Wing
15. Paths Of Victory
16. Talkin’ John Birch Paranoid Blues
17. Who Killed Davey Moore?
18. Only A Hobo
19. Moonshiner
20. When The Ship Comes In
21. The Times They Are A-Changin’
22. Last Thoughts On Woody Guthrie
ディスク: 2
1. Seven Curses
2. Eternal Circle
3. Suze (The Cough Song)
4. Mama, You Been On My Mind
5. Farewell, Angelina
6. Subterranean Homesick Blues
7. If You Gotta Go, Go Now (Or Else You Gotta Stay All Night)
8. Sitting On A Barbed Wire Fence
9. Like A Rolling Stone
10. It Takes A Lot To Laugh, It Takes A Train To Cry
11. I’ll Keep It With Mine
12. She’s Your Lover Now
13. I Shall Be Released
14. Santa-Fe
15. If Not For You
16. Wallflower
17. Nobody ’Cept You
18. Tangled Up In Blue
19. Call Letter Blues
20. Idiot Wind
ディスク: 3
1. If You See Her, Say Hello
2. Golden Loom
3. Catfish
4. Seven Days
5. Ye Shall Be Changed
6. Every Grain Of Sand
7. You Changed My Life
8. Need A Woman
9. Angelina
10. Someone’s Got A Hold Of My Heart
11. Tell Me
12. Lord Protect My Child
13. Foot Of Pride
14. Blind Willie McTell
15. When The Night Comes Falling From The Sky
16. Series Of Dreams
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Bob Dylan Live 1975
- 2004年1月 6日 00:00
- ボブ・ディラン
【追記】No.2
夕方仕事を抜け出してお買い物。
ついでにちょこっと夕陽を撮影する。
逆だな、夕陽が見たくて買い物に出たんだ。
静かな日常が始まったのだと実感する。
更新しました。
夕陽が好き![I Love Sunset!]

【追記】No.1
布団に潜って午前2時にすっと寝入る。
普通の人なら夜更かししたなあということなのだろうが、私の場合だと宵の口に寝コケたぐらいの感じ。
年末年始にはじけてそのまま仕事始めに突入した疲れが出たのだろう。
午前7時に目が覚める。
爽快。
も、も、もしかして真人間に生まれ変われるのかしらん?
ちょっと忙しいので、本館より蔵出しにてごめんなさいませ。
【2003年2月9日付日録】
[ウレシパモシリ共和国 / 琉球共和国]
今年に入って、「週刊金曜日」が少しリニューアルして読みやすくなった。
記事のバラエティが増えて、雑誌っぽく、有り体に言えば昔の「週刊 朝日ジャーナル」っぽくなったのだ。
今日(あは、金曜日です)届いた最新号の音楽欄は『ボブ・ディラン ライブ1975』の紹介記事でした。
幻泉館日録・元旦に出てくるCDですね。
→Bob Dylan Live 1975 (The Bootleg Series Volume 5)
(With Limited Edition Bonus DVD)

生田卍さんという人が書いているのだが、実にツボを得ていてよろしいです。
ボブ・ディランが最も油の乗っていた時期の、「ローリング・サンダー・レビュー」というツアー。
プロデュースしたのがジャック・エリオットとアレン・ギンズバーグだそうです。
様々なミュージシャンを柔軟に参加させて、即興性・演劇性を前面に出した、終始突っ込み気味の畳みかけるような疾走感。
そうそうそう。
「ハリケーン」や「ハッティ・キャロルの寂しい死」は私のお気に入りです。
「ハリケーン」は映画にもなった冤罪事件を扱ったもの。
黒人への差別に抗議して、当時のディラン様は顔を白塗りにしてステージに立っていました。
「ハッティ・キャロルの寂しい死」はあがた森魚さんの絶唱もありますが、吉田拓郎「島田準子が吉田拓郎に与えた多大なる影響」の元歌でもあります。
悲惨な人種差別を歌った曲を、徹底的に私的な恋の歌にしちゃうところが拓郎さんですな。
生田さんは「ウディ・ガスリーズ教室」と書いてますが、そうそう、ボブ・ディラン様もガスリーズ・チルドレンでありました。
音楽仲間の怪人きりぽんさん(仮名♂40代?)がドアーズのコンサートを観に美国へ旅立ってしまいました。
で、出発前にNHK人間講座で永六輔さんが「人はなぜ歌うか」ってのを始めたよと教えてくれました。
再々放送ぐらいで観るとして、「テキスト」を買ってきました。
ついでに買ったのが
保阪正康『昭和史 七つの謎』講談社文庫
松下緑『漢詩七五訳に遊ぶ 「サヨナラ」ダケガ人生カ』集英社
いやあ、楽しいものがたくさんあるので、いくら時間があっても足りない。
とりあえず眠い目をこすりながら『昭和史 七つの謎』。
第1話「日本の<文化大革命>は、なぜ起きたか?」
保阪さんは1933年(昭和8年)を契機に日本の社会状況が「文化大革命」化したと分析する。
この時期の日本の超国家主義を毛沢東の永久革命に似ていると決めつけるのは納得できないが、確かに日本全体が宗教カルトのようになったのは事実だ。
なるほどと思ったのは、こんな方向付けを行なった「犯人」、責任者である。
陸軍首脳部、つまり陸軍省が犯人であるのは論を待たない。
誰もが認めるところだろう。
それに結託した共犯者を保坂さんは1933年から約6年間の文部大臣と文部官僚であるとする。
文部大臣は、あの鳩山兄弟の祖父に始まる人々である。
歴代文部大臣
この文部大臣と文部官僚は、「教育」の名のもとに当時の日本国民から知性を封殺したのである。
陸軍だけで暴走などできなかった。
こいつらがいかんのである。
官僚は当然戦後も責任など取らずに生き延びたぞ。
民主党の党首だったお兄ちゃんは「だってお坊ちゃんなんだからしょうがない」とか開き直ってましたな。
爺さんの戦争責任とか考えたことあるんだろうか。
戦犯指定は「家」に降りかかった災難ぐらいに思ってるんじゃなかろうか。
(根拠はないすよ、私の想像です。)
いくぶんなりとも当時の文化状況を知っていたら、オウム真理教の国家ごっこも、金ちゃん国家の首領様も笑うことはできないと思うよ。
半世紀以上も前、大昔のことだから関係ない、ではありません。
間違いだらけのしょうもない「歴史教科書」を押しつけようとしている連中は、そんな文化状況の再現を狙ってるんだから。

え?、ここから金曜深夜です。
ちょっと日付足踏み。
日本というのは、不思議な国名です。
だいたい読み方がわからない。
「にほん」なのか「にっぽん」なのか。
どちらも音便が発生していて、文字の音と違います。
「にちほん」「じつぽん」はダメなんでしょうか。
「じゃぱん」「はぽん」「いるぼん」でもいいんでしょうか。
「じぱんぐ」や「やまと」なんてのもあります。
国の主人が誰なのか名乗っていないのも珍しいようです。
象徴天皇制なので、「共和国」ではありません。
形式的には立憲君主国家らしいのですが、「王国」「帝国」でもありません。
おら、ハダカで恥ずかしいだ。
保阪正康『昭和史 七つの謎』など読みながら、こんなことを考えてました。
1945年8月のポツダム宣言受諾前後、戦後日本の占領政策を巡って凄まじい駆け引きがあったのですね。
米英は、ドイツのようにある共通の常識・文化を持った文明国だとは、日本を見ていなかった。
日本にはレジスタンスが存在しなかったのだから、そう見られても仕方がないですね。
ソ連に手出しされたくないので原爆を投下したのも、黄色人種ならいいやという側面があったようです。
カナダの元首相が出した回顧録にも、そんなことが書いてありましたね。
「核兵器が用いられたのが黄色人種に対してであったのは、不幸中の幸いである」ってなことが。
でまあ、対ソ戦略の意図をもって、戦争責任が棚上げされてしまったわけです。
天皇の命令によって、連合国による占領はまったく平和に開始されました。
マッカーサーの「日本人は十二歳」という発言は、これから文明人として教育してやろうという宣言でもありました。
いや、戦争責任者、実にうまいことやりましたな。
太平洋戦争を始めたのは海軍なのに、東京裁判で絞首刑になったのは陸軍の軍人ばかりです。
東京裁判(極東国際軍事裁判)で平和に対する罪(侵略戦争の共同謀議に加わった罪)に問われた人達が、いわゆるA級戦犯。
被告の特定と量刑には、大いに疑問が残ることは確かです。
最も大きな疑問は、なぜ天皇の戦争責任が問われなかったのかということですが、これは前記占領政策のために、問わないことを前提としてしまったからですね。
保坂さんによれば、そのために海軍も免責されてしまったようです。
そして、陸軍の一部に全責任を負わせました。
ところでこのA級戦犯が収容されていたのが昔の東京拘置所、いわゆる巣鴨プリズンですね。
今はサンシャイン60が建っています。
東池袋中央公園にはその碑が残っています。
東京裁判には多くの疑問と謎が残るのだが、もし日本が戦勝国になっていたら、これほどまともな裁判を行なうことは絶対になかったことだろう。
これは推測というより、歴史的事実であります。
敗戦までの日本がどれだけ国際法なんてものを無視したか。
あるいは無知であったか。
ね。
ご存知フィリップ K. ディックに『高い城の男』という作品があります。
日独の枢軸国側が勝利したパラレル・ワールドを描いた小説です。
傑作という評判なんですが、お馬鹿なことにプロットをすっかり忘れてしまいました。
ただ、「易経」に従って行動を決定するといったような、アメリカ西海岸的東洋趣味の描写があったのを覚えています。
これがニッポンのイメージなんだよなあ。
あ、だらだらすんません、今夜ヒマなんです。
それで、歴史のれば・たらなんですが、もしあのころ、スターリンがもう少しうまく立ち回っていれば、日本の一部はソ連に占領されていたんですね。
北海道、あるいは北北海道が千島・樺太あたりと一緒にされて、日本ではない国になっていたかもしれない。
保阪さんの場合は「東日本社会主義人民共和国」と書いていますが、「東」はなかっただろうなあ。
東西ドイツ、南北ベトナム、南北朝鮮といった分断国家の悲劇を回避することができたのだから、実にうまく立ち回った(というか運が良かった)のだと思います。
その犠牲になったのが沖縄です。
実際に地上戦が行なわれ、久米島にいたっては、日本軍によって住民が虐殺されるなんていうことさえありました。
ニッポン全体が独立国家に戻った後も占領が続き、ニッポンに返還されたのは1972年です。
今もなお「象の檻」があったりするのはご存知のとおり。
こんな仕打ちを受けるより、独立国家になった方が幸せだったのではないかとも思います。
映画『ウンタマギルー』には琉球独立党という愉快な連中が出てきますね。
琉球独立党は実在の政治的党派でありました。
ヨーロッパの、ポルトガル、スペイン、カタロニア、バスク、あの辺の国境は、実に摩訶不思議ですよね。
歴史的たら・れば次第では、今沖縄が日本でなくても何の不思議もありません。
そういえば池袋に話が戻るんですが、某中華料理店の2階には台湾独立党の闘士という爺さんが潜んでいましたぞ。
あ、中東の国境の方がめちゃくちゃだ。
問題のイラク、クウェートあたりの国境って、実にいいかげんに作られたものですわな。
イスラエルにいたっては今も無茶して広げてます。
さて、それで保阪さんはソ連に占領されて東側陣営に入る幻の国家を「東日本社会主義人民共和国」と名付けましたが、私だったらそれは東日本の先住民、アイヌの共和国であってほしいですね。
名付けて「ウレシパモシリ共和国」。
どうせもうすぐ日本国憲法改正論議が首相近辺から出されることと思います。
私も憲法改正には賛成です。
第1章を削って、「ニッポン共和国憲法」と名前を変える。
ダメっすか?
ダメらしいんで、幻の琉球共和国とウレシパモシリ共和国に期待します♪
吉里吉里共和国でも、でんがなまんがな共和国でも、どってんばってん共和国でもいいぞ。
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ボブ・ディラン「時代は変わる」(1964年)
- 2003年11月24日 00:00
- ボブ・ディラン
【追記】
仕事さぼってプロフィール画像を更新してました。
ほぼコスプレ状態。
でも、今日は本当にこの格好なんです。
ぽぉっと熱っぽいまま大忙し。
車の運転をするので薬を飲んでいないのだが、充分にメスカリン・ドライブ。
くらくら発熱トリップしながら忙しく動き回った一日でありました。
緊急入院した従姉ちゃんを見舞い、その姿にちょっとびっくり。
帰宅して少し休んでから大菜園へ畑仕事に出かける。
いただきものの玉葱の苗を植えることになったので、薩摩芋を全部、里芋を一部収穫してしまう。
思ったよりも出来がよく、大仕事になってしまった。
柚子や京菜などもだいぶ採ってくる。
作業を終えた時にはもう夕陽が迫っている。
西側の谷をデジカメで撮って、これが本日の夕陽。
少しだけ「天使が降りてきそうな空」ね。
あ、収穫物の写真を撮るのを忘れてた。

夕陽が好き![I Love Sunset!]
今夜はくだらない原稿書きをしなければならない。
明日は国民の祝日の振替休日らしいが、私は非国民なので例によってお仕事。
きついぜ。
ということでまたも本館より蔵出しです。
私、トレーシー・チャップマン好きなんです。
いいだろと他人様に曲を聞かせると、トレーシー・チャップマンって女の人なんですかと、よく訊かれます。
写真を見せても、まだそういうことを言う。
無礼者?!!
声は少し野太いけど、知的な美しい女性ではありませんか。
The Official Tracy Chapman Site
【2003年2月2日付日録】
[Sinead O’Connor & Tracy Chapman]
トレーシー・チャップマンの新譜を発見して、ついでにシニード・オコナーを見つけたので発注したのだが、すぐに届いた。
この二人が揃うと思い出すのがBob Dylanのデビュー30周年記念コンサート(1992年)。
前にも書いたけど、アイルランドの丸刈り?た過激姉ちゃんがステージに立つと、観客が大ブーイングの嵐。
シニード(シネイド?)姉さんは小さい頃自分が育ったカトリック教会を批判していたのっす。
ディランのコンサートに来る人がなぜと思うほどのブーイング。
だいたい宗教難民が作った国なんだから信仰の自由が前提の国家なのに、「反キリスト教」には非常にキビシイのね。
そういう意味ではとても保守的な国民性らしいんす。
ゲストが順番にディラン様の曲を歌っていく構成だったので、シニード姉さんもそういう曲を歌うはずだったんだけど、止めます。
それで泣きじゃくりながら、ボブはボブでもBob Marley様の「WAR」をアカペラで歌って下がります。
そこで次の出を待っていた我らがトレーシーがそっとシニードの肩を抱いて慰めるですよ。
そして、ギター1本で力強く「The Times They Are A-Changin’」を歌います。
ああ、これからはトレーシー・チャップマンの時代なんだと思いました。
ディランは終わってる。
ディランを聴く層って、単なる懐メロおやぢなんだと納得した次第です。
本当に「時代は変わる」んですね。
お、それ考えると、あのニール・ヤング様のトンガリ具合いはどうだ。
すごい爺さんになったな。
ビデオではこの場面が全部見れるんだけど、CDではシニード姉さん影も形もなくなっちゃってます。
しかし、この人のスキンヘッドはかっちょいい。
"Sean-Nos Nua"はOld-Styled Newぐらいの意味だそうで、アイルランドの有名な曲のカバー集なんだそうです。
要するに「アイリッシュ・トラッド・フォーク・ソング」でありまして、アレンジが洗練されているので、日本で言えば簡単に「癒し系」というラベルが貼られることになります。
ケルトです。
いい感じで心に響いてきます。
きれいです。
でも、ちゃんと芯があるんだよ。
Sinead O’Connor "Sean-Nos Nua"
1. Peggy Gordon2. Her Mantle So Green
3. Lord Franklin
4. The Singing Bird
5. O’ro’, Se’ Do Bheatha ’Bhaile
6. Molly Malone
7. Paddy’s Lament
8. The Moorlough Shore
9. The Parting Glass
10. Ba’idi’n Fheilimi’
11. My Lagan Love
12. Lord Baker (with Christy Moore)
13. I’ll Tell me Ma
Tracy Chapman "Let it Rain"
1. Almost2. Another Sun
3. Broken
4. Goodbye
5. Happy
6. Hard Wired
7. I Am Yours
8. In the Dark
9. Let It Rain
10. Say Hallelujah
11. You’re the One
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「ボブ・ディランがやって来た」(1978年)
- 2003年11月13日 00:00
- ボブ・ディラン
【追記】-------------------------------------------------
私がナマのディランを見ることができたのは、東京国際フォーラムの柿落とし。
1997年になってからのことです。
泣き虫なんで、コンサートの途中から泣いちゃいました。
『欲望(DESIRE)』でディランは終わったと思っていたのに。
ぐーぐるしてみたら、同じコンサートに行った方の感想がありました。
1997年2月9日(日) Bob Dylan / 東京国際フォーラム
【さらに追記】
ぐっすり寝たので元気です。
皆様方、お見舞いのお言葉&御叱責ありがとうございました。
---------------------------------------------------------
『ハリーとトント』の主役を演じていた方が亡くなったそうだ。
アート・カーニーさん、享年85。
体を冷やしてしまったらしく、頭がガンガンする。
またまた本館より蔵だしで失礼。
10月28日の日録に書いたのと同じ1978年制作の「ルポルタージュにっぽん」を見た時のもの。
似たような番組なのだが、レポーターの差が出てしまい、番組の質はだいぶ違います。
レポーターだけの責任じゃないわな。
社会現象として扱ったつもりなんだろうが、実に中途半端。
もちろん、まるっきり音楽番組ではない。
当時の風景がとても懐かしい、それだけの番組になってしまっています。
[2003年5月12日付日録より]
[ボブ・ディランがやって来た]
NHKアーカイブスはルポルタージュにっぽん。
『ボブ・ディランがやって来た』
1978(昭和53年)4月15日放送分。
時々見える東京の風景が懐かしいです。
そう、私の拉致前画像のころです。
たぶんテレビを持っていなかったので、こんな番組見ていません。
しかし、NHKのセンスのなさがひどい。
ディランの音楽に関してはかなり見当はずれ。
加賀美アナが「風に吹かれて」の訳詞を朗読。
本当にヘン。
しかしまあ、もったいない番組だなあ。
村上龍のいいかげんなインタビューなんだけど、これだけ様々な人が出てくるんだから、たっぷり濃い内容の2時間番組が作れただろうに。
NHKは経費ふんだんに使えるからなあ。
元はみんな皆様の聴取料。
ディランは1978年2月羽田空港に来日。
そう、成田空港開港直前。
もっとも、3/26の開港は阻止されたんだがね、ふふ。
ディラン来日時、共同記者会見の質問、最低。
ディラン、よく怒らないものだ。
当時のディランは36歳?
オトナですな。
質問「かつてはですね、反戦歌、いわゆるプロテスト・ソングをですね、主に歌われてたと思うんですが、愛をテーマにされた心境の変化とはどういうことなんですか?」
(Dylan:They are my most beautiful love songs.)
通訳「プロテストの曲が自分が一番素晴らしい愛の歌だと思っています。」
リポーター:村上龍(26)中山ラビ……おお、ラビさん! 若い!(失礼)
「私、大真面目に音楽やってると思って惚れ直しましたけどね。」
児島鉄平(23)……誰?
「とにかく素敵だった、でも、それ以上は言いたくない。」
泉谷しげる(29)…テロップ「"ディランの子"と呼ばれる」嘘だ。
「わかんねえんだよ、とにかく。どれ聴いても、グニャグニャグニャグニャ歌っててね。もう、鼻水垂らしたような歌、歌ってるでしょ。『なんでこんなのが良いの?』って言ったわけ、俺は。」
岡本おさみ(36)……この人の感想は実に正確。
「一部の休憩があった時に、なんかそういう風に、向こうはすごく若返って……若返ろうとしてる感じを受けたのね。それで、でもお客さんはなんかちっとも若返ってないっていう。」
高橋三千綱(29)……村上龍と高橋三千綱ではディランを語れないだろ。
「ボブ・ディランってね、あんまり。聴いたけどね、今なんか反戦なんて言われてるみたいじゃない。昔言われてたの、そういう風にして聴いてたっていう記憶がないね。」
沢田研二(30)……バリバリにジュリーだったころ。
「一部はちょっと眠かったけど、二部は知ってる曲なんかも3曲ぐらいあって、結構観てよかったなと思いました。
清水哲男(40)……詩人なんだけど、FMの朝番組やってましたね。
「プロテストはプロテストなんだけれども、誰でもが、どんな立場からでも、"Yes"と言える、賛成できる歌なわけ。」
牛次郎(37)……おお、『包丁人味平』
「ボブ・ディランはどうやって終わってくれるのかと。終わりに興味があるね。」
実際は、ちょうどボブ・ディランが終わったところだったと思います。
立木義治(40)……紀信の前にメジャーのトップだった人。
「早い時間にバーンと山を散歩なさった方だから、なんかやっぱり非常に傲慢な部分は当然出てくるわけでしょ。その傲慢な部分つーのは、写真屋さんっていうか、その映像の分野の人が1番興味を持つ、まあ小説もおんなじだろうけども、欠陥人間の方がむしろ興味を、我々自身は抱くわけじゃない。」
つかこうへい(29)……あら、お若い。
「うん、嫌いでもないけどね。喫茶店のね、コーヒー飲んでる時の音楽だったらいいけどね。それ以上にしゃしゃり出られるとさ、おいおいチョット、チョットっていう感じになるけどね。」
加藤哲郎(36)……プレイボーイ編集デスク:お下品
「そうね、わりとさめる時期でしょ。ディランもさめてる。ディランがもう今ラブを歌った、平和だとか小市民的な歌をものすごく歌ってるわけじゃない。カーター大統領が選挙のコピーに使うぐらいの受け入れられ方っていうのが、キャパが違うわけだよね。」
女性:……誰?
「今度離婚するんでしょ? 女の人一人幸せにできなくて、世界は変わるとか時代は変わるとか言う資格あるのかなぁ?」
資格あるだろ、そりゃ関係ないだろ。
高石ともや(37)……福井県納田庄村にて
「ボブ・ディランとジョーン・バエズと僕と、同い年だという意識があるわけ。」
七字英輔(30)……CM雑誌編集者(今は演劇評論家?)
僕等の高校時代っていうのは、ディランはともかくとして、ギンズバーグだとか、クラークだとか、今はディランを持ち上げているナット・ヘントフとか。つまり、教典なわけですよね、我々の。」
芥正彦(32)……演劇家
「あいつはデモ行かないもの。それだけでも俺は好きだったね。」
西岡恭蔵(30)……ゾウさんだ。合掌。
「根本的なのがやっぱり、俺達はやっぱり時代とね、対決してる気分だと思うのね。それを感じていたいしね、負けたくないしね。」
秋田明大(31)……68年日大全共闘議長
村上龍はこの人に会いたかったのだということね。
「昔、なんかあることがどっかにあったっていうようなね、で、それはなんか、綺麗に見えるかもしれませんけどね、なんかどろどろした、それは人間の怨念とか何とかいうんじゃなくて、どろどろして、目茶目茶な何か……時代がどっかにあったっていうことじゃないかと思うんですけどね。」
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ゲンセンカン主人 / MASKED AND ANONYMOUS
- 2003年9月20日 00:00
- ボブ・ディラン
今更ですが、「幻泉館」の名前の由来。
もちろん、つげ義春さんのマンガ「ゲンセンカン主人」から採りました。
『ガロ』に載っているのを読んだはずですが、つげさんのマンガとの最初の出会いが「ゲンセンカン主人」でした。
すっげえ恐かったです。
今はなまくらになっちまいましたが、当時の私は痛いほど鋭い感受性を持っていたので、あれをナマで受け止めてショックを受けたのですね。
1968年、私はまだオトナたちとは別世界に暮らしておりました。
「源泉館」や「元泉館」は実際の温泉場によくある旅館の名前のようですが、最初に読んだ時はそれもわからず、「ゲンセンカン」がとても不気味でした。
ここまでは何度か書いたことなのですが、なぜ「幻泉館」なのか当の本人 σ(^_^;) もすっかり忘れておりました。
初めて「ゲンセンカン主人」を読んでから十年近く経ったころのことです。
私は東京で学生生活を送っておりました。
で、キャンパス内で「幻射圏」と書いたポスターを見掛けたのです。
読みは明らかに「ゲンシャケン」なのですが、何だかよくわかりませんでした。
これは本当は「現代社会研究会」を名乗りたかった人たちのサークルだったようです。
つまり「現社研」。
当時その大学は過激なんだか日和見なんだかよくわからない、□○派というセクトの拠点校だったので、なるべくトラブルを避けようとしてそんな字を当てたようです。
その名前は学陽書房で活躍している方が考えたのでしょうか。
「現」より「幻」の方がずっと素敵だな、と感じたのは私が夢想家だからですね。
私は何になりたかったというと、ヒマな喫茶店のマスターが理想でした。
実は今もなりたいのですが、とても食べていけそうにないので、なれないままでいます。
もちろん「ヒマな」というところがポイントであり、同時にそれがネックとなっているわけです。
忙しい喫茶店はいやじゃぁ。
夢見るだけならタダなので、いろいろ考えます。
ビルの一画もいいけれど、サラリーマンで混雑するのは味気ない。
郊外に小さい洋館仕立て、蔦をからませたいものだ。
小さなライブや、自主映画の上映もできた方がいい。
いつも「幻灯」を映しているなんてのもいいなあ。
そう、「幻射圏」の「幻」の字が焼きついてるのです。
幻射館, 幻写館……語呂が悪いなあ。
お、「幻泉館」!
マスターは「幻泉館主人」じゃん!
つまり、私の脳内に生まれた幻の喫茶店のマスターが「幻泉館主人」なのでございます。
ずっとビンボしておりましたので、私はこういうお金のかからない妄想にフケルのが好きでした。
現実からフケちゃってるんですな。
会社の名前なんてのもいろいろ考えましたよ。
いつか「未来工房 / Future Workshop」なんてのを作ろうと考えておりました。
こちらは実現しました。
今は亡き親父様が会社を起こすときに、名前をプレゼントしたのです。
いい名前だと喜んでくれたので、まあ最初にして最後の親孝行ができたと思います。
その会社、すぐになくなっちゃいましたけどね。
幻泉館本館
アマゾンに注文したCDがあっという間に届く。
映画"MASKED AND ANONYMOUS"のサントラ盤。
ボブ・ディランが出てる映画です。
ジャケット画像、右から二人目がちょび髭生やしたディラン御大。
知らねいわ、そんな映画、日本公開は未定だべ。
映画自体の評判はアメリカで散々らしい。
でも、このCDはかなりお買い得であります。
ディランの最新の演奏と、他アーティストによるカバー集。
日本代表で真心ブラザーズの歌う日本語版"My Back Pages"なんてのも入ってます。
真心ブラザーズの歌、悪くないです。
それにLimited Versionなので、もう一枚ディスクがおまけで付いていて、これが宣伝用サンプル。
サンプルといっても、曲自体は丸ごと入ってます。
昔のアルバムがremasteredで出るそうで、その宣伝です。
このおまけが、実にいいのですよ、ホントお買い得です。
ところで、「ゲンセンカン主人」というマンガも「masked and anonymous」なのだと気づいていただけましたでしょうか?

Masked And Anonymous - O.S.T. (Ltd) [FROM US] [IMPORT]
BOB DYLAN CD (2003/07/22)
U.S. 定価: $21.98
価格: ¥2,058
DISK 1
1.MY BACK PAGES / Magokoro Brothers
2.GOTTA SERVE SOMEBODY / Shirley Caesar
3.DOWN IN THE FLOOD (new version) / Bob Dylan
4.IT’S ALL OVER NOW, BABY BLUE / Grateful Dead
5.MOST OF THE TIME / Sophie Zelmani
6.ON A NIGHT LIKE THIS / Los Lobos
7.DIAMOND JOE / Bob Dylan
8.Come Una Pietra Scalciata (LIKE A ROLLING STONE) / Articolo 31
9.ONE MORE CUP OF COFFEE / Sertab
10.NON DIRLE CHE NON E COSI (If You See Her, Say Hello) / Francesco De Gregori
11.DIXIE / Bob Dylan
12.SENOR (TALES OF YANKEE POWER) / Jerry Garcia
13.COLD IRONS BOUND (new version) / Bob Dylan
14.CITY OF GOLD
DISK 2
1.ALL I REALLY WANT TO DO
(from The Bootleg Series Vol. #6, Bob Dylan Live 1964)
2.LOVE MINUS ZERO/NO LIMIT
3.STUCK INSIDE OF MOBILE WITH THE MEMPHIS BLUES AGAIN
4.TANGLED UP IN BLUE
5.GOTTA SERVE SOMEBODY
6.MOONLIGHT
7.COLD IRONS BOUND
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She once was a true love of mine.
- 2003年9月14日 00:00
- ボブ・ディラン
ジョニー・キャッシュ逝去。
享年71。
ボブ・ディランのマイベストMDを作ってずっと聴いていたので、驚いています。
"Nashville Skyline "(1969)から’Girl From The North Country’を入れたので、ジョニー・キャッシュさんの太っい声をこの数日繰り返して聴いていたのです。
私が初めて買ったディランのアルバムは、実はこの『ナッシュヴィル・スカイライン』なんです。
邪道もいいところ。
妙にきれいな声で歌うディランに、すごい低音のジョニー・キャッシュ。
「北国の少女」のリフレイン
> Remember me to one who lives there
> She once was a true love of mine
(幻泉館主人 試訳)
> そこに暮らしている人に どうかよろしく伝えておくれ
> かつて 私が本当に愛した人に
これはSimon & Garfunkelの"Scarborough Fair"とまったく同じ歌詞です。
どっちがどっちをパクったのか?
ディランの「北国の少女」の方が早いです。
1963年のアルバム"The Freewheelin’ Bob Dylan"で、素朴な弾き語りをしています。
私はこの演奏をマイベスト#1に入れて、ジョニー・キャッシュとのデュエットを#2に入れました。
つまり、大好きな曲なんです。
一方、サイモン&ガーファンクルの「スカボロー・フェア」も大好きな曲です。
きれいなハーモニーと、幻想的なギターアレンジですなあ。
え、ディランのパクリなのに好きなの?
ではなくて、元歌が同じなんですね。
googleで「北国の少女」「スカボロー・フェア」を検索してみてください。
詳細に解説しているサイトが見つかるはずです。
だから一部の歌詞が同じだけでなく、全体の内容も似ています。
元歌は『竹取物語』に出てくるような、不可能な要求を含んだナンセンスな歌詞です。
ディランの方はそれをストレートなラブソングに変えています。
胸が締めつけられるような歌です。
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My Best Dylans #2
- 2003年9月10日 00:00
- ボブ・ディラン
昼間っから昨夜の続きの趣味に走る。
いい、今日は仕事しない。
ボブ・ディランのマイベスト#2の作成であります。昨夜作ったのはいわゆる「フォークの神様」バージョンで、私が小学生の時。
今日がいよいよリアルタイムで聴けたボブ・ディラン。
ただし、私のディランは1976年の"DESIRE"『欲望』で終わっています。
ここまでをなんとか1枚に詰め込みたい。
悩んだ末に、ザ・バンドとのアルバム"THE BASEMENT TAPES"『地下室』と"BEFOER THE FLOOD"『偉大なる復活』をカットすることにしました。
私が高校生のころのディランのイメージはザ・バンドをバックに歌っているものです。
でも、今回作ったマイベスト#2ではザ・バンドの音は意外に少なくなってしまいました。
ディランのファンに怒られそうな選曲ですが、いいんです、私が聴くんだから。
アルバムは以下の通り。
John Wesley Harding (1968)
Nashville Skyline (1969)
Self Portrait (1970)
New Morning (1970)
More Bob Dylan Greatest Hits (1972)
Pat Garrett & Billy The Kid (1973)
Dylan (1973)
Planet Waves (1974)
Blood On The Tracks (1975)
Desire (1976)
第何作目のアルバムか書けないのは、昨日作成した時期の"Greatest Hits"(1967)を入れるかどうか、オフィシャルなのに幻のアルバムになった1973年の"Dylan"を入れるかどうか、なんて問題があります。
"Dylan"はコロンビアが本人に無断で勝手に出してしまったもので、納得のいかない演奏なのでもうプレスの許可が出ないようです。
以前amazon.comからテープ版を買いましたが、なんとかヤフオクでCDを見つけて入手することができました。
オーストラリアの盤でございました。
このアルバム、ディランがスタンダード曲を歌ってるんです。
"Can’t Help Falling In Love"「好きにならずにいられない」とか、"Mr. Bojangles"「ミスター・ボージャングル」をボブ・ディランが鼻歌みたいに歌ってて、私は大好きです。
1970年の『セルフ・ポートレート』もそんな曲がたくさん入ってますね。
サイモン&ガーファンクルの「ボクサー」なんかもWAVEで抽出したのですが、収まり切れずにカットしました。
あ、S&Gは『水曜の朝午前三時』でディランの「時代は変わる」やってましたね。
My Best Dylans #2 September, 2003
#1 All Along The Watchtower
#2 Girl From The North Country
#3 Lay Lady Lay
#4 All The Tired Horses
#5 If Not For You
#6 Day Of The Locusts
#7 The Man In Me
#8 I Shall Be Released
#9 Knockin’ On Heaven’s Door
#10 Can’t Help Falling in Love
#11 Mr. Bojangles
#12 Forever Young
#13 Forever Young(Cont)
#14 Wedding Song
#15 Tangled Up In Blue
#16 Hurricane
#17 One More Cup Of Coffee
#18 Oh, Sister
#19 Sara
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My Best Dylans #1
- 2003年9月 9日 00:00
- ボブ・ディラン
今夜はボブ・ディランのベスト盤を作って遊んだ。これが実に難しい。
1962年の"Bob Dylan"というアルバムから順に聴いていってチェックすると、あっという間にCD1枚分の容量を超えてしまう。
う?ん。
1967年に"Bob Dylan’s Greatest Hits"というベスト盤が出ているのだが、やはりこのあたりを目標に1枚に納めるべきか。
#1 Bob Dylan (1962)
#2 The Freewheelin’ Bob Dylan (1963)
#3 The Times They Are A-Changin’ (1964)
#4 Another Side of Bob Dylan (1964)
#5 Bringing It All Back Home (1965)
#6 Highway 61 Revisited (1965)
#7 Blonde On Blonde (1966)
#8 Bob Dylan’s Greatest Hits (1967)
日本人が持っているディランのイメージは、だいたいこの辺がメインなんだろう。
さすがに私も小学生のころなので、あまりリアルタイムでは聴いてないのね。
最初からざあっと聴いていくと、友部正人さんや吉田拓郎さんやあがた森魚さんといった人達がお手本にしていた曲がずらずら出てきます。
"The Lonesome Death Of Hattie Carroll"はあがたさんがそのまんま訳して「ハッティ・キャロルの淋しい死」として歌ってます。
おもしろいのは同じ曲を拓郎さんが「準ちゃんが吉田拓郎に与えた偉大なる影響」という題で歌ってるバージョン。
幻のアルバムとなってしまった『たくろう オン・ステージ2』でしか聴けないのですが、ちゃんと"The Lonesome Death Of Hattie Carroll"の冒頭も歌ってみせたりしてます。
ということで、削りに削って、こんなものか。
ああ、一枚目の"Bob Dylan"からの曲がなくなってしまった。
My Best Dylans #1 September, 2003
#1 Blowin’ In The Wind
#2 Girl From The North Country
#3 Masters Of War
#4 Don’t Think Twice, It’s All Right
#5 The Times They Are A-Changin’
#6 The Lonesome Death Of Hattie Carroll
#7 My Back Pages
#8 It Ain’t Me Babe
#9 Love Minus Zero/No Limit
#10 Mr. Tamborine Man
#11 Like A Rolling Stone
#12 Desolation Row
#13 I Want You
#14 Just Like A Woman
#15 Sad Eyed Lady Of The Lowlands
別の時に作れば、別の曲になるでしょう。
たとえば"Ballad in Plain D"なんていい曲だなあと今回しみじみ思いました。
明日の夜はThe Bandと一緒にやってるやつなんかで2枚目のマイベストを作るのかしらん。
昨夜は(昨夜も)なかなか寝つけなかったので、インフォシークやら楽天やらをうろうろしていた。
ふと、インフォシークプロフィールに貼った画像が少し横に広がっているのに気づいた。
どうやら元画像のサイズに関係なく、120*120で表示してしまうらしい。
元画像が極端に細いと目立つのだろうが、正方形に近いと気づかないんだろうね。
携帯電話で撮った縦長画像を送っている人は、少しおでぶに表示されているはず。
じゃあ縦横の長さが違う画像をどうやって貼ればいいかというと、これは正方形の画像に描き変えて送るしかないようだ。
試しに三十年近く前の卒業写真を加工して揚げてみました。
その旨書いておかないと嘘つきだよなあ。
まあ、いいか。
ところで先日購入した友部正人さんの復刻版CD『誰もぼくの絵を描けないだろう』ですが、ピアノで坂本龍一さんが参加しています。
オリジナルのアルバムが発売されたのは1975年。
坂本さんはまだ芸大の学生で、ライブスポットのピアノ弾きといったアルバイトに励んでいたようです。
友部さんと飲み屋で知り合って録音に参加したという話です。
そんなことはなんとなく知っていたのですが、今まで気づかなかったのは、ちゃんとジャケットに坂本さんが写っているのですね。
長髪で髭を生やした、学生時代の坂本龍一さんです。
↓ジャケット裏面:もちろん左が坂本龍一さん。

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風に吹かれて
- 2003年9月 8日 00:00
- ボブ・ディラン

NHK BS-2『「風に吹かれて」? 国境と時代を越えた替え歌 ?』
ボブ・ディランの名曲「風に吹かれて」をめぐる歴史ドキュメント。
そう、私の知らない「歴史」。
おぉ、菅野ヘッケルさん、こういう人なのか。
へえ、そうなんだ、PP&Mのヒットの方が、ディランのアルバムより早かったんだ。
知らなんだ。
敏腕プロデューサーの戦略だったそうです。
東西を壁によって隔たれたベルリンでは、あのマレーネ・デートリッヒがドイツ語訳詞で歌った。
ベトナム戦争時の韓国では、シンガーソングライター、スォ・ユソクがオリジナルの歌詞で歌った。
冷戦時、二つの分断国家で歌われた「風に吹かれて」。
濃かったですぞ。
特にパク大統領政権時に歌われた「風に吹かれて」の切実さが迫る。
なぜ「替え歌」でなければならなかったのか。
韓国がベトナムに派兵したのは知っていた。
しかし、米の金銭的な援助のことは知らなかった。
アメリカが韓国に、派兵分の米軍水準の給与を支払う。
韓国政府は、兵に韓国水準の給与しか支払わない。
差額は国家予算に回った。
「若者の血を売った」と言われる所以である。
そうだ、ディランのマイベストMDを作ろう。
と思いついたのでありました。
幻泉館 本館
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