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ボブ・ディラン自伝『クロニクルズ』 Archive

そこにはいない

DVD アイム・ノット・ゼア(I'm Not There)


ボブ・ディランの自伝『クロニクルズ(Chronicles)』をドキュメンタリー映画にすると、『ノー・ディレクション・ホーム(No Direction Home)』になります。
ドラマ仕立てにすると、『アイム・ノット・ゼア(I'm Not There)』になるのでしょう。

寝床で自宅サーバをいじりながら、『アイム・ノット・ゼア(I'm Not There)』を横目で眺めました。
これは、『クロニクルズ』を読んでいないと、あるいは『ノー・ディレクション・ホーム』を見ていないと、何がなんだかわからないでしょう。

たとえば。
ぬかるみに顔を突っ込んで倒れている少年(6人いるディランの一人)を、サーカスの出演者のような人が助けてくれます。
その人は、「ゴージャス・ジョージ」と書いた紙片を見せます。

『クロニクルズ』を読んでいれば、にやりとするところ。
読んでいなければ、すごい象徴詩のように感じるんでしょうか。
いや、わけわからないままですね。

 →幻泉館日録:CHRONICLES #33 ディランとプロレス

 →幻泉館日録:CHRONICLES #34 ディランとゴージャス・ジョージ

6人がディランを演じるということが映画の冒頭で宣言されます。
一見順不同でいろいろなエピソードが流れますが、この6人は意外に自然な感じがします。
特に初めて聞いた時は「え?」と思った黒人少年や女性のディランが、かえってディランらしく見えるのです。

デビュー前、いろいろな嘘をついて自分の伝説を作ろうとするディランを象徴しているのが、マーカス・カール・フランクリンという少年。
虚構と現実の間に生きているので、夢のような映像が混じります。
11歳のマーカス君、実に達者です。

ケイト・ブランシェットが演じるディランは、ドキュメンタリー映像のように描かれます。
ニューポートでピート・シーガーがディランの演奏中に斧を取ってケーブルを断ち切ろうとするところまで出てきます。
このディランが、本当にボブ・ディランに見えてくるんですわ。
すごいもんですなあ。

ディランの奥さん役の女優さん、よく知っている顔みたいだけど、誰だったかなあ。
と思っていたら、シャルロット・ゲンズブールさんでした。
あらまあ、懐かしい。

私には、とてもおもしろい映画です。
また見ます。
新しい発見がいろいろあることでしょう。

I'm Not There [Soundtrack]
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Chronicles Volume 2

「"コーヒーをもう1杯" Bobliotheca Dylanica」のloveminus0さんによれば、ボブディラン自伝"Chronicles"のVolume 2が、来春発売される模様。


 →「Chronicles Volume 2」


まだだいぶ先の話だけど、Volume 1の残りのメモをぼちぼちと書いておかないとな。

Bob Dylan Chronicles Vol.1

Chronicles (paperback)

Bob Dylan: Chronicles (CD)

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自由奔放な頃 #2

 ☆ 彼女は十七歳、彼は二十歳だった。
 ☆ 二人は若くて、好奇心が強く、お互いを分かつことはできなかった。

 She was seventeen, he was twenty.
 They were young, curious, and inseparable.

上はカバーの折り返しに書いてある紹介文の一部です。

祝春一番2008で大阪に出かけている間に、本が届いていました。
ボブ・ディランのアルバム"The Freewheelin' Bob Dylan"(1963)のジャケットに写っているスージー・ロトロさんの追想録です。

以前は「スーズ・ロトロ」という日本語表記をよく見かけたのでそう書いていましたが、どうも「スージー・ロトロ」の方がよさそうです。
本人がおもしろがって「Susie」を「Suze」と表記していたそうですが、発音はたぶんそのまま[su':zi:]ですよね。
これからは「スージー」で行きます。

 →A Freewheelin' Time: Greenwich Village in the Sixties

suze rotolo

Googleで検索してみたら、リンク先のloveminus0さん"コーヒーをもう一杯"がヒットしました。
さすがに早いですな。
私はぼちぼちと読んでまいります。

 →「【bobliotheca】『A Freewheelin' Time』Suze Rotolo著」

 →幻泉館日録:自由奔放な頃


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自由奔放な頃

アマゾンの洋書コーナーでボブ・ディランを検索したら、あのスーズ・ロトロさんの本がヒットしました。
表紙の写真は、アルバム"The Freewheelin' Bob Dylan"のジャケット写真より、二人がカメラに近づいているようです。

A Freewheelin' Time

"A Freewheelin' Time: Greenwich Village in the Sixties, Bob Dylan and Me"

  自由奔放な頃
  60年代のグリニッチビレッジ
  ボブ・ディランと私

画像だと副題が違いますね。

  A FREEWHEELIN' TIME
  A Memoir of Greenwich Village
  in the Sixties

「60年代グリニッチビレッジ追想録」ぐらいでしょうか。

5月13日発売予定だそうです。
こりゃ予約しないと。

 →A Freewheelin' Time: Greenwich Village in the Sixties, Bob Dylan and Me


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ひどい雨がふりそうなんだ CHRONICLES #498

千本浜 2008年2月17日

 →bobdylan.com: A Hard Rain's A-Gonna Fall


 ♪ Oh, where have you been, my blue-eyed son?
 ♪ Oh, where have you been, my darling young one?


 ♪ ああ、どこに行っていたの、青い目の我が息子よ?
 ♪ ああ、どこにいたの、愛しの息子よ?

      「激しい雨が降ってくる」中川五郎訳


 ♪ どこへいってたの、青い目のむすこ?
 ♪ どこへいってたの、わたしのかわいい坊や?

      「ひどい雨がふりそうなんだ」片桐ユズル訳


ひさしぶりに片桐ユズル&中山容訳の『ボブ・ディラン全詩 302篇』を引っ張り出して、五郎さんの訳と比べてみました。
ユズルさんの訳は極力漢字を使わずに、なおかつ「歌」に近い形になっているようです。

これは"A Hard Rain's A-Gonna Fall"の冒頭で、この曲はディランが演劇に影響を受けて書いたと挙げた歌の中で最後に並んでいます。
歌い出しの歌詞だとまるでピート・シーガーの「花はどこへいった」みたいだけれど、この後には、暗い、死の世界が描かれます。

狼に囲まれた新生児。
黒い枝からしたたる血。
血まみれのハンマーを持った男の一団。
武器を手に持つ子供たち。

第二連で描かれた死の映像が、第三連では音に変わります。

雷鳴の警告。
全世界を溺れさせる波のうねり。
百人の男が燃え上がる手で叩く太鼓。
千人のささやき。
どぶの中で亡くなった詩人の歌。
道化師の叫び声。

第三連は出会った人たちのことですが、ここでやっとほんの少し明るい言葉が出てきます。

 ♪ I met a young girl, she gave me a rainbow,

「虹」って何なんでしょう。

最後に、母親はこれからどうするのか、青い目の息子に尋ねます。
息子は、ふたたび暗い森の奥深くに行くのだと答えます。
そう、青年は荒野を目指すものなんです。


 ♪ And I'll tell it and think it and speak it and breathe it,
 ♪ And reflect it from the mountain so all souls can see it,
 ♪ Then I'll stand on the ocean until I start sinkin',
 ♪ But I'll know my song well before I start singin',
 ♪ And it's a hard, it's a hard, it's a hard, it's a hard,
 ♪ It's a hard rain's a-gonna fall.

 ♪ それでぼくはそのことを告げ、かんがえ、しゃべり、呼吸するだろう
 ♪ 山から反射させ すべての人に見えるようにしたい
 ♪ そして沈みはじめるまで海に立っていたい
 ♪ だけどうたいはじめるまえに自分の歌をよくわかるようになるだろう
 ♪ それで ひどい ひどい ひどい ひどい
 ♪ ひどい雨が降りそうなんだ

      「ひどい雨がふりそうなんだ」片桐ユズル訳


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The Freewheelin' Bob Dylan

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しがない一兵卒 CHRONICLES #497

千本浜 2008年2月17日


ディランが演劇に影響を受けて作った一連の曲として挙げている4曲目が、"Only a Pawn in Their Game"です。
「pawn」はもちろんチェスの歩兵のことで、中川五郎さんは「手先」と「一兵卒」の二種に訳し分けています。


 →bobdylan.com: Only a Pawn in Their Game


 ♪ A bullet from the back of a bush took Medgar Evers' blood.
 ♪ A finger fired the trigger to his name.
 ♪ A handle hid out in the dark
 ♪ A hand set the spark
 ♪ Two eyes took the aim
 ♪ Behind a man's brain
 ♪ But he can't be blamed
 ♪ He's only a pawn in their game.

 ♪ メドガー・エヴァーズを血まみれにしてその命を奪った
 ♪ 茂みの陰から撃たれた一発の銃弾
 ♪ 自分の銃の引き金を引いた一本の指
 ♪ 暗闇の中に隠されたままのひとつの銃床
 ♪ 火花を飛び散らせた一本の手
 ♪ 男の後頭部に狙いを定めた二つの目
 ♪ だけどそいつを責めることはできない
 ♪ そいつはやつらのゲームの中のただの手先にすぎないのだから

         「ゲームの中のただの手先」中川五郎訳


冒頭で歌われているメドガー・エヴァーズ(Medgar Evers)は実在の人物です。

----------------------------------------------
Evers
n. エヴァーズ
(1) Charles Evers (1923- ) 《米国の黒人運動指導者・政治家; Mississippi 州 Fayette の市長 (1969-81) として, 兄 Medgar の遺志を継ぎ, 黒人の生活改善・地位向上に努力し多数の支持者を得ている》
(2) `Johnny' Evers [John Joseph Evers] (1881-1947) 《Chicago Cubs などで活躍した内野手, のちに監督; 通算 .270, 538 打点, 12 本塁打; 1946 年殿堂入り; あだ名は `the Crab' `the Trojan'; ⇒→TINKER-TO-EVERS-TO-CHANCE_》
(3) Medgar (Wiley) Evers (1925-63) 《米国の黒人運動指導者; Mississippi 州の NAACP (黒人地位向上協会) の中心人物として組織の拡充強化に貢献したが暗殺された》.
----------------------------------------------

上は「リーダーズ・プラス」からの引用ですが、Charles Eversの項で「兄 Medgar」と記述されているのは変ですね。
生年の数字が正しいのなら、「弟 Medgar」だと思います。

 →ミシシッピ州NAACP代表メドガー・エヴァーズの暗殺 (1963)

ただの手先と歌われた卑怯な暗殺犯バイロン・ディラ・ベックウィズ(Byron de la Beckwith)は英雄扱いされ、裁判では事実上無罪になってしまいます。
それから三十年を経た、つまりディランが「ゲームの中のただの手先」を歌ってから一世代が過ぎた1994年に、三回目の裁判でやっと有罪判決が出ます。
終身刑のベックウィズは2001年、80歳で病死します。


 ♪ But when the shadowy sun sets on the one
 ♪ That fired the gun
 ♪ He'll see by his grave
 ♪ On the stone that remains
 ♪ Carved next to his name
 ♪ His epitaph plain:
 ♪ Only a pawn in their game.

 ♪ だけど翳った日の光が
 ♪ 銃を撃った男の上に落ちる時
 ♪ 彼は自分の墓を見ることだろう
 ♪ 墓石の上
 ♪ 自分の名前の隣に刻まれた
 ♪ 墓碑銘はたったこれだけ――
 ♪ やつらのゲームの中のしがない一兵卒


確かに鮮やかな映像が思い浮かぶ、非常に演劇的な歌詞です。


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The Times They Are A-Changin'

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デイヴィ・ムーアを殺したのは誰 CHRONICLES #496

千本浜 2008年1月31日

ディランが4曲目に挙げているのが、"Who Killed Davey Moore?"です。
ん?

あんまりなじみのないタイトルですね。

 →bobdylan.com: Who Killed Davey Moore?

 ♪ Who killed Davey Moore,
 ♪ Why an' what's the reason for?

 ♪ デイヴィ・ムーアを殺したのは誰
 ♪ どうして、どんなわけで?
 
        (中川五郎訳)

私も最近知った曲です。
正式に録音されたことのない曲で、「the bootle series」が出るまで、聴いたことがありませんでした。

うちにあるCDでは、"the bootle series volumes 1-3"と、vol.6の"LIVE 1964"に入っています。
それから、ニューポート・フォーク・フェスティバルのDVDに入りました。
たぶんディラン自身は気に入っている曲なんでしょう。
どうして正式なアルバムに入れなかったのか、不思議です。

 The Bootleg Series, Vols. 1-3 : Rare And Unreleased, 1961-1991

 The Bootleg Series, Vol. 6: Bob Dylan Live 1964 - Concert at Philharmonic Hall

 The Other Side Of The Mirror: Live at Newport Folk Fes

デイヴィ・ムーアは実在のボクサーです。
同名の世界チャンピオンもいましたね。
歌われているデイヴィ・ムーアは、1963年に試合中の打撃で昏睡状態に陥り、二日後に亡くなったそうです。

もう一人のデイヴィ・ムーアは1988年に自動車事故で亡くなりました。
ガレージのドアを開けるために車を降りたら、その車が動いて圧しつぶされたそうです。

 →Wikipedia: Davey Moore (1960s)

 →Wikipedia: Davey Moore (1980s)

60年代のデイヴィ・ムーアの死は、ボクシング是非論を巻き起こしたそうです。
"the bootle series volumes 1-3"のライナー・ノーツによれば、ムーアの死から18日経った4月12日、ニューヨーク・タウン・ホールのコンサートで、ディランはこの曲を歌いました。
新聞を読んで、すぐに曲を作ったのでしょう。
まさにトピカルソング。

ああ、ライナーに書いてありますね。
ライブ盤を作るためにせっかく録音までしたのに、その企画が流れて、そのままになってしまったそうです。
それで忘れられてしまったということですな。
当時のライブではよく歌っていたようで、聴衆の反応は良いです。

これは"Lonesome Death of Hattie Carroll"と並んでいても、何も違和感は感じませんでした。


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ハッティ・キャロルの寂しい死 CHRONICLES #495

 →I Love Sunset! > 2008 #3

千本浜 2008年1月31日

 →幻泉館日録:ボブ・ディラン Live 1964

----------------------------------------------
「これは本当にあったことなんだ」と言って、ディランは歌い出す。

 ♪ William Zanzinger killed poor Hattie Carroll

ああ、何も変わっていない。
指にダイヤモンドの指輪を付けたアメリカは、貧しい国に出かけていって、ハッティ・キャロルを殴り殺す。
子だくさんのハッティ・キャロルは毎日一所懸命下働きをして、なんとか暮らしている。
それがいきなり杖で殴り殺されてしまうのだ。
裕福なアメリカはけっして罰せられることがない。
----------------------------------------------

"It's Alright Ma (I'm Only Bleeding)"と"Mr. Tambourine Man"の後に"Lonesome Death of Hattie Carroll"が続いているのに、奇異な印象を受けました。
ここで急に具象的な歌詞になってるように思ったからです。
でも、ディランの頭の中では、一連の流れの中にある同じ傾向の曲らしいのです。

ディランにとっては、並べて挙げた題名は、同じように「演劇的」な曲なのでしょう。
差別や不正に対する率直な憤りを歌いますが、ディランは社会運動家ではありませんでした。
本人の意識はあくまでも歌い手です。
象徴的であれ、具象的であれ、物語を巧く語りたいという思いが強かったのです。
そして、物語を紡ぐ名手として見習ったのがロバート・ジョンソンなのでしょう。

『クロニクルズ』の記述からは、そんな文脈が読み取れます。


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ミスター・タンブリン・マン CHRONICLES #494

千本浜 2008年1月10日

ディランが"It's Alright Ma (I'm Only Bleeding)"に続けて挙げている"Mr. Tambourine Man"なんですが、これがまたよくわかりません。

 →bobdylan.com: Mr. Tambourine Man

リーダーズ英和を引いてみると、おもしろいことが書いてあります。

----------------------------------------------
 tambourine man
 n. 《俗》 麻薬の売人.
 [Bob Dylan の歌 'Mr. Tambourine Man' から]
----------------------------------------------

「Mr. Tambourine Man」はタンブリン奏者以外の何者でもないはずです。
少なくとも、ディランが歌うまでは。


 ♪ Hey! Mr. Tambourine Man, play a song for me,
 ♪ I'm not sleepy and there is no place I'm going to.
 ♪ Hey! Mr. Tambourine Man, play a song for me,
 ♪ In the jingle jangle morning I'll come followin' you.

 ♪ ねえ、ミスター・タンブリン・マン、ぼくのために一曲やっておくれ
 ♪ ぼくは眠くないし、行くあてもないんだ
 ♪ ねえ、ミスター・タンブリン・マン、ぼくのために一曲やっておくれ
 ♪ ジンジャカ鳴り響く朝の中、ぼくはあんたについていくよ

      (中川五郎訳「ミスター・タンブリン・マン」)

タンブリン(タンバリン)奏者に、「一曲やってくれ」と言うのも、なんだか変ですね。
音楽を聴きたいのではなくて、「ぼく」を踊らせてくれ、行動へ誘ってくれと頼んでいるのです。

 ♪ Take me on a trip upon your magic swirlin' ship
 「あんたの魔法渦巻く船に乗っけてぼくを旅に連れ出しておくれ」

 ♪ Into my own parade, cast your dancing spell my way
 「自分自身のパレードの中へと、ぼくの行く手に踊りの魔法をかけておくれ」

 ♪ Then take me disappearin' through the smoke rings of my mind
 「ぼくの心の中に浮かぶ煙の中へとぼくを消し去っておくれ」

なるほどなあ、出来合いのスラングを使ったのではなくて、ディランが作った歌によって、タンブリン奏者が麻薬の売人になってしまったわけです。
ただ、この歌に関しては、なんといってもまずThe Byrdsの演奏を思い浮かべてしまいますね。
あの12弦ギターの音が、時代の雰囲気を伝えているように感じます。

さて、"It's Alright Ma (I'm Only Bleeding)"と"Mr. Tambourine Man"が並んでいるだけなら、そんなにひっかかることはなかったのです。
なぜディランは、その後に"Lonesome Death of Hattie Carroll"を続けたのでしょうか。
言葉の象徴的用法が、違うように思うのですが。


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なんてったってアイドル

伝説は伝説。
実際に映像を見てみると、それは違うんじゃないかと思うことも多い。

 →Peter Stone Brown on Dylan at Newport

 →DYLAN GOES ELECTRIC

 →The myth of Newport '65: It wasn't Bob Dylan they were booing

1963年から1965年、ニューポート・フォーク・フェスティバルでのボブ・ディラン。
初々しい若者として登場し、熱狂的な支持を受けて偶像となり、エレクトリックサウンドで偶像を壊すディラン。

"The Other Side of The Mirror"の日本盤が出ました。
鏡の反対側。

最後の1965年は、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールでもう一つの伝説を作る、その前年です。


 ニューポート・フォーク・フェスティバル 1963~1965

CHAPTER LIST
All I Really Want To Do (7/24/1965) - afternoon workshop
[1963]
North Country Blues
With God On Our Side (with Joan Baez)
Talkin' World War III Blues
Who Killed Davey Moore?
Only A Pawn In Their Game
Blowin' In The Wind (with The Freedom Singers, Joan Baez, and Peter, Paul and Mary)
[1964]
Mr. Tambourine Man
Johnny Cash sings Don't Think Twice, It's All Right
Joan Baez sings Mary Hamilton as Bob Dylan
It Ain't Me, Babe (with Joan Baez)
With God On Our Side (with Joan Baez)
Chimes Of Freedom
[1965]
If You Gotta Go, Go Now
Love Minus Zero/No Limit
Maggie's Farm (electric)
Like A Rolling Stone (electric)
Mr. Tambourine Man
It's All Over Now, Baby Blue
Bonus Feature: Interview with director Murray Lerner


 The Bootleg Series, Vol. 4: Bob Dylan Live, 1966: The "Royal Albert Hall Concert"


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だいじょうぶだよ、ママ CHRONICLES #493

千本浜 2007年12月15日

ディランが「三文オペラ」やロバート・ジョンソンのことを書いているのは、なぜ歌を作るようになったかという説明の続きです。

 →Chapter 5: River of Ice

----------------------------------------------
In a few years' time, I'd write and sing songs like "It's Alright Ma (I'm Only Bleeding)," "Mr. Tambourine Man," "Lonesome Death of Hattie Carroll," "Who Killed Davey Moore," "Only a Pawn in Their Game," "A Hard Rain's A-Gonna Fall" and some others like that. If I hadn't gone to the Theatre de Lys and heard the ballad "Pirate Jenny," it might not have dawned on me to write them, that songs like these could be written.

僕は数年の間に"It's Alright Ma (I'm Only Bleeding)," "Mr. Tambourine Man," "Lonesome Death of Hattie Carroll," "Who Killed Davey Moore," "Only a Pawn in Their Game," "A Hard Rain's A-Gonna Fall"といったような歌を作るようになる。もしもテアトル・ドゥ・リースに行って「海賊ジェニー」を聴かなかったら、僕がそんな歌を書こうという気にはならなかっただろう。そんな歌を書けるという気にはならなかっただろう。
----------------------------------------------

さて、数曲の歌が並んでいるのですが、どんな共通点があるのでしょうか。
ディランのマニアならすらすらと説明できるのでしょうが、ぱっと見て私にはわかりません。

曲作りというより、歌詞の内容、歌の世界の問題なんでしょう。
私はディランの「廃墟の街(Desolation Row)」や「衛兵の交替(Changing of the Guards)」といった曲が好きです。
象徴的な、何を言ってるのかしらという歌詞ですね。
そういう歌と比べると、ここに挙げられた歌は、ずっと具体的なものや物語を歌っているように見えます。

演劇的……。
ホントかなあ。
1曲ずつ見ていきましょうか。

 →bobdylan.com: It's Alright, Ma (I'm Only Bleeding)

  Darkness at the break of noon
  Shadows even the silver spoon
  The handmade blade, the child's balloon
  Eclipses both the sun and moon
  To understand you know too soon
  There is no sense in trying.

  昼になったばかりだというのに闇が覆いつくし
  豊かな富に恵まれていてもそこには翳りが
  手製のナイフ、子供の風船が
  太陽も月も覆い隠す
  理解しようとする前にすぐにわかってしまう
  やってみようとしたって意味ないことさ
  
   中川五郎訳
  「だいじょうぶだよ、ママ(ぼくはぶつぶつ言っているだけ)」

わはは、十分に象徴的、何を言っているのかしら、ですな。
まさに「Dylan is Dylan」です。


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マジックハンド CHRONICLES #492

丸善の個人情報紛失事件に関して問い合わせの電話をかけようとしたのだが、まったく繋がらず。
形だけお詫びしておいて、まともに処理をしようというわけではないんじゃないだろうか。
個人情報保護法違反じゃないよという、アリバイ作り?


 →I Love Sunset! > 2007 #3

千本浜 2007年11月19日


Chapter 5: River of Ice

ジョン・ハモンドから発売前のレコードをもらってロバート・ジョンソンを初めて聴いてから三十年以上経って、ボブ・ディランはロバート・ジョンソンの映像を見ることになります。
8ミリで撮った、たった8秒間の映像。

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Some people questioned whether it was really him, but slowing the eight seconds down so it was more like eighty seconds, you can see that it really is Robert Johnson, has to be--couldn't be anyone else. He's playing with huge, spiderlike hands and they magically move over the strings of his guitar.

それが本当に彼なのか疑問を持つ人もいるのだが、その8秒を80秒に感じるほど速度を遅くすれば、それが本当にロバート・ジョンソンであることがわかる。そうでなければあんらない。他の誰かであるはずがない。彼は大きな、蜘蛛のような手で演奏していて、その手はギターの弦を上を魔法のように動く。
----------------------------------------------

パラパラと動く映像を見たことがあるような気がしたのですが、Googleで探しても見つかりません。
大きな手、長い指が、ネックの上を魔法のように動くのを、私も見たような気がするのです。
夢だったんでしょうか。

そういえば、昔うちにウルトラハンドというおもちゃがありましたっけ。
おお、任天堂だったんだ!

 →Happy Today

おお!
ウルトラマシンもありましたぞ。
うちの六畳間と八畳間をぶち抜いて、遊んだ覚えがありますわい。

私はファミコン以降の任天堂商品を買ったことがありませんが、花札やこういうおもちゃはおなじみでした。


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ブルジョア・ブルース CHRONICLES #491

プリンタの調子が悪いので、どっこいしょと机から下ろして、いろいろいじってみることにした。
そのためには、床にある程度のスペースを作らなければならない。
これが意外に大きい。

夜中に本の山を移動させる。
移動先はしかたがないので、また本の山の上。
大丈夫か?
地震が来なければ一応大丈夫。

いろいろ出てくるんですよね。

渡さんの自伝的エッセイ『バーボン・ストリート・ブルース』。
山と溪谷社さん、増刷してください。
amazonのマーケットプレイスでは、19,800円で出品されてますよ。

ウディ・ガスリー自伝『ギターをとって弦をはれ』。
あ、こんなところにあったのか。
自伝が多いな。
あ、自伝?

Bob Dylan "CHRONICLES VOLIUME ONE"も出てきましたよ。
すっかり忘れてた。
あと残り数ページとなったところで、終わっちゃうのがもったいないのでなんとなくストップしていたら、そのままどんどん山の下に沈んでいってしまったんですな。
どこまで読んだのだったかしら。

 →いい友達がいたら CHRONICLES #490

いつのまにか半年も経ってますね。
本だと286ページが終わるところ。
この本の最後のページは293ページ、4行と2語です。
最後の2語は"devil either"。

また少しずつ行きますか。
ゆっくり、ゆっくり。
もったいないから少しずつね。

亀ののろい?。


千本浜 2007年10月22日


Chapter 5: River of Ice

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Neither forlorn or hopeless or shackled--nothing hinders him. As great as the greats were, he goes one step further. You can't imagine him singing, "Washington's a bourgeois town." He wouldn't have noticed or if he did, it would have been irrelevant.

孤独でもないし、絶望もしていないし、束縛されてもいない。何もジョンソン妨げることはない。他の卓越した者たちと同様、前へ歩み続ける。「ワシントンはブルジョアの町」なんてジョンソンが歌うところは想像できない。そんなことには気づいていなかったのかもしれないし、気づいていても自分には筋違いのことだと思ったのだろう。
----------------------------------------------

ジョンソンというのは、ロバート・ジョンソンのことね。
そうそう、こういうのを調べようと思って始めたのでした。

"Washington's a bourgeois town"

どこかで聞いたような言い回しだなあ。
と思ったら、ピート・シーガーが歌ってる"BOURGEOIS BLUES"のようですね。

 →::doubleplusgood::

----------------------------------------------
Pete Seeger- Bourgeois Blues- The Essential Pete Seeger (Vanguard) written by Huddie Ledbetter "Washington's a bourgeois town"
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Bourgeois Blues: Leadbelly Legacy, Vol. 2

The Essential Pete Seeger


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ディラン

ボブ・ディランのベスト盤がまた出るらしい。
公式サイトで派手に宣伝している。
同じタイトルで、CDが一枚のものと三枚組みのものがあるのが、不思議だ。
他に[Deluxe Box Set]というのもあるんですね。

 →bobdylan.com

そうそう、さらに国内盤にするか、輸入盤にするかということもあります。
あ、日本にもアルバムの公式サイトがあったんですね。
知らなんだ。

 →DYLAN 07

[3CD+BOOK]のデラックスなやつが、楽天市場内「あめりかん・ぱい」では国内盤6,825円、輸入盤4,990円。
この違いは大きいなあ。

【Aポイント付】ボブ・ディラン Bob Dylan / DYLAN (日本盤CD)【再来週以降発売】

【Aポイント付】ボブ・ディラン Bob Dylan / Dylan (3CD + Book) (Collector's Edition) (輸入...

dylandelux.jpg

アマゾンだと輸入盤[Collector's Edition]は3,929円。
さらに安いな。
輸入盤は10月1日発売で、日本盤は10月24日発売。
だいぶ早いな。
これにするか。
ギフト券もあるし。


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いい友達がいたら CHRONICLES #490

千本浜 2007年4月14日

 →Chapter 5: River of Ice

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I just couldn't imagine how Johnson's mind could go in and out of so many places. He seems to know about everything, he even throws in Confucius--like sayings whenever it suits him.

ジョンソンの精神がどうしてそんなに数多くの場所に出入りできるのか、僕には想像できなかった。それが自分の心に合うとなれば、格言のような孔子の言葉まで挿入した。
----------------------------------------------

え?
孔子ですか……?
これはまったくわかりません。
その世界では常識なんでしょうか。

え?っと、わからないので、とりあえず"When You Got a Good Friend"だと思いこむことにします。
他に孔子が登場しそうにないので。
どなたか正解を教えてください。

 →When You Got a Good Friend Real Audio

 ♪ When you got a good friend
 ♪ that will stay right by your side
 ♪ Give her all of your spare time
 ♪ love and treat her right

 ♪ すぐそばにいてくれる
 ♪ いい友だちがいたら
 ♪ 暇な時間を全部つかって
 ♪ ちゃんと優しく愛しておやり

う?ん、全然孔子じゃないわな、やっぱり。


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草の葉 CHRONICLES #489

千本浜 2007年4月14日

 →Chapter 5: River of Ice

ロバート・ジョンソンがアイク先生から教わったのは、ギターの普通の弾き方だけだったと言う人達もいます。
当時を知る者が言っているそうなので、結局はロバート・ジョンソンの才能なんでしょうか。
レコードを繰り返し聴くことによって、学習したようです。
ディランもそうでした。

 →Phonograph Blues MP3

----------------------------------------------
John Hammond had told me that he thought Johnson had read Walt Whitman. Maybe he did, but it doesn't clear up anything.

ジョン・ハモンドは僕に、ジョンソンはウォルト・ホイットマンを読んでいたと思うと言った。そうかもしれないが、でもそれで何もかもが明らかになるわけではない。
----------------------------------------------

意外な名前が出てきました。
ホイットマンを読みふけり、何度もレコードを聴いてギターを練習しているロバート・ジョンソン。
なんだか普通すぎるような気がします。
十字路で悪魔に魂を売り渡す伝説の方が遙かにかっこいいですから。
でも、現実はそんなものなんでしょう。

 →幻泉館日録:草の葉

 →Leaves of Grass 草の葉

 →Project Gutenberg: Leaves of Grass by Walt Whitman


Leaves of Grass: The Original 1855 Edition (Dover Thrift Editions)

草の葉 (上) 草の葉 (中) 草の葉 (下)


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墓場の鬼太郎 CHRONICLES #488

千本浜 2007年4月5日

 →Chapter 5: River of Ice

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The ones who knew him told a different tale and that was that he had hung around some older blues players in rural parts of Mississippi, played harmonica, was rejected as a bothersome kid, that he went off and learned how to play guitar from a farmhand named Ike Zinnerman, a mysterious character not in any of the history books. Maybe because he didn't make records. He must have been an incredible teacher.

彼を知っていた者たちが違う話をしているが、それはこんなものだった。彼はミシシッピの田舎で年上のブルーズ・プレイヤーにまとわりついてハーモニカを吹いていたのだが、うるさいガキだと追い払われたので、不思議な人物で、どんな歴史の本にも出ていないアイク・ジナマンという名前の農場労働者からギターの引き方を教わったというのだ。たぶんレコードを作らなかったからだろう。すごい教師だったに違いない。
----------------------------------------------

確かにロバート・ジョンソンのことを書いてあるところにしか、このアイク・ジナマンという人物は登場しません。
ディランが書いている通りで、アラバマ出身の作男ということしかわかりませんな。

 →Robert Johnson, His Life, His Music, His Legacy

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Robert's earliest musical desire was to be a harmonica player, but that soon waned, and he decided he wanted to be a guitar player like Son House and Willie Brown. Robert would literally sit at their feet, studying their technique, arrangements and styles, in the rowdy juke joints. In Hazelhurst, Robert had apprenticed himself to Ike Zinnerman, a veteran guitarist from Alabama. He often spend entire weekends playing with Zinnerman, said to be an excellent guitarist, but unfortunately one of the many unrecorded bluesmen.
----------------------------------------------

お、ここにはもう少し詳しく書いてあります。

 →ブルース人名辞典

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アイク・ジナーマン(Ike Zinnerman)

シンガー/ギタリスト。戦前ミシシッピー・デルタ・ブルース。アラバマ州グレイディ出身。南部ミシシッピーのヘーズルハーストで活動し、1930?31年に、ロバート・ジョンスンにギターと"Last Fair Deal Gone Down"の原曲を教えたのではないかと言われている。夜中に墓石の上に座って練習したという言い伝えがある。録音はない。
----------------------------------------------

夜中に墓石に座って練習したというのは、いかにもロバート・ジョンソンの師匠らしい伝説です。
ああ、ゲゲゲの鬼太郎の歌が頭の中でぐるぐる回ってしまった。


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真夜中の十字路 CHRONICLES #487

千本浜 2007年4月6日

 →Chapter 5: River of Ice

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Eventually the record came out and it hit all the blues lovers like an explosion. A few researchers got transfixed on him and went looking for his past, whatever was left of it, and a few found it. Johnson recorded in the '30s, and in the 1960s there were still some folks around in the Delta who had known about him. Some even, who knew him. There'd been a fast moving story going around that he had sold his soul to the devil at a four-way crossroads at midnight and that's how he got to be so good. Well, I don't know about that.

結局そのレコードが発売されると、ブルーズ愛好者は皆熱狂的に受け入れた。ブルーズ研究家の中には、彼の歌に心を突き抜かれて、彼の過去、彼が残したものは何であれ探しに出かけ、そして少しばかりのものを見つける者も少しいた。ジョンソンは30年代に録音をしたのだが、デルタ地帯には60年代にまだ彼のことを知っている人達がいたのだ。中には直接彼を知っている者さえいた。彼は真夜中に十字路の交差点で悪魔に魂を売ったので、そうやってこんなにすごくなったのだという話が、またたく間に広まっていった。それは僕にはわからないことだが。
----------------------------------------------

有名な伝説にも触れていますね。

ジョン・ハモンドがロバート・ジョンソンを有名にするところを、ディランは目の当たりにしたわけです。
いきなり大会社から自分のレコードを出せることになって喜んでいたら、、まだ発売前のロバート・ジョンソンのレコードに衝撃を受け、そしてそのレコードが実際に熱狂的に受け入れられるところを見ていたのです。

ボブ・ディランという人は、人を引き寄せる力、そしてここぞという時にその場に居合わせる力を持っていたんですね。
運と言ってしまうと身も蓋もないのですが、それこそが紛れもなく天才であることの証なのでしょう。
ディランはとぼけていますが、ロバート・ジョンソンが魂を売った伝説の十字路が、実は見えていたのかもしれません。


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お前の脳味噌 CHRONICLES #486

千本浜 2007年3月28日

 →Chapter 5: River of Ice

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"The stuff I got'll bust your brains out," he sings. Johnson is serious, like the scorched earth. There's nothing clownish about him or his lyrics. I wanted to be like that, too.

「俺の持ってる物は、お前の脳味噌を吹き飛ばす」と、彼は歌っている。焦土となった土地のようにジョンソンは真剣だ。彼やその歌詞にはふざけたところは何もない。僕もそんなふうになりたかった。
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引用箇所は、"Stop Breakin' Down Blues"の歌詞です。
Googleで検索をしたら、おなじみのサイトがヒットしました。

 →How To Follow Bob Dylan: 1998 grammy

1998年のグラミー賞授賞式で、ディランは同じ言葉を引用したスピーチをしているのですね。

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In the words of, you know, the immortal Robert Johnson, "the stuff we got'll bust your brains out", and we tried to get that across. And this man right here, he was sort of instrumental in helping that out; I'm going to let him say a few words ... Daniel Lanois [applause].

偉大なロバート・ジョンスンの言葉みたいに「脳みそをぶちまける」ことをめざした。そしてここにいる、この男は楽器みたいにそれを助けてくれた。それじゃあここで彼にひとこと言ってもらおう。ダニエル・ラノアです
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偉大なロバート・ジョンソンの言葉というのは「Stop Breakin' Down Blues」の歌詞 "That stuff I got'll bust your brains out, baby hoo hoo, it'll make you lose your mind(おれの道具はおまえの頭をぶちこわす、訳分からずにしちまうぜ/日本盤訳詞)" からの引用と思われます。この曲はローリング・ストーンズがカバーしていることでも有名です。
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なるほど。
ディランお気に入りの言葉なんですね。
勉強になりました。


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分益小作人 CHRONICLES #485

千本浜 2007年3月21日

 →Chapter 5: River of Ice

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I copied Johnson's words down on scraps of paper so I could more closely examine the lyrics and patterns, the construction of his old-style lines and the free association that he used, the sparkling allegories, big-ass truths wrapped in the hard shell of nonsensical abstraction--themes that flew through the air with the greatest of ease. I didn't have any of these dreams or thoughts but I was going to acquire them. I thought about Johnson a lot, wondered who his audience could have been. It's hard to imagine sharecroppers or plantation field hands at hop joints, relating to songs like these. You have to wonder if Johnson was playing for an audience that only he could see, one off in the future.

僕はジョンソンの歌詞と様式をもっと綿密に調べるため、紙切れに言葉を書き写してみた。ジョンソンが使った古風な言葉とその自由な結合、きらめく寓意、途方もない抽象の固い殻の中に包まれたばかでかい真実、とてつもなく軽やかに空を飛び抜けるテーマ。僕にはそんな夢や考えはまったくなかったけれど、それを手に入れようとしていた。僕はジョンソンのことをよく考え、彼の歌を聴いた人たちは誰だったのだろうと思った。安酒場で分益小作人や農園労働者がこのような歌になじんだとは想像しにくい。彼だけに見える、未来の聴衆に向けて歌っていたのではないかと思わなければならない。
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ジョンソンの歌は、その時代に生きていなかった。
ディランはそんな思いに至るのです。
ジョンソンは数十年後のディランたちに向けて歌っていたのではないかと。
もちろんその聴衆の姿は、ジョンソンにしか見えなかったのです。

耳慣れない言葉があったので、リーダーズ英和と広辞苑のお世話になりました。
収穫物の物納による小作というのは、日本の農村でもよく行われていたものですね。

----------------------------------------------
sharecropper
n 《特に 米国南部の》分益小作人.

hopjoint《俗》
n 安サロン; アヘン窟.
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ぶんえき‐こさく【分益小作】
小作の一形態。地主と小作人と一定の比で収穫物を分配すること。日本では等分するものが多い。刈分かりわけ小作。
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新藤兼人監督の『裸の島』(1960年)という映画を思い出しました。

 →裸の島

もちろん合州国南部での小作農の有り様はだいぶ違ったことでしょうが。

 →米国の中の異国 南部の経済の変貌


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弾丸自動車 CHRONICLES #484

2007年3月21日

 →Chapter 5: River of Ice

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There's one about a Terraplane, a clunker of an automobile, probably the greatest car song. If you'd never seen a Terraplane and heard the song, you'd think it was streamlined and bullet shaped. Johnson's car song is way beyond metaphor, too.

ポンコツ自動車テラプレーンの歌もあるが、おそらく最高の自動車ソングだ。テラプレーンを一度も見たことがなくてもこの歌を聴けば、それが弾丸のような流線型だと思うことだろう。ジョンソンの自動車ソングもまた比喩を超えているのだ。
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 →Terraplane Blues

 ♪ Who been drivin' my Terraplane
 ♪ for you since I been gone

 ♪ 誰が俺らのテラプレーンを運転するんだ
 ♪ 俺らが死んだ後ずっとお前のために

「terra」はもちろん陸地のことなので、地面を走る飛行機みたいな名前の自動車なんでしょうね。
新幹線のことを、墜落する飛行機に乗っているようなものだと言った人がいたことを思い出しました。

 →Wikipedia: Terraplane

大恐慌の時代に作られた自動車なんですね。
あの「母さんは28年型」よりも少し新しくて、確かに大陸をぶっ飛ばしそうな車です。

 →母さんは28年型 CHRONICLES #296


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朝起きたら CHRONICLES #483

千本浜 2007年3月21日

 →Chapter 5: River of Ice

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Johnson conjured that up in just a few swift strokes, like nothing else--not even the great "White Christmas." Everything for Johnson is legitimate prey. There's a fishing song called "Dead Shrimp Blues" unlike anything you could expect--a screwed-up fishing song with red-blooded lines that's way beyond metaphor.

ジョンソンはすばやく数回ギターをかき鳴らすだけで、そんなことを思い出させてくれた。他の何とも違うやりかた、あの素晴らしい「ホワイトクリスマス」とも違ったやり方で。ジョンソンにとってはあらゆるものが正当な獲物だ。予想できるあらゆるものとは違う、「死んだ小エビのブルース」という魚釣りの歌がある。隠喩の域を超えた、実に勇ましい詞が出てくる、めちゃくちゃな展開の魚釣りの歌だ。
----------------------------------------------

 →Robert Johnson - Dead Shrimp Blues

 ♪ I woke up this mornin'
 ♪ and all my shrimp was dead and gone

 ♪ 朝起きたら
 ♪ 俺らの小エビが死んでいた


不思議な歌ですね。
明らかに性的な意味合いがあるのですが、しかし「小エビ」って……。
ディランは釣りの歌って言ってますが、陸釣り?

              「広辞苑第五版」
----------------------------------------------
おか‐づり【陸釣】ヲカ‥
(1)海岸・川岸など陸上から魚を釣ること。
(2)それとなく待ち伏せて人をつかまえること。特に、幇間たいこもちや芸人が客を待ち伏せてつかまえる、また、男が女を誘惑すること。人、春色辰巳園「幇間の客をつかまへるこころで、ほどよきとこに待ち合せゐるを―といふ」
----------------------------------------------

ディランは延々とロバート・ジョンソンのことを書いています。
いろいろ語りたくなるんですね。
検索していたら、鮎川誠さんのサイトにもありました。

 →rokkets.com: Talkin' bout ROBERT JOHNSON


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白いクリスマス CHRONICLES #482

 →[夕陽が好き! I Love Sunset!]
千本浜 2007年3月21日

 →Chapter 5: River of Ice

懐かしい、アイアンレンジのクリスマス!

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Just like the picture books: angels on Christmas trees, horse-drawn sleighs pushing through snowy streets, pine trees glistening with lights, wreaths strung over the downtown stores, Salvation Army band playing on the corner, choirs going from house to house caroling, fireplaces blazing, woolly scarves around your neck, church bells ringing. When December rolled around, everything slowed down, everything got silent and retrospective, snowy white, deep snow. I always thought Christmas was like that for everyone, everywhere. I couldn't imagine it not being like that forever.

まさに絵本のようだった。クリスマスツリーの天使たち、雪を押しのけて通りを進む馬橇、灯りでキラキラ輝く松の木、街の店には提げられたリース、街角で演奏する救世軍の楽団、一軒ずつキャロルを歌っていく聖歌隊、炎が燃える暖炉、首に巻かれた羊毛のマフラー、鳴り響く教会の鐘。12月がめぐってくると、深く積もった白い雪の中で、何もかもがゆっくりになり、何もかもが静かで懐古的になった。クリスマスはどこでも、誰にとってもそういうものだと思っていた。それが永遠に続くものではないなどとは、想像することができなかった。
----------------------------------------------

小さなディラン坊や。
自分が大人たちに守られていることはまだわかっていない。
キラキラと輝くクリスマスの時が、永遠に続くことに疑いなど抱かない。
ロバート・ジョンソンのほんの一言で、ディランはこんな郷愁にひたったのです。


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クリスマス・キャロル CHRONICLES #481

 →[夕陽が好き! I Love Sunset!]
千本浜 2007年3月20日

 →Chapter 5: River of Ice

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Also, all the songs had some weird personal resonance. Throwaway lines, like, "If today were Christmas Eve and tomorrow were Christmas Day," I could feel that in my bones--that particular yuletide time of the year.

また、すべての歌が不思議に個人的な部分と共鳴した。「もしも今日がクリスマスイブで明日がクリスマスなら」といったようなさりげない行にも、直感的に一年の中で特別なクリスマスの時期を感じることができた。
----------------------------------------------

「yule」はキリスト降誕祭を指すのですが、元は古代ヨーロッパの異教徒、ゲルマン人の冬至の祭りだったそうです。
英語ではちょっともったいぶった言い方なので、カードで使ったりしますね。
年賀状で「迎春」とか「謹賀新年」とか書いたりするのと似ているかな。
北欧では今もクリスマスを指してこの系統の言葉を遣うようです。

 →Wikipedia: ユール

ロバート・ジョンソンが「青くなったミルク」と歌うとディランは気持ちが悪くなります。
「クリスマス」と歌えば、ディランは幼い頃のクリスマスを思い出します。

----------------------------------------------
On the Iron Range it had been positively Dickensian.

アイアンレンジでは、クリスマスはまったくディケンズ的だった。
----------------------------------------------

お、この比喩は私にもすっとわかりますぞ。

 →Wikipedia: チャールズ・ディケンズ

 →Wikipedia: クリスマス・キャロル

 →青空文庫:クリスマス・カロル

「今日がクリスマスイブだったら」という行は"Hellhound on My Trail"にありますね。
「地獄の猟犬がつきまとう」という、ずいぶん不吉な歌詞です。

 →Robert Johnson: Hellhound on My Trail

ただいまp.284です。
残り10ページとなってしまいましたが、ディランさん、"Chronicles: Volume Two"はまだでしょうか。

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青いミルク CHRONICLES #480

千本浜 2007年3月14日

 →Chapter 5: River of Ice

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The songs were layered with a startling economy of lines. Johnson masked the presence of more than twenty men. I fixated on every song and wondered how Johnson did it. Songwriting for him was some highly sophisticated business. The compositions seemed to come right out of his mouth and not his memory, and I started meditating on the construction of the verses, seeing how different they were from Woody's.

その歌は驚くほど行が節約されていた。ジョンソンは二十人以上の人がいるのを隠していた。僕はひとつひとつの歌をじっくりと聴き、そしてジョンソンがどうやっているのかと考えた。彼にとって歌を作るのは、とても精巧な作業だった。曲はまさに彼の口から生まれるもので、記憶から生まれるのではなかった。ウディの歌とはとても違うと思いながら、その詩の構造をよく考えた。
----------------------------------------------

この部分はたぶんお手上げです。
どれだけディランが一所懸命に説明してくれても、私が聴くウディ・ガスリーやロバート・ジョンソンは、ディランの耳に聞こえる歌とはまるで違うのだろうと思います。
音楽的な部分でも、言葉の響きでも、言葉の意味でも。

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Johnson's words made my nerves quiver like piano wires. They were so elemental in meaning and feeling and gave you so much of the inside picture. It's not that you could sort out every moment carefully, because you can't. There are too many missing terms and too much dual existence. Johnson bypasses tedious descriptions that other blues writers would have written whole songs about. There's no guarantee that any of his lines either happened, were said, or even imagined. When he sings about icicles hanging on a tree it gives me the chills, or about milk turning blue...it made me nauseous and I wondered how he did that.

ジョンソンの言葉は僕の神経をピアノ線のように震わせる。言葉の意味と感情はとても根源的なものであり、心の中にとても大きな絵を描く。いくら注意してもその瞬間ごとに意味を理解することができるものではない。できるわけないのだから。見えない言葉が数多くあり、そして二重の存在があまりにも多すぎる。他のブルーズ作者なら歌全体を費やして書いていたであろうような、長たらしくて退屈な描写を、ジョンソンは迂回する。彼の詞はどれも実際に起きたことなのか、言われたことなのか、想像されたことなのかさえ、まったく保証がない。彼が樹に下がったつららを歌うと僕は寒くなったし、彼が青くなっているミルクのことを歌うと……僕は吐き気を催したのだが、どうやって彼はそんなことができるのかと思った。
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「つらら」は"Steady Rollin' Man"のことでしょうか。

 ♪ I am the man that rolls
 ♪ when icicles are hanging on the tree.

「青くなっているミルク」は、腐って黴が生えているのかしら。

 →Milkcow's Calf Blues


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幽霊 CHRONICLES #479

千本浜 2007年3月13日

 →Chapter 5: River of Ice

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I let Dave go back to his newspaper, said I'd see him later and put the acetate back in the white cardboard sleeve. It wasn't a printed cover. The only identification was written by hand on the disc itself and what it said was simply the name Robert Johnson and a listing of the songs. The record that didn't grab Dave very much had left me numb, like I'd been hit by a tranquilizer bullet. Later, at my West 4th Street apartment I put the record on again and listened to it all by myself. Didn't want to play it for anybody else.

デイヴがまた新聞に戻ったので、僕はまたねと言ってアセテート盤を白いボール紙のジャケットに戻した。それは印刷されたジャケットではなかった。それが何であるかが手書きでレコードに書いてあるだけで、ただロバート・ジョンソンの名前と歌の一覧だけが書いてあった。デイヴの心をあまりとらえなかったそのレコードだが、僕はトランキライザーのカプセルを飲んだみたいに痺れていた。後で西4番街の自分の部屋でまたレコードをかけて、独りきりで聴いた。他の誰にも聴かせたくなかった。
----------------------------------------------

デイヴの反応にディランはがっかりしたようですが、かえってそのレコードを独り占めして聴く気になったのでしょう。
まだ市販のレコードの形になっていないというのもいいですね。
いきなりメジャーの業界人になったような気分がしたのではないでしょうか。

それから数週間、ディランはロバート・ジョンソンのレコードを何度も繰り返して聴きます。
たった一度聴いただけで曲をすっかり暗記してしまうようなディランが、何度も何度も繰り返して聴いたということは、ロバート・ジョンソンからおそろしくたくさんのものをディランが吸収したということを意味します。

ディランは椅子に腰を下ろし、レコードプレイヤーを見つめて、同じレコードを繰り返して聴いています。

----------------------------------------------
Whenever I did, it felt like a ghost had come into the room, a fearsome apparition.

こうしているといつも、恐ろしい幽霊が部屋に現れたように感じた。
----------------------------------------------

悪魔と取り引きしたという伝説のあるロバート・ジョンソンの幽霊は、やはり恐ろしかったようです。


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ニュースの生き地獄 CHRONICLES #478

千本浜 2007年3月6日

 →Chapter 5: River of Ice

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I wasn't that comfortable with all the psycho polemic babble. It wasn't my particular feast of food. Even the current news made me nervous. I liked old news better. All the new news was bad. It was good that it didn't have to be in your face all day. Twenty-four-hour news coverage would have been a living hell.

あの変質者みたいな論争好きの連中が、ぺちゃくちゃやらかすおしゃべりが、僕は得意ではなかった。とりわけ嬉しいというものではなかった。最新のニュースにも不安になった。僕は古いニュースの方が好きだった。すべての新しいニュースは、悪いものだった。一日中そんなものに顔を突き合わせる必要がないというのは良いことだった。二十四時間のニュース報道なんてものがあったら、生き地獄だったろう。
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わかる気がします。
今は二十四時間のニュース報道があります。
たぶんディランの言っていることとはまったく違うのでしょうが、生き地獄に陥った気分です。


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敗因と

右翼の言い分

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大統領候補 CHRONICLES #477

 →[夕陽が好き! I Love Sunset!]
千本浜 2007年3月6日

 →Chapter 5: River of Ice

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Dave thought Johnson was okay, that the guy was powerful but that it was all derivative. There was no point in arguing with Dave, not intellectually anyway. I had a primitive way of looking at things and I liked country fair politics. My favorite politician was Arizona Senator Barry Goldwater, who reminded me of Tom Mix, and there wasn't any way to explain that to anybody.

ジョンソンは良いし力があるけれど、どれも独創的ではないと、デイヴは思ったのだ。デイヴと論争してもまったく意味がない。どのみち知的論争においては。僕はものごとの見方が素朴だったので、田舎の品評会に出てくるような政治家が好きだった。お気に入りの政治家はトム・ミックスを思い出すような、アリゾナ州選出の上院議員バリー・ゴールドウォーターだったが、誰にもそれは説明できなかった。
----------------------------------------------

 →Wikipedia: Tom Mix

 →Tom Mix

トム・ミックスを知らなかったのですが、20世紀前半の映画スターだったんですね。
何か物腰が似ているのでしょうか。
ゴールドウォーターがカウボーイっぽいのかしら。

バリー・ゴールドウォーターは、この後、1964年の大統領選挙で民主党ジョンソン大統領の対立候補になった共和党の上院議員です。

 →Wikipedia: バリー・ゴールドウォーター

ゴールドウォーターは公民権法に反対したことでジョンソン側に人種差別主義者というレッテルを貼られ、非常に悪いイメージを持たされてしまいます。
実際反共主義者でマッカーシーにも近かったのですが、ところがあのケネディとも非常に仲が良かったというのだから、よくわかりません。

人種差別には非常に敏感なディランが、少なくとも60年代初めにはゴールドウォーターが大のお気に入りだったというのは、実に意外です。

あ、なるほど、反共だけど、アリゾナ州でのNAACP(全米有色人種地位向上協会)設立メンバーで、人種差別には反対していたんですね。
それならディランの言ってることも、わからんでもないな。
映画『ジャイアンツ(Giant)』のロック・ハドソンみたいな感じかな。


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魚釣りブルース CHRONICLES #476

千本浜 2007年2月27日

 →Chapter 5: River of Ice

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Johnson's voice and guitar were ringing the room and I was mixed up in it. Didn't see how anybody couldn't be. But Dave wasn't.

ジョンソンの声とギターが部屋を鳴り響かせ、僕はその中に浸った。それに浸らない者なんているはずがなかった。でも、デイヴは浸らなかった。
----------------------------------------------

ディランはロバート・ジョンソンのギターと歌に酔いしれたのですが、デイヴ・ヴァン・ロンクはそうでもなかったようです。
ジョンソンはそれほど独創的ではなくて、元歌は何であるといったようなことを指摘し続けます。

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I knew what he meant, but I thought just the opposite. I thought Johnson was as original as could be, didn't think him or his songs could be compared to anything. Dave later played some sides by Leroy Carr and Skip James and Henry Thomas, and said, "See what I mean?" I did see what he meant, but Woody had taken a lot of old Carter Family songs and put his own spin on them, too, so I didn't think much of whatever it meant.

デイヴの言いたいことはわかったが、僕はその正反対だと思った。ジョンソンはこの上もなく独創的で、彼や彼の歌に比肩できるものなどいないと思った。デイヴはその後でリロイ・カーとスキップ・ジェイムズとヘンリー・トーマスのレコードをかけて、「俺の言いたいことがわかるだろ?」と言った。言いたいことはわかるけれど、でもウディだってカーター・ファミリーの歌をたくさん採り上げて、独特の解釈をしていたのだから、デイヴの言いたいことをあまり重視しなかった。
----------------------------------------------

このあたりのことは、高田渡という良い例が身近にありますね。
渡さんの歌の元歌が何であるかわかると、とても嬉しいものですが、でも高田渡の世界が独創的なものであったことは確かです。

人が歌う歌というものは、元々そういうところが多いのではないでしょうか。
昨今の若者向け流行歌の「パクリ」とは違うように思います。
あれは金儲けですから。

 →Wikipedia: Leroy Carr

 →Skip James 解説

 →Nehemiah Curtis "Skip" James - Delta School

 →YouTube - Skip James sings "Crow Jane"

 →Wikipedia: Henry Thomas (blues musician)

 →Henry Thomas - Complete Recorded Works



ブルース・ビフォア・サンライズ
ソウル・オブ・マン
ブラック・ミュージックの伝統~ブルース、ブギ&ビート篇


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クロスロード CHRONICLES #475

千本浜 2007年2月13日

 →Chapter 5: River of Ice

----------------------------------------------
I immediately differentiated between him and anyone else I had ever heard. The songs weren't customary blues songs. They were perfected pieces--each song contained four or five verses, every couplet intertwined with the next but in no obvious way. They were so utterly fluid. At first they went by quick, too quick to even get. They jumped all over the place in range and subject matter, short punchy verses that resulted in some panoramic story--fires of mankind blasting off the surface of this spinning piece of plastic.

僕は即座に、彼が今までに聴いた他の誰とも違うということがわかった。その歌はおなじみのブルーズではなかった。完璧な曲だった。歌はどれも4節から5節で成り立っていて、対句になっている二行連句がその次の二行連句と編み合わさっているのだが、単純な形で絡んでいるわけではない。まったく優美でなめらかなのだ。最初は素速く過ぎ去る。聴き取れないほど素速く過ぎ去る。それからその世界は大きく飛躍し、次々と光景を繰り広げるようなパンチの効いた言葉が、主題となる。回転するこのプラスチック板の表面から、人間の炎が吹き出してくる。
----------------------------------------------

ディランの言葉がすごいですね。
これを聴いて、髪が逆立ったのです。
ギターの演奏で窓が割れそうになり、歌い出すと「ゼウスの頭から完全武装して生まれてきた奴のようだった」というのは、こういうことだったのです。
詩的な表現をきちんと説明してくれるところが、ディランの散文なんですな。
おもしろうございます。

この後に曲名を3つ並べています。

"Kind Hearted Woman," "Traveling Riverside Blues," "Come On in My Kitchen."

ディランのお気に入りの三曲なんでしょう。

 →Wikipedia: Kind Hearted Woman

 →Kindhearted Woman Blues (take 1) Real Audio

 →Wikipedia: Traveling Riverside Blues

 →Come on in My Kitchen (take 1) Real Audio

 →映画 クロスロード

 
Complete Recordings  クロスロード

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頭山 CHRONICLES #474

 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]
千本浜 2007年2月20日

 →Chapter 5: River of Ice

----------------------------------------------
The stabbing sounds from the guitar could almost break a window. When Johnson started singing, he seemed like a guy who could have sprung from the head of Zeus in full armor.

ギターから出る突き刺すような音で、窓が割れそうだった。ジョンソンが歌い始めると、ゼウスの頭から完全武装して生まれてきた奴のようだった。
----------------------------------------------

なんだかよくわからない比喩です。
ロバート・ジョンソンの歌がすごいということらしいんですが、さて、ゼウスの頭から生まれたとは?

 →†オリュンポス神々の伝説†

アテナのことのようですね。
戦いと知恵の女神と書いてありますが、リーダーズ英和では「知恵・芸術・戦術の女神」となっています。
ということは、芸術の女神みたいに感じられたということでしょうか。

しかし、身ごもった母親ごと食べちゃったら頭から生まれてきたとは、すさまじいですなあ。
宿主を間違えた寄生虫みたいです。
鯖を生で食べたらいけませんよ、アニサキスが暴れるから。

 →Wikipedia: アニサキス

そうそう、落語で「頭山」というのがありました。
サクランボの種まで食べてしまったら頭から桜の木が生えてきて、みんなで花見をしたりするというお話です。

おお!
この咄をアニメ映画にしてしまった人がいるんですね。
すごいなあ。
どうやったんだろう。

 →Yamamura Animation's page

ここで動画が少し見れますね。
なるほどなぁ。

 →平成14年度文化庁メディア芸術祭 最優秀賞 頭山


BlogPet  「頭山」山村浩二作品集
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逆髪 CHRONICLES #473

千本浜 2007年2月13日

 →Chapter 5: River of Ice

----------------------------------------------
Dave looked up, peering at me over a pair of horn-rimmed glasses. I had the thick acetate of the Robert Johnson record in my hands and I asked Van Ronk if he ever heard of him. Dave said, nope, he hadn't, and I put it on the record player so we could listen to it. From the first note the vibrations from the loudspeaker made my hair stand up.

デイヴは顔を上げて、ホーンフレームのメガネ越しに僕をじっと見た。僕は手にぶ厚いアセテートでできたロバート・ジョンソンのレコードを手に持って、聴いたことがあるかとヴァン・ロンクに尋ねた。デイヴが一度も聴いたことがないと答えたので、聴けるようにレコードプレイヤーにそれを載せた。拡声器からの振動の、その最初の音から、僕の髪の毛は逆立った
----------------------------------------------

ホーン(角)フレームのメガネというのは、べっ甲みたいに見えるやつですね。
楽天市場で検索すると、「絶滅危惧種バイソンの角で出来たメガネフレーム」というのがヒットしまして、89,250円(悪税込・送料別)だそうです。

もっとも、プラスチック製でも外見が似せてあれば「ホーンフレーム」と呼ぶようです。
ヴァン・ロンクのメガネが本物の角だったのかどうかはわかりません。

  

もちろんディランの髪の毛は静電気で逆立ったのではありません。
霊界アンテナならぬ、音楽アンテナがビビビと反応したんですな。
そういえば、当時のディランって、寝癖がすごそう。

歌舞伎十八番の内「毛抜」では、天井裏に潜んだ忍者が、磁石を使って鉄の簪を吸い寄せ、姫の髪の毛を逆立てます。
そんなアホな。

 →壽 初春大歌舞伎

この、髪が逆立つという奇病は、謡曲の『蝉丸』にも登場します。

 →松岡正剛の千夜千冊『日本架空伝承人名事典』

私は小さな頃、百人一首の絵札の中で妙に蝉丸がお気に入りでした。
異形というところが良かったのでしょうか。
長じて、フィクションとはいえ蝉丸には逆髪という、さらに異形の姉がいたと知って驚きました。

70年代末の日本には、DEPというゼリー状の整髪料で髪を逆立てる若者が出現しました。
蝉丸姉の逆髪には歴史から消される者の怒りや憤りが象徴されていたようですが、あの頭髪は何だったんでしょうか。

 


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ネヴァダの核実験 CHRONICLES #472

 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]
ES屋上駐車場 2007年2月4日

 →Chapter 5: River of Ice

ディランが部屋に入ると、デイヴはデイリー・ニューズ(the Daily News)を読んでいました。

「Daily News」で検索すると、世界の様々な新聞がヒットします。
もちろんデイヴが読んでいたのは、ニューヨーク・デイリー・ニューズ紙でしょうね。

 →New York Daily News

リーダーズ英和の「Daily News」だと、カリフォルニア州の新聞が最初に来ます。
これかな。

 →LA Daily News

他のデイリー・ニューズ、たとえばこんなものです。
NHKや毎日新聞もヒットします。

 →Daily News 南アフリカ

 →The Daily News カナダ

 →Dailynews タイ

テリがパンプディングを作っていて、デイヴが新聞を読んでいる。
平和な風景ですが、紙面には暗いニュースが載っています。
合州国政府が、ネヴァダで核実験を行いました。
ロシア人たちも国中で核実験をしていました。
ミシシッピ州では、ジェイムズ・メレディスという黒人学生が州立大学の教室に入れないように妨害されました。

核兵器と人種差別に関する報道。
ディランの関心領域がよくわかります。
ディランは人種差別に敏感ですね。

 →Wikipedia: James Meredith

 →メレディス事件

 →ミシシッピ大学初の黒人学生ジェイムズ・メレディスの転入にともなう暴動(1962)

メレディスの闘いは、この後も続きます。

 →ジェイムズ・メレディスの「恐怖への行進」(1966)

核実験の方は広瀬隆さんの『ジョン・ウェインはなぜ死んだか』を思い出します。
ジョン・ウェイン、ゲイリー・クーパー、ロバート・テイラー、スティーブ・マックィーン、ヘンリ・フォンダ。
ハリウッドの大物俳優が癌で亡くなっているのは、核実験のせいではないかという検証です。
今は古本でないと手に入らないようですね。
核実験に参加させられた兵士たちを描いたローゼンバーグの『アトミックソルジャー』も入手できません。
残念です。

 →Wikipedia: ネバダ核実験場


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バナナブレッドのプディング CHRONICLES #471

千本浜 2007年1月29日


 →Chapter 5: River of Ice

契約書にサインをすると、早速初仕事の打ち合わせです。

----------------------------------------------
John picked out a date on the calendar for me to come back and start recording, what studio to come to and all that, and I left high as a kite, took the subway back downtown and raced over to Van Ronk's apartment.

ジョンはカレンダーを見て、僕がまた来てレコーディングを始める日を選び、どんなスタジオに行くとかいったことを決めた。それから僕は凧みたいに舞い上がって地下鉄で街に戻り、ヴァン・ロンクのアパートまで走った。
----------------------------------------------

若いディランの高揚した感情が伝わってきます。
もちろん、走らずにはいられなかったんですね。

ヴァン・ロンクのアパートの描写が、とても具体的です。
テリがパンプディングを作っています。
小さな台所にちらかった食材。
フランスパン、レーズン、バニラ、卵。
その時目にしたものが書いてあります。

テリは鍋の底にマーガリンを塗って、砂糖が溶けるのを待っています。
ディランきっとその香りも覚えていることでしょう。
生涯で最高のひとときだったのかもしれません。

パンプディングなんですねえ。
「プリン」なんですけど、穀類ベースの方のプディングですね。
そういえば私は以前痛風だったんですけど、「プリン質」の多い食べ物はダメと言われてました。
あれは尿酸化合物の原質の「purine」です。

              「リーダーズ英和」
----------------------------------------------
pudding
n
1a プディング《1) 牛乳と卵を混ぜて蒸すなどしたデザート 2) 穀類をベースに蒸したり焼いたりした食べ物; Yorkshire pudding など 3) スエット (suet) と小麦粉をこねたものに肉などを包んで蒸したもの》.
・The proof of the pudding is in the eating. 《諺》 実際に試さなければ真価はわからない, `論より証拠'.
----------------------------------------------

 →パンプディング レシピ 61品

ん、夜中におなかがすいてきました。
明日はのんびりできるかな。
「バナナブレッドのプディング」に挑戦してみようかしら。

BlogPet バナナブレッドのプディング バナナブレッドのプディング

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悪魔の十字路 CHRONICLES #470

千本浜 2007年1月23日

 →Chapter 5: River of Ice

コロンビアとの契約書にサインをした日、ジョン・ハモンドがディランに手渡したレコードの一枚は、ディランがラジオでよく聴いていたおなじみのミュージシャンが演奏するカントリー音楽でした。
もう一枚は、知らない名前でした。

----------------------------------------------
But I'd never heard of Robert Johnson, never heard the name, never seen it on any of the compilation blues records. Hammond said I should listen to it, that this guy could "whip anybody."

でも、ロバート・ジョンソンの噂を聞いたことは一度なかった。その名前は一度も聞いたことはなかったし、どんなブルーズの寄せ集めレコードにもその名前を見たことがなかった。ハモンドはこれを聴くべきだと言った。こいつは「誰にでも勝つ」と。
----------------------------------------------

あちこちでレコードを聴きまくって暗記していたディランが、初めて出会った名前です。
ジャケットにするという絵も見せてもらいました。

ロバート・ジョンソン。

そう、悪魔と契約したという伝説のあるミュージシャンです。
ディランはその師匠に当たるロニー・ジョンソンから奏法を教わったという話が、以前出てきました。

 →魂を売ったギタリスト CHRONICLES #213

なんといっても、石塚公昭さんの人形を思い出します。

 →十字路に立つロバートジョンソン

 →すべてはクロスロードから始まった

ジョン・ハモンドはロバート・ジョンソンを例の「黒人霊歌からスウィングまで(Sprituals to Swing)」コンサートに出演させようとしていたのですが、当のジョンソンは既に謎の死を遂げていました。
そこで残っていた録音の版権をすべて押さえたのだそうです。
それをコロンビアから発売しようとしていたところだったんですね。
今ではそのすべての録音、全29曲(41テイク)のCDセットが出ています。

BlogPet コンプリート・レコーディングス
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王様のお土産 CHRONICLES #469

千本浜 2007年1月16日

 →Chapter 5: River of Ice

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John Hammond put a contract down in front of me--the standard one they gave to any new artist. He said, "Do you know what this is?" I looked at the top page which said, Columbia Records, and said, "Where do I sign?" Hammond showed me where and I wrote my name down with a steady hand. I trusted him. Who wouldn't? There were maybe a thousand kings in the world and he was one of them.

ジョン・ハモンドは僕の前に契約書を置いた。どの新人にも渡す、標準的な契約書だった。彼は「これが何だかわかるか」と言った。最初のページを見るとコロンビア・レコードと書いてあり、僕は「どこにサインするんですか」と言った。ハモンドがその箇所を教え、僕はしっかりと自分の名前を書いた。僕は彼を信頼していた。信じない者がいるだろうか? 世界にはたぶん千人ぐらい王様がいて、彼はその中の一人なのだ。
----------------------------------------------

出ました。
おなじみのフレーズです。
本当にそう思っているのでしょう。

コロンビアとの契約書にサインをすると、帰る前にディランは2枚のレコードを渡されます。
ディランが興味を持つかもしれないと、ハモンドが思ったレコードで、まだ一般に売り出す前のものです。

当時コロンビアは30年代から40年代の中堅レーベルを買収し、その中からレコードを再発売しようとしていました。
「Brunswick, Okeh, Vocalion, ARC」という名前が挙がっています。

 →Brunswick Records

 →Wikipedia: Okeh Records

 →Wikipedia: Vocalion Records

 →Brunswick and Vocalion

ARCは聞いたことがあるぞと思ったのですが、1976年にできたということなので、これは違いますね。

 →ARC Music

こちらのことだと思います。

 →Wikipedia: American Record Corporation

もらったレコードの一枚は、デルモア・ブラザーズとウェイン・レイニーが一緒にやっているものでした。
ディランはラジオで聴いて好きな人たちだったと書いていますが、さっぱりわかりません。

 →The Delmore Brothers

ウェイン・レイニーを検索すると、1960年生まれのレーサーばかりヒットしてしまいます。
こちらでしょうね。

 →Hillbilly-Music.com - Wayne Raney

契約の時にもらったレコードの一枚は、カントリー・ミュージックだったようです。


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父と子と CHRONICLES #468

 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]
千本浜 2007年1月23日

 →Chapter 5: River of Ice

アメリカに存在する「本物の貴族」であるジョン・ハモンドは、自分の好きなものを好きなやり方で扱うことができました。

----------------------------------------------
Now he was bringing me to the Columbia Records label--the center of the labyrinth. The folk labels had all turned me down. That was okay now. I was glad about it.

今、彼が僕をコロンビア・レコードのレーベルに、迷宮の中心に連れて行こうとしていた。フォークのレーベルはどこも僕を断った。今はそれで良かったのだ。断られていたのが嬉しかった。
----------------------------------------------

なるほど。
民俗学の研究対象となるような曲をレコード化しているような専門レーベルでデビューしていたら、ボブ・ディランは存在しません。
人生は何が幸いするかわからないものですな。

----------------------------------------------
I gazed around Mr. Hammond's office and saw a picture of a friend of mine, John Hammond Jr. John, or Jeep as we knew him on MacDougal Street, was about my age, a blues guitar player and singer.

ハモンド氏の事務所を見回すと、友人のジョン・ハモンドJr.が写っている写真があった。マクドゥーガル街ではジープという名で知られている、僕と同じぐらいの年齢のブルーズギター奏者兼歌手だ。
----------------------------------------------

マクドゥーガル街という名を以前どこかで見かけました。
それは、あの「ガス灯」があるところです。

            「リーダーズ英和」
----------------------------------------------
MacDougal Alley
n. マクドゥーガル横丁 《New York 市 Manhattan の Washington Square の北にある美しい横丁; かつては厩舎や召使たちの住居があった; 1900 年代の初期, ここに女性彫刻家の Gertrude Vanderbilt Whitney がかつての馬屋でギャラリーを開き, これが Whitney 美術館の前身となった》.
----------------------------------------------

 →John Paul Hammond discography

ディランはとても驚いたそうです。
ヴァンダービルト一族の末裔で「本物の貴族」だと思っているような人物に声をかけられて、大レコード会社と契約することになったら、それが友人の父親だったんですから。

もちろんこの契約に、ディランと息子が知り合いであることは関係ありません。
ジュニア君自身も、父親のことはまったく言わずに活動していたそうです。
誰も「ジープ」が有名なジョン・ハモンドの息子だとは知らなかったということです。
本名だとばれるから、「ジープ」を名乗っていたのかもしれませんね。


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王様と私 CHRONICLES #467

千本浜 2007年1月16日

 →Chapter 5: River of Ice

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Hammond was a music man through and through. He spoke rapidly--short, cut phrases--and was edgy. He talked the same language as me, knew everything about the music he liked, all the artists he had recorded.

ハモンドは徹頭徹尾音楽人だった。短い言い回しを遣い、早口で話をし、ピリピリとしていた。僕と同じような言葉を遣った。好きな音楽のこと、自分がレコーディングをした演奏家のことは何でも知っていた。
----------------------------------------------

こと音楽に関しては、本質的なことをズバリと話したのでしょう。
本物同士の会話ですね。
だらだらと何年もこんなこと書いてるようなアタシとは大違いです。
"through and through"という言い回しがいいですね。
首尾一貫。
これもまたぐずぐずうだうだと蛇行しているアタシとは大違い。

『クロニクルズ』の最初の方に、ジョン・ハモンドは本物のアメリカの貴族だといった言い回しが出てきました。
その時にはてなと思ったのですが、また出てきます。

ハモンドはあまりお金に関心を持っていませんでした。
それは貴族だからだというのです。

----------------------------------------------
One of his forebears, Cornelius Vanderbilt, had stated somewhere, "Money? What do I care about money? H'ain't I got the power!"

彼の先祖の一人、コーネリアス・ヴァンダービルトがどこかでこう言ったことがある。「金? どうしてわしが金の心配などするんだ? わしにゃ権力がじゃないか!」
----------------------------------------------

「h'ain't」は「ain't」の古い形あるいは方言だそうなので、ちょっと大仰に訳してみました。
コーネリアス・ヴァンダービルトは伝説的な人物なんですね。
リーダーズ英和にも載っています。

----------------------------------------------
Vanderbilt
ヴァンダービルト 《海運・鉄道王 Cornelius Vanderbilt (1794-1877) を祖とし, その長男 William Henry によって継承された米国の財閥の家系》.
----------------------------------------------

そういえば、広瀬隆さんの本で読んだような気もします。
泥棒貴族という言い方もできるでしょう。
ディランは南北戦争時代の歴史物などが大好きなようなので、特にそのあたりには詳しいのではないでしょうか。

ジョン・ハモンドは、そのヴァンダービルト一族なんですね。


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黒人霊歌からスウィングまで CHRONICLES #466

千本浜 2007年1月9日

 →Chapter 5: River of Ice

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My whole life was now about to be derailed. It seemed like eons ago since I'd been in Flo Castner's brother's apartment in southeast Minneapolis listening to the Spirituals to Swing album and the Woody Guthrie songs. Now, incredulously, I was sitting in the office of the man responsible for the Spirituals to Swing album and he was signing me to Columbia Records.

今や僕の人生全体がひっくりかえりそうになっていた。ミネアポリス南東部にあったフロー・キャスナーのお兄さんのアパートまで行って、『黒人霊歌からスウィングまで』というアルバムやウディ・ガスリーの歌を聴いたのは、もうずっと遠い昔のことのようだった。信じがたいことに、僕は今その『黒人霊歌からスウィングまで』を制作した人のオフィスに腰をおろしていて、そしてその人が僕にコロンビア・レコードと契約させようとしているのだ。
----------------------------------------------

フロー・キャスナーや、そのお兄さんのことはすっかり忘れていました。
半年ほど前に読んだところです。
ウディ・ガスリーを教えてくれた、大恩人みたいな兄妹でした。

 →黒衣の女 CHRONICLES #393

 →ジョイスの眼鏡 CHRONICLES #394

 →わが心のふるさと CHRONICLES #395

 →From Spirituals to Swing: Carnegie Hall Concerts, 1938-1939

"From Spirituals to Swing"が正しいアルバム名のようですが、歴史的コンサート、歴史的名盤なんでしょうね。
Wikipediaにも記述がありました。

 →Wikipedia: From Spirituals to Swing

このアルバム、楽天市場では扱っていませんが、amazonでは3枚組の輸入盤が 7,380円(悪税込)でした。
中古(マーケットプレイス)も出品されていて、こちらは 4,912円(悪税込)からありました。

 →From Spirituals To Swing

ディランはいきなり憧れの世界に入れと言われたのです。
その時の驚きが伝わってきますね。


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際だったスタイル CHRONICLES #465

千本浜 2007年1月9日

 →Chapter 5: River of Ice

キャロリンのアパートで大物プロデューサー、ジョン・ハモンドと会った後、ディランの周辺事情は急激に変化していきます。
大津波(tidal wave)が起きたみたいだったと、ディランは書いています。

このころ、ディランは「ゲルデ・フォーク・シティ(Gerde's Folk City)」に出演しました。
懐かしいですね。
2年ほど前にこのあたりの記述を読みました。
おっと、読み方は「ガーディース」だと教えていただきましたっけ。

 →CHRONICLES #67 エヴァ・ガードナー

 →CHRONICLES #70 カミーラのパーティ

当時フォーク・シティはアメリカ随一のフォーククラブだったそうです。
ディランはここに、グリーン・ブライアー・ボーイズの前座で出ます。
そのコンサートの評が「ニューヨーク・タイムズ」に載りました。
そこでディランが絶賛されていたのです。

このロバート・シェルトン(Robert Shelton)が書いた記事は、以前調べたことがあります。

 →BOB DYLAN: A DISTINCTIVE STYLIST, The New York Times, Sep 29, 1961

 →今日をこえて CHRONICLES #135

この記事が載ったのは、キャロリンのレコーディングの前日でした。
ハモンドはレコーディングの当日、この記事を読みました。

----------------------------------------------
The sessions went well and as everyone was packing up and leaving, Hammond asked me to come into the control booth and told me that he'd like me to record for Columbia Records. I said that, yeah, I would like to do that.

セッションはうまくいき、みんなが荷物をまとめて出て行こうとしていると、ハモンドは僕をコントロールブースに呼んで、コロンビアから僕のレコードを出したいと言った。僕は、はい、そうしたいですと言った。
----------------------------------------------

ただいまp.279です。


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転機 CHRONICLES #464

 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]
千本浜 2007年1月9日

トマス・ピンチョンの名前が出てきたので、PENGUIN CLASSICSの"GRAVITY'S RAINBOW"を取り寄せて、ぼつぼつと読んでいます。
まるで手に負えないだろうと思っていたのですが、余計なことを考えずに読んでいると、楽しいです。

ボブ・ディラン自伝もそうですが、変な雑音に惑わされずに直接本物に触れるというのがいいのではないかと、今更ながら思うのであります。

Thomas Pynchon "GRAVITY'S RAINBOW"の扉には、確かに"For Richard Farina"と書いてありました。


 →Chapter 5: River of Ice

----------------------------------------------
Carolyn had asked me to play harmonica on some songs for her debut record on Columbia and to teach her a couple of other things that she had heard me do. I was happy to do that.

キャロリンは僕に、コロンビアから出すデビュー・レコードでハモニカを演奏するように頼んでいた。それと、僕がやってるのを聴いて教えてほしいことがあると言っていた。僕はそうするのが嬉しかった。
----------------------------------------------

それは嬉しかったことでしょう。
ディランはキャロリンが大好きだったんですから。

プロデューサーのジョン・ハモンドは、録音の前にちゃんと準備をしておきたいということで、キャロリンの部屋にみんなを集めました。
もちろんディランはそこで初めてハモンドと会ったのです。

ディランはギターを弾き、ハモニカを吹き、キャロリンにコーラスを付けます。
ディランは、ハモンドが自分に関心を持つなどとは想像もできません。

----------------------------------------------
I was just there for her and that was all. Before leaving he asked me if I recorded for anybody. He was the first authoritative figure who ever asked me that. He just kind of said it in passing. I shook my head, didn't hold my breath to hear him respond and he didn't and that was that.

僕はただ彼女のためにそこにいたのであり、それがすべてだった。帰る前に彼が僕にどこかでレコーディングをしたかと尋ねた。僕にそんなことを尋ねた最初の権威ある人物だった。彼はただついでのことのように言った。僕は首を横に振ったが、彼の反応を期待してかたずをのむということはなかったし、彼は反応しなかった。それだけのことだった。
----------------------------------------------

さすが大物プロデューサーですね。
さりげなくディランの才能を見抜き、他の契約がないか確認をしています。
これでディランはコロンビアからデビューするこになるのでしょう。
人生が大きく動く時というのは、こんなものなんでしょうね。


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世界一の果報者 CHRONICLES #463

千本浜 2007年1月1日

またずいぶん間があいてしまいましたが、このごろはわざとあけているところもあります。
残りがわずかになったので、少しずつ、少しずつね。

ボブ・ディランの自伝『クロニクルズ』(Bob Dylan "CHRONICLES VOLUME ONE")なんだけど、読んだ先からどんどん忘れていって人の名前がわからなくなるので、ちょっとメモしておこう。
こんなことを言って書き始めたのは、2004年11月4日深夜のようです。

ディランさん、"VOLUME TWO"はまだかいな。

 →Chapter 5: River of Ice

リチャード・ファリーニャは、トマス・ピンチョンやピーター・ヤロウと仲が良かったというところまででした。

とんでもない噂もある人物でしたが、彼が何者であれ、キャロリンと結婚しているなんて世界一幸運な奴だと思ったとディランは書いています。
正直者ですね。
その後まもなく離婚して、まだ若いバエズの妹と結婚し、そしてオートバイ事故で死んでしまうなどとは想像もできなかったことでしょう。

----------------------------------------------
We met over there at her apartment, me and guitarist Bruce Langhorne and stand-up bass player Bill Lee, whose four-year-old son would become the filmmaker Spike Lee. Eventually, Bruce and Bill would play on my records. They'd played with Odetta and could play everything from melodic jazz to rockin' blues. If you had them playing with you, that's pretty much all you would need to do just about anything.

僕たちは彼女のアパートで出会った。僕と、ギター奏者のブルース・ラングホーンと、ウッドベース奏者のビル・リーだ。4歳だったビルの息子は、映画制作者のスパイク・リーになる。結局ブルースとビルは僕のレコードで演奏することになる。二人はオデッタのバックをやっていて、メロディアスなジャズから激しいブルーズまでなんでも演奏することができた。この二人が一緒に演奏すれば、何に関しても必要になるものはすべてちゃんと揃っていた。
----------------------------------------------

前出のビル・リーですね。
非常に有能なスタジオ・ミュージシャンだったということでしょう。

 →The Band for the first Columbia album

キャロリンのファーストアルバムのメンバーです。
見れば誰でもわかりますが、左からブルース、キャロリン、ボブ・ディラン、ビルの順です。

 →Bruce Langhorne discography

ビル・リーの方は野球選手のサイトばかりヒットします。

 →Bruce Langhorne discography

この二人と一緒に、キャロリンのレコーディングでディランはバックを務めます。
「ガス灯」にも最初はハモニカ奏者としてステージに立ってましたね。
今回もハモニカ奏者ボブ・ディランです。

ただいまp.278です。


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重力の虹 CHRONICLES #462

千本浜 2006年12月23日

 →Chapter 5: River of Ice

ディランはキャロリンのことが大好きで子犬のように周りをうろうろしていました(ちょっと言い過ぎか)。
ところが、残念なことにキャロリンは既婚者でした。

夫の名前はリチャード・ファリーニャ。
噂ではシエラマドレ山地でカストロと一緒にいたとか、IRA(Irish Republican Army アイルランド共和軍)と共に戦ったと言われていたと、怪しげなことが書いてあります。

検索してちょっと驚きました。
この話の翌年(1962年)に、ファリーニャはジョーン・バエズの妹ミミ・バエズと出会って、キャロリンと離婚します。
そして1963年に、17歳だったミミと結婚したのです。

ミミ&リチャード・ファリーニャとしてレコードを出しますが、リチャードは1966年、ミミが21歳を迎えた誕生日に、オートバイの事故で亡くなってしまいました。

 →Wikipedia: Richard Farina

もっと驚いたのは、ファリーニャがコーネル大学でトマス・ピンチョン(Thomas Pynchon)やピーター・ヤロウ(Peter Yarrow)と仲の良い友達だったということです。
ピンチョンとPP&Mのピーターの関係も初めて知りましたが、ピンチョンのあの怪物のような作品『重力の虹(Gravity's Rainbow)』(1973年)は、このファリーニャに捧げられていたのです。

あわてて本棚から『重力の虹』を発掘しました。
翻訳書の方ですが、確かに目次の前の扉に書いてありました。

「リチャード・ファリーニャに捧ぐ」

 Gravity's Rainbow (Penguin Classics)


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眼鏡をかけたロックンローラー CHRONICLES #461

八幡町 2006年12月21日

ずいぶん間があいてしまいました。
どこまで読んだのかすっかり忘れてしまいましたな。

ディランがいきなりメジャーレーベルのコロンビアからからデビューするきっかけになったのは、フォーク歌手キャロリン・ヘスターのアパートで大物プロデューサーのジョン・ハモンドと会ったから、というところでした。

 →Chapter 5: River of Ice

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Carolyn was a Texan guitar-playing singer who I knew and played with around town. She was going places and it didn't surprise me. Carolyn was eye catching, down-home and double barrel beautiful. That she had known and worked with Buddy Holly left no small impression on me and I liked being around her. Buddy was royalty, and I felt like she was my connection to it, to the rock-and-roll music that I'd played earlier, to that spirit.

キャロリンはギターを弾き語りするテキサス人の歌手で、僕は知り合いだったし、そのあたりで演奏していた。彼女は成功しつつあったが、それには驚かなかった。キャロリンは美しさと気さくさという二連銃を持っていたので、人目をひいた。彼女がバディ・ホリーと知り合いで一緒に仕事をしたことがあったということに、僕は強い印象を受け、彼女の近くにいるのが好きだった。バディは王様だった。そして、彼女がその王国、僕が以前やっていたロックンロールとその精神に、僕を繋いでいるみたいに感じた。
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バディ・ホリーの名前はずっと前に出てきましたね。
いいかげんな名前を名乗ったり、適当なことを言ってボビー・ヴィー(Bobby Vee)のバンドにくっついていった話の時です。

 →CHRONICLES #98 ピアノ弾きディラン

バディ・ホリーが亡くなったのは1959年ですから、当時はまだその事故死が生々しい記憶だったでしょう。
ディランはバディに会うことができなかったし、これからももう会うことはできません。
でも、キャロリンはバディと知り合いだったし、一緒に演奏をしたことがあるのです。
ディランがキャロリンの周りでうろうろするのもわかる気がします。
キャロリンは美人みたいだし。

 →BuddyHolly.com

 →Wikipedia: バディ・ホリー

そういえば、NHK BS11で放映した『ロック誕生50年』に、バディ・ホリーの映像がありました。
「ペギー・スー(Peggy Sue)」でした。

 →ペギー・スー

バディ・ホリー&鮎川誠

番組には鮎川誠さんが出てきましたが、ちょっとバディ・ホリーに似てますね。


41 Original Hits From The Soundtrack Of American Graffiti

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ひとりの手 CHRONICLES #460

 →夕陽が好き! 2006年 > 12月
幟り道 2006年12月10日

 →Chapter 5: River of Ice

いきなり大メジャー(こういう言葉遣いは間違いね)レコード会社コロンビアからレコードを出すことになったのは、やはり僥倖と言って良いのでしょう。
お髭で笑顔のミッチ・ミラーといった、トップ・アーティストを抱えていたレコード会社なんですから。

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What put me there amongst that crowd came about because of John Hammond. John had first seen and heard me at Carolyn Hester's apartment.

僕がその人たちの中に入れたのは、ジョン・ハモンドのおかげで起きたことなのだ。ジョンはキャロリン・ヘスターのアパートで僕と初めて会って、歌を聴いた。
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出ました。
懐かしい名前ですね。
この本の最初の方に出てきた超大物プロデューサー、ジョン・ハモンドです。

 →CHRONICLES #2 (Bob Dylan)

つまり、やっと話が振り出しに戻るわけで、『ボブ・ディラン自伝(CHRONICLES VOLUME ONE)』も終わりに近づいてきたことがわかります。

ちょこちょことメモを続けて、もう丸二年以上が経ってしまいました。
私が書くスタイルもだいぶ変わりましたね。
良い日本語訳も出たので、読んでくださってる方も減ったようですが、本当に面白い本なので、ぜひディランの言葉に直接触れることをお勧めします。

キャロリン・ヘスターという人を知らないので、やっぱり検索します。
Googleのおかげで、このブログは続いています。

 →Wikipedia: Carolyn Hester

 →Carolyn Hester's Welcome Page

堂々たるフォーク・シンガーですね。
おっとっと、私はキャロリン・ヘスターの歌が入ったCDを持っておりました。

"Seeds: The Songs of Pete Seeger, Vol. 3"
 →わたしが一番きれいだったとき #4

ピート・シーガーの「わたしが一番きれいだったとき(When I Was Most Beautiful)」がどんな曲なのか聴きたくて買ったCDです。
この中で「ひとりの手(One Man's Hands)」を歌っているのがキャロリン・ヘスターでした。

そういえば、この「ひとりの手」の原曲がどれだけ具体的に戦う歌であったかということも書きましたね。

 →ピート・シーガー「わたしが一番きれいだったとき」

  私の手だけじゃ牢屋は壊せない
  私の声だけじゃ彼らに届かない
  私の力だけじゃ原爆は止められない
  私の力だけじゃ人種差別は破れない
  私の力だけじゃ組合は作れない
  私の足だけじゃこの国を横断できない
  私の目だけじゃ未来をはっきり見ることはできない

「みんなが力を合わせれば何かができるよ」というようなことを歌っているのではないのです。
管理上手な中学校の文化祭ではありません。
ブルーズが好きな、黒人差別主義者の肌の色は真っ黄色、みたいなのがいるのは、こんなところから来てるのではありませんかね。
明治維新で和魂漢才から和魂洋才に変わって、でも、元々和魂なんてないんじゃ、元の魂殺すだけ。

ほい、書き過ぎた。
キャロリン・ヘスターね。
上記サイトに、ディランと一緒に写った写真があります。

 →Carolyn Hester Photo 10

ディランも書いていますが、キャロリンのレコーディング用バンドです。
右側でウッドベースに片腕掛けてるのがビル・リー(Bill Lee)で、スパイク・リー監督のお父さんだそうです。
言われてみればそっくりですね。


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ミッチと歌おう CHRONICLES #459

千本浜 2006年11月13日

 →Chapter 5: River of Ice

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Suze was there by my side when I began recording for Columbia Records. The events which led up to it were very unexpected, and I had never really fixed my gaze on any big recording company. I would have been the last one to believe it if you'd have told me I'd be recording for Columbia Records, one of the top labels in the country and one with big name mainstream artists like Johnny Mathis and Tony Bennett and Mitch Miller.

僕がコロンビア・レコードでレコーディングを始めた時には、スージーがそばにいた。レコーディングにいたったいろいろなできごとはまったく予想外だった。実際、大きなレコード会社は僕の視野に全然入っていなかった。コロンビア・レコードで録音するのだと言われても、僕はまったく信じなかったことだろう。国内のトップ・レーベルで、ジョニー・マティスやトニー・ベネットやミッチ・ミラーのような主流派の大物アーティストを抱えていたのだから。
----------------------------------------------

 →Johnny Mathis.com

 →TonyBennett.net

ジョニー・マティスやトニー・ベネットはあまりピンと来ないのですが、ミッチ・ミラーの髭や笑顔は、どういうわけかおなじみです。
調べてみたら、私は小さい頃に、NHKで放送していた「ミッチと歌おう(Sing Along with Mitch)」というテレビ番組を見ていたようです。

 →ミッチ・ミラー

「セサミ・ストリート」のボブはミッチ・ミラー合唱団だったんですね。
知りませんでした。

ディランが夢見ていたのは、たぶんフォークウェイズ(Folkways)のようなフォークソングの専門レーベルだったのでしょう。
当然小さな会社です。
いきなりコロンビアのようなトップ企業からレコードを出せるなんて、思いもよらなかったということです。

More Sing-Along with Mitch

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私に人生と言えるものがあるなら CHRONICLES #458

千本浜 2006年11月3日

 →Chapter 5: River of Ice

一行空けて、スージーとの関係が終わったということが書かれます。
なんだか唐突ですが、それは必然だったんだという書き方です。

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It had to end. She took one turn in the road and I took another. We just passed out of each others' lives, but before that, before the fire went out, we stayed together a lot at the West 4th Street apartment. During the summers there was more than enough stifling heat. The small place was like an oven full of suffocating air that you could just about chew and swallow. In the winter, there was no heat. It was biting cold and we kept each other warm snuggled under blankets.

それは終わらなければならなかった。彼女は行路をある方向へ向きを変え、そして僕も別の方向へ向きを変えた。僕たちはお互いの人生から出ていったのだが、でも、火が消えるまでは、西四番街のアパートで多くの時間を共に過ごした。夏の間は息が詰まるほど暑かった。その狭い場所は、噛んで飲み込むことができそうな重苦しい熱気ていっぱいのオーブンのようだった。冬は火の気がまったくなかった。刺すように寒かったので、僕たちは毛布の下で抱き合ってあたためあった。
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四十年以上も前のことです。
「summers」が複数形で「winter」が単数形であることに、意味はあるのでしょうか。
一年半ぐらい二人は一緒にいたように読みました。

「夏は暑くて眠れない。冬は寒くて眠れない」

黒澤明監督の映画『天国と地獄』に出てくるセリフです。
逆だったかな、冬から言ってたかもしれません。

 →赤い花束/Oの悲劇 Oの喜劇

孤独な誘拐犯はうだるような暑さに耐えきれず、犯罪を重ねてしまいます。
鶴巻小学校のプールにゴミを投げ込んだ学生もそうだったのでしょう。

ディランの場合は、二人で過ごした懐かしい日々です。

 ♪ 私に人生と言えるものがあるなら
 ♪ あなたと過ごした あの夏の日々

ザ・ナターシャー・セブンが歌っていた歌を思い出します。

 →私に人生といえるものがあるなら MIDI 音量注意!

"Faded Roses"を検索してみると、20世紀初頭ぐらいに活躍したCaro Roma(Carrie Northly)という女性が作曲したようです。

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白雪姫の殺人 CHRONICLES #457

千本浜 2006年11月21日

 →Chapter 5: River of Ice

ブレヒト&クルト・ヴァイルの「海賊ジェニー」を分析しながら、ディランは歌作りのきっかけを掴もうとしていました。

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I'd think about this later in my dumpy apartment. I hadn't done anything yet, wasn't any kind of songwriter but I'd become rightly impressed by the physical and ideological possibilities within the confines of the lyric and melody. I could see that the type of songs I was leaning towards singing didn't exist and I began playing with the form, trying to grasp it--trying to make a song that transcended the information in it, the character and plot.

もっと後になって、僕は自分のみすぼらしいアパートでこのことをいろいろ考えた。僕はまだ何もしていなかったのでソングライターなんてものではなかったのだが、歌詞とメロディの中に閉じ込められたものが、身体と観念に対して持っている可能性に、僕は正しく感動していた。自分が歌おうと進んでいる先にあるような歌がまだ存在していないことに、僕は気づいたので、その歌を掴もうとして歌の形をいじり始めた。歌の中にある情報や、登場人物や、筋書きを超えるような歌を作ろうとしていたのだ。
----------------------------------------------

ディランは現実の事件に取材したバラッドを作ろうとしました。
牧師の娘に生まれながらクリーヴランドで「白雪姫(Snow White)」という通り名を持つようになった娼婦が、客たちを怪奇的で醜悪な方法で殺したという事件です。

この事件が気になったのですが、どうもわかりません。
「クリーヴランド」「殺人事件」などと検索すると、19世紀イギリスの切り裂きジャックや、「マッド・ブッチャー」はヒットするのですが、白雪姫が出てきません。
う?ん。

ディランは「警察週報」といったようなタイトルの新聞で事件のことを読んだそうです。

 →Wikipedia: Police Gazette

ディランの曲作り。
既存の曲を雛形にして、短い言葉を組み合わせます。
自由な形式で6番ぐらいまで作って、リフレインには"Frankie & Albert"の最初の二行を使いました。

 →bobdylan.com: Frankie & Albert

おや、歌詞が違いますね。
"CHRONICLES"ではこうです。

 ♪ Frankie was a good girl.
 ♪ Everybody knows.
 ♪ Paid a hundred dollars for Albert's new suit of clothes.

 ♪ フランキーは良い娘だった。
 ♪ 誰もがみんな知っている。
 ♪ アルバートの新しいスーツに100ドル払ってやった。

----------------------------------------------
I liked the idea of doing it, but the song didn't come off. I was missing something.

僕はこういうやり方が気に入ったのだが、結局うまく歌を作ることはできなかった。何かが足りなかったのだ。
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ただいまp.276です、


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ゲルニカ CHRONICLES #456

 →夕陽が好き! 2006年 > 11月 No.3
千本浜 2006年11月21日

 →Chapter 5: River of Ice

人々(人民/人間)に対する愛を感じないのに、なぜ「海賊ジェニー」に引き付けられたのか。
ディランはその分析をします。

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Later, I found myself taking the song apart, trying to find out what made it tick, why it was so effective. I could see that everything in it was apparent and visible but you didn't notice it too much. Everything was fastened to the wall with a heavy bracket, but you couldn't see what the sum total of all the parts were, not unless you stood way back and waited 'til the end. It was like the Picasso painting Guernica.

僕は後でこの歌をばらばらにして、どうしてこの歌がこんなふうに機能するのか、そしてどうしてこんなに効果的なのかを知ろうとした。この歌の中ではあらゆるものがはっきりとしていて目に見えるのに、それがあまりわからない。すべてのものが壁に重い腕木でしっかり留めてあるのだが、後ろに下がって最後まで待たないとわからない。まるでピカソが描く「ゲルニカ」のようだった。
----------------------------------------------

 →Wikipedia: ゲルニカ

 →Wikipedia: Guernica (painting)

英語版Wikipediaの方が、ずっと詳しいですね。
スペイン内乱の際に、フランコ将軍の側についたナチスドイツがバスクの町を無差別爆撃しました。
その時のピカソの絵です。

 →ゲルニカを忘れないで 加藤尚武

「海賊ジェニー」の分析から「ゲルニカ」を連想するのが、ディランです。
唐突な気がしますが、読んでいくと納得できます。

この歌の形式は非常に自由なのだそうです、よくわからんのですが。
各連の関係も自由で、音楽的な構造も、いわゆる常識を無視しています。
非常に斬新な形式で作られた歌が「海賊ジェニー」だということです。

独特な音楽構造と歌詞を持っているがゆえに、「海賊ジェニー」は並外れた力を持っています。
ディランは、自分もまたその鍵を使いこなしたいと思いました。

あれあれ、この歌には愛がないと言いながら、ディランは「海賊ジェニー」の影響を大きく受けているのですね。


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愛なき世界 CHRONICLES #455

千本浜 2006年11月14日

 →Chapter 5: River of Ice

やがてディランは霧笛のことを忘れ、「海賊ジェニー」の世界に浸って想像を広げます。
下働きの女が抱く敵意に、客たちは気づきません。
「黒い貨物船」は、何か救世主のようなものの象徴(some messianic thing)ではないかと言っています。

----------------------------------------------
"every building ... a flat one, the whole stinking place will be down to the ground."

「どの建物もぺちゃんこに潰れて、このおぞましい場所はまるごとたたきつぶされる。」
----------------------------------------------

町がつぶれ、下働きの女がいる建物だけが残りますが、ベッドに眠るはずだった「紳士たち」の運命は、女の手にゆだねられています。
暴力的な呪咀の歌です。

ステージで劇がクライマックスに達してこの歌が歌われると、観客は反応できなくなります。
演劇を観に来ている観客は、歌の中で呪われている「紳士たち」だからです。

----------------------------------------------
This piece left you flat on your back and it demanded to be taken seriously. It lingered. Woody had never written a song like that. It wasn't a protest or topical song and there was no love for people in it.

この曲は聴いている者の背にのしかかり、真剣に考えることを要求した。ずっと心に残った。ウィディだったら、こんな歌は書かなかっただろう。これはプロテストソングでも、トピカルソングでもなく、そして人々に対する愛がまったくなかった。
----------------------------------------------

すごいですね。
「海賊ジェニー」が持っている圧倒的な力を認めながらも、人々(人間とも人民とも訳せます)に対する愛情がまったくないと、喝破しています。
愛の人ウディ・ガスリーなら作らない歌だと。

共産主義者が資本家への憎悪を増幅して、闘争心をかきたてる。
そういう憎悪をディランは不快に感じるようです。


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霧の中 CHRONICLES #454

 →夕陽が好き! 2006年 > 11月 No.2

千本浜 2006年11月13日

 →Chapter 5: River of Ice

霧笛の音を比喩に遣ったことで、ディランは故郷の町を思い出します。
育った鉄鉱の町ヒビングではなくて、生まれたダルースの町です。

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Duluth, even though it's two thousand miles from the nearest ocean, was an international seaport. Ships from South America, Asia and Europe came and went all the time, and the heavy rumble of the foghorns dragged you out of your senses by your neck.

ダルースは海から2千マイルも離れているのだが、国際港だった。いつも南米やアジアやヨーロッパの船が行き来していて、重い霧笛の音が響くので人は首のところから意識が惑う。
----------------------------------------------

霧笛の音を聴くと、人は正気でいられなくなるということでしょう。
ダルースはスペリオール湖に面した港町だそうです。
だから外国船が出入りするんですね。

霧が深くて船体が見えなくても、その重厚な霧笛の音で船が通るのがわかります。
それを「ベートーベンの第五のように轟く」と、ディランは表現しています。
最初の音が長い、二つの音の組み合わせ。
ファゴット(basoon)のように鳴り響くというのです。
やっぱりディランの書くことはおもしろいですね。

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Foghorns sounded like great announcements. The big boats came and went, iron monsters from the deep--ships to wipe out all spectacles. As a child, slight, introverted and asthma stricken, the sound was so loud, so enveloping, I could feel it in my whole body and it made me feel hollow. Something out there could swallow me up.

霧笛は大きな声明を発しているかのようだった。深淵から鉄の怪物が……大きな船が現われて行き来した。船は風景をすべて拭い去った。僕がちっぽけで内向的な喘息持ちの子供であった頃、その音は僕の身体の中でいっぱいになって、自分が空っぽであるように感じた。外にある何かが、僕を飲み込んでしまうみたいだった。
----------------------------------------------

青年ディランも、ちょっとそんな面影を残していましたが、小柄な喘息持ちの子供だったんですね。
霧の中から聞こえる大きな音を、多感な少年が身体全体で受け止めていたのです。

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海賊ジェニー CHRONICLES #453

千本浜 2006年11月3日

 →Chapter 5: River of Ice

さて、私は『三文オペラ』を観たことがないのですが、なんとなく歌曲は知っています。
「海賊ジェニー」なあ。

そうだ、お登紀さんが歌っていたんだわ。
80年代前半、本郷にある零細企業で働いている時、真砂図書館でレコードを借りて聴いたのだった。

『愛はすべてを赦す』(1982年)

 →加藤登紀子 ディスコグラフィー

 →愛はすべてを赦す

 →愛はすべてを赦す

坂本龍一さんのピアノで加藤登紀子さんが昔の曲を歌っているのです。
映画『会議は踊る』の「唯ひとたびの」が印象的でした。

原詞を検索してみると、ニーナ・シモンのサイトに掲載されていました。
たぶんこれでいいのだと思います。

 →The Nina Simone Web - Pirate Jenny

ディランが言うように、歌詞に「海賊ジェニー」は出てきません。
ただ、「雑用をする洗濯女のような衣装を着て(dressed up like a scrubbing lady who performs petty tasks)」という部分は、この歌詞に由来するのではないかと思いました。

佐藤信さんの翻訳ではこんな感じになっているようです。

 →ブレヒトソング?KONTA the Knife
----------------------------------------------
4.海賊ジェニー

三文オペラより
作曲/Kurt Weill・訳詞/佐藤信
「三文オペラ」でマックの愛人の娼婦ジェニーが歌います。
宿の女中って、みんな私をこき使うけど、誰も私の正体を知らないわ。ある日海賊が港にやってくれば、みんな捕らえられるのよ。海賊は私に聞くわ「どいつをばらしやしょう?」私は言うわ「みんなよ」。首が次々落ちるわ。そして私は海賊と一緒に港から去るのよ。という内容の歌。
----------------------------------------------

ところで、Googleで「海賊ジェニー」を検索すると、幻泉館日録@So-netが最初の方にヒットするようです。
これはちょっと変だなと思いました。

ご存知のように、幻泉館日録は自前サーバ幻泉館本館の他、@楽天、@goo、@livedoor、@So-net、@Teacupといったところに同じ内容をアップしています。
今まではGoogleで検索すると、だいたいそんな順に表示されていたのです。
ところが、ここのところ急に@So-netが飛び抜けて上位に表示されることが多いようです。
So-netで何かあったのかな。

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霧笛が俺を呼んでいる CHRONICLES #452


千本浜 2006年11月3日

 →Chapter 5: River of Ice

リース劇場の小さなステージには、雑然とした世界が詰め込まれていました。
力強い言葉をもった歌を、泥棒や屑拾い(scavengers)ややくざ者(scallywags)が怒鳴るように歌います。

ディランが一番強烈な印象を受けた歌は、「黒い貨物船(A Ship the Black Freighter)」というバラッドでした。

----------------------------------------------
Its real title was "Pirate Jenny," but I didn't hear that in the song so I didn't know what the real title was. It was sung by some vaguely masculine woman, dressed up like a scrubbing lady who performs petty tasks, goes about making up beds in a ratty waterfront hotel. What drew me into the song at first was the line about the ship the black freighter, that comes after every verse. That particular line took me back to the foghorns of ships that I'd heard in my youth and the grandiosity of the sounds had stuck in my mind. Seemed like they were right on top of us.

その本当の題は「海賊ジェニー」というのだが、その中に「海賊ジェニー」は出てこなかったから、本当のタイトルが何なのかはわからない。なんだか男まさりの女が歌っていた。みすぼらしい港の宿屋でベッドメイクのような雑用をする洗濯女のような衣装を着ていた。最初に僕が引きつけられたのは黒い貨物船を歌った一行で、各連の後に繰り返された。この特別な行を聴くと、僕は小さな頃に聴いて心にずっと残っている船の霧笛を思い出した。僕たちの頭の真上で響いているみたいだった。
----------------------------------------------

船の霧笛!
ディランが好きな音ですね。

静かな夜中に遠くから聞こえてくる汽笛はとてもいいものですが、ディランが言っているのはとても大きな迫力のある音のようです。
ただディランの耳は私とはだいぶ違うようなので、小さな音でもそんなふうに感じることがあるのかもしれません。

おっと。
このエントリーのタイトルを「遠くで汽笛を聞きながら」にしようと思ったら、既に使っておりました。

 →遠くで汽笛を聞きながら CHRONICLES #319

しかたがないので、「霧笛が俺を読んでいる」。
よくわかっておりません。

 →CinemaScape: 霧笛が俺を呼んでいる

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日本三文オペラ CHRONICLES #451

 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]
千本浜 2006年11月7日

 →Chapter 5: River of Ice

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I went there to wait for Suze and was aroused straight away by the raw intensity of the songs... "Morning Anthem," "Wedding Song," "The World Is Mean," "Polly's Song," "Tango Ballad," "Ballad of the Easy Life." Songs with tough language.
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おやおや、本当に「牛にひかれて善光寺参り」です。
並んでいるのは、やはり『三文オペラ(The Threepenny Opera)』の曲ですね。
ディランは並んだ歌曲を"Songs with tough language"と表現しています。
これは文字どおり「たくましくて乱暴」という意味でしょう。
つまり、オペラやミュージカルよりも、フォークソングに近い歌だと感じたようです。
フォークソングより洗練されている(sophisticated)けれど。

特に輸入盤でいろいろな録音が出ているようです。
amazonだと試聴できます。

マウチェリー/ワイル:三文オペラ The Threepenny Opera (1954 New York Cast)

ヴァイル:「三文オペラ」 Music From the Threepenny Opera

 →三文オペラにハマる

 →三文オペラ 資本主義の矛盾をおちょくるマック・ザ・ナイフ

観てないんですが、これは観たくなりますな。
あら、黒テントの『三文オペラ』観たかったなあ。

 →三文オペラ 新装黒テント版

私の場合は開高健さんの『日本三文オペラ』に親しんでいたのでした。
全然違うのにね、観た気になっちゃってたみたい。

 →くいだおれ大阪どっとこむ! 「日本三文オペラ」開高健

3monopera.jpg 日本三文オペラ

三文オペラ 三文オペラ

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三文オペラ CHRONICLES #450

千本浜 2006年11月3日

 →Chapter 5: River of Ice

とりあえずオリジナル曲ができたのですが、ディランはこれを堂々と自分の曲だと言って歌うことはありませんでした。
当時ディランは古いフォークソングやウディ・ガスリーの曲を歌っていたのですが、その中に紛れ込ませて歌いました。
ウィーバーズの曲だと言って歌ったりしたそうです。

照れ臭かったのでしょうか。
でも、嘘はいけませんね。
当時のディランはよくいろいろな嘘をついていたようです。

 →Folk Music Archives: The Weavers

一行空けて、話が変わります。

そんなディランの状況を変えたのは、意外にもブレヒトの演劇でした。
もちろん、スージーの影響です。
リース劇場(the Theatre de Lys)で上演された音楽劇に、スージーが関わっていたそうです。

 →Lucille Lortel Theatre/Theatre de Lys, 1952-1999

----------------------------------------------
It was a presentation of songs written by Bertolt Brecht, the antifascist Marxist German poet-playwright whose works were banned in Germany, and Kurt Weill, whose melodies were like a combination of both opera and jazz. Previously they had had a big hit with a ballad called "Mack the Knife" that Bobby Darin had made popular. You couldn't call this a play, it was more like a stream of songs by actors who sang.
----------------------------------------------

 →Wikipedia: ベルトルト・ブレヒト

 →Wikipedia: クルト・ワイル

 →松岡正剛の千夜千冊:『クルト・ヴァイル』

 →Bobby Darin / ボビー・ダーリン

「マック・ザ・ナイフ」はおなじみの曲です……あれ?
歌としてはあまり聴いたことがありません。
ソニー・ロリンズ(Sonny Rollins)の名盤、"SAXOPHONE COLOSSUS"で一番よく聴いたのかもしれません。
このアルバムでは"Moritat"というタイトルになっています。
友人の一人がロリンズの大ファンだったので、よく聴きました。
私はコルトレーンの方が好きでした。

つまり、私の場合は本来の「歌」ではなくて、ジャズのスタンダード・ナンバーとして馴染んでいたんですな。
70年代半ばによく行った吉祥寺のジャズ喫茶を思い出します。

BlogPet SONNY ROLLINS/SAXOPHONE COLOSSUS Saxophone Colossus


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アトミック・カフェ CHRONICLES #449

 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]
千本浜 2006年11月3日

 →Chapter 5: River of Ice

「自分の生き方を貫いて死なせておくれ(Let Me Die in My Footsteps)」の後、ディランは核シェルターの話を始めます。
ディランの故郷であるミネソタ州の北東部、アイアンレンジ(Iron Range)と呼ばれる地域では、そんなものまったく売れなかったという話です。

U2のボノが訪ねてきた時の話で、「メサビ鉄鉱山地、アイアントレイル(the Iron Trail, the Mesabi Iron Range)」という言い方をしていた地方のことでしょう。
日本で言えば、「筑豊」といった感じに近いでしょうか。

 →巨人の地 CHRONICLES #250

 →Wikipedia: Iron Range

アイアンレンジでは、近所で一軒だけ核シェルターを持っているという状態を、皆が嫌ったのだそうです。
人間関係が壊れるのを恐れたのですね。

核攻撃に対する恐怖は確かに存在しました。
でも、なんだかピント外れな感じがします。
ディランは"CHRONICLES"の最初の方でも書いてましたね。

 →CHRONICLES #16 (Bob Dylan)

そうそう、アトミックカフェ。

 →アトミック・カフェ - THE ATOMIC CAFE -

代わりによく売れたのは、ガイガー・カウンターだったようです。
近未来を描いた映画『マッドマックス』のシリーズでも、出てきましたね。
ディランも、ニューヨークのアパートに1台備えていたそうです。

デジタル表示ガイガーカウンター

ガイガー・カウンターを楽天市場で検索したら扱っている店がありましたが、日本ではあまり売れなさそうですね。

BlogPet アトミック・カフェ アトミック・カフェ


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ぼくは地下には潜らない CHRONICLES #448

千本浜 2006年10月31日

 →Chapter 5: River of Ice

ディランは当時の自作自演屋としてレン・チャンドラー(Len Chandler)が好きだったそうです。
何度か出てきた名前ですね。

 →CHRONICLES #101 みんな泰子さんには触りたかった

 →夕暮れ CHRONICLES #112

 →仲間たち CHRONICLES #424

レン・チャンドラーの歌は彼の個性を反映したものなので、それはあまりお手本にならなかったとディランは言っていますが、実際はかなり影響を受けていたようです。
創造は模倣から始まるものです。
もちろんウディ・ガスリーが一番のお手本でした。

絵を描いていた同じテーブルで、ディランは歌を書くようになります。
最初に作ったのは、"Let Me Die in My Footsteps"という、ちょっと皮肉な歌(a slightly ironic song)でした。
"BOB DYLAN / THE BOOTLEG SERIES VOL.1-3"に入ってますね。
元歌はロイ・エイカフ(Roy Acuff)の古いバラッドだそうです。

 →bobdylan.com: Let Me Die in My Footsteps

 →Roy Acuff: Making Hillbilly Music Respectable

おやおや、おもしろいことが書いてあります。
日本軍が突撃する時に、「ベーブ・ルースと地獄に落ちろ! ロイ・エイカフと地獄に落ちろ!」と叫んだという伝説があるそうです。
もちろん嘘です。

"Let Me Die in My Footsteps"は「立ってるところで死なせてくれ」ぐらいの意味でしょう。
中川五郎さんは、「自分の生き方を貫いて死なせておくれ」と訳しています。
いいなあ。

第一連だけ引用しておきましょう。

----------------------------------------------
I will not go down under the ground
"Cause somebody tells me that death's comin' 'round
An' I will not carry myself down to die
When I go to my grave my head will be high,
Let me die in my footsteps
Before I go down under the ground.

ぼくは地下には潜らない
死の恐怖が迫っていると誰かに言われたからといって
ぼくはむざむざと死んだりはしない
墓に入る時はこうべを高く上げていることだろう
自分の生き方を貫いて死なせておくれ
地下に潜ったりする前に
            (中川五郎訳)
----------------------------------------------

もちろんこれは東西冷戦下、アメリカで核シェルターが売れたころの歌です。

BlogPet dylanbootleg The Bootleg Series, Vols. 1-3


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もっと突き詰めろ CHRONICLES #447

 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]
千本浜 2006年10月31日

 →Chapter 5: River of Ice

いいなあと思うと、自分でもやってみたくなるものでございます。
だいたい音楽もそれで始めたのがディランでした。

----------------------------------------------
About that time I began to make some of my own drawings. I actually picked up the habit from Suze, who drew a lot. What would I draw? Well, I guess I would start with whatever was at hand. I sat at the table, took out a pencil and paper and drew the typewriter, a crucifix, a rose, pencils and knives and pins, empty cigarette boxes. I'd lose track of time completely. An hour or two could go by and it would seem like only a minute. Not that I thought that I was any great drawer, but I did feel like I was putting an orderliness to the chaos around--something like Red did, but he did it on a much grander level. In a strange way I noticed that it purified the experience of my eye and I would make drawings of my own for years to come.

その頃僕は自分でも絵を描き始めた。実際は、たくさん絵を描いていたスージーの習慣を真似して覚えたのだ。何を描こうか? そう、とりあえず手近にあるものを何でも描いたのだと思う。僕はテーブルに向かって座り、鉛筆と紙を手に取って描いた。タイプライター、十字架、薔薇、鉛筆やナイフやピン、タバコの空き箱。時が経つのをまったく忘れたものだった。一時間から二時間が過ぎ去っても、一分ぐらいにしか感じなかった。自分がすごい絵描きだとは思わなかったが、レッドがやったように、周囲の混沌を秩序あるものにしているのだと感じた。レッドはそれをずっと壮大な水準でやったのであるが。僕は奇妙なことに、それで自分の目が経験したことを純化されることに気づいた。そして、それから何年も僕は絵を描くことになる。
----------------------------------------------

鉛筆デッサンですね。
目が捕らえた情報は膨大なものですが、鉛筆で紙に描き出すのは、そのほんの一部です。
余分なものをできるかぎり削ぎ落とす。
これが絵です。

身近な言葉を遣い、身近なものを描写して、自分の世界を創り出す。
歌を作る時の指針を、ディランはデッサンから学んだようです。

早川義夫さんが歌ってました。

 ♪ 足りないのではなくて
 ♪ 何かが多いのだ
             「いつか」

 →坊さんごっこ:早川義夫

一見乱雑に詰め込んだように聞こえる"Desolation Row"のような曲も、削りに削った結果なのでしょう。

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マーラーズ・パーラー CHRONICLES #446

千本浜 2005年10月14日

 →Chapter 5: River of Ice

スージーにひかれて美術館参り。
ディランはスージーと同様にすっかりレッド・グルームズのファンになりました。
ここで重要な点は、ディランがまだ本格的に歌作りを始める前だということです。

レッド・グルームズの作品は、どのように作品世界を創り上げるかというお手本になりました。

----------------------------------------------
He incorporated every living thing into something and made it scream--everything side by side created equal--old tennis shoes, vending machines, alligators that crawled through sewers, dueling pistols, the Staten Island Ferry and Trinity Church, 42nd Street, profiles of skyscrapers.

彼はあらゆる生き物をひとつに組み入れ、何もかも平等に並べて叫び声を上げさせた。古いテニスシューズ、自動販売機、下水を這うワニ、決闘のピストル、スタテンアイランドのフェリー、42番街、摩天楼の輪郭。
----------------------------------------------
               [リーダーズ英和]
----------------------------------------------
duel pistol 決闘用ピストル《銃身が長い》

Staten Island
スタテンアイランド《1) New York 湾内の島 2) 同島を含む New York 市南西部の自治区 (borough), 38 万; 旧称 Richmond; 略 SI》.

Trinity Church
n. トリニティ教会 《(3) New York 市 Wall 街のいちばん西の起点, Broadway に面して立つ, ゴシック風の尖塔をもつ教会; Richard Upjohn_ の設計で, 1846 年建立; 墓地には, New York の有名人の墓がある》
----------------------------------------------

下水を這うワニや決闘のピストルがニューヨークの日常風景なのか大いに疑問ですが、コラージュとしてはおもしろいですね。
そういえば、東京をコラージュした、パンタさんの「マーラーズ・パーラー」という曲がありました。

 →「マーラーズ・パーラー」(1976年)

 →PANTA & HAL 1977-1981

レッド・グルームズのコラージュはまだ続きます。

----------------------------------------------
Brahman bulls, cowgirls, rodeo queens and Mickey Mouse heads, castle turrets and Mrs. O'Leary's cow, creeps and greasers and weirdos and grinning, bejeweled nude models, faces with melancholy looks, blurs of sorrow--everything hilarious but not jokey. Familiar figures from history, too--Lincoln, Hugo, Baudelaire, Rembrandt--all done with graphic finesse, burned out as powerful as possible. I loved the way Grooms used laughter as a diabolical weapon. Subconsciously, I was wondering if it was possible to write songs like that.

バラモンの聖牛、カウガール、ロデオの女王、ミッキーマウスの頭、城の小塔、オリアリー夫人の牝牛、変態男、不良少年、奇人変人、宝石を付けてニヤリと笑うヌード・モデル、憂鬱な表情の顔、ぼんやりとした悲しみ……どれも陽気だけれど、ふざけてはいない。歴史上のおなじみの人物もいる。リンカーン、ユーゴー、ボードレール、レンブラント。すべてが本来の姿で描かれ、可能なかぎり強力な印象を与えている。僕はグルームズが笑いを悪魔のような武器として用いる、その手法が大好きだった。僕は知らず知らずのうちに、そんなふうに歌が書けるのではないかと思っていた。
----------------------------------------------

オリアリー夫人というのは、シカゴ大火災の火元となった家の夫人のことで、童謡まであるそうです。

 →医学都市伝説:シカゴ大火災勃発の日

ディランは実際に自分でも絵を描き始めるのですが、それでもう一つ、歌作りに必要なことを学んだようです。

ただいまp.270です。

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陽気に行こう CHRONICLES #445


千本浜 2006年10月8日


 →Chapter 5: River of Ice

スージーが好きだからということで、ディランもレッド・グルームズが好きになりました。

 →Red Grooms Online

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I loved the way everything he did crushed itself into some fragile world, the rickety clusters of parts all packed together and then, standing back, you could see the complex whole of it all. Grooms's stuff spoke volumes to me. He was the artist I checked out most.

彼が描くあらゆるものはある種の脆い世界に詰まっていく、そのありさまが僕は大好きだった。その世界には今にも崩れそうなそれぞれの集まりがすべて詰め込まれていて、それから少し下がって見ると、複雑な全体が見える。グルームズの作品は僕に多くのことを語りかけた。僕が最もよく見た画家だった。
----------------------------------------------

クレヨン、水彩、グワッシュ(不透明水彩)、彫刻、コラージュ、どんなものでもグルームズが作品をまとめる手法が気に入ったそうです。

----------------------------------------------
There was a connection in Red's work to a lot of the folk songs I sang. It seemed to be on the same stage.

レッドの作品と、僕が歌っている歌の多くには、つながりがあった。それは同じ舞台に立っているようだった。
----------------------------------------------

フォークソングが歌詞で歌っている内容を、グルームズの「歌」は視覚的に描いていました。
浮浪者と警官、大騒ぎ、路地裏。
お祭りのような生命力です。
レッドは美術界のアンクル・デイヴ・メイコン(Uncle Dave Macon)だったと、ディランは言っています。

 →THE DAYS OF UNCLE DAVE MACON


 →Wikipedia: Uncle Dave Macon

う?む、アンクル・デイヴ・メイコン、陽気そうなおっさんです。

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絵画巡り CHRONICLES #444

千本浜 2006年10月17日

 →Chapter 5: River of Ice

スージーの手引きで美術の世界に触れることによって、ディランは精神世界が広がったと感じたそうです。
早い時間からアップタウンの美術館に出かけました。
そこでは大きな油絵の作品を見ました。

 →Wikipedia: ディエゴ・ベラスケス

 →Web Callerry of Art: VELAZQUEZ, Diego Rodriguez de Silva y

 →Wikipedia: フランシスコ・デ・ゴヤ

 →the Artchive: Francisco de Goya

 →salvastyle.com: ルーベンス

 →WebMuseum: Rubens, Peter Paul

 →salvastyle.com: エル・グレコ

 →CGFA: El Greco

古典的な絵画もよく見ていたんですね。
もちろん、現代作家の絵も見たそうです。

 →Wikipedia: パブロ・ピカソ

 →Pablo Picasso : Le site officiel

 →ジョルジュ・ブラック

 →the Artchive: Georges Braque

 →ワシリー・カンディンスキー

 →WebMuseum: Kandinsky, Wassily

 →ルオー展

 →Wikipedia: ジョルジュ・ルオー

 →Georges Rouault Online

 →Wikipedia: ピエール・ボナール

 →Pierre Bonnard Online

やはりこちらの方がおなじみです。
「ルオー爺さんのように ね」

スージーは、レッド・グルームズが好きだったそうです。

 →Red Grooms Online

ディランもレッド・グルームズが好きになりました。
だって、恋しているんだもん。

ただいまp.269です。

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腹話術師 CHRONICLES #443

千本浜 2006年10月17日

 →Chapter 5: River of Ice

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We went to see Comedia Del'Arte, a storefront on the Lower East Side that was built into a small theater with enormous puppets as big as people that jiggled and swung. I saw a couple of plays, one where a soldier, a prostitute, a judge and a lawyer were all the same puppet.

僕たちはコンメディア・デラルテを観に行った。ロワーイーストサイドにあるビルの一画を小さな劇場に改装してあり、人間ぐらいの大きな人形が体を揺すったり、あれこれと動き回ったりした。僕は何回か観たのだが、同じ一体の人形が兵士と娼婦と判事と弁護士を演じたのもあった。
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           リーダーズ英和+プラス
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commedia dell'arte
コンメディア・デラルテ《16-18 世紀のイタリアの即興喜劇; 筋書だけで演じられ, Scaramouche, Pantalone など決まった名前・衣裳・性格の人物が登場する》.
[It=comedy of art]
----------------------------------------------
Lower East Side
n. ロワーイーストサイド 《New York 市 Manhattan の南端地域の東半分を指す; 多くの移民たちが, アメリカでの生活を始めた超過密アパートのひしめくスラム街として有名であった; もはや移民であふれてはいないが, 荒廃したままとなっている; バザールの様相があり, 他地区の店が閉まる日曜日は, 買物客でごった返す》
----------------------------------------------

 →Wikipedia: コメディア・デラルテ

本来は仮面劇のようですが、ディランが観たのは人形劇になっていたんですね。
人形がばかでかいのと、場所が狭いのとで、なんだかとても奇妙な雰囲気だったそうです。
ちょっと気持ち悪かったようですな。

そうではない、おなじみの大好きな人形として、ディランはチャーリー・マッカーシー(Charlie McCarthy)の名前を挙げています。
これはエドガー・バーゲン(Edgar Bergen)という腹話術師の人形だったそうです。

           リーダーズ英和+プラス
----------------------------------------------
Bergen
n. バーゲン
(2) Edgar (John) Bergen (1903-78) 《米国の腹話術師・コメディアン; 人形 Charlie McCarthy と国内・ヨーロッパ各地をまわって成功; 1937 年からラジオ番組 `Chase and Sanborn Hour' をもち, 10 年以上にわたって人気を維持した; 1938 年の映画 A Letter of Introduction で Oscar を獲得》
----------------------------------------------

 →腹話術 KACHI & LEO: Edgar Bergen & Charlie McCarthy

 →Wikipedia: Edgar Bergen

腹話術の人形というのも、ちょっと気持ち悪いんだけどなあ。
『新青年』の香りがします。

エドガー・バーゲンの人気ラジオ番組は、人形のチャーリー・マッカーシーと一緒にやっていたんですね。
下のリンク先で少しだけ聴けます。
ラジオで腹話術というのも、なんだか不思議です。

 →Radio Hall of Fame

腹話術師 つげ義春全集 (2)

三橋一夫ふしぎ小説集成 三橋一夫ふしぎ小説集成 (1)

魔法人形 魔法人形

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真空地帯 CHRONICLES #442

千本浜 2006年10月8日

 →Chapter 5: River of Ice

ディランがスージーと観に行ったオフブロードウェイの演劇には、リビング・シアター(the Living Theater)の『営倉(The Brig)』もありました。
といっても、私には何のことかわかりませんがな。

 →Wikipedia: The Living Theatre

 →The Living Theatre

公演がドキュメンタリー映画で残っているようですね。

 →作品紹介:営倉(The Brig)

                広辞苑第五版
----------------------------------------------
えい‐そう【営倉】
兵営内にあって犯則者を拘置した施設。また、そこに入れられる罰。陸軍懲罰令では重営倉と軽営倉との別があった。
----------------------------------------------

リビング・シアターの『営倉』は、合州国海軍の営倉を舞台としているようですね。

野間宏さんの『真空地帯』を思い出しました。
ん?
前にも書いたことがあるような。
あ、これですね。

 →幻泉館日録:真空地帯

他に、スージーとは、芸術家が出入りするような場所に出かけました。

 →Caffe Cino

 →Aegis Gallery

もう一つ書いてある"Camino Gallery"は見つかりませんなあ。
これは別物かしら。

 →GALLERY CAMINO REAL

BlogPet 真空地帯(上巻) 真空地帯 上巻


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ザ・コネクション CHRONICLES #441


外に開いていない、閉じたサイトからのリンクは御遠慮願いたい。
たとえばこちら。

 →http://mixi.jp/view_diary.pl?id=237912711&owner_id=2374136


千本浜 2006年10月8日

 →Chapter 5: River of Ice

ディランはスージーと一緒に、ゲルバー作のジャンキー劇(junkie play)『ザ・コネクション』を観に行きました。

 →The Connection

            「リーダーズプラス+」
----------------------------------------------
connection
n. [The C_] 『ザ・コネクション』 《米国映画 (1962); 女流監督 Shirley Clarke_ の長編第 1 作; 1959 年に off Broadway で反響を呼んだ Jack Gelber (1932- ) の舞台劇の映画化; ジャズメンたちの練習風景をドキュメンタリー風にとらえて, Hollywood のタブーであった麻薬中毒者たちを正面から描いた, off Hollywood_ 映画の中の New York 派を代表する作品の一つ; 公開後, 無罪とはなったが, 風俗を乱すという理由で告発された; カンヌ映画祭に非公式参加し, 国際映画批評家賞の対象になった》.
score a connection _《俗》 麻薬の売人に会う, コネをつける.
----------------------------------------------

"connection"は麻薬の売人や、密輸組織などの流通ルートを指します。
私の場合は、ジーン・ハックマンが主演した映画『フレンチ・コネクション』(1971年)を思い出します。
悪役の黒幕フェルナンド・レイがいいですなあ。

 →Wikipedia: The French Connection

しかし、麻薬はいけませんや。
ジャンキーは、人間やめちゃった人たちです。
当時ニューヨークで、ジャズ・ミュージシャンがことごとく麻薬中毒になったのを利用したような演劇ですね。
私は映画も演劇も観ていません。

あ、『てなもんやコネクション』という映画もありましたな。
あれはナチュラルでハイになっちゃってる人たちの映画です。

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新しい地平 CHRONICLES #440

千本浜 2006年10月10日

 →Chapter 5: River of Ice

ニューヨークにやってきて一年近くが経ってから、やっとディランは自分の部屋を借りました。
さあ、これで正々堂々スージーと……おやおや、いちゃいちゃしていただけではないようです。

----------------------------------------------
Suze and I were spending more and more time together, and I began to broaden my horizons, see a lot of what her world was like, especially the Off-Broadway scene . . . a lot of LeRoi Jones's stuff, Dutchman, The Baptism.

スージーと僕はますます多くの時間一緒に過ごすようになって、僕の地平が広がっていった。彼女の世界がどんなものかがわかってきた。特にオフブロードウェイの情況が。リロイ・ジョーンズの『ダッチマン』と『バプティズム』といったものをたくさん観た。
----------------------------------------------

スージーはオフブローデウェイの演劇に関わっていたんですね。
元々ブローデウェイの商業ベースに乗った興行を嫌って地区街で実験演劇を始めたのが、オフブロードウェイです。
グリニッチビレッジは、まさにそのオフブロードウェイでした。

 →The Beat Page: LeRoi Jones

 →Wikipedia: LeRoi Jones

 →Official Web site of Amiri Baraka

ディランはおそらくその頃まではただ歌の好きな、気のいい兄ちゃんみたいなものだったのではないでしょうか。
スージーは前衛演劇や絵画の世界をディランに教えます。
田舎者のディランには、とても眩しかったことでしょう。

げに恐ろし……偉大なる、女の力であります。
だってディランは恋してるんだもん。

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大四畳半物語 CHRONICLES #439

2006年10月8日

 →Chapter 5: River of Ice

ディランは自分の部屋を持つ決心をします。
スージーのお母さんとの戦いに嫌気がさしたのでしょう。
そろそろ潮時だと。

だいたいディランは、他人の家を泊まって歩くのが好きだったのです。
その方が気楽だったから。
レイのところのように、本やレコードがたくさんあれば、暇潰しには事欠きません。
そんな暮らしを一年近く続けていたそうです。

ん?、わからんでもありません。
学生時代に一ヵ月近く、ほとんど下宿に帰らなかったことがあります。
飯+風呂。
これで知人の8ミリ映画制作を手伝って回りました。

ディランの場合は、ステディができたので、自分の部屋がないと都合が悪かったのでしょう。
スージーの家に行けば、どうしてもその母親とぶつかります。
いらいらするようになったので、結局自分の部屋が必要になりました。

----------------------------------------------
Not having a place of my own now was beginning to affect my supersensitive nature, so after being in town close to a year, I rented a third floor walk-up apartment at 161 West 4th Street at sixty dollars a month. It wasn't much, just two rooms above Bruno's spaghetti parlor, next door to the local record store and a furniture supply shop on the other side.
----------------------------------------------

部屋代は月額60ドル。
ちょうど「ガス灯」での週給に相当する金額です。
分相応といったところでしょうか。
一階がスパゲッティ屋とレコード屋だというのは、便利ですね。

"furniture supply shop"は、家具屋さんというよりも、日曜大工の道具を売っている店のようです。
ディランは引っ越すとすぐに下の店で材料を買って、いろいろなものを自分で作ったそうです。
テーブル二脚、戸棚、ベッド。
ディランさん、すごく器用じゃありませんか。
こういう作業が好きなんですね。

----------------------------------------------
I purchased a used TV, stuck it on top of one of the cabinets, bought a mattress and got a rug that I spread across the hardwood floor. I got a record player at Woolworth's and put it on one of the tables. The small room seemed immaculate to me and I felt that for the first time I had a place of my own.

僕は中古テレビを買って戸棚の上に積み、マットレスを買って、敷物を手に入れて板張りの床に敷いた。ウルワースでレコードプレイヤーを買ってテーブルの上に置いた。小さな部屋が完璧に見え、僕は初めて自分の場所を持ったのだと感じた。
----------------------------------------------
           「リーダーズ英和+プラス」
----------------------------------------------
Woolworth
1 ウルワース F(rank) W(infield) Woolworth (1852-1919) 《米国の実業家; 1879 年廉価販売の雑貨店 (いわゆる five-and-ten) を起こして成功; 1911 年 F. W. Woolworth を創立し, 翌年他の雑貨店チェーンを吸収, 没するまでに米国とカナダに 1000 店以上の店舗をもつ大企業に発展させた; 英国にも 1909 年進出》.
2 ウルワース(社) (? Corp.) 《米国の総合小売りチェーン; バラエティーストア Woolworth, Woolco (カナダ), 靴小売店 Kinney を経営; 1911 年 F. W. Woolworth_ が設立; 本社 New York 市》.
----------------------------------------------

 →Wikipedia: F. W. Woolworth Company

二部屋あったけれどとても狭くて、夜には暖房が切れます。
ディランは台所のガステーブルに火を付けて部屋を暖めたそうです。

私も狭い四畳半の下宿で経験しました。
小さなガスコンロでお湯を沸かして、部屋を暖めたものです。
とろ火、とろ、とろ。
私の城、大四畳半でした。

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セヴンティーン CHRONICLES #438

千本浜 2005年9月30日

 →Chapter 5: River of Ice

ディランは恋人スージーの母親に嫌われてしまいました。
彼女のとってディランは「言語道断な暮らし方(nameless way of life)」をしていて、「誰一人として養ったりはできない人間」だったそうです。
そう言われたんですね。
もっとひどいことも言われたようです。
口にタバコをくわえたまま、ディランに喧嘩腰でいちゃもんをつけてきたそうです。
彼女にとってディランとは、夫を亡くした少し後に、とても大切にしていた娘のところに現われた疫病神といったところだったのでしょう。

----------------------------------------------
"How much did that guitar cost?" she asked me once.
"Not much."
"I know, not much, but still something."
"Almost nothing," I said.

「そのギターはいくらしたの?」と、ある時僕に尋ねてきた。
「あんまり高くないです。」
「高くないのはわかってるけど、それでもいくらかしたでしょ。」
「ほとんどただみたいなもんです」と、僕は言った。
----------------------------------------------

どうもディランも良くないですね。

この時ディランが持っていたギターは、ミネアポリスで手に入れたMartin 00-17から次の機種に変わるかどうかといった頃でしょう。

 →ディランのMartin 00-17 CHRONICLES #373

それまで持っていたエレキギターを売り払い、変わりに手に入れたギターです。
ボトムエンドのモデルだと書かれていますが、別に安物でお話にならないというギターではありません。

 →Maritn 00-17

Martin 00-17は現行機種ではありませんが、D-28が25万円だとすれば、10万円ぐらいに相当すると思います。
ディランが入手した00-17は中古でしたし、ヴィンテージと称してふっかけられたようでもないので、今の日本でだと5万円ぐらいで買った中古という感じでしょうか。

ピアノやバイオリンに比べればギターはかなり良いものでも、意外に手ごろな値段です。
それでも、当時のディランにとっては唯一の財産です。
ディランはむしろギターは「魔法の杖」だと自負していたはずです。

値段をストレートに尋ねてくる母親もアレですけど、"Almost nothing"とだけ答えるディランも、なかなかですな。
結局母親はあらゆる手段を使って娘のスージーとディランを引き離そうとします。

ただいまp.267です。

と、ここまで書いて今日のタイトルを「セヴンティーン」にしようと思ったのです。
大江健三郎さんの小説を思い出しました。
「セヴンティーン 第二部」に当たる「政治少年死す」。

Googleで検索したら、不思議なサイトがありました。

 →紙 魚 の 筺

お・は・や・め・に。

 →林光一さん、深沢七郎さん

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蛇蝎の如く CHRONICLES #437

千本浜 2006年9月5日

 →Chapter 5: River of Ice

ディラン青年の恋の苦悩は、一週間ぐらい続きました。

----------------------------------------------
As fate would have it, I ran into Carla again and asked about her sister. Carla asked me if I'd like to see her. I said, "Yeah, you don't know how much," and she said, "Oh, she'd like to see you, too." Soon we met up and began to see each other more and more.

運命の定めにより僕はまたカーラに出くわしたので、妹のことを尋ねた。カーラは会いたいかと訊いてきた。「ああ。どれだけ会いたいかわからないぐらい」するとカーラは言った。「あら、妹もあなたに会いたがってるのよ」
----------------------------------------------

ということで、すぐにうまく行ってしまったのです。
な?んだ。

ディランの場合は、スージーにキューピッドのような姉さんがいたのであっけなく成就(?)しました。
今の若者は……携帯電話のおかげで話が簡単なんでしょうね。

昔は大変だったんですよ。
家に電話をかけて、呼び出してもらうんですから。
普通は男の子が女の子の家に電話をかけて、一番煙ったいのは彼女のお父さんでしょうね。
以前書いたと思いますが、中学生の時にクラスの連絡網で、つまり電話をかけ継ぐ順が決まっていて、次々に伝言をしていくのですが、建設関係のおうちの女の子の家に電話をかけて、非常に恐い思いをいたしました。
何も悪いことしてないのに。

元々手の速いディランは、あっという間にスージーといい関係になりまして、音楽以外の生活はスージーと一緒にいることが中心ということになりました。
二人は魂の友だったのだろうと、ディランは言っています。

----------------------------------------------
Her mother Mary, though, who worked as a translator for medical journals, wasn't having it. Mary lived on the top floor of an apartment building on Sheridan Square and treated me like I had the clap. If she would have had her way, the cops would have locked me up.

でも、医学雑誌の翻訳の仕事をしていた彼女の母親、メアリーはそんなふうに思っていなかった。シェリダン・スクェアのアパートの最上階に暮らしていて、僕を淋病持ちみたいに扱った。もしも自分の好きなようにできるのなら、僕を警察に捕まえてもらっていたことだろう。
----------------------------------------------

また極端な言いようです。
どうしてそんなに嫌われたのでしょうか。

シェリダンスクェアの写真を探していたら、あら、ディランが写ってます。
グリニッジビレッジの通りですね。

 →Shridan Square/Christopher Park

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何処へ CHRONICLES #436

千本浜 2005年9月25日

 →Chapter 5: River of Ice

初めて出会った後、ディランはスージーのことで頭がいっぱいになります。

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For the next week or so I thought of her a lot--couldn't shut her out of my mind, was hoping I'd run into her. I felt like I was in love for the first time in my life, could feel her vibe thirty miles away--wanted her body next to mine. Now. Right now.

次の週かそこらの間、僕は彼女のことをとても思っていた。頭から彼女を追い出すことができず、偶然出会わないかと思っていた。生涯で初めて恋をしたみたいに感じた。30マイル離れていても彼女の霊気を感じた。彼女の身体が僕の身体のすぐ横にいてほしかった。今だよ。今すぐに。
----------------------------------------------

恋ですねえ、恋ですわ。
ドキドキしてるんですね。
「霊気」なんて訳にしましたが、「ドキドキ」ぐらいの方がいいんでしょう。

「待ち伏せ」ではありませんが、好きな人の現われそうなところをうろうろしたりなんて感じを思い出します。
一歩間違えるとストーカーですが。

どれが初恋だったのか。
実はよくわからなかったりするものです。
ほのかな慕情も入れていいんですよね。
でも、いつまで経っても「これが初恋」っていうのも、手だとは思います。

我らがディラン君の場合、少しはスージーを頭から追い出そうと思って、映画を観に行くことにします。
その少し前に『クォ・ヴァディス(Quo Vadis)』と『聖衣(The Robe)』を観たばかりだったけれど、映画を観ようと思い立ったようです。

 →Wikipedia: クォ・ヴァディス

 →クォ・ヴァディス(1951・米)

 →聖衣(1953)

 →Wikipedia: The Robe

どちらも宗教映画ですね。
何年も前の映画なので、2本立てで観たのではないでしょうか。
大作なのでちとキツイですなあ。

気分転換しようと今回観に行ったのは、『謎の大陸アトランティス(Atlantis, the Lost Continent)』と『キング・オブ・キングス(King of Kings)』でした。

 →SF MOVIE DataBank: 謎の大陸アトランティス

 →Wikipedia: Atlantis, the Lost Continent

 →キング・オブ・キングス

 →King of Kings(1961)

先に『キング・オブ・キングス』を観たけれど、物語に入っていけなかったそうです。
そりゃそうだ。
次に『謎の大陸アトランティス』。
もしかしたら最高におもしろい映画だったのかもしれないけれど、集中できなかったそうです。
そりゃそうだ。

映画に誘えばいいのに。

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学園は大騒ぎ CHRONICLES #435

千本浜 2006年9月19日

 →Chapter 5: River of Ice

四十年以上前の恋の様子が続きます。

スージーは17歳。
東海岸の左翼家庭で育ちました。
工場に勤めていた父親は最近亡くなりました。
スージーは絵を描いたり、オフ・ブロードウェイの劇場の仕事をして、公民権運動の委員会の仕事をして……とにかくいろんなことをしていました。

----------------------------------------------
Meeting her was like stepping into the tales of 1,001 Arabian nights. She had a smile that could light up a street full of people and was extremely lively, had a particular type of voluptuousness--a Rodin sculpture come to life. She reminded me of a libertine heroine. She was just my type.

彼女に会うのは、アラビアンナイトの千夜一夜の物語の一つに足を踏み込むようなものだった。彼女の微笑みは大通りいっぱいの人を明るくするとだってできたし、そしてとても活発な人で、独特な艶めかしさがあった。ロダンの彫刻が生命を持ったようだった。彼女を見て、僕は奴隷から解放された物語の主人公を思い出した。彼女はまさにぴったり僕のタイプだった。
----------------------------------------------

ディランさん、恋に舞い上がってるんですが、妙にエッチっぽいですね。
正直者なんでしょう。

シンドバッドやアラジンやアリババといった、小さな頃に絵本で親しんだ物語を、中学生ぐらいの時にバートン版の日本語訳か何かで少し読んで、びっくりした覚えがあります。
テレビで放送できないような言葉がたくさん並んでいたのです。

 →Wikipedia: 千夜一夜物語

 →Wikipedia: The Book of One Thousand and One Nights

ロダンの彫刻というのも、リアルな肉体描写で有名だったのですから、いきなり何かとても官能的な回想です。

 →Wikipedia: オーギュスト・ロダン

 →[ musee RODIN ]

ふと思い出しました。
ロダンの「考える人」のレプリカは、日本に何体あるのでしょう。
いえ、思い出したのは、小さな頃に見たアメリカのテレビドラマです。
お金がない青年が、アルバイトに励みながらニセ学生を続けるといったようなお話。
コメディです。

このドラマに、毎回ロダンの「考える人」が出てきたのです。
キャンパスの通路みたいなところだったでしょうか。

タイトルも何も忘れてしまったのですが、検索しまくって発見しました。
動画も見ることができます。

 →[ Hank ]

「考える人」は、ハンクが憧れた大学生活の象徴だったんですな。

そうか、彼の両親は自動車事故で死んだという設定なのか。
妹を養って、それでニセ学生として大学の授業を受けて。
最終話で奨学金を獲得するといったようなこともまったく覚えていません。

努力すれば報われるのだという、アメリカンドリームを語ることでドラマが成立した、最後の時代だったのかもしれません。

邦題は「学園は大騒ぎ」で、1966年(昭和41年)に放映していたようです。

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たらこ CHRONICLES #434

千本浜 2006年9月19日

 →Chapter 5: River of Ice

カーラは黒髪でしたが、妹のスージーはジャケット写真でおなじみのように、金髪でした。
必然的に肌も白い(fair skinned)のです。
もっとも、今の日本には肌が黄色いのに頭が金髪という人が結構たくさんいます。
不自然ですなあ。

この姉妹はまじりっ気のないイタリア系でした。

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The air was suddenly filled with banana leaves. We started talking and my head started to spin. Cupid's arrow had whistled by my ears before, but this time it hit me in the heart and the weight of it dragged me overboard.

突然空気がバナナの葉でいっぱいになった。話を始めると、僕の頭はぐるぐる回り始めた。以前はキューピッドの矢は僕の耳をひゅーとかすめていたのだが、今回は心に当たったので、僕はその重みで夢中になってしまった。
----------------------------------------------

バナナの葉の比喩はよくわかりません。
トロピカルなムードになったんでしょうか(なんのこっちゃ)。

ちなみにバナナの皮といえば、お約束のつまずきを意味します。
バナナで、「白人べったりの東洋人」ですね。
つまり、自民党に率いられた日本人。
だめじゃん。

キューピッドはもちろんローマ神話で愛の神。

[リーダーズ英和]
----------------------------------------------
Cupid
1 【ロ神】 クピードー, キューピッド 《Venus の子で, 翼の生えた裸の美少年が弓矢を持つ姿で表わされる恋の神; ギリシアの Eros に当たる》.
2 [c-] 愛の使者, 《まれ》 美少年.
[L (cupio to long for)]
----------------------------------------------
Eros
1 【ギ神】 エロース 《Aphrodite の息子で恋愛の神; ローマの Cupid に当たる》.
2 【精神分析】 生の本能, エロス (=life instinct) (cf. →THANATOS).
3 [Oe-]
a 官能の愛, 性愛, 欲情 (cf. →AGAPE).
b 熱望, 渇望.
4 【天】 エロス《太陽に近い小惑星》.
5 エロス《London の Piccadilly Circus の中心にある, キリスト教でいう charity を表わす天使の像》.
[L<Gk er_t- er_s sexual love]
----------------------------------------------

ギリシャ神話のエロースと同じはずなんですが、だいぶ印象が違います。
「エロい」なんて言い方は、キューピッドの場合はされません。
やっぱりキューピー人形を思い浮かべるからでしょうか。

 →Wikipedia: キューピー

マヨネーズを作っている会社は、読みは同じなんですが、綴りは「キユーピー」です。
キャノンが実は「キヤノン」なのと似ていますね。
以前、キューピー人形の著作権侵害を争った裁判があったと思うのですが。
おお、これこれ。

 →キューピー事件

すっごくわかりにくいんですが、控訴棄却でキユーピー社が勝ったということですよね。
良かった、良かった。
おかげで「♪た?らこ?♪」を楽しめるわけです。

 →たらこキユーピー 音量注意!

おっと、作曲は上野耕路さんなんだ。

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みずからフライデー CHRONICLES #433

千本浜 2006年9月5日

 →Chapter 5: River of Ice

一行空けて、話が変わります。

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Backstage the humidity was soaring. Performers came and went, waited to go on and milled around. As usual, the real show was backstage. I was talking to a dark-haired girl, Carla Rotolo, who I knew a little bit.

楽屋では湿度が急上昇した。演奏者が出入りし、出番を待ってうろうろしていた。いつものことだが、本当の見ものは楽屋だった。僕は少しだけ知っていた黒髪の娘、カーラ・ロトロと話をしていた。
----------------------------------------------

カーラ・ロトロ?
そうです。
ディランのアルバム「フリー・ホイーリン(The Freewheelin')」(1963年)のジャケットでおなじみの、スージー・ロトロのお姉さんです。
ここからスージーの話になります。

みうらじゅんさんがNHKの「ロック誕生50年」で、このジャケットのことをこう言ってました。

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フリーホイーリンの、二枚目の21歳の時のジャケットからして、当時つきあってた素人の女の方とジャケットに写って、世界中に撒くと。みずからフライデーってやつですかねえ。
----------------------------------------------

【Aポイント付】ボブ・ディラン Bob Dylan / Freewheelin' Bob Dylan(CD) The Freewheelin' Bob Dylan

サントラ盤CD"NO DIRECTION HOME"のパンフレットには、このジャケット写真と同じ時に撮った写真が使われています。
何よりも、映画"NO DIRECTION HOME"にスージー御本人が出てきたのには驚きました。
実年齢よりもかなり若い感じのする人です。

No Direction Home

カーラはアラン・ローマックス(Alan Lomax)の手伝いをしていたそうです。
私設秘書みたいなものかしら。
アラン・ローマックスはほれ、「偉大なる民俗文書館員」とディランが呼んでいた人ね。
国会図書館のリサーチで、フォークソングを収集していました。

そして、カーラが妹のスージーを紹介してくれたのです。
スージーは本当は"Susie"でしたが、"Suze"と綴っていたそうです。
以前「スーズ・ロトロ」なんて訳を見かけたことがありますが、そのせいですね。

ディランはいきなりすごいこと書いてますよ。

----------------------------------------------
She was the most erotic thing I'd ever seen.
----------------------------------------------

う?ん。

ただいまp.265です。

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バーボンのボトルを抱いて CHRONICLES #432

千本浜 2006年9月1日

 →Chapter 5: River of Ice

ヴァン・ロンクの妻テリはディランに他の町での仕事を探して来てくれましたが、ディラン本人はニューヨークから出たいと思っていませんでした。
もしも外へ行きたいと思っていたら、初めからニューヨークに来たりしなかっただろうと言っています。

----------------------------------------------
I was fortunate to have the regular gig at the Gaslight and wasn't on any wild goose chase to go anywhere. I could breathe. I was free. Didn't feel constrained. Between sets I mostly hung out, drank shooters of Wild Turkey and iced Schlitz at the Kettle of Fish Tavern next door and played cards upstairs at the Gaslight. Things were working out fine. I was learning all I could and stayed keyed up.

僕は幸運にも「ガス灯」で定期的に演奏できるので、当てもなく雁を追うような真似はまったくしなくて済んだ。僕は息をすることができた。僕は自由だった。束縛された感じはしなかった。ステージの幕間にはたいてい外へ出ていって時間をつぶした。隣のケトルオブフィッシュという酒場でワイルドターキーや氷で冷やしたシュリッツを飲んで、ガス灯の二階でカードをやった。すべてうまく行っていた。自分が学べるものはすべて学んでいたし、緊張した状態を保っていた。
----------------------------------------------

ニューヨークに今も"Kettle of Fish"という酒場があるようですが、違う店でしょうかね。

 →Kettle of Fish

ワイルドターキーは、もちろんバーボンですわね。
もう長いこと飲んでいませんが、日本のオフィシャルサイトを見ていたら、飲みたくなりました。
あ、キャンペーン、終わってる。

 →ワイルドターキー

[リーダーズプラス]
----------------------------------------------
wild turkey
n.
1 【鳥】 ゴウシュウオオノガン (plain turkey).
2 [W_ T_] 【商標】 ワイルドターキー 《米国 Austin Nichols Distilling 社製のストレートバーボンおよびライ麦ウイスキー; ともに 101 proof, 8 年熟成で, 1855 年より販売》.
----------------------------------------------

「バーボン」の地名は、独立戦争の際アメリカの味方をしたフランスの「ブルボン朝」に由来するそうです。

シュリッツというビールは飲んだことがありませんが、よく冷えたやつ、うまそうですね。
「ミルウォーキーを有名にしたビール」だそうです。

 →Schlitz Beer

 →Wikipedia: Joseph Schlitz Brewing Company

[リーダーズプラス]
----------------------------------------------
Schlitz
n. 【商標】 シュリッツ 《米国の Stroh Brewery 社製 (もと Joseph Schlitz Brewing 社製) のビール; キャッチフレーズは `The Beer that Made Milwaukee Famous'》.
----------------------------------------------

ただいまp.264です。
喉が渇いたな。

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笑う仏陀 CHRONICLES #431


千本浜 2006年9月1日

 →Chapter 5: River of Ice

ヴァン・ロンクの妻テリは、夫のステージ契約をきりもりしていました。

----------------------------------------------
Terri had managed to get Dave booked in places like Boston and Philly . . . even as far away as St. Louis at a folk club called Laughing Buddha. For me, those gigs were out of the question. You needed at least one record out even if it was on a small label to get work in any of those clubs.

テリはボストンやフィラデルフィアのようなところでの出演契約を取っていた。はるばるセントルイスの「弥勒仏」というクラブの出演契約もあった。僕に関しては、そういうところに出演するのは問題外だった。そういったクラブはどこでも、仕事をするにはたとえ小さなレーベルからでも、少なくとも一枚のレコードを出していなければならなかったから。
----------------------------------------------

それでもテリは頑張って、ディランに仕事を見つけてきてくれました。
ありがたいことですな。
もっとも、ディランはあまりニューヨークから外に出たくなかったのだそうです。

さて、"Laughing Buddha"という不思議な名前のクラブが出てきました。
辞書を引くと、一応「弥勒仏」なんだそうです。

あれ?
弥勒菩薩は笑っているでしょうか?
微笑んでいるのなら、わからんでもないんですが。

どうやら中国の弥勒仏とは、日本では七福神でおなじみの布袋さんを指すようです。
なんだかおかしい感じがしますが、私は弥勒や布袋に関して何を知っているわけでもありません。
布袋は実在した禅僧です。

 →The Laughing Buddha

            リーダーズ英和(プラス)
----------------------------------------------
Laughing Buddha
n. [the ?] 《中国の》 弥勒仏 (=→MI-LE-FO_).

Mi-le-fo
n. 弥勒仏 (=→MAITREYA_) 《中国では布袋(ほてい)和尚が弥勒の化身とされたことから, 布袋像が弥勒仏の像となっており, これは英語で Laughing Buddha とも呼ばれる》

Maitreya
n. 【仏教】 マイトレーヤ, 弥勒(菩薩), 未来仏 (future Buddha) 《「慈氏」とも漢訳される; 釈迦に次いで仏になることが約束された菩薩; 釈迦没後 56 億 7 千万年後に仏となって人びとを救済するとされる》.
----------------------------------------------
                 広辞苑第五版
----------------------------------------------
ほてい【布袋】
後梁の禅僧。明州奉化の人。名は契此かいし、号は長汀子。四明山に住み、容貌は福々しく、体躯は肥大で腹を露出し、常に袋を担って喜捨を求め歩いた。世人は弥勒の化身と尊び、その円満の相は好画材として多く描かれ、日本では七福神の一とする。( ?917)
----------------------------------------------

『ぼくたちの疾走』(山本おさむ)というマンガがあります。
80年代に週刊漫画アクションに連載されました
当初はスチャラカな高校生の日常を描いていたのですが、途中から暗い部分も出てくるようになりました。

マイトレーヤと聞くと、そのマンガを思い出します。
西海岸発の原始仏教ブームを気取った連中が、主人公たちをひどい目に合わせるのです。
私も下北沢あたりで、「マイトレーヤ」などと言いたがる、似たような人たちに嫌な思いをしたことがあります。
オウム真理教事件の時、高橋和巳『邪宗門』とともに、このマンガを思い出しました。

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電動缶切り CHRONICLES #430

 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]
千本浜 2006年9月5日

 →Chapter 5: River of Ice

一行空けて、ヴァン・ロンクの妻の話に変わります。

----------------------------------------------
Van Ronk's wife, Terri, definitely not a minor character, took care of Dave's bookings, especially out of town, and she began trying to help me out.

ヴァン・ロンクの妻テリが控えめなタイプではないことは明らかで、デイヴの出演契約を管理していた。特にニューヨーク以外の場所での公演は彼女の担当で、私の契約も取ろうとしてくれた。
----------------------------------------------

TerriはTheresaの異形だそうです。
姐御ですね。
ディラン青年、大いに世話になってます。

ヴァン・ロンクと同様にはっきりものを言う人で、特に政治に関しては自説を曲げなかったそうです。
知的で話についていくのが難しかったと言っていますが、難解なものの言いよう(highfalutin')に、ディランは閉口していたのかもしれません。

----------------------------------------------
Both were anti-imperialistic, antimaterialist. "What a ridiculous thing, an electric can opener," Terri once said as we walked past the shop window of a hardware store on 8th Street. "Who'd be stupid enough to buy that?"

二人とも反帝国主義者で、反物質主義者だった。「何て馬鹿なものを、電気缶切りだって」八番街の金物屋のショーウィンドーの前を通りかかった時にテリが言った。「あんなものを買う馬鹿がいるの?」
----------------------------------------------

「反唯物論者」とも読めるんですが、文脈からは「反物質主義者」の方が良さそうです。
しかし、電動缶切りとはどうなんでしょう。
便利なような、不便なような。
少なくともアウトドアや非常時には向きませんね。

検索したら、ありました。
電池で動くようです。


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糸吊り人形 CHRONICLES #429

千本浜 2006年9月1日

 →Chapter 5: River of Ice

----------------------------------------------
He also never phrased the same thing the same way twice. Sometimes I'd hear him play the same song that he'd done in a previous set and it would hit me in a completely different way. He'd play something, and it was like I'd never heard it before, or not quite the way I remembered it.

彼はまた、同じものを二度同じように歌うことがけっしてなかった。前の出番で歌ったのと同じ歌を演るのを聴くことがあったが、僕はまったく違う印象を受けたものだ。彼が何かを演ると、それは僕が一度も聴いたことのない曲のようだったり、僕が覚えているのとまったく違ったりした。
----------------------------------------------

「フレーズ」なので、言葉の遣い方にも、楽節の動きにも取れるのですが、とりあえず「歌い方」と考えておきましょう。

伴奏のリズムやコード進行まで含めるとわかりやすいですね。
あの長調の「朝日のあたる家」を短調に作り替えたのは、劇的でした。
でも、ここでは歌唱力のことだけ言っているように思います。
目を見つめて少しずつ声を変え、ヴァン・ロンクは聴いている者を催眠術にかけます。

----------------------------------------------
He was built like a lumberjack, drank hard, said little and had his territory staked out--full forward, all cylinders working. David was the grand dragon.

彼は材木伐り出し人のような頑丈な体格で、大酒のみだった。口数は少なく、自分の縄張りはしっかりと杭で囲っていた。前に突進し、いつもエンジンがフル回転だった。デビッドは、堂々としたドラゴンだった。
----------------------------------------------

念の為に辞書を引いてみると、Ku Klux Klan の州組織の首領が"grand dragon"と呼ばれているそうです。
「ドラゴン」は「ドン」ぐらいの感じで言っているのかもしれません。

ウディ・ガスリーが商業的成功を捨てたように、ヴァン・ロンクも操りに人形になることは拒んだようです(No puppet strings on him ever)。
まるで巨人の国から来た人のようだったとディランは書いています。

だから、亡くなった今もニューヨークで愛されているのでしょうね。

 →dave van ronk unauthorized

ただいまp.263です。

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君の瞳に CHRONICLES #428

 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]
千本浜 2006年9月1日

 →Chapter 5: River of Ice

ヴァン・ロンクの話が続きます。

----------------------------------------------
One of his patented dramatic effects would be to stare intently at somebody in the crowd. He'd pin their eyes like he was singing just to them, whispering some secret, telling somebody something where their lives hung in the balance.

彼が始めた劇的効果としては、聴衆の中の誰かをじっと見つめるという手がある。その人のためだけに歌っているかのように視線を固定して、何か秘密の話をするかのようにささやきかけ、人生がどちらに行くのか秤にかかっているところで誰かに大切なことを教える。
----------------------------------------------

これは演技なんですね。
大きな舞台では難しいですが、ライブハウスといった雰囲気のところでは特別な効果がありそうです。

ロバート・アルトマン監督の傑作映画『ナッシュビル』に、ちょうどそんなシーンがあります。
キース・キャラダインが客の目をじっつ見つめながら歌います。

前にどこかで書いたな。
ああ、これこれ。

 →幻泉館日録:ナッシュビル(1975年)

ウディ・ガスリーを演じたデヴィッド・キャラダインの弟、キース・キャラダインが、自作の曲を弾き語りします。
これがいいんですわ。
そりゃ、じっと見つめられたらイチコロですわな。
何のこっちゃ。

ああ、DVD発売してください。
ロバート・アルトマン監督の『ナッシュビル』!

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インターネット翻訳の王様 バイリンガル Version 5 + OCR

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錆びた爆弾の破片 CHRONICLES #427

千本浜 2006年8月17日

 →Chapter 5: River of Ice

----------------------------------------------
Van Ronk's voice was like rusted shrapnel and he could get a lot of subtle ramifications out of it--delicate, gentle, rough, explosive, sometimes all within the same song.

ヴァン・ロンクの声は錆びた榴散弾のようで、それを少しずつ変化させて様々な声を作り出すことができた。やわらかい声、穏やかな声、荒々しい声、爆発するような声。時には同じ歌の中でも使い分けた。
----------------------------------------------

"shrapnel"は「爆弾の破片」でも良いのですが、辞書に載っていた「榴散弾」という言葉を遣ってみました。
漢字のおかげ想像できるのですが、正確には何なのかわかっていません。
こんなものでした。

 →榴散弾(榴霰弾)

それにしても、やっぱりよくわからない比喩です。

ウディ・ガスリーの時にも出てきましたが、いろいろな声を操ることのできる歌手を、ディランは尊敬しているようです。
実際、ディランもいろいろな声で歌っていましたね。
私がこんなことを言うのも変ですが、ディランはとても歌の上手な人なんだと思います。

----------------------------------------------
He could conjure up anything--expressions of terror, expressions of despair. He also was an expert guitar player. All that, and he had a sardonic humorous side, too. I felt different towards Van Ronk than anyone else on the scene because it was him who brought me into the fold and I was happy to be playing alongside him night after night at the Gaslight.

彼は魔法で何でも作り出すことができた。恐怖の表現も、絶望の表現も。また、ギターの名手でもあった。そのうえ、茶化すようなユーモラスな側面もあった。僕はそのころの他の誰に対するのとも違う思いを、ヴァン・ロンクに感じていた。その仲間に入れてくれて、毎晩「ガス灯」で一緒に演奏させてくれているのがとても嬉しかったから。
----------------------------------------------

「ガス灯」は本物の客がいる、本物のステージでした。
そこでは、本物の歌が歌われているのです。
仲間入りができて、本当に嬉しかったのでしょう。

ヴァン・ロンクのアパートにはいつでも泊めてもらえたり、ジャズを演奏している店にあちこち連れていってもらったり、ヴァン・ロンクには本当に世話になっていたそうです。

当時連れていってもらったジャズ・クラブの名前としては、こんなものが挙がっています。
Trudy Heller's, the Vanguard, the Village Gate, the Blue Note

 →The Village Vanguard Web Site

 →The Village Gate

 →Blue Note Jazz Club

ただいまp.262です。

BlogPet デイヴ・ヴァン・ロンク/ラグタイム・ジャグ・ストンパーズ(紙) ラグタイム・ジャグ・ストンパーズ(紙)


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朝日のあたる家 CHRONICLES #426


 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]
千本浜 2006年8月17日

 →Chapter 5: River of Ice

ポール・クレイトンの友人は他所から来た人たち(out-of-towners)でした。
クレイトンと同様に、みな階級から離れたところ(caste apart)にいようとするのです。
一般的な社会規範から外れ(nonconformists)ているのですが、ケルアックのように自分の活動を世間に認めさせようとするわけでもありません。

クレイトン以外にフォークの連中はいなかったようですが、ディランはこの人たちがとても好きだったそうです。
それはそうですよね、宿無しのディランを自分の部屋に泊めて好き勝手やらせてくれたレイのような人たちなんですから。

その連中の仲間ではありませんが、クレイトンはデイヴ・ヴァン・ロンクとも仲の良い友人でした。

 →dave van ronk unauthorized

 →Wikipedia: Dave Van Ronk

当時、ヴァン・ロンクは最高のフォークシンガーでした。

----------------------------------------------
I was greatly influenced by Dave. Later, when I would record my first album, half the cuts on it were renditions of songs that Van Ronk did. It's not like I planned that, it just happened. Unconsciously I trusted his stuff more than I did mine.

僕はデイヴに大きな影響を受けた。後に最初のアルバムを録音することになった時、その半分はヴァン・ロンクの解釈によるものだった。そういうつもりだったのではなくてそうなってしまったのだ。知らず知らずのうちに、僕は自分の曲よりも彼の曲を信頼するようになっていたのだ。
----------------------------------------------

"No Direction Home"の中で、ヴァン・ロンクが怒ってみせていましたね。
「朝日のあたる家(House of the Rising Sun)」の短調(マイナー)によるコード進行は、ヴァン・ロンクが作ったものです。
それを先にレコードにされてしまったのです。
もう自分はそのコード進行で歌うことができなくなってしまったと。
それが1962年。

元歌は高田渡さんが「朝日楼」というタイトルで好んで歌っていたように、長調で知られていたのでしょう。

このマイナーのコード進行を元にアニマルズが「朝日のあたる家」をブリティッシュロックに仕立て上げて大ヒットさせます。
それが1964年。
東京オリンピックの年です。

これでディランも「朝日のあたる家」が歌えなくなったんだとヴァン・ロンクは大笑いしていました。
でも、その大ヒットのおかげでディランがロックに回帰するきっかけができたのだから、わからないものですね。

 →bobdylan.com: Albums

 →幻泉館日録:朝日楼

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写真的記憶 CHRONICLES #425

 →I Love Sunset!
千本浜 2006年8月10日

 →Chapter 5: River of Ice

「ガス灯」には、ポール・クレイトン(Paul Clayton)も時々出演していました。

 →The Bob Dylan Who's Who: Clayton, Paul

 →Paul Clayton Discography

この名前も、前に出てきました。
インテリで、学者で、詩人。
ディランがその部屋に居候することになったレイ・グーチ(Ray Gooch)を紹介してくれた人です。
若いディランをずいぶんかわいがってくれたんですね。

 →CHRONICLES #14 (Bob Dylan)

 →CHRONICLES #57 アヘン吸飲者レイ

 →CHRONICLES #87 鯨の歌

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Paul got all his versions of songs by adapting transcriptions from old texts. He knew hundreds of songs and must have had a photographic memory. Clayton was unique--elegiac, very princely-part Yankee gentleman and part Southern rakish dandy. He dressed in black from head to foot and would quote Shakespeare. Clayton traveled regularly from Virginia to New York and back, and we got to be friends.

ポールの歌はすべてが、古い文献から書き起こして作り替えたものだった。何百という歌を知っていたのだが、写真のような記憶力を持っていたに違いない。ユニークな人だった。いつも哀調に満ちていた。貴公子然とした北部紳士の側面と、南部の粋な伊達男の側面を持っていた。いつも頭のてっぺんからつま先まで黒い服を着ていて、シェークスピアを引用したものだった。クレイトンは定期的にヴァージニアとニューヨークを行き来してて、そして僕たちは仲良くなった。
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レコードを一回聴いただけで歌を覚えてしまうディランが言ってるのですから、ポール・クレイトンは本当にすごい記憶力だったんでしょう。
わざわざ「写真のような」というを遣っているので、ディランの記憶力とはその作用の仕方が違うのかもしれません。

写真的な記憶力、うらやましいですわ。
どうも丸暗記というのが苦手で、高校の教師がこういうふうに覚えろと言ったまんまに覚えるのはダメでした。
近頃も易しい漢字が書けなかったり……それは老人力が付いてきたのか。

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仲間たち CHRONICLES #424

 →I Love Sunset!
千本浜 2006年8月9日

 →Chapter 5: River of Ice

ロード・バックリーはディランがニューヨークに出る前年に亡くなったので、ステージを見ることができなかったそうです。
レコードで親しんでいたのですね。

「ガス灯」の他の出演者としては、他にハル・ウォーターズ(Hal Waters)、ジョン・ウィン(John Wynn)、ルーク・ファウスト(Luke Faust)、ルーク・アスキュー(Luke Askew)の名前が挙がっています。
ハル・ウォーターズはいいサイトが見つかりませんでした。
ルーク・ファウストは「アパラチアン・バラッドを歌う」と書いてあるのですが、「Insect Trust」というバンドがヒットします。
ルーク・アスキューは後に俳優になったそうです。

 →John Wynn Home

 →The Insect Trust- Tribute

 →the insect trust - hoboken saturday night

 →ルーク・アスキュー

おっと、出演者の名前はまだまだ続きます。

 →Illustrated Len Chandler discography

レン・チャンドラーは前にも出てきました。
3回目ですね。
ディランは、レン・チャンドラーが好きだったんですね。

 →CHRONICLES #101 みんな泰子さんには触りたかった

 →夕暮れ CHRONICLES #112

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サイケなピエロ CHRONICLES #423

千本浜 2006年8月5日

 →Chapter 5: River of Ice

当時の「ガス灯」の出演者に、ヒュー・ロムニーという人物がいました。
いつもブルックス・ブラザーズの明るいグレーのスーツを着ている真面目な雰囲気の独演者(monologist)です。

 →Brooks Brothers

それでいて、うちとけた雰囲気の話し方で、反体制的な話をするのです。
レニー・ブルース(Lenny Bruce)みたいなものでしょうか。
同じ時代ですね。

 →The Complete Lenny Bruce

 →Wikipedia: Lenny Bruce

ディランによれば、ロムニーはロード・バックリー(Lord Buckley)の影響を受けていたけれど、まだまだその域ではなかったそうです。
あら、リンカーンの首が挿げ替えてあるわ。

 →Lord Buckley.com

ヒュー・ロムニーは、後にサイケデリック・ピエロ(psychedelic clown)のウェイヴィ・グレイヴィ(Wavy Gravy)になりました。
サイケデリック・ピエロというのを初めて聞いたのですが、本人のサイトがありました。
確かに、サイケなピエロです。
強烈よ。

 →Wavy Gravy's Homepage

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ノエル CHRONICLES #422

千本浜 2006年8月5日

「ガス灯」では、ノエル・ストーキー(Noel Stookey)がMCをしていました。
PP&Mに参加して「ピーター」を名乗る前ですね。
アルバート・グロスマンの誘いをヴァン・ロンクは断り、そしてストーキーが受け入れて「ピーター」になりました。
グロスマンは聖書のイメージを利用するために「ピーター」が必要だったのです。

 →PP&M誕生 CHRONICLES #136

 →Noel Paul Stookey

「MC」というのは「emcee」と綴ることもありますね。
"master of ceremonies"の頭文字だそうで、つまり司会のことです。
日本だと少し違う意味で遣ってるかしら。
演奏の合間のトークみたいな感じかな。

若き日の坂崎幸之助さんは、林家三平師匠の噺を聞いてトークの勉強をしたそうです。
高田渡さんは、あれは元々の才能でしょうか。
そういえば渡さん、お酒や演奏(高座)途中の居眠りは、五代目志ん生にそっくりですな。

 →Wikipedia: 古今亭志ん生 (5代目)

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He worked in a camera store during the day. At night he was dressed in a neat three-piece suit, was immaculately groomed, a little goatee, tall and lanky, Roman nose.

彼は昼間カメラ店働いていた。夜には三つ揃えを完璧に着こなしていた。あごの下にやぎのような髭を少し生やし、背が高くひょろりとして、ローマ鼻をしていた。
-----------------------------------------------

え?っと、ローマ鼻というのは鼻梁が高い、いわゆる鉤鼻ですな。

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He could imitate just about anything--clogged water pipes and toilets flushing, steamships and sawmills, traffic, violins and trombones. He could imitate singers imitating other singers. He was very funny. One of his more outrageous imitations was Dean Martin imitating Little Richard.

彼は何でも真似することができた。詰まった水道管にトイレで水を流す音、蒸気船と製材所ののこぎり、車の通る音、バイオリンとトロンボーン。歌手が他の歌手の真似をしているところも、物真似することができた。とてもおもしろかった。一番すごい物真似は、ディーン・マーチンがリトル・リチャードの真似をしているところだった。
-----------------------------------------------

ディーン・マーチンの物真似というのは、よくありましたね。
しかし、ディーン・マーチンがリトル・リチャードの真似をすると、どうなるんでしょう。

 →Dean Martin Fan Center

 →Little Richard News

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ガス灯 CHRONICLES #421

保線区 2006年8月4日

 →Chapter 5: River of Ice

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New York City, midwinter, 1961. Whatever I was doing was working out okay and I intended to stay with it, felt like I was closing in on something. I was playing on the regular bill at the Village Gaslight, the premier club on the carnivalesque MacDougal Street.

ニューヨーク市、1961年真冬。僕のやっていることは何もかもうまくいき、そして何かに近づきつつあるのを感じながら、これを続けていくつもりだった。カーニバルのようなマクドゥーガル街の一級クラブ「ビレッジ・ガス灯」へ定期的に出演して演奏していた。
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当時の「ガス灯」のオーナーは、ジョン・ミッチェル(John Mitchell)という伝説的な人物でした。
ディランはミッチェルにはほんの数回会っただけでした。
ジャック・ケルアックが小説で描いたエキゾチックな風貌の女性のモデルとなったガールフレンドがいたそうです。

地元のマフィアにみかじめ料を払わなかったので、「ガス灯」は警察や消防や保健所から嫌がらせを受けていたようです。
弁護士を立ててがんばっていたようですが、ある日突然ミッチェルは「ガス灯」を売り払って、外国へ行ってしまいました。
なんだか興味深い人物です。
その後どうなったんでしょう。

検索したら、不思議なサイトがヒットしました。

 →COLUMN SIX

この時に、ディランが受け取っていた報酬は、週に現金で60ドルでした。
ミネアポリスで歌っていた時は、一回で3ドルから5ドルです。
ルー・レヴィのリーズ音楽出版社と版権の契約を結んだ時には、100ドルを前払いで受け取っています。
「ガス灯」の週60ドルは、悪くない金額だったようですね。

ただいまp.259に入ったところです。

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旅立ち CHRONICLES #420

千本浜 2005年8月31日

 →Chapter 5: River of Ice

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Eventually, it was time for me to get out of Minneapolis. Just like Hibbing, the Twin Cities had gotten a little too cramped, and there was only so much you could do. The world of folk music was too closed off and the town was beginning to feel like a mud puddle.

ついに僕がミネアポリスを出ていくべき時が来た。ヒビングとまったく同じように、ツインシティズも窮屈になったので、できることは本当にごくわずかなことだけになってしまった。ここのフォーク音楽の世界が狭苦しくて、街を泥だらけの水たまりのように感じ始めていた。
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先に挙がったフォーク仲間はごく人数が少なかったので、ディランはすぐに停滞した雰囲気を感じるようになりました。
もっとたくさんのことを吸収できる刺激的な人に巡り遭いたかったのでしょう。
まだ高校を出たばかり。

この感じはよくわかります。
のどかな県のんびり市で暮らしていた高校生の私も、早く東京へ出たいものだと思っていました。

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New York City was the place I wanted to be and one snowy morning around daybreak after sleeping in the back room of the Purple Onion pizza parlor in St. Paul, the place where Koerner and I played ... with only a few tattered rags in a suitcase and a guitar and harmonica rack, I stood on the edge of town and hitchhiked east to find Woody Guthrie.

ニューヨークが僕の行きたい場所だった。コーナーと僕が演奏した、セントポールにあるパープル・オニオン・パーラーのバックルームで眠ってから、ある雪降る夜明けに……わずかなぼろ服だけ詰め込んだスーツケースと、ギターとハーモニカ・ホルダーを持って、僕は町外れに立って、ウディ・ガスリーを見つけるためにヒッチハイクで東へ向かった。
-----------------------------------------------

ああ、いいですね。
かっこいいです。
いよいよディランの旅立ちです。
ミネアポリスでは、まだディランはディランになることに成功していません。

ニューヨークへ向かう車が雪原の中を走る間、ディランはジャック・エリオットとジョーン・バエズのぼんやりとした影(looming shadows)を見ます。
ニューヨークには、本当にジャックとジョーンがいるのです。

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However true that might have been, I, too, had the axe in my hands and needed to tear out of there, head off to where life promised something more--felt that my own voice and guitar would be equal to the situation.

それがどれだけ本当のことであったかわからないが、僕もまた手に斧を持っていて、そしてそこを切り開いてもっと大切なものが約束されたところへ向かわなければならないのだ。僕の声とギターはそんな状況をやっていけるのだと感じながら。
-----------------------------------------------

今の日本では死語になっていると思いますが、ほとんどまさに青雲の志です。
一歩間違えば「男おいどん」なんですが、この青少年がニューヨークで本当にボブ・ディランになるということを私たちは既に知っています。

さて、いよいよ"CHRONICLES VOLUME ONE"も冒頭のニューヨークへ話が戻ることになります。
ただいまp.258です。

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坊や、速すぎるよ CHRONICLES #419


狩野川 2006年7月29日

 →Chapter 5: River of Ice

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I couldn't play like Glover or anything, and didn't try to. I played mostly like Woody Guthrie and that was about it. Glover's playing was known and talked about around town, but nobody commented on mine.

僕はグローヴァーやなんかのようには演奏できなかったし、そんなふうに演奏しようともしなかった。たいていはウディ・ガスリーのように演奏したというわけだった。グローヴァーの演奏は有名だったし、街中で話題になっていたけれど、僕の演奏については誰も何も言わなかった。
-----------------------------------------------

ハーモニカの演奏のことです。
演奏方法が違うのだから、これは仕方がないですね。

ディランが後にニューヨークに出て行って「Cafe Wha?」で最初に仕事をもらったのは、ハーモニカ奏者としてでした。
だからそんなに悪くはないと思うのですが、本人は笑い話のネタにしているようです。

-----------------------------------------------
The only comment that I ever got was a few years later in John Lee Hooker's hotel room on Lower Broadway in New York City. Sonny Boy Williamson was there and he heard me playing, said, "Boy, you play too fast."

僕が貰った唯一のコメントは数年後、ニューヨーク市ローワー・ブロードウェイにあるホテルのジョン・リー・フッカーの部屋でだった。サニー・ボーイ・ウィリアムスンがそこにいて、僕が演奏するのを聴いて言ったのだ。「坊や、速すぎるよ」
-----------------------------------------------

 →John Lee Hooker

 →Sonny Boy Williamson 2

 →Sonny Boy's Lonesome Cabin 映像があります。

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ミネアポリスの音楽仲間 CHRONICLES #418

保線区 2006年7月25日

 →Chapter 5: River of Ice

当時のミネアポリス周辺の歌い手ということで、ディランは二人の名前を挙げています。

一人はデイヴ・レイ(Dave Ray)。
まだ高校生で、12弦ギターを弾いてレッドベリーやボ・ディドリー(Bo Diddley)の曲を歌っていました。
中西部全体でも、12弦ギターはこの1丁しかなかっただろうと言ってますが、本当かしら。

 →BO DIDDLEY - The Originator

 →Wikipedia: Bo Diddley

ボ・ディドリって、いいですよね。
鮎川誠さんが、ボ・ディドリーと一緒に写った写真を嬉しそうにアップしていましたよ。

 →Mo' Photos with Bo Diddley !!

このデイヴ・レイはGoogleで検索するとヒットします。
ディランの兄貴分だったジョン・コーナーと一緒に演奏している写真がありました。
2002年の感謝祭の早朝に、癌で亡くなったそうです。

 →Remembering Dave Ray

ディランがもう一人名前を挙げているのは、トニー・グローヴァー(Tony Glover)です。
歌よりもハーモニカを吹いていることが多かったそうです。
ジョン・コーナーのサイトを覗くと名前が出ているので、今も一緒にやっているようです。

 →SPIDER JOHN KOERNER Official Website

トニー・グローヴァーの場合は「ソニー・テリーやリトル・ウィルターのように」両手でふさぐようにハーモニカを吹いていました。

 →Sonny Terry

 →Little Walter

ディランは、ギターを弾きながら、ハーモニカ・ホルダーを使って吹きました。
あのホルダー(harmonica rack)は、やっぱり手に入らなかったそうです。
当初はハンガーを曲げて代わりに使っていたという話です。

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The real harmonica rack that I found was in the basement of a music store on Hennipen Avenue, still in a box unopened from 1948. As far as harp playing went, I tended to keep it simple.

僕が見つけた本物のハーモニカ・ホルダーは、ヘニペン街の楽器屋の地下室で、1948年以来未開封のままの箱の中にあった。ハーモニカの演奏に関する限り、僕はシンプルな演奏を続けることが多かった。
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銀の短剣 CHRONICLES #417

千本浜 2004年3月11日

 →Chapter 5: River of Ice

その時、ディランとバエズの間は遠く離れていました。
暮らしている世界がまったく違いました。
でも、ディランは自分たちが将来出会うのは必然だと感じました。
不思議なことです。

-----------------------------------------------
I didn't know much about Joan Baez. I had no idea that she'd always been a true loner, kind of like me, but she'd been bounced around a lot and lived in places from Baghdad to San Jose. She had experienced a whole lot more of the world than I did. Even so, to think that she was probably more like me than me would have seemed a little excessive.

僕はジョーン・バエズのことをあまり知らなかった。僕と同じようにいつも一人だけでいるのを好むとはまったく思わなかったのだが、あちこち動き回ってバグダッドやサンホセといったようなところで暮らしたのは知っていた。僕よりもずっと広い世界を体験していたのだ。そうであっても、彼女が僕よりもずっと僕に似ていると考えても、さほど突飛ではなかっただろう。
-----------------------------------------------

そういえば、ミネアポリスの大学に転がり込んだころのディランに、それほどたいした人生経験はまだなかったことでしょう。
"No Direction Home"の証言でも、ミネアポリスの歌手ディランは飛び抜けた存在ではなかったようです。
ただ、歌に関しては真っ直ぐだったんだなあということはわかります。

ジョーン・バエズの最初のレコードからは、バエズが社会変革に興味を持っているとはわからなかったそうです。
ディランはバエズを幸運な人だと思いました。
早い時期からずっと自分にふさわしいフォークに関わり、そしてそれを完璧に表現する技術を修得した、幸運な人物です。

-----------------------------------------------
I was going in the same direction even though I was way in back of her at the moment. She had the fire and I felt I had the same kind of fire.

その時、僕は彼女よりずっと遅れたところにいたけれど、同じ方向を目指していた。彼女の中には火が燃えていて、そして僕も自分の中に同じ種類の火が燃えているのを感じた。
-----------------------------------------------

"Mary Hamilton"
 →Wikipedia: Mary Hamilton

 →Mary Hamilton

 →The Four Marys 音量注意!

"Silver Dagger"
 →Wikipedia: Silver Dagger

 →Silver Dagger 音量注意!

"John Riley"
 →Wikipedia: John Riley

 →John Riley

こういう曲は、誰もが説得力を持って歌える曲ではないのだそうです。
バエズは歌えました。
ディランも、バエズと違う形ではあるけれど、説得力を持って歌えると感じていました。

バエズが"Silver Dagger"を歌うと、本当にジョーン・バエズがそんな家に生まれたかのように感じられたと、ディランは書いています。
娘の隣に眠っている母親が短剣を握りしめていて、娘の恋人を殺そうとしている家庭です。

あれ?
この曲は知ってるなあ。
おお、『ボブ・ディラン ・アット/フィルハーモニック・ホール(Bob Dylan Live 1964)』に入っているのだった。

 →幻泉館日録:ボブ・ディラン Live 1964

2枚目の5曲目。
ジョーン・バエズが歌って、ボブ・ディランがハーモニカを吹いています。

 ♪ Don't sing love songs, you'll wake my mother
 ♪ She's sleeping here right by my side
 ♪ And in her right hand a silver dagger,
 ♪ She says that I can't be your bride.

 ♪ 愛の歌は歌わないで 母さんを起こしてしまう
 ♪ 母さんは私のすぐ横に眠っているの
 ♪ 右手に銀の短剣を持って
 ♪ 私はあなたの花嫁にはなれないと言ってる

おっと、忘れてました。
日本盤は3,600円ですが、二年前に私が買ったのは輸入盤で、980円だったのです。
今は輸入盤でも2,960円だそうです(amazon.co.jp)。

The Bootleg Series, Vol. 6: Bob Dylan Live 1964 - Concert at Philharmonic Hall

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もう一人の僕 CHRONICLES #416

千本浜 2004年7月19日

 →Chapter 5: River of Ice

ジョーン・バエズ以前の女性歌手として、ディランはアント・モリー・ジャクソン(Aunt Molly Jackson)とジーニー・ロビンソン(Jeanie Robinson)の名前を挙げています。
モリー・ジャクソンはサイトが見つかりましたが、ジーニー・ロビンソンはわかりません。
どちらもディランが好きだったフォークシンガーなのですが、ずっと上の世代で、現代の聴衆の心には訴えかけないという文脈です。

 →Aunt Molly Jackson, Kentucky Coal Mining Diva

続けて、メンフィス・ミニー(Memphis Minnie)とマー・レイニー(Ma Rainey)という二人のブルーズシンガーの名前を挙げています。
ジョーン・バエズは、ジャンルこそ違いますが、この人たちの方に似ていたというのです。

 →Trail of the Hellhound: Menphis Minnie

 →Wikipedia: Menphis Minnie

ギターの弾き語りでブルーズを歌うんですか。
Wikipediaの写真だと、ずいぶんかっこいい人だったようですね。
サイトはマー・レイニーの方がずっとたくさんヒットします。

 →Ma Rainey 解説

 →Gertrude "Ma" Rainey

歌い方が似ているというようなことではないようです。
「女の子っぽい(girlish)」ところがなくて、成熟していたという意味合いのようです。

-----------------------------------------------
Both Scot and Mex, she looked like a religious icon, like somebody you'd sacrifice yourself for and she sang in a voice straight to God... also was an exceptionally good instrumentalist.

彼女はスコットランドとメキシコの血を引いていて、聖画像のように見えた。まるで身を生贄に捧げる者のように。そして、真っ直ぐ神に向けた声で歌った。また、楽器の演奏も並外れて上手だった。
-----------------------------------------------

レコードの選曲もバエズの歌も非常に優れたもので、ディランは同じ年齢なのを知って自分が役たたずのように感じたそうです。

-----------------------------------------------
However illogical it might have seemed, something told me that she was my counterpart--that she was the one that my voice could find perfect harmony with.

しかし非論理的ではあるが、何かが僕に、彼女はもう一人の僕なのだと告げた。僕の声が完璧なハーモニーを奏でる人なのだと。
-----------------------------------------------

たいしたものです。
やっぱりディランは天才なのです。
何も言うことはありません。

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青い目のジュディ CHRONICLES #415

千本浜 2004年11月23日

 →Chapter 5: River of Ice

ひとめぼれと言っても、ディランはとりあえず「歌手」ジョーン・バエズに惚れたのです。
将来本当に人間として関わりを持つようになるなどとは、まだ想像もできないことでした。

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She sold a lot of records and it was easy to understand why. The women singers in folk music were performers like Peggy Seeger, Jean Ritchie and Barbara Dane, and they didn't translate well to a modern crowd. Joan was nothing like any of them. There was no one like her. It would be a few years before Judy Collins or Joni Mitchell would come on the scene.

彼女のレコードはよく売れていたが、その理由はわかりやすかった。フォークミュージックの女性歌手はペギー・シーガーや、ジーン・リッチーや、バーバラ・デインのような人達だったが、現代の聴衆にはあまりはっきりとつながらなかった。ジョーンはまったく違っていた。ジョーンのような女性歌手はいなかった。ジュディ・コリンズやジョニー・ミッチェルが登場するまでまだ数年あった。
-----------------------------------------------

ジョーン・バエズ以降という言い方が成り立つのでしょう。
私の場合も、ジョーン・バエズよりジュディ・コリンズやジョニー・ミッチェルの方が、お馴染みでした。
CS&Nの「青い目のジュディ」がとても懐かしいです。

ペギー・シーガーはピート・シーガー、マイク・シーガーの妹さんですね。
バンジョーの名手。
さらに妹がいるようで、まあすごい兄弟だわ。

 →NEW LOST RAMBLERS: スリー・シスターズ

 →Peggy Seeger, Official Site

ジーン・リッチーはアパラチアン・ダルシマーの名手だそうです。
ハンマー・ダルシマーと違って爪弾く方、よしだよしこさんの歌う「ダルシマ」です。

 →アメリカの民俗楽器

 →The Jean Ritchie Homepage

バーバラ・デインという人はまったく知らないのですが、ホームページを見ると、ジャズ評論家の「ステレオのベッシー・スミス」という言葉が掲載されているので、ジャズやブルーズで有名なのでしょうか。

 →Barbara Dane's Home Site

 →Unofficial BARBARA DANE Web Page

ジュディ・コリンズとジョニー・ミッチェルも、一応オフィシャルサイトを覗いておきましょう。
わ、青い目のジュディ、ちょっと恐いです。

 →judcollins.com

 →jonimitchell.com

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ひとめぼれ CHRONICLES #414

保線区 2006年7月15日

 →Chapter 5: River of Ice

ディランがジョーン・バエズのことを知った時、バエズは既にアルバムを一枚出していました。
ヴァンガード(Vanguard)から出ていた"Joan Baez"というアルバムです。

バエズが出演したテレビ番組も見たそうです。

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She'd been on a folk music program broadcast nationwide on CBS out of New York. There were other performers on the show including Cisco Houston, Josh White, Lightnin' Hopkins. Joan sang some ballads on her own and then sat side by side with Lightnin' and sang a few things with him. I couldn't stop looking at her, didn't want to blink. She was wicked looking--shiny black hair that hung down over the curve of slender hips, drooping lashes, partly raised, no Raggedy Ann doll. The sight of her made me high. All that and then there was her voice. A voice that drove out bad spirits. It was like she'd come down from another planet.

CBSがニューヨークから全国放送したフォーク番組に出ていた。シスコ・ヒューストンやジョシュ・ホワイトやライトニン・ホプキンスといった他の歌手も出ていた。ジョーンは自分のバラッドを数曲歌い、それからライトニンと並んで座り、一緒に何曲か歌った。僕は彼女を見ずにはいられなかった。瞬きもしたくなかった。素晴らしい容姿をしていた。艶のある黒髪が、ほっそりした腰の曲線まで掛かって、少し跳ね上がっていたいた。ラゲディー・アン人形とはまったく違った。彼女を見て僕は気持ちが高揚した。それに加えて、あの声だった。悪霊を追い払う声。まるで他の惑星から来た人のようだった。
-----------------------------------------------

ディランは「邪悪な(wicked)」という形容詞を使っていますが、絶賛しているのだと思います。
ここでどうしてこの人形の話が出てくるのかは、よくわかりません。

 →Raggedy Ann and Andy

シスコ・ヒューストンは以前リンクを張りましたね。
ウディ・ガスリーと演奏している写真がありました。

 →Cisco Houston

 →Josh White: Society Blues

シバさんが渡さんに初めて会った時に、「ライトニンの曲」なんかやってみせたって、ずっと昔に言ってました。
ジョーン・バエズと並んで座って歌ってるのは、なんだか不思議です。

 →Wikipedia: Lightnin' Hopkins

しかし、ディランさん、いきなりメロメロですな。

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フォークの女王 CHRONICLES #413

保線区 2006年7月14日

 →Chapter 5: River of Ice

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Whatever I heard people say was irrelevant--both good or bad--didn't get caught up in it. I had no preconditioned audience anyway. What I had to do was keep straight ahead and I did that. The road ahead had always been encumbered with shadowy forms that had to be dealt with in one way or another. Now there was another one. I knew Jack was up there someplace and I hadn't missed what Pankake had said about him. It was true. Jack was the King of the Folksingers.

他人が言うことを耳にして見当違いなものはどれも、それが良いことであれ、悪いことであれ、僕はとらわれることがなかった。僕には、あらかじめ予見を持った聴衆なんて一人もいなかった。僕がやらなければならないのは真っ直ぐに前へ進み続けることであり、そして僕はそうした。僕の前の道には、どうにかして乗り越えなければぼんやりとした姿がいつもふさがっていた。今またそれが増えたのだ。前方のどこかにジャックがいることがわかったし、ジャックに関してパンケイクが言ったことを僕は忘れてはいなかった。それは本当だった。ジャックはフォークシンガーの王だった。
-----------------------------------------------

一行空けて、今度は「フォークシンガーの女王」の話になります。
もちろんジョーン・バエズ(Joan Baez)のことに決まっています。
このあたりの運びが、ディランは実にうまいです。

ジョーン・バエズはなんとなくディランより年上のように思っていましたが、同じ年に生まれたそうです。
世に出たのが、バエズの方が早かったのですね。

あの顔で、あの声で、確かにジョーン・バエズは誰もが認めるフォークの女王だったと思います。
その後の活動も、一貫していますね。

 →Wikipedia: ジョーン・バエズ

 →Wikipedia: Joan Baez

 →The Joan Baez Web Pages

ただいまp.254です。

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俗物根性 CHRONICLES #412

千本浜 2004年8月13日

 →Chapter 5: River of Ice

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Jon was one of the classic traditional folk snobs. They looked down on anything that smelled of commerciality and were vocal about it: groups like The Brothers Four, Chad Mitchell Trio, Journeymen, Highwaymen--the traditional folk snobs considered them all exploiters of a sacred thing.

ジョンはトラディショナル・フォークの典型的なスノッブだった。連中は商業主義の臭いがするものな何でも軽蔑し、そのことを口に出して言った。ブラザーズ・フォア、チャド・ミッチェル・トリオ、ジャーニーマンといったグループ。トラディショナル・フォークのスノッブたちは、彼等が神聖なものを食い物にしていると考えた。
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 →Official Website of The Brothers Four

 →Folk Era Records: Chad Mitchell Trio

 →The Journeymen

 →Wikipedia: The Highwaymen

ジョンって、パンケイクのことね。
日本で言えばカレッジ・フォークに当たる人たちを指しているようです。
こういう価値観はわからないでもありません。

いわゆるフォークファンの多くは同様な価値観を持っていたようです。
ディランもこのようなグループに夢中になることはありませんでしたが、"Waltzing Matilda"や"Little Brown Jug"や"The Banana Boat Song"といったタイトルを挙げて、自分の好きな曲をわざわざ貶める必要もないと言っています。

URCのレコードを聴いていた若者たちも、心情としてはこれに近かったのでしょう。
1971年の中津川フォークジャンボリーは、「音楽舎の商業主義」が批判されていました。
その後の音楽産業を考えれば、かわいいものでしたが。

当然裏返しのスノッブもありました。
その例として、ディランはボブ・ギブソンの名前を挙げています。

 →Wikipedia: Bob Gibson

見るからにさわやかなカレッジ・ポップス歌手ですなあ。
この人は伝統的なスタイルで歌う歌手に文句をつけていたそうです。
コンサートで真ん前に座って、洗練されていないと声を挙げるのです。
あらまあ。

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There wasn't any middle ground and it seemed like everybody was a snob of one kind or another. I tried to keep everything in perspective.

中間的な立場などまったくなく、誰もがなんらかのスノッブだった。僕はどちらも見通せるところにいようとした。
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私はスパイ CHRONICLES #411

千本浜 2004年7月28日

 →Chapter 5: River of Ice

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Pankake was right. Elliott was far beyond me. There were a few other Ramblin' Jack records that he had, too--one where he sings with Derroll Adams, a singer buddy of his from Portland who played banjo like Bascom Lamar Lunsford and sang in a dry and laconic witted style suiting Jack perfectly. Together they sounded like horses galloping.

パンケイクは正しかった。エリオットは僕をはるかに凌いでいた。パンケイクは他にも数枚ランブリン・ジャックのレコードを持っていた。その一枚では、ポートランド出身の彼の仲間、デロル・アダムズと歌っている。バスコム・ラマー・ランスフォードのようにバンジョーを弾き、簡潔で鋭い歌い方が完璧にジャックと合っていた。二人が一緒に歌うと、疾走する馬のように聞こえた。
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 →Wikipedia: Derroll_Adams

デロル・アダムズの写真がいいですね。
2000年に亡くなっているそうです。

 →On the Trail of Bascom Lamar Lunsford

 →Folkways: Bascom Lamar Lunsford 試聴できます

このレコードとまったく同じかどうかわかりませんが、同じ音源を使用したと思われるCDがありました。
日本では出ていないようですが、試聴できます。

 →Ramblin' Jack Elliott & Derroll Adams - Early Sessions

Ramblin' Jack Elliott & Derroll Adams - Early Sessions

Early Sessions
~ Ramblin' Jack Elliott & Derroll Adams
1. More Pretty Girls Than One
2. Roll on Buddy
3. Death of John Henry
4. Salty Dog Blues
5. Talking Blues
6. I'm Gonna Walk the Street in Glory
7. Cigarettes and Whiskey
8. Danville Girl
9. Worried Man Blues
10. San Francisco Bay Blues
11. Roll in My Sweet Baby's Arms
12. I'm Going Down the Road

ジャック・エリオットが一人で歌う時とは、だいぶ感じが違かったようです。
やはり昨日書いた"JACK takes the floor"の方が強い印象を受けたようで、パンケイクもそれを繰り返した聞かせたそうです。
ジャケットに写ったジャックの目が何かを語りかけているのが気になったと書いています。

ディランは新しく知った才能に驚き興奮するとともに、自分と比べてしまいかなり落ち込みました。
パンケイクの部屋を出て、寒い通りをさまよいます。

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A few weeks later Pankake heard me playing again and was quick to point out that I didn't fool him, that I used to be imitating Guthrie and now I was imitating Elliott and did I think in some way that I was equivalent to him? Pankake said that maybe I should go back to playing rock and roll, that he knew I used to do that. I don't know how he knew--maybe he was a spy, too, but in any case, I wasn't trying to fool anybody. I was just doing what I could with what I had where I was. Pankake was right, though. You can't take only a few dance lessons and then think you are Fred Astaire.

数週間後、パンケイクはまた僕が演奏しているのを聴いてすぐに指摘した。馬鹿にするなよ、前はガスリーの真似をしていたが、今はエリオットの真似をしているじゃないか。自分が何かエリオットと同等だとでも思っているのか。昔ロックン&ロールをやっていたそうだから、そっちに戻るべきじゃないのか。どうしてパンケイクがそんなことを知っているのかわからなかった。たぶんパンケイクはスパイだったのだろう。でも、僕は誰も馬鹿にしたりなんかしてなかった。僕はただ、自分のいる場所で、自分が持っているものを使って、自分ができることをしていただけだ。しかし、パンケイクは正しかった。少しダンスのレッスンを受けただけでフレッド・アステアになれるなんてことはない。
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 →フレッドアステア

おもしろいですね。
ディラン青年の行動もおもしろいし、当時を振り返る今のディランの筆致も妙に楽しげです。

"No Direction Home"を観ればわかりますが、ミネアポリスからニューヨークのグリニッッジビレッジに至る間のディラン青年は、おそろしい勢いで他人の優れた部分を吸収して成長していったようです。

ふと、六文銭の「私はスパイ」という曲を思い出しました。

 →ミュージカル「スパイものがたり」? へのへのもへじの謎 ?

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少しのことにも先達は CHRONICLES #410

千本浜 2004年10月16日

 →Chapter 5: River of Ice

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The record cover was mysterious, but not in an ominous way. It showed a character with certain careless ease, rakish looking, a handsome saddle tramp. He's dressed like a cowboy.

そのレコードのジャケットは神秘的だったが、不気味な感じではなかった。何か自然なくつろいだ感じの人物、粋な格好の、馬に乗った格好の良い放浪者が写っていた。カウボーイのような服を着ていた。
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ディランが聴いたジャック・エリオットのアルバムは今入手できませんが、そのうちまた再発される……ことを祈りましょう。

Jack Takes the Floor
1. San Francisco Bay Blues
2. Ol’Riley
3. The Boll Weevil
4. Bed Bug Blues
5. New York Town
6. Old Blue
7. Grey Goose
8. Mule Skinner’s Blues
9. East Texas Talking Blues
10. Cocaine
11. Dink’s Song
12. Black Baby
13. Salty Dog
14. Brother Won’t You Join in the Line?
15. There are Better Things to do(Ewan MaColl&Peggy Seeger with Ramblin’Jack)

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His tone of voice is sharp, focused and piercing. He drawls and he's so confident it makes me sick. All that and he plays the guitar effortlessly in a fluid flat-picking perfected style.

彼の声ははっきりとしていて鋭く身に染みた。母音を延ばして歌い、僕の気分が悪くなるほど確信に満ちていた。それに加えて、ギターは完璧なフラットピッキングをたやすく流れるように弾いた。
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もう一つ、当時のフォーク歌手はあまり「娯楽」を意識していなかったのに、ジャックは聞き手に自分から働きかけていたと、評価しています。
人を楽しませる資質ですね。

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Elliott, who'd been born ten years before me, had actually traveled with Guthrie, learned his songs and style firsthand and had mastered it completely.

僕より十年早く生まれたエリオットは、実際にガスリーと一緒に旅をして、ガスリーの歌とスタイルを直接に学び、完璧にマスターしていたのだ。
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ディランはニューヨークに出て行ってから見違えるようにうまくなったと言われています。
ミネアポリスにいたこの時は、本当にジャック・エリオットがはるか前方にいたのでしょう。
十代のボブ・ディラン、まだまだ修行中です。

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一緒に歩こよ吉祥寺の町をね CHRONICLES #409

 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]
港 2006年7月9日.jpg

 →Chapter 5: River of Ice

パンケイクのアパートは、マコッシュ書店(McCosh's bookstore)の上にありました。
この本屋さんは検索しても見つかりませんでしたが、折衷学派の古書や、18世紀以降の政治的文献や哲学的文献などを扱っていたそうです。
専門古書店ですな。

古いビクトリア調様式の建物で、パンケイクの部屋はインテリやビートが集まるサロンのようになっていました。

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I went there with Pankake and saw it was true that he had all the incredible records, ones you never saw and wouldn't know where to get.

パンケイクと一緒にそこへ行くと、彼が信じられないほどのレコードを持っていること、どこへ行けば手に入るのかもわからないようなレコードを持っているというのが本当だということがわかった。
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レコードの枚数は、ジャズ喫茶の文化に触れた日本人にとっては驚くべきほどの数ではなかったかもしれません。
でも、その内容はおそろしく濃かったようです。
ディランはパンケイクの持っているレコードに圧倒されます。

パンケイクはまず最初に"Jack Takes the Floor"というレコードを取り出して、聴かせてくれます。
ロンドンのトピック・レコードから出ていたレコード。
つまり、輸入盤です。

 →Jack Takes the Floor

日本でもCDで復刻されていたのですが、今は品切れのようです。
amazon.co.jpの「マーケットプレイス」に出品されていますが、\18,015-の値が付いています。
がちょ?ん。

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There were probably only about ten of these discs in the whole U.S.A., or maybe Pankake had the only one in the country. I didn't know. If Pankake hadn't played it for me most likely I would have never heard it.

たぶんアメリカ合州国全体でも、この盤は十枚ぐらいしかなかっただろう。あるいは、この国ではパンケイクしか持っていなかったのかもしれない。僕にはわからなかった。もしもパンケイクがかけてくれなかったら、僕はこのレコードを聴くことはなかっただろう。
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ディランは自分が地獄に突き落とされたかのように感じました。
ウディ・ガスリーの曲ではない曲を歌っているのに、まるでガスリーが歌っているようでした。
自分がやりたかったことを既にやっている人物がいたのです。

このレコードの1曲目は"San Francisco Bay Blues"です。
いろんな人が歌っていますね。
私がおなじみなのは、PP&Mと武蔵野タンポポ団。
そうそう、エリック・クラプトンも歌ってました。

 →ブラザース・フォア/サンフランシスコ湾ブルース

タンポポ団は若林純夫さんの詞で歌ってました。

 ♪ おいらを残して
 ♪ あの娘は行っちゃった
 ♪ 富士山のふもとまで

富士山の麓ってどこなんだろうと、いつも思います。
いずれにせよ、うちの近所です。

でも、この歌は吉祥寺の歌なんです。

 ♪ でも戻っておくれ
 ♪ 機嫌なおして
 ♪ そして一緒に歩こよ
 ♪ 吉祥寺の町をね

元々ジャグバンドの音が合う、楽しい曲です。

BlogPet 武蔵野タンポポ団/武蔵野タンポポ団の伝説 武蔵野タンポポ団/BOX


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ランブリン・ボーイ CHRONICLES #408

千本浜 2004年10月16日

 →Chapter 5: River of Ice

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The Duke was a massive figure. He looked like a heavy piece of hauled lumber, and it didn't seem like any man could stand shoulder to shoulder with him. Not anybody in the movies, anyway. I thought of asking him why some of his cowboy films were better than others, but it would have been crazy to do that. Or maybe it wouldn't have been... I don't know. In any case, I never would have dreamed that I'd be standing there on a battleship, somewhere in the Pacific singing for the great cowboy John Wayne, while back in Minneapolis face-to-face with Jon Pankake...

デューク(ジョン・ウェイン)は実に堂々たる体躯をしていた。伐り出された材木みたいで、誰も肩を並べることなどできなさそうだった。少なくとも映画の中では誰も。彼のカウボーイ映画で他よりできの良いものがあるのはどうしてなのか尋ねようかと思ったが、そんなことをするのは気違い沙汰だった。そうではなかったかもしれないが、僕にはわからない。いずれにせよ、太平洋上のどこかの戦艦の上で、偉大なるカウボーイ、ジョン・ウェインに歌を歌うことになるなどとは、夢にも思っていなかった。ミネアポリスでジョン・パンケイクと顔を突き合わせている時には。
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すっかり忘れておりました。
ジョン・パンケイクというヒョーロン家っぽい人物に、ディランは問い詰められていたのでした。

「一所懸命やっているけど、あんたはけっしてウディ・ガスリーにはなれないんだぞ」

高みからものを言うようなパンケイクに、ディランはカチンと来ます。
ただ、パンケイクの言っていることはおそらく正しいのです。

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He breathed fire through his nose. "You better think of something else. You're doing it for nothing. Jack Elliott's already been where you are and gone. Ever heard of him?" No, I'd never heard of Jack Elliott. When Pankake said his name, it was the first time I'd heard it. "Never heard of him, no. What does he sound like?" John said that he'd play me his records and that I was in for a surprise.

彼は鼻から火を吹いた。「他のことを考えた方がいい。あんたのやってることは何にもならない。もうジャック・エリオットがそういうことをして、先へ行ってしまってる。聴いたことがあるか?」いや、ジャック・エリオットは一度も聴いたことがなかった。パンケイクがその名前を言った時が、初めて名前を耳にした時だった。「一度も聴いたことがない。どんな音?」驚いたことに、ジョンは彼のレコードを聴かせてやろうと言った。
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出ました。
ウディの一番弟子、ランブリン・ジャック・エリオットです。
しかし、ディラン青年はとても素直ですね。
パンケイクってやなやつだなあと思いながらも、ホイホイと彼の部屋で出かけていきます。

 →ramblin jack elliott

 →拝啓、Ramblin' Jack Elliott 殿

 →ランブリン・ジャック・エリオット

ところで、ジャック・エリオットの名前を聞くと思い出すのは、トム・パクストンの曲です。
中学生の時に、岡林信康さんの歌で知った「ランブリン・ボーイ」です。

 →ランブリン・ボーイ

 ♪ あいつは 男 一緒に 苦しみ
 ♪ 一緒に さまよった 雨の日も 風の日も
 ♪ 今祈る 流れ者 この旅に幸あれと
 ♪ 今祈る 一人旅 あいつに幸あれと

中山容さんの訳詞ですが、二番の「一つの茶碗で 食べ合った」がどうにもおかしいなあと思いました。
いい曲ですよ。

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真昼の決闘 CHRONICLES #407

千本浜 2005年6月30日

 →Chapter 5: River of Ice

ジョン・ウェインに尋ねられた「ブラッド・オン・ザ・サドル」を、ディランは少ししか知りませんでした。
「ハイ・ヌーン」の方がよく知っていたから、一緒にいるのがゲーリー・クーパーだったら「ハイ・ヌーン」を歌っていただろうと、ディランは書いています。

 →真昼の決闘 / ハイ・ヌーン High Noon

ほお、『真昼の決闘』は、赤狩りへの批判を込めた映画だったのですね。
ジョン・ウェインはその反対の立場です。

「上記サイトより」
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ハワード・ホークスとジョン・ウェインは、クーパーが演じた市民に助けを求めて女性に助けられる保安官を腰抜け呼ばわりした上に、この作品をウェスタンと認めず、後にホークス監督、ウェイン主演で『真昼の決闘』のヒロイズム版ウェスタンともいえる『リオ・ブラボー』(59)を製作する。
-----------------------------------------------

しかし、ジョン・ウェインはゲーリー・クーパーではなかったので、ディランは「ハイ・ヌーン」を歌いませんでした。
「(歌ったとしても)ウェインがその歌を気に入ったかどうかわからない」とディランが書いていますが、それはジョン・ウェインの逆鱗に触れたのではないでしょうか。

お。
ポーランド「連帯」が、選挙ポスターにこの『真昼の決闘』を使ったようです。
下の方の"Trivia"に出ています。

 →Wikipedia: High Noon

「ハイ・ヌーン」を歌っていたのはテックス・リッター(Tex Ritter)。
例の「歌うカウボーイ」の一人です。

 →テックス・リッター ハイヌーンを歌った男

 →Wikipedia: Tex Ritter

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トラ・トラ・トラ! CHRONICLES #406

保線区 2004年7月16日

 →Chapter 5: River of Ice

ディランは60年代半ばに、ジョン・ウェインに会っているそうです。
「デューク(the Duke)」と書いているので一瞬誰のことかわからなかったのですが、これはジョン・ウェインのことなんですね。

 →Wikipedia: ジョン・ウェイン
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……その地での隣人が彼を「ビッグ・デューク」と呼び始めた。彼はどこへ行くにも「リトル・デューク」と名付けられたエアデール犬を連れていたためである。彼は「デューク」を本名の「マリオン」より好み、残りの生涯その名を使用した。
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私の場合、デュークといったら、まずデューク・エリントンを連想するのです。
スティービー・ワンダーが"Sir Duke"と歌った、あのデュークです。

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He was the big male movie star at the time and was filming a war movie about Pearl Harbor, In Harm's Way, over in Hawaii. A girl I used to know in Minneapolis, Bonnie Beecher, had become an actress and was playing a supporting role. Me and my band, The Hawks, had stopped through there on our way to Australia and she invited me down to the set, a naval battleship.

その時には彼は映画の大スターで、ハワイで真珠湾の戦争映画『危険な道』を撮っていた。ミネアポリスで知り合ったボニー・ビーチャーが女優になっていて、出演していた。僕はバンドのホークスと一緒にオーストラリアへ行く途中に、ハワイでボニーに、海軍の戦艦のセットへ招待されたのだ。
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もちろんホークスというのは、後のザ・バンドです。
そして、軍服姿のジョン・ウェインに紹介されました。
なんだかすごいですね。

 →In Harm's Way

そして、ギターを取り出して、ジョン・ウェインの前で歌を歌ったそうです。
曲はこれ。

 →The Buffalo Skinners

バージェス・メレディス(Burgess Meredith)がキャンバス・チェアーに座っていました。
ジョン・ウェインがそちらを向いて微笑みます。
それから「ブラッド・オン・ザ・サドル」を知ってるかとディランに尋ねます。

 →Blood on the Saddle

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リオ・ブラボー CHRONICLES #405

千本浜 2005年7月27日

 →Chapter 5: River of Ice

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He was a bit of a film critic, too. While other intellectual types might be discussing poetic differences between T. S. Eliot and e. e. cummings, Pankake would come up with arguments about why John Wayne was a better cowboy in Rio Bravo then he was in Legend of the Lost.

彼はちょっとした映画批評家でもあった。他のインテリの典型連中がT.S.エリオットとe.e.カミングズの詩の違いを論じている時に、パンケイクは『失われたものゝ伝説』よりも『リオ・ブラボー』の方が、ジョン・ウェインのカウボーイが良いのはなぜかといった議論を持ち出した。
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このあたりの振る舞い方が、学生時代にサークルで見かけたようなスノッブを思い出せせてくれるのです。


[リーダーズ英和]
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Eliot
(5) T(homas) S(tearns) Eliot (1888-1965) 《米国生まれの英国の詩人・評論家; Nobel 文学賞 (1948); Prufrock and Other Observations (1917), The Waste Land (1922), Four Quartets (1943), The Cocktail Party (1950)》
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Cummings
カミングズ E(dward) E(stlin) Cummings (1894-1962) 《米国の詩人; 筆名 ee cummings; `失われた世代' の文学者; The Enormous Room (1922), Poems, 1923-1954 (1954)》
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 →ジョン・ウエィン John Wayne

 →「リオ・ブラボー」(1959年)

 →Legend of the Lost

 →ジョン・ウェイン特集

文学論議にしても、映画にしても、ディランの「学生時代」の話なので、ちょっとピンと来ません。
私の中学生の頃は、もう「アメリカン・ニューシネマ」の時代だったのです。

 →Wikipedia: アメリカン・ニューシネマ

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He expounded on directors like Howard Hawks or John Ford, that they get Wayne when other directors don't. Maybe Pankake was right, maybe not. It wasn't that big a deal.

彼はハワード・ホークスやジョン・フォードといった監督に関して、他の監督たちがウェインを使わなかった時にも使ったのだといったように詳しく論じた。パンケイクは正しかったかもしれないし、正しくなかったかもしれない。そんなことはたいした話ではなかった。
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パンケイク氏の話なんてどうでもいいんだと、投げてしまいました。
ディランの回想は、ジョン・ウェインの方へ移っていきます。

 →ハワード・ホークス Howard Hawks

 →Wikipedia: ジョン・フォード

 →ジョン・ウェインの映画界入りとジョン・フォード監督との出会い

 →ジョン・ウェインとジョン・フォード

そういえば、私の両親は見合い結婚だったのですが、おっ母さんと亡き親父様はどんなデートをしたのか尋ねたことがあります。
西部劇なんかを観に行ったと言っておりました。
1950年代、それは映画の黄金時代でした。

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知識 CHRONICLES #404

千本浜 2006年6月27日

 →Chapter 5: River of Ice

ディランの幻想に横槍を入れたのは、ジョン・パンケイクという男でした。

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Jon Pankake, a folk music purist enthusiast and sometime literary teacher and film wiseman, who'd been watching me for a while on the scene, made it his business to tell me that what I was doing hadn't escaped him. "What do you think you're doing? You're singing nothing but Guthrie songs," he said, jabbing his finger into my chest like he was talking to a poor fool.

フォーク音楽の純粋主義熱狂者であり、以前は文学教師をしていて映画にも詳しいというジョン・パンケイク。その彼がしばらくの間僕を見ていて、僕がやっていることは見逃すわけにはいかないと言うことにしたのだ。「あんたは自分のやってることをどう思ってるんだ? ガスリーの歌しか歌ってないじゃないか。」かわいそうな馬鹿者に話しているように僕の胸に指を突き立てて、彼は言った。
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架空の名前かと思ったら、"Jon Pankake"の名前はちゃんとGoogleでヒットします。
ただ、名前が出てくるだけなので、その後どのように活動した人なのかはよくわかりません。

パンケイクは本物のフォークのレコードをたくさん持っていて、そのレコードのことを延々と話し続けるような人物でした。
態度が横柄で、逃れることが難しいという、困った人です。

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He was part of the folk police, if not the chief commissioner, wasn't impressed with any of the new talent. To him nobody possessed any great mastery--no one could succeed in laying a hand on any of the traditional stuff with any authority. Of course he was right, but Pankake didn't play or sing. It's not like he put himself in any position to be judged.

彼はフォーク警察の、長官ではないにしても隊員であった。新しい才能にはまったく感銘を受けない。彼にとっては、誰も卓越したものはもっておらず、権威ある伝統的な曲をうまく手に入れることに成功するものなど誰もいないのだ。なるほど彼は正しいかもしれなかったが、パンケイクは演奏も歌うこともしなかった。彼は判断すべきようなところにはいないように思えた。
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頭でっかちのうるさ方という感じですね。
大学のサークルなんぞを覗けば、こんな感じの輩はいくらでもいました。
今もそんなのがいるんでしょうか。

1992年に復刻された林亭のアルバム『夜だから』に小林政広(林ヒロシ)さんが寄せていた文章を思い出しました。

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『夜だから』に収められているのは、その頃、彼等が作った歌だ。今聞いても、いい歌がいっぱいある。曲によっては、背伸びしてるように感じるものもあるかも知れないが、それは彼等のせいではなく、当時、ゴキブリのようにはびこった、理屈っぽいお兄さん方の影響によるものだ。(彼等には、本当に振り回されたものだ!)
 海江田も佐久間も、純だった。純で、素直で、健全だった。今の若い人達が、夏、海に行くように、冬、スキーに行くように、彼等は、歌っていた。歌うことをスポーツのように楽しんでいた。
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パンケイク氏の場合も単なる無責任な批評家なのでしょう。
それでもディランは彼から、ウディ・ガスリーを継ぐ先輩を教えてもらうことになります。
その話をする前に、例によってディランはちょっと寄り道をします。

そういえば以前もこんな文脈で思い出しました。
岡本おさみ&吉田拓郎の「知識」という歌。

 ♪ 知識ばかりを 振りかざし
 ♪ 首が飛んでも 血も出まい

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理由なき反抗 CHRONICLES #403

保線区 2006年6月28日

 →Chapter 5: River of Ice

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Woody's songs were having that big an effect on me, an influence on every move I made, what I ate and how I dressed, who I wanted to know, who I didn't. In the late '50s and early '60s, teenage rebellion was beginning to make noise, but that scene hadn't appealed to me, not in a wholehearted way. It had no organized shape. The rebel-without-a-cause thing wasn't hands-on enough--even a lost cause, I thought, would be better than no cause. To the Beats, the devil was bourgeois conventionality, social artificiality and the man in the gray flannel suit.

ウディの歌はとても大きな影響を僕に与えていた。僕が行なうあらゆること、僕が食べる物や着る物、僕が知りたい人や知りたくない人。50年代末から60年代初めには十代の反抗が話題になっていたが、そんな様子に僕は心から惹かれることはなかった。それはまったく組織化された形にはなっていなかった。理由なき反抗といったものはあまり実際的ではなかった。まったく理由がないよりは理由を見失っている方がましなんだろうと僕は思っていた。ビートたちにとっては、ブルジョアの慣習、社会のニセモノ、灰色のフランネルのスーツを着た男といったものが、悪徳の権化だった。
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ジェームズ・ディーン(James Dean)主演の『理由なき反抗(Rebel Without a Cause)』は1955年の作品です。
ディランが言っている「十代の反抗」より少し前になります。
そういう言い方をするのが流行ったのは、映画もきっかけになっていたのでしょうか。

しかし、サル・ミネオ(Sal Mineo)という役者さんの名前は、日本人にはおかしいですね。

 →CinemaScape: 理由なき反抗(1955/米)

ディランが言う「フォークソング」は、こういうビートたちが嫌悪する社会の常識とは必然的に相容れないものでした。
フォークやブルーズの曲によって、ディランはそんな文化に関する概念を作り上げていました。

しかし、ウディの歌のおかげで、ディランの心と頭は他の宇宙へ送り込まれたのだそうです。

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All the other cultures of the world were fine, but as far as I was concerned, mine, the one I was born into, did the work of them all and Guthrie's songs even went further.

この世界の他の文化も皆すばらしいものだが、僕に関して言えば、僕の生まれた文化がそういうことをし、そしてガスリーの歌がさらにそれを推し進めたのだ。
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ウディ・ガスリー以外の歌はどれも一面的(one-dimensional)だったとディランは書いています。
ウディの歌を歌っていれば、あらゆるものから安全な距離を保っていることができるように感じられました。

でも、この幻想はすぐに崩れてしまいます。

ただいまp.248です。

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兵隊の位で言うと CHRONICLES #402

千本浜2006年4月25日

 →Chapter 5: River of Ice

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Woody made each word count. He painted with words. That along with his stylized type singing, the way he phrased, the dusty cowpoke deadpan but amazingly serious and melodic sense of delivery, was like a buzzsaw in my brain and I tried to emulate it any way I could.

ウディはひとつひとつの語を重要なものにした。言葉で絵を描いた。独特な歌い方、言葉の遣い方、カウボーイのようにさりげないけれど驚くほど真剣でそして美しい旋律の歌い方、そんなものと一緒になって、僕の脳内で円鋸のように響いた。僕はとにかくできるだけそれを真似しようとした。
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本当に細部までウディ・ガスリーになりきろうと努力したようです。
"No Direction Home"に出てきますが、ディランはずいぶん他人のレコードを盗んでいたようです。
自分にはそれが必要だからという、凄い論理で。

「円鋸(buzzsaw)」って何かなと思ったら、あの製剤所で使うような回転鋸のことですね。
美女の胴体を真っ二つに切るという手品で使うアレです。
かなり大きな音で鳴っていたということなんでしょう。

 →The Buzz Saw

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A lot of folks might have thought of Woody's songs as backdated, but not me. I felt they were totally in the moment, current and even forecasted things to come.

ウディの歌を古臭いものだと看做す人も多かったのだろうが、僕はそう思わなかった。まったくこの瞬間、現代のものであり、そしてこれから起こることを予見しているとさえ感じていた。
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ウディの歌が昔のものであったことは確かです。
フォーク・リバイバルの真っ只中にあっても、ウディの歌は古く感じられたことでしょう。
日本でモダン・フォークと呼ばれたようなものが、ブームの中心だったのでしょうか。
その中でウディ・ガスリーを選び、自分もそれになりきろうとしたというところが、ディランをディランにしたのだと思います。

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I felt anything but like the young punk folksinger who had just begun out of nowhere six months previously. It felt more like I had instantly risen up from a noncommissioned volunteer to an honorable knight--stripes and gold stars.

僕は、自分が6ヵ月前にどこからともなくやって来て始めたばかりの青二才フォーク歌手だなどとは、まったく感じていなかった。何も職権を持たない志願兵が急に昇進して一級の栄誉ある騎士なったかのように感じていた。
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"stripes"は軍服の袖章、つまり軍隊内での階級を表します。
"gold star"はアメリカに「金星章」というものがあるようですが、もっと一般的に功労章のようなもので良いのでしょう。

「兵隊の位で言うと」では裸の大将、山下清画伯みたいな喩えですが、ディランは士官学校(West Point)に入りたいと思っていたたことがありましたね。
延々とクラウゼヴィッツについて書いていました。
ディランが軍人の学校に行かなくて良かったですが。

 →CHRONICLES #32 (Bob Dylan)

[リーダーズ英和]
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gold star
【米】 金星章《家族や組織に戦死者がいることを表わす金星》; ゴールドスター《学校で優秀な答案や宿題に対して与えられる金色の星形シール》.
・a gold star mother [wife] 金星の母[妻] 《戦死者の母[妻]の会の会員》.
-----------------------------------------------

ディランは、ミネアポリスにいた時には、まだ駆け出しのフォーク歌手でした。
歌もギターも、もっとずっと上手な連中が多かったはずです。
それでも、ウディ・ガスリーを発見して、自分もその隊列に続く者になるのだと決心していたのです。
このままではドン・キホーテみたいなものですが、それを実現してしまうところがすごいです。

ただいまp.247です。

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この国はきみの国 CHRONICLES #401

ウディ・ガスリー自伝"Bound for Glory"の邦題が『ギターをとって弦をはれ』なのは不思議だなあと思っていたら、これは長谷川四郎さんの詩から採ったタイトルなのだそうな。
早速長谷川四郎さんの詩集を探したのだが……ない。
もう出ていないのだ。
「日本の古本屋」で1冊見つけたので、注文を出しておいた。

大学を出てからアルバイトをしていた本屋さんではそんな本ばかりを扱っていたので、いつでも手に入るような錯覚を抱いてしまったのだろう。

040424.jpg

 →Chapter 5: River of Ice

ディランはウディの歌を歌いまくります。

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Now that I crossed the divide, I was head over heels in singing nothing but Guthrie songs--at house parties, in the coffeehouses, street singing, with Koerner, not with Koerner--if I had a shower I would have sung them in there, too.

今や分水嶺を越えたので、僕はただただガスリーの歌を歌うことだけに没頭した。パーティでも、コーヒーハウスでも、コーナーと一緒の時も、コーナーと一緒でない時も。シャワーを浴びるなら、その時も歌っていただろう。
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また、あちこちでガスリーのレコードを聴こうとします。
ウディ・ガスリーはとてもたくさんの歌を作っていたのですが、手に入るものは少なかったのです。
古いレコードも、主要な曲を除けば再発売されることはありません。
ミネアポリスの図書館の、フォークウェイズのコーナーに行きます。
フォークウェイズのレコードが揃っているのは、公共図書館だったから。
これはうなずけます。

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I'd always be checking the repertoires of every out of town performer who came through to see what Guthrie songs they knew that I didn't, and I was beginning to feel the phenomenal scope of Woody's songs--the Sacco and Vanzetti ballads, Dust Bowl and children songs, Grand Coulee Dam songs, venereal disease songs, union and workingman ballads, even his rugged heartbreak love ballads. Each one seemed like a towering tall building with a variety of scenarios all appropriate for different situations.

他所から歌手が来ると、自分の知らないガスリーの曲を歌っていないか確かめようと、そのすべてのレパートリーを調べた。すると、ウディの歌が驚くほど多岐に渡っていると感じるようになった。サッコとバンゼッティのバラッド、砂塵と子供たちの歌、グランドクーリーダムの歌、性病の歌、組合と労働者の歌、飾り気のない自分の失恋の歌。どの歌も、さまざまな状況にぴったりと合ったいろいろな筋書きを持った、高くそびえる高い建物のように思われた。
-----------------------------------------------

 →Wikipedia: サッコ・バンゼッティ事件

 →The Trial of Sacco and Vanzetti 1921

 →WOODY GUTHRIE: BALLADS OF SACCO & VANZETTI

 →Woody Guthrie: Dust Bowl Balladeer

 →WOODY GUTHRIE: DUST BOWL BALLADS

 →Guthrie, Woody (1912-1967): His Northwest Days

私も輸入盤でウディ・ガスリーの4枚組CDを買いました。
これからゆっくり聴いていこうと思います。

hinaplastic.jpg この国はきみの国 リジェンダリー・パフォーマー


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私が死んだら CHRONICLES #400

八幡町 2005年3月31日

 →Chapter 5: River of Ice

ウディ・ガスリーの歌のおかげで、ディランは自分の世界観の焦点が合ってきたと感じました。
それで、ガスリーの最高の弟子(disciple)になろうと決めます。
まだレコードを聴いて、自伝を読んだだけの子弟関係です。

ウディの自伝を読んで、とても昔の人のような印象を受けたそうです。
生死すら知らない。
でも、本を貸してくれたウィッテカーが、ウディは東部のどこかで入院していると教えてくれました。

それから数週間、ディランはリンのところへレコードを聴きに通います。

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One by one, I began singing them all, felt connected to these songs on every level. They were cosmic. One thing for sure, Woody Guthrie had never seen nor heard of me, but it felt like he was saying, "I'll be going away, but I'm leaving this job in your hands. I know I can count on you."

僕は1曲ずつ、そのすべての曲を歌うようになった。あらゆる水準で歌と繋がる感じがした。ウディの歌は宇宙のようだった。なるほど確かにウディ・ガスリーは僕に一度も会ったことはなかったし、僕のことを聞いたこともなかったのだが、でもウディがこう言っているように感じた。「俺はいなくなるけれど、この仕事はお前に任せよう。お前なら当てにできると思う。」
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さすがディランですね。
ウディ・ガスリーの遺言を聞いてしまっています。
天才の所以でしょう。

このタイトルを「私が死んだら」にしようと思ってなんとなくGoogleで検索したら、「遺灰からダイヤモンドを作る」というようなサービスがヒットしました。
おやっとは思ったのですが、私はあまり惹かれません。

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ダイヤの指輪を買ってよ CHRONICLES #399

保線区 2006年6月19日.jpg

 →Chapter 5: River of Ice

ここでディランは妙な決心をします。
ガスリーの曲以外歌わない。
この時には既にミネアポリスやセントポールで歌ってお金を貰っていたのですから、ちょっと不思議な感じがします。

お気に入りだったけれどしばらくの間歌わなくなった曲としては、こんな曲名を挙げています。

"Cornbread, Meat and Molasses"
 →Cornbread Meat & Molasses by Sonny Terry

 →Glossary entry for TB

トウモロコシパンと肉と蜂蜜は南部の主食だったけれど、野菜が不足しがちになるといったことが書いてありますね。
これと鉱山の粉塵で肺をやられるのだと。

"Betty and Dupree"
 →Betty and Dupree

 →Dupree Blues

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歌のモデルになったのは1922年9月にジョージア州アトランタで絞首刑になったFrank Dupreeという人物である.Frank Dupreeの罪状は宝石店での強盗殺人らしい.歌の方ではデュプリーは恋人のベティにダイアモンドの指輪をせがまれ,宝石店に押し入った,というような物語になっている.盲目の恋を題材にした歌詞にしても,メロディーにしても哀れを感じさせるところが長い間歌われてきた理由だろうか.
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 →American Top 40 March 1958

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Betty and Dupree - Chuck Willis
前年の「C.C.RIder」以来のTop40ヒットということになる。Chuck Willisのシャウトが印象的なブルース・ナンバーで、のっけからBettyはDupreeに、「ダイヤの指輪を買って」とくりかえし、Dupreeは「何でも買ってあげるよ」と約束する。しかしそのあとの展開は...ということで、物語歌なのだが、この歌、けっこういろいろなバージョンがあるようで、展開もそれによって異なったものがあるようである。この辺、よく分からなかったので、もし知っている人がいたら教えてほしい。ともあれ、最高位33位と、仕掛けの大きな割に伸び悩んだ印象も強い。
-----------------------------------------------

ブルースの定番ということですが、いかにもディランの好きそうなバラッドですね。
ああ、PP&Mも歌ってました。

 →今月の一枚:Peter, Paul and Mary "SEE WHAT TOMORROW BRINGS"

"Pick a Bale of Cotton"
 →Pick a Bale of Cotton

労働歌ですね。
"a bale of cotton"は綿花の1梱で、重さが500ポンドだそうです。
1ポンドが常衡で454gなので、227kg。
日本なら米俵で歌うところでしょうが、だいぶ重さが違いますね。

 →こめだわらドットコム

ディランがこういう歌を歌っていたというのはちょっとおかしいですが、やっぱり修行中ですからね。
まだ二十歳前だし。

そして、こういうお気に入りの曲を一旦捨て去ることにしたのです。

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ギターをとって弦を張れ CHRONICLES #398

千本浜 2004年5月21日

 →Chapter 5: River of Ice

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I went through it from cover to cover like a hurricane, totally focused on every word, and the book sang out to me like the radio. Guthrie writes like the whirlwind and you get tripped out on the sound of the words alone. Pick up the book anywhere, turn to any page and he hits the ground running.

僕は最初から最後まで、一語一語に目を凝らしながら、ハリケーンのように読み通した。すると、その本はラジオのように僕に向かって歌った。ガスリーは旋風のように文章を書くので、語の音だけでも素晴らしいのだ。その本のどこをとりあげてどのページを開いても、彼は即座に歌い出す。
-----------------------------------------------

"hit the ground running"というのは、「首尾よく時を移さず開始する」という意味です。
この感じはよくわかります。
ほかならぬ、この"CHRONICLES ONE"はボブ・ディランの言葉に満ちています。
どこを開いても、ディランの鼻声が聞こえてきそうです。

この後、ディランがガスリー自伝"Bound for Glory"の要約をしてくれます。

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Who is he? He's a hustling ex-sign painter from Oklahoma, an antimaterialist who grew up in the Depression and Dust Bowl days--migrated West, had a tragic childhood, a lot of fire in his life--figuratively and literally. He's a singing cowboy, but he's more than a singing cowboy. Woody's got a fierce poetic soul--the poet of hard crust sod and gumbo mud. Guthrie divides the world between those who work and those who don't and is interested in the liberation of the human race and wants to create a world worth living in. Bound for Glory is a hell of a book. It's huge. Almost too big.

彼は何者か? オクラホマ出身の元気な看板描き。大不況の中に砂塵地帯で育った反拝物主義者。西部に移住し、悲劇的な子供時代を送った。比喩的にも、そして文字どおりにも、生涯に数多くの火を浴びた。彼は「歌うカウボーイ」だったが、単なる「歌うカウボーイ」ではなかった。ウディには凄まじい詩人の魂があった。固く殻のようになった土地とぬかるんだ泥の詩人の。ガスリーは世界を働く者と働かない者に分け、人類の解放に関心を抱き、暮らすに値する世界を創造したいと望む。『栄光に向かって』はとんでもない本だ。巨大だ。大き過ぎるほどだ。
-----------------------------------------------

「歌うカウボーイ」というのは、西部劇映画に出てくる、歌を歌うカウボーイですね。
ジーン・オートリー(Gene Autry)がその代表です。

 →Gene Autry Official Website

これは読まねばならぬという気にさせてくれるでしょう。
さ、ギターを取って弦を張らないと。

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栄光に向かって CHRONICLES #397

千本浜 2006年5月30日

 →Chapter 5: River of Ice

当然のことながら、ウディ・ガスリーとは何者なのか、ディランは詳しく知りたくなります。
すると、「スヴェンガーリのような(Svengali-type)」ビートの一人であるデイブ・ウィッテカー(Dave Whittaker)がウディ・ガスリーの自伝を貸してくれました。

リーダーズ英和
-----------------------------------------------
Svengali
1 スヴェンガーリ《Du Maurier の小説 Trilby (1894) で, ヒロインを催眠状態に陥れてあやつる音楽家》.
2 抗しがたい力で人をあやつる人物.
-----------------------------------------------

『鳥』や『レベッカ』を書いたダフネ・デュ・モーリア(Daphne du Maurier 1907-1989)のお祖父さん、ジョージ・デュ・モーリア(George du Maurier 1834-1896)の小説のようですね。

 →Wikipedia: George du Maurier

 →SVENGALI

ビートには、「抗しがたい力で人をあやつる人物」が多かったのでしょうか。
他人に影響を与えたいというのは、なんだか自己顕示欲の強い子供じみた性格を感じます。

ディランが借りたウディの自伝は、"Bound for Glory"というタイトルです。
そのまま訳せば、「栄光に向かって」ぐらいのものでしょう。
乗り物が「東京行き」のときに"Bound for Tokyo"という、アレです。

邦題は『ギターをとって弦を張れ』らしいのですが、すごいタイトルですね。
この本を知らないので検索したのですが、見つかりません。
どなたの訳なんでしょう。

原著はすぐに見つかりました。
ペーパーバックで1530円(アマゾン:送料・悪税込)。
早速注文しましたが、レビューにおもしろいことが書いてあります。
自伝の形をとってはいるが、オリジナルのロード小説だというのです。

The original road novel--even though it takes the form of autobiography.

それだけおもしろいと言いたいのでしょうか。
デビッド・キャラダインが主演した映画『ウディ・ガスリー/わが心のふるさと』も、この自伝が原作です。
原題はもちろん"Bound for Glory"。

Googleで"Bound for Glory"を検索すると、「ニューオリンズ音楽文化復興支援のためのレコーディング・プロジェクト」がヒットします。
やはり"Bound for Glory"という名称なんですね。

 →Bound for Glory

Bound for Glory

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見つけたよ CHRONICLES #396

ES屋上駐車場 2006年6月6日

 →Chapter 5: River of Ice

それまでにもディランはウディ・ガスリーの歌を聴いたことがあったのですが、どれも他の人と一緒に歌ったもので、しかもたまに一曲だけ聴くという聴き方でした。
ウディが一人で歌ったものをまとめて聴くのは初めてでした。
そして、圧倒されたのです。

-----------------------------------------------
Guthrie had such a grip on things. He was so poetic and tough and rhythmic. There was so much intensity, and his voice was like a stiletto. He was like none of the other singers I ever heard, and neither were his songs.

ガスリーはものごとをとてもしっかりと把握していた。とても詩的で、しっかりとして、リズミカルだった。とても力強く、そして彼の声は錐刀のようだった。今までに僕が聴いた他の歌手の誰とも違かったし、彼の歌もまた違うものだった。
-----------------------------------------------

ウディの歌い方も、歌の内容も、ディランの心を突き刺したようです。
声だけでなく、その発音にも驚いたそうです。

-----------------------------------------------
He would throw in the sound of the last letter of a word whenever he felt like it and it would come like a punch.

彼は語の最後の文字の音をどこでも自分のそうしたい箇所に投げ込み、そしてそれがパンチのように効いた。
-----------------------------------------------

これはよくわからんのです。
語尾を伸ばして歌って、最後に音を発声する感じなんでしょうか。
私もウディの歌を聴きなおさないといけないようです。

-----------------------------------------------
The songs themselves, his repertoire, were really beyond category. They had the infinite sweep of humanity in them. Not one mediocre song in the bunch. Woody Guthrie tore everything in his path to pieces. For me it was an epiphany, like some heavy anchor had just plunged into the waters of the harbor.

彼のレパートリー、歌そのものが本当に範疇を超えていた。その歌の中には、人間性のかぎりないすべてのものがあった。そこには月並みな歌など一つもなかった。ウディ・ガスリーは通る道ですべてのものをばらばらに引き裂いた。僕にとっては、神の顕現の瞬間だった。港の海の中に、重い錨が投げ込まれたようだった。
-----------------------------------------------

ディランの言葉遣いの感じをうまく日本語にすることができませんが、その日は新しい誕生日のようなものだったのです。

"epiphany"というのは、大文字で"the Epiphany"と綴れば、東方の三博士のベツレヘム来訪が象徴する異邦人に対する主の顕現を意味するそうです。
イエスの誕生から12日目ということになっているので、1月6日の公現祭/顕現日(Twelfth Day)でもあります。
小文字で"epiphany"だと、もっと一般的に、「本質が現われる瞬間」でもあります。
吉野源三郎さんの『君たちはどう生きるか』だと、コペル君がコペル君になった瞬間でしょう。

その日の午後、ディランは夢中になってずっとガスリーを聴き続けました。
心の中で自分の居場所を見つけたように感じました。
そして、これこそが自分の追い求めるべきもの(game)だと思ったそうです。

hinanumber.jpg


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船が入って来るその時

"No Direction Home"には、ワシントン大行進の映像が入っている。
DVDだと、2枚目のディスクの最初の方だ。

PP&Mが歌う「風に吹かれて(Blowin' in the Wind)」が流れる。

-------------------
March on Washington
 August 1963
-------------------

PP&Mのピーター・ヤロー(Peter Yarrow)が回想する。

-----------------------------------------------
The March on Washington was not only a moment of extreme hopefulness...it was a moment of the confirmation of the possibility of that hope becomming a reality. That was the moment of recognition what people could do to change history.

ワシントン大行進はとても希望に満ちた瞬間であっただけではなく、その希望が現実となる可能性を確認する瞬間でもありました。歴史を変えるために人は何をすることができるかを認識する瞬間だったのです。
-----------------------------------------------

キング牧師のあの有名な"I Have a Dream"の映像が少しだけ流れる。

 →I HAVE A DREAM 私には夢がある

 →キング牧師の部屋--I HAVE A DREAM!--

-----------------------------------------------
I have a dream that one day this nation will rise up and live out the true meaning of its creed: "We hold these thruths to be self-evident that all men are created equal."

私には夢がある。いつの日か、この国が立ち上がり、我が国の信条の次の言葉の真の意味を貫くようになるだろう。「私たちはこれらの真理を自明のことと考える。即ち、全ての人は平等につくられている。」
-----------------------------------------------

ディランが回想する。

-----------------------------------------------
It was up close when King was giving that speech. To this day it still affects me in a profound way.

キング牧師があの演説をしたのはすぐ間近だった。それは今日でもなお、僕にとても深い影響を与えている。
-----------------------------------------------

司会進行役の人がディランを紹介する。

-----------------------------------------------
I would like now to introduce a young singer, from New York, Bob Dylan.

ここで若い歌手を紹介したいと思います。ニューヨークから来てくれた、ボブ・ディランです。
-----------------------------------------------

まだ22歳の若いディランが、少し前かがみになってギターを弾き、ハーモニカを吹き始める。
「船が入って来るその時(When the ship comes in)」だ。

 →bobdylan.com: When the Ship Comes In

-----------------------------------------------
 ♪ Oh the time will come up
 ♪ When the winds will stop
 ♪ And the breeze will cease to be breathin'.
 ♪ Like the stillness in the wind
 ♪ 'Fore the hurricane begins,
 ♪ The hour when the ship comes in.

 ♪ ああ、やがて時が来て
 ♪ 風はやむことだろう
 ♪ 嵐が起こる前の
 ♪ 凪のように
 ♪ そよ風すら吹く気配もなくなるだろう
 ♪ その時船が入って来る
                (中川五郎訳)
-----------------------------------------------

途中からジョーン・バエズがコーラスを付ける。
ここで再びキング牧師の演説の映像が重なる。

-----------------------------------------------
Free at last, free at last, thank God Almighty.
We are free at last.

ついに自由だ! ついに自由だ! 全能の神に感謝。私たちはついに自由なのだ!
-----------------------------------------------

もう一度ディランの"When the ship comes in"

-----------------------------------------------
 ♪ And the ship's wise men
 ♪ Will remind you once again
 ♪ That the whole wide world is watchin'.

 ♪ そして船の賢者たちは
 ♪ 今一度思い知らせてくれるだろう
 ♪ 全世界が見守っていることを
-----------------------------------------------

とてもいい歌だ。
この歌詞をあまり気にしたことがなかったのだが、ワシントン大行進にはとてもふさわしい歌だったのだ。
これはボブ・ディランの"We Shall Overcome"だ。

ギターを引っ張り出して、小さな声で歌ってみた。

ボブ・ディラン/ノー・ディレクション・ホーム hinaoira.jpg


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わが心のふるさと CHRONICLES #395

ES屋上駐車場 2006年6月6日

 →Chapter 5: River of Ice

下宿の階下にあるドラッグストアからリンの家まではそんなに距離がありませんでした。
幸いリンは在宅で、まずお勧めのアルバムを引っ張り出してくれました。

"the Spirituals to Swing Concert at Carnegie Hall"

ディランが聴かせてもらったのは78回転のいわゆるSP盤でしたが、このアルバムは現在CDで出ているようです。
全曲試聴できますが、楽天広場でリンク張れるかな?

 →From Spirituals to Swing: Carnegie Hall Concerts, 1938-1939

ディランは感想を書いていないのですが、おそらくその後に聴かせてもらったウディ・ガスリーの印象が強かったからでしょう。
運命的な出会いでした。

-----------------------------------------------
The other collection was the one that Flo had told me about -- a Woody Guthrie set of about twelve double sided 78 records. I put one on the turntable and when the needle dropped, I was stunned -- didn't know if I was stoned or straight.

もう一つのコレクションが、フローが僕に言っていたレコードだった。78回転両面録音のウディ・ガスリー、12枚組。一枚をターンテーブルに載せて針を落とすと、僕はどぎもを抜かれた。自分が酔っているのか正気なのかわからなかった。
-----------------------------------------------

どれもウディが自分の曲を独りで歌っているものでした。
その時に聴いた曲のタイトルを、ディランは並べています。

 "Ludlow Massacre"
 "1913 Massacre"
 "Jesus Christ"
 "Pretty Boy Floyd"
 "Hard Travelin'"
 "Jackhammer John"
 "Grand Coulee Dam"
 "Pastures of Plenty"
 "Talkin' Dust Bowl Blues"
 "This Land Is Your Land"

amazonだと輸入盤でいろいろなCDが見つかるのですが、楽天市場では見当たりません。
貧しい人々の悲惨な暮らしを描いたものが多いですね。
怒りの葡萄の世界です。

 →The Ludlow Massacre

 →ウディー・ガスリー

hinawaters.jpg ウディ・ガスリー/わが心のふるさと ◆20%OFF! リジェンダリー・パフォーマー


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ジョイスの眼鏡 CHRONICLES #394

ES屋上駐車場 2006年6月6日

 →Chapter 5: River of Ice

-----------------------------------------------
On this particular day, we were just sitting around talking and she asked me if I'd ever heard of Woody Guthrie. I said sure, I'd heard him on the Stinson records with Sonny Terry and Cisco Houston. Then she asked me if I'd ever heard him all by himself on his own records. I couldn't remember having done that. Flo said that her brother Lyn had some of his records and she'd take me over there to hear them -- that Woody Guthrie was somebody that I should definitely get hip to.

この特別な日、僕たちは座って話をしていたのだが、フローは僕に今までウディ・ガスリーを聴いたことがあるかと尋ねた。僕はもちろんだと言った。ソニー・テリーやシスコ・ヒューストンと一緒にスティンソン・レコードで聴いたことがあった。するとフローは、ウッディ自身のレコードで独りで演っているのを聴いたことがあるかと聞いた。それは聴いた覚えがなかった。フローは兄のリンがウッディのレコードを持っているから、それを聴きに連れていってやろうと言った。ウディ・ガスリーは絶対に押さえておくべき大物だと。
-----------------------------------------------

 →Stinson Records

 →The BluesHarp Page: Legends: Sonny Terry

 →Cisco Houston

 →Cisco Houston: Appreciation and Evaluation

それは運命の日だったのです。
黒ずくめの演劇少女フローが何を考えていたのかわかりませんが、あなたは絶対にウディ・ガスリーを聴かなければいけないと言ってくれたのです。
ディランも興味を持ちました。

フローの兄のリンは、既に顔見知りでした。
弁護士をしていて、蝶ネクタイをしてジェームズ・ジョイスのような小さな眼鏡を掛けていました。
ん?
どんな眼鏡だったかしら?

 →ジョイスの眼鏡

ジョン・レノン型の丸眼鏡でしょうね。
私もそんなフレームを使っています。
ジョイスは、写真によっては横に長い楕円形の時もあったようです。
ま、こういう眼鏡を掛けている人はマジメなんですよ。
いや、ホントに。

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黒衣の女 CHRONICLES #393

060530d.jpg

 →Chapter 5: River of Ice

-----------------------------------------------
I was sitting at the counter at Gray's one day -- winter had come early -- wind howled across the Central Avenue Bridge outside and a carpet of snow was beginning to form on the ground. Flo Castner, who I'd known from one of the coffeehouses, the Bastille, had come in and sat down beside me. Flo was an actress in the drama academy, an aspiring thespian, odd looking but beautiful in a wacky way, had long red hair, was light skinned, dressed in black from head to foot. She had an uptown but folksy demeanor, was a mystic and transcendentalist -- believed in the occult power of trees and things like that. She was also serious about reincarnation.

ある日僕はグレイ・ドラッグストアのカウンター席に座っていた。もう冬が来ていた。外ではセントラル・アベニュー橋を風がうなりを上げて吹き抜け、地面には雪の絨毯ができはじめていた。バスティーユというコーヒーハウスで見知っていたフロー・キャスナーが入ってきて、僕の隣に座った。フローは演劇学校の女優の卵で、役者になる望みを抱いていた。奇妙な外見なのだが、不思議に美しかった。赤い髪が長くて、肌が白く、頭から足の先まで黒い服を着ていた。山の手風ではあったが物腰は庶民的、神秘主義者で超越的な力を信じていた。樹木のようなものの超自然的な力を信じていたのだ。輪廻転生も本気で信じていた。
-----------------------------------------------

学生街のコーヒーハウスの名前に「バスティーユ」という名前が付いているのは、やっぱり何かしら革命に憧れるような文化があったのでしょうか。

フローはフローレンスの愛称ですね。
ちょっとエキセントリックな演劇学生です。
私の学生時代にも、そんな感じの女子学生を劇研周辺で見かけました。
いわゆるお嬢なのに、好んで早稲田で演劇やってるような子ね。

オカルト系の人には、零細出版社時代によく出会いました。
守護霊を見てくれたりするのですが、そういうのは苦手でした。

-----------------------------------------------
We used to have strange conversations.
"In another life, I could have been you," she'd say.
"Yeah, but then I wouldn't have been the same person in that life."
"Yeah, that's right. Let's work on it."

僕たちはいつも奇妙な会話をした。
「私は前世ではあなただったかもしれない」と、彼女は言ったものだ。
「そうだね。でも、その人生では、僕は同じ人間ではなかったことだろう」
「ええ、そうだわ。もっと考えてみましょう」
-----------------------------------------------

このフローがディランに、ウディ・ガスリーを聴いたことがあるかと尋ねました。

ただいまp.243です。

hinaamp.jpg


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夏の終わりに CHRONICLES #392

ES屋上駐車場 2006年6月6日

 →Chapter 5: River of Ice

-----------------------------------------------
Koerner and I were playing and singing a lot together as a duo, but we each did our own thing separately. As for myself, I played morning, noon and night. That's all I did, usually fell asleep with the guitar in my hands. I went through the entire summer this way.

コーナーと僕はデュオとして演奏し、歌っていたが、それぞれ自分のことは別にやっていた。僕自身に関して言えば、朝も昼も夜もギターを弾いていた。僕がやっていたのはそれだけで、いつも手にギターを持ったまま寝入った。ひと夏丸々そうやって過ごした。
-----------------------------------------------

いいですね。
ディランの夏休みといったひとときです。

私は学生時代、一週間菅平で合宿授業を受けるという体育の授業を取りました。
それで一年間の単位がもらえるありがたい授業です。
同じ班になった上級生が、ピーター・フランプトンみたいな形の人でした。
四六時中ちろちろとアンプに繋いでいないソリッド型のエレキギターを弾いているのです。
二段ベッドの中でも、弾きながら寝入っていました。
あの人は今何をやっているんでしょう。

さて、大学の夏休みが終わったので、友愛会館に学生たちが戻ってきました。

-----------------------------------------------
They asked me who I was and what I was doing there. Nothing, I wasn't doing anything there... I was sleeping there. Of course I knew what was coming and quickly grabbed my bags and left. The room above Gray's drugstore cost thirty bucks a month. It was an okay place and I could easily afford it.

僕が誰なのか、そこで何をしているのか、彼らは僕を問い詰めた。何も、まったく何もしていなかった。僕はそこで眠っていたのだ。もちろん何が起こるのかわかっていたので、すぐに荷物をまとめて出ていった。グレイ・ドラッグストアの上の部屋は一月30ドルだった。僕には結構な場所だし、それならなんなく払うことができた。
-----------------------------------------------

居候生活を終え、ディランは自分の部屋を借りました。
実際は使っていない倉庫のような場所で、流しと窓があるだけでした。
床にマットレスを敷いて、中古のタンスを買って、その上にホットプレートを置きます。
寒くなると窓の外に物を置いて冷蔵庫の代わりに使いました。

これもちょっと懐かしい雰囲気がします。
零細出版社に勤めている頃、西早稲田の駄菓子屋さんの二階に引っ越したことを思い出しました。
学生街は貧乏人に暮らしやすいところなんです。

ディランはこの時にはコーヒーハウスで歌ってお金をもらっていました。
一回で3ドルから5ドル。
セントポールのパープル・オニオンというピザハウスで歌うこともあったそうです。

検索するとPurple Onion Cafe'というお店がヒットするんですが、同じ店なんでしょうか。

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歴史を変えた奇声 CHRONICLES #391

ES屋上駐車場 2006年6月6日

 →Chapter 5: River of Ice

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I did hear Tom Darby and Jimmy Tarleton, though, at the house of somebody's father who had owned an old copy of one of their records. I always thought that "A-wop-bop-a-loo-lop a-lop-bam-boo" had said it all until I heard Darby and Tarlton doing "Way Down in Florida on a Hog." Darby and Tarlton, too, were out of this world.

でも、トム・ダービーとジミー・タールトンは、その父親が古いレコードを持っている誰かの家でちゃんと聴いた。ダービー&タールトンの「ウェイ・ダウン・イン・フロリダ・オン・ア・ホッグ」を聴くまでは、「ワッバッパ・ル・バッパ・ワッパッパ・ブーン」で語りつくせるといつも思っていた。ダービー&タールトンもまた素晴らしかった。
-----------------------------------------------

ダービー&タールトンの「ウェイ・ダウン・イン・フロリダ・オン・ア・ホッグ」は、ダウンロード販売のサイトで簡単に試聴できます。
ディランが苦労して聴いた音です。
便利になったものですなあ。

 →Tom Darby & Jimmy Tarlton: Atlanta 1927-1929

「hog」というのは豚のことなんで、「豚の背に乗って」なんでしょうか。
「on the hog」だと「無一文で」という意味になるそうですが、それは違いそうだな。
大型のオートバイ、特にハーレー・ダビッドソンを「hog」と呼ぶことがあるようなので、それが一番妥当かしらん。

強烈な"A-wop-bop-a-loo-lop a-lop-bam-boo"は、リトル・リチャード(Little Richard)の曲"Tutti Frutti"ですね。

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 A-wop-bop-a-loo-lop a-lop-bam-boo
 Tutti Frutti, all over rootie
 A-wop-bop-a-loo-lop a-lop-bam-boo
-----------------------------------------------

何を言ってるのかよくわかりません。
が、それで良いようです。
「歴史を変えた奇声」なんだそうです。

 →リトル・リチャード

どこでも少しだけなら試聴できるでしょう。

 →Little Richard's Gratest Hits

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鉱夫の子の夢 CHRONICLES #390

保線区 2006年6月5日

 →Chapter 5: River of Ice

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Authentic folk records were as scarce as hens' teeth.

本物のフォークのレコードは、本当に稀だった。
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「雌鶏の歯のように稀」という直喩がおもしろいです。
鶏に歯はないんですよね?
大昔に受験勉強で覚えた「as cool as a cucumber」なんてのを思い出しました。
「キュウリのように冷静な」というのは、全然ピンと来ませんもんね。

本物のフォークのレコードを持っている人を探さなければなりません。
友達の友達は、みな友達だ。
レコード聴かせてくださいな。
こういうことをやっていて、本当に友達になるんですね。

もちろん空振りもありました。
ディランとコーナーはミシシッピ川対岸のセントポールにある誰かの家へ、ブラインド・アンディ・ジェンキンズ(Blind Andy Jenkins)が歌う「フロイド・コリンズの死(Death of Floyd Collins)」を聴きに行ったこともあるそうです。
その時はその誰かさんが不在で聴けませんでした。

フロイド・コリンズは実在の探検家で、ミュージカルや映画になっています。
人気があるんでしょうか。
「フロイド・コリンズの死」という歌を聴けるサイトはありました。
最初に「おいで皆さん聴いとくれ?」みたいなことを歌うのは、お約束ですね。

 →THE DEATH OF FLOYD COLLINS

 →floyd Collins - The Caver

 →Wikipedia: Floyd Collins

ブラインド・アンディ・ジェンキンズはホーリネス教会(聖潔教会)派の説教師で、継娘二人と一緒に歌を歌っていました。
「鉱夫の子の夢(The Dream of the Miner's Child)」という歌を作ったのがこの人。
ドック・ワトソンが歌っているのが有名なようです。
下記リンク先で聴けますが、"arranged by Irene Spain"とあるのがアンディの娘さんですね。

 →The Dream of the Miner's Child

ディランが聴き損ったレコードは、まさに本物の(authentic)フォークのレコードだったのでしょう。

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オリー・カーン CHRONICLES #389

千本浜 2006年5月30日

 →Chapter 5: River of Ice

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Folklorist singers came through the Twin Cities also and you could learn songs from them, too-old-time performers like Joe Hickerson, Roger Abrams, Ellen Stekert or Rolf Kahn.

民俗研究の歌い手がツインシティに来ることもあったので、彼らから歌を教わることもできた。ジョー・ヒッカーソンやロジャー・エイブラムズやエレン・ステカートやロルフ・カーンのような、昔の歌い手たちだ。
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ツインシティというのは、ミネアポリスとミシシッピー川を挟んだ対岸のセントポールを合わせて呼ぶ時の名前です。
この双子都市は、全米でも最も暮らしやすい町だと言われているそうです。

 →ツインシティ

ロジャー・エイブラムズの名前は、少し前に出てきましたね。
船乗りの労働歌を録音していました。

 →船乗りの歌 CHRONICLES #383

 →Joe Hickerson

エレン・ステカートを検索すると、やはりフォークウェイズから出ている樵(材木伐採人)の歌を録音したレコードがヒットします。

 →Songs of a New York Lumberjack

ロルフ・カーンを検索すると……。
ガーン。
あのオリヴァー・カーンばかりヒットしてしまいます。
代表の正ゴールキーパーから外れたようなのがちょっと寂しいですね。

 →オリヴァー・ロルフ・カーン

 →Wikipedia: オリバー・カーン

とにかく本物のフォークのレコードを聴くために、ディランはどこへでも出かけていったそうです。

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61号線 CHRONICLES #388

千本浜 2006年5月30日

 →Chapter 5: River of Ice

ディランは他にも"rural blues"をよく聴いたと書いています。
あまり聞いたことのない言葉ですが、Country blues, folk blues, downhome bluesと同義のようです。

 →Wikipedia: Country blues

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It was connected to early rock and roll and I liked it because it was older than Muddy and Wolf.

それは初期のロックンロールとも関係があるし、マディとウルフよりも古いので好きだった。
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マディとはマディ・ウォーターズ(Muddy Waters)、ウルフとはハウリン・ウルフ(Howlin' Wolf)のことでしょう。
どちらもシカゴ・ブルーズの大御所です。

[Muddy Waters]
 →The Official Muddy "Mississippi" Waters Website

 →Wikipedia: Muddy Waters

 →Wikipedia: マディ・ウォーターズ

 →Muddy Waters(日本語)

[Howlin' Wolf]
 →Howlin' Wolf Home Page

 →Wikipedia: Howlin' Wolf

 →Howlin' Wolf(日本語)

ハウリン・ウルフは南部の出身です。
そこから北上して大都市シカゴでブルーズの花を咲かせるわけですが、これがまさにブルーズの辿った道筋です。
ディランのアルバムでおなじみの"Highway 61"は、別名"Blues Highway"です。

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Highway 61, the main thoroughfare of the country blues, begins about where I came from... Duluth to be exact. I always felt like I'd started on it, always had been on it and could go anywhere from it, even down into the deep Delta country. It was the same road, full of the same contradictions, the same one-horse towns, the same spiritual ancestors. The Mississippi River, the bloodstream of the blues, also starts up from my neck of the woods. I was never too far away from any of it. It was my place in the universe, always felt like it was in my blood.

カントリー・ブルーズの街道である61号線は、僕の出身地あたりで始まっている。正確にはダルースから。僕はそこから出発し、いつもそこにいて、そしていつもそこからどこへでも、ずっとのデルタ地方へだって、行くことができるように感じていた。それはいつも同じ道路。同じ矛盾を抱えている、同じ小さな田舎町、同じ心の祖先。ブルーズの大動脈ミシシッピ川も、僕の田舎の界隈から始まっている。僕はそこから遠く離れたことが一度もなかった。それはこの宇宙の中での僕の場所であり、いつも自分の血の中にあるように感じていた。
-----------------------------------------------

恥ずかしながら、なぜディランのあのアルバムが、曲名が「61号線再訪(Highway 61 Revisited)」なのか、初めて知りました。
ちなみに"highway"というのは幹線道路のことで、高速道路ではありません。

 →bobdylan.com: Highway 61 Revisited

ただいまp.241です。

BlogPet Bob Dylan / Highway 61 Revisited


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ヒゲオヤジの歌 CHRONICLES #387

060530a.jpg

 →Chapter 5: River of Ice


ディランはコーナーに紹介されて、ハリー・ウェバー(Harry Webber)という人物に会います。

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Webber was an English literary professor, a tweed wearing, old fashioned intellectual. And he did know plenty of songs, mostly roving ballads--stern ballads, ones that meant cruel business.

ウェバーは英文学の教授で、ツイードの服を着た、古いタイプのインテリだった。そして、実に数多くの歌を知っていた。大部分は放浪のバラッドで、厳しいバラッド、残酷な内容のバラッドだった。
-----------------------------------------------

[Harry Webber]をGoogleで検索しても、同名の別人ばかりヒットしてしまいます。
なんとなく老紳士を想像しましたが、そんなに年でもなかったのかな。

ウェバーから教わった曲の一つとして、ディランはまず"Old Greybeard"という曲を挙げています。
この曲も検索できませんでした。

タイトルは「半白髭のおいぼれ」とでもなるのでしょうか。
決められた結婚相手とキスをしろと、母親から命じられる娘の歌だそうです。
ディランはこの歌がとても気に入ったようで、今までに聴いたどんなラブソングよりもいいと絶賛しています。
新しく語彙を増やさなくても、手持ちの語彙だけの組み合わせで表現できる。
こんなことを、ディランはこのバラッドから学んだようです。

次が"When a Man's in Love"。
検索するとロッド・スチュワートの曲もヒットするのですが、歌詞が違うので同名異曲なのでしょう。
この曲のようです。

 →When a Man's in Love

恋をすると、まったく寒さなんて恐くなくなる。
なんだかわかる気がします。
風邪ひかないようにね。

ディランはバラッドの登場人物になったような気がして、その人物のように考えたりしたというのですから、とても素直に感情移入していたのです。

三曲目が"Roger Esquire"。
これも検索できませんでしたが、"Young Roger Esquire"というのが正式なタイトルで、"Folksongs of Britain & Ireland : Peter Kennedy"といった言葉がヒットしました。
金やら美やらのせいで心を乱され、眩惑してしまう若者の歌のようです。

ディランは歌を探し求めていたのです。

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悪魔のようなあいつ CHRONICLES #386

千本浜 2006年4月18日

 →Chapter 5: River of Ice

ディランはジョン・ジェイコブ・ナイルズ(John Jacob Niles)のレコードもよく聴きました。

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Niles was nontraditional, but he sang traditional songs. A Mephistophelean character out of Carolina, he hammered away at some harplike instrument and sang in a bone chilling soprano voice. Niles was eerie and illogical, terrifically intense and gave you goosebumps. Definitely a switched-on character, almost like a sorcerer. Niles was otherworldly and his voice raged with strange incantations.

ナイルズは伝統的な唱法ではなかったが、伝統的な歌を歌っていた。カロライナで活動した冷笑的な人物。何かハープのような楽器をかき鳴らして、ぞくぞくするようなソプラノの声で歌った。ナイルズは不可解で、不合理で、とても情熱的で、鳥肌をたたせてくれた。まったくはやりの人物ではなく、ほとんど魔法使いのようだった。ナイルズはあの世の人物であり、その声は奇妙な呪文がこめられていた。
-----------------------------------------------

何とも不思議な形容詞がならびます。
「冷笑的」と訳しましたが、もちろん「メフィストフェレスのような」という形容詞です。
本当にこの世の人の声ではないように感じられるという、最大級の誉め言葉だと思います。

私もこの人の映像を"No Direction Home"で観ました。
卓の上に置いた弦楽器を妙な角度でかき鳴らして、高いきれいな声で歌うのです。
お、サイトでも声が聴けますね。

 →John Jacob Niles

 →The John Jacob Niles Center for American Music

トラディショナル・バラッドの収集でも業績があったようです。
1892年生まれで、1980年に亡くなっています。

"No Direction Home"では、メフィストのような印象は持ちませんでした。
歌の上手な好好爺といった感じです。

"Mephistophelean"という形容詞から『悪魔のようなあいつ』というテレビドラマを思い出したのですが、もちろんまったく関係ありません。

 →悪魔のようなあいつ 1



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伝説のブルーズ CHRONICLES #385

千本浜 2006年3月19日

 →Chapter 5: River of Ice

次に出てくるレーベルはアーフリー(Arhoolie)です。
コーナーは何枚かブルーズのコンピレーション・アルバムを持っていました。
それがアーフリー。

 →Arhoolie Records

コンピレーションというのは、要するに寄せ集めの編集盤です。
ま、いいとこどりなんでしょう。
ディランはこのレコードで初めて聴いたのだと言って、次のような名前を挙げています。

Blind Lemon Jefferson
 →Wikipedia: Blind Lemon Jefferson

Blind Blake
 →ブラインド・ブレイク Blind Blake

 →Blind Blake 解説

 →The King Of Ragtime Guitar: Blind Blake & His Piano-Sounding Guitar

 →Wikipedia: Blind Blake

Charlie Patton
 →Charlie Patton

 →Charlie Patton by R. Crumb

Tommy Johnson
 →Trail of the Hellhound: Tommy Johnson

知らない名前ばかりなので、検索で疲れてしまいました。
ちょっと勉強しないとわかりませんな。
日本語のサイトだと、ここが充実しています。

 →ブルースの Power Blues

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牧童の歌 CHRONICLES #384


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 →Chapter 5: River of Ice

コーナーとディランはフォークウェイズから出ていた船乗りたちの歌を一緒に歌いました。
昔の歌をいろいろ学習していた時期なのです。

次に記憶に残っているレコードとして、エレクトラから出ていたサンプラーを挙げています。

日本でも、最近復刻されたURC、ベルウッド、エレックでは、それぞれオムニバス盤を出してます。
そんな感じでいろいろな人の曲が入っていたのでしょう。

 →Wikipedia: Elektra Records

 →Wikipedia: Elektra Records artists

デイヴ・ヴァン・ロンクを初めて聴いたのは、このレコードだったそうです。
ペギー・シーガーもこのレコードで聴いたということです。
ピート・シーガーやマイク・シーガーの妹さんです。

 →Peggy Seeer

「アラン・ローマックス(Alan Lomax)自身が歌ったカウボーイの歌まで入っていた」と出てくるのですが、さて、アラン・ローマックスの名前は覚えておいででしょうか?
「偉大なる民俗文書館員」とディランが呼んでいた人物です。
国会図書館のリサーチで、フォークソングを収集していた人ね。

 →CHRONICLES #54 甘い生活

ローマックスが歌っていたカウボーイの歌は「ドネイ・ギャル(Doney Gal)」でした。
ディランはこの歌が気に入ったので、自分のレパートリーに加えたそうです。

 →Doney Gal

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船乗りの歌 CHRONICLES #383

千本浜 2004年4月24日

 →Chapter 5: River of Ice

ディランは友達になったコーナーのところで、他のレコードもよく聴きました。
ほとんどは、あのフォークウェイズが出したレコードだったそうです。
ディランが憧れていたレーベルです。

 →CHRONICLES #8 (Bob Dylan)

その中でも"Foc'sle Songs and Sea Shanties"というアルバムを繰り返して聴いたそうです。

"foc'sle"というのがわからないので辞書を引いたら、「forecastle(船首楼)」を発音通りに綴った語だそうです。
船首楼というのがまたわかりませんが、要するに船の前の方です。
前甲板や、その下の船員部屋。

"shanties"は前に出てきました。
結局両方とも船乗りの労働歌のようなものを指すようです。
マウンテン・ミュージックだけではなくて、海の歌も、カントリーのルーツなんですね。

 →CHRONICLES #87 鯨の歌


スミソニアンのサイトにありますな。

 →Foc'sle Songs and Shanties

ディランがタイトルを挙げているのは、次の3曲です。

101 - Ratcliffe Highway
105 - Haul Away Joe
205 - Hanging Johnny

上記サイトでちゃんと試聴できます。
ディランは少し曲名を間違えていますね。

立命館大学のサイトに、"Haul Away Joe"のことが出ていました。

 →船乗りと七つの海の歌

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帆船時代の船乗りにとって、歌は仕事に欠かせない重要なものでした。帆を揚げたり碇を揚げたりするたびに、水夫たちは並んでいっせいに綱を引き、または機械を押して回ります。全員の力をうまく合わせて能率よく仕事するには、歌で調子をとるのが一番だったのです。海の仕事歌を代表するのは、労働の呼吸が伝わるほどシンプルな「引き歌」です。「引け、引け、ともに引いて歌え*音楽1」 (音楽:"Haul Away, Joe" Party Songs / Sings and Playsより)と始まる歌では、これに「引け、引け、ジョー」というリフレインがついて1番の歌詞の全部になっています。
-----------------------------------------------

スミソニアンのサイトでは書いてありませんが、ディランによればこのレコードではデイブ・ヴァン・ロンク(Dave Van Ronk)やロジャー・エイブラムズ(Roger Abrams)が歌って演奏しているのだそうです。

デイブ・ヴァン・ロンクの名前が懐かしいです。
フォークウェイズ、ガス灯、どちらも最初に読んだ時よりもずっと近しい名前になりました。

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ほうろう CHRONICLES #382

千本浜 2006年4月25日

春一番騒動の後は自宅サーバ機が壊れて、またもやクロニクルズがお留守になってしまいました。
全然進んでいませんね。

ハードカバーでもペーパーバックでも、"CHRONICLES VOLUME ONE"はただいまp.238です。
本文は293ページまでですから、残り55ページ。
寂しくなりましたな。
御大、早く"CHRONICLES VOLUME TWO"を出してくれないかしら。

 →Chapter 5: River of Ice

-----------------------------------------------
I learned a lot of songs off Koerner by singing harmony with him and he had folk records of performers I'd never heard at his apartment. I listened to them a lot, especially to The New Lost City Ramblers. I took to them immediately.

僕はコーナーにハーモニーを付けて歌うことによって、たくさんの歌を教わった。そしてコーナーのアパートには、僕が一度も聴いたことがない歌手のレコードがあった。それをよく聴いた。特にザ・ニュー・ロスト・シティ・ランブラーズを。すぐに気に入ったのだ。
-----------------------------------------------

歌い方、演奏、曲、そしてランブラーズの服装や名前、ディランはそのすべてが好きだったそうです。

 →John Cohen Works: New Lost City Ramblers

 →New Lost City Ramblers Portfolio

写真家のジョン・コーエンについては、リンク先の「フィドル少年漂流記」や「“コーヒーをもう1杯” Bobliotheca Dylanica」でも触れてますね。
気になります。

 →ケンタッキーの音楽★ジョン・コーエンの業績

 →「フォトグラファーJohn Cohen」

ディランの兄弟子に当たるジャック・エリオット(Jack Elliott)にも「ランブリン(Ramblin')」という愛称が付いていました。
友部正人さんが「ジャック」と歌っている人です。

"ramble"はキーワードなんでしょうか。
辞書を引くと「そぞろ歩きをする」と出ていますが、「放浪」や「さすらい」といった雰囲気で遣われているようです。

 →ramblin' jack elliott

 →Ramblin' Jack Elliott

 →拝啓 Ramblin' Jack Elliott 殿

思えば、当時のディランは「放浪」に猛烈な憧れを抱いていたのです。

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At the time, I didn't know that they were replicating everything they did off of old 78 records, but what would it have mattered anyway? It wouldn't have mattered at all. For me, they had originality in spades, were men of mystery on all counts. I couldn't listen to them enough.

ランブラーズが古い78回転のレコードにあるものを何もかも模写しているのだということを、その時には知らなかった。でも、そんなことが何だろう。そんなのはまったくどうでも良いことだった。僕にとっては、ランブラーズは決定的に独創性があったし、あらゆる点で神秘的な男たちだった。いくら聴いても聴き足りなかった。
-----------------------------------------------

ランブラーズには、お手本があったんですね。

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ダラス・ラグ CHRONICLES #381

千本浜 2006年4月30日

 →Chapter 5: River of Ice

共通に好きな曲の話で盛り上がった後、コーナーとディランは互いに知らない曲を教え合います。
ディランは、レコード屋で試聴しただけで覚えたオデッタの曲を教えます。
すごいものですね。
それ以前にレコードで聴いていたレッドベリの曲も教えたそうです。

コーナーはディランより少し年上で、フォーク歌手としても、人生経験の上でも少し先輩でした。
コーナーはハリー・ウェバーという人からたくさんの歌を教わっていましたが、少ししてからディランはウェバーに会いに行きます。
その話はもう少し後に出てきます。

コーナーに教わった曲ということで、具体的に3曲の曲名を挙げています。

"Casey Jones"
 これは前にも出てきましたね。
 →CHRONICLES #51 幻の「ジョー・ヒル」

"Golden Vanity"
 →The Golden Vanity 音量注意!

"Dallas Rag"
 この曲は1976年の春一番で、佐久間順平さんが演奏しています。
 →春一番ライブ '75?'79

 あ、楽譜がありました。
 midiファイルも置いてあります。
 →Dallas Rag

コーナーは、酒場で歌うようなトラディショナルなブルーズや、ラグタイムをよく歌っていたということです。
いつもにこにこと穏やかなコーナーも、歌う時には"field holler shouter"になったそうです。

[リーダーズ英和]
-----------------------------------------------
field-holler
n 【楽】 フィールドホラー《黒人労働歌で裏声や音程をなめらかにつなげたり急に変えたりする発声法を用いた叫び; のちにブルースの唱法に採り入れられた》.
-----------------------------------------------

 →アフリカ系アメリカ民謡(2)黒人労働歌 African-American work song

おお、そういえば、映画"No Direction Home"には、ハンマーを振り下ろす踊りが出てきました。

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汽車を待ちながら CHRONICLES #380

保線区 2006年4月24日


5月の連休に大阪へ出かけ、その後の一週間は祝春一番2006のメモを書いていたので、すっかり忘れてしまいました。
ボブ・ディランの自伝『クロニクルズ』(Bob Dylan "CHRONICLES VOLUME ONE")はどこまで読んだのかしら。

思えば、春一番もディランズ・チルドレンみたいなコンサートでした。
ここぞという時には、ディランの曲が歌われます。
「春一番」という恭蔵さんの曲では「ヤスガース・ファーム」つまりウッドストックのことが歌われていますが、ウッドストックもディランの子供みたいなところがありましたからね。
御大は出なかったけど。

それで、"CHRONICLES VOLUME ONE"の第5章。

 →Chapter 5: River of Ice

そうそう、ディランは1959年の夏に家を出て、ミネソタ大学の友愛会館に転がり込みました。
そしてミネアポリスにある「10時の学者(the Ten O'Clock Scholar)」という名のコーヒーショップで、仲間を見つけます。
それがジョン・コーナー(John Koerner )。

-----------------------------------------------
We hit it off right away. We already knew a few of the same songs like "Wabash Cannonball" and "Waiting for a Train." Koerner had just gotten out of the Marine Corps, was an aeronautical engineering student.

僕たちはすぐに話が合った。「ウォバシュ・キャノンボール」や「ウェイティング・フォー・ア・トレイン」といった同じ曲を少し知っていたのだ。コーナーは海兵隊を除隊したばかりで、航空工学の学生だった。
-----------------------------------------------

"hit it off"というのは、「仲よくやる」ぐらいの意味ですね。
お互いにギターを持っていて、ああ、あの曲知ってるってな感じで話がちょっと盛り上がったのでしょう。

「ウォバシュ・キャノンボール」はトラディショナルで、カーター・ファミリーが仕上げた曲のようです。
「ウェイティング・フォー・ア・トレイン」はジミー・ロジャースの曲です。
ディランとコーナーが出会って話をした数年後の1973年に、ディランの兄弟子とも言うべきランブリン・ジャック・エリオットが"All Around The Water Tank"というタイトルでレコーディングしているそうです。

 →Jimmie Rodgersのすべて

 →Jimmie Rodgers - The Father of Country Music

どちらもグレイトフル・デッドのファン・サイトに歌詞と解説がありました。

 →Wabash Cannonball

 →Waiting for a Train

両方とも汽車のことを歌っているというのが興味深いですね。
1930年代の大不況時代、ホーボーたちは汽車を使って移動して仕事を探したのでした。
ウディ・ガスリーの世界です。

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九マイルは遠すぎる CHRONICLES #379

 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]
千本浜 2006年4月30日

 →Chapter 5: River of Ice

ディランはレコード店の試聴室(the listening booth)で聴いただけで、オデッタの歌っていた曲を全部覚えてしまいます。
演奏法まで盗んで、これでレパートリーが増えました。
これは凄いですね。

それから通りを進んで、「10時の学者(the Ten O'Clock Scholar)」という名のコーヒーショップに立ち寄ります。
"a Beat coffeehouse"という説明が付いているのですが、これがよくわかりません。
ビートが集まるコーヒーハウスということでしょうか。
ライブハウスですね。

最初からディランはここで自分と同じような仲間を見つけるつもりだったようです。
似たものを探し求めている仲間ですね。

-----------------------------------------------
The first guy I met in Minneapolis like me was sitting around in there. It was John Koerner and he also had an acoustic guitar with him. Koerner was tall and thin with a look of perpetual amusement on his face.

ミネアポリスで最初に出会った、僕に似たやつは、そこに座っていた。それがジョン・コーナーで、彼もアコースティック・ギターを持っていた。コーナーは痩せた背の高い男で、年がら年中楽しそうな顔をしていた。
-----------------------------------------------

 →SPIDER JOHN KOERNER Official Website

公式サイトのトップに顔写真がありますが、コーナーさんは人の良さそうな顔をしています。
ディランはこの人から、いろいろなことを教わったようです。

コーヒーハウスの名前になっている「10時の学者」ってとこかで聞いたことがあるなあと思って検索したら、ハリー・ケメルマンの短編に「10時の学者」がありました。
『九マイルは遠すぎる』に入っていて何度か読んだはずなのですが、完全に忘れております。
どんな話だったでしょうか。

 →ハリイ・ケメルマン(Harry Kemelman)

あ、これか。
なるほど。
少し思い出しました。
ケメルマンの「ラビ」シリーズが好きで、何度も読みましたっけ。

 →九マイルは遠すぎる

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夕陽が好き!

幻泉館サーバのログを眺めていたら、妙な直リンがあった。

>http://mixi.jp/show_profile.pl

こういうところから画像が参照されているのだ。
perlスクリプトのファイル名らしいが、mixiのプロフィール画像でしょうかね。
私はmixiとやらに参加していないので、ここにアクセスできない。
どんな風に使われているのか確認できない。

というところにムッときた。
仕方がない。
またやりますか。

元画像に下品な文字を書き入れました。
むなしいのぉ。

千本浜 2006年1月3日

 →夕陽を追いかけて

 →夕陽が泣いている

 →夕陽が好き!

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魔法の杖 CHRONICLES #378

添地町 2006年4月29日

 →Chapter 5: River of Ice

ディランの頭の中には、フォーク音楽しかありませんでした。

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It was out of date, had no proper connection to the actualities, the trends of the time. It was a huge story but hard to come across. Once I'd slipped in beyond the fringes it was like my six-string guitar became a crystal magic wand and I could move things like never before. I had no other cares or interests besides folk music.

フォーク音楽は時代遅れで、現実や時代の流れとうまく繋がっていなかった。大きな物語なのに、出会うことは難しかった。一旦境目を越えて中に入ってしまえば、僕の6弦ギターは水晶でできた魔法の杖になり、以前にはけっして動かすことのできなかったものも動かすことができた。僕はフォーク音楽以外にはまったく注意や関心がなかった。
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それで、ディランはエレキを売っ払って、マーチンの00シリーズに替えたのです。
Martin 00-17が、ディランの「魔法の杖」になりました。
どうにも気になったので、私が先走って調べたところです。

 →ディランのMartin 00-17 CHRONICLES #373

 →Artifact as Inspiration

ディランは夏休みの学生街を楽しみます。
ディンキータウンという名で有名らしいですね。
絵葉書がありました。

 →Dinkytown Photo Tour

この町のレコード屋で、ディランはオデッタのレコードと出会います。

 →Vanguard Record: Odetta

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Odetta was great. I had never heard of her until then. She was a deep singer, powerful strumming and a hammering-on style of playing. I learned almost every song off the record right then and there, even borrowing the hammering-on style.

オデッタは素晴らしかった。その時まで一度も聴いたことがなかったのだ。深みのある歌い手で、ギターを力強くかき鳴らし、叩くようなスタイルで演奏した。僕はレコードを聴いたその場でほとんどすべての曲を覚え、その叩くような演奏スタイルを借用した。
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ギターの奏法で「ハンマリングオン」というのがあるのでそのことかとも思ったのですが、"No Direction Home"でオデッタの映像を見ると、本当にハンマーで叩きつけるようにギターを弾いているのです。
だから、その弾き方のことではないかと思います。

オデッタは本当に弦を叩きながら、吠えるように歌うのです。
びっくりしました。

普通の「ハンマリングオン」はこんな感じです。

 →フィンガーピッキング入門

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神話への決意 CHRONICLES #377

千本浜 2006年4月25日

 →Chapter 5: River of Ice

ディランがビートの世界に希望を探すつもりではなかったのは、既に自分が進むべき世界を見つけていたからです。

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I had already landed in a parallel universe, anyway, with more archaic principles and values; one where actions and virtues were old style and judgmental things came falling out on their heads.

とにもかくにも、もっと古風な原理と価値観を持った並行世界に、僕は既に上陸していたのだ。行動と美徳が古風で、批判的なものが頭上に降ってくる世界に。
-----------------------------------------------

伝説となっている人々の世界。
無法者や悪漢が生き生きとしているけれど、神が支配する世界。
つまり神話の世界です。

ディランは前にも書いたような曲名を3つ並べています。
固有名詞を複数形で登場させているので、似たような歌が他にいくつもありうるのだと言っているのでしょう。
それを自分で見つけなければならないのです。

 →Stagger Lee - Midi and Lyrics

 →Wikipedia: Stagger Lee

 →Pretty Polly

 →Indeed Pretty Polly

 →John Henry - The Steel Driving Man

 →John Henry

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Folk music was all I needed to exist.

僕が存在するために必要なのは、フォーク音楽だけだった。
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ミネソタ大学の友愛会館に転がり込んだ時、ディランは既に自分の人生を、フォークソングを軸に考えていました。

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吠える、半世紀 CHRONICLES #376

千本浜 2006年4付き25日

 →Chapter 5: River of Ice

ギンズバーグに続いて、ファーリンゲッティの名前が出てきます。

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Lawrence Ferlinghetti, one of the other Beat poets, had called it "The kiss proof world of plastic toilet seats, Tampax and taxis." That was okay, too, but the Gregory Corso poem "Bomb" was more to the point and touched the spirit of the times better--a wasted world and totally mechanized--a lot of hustle and bustle--a lot of shelves to clean, boxes to stack. I wasn't going to pin my hopes on that.

他のビート詩人の一人ローレンス・ファーリンゲッティは、それを「プラスチックの便座と、タンパックスと、タクシーとのキスが保証付きの世界」と呼んだ。それも良いのだが、グレゴリー・コーソの詩『爆弾』の方がもっと的を射ていて、その時代の精神にもっとよく触れている。荒れ果てた世界と、完全に器械化された……たくさんのごたごた……片付けなければならない棚と、積み上げなければならない箱がたくさん。僕はそこに自分の希望を見つけようとは思っていなかった。
-----------------------------------------------

ギンズバーグの「水素ジュークボックス」はあまりに唐突でわかりにくかったのですが、今度はもっと説明的ですね。

リーダーズ英和プラスには、ファーリンゲッティの経営する書店がビート詩人たちの活動の拠点になっていたといった記述があります。
このシティライツ書店の出版部がギンズバーグの『吠える(Howl)』を出し、そのためにファーリンゲッティは猥褻裁判の被告となりました。

-----------------------------------------------
Ferlinghetti
n. ファーリンゲッティ Lawrence Ferlinghetti (1920?- ) 《米国の詩人; San Francisco で彼が経営する City Lights Bookshop は Beat Generation の作家の活動の中心となった; 詩集 A Coney Island of the Mind (1958) など》.
-----------------------------------------------

おっと、シティライツ書店は今もありますね。
『吠える(Howl)』五十周年を祝っています。

 →Welcome to City Lights Books

その中にファーリンゲッティの紹介ページもあります。

 →Lawrence Ferlinghetti

うろうろしていたら、アレン・ギンズバーグの追悼集会に行ってきた人のサイトがありました。
1997年の時点でのビート詩人たちの姿を見ることができます。
3ページに渡っていますので、続きも見てね。
グレイトフル・デッドの歌を弾き語りするとっつぁんがかっこいいぞ。

 →アレン・ギンズバーグ追悼

グレゴリー・コーソの『爆弾』を掲載しているサイトがありました。
あ、ギンズバーグの『吠える』もあります。
すごいHPだなあ。

 →The Beat Page - Gregory Corso

 →The Beat Page - Allen Ginsberg

ビートと言えばこのサイトなんですね。

 →The Beat Page

しかし、ディランの「僕はそこに自分の希望を見つけようとは思っていなかった」は、不思議ですね。
妙に覚めた感じがします。
最初から、ビートになるつもりはなかったということです。

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水素ジュークボックス CHRONICLES #375

千本浜 2006年4月25日


アメリカン・マスターズの電子テキストで、3ページ目に入りました。
書籍ではp.235です。

 →Chapter 5: River of Ice

家を出たディランは大学の友愛会館にころがりこんで、自分の場所を確保します。
何も物のない部屋から窓の外を眺めた、その時のことをディランは覚えているのでしょう。
厳冬のニューヨークでも、レイの部屋の窓から外を眺めていましたね。
1959年初夏のミネアポリス、さわやかな緑の季節です。

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I suppose what I was looking for was what I read about in On the Road--looking for the great city, looking for the speed, the sound of it, looking for what Allen Ginsberg had called the "hydrogen jukebox world." Maybe I'd lived in it all my life, I didn't know, but nobody ever called it that.

僕は『路上』の中で読んだものを探していたのだと思う。大都市を探し、大都会のスピードと音を探し、アレン・ギンズバーグが「水素ジュークボックス世界」と呼んでいたものを探していたのだと思う。もしかしたら僕はずっとその世界の中に暮らしていたのかもしれないのだが、僕にはわからなかったし、誰もそう呼んではいなかった。
-----------------------------------------------

かっこいいです。
でも、かっこいいだけに、「水素ジュークボックス世界」がよくわかりません。

amazonではフィリップ・グラス(Philip Glass)のCD"Hydrogen Jukebox"が試聴できます。
Answers.comに解説がありました。
ギンズバーグの詩「吠える(Howl)」から採ったものだそうです。
でも、ギンズバーグを読んでいないので、やっぱりよくわかりません。

 →Ansers.com: Hydrogen Jukebox

せっかくだから読んでおきますか。

ギンズバーグ詩集増補改訂版

総特集アレン・ギンズバーグ

あ、ギンズバーグの朗読CDも出ていますね。

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友愛会館 CHRONICLES #374

 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]
添地町 2006年4月24

Martinの00シリーズが気になってつい先走ってしまいましたが、元のページに戻ります。
書籍ではp.235です。
大盤振舞サイトでは、まだ[2]の最後のところ。

 →Chapter 5: River of Ice

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My mother had given me an address for a fraternity house on University Avenue. My cousin Chucky, whom I just slightly knew, had been the fraternity president. He was four years older than me and an all-around successful student in high school--captain of the football team, valedictorian, class president. It was no surprise that he'd become president of the fraternity.

母から、大学通りにある友愛会館の住所を渡されていた。従兄のチャッキーのことを僕はよく知らなかったのだが、彼が友愛会の会長をしていたのだ。チャッキーは僕より4歳年上で万能だった。高校時代はフットボール部のキャプテンで、卒業生総代で、級長だった。友愛会の会長になっていても、まったく驚くべきことではなかった。
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ディランが行ったのは、ミネソタ大学のミネアポリス・キャンパスですね。
公立大学だそうです。
地図に"University Avenue"が出ています。

 →University of Minnesota

 →Directions to Minneapolis campus

従兄のチャッキーに関しては、ちょっと冷たい書き方をしていますね。
あまり好きではなかったのでしょう。

私の場合、友愛会(fraternity)は、なんだかいじめの温床といったイメージを抱いています。

リーダーズ英和
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fraternity house
《大学・高校の》男子学生クラブハウス《寮を兼ねる》, 友愛会館.
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-----------------------------------------------
My mom said that she talked to my aunt about calling Chucky and letting me stay there--at least while the place was vacated during the summer and most of its members were gone.

母さんが言うには、伯母さんに話をして、チャッキーのところに電話をかけて、そこに泊まらせてもらえることになっていた。少なくとも夏の休暇の間、友愛会の学生がほとんどいない間は。
-----------------------------------------------

部屋が空いている間に居候させてもらったのです。
進学したという感じではありません。
実際、ディランは歌を歌うためにミネアポリスにやってきたのでした。

大学を卒業したばかりの4年生が少し友愛会館に残っていました。
その中の一人が、二階の突き当たりの部屋を使えと言ってくれます。

二段ベッド(bunk bed)に、机が一つ。
窓にはカーテンもありません。
ディランは荷物を置いて、窓の外をじっと見ました。

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ディランのMartin 00-17 CHRONICLES #373

保線区 2006年4月24日

もう少し後の方なんですが、気になって調べてしまったので、先に書いておきます。
本ではp.237です。

 →Chapter 5: River of Ice

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First thing I did was go trade in my electric guitar, which would have been useless to me, for a double-O Martin acoustic. The man at the store traded me even and I left carrying the guitar in its case. I would play this guitar for the next couple of years or so.

最初に僕がやったのは、エレキギターをマーチンの00シリーズのアコースティックギターに替えることだった。エレキギターは僕には不要のものだったから。お店の人が同額で下取りしてくれ、僕はケースに入ったこのギターを持って店を出た。その後2,3年かそこらはこのギターを弾くことになる。
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00シリーズはマホガニーを使ったシリーズで、表板もマホガニーだと、おなじみのDシリーズよりもずっと濃い色をしています。

 →The Martin Guitar Company: All Models

 →幻泉館日録:Martin D-28

DシリーズはDreadnaught(弩級)の名の通りボディが大きくて、小柄な人にはちょっと取り回しが大変です。
00シリーズはもう少し小振りで音が繊細になります。

ディランは持ち運ぶのに便利なので、00シリーズにしたのかしら。
マホガニーの色が気に入ったのかもしれないなあ。

しかし、最初のアルバム"Bob Dylan"で持っているギターは00シリーズではないように見えます。

【Rock/Pops:ホ】ボブ・ディランBob Dylan / Bob Dylan (CD) (Aポイント付)

検索してみたら、ありました。
ディランの00-17。
オリジナルのHTMLが見つからないのですが、文字ちゃんと読めます。

 →Artifact as Inspiration

1949年製造のMartin 00-17。
思っていたより古いギターでした。
ディランは1959年の秋から1961年の初めまで所有していて、このギターを使って録音した曲もあると書いてあります。

近い時期の00-17の、もっと大きい画像もありました。
ペグ(糸巻き)のつまみの部分が金属色ではないので、合成樹脂か何かを使っているのでしょう。
やっぱりファーストアルバムのジャケットに写っているギターとは違います。

 →1953 Martin 00-17

ディランのギターを掲載しているサイトでは「1959年ミネソタ大学に通っている間に」と書いてあります。
自伝では書き方が少し違います。

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風の歌を聴け CHRONICLES #372

千本浜 2004年4月22日

 →Chapter 5: River of Ice

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I'd come into Minneapolis unnoticed, I rode in on a Greyhound bus--nobody was there to greet me and nobody knew me and I liked it that way.

僕は知らない間にミネアポリスに入っていた。グレイハウンドバスに乗っていたのだ。そこには誰も僕に挨拶をするような者はいなかったし、誰も僕のことは知らなかった。そういうのが気に入った。
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アメリカの映画でおなじみの、長距離バスですね。
名前の由来は、やっぱり犬のグレイハウンドでしょう。
「速く走るために作り出された犬種」なんだそうです。

 →犬種図鑑:グレイハウンド

 →Greyhound.com

『真夜中のカウボーイ(Midnight Cowboy)』を思い出すということは以前少し書きました。
大陸を横断する安旅。
憧れではありますが、私がアメリカでそんなことをすることはないでしょう。

 →CHRONICLES #52 ライ・ウィスキー

日本では、JRが運行する「ドリーム号」というバスが高速道路を走っています。

 →Wikipedia: ドリーム号

本来は夜行バスなのですが、国鉄時代にはのんびり駅から東京駅まで運行していたので、よく利用しました。
各駅停車とあまり変わらない料金で、少し速いのです。
2時間の小旅行。
足柄のサービスエリアで必ずコーヒーを飲みました。

『風の歌を聴け』もドリーム号でした。

 →Wikipedia: 風の歌を聴け

今は原作の小説よりも、大森一樹監督の映画の方が好きかもしれません。
故黒木和雄監督が、精神科医の役で少し出ています。

あはは、全然進んでいませんな。

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さすらい CHRONICLES #371

保線区 2006年4月20日

ディランが小さな頃に観たテレビ番組については、そっけない記述しかありませんでした。
テレビっ子になるには田舎すぎたし、時代も少し早かったのでしょう。

しかし、アメリカの懐古サイトも充実してますね。
幻泉館も「70年代」を謳ったりしているので、懐古趣味なのだと思われることが多いのですが、本人にそんなつもりはまったくありません。
あくまでも、そこに私の「原点が存在する」のだとお考えください。

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Of course, there were other things to do. Still, though, it was all small town stuff--very narrow, provincial, where everybody actually knows everyone.

もちろん他にもやることはたくさんあった。でも、それはすべて小さな町の中でのできごとだった。とても小さい、田舎のものだった。だれもが実際に知っている者ばかりだった。
-----------------------------------------------

だから、町を出た。

そういうことですね。
日本でも70年代初頭には、故郷の町を出ていくことが歌やドラマのテーマになっていました。

「自由への長い旅」
「私たちの望むものは」
「今日をこえて」

『見るまえに跳べ』(1970年)の岡林信康は、まだ若者を旅へ煽り立てているようにも聞こえます。

「ゆきどまりのどっちらけ」
「俺らいちぬけた」
「偉いもんだよ人間は」

『俺らいちぬけた』(1971年)では、一度は田舎を捨てたはずの人間が、今度は町を捨てます。
実際に岡林信康は田畑を耕す暮らしに入っていくのです。

まったくあれよ、あれよという展開。
僕はテレビで「さすらい」に憧れる、地方都市の中学生でした。

 →幻泉館日録:佐々木昭一郎『さすらい』(1971年)

ディランの話が、ミネアポリスに戻ります。
ディランも「さすらい」に憧れていました。
そして、本当に家を出ます。
もう戻るつもりはありませんでした。

ディランの場合はジャック・ケルアックの『路上』の世界に憧れていたのです。

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ゲバゲバ90分 CHRONICLES #370

千本浜 2006年4月1日

 →Chapter 5: River of Ice

ディランが小さい時にテレビも登場するのですが、まだ放送時間も短く、番組制作も未熟だったようです。

日本の場合は本放送開始が1953(昭和28)年。
もちろん普通の家庭にテレビが入ってくるまで、その後十年近くかかっています。

 →NHK: テレビは進化する

アメリカで本放送が始まったのは1939年だそうですが、一般家庭にテレビが入ってきたのは50年代になってからだと思います。

 →Wikipedia: テレビ

 →情報通信白書 for Kids: メディアの歴史

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Television was coming in, too, but not every home had one. Round picture tubes. Programs usually started broadcasting at about three o'clock in the afternoon with a test pattern that ran for a few hours and showed a few shows broadcast out of New York or Hollywood and then went off at around seven or eight.

テレビも入ってきたが、どの家にもあるわけではなかった。丸いブラウン管だった。放送はだいたい午後3時ごろにテストパターンで始まり、それが数時間続いてから、ニューヨークやハリウッドのショーがいくつか放送され、7時から8時ごろに終わった。
-----------------------------------------------

いわゆる劇場中継がほとんどだったんですね。

私の小さな頃、つまり60年代の日本では、午後に放送休止の時間帯がありました。
アメリカの「テレビ映画」もよく放映していました、映像と音声の同調がうまくいかなくなることも多かったです。
「そのまましばらくお待ちください」という画面に変わるのです。

-----------------------------------------------
There wasn't much to watch... Milton Berle, Howdy Doody, the Cisco Kid, Lucy and her Cuban bandleader husband, Desi, the Father Knows Best family, where everybody's always dressed up even in their own house. It wasn't like in the big city, where there was a lot more happening on TV. We didn't get American Bandstand or anything like that.

見るべきものはあまりなかった。ミルトン・バール、ハウディー・ドゥーディー、シスコ・キッド、ルーシーとキューバ楽団のリーダーであるデジ、パパは何でも知っているの家族。この番組では、自分の家でもいつもきちんとした服装をしていた。大都市とは違って、テレビにはあまり多くの番組がなかったのだ。アメリカン・バンドスタンドのような番組はまったく見ることができなかった。
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ミルトン・バールというのは、1914年の子役デビュー以降世紀末までずっと活躍していた俳優さんのようです。
The Milton Berle Show(1948-1956)の放映で、テレビでおなじみの顔だったようですね。

 →Milton Berle

 →The Milton Berle Show

 →The Howdy Doody Show

 →The Cisco Kid

「ルーシーとキューバ楽団のリーダーであるデジ」というのは、「ルーシー&デジ・コメディ・アワー」という番組のようです。

 →The Lucy-Desi Comedy Hour

後に「ルーシー・ショー」で日本人にもおなじみのルシル・ボールさんが主役のコメディですね。
「ルーシー・ショー」の方なら、小学生の時によく見ました。
ムーニーさんが出てくるやつです。

 →The Lucy Show

「パパは何でも知っている」は見た記憶がありませんが、なんとなく知っています。
アメリカ人は家庭でもきちんとした服装をしているイメージがあったのは、こういう「テレビ映画」のせいなんですね。
ディランも子供心にこれはおかしいと思ったのでしょう。

 →FATHER KNOWS BEST

ディランは田舎町にいたので、「アメリカン・バンドスタンド」を見ることができませんでした。
とても見たかったんでしょうね。

 →アメリカン・バンドスタンド

 →American Bandstand

 →Wikipedia: American Bandstand

私が小学生の頃、のどかな県はNHK以外に見ることができるのはTBS系列の地域局があるだけでした。
幼稚園の時に今のところへ越してきた当初は周囲に建物が少なかったので、東京からの放送も見ることができました。
でも、すぐに映らなくなってしまいました。
それで新婚の従姉のところへテレビを見に行ったりしていたのです。

え?
何を見に行ったのかって?
こんな番組です。

 →巨泉・前武のゲバゲバ90分!!

フォークの特集をやるというので、11PMを見に行ったこともあります。
エッチなシーンもあって、恥ずかしかったです。

今は亡き親父様が、プロレスの番組見たさに、台風が迫っている強風の中、アンテナの向きを直しに屋根へ上ったことを思い出しました。
考えてみれば、あの親父様は今の私よりずっと若かったのです。

ただいまp.234です。

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ちかいの魔球 CHRONICLES #369

千本浜 2006年4月18日

ディラン少年をがっかりさせた合成ゴムが生まれたのと同じ頃に、ドライブイン劇場が現われました。
もちろん小学生は車で出かけることができないので、家族と一緒の娯楽です。

アメリカですなあ。
映画でそんなシーンを見掛けると、とてもうらやましかったものです。
車自体が憧れでした。
どこでも車で出かけるような社会は、夢のように感じたものです。

夏の夜、ダートトラックで行なわれるストックカーレースが、楽しみだったそうです。
たいていは49年型か50年型フォードで、派手な改造を施した車がぶつかり合います。
小さな田舎町でこんなレースをやってるんですから、自動車文化の根付き方が違いますね。

[リーダーズ英和]
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dirt track
ダートトラック《泥土[石炭の燃え殻]を敷いたオートバイなどの競走路》

stock car
《特注車に対して》一般市販車; ストックカー《市販の(古)乗用車のエンジンなどを取り換えたレーシングカー》.
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サーカスやカーニバルのことも書いてあります。
顔を黒く塗ったミンストレルショーは、もう最後の時期でした。
それをカーニバルで見たそうです。
有名なカントリー&ウェスタンのスターや、バディ・リッチを見ました。
バディ・リッチのバンドは高校の講堂で見たと言ってるあたりがいいですね。

 →The Official Web Site of Buddy Rich

「王と宮廷(The King and His Court)」という名のソフトボールチームがとてもおもしろかったそうです。
"fast-pitch softball team"と書いてありますが、日本でおなじみのソフトボールはこのファーストピッチのようです。
アメリカでは、自分がやるスポーツとしてはスローピッチが盛んなんですね。

 →National Pro Fastpitch

ファーストピッチの「王と宮廷」は郡(county)の選抜チームと対戦したのですが、すごい技術を見せてくれたそうです。

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If you liked baseball, this was the team to see. The King and His Court were four players: a pitcher, a catcher, a first baseman and a roving shortstop. The pitcher was awesome. Sometimes he pitched from second base, sometimes blindfolded, at times between his legs. Very few players ever got a hit off him, and The King and His Court never lost a game.

野球好きなら、このチームを見ておくべきだった。「王と宮廷(The King and His Court)」の選手は4人だった。ピッチャーとキャッチャーとファーストとショートだけ。ピッチャーがすごかった。時には二塁から投球することもあったし、目隠しをして投げることもあったし、また時には股の間から投げることもあった。彼の球を打てる選手はほとんどいなかったので、「王と宮廷」は一度も試合に負けなかった。
-----------------------------------------------

すげっ。
ほんまかいな。
小学生の頃に熱中した『ちかいの魔球』や『黒い秘密兵器』を思い出しましたわ。
ああ、これは両方とも福本和也さんが原作を書いていたんですね。


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俺の射程距離は CHRONICLES #368

千本浜 2006年3月19日

 →Chapter 5: River of Ice

ディランは子供の頃に空気銃を撃って遊びました。
BB銃(BB guns)という言い方が出てきますが、これは口径が0.18インチの空気銃を指すようです。

今の日本でも「エアガン」「BB弾」ということで流行っているようですが、意味合いはだいぶ違うのではないかと思います。
銃社会アメリカで本物の銃に触れる前に慣れておくための、子供のおもちゃだったのでしょう。

22口径の実弾も撃っていたそうです。
標的は空き缶やドブネズミ。
銃が駆逐された日本では口径を言われてもピンと来ませんが、東條英機が自決を図った際に用いたとされ、「22口径を使って胸を撃つなんて銃について知っている人間にとっては笑い話」と嘲笑された小口径です。
感覚としてはエアガンとあまり変わらないのでしょうか。

 →Wikipedia: 東條英機

ただ、本物の銃を撃つよりも、手製のゴム銃で遊ぶ方が楽しかったようです。
撃ち合いができるから。
当たったら決めた場所でじっとしていなければなりません。

私も小学生の頃、建築中の家などに上がり込んで、銀玉鉄砲で撃ち合いをしたものです。
やっぱり死んだ時のルールを決めました。

ディランの場合は、松の木で作ったんですね。
かなり強力なゴム銃で、当たるととても痛かったそうです。
だからこそ余計面白いんですね。

-----------------------------------------------
One year everything changed because the mines began using synthetic rubber on their tractors and trucks. Synthetic rubber wasn't as good or as accurate as real rubber.

ある年、すべてが変わってしまった。鉱山のトラクターやトラックが合成ゴムを使うようになったのだ。合成ゴムでは、本物のゴムほどうまく、正確には飛ばなかったのだ。
-----------------------------------------------

ディランたちは輪ゴムではなくて、タイヤのチューブに使われていたゴムで銃を作っていたのです。
そのゴムがなくなってしまったのです。
それまでバシンバシンと決まっていたのが、ポトリと落ちるようになってしまっては、やる気がなくなりますね。
残念。

「ゴム銃」で検索したら、こんな団体がありました。

 →日本ゴム銃射撃協会

そういえば、「トレンチコート・マフィア」事件の一人は「ディラン」という名前でした。

 →トレンチコートマフィア乱射事件

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絵の中のぼくの村 CHRONICLES #367

白銀町 2006年4月12日

 →Chapter 5: River of Ice

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Mostly what I did growing up was bide my time. I always knew there was a bigger world out there but the one I was in at the time was all right, too.

僕が子供のころたいていやっていたことは、時節の到来を待つということだった。外にはもっと大きな世界があるのはわかっていたが、その時自分がいた世界もさしつかえないものだった。
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なんだか小さな時から虎視眈々と何かを待ち構えていたようにも読めますが、そういう大望を抱いた子供だったというわけではありません。
むしろディランはごく普通の子供で、こんなことをして遊んだのだという回想を始めます。

まだテレビも登場する前の、田舎の少年です。

パレード、自転車競争。
地域柄、フットボールやバスケットボールや野球をやらなくても、スケートとアイスホッケーは必須でした。
水泳、魚釣り、そり遊び。
のびのびと遊んでいたんですね。

"bumper riding"という遊びのことも書いています。
自動車後部のバンパーにつかまって、雪の中を滑るのです。
楽しそう♪

7月4日(独立記念日)の花火、樹上の小屋。
とにかくいろいろな遊び(a witches' brew of pastimes)がありました。

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You could also easily hop an iron ore train by grabbing and then hanging on to one of the iron ladders on either side and ride out to any number of lakes where you could go out and jump in them.

鉄鉱石を積んだ列車に飛びついて横に付いている鉄のはしごにぶらさがり、いくつもの湖に出かけて飛び込むことも、簡単にできた。
-----------------------------------------------

これはすごい冒険ですね。
勝手に貨物列車にぶらさがって、泳げる場所まで出かけてしまうのです。
実にうらやましい遊びではありませんか。

水木しげるさんが言っていた「人は子供時代を生きるために生まれてくるのだ」を地で行ったような少年時代です。
ディランが家庭を大切にして、家族と浜遊びを楽しんだりしていたのは、こんな自分の経験があったからでしょう。

映画『スタンド・バイ・ミー』で、樹上の小屋に集まっていた少年たちを思い出しました。
私たちの少年時代も、建設用資材置き場や用水路の茂みの陰にに「隠れ家」を作ったりしましたが、あんなふうに本当に小屋として使えるものではありませんでした。
うらやましいなあ。

上記リンク先の大盤振舞サイトでは適当に改行していますが、本ではこの少年時代の遊びについて書いた段落が延々と続いています。

ただいまp.232です。

 →絵の中のぼくの村 Village Of Dreams

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すばらしい秋 CHRONICLES #366

保線区 2006年4月12日

ディランの母親の一家はヒビングと鉄道の線路を挟んだ、レトニア(Letonia)というところに暮らしていました。
もうリーダーズ英和にも載っていないほどの小さな町です。

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When she grew up the town consisted of a general store, a gas station, some horse stables, and a schoolhouse.

母が育った頃には、その町は雑貨屋と、ガソリンスタンドと、馬小屋と、小学校の校舎があるだけだった。
-----------------------------------------------

本当に何もないところですね。
ディランが育ったヒビングは、もう少し町らしいところです。
でも、小さなディランの目に映る風景は、やはり寂しい田舎の風景です。

砂利道、凍りついた山、樹木の先端が形作る空を背景とした輪郭、奥深い森林、人の手が加わっていない湖、鉄の採掘場、鉄道と一車線の幹線道路。
豊かな自然というよりも、陰鬱とした風景だと感じていたようです。

冬の気温が氷点下10度、ただし華氏ですから、我々がおなじみの摂氏だと氷点下23℃になります。
風が吹けばさらに10℃ほど低くなります。
恐ろしく寒いところです。

夏は夏で湿度が高くて華氏100度を超える、つまり摂氏37℃を超える、うだるような暑さとなるそうです。

-----------------------------------------------
Summers were filled with mosquitoes that could bite through your boots--winters with blizzards that could freeze a man dead. There were glorious autumns as well.

夏はブーツの上からも刺すような蚊でいっぱいになる。冬は人を凍死させるようなブリザードが吹き荒れる。すばらしい秋もあったのだが。
-----------------------------------------------

ブリザードはつまり吹雪なのですが、粉雪を伴う冷たい強風です。
私は一度も経験したことがありません。

春は単に「雪解け(chawing)」と書いているだけですが、秋は「すばらしい(glorious)」と気持ちがこもっています。
ディラン少年は秋が好きだったんですね。
とても短い秋だったのではないでしょうか。

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ケネディに会えたら CHRONICLES #365

千本浜 2006年3月19日

ディランの出身地、米国中西部の北の方は社会情勢が不安定で、政治活動が活発だったそうです。
一般的な社会主義者、共産主義者と並べて、二つの政党の名前が挙がっています。

[リーダーズ英和]
-----------------------------------------------
Farmer-Labor party
[the ?] 【米】 労農党《1) 1918 年 Minnesota 州に創立, 44 年民主党に併合 2) 1919 年 Chicago に創立, 24 年以降消滅》.

Social Democratic party
[the ?] 社会民主党《略 SDP》《1) 【ドイツ】 1875 年ドイツ社会主義労働者党として発足 2) 【米史】 1897 年ごろ結党 3) 【英】 1981 年結党, 88 年多くの党員が自由党に合流》.
-----------------------------------------------

 →Wikipedia: Minnesota Farmer-Labor Party

 →Wikipedia: Social Democratic Party (United States)

実際にはディランがトルーマンの演説を眺めた少年時代には既にどちらの政党も消滅しています。
それでも、まだその政党の影響を受けた活動家がいたのでしょう。
少なくとも、共和党には批判的な人が多かったようです。

ケネディが大統領になる前、まだ上院議員だった時に、ヒビングへ来たということをディランは書いています。
ところが、ディランはその半年前に家を出ていました。
いかにも残念そうに書いています。

J. F. ケネディを見ようと、1万8千人が復員軍人会のメモリアル・ホールに集まったそうです。
これはヒビングの人口に匹敵する人数です。
つまり、町の者全員がケネディを見に行ったのです。
もちろん全員が中に入れるわけはありません。

この会場は、もしかしたら高校生のディランがバンドを組んで演奏していた場所ではないでしょうか。
正確には、ディランはそこのロビーで演奏していたのです。
そして、プロレスの興業でやってきていたゴージャス・ジョージに声をかけられたのです。

 →幻泉館日録:CHRONICLES #33 ディランとプロレス

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If I had been a voting man, I would have voted for Kennedy just for coming there. I wished I could have seen him.

もしも僕が投票に行くような人間であったら、ヒビングに来てくれたというだけの理由でケネディに投票していたことだろう。ケネディを見たかったなあと思った。
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政治の言葉 CHRONICLES #364

幟り道 2006年3月19日

まだここですよ。
大盤振舞サイト2ページ目の第5段落。
原著ではp.230が終わるところ。
ハードカバー版も、ペーパーバック版も、本文の組みは同じです。

 →Chapter 5: River of Ice

-----------------------------------------------
Truman was gray hatted, a slight figure, spoke in the same kind of nasal twang and tone like a country singer. I was mesmerized by his slow drawl and sense of seriousness and how people hung on every word he was saying.

トルーマンは灰色の帽子をかぶった細身の人物で、カントリー歌手と同じような鼻にかかった訛と口調で演説をした。母音を延ばしてゆっくりと話す様子と真剣な雰囲気、そしてその一語一語にみんなが熱中する様子に、僕は感銘を受けた。
-----------------------------------------------

お、今日のタイトルは「南部訛」に決まりだ。
と思ったら、既に以前そういうタイトルを使っておりました。
すっかり忘れてやんの。
ディランとツアーをしていたTOM PETTY & THE HEARTBREAKERSのことですね。

 →幻泉館日録:南部訛 CHRONICLES #199

"nasal twang"が「鼻にかかった声を特徴とする方言」なんですが、弦楽器をかきならしたり、弓の弦をひゅーと放つのも"twang"と言うんだそうです。
"drawl"は「母音を延ばしたのろくさい話しぶり」なんですが、特に"Southern drawl" で「米国南部人特有の母音を延ばした話しぶり」を意味します。

日常生活ではむしろ「のろま」といったような表現なんでしょうが、政治集会での演説では、むしろ木訥で誠実な印象を与えたのかもしれません。
政治家ならば、それを意識的に利用していたとも想像できます。
日本でも、「東北弁」で誠実さを装う政治家がいますね。

小学校低学年のディランが、トルーマンの演説を音として記憶していることがおもしろいです。
非日常の政治言語には騙されたのかもしれませんが。

-----------------------------------------------
A few years later he would say that the White House was like a jail cell. Truman was down to earth. Once he even threatened a journalist who criticized his daughter's piano playing. He didn't do any of that in Duluth, though.

彼はその数年後に、ホワイトハウスが独房のようなところだと言うことになる。トルーマンは率直な人物だった。娘のピアノ演奏のあら探しをした新聞記者を脅したことさえある。でも、ダルースではけっしてそんなことはしなかった。
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ディランの場合はトルーマンの演説が原体験であるので、非常に好意的な人物評となっていますね。
お、次の段落では、あのケネディが登場していますぞ。

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責任は俺が取る CHRONICLES #363

千本浜 2006年3月19日

両親がディランをハリー・トルーマンの演説に連れていった話が出てきます。
政治集会(political rally)と書いていますが、当時7歳か8歳だったということなので、シカゴ・トリビューンの誤報があったという大混乱の大統領選挙の際のことでしょう。
選挙戦の政治集会なら1947年か1948年です。
ディランの両親は民主党支持者だったんでしょうね。

 →Wikipedia: ハリー・S・トルーマン

 →Wikipedia: Harry S. Truman

 →Biography of Harry S Truman

会場となったリーフ・エリクソン公園は、バラ園で有名なようです。

 →The Leif Erickson Park Rose Garden

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I must have been seven or eight at the time, but it's amazing how I can still feel it. I can remember the excitement of being there in the crowd. I was on top of one of my uncles' shoulders in my little white cowboy boots and cowboy hat.

その時僕は7つか8つだったはずだが、驚くべきことにそこで感じたことを今も思い出すことができる。群衆の中の興奮を思い出すことができる。僕は小さな白いカウボーイブーツを履いて、カウボーイハットをかぶり、おじさんの肩に乗っていた。
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カウボーイ衣装の小さなディランは、やっぱりなんだかお坊ちゃんぽいですね。
ディランはその集会の熱気を今でも覚えていると書いていますが、それはわかる気がします。

以前書いたことがありますが、私もそれぐらいの年齢で石油化学コンビナート反対運動を経験して、それが民主主義の原体験となっています。
大人が真剣に論じ合う姿を、目の当たりにしたことでしょう。

勝手な想像ですが、家の応接間でデモ用のプラカードにマンガを描いていた小学一年生の私と、おじさんに肩車をしてもらって集会を眺めている小さなディランの姿が重なります。

トルーマンは原爆投下を命じた大統領であり、朝鮮戦争時の大統領なので、私はあまり良い印象を抱いてはいません。

「責任は俺が取る。(The buck stops here.)」

トルーマンの座右の銘だったそうですが、彼が本当に原爆投下や朝鮮戦争の責任を引き受けたとは思えません。

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坂の町 CHRONICLES #362

昼ごろは暖かい春の好日でしたが、夕方から曇って冷え込んできました。
ずっと昔、上京した4月が寒かったのを思い出します。

広い駒沢通りを渡って銭湯に行きました。
帰りには、すっかり身体が冷えているのです。

 ♪ みなさん わっしが
 ♪ 東京に来ましたのは
 ♪ すてきと聞いたので
 ♪ こちらに 来てから 六ヶ月
 ♪ 今にも 気でも狂いそう

渡さんの「夜風のブルース」。
元詩がラングストン・ヒューズで、ディランの「ウディに捧げる歌」と同じメロディの曲です。

 →ウディに捧げる歌 CHRONICLES #359

千本浜 2006年3月19日


おやおや、ディランは故郷の町ダルースのことをずいぶん暗く描いています。

-----------------------------------------------
What I recall mostly about Duluth are the slate gray skies and the mysterious foghorns, violent storms that always seemed to be coming straight at you and merciless howling winds off the big black mysterious lake with treacherous ten-foot waves. People said that having to go out onto the deep water was like a death sentence.

ダルースのことで僕が思い出すのは、大抵が暗い灰色の空と、謎めいた霧笛、いつも真っ直ぐに向かって来るような激しい嵐、十フィートもある危険な波で真っ黒になった怪しげな湖から吹き寄せる冷酷な激しい風だ。深い湖に出て行かなければならないのは、死刑の宣告のようなものだと言われていた。
-----------------------------------------------

明るいキャンプ場のようなものではなくて、暗い空と荒れ狂う湖を思い出すのです。
観光案内にはきれいな夕陽も見えますが、北側に湖があるので、湖面は普段から暗いのかもしれません。

 →Visit Duluth

一月の平均最低気温は-19℃。
さすがに寒いですね。

 →アメリカ・ドライブ:ダルース

-----------------------------------------------
Most of Duluth was on a slant. Nothing is level there. The town is built on the side of a steep hill, and you're always either hiking up or down.

ダルースはほとんどが坂道にある。ダルースに平らな所はまったくないのだ。この町は急勾配の丘陵の中腹に造られたので、いつも上りか下りのどちらかになる。
-----------------------------------------------

おお、坂の町なんですね。
日本では珍しくありません。
Googleで「坂の町」と検索すると、いろいろな町がヒットします。

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湖のほとり CHRONICLES #361

千本浜 2006年3月19日

例の大盤振舞、Bob Dylan "CHRONICLES VOLUME ONE"の第5章を丸ごと掲載しているページを御覧ください。
今夜は2ページ目の第3段落です。

 →Chapter 5: River of Ice
 
-----------------------------------------------
In the summer of '59 after leaving home early spring, I was in Minneapolis, having come down from Northern Minnesota--from the Mesabi Range, the iron mining country, steel capital of America. I'd grown up there in Hibbing but had been born in Duluth, about seventy-five miles away to the east on the edge of Lake Superior, the big lake that the Indians call Gitche Gumee. Though we lived in Hibbing, my father from time to time would load us into an old Buick Roadmaster and we'd ride to Duluth for the weekend. My father was from Duluth, born and raised there. That's where his friends still were. One of five brothers, he'd worked all his life even as a kid. When he was sixteen, he'd seen a car smash into a telephone pole and burst into flames. He jumped off his bicycle, reached in and pulled the driver out, smothering the driver's body with his own-risking his life to save someone he didn't even know. Eventually, he took accounting classes in night school and was working for Standard Oil of Indiana when I was born. Polio, which left him with a pronounced limp, had forced him out of Duluth-he lost his job and that's how we got to the Iron Range, where my mother's family was from. Near Duluth, I also had cousins across the suspension aerial bridge in Superior, Wisconsin, the notorious red-light, gambling town and I stayed with them sometimes.
-----------------------------------------------

前回は、この"summer of '59"から映画『おもいでの夏(Summer Of '42)』を思い出したのです。
そして、"Minneapolis"を調べたのでした。

ディランは鉄鉱地帯のヒビングで育ったのですが、生まれたのはダルースなんですね。
ヒビングとダルースでは、だいぶ町の大きさが違うようです。

ディランの父親はダルースで生まれ、ダルースで育ったのですが、ポリオにかかってヒビングに引っ越しました。
でも、友達はみんなダルースにいるので、ヒビングに越してからもよく出かけたわけです。

スペリオール湖のほとり、良いところですね。
広いキャンプ場があるようです。

 →Welcome to Gitche Gumee

[リーダーズ英和辞典]
-----------------------------------------------
Hibbing
n. ヒビング 《Minnesota 州北東部 Duluth の北西, Mesabi山地の町, 1.8 万; 鉄鉱床がある》.

Duluth
ダルース《Minnesota 州北東部の, Superior 湖西端に臨む市・港町, 8 万》.
-----------------------------------------------

ディランの父親はなかなか偉い人です。
夜間学校で学んで、ディランが生まれた時にはスタンダード・オイル・オブ・インディアナに勤務していたそうです。

この「スタンダード・オイル」は、かつてのアメリカの独占企業です。
ロックフェラーがアメリカの石油を支配していたわけですが、反トラスト法によって分割されました。
その後継会社の一つが、スタンダード・オイル・オブ・インディアナ。

 →Wikipedia: スタンダード・オイル

 →Wikipedia: Standard Oil

[リーダーズ英和辞典]
-----------------------------------------------
Standard Oil Company and Trust
[The ?] スタンダードオイル社・トラスト《かつて米国の石油市場を支配した会社・トラスト; 起源は 1863 年 John D. Rockefeller が中心となって始めた石油精製工場で, 70 年同業数社を糾合して Standard Oil 社を設立; 82 年同社と関連会社で Standard Oil トラストを結成; 1911 年 Sherman 反トラスト法違反であるとして 34 の会社に分割された》.
-----------------------------------------------

父親は苦労人のようですが、ディラン自身は何の不自由もなく、家族の愛に包まれて育っていたのでしょう。

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おもいでの夏 CHRONICLES #360

千本浜 2006年3月19日

ディランは初めてウディ・ガスリーのレコードを聴いた時のことを覚えているようです。
その時から、人生が変わってしまったと言っています。
もう、聴く前の自分に戻ることはないのです。
「百万メガトンの爆弾が落ちてきたみたいだった」と、ディランにしては陳腐な比喩を遣っています。

それは1959年の夏のことでした。
ディランは鉄鉱業の中心地であるメサビ山地を離れ、ミネアポリスに来ていました。

メサビ山地は以前リーダーズ英和を引いた覚えがありますね。

 →巨人の地 CHRONICLES #250

ミネアポリスも前に出てきたことがあったなあと思って検索したら、PP&Mのピーターと知り合ったのが、ミネアポリス時代でした。

 →PP&M誕生 CHRONICLES #136

-----------------------------------------------
Minneapolis
ミネアポリス《Minnesota 州南東部の Mississippi 川に臨む市, 36 万; しばしば →ST. PAUL と共に the Twin Cities と呼ばれる》
-----------------------------------------------

ディランは1959年に家を出て、ミネアポリスで音楽の道を探っていたのでしょう。
そこでいろいろな人と出会い、そしてウディの歌と出会ったのです。

ここからディランの記憶はさらに過去、故郷での暮らしに遡っていきます。

ただいまp.229です。

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ウディに捧げる歌 CHRONICLES #359

保線区 2006年3月29日

すっかり忘れていましたが、ディランをルーに預けたのは、ジョン・ハモンドという敏腕プロデューサーでした。

 →CHRONICLES #2 (Bob Dylan)

 →CHRONICLES #3 (Bob Dylan)

おお、なるほど。
忘れていることばかりです。
ルーの奥さんはThe Andrew Sistersのメンバーだったんですな。

すごいですね、ディラン。
一冊の本の終わり近くに来て、ちゃんと本の冒頭に戻っています。
最初に書いてあったことも、終わりまで来てやっと納得できたりします。

-----------------------------------------------
The one song that had hooked me up with Leeds Music, the one that convinced John Hammond to bring me over there in the first place, wasn't an outreaching song at all but more of an homage in lyric and melody to the man who'd pointed out the starting place for my identity and destiny -- the great Woody Guthrie.

リーズ音楽出版へ僕を釣り上げてくれた歌、最初にジョン・ハモンドが僕をリーズ音楽出版へ連れて来ようという気にさせてくれた歌、それは歌卓越したなんかではまったくなくて、僕のアイデンティティと運命の出発点を教えてくれた人への敬意を、歌詞とメロディに歌ったものにすぎなかった。偉大なるウディ・ガスリーのへ敬意を。
-----------------------------------------------

「destiny」は「宿命」と訳すこともありますが、使命感などに重点が置かれるという説明があったように思います。
敬意と書きましたが、もちろん"homage"とは「オマージュ」のことです。

どうもそう書いている人の方が多いようなので、これからは「ウッディ」ではなくて、「ウディ」という表記にします。

-----------------------------------------------
I wrote the song with him in mind, and I used the melody from one of his old songs, having no idea that it would be the first of maybe a thousand songs that I would write.

僕は心の中にいるウディと一緒にこの歌を書いた。そしてウディの古い歌の中にあるメロディを使った。僕がそれから作ることになる、たぶん千曲ぐらいある曲の最初の歌になるなどとはまったく考えなかった。
-----------------------------------------------

ディランのオリジナル第1号は、大好きなウディ・ガスリーのことを思い、大好きな曲のメロディを拝借したものだったのです。

 →bobdylan.com: Song to Woody

 ♪ Hey, hey Woody Guthrie, I wrote you a song
 ♪ 'Bout a funny ol' world that's a-comin' along.

 ♪ ねえ、ねえ、ウディ・ガスリー、
 ♪ 僕はあなたのために歌を作ったよ
 ♪ 目の前に広がる
 ♪ 相変わらずおかしなこの世界のことを

              (中川五郎訳)

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バイ・バイ バーディー CHRONICLES #358

千本浜 2006年2月21日

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What I usually did was start out with something, some kind of line written in stone and then turn it with another line -- make it add up to something else than it originally did.

僕がやっていたのは、まず何か不変の言葉のようなもので歌い始め、それに別の言葉を付け加えて変えてしまうというようなことだった。結局元とは違うものにしてしまう。
-----------------------------------------------

ステージで歌うことなど考えなかったと書いているので、コーヒーハウスではそういう即興のオリジナル曲は歌ってなかったんですね。
練習してやるようなことではなかったし、頭もあまり使わなかったそうです。
それでも、仕事で自分の歌を歌っているんだという充実感があったようです。

ルーは今までにそういったものを聴いたことがなかったので、あまり意見や感想を言わなかったということです。
時々、「これは良さそうだ(That's catchy)」と言って、ディランにもう一度歌うように促します。
でも、まったく同じ歌を二回繰り返して歌うことはできなかったそうです。
本当にでまかせの即興だったんですね。

ルーがこういうことから何をやろうとしているのか、ディランには見当もつきませんでした。
当時のポップスの主流から掛け離れたことをディランはやっていたからです。

一方、ルーのリーズ音楽出版社(Leeds Music Publishing company)が版権を管理していた曲は、有名なヒット曲だったのです。
ディランは具体的に曲名を挙げています。

 →"Boogie Woogie Bugle Boy" 音量注意!

 →C'est Si Bon セ・シ・ボン 音量注意!
 →"C'est Si Bon"

 →Sous Le Ciel De Paris パリの空の下 音量注意!
 →Sous Le Ciel De Paris (Under Paris Skies) 音量注意!

 →All Or Nothing At All 音量注意!
 →All or Nothing at All

 →Peter Gunn

 →I'll Never Smile Again de Ruth Lowe, canta Billie Holiday
 →胸のつまる歌の話 I'll Never Smile Again

ビリー・ホリデイの声が聞こえたのにはびっくり。
ジャズのスタンダード・ナンバーになったような名曲が多いですね。
ルーの会社は、ヘンリー・マンシーニの版権を管理していたわけです。

また、ブロードウェイのヒットミュージカル『バイ・バイ バーディ』の全曲も管理していました。

 →Wikipedia: Bye Bye Birdie
 →The Broadway Musical Home: Bye Bye Birdie
 →バイ・バイ バーディー

ああ、懐かしいです。
小さな頃、映画化されたもの(1963年)を伯母や従姉と一緒に観に行きました。

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16トン CHRONICLES #357

千本浜 2006年3月19日

おっと、ディランはもう一曲挙げています。

 →Sixteen Tons - The Story Behind The Legend 音量注意!

 →16トンの重荷

この曲だけ短調なんで、別扱いしたようです。
だいたい長調の曲をつぎはぎしたけど、中には「16トン」のような短調の曲もあったという例で出てくるのです。

-----------------------------------------------
You could write twenty or more songs off that one melody by slightly altering it. I could slip in verses or lines from old spirituals or blues. That was okay; others did it all the time. There was little head work involved.

そういうメロディをほんの少し変えれば、二十曲以上も歌が作れる。古い黒人霊歌やブルーズの歌詞や言葉を挟み込んだりもできた。それで良かったのだ。他の者もみんないつもそういうことをしていた。頭を使うような作業はほとんどなかった。
-----------------------------------------------

デビュー前のディランはそんなふうに「フォークソング」を歌っていたのでしょう。
現在の日本の歌謡界(J-POPSとかいうやつね)が計算しつくしてパクるのとは、だいぶ意味が違うのだと思います。

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山頭火 CHRONICLES #356

白銀町 2006年3月19日


ディランは具体的に数曲のタイトルを挙げて、こんな曲を元につぎはぎして歌ったのだと書いています。

最初が"Cumberland Gap"。
「南北戦争の音楽集」というページで、MIDIと歌詞を見つけました。
南軍の歌だったんですね。

 →Cumberland Gap

フィドルのページもありました。
ブルーグラスの速弾きでしょうか。

 →カンバーランド・ギャップを弾いてみる

リーダーズ英和の"Cumberland Gap"にはこんな説明があります。

-----------------------------------------------
Cumberland Gap
_n. [the ?] カンバーランドギャップ 《Tennessee 州北東部, Kentucky 州と Virginia 州の州境近くで Cumberland Plateau_ を越える峠道 (最高点 397 m); 1750 年発見され, 1775 年には Daniel Boone がインディアンの道をたよりにここを通るルートを開いた; このルートは Wilderness Road_ として有名となり, 多数の開拓民がここを通って西へ向かった; 南北戦争時には戦略上の重要地点で, 争奪が繰り返された》.
-----------------------------------------------

"gap"なので峡谷なんですが、峠の道を指しているようです。
風光明媚な古戦場。

 →Cumberland Gap

次が"Fire on The Mountain"。
Googleの日本語サイトで検索したら、トップに上がったのがなんと山頭火句集の英語対訳版。

 →英語対訳版草木塔抄他/Fire on the Mountain

なるほどなあ。
思わず読み耽ってしまいます。
ニール・ヤングのブートレグCDなんてのもヒットしました。

 →Fire On The Mountain

Neville Brothersやら、Grateful Deadやら、ぞろぞろ出てきます。
これも元々ブルーグラスですね。
あちこちにMIDIファイルが見つかります。

 →Midi Download Page

歌詞はこんなものかな。
あ、デッドのバージョンは少し違うのかしら。

 →Fire On The Mountain

3曲目が"Shady Grove"。
そういうタイトルの日本映画があるようで、検索に邪魔です。
やっぱりブルーグラス。

 →Digital Tradition Mirror: Shady Grove

 →Accoustic Guitar Tab & Midi

最後の4曲目が"Hard, Ain't It Hard"。

 →HARD, AIN'T IT HARD

あら、どこかで見た写真ですね。
そう、ウッディ・ガスリーとピート・シーガーのTHE ALMANAC SINGERSです。
MIDIファイルもあります。

 →Digital Tradition Mirror: Hard, Ain't It Hard

今日も検索で疲れてしまいました。
ほとんど進んでおりません。

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椀飯振舞 CHRONICLES #355

千本浜 2006年3月19日

すぐ近くで量産されるポップスを、ディランは自分とは縁のないものだと感じていました。

-----------------------------------------------
I never crossed paths with any of those people because none of the popular songs were connected to folk music or the downtown scene.

このポピュラーソングはどれもフォーク音楽やダウンタウンの音楽シーンとまったくつながりがなかったので、僕はこの人達の誰ともすれ違うことがなかった。
-----------------------------------------------

当時のディランは文字どおり伝統的な音楽にのめりこんでいました。
だから、「the mondo teeno scene」からは遠いところにいたのだと書いています。
これが何だかわかりません。
「十代の世界の音楽シーン」ぐらいの意味なんでしょうか。

あら、検索をかけたら"Chronicles Volume One"の抄録を見つけました。
第5章「氷の川」が丸ごと掲載されているようです。
すごい太っ腹。

 →Bob Dylan Chronicles Excerpt

私はこれから本文を引用する時は、手で打ち込まなくても済むということではありませんか。
何と楽チンな!
本を持ち運ばなくても、続きを携帯電話で読むことができます。
いいのかしらん。

-----------------------------------------------
Into Lou's tape recorder I could make things up on the spot all based on folk music structure, and it came natural. As far as serious songwriting went, the songs I could see myself writing if I was that talented would be the kinds of songs that I wanted to sing. Outside of Woody Guthrie, I didn't see a single living soul who did it.

僕はルーのテープレコーダーに、フォーク音楽の構造に基づいてその場で作ったものをすべて入れることができたが、それは自然なことだった。真剣に歌を作るということに関する限りでは、もしも才能があるのなら、自分で作る曲が歌いたい曲なのだとわかっていた。それをやっている人は、生きている人ではウッディ・ガスリー以外には一人も知らなかった。
-----------------------------------------------

最初のレコードを作る機会を得た時、ディランにとってウッディ・ガスリーは唯一無二の存在になっていたのですね。

ただいまp.228です。

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つづれおり CHRONICLES #354

千本浜 2006年3月19日

ルーはとにかくディランが歌うものを何でもテープに録音していました。
何か使えるものはないか探っているという感じだったのでしょう。

-----------------------------------------------
I didn't have many songs, but I was making up some compositions on the spot, rearranging verses to old blues ballads, adding an original line here or there, anything that came into my mind -- slapping title on it.

僕はあまり曲を持っていなかったのだが、その場で数曲をでっちあげていた。古いブルーズバラッドの歌詞を並べ替えて、頭の中に浮かんだオリジナルの行をあちこちに付け加えた。そして適当にタイトルを付けた。
-----------------------------------------------

本格的に自分の作品を作り上げて披露するというより、その時までに蓄積したものを即興で歌ったのでしょうか。
ディランはそれでも最善を尽くしていたと書いています。
コーヒーハウスでのステージよりも、もっと即興に近く、でも一所懸命いろいろ歌ったようです。

-----------------------------------------------
Nothing would have convinced me that I was actually a songwriter and I wasn't, not in the conventional songwriter sense of the world.

これほど僕に自分が自分がソングライターだと確信させてくれるものは他になかっただろうが、僕は世間で言う従来のソングライターではなかった。
-----------------------------------------------

新しく自分の歌を作りながら歌っているのはとても充実していたのですが、でもすぐ近くの場所で活躍しているヒットメーカーたちのようなソングライターだとは感じていなかったのです。

そのころ、近くのブリル・ビル(Brill Building)では、若いヒットメーカーたちが活躍していました。

 →The Brill Building
 →The Brill Building Song Writers and Songs

ディランは次のような名前を挙げています。

Gerry Goffin
 →Wikipedia: Gerry Goffin
 →Answer.com: Gerry Goffin

Carole King
 →キャロル・キング
 →CarolKing.com
 →Carole King and Gerry Goffin

Barry Mann
Cynthia Weil
 →The Official Barry Mann and Cynthia Weil Web Site

Pomus and Shuman
 →Doc Pomus and Mort Shuman

Leiber and Stoller
 →The songs of Jerry Leiber and Mike Stoller
 →Leiber & Stoller

キャロル・キング以外は、知らない名前ばかりです。
60年代初頭、ラジオで大量に流れていたポップスはこの若者たちが作っていたのだそうです。
巧みなメロディとシンプルな歌詞。
こんなポップスの中で、ディランはニール・セダカがお気に入りでした。
何よりも、彼は自分で作って自分で歌っていたからです。

 →Wikipedia: ニール・セダカ
 →Neil Sedaka Official Website

検索に疲れました。
ただいまp.227です。

BlogPet キャロル・キング/つづれおり Tapestry


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ノーマ・レイ CHRONICLES #353

 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]
千本浜 2006年3月19日

ディランがジャージーに行ったのは、親戚を訪ねるためではありませんでした。
入院していたウッディ・ガスリーのところへ行ったのです。

話の運びが、実にうまいですね。

-----------------------------------------------
Lou snapped the big tape machine off after listening hard to one of my original songs. "Woody Guthrie, eh? That's interesting. What made you want to write a song abut him? I used to see him and his partner, Leadbelly -- they used to play at the German Workers Hall over on Lexington Avenue. You ever heard 'You Can't Scare Me, I'm Sticking to the Union'?" Sure I'd heard it.

ルーは僕のオリジナル曲の一つを一所懸命聴いて、テープの機械をカチッと止めた。「ウッディ・ガスリーか、え? こりゃおもしろい。どうしてウッディの曲を作りたくくなったんだ? ウッディとその相棒のレッドベリをよく見たよ。レキシントン街のジャーマン・ワーカーズ・ホールでいつも演ってたんだ。『あんたなんか恐くない、私は組合を続ける』は聴いたことあるかい?」もちろん聴いたことがあった。
-----------------------------------------------

検索すると、歌詞掲載サイトが見つかりました。
"Union Maid"という曲のようです。

 →Union Maid

この"THE ALMANAC SINGERS"の写真では、ウッディ・ガスリーがギターを弾いて、ピート・シーガーがバンジョーを弾いています。
直接的な歌詞ですが、私はこういうものに弱いんです。
ぐっときてしまいます。

小学生の頃にテレビで『奥様は魔女』を楽しく見ていました。
そのシリーズが終わった後に、見習い修道女が大きな翼のような帽子で風に乗って空を飛ぶというドラマが始まりました。
邦題は『いたずら天使』だったと思います。

 →The Flying Nun

そのおっちょこちょいな尼さんを演じていたのがサリー・フィールドさん。
すっかり忘れていたのですが、1980年に『ノーマ・レイ(Norma Rae)』(1979年)という映画でアカデミー賞主演女優賞を受賞しました。
地味な映画なんですが、主人公ノーマ・レイが"UNION"と書いた紙を高く掲げるシーンには心を揺さぶられた覚えがあります。

 →『ノーマ・レイ』

あ、この場面だ。
画像がありました。

 →Norma Rae

まあ、同じ「組合」と名前が付いていても、我がニッポンの企業別御用組合とは大違いなんですが。

BlogPet “アカデミー・キャンペーン”20世紀フォックスホームエンターテイメン ノーマ・レイ ノーマ・レイ


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モンキー・ビジネス CHRONICLES #352

千本浜 2006年3月14日

ディランは電話に出てくる両親のことを回想します。
父親は現実的な考え方をする人で、息子をエンジニアにしたいと思っていました。

-----------------------------------------------
"Remenber, Robert, in life anything can happen. Even if you don't have all the things you want, be grateful for the things you don't have that you don't want. "

「覚えておきなさい、ロバート、人生では何が起きてもおかしくない。たとえ自分が望むものをすべて手に入れられなくても、望んでいないものまで持たされてはいないということを感謝しなさい。」
-----------------------------------------------

暗号のような助言だとディランは言っています。

父親というものは、ここぞという時に息子に人生を語りたくなるものなんでしょうか。
先日、落ちる者の方が多い、ある高校の前期入学試験合格発表の近くを通りかかりました。
道の傍らに親子が一組いました。
制服姿で泣いている男の子に、作業服姿のお父さんが何やら力説していました。
「人生は勝負だ!」
少年は泣きながらうなずいています。
うまい時を選んだものですね、お父さん。

-----------------------------------------------
But in school, I had to struggle to get even decent grades. I was not a natural student. My mom, bless her, who had always stoop up for me and was firmly on my side in just about anything and everything, was more concerned about "a lot of monkey business out there in the world," and would add, "Bobby, don't forget you have realatives in New Jersey." I'd already been to Jersy but not to visit relatives.

でも僕は学校では人並みの成績を取るのでさえも苦労しなければならなかった。学業の才はなかったのだ。ありがたいことに、母さんはいつでも僕の支えになってくれたし、なんでもかんでもしっかり僕の味方をしてくれたが、「世の中に出るとインチキが多い」ことを心配しては、こう言ったものだ。「ボビー、ニュージャージーに親戚がいることを忘れないでね。」僕は既にジャージーに出かけていたのだが、それは親戚の家を訪れるためではなかった。
-----------------------------------------------

ああ、いいですね。
ボブ・ディランはごくあたりまえの家庭で育ち、普通に両親の愛を受けて育った少年だったのです。

三十年前、出張だと言って私の下宿に立ち寄った、亡き親父様の心配そうな顔を思い出しました。
父さん、ありがとう。
世の中には本当にインチキなやつらが多いのだと知ったのは、それから何年も経ってからです。
今モンキー・ビジネスと聞くと、「銀行」「IT」といった言葉が頭の中を飛び交います。

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故郷への電話 CHRONICLES #351

千本浜 2006年3月14日

そのころのディランは、月に2,3度公衆電話から家に電話をかけていたそうです。
意外に良い子。

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The phone booths were like sanctuaries, step inside of them, shut the accordion type doors and you locked yourself into a private world free of dirt, the noise of the city blocked out.

電話ボックスは聖域のような場所であり、その中に足を踏み入れて蛇腹式のドアを閉めれば、街の騒音を遮断した埃のないプライベートな世界に閉じこもることができた。
-----------------------------------------------

グリニッジビレッジに出てきたディランは、ずっと知り合いのところを泊まり歩く生活をしていました。
本当に一人になれる時間はあまりなかったのかもしれません。
それにしても、故郷へ電話をかけるほんのわずかの時間です。

私の学生時代は、部屋に電話を通している学生は少なかったと思います。
電話を引くのにかかる費用は、一ヵ月分の生活費よりも高かったのです。
共用のピンク電話がある下宿もありましたが、大抵は外の公衆電話を利用していました。
長距離通話の時は百円玉も使えたのですが、おつりが返ってきませんでした。
電電公社はひどい商売をしていましたよね。
あの百円玉の釣り銭なしは、今でも恨んでいます。
もちろん、「財産」を紙切れにしてしまった電話債券も。

 →ウナ電

ニューヨークの電話ボックスでディランは一人になれるのですが、電話先の故郷では、そうではありませんでした。
回線を共用するパーティラインだったからです。
それぞれ別の電話番号を持っている八軒から十軒ぐらいの家庭が、同じ一つの回線を使っていたそうです。
互いの話が丸聞こえ。
だから大事な話は、電話ではしないのです。

でも、ディランにはその共用パーティラインは嬉しかったかもしれません。
「僕が元気だということをみんなに知ってもらいたかった」と書いていますから。

ディランは意外に良い子でしたが、もちろん実家にはコレクトコールで電話をかけていたそうです。

ただいまp.226です。

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氷の川 CHRONICLES #350

千本浜 2006年3月14日

"CHRONICLES VOLUME ONE"も最終章に入ってしまいました。
困ったな。
早く"VOLUME TWO"を書いてくれなくちゃ。

第5章は「氷の川(River of Ice)」というタイトルです。
何のことかしら。

本文はp.225からp.293まで。
ぱらぱらと斜め読みすすればあっという間に読み終えてしまいますが、あわてない、あわてない。
だいたい、最初の段落に出てくるルー・レヴィ(Lou Levy)って誰なのさ。

ん?
どこかで聞いたことがある名前ですね。
思い出しましたか?
この"CHRONICLES VOLUME ONE"に一番最初に登場する人物ですよ。

この人の名前を覚えられないと思ったのでメモをしておこうと思ったのが、こんなに延々と読書ノートを書きつける直接の理由だったのです。
それが2004年11月5日の日記でした。

 →CHRONICLES #1 (Bob Dylan)

ルー・レヴィはリーズ音楽出版社(Leeds Music Publishing company)の社長さんで、コロンビアと契約したディランの面倒を見ていました。

時間は再び60年代の初頭に戻ったようです。
ニューヨークにあるレヴィの事務所。
『キャッシュボックス(Cashbox)』『ビルボード(Billboard)』といった業界誌や、ラジオのヒットチャート調査票なんぞが散らかっています。
レヴィは大きなテープレコーダーを操作しています。
ディランは、事務所に二脚ある木製の椅子の一つに腰を下ろして、上体を前に突き出すようにしてギターを弾いています。

そうか、『キャッシュボックス』って1996年に廃刊されたんですね。
知らなかった。
『ビルボード』の方は1894年創刊だとリーダーズ英和に載っていました。
日清戦争の年ですから、たいしたものですね。

 →AMERICAN TOP 40/ 全Top40

"CHRONCLES"に使われているディランの顔はほっそりしていますが、ディランの最初のアルバムである"BOB DYLAN"のジャケット写真では、もっとぽっちゃりとした少年のような顔をしていますね。
ルーのところで栄養補給が行き届いたのかしら。

 →bobdylan.com: Bob Dylan(1962)

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忘れ去られし時 CHRONICLES #349

千本浜 2006年3月14日


第5章の最後の段落です。

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On the record, I had to make spur of the moment decisions which might not have had anything to do with the real situation. That was all right, though.

このレコードでは、実際の状況とはまったく関係ないかもしれないその時々の決断を為さなければならないこともあった。でも、それで良かったのだ。
-----------------------------------------------

これだけでは何のことかわかりませんが、例えばリズムはいくらでも変えることができたとかいています。
1小節の8ビートを6ビートや4ビートに、1拍目と3拍目を強くして2拍目は弱める。
誰かこんなところに注意して聴いてくれないかなともらしています。

そして、ラノワへの謝辞でこの章を締めくくっています。

-----------------------------------------------
Danny and I would see each other again in ten years and we'd work together once more in a rootin' tootin' way. We'd make a record and start it all over, pick up where we left off.

ダニーと僕は十年後に再び出会い、そしてまた一緒にわくわくするような仕事をすることになる。まったくの最初からレコードを作り、立ち去った場所へ出ることになるのだ。
-----------------------------------------------

ディランが再びラノワのプロデュースでアルバムを出すのは1997年のことです。

 →bobdylan.com: Time Out Of Mind

と、いかにもわかったようなことを書いていますが、"Time Out Of Mind"がダニエル・ラノワのプロデュースだと、初めて知りました。
私はこのアルバムを3枚組みのセットで買いました。

 →BOB DYLAN the collection

なんと"Chronicles"を読み始めてから買ったのです。
"Oh Mercy"と"Time Out Of Mind"には似た印象を抱いたのですが、両方ともラノワの作り出した音なんですね。
私はこの音が好きですが、ディランの歌い方もあいまって、好き嫌いが分かれるアルバムかもしれません。

 →Time Out of Mind
 
BlogPet Bob Dylan / Time Out Of Mind(CD)


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それが人生というもの CHRONICLES #348

 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]
千本浜 2006年3月14日

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You live with what life deals you. We have to make things fit.

人は人生が配ってくれるカードで生きるものだ。ものごとをそれに合わせなければならない。
-----------------------------------------------

ラノワと共同作業を始めた時のことを思い出して、こう言っているのです。

カードの喩えは、グリニッジビレッジのコーヒーハウスの楽屋でポーカーに興じるディラン青年の姿を思い出します。
あの頃はギャラを巻き上げられていたのです。
日本人にとっては、麻雀の配牌や自摸(ツモ)で喩えた方がわかりやすいですね。
ああ、もう何年麻雀をやっていないだろう。

-----------------------------------------------
The voice on the record was never going to be the voice of the martyred man of constant sorrow, and I think in the beginning, Danny had to come to terms with that, and when he gave that notion up, that's when things started to work.

このレコードの声は、常に悲しみを抱いた殉教者ぶった男の声にはしないつもりだった。当初ダニーはそれと折り合いをつけなければならなかったのだと思う。そしてそんな考えを捨てた時、その時うまく行き始めたのだ。
-----------------------------------------------

ラノワが当初ディランに望んでいた曲は、「戦争の親玉(Maters of War)」や「激しい雨が降ってくる(Hard Rain)」や「エデンの門(Gates of Eden)」のような曲でした。

 →時代は変わる CHRONICLES #342

あの段階でそういう曲を作っていたら、「常に悲しみを抱いた殉教者ぶった男」に成り下がってしまうとディランは感じるのでしょう。
そういう先入観をラノワが捨てた時に、二人はやっとうまく演奏を録音できるようになったのです。

-----------------------------------------------
The songs were written to the glory of of man and not to his defeat, but all these songs added together doesn't even close to my whole vision of life.

このレコードの歌は人間の栄光に対して書かれたものであり、敗北に対して書かれたものではない。しかし、この歌をすべて一緒にしても、私の人生に対する見方全体には遠く及ばない。
-----------------------------------------------

ただいまp.221です。

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終わりと始まり CHRONICLES #347

千本浜 2006年2月21日

一仕事を終えて、ダニエル・ラノワはまた次の仕事に向かいます。
また移動式の簡易スタジオで他のアルバムを完成するのでしょう。

-----------------------------------------------
Lanois was a walking concept. He slept music. He ate it. He lived it. A lot of what he did was pure genius.

ラノワは歩く概念だった。音楽を眠った。音楽を食べた。音楽を生きた。彼のやった多くのことが、純粋に天才の為せる業であった。
-----------------------------------------------

ラノワの音楽に打ち込む姿勢を高く評価しているのだと思います。

"sleep"や"live"は意味からいって本来自動詞であり、同族目的語以外は目的語をとらないなどと、学校では教わるものです。
でも、この文はちゃんと意味が頭にすっと入ってきますよね。
ラノワの生活のすべてが、音楽に注ぎ込まれていたのです。

ここでディランは少し音楽業界に苦言を呈しています。

-----------------------------------------------
There were a lot of records out that were padded and schmaltzy odes to flunky-ism and neither of us wanted add to its ranks. When we began, that's about all we had in common.

贅肉のついた、べたべたに感傷的な、人の気に入るようにへつらうレコードがたくさん出ていたのだが、二人ともさらにそんなものを増やすつもりはなかった。始めた時に僕たちが共有していたのは、そのことだけだった。
-----------------------------------------------

そして、何か不思議なもの(something magical)このレコードに込めることができたと自負しているのです。
ディランは"magical"という言葉を遣っていますが、それはあの屋敷やスタジオとなった部屋にあったのではなくて、録音に参加した人間がそこに持ち込んだのだとと強調しています。
そこに集まったミュージシャンの名前を再び列挙して。

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嗚呼有り難や CHRONICLES #346

千本浜 2006年2月21日

一行空けて話が変わります。

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Sometimes you say things in songs even if there's a small chance of them being true. And sometimes you say things that have nothing to do with the truth of what you want to say and sometimes you say things everyone knows to be true. Then again, at the same time, you're thinking that the only truth on earth is that there is no truth on it.

それが真実である見込みが小さくても、歌の中で歌うことがある。そして、言いたい真実とはまったく関係ないことを歌うこともあるし、それが真実だということを誰もが知ってることを歌うこともある。また同時に、この世における唯一の真実とは、この世に真実なんてまったくないことだと、考えているのだ。
-----------------------------------------------

お、ディランの好きな言葉遊びのようにも見えますが、真実とは何かということを率直に語っているのでしょう。
真実と訳すとわかりにくいですね。
本当のこと。

ただ、「絶対神」を信じてると、「真実」が存在するのではないのでしょうかね。
だから「この世」という限定が付いてるのかしら。

ディランは言葉が大好きなんですが、その言葉の真実性には、疑惑を抱いているわけです。

-----------------------------------------------
Whatever you are saying, you're saying in a ricky-tick. There's never time reflect. You stitched and pressed and packed and drove, is what you did.

何を言ったとしても、陳腐安ピカに言ってることになる。それをよく考える時間なんてまったくない。縫い綴じてアイロンをかけ、包装して発送する。やったのはそういうことなのだ。
-----------------------------------------------

所詮俺がやったのは、安っぽい商品を送り出しただけなんだ。
そんな感じでしょうか。
録音に満足していたはずなのに、何と自嘲的なことを言い出すのでしょう。

怒涛のように言葉を繰り出すラッパーほども、新しいものを生み出していないと認識することで、焦りを感じていたようです。

御大ディランにそんなことを言われては、困ってしまいます。
私は今までに何を生み出すことができたのでしょうか。
ラノワと共にディランが生み出したアルバム"Oh Mercy"は、紛れもない傑作ではありませんか。

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アマゾネス CHRONICLES #345

千本浜 2006年2月21日

この段落の最後に、ディランは不思議な言葉を付け加えています。

-----------------------------------------------
Sun Pie had mentioned Elvis to me, said that Elvis was an Amazon Woman, an enemy of democracy. At that time it sounded like crackpot talk, but at the same time I wasn't so sure.

サン・パイがエルビスの名前を挙げて、エルビスはアマゾンの女で民主主義の敵だと言っていた。その時は変なことを言うなと思ったのだが、同時にそれほど変でもないかもしれないとも思ったのだ。
-----------------------------------------------

前に「エルビスのようではなかった」と書いたことがあるのを思い出したので検索してみたら、もう一年以上も前にハリー・ベラフォンテが出てきた時の言葉でした。

 →CHRONICLES #77 ハリー・ベラフォンテ

しかし、このプレスリーが「アマゾンの女」で「民主主義の敵」だというのは、何のことだかさっぱりわかりませんな。

リーダーズ英和では、"Amazon"にこんな説明があります。

-----------------------------------------------
Amazon
a 【ギ神】 アマゾーン《アマゾーン族は女武者のみからなる部族で, 男は殺すか不具とした; 弓を引くじゃまになる右の乳房を切り落としたという》.
b 《南米の》アマゾン《女子戦士からなるとされる伝説部族の者》.
-----------------------------------------------

伝説の女戦士ぐらいでいいでしょうか。
やっぱりこの言葉がエルビスの比喩として遣われるのが、ピンと来ません。

う?ん、高校生の時に『燃えよドラゴン』の併映で観た『アマゾネス』という映画を思い出しただけです。
おお、Googleで「アマゾネス」を検索すると、とんでもないタイトルばかり並びますな。

白衣のアマゾネス
女体拷問人アマゾネス
女囚アマゾネス/ひん剥かれた美女集団

いやはや。

"The 14 Amazons"という香港映画もヒットしました。
『十四女英豪』というタイトルだったようです。

ああ、ここにありました、私が観た『アマゾネス』。

 →アマゾネス

007シリーズなんかで有名だったテレンス・ヤング監督が作った、どうしようもない映画です。
もうやたらに大きい女性たちが胸を露にして出てくるだけで、そういうことで頭がいっぱいの私たち男子高校生も、あまり嬉しくなかったです。

 →僕のシネマ・パラダイス
-----------------------------------------------
大画面いっぱいに暴れまくるアマゾネスガールは欧米からの応募者から選ばれた40人で、平均身長180cmという超グラマー揃い。映画の為に猛特訓を受け、迫力あるアクションシーンを演じた。
-----------------------------------------------

どこでも『燃えよドラゴン』と併映だったんでしょうか。
おかげでずいぶんたくさんの、観なくてもいい人たちが『アマゾネス』を観てしまったのだと思います。

p.220に入りました。

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新しい船を今動かせるのは CHRONICLES #344

千本浜 2006年3月7日

昨日の引用の最後の部分を訳し忘れました。

-----------------------------------------------
These guys definitely weren't standing around bullshitting.

このような連中は明らかに、ただこけおどしを言いながら突っ立っていたわけではない。
-----------------------------------------------

その後にこう続くのです。

-----------------------------------------------
They were beating drums, tearing it up, hurling horses over cliffs. They were all poets and knew what was going on.

奴らはドラムを叩いて、裂いてしまい、崖の上から馬を投げ捨てていた。みな詩人であり、何が起きているのかを知っていた。
-----------------------------------------------

世界で何が起きているのか理解し、そして新しい頭脳を持った者が新しい影響力を持つ。
必ず別の者が登場するのだとディランは言っています。
アイスTのようなラッパーがその新しい人物であり、ラノワや自分は古臭い音楽をやっているのだと、ディランは真剣に感じていたようです。

-----------------------------------------------
I didn't tell him that, but that's how I honestly felt. With Ice-T and Public Enemy, who were laying tracks, a new performer was bound to appear, and one unlike Presley.

僕はダニーにそう言わなかったが、本当にそう感じていた。アイスTやパブリック・エネミーが軌道を敷きつつあったが、きっと新しい歌手が現われるのだ。プレスリーとは違う歌手が。
-----------------------------------------------

プレスリーは腰を振って娘たちをじっと見つめてみせたりしたけれど、ラッパーはそんなことをしません。
それを激しい言葉によって行なうのです。
もっとも、手を振って語呂合わせをすればラップだと思っている人が日本には多かったようですが。

日本語は英語のように韻を踏んでリズムを作り出すことができません。
猿真似では、ディランが聴き惚れたようなラップは生まれないことでしょう。

 →日本語ロック論争(1971年)

ジャンルが違うと言われると思いますが、ランキン・タクシーさんが楽しくて面白いですね。
お元気でしょうか。

 →ランキンタクシーの蒔いた種:白濱隆の詩の世界

 ♪ いったい何が起きたか
 ♪ 知ってるか
 ♪ イラクの小さな町 fafafa ファルージャ
 ♪ いっぱい人が傷つき殺された
 ♪ イラクの小さな町 fafafa ファルージャ

 ♪ オマエこそテロリストだ
 ♪ アメリカ
 ♪ またやらかしちゃった
 ♪ fafafraファルージャ
 ♪ 何故憎まれるのか
 ♪ アメリカ
 ♪ 底なしのドロ沼
 ♪ パパパパレスチナ
 ♪ ブッシュにガツンと大目玉
 ♪ 虐殺の歴史終わりにしな

 ♪ アメリカ恐怖の軍隊
 ♪ 復讐しないと気がスマナイ
 ♪ 仕返し10倍100倍
 ♪ 変態兵隊虐待
 ♪ 街をぐるり海兵隊
 ♪ イラク人逃げ出せない
 ♪ 避難勧意味ない
 ♪ ファルージャをどうするつもりじゃい

            FALLUJAH / RANKIN TAXI(白濱隆)


 →アミシャツ魂
アミシャツ魂

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ディランの好きなラップ CHRONICLES #343

 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]
千本浜 2006年3月7日

ラノワがディランに最近何を聴いてるのか尋ねた時に、ディランはアイスT(Ice-T)だと答えました。
ラノワは驚いたそうです。

私も驚きました。
それは何ですか?
接点が皆無。

 →Ice-T

 →BARKS アーティスト情報

トレイシー・マロウ(Tracy Marrow)なんですね。

-----------------------------------------------
He was surprised, but he shouldn't have been. A few years earlier, Kurtis Blow, a rapper from Brooklyn who had a hit out called "The Breaks," had asked me to be on one of his records and he familiarized me with the stuff, Ice-T, Public Enemy, N.W.A., Run-D.M.C. These guys definitely weren't standing around bullshitting.

彼は驚いたが、驚くこともなかった。その数年前に、「ザ・ブレイクス」というヒットを出していたブルックリンのラッパー、カーティス・ブロウがレコードに参加するように頼んできたのだが、そのおかげでアイスTや、パブリック・エネミーや、N.W.A.や、Run-D.M.C.といったものをよく知るようになったのだ。
-----------------------------------------------

わはは、ほとんどわかりませんがな。

 →ギャングスタ・ラップ

 →goo 音楽:カーティス・ブロウ

 →Wikipedia: Kurtis Blow

 →bouince.com: 特集 PUBLIC ENEMY

 →Public Enemy Official Website

 →N.W.A.

 →ヒップホップ文化拡大の輝けるシンボル - RUN-D.M.C. -

 →Wikipedia: Run-D.M.C.

いやはや、検索に疲れてしまいました。
日本語サイトで彼らの音楽を語ってくれているところがあまりないんです。
とても流行っていたようなのに不思議ですね。

ディランは言葉遊びが大好きですから、ラップに関心を抱いたのもそんなに不思議なことではありません。
そのあたりのことはまた、明日の心だ?。

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時代は変わる CHRONICLES #342

千本浜 2006年2月21日

録音を終えた時は、スタジオが炎に包まれていたかのように感じたそうです。
数ヶ月の間、それほど緊張していたのですね。
ラノワは約束どおりに、しっかりしたアルバムを作ってくれました。
ラノワはさらにディランのことを理解したがっていたけれど、ディランがそれを拒んでいたようでもあります。

ラノワは当初「戦争の親玉(Maters of War)」や「激しい雨が降ってくる(Hard Rain)」や「エデンの門(Gates of Eden)」のような曲を望んでいましたが、「そのような歌は状況の下で書かれたものであり、状況は決して繰り返すものではない」と、ディランは言っています。

 →bobdylan.com: Maters of War

 →bobdylan.com: A Hard Rain's A-Gonna Fall

 →bobdylan.com: Gates of Eden

リンク先をご覧になればわかりますが、前2曲は"The Freewheelin' Bob Dylan"(1963)、最後の曲は"Bringing It All Back Home"(1965)に入っていました。
ラノワは、いわば初期ディランの曲を望んでいたのです。
でも、そんな状況ではないよと言っているのです。

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I couldn't get to those kind of songs for him or anyone else. I had done it once, and once was enough. Someone would come along eventually who would have it again -- someone who could see into things, the truth of things -- not metaphorically, either -- but really see, like seeing into metal and making it melt, see it for what it was and reveal it for what it was with hard words and vicious insight.

彼のためにでも、他の誰のためにでも、僕はそんな歌にたどりつくことはできなかった。僕は一度そこへたどりついたことがあったが、それは一度で十分なのだった。結局はまたそこへたどりつく人が現われることだろう。ものごとを見抜くことができる、ものごとの真実が見える人物。比喩的にではなくて、実際に見える人物。金属の本質を見抜き、金属を溶かしてそれが何のためのものなのか明らかにするように、厳しい言葉と意地の悪い洞察力を使って。
-----------------------------------------------

ディランが若い頃の自分を「厳しい言葉と意地の悪い洞察力を使って」と評しているようなのがおかしいです。

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ショウほど素敵な商売はない CHRONICLES #341

千本浜 2006年2月21日

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Although the record wouldn't put me back on the map in radio land, ironically I had two records on the charts, even one in the top 10, The Traveling Wilburys. The other one was the Dylan & the Dead album.

このレコードはラジオの国の地図に僕を戻すことにはならないのだが、皮肉なことに2枚のレコードがチャートに登場して、その一枚の『トラベリング・ウィルベリーズ』はトップ10まで入った。もう一枚は『ディラン&ザ・デッド』のアルバムだった。
-----------------------------------------------

ウィルベリーズって何だったかな。
やけに懐かしい名前だけど。
ああ、あれですね。
ジョージ・ハリスンのところに集まった、スーパー覆面バンド。
出したアルバムが「Vol.1」と「Vol.3」というのがおかしいです。

 →GEORGE HARRISON ALBUM GUIDE 番外編:Traveling Wilburys

 →The Traveling Wilburys

『ディラン&ザ・デッド』は、前に出てきましたね。

 →ディラン&ザ・デッド CHRONICLES #206

-----------------------------------------------
The record Danny and I had just done would get good reviews, but reviews don't sell records. Everyone who puts out a record gets at least one good review, but then ther's always a new crop of records and a new set of reviews. Sometimes you make records and you can't give them away. The music business is strange. You curse it and you love it.

ダニーと僕が今作り終えたレコードは良いレコード評を受けるだろうが、しかしレコード評がレコードを売ってくれるわけではない。レコードを一枚出せば誰でも一つは良いレコード評を受けるのだが、でもいつもそれからさらに新しいレコードを出して、新しい評価を受ける。レコードを作っても、売れないことだってある。音楽ビジネスとは奇妙なものだ。呪うものでもあるし、愛するものでもある。
-----------------------------------------------

ウィルベリーズやディラン&ザ・デッドのアルバムは、ディラン自身の評価はかなり低いんですね。
"Oh Mercy"とは比べ物にならないようです。
でも、大物競演ということで、売れてしまったわけです。

玄人筋の評価とレコード(CD)の売り上げが直結しないことはよくありますが、そういうこともあるので、呪いたくもなるし、またディランはこの商売が好きなんでしょう。

今夜はp.218の一段落を丸ごと訳してしまいました。

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私たちの望むものは CHRONICLES #340

白銀町 2006年2月21日

ディランが満足している「黒いロング・コートの男(Man in the Long Black Coat)」の録音は、ラノワのおかげだと思っているそうです。

-----------------------------------------------
Our time was drawing to close. Danny and I were sitting in the courtyard, the same way we had when we first met. Wind whipped in the open dooway and another kicking storm was rumbling earthward. There was a hurricane a hunderd miles away. The light had gone out of the day. In the rees, a solitary bird warbling.

僕たちの時間は終わりに近づいていた。ダニーと僕は中庭に腰掛けていた。初めて会った時と同じように。開け放った廊下を風が吹き抜け、地に向かってまたすごい嵐がとどろいていた。百マイル離れたところにハリケーンが来ていたのだ。昼の光はなくなっていた。木立の中で一羽だけの鳥がさえずっていた。
-----------------------------------------------

ディランはついついこういう情景描写をしてしまうんですね。
やっぱり根っからの詩人なんでしょう。
事実は多少違うのかもしれませんが、ディランの記憶の中にはこの場面が焼きついているのです。

ラノワと初めて会ったのは、マリー・アントワネット・ホテルでした。
この箇所を読んだのは去年の10月です。
まあ、本当にのんびりと読んでいること。

 →クレオパトラの鼻が CHRONICLES #252

アーティストを心理的に追い詰めていくのが、プロデューサーとしてのラノワのやり方でした。
ディランに対しては、徹底的に追い詰めるということはしませんでしたが、意見が衝突することはありました。

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In the end, there always has to be some compromise of personal interests and there was, but the record satisfied my pruposes and his. I can't say if it's the record either of us wanted. Human dynamics plays too big a part, and getting what you want isn't always the most important thing in life anyway.

結局のところ個人的利益にはなんらかの妥協が常に必要となるものだし、実際に妥協があった。しかし、このレコードは僕の目的を満足させるものとなったし、ラノワの目的も満足させた。僕たちのどちらかが望んでいたレコードなのかどうかは、言うことができない。人間の力学はあまりにも大きな役割を演じるものであるし、望むものを手に入れることがとにかくも人生で最も重要なだとは限らないのだから。
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おそらく、できあがったアルバム"Oh Mercy"は、ディランが漠然と考えていたものとは違うものになったのでしょう。
それはラノワにとっても同じです。
でも、二人ともかなり満足のいくものができたということなのです。

ただいまp.218です。

 →中山ラビ「13円50銭」

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神の声 CHRONICLES #339

千本浜 2006年2月21日

ディランは、このジョニー・キャッシュの歌を百万回も誦えたと書いています。

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Johnny's voice was so big, it made the world grow small, unusually low pitched -- dark and booming, and he had the right band to match him, the rippling rhythm and cadence of click-clack. Words that were the rule of law and backed by the power of God.

ジョニーの並外れて低く、暗く、どーんと響く声はとても大きいので、この世界が小さく見えた。ジョニーは小波のようにカチカチとリズムを刻む、自分にぴったりと合ったふさわしいバンドを持っていた。ものの道理を語り、そして神の力によって裏付けられた歌詞もあった。
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吉田拓郎さんがミニ・バンドを従えながら、はっぴぃえんどみたいにいい音を出すバンドが欲しいと言っていたのを思い出しました。
もちろん拓郎さんは自分のバックを務めるザ・バンドが欲しかったのです。
ディランの場合は、ジョニー・キャッシュの声や、バンドや、歌詞がうらやましかったんでしょう。
とことん欲張りです。

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When I first heard "I Wlak the Line" so many years earlier, it sounded like a voice calling out, "What are you doing there, boy?" I was trying to keep my eyes wide opened, too.

ずっと前に初めて「君につづく道(I Walk the Line)」を聴いた時、「お前はそこで何をやっているんだ」と叫んでいる声のように聞こえた。僕もまた目を見開いていようとしていたのだ。
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ディランには、ジョニー・キャッシュの声が神の声のように聞こえたのでしょう。
残念ながら、私には神の声は聞こえません。
聞こえてくるのは、せいぜい早逝した詩人の言葉ぐらいです。

    あゝ おまへはなにをして来たのだと……
    吹き来る風が私に云ふ

             中原中也「帰郷」

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僕は、この自分の心を CHRONICLES #338

千本浜 2006年2月21日

ジョニー・キャッシュの歌の話が続きます。
ディランによれば、一万年もの人間の文化が、彼の歌からはあふれ出てくるのです。

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He could have been a cave dweller. He sounds like he's at the edge of the fire, or in the deep snow, or in the ghostly forest, the coolness of conscious obvious strength, full tilt and vibrant with danger. "I keep a clsoe watch on this heart of mine."

彼は穴居人だったのかもしれない。焚き火の縁にいるかのように、深い雪の中にいるかのように、幽霊の出る森の中にいるかのように、彼の声は聞こえる。意識的な強さをもって冷静に、そして全力を傾けて、危険に震えながら。「僕は、この自分の心をじっと見守る。」
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非常に印象的な引用ですね。

 ♪ I keep a close watch on this heart of mine.
 ♪ I keep my eyes wide open all the time.

 ♪ 僕は、この自分の心をじっと見守る。
 ♪ いつも大きく目を見開いて。

これはもちろんジョニー・キャッシュが歌った「君につづく道(I Walk the Line)」です。
Googleで検索をかけてみると、どうやらディランはこのお気に入りの曲を、ジョニー・キャッシュと一緒に録音しているようですね。

 →THE DYLAN/CASH SESSIONS

リンク先で曲名をクリックすると、その曲の歌詞を見ることができます。
この曲は"Nashville Skyline"に入れてほしかったなと思います。

ただいまp.217です。

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ロック生誕の地 CHRONICLES #337

千本浜 2006年2月21日


今幻泉館の書斎では、輸入盤で買ったDVD、"No Direction Home"をよく流しています。
2枚目にジョニー・キャッシュが出てきて、"Don't Think Twice, It's All Right"を少しだけ歌います。

 ♪ An' it ain't no use to sit and wonder why, babe
 ♪ If you don't know by now

すごい低音で、まるで別の曲のようです。

 →bobdylan.com: Don't Think Twice, It's All Right

考えてみれば、初めて買ったディランのアルバムは"Nashville Skyline"(1969年)でした。
一曲目がジョニー・キャッシュとディランが歌う「北国の少女(Girl of the North Country)」なんですが、ディランよりもジョニー・キャッシュの太い声に驚いた覚えがあります。
あ、私、何度も同じこと書いてました。

 →bobdylan.com: Nashville Skyline

 →She once was a true love of mine.

 →北国の少女 CHRONICLES #163

 →北国の少女/スカボロー・フェア

【Rock/Pops:ホ】 ボブ・ディランBob Dylan / Nashville Skyline (CD) (Aポイント付)

ジョニー・キャッシュの「君につづく道(I Walk the Line)」はサン・レコードから出たものでした。

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I'd always thought that Sun Records and Sam Phillips himself had created the most crucial, uplifting and powerful records ever made. Next to Sam's records, all the rest sounded fruity. On Sun Records the artists were singing for their lives and sounded like they were coming from the most mysterious place on the planet. No justice for them. They were so strong, can send you up a wall. If you were walking away and looked back at them, you could be turned into stone.

サン・レコードとサム・フィリップス自身は最も重要で、人の心を励ます、強力なレコードを作り続けてきたと、僕は考えていた。サムのレコードと並べたら、他のはみんな甘っちょろいものだ。サン・レコードではアーティストが自分の生命を賭けて歌っていたし、それは地球上の最も神秘的なところで生まれた曲のように聞こえた。まったく公正な評価を受けてはいなかった。それはとても力強く、聴く者を追い詰める。もしも離れていっても、振り返って見たら石に変えられてしまうのだ。
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メドゥサみたいなレコードです。

私はブルーノート(BLUE NOTE)、プレステッジ(PRESTIGE)、インパルス(IMPULSE)といったジャズのレーベルならおなじみなんですが、ロックのレーベルはよくわかりません。
どこかで聞いたなあと思ったら、あのプレスリーが最初にレコードを出したところなんですね。
サンのオフィシャルサイトにも、「ロックン・ロール生誕の地」と書いてあります。

 →Wikipedia: エルヴィス・プレスリー サン・レコード

 →Sun Record Company "Where Rock n Roll was Born"

ロック50年の歴史そのもののようなレーベルなので、それを記念するビデオやCDが出ていました。

  

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君につづく道 CHRONICLES #336

千本浜 2006年2月21日

枕許のミニコンポにCDを入れておくとしばらくは入れ替えないので、寝入る時も、目覚める時も、ずっと同じCDを聴き続けることになります。
"Oh Mercy"を入れておくと、「鐘を鳴らせ(Ring Them Bells)」や「黒いロング・コートの男(Man in the Long Black Coat)」「流れ星(Shooting Star)」が夢と現の間でずっと鳴り響いているのです。

 →bobdylan.com: Ring Them Bells

 →bobdylan.com: Man in the Long Black Coat

 →bobdylan.com: Shooting Star

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I wasn't sure that we had recorded any historical tunes like what he had wanted, but I was thinking that we might have gotten close with these last two.

ダニーが望んでいたような歴史的楽曲が録音できたという確信はなかったのだが、最後に録音した二曲ではそれに近づくことができたかもしれないと、僕は考えていた。
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ディラン自身は、「黒いロング・コートの男」と「流れ星」の録音がとても良かったと思っているのですね。
特にこの「黒いロング・コートの男」の録音は気に入っているようです。

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"Man in the Long Black Coat" was the real facts. In some kind of weird way, I thought of it as my "I Walk the Line," a song I always considered to be up there at the top, one of the most mysterious and revolutionary of all time, a song that makes an attack on your most vulnable spots, sharp words from a master.

「黒いロング・コートの男」は偽りのない事実だった。なにか奇妙な言い方だが、僕はこの曲を自分の「君につづく道」だと思った。「君につづく道」は、いつも僕が最も高いところにあると考えていた歌、常に最も神秘的で最も革命的な歌、最も痛いところを突いてくる歌、師の鋭い言葉なのだ。
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この「君につづく道(I Walk the Line)」は、ジョニー・キャッシュ(Johnny Cash)の歌です。

 →JohnnyCash.Com

いやあ、ジョニー・キャッシュ、かっこいいですなあ。
ものすごい低音です。
ディランの"No Direction Home"にも登場してました。
まだ顔がほっそりとしていて、成田三樹夫さんみたいでした。

この曲からタイトルを採った映画が、「君につづく道(Walk the Line)」(2005年)です。
ジョニー・キャッシュの自伝が原作なんでしょうか。
「ボブ・ディランをはじめ数多くのミュージシャンに多大な影響を与えたカントリー・ミュージックの伝説、ジョニー・キャッシュの波乱に満ちた半生を映画化した感動のヒューマン・ラブストーリー」だそうです。

 →ウォーク・ザ・ライン 君につづく道

 →Walk the Line on Yahoo! Movies

あら、2月18日に日本で公開されたばかりですね。
リンク先で少し映像を観ることができます。
主演のホアキン・フェニックス(Joaquin Phoenix )さんはその歌が絶賛されています。
あの低音にどこまで迫っているのでしょうか。

「'50s EQQUIRER リイッシュ」と「Mini '57 Twin Amp」が当たるそうですよ。
一応応募しておきましょう。

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ラノワの世界 CHRONICLES #335

 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]

千本浜 2006年2月21日

改行して「黒いロング・コートの男」の話になります。

 →bobdylan.com: Man in the Long Black Coat

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We recorded "Man in the Long Black Coat" and a peculiar change crept over the appearance of the things. I had a feeling about it and so did he. The chord progress, the dominant chords, and key changes give it the hypnotic effect right away -- signal what the lyrics are about to do. The dread intro gives you the impression of a chronic rush. The production sound deserted, like the intervals of the city have disappeared.

「黒いロング・コートの男」を録音すると、曲の様子に奇妙な変化が起きた。僕はそう感じたのだが、ダニーもそう感じていた。コード進行とドミナントコードとキーを変えることによって、催眠術にかかったような効果がすぐに現われる。歌詞が表現しようとしているものを示すのである。恐れおののくようなイントロは、押し寄せる感じを持続させる。そうして作られた歌は、荒れ果てた印象を与える音がする。町の区画が消えてしまったかのような。
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本人のディランは、あの曲をそんなふうに聴いていたんですね。
ちょっとわかりにくいんですが、続けてこんなことが書いてあります。

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It's cut from the abyss of blackness -- visions of maddened brain, a feeling of unreality -- the heavy price of gold uppon someone's head. Nothing standing, even corruption is corrupt. Something menacing and terrible. The song came nearer and nearer -- crowding itself into the smallest possible place.

この歌は暗黒の深淵……狂った脳の幻視、非現実の感覚、誰かの頭に載った金の重い代償から録音されたものだ。何も確かに存在するものはなく、腐敗さえ堕落してなくなっている。歌がどんどん近づいてきた。可能な限り小さな点に凝縮していった。
-----------------------------------------------

ディランは根っからの詩人なんですね。
散文も詩的です。
さらに、この曲の歌詞を説明しています。

自分の身体が自分のものになっていない男のことを歌おうとしているのです。
人生を愛したのに、生きることができない男。
他の者はみんな生きることができるのにと、魂が痛みます。

録音はリハーサル抜き。
視線で合図していきなり演奏です。
それがラノワの世界だったということです。
つまり、真剣勝負をしていたのですね。

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Any other instrument on the track would have destroyed the magnetism. After we had completed a few takes of the song, Danny looked over tome as if to say, This is it. It was.

この曲には他にどんな楽器が加わっても、磁力が損なわれていたことだろう。この歌を数テイク録音し終えた後、ダニーがこれだと言うかのようにこちらを見た。その通りだった。
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ただいまp.216です。

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うちのパパは世界一 CHRONICLES #334

千本浜 2006年2月5日


アーマ・トーマスには会うことができず、ディランはスタジオに戻ります。
こんなふうに録音するのだったら、昔から知っている人を連れて来るべきだったなと、道すがら考えます。
ミュージシャンとして好きな人物。
いろいろな考えを持っていて、それを演奏できる人物。
自分と同じ音楽の道を歩いてきた人物。

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Lately I'd been thinking about Jim Dickinson and how it would have been good to have him here. Dickinson was in Menphis. He'd started out playing the same time as me, in about '57 or '58, listened to the same things and could play and sing pertty well. We were from oppsite side of the Mississippi River.

そのころ僕はジム・ディキンソンのことを思い出していたのだが、彼をここへ一緒に連れてきていたらどんなに良かっただろう。ディキンソンはメンフィスにいた。彼は僕と同じころ、57年か58年に音楽を始めて、同じようなものを聴いていたし、演奏も歌もかなりうまかった。僕たちはミシシッピ川の反対側の出身だった。
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ディランはミネソタ州の出身です。
ディキンソンはアーカンソー州の出身のようなので、対岸というよりも上流と下流という感じで、反対側と言っているのでしょう。

ジム・ディキンソンを検索すると、プロデューサーとしても有名なようですね。
2002年には自身のアルバム"Free Beer Tomorrow"を出していますが、これは30年ぶりのスタジオ録音アルバムだそうです。

 →PCP: Jim Dickinson

息子さんたちがNorth Mississippi Allstarsというバンドをやっているそうです。

 →hidemusicblog: North Mississippi Allstars

ジムは目的意識があるし、自分と共通点が多いので、ここにいれば良かったなあとディランは語っています。
「ジムには子供がいて、うちの子と同様に音楽をやっている」などとも書いています。
ちょっとおかしいです。

実際にはディランはミュージシャンを連れてきていません。
自分の楽器も持ってきていないのです。
ダニエル・ラノワが自力で何をしてくれるのか確かめたかったという側面もあるようです。
そして、ラノワは驚くべきことをやってくれたというわけです。

ただいまp.215です。

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時は僕の味方 CHRONICLES #333

千本浜 2006年2月3日

ライオン・デン・クラブの入り口のところでは、ダックビルキャップ(duck bill cap)をかぶった男が車を洗っていました。
その男が、今夜はアーマ・トーマスは出演しないよと教えてくれます。
残念!

"duck bill"というのは、アヒルのくちばしです。
そう言われれば、だんだんアヒルの顔に見えてきます。

FILSON(フィルソン) ダックビルキャップ・オイルフィニッシュ

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The Stones, early in their career, had recorded Irma's version of "Time Is on My Side." Some newspaper writer asked her, didn't that make her feel pertty good? Irma said that she didn't care, that she didn't write the song. Only those in music business would understand that.

初期のストーンズが、アーマが歌うバージョンの「タイム・イズ・オン・マイ・サイド」を録音したことがあった。どこかの新聞のライターがアーマに、かなりいい気分じゃないかと尋ねた。アーマは全然気にしていない、自分がその歌を作ったわけではないからと答えた。そういうことは、音楽業界の人間にしかわからないだろう。
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ストーンズの2枚目のシングルのことですね。
デンゼル・ワシントンが主演した『悪魔を憐れむ歌』で繰り返し流れていたそうです。

 →悪魔を憐れむ歌(1998年)

まるで知らない映画です。
オカルト・ホラーというと敬遠したくなりますが、これはおもしろそうですな。

「タイム・イズ・オン・マイ・サイド」は、ジュリー(沢田研二)がいたザ・タイガースも持ち歌にしていたようです。

 →ザ・タイガース・オン・ステージ

肝心のアーマが歌う「タイム・イズ・オン・マイ・サイド」は、amazonあたりで簡単に試聴できます。
Googleで検索すると、ローリング・ストーンズの「タイム・イズ・オン・マイ・サイド」ということになっているようですが、それはちょっと寂しいですね。

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ソウルの女王 CHRONICLES #332

千本浜 2006年2月5日

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New Orleans was heating up. The hundred percent humidity hadn't settled in but you could feel it coming. I'd gone over to the Lion's Den Club on Gravier Street to hear Irma Thomas, one of my favorite singers.

ニューオーリンズは暑くなっていた。100%の湿度にはなっていなかったが、それに近づきつつあるのが感じられた。僕は大好きな歌手の一人であるアーマ・トーマスを聴くために、グレイビア通りにあるライオンズ・デン・クラブに出かけていった。
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Googleで検索をすると、ニューヨークの"The Lion's Den"はヒットするのですが、ニューオーリンズのは見つかりません。
特に出店しているというわけでもないのでしょう。
ライブハウスにありがちな名前なんでしょうか。

 →Welcome To The Lion's Den.

「den」というのは巣窟です。
だから「lion's den」といえば「獅子の巣窟」。
もちろん比喩にも遣われるので、日本語で言うと「虎の穴」ぐらいになるでしょう。

 →アーマ・トマス(イルマ・トーマス)

 →I Believe To My Soul / アイ・ビリーブ・トゥ・マイ・ソウル

 →IRMA THOMAS New Orleans' Queen of Soul

ディランはアーマ・トーマスの歌を聴きたかったのですが、実は録音に参加してくれないかと頼むつもりだったのです。
「流れ星」を一緒に歌ってもらいたかったのです。
「ミッキー&シルビアの女の子みたいに」と書いています。

 →Mickey And Sylvia Record Label Shots
 
 →I Believe to My Soul

BlogPet 【オムニバス:All】VA / I Believe to My Soul(CD) (Aポイント付)


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何百マイルもの孤独 CHRONICLES #331

千本浜 2006年2月14日

「流れ星(Shooting Star)」の伴奏は、ディランの目論見とは少し違っていました。
ギターのアレンジが違うんですね。
正確にコードを刻むギターの他に、かなり自由なギターをからめたかったようです。
ギターに関しては、あんまり凝ったことができませんでした。

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In this song, the microphones were pinned up in odd places. The band sounded full. It's not like we had an increased number of options in how to cut it.

この歌では、マイクが奇妙な場所に留められていた。バンドはいっぱいに音を出した。どのように録音するかという選択肢が増えるということはなさそうだった。
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ディランが望んでいたのは、三つから四つの楽器が、まるでオーケストラのように凝集した音となることでした。
個々の楽器の音がばらばらに聞こえてくるのではなく、一体化して一つの世界を作るということでしょう。
別々に演奏して多重録音を重ねていくことでは、そんな世界は作れないとディランは確信しています。

-----------------------------------------------
On one of the last takes, Dan had hyped the snare and captured the song in its essence. It was frigid and burning, yearning -- lonely and apart. Many hundreds of miles of pain went into it.

最後のテイクで、ダンはスネアの音を大きくして、この歌の核心を捕らえた。冷え冷えとしていて燃えるような思慕……遠い孤独。この歌の中には、何百マイルもの痛みが込められた。
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言葉で読んでも、スネアの音量を上げるとそんな孤独が表現できるというのはよくわかりません。
オフィシャルサイト[bobdylan.com]では、"Oh Mercy"(1989)と"MTV unplugged"(1995)に入っている2種類の「流れ星」が試聴できます。
聴き比べてみてください。
"Oh Mercy"の方が、確かに遥かな孤独を伝えていると思います。
ただ、それがスネアの音量と関係があるのか、やっぱりよくわかりません。

 →bobdylan.com: Shooting Star

ただいまp.214です。

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エアコンは苦手です。 CHRONICLES #330

千本浜 2006年2月14日

いよいよ「流れ星(Shooting Star)」の話です。
アルバム"Oh Mercy"の録音も、終わりに近づいてきました。

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"Shooting Star" was one of the songs I wrote in New Orleans. I felt like I didn't write it so much as I inherited it. It would have been good to have a horn man or twon on it, a throbbing hum that mingled into the music, but we had to cut it with what we had: Brian on guitar, Willie on drums, Tony on bass and Lanois on Omnichord, a plastic instrument that sounds like an autoharp -- me playing guitar and harmomonica.

「流れ星」は、ニューオーリンズで書いた歌の一つだった。書いたというよりも、この歌を授かったという気がした。管楽器が一人か二人いてドキドキするようなうなりを混ぜてくれれば良かったのだが、いる者だけで録音しなければならなかった。ブライアンがギター、ウィリーがドラム、トニーがベースで、ラノワはオートハープのような音がするプラスチックの楽器オムニコードを演奏した。僕はギターとハーモニカを演奏した。
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ディランはラノワに請われて、「流れ星」と「黒いロング・コートの男(Man in the Long Black Coat)」を書きました。
「流れ星」を思いついた時の描写がありましたね。

 →流れ星 CHRONICLES #298

 →黒いロング・コートの男 CHRONICLES #321

前回「オムニコード」がよくわからなかったのですが、正確には生産完了品のようです。
現在は「Qコード」という後継器になっています。

コード覚え不要! 誰でも簡単演奏・Qコード

楽天市場でも見つけましたが、すごい絵ですなあ。
怪しい雰囲気を醸し出してます。

「流れ星」はアルバムの最後を飾る、とても寂しい名曲ですね。
ディランはこの曲を、はっきりとした形で「授かった」と書いています。
光りを浴びて輝いていたそうです。

突然、エアコンの話が出ます。
録音用スタジオにしていた居間にはエアコンがなかったので、録音の合間に外へ出なければならなかったのです。
それはディランには好ましいことでした。

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I don't like air conditioning to start with. It's hard to cut songs in air conditioned rooms where all the good air is gone. In the courtyard, it was raining soup.

僕は元々エアコンが好きではない。良い空気が全部なくなってしまうので、エアコンの利いた部屋では録音が難しい。中庭は濃霧のような雨が降っていた。
-----------------------------------------------

べたべたと蒸し暑かったのでしょう。
私もエアコンが苦手なのですが、良い空気云々は今ひとつよくわかりません。

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ホームボーイ CHRONICLES #329

2006年2月12日 西友

ディランは気分転換に、映画を観ることにします。
ミッキー・ローク主演の『ホームボーイ』(1988年)でした。

いやあ、まったく驚くほど接点がありません。
ミッキー・ロークが出た映画で私が観たのは、『1941』(1979年)ぐらいなものです。
どんな役で出ていたのかしら。

『ホームボーイ』もまったくわかりません。
音楽がエリック・クラプトンですね。

 →キネマ旬報DB/ ホームボーイ

 →Wikipedia: Mickey Rourke

ディランはミッキー・ロークの演技を誉め讃えています。

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Everybody in the movie was pretty good, but Mickey's acting was at the upper end. He could break your heart with a look. The movie traveled to the moon every time he came onto the screen. Nobody hold a candle to him. He was just there, didn't have to say hello or good-bye. Just seeing him act gave me the inspiration to cut the last two songs for this album.

この映画ではみんなとても良かったのだが、ミッキーの演技は最高だった。ちょっとした目つきだけで、観ている者の心を悲しませることができた。ミッキーが銀幕に現われる度に、映画は天に輝いた。誰もミッキーとは比べものにならなかった。ミッキーはただそこにいた。こんにちはもさよならも言う必要はなかった。ミッキーが演技するのを観るだけで、僕はこのアルバムの最後の2曲を録音するための霊感を得ることができた。
-----------------------------------------------

すごい絶賛です。
ミッキー・ロークというのは、本当にそんなにすごい役者さんなんでしょうか。
なにぶん観たことがないので、まったくわかりません。

ディランは時々こんな大仰なことを書くのですが、外的要因というよりも、刺激をきっかけにして自分の創造力を高めるということを、意識的にやっていたのではないかと思います。

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ペイパーバック・ライター

私の携帯電話は、メール着信があるとビートルズ(The Beatles)の「ペイパーバック・ライター(Paperback Writer)」が鳴ります。
「着うた」もどきと言うのかな、CDからちょこちょこっとやってこしらえたやつ。
一回これに慣れてしまうと、他のメロディではメールが着いたような気がしないのです。

通話着信は「ヘルプ(Help)」です。
早く電話に出なきゃと焦ります。

あ、そんなことはどうでもいいんです。

ふと気づくと、ボブ・ディラン自伝『クロニクルズ No.1』のペイパーバック版が出ていました。
ハードカバーを持っているので不要といえば不要なんですが、いつも持ち歩いてぼろぼろになってるし、ちょっとかさばるのです。
ショーン・ペン(Sean Penn)が朗読したCD版も買ったことだし、せっかくだから買おうかと思っています。
(全然論理的でないね。)

2006年2月11日のamazon.co.jpでの価格は、ハードカバーが2,540円(悪税込み)に対して、ペイパーバック版は1,482円(悪税込み)です。
あ、他に何か一緒に買わないと送料を取られてしまうな。
せっかくだから"The Bob Dylan Scrapbook "でも一緒に買うか。
って、こっちの方がずっと高いわ。
輸入版で4,762円(悪税込み)ですから。

う?ん。

Chronicles (Chronicles)

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オルレアンの少女 CHRONICLES #328

千本浜 2006年2月5日

「うぬぼれという病(Disease of Conceit)」にはいろいろな形がありえたと、ディランは回想しています。

-----------------------------------------------
I could also hear the song being played as a march. It could have been recorded with a bugle band or a funeral band. That might have been more perfect.

この歌は行進曲として聴くこともできる。軍楽隊や葬式用の楽団を使って録音してもよかった。そうしたら、もっと完璧だったかもしれない。
-----------------------------------------------

アルバムに入っている曲の形に慣れているので、ちょっとぎょっとします。
公式サイトで試聴してみてください。

 →bobdylan.com: Disease of Conceit

う?ん、だんだん聞こえてきました。
葬列でラッパが悲しげに叫んでいる音なんてどうでしょう。
確かにそんなのも良いかもしれません。
でも、他の形で録音されることはありませんでした。

-----------------------------------------------
We listened later to it on the big speakers with the bass jacked up and Danny said that we should leave it alone, that it's right the way it is. "Think so?" "Yeah, it's got something." That's the most you can ever get out of Lanois.

後で低音を強調した大きなスピーカーでこの曲を聴くと、ダニーはもう手をかけるべきではない、このままがいいと言った。「本当にそう思うの?」「ああ、いいものになったよ。」ラノワの口から聞き出せるのはこれだけだった。
-----------------------------------------------

ギターを振り回して壊してしまったラノワとは別人のようですが、これが本来の姿だったそうです。
あまり声高に主張しないんですね。

-----------------------------------------------
The song came in ready form and not a thing was changed about it. The night we recorded it, there was a lightning storm outside -- leaves slapping on the banana trees. Something was guiding the song. It was like Joan of Arc was out there. (Or Joan Armatrading.) Whoever it was, somebody was out there working like hell.

この歌はできあがった形でやってきて、何一つ変えるところはなかった。これを得音した夜は、外では稲妻が光る嵐だった。バナナの木では葉がバサバサと音を立てていた。何かがこの歌を導いていたのだ。それはジャンヌ・ダルクのようだった。(あるいはジョーン・アーマトレイディングだったのかもしれない。)それが誰であれ、誰かが外にいて、とんでもない働きをしていたのだ。
-----------------------------------------------

やっぱりディランの文章はおもしろいですね。
とても叙情的になったり、ついつい言葉遊びをしてしまったり。

ジョーン・オブ・アークからジョーン・アマトレイディングに連想が飛ぶのですが、もちろんジャンヌ・ダルクは「オルレアンの少女(the Maid of Orleans)」で、ここはニューオーリンズ(New Orleans)です。

 →Wikipedia: Joan of Arc

 →Joan Armatrading The Official Website

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ピアニストを撃つな CHRONICLES #327

IP屋上駐車場 2006年2月9日

続けて「うぬぼれという病」の話になります。

 →うぬぼれという病 CHRONICLES #239

 →bobdylan.com: Disease of Conceit

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In some takes, "Disease of Conceit" was cut as a weeper blues with an insistent beat. B-flat gives it a dark edge. I am playing the piano but I'm playing blocked chords. Allen Toussaint might have played the same thing only better and it would have freed me up to play guitar, that didn't happen. Arthur Rubinstein would have been the ultimate player. That would have been perfect.

いくつか録音した中で、「うぬぼれという病」はビートの効いた、泣きのブルーズになった。B♭が暗い力を加えている。僕はピアノを弾いているのだが、ブロックコードを奏でているだけだ。アラン・トゥーサンだったら同じものをもっとうまく弾けただろうし、それなら僕はピアノから解放されてギターを弾いたことだろうが、そんなことは起こらなかった。アルトゥール・ルービンシュタインだったら究極の演奏をしただろう。それなら完璧だっただろうに。
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ディランはこのごろステージでキーボードを弾きながら歌うことが多いようですが、ギターの腕前よりだいぶ劣っていそうです。
ボビー・ヴィー(Bobby Vee)のバンドにおしかけピアニストとして参加した時は、曲を他の調に変えると演奏できなかったということでしたね。

 →CHRONICLES #98 ピアノ弾きディラン

ブロックコードというのは、通例ピアノの中音域を使い、左手で右手の音符を反復したり、補足したりしながら弾く和音のことです。
簡単に伴奏を付けているという感じですね。
もちろん、「本職」のピアニストからすればたいしたことをやっているわけではないのです。
でも、歌の世界がそれでいい感じに作れたら、まったく問題ないでしょう。

アラン・トゥーサンはともかく、ルービンシュタインはディランお得意の、妙な冗談です。

 →"Southern Nights" Allen Toussaint

 →Wikipedia: Allen Toussaint

 →NYNO Records: Allen Toussaint

 →アルトゥール・ルービンシュタイン

 →Arthur Rubinstein - The Artist

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鏡の国のラノワ CHRONICLES #326

千本浜 2006年2月5日

改行して、ラノワの編集方法が説明されます。

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I started seeing that all these compressors, processors, vintage gear, preamps and the reverbe echo effects that were being used added up to a certain romance of sound that Lanois had in his head. Everything was pretty much live the way you hear it. Dan didn't depend a lot on dubbing, not that he wouldn't overdub an occasional instrument, he just didn't use it as a crutch.

コンプレッサーや、プロセッサーや、年代ものの装置や、プリアンプや、リバーブ残響イフェクタで加工されたものが、結局ラノワが頭の中に抱いた、ある雰囲気の音になるのを見た。すべてが、今聴けるようなとても生き生きしたものだった。ダンはあまり合成録音に頼らなかった。補助的な道具として多重録音を使いたくなかったからではなくて、それに頼るような使い方をしたくなかったからだ。
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コンプレッサーのようなものを検索すると、まずPCソフトがヒットするのに驚きました。
録音器材は、知っている人にはすぐわかりますが、いじったことがなければ何がなんだかわかりませんね。
一応ギター用のものを楽天市場で拾っておきましょうか。

◎CARL MARTIN COMPRESSOR / LIMITER コンプレッサー / リミッターコンプレッサー  ZOOMギターエフェクトプロセッサーGFX-8プロセッサー

Xotic BB Preamp プロ絶賛!噂のプリアンプです。プリアンプ  デラックスリヴァーブ。Fender U.S.A. ’65 Deluxe Reverbリヴァーブ

適当に選んだので正確ではありません。
まあ、スタジオにやたらに転がってるやつですね。

ラノワは出てきた音を大切にする人で、その音をやたらに加工するのを好まなかったのでしょう。
それぞれの楽器の音を重ねてダビングすることはあっても、それが曲の中心に来ることはありません。
あくまでもライブの音をテープに収めていくのです。

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The song was like looking at words in a mirror and checking out the reverse images. It's like you set up a thick smokescreen and then put the real action ten miles away.

その歌は鏡の中の言葉を見て、反転した映像を受け取るようなものだった。厚い煙幕を張って、それから10マイルも離れたところで本当の行動を起こすかのようだった。
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これはわかりにくいですね。
自分の演奏が、離れたところから眺めるように見えたということでしょうか。
ラノワの使う魔術によって幽体離脱し、自分の姿が見えたというような。

ただいまp.212です。

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愛のテーマ CHRONICLES #325

千本浜 2006年2月5日

改行して、突然録音の話に戻ります。

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We recorded "What Was It You Wanted?" with the full band: Malcolm Burn on bass, Mason Ruffner on guitar, Willie Green on drums, Cyril Neville on percussion. I played guitar and harmonica. Lanois played guitar, too.

僕たちはフルバンドで「求めていたものは何?」を録音した。マルコム・バーンのベース、メイソン・ラフナーのギター、ウィリー・グリーンのドラム、シリル・ネヴィルのパーカッション。僕はギターとハーモニカ。ラノワもギターを弾いた。
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 →君の欲しいものは CHRONICLES #242

この録音では満足することができたようです。
「オクラ(gumbo)のスープ」を喩えにして、雰囲気を伝えようとしています。
「バリー・ホワイト(Barry White)でもこれよりうまくはできなかっただろう」と、料理人のラノワを誉め讃えています。

 →Wikipedia: Barry White

懐かしいですね、バリー・ホワイト。
私は70年代のディスコ文化にあまり縁がないのですが、それでもこの人の名前は知っています。
自身の歌がヒットする以前に、ラブ・アンリミテッド(Love Unlimited)やシュープリームス(The Supremes)のプロデュースで世に出たというのですから、ディランも引き合いに出すはずです。

1974年の大ヒット「愛のテーマ(Love's Theme)」はいろいろな番組やCMに使われてきたので、誰でも聴いたことがあると思います。
なにかしら思い出と結びついてたりもしますね。
amazon.comなんぞで試聴できますが、楽天広場ではリンク張れませんな。

あ、midiファイル見つけました。
こちらでどうぞ。

 →"Love's Theme" The Love Unlimited Orchestra

バリー・ホワイトは2003年7月に、58歳で亡くなっています。
思っていたよりずっと若かったので、驚きました。

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証城寺の狸囃子 CHRONICLES #324

よく晴れていたのだが、風がとても強かった。
浜に出ると、堤防に近づいただけでびしょぬれ。
波もかなり高いらしい。

それでも、なんとか撮影してきました。
顔じゅうがしょっぱいのよ。

 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]
千本浜 2006年2月3日

奥さんがボルティモアに行ってしまった後。
スタジオに行く予定だったけれど、ディランは眠ります。
目を覚ますと、まだ朝ではなかったので、また寝ます。
それからまた目を覚ますと、今度は夜になっていました。
あらま。

私も時々そんなことをしていました。
勤め人をしている時はつらいですね。
休みが丸々一日消えてしまうのですから。

ディランはこれからスタジオに行く前にコーヒーを淹れます。
いつものようにラジオがかかっています。

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A singer was singing that life was monotonous, life is a drug. It was Eartha Kitt. I thought to myself, "That's plenty good. I'm frineds with ya. Go ahead and sing."

歌手が人生は単調、人生はドラッグと歌っていた。アーサ・キットだった。僕は思った。「そのとおりだ。俺はあんたの友達だ。続けて歌ってくれよ」
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 →アーサー・キット

 →Eartha Kitt

 →Eartha Kitt Fan Club

どこかで聞いた名前だと思っていたら、あのへんてこな「Sho-Jo-Ji」を歌っていた人ですね。
「アーサー・キッド」となっていることが多いようです。

 ♪ Sho sho sho-jo-ji, sho-jo-ji is a racoon.
 ♪ He is always hungry so he dreams of koi koi koi.
 ♪ He will rub his head and tummy, rub head and tum tum tum.
 ♪ Macaroons and macaroni, jelly beans, pink abalone, koi, koi, koi, koi, koi, koi
 ♪ Minna dete koi koi koi.

テレビ版「バットマン」にも出ていたんだ。
元祖キャットウーマン!
それなら観ているはずです。

江利チエミさんで知られる「ウスクダラ」をヒットさせたり、まあ活躍していた人なんですね。
ベトナム反戦のことは知りませんでした。

1952年に"Monotonous"というヒット曲があるようですが、ディランがラジオで聴いたのはこの曲でしょうか。
ちょっと違うような気もしますが、妙な歌詞です。

 →MONOTONOUS

だいたいうちのおっ母さんと同じぐらいの年齢ですが、元気に活躍なさってるようですね。
すごい。

あ、キャットウーマンの写真見つけました。

 →African Americans - Eartha Kitt

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天使にラブソングを… CHRONICLES #323

千本浜 2006年1月28日

ホテルの廊下で見かけた娼婦の印象から、ディランは深夜に「黒い瞳」を書き上げます。
翌日の夜に、その曲をアコースティックギターの伴奏で録音して、『帝国のバーレスク』は完成したのです。

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New York wasn't New Orleans, though. It wasn't the city of astrology. It didn't have any mysterious lurking in its vast recesses, mysteries built when and by whom no man could tell. New York was a city where you could be frozen to death in the midst of a busy street and nobody would notice. New Orleans wasn't like that.

だが、ニューヨークはニューオーリンズではなかった。占星術の街ではなかった。奥底が広大ではあるが、密やかに潜んでいるもの、いつ誰が造ったのか誰にもわからない神秘などまったくなかった。ニューヨークは、にぎやかな大通りの真ん中で凍死しても誰も気づかない街だ。ニューオーリンズはそんな街ではなかった。
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ディランにとっても、ニューヨークは「世界の中心」だったことでしょう。
でも、たとえば東京と同様に無機質な大都市にすぎません。
ニューオーリンズはもっと雑多な神秘的なものに満ちた街でした。

ディランの奥さんはボルチモアでゴスペル劇(gospel play)に出演するので、ニューオーリンズから出て行くことになっていました。
二人は外のポーチに並んで腰を下ろしています。

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She stuck her tongue in my ear. "That tickles," I said. My wife, who had the ability to see a grain of truth in just about anything, knew that the recording session hadn't been going easy and at times had become heated. "Don't go stoned crazy," she reminded me.

彼女は僕の耳に舌を入れた。「くすぐったいよ」と、僕は言った。妻はどんなことについてでもほんの少しの真実を見抜く能力があるのだが、レコーディングのセッションがうまく行かずに、時には激したりしていることがわかっていたのだ。「酔いつぶれたりしちゃだめよ」と、念を押してくれた。
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ん?、でれでれの愛妻家ですな。

ボルチモアはメリーランド州で最大の都市ですね。
川崎市と姉妹都市のようですが、イメージとしてはボルチモアは横浜で、州都アナポリスは横須賀といった感じでしょうか。

 →Wikipedia: ボルチモア

ゴスペル劇というものがよくわからないんですが、ゴスペルを歌うミュージカルのようなものでしょうか。
映画で言えば、『天使にラブソングを…(Sister Act)』みたいな。
あの映画、好きなんですよ。

天使にラブソングを… 天使にラブソングを 2

天使にラブ・ソングを…

天使にラブ・ソングを 2

ただいまp.211です。

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黒い瞳 CHRONICLES #322

千本浜 2006年1月28日

ディランはそれ以前にプロデューサーに請われて曲を書いたことが、一度しかなかったそうです。
アルバム『帝政のバーレスク』(1985年)を作った時のことです。
アーサー・ベイカー(Arthur Baker)が、アルバムの最後をアコースティックの曲にすべきだと言ったのです。

 →Arthur Baker
   音量注意!

 →Empire Burlesque - 1985

ディランはその提案に同意して、五十九番街のプラザ・ホテルに戻りました。

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As I stepped out of the elevator, a call girl was coming towards me in the fallway -- pale yellow hair wearing a fox coat -- high heeled shoes that could pierce your heart. She had blue circles around her eyes, black eyeliner, dark eyes. She looked like she had been beaten up and was afraid that she'd get beat up again. In her hand, crimson purple wine in a glass. "I'm just dying for a drink," she said as she passed me in the hall. She had a beautifulness, but not for this kind of world. Poor wretch, doomed to walk this hallway for a thousand years.

エレベーターから足を踏み出すと、コールガールが廊下を僕の方へ歩いて来た。薄い黄色の髪で、狐の毛皮のコートを着て、人の心臓を突き刺しそうなとがったハイヒールをはいていた。黒いアイライナーで目の周りが黒くなっている。まるで誰かに殴られて、また殴られるのを恐れているように見えた。手には赤紫色のワインが入ったグラスを持っていた。「お酒が飲みたくてたまらない」僕の側を通り過ぎる時に言った。美しくはあったが、この世の美しさではなかった。かわいそうに。千年もの間、この廊下を歩く運命なのだ。
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セントラルパークを臨む窓の脇で、その夜ディランは曲を書き上げました。
「黒い瞳」という曲です。

 →Dark Eyes

 ♪ A cock is crowing far away and another soldier's deep in prayer,
 ♪ Some mother's child has gone astray, she can't find him anywhere.
 ♪ But I can hear another drum beating for the dead that rise,
 ♪ Whom nature's beast fears as they come and all I see are dark eyes.

 ♪ 遠くの方で一羽の雄鶏が鳴いている、兵士がまた熱心に祈りを捧げている
 ♪ どこかの母親の息子がまた道を踏みはずした、どこを探しても息子は見つからない
 ♪ だけどぼくには蘇る死者のために新たに打ち鳴らされる太鼓の音が聞こえる
 ♪ 彼らが現われる時、未開のけだものは何を恐れるのか、そしてぼくの目に入るものといえば黒い瞳だけなんだ
                  (中川五郎訳)

ただいまp.210です。

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黒いロング・コートの男 CHRONICLES #321

千本浜 2006年1月29日

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I'd gotten back to New Orleans with a clear head. I'd finish up what I started with Lanois, even write him a couple of songs I never would have written otherwise. One was "Man in the Long Black Coat" and the other was "Shooting Star."

僕はすっきりした頭でニューオーリンズに戻った。ラノワと一緒に始めたことを仕上げることにした。彼のために2曲作ることまでした。一曲は「黒いロング・コートの男」で、もう一曲は「流れ星」だった。
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 →bobdylan.com: Man in the Long Black Coat

 →bobdylan.com: Shooting Star

どちらも"Oh Mercy"らしい曲だと思います。
つまり、ダニエル・ラノワの要求に応えて作った曲であり、演奏やアレンジにラノワの特色が強く出ている曲だということです。
「黒いロング・コートの男」には、コオロギの鳴き声らしい音が入っていますね。
bobdylan.comの試聴でもわかりますので、聴いてみてください。

 ♪ She never said nothing there was nothing she wrote,
 ♪ She gone with the man
 ♪ In the long black coat.

 ♪ 彼女は何も言わなかった、何一つ書き残さなかった
 ♪ 彼女は行ってしまった
 ♪ 黒いロング・コートの男と

                   (中川五郎訳)

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世界一のおじいちゃん CHRONICLES #320

八幡町 2006年1月30

サン・パイは壁の毛沢東ポスターをちらりと見て、妙なことを言います。

「戦争は悪いものではない。人口を減らしてくれる。地球上には戦争を自由に浮かべておけばいいんだ」

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In my mind's eye, I saw blood being splattered and spilled. Whatever he was getting at, I didn't believe like that. "Does you consience bother you? It doesn't matter, a man's consience is useless, clear or guilty, a live man's is anyway." This conscience stuff would stick in my mind.

僕の心の目には、血が跳ね飛ばされてあふれ流れるのが見えた。彼が何を言いたいのであれ、僕にはそんなことは信じられなかった。「良心が痛む? そんなものはどうでもいい。人の良心なんて、何の役にも立たない。清らかだろうが、罪深かろうが、生きている人間の良心なんてのはとにかくそんなもんだ。」この良心の話は、ずっと僕の心にひっかかている。
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こうしてみると、ディランは真っ直ぐな、良心の人なんですね。
学生時代に私が出会った自称インテリたちは、どうにもひねくれまくった、良心のかけらもない奴が多かったのを思い出します。

Googleで検索したら、京都大学歴史研究会の方の論文がヒットしました。
「人口論」というのは、まゆつばなものが多いように思います。

 →中国の人口問題

ディランは一つ買い物をすることにします。
前に出てきた「世界一のおじいちゃん(WORLD'S GREATEST GRANPA)」というバンパー用ステッカーです。
数年でおじいちゃんになるからというようなことを書いています。
それも、1ダースぐらい必要になるぞと。
あらら、ディランったら。
サン・パイはお金を受け取ろうとしませんでした。

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"Get everything you need, then?" he asked.
"Yeah, but I need some more," I said.

「必要なものはみんな揃ったのかね」と、彼は尋ねた。
「ああ、でももっともらってもいいね」と、僕は言った。
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ただいまp.209です。

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遠くで汽笛を聞きながら CHRONICLES #319

 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]
千本浜 2006年1月29日

サン・パイはディランの奥さんが入ってきたので、冗談を言います。

「何やってるの? 晩飯かなにかまでいるつもりかね?」

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A train whistle blew in the distance and brought me to my senses. There was something pleasurable about hearing it. I said I wasn't too positive we could do that.

遠くで汽笛が聞こえたので、僕は正気に帰った。汽笛を聞くのはなんだか嬉しいものがある。そこまであつかましいことはできないよと、僕は言った。
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ディランは列車の音がが好きなんですね。
線路を伝わってくる音も好きだし、汽笛も好きだし。
電車ではなくて、汽車の方が似合います。

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Sun Pie wore gold rimmed spectacles. Every once in a while sunlight would shoot off like sparks -- like comets from a dark sky blasting of the rims.

サン・パイは金縁のメガネをかけていた。時々日の光が当たって火花のようにきらめいた。暗い空からやって来た彗星がメガネの縁にぶつかったみたいだった。
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妙なことを覚えているものですね。
詩情あふれるというか、あふれすぎかも。

「ちょっと前にカントリーの女王がここに来て、真鍮の灰皿を買ったんだ」
「誰だったのかな?」
「スウィート・キティ・ウェルズ」
「ほお」

これはわかりません。

 →Artist Biography - Kitty Wells

ただいまp.208です。

 →遠くで汽笛を聞きながら
  音量注意!

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寒い国から帰ってきたスパイ CHRONICLES #318

 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]
千本浜 2006年1月28日

二行開くのですが、話はあまり変わりません。

ディランの奥さんは店内を見た後、また外に出てジョン・ルカレ(John le Carre)の本を読んでいました。
あれ、ジョン・ルカレって誰だったかな。
ああ、そうだ、スパイ小説の大家だ。

『寒い国から帰ってきたスパイ』
The Spy Who Came In from the Cold

『鏡の国の戦争』
The Looking Glass War

『パーフェクト・スパイ』
A Perfect Spy

『ドイツの小さな町』
A Small Town in Germany

『ロシア・ハウス』
The Russia House

私の場合はタイトルをよく見かけたなという程度で、まるで接点がありませんでした。

 →the official John le Carre website

ゴルバチョフ書記長がペレストロイカを推進していたころですね。
どんな小説を読んでいたのでしょうか。

そういえば、もう少し後のことですが、高田馬場で街頭インタビューの取材をしたことがあります。
留学生に出身国を尋ねたら、「ソ連」と答えてからちょっと間を置いて、「ロシアです」と言い直していました。
ソ連の崩壊は、ロシアの民族主義高揚と一緒にやってきたんですね。

ディランの奥さんそれからまた店内に戻ってきて、眉毛を描いたりしています。
出発の準備だということらしいです。

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市民ナベツネ CHRONICLES #317

千本浜 2005年1月18日

ユダヤの民族記を聖典とする一神教の世界では、洪水に神の意志といったイメージがつきまとうのでしょうか。

サン・パイは椅子にニス(varnish)を塗っています。
周囲が汚れないように、新聞紙を広げています。

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"That's a weapon," he said, pointing to the newspaper. "I just use it to protect my floor. It's a weapon in the hands of bad people. Miserable devils. They don't know beans."

「そいつは武器だ」と、新聞を指さしながら言った。「俺は床を汚さないように使っているだけだ。悪い奴らの手に渡れば、武器になる。みじめな悪魔だ。知恵なんてまったく持っちゃいない」
-----------------------------------------------

 →あの映画のココがわからない:市民ケーン

サン・パイの言葉はいちいち含蓄があるように聞こえます。
だからディランもよく覚えているのでしょう。

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"There's no equality down here. Some of us are special. Some of us are aren't. Some down here are tougher and smarter than others, some are less weaker and less wise. Can't help it. can't help how you're born.
"
「この現世には平等なんてものは存在しない。特別な連中もいるし、そうではない連中もいる。他の者より強くて賢いのもいれば、弱くて賢くないのもいる。それは仕方がない。そういうふうに生まれるのは、仕方がないことなんだ。
-----------------------------------------------

さらに医者や、病気になる者、工員、統治者、大工、弁護士、こんな職業を挙げて、人間の不平等なることを弁じます。

「この世で善なることなんて、もうすべて行なわれてしまったのかもしれない」と、妙に悟ったような言葉の後で、突然ブルース・リーの名前を挙げます。
ブルース・リーは悪党を全部やっつけたのだそうです。

-----------------------------------------------
Sun Pie was one of the most unique characters, the kind of guy who would be a center of a procession in a parade, or maybe he'd be the nucleus of a mob.

サン・パイは最高に珍なる人物であった。パレードの行進の中心にいるか、あるいは暴徒の中心人物であるかもしれない、そんな類いのやつだった。
-----------------------------------------------

ディランはサン・パイの与太話をとてもおもしろがっています。

ただいまp.208です。

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ハリケーン CHRONICLES #316

千本浜 2005年1月18日

帰るべき時が来たと言いながら、サン・パイとの対話が続きます。

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"There used to be racetracks and stables around here," he said. "A hurricane came through about a hundred years ago, water twelve feet high. Two thousand people gone -- lost their lives. When the storm comes, you beg the Master, 'If you just keep me from gettign killed, I'll do anything you say.'"

「昔はこのあたりに競馬場と厩舎があったんだ」と、彼は言った。「百年ほど前にハリケーンが来て、水位が12フィートも上がった。二百人の人がいなくなった……亡くなったんだ。嵐が来たら、主に祈るんだ。『死なずに済んだら、おっしゃることは何でもします』」
-----------------------------------------------

実際に昨年のニューオーリンズの惨状を知っているので、このサン・パイの言葉が重く感じられます。

-----------------------------------------------
"Whom the Master wishes to kill, the Master kills."

「主は殺したいと思った者を、殺す」
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サン・パイは祈るしかないと言うのですが、でも、あれは人災だったのではないでしょうか。
行政がきちんと対処していれば、かなりの人数の命が救えたことでしょう。

私は小さな頃、狩野川という川の近くで暮らしていました。
狩野川台風という有名な台風は記憶にないのですが、橋桁に水死体がひっかかたりしていたそうです。
その翌年の伊勢湾台風を最後に、日本では大規模な台風災害はなくなったということです。
治水や防災体制が整ったからですね。

 →[狩野川台風]

私も狩野川の氾濫が一度だけ記憶に残っています。
以前書いたことがあると思いますが、近くの神社に避難して、一夜を明かしました。
逃げて行く時、既にどぶがあふれていました。
社務所のようなところに泊まったのですが、鳥籠にカナリアがいたことを覚えています。

夜が明けると、空はもう晴れているのですが、国道一号線が川のようになっていて、ゴムボートで行き来している人達がいました。
たぶんまだ買って間もないテレビが水に浸かったので、基盤をむき出しにして縁側で乾かしました。
父や母が買っていた文学全集も水に浸かったので、乾かしたはずです。
今も、その痕が本に残っています。

ただいまp.207です。

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流されて CHRONICLES #315

千本浜 2006年1月3日

本を職場の引き出しに置き忘れていたので、"CHRONICLES"を読むことができないでおりました。
お話を忘れてしまいましたわい。

サン・パイはディランに尋ねます。

「あんたはお祈りをするんだったな。何を祈るんだ? 世界のために祈るのか?」
「自分がもっと優しい人になれるようにって」

ディランは世界のために祈るなんて考えたことはなかったそうです。

-----------------------------------------------
There was still a light drizzle outside, and you could hear it softly on the tin roof. New Orleans was beginning to pull on me and I was feeling the weight of the line.

外ではまだ霧雨が降っていて、トタン屋根に当たる音がかすかに聞こえた。ニューオーリンズが僕を引っ張り始めたので、その綱の重さを感じていた。
-----------------------------------------------

ラジオからは"Sea of Love"が聞こえてきました。

"Sea of Love"は検索するとHoneydrippersばかりヒットしてしまうのですが、元々は50年代のヒット曲のようですね。
ほお、同名の映画では、Tom Waitsが歌ってるんですか。
知らなんだ。

 →SEA OF LOVE: Phil Phillips & The Twilights
  [音量注意!]

効果音としてぴったりの曲です。
ディランは、どこかに流されていたのが、また戻る時が来たように感じたそうです。
録音に戻らなければならない時が近づいてきたのです。
張り詰めて疲れきったディランの精神は、休養をとることができたのでしょうか。


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第一の敵 CHRONICLES #314

千本浜 2006年1月1日

サン・パイは自説を展開します。

「中国人」は仲間割れを起こしていたので、簡単に白人に征服されてしまった。
今また「中国人」がやってくる。
それは戦争という形ではない。
そのうちペルーあたりまで、「中国人」だらけになってしまう。

ラジオからはデール&グレース(Dale and Grace)の"I'm Leaving It Up To You"が流れています。
1963年のヒット曲だそうです。

 →Dale & Grace - Sweethearts of the Sixties

 →I'm Leaving It Up To You

ん?、ジャケ写真がすごいですなあ。
MIDIはリンク切れが多かったのですが、ここなら聴けるようです。
すごい曲数のオールディーズですな。
ディランの曲も5曲置いてありました。
さて、どの曲でしょうか。

 →Gecadero's Midi Sequencing

ディランはサン・パイの顔をどこかで見たような気がするのですが、思い出せません。
ゆっくりと話すのに、なぜか騒がしい感じがする話し方なのだそうです。

サン・パイの黄禍論もしくは失地回復論を読みながら、ウカマウ集団の映画を思い出しました。

 →第一の敵

ただいまp.206です。

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東風 CHRONICLES #313

千本浜 2006年1月1日


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The Beatles blasted away. Sun Pie put down his tools. Behind the man, there were double screen doors that swung optn to the bayou.

ビートルズが吹きやんだ。サン・パイは道具を置いた。その後ろには観音開きの網戸があり、入り江(バイユー)に向かって開かれていた。
-----------------------------------------------

サン・パイは船の修理もやっていたそうです。
何でも屋さんなのね。
お、ディランの奥さんが店に入ってきました。
退屈したんでしょうか。
サン・パイはそちらをちらりと見てから、ディランに話しかけます。

「あんたはお祈りをするかい?」
「うん、まあ」
「それならいい。中国人が占領したら祈らなければならない」

おやおや、これは唐突です。

「ここは最初中国人がいたんだ。あいつらはインディアンだ。赤人な。コマンチ、スー、アラパホ、シャイアン。みんな中国人なんだよ。キリストが病人を癒していたぐらいのころに、ここへやってきたんだ。女も酋長も、みんな中国から来た。アジアからアラスカを通って、歩いてきて、ここを発見した。ずっと経ってからインディアンになったんだ」

先住民の話だったんですね。
ベーリング海は昔陸地だったと聞いたことがあるからその話は本当かもしれないと、ディランは納得しています。

最初は人種的偏見を煽る話かと思ったら、そうではないんですな。
なんだかおもしろそうだと、ディランはサン・パイの話に引き込まれます。

 →インディアンの歴史と現在を知る文献

ただいまp.205です。

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秘密が知りたい? CHRONICLES #312

 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]
千本浜 2006年1月13日

サン・パイの店で流れていたビートルズは、"Do You Want To Know A Secret?"でした。
1963年のアルバム"Please Please Me"に入ってますね。

 →Do You Want To Know A Secret?
 
 →Do You Want To Know A Secret? : MIDI

 →Do You Want To Know A Secret? : Lyrics

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They were so easy to accept, so solid. I rememberd when they first came out. They offered intimacy and companionship like no other group. Their songs would create an empire. It seemed like a long time ago.

ビートルズはとてもわかりやすくて、すばらしい。僕は彼らが最初に登場した時のことを思い出した。他のグループにはまったくなかった親近感や仲間意識を提供してくれた。ビートルズの歌は帝国を創り出す。ずっと昔のことのようだった。
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この時には、もうジョンは亡くなっています。
確かにずっと昔のことでした。
ビートルズやディランが歌を変えてしまったのですから。

ディランは"Do You Want To Know A Secret?"のことを、「完璧な出来の、50年代風の元気なラブバラッド(a perfect '50s sappy )」だと書いています。
そして「ビートルズ以外には誰にもこんな歌を作ることはできない」と。

元歌は「白雪姫」なんですね。
知りませんでした。

 →いろんなとこからパロディ

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怪人サン・パイ CHRONICLES #311

千本浜 2006年1月3日


この店の主人はサン・パイという名の年配の男(old-timer)でした。
顔立ちはスラブ人のようだったと書いてあるのですが、どうにも中国系の老人を想像してしまいました。
いかんなあ。

 →怪人フー・マンチュー博士

 →The Fu Manchu Chronology

全然フー・マンチューとは違うんですよ。
でも、なんだかそんな容貌を想像してしまったのです。

ディランの描写によれば、顔は浅黒いけれどスラブ系の顔立ち、そして背が低く筋張った身体で、豹のようだったそうです。
上が平らな麦わら帽子をかぶっています。
きっと会ってみたくなるような、風変わりな人物だとディランは言っています。

外でバタバタやっていた若い娘は女学生のように見えたそうですが、実はこのサン・パイの奥さんだったそうです。
ゲゲッ。

怪人サン・パイは、椅子を直しているところでした。
まるで大聖堂から持ってきたような、背の高い椅子です。
一旦分解して、一部分が接着して締めつけてあります。
六角柱型の脚にサンドペーパーをかけていました。

「釣りの穴場を探してるのかい?」
「いや、バイクで通り掛かっただけ」

こんなふうに対話が始まります。
外に停めた年代物のハーレーを見て、怪人サン・パイは自分も以前似たようなのに乗っていたと言います。

「とってもいいものがあるから見ていきなよ」

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There were posters displayed, one of Bruce Lee, another of Chairman Mao. Behind the counter taped to the mirror was a wide, framed photograph showing the Great Wall of China. On the other brick wall was a jumbo sized American flag.

ポスターも飾ってあった。ブルース・リーのポスターに、毛主席のポスター。カウンターの後ろの鏡には、万里の長城を写した枠付きの写真がテープで留めてあった。その反対側の煉瓦の壁には、特大のアメリカ国旗があった。
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やっぱり奇妙な店です。
ラジオからは、ビートルズの曲が流れています。
そういった60年代の曲をかける局に合わせてあるのでしょう。

ただいまp.204です。

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夏土産 CHRONICLES #310

千本浜 2006年1月1日


「ツタンカーメン王博物館」に近づくと、土産物を売るような店でした。
木造の建物は、ポーチの支柱が腐りかけています。
店の前には野菜を積んだトラックが停めてあるのですが、もう一台50年代のオールズモビル・ゴールデンロケットが、草の中でブロックに載せて置いてあります。

これはすごい車ですよ。
レトロな未来。
検索したら、おもしろいサイトがヒットしました。
リンク先の下の方にある画像が、1954年のゴールデンロケットです。
流星号みたい?

 →CB Pix 7

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A young girl was on the balcony beating the dust off a rug, dressed in pink gymnastic tights, had long black oiled ringlets and a bath towel around her shoulders. The dust hung like a red cloud in the air. We went up the short steps and I walked in. My wife stayed outside on a wooden swing bench.

若い娘がバルコニーで敷物の埃を払っていた。娘の髪は油っぽい長い巻毛で、運動用のピンクのタイツを履いて、肩にバスタオルを掛けていた。埃が赤い雲のように空に舞っていた。短い階段を昇り、僕は中に入った。妻は外で木製の揺れるベンチに座っていた。
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どうにもやる気のない姉ちゃんが、くつろいだ恰好でバタバタ足拭きマットのようなものを叩いていたんですな。
奥さんは中に入る気もしなかったのでしょう。
でも、ディランは興味津々です。
まったく男ってものは。
そんな感じでしょうか。

装身具(trinkets)、新聞、お菓子、手工芸品(handcraft items)。
このぐらいならわりとまともです。
手工芸品は湿原の草で編んだ籠で、それなりに手間をかけたもののようです。

でも、陳列ケースには偽物の宝石(sham jewels)が飾ってあります。
ヴードゥー教の青いビーズ(blue voodoo beads)や、カトリックの奉納用蝋燭(votive candles)も売っています。
なんでしょうな、こりゃ。

車のバンパーに貼るステッカー(bumper sticker signs)もあります。
「世界一のおじいちゃん(WORLD'S GREATEST GRANPA)」
「沈黙(SILENCE)」
「がんばれ(KEEP ON TRUCKIN')」

ああ、なんだか十年ぐらい前の、うちの近所に似ているみたいです。
東名高速道路のインターチェンジを降りてきた道が、がらんとした国道1号線バイパスと交差するあたりに、こんな店が多かったのです。
もっと昔には、その辺りに「秘宝館」もありました。

この店では、食事もできました。
名物のザリガニ料理ですね。

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There were hog parts hanging from hooks on the walls -- hog jowls, hog ears, make you wanna squeal.

壁の鈎には豚の頬肉や豚の耳といった豚の部位がぶらさがっていた。(豚のようにキーキーと)悲鳴を挙げたくなる。
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さすがに元ユダヤ教徒のディランは豚肉が苦手なようです。

 →中島みゆき「夏土産」

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秘宝の館 CHRONICLES #309

千本浜 2006年1月3日


二人はアミーリアの近くまで下り、それから引き返します。
レースランドの近くでガソリンスタンドに入ると、そこでディランはある建物が気になります。

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Across a vacant field stood an obscure roadside place, a gaunt shack called King Tut's Museum and it caught my eye. After filling the gas tank, we rode slowly across the cow path to the side of the shack.

空き地を挟んだところは道路傍がいいかげんな場所になっていて、そこにある貧相な小屋に「ツタンカーメン王博物館」と書いてあるのが、僕の目を引きつけた。ガソリンを満タンにした後、僕たちは牛の通り道のようなところを渡って、その小屋の脇へゆっくりと近づいた。
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 →Amelia, Louisiana

 →Raceland, Louisiana

ツタンカーメンですか。
googleで検索してみると、ラスヴェガスに「ツタンカーメン王墳墓美術館(King Tut's Tomb and Museum)」があるそうです。
え?
違うの?
テーマパークみたいなものなんですか?
ラスヴェガスでも十分に怪しいです。
観光地の純金風呂みたいなものかしらん。

 →King Tut's Tomb at Luxor

ガソリンスタンドから見える「ツタンカーメン王博物館」、確かに気になります。
掘っ建て小屋みたいなところにそんな看板が掛かっているんですよね。
いったい何が展示してあるというのでしょう。

私が学生の頃、故郷ののんびり市には「秘宝館」というものがありました。
あそこには何が展示してあったのでしょう。
なんといっても同級生の親が勤めていたりするので、気軽に入るわけには行かなかったのですよ。

大学で三重県出身の友人に自慢したら、「なんなら?、秘宝館ならうちの方にもあるぞ?」と言われました。
当時はあちこちの観光地にあったんですね。

お!
伊勢の秘宝館は今でも健在なようです。

 →元祖国際秘宝館

このサイトはすごいですね。
トップページに行くと、他にもいろいろな秘宝館が載っています。

 →ニッポンの歩きかた

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日本の怪し気なスポットを、有名所として外国人に紹介するためにつくったこのページ。
外国人に間違った日本を広めるのが本来の趣旨だったのですが、秘宝館マニアなページになってます。
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おお、懐かしい我らがのんびり市の秘宝館も、その跡地が載っているではありませんか。

さて、それでディランが見つけた「ツタンカーメン王博物館」とは、何だったんでしょうか。

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変わらない僕 CHRONICLES #308

IP屋上駐車場 2006年1月9日


改行して、翌朝の話に変わります。

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Next day I woke up, felt like I had figured something out, why I wasn't feeling right about the recording sessions. Here's the thing -- I wasn't looking to express myself in any kind of new way. All my ways were intact and had been for years. There wasn't much chance in changing now. I didn't need to climb the next mountain. If anything, what I wanted to do was to secure the place where was at. I wasn't sure Lanois understood that. I guess I made it plain, couldn't put it in so many words.

翌日目を覚ますと、何かがわかったような気がした。どうしてレコーディングのセッションに違和感を感じるのか。こういうことだ。僕はどんな新しいやり方ででも、自分を表現したいとは思っていなかった。僕の表現方法はまったくそのままだったし、もう何年もの間そうだった。今はそれを変えるような機会ではない。次の山に登る必要なないのだ。もし望むことがあるとすれば、それは自分のいる場所を確かなものにすることだった。きっとラノワはそのことがわかっていなかった。きっと僕はそれをはっきりと言っていなかっただろうし、多くの言葉を遣って説明することもできなかった。
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ディランが片手を怪我する前に考え出したという、新しい演奏法の話などとは、矛盾するように思います。
この人は、新しくデビューした歌手になったつもりだったのではなかったかしら。
ディランはきっかけを見つけては、自分のやっていることを肯定しようとするようですね。

夜の間ずっと雨が降ったりやんだりしていました。
朝また降り出したので、宿を出るのは遅くなったそうです。

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The sky was dull gray. We climbed back on the blue Harley and rode down around Lake Verret, riding on high trails, cruising by twisted giant oaks, pecan trees -- vines and cypress stumps down in the swamps.

空はどんよりとした灰色だった。僕たちはまた青いハーレーに乗ってヴェレット湖の周囲を回って山道を上り、ねじれた大きな樫やペカンの木、それから蔓や糸杉の脇を走った。
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 →Lake Verret - Belle River

 →Group Tours Lake Verret on Spring Trip of Basin

前日の描写に比べると、なんだかじめっとしてますな。

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夜の闇 CHRONICLES #307

千本浜 2006年1月1日

結局夕方になって、ディラン夫妻はナポレオンヴィル(Napoleonville)の近くに泊まることにしました。
この地名がよくわからないのですが、ニューオーリンズからは120kmほど離れているようです。

東京からだと、ちょうどのんびり市へツーリングに行くぐらいの距離です。
以前は大晦日から元旦にかけての夜といえば東京から二輪の大集団が押し寄せたものですが、いまはひっそりとしたものです。

ディランは夜明け前に出発して、途中でのんびりと散歩をしたり、名物を食べようとしたりしてたどりついた感じ。
オートバイの二人乗りでは、夕方には疲れ果てていたことだと思います。

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It was a nice ride.
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バイクを降りての感想です。

二人は"bed-and-breakfast cottage"に泊まることにします。
リーダーズ英和では、"bed-and-breakfast"だけで「朝食付き宿泊所」なる訳語が書いてあり、「民宿あるいは比較的低価格のホテル」という説明があります。
まあ安ホテルなんでしょうが、ちゃんと台所も付いていたそうです。

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I laid down, listend to the crickets and wildlife out the window in the eerie blackness. I liked the night. Things grow at night. My imagination is available to me at night. All my preconceptions of things away. Sometimes you could be looking for heaven in the wrong places. Sometimes it could be under your feet. Or in your bed.

僕は横になって、窓の外の不気味な暗闇から聞こえてくるコオロギや野性動物の声に耳を澄ませた。夜が好ましかった。ものは夜に育つ。僕の想像力も夜になると使える。すべての偏見が消え去る。人は時に誤った場所に天国を探す。それは足の下にあることもある。ベッドの中にあることもある。
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ただいまp.202です。

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南へ北へ CHRONICLES #306

八幡町 2006年1月5日

食事の後、二人はまたハーレーに乗って南へ下り、ホーマの方へ向かいます。

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Houma
n. ホーマ, フーマ 《Louisiana 州南東部 New Orleans の西南西にある市, 3 万》
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On the west side of the road there's cattle grazing and egrets, herons with slender legs standing in the shallow bays -- pelicans, houseboats, roadside fishing -- oyster boats, small mud boats --steps that lead to small piers running out into the water.

道路の西側では牛が牧草を食べていた。浅い入り江にはほっそりとした脚のシラサギとアオサギがいた。ペリカン、屋形船、沿道での魚釣り。牡蛎漁の船、小さな沼沢地用ボート。水から突き出した、小さな棧橋に通じる階段。
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のどかな風景です。
写真のようにこの風景を覚えているのでしょうね。
精神的にきつい録音作業の合間、奥さんと二人で出かけたの本当に楽しかったようです。

さらに走る続けて運河を越えると、風景はあまり気持ちの良いものではなくなります。
オートバイにとっては非常に危険な砂利道に変わり、水が澱んで、湿った風がいやな臭いを運んできます。

向きを変えてまたティボドーに向かいますが、なんだかおもしろくなくなったディランは、妙なことを考えます。
今、正反対だったらどうだろう。
僕たちは、十分に着込まなければならないような、ユーコン地方を走ってるんだ。

ディランは「ごっこ」が大好きなようです。

 →ユーコン観光局

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幸福論 CHRONICLES #305

千本浜 2006年1月3日

ハーレーで聖パトリック通りを流すと、豪邸やプランテーション様式の邸宅がありました。
古い集会所の横には戦前の裁判所が建っていました。
樫の古木と荒れた小屋が並んでいました。
ディランの好きそうな風景です。

二人だけでこうしているのが、ディランはとても楽しかったそうです。
愛妻家なんですよね。

午後になっても走り続けていたのですが、喉が乾き、鼻の調子が悪くなってきました。
夜明け前から走っているのですから、それは疲れますわ。
お腹も空いたので、二人はチェスターズ・サイプレス・イン(Cehster's Cypress Inn)に入りました。
鶏と魚と蛙の脚のフライを出す店です。
ディランは注文が面倒になってしまい、奥さんに任せてしまいます。

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The one thing about her that I always loved was that she was never one of those people who thinks that someone else is the answer to their happiness. Me or anybody else. She's always had her own built-in happiness.

妻に関して僕がいつも大好きなところは、妻が決して自分の幸福に対して他の誰かがその答えになるような連中の一人ではないということだった。僕でも、他の誰でもない。妻はいつも自身に備わった自分の幸福を持っていた。
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なんだかわかりにくいのですね。
他人様に自分の幸福をゆだねるタイプの女性ではないということでしょう。
レストランで何を食べるか決めるぐらいで大仰な物言いですが、そういうことの積み重ねが幸福ですわな。

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Next thing I knew, fried catfish, okra and Mississippi mud pie came to the table.

次に気づいた時には、ナマズのフライと、オクラと、ミシシッピ・マッド・パイがテーブルに運ばれてきた。
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 →fried catfish

 →okra

 →Mississippi mud pie

ディラン自身は幸福の選択を妻に任せてしまったのですが、結局口にしたのは、オニオン・リングだけだったそうです。
なんだそりゃ。

 →onion rings

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糸杉のある風景 CHRONICLES #304

千本浜 2006年1月1日

二人はまたハーレーに少し乗って、今度は古い給水塔の近くに停車して、散歩します。
樹齢約700年の糸杉(cypress)がある道です。
この古木のために、道が小さく(dwarfed)見えます。

みずみずしいサトウキビ畑に囲まれた泥道、苔(こけ)が積み重なってできた壁が作る迷路。
ああ、町を離れたのだと、ディランは感じます。
ふと、南仏に逃れたゴッホを思い出しました。

 →糸杉のある風景

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On the bike again we cruised along Pecan Street, then over by St. Joseph's Church, which is modeled after one in Paris or Rome. Inside there's supposed to be the actual severed arm of an early Christian martyr.

再びバイクに乗ってペカン通りを流して、それから聖ジョージ教会のそばを通った。この教会はパリかローマの教会を模したものだ。その中には、昔のキリスト教殉教者の実際に切断された腕があるということになっている。
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通りにはやはり樹木の名が付いていますね。
ペカンはヒッコリーの一種だそうです。

 →ペカン

「聖ジョージ教会」は「聖ヨセフ教会」の方がいいのでしょうか。
殉教者の腕云々については調べてみたのですが、よくわかりません。

この通りにはニコルズ州立大学もあり、「貧者のハーバード(the poor man's Harvard)」と呼ばれているそうです。
あれ、ディランさん、綴りを間違えています。
本では"Nichols"になっていますが、検索してみると"Nicholls"のようです。

 →Nicholls State University

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柳よ泣いておくれ CHRONICLES #303

千本浜 2006年1月3日

ディランは創造力を維持するため、夜明けにハーレーでミシシッピ川を渡ります。
妻と二人乗りでした。

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Crossing into Thibodaux, we rode near Bayou Lafourche. It was a clammy day, light rain off and on and the clouds were breaking up, heat lightning low on the horizon.

ティボドーに入って、僕たちはバイユー・ラファシュの近くに行った。じっとりと湿気の多い日で小雨が降ったりやんだりしていたが、雲が切れて水平線の近くから熱い光が射していた。
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リーダーズ英和によれば「バイユー(bayou)」とは暖流河川、つまり米国南部の沼のような入り江で、流れの緩やかな澱んだ水域を指すそうです。
ミシシッピ州には「バイユー州(Bayou State)」の俗称もあります。

雲が切れて、その隙間から射し込む光は、千本浜でおなじみです。
何か神々しいものがありますね。

-----------------------------------------------
The town has got a lot of streets with tree names, Oak Street, Magnolia Street, Willow Street, Sycamore Street.

この町には、樹木の名前の付いた通りがたくさんあった。オーク通り、モクレン通り、柳通り、シカモア通り。
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「柳(willow)」はよく歌に出てきますね。
なんといっても「柳よ泣いておくれ(Willow Weep For Me)」を思い出します。
「泣き柳」と言うぐらいで、柳は失恋の象徴なんですね。

 →Willow Weep For Me

学生時代に早稲田鶴巻町に下宿していたことがありますが、少し歩くと牛込柳町というところがありました。
おお、今は都営地下鉄大江戸線の駅ができているのですね。
当時は日本で一番空気の汚れている交差点として有名でした。

他の木はリーダーズ英和の説明を引用しておきましょう。
シカモアは「b スズカケノキ」なんでしょうね。

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oak
1 【植】a オーク《ブナ科コナラ属のナラ類・カシ類のどんぐり (acorns) のなる木の総称; 材は堅く有用》.

magnolia
1a 【植】 モクレン属 (M-) の各種の花木《モクレン・コブシ・タイサンボク・ホオノキなど; 花は Louisiana, Mississippi の州花》

sycamore
【植】a エジプトイチジク, イチジクグワ, クワイチジク《アフリカ北東部から小アジアにかけて産し, 聖書にあらわれる (cf. Amos 7:14, Luke 19:4); 高さ 10-13 m, 幹の周囲 7 m に達する常緑樹で, よく道端に植えられる; 果実は普通のイチジクよりは劣る》.
b スズカケノキ (plane), 《特に》アメリカスズカケノキ《北米東部・中部産; 高さ 30-50 m に達する》.
c セイヨウカジカエデ, シカモア《欧州産; 庭園樹・街路樹》; シカモアの堅材《特に 弦楽器に用い, 高価》
-----------------------------------------------

西一番通り(West 1st Street)で二人はバイクを降りて、散歩をします。
不気味な湿地(eerie wetlands)の上に張り出した、板張りの道を歩きます。
遠くには草の茂った小さな島や、箱船(pontoon)が見えます。

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It was quiet. If you looked you could spot a snake on a tree branch.

静かだった。見てみれば、木の枝に蛇がいるのがわかったかもしれない。
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ただいまp.200です。

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窓を開けて CHRONICLES #302

千本浜 2006年1月1日

どこまで読んだかすっかり忘れてしまいました。
原著でp.199、"Oh Mercy"の録音中、妥協を許さないダニエル・ラノワと新しいものを創りだそうと苦労しているところでした。

この本が届いたのが2004年の10月下旬、人の名前がわからなくてメモを始めたのが2004年11月5日の日付です。
本を読むのはかなり速い方なので、300ページ足らずの本に一年以上かけるのは、初めてです。
何といっても何事も長続きしない方なので、こんなに続けているのも人生で初めてかもしれません。

2千円でこれだけ楽しませてくれるとは、ボブさん、ありがとう。

 →ブルーにこんがらがって

 →CHRONICLES #1 (Bob Dylan)

最初はタイトル付けてませんね。
ナンバー振っただけ。
なんだか味気ないので勝手な見出しを付け始めて、それからさらに勝手な読み方をするようになったのでした。

さて、本文に戻ります。
一行開けて、話が変わります。

ニューオーリンズに来て一ヶ月ほど過ぎたころ、ディランはとんでもない早起きをします。
夜明けまで2時間と書いてあるので、午前4時ごろでしょうか。
そして、奥さんを起こして、あのハーレーで出かけるのです。
タンデムですな。

夜明けにミシシッピ川を渡ります。
かっこよろしなぁ。
絵になります。
たぶんフルフェイスのヘルメットで顔隠れてるし。

 →Bridge City, Louisiana

そこから90号線でティボドーを目指します。

-------------------------------「リーダーズ英和」
Thibodaux
n. ティボドー 《Louisiana 州南東部 New Orleans の西南西にある Lafourche 川河畔の市, 1.4万》.
-----------------------------------------------

ティボドーに何か目的があったわけではありません。
"it was just a place to go"
ニューオーリーンズを離れなければならななかったのです。

-----------------------------------------------
If I wanted to keep awake for the rest of these sessions, I'd have to open a window and get a grip on something, and whatever it was I needed to be one hundred percent sure of it.

このセッションの残りの間ずっと目を覚ましていたかったら、窓を開けて何かを掴みとらなければならない。そしてそれが何であろうと、100%信じる必要があった。
-----------------------------------------------

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ともだち CHRONICLES #301

保線区 2005年12月29日


ラノワは"Everything is Broken"のテイクをあまり良いと思っていなかったようです。

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I knew what he was looking for. He was looking for songs that defined me as a person, but what I do in the studio doesn't define me as a person.

ラノワが何を探しているのかはわかった。僕をどんな人間か定義するような歌を探していたのだ。でも、僕がスタジオでやることは、自分がどんな人間か定義することではない。
-----------------------------------------------

後半が現在形で書いてあるのは、ディランが今でもスタジオでの活動を、自分を定義するようなことではないと考えているということですね。
ディランにとって、歌とは自分が生み出す表現です。
ラノワが探し求めているのは、ディランが苦労して捨てようとしていた虚像を作ることだったのもしれません。

二人は明らかに求めているものが違います。
演奏と録音の現場では、食い違いや衝突が数多くあったことでしょう。

-----------------------------------------------
He was helping me as a singer, though. As a singer, you could die without the right microphones and amps, and Lanois was doing his best to find the right combinations.

でも、彼は歌手としての僕を助けてくれいていた。もしもふさわしいマイクとアンプがなければ、歌手としては死んでしまうかもしれない。そしてラノワはそのふさわしい組み合わせを見つけるのに最善を尽くしてくれた。
-----------------------------------------------

ラノワ自身は納得できない方向へであっても、一所懸命職人に徹してくれたわけです。
ただ、ラノワの側も言いたいことを言っていたのでしょう。
ディランは一日の録音が終わると、心が冷えきってしまったそうです。

-----------------------------------------------
"Danny," I'd say sometimes. "Are we still friends?"

「ダニー」と、僕は時々言ったものだった。「まだ友達だよな?」
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人生に相渉る CHRONICLES #300

もう今年も残り少ないんですなあ。
まだまだ仕事です。
でも、途中で抜け出て餅つきをしたり、夕陽を撮ったり、休日みたいなこともやってました。
今日(昨日)は空気がきれいだったのか、夕陽が明るくて夕焼けは少しだけでした。

 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]
千本浜 2005年12月27日

改行して、"Everything is Broken"のことが書いてあります。

ラノワはこの曲を「使い捨て(throwaway)」のような小品だと考えていましたが、ディランはそう思っていませんでした。
録音によって証明するのだと、ディランはトレモロを多用して演奏します。
これしか方法がなかったのだと、御大もかたくなです。

バンド全員が集まって演奏したのですが、5,6人のメンバーが全員同時にいい感じになるのはほとんどないことなのだと、ちょっと泣き言も書いています。
ディランはテレキャスターです。
ラノワもギターを演奏しました。

-----------------------------------------------
Critics usually didn't like a song like this coming out of me because it didn't seem to be autobiographical. Maybe not, but the stuff I wirte does come from an autobiophical place.

僕が作るこういう歌を、自伝的ではないようだという理由で批評家たちは好まなかった。そうかもしれないが、僕の書く曲は本当に自伝的な場所から生まれるのだ。
-----------------------------------------------

まったく筋違いではありますが、北村透谷を思い出しました。
言葉遊びのように見える歌詞ですが、ディランの歌はすべてディランの「人生に相渉る」ものだということでしょうか。

 →青空文庫:北村透谷 人生に相渉るとは何の謂ぞ

ああ、以前にもそんなこと書いてましたね。

 →CHRONICLES #55 三分ポップス

 →bobdylan.com: Everything is Broken

 ♪ Broken cutters, broken saws,
 ♪ Broken buckles, broken laws,
 ♪ Broken bodies, broken bones,
 ♪ Broken voices on broken phones.
 ♪ Take a deep breath, feel like you're chokin',
 ♪ Everything is broken.

 ♪ Every time you leave and go off someplace
 ♪ Things fall to pieces in my face

 ♪ 折れたカッターナイフ、折れたのこぎり
 ♪ 壊れたバックル、破られた法律
 ♪ 壊れたからだ、折れた骨
 ♪ 壊れた電話から潰れた声
 ♪ 何もかもが壊れている

 ♪ あなたが立ち去ってどこかへ行くたびに
 ♪ いつでも何かがわたしの目の前でばらばらに壊れる

                    (中川五郎訳)

ただいまp.199です。

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夜空ノムコウ CHRONICLES #299

千本浜 2005年12月18日

ぼんやりと"Shooting Star"になるものが聞こえた話の続きです。

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The kind of song you hear when you're wide awake in your head and see and feel things, but all the rest of yours is asleep. I didn't want to forget this. Before I left town, I wanted to write it and record it. I thought it might be something Lanois was looking for.

頭ははっきりと覚醒していてものを見て感じることができるのに、それ以外のすべての部分が眠っている時に聞こえるような類いの歌。僕はこれを忘れたくなかった。町を出ていく前に、これを書いて録音したいと思った。これがラノワの探しているものかもしれないと思った。
-----------------------------------------------

ディランが曲を作ろうと思って作る、そんな曲とは成り立ちが違うようです。
風景に溶け込んで、感覚だけが働いている状態。
そこで聞こえた音楽です。

普通の人がぼぉっとしている時にも、頭にメロディが流れることがあるものです。
でも、それはどこかで聴いた曲が脳の古層から浮かび上がってくるだけなのでしょう。
天才ディランの場合は、感覚だけが研ぎ澄まされた状態で、夜空がそのまま歌になったのだと思います。

谷川雁さんが詩を「瞬間の王」と呼んでいたのは、まさにこのような瞬間なのかもしれません。
雁さんは「瞬間の王は死んだ」と書いて、詩人であることをやめました。
ディランも瞬間の王は死んだのではないかと思って、まるでつげ義春さんのマンガのように実業の世界に入ることを夢想したりしました。

 →瞬間の王 CHRONICLES #224

まったく死んでなどいなかったのです。
ディランは、歌わずにはいられない人でした。

さて、ラノワが探しているものは何だったのでしょうか。

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流れ星 CHRONICLES #298

八幡町 2005年12月21日

ディランはある時運河の見えるところまでバイクをとばして、船を眺めていました。
留まった船の上ではケイジャンバンドが演奏しています。

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Under the southernmost magnolia I started feeling something about a song called "Shooting Star," I hadn't written yet. I could vaguely hear it in my mind.

最南端で咲くモクレンの下で、僕は「流れ星(Shooting Star)」という名になる歌の、何かを感じ始めていた。まだ書いていなかった曲だ。心の中に、その歌がぼんやりと聞こえた。
-----------------------------------------------

なるほど、オートバイの話はここに繋がるんですね。
心憎い演出ですぞ。

 →bobdylan.com: Shooting Star

 ♪ Seen a shooting star tonight
 ♪ And I thought of you.
 ♪ You were trying to break into another world
 ♪ A world I never knew.
 ♪ I always kind of wondered
 ♪ If you ever made it through.
 ♪ Seen a shooting star tonight
 ♪ And I thought of you.

 ♪ 今夜流れ星を見たよ
 ♪ そしてきみのことを考えた
 ♪ きみは別の世界にむりやり押し入ろうとしていた
 ♪ ぼくの知らない世界に
 ♪ いつも気になってしょうがないんだ
 ♪ きみがちゃんと入れたのかどうか
 ♪ 今夜流れ星を見たよ
 ♪ そしてきみのことを考えた
              (中川五郎訳)

 →流れ星

「流星」というと、パッと頭に浮かぶ2曲があります。
どちらも私の好きな曲です。

 →吉田拓郎「流星」(1979年)

 →中島みゆき「流星」(1994年)

流れ星というのは、歌いたくなるものなんですね。
「流れ星」「作曲」なんぞで検索すると、いろいろな曲がヒットします。

 →ハックルベリーフィン「流れ星」(1972年)

 →松山千春「流れ星」(1983年)

 →松任谷由実「ホタルと流れ星」(1990年)

 →新井英一「流れ星」(1998年)

 →もずく「流れ星」(2001年)

ユーミンには「ジャコビニ彗星の日」という曲もありましたね。
『悲しいほどお天気』(1979年)に入ってました。

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地獄に落ちる大統領 CHRONICLES #297

千本浜 2005年12月18日

ハーレーの66年型ポリス・スペシャルを手に入れたディランは、もちろんニューオーリンズでそれに乗るのです。
スタジオでの休憩時間や、早朝。
嬉しそうに乗り回している様子が目に浮かびます。

ニュー・オーリンズはディランの好きそうな場所がいくつもあるのです。
アンドリュー・ジャクソンゆかりの古戦場にも立ち寄っています。

 →Wikipedia: アンドリュー・ジャクソン

20ドル札の大統領です。
米英戦争で活躍して英雄となったので、今でも人気があるのでしょう。
一万人のイギリス軍を、4千人ほどの軍勢でジャクソンは撃退したのだと、歴史好きのディランは書いています。

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Jackson said that he'd burn New Orleans to the ground before he'd surrender it. Jackson, Old Hickory, Master of Bloody Deeds -- tall and rawboned, blue eyes and bushy gray hair, cantankerous, a backwoodsman, opposed the Bank of the United States. At least he didn't drop bombs killing civilians and innocent children for the glory of his nations' honor. He wouldn't be going to hell for that.

英軍に降伏するぐらいならニューオーリンズを焼き払うとジャクソンは言った。「頑固おやじ」「暴虐の親玉」ジャクソンは、背が高くて骨ばった体つき、青い目にふさふさした灰色の頭髪で、つむじまがりの田舎者、合州国中央銀行に反対した。少なくとも彼は国家の栄光のために爆弾を落として市民や罪のない子供たちを殺すということはしなかった。だから地獄に落ちることはなかっただろう。
-----------------------------------------------

するってえと、現大統領は地獄に落ちるんでしょうな。

ただいまp.198です。

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母さんは28年型 CHRONICLES #296

千本浜 2005年12月18日

改行して話が変わります。
ラノワとそのスタッフは、皆ヴィンテージもののハーレーに乗っていたそうです。
それをスタジオにしている屋敷の中庭に停めていました。
ディランは66年にオートバイ事故で大変な目に遭ったはずですが、ずらりと並んだハーレーがうらやましくなってしまい、ラノワのスタッフに頼んで結局66年型のポリス・スペシャルを手に入れます。
かわいいですね。

 →THE HARLEY DABIDOSN STORY

のんびり市には、時々ハーレー・ダビッドソンの団体さんが出現します。
年齢は高いですね。
私も高校生の時、道交法改正前に自動二輪の免許を取っていれば、今頃はそのお仲間だったかもしれません。
でも、金もヒマもないぼんやりした高校生だったので、機を逃してそのまま来てしまいました。
サイドカーに奥さんらしき女性を乗せた年配の方など見かけると、いいなあと思います。
免許を取るのは今からでもかまわないのですが、そんな時間があったら楽器の練習をしたいなあと思います。

1977年から198代テレビドラマ『白バイ野郎ジョン&パンチ(CHiPS)』では、KAWASAKI Z1000POLICEが使われていたそうです。
CHPS(California Highway Patrol)がドラマでは"CHiPS"になっていたんですな。

 →CHiPS Online

「リーダーズ英和」を引くと、「vintage car」の場合は1917年から1930年に製造されたクラシックカーを指すそうです。
大恐慌前の「金ピカの20年代」に作られた車ですね。
そういえば小学生の時に『母さんは28年型』というテレビドラマを観ていました。
亡くなった母親がクラシックカーに憑依して息子のところに現われるというコメディです。

調べてみると原題は"My Mother The Car"のようですが、『母さんは28年型』って、良い邦題だなあと思います。
ポンコツに近いクラシックカーが、息子のピンチには老体に鞭打ってがんばってしまうんです。
口うるさい姑だったりするのもおかしかったです。
うちのおっ母さんと年式が近いな。

 →TVparty: MY MOTHER THE CAR

あ、全然進んでない。

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鐘を鳴らせ CHRONICLES #295

千本浜 2005年12月18日
 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]


「鐘を鳴らせ(Ring Them Bells)」という曲は、静かに心を打つ曲ですね。
ディランは小さな時から鐘の音が大好きでした。
『クロニクルズ』の最初の方に、レイとクローイの部屋からニューヨークの雪景色を眺める印象的な場面がありましたが、まるでこの曲の説明をしているかのようでした。

 →CHRONICLES #19

初めから名曲となる運命を持った曲のようです。
自分独りの弾き語りでも良かったのかもしれないと言いながらも、ラノワの手腕を高く評価しています。

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That aside, Lanois caputured the essence of it on this, put the magic into its heartbeat and pulse. We cut this exactly the way I found it...two or three takes with me on the puiano, Dan on guitar and Malcolm Burn on keyboards. He definitely caputured the moment.

それはそれとして、ラノワは今回は歌の本質をつかみとり、この曲の鼓動と脈拍に魔法を吹き込んだ。僕が歌を見つけた、まさにそのままを正確に録音した。僕がピアノ、ラノワがギター、マルコム・バーンがキーボードを演奏して、2,3回録音した。ダンはその瞬間を明確に捕らえた。
-----------------------------------------------

ダニエル・ラノワのおかげで、この曲は最初から最後まで力を持つことができたと書いています。
今回聴きなおしてみて、ディランもすごい声で歌っているなあと思いました。
意識してあの声にしたのでしょう。

 →bobdylan.com: Ring Them Bells

妙な話ですが、この曲を聴くと、先代の飼い猫を思い出します。
水に濡れるのが嫌いなくせに、洗面所の蛇口からぽたりぽたりと落ちてくる水滴に頭を打たせるのが好きだったのです。
目を瞑って、まるで何かを考えているかのように、じっと水滴を狭い額で受け止めているのです。
少年時代のディランも、じっと鐘の音に耳を澄ませていたことでしょう。

ただいまp.197です。

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善と悪の間 CHRONICLES #294

千本浜 2005年12月16日
 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]


テネシー・ウィリアムズ文学祭を覗こうと出かけた夜、ディランは"Ring Them Bells"を録音しました。
ディランは、歌詞の一節に不満を持っていたそうです。

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There was one line in the song that I was trying to fix, but never did...the last line..."breaking down the distance between right and wrong." Right or wrong, like it fits in the Wanda Jackson song, or right from wrong, like Billy Tate song, that makes sense, but not right and wrong. The concept didn't exist in my subconscious mind.

この歌には僕が直そうと思っていた行があったのだが、結局直さなかった。最後の行、「善と悪の間の隔たりを壊して」というところだ。「善と悪の」ではなくて、ワンダ・ジャクソンの歌にあるように「善か悪か」や、ビリー・テイトの歌のように「善から悪の」なら意味をなしてぴったりくる。僕の潜在意識にそんな概念は存在しなかった。
-----------------------------------------------

いい曲だなあといつも何気なく聴いていたのですが、ディランは「善と悪」と並列することに違和感を抱いていたのですね。

善や悪が相対的概念であると、ディランはずっと感じてきたのだそうです。
法律的な善悪と、倫理的な善悪は必ずしも一致しません。
善人も悪いことをするかもしれないし、悪人が善行を施すこともあるでしょう。

絶対神を自ら選んだディランなのに、不思議な迷いだなと思います。
それでは「from」や「or」に変えればよさそうなものですが、結局「and」のままにしてしまいました。
これは詞の音の問題でしょうか。

 →Wanda Jackson: Right Or Wrong

ビリー・テイトの"Right From Wrong"も歌のタイトルとしていくつかヒットするのですが、歌詞は見つかりませんでした。
ディランの"Ring Them Bells"の最後の一連を引用しておきましょう。

 ♪ Ring them bells St. Catherine
 ♪ From the top of the room,
 ♪ Ring them from the fortress
 ♪ For the lilies that bloom.
 ♪ Oh the lines are long
 ♪ And the fighting is strong
 ♪ And they're breaking down the distance
 ♪ Between right and wrong.

 ♪ 鐘を鳴らせ、聖なるカテリナ
 ♪ 部屋のてっぺんから
 ♪ 要塞から鳴らせ
 ♪ 咲き誇る百合のために
 ♪ ああ、戦線はどこまでも長く続き
 ♪ 戦いは熾烈を極め
 ♪ 彼らは隔たりを壊し去っている
 ♪ 正と邪との
             (中川五郎訳)

 →bobdylan.com: Ring Them Bells

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焼けたトタン屋根の猫 CHRONICLES #293

千本浜 2005年12月1日


改行してページが変わり、話も変わります。

ディランはテネシー・ウィリアムズ文学祭が行なわれていることを知り、出かけることにします。
検索してみたら、毎年3月に彼の劇が上演されるのだそうです。
ディランの場合は、テネシー・ウィリアムズの戯曲に関して意外な真実がわかるかもしれないと、講演会に出かけました。

 →バーボン・ストリートの長い夜

 →Wikipedia: テネシー・ウィリアムズ

 →松岡正剛の千夜千冊『回想録』

 →Tennessee Willams

ディランが「トム」と書いているのでハテナと思ったのですが、「Thomas Lanier Williams」だからトムなんですね。

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I'd met Williams once in the early '60s, and he he looked like the genius that he was.

僕は60年代初めに一度だけウィリアムズに会ったことがあるのだが、まさに天才というように見えた。
-----------------------------------------------

あの懐かしい60年代冒頭の青年ディランがテネシー・ウィリアムズに会って、圧倒されていたのですね。
今回は、出かけていくともう講演会が終わるところだったので、ディランはそのまま引き返します。

-----------------------------------------------
Light rain was falling. Rats scurried across the telephone poles.

小雨が降っていた。ドブネズミが電話線の電柱をちょろちょろ上っていった。
-----------------------------------------------

印象的な風景です。
その夜遅く、ディランたちは"Ring Them Bells"の録音を始めました。

 →bobdylan.com: Ring Them Bells

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わたしにどんないいところがある CHRONICLES #292

八幡町 2005年12月13日

"What Good Am I"に取り掛かります。
ディランはまだメロディを探していました。
いいところまで来ているのだけど、あと一歩だとディランは感じています。
でも、へとへとに疲れていたので、ラノワが良いと思うメロディを採用することにします。
ディランの好みとしては、リズムが遅すぎるように感じていたそうです。

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Danny used layered rhythms to create a mood fot this song. I liked the words, but the melody wasn't quite special enough -- didn't have any emotional impact. Setting aside our personal differences, we worked on this song for a while and completed it.

ダニーはこの歌の雰囲気を創り出すために、多層のリズムを使った。僕はこの歌詞が気に入っていたが、メロディは特にどうとも思わなかった。感情に訴えるような衝撃がまったくなかったから。とりあえず僕たちの個人的な相違点は無視して、この歌にしばらくの間取り組んで、そして完成させた。
-----------------------------------------------

 →bobdylan.com: What Good Am I

この曲はラノワにお任せで仕上げてしまったようですね。
語りかけるようなディランの歌がいいと思うのですが、御本人はイマイチなのかしら。

前回は採用しなかった部分の拙訳を掲載しましたが、この"good"がどのようにも訳せるようなので困りました。
今回は中川五郎さんの訳を一部引用しておきましょう。

 ♪ What good am I if I'm like all the rest,
 ♪ If I just turned away, when I see how you're dressed,
 ♪ If I shut myself off so I can't hear you cry,
 ♪ What good am I?

 ♪ わたしにどんないいところがある、ほかのみんなと同じだとしたら
 ♪ あなたのいでたちを見る時、顔をそむけていたとしたら
 ♪ 自分の中に閉じこもってしまったとしたら、あなたの泣き声も聞こえはしない
 ♪ わたしにどんないいところがあるだろうか?
                     (中川五郎訳)

なるほど。
まったく世界が違いますね。

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歌の力 CHRONICLES #291

千本浜 2005年12月10日

二人の間で解決しなければならない問題を抱えているとはいえ、ラノワは非常に有能なプロデューサーであり、才能あるミュージシャンでした。

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One thing about Lanois that I liked is that he didn't want to float on the surface. He didn't even want to swim. He wanted to jump in and go deep. He wanted to marry a mermaid. All that was fine to me.

ラノワについて僕が気に入っていたのは、彼が水面を漂うことを好まなかったということだ。彼は泳ぐことさえ好まなかった。跳び込んで、深く潜りたがった。人魚と結婚することを望んだ。僕にとって、まったく良いことだった。
-------------------------------------------------------

これはちょっとわかりにくい比喩ですね。
ディランにとっては自然な喩えなのでしょう。
うわっつらをなめるだけみたいなことを嫌ったと言いたいのでしょう。
本質に向かって突き進もうとする。
頑固そうです。

しかし、人魚なあ。
あれは上半身が魚だったら、えらく気持ち悪い生き物ではあるまいか。

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Off and on during the time we were cutting "Series of Dreams," he'd say to me something like. "We need something like 'Masters of War,' 'Girl from the North Country,' or 'With God on Our Side.'"

『シリーズ・オブ・ドリームズ』を編集している間に、彼はよくこんなことを僕に言った。「『戦争の親玉』や『北国の少女』や『神が味方』みたいな曲が必要なんだ。」
-------------------------------------------------------

ブリッジとメインを入れ替えようとした曲が"Series of Dreams"でした。
結局この曲はアルバム"Oh Mercy"(1989)に入らず、ずっと後になって"Bob Dylan's Greatest Hits, Vol. 3"(1994)に収められたのです。

 →恋わずらいのブルース CHRONICLES #289

ラノワが挙げた3曲は、昔のディランの有名曲です。
力を持った歌、水底深くにある真実を撃った曲なのでしょう。

 →CHRONICLES #15 (Bob Dylan)

おお、懐かしいですね。
もう一年以上前に、「戦争の親玉」について触れていました。
「コロラド州の高校で、「戦争の親玉」を歌った高校生がシークレットサービスに捜査された」って、すごい。

 →北国の少女 CHRONICLES #163

 →北国の少女/スカボロー・フェア

 →神が味方 CHRONICLES #255

ラノワのぼやきは、かなりこたえたようです。
ディランもぼやいてます。
そりゃ俺だってそんな歌がありゃいいと思ってたさ。
でも、なかったんだよ。
って。

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トーキング・ヘッズ CHRONICLES #290

千本浜 2005年12月9日
 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]


ディランはラノワが歌の本質を見失うようなことがあった例を挙げていますが、その後にはラノワを高く評価する記述が続きます。

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Lanois was a Yankee man, came from north of Tronto -- snowshoe country, abstract thinking. Northerners think abstract.

ラノワはトロントの北の出身、かんじきと抽象的思考の北部人だった。北の国の人は抽象的にものを考える。
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え?
そうなんですか?
ディランの説では、北部人は寒い時もまた暖かくなるのがわかっているので、余計な心配をしないのだそうです。
それで、即物的にはものを考えない。

逆に、暑いところでは天気がいつも同じなので、何も変化を期待することがないというのです。
う?ん、かなりあやしい説です。
暖かいのんびり市にもささやかな四季があります。
私は抽象的思考をするのでしょうか、変化を望まない現状べったり思考なんでしょうか。

ま、要するにラノワは抽象的思考をする人物であり、ディランもそうだと言っているのです。

-------------------------------------------------------
He's got got ideas about overdubbing and tape manipulation theories that he's developed with the English producer Brian Eno on how to make a record, and he's got strong convictions.

彼はレコードをどのように制作するかということに関しては、イギリスのプロデューサー、ブライアン・イーノと共に多重録音とテープ操作に関する考え方をつくりあげており、そしてそれに強い確信を抱いていた。
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おお、ブライアン・イーノ。
ぱっと頭に浮かぶのは、トーキング・ヘッズの1980年のアルバムです。
70年代が終わって、新しい時代が始まるという感じがしました。

 →Talking Heads - Remain In Light

ところで私は知らなかったのですが、Windows95の起動音はイーノが作ったんですね。

 →ブライアン・イーノ / BRION ENO

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But I'm pretty independent, too, and I don't like to be told to do something if I don't understand it. This was the problem we were going to have to work through.

しかし、僕もかなり独立心の強い人間だので、理解していないことをやれと言われるのはいやだった。これは僕たちが解決しなければならない問題だった。
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これは実にうなずける話、いかにもぶつかりそうな二人です。

ただいまp.195です。

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恋わずらいのブルース CHRONICLES #289

八幡町 2005年12月8日

アントワーヌで海亀のスープを飲んで、ディランは一人でスタジオに向かいます。

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It had been raining off and on for the past three or four days, and now it was raining again. Danny had positioned everything just recut "Where Teardrops fall."

この三日間から四日間ずっと雨が降ったりやんだりしていたのだが、今はまた雨が降っていた。ダニーは「涙こぼれるところへ」を編集する手はずをすべて整えていた。
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改行して始まったところなんですが、こんな何気ない文章でも、実にうまいなあと思います。
この後も何か「縁語」のような表現がひょいと出てきたりするのです。

"Where Teardrops fall"の録音は、実に印象的な描写でした。

 →涙がこぼれるところへ CHRONICLES #283

結局、音楽的には良いと思える録音をしても、あの時の一発録りを凌ぐテイクはないのだという結論になります。
「神の顔」を見たと思ったんですから、それを超えることはできませんね。

 →神の顔 CHRONICLES #284


音楽というのは、ある規範に合わせて演奏して、「はい、よくできました」というものではないのです。
「それは確かにある種畏敬の念を起こさせるようなものがあった」とディランは書いています。

ラノワは曲を完成させるために、技術を重視していました。
様々な手法を用いて、奮闘します。
ディランはそんなラノワの意図を理解しながらも、それで本質的なものを見失うことがあると感じていたようです。
その例として、"Series of Dreams"を録音した時のことを書いています。

 →bobdylan.com: Series of Dreams

ラノワはこの曲のブリッジの部分が気に入ったので、全体をそれに合わせてまとめようとしました。
それでディランも、ブリッジとメインを入れ替えようと考えました。
ハンク・ウィリアムズが"Lovesick Blues"で用いた手法だそうです。
でも、結局そんな技法はつまらないものだとディランは考えます。

ブリッジというのは「リーダーズ英和」によれば「32小節からなるコーラスで, 他と対照的な3番目の8小節」です。
雰囲気を変える部分ですね。
それは、本来歌いたかったところではないのです。

 →midi: Lovesick Blues

 →Lyrics: Lovesick Blues

ただいまp.194です。

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アントワーヌで晩餐を CHRONICLES #288

白銀町 2005年12月7日

二行空けて話が変わります。

ディランの家族が、
有名なアントワーヌで食事がしたいと言って、ニューオーリンズにやって来ます。
高級レストランなんですね。
私はまったく知りません。

こちらがオフィシャルサイト。

 →Antonie's Restaurant Since 1840

おお、結婚式なんぞもやるんですな。
『アントワーヌで晩餐を(Dinner at Antoine's)』という本があるそうでして、そのタイトルからさらに『ブレナンで朝食を(Breakfast at Brennan's)』という宣伝文句まで生まれたんだそうです。
パクリですが、こちらのキャッチコピーの方が優れているように思います。

トルーマン・カポーティの、というよりオードリー・ヘップバーン主演の『ティファニーで朝食を(Breakfast at Tiffany's)』は、さらにこのパロディなんでしょうか。
これは原作派と映画派にはっきりファンが分かれるようですね。

さて、良きパパであるディランは、もちろん家族をアントワーヌに連れて行きます。
行きたくなかったそうですが。

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We had dinner in the backroom and I sat under a portrait of Princess Margaret in the same chair that supposedly Franklin Delano Roosevelt sat in.

僕たちは奥の部屋で晩餐をとったのだが、僕はマーガレット王女の肖像画の下、たぶんフランクリン・デラノ・ルーズベルトが座ったのと同じ椅子に座った。
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アメリカ合州国は建国してたかが230年ぐらいしか経っていないので、実に由緒あるレストランということなのでしょう。

マーガレット王女というのは、英国エリザベス女王(Queen Elizabeth II)の妹さんのことでしょうか。
2002年に脳卒中で亡くなったそうです。
1969年に来日しているようですが、これはまったく記憶にありません。

フランクリン・デラノ・ルーズベルトというのは、もちろん世界恐慌から第二次世界大戦という激動の時代に合州国大統領だった、あの人です。

 →Wikipedia: フランクリン・デラノ・ルーズベルト

さて、パパ・ディランはまだラノワのところで仕事があるので、タートルスープを頼んだだけなんだそうです。
タートルスープというのは食べたことがありませんが、「turtle」だから海亀ですね。
背甲と腹甲が主食材なんだそうで、これは意外です。
なんとなくスッポンのコンソメを想像していたのです。

ディランは一人だけ先に店を出ます。
外は雷雨だったけれど、直接店を見ることができて嬉しかったと書いています。

ただいまp.193です。

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ジュニア・パーカー CHRONICLES #287

千本浜 2005年11月23日


ディランはアイスクリーム・パーラーを出て帰途につきます。

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A wet wind hit me in the face. Moonlight illuminated the glistening leaves and my footsteps disturbed a courtyard of cats. A dog snarled menacingly from behind a wrought-iron fence. A black sedan wont by, a couple of winos in it -- windows colled down, Paula Abdul song blasting out of the speakers.

湿った風が顔に当たった。月の光に照らされて木の葉がキラキラと輝き、僕の足音に中庭の猫たちが動揺した。鉄製の柵の向こうで、犬が威嚇をするようにうなった。アル中を二人乗せた黒いセダンが通り過ぎた。窓が下まで開けてあったので、ポーラ・ダブドゥルの歌がスピーカーから鳴り響いた。
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ディランがぶらぶらと歩く時の情景描写はいいですね。
本当にその映像と音を記憶しているのでしょう。

ポーラ・ダブドゥルの歌は80年代末から90年代初めにかけてヒットチャートを賑わしていたようなので、車から聞こえてきたのはラジオだったんでしょうね。
今この名前を見かけることはあまりありませんな。
googleで検索したら、日本語のサイトではこれが一番新しいニュースのようです。

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2004-05-21
Paula Abdulネイルサロンを訴える

Paula Abdulが、ネイルサロンを訴えている。彼女が、サロンで塗ってもらったマニキュアが原因で、感染症を起こし、親指のつめを外科手術で取り除くという事態に陥ったのが、原因。
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公式サイトはこちら。

 →Paula Abdul Online

ディランは仮住まいに戻ると、ラジオでお気に入りのDJブラウン・シュガーの声を聴きます。
番組では、リトル・ジュニア・パーカー(Little Junior Parker)の「デインジャラス・ウーマン(Dangerous Woman)」がかかりました。

 →Junior Parker 解説

なるほど。
ディランの好きそうなものが流れますね。

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ピンボールの魔術師 CHRONICLES #286

千本浜 2005年12月1日

ディランはアイスクリーム・パーラーで、地元の音楽紙を拾い読みしたそうです。
「クラッシュ(The Clash)のミック・ジョーンズ(Mick Jones)が肺炎から回復」
ああ、彼にギターを弾いてもらえばよかった。
ディランは妙な想像をしています。

 →Wikipedia: クラッシュ

 →The Essential CLASH

「マリアンヌ・フェイスフル(Marianne Faithfull)が新しいレコードを録音中」

彼女は薬物依存症の治療を受けていたんですね。
もうい長いこと会ってないなあとディランは知り合いの近況を知るわけです。

 →Wikipedia: Marianne Faithfull

 →ANTI-Artist: Marianne Faithfull

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Elton John was auctioning off all his furniture and costumes. In the pages was a photo of his pinball machine. It looked fantastic and I wished I was bidding on it.

エルトン・ジョンが家具と衣装をすべてオークションに出していた。ページにはピンボール・マシンの写真もあった。それはすごいもののようなので、できれば僕も入札したいものだと思った。
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おお!
ピンボールの魔術師(Pinball Wizard)!
ご存知ない方に申し上げておきますと、エルトン・ジョンは映画『トミー』でそういう役を演ったんです。
なんといってもケン・ラッセルなんで、ばかばかしくもおもしろい映画でした。

 →映画版「トミー」について

ここに怪演エルトンの写真があります。
竹馬に乗ってましたっけ?

 →ALTVENRY'S WHO PAGES

ピンボールは、できたら私も一台欲しいなあと思います。

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アイスクリーム CHRONICLES #285

昼ごろは晴れていたのだが、午後にどんどん雲が出て、暗い夕方になってしまった。
風も出てきて、波が高いのだ。

 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]
千本浜 2005年12月2日


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The next night, we began listening to all the different takes of "Digniity." Lanois had kept them all. There must have been more than twenty. Whatever promise Dan had seen in the song was beaten into a bloody mess. Where we had started from, we'd never gotten back to, a fishing expedition gone nowhere. In no take did we ever turn back the clock. We just keep winding it. Every take another ball of confusion. Takes that could almost make you question your own existence.

その次の日の夜に、僕たちは「ディグニティ」のテイクをすべて聴き始めた。ラノワがすべてとっておいたのだ。二十以上あったに違いない。ダンの目に見えたはずのものは、打ち負かされ、すべて血まみれの混乱となっていた。僕たちは出発したところには二度と戻らず、魚釣りの探険はどこにもたどりつけなかった。どのテイクでも、僕たちはけっして時計を戻さなかった。ただ時計を進め続けた。どのテイクも、違った混乱の塊だった。自分の存在に疑問を投げかけたくなるようなテイクだ。
-------------------------------------------------------

一晩の作業が、まさに徒労に終わったのです。
延々と、魅力の感じられないテイクをディランたちは聴き続けます。
すると、あの"Where Teardrops Fall"が再生されました。

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It was just a three-minute ballad, but it made you stand straight up and stay right where you were. It's like someone had pulled the cord to stop the train.

それはわずか三分のバラッドにすぎなかったが、聴くと背筋が伸び、そこにしっかりと立っていたくなった。まるで誰かがコードを引っ張って、列車を止めたみたいだった。
-------------------------------------------------------

これで"Dignity"はアルバムから消えることになり、そして代わりに"Where Teardrops Fall"が収まることになりそうでした。
ラノワはもこの曲が気に入りました。
でも、まだ完璧ではないので、また録音しなおすつもりだと言います。
ディランは、確かにそうだねと言って、スタジオを出ました。
独りになりたくて、アイスクリーム屋さんに行くのです。

ただいまp.192です。

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神の顔 CHRONICLES #284

かなり曇っていたのだが、時間ができたので浜に行ってみた。
堤防の上で、団体さんが撮影している。
みんなかなり長い玉を付けているのだろう、しっかりと三脚を立てている。
人数が多いので壮観だ。

彼らの熱心さが通じたのか、日没時には太陽が少しだけ顔を出してくれた。
 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]

千本浜 2005年12月1日


"Where Teardrops Fall"のサックス演奏でディランが息をのんだのは、そこにゲイリー・デイビスの幻を見たからです。

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I leaned over and caught a glimpse of the musician's face. He'd been sitting there the whole night in the dark and I hadn't noticed him. The man was the spitting image of Blind Gary Davis, the singing reverend that I'd known and followed around years earlier.

僕は体を傾けてそのミュージシャンの顔を見た。彼は一晩中ずっと暗闇の中にいたのだが、僕は気づいていなかった。その男は、ブラインド・ゲイリー・デイビスに生き写しだった。何年も以前に知ってからずっと尊敬してきた、歌う牧師だ。
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 →My Fevorite Old Bluesman & His History: Blind Gary Davis

 →Reverend Gary Davis Home Page

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All of a sudden I know that I'm in the right place doing the right thing at the right time and Lanois is the right cat. Felt like I had turned a corner and was seeing the sight of god's face.

突然、僕は自分が正しい時に正しいことをして正しい場所にいるのだということ、そしてラノワもふさわしいやつなのだと気づいた。角を曲がって、神の顔が見えたようだった。
-------------------------------------------------------

ディランは少なくとも十年に一度ぐらいは、天啓を受けるようですね。
私などはこれだけ"right"が続くと、ちょっと鼻白んでしまいます。
ふと、早川義夫さんの歌を思い出しました。

 ♪ いけないひとと
 ♪ いけないことを
 ♪ いけない場所で
 ♪ するのが恋

ただいまp.191です。

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涙がこぼれるところへ CHRONICLES #283

千本浜 11月30日

リラックスするためにディランが歌う「ジャンバラヤ」、これは聴いてみたいものです。
だいたい私はディランのそんな歌が好きなんです。

1973年に契約切り換えのどさくさ紛れに出た"DYLAN"というアルバムが、そんな感じ。
「好きにならずにいられない(Can't Help Falling in Love)」や「ミスター・ボージャングル(Mr. Bojangles)」はMDの「My Best Dylans」にも入れましたっけ。
今は出てないアルバムですどね。

 →bobdylan.com: DYLAN

 →My Best Dylans #2

レコーディングでの煮詰まった感じは、ビートルズの映画『レット・イット・ビー』を観た時にそんなものなのかなあと思いました。
まだ中学生だった私は友人たちと、『ウッドストック』『レット・イット・ビー』の2本立てを観に行ったのです。

先に『ウッドストック』の映像に集中してしまったので、『レット・イット・ビー』のスタジオでの微妙な雰囲気に、うつらうつらしてしまいました。
後でテレビ放映された時は、前編おもしろく観ることができたんですがね。

さて、『クロニクルズ』に戻りましょうか。
午前3時の特設スタジオです。

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Two of Dan's engineer had been changing shifts since the beginning, and it had been hot and sweaty all night. I was wearing a blue flannel shirt and it was soaked through. Sweat was pouring off my face.

ダンの二人のエンジニアは初めから交替で仕事をしていた。一晩中暑くて汗ばんでいた。僕はフラノのシャツを着ていたのだが、びしょびしょに濡れていた。顔を汗が流れていた。
-------------------------------------------------------

フラノのシャツは以前どこかに出てきました。
検索してみたら、カミーラのパーティに出かけた時のディランが着ていました。

 →CHRONICLES #70 カミーラのパーティ

もう一箇所、朝飯を作ってくれたクローイが「赤いフラノのシャツの上に日本の着物を羽織って」いました。

 →まるで正直者のように CHRONICLES #137

きっとディランはフランネルのシャツが好きなんでしょう。
この時のシャツの色や柄はどうだったんでしょうね。

こんな状態の中で、ディランは別の新曲を弾き語りしてみました。
そして手早くドプシーに教えて、レコーディングにかかります。
5分ほどして、一発録りです。
プロですね。

その曲が"Where Teardrops Fall"でした。
アルバム"Oh Mercy"では、2曲目に入っています。

 →bobdylan.com: Where Teardrops Fall

 ♪ Roses are red, violets are blue
 ♪ And time is beginning to crawl,
 ♪ I just might have to come see you
 ♪ Where teardrops fall.

 ♪ 薔薇は赤く、スミレは青い
 ♪ そして時が這い始める、
 ♪ 僕は君に会いに行かなければならなかったのかもしれない
 ♪ 涙がこぼれるところへ
               (幻泉館主人訳)

胸に染みる歌詞です。
この後に、サックスの演奏が入ります。

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In the finale of the song, Dopsie's saxophone player, John Hart, played a sobbing solo that nearly took my breath away.

歌のフィナーレに、ドプシーのバンドのサックス奏者ジョン・ハートがすすり泣くようなソロを演奏したので、僕は息が止まりそうになった。
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ディランの描写がこのあたりは実にうまい運びになっているのですが、今夜はこの辺で。

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ジャンバラヤ CHRONICLES #282

【追記】

リンクを追加します。

 →The Kolis Inn: ジャンバラヤ

 →なつメロ英語:ジャンバラヤ


千本浜 2005年11月29日
 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]


ディランはロッキン・ドプシー&ヒズ・ケイジャン・バンドと共に"Dignity"を録音しているのですが、しっくりこないまま演奏を繰り返し、どんどん消耗していきました。
もう深夜です。

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At abut three in the morning we had played ourselves out and just started playing any old stuff: "Jambalaya," "Cheating heart," "There Stands the Glass" -- couitry classics. Just fooling around, playing like we were on a party boat.
-------------------------------------------------------

おなじみリーダーズ英和辞典を引くと、"party boat"というのは「相乗り釣船」のことなんだそうです。
これはちょっと雰囲気がわからないなあ。

「ジャンバラヤ」は好きな人が多いですね。
あのハンク・ウィリアムズ。
私の場合はもちろんカーペンターズの大ヒットで、初めて聴いたのです。
MIDIファイルがいくつも見つかります。

 →"Jambalaya"

 →Jambalaya(On The Bayou)

 →Jambalaya ジャンバラヤ

料理法も国内サイトでいくつも見つかります。
ケイジャン料理で、ニューオーリンズ風パエリヤといった解説があります。
私は冷凍食品で食べたこともあります。

 →Let's Cook Some Southern Food Vol.4 "Jambalaya" and "Dirty Rice"

"Cheatin' Heart"という曲がわからないのですが、これは"Your Cheatin' Heart"のことでしょうか。
それならやっぱりハンク・ウィリアムズの曲ですね。

 →Ron's Hank Williams, Sr. Web Site: SOUNDS

 →Your Cheatin' Heart

アマゾンでも試聴できます。
"Your Chatin' Heart"というタイトルのベスト盤があって、"Jambalaya"も入っています。
楽天広場ではリンクが張れませんな。

お、TAB譜とMIDIファイルの置いてあるサイトがありました。
"There Stands the Glass"はここにあります。

 →Fingerstyle Arrangements

"There Stands the Glass"は、あの"No Direction Home"にも入っているようですな。
DVD持ってるんですけど、リージョンがアレなんで、まだ観てないんですわ。
ディランが歌っているのではなくて、ウェブ・ピアス(Webb Pierce)です。
あら、NHKのサイトで予告編が観れるじゃない。

 →ボブ・ディラン:No Direction Home 楽曲リスト

こういう曲は、ディランがくつろげる曲なんでしょう。
わかる気がします。

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どこまで続くぬかるみぞ CHRONICLES #281

千本浜 2005年11月25日

ディランはロバーツと一緒に、ラノワのスタジオに行きます。
もちろんそこにはロッキン・ドプシー&ヒズ・ケイジャン・バンドが待っていました。

 →ザディコの王 CHRONICLES #275

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Onece we started trying to capture it, the song seemed to get caught in a stranglehold. All the chugging rhythms began imprisoning the lyrics. This style seemed to be oblivious to their existence.

その歌を捕まえようとし始めると、喉輪をかけられたようになってしまった。エンジンがバタバタいうようなリズムが、歌詞を閉じ込め始めたのだ。この演奏スタイルは、歌詞の存在を忘れているようだった。
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明らかに失敗でした。
どうしてそうなるのか、ラノワとディランは困惑して、録音を繰り返します。
でも、どんどんエネルギーが失われていくようです。

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The demo with just me and Willie and Brian had sounded effortless and it flowed smooth. Ceratinly, as Danny said, it didn't sound finished, but what recording ever does?

僕とウィリーとブライアンだけで録音したデモは、気楽な音でなめらかに流れていた。ダニーが言うように確かにそれは仕上がってはいなかった。でも、仕上がったレコーディングなんてあるのだろうか?
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もちろんロッキン・ドプシーもそのように感じていました。
でも、落ち着いて演奏を続けていきます。

何時間もこんなことを繰り返して、判断力も鈍ってきました。
もう深夜です。

p.190に入りました。

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ジェシー・ジェームズ CHRONICLES #280

千本浜 2005年11月25日
 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]


2行空けて話が変わります。

ニュー・オーリンズにエリオット・ロバーツがやってきました。
覚えてませんよね、この名前。
春になったらということで、ディランがツアーを組むように依頼した人物です。

 →三年たったら CHRONICLES #209

その時ディランは妙なことを考えつきました。
年間200回のコンサートを、3年間にわたって繰り返すというものです。
同じ場所へ3回いけば、新しいファンができるはずだと。

ロバーツは、その最も肝心なところを無視しました。

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"You can't play the same town every year, nobody's gonna get an erection over that. You gotta leave towns alone. Leave 'em be for a while," he said.

「毎年同じ町で演奏はできません。それでは誰も立ちゃしませんよ。そういう町は放っておくんです。しばらくそのままにしておきなさい」と、彼は言った。
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ディランはまったく新しくやり直すつもりでいたので、話が合いません。
ここでロバーツはジェシー・ジェームズを引き合いに出します。
当時銀行強盗はたくさんいたのに、みんなが覚えているのはジェシー・ジェームズの名前だけです。
ジェシー・ジェームズは神話的人物(mythological)でした。
同じ銀行を襲うことはありません。
毎年同じ町で演奏することもありません。
無茶苦茶な話ですが、ディランが神話的人物であることは確かに本当です。

ここで「ジェシー・ジェームズ」の復習をしておきましょう。

 →大衆ヒーローのアウトロー ジェシー・ジェームス

 →Jesse James

 →CHRONICLES #51 幻の「ジョー・ヒル」

ただいまp.189です。

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ガラスのジェネレーション CHRONICLES #279

千本浜 2005年11月22日
 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]


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There'd been a station like that also broadcast into my hometown. In a weird sense, I felt like I was starting over, beginning to live my life again.

僕の故郷の町にも、似たような局が入ってきていた。僕は最初からやり直して、また自分の人生を始めるような、不思議な感じがした。
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この感じはとてもよくわかります。
三十年ぶりに聴く曲、それと同じ頃に聴いた曲の数々。
どうしたって、そのころの自分に戻ったような気になります。

私が70年代のアルバムを集めたのも、ちょうど三十年後のことでした。
ラジオで聴いたけれど、LPを買うことはできなかったアルバムを、復刻CDで買ったのです。
URCとベルウッドのアルバムが多かったですね。

復刻されないものは中古LPを買って、自分で手製復刻CD-Rを作りました。
何かに憑かれたかのように、そんな作業を深夜に繰り返していました。
私は何をしていたのでしょう。

ディランが聴いたニューオーリンズのFM局は、あとはジャズの専門局でした。
それはもっと新しいものを流していたそうです。

 →Stanley Clark

 →Bobby Hutcherson

 →Charles Earland

 →Patti Austin

 →David Benoit

さすがに50年代のカントリーより、こちらの方がおなじみです。

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ラジオのように CHRONICLES #278

IP屋上駐車場 2005年11月23日
 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]

WWOZは、ディランが1950年代に故郷で聴いていたのと似たような曲を流していました。
ブラウン・シュガーというDJの声だけでなく、そんな音楽もディランをリラックスさせてくれたのです。

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There was a country radio station, too, that came on early, before daylight, that played all the '50s songs, a lot of Western Swing stuff -- clip clop rhythms, songs like, "Jingle, Jangle, Jungle," "Under the Double Eagle," "There's a New Moon over My Shoulder," Tex Ritter's "Deck of Cards," which I hadn't heard in about thirty years, Red Foley songs.
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ディランが郷愁を感じるようなカントリーの専門局。
これはよくわかりませんなあ。

「ウェスタン・スウィング」というジャンルがあるんですね。
「1930年代にテキサスから発祥した音楽。カウボーイ・スピリッツを称賛する内容に、ヒルビリー・ミュージックやビッグバンド・ジャズを融合したもの」だそうです。

"Jingle, Jangle, Jungle"を検索したら、Bobby Darinがヒットしました。
疲れていると、Bob Dylanに見えます。
どこかで見た名前だなと思ったら、「ボブ・ディラン」という名前を考え出す時に、挙がっていたのですね。

 →CHRONICLES #96 ボブ・ディランの誕生

 →Official Bobby Darin Website

"Under the Double Eagle"は、ワーグナーの「双頭の鷲の下に」と同じ曲なんでしょうか。
マーチング・バンドを想像しました。

"There's a New Moon over My Shoulder"は「肩にかかる月」という邦題のようです。
倉敷にある喫茶店がいい感じ。

 →Olive Favorite

Tex Ritterはたくさんヒットしますね。
ハリウッドのカウボーイ・ヒーローにしてウェスタン歌手。
三十年ぶりに聴いたとは、懐かしかったことでしょう。
私が小さいころには、こういう感じのアメリカン・ヒーローの名残がまだ少し残っていました。

 →Tex Ritter

 →Wikipedia: Tex Ritter

Red Foleyを検索していたら、カントリーとブルーグラスを中心とした日本のウェブラジオがヒットしました。
なるほど。
楽器の練習に活用している方が多そうです。

 →Streaming Web Radio

 →Red Foley

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もう一つの別の広場 CHRONICLES #277

千本浜 2005年11月22日
 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]


"Oh Mercy"を録音するためにニューオーリンズに滞在していたディランは、仮住まいに戻ると地元のFM放送WWOZを聴いていました。
DJのブラウン・シュガーがどんな女性なのかわかりませんが、ディランは本当に好きだったようです。

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It was relaxing listening to her. I'd stare at the radio. Whatever she said, I could see every word as she said it. I could listen to her for hours. Wherever she was, I wished I could put all of myself in there.

彼女の声を聴くとリラックスできた。僕はよくラジオを見つめていたものだ。彼女がどんなことを言っても、そのひとつひとつの言葉が見えた。彼女の声は何時間でも聴いていることができた。彼女がどこにいたとしても、この身のすべてをそこに置けたらいいなと思った。
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かなり熱烈であります。
いい年こいたおっさんの言葉とは思えません。
でも、とてもよくわかります。

実際にディランは、このラジオ番組で思春期の追体験をしていたのです。
つまり、郷愁にひたったのです。

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WWOZ was the kind of station I used to listen to late at night growing up, and it brought me back to the trials of my youth and touched the spirit of it.

WWOZは僕が大人になろうとしていたころ、夜中に聴いていた局に似ていたので、若い頃の苦しみや、その頃の気持ちを思い出させてくれた。
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若い頃を振り返ってみると、なにか困難にぶつかると、ラジオを聴いて気を晴らしたそうです。
とても普通の若者の姿だと思います。

今の十代はそれほどラジオを聴かないのかもしれません。
私の思春期は深夜放送の最盛期だったこともあり、このディランの記述はとてもよくわかります。
よく聴く音楽の好みも、この頃に基礎が作られたのでしょう。

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お願いD.J. CHRONICLES #276

千本浜 2005年10月28日

何日か本に触れていないと、どこまで読んだか忘れてしまいますな。
"Dignity"を録音したら良かったので、さらにロッキン・ドプシーのバンドと録音しなおすことにしたというところでした。

2行空けて話が変わります。

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At the house on Audubon Place the radio was always on in the kitchen and always tuned to WWOZ, the great New Orleans station that plays mostly early rhythm and blues and rural South Gospel music.

オーデュボン・プレイスの家ではいつも台所でラジオがつけてあり、WWOZに合わせてあった。たいていは初期のリズム&ブルーズや南部の田舎のゴスペルを流している、ニューオーリンズの素晴らしい局だ。
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オーデュボン・プレイス風景がありました。
都市計画で作られた高級住宅地のようですね。

 →Audubon Neighborhood Snapshot
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Audubon Place

Audubon Place is a result of the “City Beautiful” movement in architecture and planning. The houses are arranged around a central oblong park planted with palms and azaleas. The park and roadway are for the exclusive use of the residents. Developers placed lower limits on construction costs to ensure uniformity in dwelling style. Audubon Place is located on the strip of land bordering the upriver side of Tulane University and fronting 550 feet on St. Charles Avenue. The development began in 1893 and remains virtually the same today.
-------------------------------------------------------

WWOZは公式サイトがあります。
やはりハリケーンで打撃を受けたのでしょう。
再建のための募金を呼びかけているのに、胸が痛みます。

 →WWOZ 90.7 FM New Orleans Jazz & Heritage Station

ディランが聴いたのは、深夜放送ですね。
お気に入りだったのは、ブラウン・シュガー(Brown Sugar)という女性がDJを務めていた番組です。
調べてみると、ブラウン・シュガーが担当していたのは「Saturday, 2:00am - 5:00am」で、ブルーズの番組だったようです。

 →WWOZ Programmers

この番組でレコードがかかっていたとディランが書いている人の名前を挙げておきます。

 →Wynonie Harris

 →Roy Brown

 →Ivory Joe Hunter

 →Little Walter

 →Lightnin' Hopkins

 →Chuck Willis

好きな音楽が流れるというだけでなく、ディランはこのブラウン・シュガーさんの声が好きだったようです。
あたたかくてやわらかい声で、ゆっくり話してくれる。
電話でリスナーの恋の相談に答える。
まさに深夜放送ですね。

私の場合は、受験勉強をしながら聴いた竹谷英子さんの声が忘れられません。
北海道のラジオ局から引き抜かれて、TBSで「ラジオでこんばんは」という番組を担当していました。
寒い夜に、心があたたまりました。

今回検索して驚きました。
あの悪役商会のプロデュースをしている会社(ハワード)の経営者なんだそうです。

 →Wikipedia: 竹谷英子

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ザディコの王 CHRONICLES #275

千本浜 2005年10月28日


"Political World"に続いて"Most of the Time"を放っておくことにしたディランは、少し休んでから"Dignity"を録音します。
バックの演奏はブライアン・ストルツ(Brian Stoltz)とウィリー・グリーン(Willie Green)だけでした。

 →bobdylan.com: Dignity

 →コートの魔術師 CHRONICLES #235

 →人間の尊厳 CHRONICLES #236

 →十年目のギター CHRONICLES #237

この演奏で初めてディランは満足します。

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We listend to the playback and Dan got excited, said that the song had plenty of promise and arranged to cut it the next night with Rockin' Dopsie and His Cajun Band.

テープを聴くとダンが興奮して言った。この歌には大きな可能性があるから、明日の夜ロッキン・ドプシー&ヒズ・ケイジャン・バンドと一緒に録音する手はずを整えよう。
-------------------------------------------------------

このロッキン・ドプシーは1993年に亡くなったお父さんの方でしょうか。
でも、お父さんの方はあんまり記述が見つかりませんなあ。
ザディコ(Zydeco)ですね。

 →Wikipedia: Rockin' Dopsie

この後、ディランは通り掛かった映画館で"The Mighty Quine"という映画が上映されているのを知ります。
後で、録音の合間に観に行きました。
この曲はイギリスでヒットしたのだそうです。

 →bobdylan.com: Quinn the Eskimo(The Mighty Quinn)

映画の方は、日本では劇場公開しなかったようですね。
テレビで放映された時の邦題は『刑事クイン/妖術師の島』。

 →『刑事クイン/妖術師の島(The Mighty Quinn)』(1989年)

主役のデンゼル・ワシントンは、もちろん後にあのハリケーン・カーターを演じることになります。
そういう縁もあって、ディランはこの役者さんがお気に入りのようですね。

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I wondered if Denzel could play Woody Guthrie. In my dimension of reality, he certainly could have.

デンゼルはウッディ・ガスリーを演じることができるだろうかと、僕は思った。現実に関する僕の尺度からすれば、彼だったら確かに演じることができただろう。
-------------------------------------------------------

おもしろいことを考えるものですね。
私にとっては、なんといってもデンゼルは『マルコムX』です。

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二つ目のつまずき CHRONICLES #274

IP屋上駐車場 2005年11月16日


ラノワは"Most of the Time"に形を与えます。

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He added layers of parts and soon the song seemed to have some kind of attitude and purpose. Trouble was that the lyrics weren't putting me in there, where I wanted to be.

彼が何層ものパートを付け加えると、やがてその歌はある種の主張と意図を持つように見えた。問題は詞が収まらなくなったことだった。僕が思っていたようには。
-------------------------------------------------------

ラノワのおかげで曲らしい体裁を持つようにはなったのだけど、元々作ってあった歌詞が曲に乗らなくなってしまったということのようです。
それでは違う歌になってしまいます。

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It seemed to have more to do about time itself than it did with me. I felt that the sound of a clock like Bib Ben should be ticking right through the tune at various levels. A big-band treatment would have been okay, too. In my mind I was beginning to hear me singing the song with the Johnny Otis Orchestra.

僕のことよりも、時間自体のことを歌っているようだった。曲全体を通して様々な強さで、ビッグ・ベンのような時計の音が時を刻んでいるのが聞こえるのを感じた。ビッグバンドを使うのも良いだろう。僕は心の中で、この歌をジョニー・オーティス・オーケストラをバックに歌っているのが聞こえるのを感じ始めた。
-------------------------------------------------------

あれあれ。
当初は「時間」のことを歌うつもりはあまりなかったのですね。
ディランは鐘の音が好きでした。
でも、ここでは鐘ではなくて、大時計が時を刻む音が聞こえたようです。

 →Welcome to Johnny Otis World!

でも、結局この曲も行き詰まってしまいました。
取り組む意欲を喪失して、ディランは二曲目も放り投げます。

p.186に入りました。

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たいていの時 CHRONICLES #273

千本浜 2005年11月4日


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It was either too early or too late for "Political World." We'd have to put it away and listen to it later. It might sound better. That can happen.

"Political World"の録音は、まだ早すぎるか、遅すぎるかのどちらかだった。放っておいて、後で聴かなければならないだろう。その方が良さそうだ。そうなのかもしれない。
-------------------------------------------------------

次に"Most of the Time"を録音することにしました。
といっても、実はまだこの歌にはメロディもなかったのです。
そこでディランはギターを爪弾いて(strum)音を探していかなければなりませんでした。

 →bobdylan.com: Most of the Time

 ♪ Most of the time
 ♪ I'm clear focused all around,
 ♪ Most of the time
 ♪ I can keep both feet on the ground,
 ♪ I can follow the path, I can read the signs,
 ♪ Stay right with it, when the road unwinds,
 ♪ I can handle whatever I stumble upon,
 ♪ I don't even notice she's gone,
 ♪ Most of the time.

 ♪ たいていの時
 ♪ わたしは焦点がはっきり合っている
 ♪ たいていの時
 ♪ わたしは両足を地につけていられる
 ♪ 小道に分け入っていくこともできるし、道しるべを読み取ることもできる
 ♪ 道がどこまで延びていっても迷うことなく歩いて行ける
 ♪ どんなことに遭遇してもわたしはちゃんと対処できる
 ♪ 彼女が去ってしまったこすらわたしは気づいていない
 ♪ たいていの時
               (中川五郎訳)

やっぱりなんだかよくわからない歌詞です。
できあがった曲は、ゆっくりとしたアレンジで、独白するように歌っています。
「たいていの時」を歌っているけれど、「たいてい」ではない「時」が問題なのかしらと、余計なことを考えてしまいます。

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I never did come up with any definite melody, only generic chords, but Dan thought he heard something. Something that turned into a slow, melancholy song. On this, Danny was contributing as much as any musician.

僕は明確なメロディをまったく考え出せずにただ一般的なコードを弾いただけなのだが、ダンは何かが聞こえたと思った。その何かがゆっくりとしたもの悲しい曲になった。この曲では、ダニーがどのミュージシャンよりも貢献していた。
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あれ?
実際はダニエル・ラノワが作曲したということですか?

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ドブロの音 CHRONICLES #272

八幡町 2005年11月12日


まるで映画スターのような極右政治家をテレビで眺めた後、ディランは気をとりなおしてラノワのところに戻ります。
精神的にきつかったので、細部をよく覚えているのでしょうか。

ラノワはもちろん自分で良いできだと思って、ディランにテープを聞かせているわけです。

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Lanis liked the tone of the song, asked what I didn't like about it. I told him that we couldn't turn it loose the way it was. We had to strip it down.

ラノワはこの歌の雰囲気が気に入っていたので、僕にどこがよくないのか尋ねた。こんなふうにおおらかな感じにしてはいけないのだと、僕は言った。はぎとって曲をむきだしにしなければならなかった。
-------------------------------------------------------

賑やかで楽しいアレンジだったんですね。
メイソンのギターを削ります。
それでディランのギターが聞こえると、メイソンのギターに合わせて演奏していたドラムの音がおかしく聞こえます。

うまくいかぬ(goofing)まま、数日が過ぎました。
その間に、もっとテンポを上げるべきだと考えました。
歌をバラしてコーラスのようにメロディラインを付け加えたりしても、うまくいきません。
ラノワはファンク・バージョンが良いのだと信じ込んでいました。
どうもうまく意図が通じていないようだと、ディランは悩み始めます。

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At one point things really began to boil. He got so frustrated, he flashed into a rage, swung around, flinging a metallic dobro like it was some kind of toy and smashed it to the floor with furious actions.

ある時点で、事態は本当に煮詰まった。ラノワがいらだって荒れ狂い、金属製のドブロを何かおもちゃのように放り投げたのだ。ドブロはすごい勢いで床にぶつかり、がしゃんという音を立てた。
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記録係をしていた女の子が涙を浮かべて部屋を出ていきます。
かわいそうに。
結局"Political World"は後回しにすることになりました。

あるですね、そういうぶつかりが。
その場ではつらいですが、でも本当に邪心なくぶつかるのなら、悪いことではないと思います。
共同作業による作品とは、そんなふうにできあがっていくものですね。
ただ、えてして小人(しょうじん)の場合は、邪心がたっぷり混ざっていたりするのです。

 →Wikipedia: Dobro

 →PLANET DOBRO

 →Gibson.com: Dobros
 
 →Me and Mr. Dylan: Political World ポリティカル・ワールド

 →政治的な世界 CHRONICLES #227

 →ナイフのように CHRONICLES #229

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憎悪の政治家 CHRONICLES #271

千本浜 2005年11月4日

レコーディングの行方が見えぬままビールを飲みに簡易台所へ行くと、ラノワのスタッフがテレビを見ていました。

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The ex-Klansman David Duke from Metairie in Jefferson Parish had been elected to the Louisiana State House of Representatives and he was being interviewed. He said that welfare wasn't working and that workfare would be better -- make people on welfare work for the communitiy instead of getting a free ride. He also wanted to put prisoners from state pens on work programs. Didn't want them getting a free ride, either. I hadn't seen Duke before; he looked like a movie star.

ジェファーソン郡メタリー出身の元KKK団員デヴィッド・デュークが、ルイジアナ州下院議員に選出され、インタビューを受けていた。福祉はうまくいかない、勤労福祉制度の方が良いと言っていた。ただ乗りをさせるのではなくて、地域社会で福祉の仕事をさせる。また、ムショの囚人も労働プログラムに参加させたがっていた。囚人にも労せずして利益など得させない。僕はそれまでデュークの顔を見たことがなかった。映画スターみたいだった。
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-------------------------------------------------------
* Ku Klux Klan
  [the ?] クークラックスクラン, 3 K 団 (=K_ Kl_x) 《1) 南北戦争後南部諸州に結成された秘密結社; 白人至高を唱え黒人や北部人を威圧した 2) 第 1 次大戦後米国に結成された白人秘密テロ結社で, 旧教徒・ユダヤ人・黒人・進化論者などを排斥する; 40 を超える地方組織がある》.

* workfare
  n 勤労福祉制度《社会保障の見返りに社会奉仕または職業訓練を要求する制度

* county
  n a 【米】 郡《Louisiana と Alaska を除く各州の最大行政区画; Louisiana では parish, Alaska では borough がこれに相当する》.
-------------------------------------------------------

アメリカの極右政治家ですね。
オフィシャルサイトを見ましたが、人種差別を煽る、下品なヘイトサイトです。

 →The Official Website of Representative David Duke, PhD

自動翻訳サイトを通すとこんな感じですが、あまりお勧めできません。
雰囲気は掴めますが。

 →excite 翻訳:デヴィッド・デューク代表、博士の公式のウェブサイト

そういえば、ネット右翼(というか軍事ヲタクとかネットストーカーの類い)の中には、この自動翻訳で押しとおす輩がいますね。
御丁寧にもフランス語からの英語へ自動翻訳した後の重訳だったりもします。
それで議論してくれと言われても、困るわなあ。

デューク議員はフランスの暴動を利用して、国内での人種差別を煽っているようです。
こんな人が国会議員なんですね。

などと他国の話とは言ってられません。
東京都知事とよく似ていますよ。

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最初のつまずき CHRONICLES #270


千本浜 2005年11月4日


翌日ディランがスタジオに行くと、また"Political World"を聴かされます。
夜中の間にラノワが作業をしていたのです。
ファンク度が増していて、ディランは驚きました。

ディランはテレキャスターで極力抑えた演奏をしていました。
そこに、ラフナーの「水雷のような(torped)」リックが重ねられていました。

-------------------------------------------------------
My guitar was taken out out of the mix entirely. My voice was out there in the middle of nowhere in some corridor of sonic atmosphere.

そのミキシングから、僕のギターは完全に取り除かれていた。音に囲まれた通路のようなものの中で、僕の声はどこにも行く場所がなく浮いていた。
-------------------------------------------------------

夜中にディランが考えて、「見えた」と思ったものとは、まったく違うミキシングになっていたのです。
足を踏みならして体を動かすのには向いていましたが、それはディランが「この歌が現実にできる」姿と感じるようなものとはほど遠くなってしまいました。

「歌が誘拐された(The song got shanghaied.)」

すごい言葉を遣うものですね。

-------------------------------------------------------
It sounded like I was singing from the midst of the herd, a lot of artillery and tanks in the background. The longer it went, the worse it got.

まるで僕が、背後にたくさんの砲兵隊と戦車が構えている中、群衆の真っ只中で歌っているみたいに聞こえた。曲が先に進めば進むほど、いっそうひどくなった。
-------------------------------------------------------

かなり落胆したようですね。
ここまで言うかね。
ラノワにどう思うか尋ねられたディランは、正直に答えます。

「失敗だと思う(I think we missed it)」

ディランは中庭の奥にある簡易台所(kitcenette)に行って冷蔵庫からビールをひっつかんで、椅子に体を沈めます。

ただいまp.184です。

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星に祈りを CHRONICLES #269

千本浜 2005年11月4日

ディランは実際にセッションを始めてから、そこでこの曲をどうやって演奏したら良いのかを決めようとしていました。
ダニエル・ラノワの考えていることがよくわかっていなかったということもあるでしょう。

-------------------------------------------------------
I was trying to figure out the realitis of what Danny had in his mind, what he had to work with. I couldn't do that in just one day or just one session. To make a record anywhere, anytime with anyone is possible, but the reality is rare. You have to be surrounded by musicians of like purpose. There were methods I would have instinctively used in the past with a song like this but here, they wouldn't have worked. Long time ago, good; now, no good.

僕はダニーが何を考えているのか、どうやってやろうとしているのか、その実際のものを理解しようとしていた。たった一日とか一度のセッションでわかるはずもなかった。レコードを作るのは誰とでもいつでもどこでもできるのだが、その歌を現実のものにできることは稀だ。同じ目標を持ったミュージシャンに囲まれなければならない。このような歌に対しては過去において僕が本能的に用いていた方法もあったのだが、ここではうまくいかなかった。ずっと昔にはそれで良かった。だが、今はそれでは駄目なのだ。
-------------------------------------------------------

録音以前にディランがぶつかっていた壁も、音楽の方法に関してでした。
方法論を強く意識して、変えなければならないと臨んだセッションだったのです。
この段階では、まだラノワの考えていることが、ディランにはよくわかっていません。

ディランはリズムを細かく刻んだ方が歌詞が生きそうだと感じました。
そのために歌詞を短くしようかとも考えました。
アレンジのの違うパートを重ねようと思いましたが、まだ具体的にはその形が見えません。

テープを持ってディランは借りの宿に帰ります。
墓地を通る時には、途中で墓に祈りたくなったと書いています。
その夜、その日録音したテープを聴いていて、ディランは「わかった」と思いました。

一方、ラノワたちはスタジオでセッションを続けて、この曲をもっとずっとファンキーなものに仕上げていました。
翌朝スタジオでテープを聴いたディランは驚きます。

p.184に入りました。

「墓に祈りを」なんですが、タイトルは「星に祈りを」にしておきました。
今聴くとたぶん歌い方がとてもねちっこく感じられることでしょうが、この曲を好きな人は多いようですね。
MIDIがいくつもヒットしました。

 →星に祈りを

 →星に祈りを

 →星に祈りを

"What a Friend We Have in Jesus"にも「星に祈りを」という邦題が付いています。
おお、Aaron Nevilleの"Believe"というアルバムにも入っていますね。
讃美歌の「いつくしみ深き」です。

 →What a Friend We Have in Jesus

 →賛美歌312番(What a Friend We Have in Jesus)

 ♪ 月なきみ空に きらめく光

こんな歌詞が頭に浮かぶので調べたら、これは「星の界」というタイトルの付いた訳詞でした。
あれ?
「冬の星座」?
これは違う曲なんですね。
同じように間違える人が多いようです。

 →星の界(エリー,いつくしみふかき)

ちなみに、ディズニー・メロディは「星に願いを」です。

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ラノワのテレキャスター CHRONICLES #268

千本浜 2005年11月4日

セッションメンバーの顔を見て、ディランはレコーディングの成功を確信するはずだったのですが、なかなか簡単には行かなかったようです。

ディランが最初に取り出した曲は"Political World"でした。

 →政治的な世界 CHRONICLES #227

あら、"Political World"の歌詞を書くところを読んでから、もう2ヵ月も経つんですね。
アルバム"Oh Mercy"の1曲目に入っている曲ですが、歌詞を書くのも、レコーディングも、ディランにとってとても印象的なできごとだったのでしょう。

-------------------------------------------------------
I didn't bring my own equipment, I picked up one of Lanois's antiquated Telecasters -- wicked sounding if you're on a cement floor beneath a corrugated tin roof, but in some cases, it could be too brittle. I like playing it, so I stuck with it anyway.

僕は自分の楽器を持って来ていなかったので、ラノワの古めかしいテレキャスターの中からひとつを拾い上げた。トタン屋根の下、セメントの床で演奏すると、邪悪な音を出してくれるのだが、音が割れることもある。そいつを演奏するのは好きだったので、とにかくそれやってみることにした。
-------------------------------------------------------

 →Wikipedia: テレキャスター

【FENDER USA】(フェンダー USA)Classic Series'72s Tele Custom(クラシックシリーズ'72sテレキ...

フェンダーが開発した、ソリッド型のギターがテレキャスターですね。
ボディに共鳴用の空間がまったくない、いかにもエレキといった感じのするギターです。
「wicked」は一応原義通り「邪悪な」と訳しておきましたが、どうも良い意味で遣っているようです。
本当は「すげえ音」ぐらいがいいのでしょう。

おお、根強いファンがいるんですねえ、やっぱり。
眺めてると、だんだん欲しくなってしまいます。(おいおい)

 →I love telecaster HP:テレキャスターの専門ページ

ディランはテレキャスターを抱いて、みんなと一緒に何通りか演奏してみます。
なんだかしっくり来ません。
結局、夜が更けてから、ラノワがファンクスタイルで行くぞと決めます。
さあ、先が長いですよ。

ただいまp.183です。

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オムニコード CHRONICLES #267

千本浜 2005年11月4日

他のセッションメンバーについては、一言ずつしか書いてありません。

-------------------------------------------------------
Tony Hall was a electric bass player. Willie Green was on the bass drum and snare with Cyril Neville, who played percussion. Malcolm Burns, Lanois's recording engineer, played keyboards, and Danny himself played a variety of instruments -- mandolins, mandolas, cello-looking guitars and other fretted stuff, plastic novelty instruments resembling toys.
-------------------------------------------------------

まずTony Hallをgoogle検索したのですが、同名の政治家がいるようで、うまいことベーシストがヒットしません。
"Oh Mercy"のクレジットみたいなのはいくらでも出てくるんですけどね。
Willie Greenも同様、どうもめぼしいサイトが見つかりません。
二人ともよくある名前で、関係ないサイトが多くて消耗してしまいました。

 →9830

うろうろさまよっているうちにアコースティックギターのファンのサイトに行き当たりました。
トニー・ホールと関係ないのですが、トレーシー・チャップマンが新しいアルバムを出していることを知りました。
あんまり誉めてないけど、これは注文しないと。

 →Minor 7th

 →All About Tracy Chapman

Cyril NevilleはNeville Brothersの他に個人のサイトがありますね。

 →The Official Cyril Neville Website

あら、マルコム・バーンズもだめかな。
ラノワの所は少し記述が長いですね。

ラノワが持ち込んだフレットのついた楽器(fretted stuff)の中にあるマンドラ(mandolas)は、マンドリンが少し大きくなったようなやつですね。
バイオリンに対するビオラのような感じ。
あ、やっぱりそういう説明がありました。

 →MANDOLA / マンドラ

おもちゃみたいな、目新しい楽器とは何なんでしょう。
あ、さっきのセッションデータを見ればいいのか。

ラノワが担当している楽器を拾ってみます。
keyboards
dobro
guitar
omnichord
bass percussion

なるほど。
ドブロというのはいわゆるリゾネーション・ギターのことで、これはわりと見かけますね。
弾いたことありませんけど。

 →DOBRO / ドブロ

オムニコードというのが何だかわからなかったのですが、これはスズキが作っている「教育用電子楽器」なんですね。
おもちゃみたいだとディランが言っているのは、このことでしょう。
おもしろいなあ。
眺めていると、どんどん欲しくなってしまいます。
この楽器は"Shooting Star"で使われています。

 →鈴木楽器:オムニコード

bass percussionとは何じゃろな?
これはオフィシャルサイトbobodylan.comのライナーノーツには載っていませんでした。

 →bobdylan.com

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三弦バンジョー CHRONICLES #266


 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]
千本浜 2005年11月4日


メイソン・ラフナーの次には、ブライアン・ストルツ(Brian Stoltz)のことが書いてあります。
ネヴィル・ブラザーズと一緒にやっていた人ですね。

 →ネヴィル・ブラザース、ミーターズ

 →Brian Stoltz

-------------------------------------------------------
The other guitar player, Brian Stoltz, from Sidell, also played in a funky and blistering way, but he was more laid-back and he had articulate schemes -- been playing with the Nevilles for years. Brian's licks were thought out like piano patterns. He could play James Booker piano riffs on the guitar.

もう一人のギタリスト、スライデル出身のブライアン・ストルツもファンキーで激しいギターを弾いたが、もっと肩の力が抜けた、歯切れの良い奏法だった。ずっと長いことネヴィル兄弟と一緒に演奏していた。ブライアンのリックはピアノの演奏パターンのように考え出された。ブライアンは、ジェイムズ・ブッカーのピアノのリフをギターで弾くことができた。
-------------------------------------------------------

スライデルというのは、ニューオーリンズの北東にある町だそうです。
リーダーズ英和では人口2.4万とあるので、小さな町ですね。
何かといえばニューオーリンズに出るのでしょう。
残念ながら、「ジェイムズ・ブッカーのピアノのリフ」がどんなものかわかりません。

 →James Booker Discography

おお、昔のタモリさんみたい。
片目に眼帯しています。

レベルが全然違うんですが、楽器によって固有の演奏パターンがあるのはわかります。
ギターとピアノとサックスでは、「オクターブ奏法」の意味がまったく違います。
プロだからこそ、そういう違う発想でギターを弾いてたのでしょうか。

そういえば上々颱風の紅龍さんはバンジョーを弾いてるんですが、音は三線です。
どうやってるのかなと思ったら、解説してるサイトがありました。

 →上々颱風で使われる楽器の紹介

ああ、やっぱりチューニングも三線と同じだわ。
「151」ね。

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メイソン・ラフナー CHRONICLES #265

千本浜 2005年10月28日


ダニエル・ラノワが集めていたミュージシャンの最初に、ディランはメイソン・ラフナー(Mason Ruffner)を挙げています。

とにかくディランの評価が高いです。
ラフナーはランボーやボードレールを読み、歌を作るために図書館に通ったりしました。
それで、自分と似ているところがあるとディランは思ったのでしょう。

-------------------------------------------------------
You do good things for people and it just makes them bad.

人のために良かれとことを行なえば、それで余計に人が悪くなる。
-------------------------------------------------------

こんなラフナーの歌の一節がディランはひどく気に入ったようで、オリジナルの曲がなかったらこれを録音していたかもしれないとまで書いています。

 →MASON RUFFNER / GYPSY BLOOD

おお、こんな顔をしていたのですか。
かっこいいですね、メイソン・ラフナー。
公式サイトもありました。

 →Mason Ruffner - Home Page

トップでディランの『クロニクルズ Vol.1』を引用して、高く評価されてると書いているのがおかしいですね。
まさに今読んだ箇所です。

気になった語をチェックしておきました。

-------------------------------------------------------
Fort Worth
フォートワース《Texas 州北部 Dallas の西方にある市, 48 万》.

Bourbon Street
n. バーボンストリート 《Louisiana 州 New Orleans 市の通り; フランス植民地だったころの面影をとどめている; ジャズ発祥の地》.

absinthe
n アブサン《ニガヨモギを香料の主成分とする緑色の強烈なリキュール》; 【植】 ニガヨモギ (wormwood), _→SAGEBRUSH; ニガヨモギの葉のエキス; 薄緑色.

pompadour
2 [p-]
a ポンパドゥール《1) 髪を全部とき上げて豊かにふくらませた女性の髪型 2) 額からなで上げた男性の髪型 3) 襟を低く四角に切り落とした婦人用胴着 4) 小さな花柄(の絹[木綿]地)》.

lick
2 《口》 強打; _《口》 ちょっとした仕事, やっつけ仕事; _《俗》 試み, 試すこと; 《口》 リック, フレーズ《ジャズなどの, 即興的な挿入[装飾]楽節》
-------------------------------------------------------

「ポンパドゥール」の部分で「え?」と思ったのですが、男性のオールバックの髪型もそう呼ぶんですね。
これは知りませんでした。

 →Wikipedia: ポンパドゥール夫人

 →+++ Rimbaud "Illuminations" +++(門司邦雄)

 →シャルル・ボードレール

 →MEMPHIS SLIM

 →Big Joe Williams Discography

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ラノワのおばけ屋敷 CHRONICLES #264

八幡町 2005年11月2日

二行空けて話が変わります。
ディランはラノワのスタジオへ出かけます。

-------------------------------------------------------
Lanois had set things up in one of his patented "pick up and move" studios -- this one in a Victorian mansion on Soniat Street not far from Lafayette Cemetary No.1 -- parlor windows, louvered shutters, high Gothic ceilings, walled-in courtyard, bungalows and garages in the back. Heavy blankets soundproofed the windows.

ラノワは自分で考案した「即席可動式」スタジオの一つで、諸々の準備を終えていた。それはラファイエット墓地1号地からあまり遠くないソニアットストリートにあるヴィクトリア様式の邸宅の中にあった。ゆったり大きな窓や鎧戸、ゴシック様式の高い天井、壁に囲まれた中庭、そして裏には平屋建ての別棟と車庫があった。分厚い毛布で窓には防音を施してあった。
-------------------------------------------------------

どうやら高級住宅地の豪邸の一室をスタジオにしてあったようですね。

 →弁護士日記:ニューオーリンズ旅行記

毛布で防音するあたりで、渡辺勝さんたちの「吉祥寺おばけ屋敷」を思い出しました。
もちろんラノワのスタジオの方が格段に豪勢ですが、なんだかみんなでわいわい合宿するような楽しい雰囲気がします。

 →2004年4月30日付日録:吉祥寺おばけ屋敷 1971-1974

続けて、ラノワがこのおばけ屋敷に集めたミュージシャンの紹介に入ります。

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エロイカより愛をこめて CHRONICLES #263

IP屋上駐車場 2005年11月1日


数日空けると、もう何を読んでたか忘れてしまいますな。
え?っと、p.181ですな。
ニューオーリンズはいいなあと、ディランが延々と書き綴っているところでした。

-------------------------------------------------------
One of the Napoleon's generals, Lallemand, was said to come here to check it out, looking for a place for his commander to seek refuge after Waterloo.

ナポレオンの将軍の一人ララマンは、ここへ調査に来たと言われている。ワーテルローの戦いの後、その指令官が避難する場所を探していたのだ。
-------------------------------------------------------

ディランが好きそうな話ですね。

 →Wikipedia: ナポレオン・ボナパルト

 →Wikipedia: ワーテルローの戦い

ナポレオンがニューオーリンズに逃れるというのは、唐突な話ではありません。
ルイジアナは元々フランス領だったんですね。
それをナポレオンが合州国に割譲したのです。

現在でも英語とフランス語が公用語で、民法はナポレオン法典が用いられるそうです。
お、前に出てきた『欲望という名の電車』にもその因縁が登場しますね。

 →”南部もの大全集”『欲望という名の電車』

-------------------------------------------------------
ナポレオンがセント・ヘレナ島に幽閉された時、当時のニューオーリンズ市長が、ナポレオンを救出して彼をニューオーリンズに連れて来るという陰謀を画策。市内に今もある「ナポレオン・ハウス」は、その市長が住んでいた邸宅で、救出後ナポレオンを滞在させる用意がされていたと伝えられています。
-------------------------------------------------------

いやはや、ナポレオン法典とはおそれいりました。

延々とニューオーリンズの町のことを書いた後、ディランはこう締めくくっています。

-------------------------------------------------------
A great place to record. It has to be -- or so I thought.

レコーディングをするのにはとてもいい場所だ。そのはずだ……僕はそう思った。
-------------------------------------------------------

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南部の公開処刑 CHRONICLES #262

千本浜 2005年10月21日

ディランのニューオーリーンズ讃が続きます。

-------------------------------------------------------
Everything in New Orleans is a good idea. Bijou Temple-type cottages and lyric cathedrals side by side. Houses and mansions, structures of wild grace. Italianate, Gothic, Romanesque, Greek Revival standing in a long line in the rain. Roman Catholic art.

ニューオーリンズでは何もかもが素敵な趣向になっている。瀟洒な神殿風の住宅と、抒情的な大聖堂が並んでいる。一軒家と大邸宅、並外れて優美な建築物。雨の中、イタリア風、ゴシック様式、ロマネスク様式、ギリシャ復興様式が、列をなして並んでいる。ローマ=カトリックの芸術。
-------------------------------------------------------

ディランは建築様式に詳しいようなのですが、私にはピンと来ません。
Googleで検索してみたら、以前リンクを張ったサイトがヒットしました。

 →NEW ORLEANS: Sightseeng Spots

植民地時代のお屋敷がたくさん残っているんですね。
ディランが書いたとおりの家々が並んでいます。
「南部情緒豊かな豪邸」です。
「現在も住居として使われており、一般公開はされていない」という説明が多いのがおかしいです。

見るべき家がたくさんあって、なおかつ公開処刑が行なわれた広場も残っていると、ディランは嬉しそうに書いています。

う?ん、南部の公開処刑。
検索したらヒットしました。

 →南部の公開処刑

それはともかく、私が思い出したのは巣鴨拘置所です。
いわゆるスガモプリズン。
現在では東池袋という地名で、サンシャインシティになっているところです。

薄暗い公園のようになっているところで、極東軍事裁判で有罪となった東條英機らの死刑が執行されたのだと聞いたことがありますが、本当かどうか知りません。
第二次大戦中にはリヒャルト・ゾルゲと尾崎秀実もここで殺されています。

公開処刑というとなんだか残酷で野蛮だと感じるかもしれませんが、ひっそりと執行されても事実は変わりませんね。
むしろ死刑という刑罰を残すのなら、その執行は公開すべきであるように思います。

第二次大戦時にパルチザンの経験がなく、戦争犯罪人を自分たちの手で裁くことがまったくできなかったというのは、日本の歴史の汚点ですね。

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ニューオーリンズ讃歌 CHRONICLES #261

添地町 2005年10月25日


ディランはニューオーリンズを讃えますが、ハリケーンによって被害を受けた今となっては、まるでそれが挽歌のように聞こえます。

-------------------------------------------------------
There are a lot of places I like, but I like New Orleans better. There's a thousand different angles at any moment. At any time you could run into a ritual honoring some vaguely known queen. Bluebloods, titled persons like crazy drunks, lean weakly against the walls and drag themselves through the gutter. Even they seem to have insights you might want to listen to. No actions seems inappropirate here. The city is one very long poem. Gardens full of pansies, pink petunias, opiates. Flower-bedecked shrines, white myrtles, bougainvillea and purple oleander stimulate your senses, make you feel cool and clear inside.

僕の好きな場所はたくさんあるけれど、ニューオーリンズが一番好きだ。いつでも千もの様々な見方ができる。いつなんどき、なにか厳粛な名のある女王のようなものに遭遇するかもしれない。酔いどれと呼ばれるようになった名門の連中が力なく壁によりかかり、どん底の中で身を引き摺る。そんなやつらでさえ、耳を傾けたくなりようなな洞察力を持っているみたいだ。どんな行動も、ここでは不適当とはならないように見える。この街は一編の長い詩なのである。パンジーと、ピンクのペチュニアと、阿片剤でいっぱいの庭。花で飾られた霊廟と、白いギンバイカと、ブーゲンビリアと、紫のキョウチクトウが感覚を刺激し、心の中が涼やかで澄みきったように感じる。
-------------------------------------------------------

夕暮れの墓所を飾る花々に、ディランは澄んだ印象を受けたようです。
並んでいる花の名前には、よくわからないものもあります。

 →パンジー

 →ペチュニアガーデン

-------------------------------------------------------
opiate
n アヘン剤; 《広く》麻酔薬, 鎮静剤; [fig] (感覚を)鈍くするもの.
-------------------------------------------------------
-------------------------------------------------------
myrtle
n 1 【植】
a フトモモ科の各種低木, 《特に》ギンバイカ.
b _ツルニチニチソウ (periwinkle), カリフォルニアゲッケイジュ (California laurel) 《など》.
-------------------------------------------------------

 →ギンバイカ

 →ブーゲンビリア

 →キョウチクトウ

ここまで読んで、ふとブライアン・デ・パルマ監督『キャリー』のラストシーンを思い出してしまいました。
それでgoogleで検索していたら、なぜかパティ・スミスの画像を置いてあるサイトにぶつかりました。
もう閉じてあるサイトの画像置き場のようです。
1975-Groiaと題した動画もありました。
これはエンコードに失敗してるかな。

http://www.postmodern.com/~fi/pattipics/images/

p.180が終わったところです。

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墓場にて CHRONICLES #260

添地町 2005年10月25日

ディランはニューオーリンズの墓地がことのほかお気に入りだったようで、延々と描写が続きます。

-------------------------------------------------------
The ghosts race towards the light, you can almost hear the heavy breathing -- spirits, all determined to get somewhere. New Orleans, unlike a lot of those places you go back to and that dont have the magic anymore, still has got it.

幽霊たちは競って光に向かう。その重い呼吸が聞こえてきそうだ。どこかへ行こうと堅く決心した亡霊たちの呼吸が。人が帰っていくそのような場所には、今はもうこんな魔力がなくなっているのだが、多くのそれとは違いニューオーリンズには、まだ魔力があるのだ。
-------------------------------------------------------

棺が地上にあるためでしょうか、ディランには死者がごく近くに感じられたのですね。
生者と違い、死者はもう悪いことなどしません。

ディランの歴史好きも、ニューオーリンズを好ましく思わせているようです。
誰もが南部の由緒ある一族の者のように見えるのだと書いています。
そうでなければ異邦人のように見えます。
そんなふうに感じさせるニューオーリンズが好きだったんですね。

-------------------------------------------------------
Night can swallow you up, yet none of it touches you. Around any corner, there's a promise of something daring and ideal and things are just getting going.

夜が人を飲み込むが、心の傷に触れることはない。どの角を曲がっても、思いきった理想的な期待があり、そしてそれがまさに進行中なのだ。
-------------------------------------------------------

墓地が印象的ですが、ニューオーリンズは死者の町ではありませんでした。
その角を曲がれば、そこには新しいものが待っているのです。
死者さえも、うかれてしまう町だったのかもしれません。

ただいまp.180です。

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欲望という名の電車 CHRONICLES #259

千本浜 2005年10月21日

ディランは夕暮れのニューオーリンズを散歩します。
通りの角に猫がうずくまっていたことを覚えています。
ミルクを持ってくれば良かった……あまりミルクを持って散歩はしないと思います。

-------------------------------------------------------
The first thing you notice about New Orleans are the burying grounds -- the cemeteries -- and they're a cold proposition, one of the best things there are here. Going by, you try to be as quiet as possible, better let them sleep. Greek, Roman, sepulchres -- palatial mausolems made to order, pahntomesque, signs and symbols of hidden decay -- ghosts of women and men who have sinned and who've died and now living in tombs. The past doesn't pass away so quickly here.

ニューオーリンズで最初に目につくのは埋葬地、つまり墓地だ。この寒気がするものは、ここで最も素晴らしいものの一つだ。そばを通る時はできるだけ静かにしようとする。眠っていてもらった方がいいから。ギリシャ風の墓、ローマ風の墓。特注の壮麗な御霊屋。密かに朽ちていく幽霊のような標識と符号。罪を犯して亡くなり、そして今は墳墓の中で生きている女や男の亡霊。ここでは過去はそれほど速やかには過ぎ去らない。
-------------------------------------------------------

ニューオーリンズには、そんなに立派なお墓がたくさんあったのでしょうか。
おお、本当にそれで有名みたいですね。

 →Wikipedia: ニューオーリンズ

なるほど、『欲望という名の電車』。

-------------------------------------------------------
「欲望」という名の電車に乗って、「墓場」という電車に乗り換えて、六つ目の角で下りるようにいわれたのだけれど――「極楽」というところで。
-------------------------------------------------------

これは本当にそういう電車が走っていたのですね。

-------------------------------------------------------
ニューオリンズは海抜下1から20フィート (0.3 から 6 m) の都市地域を範囲としている理由でユニークな都市である。別名“スープ皿”。市の東側には広大な湿地帯が広がっている。創設以来、水害に悩まされており、1インチ以上の降水量で容易に水害が発生する。水害を避けるため、墓地のほとんどが地下に土葬するのではなく、地上に埋葬室を設け、その中に葬っている。
-------------------------------------------------------

元々水害が多いため地上に埋葬室を造ったので、ディランが感じたように立派なお墓が多かったわけです。
しかし、こうしてみるとハリケーン被害はやはり人災だったようです。
ここで人は長い間死んでいることができるとディランは書いていますが、墓地もやはりハリケーンで水没してしまったのですね。

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オーデュボンの薄暮 CHRONICLES #258

千本浜 2005年10月21日


二行空けて、早春。
ディランはニューオーリンズに行って、家を借りました。
オーデュボン公園(Audupon Park)の近くだったそうです。

 →Junglecity TRABEL - ルイジアナ・ニューオリンズ

かなり広い公園のようですね。
白いワニかあ……江口寿史先ちゃん、お元気でしょうか。

このサイトでは、被災後のニューオーリンズの様子を伝えてくれています。

 →ニューオリンズ日誌

あ、公園のオフィシャルサイトがありますね。
いや、違いました。
これはコロラド州です。

 →Audubon Park

野鳥保護を謳って、野鳥の餌を売っている会社のようですね。
『アメリカの鳥類』のオーデュボンからから採った名前なのでしょう。

 →John James Audubon / オーデュボンの生涯

オーデュボンの絵も見ることができます。

 →Audubonギャラリー

この名前はどこかで聞いたことがあるなあと思ったら、「オーデュボン舞踏場(Audubon Ballroom)」でした。
ピンと来た方、いらっしゃいますか?
ニューオーリンズではなくて、ニューヨーク。
40年前の1965年2月21日。
聖バレンタインデーに自宅へ焼夷弾を撃ち込まれた一週間後に、マルコムX(Malcolm X)が暗殺された場所です。

 →The Official Web Site of Malcolm X

 →Wikipedia: マルコムX

さて、ディランは大きな家を借りたと書いています。
本当に大きいんでしょうね。
ウサギ小屋に住んでいるので、まったく想像ができません。

スタジオで待っている人達がいるのですが、とりあえずディランは夕闇の中を散歩に出ます。
この感じはよくわかります。

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曙光 CHRONICLES #257

昼間はよく晴れていたのだが、夕方には雲が出てしまった。
また天気が崩れるのかな。
今日採れると思っていた柿の実も、いまひとつ赤くなっていなかった。

 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]
千本浜 2005年10月21日


アーロン・ネヴィルが歌うディランの曲を聴いた後、ラノワはディランに新しい曲もこんな感じなのかと尋ねます。
変な質問ですよね。
それに、まだ曲が付いていない歌詞がほとんどのはずです。

それで、ディランはピアノで適当にメロディを弾いてみせます。
おかしいのは、この自然に出てきた(spontaneous)メロディをラノワがしっかり覚えてしまったので、後で苦労することになったのだそうです。
すごい才能ですね。
それでレコーディングのイメージを作り上げたのでしょう。

録音は別の場所に家を借りて、そこをスタジオにするということになりました。
これもすごいなあ。

-------------------------------------------------------
If anybody had the light, I figured Danny did and he might turn it on. He seemed the kind of cat who, when he works on something, he did it like the fate of the world hinged on its outcome.

もし誰かが明かりを持っているのだとしたら、それはダニーであり、そしてダニーが明かりを灯してくれるのだと、僕は思った。何かに取り組む時には、世界の運命と自分の仕事の結果にかかっているかのように仕事をする、猫のようなものに見えた。
-------------------------------------------------------

う?ん、「猫」がよくわかりません。
ディランがラノワを大いに信頼したことは確かです。
二人は、三月の再会を約束しました。

ただいまp.179です。

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おかえり CHRONICLES #256

千本浜 2005年10月14日

おっと、国際反戦デーだ。

まだ制作中だったネヴィル・ブラザーズの新しいアルバムには、ディランの曲が2曲入っていました。
歌っていたアーロン・ネヴィルのことをディランは絶賛しています。

-------------------------------------------------------
It surprised me to hear tow of my songs, "Hollis Browne" and "With God on Our Side" sung by Aaron Neville. What a coincidence. Aaron is one of the world's greatest singers, a figure of rugged power, built like a tank but has the most angelic singing voice, a voice that could almost redeem a lost soul.

アーロン・ネヴィルが僕の歌を2曲、「ホリス・ブラウン」と「神が味方」を歌っているのを聴いて驚いた。なんたる偶然の一致。アーロンは世界でも卓越した歌い手の一人だ。とてもいかつくて戦車のような体をしているが、天使のような歌声をしている。迷える魂を救済することさえできそうな声を。
-------------------------------------------------------

おお、天使の歌声ですね。
アーロンの歌は「狂気の世界に正気をとりもどさせることもできそう」だとも書いています。

デビューした翌年とそのまた翌年にディランが出した"The Freewheelin' Bob Dylan"(1963年)や"The Times They Are A-Changin'"(1964年)は、私にとってはディランの代表作のようなものです。
でも、ディランにとっては遠い昔に捨ててきた場所にあるものなのかもしれません。
もう自分で歌うことはない曲なのでしょう。
それを、実力を認めている歌い手が歌っていることが、やはりとても嬉しかったのではないでしょうか。

-------------------------------------------------------
It always surprises me to hear a song of mine done by an artist like this who is on such a high level. Over the years, songs might get away form you, but a version like this always brings it closer again.

自分の歌をこんなに水準の高いアーティストが歌うを聴くと、いつも驚く。長い間自分のところから歌が離れていても、こんなふうに歌ってもらえると、いつもまた近くに戻ってくるのだ。
-------------------------------------------------------

「おかえり」とディランが言っています。

BlogPet 2005年10月21日


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神が味方 CHRONICLES #255

千本浜 2005年10月14日

この時ラノワはネヴィル・ブラザーズのレコーディングをしていました。
午後の間ずっと話をしていたディランはラノワに誘われて、制作中のレコードを聴きに出かけます。
行き先は臨時のスタジオとして使っている、ラノワの自宅です。

 →The Neville Brothers

ネヴィル・ブラザーズの公式サイトのトップには、カタリーナによる被害のことが書かれていました。
募金のバナーもあります。
あれ?
今はトップページしかないのかな。

-------------------------------------------------------
"In light of the recent tragedy along the Gulf Coast and our home town of New Orleans, The Neville Brothers' thoughts and prayers go out to the hundreds and thousands of people who have been affected, and to all those who are aiding in this massive relief effort. Peace and Love."
                       - Aaron, Art, Charles and Cyril
-------------------------------------------------------

この時ディランが聴かせてもらったレコードは、"Yellow Moon"でした。

 →Yellow Moon - The Neville Brothers

レコードはほとんど完成していたようです。
ネヴィル・ブラザーズのメンバーの一人が椅子に腰掛けたまま眠っている横で聴いたのだそうです。

このアルバムには、 ディランの曲が2曲入っていました。

 →bobdylan.com: Ballad of Hollis Brown
 
 →bobdylan.com: With God on Our Side

どちらも"The Times They Are A-Changin'"(1964年)に入っていた曲ですね。
ディランもこれには驚いています。

"Ballad of Hollis Brown"は貧しい農民が一家心中をする歌です。
ホリス・ブラウンと妻と5人の子供。
最後の1ドルで7発の弾丸を買って、ショットガンを撃ちます。

 ♪ There's seven breezes a-blowin'
 ♪ All around the cabin door
 ♪ There's seven breezes a-blowin'
 ♪ All around the cabin door
 ♪ Seven shots ring out
 ♪ Like the ocean's pounding roar

 ♪ 七つの風が吹いている
 ♪ 小屋のドアのあたり
 ♪ 七つの風が吹いている
 ♪ 小屋のドアのあたり
 ♪ 七発の弾丸がひびき
 ♪ 海がくだけるうなり

             (片桐ユズル訳)

"With God on Our Side"はアメリカの戦争史を歌っています。
中西部生まれの青年が学んだ信条は「おれの祖国は神が味方」です。

 ♪ Oh the history books tell it
 ♪ They tell it so well
 ♪ The cavalries charged
 ♪ The Indians fell
 ♪ The cavalries charged
 ♪ The Indians died
 ♪ Oh the country was young
 ♪ With God on its side.

 ♪ 歴史はおしえ
 ♪ かいてある
 ♪ 白人はテッポーうって
 ♪ 死ぬのはインディアン
 ♪ 白人はテッポーうって
 ♪ 死ぬのはインディアン
 ♪ むかしのはなし
 ♪ 神が味方
             (中山容訳)

どちらも、なんともやりきれない歌詞です。
最近書いた靖国神社やプロレタリア文学のことが頭をぐるぐる回ります。

なぜネヴィル・ブラザーズはこの2曲を採り上げてカヴァーしたのでしょうか。
この"Yellow Moon"というアルバムを知らなかったのですが、他にも私の好きな曲が入っているので、買ってもいいなあと思います。

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マイルストーンズ CHRONICLES #254

千本浜 2005年10月14日

飲み物を注文してすぐに、ディランは黒衣のダニエル・ラノワと対話を始めます。

-------------------------------------------------------
He got right down to business, asked what kind of songs I had, what kind of record I had in mind. It wasn't a real question -- just a way to start the conversation.

彼はすぐに仕事にとりかかり、僕にどんな歌があるか、どんなレコードを考えているのか尋ねた。それは本当の質問ではなかった。単に会話を始めるとっかりだった。
-------------------------------------------------------

もちろんお互いの過去の仕事はわかっているのですが、本当に自分と組んで仕事ができるのか、相手を探るといった意味もあったのでしょう。
緊張する時ですね。
ラノワの服装も、そのための鎧のようなものだったのでしょうか。
いつもそんな恰好をしていたのかもしれませんが、それはわかりません。

一時間かそこら話をして、ディランはこいつならできるという確信を持ちます。
でも、どんなレコードになるのかなどはまだまったくわかっていません。
手持ちの歌もまだほとんどが歌詞だけなので、どうなるのかわかりません。
ボノが見たのは、歌詞だけだったんですね。
ボノがその歌詞を本当に良いと思ったのかどうかも疑問ですが、"Oh Mercy"を生み出すのに決定的な役割を演じてくれたことは確かです。

-------------------------------------------------------
Danny says to me, "You can make a great record, you know, if you really want to." I flatly said, "Of course I'll need your help," and he nodded.

ダニーは僕に言った。「素晴らしいレコードができるよ。本当に望むのなら。」僕が単調に「もちろん君の助けが必要だ」と言うと、ダニーは頷いた。
-------------------------------------------------------

うわっ。
かっこいい。
小説みたい。
既に何かを成し遂げている男たちのクールな会話ですな。

具体的にミュージシャンの話に入ります。
ディランは、その時一緒にやっていたバンドを録音に使うつもりがないようです。

-------------------------------------------------------
He told me that hit records don't matter to him, "Miles Davis never made any." That was fine with me.

ダニーは、ヒットレコードなんてどうでもいいことだと言った。「マイルス・デイビスだって一枚もヒットを出していない。」それは僕にも好都合だった。
-------------------------------------------------------

さらにかっこいいですな。
日本のメジャーレーベルがヒットしか考えていないのと大違いです。
計算しつくして作られ、テレビドラマやCMでがんがん流して売りまくる。
薄っぺらなものばかりで、もう十年後には枯れてしまう曲が多いことでしょう。

表現欲求に突き動かされて演奏をしていたマイルスやコルトレーンの輸入レコードを、私は70年代に何度も繰り返して聴いていました。
もちろん生演奏で聴くジャズが一番なんですが、でもけっして色褪せることのないレコード群でした。

 →SonyMusic: Miles Davis

 →The Official Miles Davis Web Site

p.177が終わったところです。

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黒服の男 CHRONICLES #253

千本浜 2005年10月14日


舞台はニューオーリンズ、まだマリー・アントワネット・ホテルの中庭です。
もう一度中庭の画像を見て、雰囲気を思い出しておきましょう。
ディランは、ここでバンドのギタリスト、G. E. スミスと一緒に座っています。

 →St. Ann Marie Antoinette Courtyard

扉が勢いよく開いて、ダニエル・ラノワが入ってきました。
スミスは挨拶をして席を外します。

-------------------------------------------------------
He was noir all the way -- dark sombrero, black britches, high boots, slip-on gloves -- all shadow and silhouette -- dimmed out, a black prince from the black hills. He was scuff proof. He orders a beer and I get an aspirin and Coke.

彼は「黒(ノワール)」づくめだった。黒いソンブレロに黒い乗馬ズボン、長いブーツと締め具のない手袋。すべてが影とシルエットであり、暗かった。黒い丘から来た黒い王子。すり減ったようなところなどなかった。彼はビールを注文し、僕はアスピリンとコーラを頼んだ。
-------------------------------------------------------

ファッションは私の弱点なんで、辞書を引きましたよ。
ソンブレロはわかります。
あれ?
わかるか?

-------------------------------------------------------
sombrero
n (pl ?s) ソンブレロ《米国南西部・メキシコなどで用いる山が高くつばが広いフェルト[麦わら]製の帽子》
-------------------------------------------------------

黒いのだから、このソンブレロはフェルト製でしょう。
「britches」は「半ズボン」なんですが、「breeches」の意のこともあり、それは「乗馬用[宮廷儀式用]のズボン」なんだそうです。
それならブーツが似合いそうです。
「slip-on」は靴でおなじみの「スリッポン」ですが、簡単に脱いだりできる衣類や手袋も指すんですな。

これが、全部黒いわけです。
かっこよろしいなあ。
魔夜峰央さんも好んで黒を着ていたと思うのですが、今はどうなんでしょう。

と思ったら、画像がありました。

 →魔夜先生会面

黒猫館主人、じゃない、幻泉館主人も、季節によってはこんな色遣いを好んで身につけます。
でも、魔夜峰央さんより、「パタリロ!」の方が似てるかもね。

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クレオパトラの鼻が CHRONICLES #252

午後から崩れるという予報がはずれ、一日好天でした。
布団を干して、洗濯をして、生ごみを積んで大菜園に出かけて、そしてなんとか浜で夕陽を眺めることができました。

平日だけど、浜には人が多かったです。
太鼓びとまで出てました。

 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]
千本浜 2005年10月14日


二行空けて話が変わります。

-------------------------------------------------------
It was autumn in New Orleans and I was staying at the Marie Antoinette Hotel, sitting around by the pool in the courtyard with G. E. Smith, the guitar player in my band. I was waiting for the arrival of Daniel Lanois. The air was sticky humid. Branches of trees hung overhead near a wooeden trellis that climbed a garden wall. Water lilies floated in the dark squared fountain and the stone floor was inlaid with swirling marble squares. We were sitting at a table near a statue of Cleo with a clipped nose. The statue seemed to know we were there.

ニューオーリンズは秋になっており、僕はマリー・アントワネット・ホテルに滞在していた。バンドのギタリストであるG. E. スミスと一緒に、中庭のプールの近くに座っていた。僕はダニエル・ラノワが到着するのを待っていたのだ。空気が湿ってべとついていた。壁に沿った木造の格子垣の近くまで、木々の枝が垂れ下がっていた。暗い色をした四角い噴水の池には睡蓮が浮かび、石造りの床には渦巻模様の四角い大理石がはめ込んであった。僕たちは、鼻の欠けた小さなクリオ(クレオパトラ)像の近くに座っていた。その像は僕たちがそこにいるのがわかっているように見えた。
-------------------------------------------------------

このホテルのサイトがありますね。

 →The St. Ann/Marie Antoinette Hotel

「360°tour」というところをクリックすると、まさにその中庭の画像を見ることができます。
この像が鼻の欠けたクレオパトラかしらん?
なんだかイメージと違うなあ。
しかし、「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら(短かったら)世界の歴史は変わって
いただろう」」とパスカルが書いたそうですが、欠けてたらいったいどうなっちゃうの?

 →クレオパトラ

「クレオパトラ」「鼻」でたくさんのサイトがヒットします。
ふ?ん。

G. E. スミスさんは、大澤誉志幸さんのアルバムに参加したりしてますね。

 →-大澤誉志幸-

 →G.E.Smith

クレオパトラの検索で結構長い時間遊んでしまったので、今日はこれまで。
p.177に入りました。

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真夜中の電話 CHRONICLES #251

千本浜 2004年10月9日


ディランは「アメリカ誕生の地」のことを書きたくてボノの話を持ち出したのではありません。
夜が更けて、時々貨物船の明かりが通り過ぎていきます。

-------------------------------------------------------
Bono asked me if I'd had any new songs, any unrecorded ones. It just so happened that I did. I went into the other room and pulled them out of th drawer, brought them back and showed them to him. He looke them over, said I should record them.

ボノは僕に新しい歌、録音していない歌がないか尋ねた。たまたまそんな歌があった。僕はもう一方の部屋に入って、引き出しから歌を取り出して、それを持って戻りボノに見せた。ボノはそれをざっと見て、録音すべきだと言った。
-------------------------------------------------------

"Oh Mercy"は、U2のボノが勧めたので、アルバムになったんですね。
ディランが自信がないということを言うと、ボノはダニエル・ラノワ(Daniel Lanois)の名前を挙げます。

 →ダニエル・ラノワ

 →daniellnois.com

ボノはその場でラノワに電話をかけ、直接ディランと話をさせます。
ラノワはニューオーリンズで仕事をしているので、ついでの際に立ち寄ってくれとディランに言います。

すごいものですね。
"Oh Mercy"の静かで深い音は、ラノワが作り上げたものでしょう。
それは歴史的瞬間だったのかもしれません。
また、それを書きつづるディランの語り口が、実にうまいのであります。

タイトル「真夜中の電話」は加藤登紀子さんの曲から採りました。
ただいまp.176です。

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巨人の地 CHRONICLES #250

千本浜 2005年9月25日

U2の全米ツアーは1987年。
それは音楽を求める旅でもあり、『U2 魂の叫び』という映画になりました。
今、そのDVDが廉価版で買えるのは嬉しいことです。
1575円(悪税込み)ですからね。
ボノがディランの家にお呼ばれして二人で話し込んだのは、そのツアーの最中なんでしょうか。

-------------------------------------------------------
Bono asked me where I was originally from and I told him the Iron Trail, the Mesabi Iron Range. "What does Mesabi mean?" he asked. I told him it was an Ojibwa word, means Land of Giants.

僕が元々どこの出身なのかボノが尋ねたので、メサビ鉄鉱山地、アイアントレイルだと教えた。「メサビというのはどういう意味なの」と、ボノが訊いた。オジブウェー語で、巨人の地を意味するのだと教えてやった。
-------------------------------------------------------

メサビ鉄山はその昔中学校で教わったように思います。

-------------------------------------------------------
Mesabi Range
n. [the ?] メサビ山地 《Minnesota 州北東部 Superior 湖の北西, Babbit から Grand Rapids にかけて, 約 180 km の長さに延びる山地; 最大標高 610 m; 浅い地中にある鉄鉱石の鉱床で有名; 1890 年代から露天掘りによる採鉱が続けられている》.
-------------------------------------------------------

アイアントレイルはリーダーズに載っていませんが、Googleで観光案内がヒットしました。
きれいなところで、「保養地(getaway)」として宣伝しています。

 →Iron Trail

「Ojibwa」はまったくわかりません。
例によって、困った時のリーダーズ英和。

-------------------------------------------------------
Ojibwa, -way
n
1 (pl ?, ?s) オジブウェー族《Algonquian 語族に属する北米インディアンの大種族; Superior 湖地方に住みメキシコ以北で最大の種族》.
2 オジブウェー語 (=Chippewa).
-------------------------------------------------------
-------------------------------------------------------
Algonquian
n (pl ?, ?s)
1 [U-quin]
a アルゴンキン族《カナダの Ottawa 川流域および Quebec 地方に住むインディアン》.
b アルゴンキン語《アルゴンキン語族の方言で Ojibwa 族の言語》.
2 [U-quian]
a 【言】 アルゴンキン語族《北はカナダの Labrador 地方から南は米国の Carolina に, 西は大平原地方に至る広大な地域のインディアン諸語を含む一大語族》.
b アルゴンキン系部族《アルゴンキン語族の言語を用いるインディアン諸部族》.
3 [the Algonkian] 【地】 《北米の》アルゴンキア紀[界].
a [-kian] 【地】 アルゴンキア紀[界]の.
-------------------------------------------------------

わかったような、わからないような。
なんだかわかりませんな。
とりあえずディランが生まれたのは、ほとんどカナダに近い風光明媚の地だったようです。

メサビが「巨人の地」という意味だというのは、初めて知りました。
ディランさん、いろいろ教えてくれます。
しかし、この言葉で私が連想したのはもっと南の方の話。
ジェームズ・ディーンの遺作となった映画『ジャイアンツ(Giant)』でありました。

 →ジェームズ・ディーン James Dean

安直ですんません。

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アメリカの父祖 CHRONICLES #249

千本浜 2005年10月2日

ディラン家の晩餐に同席した他の者は、もういなくなっています。
ボノとディランは二人で話し込んでいます。

-------------------------------------------------------
"Where's Alexandria?" Bono asked. I tell him that's where the Vikings came and settled in the 1300s, said that there's a wooden statue of a Viking in Alexandria and it doesn't look anything like a dignified founding father of America. He's bearded, wears a helmet, strapped knee-high boots, long dagger in a sheath, holding spear at his side, wearing a kilt -- holding a shield that says, "The birthplace of America."

「アレクサンドリアってどこにあるの?」と、ボノが尋ねた。1300年代にヴァイキングがやって来てそこに定住したことと、アレクサンドリアにはヴァイキングの木像があるのだが、それがアメリカを築いた威厳ある父祖にはまったく見えないことを教えた。その像は髭を生やし、兜をかぶり、膝まである編み上げ靴を履いて、鞘に収めた長い剣を身につけ、キルトを着て、脇に槍を抱えている。そして、持った盾に「アメリカ誕生の地」と書いてあるのだ。
-------------------------------------------------------

なるほど。
アメリゴ・ヴェスプッチより一世紀早い時期に、ヴァイキングが上陸した地ということなんですね。
川を遡ってから上陸したのでしょう。

[Alexandria][birthplace of America]でGoogle検索してみました。
あるわ、あるわ、「アメリカ誕生の地」。

 →Birthplace of America

 →Vikings in America

 →Alexandria Lakes Area

アレクサンドリア湖の観光宣伝に、「アメリカ誕生の地」という言葉がが活用されているようですね。
しかし、ディランが言っているように「アメリカを築いた威厳ある父祖にはまったく見えない」です。
ちゃちいです。
私は、ドリフターズの番組に出てきた大きな着ぐるみ人形を思い出しましたよ。
なんとなく「ビッグマック」かと思い込んでいたのですが、もちろん違います。
「ジャンボマックス」が正解です。

 →生誕30年、ジャンボマックス

ジャンボマックスはフジカラーのCMに使われていたんですね。

あれれ?
定住したはずのヴァイキングたちはその後どうなったんでしょう。

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アメリカ生誕の地 CHRONICLES #248

千本浜 2005年10月9日

ディランとボノは歴史的な話をしましたが、けっして懐古趣味ではないのだそうです。

-------------------------------------------------------
Bono says something about the English coming here and settling Jamestown and that the Irish built New York City -- talks about the rightness, the richness, glory, beauty, wonder and magnificence of Amrica. I told him that if he wants to see the birthplace of America, he should go to Alexandria, Minesota.

イギリス人はアメリカに来てジェームズタウンに植民したが、アイルランド人はニューヨークを築いたのだといったことを、ボノは言った。アメリカの正義と、豊かさと、栄光と、美と、驚異と、偉大さを語ったのだ。もしもアメリカ誕生の地を見たいのなら、ミネソタ州のアレクサンドリアに行くべきだと、僕は言った。
-------------------------------------------------------

ジェームズタウンの名は聞いたことがありますが、どうもピンと来ません。
例によって、困った時のリーダーズ英和。

-------------------------------------------------------
Jamestown
ジェームズタウン
1) Virginia 州東部の廃村; Williamsburg の南西, James 川沿いの地で 1607 年イングランド人がアメリカで最初に定住したところ
-------------------------------------------------------

おっと、廃村ですか。
ボノは、イギリス人は何も造れなかったじゃないかと言っているんですね。
せっかくだからニューヨークも引いておきましょう。

-------------------------------------------------------
New York
1 ニューヨーク (=New York State) 《米国北東部の州; ☆Albany; 略 NY》.
2a ニューヨーク市 (=New York City) 《New York 州南東部 Hudson 川河口にある市; Bronx, Brooklyn, Manhattan, Queens および Staten Island の 5 つの区 (borough) からなる米国最大の都市, 740 万; 略 NYC》.
-------------------------------------------------------

ディランが「アメリカ生誕の地」と言っているアレクサンドリアも調べておきましょう。

-------------------------------------------------------
Alexandria
n. アレクサンドリア 《Washington, D.C. の南約 10 km にある市, 11 万; 18 世紀植民地時代には, Virginia 北部の商業・政治の中心地として栄えた; 初代大統領 George Washington や南軍の Robert Lee 将軍が長らく住んだ地》.
-------------------------------------------------------

あれ?
ここじゃありませんね。

 →ワシントンD.C.

ミネソタ州に「アメリカ生誕の地」があるなんてのは、初耳です。
ディランは何のことを言ってるのかしら。

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二つの自画像 CHRONICLES #247

千本浜 2005年10月2日


ディランはU2のボノのことを語っているのですが、上った話題はボノが興味を持っていることであるだけでなく、もちろんディラン自身の好きな話題でもあるわけです。
ボノのことを語りながら、ディランは自分を語っているとも言えるでしょう。

-------------------------------------------------------
Warhol's name got batted around, too. Warhol, the king of pop. One art critic in Warhol's time had said that that he'd give you a million dollars if you could find one ounce of hope or love in any of his work, as if that was important.

ウォーホルの名前もあれこれ挙がった。ポップアートの王、ウォーホルだ。ウォーホールの時代のある美術評論家は、もしもウォーホールのどの作品でもいいから、その中にほんの少しでも希望や愛を見つけることができたら、百万ドルあげようと言った。まるでそれが重要なことでもあるかのように。
-------------------------------------------------------

 →Wikipedia: アンディー・ウォーホル

あれ、あの頭髪はかつらだったんですか。
知らなんだ。

しかしまあ、批評家とはそういったものですね。
ポップアートをまったく認めない批評家だっていたってかまいません。
それはそれで、批評家の見識でしょう。

片桐ユズルさんの詩集に『専門家は保守的だ』というのがあったな。
いや、わざと『専問家は保守的だ』にしてあったか。
見つからないなあ。

 →片桐ユズル ウェブサイト

 →Yuzuru's Daybook.

-------------------------------------------------------
Names appear in conversation and slip away. Names that have a certain feel to them. Idi Amin, Lenny Bruce, Roman Polanski, Herman Melville, Mose Allison, Soutine the painter, the Jimmy Reed of the art world.

会話の中でさまざまな名前が登場しては消えていく。ある特定の感情を抱くような名前が。イディ・アミン、レニー・ブルース、ロマン・ポランスキー、ハーマン・メルヴィル、モーズ・アリソン、美術の世界のジミー・リードである画家のスーティーヌ。
-------------------------------------------------------

 →Wikipedia: イディ・アミン

ウガンダの大統領だったアミンですね。
アントニオ猪木との対戦が実現しなかったのが残念です。

 →Lenny Bruce

実は映画のおかげで、ダスティン・ホフマン演じるレニー・ブルースがまず思い浮かんでしまうのです。
お、このサイトにはおもしろいことが書いてあります。
ボブ・ディランやマイルス・デイビスと並んで、アメリカの文化革命や社会革命を導いたそうです。

 →ロマン・ポランスキー

 →Wikipedia: Roman Polanski

 →Roman Plolanski Productions - SITE OFFICIEL -

シャロン・テート事件が強烈ですが、この人もすごい人生ですね。
結局逃亡犯のままだったんだ。
『吸血鬼』の小柄な助手の役は、似合ってました。

 →松岡正剛の千夜千冊『白鯨』

 →The Life and Works of Herman Melville

そう、僕の大好きな白鯨です。
前に書きましたね。

 →洪水はわが魂に CHRONICLES #166

次のモーズ・アリソンはわかりません。

 →Official Mose Allison Website

ピアノ弾きですな。
ずいぶんかっこいい爺さんです。

 →Jimmy Reed

お、なんとWAVEで試聴できます。
ブルースハープ、いいですなあ。

 →Chaim Soutine

このサイトの最初のリンク先、エルミタージュ美術館でスーティーヌの"Self-Portrait"を見ることができます。
ディランはこれが描きたかったんですね。
アルバム"SELF PORTAIT"(1970)のジャケットに使った自画像は、明らかに影響を受けています。

ただいまp.175に入ったところです。

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大飢饉 CHRONICLES #246

千本浜 2005年10月2日

ディランとボノはジャック・ケルアックの話をしました。
二人とも好きだったんですね。
ケルアックの作品の登場するアメリカの町を、ボノはよく知っていました。
ほとんどのアメリカ人が知らない町です。

 →ジャック・ケルアック

その例として、4つの都市の名が挙がっています。
リーダーズ(プラス)を引いてみましょう。

-------------------------------------------------------
Truckee
n. [the ?] トラッキー川 《California 州東部, Nevada 州西部を東または北東に流れて Pyramid_ 湖へ注ぐ》.

Fargo
n.
2 ファーゴ 《North Dakota 州東部 Red 川に臨む, 同州最大の市, 7.4 万; William George Fargo の名にちなむ; North Dakota State University (1890) の所在地; 郊外の West Fargo には同国最大級の精肉工場がある》.

Butte
ビュート《Montana 州南西部の市, 3.3 万; Rocky 山脈中の高原に位置; 付近は鉱物資源が豊富》.
-------------------------------------------------------

最初のトラッキーは川の名前として出ていますが、カリフォルニアにそういう町があるようですね。
もう一つの「マドラ(Madora}」は、さすがのリーダーズにも載っていませんでした。
Googleしても、西オーストラリアやイタリアのサンレモがひっかかって、どうも見つかりません。

-------------------------------------------------------
It seems funny that Bono would know more about Kerouac than most Americans. Bono says things that can sway anybody. He's like that guy in the old movie, the one who beats up a rat with his bare hands and wrings a confession out of him.

たいていのアメリカ人よりもボノの方がケルアックのことを知っているようなのは、なんだかおかしい。ボノはみんなを動揺させるようなこと言う。古い映画に出てくるやつみたいだ。素手でちんぴらを殴って、絞め上げて白状させるようなやつ。
-------------------------------------------------------

お、ボノ、ハードボイルドですなあ。
もしも二十世紀の初めにアメリカに渡って来ていたら、警官になっていただろうと、ディランは言ってます。

『U2/魂の叫び』の中でコンサートの最中にボノが言っていますが、アイルランドでは19世紀に大飢饉があり、しかもイギリスからは見捨てられたので、海外への移民が増えました。

 →アイルランドの歴史:大飢饉/フィニアン運動

高校生のころ、英語の勉強をしていたらサミュエル・ジョンソンの差別的言辞を嬉しそうに紹介している英語学者の文章にぶつかりました。
とても不愉快になった覚えがあります。
お前は何人なんじゃ。
「英国の家畜の餌を主食にしているのがアイルランド人」といったような内容です。
ジャガイモのことだったかしら。

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ボノ CHRONICLES #245

千本浜 2005年9月30日


ギネスビールを手土産にディランの家を訪れたのは、アイルランドを代表するバンドU2のボノでした。
登場人物が急に若返ったような感じがしますが、今の若者にとってはボノもおっさんなんでしょうね。

ボノは1960年生まれ。
グリニッジビレッジでディランがレコードでビューを夢見ていたころに生まれたのです。

80年代のロックといえば、やはりU2です。
"October"から"Rattle and Hum"に至る「前期U2」は、実によろしい。
私は最近"Rattle and Hum"をDVDで買いなおしました。
安くなってたせいもありますが。

 →http://www.u2.com/
 
 →魂の旅を続ける孤高のバンド - U2 -
 
 →マンソンがビートルズから盗んだ歌:U2

ボノは友人たちと一緒に、ディラン家の晩餐にやってきました。

-------------------------------------------------------
Spending time with Bono was like eating dinner on a train -- feels like you're moving, going somewhere. Bono's got the soul of an ancient poet and you have to be careful around him. He can roar 'til the earth shakes. He's also a closet philosopher.

ボノと過ごしていると、列車で食事をしているみたいだった。移動してどこかへ行くような気がするのだ。ボノは古代の詩人の魂を持っているので、気をつけなければならない。大地を動かすほど声をとどろかせることができる。隠れた哲学者でもある。
-------------------------------------------------------

確かにボノは大きな声を出せるでしょう。
ディランはボノに対して大いに敬意を払っているようです。
古代の詩人の魂とは、最大級の賛辞なんだと思いますよ。
80年代のU2は、魂を揺さぶるようなところがありました。

親子ほども年齢の離れた二人はいろいろなことを話し込みます。
「誰かと冬を過ごす時のように話すようなことを」と、ディランは言っています。

ただいまp.174です。

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再生 CHRONICLES #244

千本浜 2005年9月30日

具体的な曲作りの話はここで一旦終わります。

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In time, my hand got right and it was ironic. I stopped writing the songs. The doctor encouraged me to play my guitar -- that stretching my hand was therapeutic, actually good for my hand, and I was now doing that a lot. I could begin the shows that were scheduled for me, starting in the spring and it seemed like I was back where I began.

そのうちに僕の手が良くなってきたのだが、それは皮肉なこととなった。歌を書かなくなったのだ。医者は僕にギターを弾くことを勧めた。手を大きく開くのが治療に役立つと言ったのだが、実際僕の手に良いので、今では実によくギターを弾いていた。春に予定しているコンサートを始めることができる。僕は、最初に始めた場所に戻ったみたいな気がした。
-------------------------------------------------------

手の怪我のおかげでディランは新しい曲を書くことができたのです。
いわゆるやる気のようなものも出たようです。
まさに再生。
でも、一歩間違えればギターを弾けなくなっていたのです。

二行空けて、話が変わります。

ギネスビールを一箱抱えて、客人が来ます。
大物ですよ。
今日はここまで。

 →GUINNES WEB SIUTE(日本語)
 
 →GUINESS.COM

ギネス、うまいよなあ。

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こわれもの CHRONICLES #243

千本浜 2005年10月2日

改行して、今度は"Everything Is Broken"の話になります。

 →bobdylan.com: Everything is Broken

壊れた物のことをいろいろ歌っています。
歌詞の言葉は、その音の中に意味が込められているという言い方をしています。
意味はあまり重要ではないとも読めるのですが、もちろん意味を無視することはできません。
ディランは本当に壊れた物のことを歌いたかったのです。

だから、コニーアイランドの砂浜で寝転んでいたら、砂の中にラジオを見つけたというような回想をしています。
もちろん、ここで私が思い出すのは「錆びたナイフ」です。
なぜか石川啄木も思い出します。

 ♪ 砂山の砂を
 ♪ 指で掘ってたら
 ♪ 真っ赤に錆びた
 ♪ ジャックナイフが 出て来たよ

ディランは今まで生きてきて、壊れた物をいろいろと見てきました。
一番大切な物が壊れてしまうことだってあります。
どれも直すのは難しいことです。

この歌にも、採用しなかった歌詞がありました。

 ♪ Broken strands of prairie grass.
 ♪ Broken magnifying glass.
 ♪ I visited the broken orphanage and rode upon the broken bridge.
 ♪ I'm crossin' the river goin' to Hoboken.
 ♪ Maybe over there, things ain't broken.

 ♪ 壊れた大草原の地。
 ♪ 壊れた拡大鏡。
 ♪ 壊れた孤児院を訪れて、壊れた橋を渡った。
 ♪ 川を渡ってホーボーケンに行くところ。
 ♪ もしかしたら向こうでは、物が壊れていないかもしれない。

ホーボーケンとは、ニューヨークのマンハッタン島からハドソン川を渡った対岸にある町です。
東京で言えば、多摩川を渡ったあたりという、近場の話です。

この部分はディランがほんの少し楽観主義を盛り込もうとした箇所なんですが、結局それは削ってしまいました。
確かに、すべてが壊れているといった歌詞の方がおもしろいでしょう。

私は下請けで雑誌の編集や記者をやっていた頃、何人かのカメラマンと一緒に仕事をしました。
昔学校や病院として使われていた建物、つまり廃墟の写真を撮るのが好きだというカメラマンがいました。
似たような写真集が話題になって売れていたころなので、彼の写真は仕事にならなかったでしょうが、でも廃墟に惹かれるというのはよくわかりました。

結局写真週刊誌の仕事で食っているようでしたが、彼は金にならない廃墟の写真を撮っているからこそ、「写真家」だったのだと思います。

ゴミの写真を撮っていたカメラマンは、ちゃんとその写真集がそこそこ売れて名が売れていたのですが、この人は何にでも興味を持って、「フォトジェニックですね?」と喜ぶような人でした。
プロだなあと感心しました。

 ♪ それはこわれもの

そう、中山ラビさんにそんな歌があったように勘違いしていました。
大切なものは、とても壊れやすいんですよね。

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君の欲しいものは CHRONICLES #242

千本浜 2005年10月2日

改行して話が変わります。

-------------------------------------------------------
The song "What Was It You Wanted?" was also a quickly written one. I heard the lyric and melody together in my head and it played itself in a minor key.

「君の欲しいものは何だったんだ」という歌も、素速く書いた曲だ。頭の中で歌詞とメロディが同時に聞こえたが、それは短調で演奏されていた。
-------------------------------------------------------

こうしてアルバムの中の曲がどうやってできたのかを、一曲ずつディランが説明してくれるというのは、珍しいことなんでしょうね。
p.172の半分強が、この曲のことに費やされています。

 →bobdylan.com: What Was It You Wanted?

-------------------------------------------------------
If you've ever been the object of curiosity, then you know what this song is about. It doesn't need much explanation.

もしも好奇心の対象になったことがあるなら、この歌が何の歌なのかわかるだろう。説明はあまり要らない。
-------------------------------------------------------

メジャー契約をして『元気です。』を出したころの吉田拓郎さんが、似たようなことを歌ってました。
ディランが言うには、「普通の人」が妙に騒がしくてタチが悪い、自分はただ口をつぐんでサングラスをかけることしかできないのだそうです。

この歌も、結局採用しなかった歌詞を掲載しています。

 ♪ What was it you wanted?
 ♪ Can I be of any use?
 ♪ Can I do something for you?
 ♪ Do I have enough juice?
 ♪ Wherever you're off to, one thing you should know.
 ♪ You still got seven undred miles yet still to go.

 ♪ 君の欲しいものは何だったんだ。
 ♪ 僕は役に立つのかい。
 ♪ 僕は何かできるのかい。
 ♪ 僕にそんな能力があるのかい。
 ♪ 君がどれだけ行ったって、これは知っておくべきだ。
 ♪ まだ700マイルは行かなくちゃならないと。

そういえば私の夜泣き歌になっている拓郎さんの曲「流星」のサビは、この曲のタイトルと似ています。

 ♪ 君のほしいものは何ですか
 ♪ 君の欲しいものは何ですか

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回想のビュイック CHRONICLES #241

千本浜 2005年9月30日

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I finished the lyrics and the left the studio, went back to the main house. Wind was blowing through the tall bamboo. The heavy chrome bumper from my old battered Buick was shining in the moonlight.

僕は歌詞を書き上げるとアトリエを出て、母屋に戻った。丈の高い竹の間を、風が吹き抜けていた。酷使して変形した古いビュイックから取り外した、クロムメッキの重いバンパーが、月の光の中で輝いていた。
-------------------------------------------------------

ここで言っている歌詞とは、"Disease of Conceit"のことではないようです。
その前に出てきた"Dignity"のことですね。
"Dignity"のことを書きながら、"Disease of Conceit"のことを思い出したので、ちょっと横道に逸れたという形になっています。
"Chronicles: Volume One"には、こんなふうに横道に逸れる描写が多いですね。

どうして自動車のバンパーが転がっているのかといえば、ディランはおんぼろ自動車を解体して、あの鉄のゲージツに使おうと思っていたからです。
この古いビュイックって、あの"From a Buick 6"のビュイックなんでしょうか。
ちょっと古すぎるか。

 →From a Buick 6

う?ん、ビュイックの車なんぞまったく縁がないので、この「6」が何なのかまったくわかりません。
スティーヴン・キングの『回想のビュイック8(From a Buick 8)』は、このディランの曲からタイトルを採ったんでしょうね。

でも、この「6」と「8」がわかりません。
8気筒エンジンの8なのかしらん。
Googleで検索しても、「buick8.jpg」みたいに、ビュイック車の画像ファイルばかりヒットして疲れてしまいましたわい。

 →自動車帝国GMの源流(ビュイック編)

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操り人形 CHRONICLES #240

千本浜 2005年9月30日
 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]


著名な伝道師が買春で失脚したと聞いて、ディランは思いました。

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Reality can be overwhelming. It can also be a shadow, depending on how you look at it. As for me, I wondered what this harlot might have looked like that lured this famous preacher into rolling in the muck.

現実とは圧倒的なものにあることがある。現実をどのように見るか次第で、影になることもある。僕に関してはどうかといえば、有名な説教師を誘惑して泥まみれにしてしまうとは、この売春婦はどんな外見をしていたのだろうと思った。
-------------------------------------------------------

ええ、これは私も気になります。
どんな人だったのか見てみたいですね。
ディランは魅惑的な美人だったのだろうと書いています。
蓼食う虫も好き好きと言いますし、この説教師は相手を選ばないタイプの人だったのかもしれません。

でも、あんまりこういったつまらないこと(Mickey Mouse stuff)を気にしていると、最後には精神病院の個室(a private lunatic asylum)に入れられてしまうよと、ディランは言っています。

"Disease of Conceit"の話ですが、うぬぼれは必ずしも病気ではないと、ディランは言っています。
それはそうです。

うぬぼれは、むしろ弱点なんですね。
すぐ喜ぶし、すぐ落ち込みます。
だから簡単に他人に操られてしまいます。
ディランは"Disease of Conceit"でそのことを歌ったのです。
これは納得できます。

この歌にも採用しなかった歌詞があって、それを書いてくれています。

 ♪ There's a whole lot of peaple dreaming tonight
 ♪ about disease of coneit,
 ♪ whole lot of people screaming tonight
 ♪ about disease of coneit.
 ♪ I'll hump ya and I'll dump ya and I'll blow your house down.
 ♪ I'll slice into your cake before you leave town.
 ♪ Pick a number -- take a seat,
 ♪ with the disease of conceit.
 
 ♪ 今夜みんなが夢に見ている
 ♪ うぬぼれという病を
 ♪ 今夜みんなが叫んでいる
 ♪ うぬぼれという病を
 ♪ 僕はあんたを担いで、投げ下ろして、家を吹き倒す
 ♪ 僕は町を出る前に、あんたのケーキを切り分ける
 ♪ 数字を選んで、席に着けよ
 ♪ うぬぼれという病と一緒に

p.171が終わります。

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うぬぼれという病 CHRONICLES #239

千本浜 2005年9月25日

改行して、"Disease of Conceit"の話になります。

 →bobdylan.com: Disease of Conceit

 ♪ There's a whole lot of people suffering tonight
 ♪ From the disease of conceit.
 ♪ Whole lot of people struggling tonight
 ♪ From the disease of conceit.

 ♪ 今夜、みんなが苦しんでいる
 ♪ うぬぼれという病に
 ♪ 今夜、みんながもがいている
 ♪ うぬぼれという病に

このアルバムは静かな曲が多いですね。
ディランはまさに苦しみ、もがきながら、つぶやくように歌っているように聞こえます。
ディランの言葉で言えば「ゴスペル調(gospel overtones)」ということになります。

この曲のきっかけになる出来事がありました。
バプテスト派の説教師として人気があったジミー・スウォガート(Jimmy Swaggart)が、スキャンダルで失脚したのです。

 →Wikipedia: Jimmy Swaggart

 →テレビ説教師 TV preachers/televangelists

ディランはバプテスト派と書いていますが、ペンテコステ派なんでしょうか。
資格を剥奪した教会はディランも「神の集会(the Assembly of God)」だと書いています。

ジミー・スウォガートは売春婦とモーテルにいて、そこから出てきたところを撮影されました。
それで教会は説教を止めるように命じたのに、まるで何事もなかったかのように説教を続けたので、資格を剥奪されたそうです。

ディランは、それは妙だと感じました。
だって、聖書にはそんな話がたくさん載ってるじゃないかというのです。
具体例としては、預言者ホセアが売春婦と結婚したことを挙げています。

預言者ホセアはgoogleで数多くヒットしますが、あまり特定宗派やカルト団体にリンクを張りたくないので、興味のある方はgoogleでどうぞ。

p.171に入りました。

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パフ CHRONICLES #238

千本浜 2005年9月25日

改行して話が変わります。

ディランは医者に行って、怪我した手を診てもらいます。
かなり良くなってきているので、神経の感覚も戻るかもしれないと言われました。
それでディランは元気が出たようです。
手が動かなくなったらどうしようと、心配していたんですね。

家に帰ると、長男がもうすぐ結婚する女性と台所にいました。
ストーブでシーフードのシチューを作っていたのです。

-------------------------------------------------------
I took the cover off the pot to check it out.
"What do you think?" my future daughter-in law asked.
"What about the whiskey sauce?"
"It has to be arranged," she said.

私は蓋を取って味見をした。
「いかがですか」と、未来の義理の娘が尋ねた。
「ウィスキーソースはどうだろう?」
「それも準備します」と、彼女が言った。
-------------------------------------------------------

おお、なんだかディランが舅になってます。
味見して注文つけるですか。

しかし、このウィスキーソースをどうしようというのかがわかりません。
食べる時、シチューに垂らすんでしょうか。
それとも、このシチューでウィスキーソースを作れという指示なんでしょうか。

-------------------------------------------------------
The rest of the day went by like a puff of wind.

その日の残りは、一陣の風のように過ぎ去った。
-------------------------------------------------------

どたばたと騒がしかったのでしょうか。
でも、さわやかな、印象的な一日だったんですね。
医者に言われたことが嬉しかったのでしょう。

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十年目のギター CHRONICLES #237

千本浜 2005年9月25日

"Political World"と"What Good Am I?"の歌詞を書いた翌日に、ディランは"Dignity"を書き上げます。

-------------------------------------------------------
I heard the whole piece in my head -- rhythm, tempo, melody line, the whole bit. I'd always remember be able to remmber this song. The wind could never blow it out of my head.

僕の頭の中では、この曲全体が聞こえた。リズムも、テンポも、メロディラインも、その隅々まですべてが。いつでもこの歌を思い出すことができた。風だって、僕の頭からこの歌を吹き飛ばすことなんてけっしてできなかった。
-------------------------------------------------------

複雑な部分のない単純な曲なので、次から次に行が続いていって、いつまでも長く続けることができるのだそうです。
「左足を踏み出すと、右足がそれについてくる」のと同様に、1行の歌詞に次の1行が続いて出てくるという、面白い喩えをつかっています。

この歌は歌詞だけでなく、曲も一緒に浮かんできたのですね。
前日の"Political World"と"What Good Am I?"とは対照的です。

ごく自然にでき上がり、いつでもこの歌を思い出して歌えるよう、自分の手元に置いておきたい歌。
この歌を、ディランはアルバム"Oh! Mercy"に入れませんでした。
お気に入りの曲のようなのに、不思議です。

-------------------------------------------------------
If I'd have written this ten years earlier, I'd have gone immediately to the recording studio. But a lot had changed and I had no anxiety about that stuff anymore, didn't feel the urge necessity of it.

もしも十年前に書いていたのだったら、僕はすぐにレコーディング・スタジオに行っただろう。でも、多くのことが変わり、そんなことを強く望むことはなくなっていたし、急を要するような必要性も感じなかった。
-------------------------------------------------------

実際にまだ手が痛くて演奏できませんし、急いで録音しなければならないということはなかったのです。

ディランは「録音」ということに自信を失っていたようです。
「僕が百年かけても、良いレコードが作れるとは思えない」。
アラン・ローマックス(Alan Lomax)が野外録音した音の方がよく聞こえるのだと書いています。
この名前、以前も出てきましたね。
あの「偉大なる民俗文書館員」です。

 →CHRONICLES #54 甘い生活

 →CHRONICLES #81 夜会

p.170に入りました。

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人間の尊厳 CHRONICLES #236

千本浜 2005年9月25日

 →bobdylan.com: Dignity

ビストル・ピートの訃報を聞いた日にディランが書き上げた"Dignity"は、なぜか"Oh! Mercy"に収録されませんでした。
私は最近買ったのですが、"Bob Dylan's Greatest Hits, Vol. 3"に入っています。

 ♪ Fat man lookin' in a blade of steel
 ♪ Thin man lookin' at his last meal
 ♪ Hollow man lookin' in a cottonfield
 ♪ For dignity

輸入盤なんで訳詞が付いていませんが、「dignity」とは人間の尊厳のことなんでしょうね。
2行目では、やせっぽちは最期の食事を見ているように聞こえるのですが、連の最後で尊厳を探しているのだとわかります。

 ♪ 鋼の刃のうちにデブが
 ♪ 最後の食卓でやせが
 ♪ 綿花畑でうつろな男が
 ♪ 尊厳を探している

その後の歌詞でも、次々にいろいろな人物が登場します。

Wise man
Young man
Poor man
Somebody
I
you
Blind man
Mary-lou
Drinkin' man
Prince Phillip
Sick man
Englishman

妙に具体的で、それでいて抽象的な人物が出てくるような気がするのですが、それには理由がありました。

ディランは人の名前を覚えるのが苦手なんだそうです。
それで、勝手にその人物の特徴をつかんだ名前を勝手に付けることにしているのです。

この歌に関しては、目の前に登場人物全員が見えました。
それで、普段やっているようにその人物たちの特徴で、呼んでいるのだそうです。

採用されなかった人物像も並べてあります。

The Green Beret(グリーン・ベレー)
The Sorceress(魔法使い)
Virgin Mary(聖母マリア)
The Wrong Man(悪人)
Big Ben
The Cripple(片端)
The Honkey(白んぼ)

もしかしたら、ディランは知り合いにこんな名前をこっそり付けているのかもしれません。
まさか面と向かってそう呼んだりはしてないんでしょうね。
今のディランは魔法使いみたいな外見だと思います。

ところで人間の尊厳というと、私は尊厳死といったテーマよりも、高校生のころ政治経済の授業中に読んでいた資料集を思い出します。
先生の話は聞いていないのです。
ヒマなんで、副教材を熟読しておりました。

朝日訴訟といったような、「健康で文化的な最低限度の生活」を争う裁判が載っていました
ちり紙のような日用必需品が列挙されたリストを眺めていると、絶望的な気持になったものです。

小泉内閣の改革とやらがこのまま行くと、私の老後は悲惨なものになるなあ。
貧乏人はどんどん切り捨てられるので、「健康で文化的な最低限度の生活」を営むのは困難なことでしょう。
「改憲小僧」前原が政権とったら、さらにひどくなるかもしれません。

ただいまp.169です。

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コートの魔術師 CHRONICLES #235

千本浜 2005年9月17日

ディランはユタ・ジャズがニューオーリンズ・ジャズだった時に、ピストル・ピートが出た試合を見たのだそうです。
ということは、1974年から1979年の間のシーズンですね。
場所はニュー・オーリンズ。

 →Wikipedia: ユタ・ジャズ

-------------------------------------------------------
He was something to see -- mop of brown hair, floppy socks -- the holy terror of the basketball world -- high flyin' -- magician of the court. The night I saw him he dribbled the ball with his head, scored a behind the back, no look basket -- dribbled the length of the court, threw the ball up off the glass and caught his own pass.

彼は実にたいした見ものだった。褐色のもじゃもじゃ頭に、締まりのないソックス。バスケットボール界の聖なる恐怖。高く跳ぶ、コートの魔術師。僕が見た夜には、頭でドリブルをして、ゴールを見ずに後ろ向きで得点した。コートの端から端までドリブルをし、ボードとは違う方向にボールを投げ上げて、自分でそのパスをキャッチした。
-------------------------------------------------------

すごいですね。
頭でドリブルって、あなた。
その試合では38得点したそうです。
鮮明に覚えているんですね。
彼ならたとえ目隠しをしていてもプレイできただろうとまで書いています。

ピストル・ピートは70年代のヒーローで、しばらくプロでプレイしていなかったので、忘れられた存在になっていました。
でも、ディランはピートを忘れていませんでした。

-------------------------------------------------------
Some people seem to fade away but then when they are truly gone, it's like they didn't fade away at all.

色褪せて消え去ってしまったように見えても、それから本当にこの世を去った時に、けっして消え去ってはいなかったのだと思える人がいるものだ。
-------------------------------------------------------

ディランはその日、"Dignity"を書き上げます。

 →bobdylan.com: Dignity

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ピストル CHRONICLES #234

文化センター 2005年9月23日

改行して、翌日の話になります。

母親とおばさんのエッタ(Etta)が泊まりにきてきたので、ディランは早起きをしたかったのだそうです。
年寄りが早起きですからね。

空を雲が覆っていて、霧も出ていました。
ディランは台所でおばさんと並んでコーヒーを飲んでいました。
ラジオが朝のニュースを伝えています。

-------------------------------------------------------
I was startled to hear that Pete Maravich, the basketball player, had collapesed on a basketball court in Pasadena, just fell over and never got up.

バスケットボール選手のピート・マラヴィッチがパサデナのコートで倒れ、そして倒れたまま二度と立ち上がらなかったと聞いて、僕は驚いた。
-------------------------------------------------------

バスケットボール選手のことをまったく知らないのですが、伝説的なスタープレイヤーだったんですね。

 →Pete Maravich Biography

小柄だったので、ピストル・ピート・マラヴィッチと呼ばれていたそうです。
伝記映画も作られていますね。
邦題は『バスケット・ボーイ ピート・マラヴィッチの青春』です。

 →The Pistol

しかし、驚きました。
一晩のうちに2曲の歌詞を書き上げた翌朝に、このニュースを聞いているのです。
マラヴィッチが亡くなったのは1987年1月5日。
その直後という、日付までだいたいわかってしまいます。

そうか、お母さんとおばさんは、年末から新年にかけての家族の集まりで、ディランの家に来ていたのですね。

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卵の上を歩いていたら CHRONICLES #233

千本浜 2005年9月19日

ディランは"Political World"を書いた月夜に帰宅すると、アトリエ(art studio)でもう一曲を一気に書き上げました。
アトリエといっても納屋のようなもので、そこにはアーク溶接機(arc-welding equipment)まで置いてありました。
それでガラクタを溶接して、鉄製門扉を作ったことがあるそうです。

ディランは絵を描くだけではないのです。
鉄のゲージツ家でもあったのです。
知らなんだわ。

 →初めてのアーク溶接

このアトリエで書いたのは"What Good Am I?"です。

 →bobdylan.com: What Good Am I?

-------------------------------------------------------
The entire song came to me all at once; don't know what could have brought it on. Maybe seeing the homless guy, the dog, the cops, the dreary play and maybe the antics of Guitar Shorty might have and something to do with it. Who knows?

この歌全体を突然思いついたのだ。どうしてなのかはわからない。もしかしたら、あのホームレスと、犬と、警官と、陰鬱な劇を見たからかもしれない。そしてもしかしたら、ギター・ショーティの風変わりな演奏が関係あるかもしれない。神のみぞ知る、だ。
-------------------------------------------------------

外界との関わりで歌を作ると書いていたのは、こういうことなんですね。
それにしても、一晩のうちに2曲を書き上げています。
創造的な瞬間とは、そういうものなんでしょう。
おそろしく短い時間で、成し遂げているものです。

この歌にも、余分に書いた歌詞がありました。

-------------------------------------------------------
 What good am I if I'm waliking on eggs,
 if I'm wild with excitement and wet between the legs?
 If I'm right in the thick of it and I don't know why,
 what good am I?
 
 もしも卵の上を歩いていたら、僕はどれだけうれしいんだろうか?
 もしもとっても興奮して股間を濡らしていたら?
 もしもその真っ只中に僕がいて、そしてどうしてなのかわからなかったら、
 僕はどれだけうれしいんだろうか?
-------------------------------------------------------

どちらの曲も、メロディはまだまったく付いていなかったそうです。
ディランは詩を書くように曲を作っていくのですね。
この歌詞を書き上げて、ディランは眠りにつきました。

ただいまp.168です。

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ギター・ショーティ CHRONICLES #232

千本浜 2005年9月19日


「夜への長い旅路」を観た後、ディランは四番街にあるハーヴェルズ(Harvelle's)というブルースクラブに立ち寄りました。
そこで、ギター・ショーティ(Guitar Shorty)とJ.J.バッドボーイ・ジョーンズ(J.J. "Badboy" Jones)を観ました。

 →Guitar Shorty

 →JJ BAD BOY JONES

おっと、思ったよりずっと立派な店ですね。
住所は[1432 4th Street Santa Monica CA]であります。

 →Harvell's - ENTER THE NIGHT

サイト内で[Movies]をクリックすると、ギター・ショーティの演奏を観ることができます。
お、ジョン・リー・フッカーJr.(John Lee Hooker Jr.)の映像もありますぜ。

ディランはギター・ショーティが大好きなんですな。
かっこいいブルース・ギターです。

-------------------------------------------------------
He plays guitar with everything but his hands.
-------------------------------------------------------

「両手以外のあらゆるところを使ってギターを弾く」というのは、つまり「全身でギターを弾く」ということなんでしょうね。
映像を観ると、この表現も頷けます。

-------------------------------------------------------
Shorty sounds like Guitar Slim, but he does some wild gymnastics that you'd never imagine Guitar Slim doing.
-------------------------------------------------------

 →Eddie "Guitar Slim" Jones

 ギター・スリムの音はわからないのですが、このギター・ショーティをもう少しクールにした感じなんでしょうかね。

-------------------------------------------------------
While strolling back to the car along the 4th Street, a homeless guy holding his head in his hands was being ordered to move by a couple of cops. A tiny spaniel lay at the guy's feet, the dog's beady black eyes following the nervous movements of his master. I couldn't see that the officers took any pride in what they had to do.

四番街をぶらぶらと車に戻ろうと歩いていると、両手で頭を抱えたホームレスが、二人の警官から移動するように命じられていた。ちっぽけなスパニエル犬がその男の足元に寝ていたが、その犬のビーズのような黒い目が、主人の心配そうな動きを追っていた。警官たちが自分のやっていることに誇りを持っているようには見えなかった。
-------------------------------------------------------

ディランは時々こういう印象的な場面を挟み込みます。
深夜に早稲田通りを歩いていて警官に職務質問されたことを思い出しました。
もう一つ、つい先日地方空港建設のための測量を始めようとしていた県職員の映像も連想しました。

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夜への長い旅路 CHRONICLES #231

千本浜 2005年9月19日
 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]


月の光の中で我に返ったディランの耳に、オートバイの走る音が聞こえます。
窓を開けると、石榴の花の香りがします。
これが"Political World"を一気に書き上げた時の思い出です。

ディランはこの曲で、その数年前に書いた"Clean-Cut Kid"を思い出すのだそうです。
"Clean-Cut Kid"の中にも、ディラン本人がいないのだと言っています。

 →bobdylan.com: Clean-Cut Kid

"clean-cut"というのは、「きちんとした」「身だしなみのよい」ぐらいの意味です。
「さわやかな青年」と言う時の「さわやかな」ですね。
中川五郎さんの訳では「まじめでしっかりした若者」となっています。


 ♪ He was on the baseball team, he was in the marching band
 ♪ When he was ten years old he had a watermelon stand
 
 ♪ He was a clean-cut kid
 ♪ But they made a killer out of him,
 ♪ That's what they did

  ♪ 彼は野球のチームに入っていたし
  ♪ 楽隊の隊員だった
  ♪ 十歳の頃にはスイカ売りをやっていたんだ
 
  ♪ 彼はまじめでしっかりした若者だった
  ♪ だけどみんながよってたかって彼を殺人者に仕立て上げてしまった
  ♪ それが奴らのしたことさ
                      (中川五郎訳)

「アメリカの夢」に破れて死んでしまう男の歌です。
ヒヤリとする歌詞で、今の私はどうも戦争の連想ばかりしてしまいます。

その週は、週末にユージン・オニール(Eugene O'neill)の劇を観に行ったそうです。
ディランの劇評は散々です。
終わった時には嬉しかったとまで書いています。

 →Eugene O'Neill Playwright 1888 - 1953

 →WikiPedia: ユージン・オニール

ディランが観に行ったのは「夜への長い旅路(Long Day's Journey into Night)」です。
オニールの自伝的作品で、完成したのは1940年なんですが、発表されたのは死後25年経ってからなんですね。
ディランは、登場人物たちを気の毒だと思ったが、心を動かされることはなかったと言っています。
不幸な家族の描写などはいたたまれない感じだったのでしょう。

日本で2000年に上演された公演の案内が見つかりました。

 →夜への長い旅路

二度映画化されているようですが、私はどちらも観たことがありません。

 →映画化された小説たち:ユージン・オニール

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月の光 CHRONICLES #230

千本浜 2005年9月17日
 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]


改行して、独り夜の台所で歌詞を書くディランに戻ります。

-------------------------------------------------------
From the far end of the kitchen a silver beam of moonlight pierced through the leaded panes of the window illuminating the table. The song seemed to hit the wall, and I stopped writing and swayed backwards in the chair, felt like lighting up a fine cigar and climbing into a warm bath.

台所の向かい側にある鉛製の枠の窓から銀色の月の光が射し込み、テーブルを照らしていた。歌は壁に突き当たったようだったので、僕は書くのをやめて、椅子に背を預けた。上等な葉巻に火を点けて、それから熱い風呂に入りたいと思った。
-------------------------------------------------------

ディランの情景描写、好きなんですよ。
他に人のいない部屋の中が月の光に照らされている様子は、なんだかよくわかります。
静かな、とても静かな、心地好い孤独です。
「狂気の(lunatic)」の語源になっているほどなので、何か常軌を逸した感情のような気もします。

ディランはずいぶん久しぶりに歌を作ったのです。
レコーディングに使えるはずです。
歌の中に自分が存在しないのが気になったようですが、それはそれでかまいません。
歌の中にいたいとも思いませんでした。

-------------------------------------------------------
I put the words in a drawer, couldn't play them anyway, and snapped out of a trance.

僕は引き出しに歌詞を入れた。いずれにせよ、これを演奏することはできないのだ。そして夢の中から飛び出た。
-------------------------------------------------------

"trance"という言葉を遣ってます。
歌詞を書いている時の「無我の境地」「恍惚」の状態です。
言葉に集中していて、ふと気づくと、テーブルが月の光に照らされていたということなんでしょう。

ドビュッシーのピアノ曲を思い出しました。
冨田勲さんがモーグのシンセサイザーでこつこつと音作りをした時から、もう三十年以上経ってしまったんですね。

そういえば、十五夜でありました。
晴れるといいですね。

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ナイフのように CHRONICLES #229

千本浜 2005年9月16日
 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]


ディランは外界からの刺激で歌を作る詩人なんですね。
例の"Political World"も、現代のできごとがきっかけだったかもしれないと書いています。
大統領選挙が過熱していたので、その情報がいやでも耳に入ってきたのだそうです。

1988年の大統領選挙……ブッシュvsデュカキスですね。
そんなに盛り上がったんでしょうか。
あ、パパ大統領の方です。
その次の1992年にクリントンがブッシュに勝ちました。
しかし、パパブッシュが大統領にならなければ、今のこの戦争もなかったでしょうにね。
誰が当選しても同じ、なんてことはないんですよ。

-------------------------------------------------------
The song is too broad. The political world in the song is more of an underworld, not the world where men live, toil and die like men. With the song, I thought I might have broken through to something.

この歌が歌っている範囲は広すぎるものだ。この歌の政治的世界とは、人が人らしく生きて、苦労して、死ぬ世界のことではなく、ある地下の世界のことをより多く歌っている。この歌のおかげで、僕はあるところへ突破できたのかもしれないと思った。
-------------------------------------------------------

この歌のおかげで、ディランは眠りから目覚めることができたようだったと言っています。
前にも書いたように、元の歌詞は二倍ぐらいありました。
その削った部分が少し書いてあります。

-------------------------------------------------------
We live in a political world.
Flag flying into the breeze.
Come out of the blue
-- moves towards you
-- like a knife cutting through the cheese.

僕たちは政治的世界に暮らしている。
そよ風の中にはためく旗。
はるかかなたから現われて
 君の方へ動く
 チーズを切るナイフのように
-------------------------------------------------------

恐いです。

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心の旅 CHRONICLES #228

千本浜 2005年9月9日

二行空けて話が変わります。

-------------------------------------------------------
A song is like a dream, and you try to make it come true. They're like strange countries that you have to enter. You can write a song anywhere, in a railroad compartment, on a boat, on horseback -- it helps to be moving.

歌というのは夢のようなものであり、人はそれを実現させようとするものだ。入って行かなければならない、見知らぬ国のようでもある。列車の客室の中でも、船の中でも、馬上でも、どこでも歌を書くことはできる。動いているというのが助けになる。
-------------------------------------------------------

歌を作ったことがないので、乗り物に乗っている時が良いというのは、よくわかりません。
鉄道だと、あのレールの継ぎ目が立てるリズムは、邪魔になりそうな気がします。
アトリエとか書斎とか、独りで集中できる場所がいいのだと思っていました。

-------------------------------------------------------
Sometimes people who have the greatest talent for writing songs never write any because they are not moving.

歌を書く才能がとてもあるのに、移動することがないので一つも歌を書かない人も、時にはいるものだ。
-------------------------------------------------------

そうなんだ!
「どうして旅に出なかったんだ」
だから歌を書いてないんだな、私は。
なんだか納得してしまいます。
自分の外側に見聞きしたものが、歌に影響を与えるということですね。

"Political World"に続き、ディランは短い期間に二十曲ほどを作りました。
この期間には移動をしていないそうです。
でも、心の中では旅をしていたというようなことを言っています。

p.166に入りました。
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政治的な世界 CHRONICLES #227


保線区 2005年9月8日

p.165の冒頭で段落が変わります。

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The one thing that I had no strong desire to do was to compose songs. I hadn't written any in a long while, anyway. I had stopped doing that, just wasn't crazy for it. My last couple of record albums didn't contain many of my own compositions.

歌を作りたいという強い欲求はなくなっていた。とにかくもう長い間一曲も書いていなかった。曲作りをやめてしまったのだ。熱意を失っていた。最新のアルバム2枚には、自分の作った曲があまり入っていなかった。
-------------------------------------------------------

"Oh Mercy"(1989)の前のアルバムですか。
"Dylan & the Dead "(1988)を除外すると、"Down in the Groove"(1988)と"Knocked Out Loaded "(1987)ですね。
確かに他の人の作った曲が多いようです。
あと、合作も多いですね。

 →bobdylan.com: Down in the Groove

 →bobdylan.com: Knocked Out Loaded

-------------------------------------------------------
As far as being a songwriter went, I couldn't have had a more casual attitude.

ソングライターであるということに関するかぎり、僕はこのうえもなく無頓着な態度になっていた。
-------------------------------------------------------

とっくにたくさんの歌を作っていましたし、満足できる水準に達するものも多かったことでしょう。
ちょっと思いついたからといって、わざわざそれをちゃんとした曲に仕上げようという情念が湧いてこなかったのです。

ところが、みんなが寝静まった夜中に台所のテーブルに向かっていると、突然何かが変わりました。
一気に書き上げた20連から成る歌詞は"Political World"と名付けました。
"Oh Mercy"の1曲目に入った曲ですね。
アルバムでは半分近くに減っています。

 →bobdylan.com: Political World

 ♪ We live in a political world,
 ♪ Love don't have any place.
 ♪ We're living in times where men commit crimes
 ♪ And crime don't have a face

   僕たちは政治的世界に暮らす
   愛には場所なんてない
   人が犯罪を犯す時代に暮らしているんだが
   犯罪には顔がない


それから一ヵ月かそこらの間に、ディランは二十曲を書き上げます。
音楽を捨てようととまで思い詰めた「休養」期間のおかげで、ディランの表現欲求が甦ったのでしょう。

-------------------------------------------------------
They were easy to write, seemed to float downstream with the current. It's not like they'd been faint or far away -- they were right in my face, but if you'd look too steady at them, they'd been gone.

曲を書くのは簡単なことだった。流れに浮かんでやってくるようだった。かすかだったり、離れていたりもしなかった。僕の顔の真ん前にあったのだ。でも、しっかり見つめると消えそうだった。
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侏儒の言葉 CHRONICLES #226

千本浜 2005年9月9日

手に怪我をして楽器が弾けないことで、ディランは落ち込みます。
あるいは、多少やけになっていたのかもしれません。

-------------------------------------------------------
I began to see less and less of the daylight. I'd lay back in the chair to rest my eyes and then two or three hours later wake up -- go off to get something and forget what I went there to get.

僕はだんだん日の光を見ることがなくなっていった。椅子で横になって目を休め、それから2、3時間して目を覚ます。何かを取りに行くのだけど、何を取りにそこへ行ったのか忘れてしまう。
-------------------------------------------------------

結局ディランから音楽を取り上げることはできないということですね。
心の支えになっていたのは奥さんでした。
ディランによれば、「一緒にいて、おおらかに自分のエネルギーを受け入れてくれる人がいる」というのは、とても大切なことなのだそうです。

ディランの伝記的な事実を知らないので、この奥さんがどんな人なのか、私にはまったくわかりません。
「サラ」ではないんですよね?

-------------------------------------------------------
One day when she was wearing metallic sunglasses I could see myself in miniature and thought how small everything had become.

ある日、妻はメタリックのサングラスをかけていて、ちっぽけな自分が映っているのが見えた。何もかもがとても小さくなってしまったんだなと思った。
-------------------------------------------------------

映画の一場面のようです。
フェリーニでしょうか。
私も自分が本当にちっぽけな人間なんだなと思うことが時々ありますが、ディラン御大にもそんな時があったのですね。

以前バスに乗っていて、「小人料金」にギョッとしたことがあります。
小人は「こびと」か「しょうじん」だよなあ。
大人は「おとな」「たいじん」「うし」ぐらいかな。

 →松岡正剛の千夜千冊:芥川龍之介『侏儒の言葉』

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資本家ディラン CHRONICLES #225

千本浜 2005年9月9日

とりあえず普通の生活(conventional life)を送ってみるのもいいかもしれないとディランは考えました。
音楽業界とは縁のない生活です。

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I was thinking ahead. I called a fried of mine who put me in touch with a broker who bought and sold independent business. Starting one from scratch was out of the quetion.

僕は将来を考えていた。友人に電話をして、独立した企業を売買しているブローカーを紹介してもらった。まったくの最初から始めようなんてのは無理だ。
-------------------------------------------------------

あれま。
起業家になろうとしたのではないのですね。
これは資本家です。
資本家ディラン。

その人はあらゆる業種の業務案内のパンフレット(brochures)を持ってきてくれました。
砂糖きび、トラック、トラクター、ノースカロライナの木製義足工場、アラバマの工場、養魚場、花卉農園……。

実に圧倒的な量のパンフレットです。
ディランは目の上が重くなってきました。
だって興味ないんだもん。

適当な企業を買い取るなんてのは、ディランに向いてなかったようです。

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瞬間の王 CHRONICLES #224

千本浜 2005年9月9日
 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]

>私のなかにあった「瞬間の王」は死んだ。

谷川雁さんが国文社版詩集のあとがきに書いた言葉です。

>人々は今日かぎり詩人ではなくなったひとりの男を忘れることができる。

私は今、潮出版社版『定本 谷川雁詩集』でこれを確認しました。
奥付では昭和53年(1978年)2月25日発行。
潮出版社は創価学会系とされる出版社ですが、当時は精力的に「新左翼」系の本も出版していました。
70年代、彼の政党は反戦平和勢力だったのです。

詩を捨てて「人生」を選んだ、アルチュール・ランボーという永遠の青年のことも思い出します。
もしかしたら書き殴っただけなのかもしれない断片の一行に、私たちは永遠を見いだしたりします。
太陽と一緒に行ってしまった海を。

-------------------------------------------------------
Outside I heard a woodpecker tapping up against a tree in the dark. As long as I alive I was going to stay interested in something. If my hand didn't heal, what was I going to do with the remainder of my days?

外からは、暗闇の中で啄木鳥が木を叩いている音が聞こえた。生きているかぎり、僕は何かに興味を抱き続けるのだろう。もしも手が癒えなかったら、僕は残りの人生をどうすればいいのだろう。
-------------------------------------------------------

手が痛くて、気弱になってしまったのですね。
もしも演奏ができなくなったら、もう音楽の世界にとどまりたくはないと思ったようです。
できるだけ音楽とはかけはなれた、遠い世界。
そう、実業界に入ったらどうだろう。

ディランは漠然と想像するだけでなく、実際にどんなビジネスがいいだろうと考え始めます。
なんだかつげ義春さんのマンガのようでもあります。

p.164に入りました。

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スター千一夜 CHRONICLES #223

千本浜 2004年9月3日

改行して、話が変わります。
テレビをつけると、ジョー・テックスが出ていたのだそうです。
有名なソウル歌手なんだそうですが、私は知らないので検索してみました。

 →"I Gotcha" Joe Tex

1982年に亡くなっているので、ディランが手を怪我している時よりもずっと前のことですね。

出ていた番組はジョニー・カーソンの「トゥナイト・ショー」。
人気番組だったようです。
「ガス灯」時代のディランはよくラジオを聴いていましたが、80年代には音楽番組をよく観ていたのでしょう。

 →ジョニー・カーソン

 →The Official Tonight Show starring Johnny Carson web site

番組のサイトを見ると、1969年から1992年まで放映していたようです。
すごい長寿番組ですね。

ジョニー・カーソンとゲストが楽しく話す番組なのに、ジョー・テックスは歌ってすぐに引っ込んでしまいました。
ディランはこのことがとても気になったようです。

-------------------------------------------------------
Carson used to like to talk to his guests about golf and things like that but he had nothing to say to Joe. I didn't think he would have anything to say to me either. All of his guests tried to be funny, put on a happy face, not come unglued, be like Gene Kelly and go singing in the rain even during a big downpour. If I did that I'd get pneumonia.

カーソンはいつもゲストとゴルフやなにかについて話をしたがったのだが、ジョーと話したいことなど何もなかったのだろう。僕と話すこともないのだろうと思った。この番組のゲストはおもしろいことを言おうとし、楽しそうな顔をして決して怒ったりせず、どしゃ降りの中でもジーン・ケリーのように雨の中へ歌いに行きそうだった。もし僕がそんなことをしたら、肺炎になってしまう。
-------------------------------------------------------

それはそうです。
誰もディランに芸能番組の司会者やゲストの役回りなど求めていないでしょう。
本人も言っているように、ディランはジョニー・カーソンよりもジョー・テックスの方に似ています。

そういえば、あまり観たことはありませんが、日本では「スター千一夜」という長寿番組がありましたっけ。

 →Wikipedia: スター千一夜

ボブ・ディランは紛れもなくスターでした。
実生活では、自分のヨットでカリブの島々を航行していました。
でも、やっぱり「スター千一夜」に出る人ではないと思います。

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マルチニックの少年 CHRONICLES #222

千本浜 2005年9月2日

ディランの船は岩に乗り上げた後に船体が傾き、結局は海の藻屑と消えてしまったそうです。

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In the ten years that I had her my family and I had sailed the entire Caribbean and spent time on every island from Martinique to Barbados.
-------------------------------------------------------

家族との思い出が詰まった船だったんですね。
話のスケールが違いますが、これならわかるような気がします。

 →地球の歩き方:マルチニーク

 →地球の歩き方:バルバドス

マルチニークはフランスの海外県なんですね。
そこでは「崩れたフランス語」とされるクレオールが話されています。
宗主国にとっては「崩れた」言葉であっても、マルチニークの人々にとっては、それが母語です。

『マルチニックの少年』といういい映画があったな。

楽天広場にも蔵出しと称してアップしたような気がするのですが、どうにも見つかりません。
幻泉館本館にあるオリジナルは簡単に見つかるので、しつこいですが再掲しておきます。


【2003年6月20日付日録より】----------------------------

先に0:00から始まった『マルチニックの少年』をPCのディスプレイで眺めながら、テレビではサッカーの試合が流れています。
ああ、もう20年も前の映画になるのか。
おばあちゃんと暮らす貧しい少年というだけで、もうダメ、泣いちゃいそう。
カリブ海フランス領マルチニック島が舞台。
監督のユーザン・パルシーさんは撮影当時27歳という黒人女性です。

映画はジョゼフ・ゾベルという作家の自伝的作品らしい。
土人の言葉、崩れたフランス語とさげすまれているクレオールで、詩的に植民地の生活を表現した『黒人街通り』。
知らないよね。
前半の牧歌的な少年たちの暮らしが実にいい。

1930年代のマルチニック。
当時の日本のことを思い浮かべれば、進学を志した少年と祖母の苦労は並大抵のものではない。

ばあちゃん、洗濯女してがんばるですよ。
最後がなあ、マルチニックの人々の苦難を象徴して終わるのが悲しい。
それが現実なんだから仕方ないのだが。

マルチニックの少年


【2003年6月24日付日録より】----------------------------

今夜も夜なべ仕事をしながら、コンフェデ杯のキックオフ待ち。

初戦の夜に観た『マルチニックの少年』のサントラ盤が届いた。
邦盤販売は「オーマガトキ」という不思議な名前のレーベルなので調べてみると、新星堂チェーンの運営する会社なのであった。
逢魔が時?
『マルチニックの少年』サントラ盤はフランスのサラヴァ(SARAVAH)が出しているもの。
名盤『ラジオのように』(BRIGITTE FONTAINE / COMME A LA RADIO)なんかも、今はこのオーマガトキが出しているのですね。

 →SARAVAH

中にユーザン・パルシー監督の顔写真がありました。
険しい表情で写っていますが、知的な美人なんでしょうね。

映画の原題は"RUE CASES NEGRES"、邦題『黒人スラム物語』とされてますが、邦訳は出てないのかな?
ジョゼフ・ゾベルが原作を発表したのは1950年。
描かれている主人公ジョゼの少年時代は、1930年代初頭。
貧しい黒人たちは、都会に出ると男も女も白い恋人の影を求めて、自己否定的な人種主義に陥ってしまう。
このジョゼフ・ゾベルの十年後にマルチニックで育ったのが、あのフランツ・ファノンであります。

『マルチニックの少年』サントラ盤

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海の若大将 CHRONICLES #221

千本浜 2005年9月2日

二行空けて、話が変わります。

-------------------------------------------------------
It was noontime and I was shuffling around in my old-fashion garden. Cutting around the vacant lot to a bank of field flowers where my dogs and horses were, the strangled cry of a gull came whipping through the wind. Walking back to the main house, I caught a glimpse of the sea through theleafy boughs of the pines. I wasn't near it, but could feel the power beneath its colors.
-------------------------------------------------------

自分の犬や馬が堤防にいるということは、そこも私有地なのでしょう。
アメリカの古風な庭園などんな感じなのかよくわからないのですが、松の枝の間から海が見えるというくだりで、夕陽を見に行く千本松原を想像しました。

ま、とりあえず大金持ちの家ですわな。

ディランの手は大きく切れていて、感覚をなくしていました。

-------------------------------------------------------
Maybe it might not heal, never the same, and the sooner I believed it, the better. Oh, the wicked ironies of life. I'd gotten a cosmic kick in the pants. I probably should have been wearing steel underwear.
-------------------------------------------------------

もうダメかもしれないと思ったら、良くなったんですね。
その後の比喩がまるでわかりません。
人生の皮肉にショックを受けて、股間を蹴られたように感じたのでしょうか。
鋼鉄製の下着を履いたディランとはなかなか想像できません。

改行して、娘たちが出演する演劇を学校へ観に行ったことが書いてあります。
さらに想像しにくい、お金持ちのパパ・ディランなんですが、その舞台上に見た創造的エネルギーのおかげで、自分の感覚が甦ったのだそうです。

親バカと言うなかれ。
きっとディランはおそろしく素直な感覚の持ち主なのです。

こんな最中に、悲しい知らせが届きます。
ディランの63フィート長のヨットがパナマで座礁したのです。

へ?

もう、想像を絶する世界です。
63フィート(20メートル)長のヨットというと大型だと思うのですが、加山雄三さんの光進丸は100フィートあるそうなので、ディランがそれぐらいの船を持っていても、まったく不思議はありませんね。
しかし……。

p.163に入りました。

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歌よ甦れ CHRONICLES #220

千本浜 2005年9月2日

-------------------------------------------------------
This was coming into my life at exactly the right time.

これはまさにふさわしい時に、僕の人生にやってきた。
-------------------------------------------------------

私はディランが神秘主義者だとは思っていません。
時々神がかったようなことを言いたがるのですが、行動原理として長続きするわけではないようです。

自らが紡ぎ出す音楽、自らが歌う歌、具体的なその音が関心の中心となっている、リアリストの像が見えます。
歌が神であるとか、音楽が神であるという言い様もあるのでしょうが、それは比喩にすぎません。

ついつい、詩的な表現をしてしまうんですね。
ディランは詩人だと思います。

二十年以上も前に自分が書いた曲。
その一曲をまったく同じように歌い続ける歌手もいれば、封印して捨て去ってしまった歌手もいます。
ディランの場合は、できれば新しい生命を吹き込みたいと思ったのでしょう。

ライブが命だというと、その都度の即興演奏(improvisation)を重んじる人も多いのでしょう。
聖なる一回性という言い回しには説得力があります。

ディランの場合、新しく発見した演奏法は、それとは正反対なのだと言っています。

-------------------------------------------------------
It doesn't on emotion. That was another good thing. I had been leaving a lot of my songs on the floor like shot rabbits for a long time. That wouldn't be happening any more.

それは感情には基づかない。それもまたもう一つ良いことだった。僕は自分の歌を、仕留めたウサギのように床にほうっておいた。もうそんなことはなくなるだろう。
-------------------------------------------------------

ところが、ディランは片手に大怪我をしていました。
せっかく発見した演奏法を、実際に行なうことができなくなってしまったのです。

ただいまp.162です。

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高校大パニック CHRONICLES #219

千本浜 2005年9月2日

 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]


改行して、また例のダイナミックな奏法のことを語ります。
奇数を基にした展開と三連符という説明をされても私にはまだピンと来ていないのですが、わかったような顔をして読み進めます。

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I had too long been freeze frozen in the secular temple of a museum anyway. It's not a complicated thing. There are sousands if not millions of variations of these patterns so you never run out of ideas. You're always at some unexploited fix point.

とにかく、僕はあまりにも長く、博物館のような非宗教的寺院の中で冷凍保存されて氷結していたのだ。複雑なことではない。このパターンは何百万とはいかないにしても、数千の種類があるので、アイデアが尽きることはないのだ。いつでもまだ利用されていないどこかの定点にいる。
-------------------------------------------------------

ディランの遣う言葉がおもしろいですね。
やっぱりこの人は詩人なんだと思います。
もちろんディランは象牙の塔なんて嫌いでしょうが、でも学問そのものに対する憧れのようなものはあるのかもしれません。

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I'm not good at math, but I do know that the universe is formed with mathematical principles whether I understand them ot not, and I was going to let that guide to me. My playing was going to be an impellent in equanimity to my voice and I would use different algorithm that ear is not accustomed to. It should be, but it's not.

僕は数が得意ではない。でも、僕が理解していても理解していなくても、宇宙は数学的原理で形成されている。そして僕はその原理に導いてもらおうとしていた。僕の演奏は安定した配列を保って僕の声の推進力となり、聞き慣れたものとは異なるアルゴリズムを用いることになる。そうあるべきなのに、そうではなかったのだ。
-------------------------------------------------------

数学が苦手と言いながら、数学で遣うような言葉を連発しているのがおかしいです。
数学的な考え方が好きなんでしょう。
もちろんここで私が言う数学は、大学入試のための受験勉強とは異質なものです。
たとえば、音階やリズムの分割を奇数と言いきれるような感覚の基礎となっているものです。

「数学できんが何で悪いとや!」

こんなキャッチコピーで宣伝していた映画がありました。
石井聰亙監督『高校大パニック』(1978年)です。
ん、日活の劇場版は沢田幸弘と共同監督か?

 →CinemaScape:高校大パニック

高校の数学に関しては私もいろいろ思うところがあるのですが、ま、結局は自分があんまり努力しなかったということにしておきましょう。

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2拍3連の脈拍が CHRONICLES #218

千本浜 2005年9月1日

 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]


60年代の初めにロニー・ジョンソン(Lonnie Johnson)がその奏法を教えてくれた時、ディランはロニーの言っていることがちんぷんかんぷんだったそうです。
言葉の意味(etymology)はわかるのだけど、それを実際にどうやって使うのかがわからなかったのです。

つまり、これを読んでいる私の状態ですね。
まだなんだかぴんと来ませんわ。
もちろん、1987年末のディランには、どうすればいいのかがわかっています。

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Now it clicked. Now I could start getting into it. With a new incantation code to infuse my vocals with manifest presence I could ride high, unconsciously drag endless skeltons from the closet. Thematic triplets making everything hypnotic. I could even hypnotize myself.
-------------------------------------------------------

「hypno-」というのは、「催眠…」という接頭辞です。
例の三連符のおかげで、あらゆるものが、歌っている自分までもが催眠状態になると言ってます。
前に書いていたのと同様、これなら毎晩でも繰り返せるし、疲労も感じないと続けて書いているのですが、これもよくわかりません。
魅力的な上に楽ちんなんですね。
それなら私もぜひマスターしたいものでありますが。

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My audience would stop being a shady army of faceless people. Of course, some of them would still only concentrate on the lyrics and they might be dismayed because the two-beat strum they'd been used to for so long would now be off rhythm, refocused and rushing the songs into the heart of unimagined territory.
-------------------------------------------------------

やっぱりディランの側の意識の問題みたいですね。
ディランはそのころ観客を顔のない人々のように感じて、演奏が苦痛になっていたのです。
「strum」というのは弦楽器をつまびいたり、軽くかき鳴らすことです。
ダウンとアップで一つのセットとなるような2拍を基本とした奏法のことでしょうか。
それがリズムを外れ、そしてまた戻るというのもよくわかりません。
三連符と二拍のリズムはずれるんだけど、最小公倍数の6でまた振り出しに戻るということなのかなあ。

ディランが、「歌詞のみに意識を集中するような聴衆」にうんざりしていたことは確かですね。
まず何よりも自分は歌手なのだというのがディランの自己規定なんですから、言葉だけではなくて音楽を聴いてもらいたいのでしょう。

そういえば、ジャクソン・ブラウンのことで誰かがそんなことを書いていました。
思っていたよりもずっと「音楽的」な人だったというのです。
ディランの場合は、もっと思い込みの強いファンが多かったのでしょう。

ここまで書いて、突然PTANTAさんの「マーラーズ・パーラー」を思い出しました。
PANTA&HALの「マーラーズ・パーラー'80」だと、こんな歌詞がありました。

 ♪ 2拍3連の脈拍が
 ♪ どれだけ愛を訴えようと
 ♪ 君は浮気な李大白
 ♪ つららの夢にしがみついたまま

 →楽譜基礎:2拍3連符

ディランが言ってるのは、これじゃないんですよね?

ついでにPANTAさんの『NAKED』(1993年)に入っている「マーラーズ・パーラーII」の歌詞を見ていたら、おかしい箇所を見つけました。
これは90年代バージョンですな。

 ♪ 風に吹かれ500マイルも吹き飛ばされた
 ♪ フォーク歌手に笑いころげて
 ♪ ギターをぶっ壊したのはそこの誰かさ
 ♪ E=MC2(2乗)
 
ただいまp.161です。

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孤立無援のタンバリン CHRONICLES #217

千本浜 2005年8月18日

「新しい奏法」を追究するうちに、ディランはリンク・レイのことを思い出します。

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Once I understood what I was doing, I realized that I wasn't the first one to do it, that Link Wray had done the same thing in his classic song "Rumble" many years earlier.
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おお、同じことをやっていた人がいた!
これで奏法の雰囲気がわかりますわな。
下の最初のリンク先で、"Rumble"の冒頭が聴けます。

 →Wray, Link (RCS Artists Discography)

 →Guitarist Link Wray

 →Link Wray and his Ace-Men

う?む。
確かに三連符なんだが。
あ、amazonでも試聴できます。
有名な曲なんですね。

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I'd also thought I'd seen Martha Reeves do the same thing. I'd seen her in New York a few years ealier where she'd been playing with the Motown Revue. Her band couldn't keep up with her, had no idea what she was doing and just plodded along. She beat a tambouirine in triplet form, up close to her year and she phrased the song as if the tambourine were her entire band. A tamborine makes no melody lines, but the concept was similar.
-------------------------------------------------------

これはすごい話ですね。
バンドと刻むリズムが違かったのでしょう。
三連符を刻むタンバリンだけで、バンドから遊離して歌ったというのです。

 →Martha Reeves "Official" Website

 →Martha Reeves マーサ・リーブス プロフィール

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三連符 CHRONICLES #216

千本浜 2005年8月18日

すごいよすごいよと、ディランは香具師のようにまくしたてるのですが、私には実際の演奏のイメージがつかめないので、そのすごさがわかりません。

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This is definitely a style that benefits the singer. In folk oriented and jazz-blues songs, it's perfect.
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う?ん、とってもおいしそうです。
なんといっても完璧なんですよ。
わからんなあ。

ディランが考えていたのは、とにかく自分が歌う上で最も効果的な演奏法です。
全音階であれ、5音音階であれ、偶数に基づいていては古臭い月並みなものになってしまうと感じていました。
そこで、力強い効果を生むことができる演奏法に変えようとしたのです。

でも、時間が足りないと感じていたようです。
あの自信家ディランが、自分の楽器の音は周囲の演奏に埋もれて聞こえない方がいいのかもしれないとまで言っています。
それは、歌の骨格から抜け出て自由に歌いたかったからなのです。

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Ideally, I would have liked to have taken a song, played it more than a few times for a musicologist who would then write the basic parts for an orchestrated version. The orchestra could even play the vocal line. I wouldn't even have to be there.
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これではもう本末転倒です。
だいたい、ディランが満足するように編曲してくれる「音楽理論家(musicologist)」なんぞ、この世に存在しないでしょう。

過去の自分の録音を振り返ります。
どの曲にも動的なアレンジ(kinetic arrangement)がまったくなかったと反省します。
スタジオでは、歌はざっとスケッチされるだけで、その影からは何も生まれませんでした。

それに対してこのシステムは、と新しく採用する奏法をまた説明するのですが、ここでやっと具体的な描写が出てきました。

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The total effect would be physiological, and triplet forms would fashion melodies at intervals.

その全体的な効果は生理的なものであり、時に三連符が旋律を形成する。
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やっぱり音程だけではなく、リズムにも奇数3が用いられるようです。

p.160に入りました。

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神秘の数 CHRONICLES #215

千本浜 2005年8月18日

ディランは奇数に基づいた演奏法を讃えます。
しかし、どうも具体的な部分がよくわからないんですわ。

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I'm not a numerologist. I don't know why the number 3 is more metaphysically powerful than the number 2, but it is.

僕は数秘術師ではない。どうして理論的に3という数字が2という数字より強力なのかわからない。でも、そうなのだ。
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三位一体(Trinity)説以前に、ヨーロッパには3を神秘的な数とするが見方があるようです。
ふっとピタゴラスの名前が浮かんだのですが、キリン秋味でいい気持になってしまったので、もう頭が回りません。

ピタゴラス学派の禁忌に「豆」があったそうなので、それについて書いた寺田寅彦さんの随筆にリンクを張って、今夜はおやすみです。
豆はいいよな、豆は。

 →ピタゴラスと豆:寺田寅彦

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ペンタトニック・スケール CHRONICLES #214

保線区 2005年8月24日

「偶数と奇数」ということを読んでまず思い浮かべたのは、和音やハーモニーのことです。
四弦楽器の一五一会はキーの第一音と、その五度上の音に合わせます。
ギターは普通は「1・3・5」の音でコードを鳴らしますが、一五一会の場合は三度の音を省くので、長調(major)も短調(minior)もありません。

でも、これは奇数が基本だから違うよなあ。
と思って、成毛滋さんのギター教本を思い出したのでした。
4ビートも8ビートも2の倍数ですから、偶数システムではなかろうかと。

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The system works in a cyclycal way. Because you're thinking in odd numbers instead of even numbers, you're playing with a different value system. Popular music is usually based on the number 2 and then filled in with fabrics, colors, effects and technical wizardry to make a point.
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"fabrics"や"colors"は「構造」や「音色」といった読み方もできますが、そのまま比喩として「織物」や「色」もいいですね。
いや、比喩ですらなく、ディランは本当に質感や色を感じたりしているように思えるのです。

「2」という数字を基本にすると、無難だけれど結果として貧弱なものしかできあがらなくなってしまった、もうそれでは懐古的なものしか作れないと言っています。

あれあれ、ピッキングの問題ではありませんね。
やっぱり音程を問題にしているようです。

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In a diatonic scale there are eight notes, in a pentatonic scale there are five. If you're using first scale, and you hit 2, 5 and 7 to the phrase and then repeat it, a melody forms. Or you can use 2 three times. Or you can use 4 once and 7 twice. It's infinite what you can do, and each time wouild create a different melody. The possibilities are endless.
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"diatonic scale"は全音階、"pentatonic scale"は5音音階のことです。
あれ、全音階は7音じゃないのかな。
ディランさん、頭の中で「ド」を二回数えてないですか。

 →移調の限られた旋法

可能性が無限に広がるというこの奏法、私にはまだ具体的なイメージがわきません。
ただいまp.158です。

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魂を売ったギタリスト CHRONICLES #213

添地町 2005年8月24日

ディランはその奏法を自分で考え出したものではないと書いています。
1960年代の初めにロニー・ジョンソン(Lonnie Johnson)が弾いているのを見たんだそうです。
ロニー・ジョンソンは1930年代から活躍していたブルース・ギタリストで、ディランがグリニッジビレッジでレコーディングを夢見ていたころも、現役だったのです。

 →ロニー・ジョンソン(Lonnie Johnson)

ロバート・ジョンソンも、ロニー・ジョンソンから多くのことを学んだギタリストでした。

 →ロバート・ジョンソン(Robert Johnson)
 
そうそう、ロバート・ジョンソンは悪魔に魂を売り渡してギターの腕前を上げたという伝説のある人ですね。
中島らもさんも芝居でそのネタを使ってましたっけ。

ディランはロニー・ジョンソンから直接実際に奏法を教わりました。

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Lonnie took me aside one night and showed me a style of playing based on an odd-instead of even-number system. He had me play chords and he demonstrated how to do it.
-------------------------------------------------------

ロニーがいつもそういう演奏をしていたというわけではありません。
プロですからいろいろな演奏を知っていて、その一つをディランに教えてくれたのです。
「役に立つことがあるかもしれない」とまで言ってくれます。

ディランは秘密を教えてもらったとは思ったのですが、歌を歌うためにギターをかき鳴らすということが必要だったので、当時はあまりそれが意味を持っていませんでした。

しかし、「偶数ではなくて奇数に基づいた演奏法」とは何なんでしょうか。
ピンと来ませんね。
もちろん、その説明が始まります。
たぶん。

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カーターファミリー奏法 CHRONICLES #212

千本浜 2005年8月17日

怪我とか病気の時は気持が弱くなるものです。
ディランも腕を怪我して、ずいぶん気分が落ち込んでいたようです。

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Now I was staring into the dark where all things seemed to be coming from. Like Falstaff, I'd been heading from one play into the next, but now fate itself had played a nightmarish trick. I wasn't Falstaff anymore.
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"Falstaff"という人物は誰なのかしらと思ったら、「リーダーズ英和」に載っていました。

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Falstaff
フォールスタッフ Sir John Falstaff《Shakespeare の Merry Wives of Windsor および Henry IV に出る大兵肥満の騎士, 陽気で頓智があってずぼらな喜劇的人物》.
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別の劇に出演している登場人物なんですな。
このキャラクターは知りません。
ああ、順番が逆なんですな。
『ヘンリー4世』に登場させた老騎士フォールスタッフをエリザベス女王が気にいって「彼の恋物語が見たい」と言ったので、『ウィンザーの陽気な女房たち』が書かれたんだそうです。
きっとディランも好きなキャラクターなんでしょう。

 →ウィンザーの陽気な女房たち

さらに「リーダーズプラス」の方には、シェークスピアの劇を元にしたヴェルディのオペラも載っていました。

-------------------------------------------------------
Falstaff
n. 『ファルスタッフ』 《Verdi の 3 幕のオペラ (初演 Milan, 1893); 台本は Boito, 原作は Shakespeare の Merry Wives of Windsor_ および King Henry IV》.
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ディランはうめくばかりでしたが、この辺りから具体的な演奏の話が始まります。
自分の歌を再生するために一所懸命新しい歌唱法と取り組んでいたディランですが、ギターの奏法に関しても、何か新しい発見があったのでしょう。

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I played in the casual Carter Family flat-picking style and the playing was more or less put of habit and routine. It always had been clear and readable but didn't reflect my psyche in any way. It didn't have to. The style had been practical, but now I was going to push that away from the table, too, and replace it with something more active with more definition of presence.
-------------------------------------------------------

ちかごろ路上で弾いている人達はひたすらがちゃがちゃとストロークしていることが多いようで、カーターファミリーピッキングはあまり見かけませんね。
ウッディ・ガスリーやボブ・ディランというより、なんといっても70年代初めの吉田拓郎さん、それから晩年の高田渡さん。
カーターファミリーピッキングは私にとって、ギターの基本奏法であります。
自分で夜泣きする時にかっこよくベース音が走ったりはしませんが、ドスンとベース音を弾いて、ちゃら?んとストロークさせています。

 →カーターファミリーピッキング

さて、もっと存在感をはっきり際立たせてくれる奏法とはどんなものなんでしょうか。
ただいまp.157です。

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肉と血 CHRONICLES #211

千本浜 2005年8月18日

ディランは「せめて二十歳若かったら」と、らしからぬ言葉を吐く前に、音楽ジャーナリストに対する不信を述べています。

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Most music journalists had become nothing more than a public relation staff anyway.
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音楽ジャーナリストのほとんどは宣伝マンにすぎないものになってしまっているので、新しくやりなおそうというディランは、観客の口コミに頼らざるを得ないのです。
とにかく春まで待たなければなりません。

学生時代同じサークルにいた人物のことを思い出しました。
前にも書いたかもしれません。
深夜番組で、数十秒の映画宣伝枠を賭けて何か必死にやっていました。
「表現者」であったはずの彼は外国映画配給会社の宣伝マンでした。
映画産業に関わることができて幸せだったのかしら。
自分の映画を作るはずじゃなかったのかい。

二行空けて話が変わります。

-------------------------------------------------------
Returning form the emergency room with my arm entombed in plaster I fell into a chair -- something heavy had come against me. It was like a black leopard had torn into my tattered flesh.
-------------------------------------------------------

そうそう、ディランは腕に怪我をしていたのでした。
また豹が出てきましたね。
最も身近な猛獣が豹だということでしょうか。

"entomb"は"tomb(墓)"の派生語ですね。
"tomb"は[tu:m]と読みます。
"comb"は[koum](櫛)。
"bomb"は[bam](爆弾)。
英米語の綴りと発音の関係はまったくめちゃくちゃで困ります。

"en-"を頭に付けて動詞化すると、「墓に入れる」。
ここでは「閉じ込める」ぐらいの感じで使っているのでしょう。
ギプスをはめられては、確かに使い物になりません。
おまけにひどく痛むのです。

"tatter"は「ずたずたに引き裂く」。
"flesh"は「肉」です。
"fresh"(新鮮な)とは違いますよ。

そういえば、有名なSFマンガ"Flash Gordon"のタイトルをもじった、"Flesh Fordon"という映画がありましたっけ。
1980年に"Flash Gordon"が映画化される前のパロディ版。
実にばかばかしくもお下品な映画で、結構人気があったように思います。
一説では"Flash Gordon"より面白いということになっております。

 →Wikipedia: Flash Gordon

 →FLESH GORDON

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せめて二十歳若ければ CHRONICLES #210

千本浜 2005年8月18日

ああ、あと二十歳若かったらなあ。
およそディランの言いそうにないことです。
ところが、一からやり直す決意をしたディランは、ふとそんな言葉をもらします。

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I wished I was at least twenty years younger, wished that I had just dropped on the scene all over again. But what could you do? I would have liked some help, but I didn't expect any.
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実際のディランは既に大御所で、名声を勝ちえています。
だからこそ好きにツアーを組むことができるのですが、それでも以前のトラブルから、かかわりたがらないプロモーターも多かったそうです。

当時のディランは四十代後半にさしかかったところです。
そうか、今の私より若いんだ。

全部ご破算にして一からやりなおしたいという気持はわかります。
でも、既に頂点を極めたように見える人物が、同じ「歌」で最初からやり直したいというのは、想像を超えたところにあります。
それも、岡林信康さんのように過去の自分を清算してしまおうというわけでもないようなのです。

せめて二十歳若かったら。
新しく登場したばかりだったらよかったのに。
ディランがふともらした言葉が、妙に心に残りました。

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三年たったら CHRONICLES #209

千本浜 2005年8月18日
 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]


トム・ペティとのツアーを終えると、引退の意志は覆っていました。
あの自然な歌唱法ではなくて、ロカルノ広場でひらめいた表現方法、それで一からやりなおそうという気になっていたのです。

グレイトフル・デッドとのコンサートを突っ込んだエリオット・ロバーツと、ロンドンのセント・ジェームズ・クラブで会いました。
トム・ペティとのツアーも、この人がやっていたんですね。

 →The St James's Club

-------------------------------------------------------
I told him I needed to work two hundred show dates the next year. Elliot was pragmatic, said that I should take a couple of years off and then come back.
" The picture is perfect like it is," he said. "Let it be."
"No," I said. "It's not perfect and I have to correct this."
-------------------------------------------------------

日本語でも計画を立てることを「絵図を引く」と言ったりしますが、それに似てますね。
しっかりと長い休みをとって、じっくり計画を練ってからツアーをすべきだとエリオットは言うのですが、ディランは聞きません。

トム・ペティとのツアーが終わったのが12月。
その直後に、二人はビールを飲みながら相談をしています。
エリオットは、せめて春まで待てと妥協案を出します。
確かに、エリオットに考えてもらう時間も必要でしょう。
ディランはそれで納得します。

エリオットはバンドを準備しておこうと言ってくれます。
これにディランは喜んでいます。
他の誰かが自分のためにバンドを用意してくれるなんて、考えたこともなかったのだそうです。

アルバム"New Morning"を録音した時はおまかせだったような気もするのですが、スタジオ録音とツアーは違うということなのかしら。

さらにディランは、その翌年と翌々年、つまり三年間に渡って同じ場所でコンサートを行なうスケジュールを要求します。
年間200回のコンサートツアーを、三回繰り返すというのです。
すごいですね。

ディランの心積もりでは、最初の年にはまだ新しいことは始まらないのです。
三年経てば、年配の古い観客が来なくなり、新しい若いファンに入れ替わるだろうと考えました。
つまり、ディランは未来のことを真剣に考えるようになっていたのです。

三年というのは、妙にリアリティがありますね。
泉谷しげるさんのエレック時代の曲、「帰り道」を思い出しました。

 ♪ 三年たったら楽になれるというから
 ♪ 僕はがまんして働いてきた

 ♪ いろんな人にどなられても
 ♪ こずきまわされても
 ♪ 三年たったらというから

 ♪ 三年たったのに 三年 三年たったのに
 ♪ もうもう三年たったのに

つらい歌です。
私の場合はだいたい三年ぐらいでいやになって会社を辞めることが多かったですね。
ダメじゃん?。

p.155に入りました。

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ロカルノの奇跡 CHRONICLES #208

千本浜 2005年8月17日

引退するつもりで、それでも船を進めていたディランですが、突然その船がバラバラに壊れてしまいました。
スイスでのコンサートの最中に、突然声が出なくなってしまったのです。

-------------------------------------------------------
Then, one night in Locarno, Switzerland, at the Piazza Grande Locarno, it all fell apart. For an instant I fell into a black hole. The stage was outdoors and the wind was blowing gales, the kind of night that can blow everything away. I opened my mouth to sing and the air tightened up -- vocal presence was extinguished nothing came out.
-------------------------------------------------------

あれま、例の歌唱法もまったく役に立たなくなっていたそうです。
ところがところがぎっちょんちょん。
3万人の観客の前で声が出なくなったディランは、ここでまた新しい技法を思いついて実行するのです。
おお、何がなんだかわからんぞい。

-------------------------------------------------------
Everyhing came back, and it came back in multidimension. Even I was surprised. It left me kind of shaky. Immediately I was flying high.
-------------------------------------------------------

なんとも忙しい話でして、大観衆の面前でディランは大変身を遂げたのだそうです。
三十年以上も歌い続けてきて、初めて見た地点でした。
いったいディランに何が起きたのでしょうか。

問題の場所グランデ広場は、ロカルノ映画祭が開かれるところですね。
3万人の観衆はすごいと思います。

千本浜 2005年8月17日


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俺らいちぬけた CHRONICLES #207

千本浜 2005年7月31日

デッドとのコンサートで歌唱法に関して天啓を得た後、ディランは再びトム・ペティ&ハートブレイカーズとのツアーに戻りました。
バンドのメンバーに、やりたい曲を聞きます。
そして、イスラエル(テルアビブ、エルサレム)、スイス、イタリアと4回のコンサートで、重複せずに80曲を歌います。
この技法を試すためでした。

-------------------------------------------------------
It seemed easy. The angles I was using were unwieldy but highly effective. Because of this different formulaic approach to the vocal technique, my voice never got blown out and I could sing forever without fatigue.

楽に感じた。僕が採用した視点は扱いにくが、とても効果的だった。歌唱の技術に対する新しい新しい原理のおかげで、僕の声は消えることもなく、いつまでも疲れずに歌うことができた。
-------------------------------------------------------

まったく無理をせずに歌えるようになったということらしいですね。
ディランはその時、歌うことで疲労を感じていたのです。
技法を変えることで復活しつつありましたが、まだ観客との間に繋がりを見いだせずにいました。

ツアーに客は入っていたが、どうせトム・ペティを観に来た人達だ、僕の聴衆などあまりいない……御大がそんなふうに感じていたとは驚きです。
観客が射撃場の人形標的に見えたとさえ書いています。

-------------------------------------------------------
It had become monotonous. My performances were an act, and the rituals were boring me.

コンサートは単調なものとなっていた。僕の演奏は演技であり、その儀式に僕はうんざりしていた。
-------------------------------------------------------

歌い方を変えたおかげで引退を決めた時のように歌って消耗することはなくなっていました。
でも、ディランはツアーが終わったら引退するつもりでいました。

-------------------------------------------------------
I was sailing along.
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ディラン&ザ・デッド CHRONICLES #206

千本浜 2005年7月31日

ディランが天啓を得たのは、歌い方という技術的な問題でした。

-------------------------------------------------------
I used to do this thing, I'm thinking. It was a long time ago and it had been automatic. No one had ever taught me. This technique was so elemental, so simple and I'd forgotten.

僕も昔はこうしていたのだと思う。ずっと昔のことで、自動的にやっていたのだ。誰にも教わったことはなかった。この技術はとても基本的なことで、とても簡単なことだったのだが、僕は忘れていた。
-------------------------------------------------------

「ズボンのボタンのかけ方を忘れてしまったようなものだ」とも書いています。
そんなに基本的な技術を、いつのまにか忘れてしまうものなのでしょうか。

改行して、ディランは何事もなかったかのように、リハーサルに戻ります。
そして、早速あの年老いたジャズ歌手が歌っていたのと同じ方法で歌えるかどうかを試してみます。

-------------------------------------------------------
At first it was hard going, like drilling through a brick wall. All I did was taste the dust. But then miraculously something internal came unhinged.

煉瓦の壁に穴を空けるように、最初はうまくいかなかった。埃の味しかしなかった。でも、それから奇跡的に僕の内部にあるものが外れたのだ。
-------------------------------------------------------

何か余計な技法を身につけてしまっていたということなんでしょうか。
最初は思うように声が出なかったけれど、脳を経由せずに身体の下の方から歌声が出るようになったそうです。
そういう言葉は使っていないのですが、なんだか「丹田」とか「チャクラ」とか言い出しそうです。

これでディランは歌を、言葉の世界に限定することなく歌えるようになったんだそうです。
デッドとのコンサートは、その転回点になったということですね。
「もしかしたらデッドが僕の飲み物に何か入れたのかもしれない」という冗談まで書いています。

この時のツアーのライブ盤が"Dylan & The Dead"(1987年)だと思うのですが、選曲はデッドのリクエストだったんですね。
不思議なアルバムだと思います。
amazpn.co.jpだと1279円(悪税込)で買えるので、お勧めです。
試聴もできますよ。

Dylan & The Dead [Live, 1987]

1.Slow Train
2.I Want You
3.Gotta Serve Somebody
4.Queen Jane Approximately
5.Joey
6.All Along the Watchtower
7.Knockin' on Heaven's Door

Dylan & Dead

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ぼくを探しに CHRONICLES #205

千本浜 2004年8月13日

リハーサルを抜け出したディランは、通りを少し歩いてから、ジャズコンボの演奏が聞こえるバーに飛び込みます。

-------------------------------------------------------
It was raining and there were few people inside. One of them was laughing at something. It looked like the last stop on the train to nowhere and the air was filled with cigarette smoke. Something was calling to me to come in and I entered, walked along the long, narrow bar to where the jazz cats were playing in the back on a raised platform in front of a brick wall.
-------------------------------------------------------

何かに呼び寄せられるように、ディランは中に入っていきます。
ステージから4フィートもないところに立って、ジントニックを注文します。
4フィートというと約120cmですから、ステージから1メートル程度と考えればいいのでしょう。
その距離で歌手と向かい合います。

-------------------------------------------------------
An older man, he wore a mohair suit, flat cap with a little brim and shiny necktie. The drummer had a rancher's Stetson on and the bassist and pianist were neatly dressed. They played jazz ballads, stuff like "Time on My Hands" and "Gloomy Sunday." The singer reminded me of Billy Eckstine.
-------------------------------------------------------

ジャズミュージシャンはお洒落ですよね。
「brim」というのは帽子の「つば」のことです。
あたしはモヘアというのがよくわかっておりません。
「Stetson」というのは商標で、縁の広いフェルト帽、つまりカウボーイハットのようです。

 →モヘア&ウール

"Time on My Hands"はamazon.co.jpでDuke Jordanの演奏が試聴できます。
"Gloomy Sunday"は「暗い日曜日」ですね。
自殺ソングとして有名ですが、ビリー・ホリデイもヒットさせたようです。

 →Gloomy Sunday

ビリー・エクスタインは伝説的なジャズシンガーで、白人でいえばちょうどフランク・シナトラに相当するようなビッグネームです。

 →Wikipedia: Billy Eckstine

まるで気取ったところのない、おなじみの曲をどこかで聴いたような感じで演奏して歌ってくれる小さなジャズバーといったところでしょうか。

-------------------------------------------------------
He wasn't very forceful, but he didn't have to be.; he was relaxed, but he sang with natural power. Sudenly and without warning, it was like the guy had an open window to my soul. It was like saying, "You should do it this way." All of a suden, I understood something faster than I ever did before.
-------------------------------------------------------

明らかにディランの方が格が上だと思うのですが、こんなふうに天啓を受けてしまうのが、御大のおもしろいところです。

もちろんディランは自分でディランを取り戻したのです。
ただ、そのきっかけを求めていたのでしょう。

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ばっくれディラン CHRONICLES #204

千本浜 2005年7月27日

ディランとトム・ペティの18ヶ月に及ぶ長いツアーは、間に中休みの期間がありました。
そこにエリオット・ロバーツ(Elliot Roberts)が、ディランとグレイトフル・デッドのツアーを突っ込みました。
自分の歌に自信をなくしていたディランなのに、大変ですね。
ロバーツは、ニール・ヤングのマネージャーをやってる人なのかな。

 →The Official Home Page of Grateful Dead

リハーサルのために、ディランはサンラフェルに行きました。
リーダーズプラスより引用します。

-------------------------------------------------------
San Ra・fael
1 サンラフェル 《California 州西部, San Francisco の北西にある住宅都市, 4.8 万; Dominican College of San Rafael (1890) の所在地, 北に Hamilton 空軍基地がある》
-------------------------------------------------------

軽い気持でリハーサルに行くと、デッドのメンバーはディランが予測していなかった数多くの曲を練習したがっていました。
トム・ペティとのツアーでやっていない曲です。

-------------------------------------------------------
They wanted to run over all the songs, the ones they liked, the seldom seen ones. I found myself in a peculiar position and I could hear the brakes screech. If I had known this to begin with, I might not have taken the dates. I had no feelings for any of hose songs and didn't know how I could sing them with any intent.
-------------------------------------------------------

一度録音しただけで、ほっぽらかしていた曲です。
いろいろな曲の歌詞が混ざってしまってさえいたそうなんです。
もちろん気持を込めて歌うことなんてできません。

そこでディランがとった行動が驚きです。
ホテルに忘れ物をしたとか言って外へ出てしまいました。
そのまま歩き出して、もう戻らないつもりでした。

あれま。
バックレちゃいましたよ。
担当編集者にウソをついて外に出て映画など観に行ってしまった手塚治虫さんを思い出しました。

p.150に入りました。

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コンドルの餌 CHRONICLES #203

千本浜 2005年7月28日

"Another Side of Bob Dyaln"の曲ができないことで苦しい言い訳をしながら、ディランはこう感じていました。

-------------------------------------------------------
Actually, I don't know who was making excuse, for I had closed the door on my own self. The problem was that relying so long on instinct and intuition, both these ladies had turned into vultures and were sucking me dry. Even spontaneity had become a blind goat. My heystacks weren't tied down and I was beginning to fear the wind.

実際は誰が言い訳しているのかも、僕にはわからなくなっていた。というのも、僕は自分に付いているドアを閉ざしてしまっていたのだから。問題なのは、僕はとても長い間本能と直感に頼ってきたのだが、今ではこの貴婦人たちがコンドルに姿を変えて、僕を吸いつくそうとしていることだった。自然な行動も、目の見えない山羊になってしまっていた。干し草の山はほどけ、僕は風を恐れるようになっていた。
-------------------------------------------------------

実に詩的な表現なのですが、「vultures(猛禽)」や「goat(山羊)」にどのような寓意があるのかは、わかりません。

まるでミュージシャンとしての自我が崩壊してしまったような書きぶりですが、でも今まで「本能と直感」に頼ってきたからいけないのであって、やはり技術的に解決できると言っているようにも見えます。

技術の問題点はこの後に書いてあるのでしょうが、純粋に技術的な問題なのか疑問です。
自分のやっていることが実感を失って、現実感が希薄になっていたのではないかなと思います。
まあ、天才の考えることですから、凡人には結局わからないのかもしれませんが。

ただいまp.149です。

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マイ・バック・ページ CHRONICLES #202

千本浜 2005年7月28日

テンチがディランにせがんだ曲は"Chimes of Freedom"や"My Back Pages"や"Spanish Harlem Incident"だったそうです。

 →"Chimes of Freedom"

 →"My Back Pages"

 →"Spanish Harlem Incident"

おやおや、例に挙げてあった曲は、3曲ともアルバム"Another Side of Bob Dylan"(1964年)に入っていた曲ですね。
これはどういうことなんでしょうか。

 →bobdylan.com: Another Side of Bob Dylan

ひとつは、テンチは他にも古い曲をやろうと言っていたのに、ディランの記憶が特にそのあたりに集中してしまったという可能性があります。
"Another Side of Bob Dylan"を、ディランは自分の「フォーク時代」の象徴のように感じているのかもしれません。

もうひとつは、実際にテンチがそのアルバムの曲をやりたがっていたということ。
テンチは1953年生まれですから、私と同様にだいぶ後になってから"Another Side of Bob Dylan"を聴いたのかもしれません。

ディランがライブで歌う曲は、20曲程度に限られていたそうです。
その20曲以外は、もう自分の曲として歌う気がなくなっていたのです。
テンチは、たとえば"My Back Pages"をディランが歌うところを見たことがなかったんでしょうね。
レコードで親しんだ曲を、ディランと一緒に生で演奏したかったのだと思います。

 ♪ Ah, but I was so much older then,
 ♪ I'm younger than that now.

 ♪ ああ、あの頃の僕より
 ♪ 今の方がずっと若いさ

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てんち CHRONICLES #201

千本浜 2005年7月28日

トム・ペティ&ハートブレイカーズのベンモント・テンチは、よくディランの昔の曲をやろうよと言ってきたそうです。
その度にディランは下手な弁解を考えるのです。

 →The Unofficial Benmont Tench Site

 →Benmont Tench(日本語)

キーボード奏者です。
ベンモントというより、ビンマンに近い音らしいです。
ツアーの曲なんてディランが勝手に決めてそうな気がするのですが、「マイ・バック・ペイジズ」やりましょうよとか言われて、しどろもどろに言い訳をしているディランを想像するとおかしいです。

この人は1953年生まれですから、かなり私の年齢に近いですね。
リンクは張っていませんが、あちこち覗いたサイトに書かれていることから読み取れるのは、ロックのピアニストとしてのキャリアが長く、なおかつ数多くのミュージシャンからリスペクトを受けていることです。
二番目のリンク先はトム・ペティ&ハートブレイカーズのファンサイトなんですが、テンチの参加したセッションを掲載しています。

 →Benmont Tench セッション参加作品

すごい経歴ですわ。
ああ、そうなんだというアルバムがいくつもあります。
ディランだと"Shot Of Love"(1981年)にはもう参加してるんですね。
私としてはU2の"Rattle And Hum"(1988年)や、ジャクソン・ブラウンの"I'm Alive"(1993年)、"Looking East"が「へぇ?」というところですが、たぶん他の皆さんの場合は別のセッションのところで「へぇ?」と思うのでしょう。
というか、私がモノを知らないだけなんですな、きっと。

ついつい辞書を引いてしまいました。

-------------------------------------------------------
tench n (pl ?, ?・es) 【魚】 テンチ《欧州産のコイ科の食用魚の一種》
-------------------------------------------------------

おぉ。
「Tinca tinca」というやつですな。
もちろん食べたことありません。

 →Tinca tinca - Tench

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幻視のなかの未来 CHRONICLES #200

千本浜 2005年7月31日

トム・ペティ&ハートブレイカーズとのツアーは、ディランにとって精神的に相当きついものだったようです。

-------------------------------------------------------
Tom was at the top of his game and I was at the bottom of mine. I couldn't overcome the odds. Everything was smashed. My own songs had become strangers to me, I didn't have the skill to touch their raw nerves, couldn't penetrate the surfaces. It wasn't my moment of history any more.
-------------------------------------------------------

おれの時代は終わった宣言をしちゃってますな。
このツアー終わったらお金をもらって引退だぜなどとも書いてます。
これは、本当にそんな気持になっていたのでしょう。

-------------------------------------------------------
The mirror had swung around and I could see the future -- an old factor fumbling in garbage cans outside the theater of past triumphs.
-------------------------------------------------------

やっぱりディランの文章はおもしろいです。
"fumble"というのは「手探りする」「探し回る」という意味なので、過去に数々の栄光を刻んだ劇場の外で、ごみ箱を漁っている老俳優なのだと言っているわけです。
鏡が揺れて、その中にそんな自分の姿が見えるんですよ。

なんだか身に覚えがあります。
何かの折に、自分の未来の姿が見えることがよくありました。
だいたい二つのパターンですね。

一つは今で言うホームレスの姿です。
もちろん私に過去の大勝利なんぞはありません。
吾妻ひでおさんの『失踪日記』のようなことを自分がやっている姿が、ふと見えたのです。
つげ義春さんのようなと言った方がいいでしょうか。
それはとても恐いことなのですが、なんだかとても楽になれるような気もしました。

ソルジェニーツィンの『イワン・デニーソヴィッチの一日』のような毎日かもしれません。
ただただその日の食い物と暖を取ることだけを考えて、なんとか切り抜けようとする時間の連続なのです。

もう一つの姿は、「平凡な家庭」を築いている自分の姿です。
それも、老夫妻なのです。
特に関わりもない女性と話をしながら、突然齢を重ねた二人が日の当たる廊下でお茶を飲みながら、「いろいろなことがあったねえ」などとしみじみしているのです。
田舎町の食堂の親父かなんかになってる自分の姿なんてのがつげさんのマンガにありましたね。

もちろんディランの場合は実現しなかった未来です。
私の場合、このごろそんな想像はしなくなりましたが、これからどうなるのかまったくわかりません。

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南部訛 CHRONICLES #199

千本浜 2005年7月31日

二行空けて話が変わります。

-------------------------------------------------------
I'd been on an eighteen month tour with Tom Petty and the Heartbreakers. It would be my last.
-------------------------------------------------------

最後のツアーになるのだと言っています。
これでもうライブツアーは終わりにしようと思っていたのでしょう。
もう、歌が自分から離れていってしまったから。

やっぱりトム・ペティが出てきましたね。
私にとっての80年代のディランは、まさにこれです。
他にはまったく聴いたことがありませんでした。

トム・ペティというと私はなんだか若手のような印象があるのですが、1950年生まれなので、55歳になるんですね。
お、穴沢兄貴や五黄の寅兄貴とタメですわ。

 →トム・ペティ

 →TOM PETTY & THE HEARTBREAKERS

 →WikiPedia: Tom Petty

よく参考にさせていただいている最初のリンク先サイトでは「過渡期的作品」と書かれていますが、その"Southern Accents"が私には一番おなじみです。
つまり「南部訛り」ですね。

 →サザン・アクセンツ

 →Southern Accents

よくアメリカの小説の翻訳で南部の黒人言葉が東北弁らしきズーズー弁になっていたりするのが、実に不思議です。
けっしてでんがなまんがな関西弁や、どってんばってん九州弁になっていたりはしません。
農業や素朴さというステロタイプな思い込みが反映されているのでしょうか。
それでいて南部の白人言葉、つまり「南部訛り」は「標準語」で翻訳されていたりするのです。

以前深夜に見たタモリさんの番組に大叔父がアルベール・カミユだというセイン・カミユが出ていて、南部訛りの真似をしてくれました。
とてもおかしかったので、よく覚えているのです。
なんだかのどかな県のずらだら弁が少し酔っ払っているような感じでした。

ただいまp.148です。

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唄を忘れた金糸雀 CHRONICLES #198

千本浜 2005年7月31日

ディランのスランプの話が続きます。
本当にそう思っていたのなら、おそらく引退を真剣に考えていたような内容です。
今はツアーを続けていたので、その状態は脱したのでしょう。
まだそこまで読んでいませんが、おそらくは"Oh Mercy"というアルバムはその立ち直りのきっかけとなったはずです。

-------------------------------------------------------
Many times, I'd come near the srage before a show and would catch myself thinking that I wasn't keeping my word with myself. What the word was, I couldn't remember, but I knew it was back there somewhere. I tried to figure this out, but there didn't seem to be any formula. Maybe if I had seen coming, I could have fixed it in its tracks, but I didn't.
-------------------------------------------------------

歌詞が、自分から離れてしまっているのを、ステージの直前に感じているのです。
忘れてしまったというような書き方をしているのですが、実際は言葉を覚えていても、実感がなくなっていることに気づいたのではないでしょうか。

今の日本のヒットチャートに名前が並ぶような歌手が、ステージに上がる前にこのような苦悩を感じるものなのか、私は知りません。
でも、ディランのように歌詞を自分で生み出した歌手がステージの直前にこんなふうに感じることは、致命的だったのではないでしょうか。

「僕は歌手だ」というのが、ディランの自己規定です。
それが本当に「唄を忘れた金糸雀(かなりや)」になってしまっては、まさに自分の身を「後の山に棄て」なければならないと感じたことでしょう。

 →金糸雀(かなりや)

もちろんディランはそんなことはしません。
自分の中で行方不明になった人物がいるので、その人を見つけなければならないと思っただけです。
いいなあ、やっぱりポジティブだなあ。

-------------------------------------------------------
Wherever I am I'm a '60s troubadour, a folk-rock relic, a wordsmith from bygoine days, a fictious head of state from a place nobody knows. I'm in the bottomless pit of cultural oblivion. You name it. I can't shake it.
-------------------------------------------------------

なんだか前の章と似たようなことを言ってますね。
結局ディランはデビュー以後、ずっと自分の虚像と戦い続けなければならなかったということなんでしょうか。

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うかつな十年一昔 CHRONICLES #197

千本浜 2005年7月28日

1987年の時点から"the previous ten years"をディランは振り返っています。

-------------------------------------------------------
I also knew that I had written perfect lyrics to complement the style of music that I played. The previous ten years had left me pretty whitewashed and waseted professionally.
-------------------------------------------------------

自分が演奏する音楽のスタイルに合わせて曲を書いて、うわっつらをごまかしてきたと言っています。
"whaitewash"というのは、壁や天井などの上塗りに使う白い鉱滓、「のろ」のことですね。

ちょうど私がディランを聴いていなかったころのことなのでよくわかりませんが、オフィシャルサイトbobdylan.comで、その時期のアルバムタイトルを見てみましょう。

 →bobdylan.com: Albums

う?ん。
順番をひっくりかえしてみましょう。

まず、"the previous ten years"より前の時期。
私が同時代に聴いた、私にとってのボブ・ディランです。
私の耳に馴染んでいるだけでなく、傑作と呼んでいいアルバムが多いと思います。

-------------------------------------------------------
Blood on the Tracks - 1975
The Basement Tapes - 1975
Desire - 1976
Hard Rain - 1976
-------------------------------------------------------

次が、おそらく該当する十年間。
オフィシャルサイトでも、ジャケット画像でちょうどこの部分が区切られています。

私は"Slow Train Coming"のLPを買ったのですが、それでディランを「卒業」してしまいました。
世に「ゴスペル3部作」という言葉があるようですが、その最初のところで私はくじけてしまったのです。

-------------------------------------------------------
Street Legal - 1978
At Budokan - 1979
Slow Train Coming - 1979
Saved - 1980
Shot of Love - 1981
Infidels - 1983
Real Live - 1984
Empire Burlesque - 1985
Biograph - 1985
Knocked Out Loaded - 1986
Dylan & the Dead - 1988
Down in the Groove - 1988
-------------------------------------------------------

そして1989年に"Oh Mercy"が発表されるわけです。
まだディランの真意はわかりませんが、この十年うまくいかなかったことが解決できるような啓示を受けたようなんですわ。

ディランはまるで「うかつな十年一昔[(c)中山ラビ]」のような言い方をしていますが、その部分を別に隠そうとするわけでもありません。
そんなことをするぐらいだったら、初期のフォーク時代のアルバムなど再発しませんわな。

岡林信康さんも、過去をなかったことにするのではなくて、昔のアルバムをまたちゃんと復刻してもらいたいなと思います。
それが歴史に対する、あの時代に対する岡林さんの義務なのではないでしょうか。

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帰郷 CHRONICLES #196

千本浜 2005年8月28日

ウィスキーのボトル一本空になるような理由というのが、どうも他人にははかりしれないことのようです。

-------------------------------------------------------
Prior to this, things had changed and not in an abstract way. A few months earlier something out of the ordinary had occurred and I became aware of a certain set of dynamic principles by which my performance could be transformed.
-------------------------------------------------------

抽象的にではなく、つまりまったく具体的な演奏の技術として、ディランは自分の演奏を変えるような、ある原則に気づいてしまったのだそうです。
「血の轍(Blood on the Tracks)」(1975年)や「欲望(Deisre)」(1976年)という傑作アルバム(だと思います)を生み出した後、ディランはいったい何をやっていたのでしょうか。

私はその時期のディランをあまり知りません。
前段落で"my complete recordings on disc for years"と書いているので、アルバムの録音そのものには満足していたようです。
でも、気持が歌から離れていってしまったのです。

なおかつ、演奏(歌唱)の技術的な問題として、あることに気づいたというのです。
既に頂点を極めたように見えるディランが、本当にそんな技術的な問題を抱えていたのでしょうか。
その具体的な点をまだ読んでいないのですが、実は他に問題があった部分を、技術的な問題だと考えようとしていたような気がします。

ここで、好きな詩の一節を思い出しました。
中原中也「帰郷」の結びです。

-------------------------------------------------------
あゝ おまへはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云ふ
-------------------------------------------------------

 →帰郷

前回のタイトル「歌のわかれ」は、中野重治さんの小説から採ったものです。
短歌的叙情に対する「わかれ」とディランの「クロニクルズ」はまったく関係がないのですが、ディランは昔の自分の歌に、とっくに別れを告げていたのだなあと連想したのです。

だからいつまでも「時代は変わる」や「風に吹かれて」を歌ってくれとせがまれても、困っただろうなと想像できます。

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歌のわかれ CHRONICLES #195

千本浜 2005年7月27日
 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]

私にとって80年代のディランは空白だったと書きましたが、忘れておりました。
トム・ペティとのツアーのライブ盤は買っています。
ただ、どちらかというとトム・ペティ&ハートブレーカーズを聴きたかったからのような気がします。

"New Morning"(1971年)を録音した時と同様、80年代のディランは何か壁にぶつかっていたのですね。
「歌の内なる魂というものを捕まえていない」ということに関して、ディランの記述は続きます。
おもしろい描写です。

-------------------------------------------------------
The intimacy, among a lot of other things, was gone. For the listeners, it must have been like going through deserted orchards and dead grass. My audience or future audience now would never be able to experience the newly plowed fields that I was about to enter. There were many reasons for this, reasons for the whisky to have gone out of the bottle.

他にも数多くのことがあるのだが、歌に対する親密さというものがなくなっていた。聴く者にとっては、荒れ果てた果樹園や枯れ草の中を通り抜けるようなものだったにちがいない。聴衆や、未来の聴衆は、僕が今まさに入ろうとしている、新しく耕した畑を経験することなどけっしてできないのだ。これには多くの理由があった。ウィスキーの瓶が空になってしまうほど、たくさんの理由があった。
-------------------------------------------------------

本人が何を言いだそうと、ディランの歌詞は詩だし、散文も十分に詩的でおもしろいものです。
ディランという人は言葉が生み出す具体的なイメージをとても大切にしているようです。
だから、こんな表現が出てきたら、本当にいちいち荒れ果てた果樹園や荒れ野を思い浮かべて、一緒に楽しんだ方がいいのだと思います。

私が母語ではないアメリカ語で書かれたディランの文章を読む時は、かえってそのひとつひとつにじっくりとつきあえるようです。
翻訳で読むと、これぐらいは0.5秒ぐらいで読みとばしてしまうことでしょう。

もちろんべたべたと日本語に直して読んでいくわけではありません。
最初のところは、ああ、"intimacy"がなくなったんだなあと読んでいくわけです。
「歌に対する親密さ」という訳は良くありませんね。
自分が作った歌が、よそよそしく感じられるようになったのでしょう。

"intimacy"ですが、特に男女の仲に関して使われたりします。
あの「親密さ」です。
形容詞の"intimate"はクリントン大統領の不倫もみ消し疑惑を捜査していたスター独立検察官の報告書(The Starr Report)に"inappropriate intimate contact"なんて言い回しで出てきました。

 →Full Text of the Starr Report

そうそう、菅野ヘッケル先生の翻訳が手元にあるではないですか。
該当箇所を見てみましょう。

-------------------------------------------------------
とりわけ、自分を大きくかかわらせて歌うということができなくなっていた。
-------------------------------------------------------

う?ん、なるほど。
以前流行った「超訳」まで行ってしまってはダメだと思います。
このぐらいならまずまずいい感じといったところでしょうか。

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オー・マーシー CHRONICLES #194

千本浜 2005年7月27日

さて、第4章"Oh Mercy"です。
なるべくディランの生の文章以外の情報を耳に入れないようにしていたのですが、月刊プレイボーイも買っちゃったし、WWWでもディランの名前を見かけると斜めに読んだり、いかんですなあ。
さすがにこの章はアルバム"Oh Mercy"を作る時の話だというのが、わかっちゃってます。

60年代初頭のニューヨークを描いて、70年代初頭の"New Morning"の話があって、今度は80年代後半。
なんだ、ちゃんと「年代記」になってるじゃないですか。

 →bobdylan.com: OH MERCY(1989)
 
私はただでさえディラン知らずなのですが、80年代は完全に空白の時代です。

このアルバムが出た時には、私は東京で食うや食わずの生活をしておりました。
下請けで本を作ったり、雑誌の原稿を書いたり、なんとか生きていけるだけのお金しか手に入らなかったので、CDなんてなかなか買えませんでした。

仕事仲間で吉祥寺に暮らすハルホ氏(仮名♂)というおじさんがいました。
私よりほんの少し年上。
私同様にごくビンボーでしたが、下駄屋やMANDALA-2にはよく出かけているようでした。
このハルホ氏が、興奮して言いました。

「ディランの新しいレコードが出るんだよ!」

一緒に喜んでほしかったのでしょうが、私の反応はいまひとつでした。
私はもうボブ・ディランの新譜を聴かなくなっていたのです。
今考えれば、あれが"Oh Mercy"だったんだな、というアルバムです。

さて、ディランの言葉に戻りましょうか。
1987年のことだそうです。
日本では『サラダ記念日』や『ノルウェーの森』が売れて、日本シリーズで西武ライオンズが読売巨人軍を破って優勝しています。

ディランは事故で手に怪我をしていました。
春に連続ステージがあるけれど間に合うかどうかわからないと書いているので、年頭のことですね。

-------------------------------------------------------
The public had been fed a steady diet of my complete recordings on disc for years, but my live performances never seemed to capture the inner spirit of the songs -- had failed put the spin on them.

もう何年もの間大衆は僕から着実に、完璧にレコーディングしたディスクという献立を食わされていたのだが、僕のライブ演奏は歌の内なる魂というものを捕まえてはいないようだった。歌の上で空回りしているみたいだった。
-------------------------------------------------------

おやおや、どうしたんだ、ディラン御大。
こと歌に関してはとんでもない自信家だったのではなかったでしょうか。

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夜明けのMEW CHRONICLES #193


千本浜 2004年2月5日

こうして1970年10月21日に、アルバム"New Morning"が発売されました。
そう、国際反戦デーですね。

邦題では『新しい夜明け』となっているようですが、私にはあまりなじみのないアルバムでした。
もっと古い「フォークの王」や、逆に同時代に聴けた"Desire"のようなものの方がよく知っています。

 →bobdylan.com: NEW MORNING(1970)

-------------------------------------------------------
Some critics would find the album to be lackluster and sentimental, soft in the head. Oh well. Other would triumph it as finally the old him is back. At last. That wasn't saying much either. I took it all as a good sign.
-------------------------------------------------------

"lackluster"というのは、輝きやツヤがないという意味です。
批評家連中の言うことなど、とっくに予想できてしまう。
酷評されようが、昔のディランが戻ってきたと大歓迎されようが、どうでもいいという気になれた。
それが重要だったのでしょう。

このアルバムは現実のアメリカに何も影響を与えるものではないけれど、自分にとっても確かに"comeback album"になったと書いています。

このアルバムの元になったマクリーシュの劇「スクラッチ(Scratch)」は1971年5月6日にブロードウェイのセント・ジェイムズ・シアター(St. James Theater)で上演され、その二日後の5月8日に終演となりました。
興業的には失敗作だったのでしょう。

 →St. James Theater

これで第3章が終わりました。
章立てだと五分の三が終わったのですが、ページ数だとちょうど真ん中あたりです。

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愛と恐怖のファシズム CHRONICLES #192

千本浜 2005年2月15日

私はまったく知らないのですが、どうも今は記憶術で売っているらしいハリー・ローレイン(Harry Lorayne)という人は、ベストセラーを連発する有名人のようですね。
改行して、突然マキャベリのことを書き始めます。
ハリー・ローレインは、マキャベリほどではないというのです。
この二人を普通に較べてしまうのが実にディランですな。

そう、二十歳前にレイとクローイのところで厄介になっていたころ、ディランはマキャベリの『君主(The Prince)』を読んでいましたね。

-------------------------------------------------------
Most of what Machiavelli said made sense, but certain things stick out wrong -- like when he offers the wisdom that it's better to be feared than loved, it kind of makes you wonder if Machiavelli was thinking big. I know what he meant, but sometimes in life, someone who is loved can inspire more fear than Machiavelli ever dreamed of.
-------------------------------------------------------

最後の文は、人生を語る時のO.ヘンリーを思い出します。

「愛されている者の方が、マキャベリが想像したよりもずっと大きな恐怖を煽ることがある」

愛する人には、やはり愛されたいものです。
それを失いそうになった時の、恐怖の目。

遠い昔に見たことがあるような気がします。
私もいつかそんな目をしたことがあるのかもしれません。

なぜそんなことをという陰惨な事件が報道されると、きっとそんな目をして犯行が行なわれたのではないかと想像することがあります。

1931年の満州事変(柳条湖事件)からの戦争を、15年戦争と呼ぶことがあります。
恐怖だけで国民をそんな長い期間戦争に駆り立て続けることはできません。
臣民が"The Prince"の慈愛を受けたいと思ったからこそ、侵略戦争は続いたのでしょう。

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ディランの読心術 CHRONICLES #191

千本浜 2004年7月24日

ジョンストンが入ってきた時にディランが"New Morning"のプレイバックを聴いていたために、アルバムのタイトルもそうなりました。
プレイバックというのは録音直後の再生で、演奏を確認するものです。
録音がうまくいって、アルバムのタイトルにしてもいいなと思っているところにジョンストンが来たのです。

 →bobdylan.com: NEW MORNING

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"Man, you were reading my mind. That'll put 'em in the palm of your hand -- they'll have to take one of them mind-training courses that you do while you sleep to get the meaning of that." Exactly. And I would haveto take one of them mind-reading courses to know what Johnston meant by saying what he just said.
-------------------------------------------------------

おお、なんだかよくわかりません。
よく俺の考えていることがわかったなということだと思うのですが、マインド・トレーニングの課程を履修するというのが、どうにも唐突な冗談です。

その先に答えが書いてありました。
ディランがハリー・ローレイン(Harry Lorayne)の『マインド・パワー(Mind Power)』という本をスタジオに持ち込んでいたのでした。

何なんでしょうね。
amazonで検索すると何冊も著書がヒットします。
精神世界モノというよりは、もっとハウツーに近い雰囲気。
今は記憶術の本が売れているんでしょうか。

 →Harry Lorayne: Improve Memory

スタジオには雑誌や本をいろいろ持ち込んでいたのですね。
状況はまったく違うのですが、いろいろな雑誌が転がってる様子から、ジャクソン・ブラウンの"The Load-Out"を思い出しました。

 →The Load Out / Stay

 ♪ Now we got country and western on the bus, R & B
 ♪ We got disco on eight tracks and cassettes in stereo
 ♪ We've got rural scenes and magazines

この曲から"Stay"に至る部分がいいんですなあ、"RUNNING ON EMPTY"。

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日本軍の捕虜になると CHRONICLES #190

千本浜 2004年7月19日

プロデューサーであるジョンストンは、アルバムのタイトルに地名を入れるのが好きだったそうです。
ジョニー・キャッシュがサンクエンティン刑務所で演奏した時のライブ盤が"Johnny Cash at San Quentin"ですが、ジョンストンが担当でした。
ま、わかりやすいですよね。

 →Wikipedia: Johnny Cash

具体的なイメージを想起しやすいというのが、ジョンストンが地名を好む理由でした。
だから、今度のアルバムにも世界で有名は地名を使おうというのです。
パリ、バルセロナ、アテネ……。
「旅行のポスターを集めないとな」などと言い始めます。
まるで曲とは関係ない地名です。
もちろん却下。

そんな話をしていた時のことなのか、レコーディングの合間なのか、雑誌を読んで気を紛らわせた話が出てきます。

アル・クーパーがおどけた様子で毛むくじゃらの犬の話をしています。
ダニエルズがフィドルのスケール練習をしているのを聴きながら、いろいろな雑誌に目を通しています。

-------------------------------------------------------
Running across an article in Male magazine about a guy, James Lally, a radio man in World War II who had crashed with his pilot in the Phillipnes, I got sidetracked for a second. It was a gut crunching article, unfiltered. Armstrong, the pilot, was killed in the crash, but Lally was taken prisoner by the Japanese, who took him to a camp and beheaded him with a samurai sword and then used his head for bayonet practice.
-------------------------------------------------------

フィリピンで日本軍の捕虜になったジェームズ・ラリーという無線技師が日本刀で斬首され、その首が銃剣の的に使われたという記事です。

ラス・カンケルが長椅子に腰を下ろし、目を半ば閉じて二本のスティックで軽くリズムをとっています。

-------------------------------------------------------
I couldn't stop thinking about Lally and felt like moaning in the wind.
-------------------------------------------------------

このごろはやたらに否定して回る者もいるのですが、日本軍の蛮行は事実でしょう。
けっして消し去ることはできません。

p.140です。

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名前のない馬 CHRONICLES #189

千本浜 2004年7月19日

ジョンストンは録音に入る前に聞いてきたそうです。

「今度のレコードのタイトルはどうするかね?」

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Titles! Everybody likes titles. There's a lot to be said in a title. I didn't know, though, and thought about it.
-------------------------------------------------------

ええ、タイトルは大切ですよ。
いわゆるジャケ買いには、タイトル買いも含まれると思います。
懐かしラベリング理論ではありませんが、ばっちり決まったタイトルが付いていると、中身も立派に思えてくるものです。

ディランも歌ってました。
人間が最初に行なったのは、あらゆる動物に名前を付けることだったのです。

 ♪ Man gave names to all the animals
 ♪ In the beginning, in the beginning.
 ♪ Man gave names to all the animals
 ♪ In the beginning, long time ago.

 →bobdylan.com: Man Gave Names to All the Animals

言葉を獲得したから人間は人間になったとも聞こえます。
この曲はアルバム"SLOW TRAIN COMING"(1979年)に入っていたのですが、実は私、これを最後にディランを聴かなくなってしまったんですわ。

このレコードに関しては、ディランはヴィクトリア・スパイヴィと一緒に写った写真を使おうと決めていました。
でも、それ以外のことは何も決めていませんでした。

 →Victoria Spivey

もしかしたら、この写真を使ったジャケットを頭に描いていたからレコードを作る気になったのかもしれないと言っています。
あれま。
門番を雇ったから門を作った、みたいな詩がありましたな。

p.139に入りました。

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星の爆発 CHRONICLES #188


2004年7月16日

コロンビアのスタジオで、ディランはマクリーシュの劇のために作っておいた曲の中からメロディが実際に付いていて、うまくいったものを録音していきます。
何でも良かったという言い方をしていますが、本当に何でも良かったということではありません。

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Message songs? There weren't any. Anybody listening for them would have to be disappointed.
-------------------------------------------------------

とにかく政治運動の指導者というようなイメージを払拭したかったのでしょう。
メッセージを求めて聴いてもがっかりするようなものを作ってやろうと思っていたのです。
祭り上げられた偶像を自ら壊すというのは、大変な作業なんでしょうね。

でも、隠遁生活をしていても自分はミュージシャンなんだとディランは考えていたのでしょう。
新しいレコードを作らなければならないのです。

-------------------------------------------------------
But they weren't the kind where you hear an awful roaring in your head. I knew what those kind of songs were like and these weren't them. It's not like I hadn't any talent. I just wasn't feeling the full force of the wind. No stellar explosions.
-------------------------------------------------------

アルバムの中に良い曲はあるかもしれないけれど、聴く者の頭の中にとどろくような曲はないと言ってしまってます。
まだリハビリ中、けっして才能が涸れてしまったわけでないけれど、力は出てこないといったところ。
本来なら「星の爆発」に匹敵する力が出せるのだという自負も感じられます。

レコード会社は「ボブ・ディランの復活」という売り方をしていたのでしょうか。
本人がまだまだだぜと思っているんだから、奇妙なものです。
確かにエネルギーに満ちあふれた力作というアルバムではないんでしょうが、実験的意欲作と言ってもおかしくないでしょう。
本人は力が抜けてしまったようなことを言ってますが、やっぱり天才なのでしょうか、紛れもなく、変わり続けるディランです。

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犬が自由に走ったら CHRONICLES #187

千本浜 2004年7月19日

改行してレコーディングの話になるのですが、奇妙なことが書いてあります。

-------------------------------------------------------
Within a week I was in the New York Columbia studios with Johnston at the helm, and he's thinking that everything I'm recording is fantastic. He always does. He's always thinking that something is gonna strike pay dirt, that everything is totally together.
-------------------------------------------------------

"strike a pay dirt"というのは、掘出し物を掘り当てるということです。
なんとなくダメ出しをするのがジョンストンの仕事であるような気がするのですが、「いいね、いいねえ」と盛り上げていって、本当に良いものに行き当たるというやり方だったのでしょうか。
「何も良くないじゃないか」と、ディランは納得できません。

アル・クーパーが、テディ・ウィルソン(Teddy Wilson)のリフをピアノで弾きます。
スィング時代の古いジャズのフレーズということですね。
聖歌隊(choir)から引っこ抜いてきたみたいなコーラスの女の子たち三人のうちの一人が、即興でスキャットを付けます。
一発録りになりました。
"If Dogs Run Free"という曲は、こうやってできたのだそうです。

 →bobdylan.com: If Dog Runs Free

種明かしをしてもらってとても嬉しいのですが、さて、この歌詞はいつできたものなんでしょう。
言葉が変化していく様子が、実にうまい。
各連の一行目だけ抜き書きするとこうなります。

 ♪ If dogs run free, then why not we
   イヌが自由にはしるなら、なぜぼくらができない

 ♪ If dogs run free, why not me
   イヌが自由にはしるなら、なぜぼくができない

 ♪ If dogs run free, then what must be,
   イヌが自由にはしるなら、そのはずのものは

まさかこれを即興でやったんじゃないでしょうな。
ボブ・ディラン自伝『クロニクルズ』は、本人の気持ちの上では正直な記述だと思うのですが、どうも御大は言葉を大サービスしてしまうところがあるので、油断ができません。

CDを発掘して聴いてみます。
アル・クーパーが弾くテディ・ウィルソンのフレーズに合わせて、ラス・カンケルがジャズ・ドラマーに化けます。

聖歌隊と言われたコーラスの一人マレサ・スチュアート(Maeretha Stewart)という人のスキャットは犬のうなり声みたいなのも入って、奇妙です。
どういう人なのかしらと思って検索をかけてみたら、ジミー・ヘンドリックスがヒットしたので驚きました。
ただ、ジミヘンの死後にオーバーダブされた部分に参加していたようです。

 →<< Midnight Lightning - Personnel >>

なんだ、「聖歌隊」の三人はちゃんと"SELF PORTRAIT"(1970)の時にコーラスで参加してるじゃないですか。
あのアルバムもボブ・ジョンストンのプロデュースなんですよね。
あ、ということは、私の好きな"All The Tired Horses"もこの「聖歌隊」の声なんだ。

 →2005年6月21日付日録:ディランの自画像 CHRONICLES #164

p.138に入りました。

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フィルモアの奇跡 CHRONICLES #186

保線区 2004年7月16日

親切な方がいて、amazon.comの十周年コンサートのことを教えてくださいました。
今流しているんですが、ディランが出てくるのはまだまだ先ですな。

改行して、アル・クーパーの話になります。
そうですか、レーナード・スキナードを見いだしたのがアル・クーパーなんですね。
「ロックの常識」みたいなものが皆無なんで、うなずくしかありません。

googleで[アル・クーパー]を検索すると、実に詳しいサイトがありました。

 →夜明けの口笛吹き:Column 12

なるほど、ディランとの関わりがよくわかります。
「オルガンが必要だ」と言って無理やりセッションに参加してしまうところなど、自称ピアニストとしてバンドにくっついていったディランの若き日を思い出します。
そこでまたオルガンの音量を上げさせてあの「ライク・ア・ローリング・ストーン」の音を作ったディランはさすがです。

このサイト、他のページもおもしろいですよ。
お勧めです。
ずっとバークリー音楽院の先生をやっているというのは知りませんでした。

さて、ディランの話に戻ります。
このセッションに連れてくるようジョンストンにディランが依頼したのは、アル・クーパーだけなんだそうです。
ずいぶん信頼していたんですね。

-------------------------------------------------------
He was a talent scout, too, he was the Ike Turner of the white world. All he needed was a dynamo chick singer. Janis Joplin would have been the perfect front singer for Al.
-------------------------------------------------------

ここは驚きです。
ディランはこんなことを考えていたんですね。
以前ディランのマネージメントを担当し、そのころジャニス・ジョプリンのマネージャーになっていた、あのアルバート・グロスマンにその二人を組ませるといいと、提案したこともあったそうです。
グロスマンは一笑に付すのですが、ディランは今でも先見の明があったと自負しているようです。
でも、不幸にしてジャニスが亡くなってしまいました。

-------------------------------------------------------
Sadly Janis would soon breathe no more and Kooper would be in eternal musical limbo.
-------------------------------------------------------

"in limbo"というのは、「忘れられた状態、どっちつかずの状態」を指します。
アル・クーパーの才能を惜しんでいたのですね。
「僕がマネージャーをやるべきだった」とまで言っています。

 →Ike Turner, Official web site for the Father of Rock and Roll

 →The Official Janis Joplin Website

 →ジャニス・ジョップリン Janis Joplin

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ディランがやって来た

楽天ブックスからの不愉快なメールの翌日、本が届いた。
新刊を発売日に買うことなどないのだが、楽天ブックスとアマゾンとソフトバンクパブリッシングのおかげで、なんだかずいぶん遅れて買ったような気になっております。

荷を開いてみた第一印象は「小さい!」ということ。
いつも鞄に"Chronicles: Volume One"を入れて持ち歩いていたので、目が原著に慣れてしまったのだ。
どぎつい帯が「昭和史の真実!」みたいな怪しげな雰囲気を醸し出している。

当然ながらその分日本語版は束が厚くなっている。
本文365ページもあるのだが、紙は原著のように軽いものを使っているので、持った印象も、「お? 軽い!」という感じになる。

Chronicles: Volume One

 →Chronicles (Bob Dylan Chronicles)

 →ボブ・ディラン自伝

本文をパラパラと読んでみると、実にいい感じ。
「わたし」という一人称はちょっと気になるのだが、菅野ヘッケルさんの訳で良かったと思う。
註が一切ないというのは、これはこれで一つの見識だろう。
ボブ・ディランにはマニアが多いようなので、「コンメンタール・クロニクルズ」みたいなサイトがいくつもできるに違いない。

私の場合はディランの文章っていいなあと思ってゆっくり読んでいるので、翻訳も原著で進んだところまでで読むのを止めておきます。

ボブ・ディラン自伝(1)

このエントリーのタイトルは以前観たNHKのドキュメンタリーからパクッたものです。
このごろはリスペクトとも言うそうですな。

 →2003年11月30日付日録:「ボブ・ディランがやって来た」(1978年)

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ミスター・ベースマン CHRONICLES #185

千本浜2005年7月15日

ディランのオフィシャルサイトbobdylan.comで"New Morning"のライナーノーツを見ると、ちゃんとチャーリー・ダニエルズが入っています。
あら、ベース弾いてますね。
ディランはダニエルズにフィドルを弾いてもらいたかったようですが、ジョンストンがそれを許さなかったそうです。

ディランは元々ハーモニカでデビューしたりしているので、曲にハーモニカが入るととてもディランらしくなるのですが、自分が歌う時にフィドルをそんなふうに入れたかったのでしょうね。
"Desire"(1975)で印象的なジプシーバイオリンを弾いているスカーレット・リヴェラをストリートで見いだしたというのは、けっして偶然ではありませんな。

-------------------------------------------------------
Bob Dylan -- Acoustic Guitar, Electric Guitar, Organ, Piano
David Bromberg -- Electric Guitar, Dobro
Harvey Brooks -- Electric Bass
Ron Corneliu -- Electric Guitar
Charlie Daniels -- Electric Bass
Buzzy Feiten -- Electric Guitar
Al Kooper -- Organ, Piano, Electric Guitar, French Horn
Russ Kunkel -- Drums
Billy Mundi -- Drums
Hilda Harris, Albertine Robinsin, Maeretha Stewart -- Background Vocals
-------------------------------------------------------

上は"New Morning"のセッション参加メンバーです。
セッションミュージシャンと呼ばれるような人達の名前を知らないのですが、それでもラス・カンケルの名前なんかを見ると嬉しいです。
レコード屋さんで「ご自由にお持ちください」ということでもらったポスターに写ってたりしました。
あれはイルカさんのポスターではなかったかしらん。
80年代かな。
拓郎さんのバックにも入ってたことがありますね。
それは90年代でしょう。

おお、書いてありました。
チャーリー・ダニエルズは、オールマン・ブラザーズ(Allman Brothers)とレーナード・スキナード(Lynyrd Skynyrd)の影響を大きく受けたようですね。

 →Hittin' The Web with The Allman Brothers Band

 →Lynyrd Skynyrd Official Website

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カミカゼ? バンザイ! CHRONICLES #184

千本浜 2004年7月15日

ジョンストンがセッションに連れてきてくれればいいなとディランが思っていたのは、チャーリー・ダニエルズでした。
以前連れてきてくれたこともあるし、連れて来ることができなかったこともあるのだそうです。

この人を知らないので、検索してみました。
オフィシャルサイトもファンサイトも、なぜか星条旗です。
カントリーの大御所なのかな。
日本語のサイトでヒットしたところだと、「南部の巨漢」なんだそうです。
つまり、おでぶ。

 →CharlieDaniels.com

 →The Charlie Daniels Band Fan Page

 →なにくそ第6回 THE CHARLIE DANIELS BAND

-------------------------------------------------------
I felt I had a lot in common with Charlie. The kind of phrases he'd use, his sense of humor, his relationship to work, his tolerance for certain things. Felt like we had dreamed the same dream with all the same distant places.
-------------------------------------------------------

前にも似たようなことを書いていたことがありましたが、"his tolerance for certain things"というのは初めてのようですね。
何に対する寛容なんでしょうか、ちょっと不思議です。

当時ディランには専属のバンドがなかったので、必要があるとレコード会社の制作部員(a A&R man)やプロデューサーに集めてもらったのですね。

チャーリーは若い頃、故郷の町でジャガーズ(The Jaguars)というバンドをやっていて、レコードを何枚か出していたそうです。
それはちょうどディランが故郷の町でバンドを作って歌っていたころ。
そう、偉大なレスラー、ゴージャス・ジョージに会って感激したりしていたころですね。
ディランは演奏していただけなのにチャーリーはレコードまで作っていたと書いています。
既に大御所となっていたディランなのに、「すげえな」とい言ってるのがおかしいです。

サーフ・ロカビリー(surf rockabilly)と書いてあるんですが、いったいどんな音楽なんでしょうか。

と思って[surf rockabilly]でgoogle検索したら、「Kamikaze Reccords」というのがトップに来てしまいました。
なんじゃこりゃ?

 →Kamikaze Records Home

CDやDVDを出しているんですね。
"BANZAI!"という雑誌も発行しているようです。
マークがすごいですね。
大日本帝国の海軍旗であった旭日旗に、旧日本軍の飛行機がコラージュされています。


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ごめんなさい『ボブ・ディラン自伝』

日本版『ボブ・ディラン自伝』のことです。

私がリンクを張ったばかりに、楽天ブックスなんかで予約注文してしまった方、ごめんなさい。
アマゾンではとっくに「先行発売」していて、「24時間以内に発送」しています。
とりあえず楽天広場の幻泉館日録トップページからリンク消しました。

私がリンクを張ったのでアマゾンで注文して入手なさった方、うらやましいです。
楽天ブックスでの予約取り消し方法がわからないので、私はまだじっと待っているのです。
いつ出るんだ?

ということでソフトバンクパブリッシングのサイトに行って確認しましたよ。

 →製品紹介:ボブ・ディラン自伝
[発売日:2005/07/19  価格:1890円(悪税込)]

だそうです。
ちっ。
本当に出るんだろうな。

あれ、楽天ブックスは定価が違うぞ。

 →【予約】 ボブ・ディラン 自伝(1)
[2005年7月発売予定 本体価格:1,600円 (悪税込:1,680円) ]

になってます。
本当だろうな。
遅くなったから出版社の定価より安くしてくれるのか?
これは再販指定はずれてるんだな?

予約集めておいてアマゾンよりだいぶ遅い楽天ブックスもひどいが、これは版元の姿勢もまずいわな。
「製品紹介」だもんな。
出版の良心なんて持ち合わせがないのだろう。

で、日本語版を既に読んだ方、翻訳はどうですか。
訳註はどのぐらい付いていますか。

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司令官ジョンストン CHRONICLES #183

添地町 2005年7月12日

ジョンストンはコロンビアのプロデューサーで、フォークとカントリーを担当していました。
生まれるのが百年遅すぎたと、ディランは評しています。

-------------------------------------------------------
He should have been wearing a wide cape, a plumed hat and riding with his sword high. Johnston disregarded any warning that might get in his way.
-------------------------------------------------------

「plumed hat」というのは、羽根飾りの付いた帽子ですね。
そんな格好は百年前どころではないと思ったのですが、検索してみるとメキシコ戦争(1846-1848)や南北戦争(1861-1865)の絵で、将軍がそんな格好をして威張っています。
ディランはその時代を頭に描いてこんなことを言っているのでしょう。
日本だったら、「幕末に生まれていれば」みたいな感じなんでしょうね。

 →The Commanders

ディランはナッシュヴィルのスタジオで録音した時のことを懐かしんでいます。
ジョンストンは油を挿すのが自分の役目だと考えているようなので、次々に人を連れてきます。
録音がうまく進まないと、スタジオに入ってきて言うのです。

「皆さん、人が多すぎますな」

そうやって人を選り分けていったそうです。

でも、今回の録音はニューヨークで行なうことになりました。
ジョンストンはセッションに誰を連れてくるのかしら?
大物ディランも期待と不安……のようです。


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ナッシュヴィル CHRONICLES #182

保線区 2005年7月11日

「ナッシュヴィル」と「ナッシュビル」の表記が混ざってますが、気にしないでください。
いきがかり上こんなになってしまいました。
みっともないのですが、個人的にはどっちでもいいじゃんと思っています。

ディランが初めてナッシュヴィルでレコーディングを行なったのは、1966年のことでした。
"Blonde on Blonde"でしょうね。

 →bobylan.com: Blonde on Blonde(1966)

ナッシュヴィルの印象は「石鹸の泡の中にいるようだった」そうです。
アル・クーパーとロビー・ロバートソンとディランは、髪が長いという理由で町から追い出されそうになるほどでした。
数多くの録音スタジオがあるので有名な町ですが、スタジオから流れてくる歌はどれも皆亭主を欺くあばずれ女の歌か、その逆の歌だったと、皮肉な書き方をしています。

もちろんディランの『ナッシュヴィル・スカイライン』(1969年)もありますが、この地名を聞いて私が真っ先に思い出すのは、ロバート・アルトマン監督の傑作映画です。
一年ほど前に書いてますね。

 →2004年7月4日付日録:ナッシュビル(1975年)

アマゾンで調べてみましたが、やっぱりまだDVDは出ていないようです。
字幕はありませんが、2本組みの輸入VHSが1759円(悪税込み)。
お勧めの映画です。

ナッシュヴィルの町を赤いエルドラド・コンバーチブルでゆっくりと流しながら、ジョンストンは景色を説明してくれます。

「あれがエディ・アーノルドの家」
「あの家にウェイロンが住んでる。向こうがトム・T・ホールズの家。あれがファロン・ヤングの家。」
「ポーター・ワゴナーの家がこの先だ」

なんだかよくわかりませんが、すごいです。
乗ってる車が、またド派手ですよ。
キャデラックです。

 →De Vile et Eldorado Convertible 65 a 76

人の名前がわかりません。
そもそも、私はそういうものを調べてメモしていたのです。

 →CMT.com: Eddy Arnold

 →The Official Waylon Jennings Site

 →TOP 10 TOM T HALL SONGS

 →Faron Young

 →The Official Porter Wagoner Web Site

いずれもカントリーの大御所なんでしょうな。
検索していると、[GOD BLESS AMERICA]のバナーを貼った妙なファンサイトがひっかかったりするのは、気分が悪いです。

口直しに、髪が長いという理由でナッシュヴィルの町を追い出されそうになった3人のオフィシャルサイトもリンクを貼っておきましょう。
あれ、おなじみThe BANDのサイトがつながらないなあ。

 →AL KOOPER

 →Robbie Robertson

 →bobdylan.com

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酔いどれ船 CHRONICLES #181

千本浜 2005年6月30日

二行空けて、ジョンストンの電話の話に戻ります。
ディランの話の進め方に慣れたので、やっぱりという感じですね。

-------------------------------------------------------
Johnston asked over the phone if I was thinking about recording. Of course I was. As long as my records were still selling, why wouldn't I be thinking about recording? I didn't have a whole lot of songs, but what I did have were the Macleish songs -- and I figured I could add to them -- make up more in the studio if I had to and Johnston was raring to go ... working with him was like a drunken joyride.
-------------------------------------------------------

なるほどね、"New Morning"(1970)というアルバムは、こんなふうにマクリーシュの劇用に試作した曲を核にしてできあがったわけです。

 →bobdylan.com: New Morning

"Johnston was raring to go"がよくわからないのですが、「rare = rear(方言)」で、「現われる/そびえ立つ」ぐらいの意味なんでしょうか。
一緒にレコードを作るわけです。
"drunken joyride"も、酔っ払って車を乗り回すようでもあり、ラリパッパのパーティのようにも読めます。

ボブ・ジョンストンは60年代後半のディランのアルバムを手掛けた人です。

Highway 61 Revisited(1965)
Blonde on Blonde(1966)
John Wesley Harding(1968)
Nashville Skyline(1969)

ボブ・ジョンストンは「おもしろい猫」だったと、ディランは評しています。
背は高くないんですが、レスラーのようにがっしりしていて、実際以上に大きく見える人なんだそうです。
元々はプレスリーの曲も書いているミュージシャンです。

ディランに、ナッシュヴィルに移り住むよう熱心に勧めていたようです。
ここなら君が誰かなんて、誰も気にしないよ。
朝まで通りに立っていても、誰も見たりしない。
そういう言葉を覚えているということは、それはいいなあと思ったんでしょうね、ディラン。

p.135です。


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風が吹くとき CHRONICLES #180

千本浜 2005年6月30日

「セミの鳴く日」では「ぼくは恋人の手をにぎり 遠くへドライブした」ことになっています。
実際はクロスビーと、あのでっかいビュイックで帰途についたのです。

その頃、自分の評判は地に落ちていたのだとディランは書いています。
その例がおかしいのです。
ロシアの「プラウダ(Pravda)」が自分のことを「金の亡者である資本家」と呼んだというのです。
それから、ディランの歌から"Weathermen"を名乗っていたグループが、"Weathermen Underground"に名称を変更したというのです。

おやおや。
この曲は"Subterranean Homesick Blues"ですね。

 →bobdylan.com: Subterranean Homesick Blues

「地下の」都市ゲリラの歌のように聞こえます。
その中に印象的なフレーズが出てくるのですね。

 ♪ You don't need a weather man
 ♪ To know which way the wind blows

 ♪ 気象予報士なんて要らない
 ♪ 風がどちらから吹くのか知るのには

ディランが変わったから組織の名前を変えたのは本当かもしれませんが、でも"Underground"なんて付けたら、かえってこの歌に近づいてしまったような気もしますよ。

おっと、google検索したら、リンク先のゆうぐるとさんのところがヒットしました。

 →スイスこみゅーん ゆうぐると村だより:ヨーロッパのユートピア村

コメントで「ぐれいねずみ」さんが"Weathermen Underground"の記録映画を紹介なさっています。

 →THE WEATHER-UNDERGROUND

この映画は輸入DVD/VHSがamazon.co.jpで買えますね。
いやはや、便利になったものです。
しまった!
リージョンフリーのDVDプレイヤーは人にあげてしまったのだった。

さて、名誉博士号の授与式につきあったデヴィッド・クロスビーの感想はこういうものでした。

-------------------------------------------------------
"Bunch of dickheads on auto-stroke," Crosoby said.
-------------------------------------------------------

「馬鹿連中」と吐き捨てたわけです。

"on auto-stroke"の部分はあえて意味を書きませんが、菅野ヘッケルさんの訳ではどうなってるんでしょう。
「2005年7月7日先行発売! Amazon.co.jp なら一足早く、入手できます。」と謳っているので、amazonで予約した方はもう日本語版が届いてるんでしょうね。
私は先に見つけた楽天ブックスで予約したので、いつになるのかわかりません。
あ?あ。

ディランはこの名誉博士号が世間的に意味があるから利用するつもりだったという主旨のことを書いていますが、どこまで本気なのかよくわかりません。

ただいまp.134です。



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虚栄のかがり火 CHRONICLES #179

千本浜 2005年6月30日

ディランとクロスビーの珍道中は、69年型ビュイック・エレクトラでルート80をてんくてく……じゃないだろうな。
ぶっとばして行きました。
二人してラリってそうで危ないです。

 →69 Buick Electra 225

暑くて雲一つない日だったそうです。
式服(robe)を着せられ、他の受章者と一緒に壇上に上がって待ちます。
ウォルター・リップマン(Walter Lippman)やコレッタ・スコット・キング(Coretta Scott King)がいたそうです。
リップマンは「冷戦」という言葉を作った人です。
コレッタ・スコット・キングさんは、あのキング牧師の未亡人です。

 →現代認識論の古典を読む:?ウォルター・リップマン『世論』?

 →Coretta Scott King Profile

公民権運動のファーストレディという言い回しは妙ですね。

とにかく暑かったようです。

-------------------------------------------------------
I stood here in the heat staring out at the crowd, daydreaming, had attention-span disorder.
-------------------------------------------------------

"attention-span"というのは心理学用語で、「注意持続時間」と訳します。
文字どおり、個人が注意を集中していられる時間の長さを指します。
ローブを着せられたディランは、暑くて頭がくらくらして、白日夢を見ているようだったというわけです。

-------------------------------------------------------
When my turn came to accept the degree, the speaker introducing me said something like how I distinguished myself in carminibus canendi and that I now would enjoy all the university's individual rights and privileges wherever they pertain, but then he added, "Though he is known to millions, he shuns publicity and organizations preferring the solidarity of his family and isolation from the world, and though he is approaching the perilous age of thirty, he remains the authentic expression of the disturbed and concerned consience of Young America."

僕が学位を受け取る番が来ると、僕を紹介する人がこんなたぐいのことを言った。「歌い手たち」の中で僕がどんなにきわだっているのか、そしてこれで僕はこの大学でのどのような権利や特典も享受できるようになるのだと。でも、それから付け加えて言ったのだ。「彼は何百万もの人に知られていますが、家族と結束して世間から孤立することを好み、世間の注目や団体などを避けております。そして三十歳という危険な年齢にさしかかっているのですが、若きアメリカの、不安で心配な良心として本物の表現であり続けているのです。」
-------------------------------------------------------

ヨーロッパの古典的教養がないので、"carminibus canendi"の意味がわかりません。
たぶんラテン語だと思うのですが、文脈から「歌」と関係がありそうなので、一応「歌い手たち」にしておきました。

【追記】------------------------------
 loveminus0さんが教えてくださいました。
 「歌い手たち」→「歌曲」と読み変えてください。
 ------------------------------------

名誉博士号授与式での紹介として悪くないように思うのですが、ディランの反応は"Oh Sweet Jesus! It was like a jolt."でした。
"jolt"というのは「激しい衝撃」なんですが、「マリファナ」や「刑の宣告」を指すこともあるそうです。

またかよ!
「若きアメリカの不安な良心」の部分で、もう身体が震え、後は何を言っているのかちゃんと聞いていなかったようです。
まさに逆鱗に触れてしまったのです。

でも、それはある程度わかっていたことですよね。
ディランはこの歌を作るために出席したのではないでしょうか。

 ♪ I glanced into the chamber where the judges were talking,
 ♪ Darkness was everywhere, it smelled like a tomb.
 ♪ I was ready to leave, I was already walkin',
 ♪ But the next time I looked there was light in the room.
 ♪ And the locusts sang, yeah, it give me a chill,
 ♪ Oh, the locusts sang such a sweet melody.
 ♪ Oh, the locusts sang their high whining trill,
 ♪ Yeah, the locusts sang and they were singing for me.

 ♪ 部屋をのぞくと裁判官たちがしゃべっていた
 ♪ いたるところまっくらで墓のようなにおいがした
 ♪ 出る準備はできていて ぼくはすでにあるいていた
 ♪ つぎに見たときには部屋にあかりついていて
 ♪ セミがうたったね それは寒気をおこさせた
 ♪ オー セミがうたった そのようにうつくしいしらべを
 ♪ オー セミがうたった 高いすすり泣きのトリルで
 ♪ セミがうたった そしてぼくのためにうたっていた
                     (片桐ユズル訳)


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セミの鳴く日 CHRONICLES #178

千本浜 2005年6月30日

ディランはその週の初めには、ニュージャージーにあるプリンストン大学に行っていました。
名誉博士号(Honorary Doctorate degree)を授与されていたのです。
どういう事情なのかよくわかりません。
そういうものは蹴った方がかっこいいのになと思うのですが、やっぱり嬉しかったのでしょうか。

「それは不思議な冒険だった(It had been a weird adventure)」と書いています。
嬉しいというより、好奇心の方が勝ったということみたいですね。

「セミの鳴く日(Day of the Locusts)」はその時のことを歌ったものです。

 →bobdylan.com: The Day of the Locusts

ディランは冒険の伴にデビッド・クロスビー(David Crosby)を誘います。

 →デヴィッド・クロスビー

 →David Crosby OfficialSite

 →The Crosby Stills and Nash Official Site

そもそも授与式にこの人を連れて行こうなどというのが、マジメな姿勢ではないかもしれませんな。

ディランは自分の曲"Mr. Tambourine Man"を大ヒットさせたバーズ(The Byrds)の時代から、クロスビーのことをよく知っているそうです。

クロスビーは魔術師マンドレーク(Mandrake the Magician)のケープを羽織っている気まぐれな人物で、あまり数多くの人とうまくやっていくことができなかったそうです。
当時でさえも死の淵をよろめいており、一人でラリって町中を歩き回ったりすることもありました。
やばいなあ。

 →Mandrake the Magician

でも、とても美しい声をしていました。
ディランは"an architect of harmony"と評しています。
CSN&Yの、あの変則チューニングとコーラスはクロスビーが生み出したのですね。
C.F.Martinのサイトでも、特別扱いです。

 →C.F.Martin: Artists

そして何よりも、ディランはクロスビーが大好きなんです。


 ♪ Oh, the benches were stained with tears and perspiration,
 ♪ The birdies were flying from tree to tree.
 ♪ There was little to say, there was no conversation
 ♪ As I stepped to the stage to pick up my degree.
 ♪ And the locusts sang off in the distance,
 ♪ Yeah, the locusts sang such a sweet melody.

 ♪ ベンチはみんな涙と汗でよごれてる
 ♪ 鳥たちは木から木へとんでいる
 ♪ いうことはほとんどなく会話はなかった
 ♪ わたしが舞台へあがって学位をひろいあげようとしたとき
 ♪ そしてセミがうたった どこかとおくのほうでね
 ♪ セミがうたった そのようにうつくしいしらべを

                 (片桐ユズル訳)


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つぶやき岩の秘密 CHRONICLES #177

千本浜 2005年6月30日

2行空けて話が変わります。

プロデューサーのボブ・ジョンストン(Bob Johnston)がナッシュヴィルから電話をかけてきました。

ボブ・ジョンストンの公式サイトがヒットしたのですが、メールアドレスが載っているだけです。
同じ名前で盆栽ファンやラジコンマニアや心理学教授がヒットしましたが、それは違いますわな。
S&Gやウィリー・ネルソンのアルバムを作っていた人でしょう。

 →BOB JOHNSTON: Music Producer

 →マイケル・マーティン・マーフィ

その時ディランはイーストハンプトン(East Hampton)に暮らしていました。
ニューヨーク市郊外、ロングアイランドの東端にある町です。
ディランも書いていますが、巨大なニレの並木が美しいところです。

-------------------------------------------------------
We were living in a rented house on a quiet street with majestic old elms -- a Colonial house with plantation-shuttered windows. It was hidden from the street by elevated hedges. There was a large backyard and a key to a gated dune which led to the pristine Atlantic sandy beach. The house belonged to Henry Ford.
-------------------------------------------------------

これはすごいですわ。
コーヒーハウスの厨房で油にまみれたスパゲッティをかっこんでいたディランが、十年も経たないうちにすごいことになっています。
既にアメリカを代表する顔の一人ですからね。

 →Wikipedia: ヘンリー・フォード

イーストハンプトンは当初農民や漁民が入植したのですが、画家や作家や裕福な一族の避難所のようになっていました。
ディランは心の平静を取り戻せる場所と考えていたようです。

そこでディランは風景画を描き始めました。
5人の子供と海へ行きました。
潮干狩りをしました。
船に乗りました。
モントーク岬の灯台で午後を過ごしました。
ガーディナー島へ行って、キャプテン・キッドの宝を探しました。

このあたりの写真を掲載したサイトを見つけました。
夕陽好きらしいです。
「キャプテン・キッドの宝」は冗談かと思ったら、本当にあるんですね。

 →The Osprey's Photo Gallery

自転車やゴーカートや馬車に乗りました。
映画や市場にも行きました。
画家の楽園、スプリングスにも行きました。
デ・クーニングのアトリエがあったそうです。

 →Wikipedia: ウィレム・デ・クーニング

ディランはこの家を母親の旧姓(maiden name)で借りたのだそうです。
名前こそ有名だったけれど、顔はそれほど知られていないので、本当にのんびりできたようです。
子供たちが、というよりも、ディラン自身が思いっきり夏休みを楽しんでいるみたいです。

あれ?
最初に出てきたボブ・ジョンストンの電話はどうなったのかしら。
きっとまた何ページも進んでから、電話の内容に戻るんですよ。

ただいまp.132です。


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豹少女 CHRONICLES #176

愛鷹山 2003年10月19日

マクリーシュのところを出ていく時に、ディランは突然「豹少女(Leopard Girl)」を見た時のことを思い出します。

-------------------------------------------------------
Sometimes you just think of things you've seen, old memories that you've sulvaged from the rubble of your life. The Leopard Girl. A carnie barker had explained about her, how her mother who was pregnant with her in North Carolina saw a leopard on a dark road at night and the animal had marked her unborn child. Then I saw the Leopard Girl and when I did, my emotions got weak.
-------------------------------------------------------

一瞬、豹に育てられた少女のことかと思いましたが、違いますね。
「carnie barker」というのはたぶんサーカスや祭りの呼び込みのことでしょうから、たとえば鶏の首を食いちぎってみせる「蛇女」のたぐいなんでしょう。

しるしを付けたというのは、豹柄を刻みつけたということなんでしょうか。
こういう見世物を知らないので、実際はどんな「豹少女」だったのかわかりません。
皮膚に痣のようなものがあるのか、女ターザンのような格好をしているだけなのか。

 →世界魔境美女図鑑:女ターザン映画リスト

 →Leopard Girl

 →Leopard Girl

日本語だとみんな「豹」になってしまいますが、もちろんこの「leopard」があの豹柄の豹です。
レパード(leopard)とパンサー(panther)とジャガー(jaguar)とピューマ(puma)と……の違いはこちらをどうぞ。

 →ネコ科の動物!

ちなみにミック・ジャガーは「Jagger」で、微妙に発音が違います。
そういえば、数多い叔父さんの一人が、以前日産のレパードに乗ってましたな。
和製ジャガー?

ディランがなぜまたもやこんな関係ないことを思い出したのかといえば、人間はみんな生まれる前にこんなふうに何かのしるしを刻み込まれるんじゃないかと感じたからです。
でも、もしそうなら誰も何も変えることができなくなりそうです。
人を判断するのも公平じゃない……マクリーシュが自分を判断しているのではないといいな……ディランはそんなふうに考えていたのですね。

ディランは本当にただの好奇心から、帰りがけに質問をします。

「どうして自分で歌を書かないんですか?」
「私は歌を作らないし、私の劇には他の声、他の角度が必要なんだよ」

私たちのほとんどの者がかろうじて大地を離れた時、既に月まで達していた男。
ディランはマクリーシュのことをこう評しています。
大西洋の泳ぎ方を教えてくれたとも。
でも、もう二度と会うことはありませんでした。


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百合若大臣 CHRONICLES #175


千本浜 2005年6月30日

ディランが返答に困って、いろいろなことが頭の中を回っている時、本がいっぱい詰まっている書棚が目をやりました。
ジョームズ・ジョイス(James Joyce)の『ユリシーズ(Ulysses)』が目に留まりました。

ディランはコロンビア・レコードの社長ゴダード・リーバーソン(Goddard Lieberson)から、この本の初版本を貰ったのだそうです。
ディランの印象では、ジョイスは史上最も尊大な人物のようでした。
言語能力が優れていると聞いているけど、何を言っているのかはまったく知りません。
それで、マクリーシュに説明してもらいたいなあなどと考えます。
頼めば説明してくれたのでしょうが、それではあんまりなので、結局口には出しません。

なんだかできの悪い生徒の授業中みたいです。
少しでも授業と関係のないことを、あれこれ考えるんですよね。

-------------------------------------------------------
Deep down, I knew that I couldn't have anything to add to the message of his play. He didn't need my help anyway. He wanted only to talk about the songs for his play and that's why I was here, but there was no hope and there was nothing to be done and soon that became obvious.
-------------------------------------------------------

もう夜になっていたので、ディランは夕飯を食べていくように言われますが、丁重に固辞します。

さて、『ユリシーズ』の初版本とは何なんでしょうか。
ここでまた「リーダーズプラス」を引いてみます。

-------------------------------------------------------
Ulysses
n.
1 ユリシーズ 《Shakespeare, Troilus and Cressida_ の中の, ギリシア側の知恵袋たる武将》.
2 『ユリシーズ』 《James Joyce の小説; 1918 年より米国の雑誌 The Little Review に連載, 1922 年 Paris で出版; 米国では 1933 年まで猥褻文書として発禁の扱いをうけ, 36 年になってようやく刊行された; 1904 年 6 月 16 日の Dublin の一日における文学青年 Stephen Dedalus とユダヤ人の広告取りの男 Leopold Bloom の市中彷徨および 2 人の邂逅, そして Bloom の妻 Molly の独白を, Homer の Odyssey 中の挿話に照応するような形で描いた作品; Stephen は Telemachus に, 英雄とはほど遠い寝取られ男 Bloom は Odysseus に, 女なるものを体現した Molly は Penelope に対応する; cf. →BLOOMSDAY_》.
-------------------------------------------------------

最初に発行されたのはパリでなんですが、おそらく1936年にアメリカで発行された版のことなんでしょうね。
それだと、ディランがマクリーシュの家に行っている「現在」からは、三十年ほど前の本ということになります。

でも、それだとわざわざ書いたりしないだろうなあ。
1922年の版をプレゼントされたのなら、それはすごいことですよ。

 →First edition of Ulysses

私は『ユリシーズ』を全部読んだことがありません。
河出書房新社から出ている、柳瀬尚紀さんの訳。
これがまだ断片なんですよね。
あ?
もう残りも出てるのかしら?
あ、まだですね。
[1?3][4?6][12]
これだけみたいです。


ユリシーズ〈12〉

わけわからんです。
「犬」という説はおもしろいですな。

ところで私は「ユリシーズ」と聞くと、数年前に亡くなった伯母を思い出します。
小学校の教員をしていた人なんですが、小さいころにいろいろな物語を聞かせてくれました。
その中に「百合若大臣」があったのです。
名前が奇妙なのと、先に『オデュッセイア』のあらすじを知っていたので、明らかに翻案だよなあと、子供心に思いました。

ところが、意外なことに日本古来の民話とされているようなんですね。
私はこちらにびっくりしました。
ほんまかいな。

 →今日の檻縷は明日の錦

 →百合若伝説


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言えなかった言葉を CHRONICLES #174

保線区 2005年7月2日

マクリーシュの家への再訪は秋のことでした。
前回の訪問と同様に、ディランは庭の様子などを丁寧に描写しています。
アーチーを待つ間には、花を眺めています。
自然の中で、なおかつきちんと手入れされた自然を配した家や部屋が印象的だったのでしょう。

アーチボルド・マクリーシュは、ディランの作った歌が以前ほど暗くないのに驚いていたそうです。
そして主人公の性格を自ら説明します。
嫉妬深く、口が悪く、意地が悪く……。

-------------------------------------------------------
I felt myself sitting there and regenerating into boorishness, felt like two parts of my self were beginning to battle.

僕は自分がそこにいて、粗野に生まれ変わるのを感じた。僕自身の二つの部分が闘いを始めたみたいだった。
-------------------------------------------------------

マクリーシュはディランを見つめて、即答を求めます。
この人は本当に賢い目をしているなどと考えながら、ディランはいろいろなことをぶちまけたいと思います。

たとえば、僕の家は暴徒に囲まれていて、ウォール街や連邦議会議事堂へ行進しろと言われたんです。
神話的な人物像が紡がれていたので、僕は玉の緒を断ち切ろうとしているのです。
たとえば、ワシントンでは数十万人のデモがあったので、警察がバスのバンパーを突き合わせて取り囲みました。
中では大統領がフットボールの試合を観ていました。
まったく知らない連中が、僕に出てきて指揮を執れと言うのです。

ディランは本当にそんなことを考えていたのでしょう。
夢の中では群衆が歌を歌い、「俺たちについてきて、中に入れ!」と怒鳴っていたそうです。

-------------------------------------------------------
I wanted to tell him that life itself has turned into a prowling lion. I wanted to tell him that I needed to escape the blaze of bullshit.

僕はアーチーに言いたかった。人生そのものが、獲物を探してうろつきまわるライオンに変わってしまった。僕はアーチーに言いたかった。たわごとの炎から、僕は逃れなければならないんだ。
-------------------------------------------------------

もちろん、そんなことは言えなかったのです。
だからこそ、こんなに詳細に思い出すことができるのではないでしょうか。

人生には、言ってしまって取り返しのつかないことになってしまった言葉もありますが、言えなかったからこそよく覚えている言葉もあるものですよね。
いえ、これは私の感想です。

ただいまp.129が終わるところです。



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ハリケーン CHRONICLES #173

千本浜 2005年6月30日

改行していきなり話が変わります。
ジェリー・クォーリー(Jerry Quarry)とジミー・エリス(Jimmy Ellis)という、ボクサーの話になります。

調べてみたら、空位となった世界ヘビー級タイトルをこの二人が争ったのは1968年4月のことです。
ジミー・エリスが15ラウンド判定勝利でチャンピオンとなりました。

ジェリー・クォーリーは、兵役を拒否してライセンスを剥奪されていたモハメッド・アリ(カシアス・クレイ)が3年半ぶりに復帰した試合の相手です。
それは1970年10月のことです。

ディランによれば、ジミー・エリスにとってのボクシングは職業であり、それ以上でも以下でもなかったということです。
ジミーには養わなければならない家族がいるのであり、伝説になるとか、記録を破るなんてことにはまったく関心がなかったのです。

ジェリー・クォーリーはことさらに白人ボクサーであることを強調して売り出されてしまったのですが、本人はそれを望んでいなかったようです。

ディランがこの二人のタイトルマッチをとてもおもしろいと思ったのは、この二人のボクサーのどちらにも、自分を重ね合わせることができたからなのです。

-------------------------------------------------------
Like Quarry, I wasn't going to acknowledge being an emblem, symbol or spokesman either, and like Ellis, I too had a family to feed.

クォーリーと同様に、僕は自分が典型や象徴や代表者であるなんて認めようとしなかったし、そしてエリスと同様に、僕にも養わなければならない家族がいた。
-------------------------------------------------------

ディランはボクシングが好きなようですね。
そういえば「ハリケーン(Hurricane)」はボクサー、ルービン・「ハリケーン」・カーター(Rubin "Hurricane" Carter)のバラッドでした。

 →bobdylan.com: Hurricane

 ♪ Here comes the story of the Hurricane,
 ♪ The man the authorities came to blame
 ♪ For somethin' that he never done.
 ♪ Put in a prison cell, but one time he could-a been
 ♪ The champion of the world.

 ♪ というわけで ハリケーンのはなしがはじまる
 ♪ 彼こそ権力が罪を負わせようとえらんだ男
 ♪ なにもしなかったのに
 ♪ 独房にいれられた
 ♪ だがかつては世界選手権もとれたはずの男

                 (片桐ユズル訳)

おやおや、[Dylan] [Hurricane]で検索したら、妙なサイトがヒットしました。
特定の民族などに対して偏見に満ちた憎悪を執拗に発表し続ける新聞を「ヘイト・シート(hate sheet)」と言いますが、これは「ヘイト・サイト(hate site)」なんでしょうか。
リンクは張りませんので、頭をぐらぐらさせたい方はコピー&ペイストで行ってらっしゃい。
「南京大虐殺はなかった」というようなサイトと雰囲気が似ています。

 →http://graphicwitness.com/carter/

考えてみればそのころは私もよくテレビでボクシングの試合を観ていたようです。

 →▼ 70年代特集 【1970年】

ファイティング原田
海老原博幸
西城正三
龍反町
沼田義明
柴田国明
藤猛
小林弘
大場政夫
鈴木石松(ガッツ石松)

日本ボクシング史の1970年に現われる名前は、どれも懐かしいものでした。
今のボクサーの名前はあまりわかりません。
当時は「ハングリー」という言い回しがもっと身近なものだったのかもしれません。


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スーという名前の少年 CHRONICLES #172

ずいぶんひさしぶりに、浜へ夕陽を撮りにいきました。
そんなに雨は降っていないのに、西の空がどんよりと雲に覆われていることが多かったのです。

 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]
千本浜 2005年6月30日

ディランがブリルビルのプロデューサーに預けたデモ・テープを聴いて、アーチボルド・マクリーシュが連絡を寄越しました。
また自分のスタジオに来てくれというのです。

-------------------------------------------------------
With little hesitation, I jumped behind the wheel of our long, four-door Ford station wagon sedan and headed up again across the New England countryside.
-------------------------------------------------------

ちょっと躊躇したと書いていますが、やっぱり緊張して出かけたようです。

フォードのステーションワゴンですか。
60年代にステーションワゴンに乗っているのが、日本と違いますね。
でも、なんだかわりと普通な気もします。

-------------------------------------------------------
I felt like a caged bird -- like a refugee -- zigzagging up the winding highways -- felt like someone who was transporting a corpse across state lines and could be pulled over at any time.
-------------------------------------------------------

ディランの比喩はおもしろいですね。
昔聴いたラジオドラマの影響でしょうか、この車の後ろには屍体が隠してあって、そして州境を越えなければならないのです。

-------------------------------------------------------
僕はラジオのスイッチを入れた。ジョニー・キャッシュが「スーという名前の少年(A Boy Named Sue)」を歌っていた。昔々ジョニーはレノで、ただ死ぬところを見るために人を撃っていた。今は、父親から女の名前を付けられたのだと言っていた。ジョニーも自分のイメージを変えようとしていたのだ。
-------------------------------------------------------

私がジョニー・キャッシュを知ったのは、この「スーという名前の少年」が最初でした。
たぶん、ディランがフォードのステーションワゴンで聴いたのとそう変わらないころに、テレビでジョニー・キャッシュが歌っているところを観たのです。
途中でピーという音が入って、歌詞の一部を消してあったように思います。

女名前を付けられた荒くれ者の歌で、コミカルなんですよね。
日本で言えば「好子という名前のチンピラ」みたいなものです。

ジョニー・キャッシュが自分のイメージを変えようとしていたというのは初めて知りました。
既にカントリーの大物だったんですが、シングルの大ヒットはこの曲が初めてだったそうです。

 →A Boy Named Sue


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シナトラ親分 CHRONICLES #171

八幡町 2003年12月4日

ディランは劇のために書いた数曲をプロデューサーのスチュワート・オストロウ(Stewart Ostrow)のところへ持っていきます。
ブリルビル(Brill Building)のオストロウの部屋で曲を録音したようです。

 →The Brill Building

ニューヨークに来ている間に、ディランは奥さんとフランク・シナトラJr.のショーを観にいきます。
ロックフェラーセンターの最上階にあるレインボールーム、フルオーケストラだったそうです。

 →ロックフェラーセンター

60年代のディランがロックフェラーセンターへシナトラのショーを観に行くというのは驚きですが、当のシナトラもかなり驚いていたそうです。

シナトラはディラン夫妻のテーブルに同席し、「風に吹かれて(Blowin' in the Wind)」や「くよくよするな(Don't Think Twice)」のことを尋ねます。

「ああいう曲はどんな場所で歌ってるの?」

ディランは自分が引退して隠遁者(hermit)のように暮らしているのだと内心思うのですが、そのことは言いません。

シナトラは公民権運動のことも話します。
シナトラの父親は公民権運動の活動をしていて、常に弱者のために戦ってきたのだというのです。

-------------------------------------------------------
"How do you think it would make you feel," he said, "to find out that the underdog had turned out to be a son of bitch?"

「負け犬が結局はどうしようもないやつだとわかったら、君はどんなふうに感じるとお思う?」
-------------------------------------------------------

シナトラも、ディランのことを公民権運動のリーダーであるかのように考えていたようですね。
ディランの答えは、「わかわないけど、いい気はしないだろうね」というものでした。

60階の窓から見える街は、違う世界のようでした。
ディランは妻のために赤い花を買います。
そして、シナトラに別れの挨拶をします。

 →Wikipedia: フランク・シナトラ

マフィアとの繋がりが強烈なイメージを残すシナトラですが、人種差別を嫌悪していたことは事実であるようです。
サミー・デイヴィスJr.を仲間に引き入れるのも、当時はかなりの勇気を必要としたのでしょう。
ディランが自分のショーに来たのは、素直に喜んでいたのだと思います。

ただいまp.127です。


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オイディプスの恐怖 CHRONICLES #170

保線区 2005年6月28日

遠い日の初舞台のことを回想した後、今度はアーチボルド・マクリーシュの演劇『スクラッチ』の曲を作っているところに話が戻っています。

どうも落ち着かないようですね。
ピアノに向かって作曲をしています。

-------------------------------------------------------
The play itself was conveying some devastating truth, but I was going to stay away from that. Truth was the last thing on my mind, and even if there was such a thing, I didn't want it in my house. Oedipus went looking for the truth and when he found it, it ruined him.

その劇自体は圧倒的な真実というものをいくぶんかは伝えていたのだが、僕はそこからかけなはなれたところにいようとしていた。真実などというものはけっして僕の頭には浮かばないものであり、もしそんなものがあったとしても、僕はそれが家の中にあるのは望んでいなかった。オイディプスは本当のことを探しに行き、そしてそれを知った時に破滅した。
-------------------------------------------------------

え?、西洋の古典的教養に欠けておりますので、すぐに辞書を引きます。
おなじみ「リーダーズ英和」です。

-------------------------------------------------------
Oedipus
_n 【ギ神】 オイディプース 《テーバイの王; Sphinx のなぞを解き, 父母との関係を知らずに父 Laius を殺し, 母 Jocasta を妻として 4 人の子をもった; 真相を知ってわが眼をくりぬいた》.
-------------------------------------------------------

どうしたんでしょう、ディランさん。
何かあったんでしょうか。
家庭の幸福とか言いながら、外で悪いことしてませんか。

 →エディプス・コンプレックスの本質

 →松岡正剛の千夜千冊:『オイディプス王』

本当のこと。
フランシーヌの場合。
本当のさいわい。
宮澤賢治。

ボブ・ディラン自伝


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ローマ軍兵士ディラン CHRONICLES #169

IP屋上駐車場 2003年10月16日

2行空けて、また話が変わります。

アーチボルド・マクリーシュ(Archibald MacLeish)の劇『スクラッチ(Scratch)』中の台詞を、ディランは回想します。

-------------------------------------------------------
世界に悪が存在するのを私は知っている。絶対的な悪だ。善の対立物でも、不完全な善でもない。善とはまったく無関係なもの。幻想だ。
-------------------------------------------------------

抽象的な台詞が続いて、なんだかよくわかりません。
観念的な台詞で構成された劇のようです。

-------------------------------------------------------
Writing songs for a play wouldn't have been far-fetched for me, and I had already composed a couple of things for him just to see if I could do it.

劇のために歌を書くのは僕にとって不自然なことではなかったし、僕にできるかどうかマクリーシュに見てもらうために、既に数曲作っていた。
-------------------------------------------------------

あれあれ、ディランは結構乗り気だったんじゃないですか。
元々演劇は好きだったようですね。
ここから、ディランが初めてステージに立った時の回想になります。

クリスマスの季節になるといつも、ディランの故郷の町には劇団がやってきました。
聖書劇を演じるのですね。
地元の人がエキストラを演じるという、参加型の演劇です。

-------------------------------------------------------
One year I played a Roman soldier with a spear and helmet -- breastplate, the works -- a nonspeaking role, but it didn't matter. I felt like a star. I liked the costume.
-------------------------------------------------------

おお、かわいいですね、ディラン少年。
衣装が好きというのも、なんだかわかる気がします。

そういえば、1975年の「ローリング・サンダー・レビュー」も、ドサ回りの劇団を模したコンサートツアーでした。
今の「ザ・ボブ・ディラン・ショー」も、そんな雰囲気を持っているのかな。

ここでふと、ン十年前の、高校文化祭を思い出しました。
私が高校3年生の時。
全員参加というクラス劇に出なければならなくなったのですが、私も衛兵みたいな役を当てられました。

そうそう、「裸の王様」です。
学生服の上に剣道の銅を付け、袖口を梨かなにかをくるんであったプラスチックで飾って、陸上の槍を持って立っているだけです。
この衣装はちょっと気に入りました。
私は学校行事には極力非協力的だったのですが、裸の王様と行進する時には行進のステップを提案したりしましたわ。

バンドで最後のステージをやるという方に気が行ってたんですが、今では楽しい思い出になっています。
この晴れ姿の写真があったはずなんですが、ちょっと見つかりませんでした。
残念。

ただいまp.125です。


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お熱いのがお好き CHRONICLES #168

千本浜 2003年10月26日

いきなりトニー・カーチスさんが登場します。

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The actor Tony Curtis once said to me that fame is an occupation in itself, that is is a separate thing. And Tony couldn't be more right.
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トニーの言葉が現在形になっているのは、ディランが「トニーはまったく正しい」と思っているからですね。

ディランにつきまとった、悪意に満ちた過去のイメージはやがて消えてしまうのですが、結局は別の「時代遅れのもの(anachronisms)」が身を貫きます。
伝説(Legend)、聖像(Icon)、謎(Enigma)といった言葉は、陳腐だけど無害でした。
預言者(Prophet)や救世主(Messia/Savior)という言葉は、つらいものがあったそうです。
"Messia"と"Savior"を並べて遣っている場合は、ユダヤ教とキリスト教の救世主を意味しているようです。

しかし、トニー・カーチスさんには驚きました。
「リーダーズプラス」の場合は、この人も載っています。

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Tony Curtis (1925- ) 《米国の映画俳優; 本名 Bernard Schwartz; The Sweet Smell of Success (成功の甘き香り, 1957), The Defiant Ones_ (手錠のままの脱獄, 1958), Some Like It Hot_ (お熱いのがお好き, 1959)》
-------------------------------------------------------

ああ、いいですね、『お熱いのがお好き』。
私は70年代初頭のいわゆるアメリカンニューシネマで育ったんですが、それでもこの映画は大好きです。

 →お熱いのがお好き みんなのレビュー

小林信彦さんが書いていたのだと思いますが、ジェリー・ルイスがやると下品になってしまうけど、ジャック・レモンだとどこか品があるんですね。


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夢の印税生活 CHRONICLES #167

千本浜 2004年7月

大衆が自分のことを忘れてしまったら。
ディランでさえもそんなことを考えていたのでした。

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Eventually, I would have to face the music -- go back to perfoming -- the long awaited ballyhooed tour -- gypsy tours -- changing ideologies like tires, like shoes, like guitar strings.

結局のところ、僕は音楽に向かわなければならないのだ。演奏に戻らなければならないのだ。ずっと長いこと待っていた、昔なじみの連中とのばか騒ぎのツアー、ジプシーの演奏旅行に。タイヤを換えるように、靴を換えるように、ギターの弦を換えるように、思想を換えながら。

【追記】
 →I would have to face the music...
 ここは現実との関わりを語っているところなので、chappi-chappiさん御指摘のように「現実を見なければならない」の方が良さそうです。
-------------------------------------------------------

ここは仮定法過去で表現しているので、昔のことを回想して言っているのではありません。
俺は変わり続けるよと言っているわけでもありません。
ディランがふっと頭の中に描いたことをてみせたにすぎないのです。

自分というものをしっかり持っているので、他者のためにわざわざ暗闇の中に入っていくことはないと言っています。

実際、既に現実生活が暗闇の中にあるようなものでした。
ディランにとって家族はその暗闇の中にある光のようなものでした。
だから、家族だけはどんな犠牲を払っても守るつもりだったのです。

リトルリーグの試合、誕生日のパーティ、子供たちを学校に連れていくこと、キャンプ旅行、ボート漕ぎ、いかだ乗り、カヌー、釣り……。

そのころのディランが大切にしていたことが並んでいます。
印税生活を送っていたのだそうです。
一見、まるで夢のような暮らしです。


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洪水はわが魂に CHRONICLES #166

千本浜 2004年7月

ディランは突然メルヴィルのことを語り始めます。
ハーマン・メルヴィル(Herman Melvill)は有名な作家でしたが、『白鯨(Moby-Dick)』(1851年)を発表した後、次第に忘れられてしまいます。
批評家たちが、メルヴィルは文学の境界を超えてしまったと考えたからです。
メルヴィルは亡くなる時には、すっかり忘れられた作家となってしまいました。

 →松岡正剛の千夜千冊:ハーマン・メルヴィル『白鯨』

ディランは、批評家が自分の作品を見捨てたら、メルヴィルと同じように同時代の大衆からの支持を失ってしまうのではないかと恐れていたのだそうです。
60年代のディランは自信満々でマスコミを挑発していたようなイメージがあるのですが、結構自分の評判を気にしていたのでしょうか。

前に書いたような気がしますが、私が高校2年生の時のことです。
新潮社がのんびり市で文学講演会を開催してくれました。
今はもうなくなった公会堂へ友人を誘ってでかけました。
武蔵野タンポポ団を聴きに行ったのと同じ感覚です。

その講演会は新潮社の「純文学書き下ろし」の宣伝でした。
このシリーズは、函入り上製本というのが実にぜいたくな感じがして好きでした。
安部公房さんの『箱男』や倉橋由美子さんの『聖少女』をこのシリーズで買って読んだのも、この頃だったでしょう。
ずいぶんトンガッテますな、当時の私は。

講演は開高健さんと大江健三郎さん。
開高さんは『夏の闇』の話を、大江健三郎さんは『洪水はわが魂に及び』の話をしたのだと思いますが、肝心の話はあまり覚えていません。
同様の内容を『波』などで読んで、講演の印象が薄れたのでしょう。
もったいない。
どうせ若造なんだから、いろんなことを直接質問しておけば良かったなあと思います。

ただ、お二人の話の枕だけはよく覚えています。
開高さんはベトナム戦争の話です。
そして、大江さんが『白鯨』の話をしました。

作家志望の青年が来たら、『白鯨』を読むように勧めるという話です。
『白鯨』のすごさに驚いて作家になるのはあきらめるだろうから。
すごいと思わないようでは、元々才能がないのだし。
こういう皮肉で、日本的ではない、「小説」というものを教えてくれたのです。

もちろん非常に素直な少年であった私は、すぐに岩波文庫で『白鯨』を買って読んだのです。
今ではウンチクとかトリビアとか呼ばれそうな、その圧倒的な記述がおもしろかったです。
今でもジンジャーエールと聞くと、出港前のあわただしい光景を連想したりします。

さて、昨夜のワールドユースは残念な結果でしたが、今夜はコンフェデ杯。
もちろん見るつもりなんですが、既にビール頭です。
まだ時間があるなあ。

p.123です。

白鯨 20世紀漫画叢書 梶原一騎&影丸譲也
白鯨 20世紀漫画叢書 梶原一騎&影丸譲也

白鯨(上)岩波文庫
白鯨(上)岩波文庫 著者: ハーマン・メルヴィル /八木敏雄

白鯨(上)講談社文芸文庫
白鯨(上)モービィ・ディック 講談社文芸文庫 ハーマン・メルヴィル /千石英世


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天国への扉 CHRONICLES #165

千本浜 2004年7月

ワールドユースの中継は午前3時20分からということなので、それをじっと待っています。
観戦用ビールをどんどん空けてしまっています。
いかん、いかん。
『クロニクルズ』でも眺めるか。

p.123に入るところです。
ディランは出演した映画のことも少し触れています。

-------------------------------------------------------
I played a part in a movie, wore cowboy duds and galloped down the road. Not much required there. I guess I was naive.
-------------------------------------------------------

さすがの大物も、経験不足であったと振り返っています。
Pat Garrett and Billy the Kid
この映画はもちろん、『ビリー・ザ・キッド 21才の生涯(Pat Garrett and Billy the Kid)』(1973年)ですね。

 →ビリー・ザ・キッド 21才の生涯 - サム・ペキンパー Sam Peckinpah -

 →ビリー・ザ・キッド/21才の生涯

 →Pat Garrett and Billy the Kid

 →Pat Garrett and Billy the Kid (1973)

あ、ペキンパ監督の編集版は公開時とストーリーが違うのか。
これは観てないな。

音楽担当もボブ・ディランで、このサントラ盤は映画を見てなくても部屋に流しておくといい感じです。
今引っ張り出してきて聴いてます。

 →bobdylan.com: Pat Garrett and Billy the Kid

まあ、なんといっても「天国への扉(Knockin' on Heaven's Door)」ということになりましょうかね。
ディランの作品としては小品だと思うのですが、実によくライブで演奏しています。
オフィシャルサイトで見ると、9種類のバージョンがありますね。

 →Knockin' on Heaven's Door

あれ、"LIVE 75: THE ROLLING THUNDER REVUE"が一覧に入ってませんね。
これも実にいいです。

ほかにも、オフィシャルサイトに出ていなくて手元にあるものだと、トム・ペティ(TOM PETTY)と演ったライブ盤にも入ってます。

最後に盛り上げてしんみりさせる感じがライブ向きなんでしょうね。
元々が繰り返しだけみたいな曲なので、延々と繰り返しながらギターの演奏を聴かせたり、料理しやすいのかもしれません。

"DYLAN & THE DEAD"の演奏はちょっとかっこ良すぎるんじゃないかというぐらいいいですなあ。
"UNPLUGGED"の演奏も、とてもいいです。
ディラン本人が、この曲が好きなんでしょうね。

 ♪ Mama, take this badge off of me
 ♪ I can't use it anymore.
 ♪ It's gettin' dark, too dark for me to see
 ♪ I feel like I'm knockin' on heaven's door.

 ♪ Knock, knock, knockin' on heaven's door

 ♪ Mama, put my guns in the ground
 ♪ I can't shoot them anymore.
 ♪ That long black cloud is comin' down
 ♪ I feel like I'm knockin' on heaven's door.

 ♪ Knock, knock, knockin' on heaven's door


 ♪ ママ、このバッジをとってくれ
 ♪ もうつかいみちがない
 ♪ くらくなってきた、くらくて見えない
 ♪ おれは天国の扉をたたいているみたいだ

 ♪ ノック、ノック、天国の扉にノック

 ♪ ママ、おれのガンをはずしてくれ
 ♪ もう撃つことができない
 ♪ あの長い黒雲がたれさがってくる
 ♪ おれは天国の扉をたたいているみたいだ

 ♪ ノック、ノック、天国の扉にノック

                 (片桐ユズル訳)
Pat Garrett & Billy the Kid [Soundtrack]
Pat Garrett & Billy the Kid [Soundtrack]
1. Main Title Theme (Billy)
2. Cantina Theme (Workin' for the Law)
3. Billy 1
4. Bunkhouse Theme
5. River Theme
6. Turkey Chase
7. Knockin' on Heaven's Door
8. Final Theme
9. Billy 4
10. Billy 7


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ディランの自画像 CHRONICLES #164

千本浜 2004年9月28日

Rhode Island Design Schoolという学校があります。

 →Rhode Island School of Design

どういう学校なんでしょうか。
東京芸術大学というよりは、桑沢デザイン研究所という感じなのかな。
桑沢のOBには仕事で世話になった人が何人かいます。

 →桑沢デザイン研究所

しかし、どちらのサイトも落ち着きませんなあ。
Java/Java Scriptを切ってあるブラウザでは見ることができないのも同じです。
WWWのサイトとしては、まずいと思います。

おっと、検索したらありました、ロードアイランドデザイン大学。
国際的に有名な学校なんですね。
京都精華大学が交換留学をやっているようです。

 →京都精華大学:国際交流

何かというと、ディランはレコード会社と一緒に、「音楽をやめてRhode Island Design Schoolに通う」という噂を立てたんだそうです。
この辺り、何がなんだかわかりませんわ。
雑誌はディランに踊らされて、いろいろなことを書き立てます。

ディランは2枚組みのアルバムを発表します。
ジャケットは自画像。
そう、"Self Portrait"(1970年)です。

 →bobdylan.com: Self Portrait

私はこのアルバムの冒頭にある"All the Tired Horses"が好きで、マイベストMDにも入れましたが、実はディランの声は入っていません。
女声コーラスが不思議な歌詞を繰り返すだけです。

 ♪ All the tired horses in the sun
 ♪ How'm I supposed to get any ridin' done?
 ♪ Hmm.

 ♪ 日なたのウマたちみんな疲れている
 ♪ どうやって どれに乗ったらいいんだろうか
 ♪ フム……
                   (片桐ユズル訳)

いわばアルバムのテーマソングとも言うべきもので、後は他人の曲あり、ワイト島のライブありと、ごった煮のようになっています。
私が実際にアルバムの形で買ったのはCDになってからなので、1枚に収まってしまっていますが、2枚組みLPだと実にどっしりとしていました。
ワイト島の音源がおなじみだったせいもあって、好きなアルバムです。

他人の曲が多いので、きっとファンには評判が良くないのでしょう。
多重録音で二人のディランが歌う「ボクサー」なんて変ですものね。
でも、おもしろいなあと思います。

Bob Dylan / Self Portrait
Self Portrait
1. All the Tired Horses
2. Alberta, No. 1
3. I Forgot More Than You'll Ever Know
4. Days of '49
5. Early Morning Rain
6. In Search of Little Sadie
7. Let It Be Me
8. Little Sadie
9. Woogie Boogie
10. Belle Isle
11. Living the Blues
12. Like a Rolling Stone
13. Copper Kettle (The Pale Moonlight)
14. Gotta Travel On
15. Blue Moon
16. Boxer
17. Mighty Quinn (Quinn the Eskimo)
18. Take Me as I Am (Or Let Me Go)
19. Take a Message to Mary
20. It Hurts Me Too
21. Minstrel Boy
22. She Belongs to Me
23. Wigwam
24. Alberta, No. 2


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北国の少女 CHRONICLES #163

保線区 2005年6月18日

ディランはエルサレムに旅行し、嘆きの壁(Western Wall)の前でつばのない帽子(skullcap)を被って写真を撮りました。
その映像はすぐに世界中に送られましたが、とたんにディランはシオニストだということになりました。
帰国して一見カントリー&ウェスタンのように見えるアルバムを作りました。
いつもとは違う声で録音したので、みんな頭をかきむしりました。

ああ、これは私が初めて買ったディランのアルバム、『ナッシュビル・スカイラン(Nashville Skyline)』(1969年)ですね。

 →bobdylan.com: Nashville Skyline

先にワイト島フェスティバルのライブEPを買っていたので、驚きました。
後からわかったのですが、これは『セルフ・ポートレイト(Self Portrait)』(1970年)からワイト島の部分だけカットしたものだったんですね。

ただ、私の場合はディランの他のアルバムに親しんでいたファンほどのショックは受けませんでした。
ディランという人は元々こういう声なんだろうなと思いました。
なにぶん「遅れてきた少年」だったので、かえって先入観なしにこのアルバムを聴けたのはかえって良かったのかもしれません。

A面1曲目が「北国の少女(Girl of the North Country)」。
ジョニー・キャッシュの声はすごい迫力です。
サイモン&ガーファンクルの「スカボロー・フェア(Scarborough Fair)」と似てるなとは思いましたが、元歌が同じだと知ったのは、それからかなり後になってからです。

 →スカボロー・フェアについて

あ、コンフェデ杯、ギリシャに勝った!


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幸福の風景 CHRONICLES #162

千本浜 2004年10月

異常な人気と貼り付けられたラベル、実際に押し寄せてくるいいかげんな連中や取材記者、そして街の人々の視線に、ディランは苦しみます。
でも、あまり暗い筆致ではありません。
ついつい、読んでいる人を楽しませようとしてしまうようです。

chappi-chappiさんのレスに返事を付けていて気づいたのですが、"Esquire"の表紙をマルコムXやケネディと共に飾ったのは、とても恐いことだったのではないでしょうか。
僕はただの歌手なのに、暗殺された政治家たちと並べられている。
僕も暗殺されるんじゃないだろうか。

政治家ケネディの暗殺を一人の父親の死として受け止めたのは、子供たちに囲まれて家庭の平和な幸せを感じていたディランにとって、とても身近なものに感じられたからでしょう。

自分もそんなふうに突然殺されるかもしれない。
でも、自分はこの子たちを守らなければならない。
そのためには、自分の身も守らなければならない。

そうは書いていないのです。
ディランはついついドタバタをおもしろく描いてしまいます。

ディランにとって最も大切なのは、家族が息をする空間を手に入れることでした。

-------------------------------------------------------
It was tough moving around -- like the Merle Haggard song, "...I'm on the run, the highway is my home."
-------------------------------------------------------

マール・ハッガード(Merle Haggard)の"I'm A Lonesome Fugitive"という曲ですね。
「逃亡者」という邦題が付いていたかもしれません。

 →I'm A Lonesome Fugitive

-------------------------------------------------------
Creativity has much to do with experience, observation and imagination, and if any one of those key elements is missing, it doesn't work. It was impossible now for me to observe anything without being observed.
-------------------------------------------------------

人は街でディランを見掛けるとささやきあいます。
「あれよ、あの人よ」
「あれが?」
自分を中心に、山が動いているかのように、人が動きます。

ああ、似たような光景を、この地方都市で見た記憶があります。
私はバルセロナオリンピックの年に、故郷に帰ってきました。
夜中に水泳競技の中継をテレビで流しながら仕事をしていると、中学2年生の女の子が優勝してしまいました。

「今まで生きてきた中で一番幸せです」

休みの日に家の近くのロッテリアで友だちとおしゃべりをするのが大好きな普通の女の子だったのですが、しばらくはそんなことがまったくできなくなってしまいました。
「あ、あの子よ」
「あれが?」
みんなが、ささやくのです。


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無秩序の大司教 CHRONICLES #161

千本浜 2004年9月30日

ディランは自分の曲の歌詞が心を打ったのだろうと言っています。
でも、言葉だけではなかったはずだとも。
そうでなければ、デュアン・エディ(Duane Eddy)がディランの曲だけでインストルメンタルのアルバムを出すこともなかったはずなのです。

そんなアルバムのことなど知らないので、amazonで検索してみました。
-------------------------------------------------------
Duane A-Go-Go/Duane Does Dylan
Duane A-Go-Go/Duane Does Dylan

[BEST OF] [FROM US] [IMPORT]
Duane Eddy
1.Trash
2.Puddin'
3.Moovin' 'N' Groovin'
4.Choo Choo a Go Go Toot! Toot!
5.Just to Satisfy You
6.Around the Block in 80 Days (March in "A")
7.Cottonmouth
8.If You've Seen One You've Seen 'Em All!
9.South Phoenix
10.Dream Lover
11.Busted
12.I'm Blue
13.Don't Think Twice, It's All Right
14.House of the Rising Sun
15.It Ain't Me Babe
16.Not the Lovin' Kind
17.She Belongs to Me
18.All I Really Want to Do
19.Houston
20.Love Minus Zero/No Limit
21.Mr. Tambourine Man
22.Blowin' in the Wind
23.Swing Low, Sweet Chariot
24.Eve of Destruction
-------------------------------------------------------

どうも後半だけがディランの曲なので変だなと思って、さらにgoogleで検索してみます。

 →DUANE EDDY DISCOGRAPHY

なるほど、1965年に出した2枚のアルバムを、一枚のCDにまとめたのですね。
シングルカットされたのが、「Don't Think Twice/House of The Rising Sun」ということになるようです。

-------------------------------------------------------
Musicians have always known that my songs were about more than just words, but most people are not miusicians. What I had to do was recondition my mind and stop putting the blame on external forces.

ミュージシャンはいつも僕の歌が単なる言葉以上のものだったということを知っているのだが、ほとんどの人はミュージシャンではない。僕がやらなければならないのは、自分の精神を回復させて、外部の力のせいにするのを止めることだった。
-------------------------------------------------------

「自分の荷物を捨て去る」という比喩も遣っています。
自分の曲の歌詞に、外から余計な意味が付け加えられるのにうんざりしていたのですね。
そして、ディラン自身にもいろいろな修飾語が付け加えられてしまいます。

the Big Bubba of Rebellion 反乱の大立て者
High Priest of Protest 抗議の司祭長
the Czar of Dissent 不同意のツァーリ
the Duke of Disobedience 不服従の公爵
Leader of the Freeloaders たかりのリーダー
Kaiser of Apostasy 背教の皇帝
Archbishop of Anarchy 無秩序の大司教
the Big Cheese 重要人物

ほとんどの言い回しが、ほぼ同じ内容です。
つまり、反社会的なことがらの大物ということです。
プロテストシンガーというよりも、反社会的運動の指導者のようです。
雑誌の表紙で顔写真がマルコムXやカストロと合成されるのも道理です。

ディラン自身は、はここに並べたような呼称はすべて「無法者を指す暗号だ」と書いています。


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四顔の郷士 CHRONICLES #160

千本浜 2004年10月

ディランはひたすら家にひきこもっていた時期なのですが、マスコミの取材攻勢が止むということはありませんでした。
記者がドアを激しく叩くのを止めるために、顔を出さなければならないこともありました。

「今起きているようなことに関して、お話を伺えませんか?」
「いいけど、どんなこと?」

記者は矢継ぎ早に質問を浴びせかけるのですが、ディランは何度も同じことを繰り返すだけです。

「僕は何の代弁者でも、誰の代弁者でもない。ただのミュージシャンだ」

記者はディランの目を覗き込んで、バーボンやアンフェタミンの証拠がないか探します。
ディランには、記者たちがいったい何を考えているのかさっぱりわかりません。
しばらくすると、こんな見出しを付けた記事を通りで見掛けるのです。

「代弁者であることを、代弁者が否定する」

-------------------------------------------------------
I felt like a piece of meat that someone had thrown to the dog.
-------------------------------------------------------

やっぱりディランの比喩はおもしろいですな。

-------------------------------------------------------
「ニューヨークタイムズ」誌は僕の歌をガーガーと解釈した。
「エスクァイア」誌は、表紙に四つの顔を持つ怪物を掲載した。
マルコムXとケネディとカストロと、僕の顔だ。
-------------------------------------------------------

おお、これは!
と思って検索したらありました。
だいぶ遡りますね。

 →"Esquire"1965年9月号

このコラージュは右半分の二人が暗殺され、左半分がいつまでも元気なおっさんということになりました。

「リーダーズ・プラス」掲載の"Esquire"を引用しておきます。

-------------------------------------------------------
Esquire
n.『エスクァイア』 《もとメンズウェアのコピーライター Arnold Gingrich (1904-76) の編集により 1933 年に季刊誌として創刊された米国の都会派高級メンズマガジン; 第 2 号より月刊 (一時期月 2 回刊); 政治・経済・文学・スポーツ・ファッション・料理・旅行など「男にとって興味のあるもの」を広範囲にわたり徹底して追及するというのが編集方針で, かつてはそのピンナップヌードが俗うけしたが, 記事の質は高く, 有名作家・ノンフィクションライターもよく登場する; New Journalism を育てた雑誌として知られる; 発行元 Esquire Magazine Group, Inc. (Hearst_ Corp. の一部門)》
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君の窓から CHRONICLES #159

千本浜 2005年5月21日

もちろん子供のおもちゃが散乱した家の中に誰かを入れるなどということはありませんでした。

--------------------------------------------------------
As for house rules, we didn't have many. If the kids wanted to play basketball in the kitchen, they played basketball in the kitchen. If they got into the pots and pans, we put all the pots and pans out on the floor. My house was chaotic inside as well as out.
--------------------------------------------------------

あれま、ディランはやっぱり大甘のパパであったようです。

「As for ?」というのは懐かしい受験英語でありましたな。
「about ?」ぐらいの意味ですが、文頭でこれまでの話題に関連した新しい話題を持ち出すのに遣います。
だから強めに「?はどうかといえば」みたいに訳しましたね。

「pots and pans」は日本語で言えば「鍋釜」で、炊事用具一般を指します。
こういうものも散乱しているので、家の中も、外と同様に大混乱。
ディランの文章は楽しいです。

ページが変わると、いきなりジョーン・バエズの名前が出てきます。

--------------------------------------------------------
Joen Baez recorded a protest song about me that was getting big play, challenging me to get with it -- come out and take charge, lead the masses -- be an advocat, lead the crusade.
--------------------------------------------------------

ジョーン・バエズはディランが作った曲をいくつも歌っています。
1968年にはディランの曲を歌ったアルバムも出しています。
"I SHALL BE RELEASED"の歌詞からタイトルを採った"Any Day Now"です。

でも、ディランのことを歌った歌というのは何なんでしょうか。
"DIAMONDS AND RUST"や"WINDS OF THE OLD DAYS はこの数年後の曲だし、内容も違います。

 →JOAN BAEZ: Any Day Now

あ、私が持っているのはこちらのアルバムです。

 →Baez Sings Dylan

二人の関係が書いてあります。

かつて「フォークの王様と女王様」だった二人は、1969年の時点ではかなり遠いところにいました。
家の中に引きこもって、子供たちとの日々に幸せを見いだしたディランに、ジョーン・バエズは社会運動への参加を呼びかけたようです。

ウッドストックのコンサートにもディランは出演していませんが、バエズは出ていますね。
中学生の時に映画『ウッドストック』を観た時の「ジョー・ヒル」をよく覚えています。

なんとなくジョーン・バエズはディランよりお姉さんだと思い込んでいましたが、ディランと同じ1941年生まれなんですね。


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大人の科学 CHRONICLES #158

千本浜 2005年5月7日

ディランの姿を見掛けると、ストーカーまがいの連中はじろじろと見ます。
そんなものは気にしてないという風を装いますが、もちろんすぐに限界が訪れます。
何度か引っ越しをしてみるのですが、すぐに記者連中が嗅ぎつけます。
でも、もしも仮に地域紙の記者に取材を許していたとしても、たいしたものを見つけることはできなかったことでしょう。
子供たちのおもちゃが散乱しているだけなんですから。

------------------------------------------------
A whole lotta stuff -- stacking toys, push and pull toysm, child sized tables and chairs -- big empty cardboard boxes -- science kits, puzzles and toy drums... wasn't going to let in the house.
------------------------------------------------

ジョン・レノンが子供とだらだらしているところは容易に想像できるのですが、ボブ・ディランではなかなか難しいものがあります。

「stacking toys」というのは何なんでしょう。
積み木とかレゴみたいなやつかな。
小さい子供のいる家では確かにこんなものが散らかっていました。

「science kits」というのも大いに気になるところです。
電子ブロックみたいなものかなとも思ったのですが、amazonで輸入物の「science kits」を検索してみたら、内容物はこんなものでした。
こちらの方が近いのかな。

------------------------------------------------
キット内容:
*52種類の実験が書かれた冊子
*虫メガネ
*磁石
*スポイト
*鉛筆
*ステッカー100枚以上
*ワイヤOリング綴じブック
------------------------------------------------

う?ん、なんだかわくわくします。
学研「大人の科学」シリーズ、とても気になりますが、まだなんとかこらえています。

 →大人の科学:大人のための科学体験キット


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自由からの逃走 CHRONICLES #157

千本浜 2005年1月13日

あるくそ暑い日に車を運転していると、ロビー・ロバートソンが言いました。
まだザ・バンドとは名乗っていないころです。

「どこへ連れていくつもりなんだい?」
「何を連れていくって?」
「音楽シーン全体を」

びっくりして車の窓が1インチほど開いたそうです。(おいおい)

話がまるで違います。
ディランは静かなところに引っ越したいと思っていただけなんです。
ウッドストックは悪夢のような場所になってしまいました。
プライバシーは売り物になるけれど、それを買い戻すことはできないのだと、ディランは言っています。

街路樹のある通りに面した、白い杭垣に囲まれた家。
裏庭にはピンク色のバラが咲いています。
それが当時のディランの、心からの夢でした。

どこかで見たような風景です。
郊外にあるごく普通の住宅地ではないでしょうか。
有名になってしまったので、ディランにはそれが憧れなんです。
デビッド・リンチの『ブルーベルベット』でも、冒頭でそんな家が出てこなかったかしら。
水撒きをしているようなシーン。
一般的な幸福の象徴的風景なんでしょう。

ずっと以前ですが、東京の住宅地を歩いていて母が言ったことがありました。
小さいころ、こういう家に住みたいと思っていたんだよ。
古いおうちです。
それほど広くないけれど、生け垣に囲まれて、洋室が一つ飛び出したような都会の平屋建て。
柿の木か枇杷の木か、一本だけ大きめの庭木があるのです。
中からピアノの音が聞こえてきそうなおうちです。
母の場合は貧乏だったので、そんな洒落た家に暮らすことはできませんでした。

小坂明子さんの「あなた」が大ヒットしたのは、誰もがこんな願望に訴えるところがあったからなんでしょうか。

 →「あなた」(1973年)

ただ、私はこの歌の「家」にはどうもリアリティが感じられませんでした。
暖炉要らないし。

ディランに話を戻すと、とりあえず一家はニューヨークに戻りました。
ところが、事態はさらに悪化してしまいます。
ぞろぞろとやってきては家の前で歌を歌い、「我々をどこかへ連れて行け」と叫ぶのです。
いったいどこに?

まさにカリスマです。
ディランなら自由と平等で自分たちを導いてくれるような気がしたのでしょう。
でも、それでは強力なファシストを待望する心情とあまり変わりません。


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ヤスガーズ・ファーム CHRONICLES #156

千本浜 2005年1月8日

手元の、というかPCにデータをコピーしてあるリーダーズ英和を引いてみます。

-------------------------------------------
Woodstock
1 ウッドストック《→SNOOPY の友だちの小鳥》.
2 ウッドストック《1969 年 8 月 New York 州南東部の村 Woodstock の近くで行なわれたロック音楽祭; 60 年代のロックシーンの頂点をなすイベントで, 総計 50 万人ともいう聴衆を集めた》
-------------------------------------------

最初にスヌーピーの友だちが出ているとは思いませんでした。
この辞書はリーダーズプラスも一緒に入っているので、そちらも見てみます。

-------------------------------------------
Woodstock
n.
1 『ウッドストック』 《Sir Walter Scott の歴史小説 (1826); 副題 The Cavalier; 清教徒革命時代 1651 年のイングランドを舞台とし, 議会派と王党派の争いの中で議会派の Everard と王党派の娘 Alice との恋物語が展開する; 題名は Charles 2 世が身を隠した Oxford 近郊の御料地》.
2 ウッドストック 《(1) New York 州南東部 Kingston の北西にある村; リゾート地で, 芸術家の村として知られる; 1969 年 8 月, 近くの Bethel で開催されたロックフェスティバル Woodstock Music and Arts Festival は 30-50 万人のファンを集めた; 60 年代のロックミュージック, および若者によるカウンターカルチャーのうねりが頂点に達したことを象徴するできごと (2) Illinois 州北東部 Waukegan_ の西にある市, 1.4 万 (3) カナダ Ontario 州南東部 London の東北東, Thames 川沿岸の市, 2.7 万》.
3 「ウッドストック」 《Crosby, Stills, Nash & Young_ の 1970 年のヒット曲; Woodstock Music and Arts Festival のことを歌った曲で作詞作曲は Joni Mitchell_》
-------------------------------------------

おお、すごい辞書ですね。
歴史的な順序なのかな。

もちろん1969年のウッドストックが最初に思い浮かびます。
恭蔵さんが「我が心のヤスガーズ・ファーム」と歌っていた、あのウッドストックです。
コンサート会場となったのがマックス・ヤスガー(Max Yasgur)という人の農場だったからです。

 →1969 Woodstock Festival & Concert

ディランの『クロニクルズ』に戻ると、2行空けて話が変わります。

マネージャーがウッドストックにいい家を見つけて買ったので、ディランも家を買いました。
とても快適だったそうです。
ところが、昼夜を問わず、この家に闖入者が押し寄せるようになってしまいました。

-------------------------------------------
At one time the place was a quiet refuge, but now, no more. Roadmaps to our homestead must have been posted in all fifty states fo gangs of dropouts and druggies. Moochers showed up from as far away as California on pilgrimages. Goons were breaking into our place all hours of the night.

かつては静かな隠れ家だったのだが、今ではもうそうではなくなっていた。社会からの脱落者や麻薬常用者に向けて、全五十州で僕たちの家への道路地図が知らされたに違いない。ヤク中がはるばるカリフォルニアから巡礼の旅を続けて姿を現わした。夜中いつでもチンピラが敷地に入り込んできた。
-------------------------------------------

ここでも妙な冗談を混ぜているのがおかしいです。
ただ、アビー・ホフマンの『この本を盗め』みたいに、「ディランの家はここだ!」みたいなことを記載したパンフレットが実際に出回ったのかもしれませんね。

最初のうちは無害なホームレスみたいだったけれど、そのうちに「プロテストのプリンス」を探しに「ならず者の過激派(rogue radicals)」が来るようになりました。
わけのわからない風体の人物たちを何種類か描写しているんですが、"gargoyle-looking gals"なんてのも書いてあります。
怪物みたいな外見の娘たち?
文字どおり食い物を盗りに来るのです。

ディランはフォーク歌手のピーター・ラファージ(Peter LaFarge)からコルトのピストルを貰っていました。
それとは別にウィンチェスターのライフル銃も持っていました。
でも、ウッドストックに3人だけいた警官の主任によれば、たとえ警告であってもそんなものをぶっぱなしたら拘留されるのは自分の方だということでした。

門を壊して勝手に入ってくるような連中をすぐに撃ち殺してしまうのが、私の想像する田舎のアメリカ人像なんですが、さすがにそうは行かないようです。

googleで検索してみたら、ピストルをくれたピーターはこの時点で既に亡くなっているようです。
脳卒中ということになっているけれど、自殺という説もあるというように書いてあります。
ディランが世話になった人物みたいですね。

 →PETER LAFARGE

 →Peter La Farge Discography

ただいまp.117です。


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『ボブ・ディラン自伝(1)』発売延期

ソフトバンクパブリッシングから出る、菅野ヘッケルさん訳『ボブ・ディラン 自伝(1)』は6月発売予定だった。 そろそろかなと思って予約した楽天ブックスへ行ってみたら、いつのまにか「2005年7月発売予定」に変わっていた。

がちょ?ん!

でも、多少遅れても、良い翻訳を出してくれた方が嬉しいな。
著者(ディラン御大ね)に直接確認したい箇所がたくさんあるのだと思いますよ。

 →ボブ・ディラン自伝(1)


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カリスマの苦悩 CHRONICLES #155

千本浜 2005年1月12日

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名声と富は力を生み出すもの、栄光と幸福をもたらすものだと思われている。そういうこともあるのかもしれないが、そうではない場合もあるのだ。僕は守らなければならない家族とともに、無防備なままウッドストックにしがみついていた。でも、マスコミでは僕はまったく違うように描かれていた。煙幕がどれだけ厚くなったか、驚くべきほどだった。世間はいつも贖罪の山羊を必要としているようだった。ローマ帝国に対する責任を負わせる何者かを。
-----------------------------------------

日本でも、ボブ・ディランの後を追いかけるように、社会性の高い歌を歌うことによって絶大な人気を得る歌手が現われました。
まず高石友也さん。
その事務所からさらに中川五郎さん、岡林信康さん。
そう、「アングラ・レコード・クラブ」つまりURCが生まれるのです。

ピート・シーガーやボブ・ディランの曲に日本語詞を付けて歌ったり、オリジナルの曲を作って歌ったり、ピートやボブのこどもたちです。
昨今はすぐに「カリスマ」の修飾語が付いてしまいますが、一時の岡林さんは本当にカリスマ的な人気を得ていたのではないかと思います。

日本の場合はコンサート後の討論会のようなものや、「商業主義批判」が彼らを消耗させたようですが、ディランと同様に世代を代表させられる重荷を背負ったのでしょう。
岡林信康は失踪し、高石友也は福井県の名田庄村に移住します。

一旦戻ってきた岡林さんが手本にしたのは、ボブ・ディランです。
はっぴいえんどをバックに歌う姿は、ディランとザ・バンドのようでした。
高石さんは渡米してフォークソングの源流を辿り、「ひとびと音楽」を目指すことになります。

私たちはもうその後を知ってしまっています。
ザ・ナターシャー・セブンは木田高介さんと坂庭省悟さんが亡くなり、城田純二さんは塀の中に入ってしまいました。

でも、別に「結果」が出ているわけではありません。
高石友也さんも岡林信康さんも、それから中川五郎さんも歌っています。

-----------------------------------------
でも、アメリカはローマ帝国ではなかったので、他の誰かが進んで引き受けなければならないのだ。僕は本当はけっして僕以上のものなんかではなかった。涙でよく見えない目で灰色の霧の中を覗き込んでは、輝くもやの中に浮かぶ歌を作る、フォーク歌手だ。それが僕の目の前で弾けとび、僕の上にのしかかっている。僕は奇跡を行なう説教師ではなかった。それでは誰でも気がおかしくなってしまっただろう。
-----------------------------------------

ただいまp.116です。


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夜の父、昼の父

帰宅して、ユズルさんの訳を探してみた。 ああ、これだ。 タイトルは「夜の父」。 ああ、やっぱりそうだ。 いいなと思った。

この歌詞はついつい「父なる神」とか「教父」とか訳したくなるかもしれないが、神でも神父でもない、「父」のままの方がいい。
晶文社から出ている『ボブ・ディラン全詩302篇』です。


Father of night, Father of day,
Father, who taketh the darkness away,
Father, who teacheth the bird to fly,
Builder of rainbows up in the sky,
Father of loneliness and pain,
Father of love and Father of rain.

夜の父、昼の父
暗やみをとりさるもの
鳥にとぶことを教える父
空たかく虹をかける者
さびしさと苦しみの父
愛の父と雨の父
        (片桐ユズル訳)

ボブ・ディラン全詩302篇―LYRICS 1962‐1985 片桐ユズル 中山容 訳


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昼間のパパ

先日"Father of Night"を幻の曲と書いてしまったのだが、実はディランのアルバム"New Morning"にはそういうタイトルの曲がある。

 →bobdylan.com: Father of Night

ディランには珍しいピアノの弾き語り。
そう、ほんの短い間だがピアノの弾けないピアニストだったディランのピアノ演奏。

どうもゴスペルのような歌詞なんだが、よくわからない。
夜と昼を対比させた象徴的な言葉が並ぶ。
虹を造り、山を造るのだから、Fatherはやはり父なる神なんだろう。

マクリーシュの戯曲との関係がわからないが、提示されたタイトルから啓示を得たということなんだろうか。
家庭的な幸福に恵まれ、理想によって子供を育てようと決意していたころのディランの、神を讃える歌である。


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彼女はぼくのもの CHRONICLES #154

千本浜 2005年1月8日

激動の政治の季節を説明した後には、こんな記述が続きます。

-----------------------------------------
僕はオートバイ事故で怪我をしたのだが、それは治っていた。本当のところ、つまらない競争からは抜け出したいと思っていた。子供を持つことで僕は暮らしが変わり、みんなから、そして起きているあらゆることから離れた。家族の他には僕の興味を本当に引きつけるものは何もなくなり、僕は違う眼鏡を通してあらゆるものを見るようになっていた。その時代の恐ろしいニュース……ケネディ兄弟やキング師やマルコムXが銃弾に倒れた時でさえ、政治的な指導者が撃たれたというよりも、その家族の父親が傷つけられたというように見えた。自由と独立の国アメリカに生まれて育ったので、僕はいつでも自由と平等という価値観と理想を大切にしてきた。僕は自分の子供たちを、そんな理想によって育てようと堅く決心していた。
-----------------------------------------

あれま。
長々と訳してしまいましたが、なんとまあ堂々たる宣言でしょうか。
こちらが気恥ずかしくなってしまうほどです。
国家が掲げる理想を正しいと思うから、それに従って生きる。
もしも国家が間違った方向に進もうとしたら、正々堂々とそれを正す。
懐かしいアメリカの姿が、そこにあります。

「自由と平等という理想によって、僕は子供を育てるのだ」

私は妻も子もないので、子育てに関して発言する権利がないと見る向きもございましょうが、なかなかこんなふうに宣言できるものではないように思います。

日々の生活に追われながら子供の将来を思い、懸命にそれに尽くすのが、私の知っている日本の愛すべき親たちです。
でも、たとえば他の子供と較べたり、目先の利益に左右されたり、理想を掲げて子育てをしている親は本当に少ないように見えるのです。
何が正しいのかという価値観を親が失ってしまっているので、目先の利益に従わざるをえないのでしょう。
これが未来を信じることのできない、日本という寂しい国なのです。

これより少し前のこと、ディランがニューポート・フォーク・フェスティバルに出た時、ウィーバーズ(The Weavers)のロニー・ギルバートが観衆にディランを紹介したそうです。

「さあ、彼だよ、知ってるね。受け取ってくれ。彼は君たちのものだ」

この紹介の中に不吉な予感を感じるべきだったと、ディランは後悔しています。

-----------------------------------------
"Take him, he's yours!" What a crazy thing to say! Screw that. As far as I know, I didn't belong to anybody then or now.
-----------------------------------------

"Screw that"は「こんちくしょうめ」ぐらいでしょうか。
マスコミに「世代(generation)」の代表だとか代弁者だとか書き立てられていたことに対して不満をこぼしています。

「僕が僕であること」が自由と平等の前提です。
世間様には名声に見えることも、それは軛(くびき)のようにしか感じられなかったのでしょう。

ところで、ここまで書いて思い出したディランの曲があります。
「彼女はぼくのもの」です。

 →bobdylan.com: She Belongs to Me


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いちご白書 CHRONICLES #153

千本浜 2005年5月21日

二行空けて、話が変わります。

--------------------------------------------
In 1968 The Beatles were in India. America was wrapped up in a blanket of rags. Students at universities were wrecking parked cars, smashing windows. The war in Vietnam was sending the country into a deep depression. The cities were in flames, the bludgeons were coming down. Hard-hat union guys were beating kids with baseball bats.
--------------------------------------------
 *bludgeons 棍棒

"hard-hat"というのは建設現場で被るような保安ヘルメットのことですが、反動的人物を指すこともあるようです。

今では「体育会系」という言葉は「さわやか」というような意味で遣われるようですが、私が大学生の頃はどおくまんプロの『嗚呼!花の応援団』に近いイメージでした。(少なくとも私には)
実際には加藤久さんや岡田武史君がサッカーやってたりしたんだから、だいぶ違うんでしょうが。

そういえばなぎらけんいちさんが役者として異彩を放ったのは、薬痴寺先輩役が最初だったのではないかしら。

 →日活 『嗚呼!! 花の応援団 役者やのォー』

そうか、1976年だったんだ。
このシリーズ、脚本は田中陽造さんだったんだなあ。
1996年のリメイクはまるで知らないわ。

何の話かというと、日大闘争なんかでは、体育会の猛者が大学の防衛側に回ってゲバルト奮ってたそうなんで、それは恐いなあと思ったのです。

1968年、昭和43年。
『いちご白書』に描かれたコロンビア大学の紛争が4月。
ポール・オースターは当時コロンビアの学生だったはずなんだけど、どんなふうに体験したのだろう。

パリ五月革命。
 →フランス五月革命でのプロパガンダ・ポスター

もちろん日本でも東大と日大に象徴される数々の大学紛争があったのですが、私はまだ小学生だったので、はっきりとはわかっていません。
80年代に入ってから団塊世代の方々に思い出話を聞いたのです。

 →「おとこ東大どこへ行く?10年目の東大全共闘?」(1978年)

ああ、ディランに戻らないと。
続けてLSDのことが書いてあります。
毛沢東主義者、マルクス主義者、カストロ主義者……みんなチェ・ゲバラの本を読んでいます。
毎日あちこちで衝突があって、国中が火事みたい。

「かつて伝統的な黒と白であったものが、今やすべて明るい色に爆発しつつあった」

この時代に暗い印象は抱いていないようですね。
ほぼ1ページを1968年時の世相を説明することに費やして、また二行空けて話が変わります。

ただいまp.114。


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夜の父 CHRONICLES #152

千本浜 2005年5月20日

「自分の夢を追いかけるために、君は何を犠牲にしたのかね?」

マクリーシュはディランに尋ねます。
ものの価値とは、それがいくらするかではなくて、手に入れるために何を代償にしたかで決まるというのが、マクリーシュの持論でした。
自分の信念や家族を代償にしなければならないのだとしたら、それは高価すぎるものなのです。
けっしてなくなることのない価値というものもある。

マクリーシュが本当は何のことを考えてこういうことを言っているのかは、いま一つはっきりとはわかりません。

陸軍士官学校(West Point)でマクリーシュはダグラス・マッカーサーと同級でした。
それでディランにもマッカーサーのことを語ります。
何を語ったのかは書いてありません。

 →ダグラス・マッカーサー

ミケランジェロのことも語ります。
ミケランジェロには友人が一人もいなかったし、また友人を作ろうとも思わなかった。
誰にも語りかけることがなかった。

 →X51.ORG: ミケランジェロは自閉症だった

話の流れとしては、たとえば「友情」ということを話していたのでしょうか。
ちょっとお爺ちゃんの繰り言っぽくもあります。
若い頃起きていたことが、もう消えてしまったのだと言い出したりします。

二十世紀初頭にアメリカを所有していた六人乃至八人の一人である、J.P.モルガンについても語ります。
とりとめないですね。

 →政府を動かす米財閥の力

マクリーシュはディランに、少年時代のヒーローを尋ねます。
おお、やっと本題に戻った感じ。
ディランの答えは、「ロビン・フッドと、ドラゴン退治の聖ジョージ」です。
あれれ、ラジオ番組のヒーローたちじゃないのかな。
なんだか妙に古風です。

お、p.113に入って、やっと劇作の話になりました。
ディランに歌を作ってもらいたいと言っていた、あの戯曲です。
マクリーシュは場面の説明をして、台詞を読み上げます。
歌のタイトルまで指定し始めます。

"Father of Night"
"Red Hands"
"Lower World"

もっとたくさん挙げたようですが、どれも幻の曲となってしまいました。
ディランは、どうも自分には向いていないという結論を出したのです。
暗い劇で、どうにも嫌だという印象を抱いたようです。
原子力の時代、人類が自分の血溜りの中に俯せに倒れている。
自分が付け加えて言うようなことはあまりないと感じました。

マクリーシュは、あの「廃墟の街(Desolation Raw)」のような歌を付けてほしかったのだと思います。


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ヴィヨンの妻 CHRONICLES #151

千本浜 2005年5月21日

マクリーシュはディランに、ヴィヨンは読んだことがあるかと尋ねます。
それは読んだことがあると答えると、ディランの作品にはわずかだがヴィヨンの影響が感じられるというのです。

ほんまかいな。
これは私にはまったくわかりません。

 →ヴィヨンの妻とグーテンベルグ計画

 →Ballade que Villon feit a` la Requeste de Sa Me're

 →Ballade des Femmes de Paris

そしてマクリーシュは、無韻詩(blank verse: 通例は弱強五歩格)、押韻詩(rhyme verse)、エレゲイア体(elegiacs)、バラッド(ballads)、リメリック(limerics: 五行戯詩)、ソネット(sonnet: 通例10音節弱強格14行の詩)について語ります。

エレゲイア体とは、エレジー(elegy: 哀歌、挽歌)のような調子の詩だそうです。
文脈からいくと「バラッド」は本当は「バラード(ballade)」のことではないかと思うのですが、綴りはバラッド(ballad)の方になっています。
もしかして原著の誤植を見つけたかも?

リーダーズ英和の説明ではこうなっています。

-----------------------------------------------------
ballad
n 民謡, 踊り歌, バラッド; バラッド《民間伝説・民話などの物語詩, また それにふしをつけた歌謡で短いスタンザからなりリフレーンが多い》; バラッド形式の物語詩; 《どのスタンザも同じメロディーの》素朴な歌謡, 《特に》ゆるやかなテンポの感傷的[抒情的]な流行歌
-----------------------------------------------------
ballade
n 【韻】 バラード《8行句3節と4行のenvoyからなるフランス詩体; 各節とenvoyはみな同一リフレーンで終わる》; 【楽】 譚詩(たんし)曲, バラード.
-----------------------------------------------------

古典的な詩形について語っているので、バラードの方が自然でしょう。

劇に付ける曲の話をしに行ったはずなのに、ディランは詩の講義を受けているようです。
マクリーシュは学校の先生みたいですね。
ディランにいろいろ教えたくなってしまったのでしょう。


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バラッド歌手ホメロス CHRONICLES #150

千本浜 2004年4月10日

マクリーシュがディランの古典に関する知識を確かめたのは、ディランの作品がこれからある意味で古典になるだろうと考えていたからです。

------------------------------------------------
MacLeish tells me that he considers me a serious poet and that my work would be a touchstone for generations after me, that I was a postwar Iron Age poet but that I had seemingly inherited something metaphysical from a by gone era. He appreciated my songs because they involved themselves with society, that we had many traits and associations in common and that I didn't care for things the way he didn't care for them.
------------------------------------------------

「鉄器時代の詩人」というのは、新しい時代の詩人という比喩なんでしょうか。
マクリーシュは1892年生まれです。
有能な行政官でもあった老詩人マクリーシュが、新しく登場したポップ歌手に自分と共通した資質を感じることができるというのは、すごいことですね。
創作活動を続けていたのですから、本来表現者としては当然のことなんですが、そうではない大家も多いものです。

まったく水準が違うのですが、自分で直接作品に触れて、自分自身で評価を下すということを、大切にしたいと思います。
つまらない情報、つまり雑音がやたらに多いんですよね。

「森の生活」をしていそうなマクリーシュのアトリエの窓から見えた野ウサギのことなど、ディランはよく覚えています。

マクリーシュはさらに、『イーリアス(Iliad)』で有名なホメロス(Homer)のことを言います。
この「バラッドの語り手(balladeer)」は盲目で、その名前は「人質(hostage)」という意味なんだよと教えてくれます。

突っ込みを入れてくださる方がいそうなので、先に書いておきます。
「balladeer」という語は「吟遊詩人」と訳したくなるかもしれませんが、それは避けた方が良いでしょう。
「ポピュラー歌手」という意味にも遣われる「バラッド歌手」という言葉を、ディランはわざと遣っているのだと思います。
マクリーシュが本当にその語を用いたかどうかは、わかりません。

 →ホメロスを聴く


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ビートと古典 CHRONICLES #149

千本浜 2005年5月21日

ディランはマクリーシュに、当時かっこいいと思っていたギンズバーグやコーソやケルアックのことをどう思うか質問したかったのだそうです。
でも、空疎な質問になるなとあきらめました。

 →松岡正剛の千夜千冊:アレン・ギンズバーグ『ギンズバーグ詩集』

 →The Beat Page: Gregory Corso

 →ジャック・ケルアックとビート 室矢憲治インタビュー

マクリーシュはディランに、サッフォーやソクラテスを読んだことがあるか訊いてきました。
答えは「いいえ」です。
続けて、ダンテとダンはどうだと訊いてきました。
今度は「あまり読んでない」です。

 →サッフォー

 →Wikipedia: ソクラテス

 →松岡正剛の千夜千冊:ダンテ・アリギエーリ『神曲』(全3冊)

 →Wikipedia: ダンテ・アリギエーリ

 →John Donne (1572-1631)

ディランがひたすらビートニクの詩人のことを尋ねたがったのに対して、マクリーシュが古典のことを尋ねてきたのが、ちょっとおもしろく思いました。
検索に疲れたので、今夜はこれまで。

実はまだp.111なのです。


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大丈夫だよ、かあちゃん CHRONICLES #148

千本浜 2004年4月24日

マクリーシュはディランの歌詞の一節について尋ねます。
"goodness hides behind its gates"と歌っているが、本当にそう見えるのかと。
ディランは「そう見えることもあります」と、いいかげんに答えています。

本には書いてありませんが、これは"It's Alright, Ma (I'm Only Bleeding)"の一節ですね。
1965年のアルバム"Bringing It All Back Home"に入っています。
日本語版には註が付いているのでしょうか。
それとも、これは有名な曲でファンならすぐわかることだからと、放ってあるのでしょうか。

 →bobdylan.com: It's Alright, Ma (I'm Only Bleeding)

難解な歌詞で、これはいかにも詩人マクリーシュが好みそうです。
該当箇所は片桐ユズルさんの訳では「良いことは自分の門のうしろにかくされている」となっています。

  While preachers preach of evil fates
  Teachers teach that knowledge waits
  Can lead to hundred-dollar plates
  Goodness hides behind its gates
  But even the president of the United States
  Sometimes must have
  To stand naked.

  牧師が罪の運命について説教し
  教師が知識がつまっているとおしえ
  百ドルのプレートについていけるといっているあいだ
  良いことは自分の門のうしろにかくされている
  がアメリカ合州国の大統領でさえ
  ときには どうしても
  はだかで立たなくてはならない
                  片桐ユズル訳


当時のアメリカ合州国の大統領はリンドン・ジョンソン。
そう、1963年11月22日にジョン・F・ケネディ大統領が暗殺されたのでした。
公民権運動の思いが込められた「勝利を我らに(We Shall Overcome)」をジョンソン大統領が演説に用いたということで、ディランはブツブツ言ってましたね。

 →勝利を我らに CHRONICLES #119

 →アメリカの夢 CHRONICLES #120

この歌は別にジョンソン大統領やベトナム戦争のことを歌っているわけではありませんが、私はテンガロンハットをかぶったブッシュ大統領を想像しました。
どうして裸なんでしょう。
どうしてイラクにいるんでしょう。

あっは、大丈夫だよ、大統領。
あんたが作った平和なイラクに、丸腰で立ってごらんよ。
大丈夫だよ、ね、かあちゃん。
It's all right, ma.


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ジョニーは戦場に行った CHRONICLES #147

2005年5月31日 添地町

マクリーシュはディランに「ジョン・ブラウン」という曲が好きだと言いました。

 →bobdylan.com: John Brown

1963年の曲ですが、アルバムに入ったのは1995年の"MTV Unplugged"が初めてなんでしょうか。

「この少年の歌なんかではない。本当はギリシャ古典劇だよね。母親というものの歌だ。さまざまな母が、この一曲の中に包み込まれている」

そんなことは一度も考えたことのないディランが、それは正しいかもしれないと、納得してしまいます。

まだ二十歳そこそこだったディランが一所懸命にジョン・ブラウンとその母親のことを考えて作った歌が、普遍性を持った詩になっていたということなんでしょう。
それが天才というものです。

あまり知られていない曲だと思うので、大意をメモしておきましょう。
上記オフィシャルサイトで試聴できます。

外国へ戦争に行ったジョンを、母親は自慢して回ります。
便りが届けば得意満面で近所に見せて歩きます。
ところが、便りが途絶えて十ヵ月ほどすると、負傷して帰還してきます。

  顔はうたれて手はとばされて
  腰にシンチューの輪をはめていた。
  しずんだ声でささやいた ヘンな音の声だった
  顔もおぼえのない姿!
                 (片桐ユズル訳)

息子の変わり果てた姿に驚く母親に、ジョンは動かない口で戦場を説明します。
息子を支える鉄の腰あてを見つめて動けなくなった母親の手に、ジョンは勲章を投げ入れます。

どうにもやりきれない歌ですが、確かに真実を歌っています。
今日本屋さんで岩波文庫の『読書のすすめ 第10集』をもらってきたのですが、冒頭の池澤夏樹さんがラス・カサス『インディアスの破壊についての簡潔な報告』のことを書いていました。

> Aという土地の人々がBに行って
> そこにいた人々を殺す。それは
> いけないことである。その上に
> どんなに理屈を積み上げても認
> めることのできない悪である。

アフガニスタンやイラクで人を殺す米軍は悪なんです。
それが悪であることは、前線で殺される恐怖を味わい、そして人を殺したジョンが一番よくわかっていることでしょう。
アンクル・サム・ブッシュにそそのかされて戦争に行ったのは、やっぱり「ジョニー」なんですね。

 →2004年2月22日付日録:ジョニーは戦場に行った


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赤い武功章 CHRONICLES #146

千本浜 5月21日

二人の会談は、マクリーシュの話をディランが拝聴するという感じだったようです。

マクリーシュは『赤い武功章』のスティーヴン・クレインのことを語りました。
クレインはいつも弱者の側に立つ、病弱な記者でした。
そして雑誌にバワリー(Bowery)街の物語を書きました。
バワリー街はニューヨークの、安酒場や安宿のある地域です。

その連載で、厳しく取り締まる警察の風俗犯罪取締班からある売春婦を擁護するような記事を書いたので、裁判になってしまったそうです。
キューバ動乱を取材に行きました。
大酒を飲んで、結核を患い、28歳の若さで亡くなります。

マクリーシュは、ディランにクレインを読むように勧めたのですね。
ディランは、クレインは文学の世界でのロバート・ジョンソンみたいだなという印象を抱いたそうです。

 →Wikipedia: スティーヴン・クレイン

 →ロバート・ジョンソン

ところでクレインの『赤い武功章』なんですが、この小説は学生時代に英語の授業で読まされました。
いまどきヘミングウェイやクレインを読まされる授業なんてないんでしょうね。
文学部ではありませんでしたが、英語の先生はいい先生が多かったような思い出があります。

ただいまp.111です。


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廃墟の街 CHRONICLES #145

千本浜 2005年5月27日

詩人としてマクリーシュを高く評価していただけあって、ディランは著者近影などの写真をよく覚えていたようです。
ポニーに乗った幼少時代の写真、第一次世界大戦時の砲兵隊での大尉としての写真、エッフェル塔の前で撮った写真、「フォーチュン」誌の編集会議の写真、ピューリッツァー賞受賞時の写真。
いちいち説明しているところがおかしいです。

そういった写真で見知ったような人物が近づいてきて、握手をしようと手を差し出してきます。
既に名を成していたディランですが、詳細に語っているところをみると緊張していたんでしょうね。
英国の将校に望ましい資質として"an officer and gentleman(将校にして紳士)"といった言い方がありますが、ディランはマクリーシュにそんな資質を感じたようです。
マクリーシュはオーラを放っていました。

手紙に書いてあったことを繰り返して言います。

「パウンドとエリオットは眩学的に過ぎたね」

これは、ディランが自分の歌の中にエズラ・パウンドとTSエリオットを象徴的に登場させていたからです。
曲名が書いてありませんが、"Desolation Raw"ですね。

 →bobdylan.com: Desolation Raw

 > Praise be to Nero's Neptune
 > The Titanic sails at dawn
 > And everybody's shouting
 > "Which Side Are You On?"
 > And Ezra Pound and T. S. Eliot
 > Fighting in the captain's tower
 > While calypso singers laugh at them
 > And fishermen hold flowers
 > Between the windows of the sea
 > Where lovely mermaids flow
 > And nobody has to think too much
 > About Desolation Row

         "Desolation Raw" Bob Dylan

 > 讃えられてあれ ネロのネプチューン
 > タイタニック号は夜明けに船出し
 > みんなさけんでいる
 > 「おまえはどちら側なのか?」
 > エズラ・パウンドとT.S.エリオット
 > が船長の塔で争っていると
 > カリプソ唄いは彼らをわらい
 > 漁師たちが花をささげる
 > 海の窓のあいだ
 > きれいな人魚がながれ
 > だれもおもいわずらったりしない
 > 廃墟の街のことなど

         「廃墟の街」片桐ユズル訳

わけわかりませんなあ。
この歌には、ロミオ、シンデレラ、カインとアベル、ノートルダムのせむし男のような物語の登場人物が数多く歌われているのですが、その中にアインシュタインやエズラ・パウンドが紛れ込んでいます。
おおむねパンタさんの「マーラーズ・パーラー」のようなコラージュとして聴いていました。
好きな曲なんで、一昨年作った「My Best Dylans #1」にもちゃんと入れました。

 →2003年9月9日付日録: My Best Dylans #1

ディランはT.S.エリオットが大好きだったけれど、エズラ・パウンドは読んだことがなかったそうです。
エズラ・パウンドに関してディランが知っていたのは、パウンドが第二次大戦中にナチスの同調者としてイタリアから反米放送を行なっていたことだけでした。

両者を熟知しているから歌っているのかと思ったら、そういうことでもないんですね。

 →荒地/T.S.エリオット

 →エズラ・パウンド (1885-1973)


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所帯持ちディラン CHRONICLES #144

千本浜 2005年5月21日
 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]

二行空けて話が変わります。

テーブルの上にあったアーチボルド・マクリーシュ(Archibald MacLeish)からの手紙。
今書いている戯曲に合わせて歌を書いてくれないかという依頼のようです。
スティーブン・ビンセント・ベネー(Stephen Vincent Benet)の短編を元にした劇のようです。

 →Dylan pool: Scratch

お、便利なサイトができてますね。
1971年の作品だそうです。
その作品の準備ですから、前章の最後に描かれた「旅立ち」から十年近くの歳月が流れています。

高校生ぐらいの時に、十年後の自分が何をしているかなんて、まったく見当がつきませんでした。
おじさんになってしまうと、たいして時が流れていないような気分になってしまいます。
若者の十年、大切ですね。

アーチボルド・マクリーシュという詩人・劇作家を私は知らないのですが、早くにトニー賞を受賞したと、ディランは書いています。
調べてみると、ルーズベルト政権で広報・文化担当の国務次官補を務めていたそうです。
国家反逆罪に問われたエズラ・パウンドのために奔走したようですね。

 →歴史の中のエズラ・パウンド

そのころ、つまり1970年ごろ、ディランは「all the cultural mumbo jumbo」の一切合切が嫌になっていたそうです。
「文化」という言い方をしていますが、日本で言えば「政治の季節」的なもののようです。
公民権運動指導者の暗殺、当局の弾圧、学生と警官隊の衝突といった例を挙げています。
「コミューン」「フリーラブ」「反貨幣制度運動」といったものは、日本とだいぶ雰囲気が違うのでしょう。

「僕は所帯を持っていたのだから(I was a family man now)」という言い方が、ディランらしくないなと思いました。
家庭を大切にする、外出嫌いの男……なんでしょうか、ボブ・ディラン?

ディランは奥さんと一緒に、マサチューセッツ州のコンウェーへ車で出かけます。
マクリーシュに会って、打ち合わせをするつもりです。

マクリーシュの家は静かな月桂樹の山道を上っていきます。
屋敷には、色鮮やかなカエデの葉が積もった中に通路が通っています。
木陰になった小さな橋を渡ると、マクリーシュの仕事場がありました。
石造りの小屋です。

散歩をしたら実に心地好さそうなところです。
十年近く前、膝までずぶ濡れになってウッディの自宅にたどり着いた時とは大違いです。
この時、ディランは既に"Self Portrait"(1969)までの十枚近くのアルバムを発表しています。
まさに"Dylan is Dylan"になっていました。

1969年には、「ディランの子供たち」と呼べそうな若者がウッドストックで大規模なコンサートを開きました。
日本でも中津川フォークジャンボリーが始まり、そしてもうすぐ春一番コンサートが始まるというころです。

管理人らしき人に入れてもらうと、マクリーシュの奥さんがお茶を持ってきます。
温かい言葉をかけて、部屋の外へ出ていきます。
ディランの奥さんも一緒に出ていきます。

う?ん、まだなんだかしっくり来ないなあ。
グリニッジビレッジで明日を夢見ていたディラン青年が懐かしいです。

ただいまp.109です。


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親父にさよなら CHRONICLES #143

保線区 2005年5月19日

父親の葬儀のために田舎に帰って、ディランはへとへとに疲れています。
そして、以前ニューヨークに向けて旅立ったことを思い出します。

------------------------------------------------------
僕が家を出た時は、荒れた大西洋に出ていくコロンブスのようだった。僕はそれを成し遂げて、大地の端まで行ってきた。海の端まで行ったのだ。そして今すべてが始まったスペインに、女王の宮廷に戻ってきた。顔にはうつろな表情を浮かべ、髭まで生えていた。
------------------------------------------------------

わずかな滞在の間に、もろもろのくだらないことが身に押し寄せてきます。
故郷の人々の言うことは、感覚的にずれていました。
父さんがとても大切な人だったということは正しい。
でも、父さんは僕を理解してはいなかった。
父さんが暮らした町と、僕が暮らした町は違うのだ。

------------------------------------------------------
それはともかく、今では自分も三回以上も父親になり、父さんと共有するものが増えた。
もっと共有したいのだと、父さんに言いたい。
そして今は、僕は父さんの代わりにたくさんのことをやらなければならない立場にあった。
------------------------------------------------------

う?ん、ディランには何人子供がいるんでしょう。
世界中にたくさんいそうです。
人数は本人も知らないのかな。

子供を持たないと親の気持はわからないと言いますね。
それが本当なのかどうか、私にはわかりません。


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新しい朝 CHRONICLES #142

いつのことだったろうか。 初めてラジオ体操に出かけたのは、小学校低学年だ。 周囲はまだ田圃ばかり。 越してきて間もないので同じ町内には友達がいず、少し離れた空き地に行くのが億劫だった。 初日から数日経ってから、気づいた親に家を追い出されて、ねぼけ頭で出かけて行った。

元々身体は柔らかいし、NHKのラジオ体操第一と第二はなんということもなくこなせたのだが、ショックだったのは歌だ。
みんなが元気よく歌う、その歌を僕は歌えなかった。
初めて聞くのだから。

 ♪ あ?た?らしい 朝が来た?
 ♪ き?ぼ?おの 朝だ?

また明日も来なければならないんだな。
まだ歌を覚えていない。
夏休みの朝は憂鬱だった。

千本浜 2004年5月21日

第3章のタイトルは"New Morning"。
もちろんボブ・ディランの1970年のアルバムタイトルであり、同名の曲もあります。

 →bobdylan.com: New Morning

 ♪ So happy just to be alive
 ♪ Underneath the sky of blue
 ♪ On this new morning, new morning
 ♪ On this new morning with you.
 ♪ New morning . . .

 ♪ 幸福だ 生きているだけで
 ♪ 青空の下
 ♪ この新しい朝 新しい朝
 ♪ この新しい朝きみと一緒に
 ♪ 新しい朝……         (片桐ユズル訳)

ページをめくると、かなりの歳月が流れています。
もう、グリニッジビレッジで夢を実現しようとしていた19歳のディランではありません。

ディランは父親の葬儀を済ませて、故郷からウッドストックの自宅に帰ってきたところです。
テーブルの上には、アーチボルド・マクリーシュ(Archibald MacLeish)からの手紙が置いてありました。
マクリーシュ(1892-1982)は詩人です。
ディランの言では、アメリカの「桂冠詩人(poet laureate)」です。

ディランは他の「桂冠詩人」に関しても触れています。
大草原と都市の詩人、カール・サンドバーグ(Carl Sandburg 1878-1967)。
暗い瞑想の詩人、ロバート・フロスト(Robert Lee Frost 1874-1963)。

この三人の詩人は、新世界のイェーツ(William Butler Yeats 1865-1939)とブラウニング(Robert Browning 1812-89)とシェリー(Percy Bysshe Shelley 1792-1822)であり、二十世紀のアメリカの風景を定義して遠近法で描ききった巨人だというのが、ディランの持論です。

少しだけ、亡くなった父親のことを書いています。

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My father, who was plain speaking and straight talking had said, "Isn't an artist a fellow who paints?" when told by one of my teachers that his son had the nature of an artist.

父は率直で飾らない物言いをする人で、教師から息子さんには芸術家の素質があると言われた時には、「芸術家というのは絵を描くやつのことじゃないのかね」と言っていた。
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未来は僕の手の中 CHRONICLES #141

千本浜 2005年5月7日

ギターを弾かない方にはあまり知られていないかもしれませんが、カーターファミリーは、フォークソングをギターで弾き語りする基礎を作ったとも言える人達です。
低音部でベースラインを弾いて、高音部の細い弦で和音を奏でます。

 →カーターファミリー ピッキング

低音をずしんと強調するところがポイントで、メジャーデビュー前の吉田拓郎さんの弾き語りはとても迫力がありました。
ザ・ナターシャー・セブンの「107ソングブック」シリーズは1枚目のアルバムが『陽気に行こう。』ですが、「オリジナル・カーター・ファミリーをお手本に編」と副題が付いています。

 →107ソングブックシリーズ

 →伝説的グループ「カーターファミリー」について

 →THE CARTER FAMILY MEMORIAL MUSIC CENTER

レイとクローイの部屋に、カーターファミリーのレコードは一枚もありませんでした。
クローイは、ディランのためにステーキを焼いていたのです。

「さあ、召し上がれ、身体にいいわよ」

レイとはまた違ったふうにですが、クローイもまたかなり変わった人のようです。
「死とは役者で、誕生はプライバシーの侵害」だと、奇妙なことを断言します。
ニューヨークの街に気後れすることなどありません。
どのぐらいマリファナ(weed)を吸っていたかわからないけど、とにかくたくさん吸っていたそうです。

ディランは部屋を出て行こうとしていました。
つまり、冬眠を終えるのだということです。
クローイにもそれがわかったようです。

「あんたの名前はいつか野火みたいに国中に広がるかもしれない。200ドルぐらい稼いだら、私に何か買ってね」

ディランは帽子を被り、上着を着て、ギターをつかみ、そして荷物をまとめます。
出て行く時の情景描写が例によってとてもいいのですが、割愛。
「壁がいつも塩化物の臭いがしていた」というのは、塩素臭かったということなのかな。

ディランの頭の中ではいつもフォークソングが鳴っていたそうです。
アパートの外に出ると、今度は「世界の首都ニューヨーク」の描写です。
ホイットマンが暮らしていた建物の前では、「魂の本当の歌」をホイットマンが歌っているところを想像します。
ポーの家の前でも、窓を見上げて同じような想像をします。

-----------------------------------------------------
The city was like some uncarved block without any name or shape and it showed no favoritism. Everything was always new, always changing. It was never the same old crowd upon the street.

この町は名前も形もない、まだ何も刻み込まれていない塊のようなものだった。えこひいきすることもまったくなかった。あらゆるものが常に新しく、常に変わっていた。通りには同じ古い人達がいることもえけっしてなかった。
-----------------------------------------------------

ディランはコーヒーショップに入って、そこの若い娘のことを描写してから、また街を見ます。
目の前で生き生きと動いている街。
ディランには街のことがすっかりわかっています。
未来に不安なところなどまったくないのです。

とても清新な「旅立ち」で第2章が終わりました。


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ボブ・ディラン 自伝

なにげなく[ディラン][自伝]でgoogle検索したら、楽天ブックスがヒットしました。 いよいよ邦訳が出るんですね。 予約を開始しています。

翻訳は菅野ヘッケルさん、版元はソフトバンクパブリッシングです。

 →楽天ブックス:「ボブ・ディラン 自伝 (1)」
 
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【予約】 ボブ・ディラン 自伝 (1)

著者: ボブ・ディラン /菅野ヘッケル

出版社:ソフトバンクパブリッシング
ISBN:4797330708
サイズ:
発行年月: 2005年 06月
本体価格:1,600円 (税込:1,680円)

2005年5月下旬まで予約受付中
(2005年6月上旬発売予定)

全米ベストセラー、伝説のシンガー ボブ・ディラン初の自伝!

ボブ・ディランが初めてその半生を語る衝撃の自伝。今年最大の話題書!
米国「パブリッシャーズ・ウィークリー」で12週連続トップ10にランクイン!

伝説のシンガー、ボブ・ディランの半生が、いま自らの手によって明かされた!昨秋発売されるや、全米で売り上げ50万部を突破したこの自伝は、これまで謎に包まれていた彼の私生活やその折々の彼の心情が赤裸々に吐露されている。
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不浄な肉 CHRONICLES #140

千本浜 2005年5月7日

昼ごろステーキを焼くにおいに目を覚ましたディランに戻ります。
キッチンに腰を下ろして、ぼんやり考えます。
今日はウッディのところに行くのはやめよう。
窓の外を見ると、吹雪のようになっています。
歩く人は厚いコートを着ています。
それから壁のカレンダーを見上げます。

-------------------------------------------
ライオンのように3月が近づいている。
レコーディングスタジオに入るのに、あとどのぐらいかかるんだろう。
フォークレコードのレーベルと契約するのにどのぐらいかかるんだろう。
いったい僕はそれに近づいているんだろうか。
-------------------------------------------

ちょっと弱気になったディランです。
アパートではモダン・ジャズ・カルテットの"No Happiness for Slater"がかかっています。
古い靴にお洒落なバックルを付けるのが、クローイの趣味でした。
ディランの靴にも付けたいのだと言います。

「そういうどた靴には、バックルが付けられるのよ」

ディランは断ります。
靴にバックルなんか付けたくありません。

「48時間の猶予をあげましょう」

48時間経ったって、気持を変えるつもりはありません。
クローイは、母親みたいな口をきくことがありました。
あたたかくて、ちょっとうるさいといった感じでしょう。
このアパートは冬眠するのにいいところだったとディランは書いています。

この台所で、マルコムX(Malcolm X)がラジオで話しているのを聴いたことがあるそうです。
どうして豚肉やハムを食べるべきではないかという説教でした。
豚というのは実際は三分の一が猫で、三分の一が鼠(rat)で、三分の一が犬なので、不潔だから食べるべきではない……のだそうです。
そんなことを忠実に守るなんて滑稽だというのが、ディランの弁です。

ディランはこの放送を長い間覚えていたようで、それから十年ほど経ったころ、ジョニー・キャッシュ(Jonny Cash)のところであったパーティで、これを冗談に使ったそうです。
ジョニー・キャッシュの他にジョニ・ミッチェル(Joni Mitchel)、グラハム・ナッシュ(Graham Nash)、ハーラン・ハワード(Harlan Howard)、クリス・クリストファーソン(Kris Kristofferson)、ミッキー・ニューベリー(Micky Newberry)、それからカントリー界の王室カーター・ファミリーのジョー(Joe)とジャネット(Janette)がいたそうです。
すごいですな。

食事を終えて、湖を眺めながら順番に歌っていくという贅沢な時間。
ディランは"Lay, Lady, Lay"を歌いました。
それからグラハム・ナッシュにギターを渡しました。
誰かが歌うと、なにかしら歌にコメントを付けるのが常だったそうです。
ここで、ジョー・カーターから異様なコメントが付きました。

「君は豚肉を食べないんだね」

「ええ、食べないんですよ」

クリストファーソンはフォークを飲み込まんばかりになりました。
ジョーはさらに尋ねます。

「どうして食べないの?」

そこでディランはマルコムXの話を思い出して、そんな「猫+鼠+犬」なんてものは食わないとカマしたわけです。
実に気まずい沈黙の後、ジョニー・キャッシュはほとんど二つ折りになり、クリストファーソンは首を横に振り、ジョー・カーターはまったくたいした人物だぜという結論なんですが、ばくばくと肉を食べながらこれは実に気持の悪い話であります。

ただいまp.102です。


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甦る歌 CHRONICLES #139

千本浜 2005年5月7日

何度かウッディを見舞ううちに、ディランはまだ曲を付けていない歌詞の話を聞きます。
コニーアイランドにある自宅の地下室にしまってあるというのです。
自由に曲を付けて歌っていいよということなのでしょう、家へ行く道を教えて、ウッディの奥さんのマージー(Margie:Margaretの愛称)に説明して箱を開けてもらえと言ってくれました。

すごいですね。
それならディランはれっきとした直弟子です。

日を置かずに、ディランは地下鉄に乗ってコニーアイランドへ行きました。
ウッディは簡単に見つかるよと言っていました。
畑を横切ったところにその家並みを見つけて歩いて行くのですが、道が泥だらけで、ひざまでびしょびしょになってしまいます。

地下鉄の駅があるような場所でそれは不思議なんですが、そういえば昔は雨降りといえば道はぬかるんでいたものです。
だから雨靴があったんですよね。
おっ母さんの若いころは、雨が降ると裸足になって学校に通ったそうです。
東京の戸越銀座や、横浜の鶴見辺りですよ。

やっとのことでウッディの家にたどり着くと、マージーは留守でした。
ベビーシッターが少しだけドアを開けてそう伝えたのです。
ディランが困っていると、ウッディの息子が出てきて、その人を入れてあげなよと言ってくれます。
そうです、あのアーロ・ガスリー(Arlo Guthrie)です。
アーロ少年はこの時10歳から12歳ぐらいだったとディランは書いています。
オフィシャルサイトを見ると1947年生まれと書いてあるので、もう少し上ですね。

 →The Official Arlo Guthrie Website: arlo.net

アーロ君は地下室の箱のことをまったく知らなかったので、ディランはそのままあきらめて帰ります。

四十年の後、ウッディの遺作となったその歌詞は、ビリー・ブラッグ(Billy Bragg)の手に渡ることになります。
ビリーがその歌詞に曲を付けて、ウィルコ(Wilco)というバンドとアルバムを発表しました。
それが『マーメイド・アベニュー(Mermaid Avenue)』です。

 →イギリスの良心・政治活動家ミュージシャン:ビリー・ブラッグ

ディランによれば、ウッディの遺作を甦らせたのは、ウッディの娘ノラ(Nora)の指示だったそうです。
ビリー・ブラッグ&ウィルコの面々は、自分がウッディの家を訪れた時にはまだ産まれてもいなかったのだと、ディランは感慨深げに書いています。

ただいまp.100です。


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瘋癲病院の日々 CHRONICLES #138

千本浜 2005年5月7日

ディランは病室のウッディに、よくタバコを頼まれました。
見舞品でしょうか。
銘柄は"Raleigh"だったそうです。

このタバコは知らないのですが、ウォルター・ローリー卿に由来するのでしょうか。
パッケージがそんな感じです。
イギリスにタバコを持ち込んだ人物ですね。
ほれ、あのニッカウヰスキーのヒゲのおじさんですよ。
本当は違うらしいけど。

 →Sir Walter Raleigh

そしてディランは、ウッディの曲を弾き語りします。
"Rangers Command"
"Do Re Me"
"Dust Bowl Blues"
"Pretty Boy Floyd"
"Tom Joad"

この病院は実際は希望のまったく持てないような精神病院(asylum)だったと、ディランは書いています。
廊下に叫び声が響いたりしていたそうです。

ディランがウッディの曲を歌っていると、身体に合わない縞の服を着た患者たちが、列をなして歩き回っていました。
ある患者は、膝から崩れて倒れては立ち上がり、また前に倒れるという動作を繰り返していました。
自分が蜘蛛に追いかけられていると思い込み、腕と足を平手で叩きながらぐるぐる回っている者もいました。
自分が大統領だと思い込んだ者はアンクル・サムのような帽子を被っていました。
ディランはさらにいろいろと描写しているのですが、よほど恐い思いをしたようです。

ウッディは何もかも忘れてしまっているようで、男の看護士に連れられて出てきて、面会が終わるとまた連れられていってしまいました。
晩年のウッディ・ガスリーは「舞踏病」と呼ばれていた「ハンチントン病」を患っていたのです。
ディランのことはまるでわかっていなかったのではないでしょうか。

 →ハンチントン病とは?

ただいまp.99です。


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まるで正直者のように CHRONICLES #137

千本浜 2005年5月7日
 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]

忘れておりました。
私、"BOB DYLAN CHRONICLES VOLUME ONE"を少しずつ読んでいたんですね。
まだ春一番祭りの後状態が続いて、ぼぉっとしております。

大阪からの帰りの新幹線では、会場で買った『雲遊天下』を読んでいました。
友部正人さんの連載「補聴器と老眼鏡」は最終回。
村元武編集長へのインタビューです。
ビレッジプレスという会社がどんなふうにできたのか、初めて知りました。
あまり表に出たがらない村元さんを、友部さんが引っ張り出してくれた感じです。

この連載の第一回は、デイヴ・ヴァン・ロンクさんへのインタビューだったそうです。
そう、あのPP&Mにならなかったヴァン・ロンクです。

グロスマンがヴァン・ロンクに、スーパーグループをやらないかと声をかけたというエピソードの後、2行開けてまた話が変わります。

------------------------------------------------
I woke up around midday to the smell of frying steak and onions on a gas burner. Chloe was standing over the stove and the pan was sizzling. She wore a Japanese kimono over a red flannel shirt, and the smell was assaulting my nostrils. I felt like I needed a face mask.

昼ごろ、僕はガスの火でステーキと玉葱を焼くにおいに目を覚ました。ストーブの向こうにクローイが立っていて、フライパンがジュージューという音を立てていた。クローイは赤いフラノのシャツの上に日本の着物を羽織っていて、においが僕の鼻孔を襲撃していた。僕はマスクが必要なように思った。
------------------------------------------------

ディランはもっと早く起きて、ウッディ・ガスリーのところへ行こうと思っていました。
でも、嵐のような天気だったので二度寝したようです。
ウッディが入院している病院に、できれば毎日通いたかったようです。
もちろんそれは無理でした。
ニューヨークの西、ニュージャージー州にニューアークがあり、そのまた西北西にあるモリスタウンの病院に、ウッディは入院していました。

1時間半バスに乗り、それからさらに半マイルほど坂を上って歩きます。
病院の建物は陰気で不気味な花崗岩造りでした。
中世の森のように見えたそうです。


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PP&M誕生 CHRONICLES #136

千本浜 2005年4月29日
 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]

 
2行空けて、話が変わります。

ある時「ガス灯」にアルバート・グロスマン(Albert Grossman)とボブ・ギブソン(Bob Gibson)が入ってきました。
ヴァン・ロンクに用があったんですね。
アルバート・グロスマンは当時オデッタのマネージャーをしている人で、すごい存在感がありました。
店に入ってくると、誰でもグロスマンに気がついたそうです。

 →Odetta

 →Bob Gibson

ヴァン・ロンクに、新しいスーパー・フォーク・グループに参加しないかと相談に来たようです。
グロスマン自身は、このグループがうまく行くかどうか、懐疑的だったそうです。

ヴァン・ロンクはこの申し出を断りました。
ノエル・ストーキーはこの申し出を受け入れました。
グロスマンはノエルの名前をポールに変えて、ピーター・ポール&マリーというグループを作ります。
そう、あのPP&Mです。

ディランはピーターやマリーとも面識があったそうです。
ピーターとはミネアポリスで知り合い、マリーはビレッジに来てすぐ知り合いました。

ディランはノエルの代わりに自分が入っていたら、やっぱり名前をポールに変えなきゃいけなかったんだろうなあと、おもしろい想像をしています。
もちろん、まだまだディランは格下の駆け出しです。
グロスマンはディランの演奏を何度か耳にしていますが、まだ売り出そうというところまで至っていません。
後にグロスマンがディランを売り出すことになるのですが。

以前NHK BS2で、「風に吹かれて」のことをやってくれました。
まずPP&Mで先行ヒットさせた敏腕プロデューサーとは、このグロスマンのことですね。

 →2003年9月8日付日録:風に吹かれて


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今日をこえて CHRONICLES #135

千本浜 2005年4月22日

ハンク・ウィリアムズの曲から音楽と歌詞の構造を学んだディランは、後にロバート・シェルトン(Robert Shelton)という人に評されます。

「曲作りのルールをすべて破っている。言いたいことがあるということを除いては」

-------------------------------------------
The rules, whether Shelton knew it or not, were Hank's rules, but it wasn't like I ever meant to break them. It's just that what I was trying to express was beyond the circle.

シェルトンが知っていたかどうかはともかく、そのルールとはハンクのルールだった。でも、僕はけっしてルールを破ろうとしていたのではなかった。ただ単に、僕が表現しようとしていたことが、その範囲を超えていただけなんだ。
-------------------------------------------

ロバート・シェルトンの批評は1961年9月21日付のニューヨーク・タイムズに載ったもののようです。

 →BOB DYLAN: A DISTINCTIVE STYLIST

「Resembling a cross between a choir boy and a beatnik...」の部分は同じです。
でも、『クロニクルズ』でディランが書いているような、曲作りに関する記述がありません。
う?ん、不思議ですな。

デビューしてすぐのディランは、他の人とははっきりと違う、際立った歌い方をしていたのですね。
ただし、まだ進化の途上だと言われています。

p.97に入りました。


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浮浪者ルーク CHRONICLES #134

千本浜 2005年4月24日

小学生の時にアイドルであるハンク・ウィリアムズを失ったディラン。
でも、偶像だけに、レコードの中では生き続けていたのです。
何度も何度も同じレコードを繰り返して聴きました。

 →Hank Willaims as Luke The Drifter

ハンクは「浮浪者ルーク」という名前で霊歌のような曲をレコーディングしていたんですな。
ディランはこの78回転のレコードを、擦り切れるまで聴いたそうです。
そう、レコードって擦り切れたんですよね。

吉田拓郎さんのエレック時代の音源に『たくろう オン・ステージ ともだち』というライブ盤があります。
ステージで差別的言辞を連発しているのでこれからCDで復刻されることはないでしょう。
曲の部分だけはオムニバス盤に入っているかもしれません。

拓郎さんがその中で斉藤哲夫さんの「されど私の人生」を歌っているのですが、練習のために何度も繰り返して聴いたので、「シャリシャリ シャリシャリ いってる」ということを言っています。
アナログ盤は溝を針でなぞるわけですから、聴きすぎるとそうなります。

しかし、CDというのはどれぐらいもつものなんでしょう。
あっけなく逝ってしまうものなのかしら。

---------------------------------------
When I hear Hank sing, all movement ceases. The slightest whisper seems sacrilege.
---------------------------------------

おお、現在形で書いてますね。
ほんのわずかなささやきでさえも、それは冒涜(sacrilege)と言ってもいい。
つまり、神のようなものなんです。
あ、その昔、吉田拓郎さんがブレイクする前に、雑誌でボブ・ディランが神様だと言っていたのを思い出しました。

さて、ディラン少年は同じレコードを何度も繰り返して聴いているうちに、ハンクの歌っている歌には詩的な典型的規則(the archetype rules)があるのに気づきます。
曲に関しては大理石の柱を喩えに遣っています。
詞は、その語の音節が数学的な意味を表すものだと言っています。
音楽理論から分析しているわけではありませんが、小学生のディランが、ハンクの曲を繰り返して聴くことによって、その曲の中に美しい構造を発見したということなのでしょう。

---------------------------------------
You can learn a lot about the structure of songwriting by listening to his records, and I lisetened to them a lot and had them internalized.
---------------------------------------

「internalize」は軽く「血肉とする」ぐらいに読んでもかまわないと思うのですが、言語学で「内在化する(文法規則や構造などを言語能力の一部とする)」という意味で遣われる言葉です。
ディランはハンクのレコードを聴くことによって、まさに音楽言語を「内在化」したと言って良いでしょう。


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流星 CHRONICLES #133

保線区 2005年4月26日

ハンク・ウィリアムズは1953年の元旦、コンサートツアーを巡っていた車の中で急死しました。
ディランは、それが誤報であることを願ったそうです。
でも、それは本当のことでした。
「大きな木が倒れた」
そんな気がしたそうです。

------------------------------------------
Intuitively I knew, though, that his voice would never drop out of sight or fade away -- a voice like a beautiful horn.
------------------------------------------
 * intuitively 直感的に

ディランは1941年5月24日の生まれですから、その時はまだ11歳ですね。
小学生のディランが、アイドルを失ったんですからとてもショックだったことでしょう。

少し前に教室で縊死した小学校教師がいましたが、実はあれがここのところで最も腹立たしい事件でした。
死ぬのは勝手だが、自分の家でやれよ。
彼もまた自分しか愛せない若者だったのでしょう。

ハンクの死後だいぶ経ってから、ディランはハンクがずっと背骨の激痛に苦しんでいたことを知ります。
それを知ってハンクのレコードを聴くと、さらに驚くべきものだと感じたそうです。

「それは重力の法則に戦いを挑むようなものだ」

苦痛を感じさせない、ホルンのような美しい声。
小学生の時に予感したように、ハンクの声はディランにとって決して色褪せることのないものとなりました。


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カントリー・ボーイ CHRONICLES #132

千本浜 2005年4月24日

ハンク・ウィリアムズが歌ったのは、犬小屋で暮らす男の歌だけではありませんでした。
"When God Comes and Gathers His Jewels"や"Are You Walking and a-Talking for the Lord"といった霊歌(sprituals)も歌ったそうです。
リンク張りませんが、前者はamazonで試聴できますね。

-------------------------------------------
The sound of voice went through me like an electric rod and I managed to get a hold of a few of his 78s -- "Baby, We're Really in Love" and "Honky Tonkin'" and "Lost Highway" -- and I played them endlessly.
-------------------------------------------

あら、また電気が貫いてますね。
映画『ブルース・ブラザーズ』のジェームズ・ブラウンのようでもあり、ディランのアルバムのジャケットのようでもあり。
その気になりやすい人のようです。

「78s」というのが一瞬なんだかわかりませんでしたが、78回転のレコードのことですね。
いわゆるSP盤。
ディランはそれをぐるぐると繰り返して聴いたというのですが、これはまだ田舎にいる時のことなんでしょう。

ハンクは「ヒルビリー・シンガー(hillbilly singer)」と言われていましたが、ディランはこれに異を唱えています。

-------------------------------------------
They called him a "hillbilly singer," but I didn't know what that was. Homer and Jethro were more like what I thought a hillbilly was.
-------------------------------------------

 →Homer and Jethro!

「hillbilly」というのは、田舎者のことです。
「リーダーズ英和」によれば「《米国南部, 特に アパラチア山脈の》山地[山奥]の住民」を指すそうです。
その田舎者ぶりを嘲笑するジョークもあります。

 →Hillbilly joke

「hillbilly music」と言えば「カントリーミュージック」と考えて良いのでしょう。
ハンクは確かにカントリーの歌手だけれど、けっしてヒルビリーなんかではなかったとディランは言いたいようです。
そしてハンクに自分を重ね合わせました(identified with)。
ハンク・ウィリアムズは、一時期ディランの役割モデルのようなものだったんですね。

p.96に入りました。


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星は何でも知っている CHRONICLES #131

千本浜 2005年4月24日
 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]

ディランは、歌が「キングズイングリッシュ(King's English)」でわかりやすく平易に歌われるのを聴く必要があったのだと書いています。
その例として、トニー・ベネット(Tony Bennett)を挙げています。
確かにわかりやすくて平易な歌い方ですが、キングズイングリッシュなんでしょうか。

 →Tony Bennett

トニー・ベネットがハンク・ウィリアムズ(Hank Williams)の曲を歌っていたよということで段落が変わって、ハンクの話になってしまいます。

ディランが初めてハンクの歌を聴いたのは、土曜の夜のラジオ番組。
ナッシュビルからの中継だったようです。
アナウンサーがロイ・エイカフ(Roy Acuff)を「カントリーミュージックの王様」と紹介していたそうです。
ハンクはグランド・オール・オープリー(Grand Ole Opry)にいたんですね。
「Ole Opry」というのは、元々「Old Opera」の訛だと思います。

 →Acuff & The Grand Ole Opry

おお、ここでもエイカフは「The King of Country Music」と書いてありますね。

その番組では誰かが「次のテネシー州知事」だと紹介され、ドッグフードの宣伝があり、高齢者向けペンションの提案をしていたそうです。
ハンクが犬小屋で暮らす男の歌"Move It On Over"を歌ったので、ディランはとてもウケてしまったようです。
だからドッグフードのCMのことをよく覚えてるんですね。

 →Official Hank Williams Website

ハンク・ウィリアムズは日本の流行歌にも大きな影響を与えてますね。
う?ん、たとえばこんな感じかな?

 →星は何でも知っている


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モンクとの対話 CHRONICLES #130

白銀町 2005年4月23日

当時セロニアス・モンクはブルーノートという店で演奏していました。

--------------------------------------
Sometimes he'd be in there in the afternoon sitting at the piano all alone playing stuff that sounded like Ivory Joe Hunter -- a big half-eaten sandwich left on top of his piano.
--------------------------------------

夜のステージはピアノ・トリオだったのですが、昼間は一人でくつろぎながら、ピアノをポロポロと弾いていたのですね。
アイヴォリー・ジョー・ハンターというのは、甘い声で有名な歌手です。
モンクのピアノとして多くの人がイメージする音とは、だいぶ雰囲気が違います。

 →アイヴォリー・ジョー・ハンター

 →Ivory Joe Hunter

ある時ディランがそこへ立ち寄って、ピアノを聴いた後に「僕はフォークソングを演ってます」と言いました。
するとモンクは、「みんなフォークを演ってるんだよ(We all play folk music)」と言います。
くつろいでだらだらとしている時にも、モンクは独特の世界を感じさせたようです。
モンクが大ブレイクする、直前のことだったのでしょう。

 →Monk In Paris / Thelonious Monk

ディランはクラブでジャズの演奏を聴くのが大好きでしたが、夢中になってジャズを追いかけるということはしませんでした。
ジャズには特定の意味を持った普通の言葉というものが存在しなかったからだと、ディランは説明しています。

やっとp.95に入りました。


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ブルーノート CHRONICLES #129

今日(22日)に本屋さんで買い物をしたら、ずいぶんひさしぶりに書店くじを貰いました。 おお、明けて23日はサン・ジョルディの日ではありませんか。 つまり、聖ジョージ、シェークスピア、セルバンテスの命日ということになっている日ですね。

 →2003年11月9日付日録:よしだたくろう「もう寝ます」(1971年)

本は売れないんだろうなあ。

千本浜 2005年4月22日
 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]

60年代初めには、アメリカの音楽市場がどんどん成長していったのだと、ディランは書いています。
若い、創造力のある業界だったんでしょう。
当時のディランは男おいどん、田舎から単身花の都にやってきて、その業界で自分のレコードを出すんだと一所懸命がんばっていたのです。
絵に描いたような、青雲の志ね。

さて、レイのところにあったジャズのレコードです。

Dizzy Gillespie
 →Wheatly Aycock's Dizzy Gillespie Homepage

 →ディジー・ガレスピー“オール・スター”ビッグ・バンド

ディジー・ガレスピーは、なんといってもあのほっぺたですよね。
中学生か高校生の時にテレビで見て、びっくりしました。
まあ、カエルみたいにぷくぅっとふくらむんです。
ディランの場合は、ぱっと目覚めなければならない時にディジー・ガレスピーがいいぞと書いています。

Fats Navarro
 →Nostalgia: Honoring Fats Navarro

Art Farmer
 →Art Farmer: The Hard Bop Homepate

Charlie Christian
 →Charlie Christian - Legend of the Jazz Guitar

 →Charlie Christian チャーリー・クリスチャン

高校生のころ、とても安い海賊版の輸入盤でチャーリー・クリスチャンやチャーリー・パーカーのレコードを買いました。
とにかく音が悪かったので、長い間この人達の演奏を誤解していました。
早くジャズ喫茶でリクエストすれば良かったんですよね。
ただ、コルトレーンの『アフリカ』のようなアルバムをジャズ喫茶のすごい再生装置で、大音量で聴きたかったんで後回しになったんです。

Benny Goodman
 →Benny Goodman

 →WIKIPEDIA: Benny Goodman

 →ベニイ・グッドマン物語

あ、この映画、一瞬『グレン・ミラー物語』(1954年)と混ざっちゃうんです。
「茶色の小瓶」はグレン・ミラーの方ね。
 →グレン・ミラー物語

Charlie Parker
 →Chasin' The BIRD - for Charlie Parker fan(日本語サイト)

いやあ、出ました。
チャーリー・パーカー!
すごいです。
この人の演奏を複数のサックスで再現する、スーパーサックスというグループがいましたな。
そうそう、クリント・イーストウッドが監督した『バード』という映画もありました。

 →バード

ディランは、チャーリー・パーカーも目を覚ますのに良いレコードだったと言ってます。

Thelonious Monk
 →ピアノで刻む音の彫刻家 セロニアス・モンク

 →THE OFFICIAL THELONIOUS SPHERE MONK WEBSITE

モンクが数学や物理の天才だったとは知りませんでした。
コルトレーンがサックスで倍音を同時に出す「オクターブ奏法」を始めたのは、モンクがサックスの構造からそういう音が出るはずだと指摘したからだと聞いたことがあります。
なんだかうなずける話です。

というわけで、固有名詞が多いといつまでもgoogleで検索を繰り返すことになるのですが、そろそろこのページも終わります。
やれやれ。


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Sir Duke : CHRONICLES #128

添地町 2005年4月21日

ジャズの話が続きます。

-----------------------------------------
"Tattoo Bride," "A Drum Is a Woman," "Tourist Point of View" and "Jump for Joy" -- all by Duke Ellington -- they sounded like sophisticated folk music.
-----------------------------------------

出ましたね、デューク・エリントンです。
「洗練されたフォーク」という言い方はいいなと思います。
ディランはいわゆるモダン・フォークよりも、デューク・エリントンのジャズの方に、フォークソングを感じたのです。
つまり、ディランはデューク・エリントンが大好きだったんですね。

 →デューク・エリントン

 →Duke Ellington - The Official Web Site

デューク・エリントンが亡くなったのは、私が高校生の時です。
コルトレーンやドルフィーといった、既に亡くなった人のレコードをよく聴いていたのと、同時代の新しいジャズとしてはマイルスやチック・コリアを聴いていたので、同時代の人が亡くなったというショックはあまりありませんでした。
でも、巨星が落ちたんだなあという感慨はありました。

スティービー・ワンダー(Stevie Wonder)の「サー・デューク(Sir Duke)」がヒットした時は大学生になっていたでしょうか。
アレンジがデューク・エリントン楽団の音を模しているのがおもしろいなあと思いました。
ええ、大好きな曲ですよ。

 →Sir Duke


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ジャズのレコード CHRONICLES #127

千本浜 2004年4月20日

ディランは当時聴いたクラシックのレコードの中で、フランツ・リストのレコードがお気に入りでした。
「一台のピアノでオーケストラ全体のように聞こえる」という、リストの曲が好きだったそうです。

あれ、ピアノって「一台、二台……」という数え方で良かったかしらん。

 →ものの数え方

あ、良さそうですね。

 →フランツ・リストの回想

ベートーベンのピアノソナタ「悲愴(Pathetic Sonata)」はどうも高く評価していません。

「旋律は美しいのだが、げっぷやおくびといった身体が出す音みたいに聞こえた。滑稽だった。まるでマンガだ。」

まあ、めちゃくちゃ書いてます。
でも、レコードのジャケットを読んで、天才少年ベートーベンが父親から搾取されていたので人を信用しなくなったことを知り、思うところがあったようです。

さて、この後、p.94ではジャズ・ミュージシャンの名前が延々と列挙されます。
グリニッジビレッジでは、ジャズが同時代の音楽として非常に流行っていたのです。

私の場合は70年代前半に故郷の町で、安い輸入盤のレコードを買いました。
盤が反っていたりすると、とても悲しかったですね。
特にピアノの音はふらつきがよくわかるのでつらいものがありました。
永島慎二さんの『フーテン』なんかの影響が大きかったのだと思います。
新宿のジャズ喫茶が憧れでした。

70年代後半は東京で暮らしていたので、ジャズ喫茶によく通いました。
新宿の木馬やポニーに行ったり、渋谷の音楽館に行ったりしましたが、なんといってもよく出かけたのは吉祥寺のfunkyやOUTBACKです。

まずいコーヒー一杯で2時間ぐらい、大音量のレコードを黙って聴いているわけです。
流れている音楽は確かにジャズだったんですが、どうもあんまりジャズらしくないですね。
姿勢が歪んでいたなあと思います。
いわば「ジャズ喫茶道」みたいなあり方ね。

ディランのジャズはそうではなかったと思います。
もちろんレコードも聴いているのですが、あくまでもナマの音楽、生きている同時代の音楽だったはずなんです。

とりあえずディランがよく聴いたという、「jazz and bebop records」。

 →George Russel

Johnny Cole

 →Red Garlandの世界

 →Don Byas

 →The Rahsaan Roland Kirk website

 →The Official Website for Gil Evans

おっと、ギル・エヴァンスはレッドベリの曲「Ella Speed」を録音していたそうです。
ディランはこのレコードで、メロディと構造を聴き取ろうとしました。

「ジャズとフォークには類似点がたくさんあった」

私はこの指摘にうなずけるのですが、たとえば今「フォーキー」と形容されるような曲のことではないと思います。

そういえば、キース・ジャレットがボブ・ディランの「マイ・バック・ページ」を演奏してましたね。

 →困った迷盤、苦手な名盤・人気盤

ここでボロくそに酷評されてますが、「SOMEWHERE BEFORE / KEITH JARRETT TRIO」(1968年)は70年代の一時期、確かに私の愛聴盤でした。

まだまだジャズ・ミュージシャンの名前が続きます。


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土曜の夜のポルカ CHRONICLES #126

2004年4月20日

ディランのおばあちゃんの御先祖様はコンスタンチノープルの出身でした。
それで、ディランは十代の頃、リッチー・ヴァレンス(Ritchie Valens)の"In a Turkish Twon"をよく歌ったそうです。
"La Bamba"よりも自分に合ってるような気がしたのだと書いています。
当時は、誰もが「ラ・バンバ」を歌っていました。
それがどうしてなのかわからなかったというのは、ディランはこの曲があまり好きではなかったのかしら。

 →Ritchie Valens Discography

レイのところには、リッチー・ヴァレンスのレコードが一枚もありませんでした。
ほとんどがクラシックとジャズのレコードだったのです。
そのレコードはインチキ弁護士(a shyster lawyer)から買っていたというのが、なんだか不思議です。

バッハのフーガ、ベルリオーズの交響曲、ヘンデルの「メサイア」、ショパンの「ポロネーズ イ長調」。
マドリガルと宗教曲、ミヨー(Milhaud)のバイオリン協奏曲。

 →メサイア解説

ディランが気に入ったのは、ポルカでした。
生で聴いて、血沸き肉踊ったそうです。
土曜の夜の酒場はポルカのバンドで大賑わいだったと書いています。
ホンマかいな。
そんなに流行っていたのかしらん???


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戦艦ポチョムキン CHRONICLES #125

千本浜 2005年4月15日

なんだか力の入らない毎日を送っております。
本を読んでも、集中できないなあ。

そうそう、ディランのおばあちゃんの話です。
元々はトルコの生まれです。
一族はアルメニアとの国境近くのカウズマン(Kagizman)に暮らし、キルギス(Kirgihz)という姓でした。
おじいちゃんもその辺りの出身で、靴職人や革細工職人をしている一族だったようです。

おじいちゃんの方はもっと肌の色も白い一族だったそうですが、前述のようにおばあちゃんは黒髪です。
おばあちゃんはよく訛っていたそうです。
顔にはなにかあきらめたような表情を浮かべていました。
おばあちゃんは、かなり苦労を重ねてきた人だったんです。

ロシア南部の港町オデッサ(Odessa)からアメリカに渡ってきたそうです。
そう、あの映画『戦艦ポチョムキン』の有名なシーン、「オデッサの階段」のオデッサです。
今ではどちらかというと、パロディの方が有名なんでしょうね。

 →戦艦ポチョムキン

ただいまp.93です。


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ユダヤの王 CHRONICLES #124

千本浜 2005年4月15日
 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]

ディランはヴァン・ロンクのところに泊まるようになるのですが、その前は主にレイのところでに厄介になっていました。
多少は気をつかっていたようで、明け方に帰ってくる時などはあまり音を立てないようにそっとドアを閉めたなどと書いてあります。

レイはそんなことを気にするような人物であるはずもなく、詩篇を引用してピストルをベッドの脇に置いて眠りました。
やっぱり変な人です。

------------------------------------------------
At times he could say things that had way too much edge. Once he said that President Kennedy wouildn't last out his term because he was a Catholic. When he said it, it made me think about my grandfather, who said to me that the Pope is the king of the Jews. She lived back in Dutch on the top of floor of a duplex on 5th Street.

レイは時々あまりにも鋭いことを言うことがあった。ある時など、ケネディ大統領はカトリックだから任期をまっとうすることができないだろうと言った。レイがそう言った時、僕はおばあちゃんのことを思い出した。おばあちゃんは僕に、ローマ教皇はユダヤ人の王だと言った。おばあちゃんはダルースの5番街にあるアパートの二階に暮らしていた。
------------------------------------------------

ダルースはミネソタ州の港町で、スペリオール湖の西端に臨んでいます。
おばあちゃんの部屋からも、湖が見えました。
ディランの両親は時々週末に、おばあちゃんのところへディランを預けて出かけたそうです。
おばあちゃんは片脚でした。
髪が黒く、パイプたばこを吸っていました。

ローマ教皇の話がよくわかりませんわ。
ケネディがカトリック云々というのは、結局WASP(White Anglo-Saxon Protestant)じゃない傍流だからということなんでしょうか。
カトリックの話が出たので、頭の中でローマ法王→おばあちゃんと、記憶がつながっていったんですね。

もう少しおばあちゃんの話が続くのですが、今夜はこの辺で。
もうすぐp.92が終わるところです。


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ベスパの二人乗り CHRONICLES #123

千本浜 2004年4月22日

どうやって凶悪犯の歌を書こうか、レンはディランにも相談しました。
ディランはあの「赤色灯」のことから書いたらいいかもしれないと答えました。
実際にはレンがその歌を書き上げることはありませんでした。

レン・チャンドラーは、とにかくガタイのいいやつだったというのが、ディランの抱いている印象です。
ラインバッカーのようだったというのですから、大きくてがっしりしていて、ぶつかっても決して負けないといった体つきでしょう。

賢くて善意に満ちた人なのですが、恐れというものを知りませんでした。
そして、向こう見ずでした。

凍てつくような寒い夜、ディランをべスパの後ろに乗せて、フルスロットルでブルックリン橋を疾走したことがあるそうです。
たぶん路面は凍結していますし、交通も激しかったようですから、大変危険なことですよ。
自分で運転するんならともかく、タンデムでそんなことしたくないなあ。
後年のオートバイ事故と違い、この時はレンに運があったということです。


 →Vespa The Official Web Site

 →ベスパ総代理店成川商会

映画『アメリカン・グラフィティ(AMERICAN GRAFFITI)』(1973年)のベスパが印象的でした。
実にさえないテリーがゴミ箱にベスパを追突させるのは、演技ではなくて偶然の事故だったそうです。

ああ、ベスパの二人乗りといえば、『ローマの休日(ROMAN HOLIDAY)』(1953年)ですかね。
心に残る名シーンですな。

ただ、私がベスパですぐに思い出すのは、『遊軍』という70年代のテレビドラマなんです。
ベスパで走り回り、朝日というレトロな吸い口付きタバコを吸う、社会部遊軍記者を演じてたのは中村敦夫さん。
結局ドラマの最後では事件にかかわった主人公は原稿を書けないということになってしまうんです。
あれがかっこよくて、私は将来新聞記者になろうと思ったものでした。

googleで探しても、この番組見つからないなあ。
残念。


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死刑廃止論 CHRONICLES #122

千本浜 2004年10月25日

凶悪犯のチェスマンはガス室に送られることが決まっていました。
電気椅子じゃなかったんですね。
彼の助命嘆願には、著名人の名が並びました。

 →ノーマン・メイラー
 
 →レイ・ブラッドベリ:日本ファンクラブ
 
 →オルダス・ハックスリー Aldous Huxley (1894-1963)

 →ロバート・フロスト:道が二本森の中に続いていた。

 →wikipedia: エレノア・ルーズベルト

そして、死刑廃止運動をやっているグループが、レンのところにチェスマンの歌を書くよう依頼してきました。

短いですが、今夜はこれまで。
ただいまp.91です。


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暗い山 CHRONICLES #121

千本浜 2004年4月12日

主婦だってキンキラのサングラスをかけたグラマーな女の子になることができるし、年寄りだって若返ることができる。

そんないいかげんな幻想をふりまく情報の氾濫の中で、アートも変わりつつありました。
抽象絵画や無調子の音楽が流行して、現実を切り刻んでいました。
「この新しい芸術の波を航海したら、ゴヤだって迷ったことだろう」とディランは書いています。
レンとディランはその新しいものが本当に価値あるものなのか、単なるノイズなのか、一緒にあれこれと吟味したようです。

------------------------------------
ニュースに繰り返し登場する人物に、「赤色灯強盗」と呼ばれた悪名高い強姦犯、キャリル・チェスマンがいた。若い娘を強姦したことで有罪判決を受けた後、カリフォルニアの死刑囚監房に収監されていた。その犯罪は実に独創的な方法で行なわれていた。自動車の屋根に赤色灯をくくり付けて光らせ、そして女性の車を路肩に止まらせて外に出るように命じ、森の中へ引き摺り込んで強盗強姦におよんだのである。
------------------------------------

アメリカでは有名な犯罪者なんですね。
『リーダーズ英和(プラス)』にも、この犯罪者の名前が載っていました。
死刑制度を見直すきっかけとなったんだそうです。

------------------------------------
チェスマン Caryl Whittier Chessman (1921-60) 《米国の犯罪人; 誘拐・強盗・強姦などの 17 の罪状により死刑を宣告されたが (1948), さまざまの法的手段に訴え, 数度の死刑延期をかちとった; この間, 獄中で Cell 2455 Death Row (1956), Trial by Ordeal (1956), The Face of Justice (1958) などを書き, 死刑に反対; 結局は死刑となったが, これによって, 米国の裁判制度が批判されることになった》.
------------------------------------

日本では粗暴犯がこのような法廷闘争を行なうのは珍しいですね。
すぐに「連続射殺魔」永山則夫さんを思い出しましたが、連続暴行魔ということでは、「大久保清事件」も強烈でした。

 →大久保清連続殺人事件

この場所はその後、連合赤軍事件で連続殺人が起きることになります。
私は当初、偶然呪われた場所になったのかと思っていたのですが、後になって当事者たちの書いたものを読むと、だからこそわざわざ選んでキャンプを張ったようです。

 > もう一人は
 > 72年の年の2月の
 > 暗い山で
 > 道に迷った

樹村みのりさんのマンガに出てきた言葉を思い出します。

 →2003年10月7日付日録:樹村みのり「贈り物」(1974年)


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アメリカの夢 CHRONICLES #120

千本浜 2005年4月1日

ジョンソン大統領は「勝利を我らに(We Shall Overcome)」に込められた思想を、自分自身に合うように解釈してしまいました。
ディランが言うには、ジョンソンは見た目ほど素朴な人間ではなかったのです。

-------------------------------------------
The dominant myth of the day seemed to to be that anybody could do anything, even go to the moon. You could do whatever you wanted----in the ads and in the articles, ignore your limitation, defy them. If you were an indecisive person, you could become a leader and wear lederhosen.

その時代には、誰でも何にでもなれるのだという神話が支配的なようだった。君は月にだっていける。広告や記事の中では、自分の限界を無視して超越し、望むことが何でもできた。優柔不断な君だって、リーダーになってレーダーホーゼンを履くことができる。
------------------------------------------

おっと、これがわかりません。
レーダーホーゼンというのは、バヴァリア辺りの民族衣装で、膝までの革ズボンなんだそうですが、これはリーダーが履くものなんでしょうか?
被服系の話は私の弱点です。

1961年。
アメリカはまだ現代人が懐かしく回顧する、古き良き時代の残滓の中を生きていました。
新聞は、アメリカン・ドリームの夢を振りまいていたのでしょう。
ケネディ大統領がベトナムに対する直接的な軍事介入を決断する前夜です。

 →Wikipedia: ベトナム戦争


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勝利を我らに CHRONICLES #119

千本浜 2004年4月10日

ディランは当時の新聞記事を回想しているのです。
これは古新聞を調べたかもしれませんね。

スポーツ面では、ニューヨーク・レンジャーズがシカゴ・ブラックホークスに2対1で勝っています。
この2得点は両方ともヴィック・ハドフィールドによるものです。
ディランがアイスホッケーの試合結果を読んでるところというのは、なんだか想像しにくいです。

 →Alumni Spotlight VIC HADFIELD: THE FIRST TO 50

リンドン・ジョンソン副大統領が、合州国のシークレット・サービスに腹を立てていました。
私にまとわりつくんじゃない!
一人の襟元をひっつかんだりしたそうです。

それでディランはテックス・リッターのことを思い出したそうですが、これはあまりピンと来ません。
「飾り気なく現実的な(simple and down to earth)」人だと書いてありますから、まあ二人ともそうなんでしょう。

 →Tex Ritter

ケネディ大統領が暗殺されたため、このジョンソン副大統領が大統領になります。

-----------------------------------------
Later, when he became president, he used the phrase "We shall overcome" in a speech to the American people. "We Shall Overcome" was the spiritual marching anthem of the civil rights movement. It had been the rallying cry for the oppressed for many years.

後に大統領になった時、彼は国民への演説に「我々は勝利する(We shall overcome)」という言葉を使った。「勝利を我らに(We Shall Overcome)」は公民権運動の精神的な聖歌だった。長い間、抑圧された者たちのスローガンとなっていた。
-----------------------------------------

おお、ジョンソン大統領の就任演説でしょうか。
いや、違うようですね。
でもおもしろいのでリンク張っておきましょう。

 →Inaugural Address of Lyndon Baines Johnson

 →プロジェクト杉田玄白:アメリカ大統領就任演説

この曲はずいぶん古い曲なんですね。
1900年に作られたゴスペル"I'll Overcome Some Day"が元歌だと書いてあります。
今の形にしたのは、もちろんピート・シーガーさん。
私の場合、「We Shall Overcome」はジョーン・バエズさんが歌っているのがおなじみです。

 →勝利を我らに(We Shall Overcome)
 
 →HISTORICAL PLACES OT THE CIVIL RIGHTS MOVEMENT : WE SHALL OVERCOME

どのアルバムだったでしょうか。
岡林信康さんが「友よ」を歌う時、高石ともやさんが言ってました。
やっと日本にも「We Shall Overcome」のような曲ができたと。
残念なことに、それはほんの一瞬のことに終わってしまいましたが。

ただいまp.90です。


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キューバへ CHRONICLES #118

一緒に新聞を読んでは歌のネタを探していたレンとディラン。
トピカルソング友達とでも呼べばいいのでしょうか。

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I hadn't begun yet writing streams of songs as I would, but Len was, and everything around us looked absurd----there was a certain concsiousness of madness at work.

僕はまだ後に書くように歌を次々に書くようにはなっていなかった。でも、レンは書き始めていた。そして、僕たちの周りの何もかもが馬鹿げたものに思われた。作詞を始めると、ある種の狂気のようなものがあった。
--------------------------------------------------

周囲のささいなことが煩わしく思えたりしたのでしょう。
ジャッキー・ケネディの写真というのが例に挙がっているのがおかしいです。

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Nearby at the Biltmore, the Cuban Revolutonary Council was meeting. The Cuban government in exile. They had recently given a news conference, said that they needed bazookas and recoilless rifles and demolition experts and that those things cost money. If they could get enough donations, they could take back Cuba, the old Cuba, land of plantations sugarcane, rice, tobacco----patricians. The Roman Republic.

ビルトモア・ホテルの近くにキューバ革命評議会が集まっていた。キューバ政府が亡命していたのだ。最近記者会見を開き、バズーカ砲と無反動ライフルと破壊の専門家が必要だと言っていた。そして、そういうものにはお金がかかるのだと。十分に募金が集まれば、キューバを取り戻すことができる。古いキューバを。サトウキビ、米、タバコのプランテーションを。古代貴族を。ローマ共和国を。
--------------------------------------------------

ビルトモアはロサンゼルスの有名なホテルですね。
アメリカの傀儡だったバティスタが国外逃亡に追い込まれたのは、1959年1月1日。
カストロやゲバラのキューバ革命はまだ生々しい同時代のできごとでした。

日本では、援農のような形で「キューバへサトウキビ刈りに」という呼びかけがあったようです。
岡林信康さんも、実際には行けなかったのですが、それでキューバへ行くと言っていました。
雑誌に「キューバへサトウ刈りを」という言葉が載っていました。
サトウキビではなくて、サトウ栄作さんと言いたかったようです。


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ジュネの『バルコン』 CHRONICLES #117

千本浜 2005年4月8日

人は世間でうまくやろうと思ったら、無骨な個人主義者にならないといけません。
そして、少しばかり調整して順応するのです。
無骨な個人主義者が瞬きをする間に、体制順応者となるのです。
レンとディランは、そんなことを馬鹿げたことだと嘲笑していました。

そのころビレッジでは、ジャン・ジュネの戯曲「バルコン(The Balcony)」が上演されていました。
混沌が世界(the universe)を支配する巨大な売春宿(a mammoth cathouse)。
人間が放り出された意味のない宇宙(a meaningless cosmos)。
世界がそんなものとして描かれていました。

そして、ディランはこの劇に、南北戦争の時代から読み取ったのと同じもの、百年前の新聞で読んだものを見ました。

--------------------------------------------
The songs I'd write would be like that, too. They wouldn't conform to modern ideas.

僕がかく歌も、こういうものになるのだ。近代的な考え方に従うことのないものに。
--------------------------------------------

ジャン・ジュネの戯曲に共感して、こんな歌を書こうと思ったというのは、意外です。
でも、グリニッジ・ビレッジの雰囲気にはぴったりですね。

 →浅田彰【ジュネの『バルコン』を観る】

 →Jean Genet Le Site


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ぼくがぼくであること CHRONICLES #116

白銀町 2005年4月7日

60年代初頭、アメリカでは新聞に登場する識者として精神科医がもてはやされていたようです。
いろいろなものを怖がる、新しい恐怖症(phobia)に関する記事がありました。
花、暗闇、高所、橋を渡ること、蛇、年を取ること、雲。
なんでもそれらしいラテン語の病名を付けて商売にしていたのでしょう。

ちなみに、ディランの恐怖は「ギターのチューニングが狂ってしまうこと」だったそうです。
これは確かに恐いですなあ。

ニュースの中ではまた、女性が現体制に挑んで声を挙げていました。
そんなことを契機に、呼称が問題となります。
教会でも、牧師が「師(the Reverend)」ではなくて単に「牧師(Reverend)」と呼ばれたがったりしました。

------------------------------------------
Semantics and labels could drive you crazy.

意味論とレッテルで、人は気が狂いそうになった。
------------------------------------------

これが60年代初頭。
日本も安保で揺れたころなのですが、個の意識が社会問題の中で大きな位置を占めるようになるのは、もっとずっと後のことですし、結局それは消えてしまったのではないかと思います。
延々と続いているかのように粉飾された「血」の流れ、「家」の中にまた飲み込まれてしまったようです。

そろそろp.89です。


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看板だけの知識人 CHRONICLES #115

白銀町 2005年4月4日

フランスが最初の核実験を行なったのは、1960年2月13日のことでした。
ディランが書いているのは1961年の聖バレンタインデーの直後のことなので、それから一年後のことです。
当時のディランは新聞を熟読していたのだということがわかります。

-----------------------------------------------
Anyway, France had now brought themselves into the atomic age and there were movements spring up to ban the bombs, French, American, Russian and otherwise, but this movement also had its detractors. Reputable psychiatrists were saying that some of these people who claimed to be so against nuclear testing are secular last judgment types----that if nuclear bombs are banned, it would deprive them of their highly comforting sense of doom.

それはともかく、今やフランスも原子力の時代に突入したので、フランスやアメリカやロシアやその他の国に対する原水禁運動が湧き起きていた。しかし、この運動に対する誹謗もまたあった。高名な精神科医が、これほど核実験に反対するような人は世俗的な最後の審判の典型であると言っていた。もしも核爆弾が禁止されたら、滅亡するという意識によって大いに彼らが感じている慰安を、取り上げてしまうことになるのだと。
-----------------------------------------------

レンとディランはそんな「識者」の言ってることなど信じられませんでした。
そう、二人で新聞を読み漁って歌の素材を探していたのです。
だから当時の新聞記事を克明に覚えているのですね。

60年代初頭のディランはとても濃密な時間を送っていました。
ほんの少しだけなら、私もそんな瞬間を過ごしたことがあるような気がします。
新聞記事をメモしていたこともあります。
沖縄地籍明確化特別措置法が成立するころでした。

ただいまp.88です。


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アジアの片隅で CHRONICLES #114

御成橋 2005年3月31日

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The French had been plundering the country for years. The press reported Hanoi was grubby and cheerless, that the people dress in Chinese shapeless jackets and you couldn't tell the difference between the men and the women----everybody rode a bicycle and did calisthenics in public three times a day. The newspapers made it sound as if it were a weired place. The Vietnamese might have to be straightend out----might have to send some Americans over there.

フランス人は長年にわたり、この国(ベトナム)から収奪を続けていた。新聞は報じていた。ハノイは汚く(grubby)、陰気だ。人々は不格好な中国製の上着を着ており、男と女の区別もつかない。みんな自転車に乗り、日に三度公然と徒手体操を行なっている。新聞は、ベトナムが異様なところだと思えるような書き方をしていた。ベトナム人の考えは正さなければならない。そこにはアメリカ人を送り込まなければならないだろう。
-------------------------------------------

人種差別に対するディランの感覚は鋭敏です。
二十歳になる前、新聞でそんな記事を読んで、本当にそんなふうに感じたのでしょう。

たとえば『地獄の黙示録』という映画を初めて観た時、映画制作者の差別的な視点、アジア蔑視が気になりました。
普通のアメリカ人の感覚では、気になる映像表現だったのでしょうか。
それとも、まるで気にならないところなんでしょうか。

若者ディランには、大いに気になったところなんですね。

しかし、この文脈、アジアに民主主義を教えてやろうという、ブッシュが言ってることと同じですな。

p.88に入りました。


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ホー・チ・ミンのバラード CHRONICLES #113

千本浜 2005年4月1日
 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]

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One of his most coloful songs had been about a negligent school bus driver in Colorado who accidentally drove a bus full of kids down a cliff. It had an original melody and because I liked the melody so much, I wrote my own set of lyrics to it. Len didn't seem to mind.

レンの歌で最も派手なのは、子供で満員のバスを運転して崖から転落してしまう、コロラドの不注意なスクールバス運転手の歌だった。それはオリジナルのメロディだったのだが、僕はそのメロディがとても気に入ったので、その曲に自分の歌詞を付けた。レンは気にしていないようだった。
-----------------------------------------

レンの作ったメロディにディランが歌詞を付けて自分のものにしてしまった曲は何だったんでしょうか。
曲名は書いてありませんが、内容はトピカルソングだったようです。
レンと一緒にコーヒーを飲みながら、新聞に歌の素材になるような記事はないか漁ったものだと書いています。
でも、図書館で百年前の新聞を読んでからは、今の新聞記事がどれも陳腐でつまらないものになってしまったそうです。

-----------------------------------------
France was in the news and had exploded an atom bomb in the Sahara Desert. France had just been booted out of North Vietnam by Ho Chi Minh after one hunderd years of colonial rule. Ho had seen enough of the French. They had turned Hanoi, the capital city, into the "brothel-studded Paris of the orient."
-----------------------------------------
*「brothel-studded」は「売春宿が散在する」ぐらいの意味かな

ホーおじさんと慕われた、民族の英雄ホー・チ・ミンですね。
私が同時代として知っているベトナム戦争は、ベトコンの時代。
ホー・チ・ミンはベトミンを率いて独立を勝ち取った指導者です。

高石ともやさんが「ホー・チ・ミンのバラード」という曲を歌ってました。

 ♪ 平和と自由と
 ♪ そしてホーチミン
 ♪ インドシナの旗をなびかせ
 ♪ ベトミンの兵士はすすむ

 →【資料】偉人ホー・チ・ミン

そういえば、初めてレコード屋さんでディランのアルバム"THE TIMES THEY ARE A-CHANGIN'"を見た時、ジャケットにはベトナムの人が写っているのだと思い込んでしまいました。
まだ小学生だったのかな。

 →"THE TIMES THEY ARE A-CHANGIN'"


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夕暮れ CHRONICLES #112

どたばたと忙しい日々が続いており、この二日間はとてもいい夕焼けだったのに、浜に出ることができませんでした。 明日は行けるといいな。
八幡町 2005年3月31日

二行空けて、当時のディランの生活に話が戻ります。

---------------------------------------------
Len Chandler, a classically trained musician from Ohio, was on the bill with me at the Gaslight and we got to be friends.

クラシックの教育を受けたオハイオ出身のミュージシャン、レン・チャンドラーは僕と一緒にガス灯に出演していたので、仲良くなった。
---------------------------------------------

ええっと、レン・チャンドラーさんは少し前にも出てきましたな。

 →CHRONICLES #101 みんな泰子さんには触りたかった

 →Len Chandler Discography

仲良くなって何をするかといえば、幕間に楽屋でポーカーをしていたようです。
六番街の「the Metro Diner」まで出かけてポーカーをすることもあったそうですが、これは不思議な光景ですね。

ポーカーばかりやっているわりにレンはマジメな人だったそうです。
教養があって、生活もマジメ。
奥さんと一緒に恵まれない子供たち(underprevileged children)のための学校を始めたりしていたということです。

レンの曲は、新聞から取材したトピカルソングでした。
たいていは古いメロディに新しい歌詞を乗せたものでしたが、時には自分でメロディを作ることもありました。

はい、これです、これです。
前回高田渡さんを思い出したのはこの手法です。
渡さんの場合はさらに、自分が読んだ現代詩を乗せるという手法を開発したのであります。
齢を重ねてからは、歌のために詩を書き換えるということまでやっています。
これは私も、何度も書いてましたね。

 →2004年1月3日付日録:高田渡「夕暮れ」


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時代の相似 CHRONICLES #111

保線区 2005年3月29日

好きな時代を調べていくと、自分の生きている今と較べたくなるものです。
学生時代に、先輩たちが今が幕末だったらなあと酔っ払って話していました。
私の場合は、幕末は勘弁してもらいたいなと思いました。
どうも幕末の志士たちには感情移入できないんです。
まだ自由民権運動の壮士の方がわかる気がします。

------------------------------------------
The age that I was living in didn't resemble this age, but yet it did in some mysterious and traditional way. Not just a little bit, but a lot. There was a broad spectrum and commonwealth that I was living upon, and the basic psychology of that life was every bit a part of it. If you turned the light toward it, you could see the full comlexity of human nature. Back there, America was put on the cross, died and was resurrected.

僕が暮らしていた時代はこの時代に似てはいなかったのだが、それでも不思議な伝統的な点において似ている部分もあった。ほんの少しではなくて、大いに。僕が暮らしている広い範囲と、国と、日々の暮らしの基本的な心理は、どれもその一部だった。そこに明かりをかざせば、人類の複雑さがすべて見えることだろう。そこに戻ると、アメリカは十字架に掛かって死に、そして復活していた。
------------------------------------------

もちろんディランがこんなことを調べていたのは、そんなに長い期間ではなかったのでしょう。
できるだけのことを頭に詰め込んで、見えないところにしまったそうです。
また後で引っ張り出すことができるように。

ここでディランは「Figured I could send a truck back for it later.」という言葉を使っているのですが、まるで関係ないことを思い出しました。
blogで付ける「トラックバック」は「trackback」です。
「軌跡」の「track」ですね。
なにげなくgoogleしてみました。
日本のサイトでは「truckback」になっているところが多いようですね。


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北の時間、南の時間 CHRONICLES #110

白銀町 2005年3月29日

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There was a difference in the concept of time, too. In the South, people lived their lives with sun-up, high noon, sunset, spring, summer. In the North, people lived by the clock. The factory stroke, whistle and bells. Northerners had to "be on time." In some ways the Civil War would be a battle between two kinds of time. Abolition of slavery didn't even seem to be an issue when the first shots were fired at Fort Sumter.

時間の概念にも違いがあった。南部では、日の出、真昼、日没、春、夏といったものによって暮らしていた。北部では、時計によって暮らしていた。工場では号笛や鐘を鳴らして時刻を知らせた。北部人は「定刻どおり」でなければならなかった。いくつかの点において、南北戦争は二種類の時間の間の闘いになるのだろう。サムター要塞で最初の銃撃があった時には、奴隷制の廃止でさえ問題ではないようだった。
----------------------------------------

南部と北部では、時間の流れ方が違ったんですね。
今の日本では、明らかに農本主義的な南部の時間に共感を抱く人が多いのではないでしょうか。

世界に唯一の強大な帝国となった今の合州国を見ていると、南北戦争は本当にアメリカを救ったのか、大いに疑問を感じます。
あの時、アメリカは分裂すべきだったのかもしれません。


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CHRONICLES #109 内戦の記憶

千本浜 2005年3月24日

南北戦争前夜、各地に暴動が起こりました。
1850年代末、そんな記事に混ざって、新聞にリンカーンが登場するようになります。
様々に戯画化されていました。
ヒヒ(baboon)やキリン(giraff)に描かれていたそうです。
現在のように、リンカーンがアメリカの師父のように描かれることなど想像もできませんでした。
誰もリンカーンの言うことなど、まじめに受け取ってはいませんでした。

新聞記事を貪り読みながら、どんな歌が作れるものか、ディランは考えます。

人々がどれだけ強く地縁によって結びつき、そして宗教的な理想というものがどれだけひどい敵を生み出すものなのか。
少し経つと、こんなものしかないのに気づくのだ。
感情、暗黒の日々、分離、悪に対する悪……人間の運命をどんどんと外れていく。

これは長い弔いの歌であるのだが、しかしテーマとしてはある種の不完全なものとなってしまう。
非常に抽象的なイデオロギー、数多くの叙事詩、髭を生やした登場人物たち、必ずしも善良ではない高位の人々。

どれもそれ一つだけで、満足できるものにはならない。
新しく古典となるような価値も見いだせない。
騎士道と栄誉のレトリックなんてものは、きっと後から付け加えられたんだろう。

南北戦争当時の新聞を読んで、ディランは失望したようです。

--------------------------------------
It's a shame what happened to the women. Most of them were abandoned to starve on farms with their children, unprotected and left to fend for themselves as victimes to the elements. The suffering is endless, and the punishment is going to be forever.

女性に起きたことは本当に残念である。ほとんどはその子供と一緒に、農場に無防備なまま捨て置かれ、自力で自然の猛威と格闘し、そして犠牲者となった。その苦しみは終わりのないものであり、そしてその罰は永遠に続くことになる。
--------------------------------------

二十歳になる直前のディランが、こうして百年前の新聞記事から、内戦の事実を読み取っていくのです。

ただいまp.86です。


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CHRONICLES #108 各自ノ権利自由

保線区 2005年3月26日

どたばたしているので、どこまで読んだか忘れてしまいましたわ。
う?ん。
あ、ここだ。
ディランがマイクロフィルムで古い新聞を読みまくっていたのですね。
百年前の、南北戦争前夜。

「orator」という言葉が出てきます。
「演説者, 弁士, 講演者」
「fiery」とセットになっているので、「火を吐くような熱弁家」という感じになるのでしょう。
その例として名前が挙がっているのが、ウィリアム・ロイド・ギャリソン(William Lloyd Garrison)です。

 →William Lloyd Garrison

自身の新聞を持っていて、激烈に奴隷制廃止を主張したようです。

メンフィスで、ニューオリンズで、暴動が起きます。
ニューヨークの暴動では、アメリカ人俳優の役がイギリス人の俳優に代わったことによって、メトロポリタン・オペラ・ハウスの外で二百人が殺されます。

国民国家形成の近代市民革命として、歴史的には南北戦争と明治維新が対応するのでしょうが、どうも自由民権運動の方を想像しています。
自由民権運動には曲がりなりにも言論の戦いがあったし、まさに「民主主義」を主張した憲法私案まで作る人達がいたからです。

 →五日市憲法

今夜はとりあえずこれだけ。
なかなか進みませんなあ。


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CHRONICLES #107 百年の誤読

千本浜 2005年3月16日

ディランが読んだ百年前の世界、それは別世界ではなく、もっと緊迫しただけの、同じ世界ではありました。
奴隷制だけが社会の関心事というわけではなかったのです。

--------------------------------------------
There were news items about reformmovements, anti-gambling leagues, rising crime, chid labor, temperance, slave-wage factories, loyalty oaths and religious revivals. You get the feeling that the newspapers themselves could explode and lightning will burn and everybody will perish. Everybody uses the same God, quotes the same Bible and law and literature. Plantation slavecrats of Virginia are accused of breeding and selling their own children. In the Northern cities, there's a lot of discontent and debt is piled up high and seems out of control. The plantation aristocracy run their plantations like city-states.


改革運動、反賭博連盟、犯罪の増加、児童の労働、禁酒、奴隷的賃金の工場、忠誠宣誓、信仰復興といったニュース記事があった。新聞そのものが爆発するかのように感じられる。稲妻が燃え、みんな死んでしまうのだ。誰もが同じ神を利用し、同じ聖書と法と文学を引用する。バージニア州の農園奴隷たちが実子を育てて売り飛ばしたと告発される。北部の都市部では不満と負債が高く積み重なり、抑制が利かないようだ。農園貴族たちは自分の農園を都市国家のように運営している。
--------------------------------------------

ディランはマイクロフィルムで百年前の新聞を読んで、その当時の社会を想像します。
南北戦争の時代の人物を語りたい。
そのためには、その人がどんな社会に暮らしていたのか、絶対に知る必要があったのでしょう。

ボブ・ディランさんを一緒にしては失礼なんですが、私もある人物を描写しなければならない時、あれこれ調べまくったものです。
たとえ出てくる言葉は似たようなものになったとしても、背景がまったく見えないと自分が自信を持って書いていくことができないんですわ。
江戸を舞台にした小説を書くなんて、私にはできないなあと思ったものです。

p.85に入りました。


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CHRONICLES #106 図書館通い

千本浜 2005年3月20日

いつのまにか十年以上経ってしまいましたが、歌う生物学者本川達雄さんに『ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学』という本があって、ベストセラーになりました。
中公新書です。

 →interview: 本川達雄さん

「時間は体重の1/4乗に比例する」
生物はそのサイズによって時間の流れ方が違うという、とてもおもしろい本でした。
もちろんおでぶが長生きするという意味ではありません。
でぶは万病の元、太りすぎは短命です。

せこせこ動くディランだと、なんだか大物という感じがしませんね。
でも、自分は何もかもやることが速すぎるということを自覚して、変わることにしました。
そして探しているものを求めて、ニューヨーク公立図書館(The New York Public Library)へ出かけました。

 →The New York Public Library

ああ、大都市の図書館はいいですね。
私も失業者時代によく図書館に行きました。
ホームレスっぽい人がたくさんいました。
司法浪人のような人もたくさんいました。

ディランの場合は、ちゃんと目的意識があるところが偉いですね。
1855年から1865年あたりの新聞記事を、マイクロフィルムで読んだのです。
その時代の言葉やレトリックはおもしろかったようですが、当時の社会問題にはあまり関心を持たなかったそうです。

 →Chicago Tribune

 →Cincinnati Enquirer

他に名前が挙がっている新聞は、オフィシャルサイトが見つかりませんでした。
今はもうないのかもしれません。
百年前の新聞ですからね。

 the Brooklyn Daily Times
 the Pennsylvania Freeman
 the Memphis Daily Eagle
 the Savannah Daily Herald

ディランが読みふけったのは、南北戦争(1861年?1865年)当時の新聞です。
ついでにチェックしておくと、中国の太平天国が1850年から1864年、フランスのパリコミューンが1871年と、ほぼ同時代です。

もちろん日本は幕末、夜明けは近いぞぉの坂本龍馬が暗殺されたのは明治維新の前年1967年です。
フォークからニューミュージックの時代、龍馬を歌った人もいましたが、それはたとえば司馬遼太郎の小説『竜馬がゆく』に描かれた人物像であり、龍馬が生きた時代の史料を自分で調べたものではないように思います。


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CHRONICLES #105 せっかちディラン

駅付近 2005年3月21日

ディランはアイルランドの歌に強く引き付けられていたのですが、「アイルランドの風景はアメリカの風景とはあまり似ていない」ので、「楔形文字を刻む書板」のようなものを見つけなければならないと思いました。

同じものを「道を照らす、古めかしい古風な聖杯のようなもの」とも言い換えています。
この比喩がわかりにくいですね。
「聖杯」と訳しておいたのは「grail」なんですが、普通は大皿(platter)や杯(cup)を指すものです。
きっともっとちゃんとした訳があるのでしょう。

「どんな歌を書くべきかということはわかったのだが、それをどうやって書いたらいいのかは、まだわからなかった」

------------------------------------
【追記】No.1

風呂で湯につかりながら考えたのですが、だいたい作るべき歌のイメージはできたのだけれど、それを具体的な形にする決定的な道具が欠けていたということなんでしょうね。

聖杯伝説を思い浮かべて、私は「聖杯」と読んだのです。

 →テンプル 騎士団?聖杯伝説:聖杯の物語
------------------------------------


さて、二行空けて、いきなりおもしろいことが書いてあります。

------------------------------------
I did everything fast. Thought fast, ate fast, talked fast and walked fast. I even sang my songs fast. I need to slow my mind down if I was going to be a composer with anything to say.
------------------------------------

ディランはとってもせっかち君だったんですね。
なんでもかんでもさっさかさっさか。

映画『青春デンデケデケデケ』で、根岸季衣さん演じるお母さんがちゃっちゃとっちゃっちゃとやってました。
つげ義春さんの「長八の宿」では、ジッさんが猛烈なスピードでご飯をかっこんでました。
現実に接した人物では、私が以前在籍していた零細出版社の社長が実にせっかちな人でした。
元は新左翼の本など出していたのが玄米食の本も出すようになって、ずいぶん食べ物に気をつかっていたのに、いつもお弁当をすごい速さでたいらげてました。

そういえばディランは「Cafe Wha?」の賄い場で、缶に入ったポーク&ビーンズや、フライパンに入ったままのスパゲッティをかっこんでましたね。
それをコーラで流し込んでいたんです。
猛烈なスピードで食べる、若きディランが想像できます。

ディランは自分が変わらなければならないと感じたのですが、まずその生きる速度を変えなければならないと思ったのですね。
自分を律して変わることができるんだから、たいしたものです。
だから今も元気にツアーを続けることができるわけですな。

ただいまp.84です。


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CHRONICLES #104 反逆の歌

今日は忙しい一日でした。

隣町のバーベキュー場で昼食。
なによりも、10人乗りの車を借りて運転するのが緊張しました。
なたでこんこんしたおかげで、火付きはばっちり。
カルビやら焼きそばやらマシュマロやら、大忙しでした。

二次会のカラオケはパスして、畑にも行きました。
お蕎麦屋さんのだしかすや生ごみがだいぶたまっていたので、さっぱりしました。
浜へ夕陽も見に行けたのですが、風が強いこと。
DPEに寄って、焦げ臭くなった服を洗濯して。

世間様は三連休だそうですが、私は明日仕事しないと。
ふぅ。

千本浜 2005年3月20日
 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]

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What I was hearing pretty regularly, though, were rebellion songs and those rally moved me. The Clancy Brothers----Tom, Paddy and Liam----and their buddy Tommy Makem sang them all the time.

しかし、かなりしょっちゅう聴いていたのは反逆の歌で、そういう歌に僕は本当に感動した。トムとパディとリアムのクランシー・ブラザーズに、仲間のトミー・メイケムは、いつもそういう歌を歌っていた。
------------------------------------------

おやおや。
プロテストシンガーのレッテルを貼られるのは嫌なんだけど、やっぱりそう呼ばれそうな歌自体が嫌いなわけじゃないんですね。

 →The Clancy Brothers and Tommy Makem

 →お薦めのケルティック・ミュージックCD Part 5: The Clancy Brothers with Tommy Makem

なるほどなあ。
U2やドーナル・ラニー(Donal Lunny)さんを思い出しながら、あちこちリンクをたどってしまいました。

ディランはリアムさんと仲良くなって、よくホワイト・ホース・タヴァーン(The White Horse Tavern)という飲み屋に行ったそうです。
そのお店はアイリッシュ・バーで、当然ながらたいていはアイルランド出身者でいっぱいでした。
そういう店では、みんなで夜通し歌を歌っているんですね。
宴席の歌(drinking songs)、アイルランドのバラッド、反逆者を鼓舞する歌、そんな歌を、屋根が飛び上がるほど大声で歌います。

------------------------------------------
The rebellion songs were a really serious thing. The language was flashy and provocative----a lot of action the words, all sung with freat gusto. The singer always had a merry light in his eye, had to have it.

反逆の歌は本当に真剣なものだった。その言葉は華々しく、挑発的だった。言葉に大きな動きがあり、どれもとても元気よく歌われた。歌う者の目には陽気な光が輝いていたし、輝かなければならなかった。
------------------------------------------

アイルランドの反逆の歌を、ディランは大好きになりました。
でも、これはプロテストソングではないのだと、ディランは言っています。
あくまでも、反逆のバラッドなのだと。

う?む。


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CHRONICLES #103 Blues is A-Live

千本浜 2005年3月16日

え?、昨日に続き、例のいわゆる鯨の公式が大活躍してます。

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I didn't think I was protesting anything any more than I thought that Woody Guthrie songs were protesting anything. I didn't think of Woody as a protest singer. If he is one, then so is Sleepy John Estes and Jelly Roll Morton.

僕はウッディ・ガスリーの歌が何かに抗議しているのだとは思わなかったのと同じように、自分が何かに抗議しているのだとは思わなかった。ウッディがプロテストシンガーだとは思わなかった。もしもウッディがプロテストシンガーなら、スリーピー・ジョン・エステスやジェリー・ロール・モートンだってプロテストシンガーということになる。
----------------------------------------

もちろんこういう言い回しの時は、スリーピー・ジョン・エステスやジェリー・ロール・モートンがプロテストシンガーであるわけがないじゃんということが、話の前提になっているわけです。

 →Sleepy John Estes

 →Jelly Roll Morton

スリーピー・ジョン!
何度か書いたような気がするのですが、楽天広場の住民でもある某友人と学生時代に観ましたよ、ええ。

数年前にその時のビデオが出たので買いました。
『Blues is A-Live』というタイトルです。
憂歌団の面々が若い、若い!

「スリーピー・ジョン・エスティス
  Last Time Around さよならコンサート」
  共演 憂歌団」

スリーピー・ジョン・エスティス  Last Time Around さよならコンサート

このコンサートが1976年の年末で、スリーピー・ジョンが亡くなったのは1977年ですから、本当に「さよならコンサート」になってしまいました。
あれからもう三十年近くも経ってしまったんですなあ。

でも、「プロテストソング」って何だろう。
異議申し立てソング、抗議のための歌。
要するにディランは、何かのタメにする歌が嫌なんだろうなと思います。

ただいまp.83に入ったところです。


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CHRONICLES #102 ジェシー・ジェイムズ

千本浜 2005年3月15日

事件が起きたすぐ後に、それを素材にして物語を作るというのは、日本でも近松門左衛門が浄瑠璃でやっていたことです。
ディランはここで「ジェシー・ジェイムズ」を例として挙げています。
オフィシャルアルバムには入っていませんが、きっと何度も繰り返して歌ったのでしょう。

 →Jesse James

 →THE DYLAN'S ROOT

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ジェシー・ジェイムズのバラッドを書いたとされているのはビリー・ガシェイド(Billy Gashade)という男なのだが、ジェシーが金持ちから奪って貧乏人に配り、そして「汚い小さな卑怯者」に撃たれたのだと、人に信じ込ませている。
------------------------------------------------

「Gashade」の読み方がわからないので、CD版『クロニクルズ』ショーン・ペンの朗読で確認しました。
「sha」のところを強く読んでいて、「Ga」は二重母音にはなっていないようです。
6枚組CDの2枚目、16の「Segment」に分かれているうちの11番目に該当箇所が入っていました。

歌の中で、ジェシーは銀行から金を強奪して貧困者(the destitute)に分け与え、最後には友人に裏切られることになっています。
実際は血に飢えた殺し屋(a bloodthirsty killer)であり、けっして歌に描かれたようなロビンフッドではありませんでした。
ガシェイドが英雄に仕立て上げたのです。
これは南部の「怨」とも呼ぶべきものが、ジェシーに反映されたのでしょう。

 →ジェシー・ジェームズ 大衆ヒーローのアウトロー

 →ジェシー・ジェイムズ

------------------------------------------------
Topical songs weren't protest songs. The term "protest singer" didn't exist any more than the term "singer-songwriter."

トピカルソングはプロテストソングではなかった。「シンガーソングライター」という言葉が存在しなかったのと同様に、「プロテストシンガー」という言葉は存在しなかった。
------------------------------------------------

お、懐かしいですね。
「鯨の公式」って習った覚えがありますわな。

A whale is no more a fish than a horse is.

別に公式でもなんでもありゃしませんわな。
「no more … than ?」というのは、「no +[比較級]+ than ?」の形です。
「?と同じように、[反対語]」という定義通り、言葉そのままの意味しかありません。
「no = not … any」ですから、「no more … than ?」は「not … any more than ?」に書き換えることができます。
この方がわかりやすいですね。

もうすぐp.83といったあたりです。


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CHRONICLES #101 みんな泰子さんには触りたかった

千本浜 2005年3月15日
二行空いて、新しい話が始まります。

-------------------------------------
Greenwich Village was full of folk clubs, bars and coffee houses, and those of us who played them all played the old timy folk songs, rural blues, and dance tunes. There were a few who wrote their own songs, like Tom Paxton and Len Chandler and because they used old melodies with new words they were pretty much accepted.
-------------------------------------

これはちょっと驚きました。
当時のグリニッチビレッジは、なんとなくオリジナルソングを引っさげた創造的アーティストがひしめいていたようなイメージを持っていました。
ところが、数あるライブスポットで演奏されていたのは、おなじみの曲が多かったのですね。
自分で歌を書いたトム・パクストンのような人達も、メロディは出来合いのものを頂いてきていたということです。

 →tom paxton

 →Len Chandler Discography

 →LEN CHANDLER

三番目のサイトは『クロニクルズ』のリファレンスサイトのようですが、ディランは実際の曲作りで、レン・チャンドラーの影響をかなり受けていたのですね。
レンとトムは二人とも新聞を読んでおもしろい事件を見つけては歌にしていたようです。
まさにトピカル・ソング(topical songs)です。

以前にも書きましたが、私が最初に触れた高田渡さんや友部正人さんの歌には、そういう要素がかなりありました。

 →「高田渡」ヤング720出演時の生演奏
  「三億円事件の唄」「自衛隊に入ろう」「アポロの唄」

 →友部正人「乾杯」
 →みんな泰子さんには触りたかった

-------------------------------------
I had been singing a lot of topical songs, anyway. Songs about real events were always topical. You could usually find of point of view in it, though, and take it for what it was worth, and the writer doesn't have to be accurate, could tell you anything and you're going to believe it.
-------------------------------------

最後の部分には大いにうなずけます。
事実を並べただけで本当のことが見えるわけではありません。
ディランは「真実」を歌えと言っているのです。

ただいまp.82です。


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CHRONICLES #100 シナトラの歌声

千本浜 2005年3月9日

おお、『クロニクルズ』の読書メモ、100回目ですな。
ディランの好きな流行歌の続きです。

やっかいになっているレイのところにはフォークのレコードがあまりなかったので、フランク・シナトラ(Frank Sinatra)が歌う「ひき潮(Ebb Tide)」を、何度も繰り返して聴きました。
とにかく聴くたびに畏怖の念に打たれたそうです。

プラターズ(The Platters 1960年)やライチャスブラザーズ(The Righteous Brothers 1965年)の方が有名でしょうか。
誰もが必ずどこかで聴いている曲ですね。

 →Ebb Tide - Song Lyrics

---------------------------------------
When Frank sang that song, I could hear everything in his voice----death, God and the universe, everything.
---------------------------------------

フランク・シナトラの歌唱力を絶賛しています。
こういう人が歌ったから、"My Way"もすごいわけですな。
普通のおっさんがカラオケで歌っても、他人様に聴かせるものにはなりませんわ。

あんまり邪魔をしてはいけないと思い、ディランは話を早々に切り上げて、劇場の外に出ます。
寒い外で、女の子たちの群れがボビーの出てくるのを待っています。

---------------------------------------
I wouldn't see Bobby Vee again for another thirty years, and though things would be a lot different, I'd always thought of him as a brother. Every time I'd see his name somewhere, it was like he was in the room.
---------------------------------------

ディランがボビーと一緒にいたのはほんの数日間のことなんですが、一生兄弟のように感じているというのは、すごいですね。


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CHRONICLES #99 旧友再会

千本浜 2005年3月15日
 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]


ボビー・ヴィー(Bobby Vee)は次々にヒットを放っていきました。
ボビーがブルックリン・パラマウント劇場に出るというので、ディランは久しぶりに会いたくなり、出かけていきました。

 →Brooklyn Paramount Theatre
 
シャドーズ単独の公演ではなくて、次のような錚々たるメンバーが出演していました。

シェルズ(The Shirelles)
 →The Shirelles Homepage
 
ダニー&ジュニアーズ(Danny and the Juniors)
 →Danny and the Juniors

ジャッキー・ウィルソン(Jackie Wilson)
 →JACKIE WILSON_HTM

ベン E. キング(Ben E. King)
 →BEN E. KING_HTM

マキシン・ブラウン(Maxine Brown)
 →maxine brown

ボビーは相変わらず気取らぬ様子で、ディランに会いに出て来ました。
ピカピカの絹のシャツを着て、細いネクタイをしていました。
ディランに会えて本当に嬉しそうでしたが、格別驚いた風はありませんでした。

ディランは今フォークをやってると言いますが、どうもボビーにはピンと来なかったようです。
キングストン・トリオやブラザーズ・フォーのようなものしか思い浮かばなかったのだろうと、ディランは書いています。

「フォーク」といった時に、日本で普通の人が思い浮かべるのも、そんなものだと思います。
モダン・フォークから四畳半フォーク、ニューミュージックといったあたりです。
つまり、流行歌(ポップス)の世界。
ボビーは、その流行歌の売れっ子になっていたのです。

--------------------------------------
As for myself, I had nothing against pop songs, but the definition of pop was changing. They just didn't seem to be as good as they used to be. I loved songs like "Without a Song," "Old Man River," "Stardust" and hundreds of others. My favorite of all the new ones was "Moon River." I could sing that in my sleep.
--------------------------------------

ディランの好きだった流行歌の世界は、大きく変わろうとしていました。
でも、よくラジオを聴いていたようで、好きなヒットソングもたくさんあったのですね。

ボブ・ディランに『ディラン』(1973年)というアルバムがあります。
契約切れのどさくさ紛れにコロンビアが勝手に出したというような話がありました。
御大ご本人が録音に不満なようで、今は入手できないはずなのですが、オフィシャルサイトで試聴できますね。
不思議。

 →"DYLAN"(1973年)

「好きにならずにいられない」や「ミスター・ボージャングル」といった他人のヒット曲を、まるでお風呂で鼻歌で歌っているような、力の抜けたアルバムです。
実は私はこのアルバムがかなり好きです。
ディランの歌う「ムーンリヴァー」も聴いてみたいなあと思います。

ただいまp.81でございます。


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CD版『クロニクルズ』着

CD版『クロニクルズ』が届いた。
ショーン・ペン(Sean Penn)による朗読で、CDは6枚組みです。
本のカバー表4に使われているディランの写真が、それぞれのCDにプリントされていているのが嬉しいです。
これは本人お気に入りの写真なんだろうなあ。

私の英語はほぼ完全に書物から仕入れた「bookish」なものなので、聞き取り能力はかなり怪しいものですが、でもまだ読んでいない箇所を聞くのはやめておきましょう。

ショーン・ペンの声は少しドスを利かせすぎのような気もしますが、だんだんディランみたいに思えてくるので不思議です。

あらためて、ディランの情景描写はいいなあと思います。
まさに声に出して読みたい『クロニクルズ』ですな。

BOB DYLAN CHRONICLES VOLUME ONE: Read by Sean Penn
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CHRONICLES #98 ピアノ弾きディラン

西条町 2005年3月14日

ディランが自分の芸名を考えていた時、既にたくさんの「ボビー」がいたと書いてありました。
その中に名前の挙がっていたボビー・ヴィー(Bobby Vee)は、ディランがまだ田舎にいた時に出会った人でした。

ボビーはノースダコタ州ファーゴの人で、シャドウズ(The Shadows)というバンドをやっていました。
1959年には既にローカル・ヒットを飛ばしていたそうです。

ディランのいたミネソタ州も同じ中西部で隣接しています。
ディランはヒッチハイクでボビーに会いに行き、そのバンドでピアノを弾かせてもらいました。

 →the Official Bobby Vee Home Page

 →Bobby Vee

おお、ボビー・ヴィーの写真を見ると、まさにポップ・アイドルですね。
おやおや、おもしろいことが書いてありますよ。

---------------------------------------
In the next few months they decided to hire a pianist Bill knew from the local record store. The pianist said his name was Elston Gunnn, but his real name was Bobby Zimmerman, and he had recently toured with Conway Twitty. However there were two problems. Zimmerman could only play in one key and he didn't have his own piano. After a few dates, he and the band parted. Zimmerman enrolled at the University of Minnesota. Soon he fell under the spell of folk music, picked up guitar, moved to New York and changed his professional name to Bob Dylan.
---------------------------------------

「n」が一つ多いですけど、ディランはいとこのリーニーから問い詰められた、「エルストン・ガン」という名前をこの時も使っています。
さらに、ディランは書いていないことですが、一つの調(たぶんCですね)しか演奏できないとは、まあ大胆な人ですこと。
高校生の時にこういうことをやってるとは、さすが大物です。

ディランの『クロニクルズ』の方では、ボビーの曲にはあまりピアノが必要ではなかったので、あまり一緒にできなかったということになってます。

短い間一緒にやっただけですが、この時ボビーとディランはとても共通する点が多かったと、ディランは言っています。
同じ時代に、同じ場所で、同じような音楽的経験をしてきたということです。
でも二人の進む道はかなり違ったものになりました。

ボビーはハリウッドに行って、ポップ・スターになります。
先ほど引用したサイトに出ていますが、バディ・ホリー(Buddy Holly)が飛行機事故で亡くなると、まるでその代わりのようにスターになるのですね。

ディランはそういう書き方をしてはいませんが、それでもボビーの声を「バディ・ホリーのように」と形容しています。

---------------------------------------
Bobby had a metalic, edgy tone to his voice and it was as musical as a silver bell, like Buddy Holly's, only deeper.
---------------------------------------

 →BuddyHolly.com | The Official Web Site | Buddy Holly


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CHRONICLES #97 シクラメンのかほり

千本浜 2005年3月10日

さて、ディランの本来の姓であるジママンはどこへ行ってしまったのでしょう。

ボビー・ジママン(Bobby Zimmerman)という人がいたそうで、その人が殺された話も書いてあります。
ただ、それは1964年のことなので、ロバート・アレン・ジママン君がボブ・ディランを名乗ってからのことです。
だから、不吉な事件を忌み嫌ったわけではないようです。
結局、音や字面が気に入らなかったのでしょう。

急いで手紙を書き終えると、末尾には「ボビー(Bobby)」と署名しました。
リーニーへの手紙には、いつもそう書いていたそうです。

-----------------------------------------
Spelling is important. If I would have had to choose between Robert Dillon or Robert Allyn, I would have picked Robert Allyn, because it looked better in print.
-----------------------------------------

おっと、話はまだ終わっていませんでした。
音だけでなく、文字にした時の視覚的効果がとても気になったんですね。
「Allyn」という綴りがかなり気に入っていたようです。

-----------------------------------------
The name Bob Allyn never would have worked----sounded like a used-car salesman.
-----------------------------------------

でも、「ボブ・アレン」では音で聞いた時に、中古車のセールスマンみたいなのでダメなわけです。
このあたりの感覚は、私にはよくわかりません。
ウッディ・アレン(Woody Allen)も中古車のセールスマンみたいなのかなあ。
商売人っぽいけど貧相なキャラは、ウッディの場合は合ってるかもしれませんね。

-----------------------------------------
I'd suspected that Dylan must have been Dillon at one time and that guy changed the spelling, too, but there was no way to prove it.
-----------------------------------------

ディラン・トーマス(Dylan Thomas)のことでしょうね。
元々その名がDillonであったかどうかは、あまり問題ではありません。
ボブ・ディランがそう感じたということがおもしろいのです。
私の母語ではないのでそのすべてがわかるわけではありませんが、音や文字に対する自分の感覚を、ディランが散文で説明してくれているのは貴重だと思います。

以前松任谷由実さんの「春よ、こい」に関して少し触れたことがあるのですが、やはり文語で「春よ、こよ」と通してくれなければ気持ち悪いなと思います。

「かほり」や「かほる」も気持ち悪く感じます。
「かをり」や「かをる」でないと、単に間違えたみたいであまりかっこよくないなあと思うのです。

もちろん「かほり」を定家仮名遣いだと言い張る方もいらっしゃるでしょうが、マジなところで遣われると、妙な感じがします。
「よゐこ」や原律子さんのマンガは、あまり気になりません。
中途半端な歴史的仮名遣いを笑っているように見えるからでしょう。


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CHRONICLES #96 ボブ・ディランの誕生

千本浜 2005年3月10日

ある時、いとこのリーニーが尋ねました。

どうして演奏する時に違う名前を使ってるの?
特に近所で演奏する時に。
自分が誰なのか知られたくないの?
エルストン・ガン(Elston Gunn)って、誰よ?
あなたじゃないの?

おやおや、ディランは田舎にいたころ、「エルストン・ガン」という名前を使ったことがあるようです。
私は初耳。

英国生まれで当時サンフランシスコで活動していた、詩人のトム・ガン(Thom Gunn)あたりから採った名前でしょうか。
リーニーに問い詰められたことを思い出して、ディランは自分の名前のことを語ります。

--------------------------------------------
そのエルストン・ガンという名前は、間に合わせの名前にすぎなかった。そのころ僕が家を出てすぐにしてしようと思っていたのは、ロバート・アレン(Robert Allen)と名乗ることだった。僕に関するかぎり、それが僕だった。親が僕に付けてくれた名前だ。スコットランドの王様みたいで、その名前が気に入っていた。その中にはない僕のアイデンティティなんてものは、ほとんどなかった。
--------------------------------------------

元々、ディランの本名はロバート・アレン・ジママン(Robert Allen Zimmerman)でした。
その名前をそのまま使って「ロバート・アレン」という歌手になろうと思っていたのです。
そういえば、アレン・ギンズバーグ(Allen Ginsberg)さんがいましたね。

ところが、後に「ダウンビート」誌で、デビッド・アレン(David Allyn)というサックス・プレイヤーの名前を見て、考えたのだそうです。
この綴りは、本人が「Allen」から「Allyn」へ変えたに違いない。
その方が奇抜(more exotic)で、謎めいている(more inscrutable)。
僕もそうしよう!

それで、「Robert Allyn」という名前を使うことにしました。

それからしばらくして、ディラン・トーマス(Dylan Thomas)の詩に出会いました。
うむ、ディランとアレンは似ている。

Robert Dylan.
Robert Allyn.

この二つの名前のどちらにしようか、悩んだそうです。
「D」の文字は力強い。
でも、「Robert Allyn」の方が響きがいい。

人からはいつも「ボビー(Bobby)」とか「ロバート」と呼ばれているけど、「ボビー・ディラン」はなんだか臆病な感じ(skittish)がする。
それに、もう他にボビーがたくさんいる。

ディランはこんな名前を挙げています。
なるほど。

 →ボビー・ダーリン(Bobby Darin)

 →ボビー・ヴィー(Bobby Vee)

 →ボビー・ライデル(Bobby Rydell)
  ああ、小さい頃『バイ・バイ・バーディ』観ました!

 →ボビー・ニーリー(Boby Neely)

「ボブ・アレン」よりは「ボブ・ディラン」の方が、見栄えも音もいい感じだ。
ということで、ボブ・ディランになったみたいですよ。
それまで「ボブ」と呼ばれたことがなかったので、慣れるのに多少苦労したようです。

ただいま、p.79です。


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CHRONICLES #95 リーニーへの手紙

千本浜 2005年3月10日
 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]

レイのアパートには、部屋が5つか6つありました。
その一つに、とてつもなく立派な机がありました。

「this magnifient rolltop desk」と書いてあります。
「リーダーズ英和」によれば、「たたみ込みふた付き机」ということです。
アップライト型のピアノみたいな机なんでしょうね。

 →google.com: rolltop desk

「cylinder desk」という呼びかたもあるようですが、微妙に違うかしら。

 →google.com: cylinder desk

ディランの説明を見てみましょう。

「それはほとんど説明できない。」

あれま。
でも、その後でちゃんと説明してます。
オーク材で、ニンフたちやミネルヴァが円形に浮き彫り(medallion)されていたそうです。
上板には数学と天文学を象徴する模様がブロンズで作られ、金箔が貼ってありました。
ずいぶん立派。
秘密の隠し引き出しがあって、それを引き出すための機械装置もありました。
「It was incredible」と書いていますが、まさに途方もない机であります。
レイって何なんだろ。

さて、ディランはその机に向かって、従兄弟のリーニー(Reeie)に手紙を書きます。
「急いで書き上げた(dashed off)」というところに、リアリティがあります。

リーニーは一緒に育った従妹です。
同じ自転車に乗っていました。
シュウィン社(Schwinn)の、コースターブレーキ(coaster breaks)が付いた自転車です。
コースターブレーキというのは、いわゆるフットブレーキのことですね。
走行中にペダルを逆回転させて制動する自転車です。
日本ではあまり見かけませんが、欧米では握力の弱い子供が乗る自転車に多く採用されているようです。

ディランがあちこち遊びに行くときには、リーニーも一緒についてきたりしました。
ディランのシャツにかなり派手な刺繍をしてくれたこともありました。
リーニー自身はズボンの側面にリボンの縞を縫いつけていました。

まだ年齢がわからないので、従姉なのか従妹なのかわかりません。
でも、とっても仲良しなんですね。

p.78です。


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CHRONICLES #94 ニセ伝道師レイ

千本浜 2005年3月9日
 →[I Love Sunset! 夕陽が好き!]

二行空けて、今度はレイの話を始めます。

レイはブロンドの髪を、ジェリー・リー・ルイス(Jerry Lee Lewis)やビリー・グラハム(Billy Graham)のようになびかせていました。
その髪型は、説教者、伝道師がしていた髪型だと、ディランは言っています。
あれ? と思ったのですが、こういう感じかな。

 →Jerry Lee Lewis(画像)
 
 →Jerry Lee Lewis OnLine

ジェリー・リー・ルイスはピアニストを指すと思うのですが、ビリー・グラハムは有名なテレビ伝道師です。

 →Wikipedia:ビリー・グラハム

 →BGEA: Billy Graham Evangelistic Association

初期のロックンローラーはこの髪型を真似ていたそうです。
長めのオールバックということかしら。
こういう髪型は崇拝(cult)を生み出しやすいというのが、ディランの分析です。

レイはおもしろく説教の真似事をしてみせてくれたようです。
思い出しました。
レイは以前神学校に在籍していて、放校処分になったことがあるのです。
説教は相手によってネタを変えるという技を教えてくれます。

元々キリスト教は喩えの宗教です。
そこで、生活感のある喩えを用いるわけです。
農民が相手なら、耕して畝を作り、愛の種を蒔いて、そして救済の収穫を刈り取るといった話をします。
誰にでも説教を合わせることができたそうです。

レイは南部人で、そのことは隠しませんでしたが、奴隷制には反対でした。

「奴隷制というのは、最初から不法なものだ。極悪非道(diabolical)。奴隷の力のために、自由な労働者がまともな生活を送ることができなくなる。壊さなければならなかったんだ。」

レイはプラグマティックでした。
ディランは時々、レイには心や魂がないのではないかとも思ったそうです。
反労働組合(antiunion)でもありました。
レイはやっぱり謎の人物です。


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CHRONICLES #93 巨大な磁石

千本浜 2005年3月8日

私は1970年代後半の「民主青年」がどんな政治的発言をしていたかは少し知っていますが、1960年ごろの合州国の「マルクス主義者」がどのようなものの見方や考え方をしていたのかは、まったく知りません。
あまり「科学的社会主義」という言い方はしていなかったんじゃないかなという気がします。
そういえばマルクーゼという人がいたなあと、懐かしく思い出しました。

大日本帝国が行なった朝鮮人強制連行についてなら多少知識がありますが、近代奴隷制一般などというものはまったく存じませんよ、わはは。

さて、ヴァン・ロンクです。
 →Dave Van Ronk

ディランによれば、ヴァン・ロンクの言うことは、つまらないとかわけがわからないということが決してなかったそうです。
ヴァン・ロンクはディランと似た種類の歌を歌っていました。
元々は、言葉を手探りで探しているように見える人達が歌っていた歌です。

百年以上も前に、状況と関わって掲げられた大義と理想、それが言葉と関係があるのだと感じ始めました。
すると突然、それほど昔のことのようには思えなくなったのだそうです。
言葉の持つリアリティが、すっと体感できたのでしょう。

あら、いきなりディランのお父さんが出てきます。
田舎に電話をしていたら、お父さんが出ました。
今どこにいるのか尋ねられたので、ディランは「世界の首都ニューヨークだよ」と答えました。
お父さんは「おもしろい冗談だ」と言います。

------------------------------------------------
But it wasn't a joke. New York City was the magnet----the force that draws obejects to it, but take away the magnet and everything will fall apart.
------------------------------------------------

人や物を強烈に引きつけるビッグアップル。
ニューヨークに対するディランの思いも、またかなり強いものでした。

ただいまp.77です。


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CHRONICLES #92 南北戦争

保線区 2005年3月7日

偶然殺人現場を見てしまった若きディラン、さすがにその映像は後々まで強烈に心の中に残ってしまったようです。

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The power of the scene somehow jarred my mind, though----maybe because I'd just heard talk about it the previous night, but it reminded me of some old still images I'd seen of the Civil War. How much did I know about that cataclysmic event? Probably close to nothing. There weren't any great battles fought out where I grew up.

しかし、現場の持つ力によって、僕の頭はぐらぐら揺れていた。もしかしたら、僕は前の晩に事件の話を耳にしただけだったのかもしれないから。でも、僕は以前見たことのある南北戦争の写真を思い出した。僕はあの大惨事のことをどのぐらい知っているのだろう。たぶん、ほとんど何も知らないのだ。僕が育った辺りでは、大きな戦いはまったくなかった。
--------------------------------------

南北戦争の写真を掲載しているサイトがありました。
国会図書館なのかな。

 →Selected CIVIL WAR photographs

子供のころ近所に「古戦場」がなかったんですね。
どういうわけかわかりませんが、ディランは急に南北戦争のことが知りたくなったんだそうです。
そこで、ヴァン・ロンクに尋ねました。

-------------------------------------
Van Ronk could talk all day about socialit heavens and political utopias----bourgeois democracies and Trotskyites and Marxists, and internatinal workers' orders----he could grasp that stuff firmly, but about states' rights he almost looked bemused.

ヴァン・ロンクは、社会主義者の天国や政治的ユートピアについてなら、一晩中だって話すことができた。ブルジョア民主主義と、トロツキストと、マルキストと、国際労働者階級。そういうものはしっかりと把握していたのだが、州の権利に関しては、ほとんどぼんやりとしているように見えた。
-------------------------------------

私も中央集権国家しか知らないので、連邦国家内のそれぞれの国家(states)のあり方が、いまひとつピンと来ません。
ヴァン・ロンクは南北戦争に関しては、紋切り型の答えでお茶を濁します。

「南北戦争は奴隷解放のために戦われたんだな。それに関しては、まったく不思議なところはないよ。」

でも、それから独自の視点でものを見てきたということをアピールします。

「でもな、南部の富豪が捕虜を解放していたとしても、それで良かったということにならなかっただろうな。そうであったとして、南部へ行って、めちゃくちゃにやっつけて、土地を侵略していたことだろう。いわゆる帝国主義だ。」

ヴァン・ロンクはマルクス主義の視点を採用していました。

「南北戦争は、二つの敵対する経済システム間の戦いだったんだ。」

ただいまp.76であります。


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CHRONICLES #91 刺殺事件

千本浜 2004年3月2日

ディランが待ち合わせのコーヒーハウスに到着すると、スポールストラはもうそこにいました。
経営者の「オランダ人」もいました。
店の入口のところに死んで転がっていました。

酔っ払って寝ているのをそんなふうにおどけて書いているのかと思ったら、違いました。
本当に死んでいたのです。

-----------------------------------------
The Dutchman was lying in the doorway of his storefront. There were splotches of blood on the ice and red lines in the snow, like spiderwebs.
-----------------------------------------
*splotch まだら、斑点、染み

その建物の所有者である老人が「オランダ人」を待ち伏せして、ナイフで刺し殺したのです。
小柄な老人が、厚い毛皮のコートを貫いて「オランダ人」を刺し殺すのは、かなりの技術が必要だったに違いないと、なんだかのんきなことを書いています。
「フーディーニ(Houdini)のように」と表現していますが、これはあの魔術師フーディーニですね。
もちろん現実と倒錯した感想なんですが、身近に事件が起きると、そんなものです。
「9.11」のWTCツインタワー崩落映像は、まるで映画のようだと思った人が多いでしょう。

 →マジシャン紹介:ハリー・フーディーニ

当の老人は既に警官に取り囲まれて、放心状態にあります。
数人の人が通りかかりますが、そちらを振り向きもしません。
ディランとスポールストラはその場を離れました。

「かわいそうにな」というスポールストラの言葉に相槌を打ちますが、本当は気持ち悪くて嫌だなと思っただけだったと書いています。
これも正直なところでしょう。

ただいまp.75です。


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CD版『クロニクルズ』

前回の「CHRONICLES #89」に「怪僧ラスプーチン」というタイトルを付けましたが、我ながらこれはひどいなと思います。 コーヒーハウスの経営者がラスプーチンに似ていたと書いてあるだけで、本筋とはまったく関係ありません。 実際、最初に書いた幻泉館本館の旧日記では、「The Water Is Wide」というタイトルを付けました。

でも、ボブ・ディラン自伝の読み方はこれでいいのではないかという気がします。
詩的な情景描写があったり、地の文に有名な曲の歌詞がさりげなく使われていたり、イメージが飛躍したり、いろいろな読み方ができるのです。
ディランは散文なんだからはっきり書かないといかんというようなことをどこかで言っていたと思うのですが、実際は作る曲の歌詞がいろいろな意味に取れるのと同じように、豊富なイメージを含んでいます。
思わずにやりとするようなところがあります。
コンメンタールのように詳細な註を付けるのは、大変なことだと思います。

元々、登場する人物や曲がよくわからないものがあるので、調べてメモしておこうと思って始めたことです。
PCのハードディスクにバックアップを取ってあるので、一度調べた人物や曲はすぐ検索できるようになっています。

一見あちこち話が飛ぶように見える「ボブ・ディラン自伝」ですが、こんな風に断片的に読んで、登場するイメージを楽しむのに適した本なのだと思います。
もちろん、さっと斜めに読んでしまうもよし。
でも、19歳のディランが見たものや感じたことを、のんびりと一緒に見ていくのも楽しいです。

この本のオーディオカセットやCDも出ているのですね。
朗読はショーン・ペン(Sean Penn)。
そう、昨夜地上波で放送していた『アイ・アム・サム(I Am Sam)』で主役を演じていた役者さんです。

ここで試聴できます。
 →Newsweek Entertainment : The Book of Bob

amazonで見かけたので、CDを発注しました。
ただいまの価格は悪税込みで2793円です。
CDは4枚組かな。


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CHRONICLES #90 通りのにおい

千本浜 2004年3月4日

ラスプーチン似の「オランダ人」と呼ばれる人物が経営しているコーヒーハウスで、ディランはセシル・テイラーと一緒に演奏をしたのですが、そこでは他にもジャズのビリー・ヒギンズ(Billy Higgins)やドン・チェリー(Don Cherry)と演奏したことがあるそうです。

 →Billy Higgins: 'We're really blessed'

 →DON CHERRY - LIST OF ISSUED RECORDS

二人とももう亡くなってるんですね。
知りませんでした。

ドン・チェリーというと、晩年のコルトレーンと一緒に演奏していました。
私が「百鬼夜行」と呼んでいる、フリージャズに接近していったコルトレーンです。
ドン・チェリーはおもちゃのような小さなトランペットを吹いてました。

おっと、この日はそのコーヒーハウスは単なる待ち合わせ場所だったようです。
そこでマークと落ち合ってから、「フォークシティ」へ演奏しに行こうという予定でした。
ブラザー・ジョン・セラーズ(Brother John Sellers)が歌うバックを演ることになっていたのですね。

 →Brother John Sellers Discography

ああ、この人も亡くなったんですね。

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I was heading to meet Mark, walking along Carmine Street, past the garages, th barbershops and dry cleaners, hardware store. Radio sounds came shifting out of cafes. Snowy streets full of debris, sadness, the smell of gasoline.
----------------------------------------

ディランが描く風景はとてもいいですね。
「debris」というのは「残骸や破片の山」です。
「残骸と悲しみとガソリンの臭い」でいっぱいの大通り。
カフェから流れてきたラジオは、どんな曲を流していたのでしょうか。

私も、たとえば三十年前の高田馬場の風景や、吉祥寺の風景を思い出すことがあります。
ある日の映像が焼きついているのです。
鼻の奥にある臭いを感じて、そんな風景を思い出すことがあります。

今ではすっかり少なくなったサッポロラーメン屋さんのにおいは、高田馬場の早稲田通りを思い出します。
焼き鳥屋さんは吉祥寺。
青草が香る初夏の宵、にわか雨が降り始めた時の埃、早春の沈丁花。
においで思い出す風景があります。

まだp.74です。


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CHRONICLES #89 怪僧ラスプーチン

千本浜 2004年2月3日

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その日、後になって僕が目を覚ますと、そこには誰もいなかった。しばらくしてから下に歩いていき、歌友達のマーク・スポールストラ(Mark Spoelstra)に会いに行った。
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話は続いているようなので、レイがニューヨークは南北戦争で勝ったから云々と言っていた日のことだと思います。
同じ日だというのは本当かなあ。
これは少し作っちゃってるかもしれない。

 →Mark Spoelstra Discography


 →MARK SPOELSTRA
  若き日のボブ・ディランとマーク・スポールストラの写真があります。

ディランは「オランダ人(the Dutchman)」と呼ばれている男が経営しているコーヒーハウスでマークと会うことになっていました。
この「オランダ人」は、ロシアの怪僧ラスプーチンに似ていたそうです。
「the Siberian mad monk」という言い方をしています。
あれま。

 →ロマノフ王朝の悪魔 - 怪僧ラスプーチンは誰が殺したか

そこはセシル・テイラーがよく演奏するコーヒーハウスでした。
おお、ディランもセシル・テイラー(Cecil Taylor)と一度一緒に演奏したそうです。

------------------------------------
I played with Cecil once. We played "The Water Is Wide," the old folk song. Cecil could play regular piano if he wanted to.
------------------------------------

これは驚きですね。
まさにアヴァンギャルドの巨人だったセシル・テイラーですよ。
普通の伴奏をしてくれたんですな。
そういえば去年の春一番では、一番最後に木村充揮&山下洋輔で「ケ・サラ」でした。

 →Cecil Taylor's Web Site

 →The Water Is Wide

 "The Water Is Wide"は、やっぱり"There is a ship"と同じ曲ですね。
 PP&Mが歌っていたのが"There is a ship"で、私は高校2年生の時に文化祭のステージで演りました。
 この曲はギター2丁とリコーダーで、女子生徒に歌ってもらっただったのかしら。


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CHRONICLES #88 武器よさらば

千本浜 2005年3月2日

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バージニア州出身のレイは、先祖が南北戦争の時両軍に分かれて戦った。僕は壁にもたれて目を閉じた。僕の頭の中を二人の声が別世界からの会話のように漂った。
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レイとポール・クレイトンが一晩中話をしているのを、坊やみたいなボブ・ディランがぼんやりと聞いているんですね。
ディランは南北戦争の話が好きなので、こういう部分が鮮明に記憶に残っているのでしょう。
アメリカ合州国は歴史が浅いので、南北戦争は歴史といえば必ず出てくる一大事件です。

 →Wikipedia:バージニア州
 
 →Wikipedia:南北戦争

南北戦争は「the Civil War」です。
小文字で「the civil war」と書いてあれば「内乱」。
大文字で「the Civil War」だと次の三つを指します。

【英史】ピューリタン革命(1642-49)
【米史】南北戦争 (1861-65)
【西史】スペイン内乱 (1936-39)

私の場合はこの中では、オーウェル『カタロニア讃歌』や、ケストラー『スペインの遺書』でスペイン内乱が一番おなじみです。
「スペイン市民戦争」という言い方もありましたが、誤訳に近いようです。
フランコのサッカーチーム、レアル・マドリッドに対するバルセローナの敵愾心は、この内乱の記憶がまだ生々しいからだという説もあります。
戊辰戦争で最も戦死者の多かった会津でいまだに薩長が評判悪いのと似てますね。

ああ、ヘミングウェイもいました。
いろいろ疑問に思っていたことがあるのですが、その一つを説明した文章を見つけました。

 →アーネスト・ヘミングウェイ,伝記の空白

レイとポールが徹夜で話していたのは、犬のこと、釣りのこと、森林火災のこと、愛と君主制のこと……。
まあ何でもアリなんですが、この南北戦争に関して話された言葉が、ディランにとって印象的だったんですね。

----------------------------------------
レイはこう言っていた。ニューヨークは南北戦争を勝ってトップに上り詰めた都市だ。間違った側が負けた。奴隷制は悪いことであり、リンカーンであろうとなかろうと、とにかく奴隷制は死に絶えたのだ。
----------------------------------------

p.74に入りました。


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CHRONICLES #87 鯨の歌

千本浜 2005年3月2日

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一つ確かなことは、僕が自分でフォークソングを作りたかったら、新しいひな形のようなものになるということだった。燃え尽きることのない、哲学的独自性のようなものが。それは自分の外部からそれだけでやってくるものだ。
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ポール・クレイトンを覚えているでしょうか。
私は忘れていたので、過去日録を検索してしまいました。
インテリで、学者で、詩人。
ディランがよく厄介になっていたレイを紹介してくれた人です。

----------------------------------------------
Sometimes Paul Clayton and Ray would talk through the night. They called New York City the capital of the world. They would sit at two tables...either they'd lean back against the wall or forward on the table, drink coffee and glasses of brandy.
----------------------------------------------

この雰囲気はよくわかりますね。
コーヒーやブランディを飲みながら、あれこれと話をしながら夜を明かす。
私はもう長いことそういうことをしていなかったのですが、楽天広場に日記を書くようになってから、ちょっと似た雰囲気を味わっています。

ただ、世界の首都ニューヨークに関しては、今となっては大いに抵抗を感じます。

----------------------------------------------
クレイトンは捕鯨の町、マサチューセッツ州ニューベッドフォード市の出身で、ヴァン・ロンクの親友だった。
----------------------------------------------

ニューベッドフォードは人口十万人程度の港町で、かつては捕鯨基地となっていました。
だからポールは「sea shanties」を歌っていたそうです。

『リーダーズ英和』によれば、「shanty」は「chanty/chantey」と同じ言葉で、「《水夫が錨を揚げる時などの》はやし歌」だそうです。

ポールはシャーロッツヴィル(Charlottesville)にログハウスを持っていて、時々そこへ出かけていました。
シャーロッツヴィルはヴァージニア州中部ブルーリッッジ山脈のふもとにある町。
ジョン・デンバーの「カントリー・ロード」にも出てきますね。

 →Country Roads (John Denver)

後にディランもそこに行って山の中を歩いたりしました。
電気も水道もなく、夜は灯油のランプと鏡で明かりをとったということです。
いいなあ。

p.73が終わるところです。


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CHRONICLES #86 So long, Cisco

【追記】No.1

 →フランク・ロイド・ライト

 帝国ホテルの設計者フランク・ロイド・ライトの略歴です。
 S&Gの歌の訳詞も掲載されています。


千本浜 2005年2月11日

ディランの生きかたを変えることになった完璧なフォークシンガー、マイク・シーガーを見かけたパーティーは、死期の近づいたシスコのお別れパーティーでした。
シスコとは短い挨拶を交わしただけなのですが、ディランはその夜のことをけっして忘れなかったことでしょう。

-------------------------------------
デロレスと僕は外に出ると、不思議な動物を刻んだロマネスク様式の柱を見上げた。凍てつくような寒さだった。僕は両手をポケットに入れて、六番街の方を向いた。
-------------------------------------

人々が行き交うのを見て、ディランはT.S.エリオットの詩を思い出します。
あちこちに歩いている人達がいて、反対方向に行く人はみんな逃げて行くように見える。
残念ながら、原詩がわかりません。

さらにニーチェまで引用しています。
ニーチェは『善悪の彼岸(Beyond Good and Evil)』で、人生の初めに老いを感じることについて述べているそうです。
これは後で探してみよう。

-------------------------------------
I felt that, too. Somebody told me a few weeks later that Cisco had died.
-------------------------------------

ディランが最も尊敬していたウッディ・ガスリーは病の床にあったのですが、そのウッディの盟友であるシスコが、亡くなったのです。

その前にカミーラのアパートがロマネスク様式だったということが書いてあったので、私はここで"So Long, Frank Lloyd Wright"という曲を思い出しました。
サイモン&ガーファンクルの「フランク・ロイド・ライトに捧げる歌」です。

 →lyrics - "So Long, Frank Lloyd Wright"

二行空けて、その時の変化について語り始めます。

-------------------------------------
アメリカは変わりつつあった。僕は運命という感覚を持って、その変化に乗っていた。どこにも増してニューヨークは、そこにいるべき場所だった。
-------------------------------------

ただいまp.73です。


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CHRONICLES #85 地図のない町

千本浜2005年2月11日

ローマックスのロフトで観たマイク・シーガーの演奏は、ディランにとって初めての霊的体験と呼べるものでした。
その時に自分が変わらなければならないのだと気づいたのですが、それをいろいろな表現で書いています。
最後に出てくるのが、地図の比喩です。

---------------------------------------------
I had the map, could even draw it freehand if I had to. Now I knew I'd have to throw it away. Not today, not tonight, sometime soon, though.
---------------------------------------------

いつだかわからないけど、近いうちにおなじみの地図を捨てなければならないのです。
でも、それで迷うことはないんですよ。
二十歳前のディランの未来は、輝いて見えます。

マイク・シーガーはフォークウェイズ(Folkways)のモウ・アッシュ(Moe Asch)と話をしています。
ああ、フォークウェイズ!
その時ディランが最も注目していたレーベルなのです。
マイクがいるランブラーズのレコードも、全部フォークウェイズから出ていました。
こことレコーディングの契約できたらいいのになあというのがディランの気持ち。

そろそろ帰らなければならないので、パーティの主役である、死期の近いシスコ(Cisco)のところへ簡単な挨拶に行きます。
このところ病院へウッディを見舞っているのだと言います。
シスコは微笑んで、「ウッディは何もごまかしのないやつだ。今度行った時によろしく伝えてくれ」と言ってくれます。

ディランとデロレスは部屋を出て行きます。

ただいまp.72です。


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CHRONICLES #84 僕の歌

千本浜 2005年2月23日

マイク・シーガーの完璧な独演に夢中になりながら、ディランは自分のことを考えました。

------------------------------------
僕が取り組まなければならないものを、マイクは既に遺伝子の中に、その遺伝子の構造の中に持っていた。この音楽は、生まれる前からマイクの血の中に流れていたに違いない。誰もそれをただ学ぶなんてことはできないのだ。そして僕は自分の中の思考パターンを変えなければならないのだということが、わかり始めた。以前だったら許さなかったような、可能性というものを信じなければならない。僕はそれまでずっと自分の創造力を、とても狭い、操りやすい規模にまで閉じてしまっていた。それに慣れすぎてしまっているので、僕は自分の頭を混乱させなければならないのかもしれない。
------------------------------------

これは驚きました。
あの自信の塊のようなボブが、本物に圧倒されて、生きかたを変えようと考えたのです。
ボブ・ディランにとっての「私の大学」フォークロア・センターに入り浸って懸命に「フォークソング」を学習していたころです。
生で観るマイクの演奏はすごかったんでしょうね。

思えば、音楽に対するこの真っ直ぐな姿勢が、ディランの真骨頂なのでしょう。
すべてが歌を中心に回っているのです。

------------------------------------
自分のやっていることが正しい方向にあるということ、正しい道を進んでいるということ、言葉とメロディと変化を覚えて知識を迅速かつ直接手に入れつつあるのだということはわかっていた。でも、僕がその知識を実際に活用するのには残りの人生をすべて費やさなければならないかもしれない。マイクはそんなことをする必要がない。マイクはまさにただそこにいた。
------------------------------------

う?ん、ビデオ"Pete Seeger's Family: SING-A-LONG"を観た時、そんなにすごい人だとは思いませんでした。
ダメですな、やっぱりあたしゃ才能がないのでしょう。

ディランによれば、「フォークソング」とはとらえどころのないものだそうです。

------------------------------------
一つの歌が千以上もの顔を持っている。そしてもしもその曲を演奏したいと思うのなら、そのすべてに会わなければならないのだ。
------------------------------------

ひぇ?。

------------------------------------
フォークソングというのはその意味が様々に変化し、ある瞬間からその次の瞬間に至る間に、もう同じようには見えないかもしれない。それは誰が演奏し、誰が聴いているかによるのだ。
------------------------------------

遺伝子の構造に「フォークソング」が組み込んであるマイクには、「フォークソング」では勝てない。
それでボブ・ディランが下した結論はこういうものです。

------------------------------------
The thought occurred to me that maybe I'd have to write my own folk songs, ones that Mike didn't know.

もしかしたら、僕は自分自身のフォークソングを、マイクの知らないフォークソングを書かなければならないのかもしれないという考えが頭に浮かんだ。
------------------------------------

なんだかあんまり論理的ではないような気もしますが、正しい方向性でしたね。
本日の結論は、強引マイウェイということで。


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CHRONICLES #83 マイクに夢中

千本浜 2005年2月23日

さて、独りで何でも演っちゃってた、夜会でのマイク・シーガーです。

---------------------------------
He was tense, poker-faced and radiated telepathy, wore a snowy white shirt and silver sleeve bands.
---------------------------------

やっぱりサムライっぽいですね。
テレパシーを放射しちゃってるあたり、やっぱりディランの文章はおもしろいです。
白いシャツに銀色のスリーブ・バンドは実にレトロな雰囲気ですが、これはダンディなんでしょうか。
宮本武蔵が決闘の時にたすき掛けをしているような光景を想像しました。

あ、そういえばイチロー選手もバッターボックスで袖引っ張ってますね。
関谷ひさしさんの『ジャジャ馬球団』では、血の気の多い選手たちが袖を引っ張るので、ユニフォームのアンダーシャツはノースリーブになってましたっけ。

そして、次に挙げるような様々な楽曲をしっかりと古典的な様式で演奏するのです。
説明はおなじみ『リーダーズ英和辞典』に拠ります。
わからないところは、後でgoogle検索してみましょう。

●デルタブルース(Delta blues)
 ブルースの影響をうけたカントリーミュージック
 →Mississippi delta

●ラグタイム(ragtime)
 シンコペーションを効かせて演奏される。
 多くは2/4拍子の楽曲
 19世紀末から1920年代にかけて米国の黒人ピアニストの演奏で流行したもの

●ミンストレル(minstrel songs)
 これがわからないのですが、ミンストレルショーで歌われた曲でしょうか。
 ミンストレルショーは、白人が黒人に扮して行なう(黒人生活を茶化した)寄席演芸

●バックアンドウィング(buck-and-wing)
 黒人のダンスとアイルランド系のクロッグダンスの入りまじった複雑な速いタップダンス

●ダンスリール(dance reels)
 リール(reel)は「スコットランド高地人の軽快な舞踏」です。
 ここではヴァージニアリール(Virginia Reel)を指すのでしょうか。
 「米国のフォークダンスの一種で男女が向かい合って2列に並んで踊る; その音楽」だそうです。

●プレイパーティ(play party)
 あ、これは全然わかりません。
 う?ん?

●賛美歌(hymns)

●ゴスペル(gospel)

ラグタイムと賛美歌とゴスペルはわかりますが、他のはだいたいああいう感じかなぐらいですね。
当時のディランはフォークソングの資料を読み漁り、レコードを聴きまくっていたわけですが、そのディランがお手本にするような、正統な演奏を、とびきり上手にやっているわけです。
マイク・シーガーという人はいろんな楽器が演奏できるだけではないのですね。

---------------------------------
I was so absorbed in listening to him that I wasn't even aware of myself.
---------------------------------

ディラン君、夢中になっております。

p.71に入りました。


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CHRONICLES #82 遠い世界に

千本浜 2005年2月20日

アラン・ローマックスの夜会に、ディランは一度か二度出かけて行ったことがあり、その時にマイク・シーガーが独りで演奏するのを観たのだそうです。
普段マイクはThe New Lost City Ramblersとして活動していたのですね。
たまたま夜会だったから、ソロでやるところを観たのでしょう。

その時マイクが歌った曲として具体的に3曲の名が挙がっています。。

 →"The Five Mile Chase"

 →"Mighty Mississippi"

 →"Claude Allen Blues"
  これは見つかりませんでした。
  "Claude Allen"ならamazon.comあたりで試聴できます。

他にも演奏したようですが、よく覚えてますね。
あ、私も三十年以上前、中学生の時に観た六文銭や吉田拓郎さんのコンサート、何をやってくれたかはっきり覚えてますわ。

マイクのすごいところは、その曲で必要になるいろいろな楽器を、なんでも自分で演奏してしまうところです。
ディランが観た時には、バンジョー、フィドル、マンドリン、オートハープ、ギター、それにホルダー(rack)に付けたハーモニカでした。

以前私が買って観た輸入ビデオでも、マイクさんは実にいろいろな楽器を器用に弾きこなしていました。

 →2004年8月23日付日録:Pete Seeger's Family: SING-A-LONG

小さい画像ですが、マイクさんがバンジョーとオートハープを弾いているのがわかりますね。
オートハープというのは、五つの赤い風船で西岡たかしさんが「遠い世界に」を歌う時にじゃらんじゃらんと弾いてましたね。

 →オートハープ

眺めているとついつい欲しくなりますが、使いこなせないだろうなあ。
マイクさんで驚いたのは、実に若いんですよ。
私はビデオを観た時、ピートさんの息子さんかと思ったのですから。


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CHRONICLES #81 夜会

IP屋上駐車場 2004年1月7日

ディランが映画の話を書いている時に、アラン・ローマックス(Alan Lomax)という名前が出てきました。
フォークソングの研究家のようです。

 →CHRONICLES #54 甘い生活

ディランは三番街にあるローマックスのロフトで、マイク・シーガーが演奏するのを観たことがあったと書いています。
ローマックスはそこで月に二回パーティを開き、フォークシンガーに歌ってもらっていたそうです。

---------------------------------------
There weren't really parties or concerts. I don't know what you'd call them...soirees?
---------------------------------------

パーティともコンサートとも呼び難い、音楽と談話の夕べ……夜会(ソワレ)とはまあ魅力的な言葉ですね。
こんな人が来ていたそうです。

Roscoe Holcomb
ロスコー・ホルコム
 →Roscoe Holcomb : An Untamed Sense of Control

Clarence Ashley
クラレンス・アシュレイ
 →Clarence Ashley The Official Web Site

 →フィドル少年漂流記♪:ドク・ワトソン&クラレンス・トム・アシュレイ★世代を超えた絆

Dock Boggs
ドク・ボグズ
 →Dock Boggs : Biography

Mississippi John Hurt
ミシシッピ・ジョン・ハート
 →Mississippi John Hurt and the Delta Blues

 →ミシシッピ・ジョン・ハート

Robert Pete Williams
ロバート・ピート・ウィリアムズ
 →Robert Pete Williams : Discography

Don Stover and The Lilly Brothers
ドン・ストーヴァー&リリー・ブラザーズ
 →Don Stover Interview by Hank Edenborn

フォーク、カントリー、ブルーグラス、ブルース、ジャンルはいろいろ分類されると思いますが、つまり、ディランがフォークウェイズで親しんだ歌手たちです。
こういう人達を招いて月に二回夜会を開くというのはすごいですね。
1960年ごろのフォークリバイバル。
その仕掛け人のような人がローマックスだったんでしょう。

三十年以上前の歌手を発掘するという感じ。
時間の幅としては、今なら1970年ごろのフォーク歌手を再評価するぐらいの感じになります。

中川イサトさんの「ミシシッピ・ジョン」を思い出しました。


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CHRONICLES #80 孤高の騎士マイク

千本浜 2005年2月11日

プロレスラーのゴージャス・ジョージのことを覚えていますか?
ディランが田舎でバンド演奏をしている時に、声をかけてくれた(らしい)。
めちゃくちゃ豪華絢爛なオーラを放っているジョージの一言が、大いに励みになったと書いてましたね。
ハリー・ベラフォンテと一緒にいると、ちょうどその時と同じような気持になれたそうです。
「聖なる油を注がれた(anointed)」ような気がしたそうです。

さて、時刻も遅くなったので、ディランとデロレスはそろそろ帰ろうかとしていました。
すると突然マイク・シーガーが目に入りました。
ああ、やっと出てきましたね。
四十年以上経った今でも、その瞬間を覚えているのだと思います。
「あ、マイクだ!」って感じね。
やっぱりとっても嬉しかったのでしょう。

The New Lost City Ramblersの演奏は見たことがあったそうです。
「eerie」な気持がしたというのですから、尋常ではありません。
「unprecedent(前例がない)」存在だったのです。
これまた凄まじい表現ですなあ。

 →New Lost City Ramblers : 1965 Newport Folk Festival

---------------------------------------------
As for being a folk musician, he was the supreme archetype. He could push a stake through Dracula's black heart.
---------------------------------------------

う?ん。
「arcehtype(原型、典型)」はなんとなく雰囲気がわかります。
でも、「ドラキュラの黒い心臓に杭を突き通すことができる」というのは、これはおもしろいんですが正直な話、よくわかりません。
あ、その後に書いてある「彼の血には騎士道的精神(chivalry)があった」にそのまま繋がるのか。

「君主制が復活して現われた人物のように、彼は教会を浄化しに来たのだ。」

今のご時世ではとても誉め言葉には聞こえないのですが、凛と立つ孤高の騎士を想像すれば良いのでしょう。
バッターボックスに立ったイチローみたいな感じかな。

p.70に入りました。


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CHRONICLES #79 ディランの初録音

小さな空 2005年2月13日

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I could identify with Harry in all kinds of ways.
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歌というものに関する姿勢で、ディランは全面的にハリー・ベラフォンテに賛同しています。
すごいなあ、そんなに好きなんだ、知らなんだわ。

コパカバーナの有名クラブでハリーが肌の色のために締め出されたエピソードも書いてありますが、ディランの人種差別に対する姿勢は一貫してますね。
日本ではこの部分を故意に無視するファンが多いように思います。

-----------------------------------
Astonishingly and as unbelievable as it might have seemed, I'd be making my professional recording debut with Harry, playing harmonica on one of his album called Midnight Special.
-----------------------------------

あれま。
プロとしての初レコーディングは、ハリー・ベラフォンテのバックでハーモニカを吹いていたということなんですわ。
とっても嬉しそうに書いてますね。
その後何年も、忘れられない日付になったそうですよ。
かわいいなあ。

 →The Midnight Special

確かに"Bob Dylan, harmonica"と書いてあります。
思えばニューヨークに出てきて最初にレギュラーの仕事をもらった「Cafe Wha?」でも、ディランはハーモニカを吹いていましたね。
プロになるに当たって、ハーモニカは非常に重要な役割を演じていたようです。

 →[Fred Neil]
Bob Dylan, Karen Dalton and Fred Neil
at the Cafe Wha? Feb. 1961
Photo by Fred W. McDarrah

ただいまp.69です。


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CHRONICLES #78 映画スター、ハリー

千本浜 2005年2月10日

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Harry was an authentic tough guy, not unlike Brando or Rod Steigner.
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また出てきましたね、例がわかりにくいです。
ハリー・ベラフォンテは非常に優れた歌手であるとともに、映画スターだった。
でも、プレスリーとは違う。
映画のハリーは本物のタフガイだったけれど、マーロン・ブランドやロッド・スタイガーとは違う。
あ、これは『波止場』(1954年)ですね。

 →ROD STEIGER ロッド・スタイガー

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映画"Odds Against Tommorow"では、人は彼が役者であることを忘れ、ハリー・ベラフォンテであることを忘れてしまう。
---------------------------------------

やっぱり最大級の賛辞だと思います。
ある特定の人達に受けるのではなくて、誰にでも受け入れられる、稀な能力を持っている。
まるでバレンチノ(Valentino)だと、ディランは言っています。
う?ん、やっぱりわかりにくい。

この映画は知らないので調べてみたら、1959年の作品で邦題は『拳銃の報酬』。
マッギヴァーン・ウイリアムの『明日に賭ける』をロバート・ワイズ監督が映画化したものでした。

ディランによれば、ハリー・ベラフォンテはテレビに出るのを好まなかったそうです。
あの小さなスクリーンでは、自分の音楽が十分に表現できないと感じていたからです。
ディランは非常に共感を込めて、ハリーのことを書いています。


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CHRONICLES #77 ハリー・ベラフォンテ

千本浜 2004年4月

え?、まだパーティ出席者の名前が並べてあります。
ハリー・ベラフォンテ(Harry Belafonte)のギターを弾いていたミラード・トーマスが来ていたそうです。

 →Belafonte-a site of sites.com

 →ハリー・ベラフォンテ

ほぉ、ハリー・ベラフォンテはうちのおっ母さんと同じ年に生まれたんだ。

 →Harry Belafonte & Friends

ディランはここでハリー・ベラフォンテに最大級の賛辞を捧げています。

-------------------------------------
Harry was the best balladeer in the land and everybody knew it. He was a fantastic artist, sang about lovers and slaves----chain gang workers, saints and sinners and children.

ハリーはこの国で最も優れたバラッドの歌い手であり、誰もがそのことを知っていた。本当に素晴らしい歌手で、恋人たちや奴隷の歌を、鎖に繋がれて働く者や、聖者と罪人、子供たちの歌を歌った。
-------------------------------------

ハリーのレパートリーには古いフォークソングがたくさんあり、ディランは次のような曲をその例として挙げています。

Jerry the Mule
Tol' My Captain
Darlin' Cora
John Henry
Sinner's Prayer

そしてカリブのフォークソングを「キングストントリオよりもずっと広く」聴衆に訴えるように歌いました。
格が違うよということらしいです。
ハリーはレッドベリとウッディ・ガスリーから直接歌を教わっていたそうです。

ハリー・ベラフォンテはRCAからレコードを出していましたが、"Belafeonte Sings of the Caribbean"はミリオンセラーとなっていました。
当時のレコード百万枚は、今のCDとはちょっと意味合いが違うでしょう。
映画スターでもありましたが、「エルビスのようではなかった」とディランは書いています。

あら、ハリー・ベラフォンテの話が延々と続きそうですよ。
ただいまp.68。


【追記】No.1

ハリー・ベラフォンテが歌っていた曲の歌詞を掲載しているサイトがありました。
もっと探せば、mp3が聴けるところもあるようです。
ディランが挙げていた曲の歌詞はこんな感じです。
"Jerry the Mule"だけはタイトルが違うのですが、納得のいく間違え方ですな。

 →Jerry

 →Tol' My Captain

 →Darlin' Cora

 →John Henry

 →Sinner's Prayer


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CHRONICLES #76 パーティは続く

千本浜 2005年2月11日

パーティの客人の話が延々と続きます。
ブロードウェイやオフ・ブロードウェイの役者さんたちも来ていました。

ディランがいの一番に挙げているのがダイアナ・サンズ(Diana Sands)。
「an electrifying actress」で、「僕が密かに恋していたかもしれない」とまで書いています。
よくわかりませんな。
下記サイト、上段真ん中や下段左に写っている人らしいです。

 →Tiger Tiger Burning Bright

あまり関係ないんですが、検索していたらテリー・ホイットモア(Terry Whitmore)の"The Story of a Black Deserter"後書きがひっかかりました。
やっぱり有名な女優さんだったんですね。

 →再版「あとがき」レフ・ローブ 吉川勇一訳

他にミュージシャンや歌手。
リー・ヘイズ(Lee Hayes)。
あれま、同名の人がたくさんヒットしてしまいます。
どれが本人だ?

エリック・ダーリング(Eric Darling)。
The Rooftop Singersを始めたばかりだったそうです。

ソニー・テリー(Sony Terry)。
 →Sonny Terry (1911-1986)

ブラウニー・マッギー(Brownie McGhee)。
 →Brownie McGhee (1915-1996)

あ、この辺は前に調べたことがあるな。

ローガン・イングリッシュ(Logan English)。
 →Logan English Discography
 
ローガンとはフォークシティで既に知り合っていたそうです。
黒いネッカチーフをしてバンジョーを弾くローガンはケンタッキー出身。
心理学の教授みたいな雰囲気。
なぜかいつも手にアルコール飲料を持っていて、ディランのことを「ロバート」と呼んでいたそうです。

リンク先にあるアルバムジャケット、"Logan English sings the Woody Guthrie songbag"というアルバムは、なんだかジョン・コルトレーンのimpulse時代のレコードみたいなデザインですな。

しかし、ディランにとってパーティとは人脈を作っていくうえで非常に重要なものであったということですね。
もっと切実に、ねぐらの確保だったかもしれませんが。


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CHRONICLES #75 『Sing Out!』の批判

千本浜 2005年2月11日

カミーラのパーティには、芸術の世界の人たちもいました。
今アムステルダムやパリやストックホルムで何が起きているのかを知っていて、語っていました。

ロビン・ホイットロー(Robyn Whitlaw)もその一人です。
彼女がゆっくりとダンスをするように歩き回っているのでどうしたのかとディランが聞くと、御馳走を食べに来たのだと答えました。
ディランは「outlaw artist」という修飾語を付けていますが、ロビンは後に泥棒に入って逮捕されました。
あくまでも自分は芸術家であり、この行動もパフォーマンスなのだと言い張ったそうです。

フォーク雑誌『Sing Out!』の編集者アーウィン・シルバーも来ていました。
数年後に、アーウィンはディランがフォークの世界を裏切ったと、その雑誌で厳しく非難することになります。
それは怒りの手紙という形式でした。

 →AN OPEN LETTER TO BOB DYLAN

そのことを、ディランはマイルス・デイビスがアルバム『Bitches Brew』を出した時のことを引き合いに出して説明しています。

私はディランがフォークを捨てたと非難された時のことは知らないのですが、マイルスが後にクロスオーヴァーと呼ばれるような音楽を始めた時の雰囲気はわかります。
モダンジャズのルールに従わず、今までのポピュラー市場を破壊してしまうような、新しい音楽です。
一年ほど前に古い雑誌を引っ張り出してきて少しだけ書いたことがあります。

 →ADLIB 1973年秋

ディランはまた、ラテン音楽の反逆者たちのことにも触れています。
ジョアン・ジルベルト(Joao Gillberto)、ロベルト・メネスカル(Robert Menescal)、カルロス・ライラ(Carlos Lyra)が、サンバを破壊して新しい音楽を創造しました。
もちろん、ボサノヴァです。

こんなふうに、ディランがマイルスやジョアン・ジルベルトのことを語るとは思っていなかったので、驚きました。
新しい音楽を創り出そうとした、自分に似た者だと感じていたのですね。

『Sing Out!』のアーウィンはまるで自分とその他のわずかな者だけが、現実世界に関わる重要な鍵を持っているかのようにディランを叱りましたが、ディランは自分が何をやっているのかわかっていたし、決して自分が後戻りや退却などしないのだということもわかっていました。


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CHRONICLES #74 組合オルグのマック

千本浜 2005年2月10日
 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]

W杯予選、日本が次に対戦するイランはバーレーンと引き分けたそうだ。
ライバルはイランとの報道だったのだが、さすがに最終予選だと、どのチームが勝ってもおかしくないというところなのではないだろうか。
今夜はその試合をBSで放映するようなので、後で見てみようと思っています。

ところでまだ覚えてらっしゃいますか。
カミーラのところで開かれているパーティは、もうすぐ亡くなってしまうシスコ・ヒューストン(Cisco Houston)のお別れパーティなのでした。
だから、パーティには労働組合のオルグたちも来ていました。

ディランによれば、その少し前に全国ニュースで、AFL-CIO(American Federation of Labor and Congress of Industrial Organizations アメリカ労働総同盟産業別労働組合会議)の会議がプエルトリコで開催されたと報道されていました。
一週間にも及ぶイベントで、組合のボスたちが延々と酒を飲み続け(mammoth run drinks)、カジノやナイトクラブに通うところが写真に写っていて、奇妙だったそうです。
バスローブをなびかせ、ハリウッドっぽいサングラスをかけててホテルのプールをうろつく。

ディランは非常に頽廃的印象を抱いたそうです。
組合幹部は、自分たちが写真に撮られているのを気づいていなかったようです。
イメージ操作で敗れていたのですね。
その時は失業問題を訴えるためにワシントンへの大行進がになっていたはずなんだそうです。

でも、カミーラのところに来ていたオルグたちは、そういうダラ幹ではなかったそうです。
タグボートの船長や、作業員や沖仲仕みたいに見えたそうです。
労働の現場にいることを感じさせる人達ですね。

マック・マッケンジー(Mack Mackenzie)はブルックリンの波止場地区でオルグをしていました。
パーティでディランはマックとダンサーをしている奥さんに会いました。
二人は28番街に暮らしていて、ディランは後にその家へも行きました。
レイの家に泊まるのと同様、そこの居間のカウチで眠ったそうです。
当時のディランは、こうやって知り合った人の家を泊まり歩いていたのですね。


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CHRONICLES #73 カウボーイ・ハリー

千本浜 2005年1月28日

いやあ、外でW杯予選の経過を知ったのですが、危なかったですねえ。
これで実力伯仲のいい試合だったということは、次回はこのままではいかんということですなあ。
アウェーのイラン戦、中田選手や小野選手が必要です。
コンディションは間に合うのでしょうか。
心配。
本当に。

カミーラのパーティの続きです。
セオドア・バイケル(Theodore Bikel)もいました。
俳優さんで、ディランは代表作に『手錠のままの脱獄(The Defiant Ones)』(1958年)を挙げていますが、フォーク・ソングをいろいろな外国語で歌っていました。
数年後に、ピート・シーガーとセオドア・バイケルとディランで、選挙人登録ラリーを行ない、ミシシッピーに行ったそうです。

 →The Theodore Bikel Web Site

 →goo映画 Theodore Bikel (セオドア・バイケル)

フォーク・シティで既に顔なじみだったハリー・ジャクソン(Harry Jackson)とも会いました。
カウボーイ彫刻家兼画家にして、ワイオミング出身の歌手であります。
ブルーム街にスタジオを持っていて、ディランに絵を描いてくれたそうです。
イタリアにもスタジオを持っていて、町の広場のための彫刻も作ったのだそうです。
グラント将軍のような風貌で、カウボーイの歌を荒っぽいどら声で歌う、大酒飲みでした。

なんだかいいなあ、この人。

 →Harry Jackson ART IMAGES

 →HARRY JACKSON


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CHRONICLES #72 パーティの人々

千本浜 2005年1月28日

ディランはカミーラのところのパーティで、ヘンリー・シェリダン(Henry Sheridan)にも会いました。
メイ・ウェストのボーイ・フレンドだった人だそうです。
メイ・ウェストは後にディランの曲をレコーディングすることになります。

 →The Cybersuite of the Legendary Mae West

 →性悪女 vamp

他にもいろいろな人がいました。
ジュディス・デューン(Judith Dunne)のような前衛芸術家。
レスリングや野球のようなスポーツの動きに基づいたダンスの動きを取り入れた振付け師だそうです。

"Blond Cobra"を作ったアンダーグラウンド映像作家ケン・ジェイコブス(Ken Jacobs)。

 →Ken Jacobs Work

それからBread and Puppet Theaterのピーター・シューマン(Peter Schumann)。
彼の"Christmas Story"ではヘロデ王が大きな葉巻をくわえていて、三つの顔を持った人形が一人で東方の三博士の役をやってたそうです。

 →BREAD AND PUPPET

 →Bread and Puppet

フォークウェイ・レコードを作ったモウ・アッシュ(Moe Asch)もいたそうです。

ああ、調べきれない。
とりあえず一休み。
まだp.65です。


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CHRONICLES #71 ピートにハロー

千本浜 2005年2月9日

熱でうなされて見た夢には、いろいろな年齢のディランが出て来たのだけど、若者や中年のディランは、えらく人種差別に腹を立てていた。
こういうディラン像を消そうという動きもまた盛んなのだと思う。

たとえばこんな感じかな。
ディランは天才である。
ディランは何も考えていない。
ディランの音楽はすごい。

まあ、祭り上げて政治色を抜いてしまおうというのは、よくあるパターンだ。
ニール・ヤングにそういうことをしようという人はあまりいないと思うのだが、ボブ・ディランだと、そういうことを言って商売にする奴も出てくる。
さすがに懐が深いな、ディラン御大。
そうじゃない。

遥かな国、遠い昔としてしかバラッドを聴けないというのは、聴いたことにならないだろう。
ハッティ・キャロルを殴り殺したのにほとんど処罰されなかった、金持ちのドラ息子ウィリアム・ザンジンガーは、ディランの同時代人なのだ。

冤罪で平和な生活を失ったトラック運転手の同胞を、ホン・ヨンウンは歌った。
現代の日本で厳として人種差別が存在する。
見えないのではなくて、見ないだけだ。
見ない人は、たとえば純粋に音楽だけを鑑賞なさるのだろう。

さて、ひさびさに『クロニクルズ』に戻ります。

カミーラの部屋で開かれたパーティには、当時の「フォーク・コミュニティ」とも呼ぶべき社会の人達がたくさん集まっていました。
ほとんどの人がディランのことを何も知りません。
それでもピート・シーガーが「ハロー」と声をかけてくれました。

 →Pete Seeger Appreciation Page

ピートはThe Weaversのマネージャーをしていたハロルド・レブンソール(Harold Leventhal)と一緒でした。
ハロルドはしわがれ声でささやくように話します。
何言ってるか、ちゃんと聞いておかないと。
後にコンサートを開いてくれるんだから。

p.65に入ったところです。

【追記】No.1

せっかくだから例によって過去日録。

 →ピート・シーガー「わたしが一番きれいだったとき」

 →花はどこへいった Where have all the flowers gone?


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CHRONICLES #70 カミーラのパーティ

今日(火曜日)の昼下がり、ヒナのサンルームはぽっかぽかだったのだが、後で浜に出て驚いた。 天気青朗なれど波高し。 堤防に近づくと、自動車のフロントガラスはもうびしょびしょなのです。 夕陽の撮影は断念。 惜しかったなあ。

千本浜 2005年2月1日

宵の口からヒマになったのでテレビを点けたのだが、何も見るものがない。
仕方がないので、そのあたりに転がっているDVDを片っ端からかけている。
ディラン御大のは、『DONT LOOK BACK』と『MTV UNPLUGGED』。
どちらも輸入盤だなあ。

1967年と1994年か。
その間27年。
げげ、アンプラグドのブームから、もう十年も経ってしまったのか。
当方の生の薄いことよのぉ。

忘れていたのですが、今『クロニクルズ』は1961年2月のことを語っています。
半世紀近くも昔のことなのです。

さて、ビレッジでレコードを録音したいと思っていたころの青年ディラン。
濃い目の美女カミーラと知り合えたおかげで、後に「ゲルデ・フォーク・シティ(Gerde's Folk City)」で二週間のステージを持つことができたのだそうです。
当時はカミーラのおかげだと知らなかったそうなので、なかなか憎いではありませんか。
おっと、その時の対バンならぬ対マン(何て言うの?)は、ジョン・リー・フッカー(John Lee Hooker)だったそうです。

「フォーク・シティ」をやっていたのはマイクとジョンのポルコ兄弟。
ディランはまだ未成年だったので、マイクがユニオン(組合)とキャバレーのカードの保証人になってくれたそうです。
だからマイクは自分にとって父親みたいなものだと書いています。
シチリア人の父親だと、嬉しそうに。

カミーラのところで開かれたパーティには、デローレス・ディクソン(Delores Dixon)というガール・フレンドを同伴しました。
「my sort of part-time girl-friend」だそうです。

二人が入っていくと、部屋はもう人でいっぱいでした。
香水とタバコの煙、ウィスキーの香りとたくさんの人々。
アパートはビクトリア調で、きれいな装飾がいっぱい。
どうもディラン君はおのぼりさんっぽい感じでびっくりしたようです。
でも、それほど場違いな感じもしなかったということです。

ディランはとっぽい格好をしてたんですよね。
羊皮のジャケットの下に厚いフランネルのシャツ、ひさしのとがったキャップをかぶっていて、カーキのパンツだったそうです。
ご同伴のデローレスはドレスのように見えるナイトガウンの上に、ビーバーの毛皮のコートを着ていました。
って、半世紀近くも前のそんなことをよく覚えてるなあ。
やっぱり緊張してたんでしょう。

ただいまp.64です。


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CHRONICLES #69 白鳥の歌

千本浜 2005年1月28日

バール・アイヴズ(Burl Ives)という俳優さんがいました。
エリア・カザン監督の『エデンの東(EAST OF EDEN)』(1954年)に保安官の役で出演しています。
『楡の木蔭の欲望(DESIRE UNDER THE ELMS)』(1958年)あたりが有名でしょうか。

 →[Burl Ives Home Page]

レコードもたくさん出しているようですが、ディランの意識ではあくまでも「映画スター」であります。
前回登場したシスコ・ヒューストンは、大恐慌の時にはこのバール・アイブズと一緒に、「migrant camps」で劇を上演していたそうです。
この「migrant camps」がピンと来ません。
出稼ぎ労働者が寝泊まりしている飯場のようなものを指すのでしょうか。

シスコは男前だから映画スターにだってなれたかもしれないという話の続きです。
CBSで自分のテレビ番組を始めたのですが、赤狩りの時代(the McCarthy era)だったので、結局干されてしまったようです。

「フォーク・シティ」でシスコが最期のステージを務めている時、ディランは既にそういう事情を知っていました。
ステージの休憩時にシスコはカミーラと一緒に座っていました。
その時に、カミーラがディランのことをシスコに紹介してくれたのです。
この人は若いフォーク・シンガーで、ウッディの歌をたくさん歌っているのよと。

-------------------------------------
I'd watched him perform and even though he was a hair's breadth away from death, you suspected nothing.

僕はシスコが歌うところをじっと見た。シスコは死の淵にあったのだが、まったくそんなふうには見えなかった。
-------------------------------------

そしてシスコのお別れ会を開くので、ディランも来るようにと誘ってくれました。
カミーラはワシントン広場近くの五番街、ロマネスク様式のマンションの最上階にある大きな部屋に暮らしていました。

どんと、ホン・ヨンウン、中尊寺ゆつこ。
昨日はいろいろな人の死を思い浮かべたところなので、なんだか不思議です。
自分の死期を知り、それが近づいた時に、何をしておくことができるのだろうか。

楽天広場ですれ違った「 桜 葉 」さんの一周忌も越えているのだと思う。
最期に楽しみにしていたという「詩のボクシング」の予選で、「 桜 葉 」さんはいったいどんな言葉を語ったのだろう。

p.63が終わったところです。


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CHRONICLES #68 シスコ・ヒューストンの最晩年

千本浜 2005年1月26日
 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]


それで、シスコ・ヒューストンのことに話が行ってしまいます。
当然と言えば当然のことで、シスコ・ヒューストンはディランが師と仰ぐウッディ・ガスリー(Woody Gythrie)の、いわば相方だったのです。
「ウッディの完璧な相方(counterpart)だった」と、ディランも書いています。

Cisco Houston

シスコの病は末期的なものであり、その最期のステージをフォークシティでやっていました。
だからこそディランはフォークシティに通ったのです。
カウボーイの歌、材木伐り出し人(lumberjack)の歌、鉄道の歌、悪党のバラッド。
ウッディは数多くのレコーディングをシスコと共に行なっていたのです。
もちろんウッディと共に旅をして、歌を歌っていました。
第二次大戦中は二人で同じ商船に乗っていたそうです。

シスコはエロール・フリン(Errol Flynn)に似たハンサムな男で、俳優にだってなれたとディランは書いています。
うん、こういうのがわからないんですよね。
ええっと。

 →[Errol Flynn - Official Web Site]

 →西部劇俳優リスト:エロール・フリン

なるほど、剣劇スター。
カスター将軍は確かに似合いそうです。

そういう容貌でやわらかなバリトン・ボイス。
もてたんでしょうな。
美男も短命なようです。
わしゃ長生きできそう。

p.63です。


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CHRONICLES #67 エヴァ・ガードナー

千本浜 2005年1月28日
 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]

ディランはカミーラ・アダムズ(Camilla Adams)のところでマイク・シーガーと出会ったようです。
え?
誰?

たぶんお店をやっていた女性ですね。

---------------------------------------
Camilla was an exotic, dark haired lady, a full-bodied woman who looked like Ava Gardner.
---------------------------------------

「full-bodied」というのは、「大柄な」だと思いますが、もしかしたら太っていたのかもしれません。
エヴァ・ガ?ドナ?(Ava Gardner)に似ていたそうです。
え?
誰?

 →Ava Gardner Museum

 →エヴァ・ガ?ドナ?
 
あ、なるほど。
映画で見たことあります。
濃い目の美人ということですね。

ディランはこのカミーラを、「ゲルデ・フォーク・シティ(Gerde's Folk City)」でよく見かけたそうです。

 →GERDE'S FOLK CITY

月曜の夜は「フーテナニー・ナイト(Hootenanny Night)」と称して、無名のフォークシンガーが歌っていました。
その時にカミーラと出会って、それ以来ちょっとばかり知っているのだそうです。
カミーラはいつも私立探偵みたいなタイプの男と一緒にいたそうです。
それで、ジョッシュ・ホワイト(Josh White)の親友だったそうです。

 →Josh White Jr
 
ジョッシュは探偵みたいじゃないですよね。
それでシスコ・ヒューストン(Cisco Houston)とも仲良しだったそうです。

 →Cisco Houston Discography

シスコ・ヒューストンは今描かれている時から少し経って亡くなっているんですね。
ウッディの曲をよく歌っていたようです。

あれれ?
影響を受けたというマイク・シーガーのことを書いてくれるかと思ったら、もうすっかり忘れているようです。
お話はどうもカミーラ・アダムズという女性のことに移ってしまったようですよ。


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CHRONICLES #66 自由になるんだ

espot屋上駐車場 2005年1月27日

--------------------------------------
どんなことが起きるのかという変化の予兆はほんのささやかなことなので、気づかないこともあるだろう。
それから、何かいきなり変化が起こり、別世界、未知なる世界に投げ出されることになる。
それは本能的に理解できる??君は解放されたのだ。
--------------------------------------

ディランの名曲を思い出しますね。
I Shall Be released.

2004年5月26日付日録:われ解放さるべし

 ♪ I see my light come shining
 ♪ From the west unto the east.
 ♪ Any day now, any day now,
 ♪ I shall be released.

 ♪ おれの光りがひかってくるのが見える
 ♪ 西から東へ。
 ♪ もういつだって、いつだって
 ♪ われ解放さるべし
                (片桐ユズル&中山容訳)

段落が変わって、ディランが影響を受けた人物としてマイク・シーガー(Mike Seeger)の名前が出てきます。
ああ、あのビデオに出ていた人だ。

 →2004年8月23日付日録:Pete Seeger's Family: SING-A-LONG

バンジョー、マンドリン、フィドル、オートハープ、ガットギター、とにかく楽器をいろいろ持ち替える器用な人だった。
ピートの息子かと思ったら、弟さんのようですね。

 →Mike Seeger Music from True Vine

マウンテン・ミュージックの大御所なんですな。
Folkwaysからたくさんレコードを出していたので、ディランが憧れたようです。


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CHRONICLES #65 サム・クック

千本浜 2005年1月26日
 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]


ジョニー・リヴァースが歌ったチャック・ベリーの"Maybellene"と"Memphis"を引き合いに出してさらにジョニーのことを語った後、改行して再びレイの部屋に戻ります。

 →The Official Site of Chuck Berry

------------------------------------
僕が太陽の国にたどり着くのは、それから数年後のことである。部屋の中を見回して、そして裏窓から外を見ると、黄昏が迫っていた。避難ばしごは表面全部に氷が厚く積み重なっていた。路地を見下ろして、それから上を見上げて高い建物の屋根を次から次に見ていった。また雪が降り始めていて、セメントに覆われた地面をさらに雪が覆った。
------------------------------------

私はディランの情景描写がとても好きです。
レイの部屋からニューヨークの街を見下ろした雪の日。
ディランは1961年2月のこの日の風景を、本当に覚えているのだと思います。
そして、自分の人生について思いをめぐらします。

------------------------------------
僕はものごとを、思想を、遠くから見る方法を学ぶ必要があった。図書館の本と同じように、ものごとは一度に見るには大きすぎる。正しく見ることができれば、そのすべてを一つの段落や詩の一節の言葉にすることができるかもしれない。
------------------------------------

黄昏のニューヨーク、舞い散る雪を眺めながら、思いは決意に変わっていったようです。
2行空けて話が変わります。

------------------------------------
Sometimes you know things have to change, are going to change, but you can only feel it----like in that song of Sam Cooke's, "Change Is Gonna Come"----but you don't know it in a purposeful way.
------------------------------------

最後に付け加えた節に胸が痛みます。
「僕たちの将来」はどう変わっていくのでしょう。

 →SONGFACTS:A Change Is Gonna Come

これはディランの"Blowin' In The Wind"を聴いて大いに影響を受け、作られた曲なのだそうです。
シングル盤の発売はサム・クックが射殺された後。
私の場合はやはりThe Bandの演奏でおなじみです。
以前書いたオフィシャルサイトで少しだけ聴けます。

 →The Band: A Change Is Gonna Come

もちろん「gonna」は「going to」のことです。
明らかに、近い将来に変化が訪れるのだと、変革を歌った曲ですね。

サムが射殺されたのは1964年12月10日。
その二か月後、1965年2月21日にはマルコムXが暗殺されました。


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CHRONICLES #64 ジョニー・リヴァース

昼過ぎまではぽかぽかといい陽気だったのだが、夕方雲が出て寒くなった。 浜に行っても、暗い雲が広がっているだけ。

この辺りでは葬式の後に故人の使っていた食器類を海に流す習慣がある。
今日も喪服姿の人たちが杯を干してから、何かを流していた。

千本浜 2005年1月25日

ディランが夢のカリフォルニアに行ったのは、もう有名になってからでした。
サンタモニカ市民公会堂(?)で演奏をし、自分の曲をレコーディングしたミュージシャンと会うことになります。

 →Santa Monica Civic Auditorium

 The Byrds "Mr. Tambourine Man"
  http://www.lyon.edu/webdata/users/kadler/public_html/rmcguinn/
  http://members.aol.com/byrdsonlne/byrdsstuff/byrds.htm

 Sonny and Cher "All I Really Want to Do"
  http://www.tvparty.com/sonnycher.html
  http://home.att.net/~movie.stars.1950/sonny_cher.html

 The Turtles "It Ain't Me, Babe"
  http://www.marstalent.com/bio_turtles.htm
 
 Glen Campbell "Don't Think Twice"
  http://www.glencampbellshow.com/
 
 Johnny Rivers "Positively 4th Street"
  http://www.johnnyrivers.com/

こうしてみると、やっぱりディランってすごいなあ。
The Bandやこのあたりの音が、私の聴く音楽の基本になっているような気がします。
で、御大ディランは、自分の曲を他人が歌ったすべてのバージョンの中で、このジョニー・リヴァースの録音が一番好きなんだそうです。

---------------------------------------------
It was obvious that we were from the same side of town, had been read the same citations, came from the same musical family and were cut from the same cloth.
---------------------------------------------

自らの音楽的出自と非常に近しいものを感じているんですね。
ジョニーの"Positively 4th Street"は自分で歌ったものより好きなんだそうです。
自分の歌に自信を持っているディランとしては珍しい記述です。
残念なことに、私はこれを聴いたことがないんです。

p.61に入りました。


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CHRONICLES #63 夢のカリフォルニア

千本浜 2005年1月22日
 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]

故郷にいた時のディランのガールフレンドの家には、他にも魅力的なものがありました。

レミントンのタイプライター、白鳥の首のようなサキソフォンのネック、モロッコ革のカバーが付いたアルミ製双眼鏡。
4Vの電気を出力する小さな器械、小さなモホークのテープレコーダー、奇妙な写真。
ペットのフクロウを肩に乗せたフローレンス・ナイチンゲールの写真などもあったそうです。
ちょっと気になったのでgoogleで検索しましたが、そういうナイチンゲールの写真は見つかりませんでした。

 →Florence Nightingale

要するに、おもちゃ箱のようなおうちだったんですね。

ディラン少年は、椰子の木が写った、カリフォルニアの絵はがきがお気に入りだったようです。
実際にカリフォルニアに行ったことはありませんでした。
そこは、とても魅力的な人達が暮らしている場所のようでした。
夢のカリフォルニア!

映画はカリフォルニアで作られているし、「とねりこ(Ash Grove)」という名のフォーク・クラブがロサンジェルスにあることも知っていました。

 →「とねりこの木立」ウェールズ民謡

 →The Ash Grove

フォークロア・センターで「とねりこ」のフォーク・ショーのポスターを見て、そこで演奏することを夢見ていたのだそうです。
とても遠くに思えました。
いったいそんなところに行くことができるのかしら。

実際にディランがカリフォルニアに行ったのは、既に名声を得てからのことだそうです。
無名時代の憧れの地、それがカリフォルニアだったんです。


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CHRONICLES #62 ブリジット・バルドー

千本浜 2005年1月21日
ディラン少年は故郷の彼女の家で、ジミー・ロジャーズのレコードを聴きまくりました。 「ブルー・ヨーデル」をレコードと一緒に歌っていたそうです。

 Jimmie Rodger's Blue Yodels

 ♪ 俺はテネシーのハスラー
 ♪ 働かなくってもいいのさ

「僕も働きたくなかった」と、ディランは書いています。
正直者。

レイの工房で銃を眺めながら、ディランはやっぱり故郷での昔の彼女のことを思い出します。
「あの子どうしてるかな。」
最後に会った時、彼女は西に行こうとしていたそうです。
「West」と書いていますが、西部ではなくて西海岸のことだと思います。
もしかしたら、映画の世界を目指したのかもしれません。

「みんな彼女のことをブリジット・バルドーに似ていると言ったが、実際よく似ていた。」

あら、「puppy love」のお相手のイメージがだいぶ違いました。
p.60に入ったところです。


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CHRONICLES #61 ベッキー・サッチャー

千本浜 2005年1月22日
 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]

----------------------------------------
I'd seen guns before. My old hometown girlfriend, my Becky Thatcher had a father who wasn't anything like Judge Thatcher.

それ以前に銃を見たことはあった。故郷の昔のガールフレンド、僕のベッキー・サッチャーには、サッチャー判事とは似ても似つかぬ父親がいた。
----------------------------------------

おお、書いてないけど、トム・ソーヤーですね。
サッチャー判事は高潔な人物だった……んですよね?
覚えてないわ。

 → "Judge Thatcher said it was a noble, a generous, a magnificent lie."

なるほど、判事らしい感じです。
ちなみに鉄の女サッチャーが英国の首相になった時、なんとなく『トム・ソーヤーの冒険』を連想したのですが、ベッキーじゃないよなあと思っていました。
その母親がマーガレット・サッチャーなんですね。

田舎にいた時のディランのガールフレンドの父親、この人がやっぱり銃をやたらにたくさん持っていたのだそうです。
鹿を撃つためのライフルやショットガン(散弾銃)、銃身の長いピストル。
ディラン少年はぞっとしたようですよ。

彼女の家は町外れ、もう道路がアスファルトで舗装してないところに暮らしていたのですが、そこを訪れるのは危険なことだったそうです。
その年老いた父親は「being mean」という悪評がたっていたからです。
ディラン少年はなんというガールフレンドがいたのでしょう。
その代わり、お母さんはとても優しい人でした。
「like Mother Earth」は「母なる大地のように」でいいのかな。

そこのお父さんが働いている時は、とてもいい人でした。
でも、そうでない時は酔っ払って邪悪な人物に変わってしまうのです。
「お酒飲まきゃいい人なのに」というのは、「お酒飲むからダメな人」なんですよね。

部屋に入ってきて、何やらぶつぶつ言い出します。
ある時などは、ディラン少年とそのガールフレンドは、ショットガンを持って追い払ったそうです。
真っ暗な砂利道で、二人めがけてショットガンをぶっぱなしたとか。
すげえ親爺です。
その時に撃ち殺されてなくて良かったですなあ、ディラン君。

それでもディランはこの家に遊びに行くのが好きでした。
おさな恋(puppy love)であるからもちろん彼女のおうちに行きたいのは決まってますが、実はそこには古い78回転のレコードがあったからなのでした。
ジミー・ロジャーズのレコードでした。

ジミー・ロジャーズなら、「リーダーズ英和(プラス)」に載っています。

----------------------------------------
'Jimmie' Rodgers [James Charles Rodgers] (1897-1933)
《米国の歌手・作曲家; カントリーアンドウェスタンを一般に広めた一人; 鉄道で働いていたが結核で退職, 歌手に転じて成功, `Singing Brakeman' のあだ名で知られた; 生涯に 100 曲以上をレコーディング, 主な曲に `Blue Yodel No.1' `The Brakeman's Blues' など》
----------------------------------------

「カントリーミュージックの父」なんですね。

 →[Jimmie Rodgers - The Father of Country Music]


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CHRONICLES #60 マニアなレイ

千本浜 2005年1月21日
 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]

レイのところには広い工房のような部屋があったそうです。
ハンマー、弓のこ、ドライバー、プライヤー、ワイヤーカッター、てこ(レバー)、たがね、歯車の付いた箱。
こんな工具が散らかっていて、鋼鉄製の花があったりします。
もしかして、レイはクマさんのように鉄のゲージツ家だったのかしら。

 →KUMA'S FACTORY

ところが、銃器類の部品もたくさんあったようなのです。
小さなピストルから、かなり大きなものまで。

-------------------------------------
There were different parts of guns----of pistols, large frame, small frame, Taurus Tracker pistol, a pocket pistol, trigger guards, everything like in a compost heap----alterd guns... guns with shortened barrels, different brands of guns----Ruger, Browning, a single-action Navy pistol to work, shined out.
-------------------------------------

いやはや、説明がわからんですよ、ルガーやブローニングが出てくるとほっとします。
ディランも銃に詳しいですなあ。
これは常識なんでしょうか。

レイは単にガンマニアだったんだろうと思うと、それが違うのだと続きます。

-------------------------------------
It was weired. Ray was anything but a macho tough guy. I asked him once what he did with all this stuff back there, what it was for. "Tactical response," he said.

それは不思議なことだった。レイはけっしてマッチョなタフガイなんかではなかった。その奥にある物でいったい何をするのか尋ねたことがある。「戦術的対応だ」とレイは言った。
-------------------------------------

あはは、やっぱりなんだかよくわかりません。

ところで「macho マッチョ」というと筋肉モリモリを想像するかもしれませんが、必ずしも筋肉と必然的な結びつきはないようです。
ほれ、やたらに軍服着て登場したがる好戦的な大統領、ああいうのが、マッチョを気取ってるというわけです。

ペルーで日本大使館占拠事件が起きた時も、日系人の大統領が銃を持って見せましたね。
今はこそこそと隠れているようで、あまりマッチョではありません。
あ、日系人じゃなくて、日本国民だったのか、そりゃ知らなかった。


【追記】No.1

レイの言葉が冗談なのか本心なのかわからないのですが、さまざまな部品まで揃えておいて、それだけで満足していたわけではないようです。
つまり、少なくとも頭の中ではその銃を手に取って戦う映像が描かれているわけです。
いつか使う日が来る、そういう銃です。
だからモデルガンではだめなんでしょう。

日本では、普通に銃を持つことはできません。
支配者に有利な「刀狩り」のためといよりは、日本国憲法第9条の精神に近いのだと思います。
人間の心は弱いものですから、あれば使ってしまうことがあるかもしれない。
もちろん食事用のナイフやフォークでも人を殺すことはできるのですが、カッとなって銃をぶっぱなすのと比べれば、ずっと安全です。

大東亜共栄圏の主張にひとかけらの真実もなかったわけではありません。
アジアの解放はまさに大義でした。
でも、大日本帝国は解放したのではなく、侵略を行なったのです。

日本国憲法は外国から与えられたものです。
もし与えられなかったら、二・一ゼネストは本当の革命になっていたかもしれません。
革命ではなくて日本国憲法を選ぶという選択は、おそらく正しかったのでしょう。

そんな戦後を、自民党は今雰囲気だけで一気に清算しようとしています。
外国で戦争をする国に変えようとしています。
国連が認定した難民を強制退去させるような国が、海外でどんな戦争をするつもりなのでしょうか。


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CHRONICLES #59 さよなら、モリアーティ

添地町 2005年1月20日
 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]

ニューヨークに来る前は、ケルアック(Kerouac)の『路上(On the Road)』がディランのバイブルでした。
そこに描かれたビート族(hipster)に憧れていたわけです。
でも、実際ニューヨークで暮らし始めると、数ヶ月で興味を失ったようです。
もちろんその本の中の詩的な言葉は大好きだけれど、登場人物モリアーティに対する共感は失せてしまいました。
行き当たりばったりな感じの生き方が嫌になったようですね。

 →映画『死にたいほどの夜』

---------------------------------------------------
Ray wasn't like that. He wasn't somebody who would leave any footprints on the sands of time, but there was something special about him.

レイはそういう人物ではなかった。時代の砂に自分の足跡を残すような大物ではなかったが、特別なところがあった。
---------------------------------------------------

レイには邪悪なところがまったくなかったそうです。
望みさえすればいつでも時代に打ち勝ち、支配することができるような人。
よくわかりませんね。

---------------------------------------------------
Ray was mysterious as hell.

レイはひどく不思議な人物だった。
---------------------------------------------------

ディランの結論がこれでは、やっぱりわかりませんわ。
p.58です。


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CHRONICLES #58 レイの服装

IP屋上駐車場 2005年1月19日
 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]

謎の部屋主レイの服装は、さまざまだったそうです。

----------------------------------------
Sometimes you'd see him in a stirped suit with a wing-shaped colloar, pleated pants that were pegged.
----------------------------------------

「striped suit」はわかりますな。
私も一応持ってます。
親父様が亡くなる前に知り合いの仕立屋さんを呼んで作らせたのです。
一度も着たことがありません。
横に成長してしまったので、たぶんもう入りません。

「wing-shaped collar」が今ひとつわかりません。
「リーダーズ英和」に「wing collar」なら載っていました。
 
 →wing collar
 ウイングカラー《スタンドカラーの前端が下に折れ曲がったカラーで紳士の正装用》

う?む、「スタンドカラー」がわかりません。
そこでgoogle検索。
便利だなあ。

YUMA'S ファッションWORLD

スーツの襟ではなくて、シャツの襟なんですね。
タキシードに合いそうなのがウイングカラー、もちろん私は一着も持っていません。
スタンドカラーのシャツは持っています。
一段と怪しさが増します。

「pleated patns」はプリーツの付いたズボンのようですが、プリーツって何?
前にピシっと折り目の付けてあるズボンでいいのかな。
「with pegged」は何よ。
ファッション弱点ですなあ、まったくわかりません。
「リーダーズ英和」では、「pegged pants」「peg tops」に「こま型ズボン」と書いてあります。
あの、お正月に回して遊ぶとされていた、コマのことですね。
途中に膨らみがあるということでしょうか。

言いたい結論はよくわかります。
フォーマルな服装の時もあったということでしょう。

----------------------------------------
Sometimes he's in a sweater, corduroy trousers, country boots. A lot of times he dressed in overalls like a garage mechanic.
----------------------------------------

こちらはとてもよくわかります。
要するに私の服装と同じ世界です。
コーデュロイをどうして「コール天」というのか不思議だったのですが、「corded velveteen 畝織(うねおり)のビロード」から来ているそうです。
受験生諸君、「trousers」は発音問題頻出語でしたな。
母音は[au]ですぞ。

長いコートを着ていた。
褐色に日焼けしていた。
髪はラクダ色(黄褐色)だった。

うん、これではレイがどんな人なのか全然わかりませんわ。
まだp.57です。


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CHRONICLES #57 アヘン吸飲者レイ

千本浜 2005年1月17日

 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]
  
また二行空けて話が変わります。
あの大乱読家のレイは、ディランにフォークナーを読むように勧めたのだそうです。
毎度おなじみ「リーダーズ英和」を引いてみます。

--------------------------------------
Faulkner, Falkner
フォークナー William (Cuthbert) Faulkner (1897-1962) 《米国の小説家; The Sound and the Fury (1929), Light in August (1932), Absalom, Absalom! (1936); Nobel 文学賞 (1949)》.
--------------------------------------

1962年没ですから、その死の前年ですね。
ディランにとっては同時代の作家という印象なんでしょう。

「フォークナーのやってるのは、大変なことだよ」と、レイが言います。
「深い感情を言葉に直すのは大変だ。『資本論』を書く方が易しいことだ。」

レイはアヘン吸飲者(opium smoker)だったそうです。
キノコ型の皿が付いた竹のパイプで吸引します。
台所でその塊を煮込んで、ガムのようにしたことがあるそうです。
何度も煮なおして、布で濾します。
台所が猫のおしっこのような臭いでいっぱいになったと、ディランは書いてます。
そんな臭いなんだ。
意外です。

でも、レイは阿片窟のジャンキーのようなダメ人間ではなかったそうです。
レイは阿片中毒ではなかったと書いています。
ディランは阿片窟のジャンキーを知っているんでしょうか。
どうもレイは謎の人物なんですね。
ディランは、どうしてレイが逮捕されなかったのかわからないとまで言っています。

--------------------------------------
One time Clayton and myself came in late and Ray was asleep in a big chair----he looked like he was asleep in the room with the light on his face----dark hollows under his eyes, face caked with sweat. It looked like he was dreaming a dead dream. We just stood there.

ある時クレイトンとボクが夜遅く入っていくと、レイは大きな椅子で眠っていた。顔の上に明かりを点けたまま眠ってしまったようだった。目の下が黒くこけて、汗がかたまりついていた。恐ろしい夢を見ているみたいだった。僕たちはそこに立ち尽くした。
--------------------------------------

ディランの居候先、謎の人物レイのことがもう少しわかるのでしょうか。
p.57です。


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CHRONICLES #56 ドン・ジュアン丸暗記

千本浜 2005年1月12日

"Tom Load"に関しては解決しました。
ワタクシが文字が読めなかったんですね。
loveminus0さんが指摘してくださったとおり、ちゃんと"Tom Joad"と書いてありますわ。
とほほ。
ウッディ・ガスリーの「トム・ジョード」ですね。

 →Tom Joad

当時のディランが歌っていた長いトラディショナル・ソングとして、他にも数曲が挙げてられています。

 →"Fair Ellender"

 →"Lord Thomas and Fair Ellender"

 →Lord Lovell 音源アリ

 →Mattie Groves

確かに長いですね。
それで、当時のボブ青年はどうやら暗記の練習をしたようなんです。
バイロン(Lord Byron)の"Don Juan"やコールリッジ(Coleridge)の"Kubla Khan"を丸暗記しようとチャレンジしたそうです。

 →Byron's Don Juan
 
 →don-juan.org

 →Samuel Taylor Coleridge "Kubla Khan"

そういえば吉田拓郎さんがブレイクしたころ、歌謡曲の歌い手にさんざん批判されてましたね。
楽譜(歌詞カード)を見て歌うなんてプロじゃないと。
確かに当時の拓郎さんは、譜面台にスヌーピーの表紙のノートを置いて、それを見ながら弾き語りしてました。
実はかっこいいなあと思ってました。

おお、渡さんも譜面見てますね。
そのための老眼鏡を探すのが、コンサートの風物詩。


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CHRONICLES #55 三分ポップス

千本浜 2005年1月13日

フェリーニの映画について少し触れた次の段落では、テレビのことを書いています。
60年代初頭、テレビがすごい勢いで普及して、アメリカでは多くのことが変わりつつありました。
注意力が非常に短い時間しか持続しなくなるので、子供たちの精神と想像力が損なわれるのではないかという、社会学者の警告まで引き合いに出しています。

-----------------------------------
Maybe that's the true but the three minute song also did the same thing. Symphonies and operas are incredibly long, but the audience never seems to lose its place or fail to follow along. With the three minute song, the listener doesn't have to remember anything as far back as twenty or even ten minutes ago.

もしかしたらそれは本当かもしれないのだが、三分間の歌も同じことをしたのだ。交響曲やオペラは信じられないほど長いが、どこをやっているの聴衆がわからなくなったり、ついていけなくなったりすることなど決してない。三分間の歌の場合、聴く者は二十分も前のことや十分前のことさえ覚えている必要はないのだ。
-----------------------------------

シャボン玉のような三分間のポップスはテレビ以前の時代に生まれていたと思うのですが、その三分だけのポップスを批判しているようです。
関わるべきものなど何もない。
記憶すべきものなど何もない。

なんだか北村透谷を思い出しました。
人生に相渉るとは何の謂ぞ。

そういう流行歌に比べると、当時ディランが歌っていた歌はおそろしく長い歌が多かったのだそうです。
"Tom Load"は少なくとも16番(sixteen verses)まであったし、"Barbara Allen"は20番ぐらいまであったというのだから驚きです。
叙事詩だったのですね。

googleで検索すると、"Barbara Allen"の方はいろいろヒットします。

 →The Ballad of Barbara Allen"

いろいろなバージョンがあるようで、上記サイトにはジョーン・バエズ版とガーファンクル版が載っています。
ドリス・デイが有名なのかな。
いろいろな人が歌っているスコットランド民謡ですね。

でも、"Tom Load"が見つからないんですよ。
"BRUCE SPRIGSTEEN, THE GHOST OF TOM LOAD"というアルバムはヒットするんですが。
googleで検索し始めるとあっちこっちおもしろいところにひっかかって、楽しいんですが何もできなくなってしまいます。
これは保留。

ただいまp.54です。


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CHRONICLES #54 甘い生活

千本浜 2005年1月13日

ピカソの再婚話の後は、また突然話が変わります。
ビレッジには外国映画を上映する映画館があったという話です。
フランス映画、イタリア映画、ドイツ映画。

----------------------------------------
これはとても意味のあることだった。
偉大なるフォークソング研究図書館員アラン・ローマックス(Alan Lomax)自身がどこかで言っていた。
「アメリカから外に出たければ、グリニッチ・ビレッッジに行け」と。
----------------------------------------

ディランは"the great folk archivist"という言葉を使っているので、そのまま訳すと「偉大なる民俗文書館員」ということになります。
比喩かと思ったら、本当に国会図書館のリサーチで、フォークソングを収集していたのですね。

 →Alan Lomax (2004/3/4)

 →THE ALAN LOMAX COLLECTION

ディランはビレッジの映画館で、フェリーニの映画を観たそうです。
"La Strada"と"La Dolce Vita"。
おお、『道』(1954年)と『甘い生活』(1960年)ですね。
『道』は大分前の映画ですが、『甘い生活』はまだ新作という感じだったことでしょう。

 →『フェデリコ・フェリーニ映画祭』

ディランは『甘い生活』の方の内容に触れています。

----------------------------------------
それは魂を売ってゴシップを追いかける猟犬となる男の話だ。
どんな怪物も登場せず、怪物のように暮らす普通の人間が出てくるだけなのだが、まるでカーニバルの鏡の中の生活のようだ。
二度と観ることはないかもしれないと思って、熱心に観た。
----------------------------------------

確かに60年代に映画館で観た映画を、繰り返して家庭で手軽に観ることができるようになるとは思いませんでしたね。
聖なる一回性。
昔は映画も、演劇のように観ていたのです。

数年後にディランは、この映画に出ていた俳優のエヴァン・ジョーンズ(Evan Jones)とロンドンで仕事をします。
ジョーンズが書いた脚本で演技をしたのだそうです。
会ったときに、初めてのような気がしなかったと書いています。
自分は決して人の顔を忘れないと断言しています。
本当かしら。


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CHRONICLES #53 ピカソの結婚

千本浜 2005年1月12日

寒いですわ。
暖かいのんびり市でも、今夜は氷点下まで下がりそうです。

「ライ・ウィスキー」の歌詞を引用した次の段落がおかしいので、そのまま引用しておきます。

-------------------------------------
In the world news, Picasso at seventy-nine years old had just married his tirty-five-years-old model. Wow. Picasso wasn't just loafing about on crowded sidewalks. Life hadn't flowed past him yet. Picasso had fractured the art world and cracked it wide open. He was revolutionary. I wanted to be like that.

国際ニュースでは、79歳のピカソが35歳のモデルと結婚していた。すげっ。ピカソは人混みの歩道を歩き回っていたわけではなかった。人生はまだ彼の前を流れ去ってはいなかった。ピカソは芸術の世界を破壊して、こじ開けた。ピカソは革命的だった。僕はそういうものになりたかった。
-------------------------------------

鼻歌で「ライ・ウィスキー」でも歌いながら書いていそうです。
ディランの文章は情景描写が詩的で美しいのですが、鼻歌まじりの時もあります。
本当にウィスキーでも飲んでいたのかもしれません。
なんといっても「Wow」がおかしいです。
このニュースを聞いた時の二十歳ごろのディランが抱いた印象と、今のディランが抱いている印象はかなり違うものかもしれません。

結婚相手のジャクリーヌに関して触れたサイトがありました。

 →『ピカソ展 幻のジャクリーヌ・コレクション』Q&A

結婚は1961年ですが、つきあって(?)十年近く経つのですね。
ピカソは1973年に91歳で亡くなるのですが、最期の二十年近く創作と生活を支えた女性なわけです。

ただいまp.55です。


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CHRONICLES #52 ライ・ウィスキー

千本浜 2005年1月9日

「ジョー・ヒル」の歌をどう書こうかといろいろ考えながらも、結局ディランはその歌を書きませんでした。
二行空けて、また突然話が変わるようです。

ニューヨークの冬は寒いのですね。
映画『真夜中のカウボーイ(Midnight Cowboy)』で陽光を夢見るラッツォを思い出します。
ディランも、「青い霧のかかった凍てつくような」ニューヨークの冬の夜を描きながら、「草の上に寝転がって本当の夏の匂いを感じていたのは、もうずっと昔のことみたいだった」と少し弱音を吐いています。

------------------------------------------
早朝にマンハッタンの七番街を歩けば、車の後部座席で人が眠っているのを目にするだろう。
泊まる場所があるのだから、僕は幸運だった。
ニューヨークに暮らす人だって、寝る場所がないこともあるのだから。
僕は持っていないものがたくさんあったのだけど、確固としたアイデンティティなんてものもそんなに持ってはいなかった。
「俺らは流れ者、俺らはギャンブラー。故郷を遠く離れて。」
 ("I'm a rambler----I'm a gambler. I'm a long way from home.")
------------------------------------------

ちょっとおセンチになってみせていますが、なんだか怪しいです。
引用符も付いているので、これはなにかの歌詞ですね。
google検索にそのまま放り込むと、ちゃんとヒットしました。
"Rye Whisky"という曲です。

 →Rye Whisky

どこかで聴いた曲だと思ったら、『春一番ライブ'75』で朝比奈逸人さんが弾き語りしている「ライ・ウィスキー」ですね。

 →2004年5月27日付日録:春一番ライブ '75?'79

 
 ♪ ウィスキー ウィスキー ウィスキーをくれ
 ♪ ウィスキーがなけりゃ 夜も明けぬ
 ♪ ウィスキー ウィスキー 泣きたいぞ
 ♪ ウィスキーがなけりゃ 死んでやる

なんだか我が心の師匠高田渡大人の歌みたいです。
そうそう、村上律さんも持ち歌にしてますが、タイトルは「ウィスキー」に変わっています。
ライ・ウィスキーって、あんまり飲みませんものね。

 →2004年4月27日付日録:ダンラン

 ♪ 腹が減ったら ウィスキーさ
 ♪ 泳ぎたくなったら ウィスキーさ
 ♪ ウィスキー ウィスキー 殺しておくれ
 ♪ 死ねなきゃ 死ぬまで生きてやる

忘れてました。
もちろん高田渡大人も歌っているのです。
渡さんの場合、タイトルは「ウィスキーの唄」となっています。


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CHRONICLES #51 幻の「ジョー・ヒル」

千本浜 2005年1月8日

-------------------------------------
I fantasied that if I had written the song, I would have immortalized him in a different way----more like Casey Jones or Jesse James.

もしも自分がこの歌を書いていたとしたら、もっと違ったふうに、もっとケーシー・ジョーンズやジェシー・ジェームズのようにジョー・ヒルの名を残しただろうと、僕は想像した。
-------------------------------------

おお、懐かし仮定法過去完了ですな。
ここでケーシー・ジョーンズって誰だったかしらと思ってgoogleで検索したのですが、間違えて「Casey James」で検索してしまったので、まあ大変。
本当にスイカみたいなのをぶら下げた「pornstar」がひっかかったり、生後一週間で亡くなった赤ん坊の屍体画像がヒットしたり、散々でした。

「Casey Jones」と「Jesse James」ですね。
同じサイトに歌詞とMIDIファイルがありました。

 →Casey Jones

 →Jesse James

二人とも「リーダーズ英和」に載っていました。

-------------------------------------
Casey Jones
→ケーシー・ジョーンズ 《列車事故で死んだKentucky州Cayce生まれの機関士 (本名 John Luther Jones (1864-1900)) を歌ったフォークソングの主人公》

`Jesse' James [Jesse Woodson James] (1847-82)
→ジェシー・ジェームズ 《米国の無法者; 列車強盗や銀行強盗をはたらいたが, 賞金目当ての仲間の一人に殺された; 伝説では英雄化されて義賊となり, 俗謡や小説の題材となった》
-------------------------------------

ディランはかなり具体的に「ジョー・ヒル」の歌を考えたようで、二つの手法を紹介しています。
一つはディランも挙げていたジョー・ヒルの最期の言葉をタイトルにするというもの。

"Scatter My Ashes Anyplace but Utah"
そして、このタイトルをリフレインにします。
"Casey Jones"や"Jesse James"の曲調にこの決め台詞を載せてできる歌は、想像できますね。
それはそれで名曲になったのではないかと思います。

でも、ディランはもう一つの方法の方が有力だと言っています。
墓の下、あの世から男が語る歌、"Long Black Veil"のような曲。
ある女性の名誉を守るために他人の犯罪を背負い、自分の生命をあきらめる男の歌、それがディランの「ジョー・ヒル」です。
そして、それこそはジョー・ヒル自身の最期の曲として書かれるべきだったのだと。

"Long Black Veil"はどこかで聞いたタイトルだなあと思ったら、The Bandもやってました。
おなじみのアルバムに入っています。

 →Music from Big Pink

 →Long Black Veil
 
上記サイト、なぜか試聴できる箇所がページによって違います。

ジョー・ヒルを先駆者だと書いてたので、ディランにとってきっとバプテスマのヨハネのような存在なのだろうと数日前に書きました。
本命はあくまでもウッディ・ガスリーだったのです。
結局ディランがなんとか書き終えた、いくぶんかでも重要だと自負する最初の曲は、ウッディの曲でした。


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CHRONICLES #50 「ジョー・ヒル」はダメな歌?

千本浜 2005年1月8日

ディランの記述によって、ジョー・ヒルが殺人犯にされた事件の概略を見てみましょう。
食料雑貨商とその息子が殺されたのですが、息子の方は死ぬ直前に銃を撃ちました。
ジョー・ヒルは銃創があったので、有罪だとされたのです。
その夜は同じ病院で五人の人物が銃による傷の治療を受けています。
ジョー・ヒル以外の四人はみないなくなってしまいました。

現在の日本の基準からすれば、銃によって負傷したということは必然的に犯罪との関わりを示しますが、20世紀初頭のアメリカでは、そうでもないのでしょう。

事件のあった時刻にどこで誰と一緒にいたのか、ジョー・ヒルはけっして語りませんでした。
一般的には、名を明かしてはならない女性と共にいたのだと信じられているそうです。
事件の翌日に、ジョー・ヒルの親友も姿を消しています。

ジョー・ヒルはあらゆる無産労働者から愛されていたけれど、政治家と資本家はずっと長い間ジョー・ヒルを抹殺したいと思っていた。
裁判以前に、彼の有罪は決まっていたのである。

1915年には、アメリカ全土の大都市で大規模なデモが行なわれた。
ウッドロー・ウィルソン大統領も、ユタ州に事件を再審させようとした。
しかし、ユタ州知事は大統領を嘲笑した(thmubed his nose at the president)。

最後にジョー・ヒルはこう言った。
"Scatter my ashes anyplace but Utah."
「私の灰を撒いてくれ、ユタ州以外の国中に(ユタ州にだけは撒くな)。」

-----------------------------------------------
その後しばらくして"Joe Hill"という歌が作られた。
プロテスト・ソングに関していえば、わずかしか聴いたことがなかった。
レッドベリの歌"Burgeois Blues"、ウッディの"Jesus Christ"と"Ludlow Massacre"、ビリー・ホリデーの"Strange Fruit"といったようなものだ。
ここに挙げた曲はどれも"Joe Hill"より優れている。
プロテスト・ソングは説教臭く一面的にならないように作るのが難しい。
そこにあるのにまだ人々が気づいていない、自分自身のある一面を示すように作らなければならないのだ。
-----------------------------------------------

ほらほら、ディランは「ジョー・ヒル」をダメな曲だと言ってるみたいですよ。
その心あまりて言葉足らず。
「ジョー・ヒル」はディランにとって、説教臭くて一面的なのね。

それでは自分だったらどう作るのか、ディランは少し書いていますが、また次回。
ただいまp.54です。


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ディランと春一番

70年代の春一番コンサート、風太さんは英語で歌うバンドを認めなかったそうです。
だから憂歌団も最初はダメだったとか。
ディランだけは例外だったと言ってたけれど、ディランの曲を歌うバンドは英語でもOKだったということなのかな。

春一番は日本のウッドストックを目指して始まったそういだけど、心のお手本はボブ・ディランだったんでしょう。
その感じがだんだんわかってきた気がします。

春一番の掲示板に、「純粋に音楽を楽しみに来たんだから政治的な主張はやめてもらいたい」と書いていた人がいたけど、やっぱりそれは見当違い。
ラブソングも、プロテストソングも、歌なんだ。
歌詞なんてどうでもいいと思って作られた歌ばかり聴いていると、そうなっちゃうんだろう。

ウィリアム・ザンジンガーという青年の名前を記憶している人は多い。
金持ちのドラ息子だった。
町の有力者が集まっているパーティで、ウェイトレスをしていた黒人女性を殴り殺した。
そう、ハッティ・キャロルだ。

この曲"The Lonesome Death of Hattie Carroll"を収録したディランのアルバム"The Times They Are A-Changin'"は1964年リリース。
事件が起きたのは1963年。
最新のニュースを歌い込んだものだ。

歌の内容はご存知のように殺人事件そのものよりも、ウィリアム・ザンジンガーに下された判決がわずか6ヵ月の刑期であることを告発している。
実際には刑の執行は猶予されたらしい。
ディランもまだザンジンガーと同世代の青年だった。
こんな不公正が許されていいものか。
ディランの怒りと悲しみは、同時代に向けて歌われたのだ。

この曲は日本でも数多くの人の心を動かした。
こういう内容を、こんなふうに歌っていいんだ。
歌の新しい形が見えたように思った。

ボブ・ディランは「今まで存在しなかった新しいもの」を創造したのだが、それは「フォークソング」の伝統に従うことによって生まれたものだ。
本当は「フォークソング」は「民謡」と書くべきだろう。
つまりディランは「新民謡」のヒーローとして輝いたのである。

60年代の日本の若者の心を動かしたアメリカの「新民謡」は、日本でもフォークブームを引き起こし、歌謡曲の世界を大きく変えることになる。
だが、事件を具体的に歌う、アメリカの「民謡」の手法は漂白されて消えてしまう。
高田渡さんが三億円事件を歌ったり、友部正人さんが連合赤軍事件を歌ったのは、例外的なものとなってしまった。

この国では、差別は常に遥かな国、遠い昔のことのように語られるのだ。
アンネ・フランクやローザ・パークスを学校で教えて、差別は非人道的だと教師は語る。
しかし、自分の娘が在日朝鮮人や被差別部落の青年に恋するのは好まない。
何も変わっていない。

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牧師と奴隷

五黄の寅1950さんから、以前教えていただいた『戯歌番外地 替歌にみる学生運動』にこの歌が載っているよと、また教えていただいた。
早速ヒナのワンダーランドとなっている山脈を崩し、該当の三一新書を発掘した。

おお、確かに出ています。
以下引用。

----------------------------------------------
12 代々木と奴隷

 代々木がおごそかに 革命を語るとき
 おれたちは腹がたつ そこで代々木が猫撫で声で
 おまちもうすぐだ 革命はやってくる
 統一せ 団結せ
 寝てたら 歴史は勝利する
----------------------------------------------

下段に解説があります。

----------------------------------------------
12
 六〇年前後、安保ブント結成頃に作られたものと推定される。元歌は、日共の歌声運動でも時々歌われていた。

 元歌「牧師と奴隷」黒人民謡
 牧師がおごそかに 天国を語る時
 おれたちは腹がへる そこで牧師が猫撫で声で
 おまちもうすぐだ 天国へ行く日が来る
 働け 我慢せ
 死んだらあの世で食べられる
----------------------------------------------

なるほど、民青が歌っていたので、ブントが替え歌を作ったのですね。
六〇年安保、もう45年も前の話になってしまいました。
この本の発行は奥付によれば1970年6月15日です。

 →2004年6月11日付幻泉館日録: 戯歌番外地(1970年)


戯歌番外地

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CHRONICLES #49 空の上のパイ

千本浜 2005年1月7日

ジョー・ヒルの代表曲として、ディランは"Pie in the Sky"を挙げています。
googleで検索すると、どうも"THE PREACHER AND THE SLAVE"という曲のようですね。
「説教者と奴隷」?

 →THE PREACHER AND THE SLAVE

 ♪ Work and pray, live on hay,
 ♪ You'll get pie in the sky when you die.

 ♪ 働きなさい、祈りなさい、干し草食って生きなさい
 ♪ 死んだらあの世で パイがいただける

上記サイトによれば、この歌は救世軍の賛美歌"Sweet Bye and Bye"の替え歌。
救世軍の伝道を皮肉ったものですね。
魂の救済なんかより、とりあえず胃袋を満たしたい。
救世軍の説教者は、そんな欲求を押し殺して奴隷の思想を植え付けようとしているのだぞ。
林業や建設の現場で働く季節労働者に、この歌を歌ってウケたのでしょう。

私は1946年の食糧メーデーにおけるプラカード事件を思い出しました。

 「朕はたらふく喰っている、なんじ臣民飢ゑて死ね」

名誉毀損によって懲役8ヵ月の判決が言い渡されたのですね。
たとえ事実であっても名誉毀損罪が成立するということでしょう。

--------------------------------------------
Joe wrote the song "Pie in the Sky" and was the forerunner of Woody Guthrie. That's all I needed to know.

ジョーは「天国のパイ」という歌を書き、ウッディ・ガスリーの先駆者となった。僕が知る必要があるのは、それだけだった。
--------------------------------------------

大文字を使って「the Forerunner」と表記すると、バプテスマのヨハネ(John the Baptist)を指します。
ディランにってジョー・ヒルは、クリスチャンにとってのバプテスマのヨハネのような存在だったのでしょう。

この後ディランは、冤罪でジョー・ヒルが銃殺されることとなった殺人事件のことを記述しています。


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ジョー・ヒルとIWW


ジョー・ヒルが活動していた組合は、IWW(Industrial Workers of the World)です。
世界産業労働者組合。
例によって「リーダーズ英和」を引くと、こんな説明があります。

「1905年Chicagoで組織され, 賃金制廃止・産業別組合主義を掲げたが20年に解散」

おお、過激で短命な組合だったんですね。
日本の企業別御用組合と比べると、まったく違う世界です。
ついでにジョー・ヒルも引いてみました。

-------------------------------------------
Joe Hill (1879?-1915) 《米国の労働運動指導者; 状況証拠のみで殺人犯とされて死刑となり, 死後 労働運動の世界でヒーローになった; 多くの労働歌を残した》
-------------------------------------------

『ひげよ、さらば』『砂の上のロビンソン』そして加川良さんが歌った「教訓 I」の上野瞭さんがジョー・ヒルのことを書いていました。

 →『ハックルべリイ・フィン』を読む アメリカの貧困

上野さんは2002年に亡くなっていたんですね。
合掌。

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CHRONICLES #48 ディランとジョー・ヒル

千本浜 2005年1月2日

--------------------------------------
人生よりも大きな歌を書きたいと思う。
身に起きた変わったことや、見かけた変わったことについて語りたいと思う。
それなら、過去に日常語で語った人達のことをよく知らなければならない。
歌を生み出すのに、先人たちが用いた冷徹な正確さ、それはすごいものがある。
一つの歌を聴いて、君の心が前に飛び出してしまうことがあるかもしれない。
自分の考え方とよく似た考え方をしていると思って。
--------------------------------------

流行歌を聴いて、「ああ私のことを歌ってくれてる、そうなのよ、その通りなのよ」と思ったりするのと同じなんでしょうか。
違うのでしょうか。
ディランの話の水準が、よくわかりません。

--------------------------------------
僕はある歌を「良い」とか「悪い」というように見たことは一度もない。
いろいろな種類の良い歌があるだけなんだ。
--------------------------------------

これはさらによくわかりません。
ディランが「つまらない歌だなあ」と感じた歌がたくさんあるはずだと思うのです。
ある水準を超えた歌のことなんでしょうか。

まてまて、ディランはあまり深く考えない、正直な人のようなので、本当にそう思ってるのかもしれません。
とにかく歌が好き。
でも、自分だったらもっとうまく書けるとか、自分だったらもっとうまく歌えると思ったのかな。

歌の中には人生の真実を言い当てるものがあると前置きして、ディランは"I Dreamed I Saw Joe Hill"という曲のことを語ります。
Googleで検索してみると、正式なタイトルは"I Dreamed I Saw Joe Hill Last Night"のようです。

 →I dreamed I saw Joe Hill last night

ディランはジョー・ヒルが実在の人物だとは知っていたけれど、どんな人なのかまだ知りませんでした。
そこでフォークロア・センターでイジーに尋ねました。
イジーが何冊かパンフレットを渡してくれたので、ディランはセンターのバックルームでそれを読みました。
ミステリー小説のように読んだそうです。

ディランの記述では、ジョー・ヒルはスウェーデンからの移民で、メキシコ戦争に従軍しました。
かろうじて食っていくような生活を送り、1910年ごろ外西部で組合のオルグになります。
資本主義の賃金システムを廃止しようとした、キリストのような人物。
機械工で、ミュージシャンで、詩人。
労働者のロバート・バーンズと呼ばれていた。

ジョーヒルは知ってますが、ロバート・バーンズの方がわかりません。
「リーダーズ英和」にはこう出ています。

--------------------------------------
Robert Burns (1759-96) 《スコットランドの国民詩人; 主としてスコットランド語で恋愛詩・自然詩・諷刺詩を書いた; `Auld Lang Syne', 愛国的な `Scots, Wha Hae', 魔女伝説を扱った `Tam o' Shanter' など》
--------------------------------------

なるほど。
みんなが知っている詩人ということですね。

本筋のジョー・ヒルの方は、冤罪によって死刑になってしまった労働運動家です。
映画化されています。

 →goo映画『ジョー・ヒル』(1971年)

ホセ・フェリシアーノが「ケ・サラ」を歌ってヒットさせたのは、その少し後だったでしょうか。

 →Che Sara'
 MIDIと原詞

 →ケ・サラ
 にしむらよしあき訳詞 quitimeと楽譜

 ♪ いつも思い出すのさ
 ♪ 自由のために死を選んだ
 ♪ グェン・バンチョイ ジョー・ヒル
 ♪ ビクトル・ハラを
 ♪ 決して忘れはしないさ

そう、あのジョー・ヒルです。
私がその名前を知ったのは、映画の主題歌となったジョーン・バエズの歌だったと思います。

ただいまp.52です。


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CHRONICLES #47 歌手ディランから

千本浜 2005年1月1日

すっかり忘れてました。
タイトルに「CHRONICLES #XX」と書き込まずに、ほんの少しだけ読み進んでおりました。
これは「LifeSaver」の記述の後に出てくるのです。
今書こうとして気づました。
以下再掲。

///////////////////////////////////////////
小さなころに聴いたラジオ番組の話をしていると思ったら、また突然二行空けて、歌作りについて語り始めます。

------------------------------------------
自分の歌を書こうなんていつ思いついたのかわからない。自分が歌っているフォークソングの歌詞が世界をどう感じるか決めてくれたのだけど、それに似たようなものを作ることも僕にはできなかった。そういうことはきっと少しずつ起こるものなのだろう。ある日目を覚まして歌を書こうと決めるというものではない。特にたくさんの歌を知っていて、毎日さらに多くの歌を覚える歌手の場合は。
------------------------------------------
///////////////////////////////////////////

ボブ・ディランという人は類い稀なソング・ライターとして有名なのですが、どうも自身の認識は少し違うようです。
あくまでも「歌い手」のつもりだったようです。
そして、非常に早い時期から、歌手としての自分の実力に相当の自信を持っていたのですね。

「歌を書こうという機会は、現存するものを、まだ存在しないものに変えようとする時に訪れるものだ」

ディランの場合、何か新しいことを表現したくて、必然的に自分で歌を作ることになってしまったということなんでしょう。
今では当たり前のようになってしまったことも、1960年ごろにはまだまったく存在しなかった。
ボブ・ディランはそれを自分で切り拓くという仕事をすることになるのです。

1962年のデビューアルバム『ボブ・ディラン(Bob Dylan)』では、ディランはまだ「歌い手」です。
ここに書いたような「まだ存在しないものに変えよう」という気持ちを持っていたのでしょうが、本当に新しいものを創造するのは、その翌年のセカンドアルバム1963年の『フリー・ホイーリン(The Freewheelin' Bob Dylan)』(1963年)だったと言っていいでしょう。


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CHRONICLES #46 ディランとライフセイヴァーズ

2:30amからNHK BS-2でUAライブ。 リピートだけど見たことないみたいなので、要予約。 メモでした。
千本浜 2005年1月3日

正月三日目も畑仕事をした他は、浜へ出ただけでした。
まあ、本当に何もしない静かな正月でした。
昨年は1月3日に新宿と吉祥寺で酔っ払っていたのですね。
よく飲んだわ。

 →幻ちゃんを探せ@新宿

なんと雑煮大会までやってるじゃないですか。
すごい元気だったのね。

 →雑煮自慢

数人の方に「イベントやらないの??」と聞かれましたが、私は単なる会場提供者でして、言い出しっぺさんさえいれば、すぐにでもできますよ。
どなたか楽しい企画を御提案くださいませ。

さて、また日常が始まるので、ディラン御大の本でも読みましょうか。
前回どこまでやったか忘れてしまいました。
歌作りに関して書いてるところまでは行ってないんですな。
p.51。

ディランが出演していた「ガス灯(Gaslight)」の隣にある「魚鍋(Kettle of Fish)」にはいろいろな人が出入りしていて、ラジオ番組制作者のことから、いきあたりばったりにラジオ番組の回想をしていたのでした。

-----------------------------------------
I asked the guy who made the sound effects for the radio shows how he got the sound of the electric chair and he said it was bacon sizzling. What about broken bones? The guy took out a LifeSaver and crushed it between his teeth.

ラジオ番組の効果音を作っているやつに電気椅子の音はどうやって作るのか聞いたら、ベーコンをジュージュー焦がすのだと言った。それじゃ骨の折れる音は? そいつは「ライフセイヴァーズ」を取り出すと歯で噛み砕いた。
-----------------------------------------

ラジオの時代、音作りは本当に丁寧だったと思います。
それしかないんだから。
三谷幸喜さんの映画『ラヂオの時間』でおひょいさん(藤村俊二さん)が、そんな擬音職人を飄飄と演じてましたね。

「electric chair」というのはSFではなくて、文字どおり処刑用の電気椅子のことです。
本当にベーコンを炒めた時のようなジュージューという音がするのかというと、大いに疑問に思いました。
それで調べてみたら、電気椅子の処刑は実際にものすごい音がするんですね。
これはひどい。

 →『死刑百科事典』電気椅子の項

「ライフセイヴァーズ」は馴染みがありませんが、誰でもしっているリング型のキャンディです。
ディランはその名前を少し間違えているのかな。

 →LIFESAVERS

昭和三十年代に極東で幻少年が食べたのは何だったかしらと思って調べてみましたが、よくわかりません。
確かにこういう円筒形のパッケージのキャンディを食べたことがあるんですがね。

うろうろしていて思い出したのでが、「サクマドロップス」と「サクマ式ドロップス」は別の会社が作ってるんですね。
創業者の息子さんの会社と番頭さんの会社みたいなものだったかしら。
戦争中の統制経済が影を落としています。

そういえば映画『火照るの墓』の絵を印刷した復刻「サクマ式ドロップス」を見かけたことがありますが、それではお菓子として買えません。
悲し過ぎます。
うちのおっ母さん、あの映画見ることができません。


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CHRONICLES #45 ディランとマイク・ハマー

千本浜 2004年12月27日

ディラン少年はラジオドラマ『パラディン』で人生を学びます。

「石(stones)」というのは宝石のことだよ。
悪者はコンバーティブルに乗ってるんだ。
もしも木を隠すのなら、誰にも見つからないように森の中へ隠せ。

わくわくとラジオを聴いて、こんなことを覚えながら成長したのです。
ラジオ番組は世間がどんなものなのかを知る手掛かりを与えてくれた。
番組が終わってからも、楽しい空想をかきたててくれた。

ラジオのCMからも、ディラン少年はいろいろなことを学びました。
実際に消費活動を行なうずっと前に、ラジオのCMによって特定の商品を使う生活が頭に刷り込まれていたのです。

----------------------------------------------------
Before I had ever gone into any departmentstore, I was already an imaginary consumer.

デパートというものに入る前から、僕は既に想像上の消費者だった。
----------------------------------------------------

1940年からら1950年代に、こんな商品のラジオCMがよく流れていたのでしょう。
ディラン少年は幻の消費者になります。

----------------------------------------------------
僕は「ラバソープ」を使い、「ジレットのブルーブレード」で髭を剃り、髪には「バイタリス」をつけていた。
お通じが悪ければ「フィーナミント」の錠剤を。
それから「ドクター・ライアン」の歯磨き粉。
----------------------------------------------------

 →LAVA SOAP
  ラジオCMを聴くことができます。
  
豊かな大量消費時代のディラン少年。
なんだか不思議です。

僕は鉄腕アトムに正義を学びましたが、ディラン少年はマイク・ハマー(Mike Hammer)に学んだそうです。
あれれ?

----------------------------------------------------
My sentiment was that the law is fine but this time, I'm the law----the dead can't speak for themselves.
----------------------------------------------------

ハードボイルドですな。

 →the Unofficial Mickey Spillane Mike Hammer Site


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CHRONICLES #44 ディランとパラディン

千本浜 2004年12月27日

70年代初頭、田舎町の少年であった私もよくラジオを聴いていました。
AM局の受信報告書を書くことはありませんでしたが、北京放送やモスクワ放送もちょこっと聴きました。
タモリさんの芸で北京放送の真似というのがありましたが、似たようなことをやっていました。

両手で口を覆って、開いたり閉じたりしながら、あの独特なイントネーションでアナウンサーの真似をするのです。
「アメリカ帝国主義」
「ソビエト修正主義裏切り者集団」
こんな言葉を使いながら、時々シューシューというとよろしい。

彼の国は文化大革命の真っ最中でありました。

FENもよく聴きました。
「Far East Network」、つまり米軍の「極東放送網」ですね。
今は聴きませんが、確かAFNに名前が変わっていたように思います。
「American Forces Network(米軍放送網)」だったと思いますが、もしかしたら「Armed Forces Network」かもしれません。

FENは音楽番組がお目当てでした。
「American Top 40」みたいな番組ね。
番組スケジュールがわからないので、なんとなくスイッチを入れて、ヒットチャートをやっていればアタリなわけです。
フットボール中継だとハズレ。
わけわからないんですもの。
ラジオドラマもよく流れていて、これはビミョーにハズレかな。

田舎町のディラン少年がラジオを聴いていたということで、そんなことを思い出しました。
1950年代から60年代の、アメリカのラジオ番組。
昨日書いた「Inner Sanctum」「Suspense」「The Lone Ranger」はなんとなく雰囲気がわかります。
でも、他に挙げられた番組はお手上げです。

「This Is Your FBI」
 →Jerry Haendiges Vintage Radio Logs

「Fibber McGee and Molly」
 →The Unoffical Fibber McGee and Molly Home Page

 →Frequently Asked Questions about Fibber McGee and Molly

「The Fat Man」
 →Brad Runyon

「The Shadow」
 →The old-time radio show The Shadow

「Dragnet」
 →Dragnet

「The Colgate Comedy Hour」
 →The Colgate Comedy Hour

ディランが覚えている番組は人気があったものばかりなようです。
人気番組はそのままテレビにひきつがれているんですね。
日本でパクって番組にしてしまったものもあるようです。

-----------------------------------------
遠すぎる場所なんてなかった。
全部目に見えた。
サンフランシスコに関して僕が知る必要があるのは、パラディンがそこでホテル暮らしをしていることと、彼が雇われガンマンだということだけだった。
-----------------------------------------

なんとなくこのパラディン(Paladin)を辞書で引いてみると、ちゃんと載っていました。
さすが「リーダーズプラス」!

-----------------------------------------
(西部の男)パラディン 《米国テレビの西部劇 `Have Gun Will Travel'_ の主人公; ふだんは高級ホテルで優雅に過ごし `Have Gun, Will Travel …' (腕に自信あり, 依頼により参上) と書いた名刺を持ち歩く雇われガンマン; 依頼があると黒装束で出向いて仕事をする; Richard Boone (1917-81) が演じた》.
-----------------------------------------

 →Paladin


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CHRONICLES #43 ディランとローン・レンジャー

八幡町歩道橋 2004年12月26日

クリスマスケーキで思い出したのだが、去年の日記では今年読んだ本のベストとして『やちまた』を挙げていたのだった。

 →2003年12月26日付幻泉館日録@楽天:足立巻一『やちまた』

私の読書速度はめちゃくちゃ速いのでその気になればあっという間に読み終えたはずなのですが、とにかくゆっくりと読んだ本です。
早く終わってしまうのがもったいないのです。

今年のベストはもちろんBob Dylanの"Chronicles: Volume One"。
googleを使って調べないと出てくる固有名詞がわからないので、いつ読み終わるのかわかりません。
もちろんそれが楽しいのです。

「Kettle of Fish」は何と訳したらいいのかわかりません。
店の名前なので「ケトル・オブ・フィッシュ」でもいいのですが、まあ「魚鍋」ということで。
未来に向けて壁があったという記述の後で、また二行空き。
いきなり「魚鍋」の話になります。

それでライブハウスの様子を書くのかと思ったら、田舎で聴いたラジオ番組のタイトルを列挙し始めます。
御大ディランおやじ、やっぱり思いつくままに書いているのではないかしら。

ラジオ番組は、中西部にいたころのディランの心象風景の大きな部分を占めているのです。
その時は今生きている時間が永遠に続くかのように感じる多感な思春期。
ディランは田舎町でこんな番組を聴いていました。
1940年代と50年代の、アメリカのラジオ番組。

★「Inner Sanctum(心の聖域)」
★「Suspense(サスペンス)」
 ディランはホラーとユーモアという解説を付けていますが、傑作ドラマが多かったようです。
 テレビの「ヒッチコック劇場」が始まったのは1955年。
 「ミステリー・ゾーン」「ロアルド・ダール劇場/予期せぬ出来事」も同系統ですね。

 →全米ラジオドラマ傑作選

★「The Lone Ranger(ローン・レンジャー)」
 テレビ版は私も知っています。
 小さなころ、おもちゃの拳銃とガンベルトを買ってもらいました。
 白馬シルバーに乗っています。
 「ハイヨー、シルバー!」
 ストーリーはまったく覚えていません。

 →The Lone Ranger

 →CLAYTON MOORE, THE LONE RANGER

 →ノスタルジック ワールド

田舎町の少年ディランは、こんなラジオ番組を夢中になって聴いていたんですね。
ただいまp.50です。


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CHRONICLES #42 ディランとハロルド・アーレン

クリスマスの土曜日夕方、浜に行ってみた。 海も空も静かで、夕陽を眺めに来る人も多い。 昨年のクリスマスイブに見かけた高校生とよく似たカップルがいたのだが、別人なのだろう。

人は去り時は流れ、でも海と空は変わらない。
来年のクリスマスにもまたほほえましいカップルが夕陽を見に来るのだろうか。

千本浜 2004年12月25日

ジュディ・ガーランド(Judy Garland)が歌った名曲"The Man That Got Away"と"Some where Over the Rainbow"はハロルド・アーレン(Harold Arlen)が書いた曲です。
アーレンはハーレムのあのコットン・クラブでピアノを弾いていた人です。
デューク・エリントンとの競演もあるそうですが、このあたりではもう私にはわからない世界です。

ディランはアーレンのヒット曲として次のようなタイトルを挙げています。
つまり、好きだったんですね。

"Blues in the Night"
"Stormy Weather"
"Come Rain or Come Shine"
"Get Happy"

「ハロルドの曲には、田舎のブルーズとフォークが聞こえた」とディランは書いています。
なんだか仲間のような感情(emotional kinship)を抱いたのですね。
当時のディランはウッディ・ガスリーに夢中だったのですが、その前にはハンク・ウィリアムズが大好きだったそうです。

ハロルド・アーレンのほろ苦く、孤独な歌の世界が大好きになったのですが、ヴァン・ロンクはそういう歌を歌うことができました。
ディランは自分もそんなふうに歌うことができたはずだが、そうしようとは夢にも思わなかったと言っています。
自分の台本にはそんなことが書いていなかった。
自分の未来にもそんなことはなかった。

-------------------------------------------
What was the future? The future was a solid wall, not promising, not threatening----all bank. No gurantees of anything, not even the guarantee that life isn't one big joke.

未来はどんなものだったのだろうか。未来は固い壁だった。見込みがあるわけでも、不気味なわけでもない堤。何の保証もまったくなかった。人生がおおげさな冗談ではないという保証さえなかった。
-------------------------------------------


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CHRONICLES #41 ディランとジュディ・ガーランド

2004年12月19日

ジュディ・ガーランド(Judy Garland)はミネソタ州グランドラピッズ(Grand Rapids)の出身で、ディランの生まれたところから20マイルほどのところなのだそうです。
ミシガン州のグランドラピッズ以外に、ミネソタ州にもあるのですね。
ディランはミネソタ州ヒビング(Hibbing)の出身だそうです。

それで、ジュディの歌を聴くと、なんだか隣の家の女の子が歌っているような感じがしたのだと書いています。
なるほどね。
うちの親父様が若い頃に伊豆の山中で代用教員をやっていたのですが、研ナオコさんが出てきた時、隣の家の娘のことのように話していました。
研ナオコさんの親戚をよく知っていたのですね。

ジュディはディランよりずっと前の時代の人なので……ここでディランはエルトン・ジョン(Elton John)の歌を引用しています。

 ♪ I would have liked to have known you,
 ♪ but I was just a kid.
 
これは「Candle In The Wind」という曲ですね。
冒頭は

 ♪ Goodbye Norma Jean
 ♪ Though I never knew you at all
 ♪ You had the grace to uphold yourself
 ♪ While those around you crawled

そう。
これはノーマ・ジーン、つまりマリリン・モンローのことを歌った曲なんです。

 ♪ Goodbye Norma Jean
 ♪ Goodbye Norma Jean
 ♪ Goodbye
 ♪ Goodbye Norma Jean

 →MIDI INTERNATIONAL: Elton John

もちろんディランはジュディ・ガーランドのもう一つの名曲「Some where Over the Rainbow」にも触れています。
「the cosmic」という修飾語を付けて。

 →2003年9月15日付幻泉館日録@楽天
  世紀を刻んだ歌 オーバー・ザ・レインボウ


【追記】No.1

私の自己宣伝リンクをご覧になってくださると、なぜディランがジュディを隣の姉ちゃんみたいだったと語りながら、マリリン・モンローを歌ったエルトンの曲を思い出したのか、なんとなく納得できるのではないでしょうか。

ジュディが第二次世界大戦時に軍を慰問したように、マリリン・モンローは朝鮮戦争時に在韓米軍を慰問しています。
二人とも、兵士たちに守るべき「家」を思い起こさせるアイドルだったのでしょう。
スターになってしまったために幸福とは言えない短い一生を送ったジュディとマリリンは、今もやはり偶像として人々の心に中に生き続けているようです。

と、怪しい与太話を付け加えてしまいましたが、googleで「マリリン・モンロー」「慰問」と検索すると、朝鮮戦争で慰問した時のマリリン・モンローを再現したフィギュアなんぞがヒットしました。
驚き。


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CHRONICLES #40 ディランとジュークボックス

千本浜 2004年12月21日

ディランは後に親友になるニューワースのことを才能のある人物だったと書いています。
でも、あまり野心というものは持っていなかったとも。
二人は同じものを好むことが多かったそうです。
ジュークボックスの中の曲でさえ。

ジュークボックスというのは、私が高校生だった70年代前半には既にレトロな雰囲気をもったものでした。
小さいころ、あの西武が開発した箱根のスケート場でお兄さんお姉さんたちが興じているイメージ。
高校2年の高原教室では、ホテルのラウンジでこっそりかけたつもりが、大音量で響いてびっくりしてしましました。
「While My Guitar Gently Weeps」を聴くと、今でも志賀高原の夏を思い出します。

ボブとボビーが聴いていたジュークボックスは、ほとんどがジャズだったそうです。
日本のジュークボックスとはだいぶ違いますね。

 →Zoot Simms

 →Hampton Hawes
 
 →Stan Getz
 
リズム&ブルーズ(rhythm-and-blues)もあったそうです。

 →Bumble Bee Slim
 
 →Slim Galliard
 
 →Percy Mayfield
 
ディランによれば、いわゆるビート族はフォークに寛容ではあったが、別に好んでいたわけではないそうです。
好まれたのはモダンジャズ、ビバップです。

なんだかおかしいのは、ディランは実際に自分でコインを入れて、ジュディ・ガーランド(Judy Garland)の「The Man That Got Away」を何度かかけたと書いてることです。
夢中になったわけではないと言ってますが、好きな曲だったんですね。

 →The Man That Got Away Lyrics

音源を探したのですが、歌詞しかみつかりませんでした。
amazon.comあたりで試聴できることでしょう。
ジュディ・ガーランドは去年ベスト盤が出てるんですね。
すごいわあ。

ただいまp.49です。


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CHRONICLES #39 ボブとボビー

【追記】No.1

-----------------------------------------------
Like Kerouac had immortalized Neal Cassady in On the Road, somebody should have immortalized Neuwirth.

ジャック・ケルアックが『路上』でニール・キャサディの名を不朽のものとしたように、誰かがニューワースの名をそうしておくべきだったのだが。
-----------------------------------------------

ボブがボビーのことを語る時には、その思い入れがあふれてしまっています。
実際に二人が行なったのは「放浪」ではなかったのでしょうが、でもディランにとってはかけがえのない旅だったのでしょう。

OFFICIAL WEB SITE OF JACK KEROUAC

The Neal Cassady Experience


千本浜 2004年12月21日

「ガス灯」は混雑していたので、ディランはポーカーをやっている楽屋に行くほかに、隣の「魚鍋(Kettle of Fish)」という店にもよく遊びに行っていたようです。
もっとも、そこもいつも混雑していたというのですから、ディランはふらふらするのが好きだったのでしょう。
そこでいろいろな人を見るのがおもしろくてしかたがなかったようです。

お隣さんに出演していた人としては、こんな名前が挙がっています。

 →Richard Pryor
 
 →David Amram
 
 →Gregory Corso
 
 →Ted Joans
 
 →Fred Hellerman

------------------------------------------------
ある夜、ボビー・ニューワース(Bobby Neuwirth)という奴が友人と一緒にやってきて、大騒ぎを起こした。
その後、僕とボビーはフォーク・フェスティバルで何度か会うことになる。
最初から挑発的なやつで、あいつの自由はなにものも制することができないのがすぐにわかった。
何かに対してめちゃくちゃに反乱していた。
------------------------------------------------

ボビーはアクロンの出身で、ボブと同い年のバンジョー弾き。
ボストンの美術学校に通っていて、来年の春には田舎に帰ることになっていたそうです。
後に二人は親友になり、一緒にツアーをします。

 →A MOVIE FOR DAVID GEFFEN

ディラン19歳当時のグリニッチ・ビレッジを説明したサイトがありました。

 →Village Walking Tour


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CHRONICLES #38 ディランとポーカー

千本浜 2004年12月17日

「ガス灯」では出番が終わると演者は楽屋に上がっていったそうです。
そこでは夜通しポーカーをやっていました。
いつもそこにいたメンバーとしては、ヴァン・ロンク(Van Ronk)の他にストゥーキー(Stooky)、ロムニー(Romney)、ハル・ウォーターズ(Hal Waters)ポール・クレイトン(Paul Clayton)ルーク・ファウスト(フォースト? Luke Faust)レン・チャンドラー(Ren Chandler)の名前が挙がっています。

この中のストゥーキー(Stooky)とロムニー(Romney)が誰なのかわかりません。
Stookeyというと、Peter, Paul and Maryのポール・ストゥーキーしか知りませんが、そうなのでしょうか。
 →Noel Paul Stookey
 
そこは出入り自由で、小さなスピーカーからステージの様子が流れていました。
自分の出番が近づいたらわかるようになっていたわけです。

掛け金はニッケル(5セント)、ダイム(10セント)、クォーター(25セント)といった小銭の硬貨だったけれど、時には総掛け金(pot)が20ドルといった大勝負(?)になることもあったそうです。

ここで確認しておきますと、ディランが後に初めてレコード契約をした時に渡された当面の生活費が100ドルでした。
週末に観光客の投げ銭目当てに徹夜で演奏して得たお金が一晩20ドルで、これは悪くない金額のようでした。

さて、若造ディラン君は、正直ポーカーをしていて助言をもらったようです。

------------------------------------------------------
二度目か三度目のドローでワンペアもできなければ、僕はいつもカードを伏せてゲームを投げた。
ある時チャンドラーが教えてくれた。
「ブラフのかけ方を覚えなきゃ。それをやらなきゃ、このゲームでは絶対に勝てないよ。ブラフでしくじることだって必要なんだ。後で、勝ち札を持っているのにブラフをかけていると他の連中に思わせたい時に、役に立つだろ。」
------------------------------------------------------

悪いこと教えるオトナがいるもんですな。
いや、チャンドラーさんは親切なんです。
こうやってオトナの仲間入りをしていくものなんでしょう。

ポーカーの用語やルールはこちらをどうぞ。

 →ポーカーの種類とルール

ただいまp.47です。


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CHRONICLES #37 ディランと「ガス灯」

千本浜 2004年12月18日

クラウゼヴィッツに触れて「政治は力だ」と言い、バルザックに触れて「人生は金だ」と語るディラン。
これだけだとなんだかその辺にいる普通のおじさんみたいに見えますね。

でも、二十歳ぐらいのディランがやってたことは尋常ではありません。
普通のおじさんがやらなかったことです。
歌手になるという目標を決めて、そのために突っ走っているのです。
自らの定義が「歌手」なんですから、他の仕事はしません。
自分の部屋はなくてもなんとかなるから、その分の時間を人脈作りと学習に当てます。

学習といえば、フォークロア・センター(the Folklore Center)はディランにとって文字どおり「私の大学」だったのではないかと思います。
レイとクローイの部屋も大衆文化の一般教育課程のようなものですから、グリニッチビレッジが「私の大学」かな。

バルザックの話から二行空けて、いきなり「The Gaslight(ガス灯)」の話に戻ります。
覚えておいででしょうか。
ヴァン・ロンクと一緒にステージに立つことができるようになってディランが喜んでいた、あのカフェです。

 →GASLIGHT CAFE

-----------------------------------------
「ガス灯」はかぶりつきのテーブルといったような特別なものは何もなかったが、最初から最後までいつもすし詰めの混雑だった。
テーブルに腰掛ける者もいれば、壁際に立っている者もいた。
壁は煉瓦造りで、照明は暗く、パイプが剥き出しだった。
-----------------------------------------

唐突です。
これでレイとクローイの部屋の回想は終わったのかしら。
よくわからないまま読み進みます。

-----------------------------------------
寒い冬の夜でも、入るのに列ができた。
地階にある二つの入り口まで、人の塊が続いていた。
中にはいつもとてもたくさん人がいるので、息もできないほどだった。
どれぐらい収容できたのか知らないが、いつも一万人以上いるみたいだった。
-----------------------------------------

ディランのおやじギャグです。
そんなに入るわけがない。
こういう状態ですから、いつも消防署長が出たり入ったりしていたそうです。

ディランはここで二十分の持ち時間で演奏をしました。
持ち歌のフォークソングを歌って、何が起こるか注意していたそうです。

はい、半端ですが、今夜はここまで。
ただいまp.46です。


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CHRONICLES #36 ディランとバルザック

千本浜 2004年12月17日

ディランの書物談義はまだ続きます。
ロバート・グレイブス(Robert Graves)の『白い女神たち(The White Goddess)』を読んだと書いています。
どうも映画『アマゾネス(The Amazoness)』(1973年)はこの人が原作者なんですね。
この映画は高校生の頃、友人たちと観に行きましたぞ。
お目当ては『燃えよドラゴン』(1973年)。
もちろん、あのブルース・リーの主演作です。
のんびり市では、この二本立てで興業していたのでありました。

あ、ロバート・グレイブスが映画になってるんですね。
来年公開のようです。
 →Poetic Unreason
 グレイブスの詩にリンクを張ってくれてます。

ディランは数年後、ロンドンでグレイブスに会います。
あれれ?
"Don't Look Back"のころかしら。
二人でパディトン広場を元気に歩き回ったということです。

本に書いてあったことをグレイブス本人に尋ねたかったけれど、その場ではあまり思い出すことができなかったそうです。
それはそういうものですね。

それからまたまた意外なことに、ディランはあのバルザックが好きだったようです。
たくさん読んだと書いています。
『従兄ポンス(Le Cousin Pons)』はわかるんですが、『運と革(Luck and Leather)』というのはのは何なんでしょう。

------------------------------------------------
バルザックはとてもおもしろかった。
彼の哲学は平明で単純。
狂気に対する処方箋は基本的には純粋な物質主義であると言っている。
------------------------------------------------

う?ん、よくわかりません。

------------------------------------------------
B氏からはたくさん学ぶことができる。
彼を仲間として迎えることは、おもしろい。
彼は修道士のローブをはおり、絶えずコーヒーを飲み続ける。
眠り過ぎると、動きが滞ってしまうのだ。
歯の一本が抜け落ちると、こう言う。
「これはどういう意味だ?」
あらゆることを尋ねる。
彼の服はろうそくの火がついて燃える。
燃えるのはいい兆しかもしれない。
バルザックは楽しい。
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私の鬼門領域なのでありますが、確かに文豪というだけあって、バルザックは豪快さんらしいです。


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CHRONICLES #35 (Bob Dylan)

千本浜 2004年11月

昨日のゴージャズ・ジョージは強烈でしたが、読んでいて映画『ブルース・ブラザーズ』のジェームズ・ブラウンを思い出しました。
ジェイクとエルウッドが歌って踊る説教に天啓を受けてしまうところね。

ディランに聞こえた"You're making it come alive."は、まあ「君はそれを生きている状態にさせている」なんですが、たとえばナベサダさんの言葉だったら、「ゴキゲンだね」という誉め言葉になるんでしょう。

当然ながら、その時一緒に演奏していたバンドは例によって引き抜かれてしまいます。
他にも演奏を観ていた人がいたんですね。
またバンドのメンバーを集めようとはするのですが、結局その時から独りで演奏して歌うというスタイルを練習することになります。
「お金を払ってバンドを雇うことができるようになるまで。」

ここで、やっとクラウゼヴィッツの名前が出てくるのです。

----------------------------------------------------
クラウゼヴィッツの本は時代遅れのようだったが、その中には本当のことがたくさん書いてあった。
それを読めば、慣習的な生活と環境からの圧力が理解できた。
政治が道徳に取って代わったが、政治とは暴力なのであるとクラウゼヴィッツが言う時、それは別にふざけているのではない。
それは信じなければならない。
----------------------------------------------------

道義ではなく、力が人間関係を支配しているのだと、やや露悪的な書き方をしています。
その現実を直視しなければならない。

----------------------------------------------------
クラウゼヴィッツはいくつかの点において預言者である。
気づかぬうちに、この本の中のいくつかのものが君の考え方を形成するかもしれない。
もしも自分が夢想家だと思うのなら、この本を読んで、自分が夢見ることさえできないのだと気づくかもしれない。
夢を見るのは危険なことだ。
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ただいまp.45です。


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CHRONICLES #34 (Bob Dylan)

八幡町歩道橋 2004年12月15日

ディランのバンドが復員軍人会のロビーで演奏していても、誰も振り向いてはくれませんでした。
ところが突然ドアが開いてゴージャス・ジョージ本人が入って来ました。
これもすごいリングネームですね、ゴージャスって自分で名乗っちゃうんですよ。
「豪華絢爛ジョージ」って、あぁた、叶姉妹じゃないんだから。
で、その豪華絢爛な登場の仕方を描写するディランの筆致がおもしろいのです。

---------------------------------------------------
He roared in like the storm, didn't go through the backstage area, he came right through the lobby of the building and he seemed like forty men. It was Gorgeous George, in all his magnificent glory with all the lightning and vitality you'd expect.
---------------------------------------------------

まさに一騎当千、後光がきんきらきんにまぶしいゴージャス・ジョージです。
従者が何人も付き、薔薇の花束を抱えた女性が取り囲み、長いブロンドの巻き毛がなびいていたそうです。

そして、音楽がする方向を向くと、ディランと視線を合わせ、ウィンクして言うのです。

---------------------------------------------------
"You're making it come alive."
---------------------------------------------------

さらにおかしいのは、本当にゴージャス・ジョージがそう言ったかどうかは問題ではないと、ディランが続けて書いていることです。
ゴージャス・ジョージがそうつぶやいたように、ディランに聞こえたということ、そしてそれを決して忘れてはいないということが大切なんだそうです。
自分が人に認めてもらって、それに励まされたということ。
とても嬉しかったんでしょうね。

ただいまp.44であります。


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CHRONICLES #33 (Bob Dylan)

千本浜 2004年12月14日

私が初めてクラウゼヴィッツの名を目にしてから二十年ぐらい経ったころのことだろうか。
広瀬隆さんが『クラウゼヴィッツの暗号文』という本を出したので、ふむふむと読んだ。
どうも閨閥などというのがピンと来なかった。
わたしゃ血で人を語るのが好きではないんだな。

従妹が防衛大出身の自衛官と結婚した時、うちの家族で私だけ結婚式に招待されなかった。
反戦自衛官の本を出したりしている会社にいたので、出世に関わるとでも思ったのだろうか。
その後NHKの下請け仕事をしている時には、その叔父さん(従妹の父親)が揉み手をしながら近寄ってきたのはおかしかった。

ディランが絶大な信頼を寄せていたおばあちゃんは、傷心のディランにこういったことを言います。

"There are some people you'll never be able to win over. Just let it go--let it wear out."
 「お前が絶対に勝てない連中もいるんだよ。それが廃れるまで放っておきなさい。」

そりゃそうなんだけど、ディラン少年の気持ちは収まりません。
せっかく作りかけたバンドを取り上げてしまう連中は、地域の議会や商店会にコネのあるやつらでした。
こういった血縁関係は、どの地域でもいたるところでさまざまに結びついていました。
なんだか丸裸にされたような気がしたと、ディランは言っています。

だからといって、それでスネるということもなかったそうです。
一族のコネはそれはそれで正当なのだと、オトナです。
コネがあるからといって誰も責めることはできない。
だからディラン少年はほとんどいつも自分のバンドを失ってしまうし、もし失ってもこれ以上ショックを受けることはなくなりました。

失ったら、また作ったのです。
とにかく演奏したい、だからバンドを作り続けました。
何度も停止して待ち続けても、認められることがほとんどありません。
それでも続けるのです。
すると、時にはこの不可解な存在の退屈さを変化させるようなウィンクや合図が訪れることもあるのです。

50年代半ば当時のディラン少年は、町の復員軍人会の建物にある州兵軍事教練場(the National Guard Armory)のロビーで演奏していたそうです。
なんだかすごい場所ですが、いろいろな催しを行なうイベント会場になっていたのですね。
ディランはここでSlim WhitmanHank SnowWebb Pierceといった歌手のステージを観たそうです。

この会場に、ゴージャス・ジョージ(Gorgeous George)という偉大なレスラーがやってきました。

 →Gorgeous George
  おっと、このサイトかなりおもしろいです。
  力道山やタイガーマスクもいます。

ゴージャス・ジョージと一緒に来たレスラーのリングネームが笑えます。
 ゴリアテ(Goliath)
 吸血鬼(The Vampire)
 竜巻(The Twister)
 絞殺魔(The Strangler)
 骨砕き(The Bone Crusher)
 厄介者(The Holy Terror)
ディランはプロレスが好きだったのでしょうか。
妙に記憶が詳しいですね。
女子プロレスや小人プロレス(midget wrestlers)も一緒に来たというのですから、田舎町ではすごいイベントだったのでしょう。

ああ、あの有名なゴージャズ・ジョージが、ディラン少年に声をかけてくれたのです。
とっても嬉しかったんですね。
その話はまた明日。

ただいまp.47です。
実はディランはまだクラウゼヴィッツのことを書いているつもりなんですよ。


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CHRONICLES #32 (Bob Dylan)

千本浜 2004年7月24日

私がクラウゼヴィッツの名を知ったのは、たぶん高校生の時に寺山修司の『さかさま世界史』といったものを読んだ時だと思います。
「怪物伝」だったか「英雄伝」だったか、覚えていません。
漠然と『戦争論』は読んでおいた方がいいんだろうなあと思って読んだのですが、どうもあまり残っていません。
似たような経緯で読んだジョルジュ・ソレルの『暴力論』の方が強烈な印象を受けたように記憶しています。
もっとも中身を全然覚えていないので、今読めばだいぶ印象が違うのでしょう。
そうそう、ベンヤミンの『暴力批判論』を読もうとして忘れていました。

ディランの場合は、クラウゼヴィッツの『戦争論』がかなり気に入ったようです。
もしかしたら、本に載っていた肖像画のためかもしれません。
詩人か俳優のような容貌に好感を持ったのでしょう。

----------------------------------------------
クラウゼヴィッツにとって、石を投げたりするのは戦争ではなかった。少なくとも、理想的な戦争ではなかった。彼は戦場において大きな役割を演じる、天候や気流といった心理的偶然的要因について多くを語っている。
----------------------------------------------

ディランの言葉に妙に力が入っているのは、実は歌手を志す前には陸軍士官学校(West Point)に入ろうかと思ったこともあるかららしいです。
これは意外です。

----------------------------------------------
Years earlier, before I knew I was going to be a singer and my mind was in full swing, I had even wanted to go to West Point. I'd always pictured myself dying in some heroic battle rather than in bed.
----------------------------------------------

思春期の少年が畳の上で死ぬより戦場で英雄的な死を遂げたいと夢見たりするのは、わからないでもありません。
でも、ディランがベトナムで死んだりしなくて良かったです。

少年ディランは、どうしたら陸軍士官学校に入れるのか、父親に尋ねたのだそうです。
すると、名前に"De"や"Von"が入っていないから、コネや身元証明書が必要だと言われました。
なんともとぼけた親父さんです。
とにかくコネを探せと。

叔父さんはもっとずっとそっけなかったそうです。
「政府のために働かなきゃいけないなんて思うな。兵隊ってのはおまんの方だ、モルモットだ。鉱山に行って働け。」

ディランは父親の「コネと身元証明書」という言葉にカチンと来たようです。
その言葉を思い出して、どうも人生ではうまく行かないことが起こるものだという回想を始めます。
自分のバンドのメンバーが揃いそうになると、誰かに持っていかれてしまう。
毎回そうだった。
演奏でお金が稼げるぞという甘言で、みんな釣られていってしまったのだそうです。
その度にディラン少年は、一緒に暮らしていたおばあちゃんに愚痴をこぼしていたのであります。

話はどこへ行ってしまうのか。
これでまだクラウゼヴィッツの話は終わってないのですよ。


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CHRONICLES #31 (Bob Dylan)

千本浜 2004年12月11日

今はamazonなんぞで本を買うことが多くなったので、本屋さんで立ち読みをすることが少なくなりました。
中学生や高校生ぐらいの時はどんなジャンルの本でもおもしろくて、何時間でもいろいろな本を読んでいたものです。
レコード屋さんでも、LPの大きなジャケットを一枚ずつ引っ張り出しては眺めていたものです。

二十歳ぐらいのディランも、何にでも目を通していたようです。
近くに大きな本屋さんがなかったそうなので、レイとクローイの部屋の本棚を隅から隅まで漁ったのでしょう。
曲がった膝の治し方、助産のやり方、寝室での虫垂切除法といった"how-to"もの。
こういった本はホットな夢を与えてくれるかもしれないとディランは書いていますが、これはヤバイなあ。

フェラーリドゥカッティのデッサンや、アマゾネスの女たち、ファラオのエジプトの本。
サーカスのアクロバットや、恋人たちや、墓地の写真集。
思いつくままにそこで見た本のことを書き出しています。

でも、やっぱり歴史物が好きなんですね。
フリードリヒ大王が作曲もしていたと知って驚いたと書いています。
詳述しているのは、クラウゼヴィッツ『戦争論(Vom Kriege)』
名前はヒンデンブルクみたいだけど、本にある肖像画では詩人のロバート・バーンズ(Robert Burns)俳優のモンゴメリー・クリフト(Montgomery Clift)みたいだと、妙な感想を書いています。

ただいまp.41です。


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CHRONICLES #30 (Bob Dylan)

千本浜 2004年12月11日

ディランはスティーヴンズの伝記の他にも、テディ・ルーズベルトの伝記を読んだそうです。
第二次大戦時のフランクリン・ルーズベルトではなくて、20世紀初頭のセオドア・ルーズベルト大統領です。
この人も共和党。
とてもとんがった印象のある若きボブ・ディランが、共和党の政治家の伝記を読みふけっていたというのは、なんだか不思議です。

 →The White House: Theodore Roosevelt

 →WikiPedia: セオドア・ルーズベルト

「ルーズベルト」という表記は原音と比べてあんまりだと思うのですが、「ロウズヴェルト」と書くと誰のことだかわからないので、おなじみの「ルーズベルト」で行きます。

ルーズベルトは農場主でそれから警察(crime buster)に勤めたのだが、カリフォルニアをめぐる戦争(米西戦争)のため、職を辞さなければならなかった。
当時のアメリカのほとんどを所有してしまったのがJ.P.モルガン。
ルーズベルトはモルガンを退却させようとして、投獄するぞと脅した。

私もずっと以前にモルガンとルーズベルトの話は読んだことがあるのですが、何がどうだったのか、まるで覚えていません。
モルガンのことをディランは「a deity figure」と書いています。
アメリカ経済界の絶対神だったんですな。

ステーヴンズにしても、ルーズベルトにしても、モルガンにしても、まるでバラッドの中の人物が外に出てきたみたいだったとディランは言います。
バラッドを聴くように、歴史物の本を読んでいたのでしょう。
そんなバラッドの例として、ディランは三つの曲名を挙げています。

「Walkin' Boss」
 フレイトフル・デッドが演ってますね。
 →Walkin' Boss

「The Prisoner's Song」
 Jimmy Martinのバージョンが有名?
 →The Prisoner's Song

「Ballad of Charles Guiteau」
 Charles Guiteauは1881年7月2日にガーフィールド大統領を暗殺した犯人です。
 猟官運動に失敗したために逆恨みして大統領暗殺に走ったのだそうです。
 →Ballad of Charles Guiteau(すごい音源が聴けます)

次には、書棚で見た美術書を思い出しています。

マザウェル(Robert Motherwell)

ジャスパー・ジョーンズ(Jasper Johns)

アドルフ・メンツェル(Adolf von Menzel)

この辺りの本の方が自然ですね。


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CHRONICLES #29 (Bob Dylan)

千本浜 2004年12月8日

ページの途中で二行空けて、ディランの意識はまたレイの部屋に戻ります。
その部屋は本当に静かな部屋でした。
ラジオやレコードを聴いていなければ、墓場のような静けさの中でディランは本に没頭していたのです。
考古学者のように本を発掘していたと書いています。

共和党急進派サディウス・スティーヴンズ(Thaddeus Stevens)の伝記を読んだそうです。
アンドリュー・ジョンソン(Andrew Johnson)大統領弾劾の中心人物ですね。

 →『剣なき闘い』

ジョンソン大統領はリンカーン大統領の時の副大統領で、リンカーン暗殺によって大統領に昇格した人物です。
ケネディ大統領暗殺の時もリンドン・ジョンソン副大統領が昇格したので、二人とも「ジョンソン」だと話題になりましたが、まあ平凡な姓ですからね。

奴隷解放を推し進め、黒人の待遇改善や公民権授与を求めて努力したのが、スティーヴンズです。
死後は黒人墓地に埋葬してくれという遺言を残したそうですが、現在のブッシュ大統領で共和党をとらえていると、ちょっと想像できませんね。

ディランの記述によれば、スティーヴンズはバイロンと同様に内反足(clubfoot)でした。
バイロンと同様にと書くところがディランです。

 →先天性内反足

貧しかったけれど自分の力で財を成し、そして社会的弱者を擁護するために戦ったのだそうです。
リンカーン大統領がアメリカン・ドリームの一つの典型として引き合いに出されるのと似ています。
リンカーンもスティーヴンズも共和党。
スティーヴンズが糾弾したジョンソン大統領は元々民主党なんですが、共和党に鞍替えして副大統領になったのだそうです。

スティーヴンズはブラックユーモアのセンスがあり、鋭い口舌で、当時の傲慢な「貴族」に対する熾烈な憎悪を表現しました。
奴隷所有者の土地を没収しようとしていました。
議会の同僚議員のことを「自分の粘液の中をこそこそ歩く」などと評しました。
反メーソンであり、敵対するフリーメーソンを口元から血煙が上がっていると批難しました。
政敵の真っ只中にいながら、その敵を「光を避けて群れの中に隠れている、動きののろい、弱っちい爬虫類」と呼びました。

この伝説的な共和党員に、ディランはずいぶん惚れ込んだようです。
ただいまp.40。


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CHRONICLES #28 (Bob Dylan)

千本浜 2004年12月8日

ディランはそのころまで、書物や作家に夢中になったということはなかったのだが、物語は好きだったと言っています。
mythical(神話的な、伝説的な、架空の)といった語を何度も使って、昔お気に入りだった物語に触れています。

エドガー・バロウズ(Edgar Rice Burroughs)
 裸のランチじゃありませんよ、ターザンです。
 →TARZAN
  
ルーク・ショート(Luke Short)
 19世紀のガンマンではなくて、1975年に亡くなった西部劇作家だと思います。
 →Luke Short (Frederick Dilley Glidden)

ジュール・ヴェルヌ(Jules Verne)
 →Jules Verne Page

H.G.ウェルズ(H. G. Wells)
 →H.G.ウェルズ(1866-1946)

1950年代の中学生が夢中になって読んだ大衆小説という感じですね。
少年ディランはこういう読み物が好きだった。

私も中学生ぐらいの時にフレデリック・ブラウンを読んで、もう少し大きくなってからP.K.ディックに進んだりしたのでした。
ああ、図書館にあった「SFマガジン」で筒井康隆さんの連載『脱走と追跡のサンバ』を読んだな。

でも、ディランはフォークソングを発見したのです。
フォークシンガーなら、こういった本まるごと一冊を、数行の詞で歌うことができる。
ディランがここで言っているフォークソングは、バラッド(ballad)と呼ばれるものに近いようです。
物語詩に節をつけた流行歌、ぐらいでしょうか。

-------------------------------------------------------------
どうしたらある人物や出来事がまともなフォークソングになるのか、説明するのは難しい。
たぶん、公明正大で正直な性格といったものと関係があるのだろう。
つまり、勇敢さといったものと。
アル・カポネはギャングとして成功してシカゴの地下世界を支配することができたが、誰もカポネの歌など作らなかった。
どのような点においてもカポネはおもしろくないし、英雄でもなかった。
カポネではつまらない(frigid)。
-------------------------------------------------------------

バラッドというと無法者を歌っているような気がしますが、やはり感情移入できる気持ちのいい人物でなければ、歌の主人公にはならないわけです。
高倉健さんの時代の東映ヤクザ映画は歌になるけれど、『仁義なき戦い』シリーズでは歌になりません。

ディランはカポネのことをボロクソに書いてます。
カポネは凶悪犯や暴漢といった類いのもので、歌の中で名前を与えられるほどの価値もない。
それに対して「美少年フロイド(Pretty Boy Floyd)」は、わくわくさせてくれる。
彼のことを歌った曲は、本当に血肉を持っているし、人間というものを表現して、感動的だ。

ディランがアル・カポネに対峙させた無法者「美少年フロイド」はオクラホマ州で活躍した義賊。
ディランはそう書いていませんが、ウッディ・ガスリー(Woody Guthrie)の歌のことを言っているのです。

 →Woody Guthrie Lyrics: Pretty Boy Floyd

 →Digital Tradition Mirror: Pretty Boy Floyd

 →Pretty Boy Floyd 美少年フロイド

ウッディ・ガスリーとレッドベリーに捧げられた『Folkways: A Vision Shared』では、ディランはこの曲を選んで歌っています。

 →11月24日付幻泉館日録 我が祖国


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CHRONICLES #27 (Bob Dylan)

千本浜 2004年12月7日

さらにレイとクローイの蔵書に関する記述が続きます。

-------------------------------------------------
潜在意識の王者フロイト(Sigmund Freud)の「快感原則の彼岸(Beyond the Peasure Principle)」という本があった。
ある時僕がその本をかじっているとレイが入ってきて、その本を見て言った。
「その分野のトップは広告代理店で仕事をしてる。あいつら、空気を売ってるんだ。」
僕はその本を戻して、二度と手に取ることはなかった。
-------------------------------------------------

金の動くところにはどこにでも現われて、需要どころか欲望まで創り出して、後は草も生えない状態にしてしまう、日本の大手広告代理店を思い出しました。
ディランの若い頃に近い時期だと、日本ではウィスキーや化粧品が思い浮かびます。

南軍の総指揮官だったリー将軍(Robert E. Lee)の伝記も読んだそうです。
この人は敗軍の将なんですが、アメリカでは非常に高い評価を受け、尊敬されてるんですな。
ディランは特に、その父親が家族を捨てて西インド諸島へ出奔してしまうところに興味を持っていたようです。
敗戦後は南部の人達へ、連邦への忠誠を説いていたそうで、この人の言葉のおかげで合州国は内戦の泥沼が続かずに済んだのだと、ディランは高く評価しています。
ディランは歴史物が好きなんですね。

ディランは言葉の響きが好きだったので、多くの書物を音読したのだそうです。
詩を読むのなら、正しい態度ですね。
ミルトン(John Milton)の「ピエモンテの大虐殺」がお気に入りで、「フォークソングの詞のようで、しかもずっと優美だった」と言っています。

 →On the Late Massacre in Piedmont

書棚にあるロシアの本は、ひときわ暗い存在でした。
革命的だと考えられていたプーシキン(Aleksandr S. Pushkin)の政治的な詩。
貧農たちを教育していたトルストイ(Count Leo Tolstoy)の本。

ディランはそれから二十年以上経ってからトルストイの家に行ったと書いています。
モスクワの「トルストイの家博物館」に行ったようですね。
ツアー・ガイドがトルストイの自転車に乗させてくれたと、嬉しそうに書いています。

 →tolstoy.ru

ドストエフスキーが社会主義の宣伝をしたかどでシベリア送りになったことも書いています。

-------------------------------------------------
He was eventually pardoned and wrote stories to ward off his vreditors.
Just like in the early '70s I wrote albums to ward off mine.
 結局ドストエフスキーは赦免され、債権者から逃れるために作品を書いた。
 ちょうど僕が70年代初めに債権者から逃れるためにアルバムを書いたのと同じように。
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p.39に入ったところです。


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CHRONICLES #26 (Bob Dylan)

IP屋上駐車場 2004年12月5日

ディランは友人の果てしない蔵書について、続けて書いています。

ソポクレース(Sophocles)の、神々の本質と機能に関する本……性が二種類しかない理由。
アレクサンダー大王はペルシャに進軍したのだが、部下たちを現地の女性と結婚させたので、反乱などで苦労することはなかった。
完全に支配する方法を知っていたのだ。
シモン・ボリバル(Simon Bolivar)の伝記もあった。

フォークナー(William Faulkner)の『響きと怒り(The Sound and the Fury)』を少し読んで好みには合わなかったのですが、フォークナーはすごいと思ったそうです。
アルベルトゥス・マグヌス(Albertus Magnus)も少し読んでみました。
彼にまつわる伝説を少し書いていますが、これは読破するには至らなかったようです。
「足の大きな人に合う巨大な靴のようなもので、読むには大きすぎる本も多かったのだ。」

大抵は詩集を読んでいたようです。

バイロン(George Gordon Byron)

シェリー(percy Bysshe Shelley)

ロングフェロー(Henry Wadsworth Longfellow)

ポー(Edgar Allan Poe)

ポーの「鐘のうた(The Bells)」はギターを爪弾きながら暗唱したそうです。
これは聴いてみたいですな。

モルモン教の創始者ジョセフ・スミス(Joseph Smith)の本や、イタリアの詩人レオパルド(Leopardi)の"La Vita Solitaria"についても、少し書いています。

まだp.37であります。


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CHRONICLES #25 (Bob Dylan)

今日はネタがないからはっぴいえんどの「12月の雨の日」のタイトルだけ書いておこう。
というのが幻泉館日録のスタイルだったのですが、そんなことがなくなってしまいました。
夜にクロニクルズのネタはつきまじ。
どこまで行っても終わりません。

日本語版が出たら?
その時は誤訳指摘サイトに変わってしまうかもしれませんね。
あの『メイキング・オブ・ブレードランナー』や『9.11』の訳者だったら絶対に間違えるよなあという箇所が毎ページ出てきます。

英文を読む時はいちいち日本語に訳したりしないものですが、さすがにこのペースだと、ここはどう訳すといいのかなあなどと考えてしまいます。
私が立ち止まって考えたところでは、品川四郎さん(の下請け?)や山崎淳さんは間違えるはずです。
そんな水準で訳書を出したら、力いっぱい誤訳指摘サイトに変身しますよ。
一粒で何度でもおいしい『クロニクルズ』です。
良質な翻訳書を出してくださいよ、あなた。

もちろん私の間違いがたくさんわかったら、大お詫びサイトになります。

さて、段落が変わっても、ディランはまだレイとクローイの書庫を描写しています。
二十歳ぐらいの時の友人の蔵書……確かに結構はっきり覚えているものです。

Standing in this room you could take it all for a joke.
There were all types of things in here.
  この部屋の中に立っていると、全部が冗談のようにも思えた。
  部屋の中にはあらゆる種類のものがあったのだ。

活版印刷(typography)
碑文研究(epigraphy)
哲学(philosophy)
政治思想(political ideologies)

このあたりは、私の部屋も似たようなものです。
エピグラフィの本はありませんがね。
その後にまた固有名詞が続きます。
う?ん。

『ローマ皇帝伝(The Twelve Caesars)』
ペリクレス『民主主義の理想国家(Ideal State of Democracy)』?
トゥキュディデス『アテネの将軍(The Athenian General)』?

こりゃわかりませんわ。
ディランは読んでますよ、これ。
「寒気を催すような物語だ」と書いています。
キリストが生まれる400年も前に、人間というのはさらに優れたモノに対して常に敵であったと書かれた、のだそうです。

「トゥキュディデスは、彼の時代の言葉が、その本来の意味からどれだけ変わってしまったか、瞬きする間に行動や意見がどれだけ変わるのか、書いている。
彼の時代から今まで、それはまったく変わっていないのだ。」

その後には、もっとおなじみの名前が並んでいます。
ゴーゴリ、バルザック、モーパッサン、ユーゴー、ディケンズ。
ディランは適当に本を手に取って真ん中辺を数ページ読んで、気に入ったら最初から読んだそうです。

『薬物学(Materia Medica) 病気の原因と治療』はいい本だったと言っているのがおかしいです。
自分が受けなかった分野の教育を求めたのだそうです。

表紙に走り書きのしてある本もありました。
レイとクローイが一言で感想をメモしたのでしょう。
マキャベリの『君主(The Price)』には、「活動家の精神(The spirit of the hustler)」と書いてあり、ダンテの『地獄篇(Inferno)』(『神曲(La Divina Commedia)』中の初篇)には「コスモポリタン」と書いてありました。

本は特定の秩序やテーマもなく並んでいました。
ルソーの『社会契約論(Social Contract)』は『聖アントニウスの誘惑(Temptation of St. Anthony)』の隣にあり、オウィディウスの『変身物語(Metamorphoses)』はデイビー・クロケットの自伝の横にありました。

ディランは本が好きですね。
この後まだ延々と書物の話が続きます。
ただいまp.37に入ったところ。

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1961年2月ニューヨーク

私が学校で習った「英語」は、意味が漂白された一般名詞の言葉だった。
たとえば人種差別にしたって、それは遥かな国遠い昔のできごとなのだ。
生きている言葉ではなかった。

数行に渡ってただ並べられた固有名詞の羅列に、そんなものは役に立たない。
1961年2月のアメリカ合州国ニューヨーク。
米ソ対立やハリウッド映画のコラージュはどんな意味を持つのだろうか。
別に裏など読む必要もない。
その固有名詞にどんな音や映像を思い浮かべることができるのか。
それがディランの言葉を楽しむということだろう。

どうも誤解されているフシがあるようですが、私はボブ・ディランのことは歌以外にはまったく知らないのです。
コンサートは一回しか観たことがありません。
本は片桐ユズルさんと中山容さんの訳詞集を持っているだけです。

音楽雑誌は買いません。
おっと『ロック画報』という日本の音楽雑誌は買うようになりました。
洋楽雑誌は買いません、だな。

だから、まったく虚心にディランの散文を読んで、そこに現われる固有名詞がよくわからないのでいろいろ調べてみている。
そんな読書ノート、読書メモです。

ソ連のフルシチョフ第一書記は、1959年に訪米しています。
アイゼンハワー大統領とキャプデービッドで会談するのですが、テンガロンハットのようなものをかぶってはしゃいでみせたり、ニクソン米副大統領と一緒にテレビに登場してカラーテレビぐらいソ連でもすぐに開発してみせるわと強がってかわいいところを見せたりしていました。

そのニクソンは1960年に大統領選に出ますが、ご存知のようにテレビのためケネディに敗れています。
「祖国があなたのために何ができるかを尋ねてはなりません、あなたが祖国のために何を行うことができるか尋ねてほしい。」
有名な就任演説は、1961年1月20日。
清新なイメージでケネディ大統領(42歳)が登場したばかりのころなのです。

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CHRONICLES #24 (Bob Dylan)

千本浜 2004年8月

ディランはラジオのスイッチを切って、部屋の筋向かいにある白黒テレビを点けます。
そう、『巨人の星』で一球投げるのに何週間もかかったのと同じように、今までディランはラジオを聴いていたのです。
もっとも、本文では丸三ページ分ほど。
おそらくそんなに長い時間ではありません。

1961年2月の寒い日に、ディランがレイとクローイの部屋に泊まったのは事実だと思います。
その部屋にあるラジオでロイ・オービソンの新曲を聴いたあたりまではやはり事実だと思いますが、実際にラジオを聴きながら今まで書いたようなことを、その時に考えたのかどうかは、怪しいなと思います。
もうすぐ二十歳という年齢のころに考えていたことではあるのでしょうが、レイとクローイの部屋ではどうだったんでしょう。

もちろん意図的に伝説を作ろうとしているのではないでしょう。
再構成された、ディランにとっての事実。
それでいいのだと思います。

二行空けて、僕はラジオを切ったという文が出てくるので、読者はハッと我に返るのです。
そうなんだ、ディランはラジオを聴いていろいろ考えていたのだと。

テレビでは"Wagon Train"を放映していました。
この番組は知らないので調べてみると、日本では『幌馬車隊』というタイトルだったようです。
平尾昌晃さんが主題歌を歌っていたとか。

 ♪ 隊長アダムスの指揮のもと
 ♪ 時には憎み、また、愛し合う
 ♪ 野越え、山越え、幌を連ね
 ♪ 行くぞ、我らがWAGON TRAIN

うん、まるでわかりませんわ。
60年代前半のテレビ番組は、日本のドラマやバラエティは生放送。
アメリカ生まれのドラマはフィルムのものを流していました。
うちはお金持ちではなかったのでテレビが来たのは遅かったし、地方局の民放は一つしかなかったので、たぶん見ていません。

ディランはすぐにテレビのスイッチを切って、別の部屋に行きます。
窓のない、洞穴のような書斎です。
床から天井までジャンルを問わずぎっしりと本が詰まっていて、過剰な存在感があります。
固有名詞が列挙してありますが、その関連の本があったということでしょう。

Brando
 マーロン・ブランド(Marlon Brando)のことでしょうか。
 『波止場(On the Waterfront)』は1954年の作品です。

James Dean
 ジェームズ・ディーンの死(1955年)から六年後です。

Milton Berle
 ヴォードヴィルの人気者で、テレビの寵児となったそうです。
 「Uncle Miltie」「Mr. Television」と呼ばれる。

Marilyn Monroe
 マリリン・モンローが亡くなるのはこの翌年、1962年です。

Lucy
 この流れから行くと、「I Love Lucy」や「Lucy Show」のルーシーでしょう。
 ルシール・ボールさんの当たり役ね。

Earl Warren
 最高裁判所首席裁判官(1953-69)
 ケネディ大統領暗殺事件調査委員会の長(1963-64)

Khrushchev
 フルシチョフ、もちろん共産党第一書記&首相。
 脱スターリンの時代です。

Castro
 1959年にカストロが首相になって、まだ2年しか経っていません。
 21世紀になっても君臨しているとは、ディランも夢にも思わなかったことでしょう。

Little Rock
 高校でアフリカ系アメリカ人が登校することを阻まれた人種差別事件のことだと思います。
 →Little Rock Crisis

Peyton Place
 これはテレビドラマですね。
 ん、小説の映画化(1957年)の方かな。
 →The PEYTON PLACE Pages

Tennessee Williams
 おお、これぞグリニッチ・ビレッジの青春ですな。

Joe DiMaggio
 こちらもアメリカの英雄ですな。
 →Joe DiMaggio

J. Edgar Hoover
 半世紀近く(1924-1972)FBIの長官を務めた人物です。
 →FBIの歴史

Westinghouse
 わかりませんが、総合電機メーカーのWestinghouse Electric社のことでしょうか。
 Westinghouse

The Nelsons
 これがどちらのネルソンさんなのかわかりません。
 このシリーズなのかなあ。
 →Here Comes the Nelsons

Holiday Inn
 これは普通にホテルのチェーンでしょう。
 1952年創立だそうです。

hot-rod Chevys
 シボレーの改造車でしょうか。
 チバラギなスカG?

Mickey Spillane
 私立探偵マイク・ハマー(Mike Hammer)シリーズの作家ですね。
 →外国テレビ映画紹介

Joe McCarthy
 「赤狩り」を巻き起こした大嘘つきの上院議員です。

Levittown
 大規模な住宅開発が行なわれた町ということでいいのでしょうか。

今ではとてもわかりにくい固有名詞が並んでいるのですが、意外にup-to-dateなモノが詰まった書庫であるようです。
並んだ固有名詞から想像すると、もしかしたら雑誌の方が多かったのかもしれません。


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CHRONICLES #23 (Bob Dylan)

ディランにとって、歌は自分を導いてくれるものでした。
解放された、自由の共和国へ。
それを三十年後にグリール・マーカス(Greil Marcus)が「目に見えない共和国(invisible republic)」と呼ぶことになります。

 →The Official Greil Marcus Home Page

とにかくディランには、大衆文化の主流というものが時代遅れでインチキなものに見えました。
窓の外に壊れることのない霜の海があって、そこを不便な履物で歩かなければならないようなものだった。
誰もそんなことで思い悩んではいなかった。
自分たちがどんな時代にいるのかということも、歴史の真実とは何なのかということも、僕にはわからなかった。

もしも本当のことを言えば、それで万事よくなるだろう。
でも、本当じゃないことを言っても、それで万事よくなってしまうのだ。
フォーク・ソングは僕にそんなことを教えてくれた。

何時だったのかといえば、いつも陽の光が差し始める時だった。
そして僕も歴史のことがちょっとだけわかった。
ほんの数ヶ国の歴史だけ。
それはいつも同じパターンなんだ。

社会が成長し、栄え、そして崩壊していく、歴史のどの時点にアメリカがいるのかということが、ディランには気になっていたようです。
二十歳ぐらいの若者ディランが、一所懸命に時代のことを考えていたんだなあ。

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CHRONICLES #22 (Bob Dylan)

千本浜 2004年11月22日

し・は・す!

ディランはオービソンや他の歌手たちのことを延々と書き綴っていますが、場面としてはまだレイとクローイの部屋でラジオを聴いているところです。

僕はとにかくレコードを作りたくてしかたがなかったのだが、ラジオで流れているような音楽、45回転のシングル盤を作りたかったわけではない。
フォークシンガー、ジャズ・アーティスト、クラシックの音楽家たちはLPを作っていた。
この溝の中に山のように歌を詰め込んだロング・プレイ・レコード(long-playing records)だ。
LPなら何なのかがはっきりわかるし、重さがわかるし(決定的な影響を及ぼすし)、大きな絵がもっと描けた。
LPは重力みたいだった。
カバーが前も後ろもあって、何時間だって見ていられた。

ディランは最初からアルバムの重要性を強く感じていたようです。
シングル盤のバブリングポップスを歌いたかったわけではないということです。
もちろんビートルズ以前。
ディランは「フォークソング」を歌っていたけれど、商業主義的なラジオで流れるようなレパートリーはまったくなかったと断言しています。
ディランにとって歌とは、単なる軽い娯楽以上のものだった。

大胆にはしょってp.34が終わろうとしています。
私、今夜はちょっと忙しかったのであります。



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CHRONICLES #21 (Bob Dylan)

IP屋上駐車場 2003年11月26日

1961年の聖バレンタインデー直後にディランがラジオでロイ・オービソンの新曲「Running Scared」を聴いたころ、既にいわゆるフォークソングがラジオでよく流れていました。
キングストン・トリオやブラザーズ・フォア。
いわゆるモダン・フォークやカレッッジ・フォークの時代ですね。
ディランにとっては小ぎれいにまとまりすぎていたようですが、それでもキングストン・トリオは好きだったそうです。

 →モダンフォークの幕開け

 →The Offcial Kingsotn Trio

 →Official Web Site of the Brothers Four

ブラザーズ・フォアの結成は1956年、キングストン・トリオは1957年、私が生まれたころに、カレッジフォークも生まれたのですね。
そりゃ古いわ。

ブラザーズ・フォアの「グリーン・フィールズ」が全米チャートを駆け登ったのは1960年なので、そのヒットのことをディランは言っているのでしょう。
毎年来日して地方公演を行なっているので、おなじみのグループですね。
しかし、「グリーン・リーブス・オブ・サマー(遥かなるアラモ)」なんてのはどうなんだろうなあ。

 →TOP10 HITS OF LAST CENTURY 映画『アラモ』

Remember the Alamo
Remember the Maine
Remember the Pearl Habor

私は実に気持ち悪いのです。
今は同様に"Remeber 911"が声高に叫ばれているのでしょうか。
ディランにとっての「フォークソング」は、まだブレイクしつつあるぐらいのところ。
当時はそんな雰囲気を持った流行歌が常に現われていたと言っています。

 →Jody Reynolds "Endless Sleep"

今はどのヒット曲もオールディーズのくくりに入れられてしまうので、ディランが言っていることがわかりにくいかもしれません。

オービソンの場合はもっといろいろな要素がごたまぜになったチャンプルーでした。
フォーク、カントリー、ロックンロール……。
ささやくように歌い始め、フランキー・バリーのような裏声になったり、オリンピアの丘の上から歌っているようだったり。
オペラやマリアッチまでディランは引き合いに出しています。

オービソンは既に「Ooby Dooby」というヒットで人気があったけれど、今度のヒット曲はまったく違うものでした。

He was now singing his compositions in three or four octaves that made you want to drive your car over a cliff.

ディランの表現おもしろいですね。
崖から跳んではいけませんわよ。


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CHRONICLES #20 (Bob Dylan)

千本浜 2004年11月22日

雪の積もった通りをいろいろな人達が通り過ぎます。
ニューヨークには常にとてもたくさんの物語があるはずなのですが、それはいつも渾然となって目の前に現われます。

ここでディランは日付がわかるようなことを記しています。
聖バレンタインデーがやってきて過ぎていったが、ディランはそれに気づかなかったそうです。
ロマンスの時間なんかなかったと言っています。
1961年2月15日。
身体を温めようとカップにホットチョコレートを注ぎ、それからラジオのスイッチを入れます。

僕はいつもラジオで何かを漁っていた。
汽車や鐘と同様に、ラジオはいつも僕の生活のサウンドトラックだった。
ダイヤルをあちこちに回すと、小さなスピーカーからロイ・オービソン(Roy Orbison)の声が炸裂した(blasted)。
彼の新曲「Running Scared」が部屋の中で爆発した(exploded)。

 →Roy Orbison Midi Files

その日聴いた「Running Scared」の他に、それ以前にフォークということでディランが聴いた曲の名前が並んでいます。

「Big Bad John」
 →Big Bad John

「Michael Row the Boat Ashore」
 →Michael, Row the Boat Ashore
 →こげよマイケル

「A Hundred Pounds of Clay」
 →gene mcdaniels
 →Jack's MIDI Music -A-

意外な曲名が並んでいるような気がします。
60年代のディランといえば、なんだかトンガリまくっているようなイメージがあるので。
汽車や、鐘や、こういう曲もまた、ディランを作っていったんでしょうか。


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CHRONICLES #19 (Bob Dylan)

千本浜 2004年11月9日

雪景色のニューヨーク。
通りの向こうには、鐘楼のある教会が見えます。
鐘の音も、ディランの心が安らぐのだそうです。

僕は鐘の音が聞こえると、いつも耳を澄ました。
鉄の鐘、真鍮の鐘、銀の鐘……鐘は歌った。
休日の日曜には、礼拝のために鳴った。
誰かが亡くなったときに、結婚する時に、鐘が音を立てた。
何でも特別なことがあると、鐘が鳴ったものだ。
鐘の音が聞こえると、なんだか嬉しい気持ちがするものだ。
僕はドアの呼び鈴や、ラジオで流れるNBCのチャイムの音まで好きだった。

レイとクローイの部屋から見える教会の鐘は、今静かです。
粉雪が舞うニューヨークの街を、ディランは詩的に綴っています。

A blizzard was kidnapping the city, life spinning around on a drab canvas.
Icy and cold.

さて、ディランが好きだったNBCのチャイムがとても気になりますね。
なにげなくgoogleで検索すると、そのものを説明しているページがありました。

"This is the National Broadcasting Company, Bong Bong Bong."

この「ボン、ボン、ボン」のことです。
アメリカだと、誰もがいつか聞いたことのある、おなじみの「ボン、ボン、ボン」なんですね。
ちゃんと音も聞けました。

 →A History Of The NBC Chimes

あはは、なかなか進みませんね。
まだp.32です。


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CHRONICLES #18 (Bob Dylan)

IP屋上駐車場 2004年11月25日

【トラックバック試験】

遅々として進みませんが、何も焦ることはありません。
要するに何が書いてあるのか、などと問うなかれ。
ボブ・ディランという人物が生きている、その一瞬一瞬が活写されているのですよ。

ディランは回想から我に返ります。
といっても、まだレイとクローイの部屋でニューヨークの雪景色を眺めているところから、まったく進んでいません。
ディランはクリーム色のドレープ(カーテンのような覆い)まで歩くと、ネチャンブラインド(ひもで上げ下げや採光調節をする板すだれ)を巻き上げて、雪の大通りを見下ろします。

ここの家具は上等なもので、手作りのものもあった。
衣装箪笥は象眼細工が施されており、掛け金にも飾りがあった。
本棚も床から天井まである、装飾的なもの。
不規則な幾何学模様の付いた、長細い直方体のテーブル。

There were electric plates ingeniusly placed in closet shelves.

これが何のことだかわかりません。
まさかホットプレートじゃありませんわね。
う?ん?

レイとクローイの部屋がどんなだったのかを詳細に思い出してくれているのですが、これは私にはとてもわかりにくい部分です。
1960年ごろのニューヨークの生活実感というものが、まるでつかめないのです。

台所は森のようだった。
メグハッカ(pennyroyal)、クルマバソウ(woodruff)、リラの葉といったものの箱でいっぱいだった。
流行というよりも、やっぱりちょっと変わった人達だったのだろうと思います。

北部の血統だけれども南部生まれのコールという娘は、バスルームで物干しの綱を使うのが上手だった。
僕(ディラン)のシャツもよくそこにぶら下がっていた。
僕はいつも夜明け前にやってきてソファにすべりこんだ。
血を求めて蒸気で動く鉄の馬、夜行列車のガタゴトいう音(rumbling and grumbling)に合わせて寝入ることが多かった。

ディランは小さなころからよく列車を眺め、その音に親しんでいたので、列車を見たりその音が聞こえたりすると、安らぐのだそうです。
心の故郷。
あの不思議なジャケットを思い出します。

 →Slow Train Coming (1979)

私の場合も谷間の村を走る列車に郷愁を感じます。
小さなころ谷川で泳いだ村。

 →絵の中のぼくの村

他の映画にも印象的な列車が出てきますね。
主人公が鉄橋にぶらさがる『路傍の石』は、何度も映画化されています。
『スタンド・バイ・ミー』も狙って作ってますなあ。
お、翻訳の誤りを指摘しているサイトがあります。

 →"The Body" (「スタンド・バイ・ミー」)の翻訳について


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CHRONICLES #17 (Bob Dylan)

千本浜 2004年11月23日

ニューヨークで知り合いの家を泊まり歩いているころのことを回想しているディランに戻ります。
窓から雪景色を眺めながら、小学生のころのことを思い出していました。

今はニューヨークにいるんだ。
周りには、きっと共産主義者も反共主義者もたくさんいることだろう。
ファシストもたくさんいるんだろう。
左翼の独裁者気取りの者(would-be)も、右翼の独裁者気取りの者も、たくさんいることだろう。
あらゆるタイプの過激派がいる。

第二次世界大戦によって啓蒙の時代が終わったのだと言われていた。
でも、僕(ディラン)はまだその中にいた。
そういうものに光明を感じた。
ヴォルテール、ルソー、ジョン・ロック、モンテスキュー、ルター……。
こういった予言者、革命家は、まるでうちの裏に住んでいる知り合いみたいだった。

おもしろいなと思ったのは、ディランがこういった啓蒙思想家の名前を挙げていることよりも、こういった人の本を読んでいたということです。
たとえば日本の高校生は、そこそこ優等生の部類なら今ここに挙げた人の名前をほとんど知っていると思います。
でも、実際に彼らの著書を読んだかというと、逆にほとんど読んではいないのではないかと思います。
貼り付けられたラベルを暗記しているだけではないでしょうか。
これで日本の文化の浅さがわかるような気がします。

まだp.30。
できれば追記して読み進めたいと思います。
『クロニクルズ』の追記は下に付けます。

【メモ】

「MovableType」は実に簡単に自前サーバにインストールできた。
高機能である。
これはいい。

ただし、URLを明示的に書き込んで置かなければならないので、私の場合はLAN専用で使うのか、公開用にするのか二者択一となる。
コメントやトラックバック機能が欲しいので公開用にすると、LANからでアクセスできなくなってしまうのだ。
惜しいなあ。


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CHRONICLES #16 (Bob Dylan)

千本浜 2004年11月22日

極東で米ソの代理戦争が行なわれていたころ、アメリカではつい数年前に友軍だったロシアに対する脅威が声高に叫ばれていました。

誰かがショットガンを突きつけている時に怖がるのと、現実ではないものを怖がるのは、まったく違うことだ。
でも、この恐怖を本当だと受け取って、それを押しつけてくるやつが多かった。
そして、簡単にこの空想の犠牲者になってしまうのだ。

小学校の教師は、ディランの母親を教えたのと同じ教師だった。
母親の時は若く、ディランの時には年をとっていた。
アメリカ史の授業では、共産主義者(commies)は銃や爆弾だけではアメリカを壊すことはできないと教わった。
アメリカ合州国憲法(the Constitution )を壊さなければならないのだ。

でも、まったく同じことだった。
空襲警報が鳴れば、机の下に顔を下に向けて寝ころばなければならない。
筋肉一つ動かしてはならないし、物音一つ立ててもならない。
まるでこうすれば、爆弾が落とされても助かるかのように。

ディランの回想から、当時のアメリカ国民が、いかに共産主義者の攻撃を恐れていたのかうかがえます。
同時に、アメリカ人が空襲や核兵器に対して無知であったこともわかります。

このくだりを読んで、『アトミック・カフェ』(1982年)という映画を思い出しました。
マイケル・ムーア監督のお師匠さんたちが作った映画です。
冷戦下アメリカで流されたニュース映像や政府広報映像のコラージュです。
まさにノー天気に核戦争を考えているのだなあとわかります。
一般的なアメリカ人は原爆を落としておいて、その下でどんなことが起きたかということには無知なのです。

 →『アトミック・カフェ』

もっとも、アウシュビッツや広島長崎については教えても、南京のことは教えない日本であまり偉そうなことは言えません。
アメリカの人種差別に関しては詳しいのに、日本の人種差別に目を向けないというのもありましたな。

ほんのちょっとしか進んでません。
p.30。
ひさしぶりに丸一日お休みなので、追記できるかな。
『クロニクルズ』の追記は下に付けます。


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CHRONICLES #15 (Bob Dylan)

千本浜 2004年11月20日

【お知らせ】

幻泉館サーバ御利用の皆様

下記時間帯はNTTの工事のため、一時停止します。
11月26日(金) 04:00?06:00

ほんの一瞬で済むこともありますが、午前中いっぱい停止してしまう場合もあるので御了承ください。


【追記】No.1

書斎の蛍光燈が点滅して鬱陶しいので取り外した。
買って来なくては。
スタンドがあるので別に困ることはないのだが、暗い部屋の中で中島みゆきを聴いている。

そう、中島みゆきさん。
少し前にamazonからクーポンが届いたのだ。
「地上の星」の苦しそうな歌い方があまり好きではないので今回の新譜はどうしようと思っていたのだが、それで買うことにした。

すべて昔の曲である。
なんとなく「夜会」を観ているような気分になる。
オリジナルより聴きやすいものが多いように思うが、凌いでいるかというと微妙なところだろう。
「怜子」「信じ難いもの」「傾斜」といったあたりの選曲が嬉しい。

よく間違えられるようだが、「怜子」と「玲子」はだいぶ意味が違う。
「怜悧・伶俐」の「怜子・伶子」。
「玲瓏」の「玲子」。
「知」と「美」の選択である。
と、レイコさんが言ってたなあ。

1978年のアルバム『愛していると云ってくれ』。
お元気ですかという語りで始まるこのアルバムが、やはり「中島みゆき」だなあと思ってしまう。

「本当に泣いているんですか?」
「教えてあげない。」

詩人との対談を思い出す語りに続き、♪れ?い?こ?♪と歌い出すこの曲は凄かったなあ。
「化粧」や「世情」も入っていた。
「ネクラ」という流行語で片付けれられることが多かったけれど、あのころのそういう凄みが、今は乏しいように思う。

中島みゆき『いまのきもち』
 3150円(悪税込)
1. あぶな坂
2. わかれうた
3. 怜子
4. 信じ難いもの
5. この空を飛べたら
6. あわせ鏡
7. 歌姫
8. 傾斜
9. 横恋慕
10. この世に二人だけ
11. はじめまして
12. どこにいても
13. 土用波


The trial reminds the whole world of what led to the formation of the Israeli state.

アイヒマンの裁判は世界中に、イスラエル国家の成立を生み出すことになったものを思い出させる。

これはナチスのユダヤ人殺戮を意味するのだと思います。
こう書いた後、原文は2行アキ、やっと年号が出てきます。

I was born in the spring of 1941。

ヨーロッパでは既に第二次世界大戦の戦火の下にあり、アメリカもまもなく参戦することになる。
世界が分断され、新しくこの世に生まれた者たちの顔にはいきなり混沌の拳が見舞われていた。

すんません、元の語の雰囲気を生かそうとすると、よくわからなくなりますね。

世界は変わろうとしていた。
このころ生まれた者はみんな、旧世紀と新世紀をまたがって生きてきたのだ。

ヒトラー、ムッソリーニ、スターリン、ローズヴェルト。
似たような連中が現われることはもうなさそうな、そんな人たちが世界に屹立していた。
みな独りで行動し、互いに無関心であり、承認されようともしなかった。
みな人類の運命を支配しようとし、そして世界を瓦礫にしてしまった。
アレキサンダー大王、ジュリアス・シーザー、ジンギス・カン、カール大帝、ナポレオンといった長く続く列に連なり、彼らは世界を切り刻んだ。

ディランは第二次大戦時の列強指導者や、世界の英雄を批判します。
論証不能な、こんな感覚がいいなと思います。
やっぱりボブ・ディランはこういう人だったんだというのが嬉しいです。
そうでなければ、「戦争の親玉」「ハッティ・キャロルの寂しい死」を歌ったりしませんわな。

そういえば、最近「戦争の親玉」がニュースに登場してました。
コロラド州の高校で、「戦争の親玉」を歌った高校生がシークレットサービスに捜査されたというものだ。

 →暗いニュースリンク

ディランの父親は小児麻痺にかかったことがあるので、戦争に行かなくて済んだそうです。
でも、ポールおじさん、モーリスおじさん、ジャック、マックス、ルイス、ヴァーノンといった人達(たぶん叔父さん)は戦争に行きました。
それぞれ、フィリピン、アンツィオ(イタリア)、シシリー、北アフリカ、フランス、ベルギーへ出征しました。
そして、ガラクタをお土産に持ち帰りました。
日本製の麦わらでできたシガレットケース(?)、ドイツ製のパン袋、イギリス製エナメルペイントのマグカップ、ドイツ製防塵ゴーグル、イギリスの戦闘用ナイフ、ドイツのルガー拳銃。
これも順番どおりなのだと思います。
ともて詳細な記憶です。

1951年に、ディランは小学校に通っていました。
その時に訓練されたのは、空襲警報がなった際に机の下に隠れることです。
ロシア軍が爆撃するかもしれないから。
いつなんどきロシア軍のパラシュート部隊が降下するかもしれないのだとも、教わったそうです。
ほんの数年前に、ディランのおじさんたちが味方として共に戦った、あの同じロシア人が、です。

もちろん日本のすぐ近くで戦争があったころです。
例によって広辞苑の説明。
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ちょうせん‐せんそう【朝鮮戦争】
大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国とが、第二次大戦後の米・ソの対立を背景として、1950年6月25日衝突し、それぞれアメリカ軍を主体とする国連軍と中国義勇軍の支援のもとに国際紛争にまで発展した戦争。53年7月休戦。朝鮮動乱。
----------------------------------------------------------

道草を食ったので、まだp.29です。


【メモ】
せっかく自前鯖があるのだからweblogサーバにならないかと思っていたら、perlで動く「Blosxom」というものがあるそうだ。
読み方はblossomと同じ、「ブロッサム」ぐらいの感じ。

本体はなるべく簡素化してあり、プラグインでトラックバックやXMLに対応するようだ。
意外に簡単に設置できそう。
問題は日本語文字コードの扱いかな。

blosxom :: the zen of blogging
 Bloxom 本家

blosxom::日本語訳
 Bloxom 日本語訳

hail2u.net
 blosxom starter kit


ということで、早速試してみました。
ちゃんと動くのですが、LAN内から扱う時は外を経由することができないというのが、ネックになりますな。
ルータの仕様だからしょうがない。

iswebのようにcgiを使える外のサーバだったら問題なく動くだろうけど、それだったら楽天広場やgooやlivedoorがあるので、意味がない。

さて、どうしようか。


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CHRONICLES #14 (Bob Dylan)

千本浜 2004年11月13日

★下に【追記】No.1があります。

ヴァン・ロンクの友人でポール・クレイトンという人がいました。
ディランによれば少なくとも30枚はレコードを出しているはずだが、あまり知られていないそうです。

Dr. Paul Claytonということで、学者さんなんですね。
あれ、違うか。
googleで何人も違う人がヒットしてしまいます。
この人だな。
 →The Bob Dylan Who's Who: Clayton, Paul

インテリで、学者で、詩人。
民謡(Balladry)の知識がとても豊富なんだそうです。
いきなりこんな記述があるということは、話は「Gaslight」で歌っているころのことなんでしょうね。

それで、このポール・クレイトンがディランに紹介してくれたのがレイ・グーチ(Ray Gooch)とクローイ・キール(Chloe Kiel)。
この部屋の持ち主はこの二人でした。
この二人に関しては、googleで検索しても、この『クロニクルズ』の記述がひっかっかるだけですな。
クローイは「ダフニスとクロエ」のクロエと同じ名前なので、女性です。
レイとクローイはカップルなんでしょう。

ディランはベッドから起き出て窓から外を見ます。
下には白と灰色の通りが川に延びています。

The air was bitter cold, always below zero, but the fire in my mind was never out, like a wind vane that was constantly spinning.

「a wind vane」というのは風向計です。
心の中では火が絶えず燃え続けていたという比喩に、くるくると動き続けている風向計をさらに加えるところがちょっと不思議です。

「midafternoon」と言ってるので、もう午後3時過ぎ。
部屋の主であるレイとクローイはいません。

レイはディランより十歳ほど年上と書いてありますから、三十路に入ったぐらい。
バージニアの出身で、年老いた狼のように痩身で喧嘩慣れした印象です。
血筋は良家のようで、司教や将官、植民地総督まで先祖にいます。

非国教徒で、非統合の南部ナショナリストだとありますが、その辺りの感じは今ひとつピンと来ません。
昨日出てきた「連邦様式の建物」にが似合いそうな気がします。
日本でいえば草莽の志士といった趣を持った人物でしょうか。
当時ディランが歌っていたような伝説の中に出てきそうです。

レイはアメリカの都市でのゴタゴタにはほとんど興味を示さず、本当の行動とは「コンゴにある」と言っていたそうです。
旧ベルギー領のコンゴ民主共和国と旧仏領のコンゴ共和国が独立したのが1960年。
レイは民族派だったのでしょう。

クローイは金髪で薄茶色の目をしていて、人形のように不可解な笑みを浮かべているのですが、たぶんかなりかっこいい女性ですね。
爪を黒く塗っていたというのはどうなんでしょう。
八番街の「the Egyptian Garden」で「a hatcheck girl」をしていたそうです。
ベリーダンスなんかを見せる店の、まあ受付みたいなものでしょう。
雑誌『Cavalier」のモデルもしていたというのだから、やっぱりかっこいいんですね。

二人は夫婦のようでもあり、兄妹のようでもあり、従兄妹のようでもあり、とにかく説明できないけど、一緒に暮らしていました。

p.26が終わります。


【追記】No.1

クローイはちょっと変わった人だったようで、ディランに妙なことを言います。

あんたアイシャドーを塗った方がいいよ、邪悪な目から逃れることができるから。
え、誰の目?
ジョー・ブロウ(Joe Blow)やジョウ・シュモウ(Joe Schmoe)の目。

この二人の名前は、つまり俗物を個人名化して言っているようです。
日本語で言えば、ミーちゃんハーちゃんといった感じ。
ピンクレディじゃないですよ。

さらにクローイは、この世はドラキュラに支配されているというのです。
ドラキュラとは、印刷機を発明したグーテンベルクの息子。

含蓄があるんだかないんだか、よくわからない会話です。
そして、ディランはこんな会話がとても楽しかったと書いています。
50年代のこんな文化はもう滅びる時が来ている。
でも、宗教のように深く心に刻み込まれたフォークソングは、そんな目先の文化には揺るがないだろう。

自分のねぐらがなかったので、ディランはこんなふうにビレッジ中を泊まり歩いていたのです。
一晩や二晩泊めてもらうこともあれば、一週間以上泊めてもらうこともありました。
ヴァン・ロンクのところに泊めてもらうことが一番多くて、レイとクローイのところが気に入っていたようです。
そこはくつろげたということですね。

レイはいい家の出身なので、サウスカロライナのキャムデン陸軍士官学校(Camden Military Academy)に学んだこともあるし、ウェイクフォレスト神学校にいたこともあるのですが、どうも放校処分になっていたようです。
バイロン(Byron)の「ドンジュアン(Don Juan)」を引用したり、ロングフェロー(Longfellow)の物語詩「エヴァンジェリン(Evangeline)」を暗唱したり、確かにディランの好きそうな人です。

レイは「a too-and-die factory」で働いていたと書いてありますが、金型工場ということでしょうか。
その前にはサウスベンドのパン工場や、オマハの屠殺場と、いろいろな仕事を経験しながら、グリニッチ・ビレッジに流れついたのです。

ディランがレイに屠殺場はどんなところだったか尋ねます。
「アウシュビッツって聞いたことがあるかい?」
これがレイの答えです。

もちろん聞いたことはあった。
聞いたことがないやつなんているのだろうか。
ヨーロッパにあった死の収容所だ。
ゲシュタポの長官アドルフ・アイヒマンが管理していたんだ。
最近エルサレムで裁判が始まった。
戦後に逃亡していたのだが、アルゼンチンのバス停でイスラエル人に捕まった。

ディランは急にナチの蛮行とイスラエル国家による裁判のことを書き始めます。
エルサレムでアイヒマンの裁判が始まったのは1961年2月11日、死刑が宣告されたのが1961年12月2日です。

 →『ウィキペディア (Wikipedia)』アドルフ・アイヒマン

p.28に入りました。


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CHRONICLES #13 (Bob Dylan)

千本浜 2004年11月12日

【追記】No.1

ふと気づいたのだが、どうも管理工学研究所は、松茸のサポートをやめたのではないだろうか。
日本語IME(入力ソフト)の話であります。

DOSの時代にVZeditor+松茸という組み合わせで文章を書くようになった。
あれはまだ80年代だったかしら。
一太郎Ver.4で書いていたらPCがフリーズして、一晩の成果およそ四千字ほどが消えてしまったのだ。
これに懲りて新松に乗り換え、松茸に馴染んだ。
さらにワープロよりもエディターの方が軽いので、VZ+松茸になったのだ。
日本語FEP(Front End Processor)という呼び方をしていたなあ。

Windowsの時代になってからはWZeditor+松茸。
WZは一つ前のバージョン(Ver.4)の方が軽いので、それを使い続けている。

私は手書きだと四百字詰め原稿用紙5枚程度でもヒーヒー泣きが入るほど字を書くのが苦手なのだが、PCのキーボードを打つのなら、一晩で400字×20枚程度でもそれほど苦ではない。
以前はそれで糊口を凌いでいたのだ。

こうなると、松茸は手放せない。
少しでも違う動作の入力ソフトだと、途端に入力速度が落ちるのだ。
特にM$の日本語IMEとかいうのは使えない。

それなのに、松茸はどうも生産終了品扱いになっているらしい。
自動車を運転していて、じゃあ5分後にメガネ外しますよと言われた感じ。
夜中に、急に心配になってしまった。

そこでWnnに乗り換えようという結論になった。
LinuxやBSDでおなじみのソフトだ。
FreeWnnというのもあるが、その製品版のWnn7をオムロンが出していて、Linux機で作業をする時はこれを使っている。
Wnn98というWindows版のWnnが出ていたはずだ。

ところがオムロンのサイトに行ってみると、本来の対応OSは「Windows95/98/NT4.0」。
あら、Wnnよ、お前もか……。
うんぬ、困った。

ちなみに、携帯電話の日本語入力には、このWnnを採用しているメーカーが増えているはずです。


第一章「Markin' Up the Score」では、プロとして契約を結ぶところと、その少し前にニューヨークに出てきてグリニッチ・ビレッジで歌うところが描かれていました。
年代記という意味のタイトルなのに、何年何月にこういうことがあったという編年体ではありません。

とりあえずプロとして活動を始めた時に強烈に印象に残っていること、鮮やかに思い出すことから書き始めたのかもしれません。
自信と希望に満ちた若者が第一章のボブ・ディランでした。

登場する曲名や人名もさることながら、やはり文章そのものがやっぱりディランなのでわかりにくいところがあります。
本人は曲を作る時ほど凝っていない素直な言い回しのつもりなのでしょうが、よく調べないと大誤読しそうです。

いや、間違って読んだっていいんですよ。
日本語の歌詞や文章だって、そんなに厳密に読み取ってはいませんよね。

第二章は「The Lost Land」という題が付いています。
ウッディ・ガスリーの「This Land Is Your Land」や、一神教(ユダヤ教/キリスト教/イスラム教)の「promised land」なんぞ思い浮かべながら、p.25に入っていきます。

ベッドの中で身体を起こして、周囲を見回した。
そこはベッドではなくてリビングのソファで、ヒーターからは湯気が上がっていた。

いきなり回想記っぽいですね。
本当にそういう目覚めがあったのでしょう。
暖炉の上には、植民地時代のかつらを付けた肖像画がこちらを見つめています。
引き出しの付いた楕円形のテーブル、手押し車のような椅子、小さな机、長椅子(カウチ)、フランス風の敷物……ディランはどこで寝ていたのでしょうか。
ブラインドを通して光が差し込んでいます。
その部屋はジントニックと木精と花の香りがしています。

連邦様式の建物(a Federal style building)の最上階と書いてありますが、何だかわからないので辞書を引いてみます。
リーダーズ英和辞典によると、「1790年ころから1830年ころの米国で流行した古典主義復興の様式」だそうです。

なんとなくわかったような感じもしますが、一応googleで探してみると、なるほど、やっぱりこういう感じねとわかります。
インターネットというのは、何よりもまず巨大な検索システムなんですね。

 →ARCHITECTURAL STYLES of AMERICA / FEDERAL (1780-1820)

 →American Federal(Adam Style)c. 1780 - c. 1840

 →Federal Style 1790-1830

リーダーズ英和の定義と少し時期がずれている説明もありますが、だいたい見当がつきました。

この建物は運河近くのベストリストリート(Vestry Street)にあって、ハドソン川も近くです。
同じブロックにはブルズヘッドという居酒屋があって、ブース(John Wilkes Booth)がよく飲みに行っていたとディランは書いています。
アメリカのブルータス、ジョン・ウィルクス・ブースと言われても、誰のことかわかりませんね。
1865年4月14日に、リンカーン大統領を撃った人物です。

 →A History of John Wilkes Booth

ディランはそこで悪酔いして、ブースの亡霊を見たことがあるそうです。
で、これはいつのことを書いているのかしら。

まだp.25が終わったところです。


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CHRONICLES #13 (Bob Dylan)

千本浜 2004年11月12日

【追記】No.1

ふと気づいたのだが、どうも管理工学研究所は、松茸のサポートをやめたのではないだろうか。
日本語IME(入力ソフト)の話であります。

DOSの時代にVZeditor+松茸という組み合わせで文章を書くようになった。
あれはまだ80年代だったかしら。
一太郎Ver.4で書いていたらPCがフリーズして、一晩の成果およそ四千字ほどが消えてしまったのだ。
これに懲りて新松に乗り換え、松茸に馴染んだ。
さらにワープロよりもエディターの方が軽いので、VZ+松茸になったのだ。
日本語FEP(Front End Processor)という呼び方をしていたなあ。

Windowsの時代になってからはWZeditor+松茸。
WZは一つ前のバージョン(Ver.4)の方が軽いので、それを使い続けている。

私は手書きだと四百字詰め原稿用紙5枚程度でもヒーヒー泣きが入るほど字を書くのが苦手なのだが、PCのキーボードを打つのなら、一晩で400字×20枚程度でもそれほど苦ではない。
以前はそれで糊口を凌いでいたのだ。

こうなると、松茸は手放せない。
少しでも違う動作の入力ソフトだと、途端に入力速度が落ちるのだ。
特にM$の日本語IMEとかいうのは使えない。

それなのに、松茸はどうも生産終了品扱いになっているらしい。
自動車を運転していて、じゃあ5分後にメガネ外しますよと言われた感じ。
夜中に、急に心配になってしまった。

そこでWnnに乗り換えようという結論になった。
LinuxやBSDでおなじみのソフトだ。
FreeWnnというのもあるが、その製品版のWnn7をオムロンが出していて、Linux機で作業をする時はこれを使っている。
Wnn98というWindows版のWnnが出ていたはずだ。

ところがオムロンのサイトに行ってみると、本来の対応OSは「Windows95/98/NT4.0」。
あら、Wnnよ、お前もか……。
うんぬ、困った。

ちなみに、携帯電話の日本語入力には、このWnnを採用しているメーカーが増えているはずです。


第一章「Markin' Up the Score」では、プロとして契約を結ぶところと、その少し前にニューヨークに出てきてグリニッチ・ビレッジで歌うところが描かれていました。
年代記という意味のタイトルなのに、何年何月にこういうことがあったという編年体ではありません。

とりあえずプロとして活動を始めた時に強烈に印象に残っていること、鮮やかに思い出すことから書き始めたのかもしれません。
自信と希望に満ちた若者が第一章のボブ・ディランでした。

登場する曲名や人名もさることながら、やはり文章そのものがやっぱりディランなのでわかりにくいところがあります。
本人は曲を作る時ほど凝っていない素直な言い回しのつもりなのでしょうが、よく調べないと大誤読しそうです。

いや、間違って読んだっていいんですよ。
日本語の歌詞や文章だって、そんなに厳密に読み取ってはいませんよね。

第二章は「The Lost Land」という題が付いています。
ウッディ・ガスリーの「This Land Is Your Land」や、一神教(ユダヤ教/キリスト教/イスラム教)の「promised land」なんぞ思い浮かべながら、p.25に入っていきます。

ベッドの中で身体を起こして、周囲を見回した。
そこはベッドではなくてリビングのソファで、ヒーターからは湯気が上がっていた。

いきなり回想記っぽいですね。
本当にそういう目覚めがあったのでしょう。
暖炉の上には、植民地時代のかつらを付けた肖像画がこちらを見つめています。
引き出しの付いた楕円形のテーブル、手押し車のような椅子、小さな机、長椅子(カウチ)、フランス風の敷物……ディランはどこで寝ていたのでしょうか。
ブラインドを通して光が差し込んでいます。
その部屋はジントニックと木精と花の香りがしています。

連邦様式の建物(a Federal style building)の最上階と書いてありますが、何だかわからないので辞書を引いてみます。
リーダーズ英和辞典によると、「1790年ころから1830年ころの米国で流行した古典主義復興の様式」だそうです。

なんとなくわかったような感じもしますが、一応googleで探してみると、なるほど、やっぱりこういう感じねとわかります。
インターネットというのは、何よりもまず巨大な検索システムなんですね。

 →ARCHITECTURAL STYLES of AMERICA / FEDERAL (1780-1820)

 →American Federal(Adam Style)c. 1780 - c. 1840

 →Federal Style 1790-1830

リーダーズ英和の定義と少し時期がずれている説明もありますが、だいたい見当がつきました。

この建物は運河近くのベストリストリート(Vestry Street)にあって、ハドソン川も近くです。
同じブロックにはブルズヘッドという居酒屋があって、ブース(John Wilkes Booth)がよく飲みに行っていたとディランは書いています。
アメリカのブルータス、ジョン・ウィルクス・ブースと言われても、誰のことかわかりませんね。
1865年4月14日に、リンカーン大統領を撃った人物です。

 →A History of John Wilkes Booth

ディランはそこで悪酔いして、ブースの亡霊を見たことがあるそうです。
で、これはいつのことを書いているのかしら。

まだp.25が終わったところです。


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CHRONICLES #12 (Bob Dylan)

事務所付近 2004年11月17日

【追記】No.2

リンク先で延々と、ゴミがいかにゴミであるか論証してくださっています。
御苦労様です。

勝手に質問攻めにしてオレ様の質問に答えろとか、オレ様の約束に従えとか、そんなものは即刻削除していいのだということがよくわかりますな。

つまり、嫌がらせのための嫌がらせですから。
そういう輩は相手の反応が餌みたいなものなので、餌を与えてはいけません。

楽天広場の女性住民が特に狙われているようですね。
サイトの編集権は、まとわりついてきたストーカーのようなものにはありません。
ネズミの糞以下のものを貼り付けられたら、さっさと削除してください。


【追記】No.1

ふと枕許を見ると、エリック・クラプトンの『アンプラグド』が転がっておりました。
6曲目に入ってますな、「Nobody Knows You When You're Down and Out」。
amazon.co.jpで調べてみると、邦題は「ノーバディ・ノウズ・ユー」になってます。
もう少しどうにかならなかったんかい。

日本盤はamazonで2325円(悪税込)。
輸入盤はamazonで980円(悪税込)。
もう少しどうにかならないんかい。

本家amazon.comだと、この曲も試聴できます。
Unplugged [LIVE] /Eric Clapton


フォークロア・センターの奥にあるイジーの部屋で、ディランはいろいろな曲を教わります。
The Country Gentlemenの「Girl Behind the Bar」を聴けとか、Charlie Pooleの「White House Blues」を弾いてみせて、これはThe Ramblersが演ったとおりの演奏で、ディランにぴったり合ってると言ったりします。

 →The Country Gentlemen

 →Charie-Poole.com

 →Charlie Poole and the North Carolina Ramblers

 →「White House Blues」楽譜とMIDIファイル

このあたりをgoogleで検索して潜っていくとおもしろいですね。
いくら時間があっても足りません。

ある寒い日にディランがこんなふうにイジーの部屋で修業を積んでいると、あるいは遊んでいると、通りから大男が入ってきました。
まるでロシア大使館から来たような風体の男は、上着の袖の雪を払い、手袋をはずしてカウンターに置くと、煉瓦造りの壁に掛けてあるギブソンのギターを見せてくれと言いました。
センターでは楽器も売っていたのです。

デイブ・ヴァン・ロンクでした。
以前ディランが口もきけなかった、あこがれの歌手です。
ロンクがギターを試し弾きして置くと、ディランは思いきって近づきます。
お店の若造という立場ですから、ギターに手を置いて、ついでに尋ねます。

「Gaslightで働くにはどうすればいいんですか。誰かご存知ですか?」

馴れ馴れしくならないように気をつかってます。

「門番の仕事をしたことある?」

ぶっきらぼうにロンクが答えます。
ディランはないと答え、歌を聞いてもらえないか尋ねます。
快諾を得て歌ったのが、「Nobody Knows You When You're Down and Out」でした。

 →http://www.theguitarguy.com/nobodykn.htm

ニーナ・シモン、エリック・クラプトン、ロッド・スチュワートとまあ、実にいろいろな人が歌っています。
憂歌団の「ドツボ節」も同じ曲ですね。

 →憂歌団「ドツボ節」の歌詞

ディランの歌を気に入ってくれて、デイブはディランに名前やニューヨークに来てどのぐらいになるか聞いてきます。
そして、自分の持ち時間の中で数曲歌わないかと言ってくれます。

「The Gaslight」で歌えるというのは、大きなステップアップでした。
フォークロア・センターを出て「Mills Tavern」というコーヒーハウスへ行くのですが、もう気もそぞろ。
仲間のフラメンコギター奏者フアン・モレノ(Juan Moreno)が新しいコーヒーハウスができたぜと教えてくれるのですが、かろうじて耳に入ってくるだけです。
フアンの唇が動いているのに、その声が聞こえてきません。

自分は「The Gaslight」で認められるので、もう劣悪な環境のコーヒーハウスで歌う必要はなくなる。
運命が姿を現したのだと、ディランの自信は並外れたものがありました。

これでp.22。
このページで第一章が終わりました。
次は第二章「The Lost Land」です。


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CHRONICLES #11 (Bob Dylan)

千本浜 2004年11月16日

【追記】No.2

イラクにおける戦争犠牲者数を示すバナーを貼って一週間が過ぎた。
米軍のイラク軍事侵攻によって亡くなった民間人の数。
イギリスの市民団体によるもので、根拠はマスコミに報じられた死者数である。
実数よりもかなり少なめだし、大規模な殺戮があっても数字に反映されるまで時間がかかる。

毎日バナーを貼っているが、表示する度に「IRAQ BODY COUNT」から数字の画像を読み込むので、古い日記に貼った画像も同じ数字になってしまう。

初日、11月9日付日録にその数字が書いてある。
《 Minimum:14272 》

明けて11月17日になろうという深夜。
《 Minimum:14400 》

今もイラクでは米軍によって民間人が殺されているのだということを忘れないように、毎日貼り続けます。
日本政府がそれを積極的に支持しているということを忘れないためにも。


【追記】No.1

「子供にはこういってやんな」

amazonから荷が届いた。
あれ、何だろう。
すっかり忘れていたわ。
『小さな恋のメロディ』のDVDが出たんだ。
まだ開封していない。
今度の休みに観よう。

ビージーズの曲が印象的だったけど、エンディングはCSN&Yで「Teach Your Children」
ナッシュさんの曲ですね。
温かくてきれいです。
CSN&Yというと個性派のヤングや本命のスティルスという感じですが、実はC&Sかなあという気もします。

デビッド・クロスビーとグレアム・ナッシュ、この二人はディランが「Cafe Wha?」で出会ったフレッド・ニールの影響が大きい、いわゆる「フレッド・ニールズ・チルドレン」なんですね。

この「Teach Your Children」を、中山ラビさんが歌っていました。
訳詞は故中山容さんです。
題して「子供にはこういってやんな」。

 ♪ 子供には こういってやんな
 ♪ 親父の地獄は ゆっくりと消えてく
 ♪ 夢がお前を育て 拾えば
 ♪ それがお前 その夢でつながってるのさ

ラビさんの弾き語りにギター、バンジョー、男声コーラスが付いたライブバージョンが、『続関西フォークの歴史』に入っています。


ディランは非常に複雑な現代社会に興味を持っていなかった。
タイタニック号が沈む話や、ガルベストンの洪水、鋼鉄を駆るジョン・ヘンリー西バージニア鉄道で人を撃つジョン・ハーディ、そんなものを歌った歌が好きだった。
実際、当時はそんな歌が歌われていたのだ。

ディランはイジーの部屋でこんなものを聴き漁る。
イジーはちょっと変わった人物だったようで、ディランのことをあれこれと質問攻めにする。
そして、それを日記に書き留めるのである。

イジーに尋ねられて、ディランは一緒に暮らしていた母方の祖母のことを答える。
高潔で優しい人だった。
幸福とはどこかにいたる道にあるのではなくて、道が幸福なのだと教えてくれた。
それから、人には親切にしろと教えてくれた。
これからお前が出会う人は誰も皆、激しい闘いをしているのだから。

イジーの闘いが何なのかは、わからなかった。
社会的不公平や、飢えや、ホームレスといった問題にかかわるような人で、それを公言していた。
エイブラハム・リンカーンとフレデリック・ダグラスを尊敬していた。
究極の魚釣り物語『白鯨』が、彼の大好きなほら話だった。

イジーはいつも借金取りや地主の命令に苦しめられていたが、そんなことではへこたれなかった。
ワシントン広場でフォーク・コンサートが開けるように闘った。
みんなイジーの味方をした。

これでp.21に入りました。


千本浜 2004年11月16日


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CHRONICLES #10 (Bob Dylan)

千本浜 2004年11月15日

【追記】No.1

あちこちで歌うようになったディランは、午後に「Cafe Wha?」へ行くことをやめます。
その代わり、「フォークロア・センター(the Folklore Center)」に出入りするようになります。
そこにはフォークソングに関係のある、ありとあらゆるものがありました。
特にレコードと楽器が充実していたようで、若きディランはここでフォークやブルーズの知識を吸収したようです。

フォークロア・センターでは、イジー・ヤング(Izzy Young)という人物と出会います。
センターの主催者ですね。
イジーはブルドーザーのようにやたらに声が大きくて、いつも何かしらガーガーとしゃべっていたそうです。

ディランはレコードを聴きまくり、楽器を演奏し、イジーのタイプライターで詞を書きます。

 →FOLKLORE CENTER

 →Izzy Young's Folklore Center

googleで[イジー・ヤング]を検索すると、ニール・ヤング&クレイジー・ホースがヒットするので笑ってしまいました。

イジーはコンサートも主催したので、そこでディランはいろいろなミュージシャンを見ることができました。
「unmistakably authentic folk and blues artists」ですね。

 →Clarence Ashley

 →Gus Cannon

 →Mance Lipscomb

 →Tom Paley

 →Eric Darling

「秘伝のレコード」もたくさんあって、ディランは全部聴きたいと思いました。
「フォリオ(folio)」もたくさんあったと書いてあるのは、楽譜のことでしょうか。
船乗りのはやし歌(sea shanties)、南北戦争の歌(Civil War songs)、カウボーイの歌、挽歌、教会の歌、反ジムクロウ法の歌、組合の歌。
それから民話の本、世界産業労働者組合の機関誌、女性の権利から飲酒の危険性にいたるまでのあらゆる政治パンフレット。

フォーク・センターは、まさにディランの「私の大学」だったのかもしれません。
そこにあった楽器はダルシマー(dulcimer)、5弦バンジョー、カズー、ブリキ製の小さな横笛(pennywhistle)、アコースティック・ギター、マンドリンが挙げてあります。

p.19まで来ました。


当時ディランが歌っていたのは「hard-core folk songs」というスタイルだそうです。
たえずギターを大きな音でかきならしながら歌います。
もっと歌がうまい歌手もいたけれど、自分は独りだけ際立っていたと言っています。
フォークソングは「宇宙を探険する手段」であり、「言葉では言えないほど価値のある絵」だったと、力がこもっています。

「僕には物事の内部にある本質が見えていた。」
「僕はばらばらの破片を繋ぎ合わせることが簡単にできた。」

すごい自負ですが、この物事というのは、曲のことを指しているようです。

Columbus Stockade
Pastures of Plenty
Brother in Korea
If I Lose, Let Me Lose

こんな曲名が並んでいます。
最初の二曲はウッディ・ガスリーが歌っていたり、PP&Mが歌っていたりするので、カントリーやフォークに近い曲なんでしょう。
(いいかげんですまん)

「他の歌手たちはたいてい歌よりも自分のことを伝えようとしたのだが、僕はそんなことは気にしなかった。」

ディランはその歌自体を聞き手に伝えようとしていたのだ。
意外な言葉だが、歌い手ボブ・ディランの真骨頂を示すものではないだろうか。

帰りが遅かったので、ちょっとだけね。
追記できるかな。
p.18を読んでおります。


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CHRONICLES #9 (Bob Dylan)

千本浜 2004年11月13日

【追記】No.2

「ずるいこと」と書いてしまいましたが、「ワザ」ぐらいの感じかもしれません。
その例として、リッチー・ヘヴンズ(Richie Havens)の例を挙げています。

リッチーはいつもきれいな女の子を連れていて、その子にお金を集めさせていました。
するとたくさん集まることにディランも気づいたのです。
そこで、「Cafe Wha?」で知り合った見た目のきれいな子にお金を集めてもらったのです。
ちょっと奇抜な格好で。
お金の取り分に関してはごたごたとうるさいのですが、それでも独りで歌ってお金を集めるより、ずっと多かったそうです。

彼女の格好は、こんな感じです。

... wear a funny little bonnet, heavy black mascara, low laced blouse--looked almost naked from the waist up under a capelike coat.

う?ん、やっぱりそういうものなのか。

 →THE OFFICIAL SITE OF RICHIE HAVENS


【追記】No.1

ところで楓。。さんにそそのかされて、いきなりですが「KYON2 My Best 5」

 No.1 「なんてったってアイドル」(1985年)
 No.2 「木枯しに抱かれて」(1986年)
 No.3 「The Stardust Memory」(1984年)
 No.4 「夜明けのMEW」(1986年)
 No.5 「ヤマトナデシコ七変化」(1984年)

う?ん、時期が集中してますね。
このころがアイドルとしての旬だったのかしら。
筒美京平メロディと高見沢俊彦メロディか。

「渚のはいから人魚」「スマイル・アゲイン」が次点。
「まっ赤な女の子」「私の16才」ってのも悪くないです。

 →小泉今日子 EPコレクション


ヴァン・ロンクは「The Gaslight(ガス灯)」というクラブで働いていました。
「The Gaslight」は派手な横断幕が外に掲げてあるというのが、いまひとつイメージがわきません。
ここは週給で支払ってくれた。
お酒は出さないけど、持ち込み可。
昼間は閉まっていて、夕方からだいたい六人ぐらいで一晩のステージをやったそうです。
オーディションは一切なし。
ディランは歌いたかったし、そうする必要がありました。

この「The Gaslight」のステージにいるボブ・ディランの画像がありました。
 →GASLIGHT CAFE
 真ん中にディランが写ってるんですが、くわえてるのは葉っぱでしょうか?

通りで出会ったヴァン・ロンクに声をかけそびれた時のことが書いてあります。
ディランはヴァン・ロンクと一緒に演奏をしたかったのです。
でも、行き過ぎる時にヴァン・ロンクの目の光を見ることができただけでした。

「The Gaslight」以外のコーヒーハウスはかなり劣悪な環境だったそうです。
もちろんマイクなんてものはありません。
「pass the hat」と書いてあるのは、つまりステージを務めた者自身がお金を集めたのでしょう。
大道芸を小屋の中でやってるようなものです。
たぶんすべて場所で一度や二度は演奏したはずだと言っています。

こういう薄汚れた暗い小屋には、タレントのスカウトは来ません。
どうやら観光客相手の商売だったようです。
投げ銭を期待して演奏していると、週末だったら、夕暮れから夜明けまで(from dusk 'til dawn)までで20ドルぐらい。

ルー・レヴィのリーズ音楽出版社と版権の契約を結んだ時、ディランは100ドルを前払いで受け取りました。
これはやはりなんとか一ヵ月暮らせるかという程度の金額みたいですね。。

ウィークナイトは悲惨だったようです。
客の数に比べて競争相手が多すぎた。
したがって、生き残るためには多少ずるいこともしなければならなかったと書いているのには驚きました。

ちょっと戻ったので、まだp.17であります。


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CHRONICLES #8 (Bob Dylan)

千本浜 2004年11月12日

【追記】No.3

「ブッシュで良かったじゃないか、ケリーが大統領になったら日本はもっと大変だったろう」などとわけ知り顔で言う人がいます。
まあ、床屋政談、どこかで聞きかじった知識を断片的に披露してくれます。

そりゃ、ブッシュが落選していたら、当選した時に大喜びしていた、あのコイズミ君やザイカイは大変なことになっていたことでしょう。
でも、コイズミ君やザイカイがそのまま日本ではありません。

少なくとも、ブッシュでなければファルージャでの蛮行はなかったことでしょう。

「誰がやっても同じ」なんてデマを流したがる人もいますな。
選挙の結果で世界が大きく変わることがあるのだ。


【追記】No.2

ところでレーベルという言葉はちょっと気持ち悪いんですが、レイベルと書いたところで別に原音に忠実なわけでもなし、でもどうしてレコード会社だけラベルじゃなくてレーベルというのか不思議です。

「label」がラベルとレーベルというように、意味によって言い分けられてるんですな。
類義語のレッテルはオランダの「letter」が由来だそうです。
作曲家のラヴェルは「Ravel」。
英語だと「ravel」は「ほぐす」という意味です。
反逆者は「rebel」。
水準のレベルは「level」。
並べるとかえって混乱しそうです。

きわめてあいまいな使い方をしますが、「ラベリング理論」というのがありました。
社会が標識を貼り付けることによって、貼り付けられた人がそのラベルに応えるような形で行動するようになってしまうという現象を指します。
犯罪の発生、社会からの逸脱を説明するために用いられることがありました。

ゴミはゴミだというように分類してしまうと、ゴミになります。
ところがさらに細かく分類すると、資源として再利用できます。
ゴミでなくなるのです。

ネズミの糞ではいくらラベルを貼っても再利用できないわなあ。
それでもネズミの糞なら有機物なんだから、土に還ることもあるかもしれない。
憎悪を振りまくだけの悪意に満ちた言葉は、ネズミの糞以下で、本当に何の役にも立ちません。
相手をしてやろうという奇特な方もいらっしゃるようですが、まったくかみ合わなくても、とにかく誰かに威張れるんだから、大喜びさせているだけですよ。
あんなものに餌は与えないでください。


【追記】No.1

ボブ・ディランにも憧れのレーベルがあったというのは楽しい。
「folkway」というのは「習俗」ぐらいの意味です。
辞書を引くと、「同一社会集団の全員に共通な生活・思考・行動の様式」などと説明してありました。(研究社『リーダーズ英和辞典』)

ディランが家にいるころ一所懸命聴いていたのは、「FOLKWAYS」というレーベルのレコードなんですね。
今は「Smithsonian Folkways Recordings」となっています。
あのスミソニアン博物館のスミソニアン協会が運営している、非営利レコード会社になってしまったのです。

1949年にモーゼス?アッシュ(Moses Asch)という録音技師が、人間の生み出した世界中の音を記録しようとして始めたレコード会社が「FOLKWAYS」でした。
1986年にアッシュが亡くなると存続の危機に陥ったのですが、この貴重な資料を保管するために、文化団体のスミソニアン協会が運営に乗り出したのだそうです。

その窮状を知ってボブ・ディランが「FOLKWAYS」救済のために作ったアルバムがあります。
ウッディ・ガスリー(Woody Guthrie)とレッドベリー(Leadbelly)へのトリビュート・アルバム『FOLKWAYS:A VISION SHARED』(1988年)です。
ボブ・ディランの他に、ブルース・スプリングスティーンやU2が二人の曲を歌っています。

私はこのアルバムを持っていなかったのですが、ふとamazon.co.jpで検索してみると、ちゃんと輸入盤がありました。
悪税込みで1127円。
これは買わないと。
amazon.comのレビューでは、特に次の2曲がお薦めだそうです。
"Jesus Christ"はamazon.co.jpで試聴できますよ。

-----------------------------------------------------------
Particularly exciting is a supercharged version of Leadbelly's "Rock Island Line" by Little Richard with Fishbone and U2's take on Guthrie's "Jesus Christ." --Ian Landau
-----------------------------------------------------------

Folkways: A Vision Shared
- A Tribute to Woody Guthrie & Leadbelly
Folkways: A Vision Shared
1. Sylvie
2. Pretty Boy Floyd
3. Do-Re-Mi
4. I Ain't Got No Home
5. Jesus Christ
6. Rock Island Line
7. East Texas Red
8. Philadelphia Lawyer
9. Hobo's Lullaby
10. Bourgeois Blues
11. Gray Goose
12. Goodnight Irene
13. Vigilante Man
14. This Land Is Your Land

Little Richard, Brian Wilson, Bob Dylan, Bruce Springsteen, Sweet Honey in the Rock, and U2


洞窟のような賄い場で立ち食いをしてラジオから流れるリッキー・ネルソンの歌を聴きながら、ディランはリッキーと自分の身を比べてみる。
だいたい同じぐらいの年齢で、たぶん似たようなものが好きなんだろうけど、なんとまあ違う環境にあることか。
将来の関わりについてはまだ知る由もない。

何よりも肝心なのは、リッキーが今もレコーディングをしていて、自分はまだそれをしていないということだ。
ウッディ・ガスリー(Woody Guthrie)がレコードを出している、あのフォークウェイズ(FOLKWAYS)からレコードを出したいものだなあ。

ディランはボスであるフレッドにレコーディングのことを尋ねるのだが、フレッドはそんな話にはまるで乗り気でない。
フレッドには歌い手としての何かが欠けていると、ディランは感じていた。
それが何であるのかわからなかったのだが、デイブ・ヴァン・ロンク(Dave Van Ronk)に出会って、わかったと書いている。
#5で会いたい歌手の最初に挙がっていた名前だ。

デイブは当時のグリニッチ・ビレッジでは、ストリートの王者であったと、ディランは書いている。
ディランは故郷にいる時からレコードでデイブの歌には親しんでおり、情熱的に吠え、そしてささやき、ブルーズからバラッドへ、バラードからブルーズへと切り替わるデイブのスタイル大好きだった。

ディランのデビュー・レコードに入っている「朝日のあたる家(House Of The Risin' Sun)」のアレンジはデイブだと言われている。
私のおなじみさんだと、ジャクソン・ブラウン(Jackson Browne)が歌っている「コカイン(Cocaine)」はデイブの曲だ。

デイブは2002年2月に亡くなったが、ニューヨーク市では5月18日を「デイブ・ヴァン・ロンクの日(Dave Van Ronk Day)」として、コンサートを開催している。

 →dave van ronk unauthorized

p.16に入ったあたりです。
ところで思わぬ連載になっちまいましたが、これは翻訳でもダイジェストでもありませんよ?。
ちらっと読んで、内容を少し紹介しているメモのようなもの。
私の感想や調べたことが混じっております。
これでボブ・ディランの自伝『クロニクルズ』を読んだ気になってはいけません。

千本浜 2004年11月12日
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CHRONICLES #7 (Bob Dylan)

千本浜 2004年11月11日

【追記】No.2

NHK「夢・音楽館」のサイトを覗いてみると、リピートがあることがわかりました。
見逃した方、特に番組冒頭の「トランジスタ・ラジオ」はお勧めですぞい!

再放送 11月16日(火)総合 2:55?(月曜深夜)
再放送 11月17日(水)BS2 2:45?(火曜深夜)

1. トランジスタ・ラジオ / 忌野清志郎
2. ひとりぼっちのアイツ / オリジナル・ラヴ
3. ステップ! / 忌野清志郎&オリジナル・ラヴ
4. 銀ジャケットの街男 / オリジナル・ラヴ
5. JUMP / 忌野清志郎


【追記】No.1

いやあ、良かったわ、NHK「夢・音楽館」の忌野清志郎さん。
なんといっても一曲目「トランジスタ・グラマー」、違う、「トランジスタ・ラジオ」。
たっぷり5分近く。
バックがやけに豪華だったので、思わず調べてしまいました。
こういうメンバーだったのですね。

忌野清志郎 & NICE MIDDLE with NEW BLUE DAY HORNS

Vo. 忌野清志郎

- NICE MIDDLE -
G. 三宅伸治
Dr. 宮川 剛
B. 中村きたろう
Key. 厚見玲衣

- NEW BLUE DAY HORNS -
A.Sax 梅津和時
T.Sax 片山広明
Trump. 渡辺隆雄

ギターの三宅伸治さんは今年の春一番で堪能してきました。

 →春一番 第四日
  手前味噌リンクでございます。



ディランのボスとなったフレッド・リーチは、まったく野心など持ってないように見えた。
二人は個人的な事情など語り合ったりはしなかった。

He was very much like me, polite but not overly friendly
 (僕ととてもよく似ていて、ていねいではあるが、さほど愛想よくはなかった)

そして一日の終わりには、小銭を渡して「さあ……これで困らないだろう。」

本当に小銭だったみたいですね。
それでも、ここ「Cafe Wha?」で働いていれば、食うのに困らないのがとてもありがたかったと書いてあります。

ウクレレを弾いて裏声で歌うタイニイ・ティムと一緒に、ディランは賄い場で飯をかっこみます。

脂っこいハンバーガーとフライド・ポテト。
コックのノーバート(Norbert)が、缶に入ったポーク&ビーンズや、フライパンに入ったままのスパゲッティをくれます。

あれ?
ディラン、豚肉食べてるよ?
食べないんじゃなかったっけ?

崖を掘り抜いて作ったような雰囲気のキッチンの中で働きながら、ノーバートは、イタリアのベローナへロミオとジュリエットの墓を見に行くために貯金をしています。
こういう描写がいいですなあ。
ディランの文章はとてもうまいと思いますよ。

ある日の午後、ディランがコップにがばがばとコーラを注ぎ込んでいると、ラジオからとてもいい声が聞こえてきました。
リッキー・ネルソン(Ricky Nelson)が新曲「Travelin' Man」を歌っていたのです。
ディランはここでリッキー・ネルソンを絶賛します。
ことさらに奇をてらったりしない、本物の歌。

ディランはずっとリッキーのファンだったし、今もそうだと書いています。
でも、そういう歌はすたれているし、これからも栄えることがないのだろう。
悲しそうにディランは続けます。

 →Rick/Ricky Nelson's Official Website
 →リック・ネルソン

これでp.14に入りました。


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CHRONICLES #6 (Bob Dylan)

千本浜 2004年11月10日

【追記】No.3

携帯にメールが届く。
今夜のNHK総合TV「夢・音楽館」(23:15-23:45)はゲストが忌野清志郎さん。
私の大好きな「トランジスタ・ラジオ」も歌ってくれるそうなので、早く帰らないと。
教えてくれてありがとう。


【追記】No.2

パレスチナ自治政府ヤセル・アラファト議長の死亡が発表された。
イスラエル軍に包囲されたまま晩年を過ごし、最後はフランス軍の病院で亡くなった。
アラファトさんはずっと領土のない国家、パレスチナの代表だった。

危篤が伝えられた時でも、喝采を上げるイスラエル人の姿が映されていた。
しかし、それがすべてのイスラエル人であるはずもなく、映像に現われた人達の憎悪よりも、その映像を作って世界中に配信した者の心の醜さが印象的だった。

アラファトさんが亡くなるとPLOは求心力を失うというのは、分裂を願う者がいて、それを宣伝しているである。
たとえばイラクのように、元CIAのエージェントを代表に据えた傀儡政権作りが容易になる。

そう簡単には行かないと思う。
イスラエルとブッシュが本当に平和を建設するわけではないのだから。
皮肉なことに、モスクの町ファルージャへの米軍の蛮行は、シーア派とスンニー派の枠を超えて反米感情を煽っている。

アラファトさん、お疲れ様でした。


【追記】No.1

ディランが「Cafe Wha?」でハーモニカを吹いていた頃、プロとしてそのステージに上がっていた人々。

Richard Pryor
 →Richard Pryor, a Comedy Legend's Official Site

Woody Allen
 →woodyallen.com

Joan Rivers
 →JoanRivers.com

Lenny Bruce
 →LADIES AND GENTLEMEN LENNY BRUCE

The Journeymen
 →The Journeymen
 →Scott McKenzie

Karen Dalton
 →Karen Dalton "Sweet Mother K.D." ( -1993)
  同名のKaren Daltonという歌手がいるようですが、別人です。


ディランがハーモニカを吹く仕事をもらった「Cafe Wha?」は、歌を聴くところというよりも、さまざまな芸人が登場するライブスポットだったようです。
特に昼間は誰でも、なんでもあり。

売れない芸人や素人が次々に登場します。
コメディアン、腹話術師、詩人……。

「a steal drum band」はスティールバンドと訳したりしますが、あのドラム缶から作るスティールドラムを演奏するバンドですね。
「female impersonator」というのが何のことかわからなかったのですが、辞書を引くと「《ヴォードヴィルの》女装の男性俳優」と出ていました。

ブロードウェイのヒット曲を歌うデュオ、帽子にウサギを仕込んだ手品師、客席で催眠術をかけるターバンを巻いた男。
本当にめちゃくちゃです。

午後8時以降はプロのステージです。

Commedians like Richard Pryor, Woody Allen, Joan Rivers, Lenny Bruce and commercial floksingers like The Journeymen

ウッディ・アレンとレニー・ブルースの名前が並んでいるのに驚きました。
そうなんだ。
なんとなくダスティン・ホフマンが演じているレニー・ブルースと、『BRINING IT ALL BACK HOME』(1965年)の一曲目、「Subterranean Homesick Blues」のディランが重なります。

ここでディランは、昼間の時間に出演していた悲しいた芸人たちのことを愛情込めて描写しているように見えます。
ウクレレを演奏しながら少女のような裏声を出して歌うタイニイ・ティム(Tiny Tim)、一曲しか持ち歌のないザ・ブッチャー(The Butcher)。
ティムからはタイムズ・スクェアに歌える場所があるということを教えてもらいます。
「Tiny Tim」という名前はディケンズの『クリスマス・キャロル』に登場する名前から採ったのだと思いますが、さらにそれ以前からなにかいわくのある名前なのでしょうか。

浅草出身の芸人さんと似たところがあるのかな。
ディランは、自分は芸人だと思っているのかもしれません。
歳をとったから温かい視線でほんのすれちがっただけの芸人を語れるのではなくて、最初からそんなふうに感じていたのだと思います。

昨日、ディランが「Cafe Wha?」でハーモニカを吹いている写真のあるページへのリンクを張りましたが、ニールとディランの間に写っているカレン・ダルトン(Karen Dalton)の描写もありました。
ディランはこの歌手とニューヨークに来る前に会ったことがあり、ずいぶん気に入っていたようです。
ビリー・ホリデイ(Billie Holiday)のような声をしていて、ジミー・リード(Jimmy Reed)のようにギターを弾いていたと書いてあります。
 →[Fred Neil]

だいぶはしょって、p.12であります。


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CHRONICLES #5 (Bob Dylan)

千本浜 2004年11月9日

【追記】No.2

東京新聞「大波小波」、今日の筆者は「(定年待ち)」氏。
四方田犬彦『ハイスクール1968』、高平哲郎『ぼくたちの七〇年代』の類書として「ロッキング・オン」の橘川幸夫さんが書いた『風のアジテーション』を批判している。

-------------------------------------------------------
この手の本の常套だが、かつての粗野で貧乏で、だが純粋だった自分たちの青春を甘く捏造(ねつぞう)したあと、決まって現在の若者を取り巻く状況を批判的に素描してみせる。
-------------------------------------------------------

『風のアジテーション』がどんな本か知らないが、卑劣な匿名批評だなと思う。
タイトルは《「あのころ」は良かったか》。

-------------------------------------------------------
同時代人として言わせてもらうが、「あのころ」は決してカッコよくなんかなかった。少なくとも個人の生活では、金と性欲に飢えていただけの幼稚な時代だった。そう言いきって葬り去った方が世のためではないのか。
-------------------------------------------------------

冗談じゃない。
匿名批評(定年待ち)氏の70年代はそうだったかもしれない。
そしてこの本もアマアマの回想録なのかもしれない。
でも、あんたの70年代と一緒に、オレの70年代まで葬り去られてたまるものか。

オレの外見はすっかり醜いおっさんになってしまったよ、でもな、匿名批評(定年待ち)氏のように精神まで醜いおっさんになったつもりはない。
それは逆だ。

そんなことどうでもいいじゃないかと日和りそうになると、オレは自分の原点を思い出す。
他人様からどう思われようと気にはしないが、あのころのオレに軽蔑されたくない。


【追記】No.1

古典的な短編推理小説に、一つの殺人を隠すために無謀と見える軍事作戦を実行してしまう将軍の話があった。

事実は小説をはるかに凌駕してしまい、今では気に入らない外国の為政者を「暗殺」するために空爆まで行なう。
今回は幻のゲリラを消すと称して、町を殺戮している。

人間の闘争本能で戦争を説明する御仁がいたが、それは誤りだ。
動物はそんなことをしない。
自分の身にひきつけて想像するだけ力のない、愚かな人間の行ないだ。

ブッシュよ、小泉よ、殺すな。


ディランがヒッチハイクでニューヨークに辿りついたのは厳冬まっただなか。
この凍てつくメトロポリスに、知り合いは一人もいません。
おそろしく無鉄砲ですが、ディランはニューヨークに着いて興奮しています。

It wasn't money or love that I was looking for.
 (僕が探していたのは、金でも愛でもなかった。)

なんだかレコードで歌を聴いていた歌手に会いたかったみたいなんです。
ボブ君たら、やっぱり意外に普通。
レコードで聴いていたという歌手たちの名前が並んでいます。

Dave Van Ronk

Peggy Seeger

Ed McCurdy

Brownie McGhee and Sonny Terry

Josh White

The New Lost City Ramblers

Reverend Gary Davis

そして、とりわけこの人に会いたかった。
もちろんウッディ・ガスリー(Woody Guthrie)です。
 →http://www.woodyguthrie.org/

とりあえず、人に教えられた「Cafe Wha?」というクラブに向かいます。
そこで昼間ショーをやっているフレディ・ニール(Freddy Neil)という歌手に会うといいと教えられていたのです。

「Cafe Wha?」は洞窟のようなところで、天井が低くて明かりも乏しいのですが、広い学生食堂のようにテーブルと椅子が並んでいたそうです。
正午開店、午前四時閉店。

ディランは店を見つけて入っていきます。

He couldn't have been nicer
 (ニールはこのうえもなくいい人だった。)

懐かしい受験英語、仮定法過去完了でんがな。
「Neil was the M.C. of the room」と書いてあるのは、クラブの司会進行役(master of ceremonies)だったということでしょうか。
出演者を仕切っていたようです。

何かやってみなと言われて、ディランはギターを弾き、歌を歌い、ハーモニカを吹きます。
フレディ・ニール自身が出演している時にハーモニカを吹いてくれと、即決です。
ディランは大喜びです。
少なくともここなら寒い思いをしなくて済む。
なんといっても真冬のニューヨーク、外は極寒なのです。

この妙な名前のクラブは今も同じ場所にあるようです。
 →Cafe Wha?
 Cafe Wha
 115 MacDougal Street
 New York, NY 10001
 →map

フレディ・ニールという名前はどこかで聞いたことがあるなあと思ったら、実は大物歌手でした。

 →fredniel.com

 →[Fred Neil Discography]

そう、映画『真夜中のカウボーイ(Midnight Cowboy 本当に犯罪的な邦題じゃ)』の主題歌、ニルソンが歌っていた「うわさの男(Everybody's Talkin')」はフレッド・ニール(Fred Neil)の曲でした。

上記リンク先のディスコグラフィによれば、2001年7月9日、フロリダ州サマー・キーの自宅で亡くなっているのを発見されたそうです。
享年64。
彼の影響を受けた「フレッド・ニールズ・チルドレン」と称されるような人々も多いようですね。
おなじみのメンバーですが、ディランは「ガスリーズ・チルドレン」です。

フレッド・ニールのステージでディランがハーモニカを吹いている写真を見つけました。
下の方にあります。
 →[Fred Neil]
Bob Dylan, Karen Dalton and Fred Neil
at the Cafe Wha? Feb. 1961
Photo by Fred W. McDarrah

はい、p.10まで来ましたよ。


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CHRONICLES #4 (Bob Dylan)

千本浜 2004年10月7日

【追記】No.4

イラク市民死者数のバナーですが、楽天広場の場合はGIF画像を使った「NON-JavaScript Version」を貼ることができます。
デザインやサイズはいろいろ選べます。

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"http://www.iraqbodycount.net/counters/ibc_a.gif" width="136" height="28" border="0" alt="www.iraqbodycount.org">


【追記】No.3

今日は亡き親父様の祥月命日なので、ちらりと墓参り。
線香も上げないいいかげんなものだが、亡くなった人を思い出す日。
湾岸戦争のころに死んだ。

こんな日本を見なくて済んで良かったのかもしれない。
貧乏人の一族なので、親父様は警察予備隊にいたこともある。
まさか自衛隊がイラクに派兵されることになるとは、夢にも思わなかったことだろう。

今の「IRAQ BODY COUNT」はMinimumで14272人。
イギリスでマスコミに報道された、イラク市民の犠牲者数だ。
実際はもっと多いはずだ。
ブッシュよ、どこまで増やすつもりなんだ。

ブッシュの再選で大喜びしてみせた日本の首相。
アラブからは、まるでイスラエルのように見えたことだろう。


【追記】No.2

イラク攻撃での民間人死者数をカウントするバナーをトップに貼りました。

米軍は民間人の死者数を数えていません。
そこでマスコミに発表された数字を元に自分たちで犠牲者の数を数えているのが、「Iraq Body Count」です。
下の画像をクリックすると、そのサイトにジャンプします。

Civilian casualties update
www.iraqbodycount.org

【追記】No.1

Dr.悠々さんが付けてくださったレスのように、最初は全文日本語に訳してみようかと思ったのです。
少しずつなら楽しみながら進められますので。
でも、正式に翻訳契約を結んだ出版社から損害賠償請求など来たり、いきなり楽天から削除されたりするのもいやなので、それはやめておきます。

邦訳が3千円より安くなることはないでしょうね。
しかも、まともな翻訳だとは限りません。
気になった方は、amazon.co.jpで原書を買うことをお勧めします。
だって、ディランが書いたんですよ。

今までディラン本といったものを読んだことがなかったのですが、ここまで来たら菅野ヘッケルさんが訳している伝記本は買って読んだ方がいいかなと思います。
内容紹介であんまりウソを書くといけませんので。
本当は曲を聴くのに本を読む必要なんかないんですけどね。


今まで読んだ印象だと、あたりまえだけどディランは歌が好きなんだなあと思いました。
言葉遊びが好きで、きれいなメロディが好きで、すごい曲を作ります。
それでまた、すごい歌い方をします。
その歌い方が問題でして、これがダメな人もいると思います。

オフィシャルサイト[bobdylan.com]では全曲試聴できるはずですので、ディラン未経験の方はあんまり能書き聞く前にお試しあれ。


コロンビアでの録音契約書にサインをした後、ディランはコロンビアの宣伝担当者に会います。
いかにもエール大学出身でございみたいな身なりのビリー・ジェイムズに、ディランは違和感を抱いたようです。
ビリーが次々に質問して、ディランが答えていきます。

「出身地は?」
「イリノイ州。」

ビリーは真面目にそれを書き留めます。
これはウソなんです。
ディランは本当はミネソタ州の出身です。

「ニューヨークにはどうやって来たの?」
「貨物列車に乗った。」
「旅客列車だろ?」
「いや、貨物列車。」
「有蓋車両ってことだろ?」
「そう、有蓋車両。貨物列車みたいな。」
「わかったよ、貨物列車ね。」

答えたくない質問にいいかげんに答えた様子を書いた後、ディランはこのニューヨークまでの旅を回想している。
ディランは本当は1957年型の「インパラ」という4ドアセダンに乗せてもらってやってきたのだ。
ニューヨークに降り立つとひどい雪が降っていて、顔に突き刺すような寒さを感じた。
青雲の志を抱いた、男おいどんである。

インパラというのはシボレーの車ですね。
どんな形をしてたのか気になったので探したのですが、なかなか57年型4ドアセダンが見つからない。
そうこうするうちに、Classic Chevrolet Linksというのを見つけました。
年代別にシボレーマニアがいるんですね。
これは驚き。

なにげなく「1955-1957 Chevy Enthusiasts」の中にあった57 Chevy's Homepageを覗いてみたら、強烈でした。
このあたりの車は、「古き良きアメリカ」の象徴なんでしょうか。
半ば「9.11」サイトと化しています。
絶対ブッシュに投票してるよな、このおっさん。

ビリー・ジェイムズがディランに行なったインタビューは、録音テープが残っている。
 →THE BILLY JAMES INTERVIEW FALL 1961

このテープの日付からすると、ディランがコロンビアと契約したのは冬というよりも、晩秋だったようです。
長いやりとりの一部分だけらしいが、ディラン君、態度悪いですね。
最初から、ディランは「ボブ・ディラン」を演技していたようです。
少し前にディランのインタビュー集という半端なCDを買ったのですが、これも入っていたかもしれません。
今発掘できないので、確認できませんが。

ところで、トッド・ラングレンやフランク・ザッパのことを書いているビリー・ジェイムズという音楽ライターがいるようなのですが、さてこの人はコロンビアの宣伝担当だったビリー・ジェイムズと同一人物なんでしょうか。
amazon.comで下記の書籍がヒットしました。
あ、amazon.co.jpでも扱ってます。

「A Dream Goes on Forever: The Continuing Story of Todd Rundgren」
  Billy James

「Necessity is.....the early Years of Frank Zappa and the Mothers of Invention 」
  Billy James

「An American Band: The Story of Grand Funk Railroad」
  Billy James

ちょっとはしょっちゃったので、もうp.8まで来ましたよ。

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CHRONICLES #3 (Bob Dylan)

千本浜 2004年11月7日

【追記】No.3

久しぶりに午後10時ごろからテレビ朝日系列の番組を見る。
ゲストが石原都知事。

嫌だなあ。
なぜこの時期にこんな人物を呼ぶんだろう。
いったい何を言わせようというのか。

石原都知事が憲法前文を汚い言葉だと罵り、司会者古館伊知郎が同調する。
これを太鼓持ちと言う。
都知事をヨイショするために呼んだのか。
電波芸者というのは、これよりもう少しましなものかもしれない。

そうか、古館アナウンサーは石原都知事に期待しているのか。
どっしり国政の方でがんばれと。

おいおい、やめてくれよ。
飯がまずくなったじゃないか。


【追記】No.2

「私は『真ん中』行っている」と小泉首相。

おう、確かに、極右の「真ん中」行ってるぞ。


【追記】No.1

今朝の東京新聞一面トップは、陸上自衛隊の「中央即応連隊」構想。
宇都宮駐屯地に新設する連隊で、海外派遣やテロ対処の実働部隊となる。
指令部は朝霞駐屯地(東京都練馬区)。
新設部隊の他に第一空挺団(パラシュート部隊・船橋市)、対テロ専門部隊の特殊作戦群(船橋市)、第一ヘリコプター団(木更津市)、第一〇一化学防護隊(さいたま市)を指揮下に置く。
同時に国連平和維持活動(PKO)に派遣する隊員を教育する「国連平和教育活動センター」を駒門駐屯地(御殿場市)に新設する。

まことに勇ましい話である。
明らかに自衛のための軍隊ではない。
既に現行憲法をはるかに超えて暴走を始めている。

とりあえずこれに反対しているのは財務省。
来年度防衛費の政府原案交渉では四万人の削減を主張する。
主計局は一気に軍縮を狙っている。


名プロデューサー、ジョン・ハモンドはディランのどこに未来を見いだしたのか。
ジョンがディランに言ったことが書かれている。
ジョンはディランのことを流行の最先端にいる新奇な鬼才といったようなものではなくて、長く連なっている伝統の中にいる者だと感じたのだ。
ブルース、ジャズ、フォークと連なる伝統……もちろんこれは今の日本で「フォーク」と呼ばれているものとは違う。

ディランは50年代末から60年代冒頭のアメリカ音楽シーンが、かなりお眠い状況だったと書いている。
ポップスを流すラジオ番組は行き詰まっており、空虚な冗談でお茶を濁していた。

「It was years before The Beatles, The Who or The Rolling Stones would breathe new life and excitement into it.」
(それはビートルズやフーやローリングストーンズがポップス番組に新しい生命と興奮を吹き込むことになる、何年も前だったのだ。)

ここでディランがこの3つのグループを並べているのは興味深い。
つまり、ボブ・ディランはこの3つのグループの曲が流れるポップス番組はとても楽しかったと言ってるわけだから。

当時のディランが歌っていたのは「hard-lipped folk songs with fire and brimstone servings」だった。
公民権運動は終わっていなかった。
私の部屋に貼ってある「SEPT. 19 - 1960」のライブのポスターには、料金の一部が有色人種の団体に寄付されると書いてある。
自分の歌はポップス番組にはなじまないだろうし、歌を商業主義にゆだねたくもないと、ディランはジョンに言う。

ジョンは、そんなことはさして重要なことではないと言う。
ぶっきらぼうな物言いだが、目がきらきら輝いていたと、ディランはジョンを描写している。
不世出の敏腕プロデューサーは、人間的魅力にあふれていたようだ。

その直前に、ジョン・ハモンドはピート・シーガーをコロンビアに連れてきていた。
ピートはジョンが発掘したわけではない。
それ以前にウィーバーズで活躍していた。
しかし、マッカーシズム、つまり「赤狩り」でやられ、ブラックリストに載せられたのだ。
仕事がなくなった。
ピートは干されたわけだが、歌を捨てなかった。

今では好好爺といった印象のピートだが、彼は生涯を通じて気骨の人であります。
「花はどこへいった」という反戦歌は、この赤狩りの時代に作られました。
 →幻泉館日録 2003年10月6日花はどこへいった Where have all the flowers gone?

日本でヒットした「小さな手」も原詞はとても具体的な主張をはっきり述べた、戦闘的な歌でした。
これも赤狩りの時代に核軍縮の運動で歌っていたのです。
 →幻泉館日録 2003年9月29日 ピート・シーガー「わたしが一番きれいだったとき」

ジョン・ハモンドはピート・シーガーを救おうとしていたのだ。
ジョンは憤然として言う。

「ピートの祖先はメイフラワー号でやってきたんだ。バンカーヒルでも戦っているんだ。(バンカーヒルは独立戦争最初の本格的交戦があったとされているところ。)それなのに、あのくそったれどもはピートをブラックリストに載せるなんて。あいつらはタールを塗って鳥の羽くっつけてやらんといかん。」

ずいぶん物騒な話だ。
煮えたぎるタールを身体中に塗り付けて鳥の羽毛をまぶすというのは、KKKが黒人に行なったリンチを思い出す。
独立戦争に由来するというので、アメリカ独特の私刑。
辞書によっては鳥の羽を突き刺すと書いてあるのだが、刺してはいないようだ。
 →文学の中のアメリカ生活誌(40) Lynching(私刑)

まったく場違いなのだが、私はこのジョンの言葉で、『ジャイアンツ(Giant)』(1956年)でロック・ハドスンが演じた主人公を思い出した。
人種的偏見に満ちた主人公が老いてからその信条と反するように、人種差別の言葉を投げかけた者と大立ち回りを演じる。
ロック・ハドスンは喧嘩に負けるのだが、だからこそ英雄として屹立する。
ジェームズ・ディーンの最後の映画という印象が強いけれど、主人公はこの小さな英雄なのだ。

今のアメリカの危機は、『ジャイアンツ』の主人公のような健全な保守が見えなくなっているところにあるだろう。
ロック・ハドスンが演じたテキサスの大牧場主ビック・ベネディクトは現代に生きていたら共和党支持者だろうが、きっとブッシュのことは大嫌いだと思うよ。
もちろんジョン・ハモンドが共和党支持者だったということではありません。

ジョンから才能を生かすんだよという忠告された後、ディランはその場で契約書にサインする。
契約の中身なんぞろくに読んではいない。
どんな契約書であっても喜んでサインしただろうと、ディランは書いている。

これは40年以上前のできごとなのだ。
御大ボブ・ディランも若者だった。
最初のレコーディング契約のことを克明に覚えている。
それだけ緊張しており、そしてとても嬉しかったのだろう。

これでやっと本文4ページ分、p.6を読み終わりました。

Bob Dylan UNDERGROUND CAVERN

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CHRONICLES #2 (Bob Dylan)

千本浜 2004年11月6日

【追記】No.2

続けて幻泉館鯖のアクセスログなのだが、teacup.comから飛んでくる人も何人かいるようだった。
懐かしフリー掲示板のteacupも、今はblogを始めたらしい。
ボブ・ディラン自伝『クロニクルズ』を読んだよという方らしい。

せっかくだからトラックバックを付けようとしたのだが、どうもうまくいかない。
楽天のせいなのか、teacupのせいなのか、わかりません。

loveminus0の“コーヒーをもう1杯”

相変わらず「出産シーン」で検索して飛んでくるんだけど、何かあったのでしょうか?


【追記】No.1

幻泉館鯖のログを見ていると、時々不思議なことがある。
今日は「search.msn.co.jp」で「出産シーン」という検索語で飛んできた人が何人もいた。

う?む。
なぜ「msn.co.jp」で「出産シーン」なのかわからない。
う?む。


さて、ボブ・ディランの自伝『クロニクルズ』に戻りましょう。
2ページ目(ノンブルはp.4)で一段落を使って、ニューヨークの街が描写されています。
いわゆる分詞構文が並び、リズムを作っています。
外では風が吹き、叢雲が流れ、赤い街灯がともる通りには雪がうずまき……といった調子です。
ウサギの毛の耳あてや、焼き栗や、マンホールからの蒸気ということで、冬の街の様子が思い浮かびます。
ニューヨークの街に詳しければ、だいたい正確な時季がわかるように書いているのしょう。

ディランはまだ自作曲が少なかったようですが、ルー・レヴィのリーズ音楽出版社と版権の契約を結びます。
ディランへの先行投資です。
書類にサインすることで、ディランは100ドルを前払いしてもらいます。

1960年ごろの100ドル。
今の金額に換算しても、そんなに大金というわけでもないと思います。
一か月暮らせる程度の、当面の生活費といったところでしょうか。
「and that was fine with me」とディランは書いています。

ボブ・ディランの偉いところは、生活のためのアルバイトをしなかったことです。
だから本当に着たきり雀。
誰かしらに食わしてもらって、とにかく歌を歌う。
それができたのだから、やっぱり天才だったんでしょう。

事務所に戻ってディランは自分のギターを爪弾きます。
乱雑な事務所の描写もいいですね。
レコードやサイン入りブロマイドが散乱しています。
音楽出版社ですが、芸能プロダクションをイメージすれば良いのでしょう。
当時ルー・レヴィの会社に所属していた歌手の名前が挙げてあります。

Jerry Vale
 →Jerry Vale collection
  リンク先で「ブルー・ベルベット」や「サンホセへの道」が聴けます。
Al Martino
 →Al Martino Welcome!
The Andrew Sisters
 →THE OFFICIAL WEB SITE
  ルー・レヴィの奥さんはこのメンバーの中にいるそうです。
Nat King Cole
 →NAT KING COLE HOUR
 キャピタルレコードのサイトで「モナリザ」「ルート66」などが聴けます。
Patti Page
 →Miss Patti Page
  なんと健在、現役バリバリ!
  11月8日が誕生日だそうですが、幻子心母と同い年ですな。
The Crew Cuts
 →The Crew Cuts
  カナダのコーラス・グループ。
  「Sh-Boom」(1954年)

ルーは葉巻をくわえたまま、オープンリールのデッキでディランの歌を録音します。
ルー・レヴィがディランの面倒を見ることになったのは、非常に有能なスカウトであるジョン・ハモンド(John Hammond)に依頼されたからです。
いわゆる敏腕プロデューサーですね。
ディランをコロンビア・レコードに連れていったのもジョン・ハモンドです。
このジョン・ハモンドが発掘してレコードを録音させた人達がまたすごいんですわ。

Billie Holiday
 →The Official Site of Billie Holiday
 →The Unofficial BILLIE HOLIDAY Website
   ファンサイトの方では音源にリンクが張ってあります。
Teddy Wilson
 →Wiki Pedia "Teddy Wilson"
Charlie Christian
 →Legend of the Jazz Guitar
Cab Calloway
 →CCO Offcial Homepage
Benny Goodman
 →Selected Artist Biography - "Benny Goodman"
Count Basie
 →Count Basie
Lionel Hampton
 →Lionel Hampton: His Life and Legacy

ジョン・ハモンドはベシー・スミス(Bessie Smith 1895-1937)の最後のレコーディングの時に指揮を執ったとも書いてあります。
まさに伝説的なスカウトなんですが、みんなジャズの人ですね。
ディランの説明によれば、当時フォークはまだガラクタみたいなもので、小さなレーベルからしかレコードが出せなかったのだそうです。

「But John was an extraordinary man.」

そんな時代に、ジョン・ハモンドは大レコード会社コロンビアに、ディランのレコードを作らせてしまうわけです。
世の中にはすごい人がいるものですな。

おっと、googleで検索したら、解説ページがありました。
http://www.pbs.org/wnet/americanmasters/database/hammond_j.html
ディランが挙げた名前以外に、Aretha Franklin, Pete Seeger, Bruce Springsteenといった名前が挙がってますね。
もちろんBob Dylanも。

同名のJohn Hammondという歌い手さんは、この超大物プロデューサーの息子さんです。
お父さんはJohn Henry Hammondで、息子さんはJohn Paul Hammondです。

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CHRONICLES #2 (Bob Dylan)

千本浜 2004年11月6日

【追記】No.2

続けて幻泉館鯖のアクセスログなのだが、teacup.comから飛んでくる人も何人かいるようだった。
懐かしフリー掲示板のteacupも、今はblogを始めたらしい。
ボブ・ディラン自伝『クロニクルズ』を読んだよという方らしい。

せっかくだからトラックバックを付けようとしたのだが、どうもうまくいかない。
楽天のせいなのか、teacupのせいなのか、わかりません。

loveminus0の“コーヒーをもう1杯”

相変わらず「出産シーン」で検索して飛んでくるんだけど、何かあったのでしょうか?


【追記】No.1

幻泉館鯖のログを見ていると、時々不思議なことがある。
今日は「search.msn.co.jp」で「出産シーン」という検索語で飛んできた人が何人もいた。

う?む。
なぜ「msn.co.jp」で「出産シーン」なのかわからない。
う?む。


さて、ボブ・ディランの自伝『クロニクルズ』に戻りましょう。
2ページ目(ノンブルはp.4)で一段落を使って、ニューヨークの街が描写されています。
いわゆる分詞構文が並び、リズムを作っています。
外では風が吹き、叢雲が流れ、赤い街灯がともる通りには雪がうずまき……といった調子です。
ウサギの毛の耳あてや、焼き栗や、マンホールからの蒸気ということで、冬の街の様子が思い浮かびます。
ニューヨークの街に詳しければ、だいたい正確な時季がわかるように書いているのしょう。

ディランはまだ自作曲が少なかったようですが、ルー・レヴィのリーズ音楽出版社と版権の契約を結びます。
ディランへの先行投資です。
書類にサインすることで、ディランは100ドルを前払いしてもらいます。

1960年ごろの100ドル。
今の金額に換算しても、そんなに大金というわけでもないと思います。
一か月暮らせる程度の、当面の生活費といったところでしょうか。
「and that was fine with me」とディランは書いています。

ボブ・ディランの偉いところは、生活のためのアルバイトをしなかったことです。
だから本当に着たきり雀。
誰かしらに食わしてもらって、とにかく歌を歌う。
それができたのだから、やっぱり天才だったんでしょう。

事務所に戻ってディランは自分のギターを爪弾きます。
乱雑な事務所の描写もいいですね。
レコードやサイン入りブロマイドが散乱しています。
音楽出版社ですが、芸能プロダクションをイメージすれば良いのでしょう。
当時ルー・レヴィの会社に所属していた歌手の名前が挙げてあります。

Jerry Vale
 →Jerry Vale collection
  リンク先で「ブルー・ベルベット」や「サンホセへの道」が聴けます。
Al Martino
 →Al Martino Welcome!
The Andrew Sisters
 →THE OFFICIAL WEB SITE
  ルー・レヴィの奥さんはこのメンバーの中にいるそうです。
Nat King Cole
 →NAT KING COLE HOUR
 キャピタルレコードのサイトで「モナリザ」「ルート66」などが聴けます。
Patti Page
 →Miss Patti Page
  なんと健在、現役バリバリ!
  11月8日が誕生日だそうですが、幻子心母と同い年ですな。
The Crew Cuts
 →The Crew Cuts
  カナダのコーラス・グループ。
  「Sh-Boom」(1954年)

ルーは葉巻をくわえたまま、オープンリールのデッキでディランの歌を録音します。
ルー・レヴィがディランの面倒を見ることになったのは、非常に有能なスカウトであるジョン・ハモンド(John Hammond)に依頼されたからです。
いわゆる敏腕プロデューサーですね。
ディランをコロンビア・レコードに連れていったのもジョン・ハモンドです。
このジョン・ハモンドが発掘してレコードを録音させた人達がまたすごいんですわ。

Billie Holiday
 →The Official Site of Billie Holiday
 →The Unofficial BILLIE HOLIDAY Website
   ファンサイトの方では音源にリンクが張ってあります。
Teddy Wilson
 →Wiki Pedia "Teddy Wilson"
Charlie Christian
 →Legend of the Jazz Guitar
Cab Calloway
 →CCO Offcial Homepage
Benny Goodman
 →Selected Artist Biography - "Benny Goodman"
Count Basie
 →Count Basie
Lionel Hampton
 →Lionel Hampton: His Life and Legacy

ジョン・ハモンドはベシー・スミス(Bessie Smith 1895-1937)の最後のレコーディングの時に指揮を執ったとも書いてあります。
まさに伝説的なスカウトなんですが、みんなジャズの人ですね。
ディランの説明によれば、当時フォークはまだガラクタみたいなもので、小さなレーベルからしかレコードが出せなかったのだそうです。

「But John was an extraordinary man.」

そんな時代に、ジョン・ハモンドは大レコード会社コロンビアに、ディランのレコードを作らせてしまうわけです。
世の中にはすごい人がいるものですな。

おっと、googleで検索したら、解説ページがありました。
http://www.pbs.org/wnet/americanmasters/database/hammond_j.html
ディランが挙げた名前以外に、Aretha Franklin, Pete Seeger, Bruce Springsteenといった名前が挙がってますね。
もちろんBob Dylanも。

同名のJohn Hammondという歌い手さんは、この超大物プロデューサーの息子さんです。
お父さんはJohn Henry Hammondで、息子さんはJohn Paul Hammondです。

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CHRONICLES #1 (Bob Dylan)

八幡町歩道橋 2004年11月4日

【追記】No.2

何の映像だったのか。
イギリス(という国はないのだが)のブレア首相が大統領選の話をしている。
周囲に「あれ?」と思わせておいて、最後に「アフガニスタンのカザル大統領は」と落とす。
アフガニスタンでも大統領選があったのだ。

周囲にかなりウケていて本人も御機嫌だったのだが、非常に不愉快な気分になった。
つまり、本音の部分での、傲岸不遜さである。
言葉の字面だけだと何の問題もないのだが、「な?んだアフガニスタンの話かよ」と、アフガニスタンの大統領選挙をオチにしてしまったことだ。

話し手と聞き手の間に、暗黙の価値観がある。
アメリカ(という国もないのだが)の大統領選挙の結果は一大事だが、アフガニスタンはね。
その落差が笑いになる。

他国を侵略して植民地を持っていた大国の傲慢さは、今もこんなふうに日常的に現われる。
もちろん日本もそうだ。


【追記】No.1

テレビをつけると清志郎さんの声が。

 ♪ 幸せになりたいけど
 ♪ ガンバリたくな?い

通りをギター弾きながら忌野清志郎さんが歌って歩いてる。
グロンサンのCMなんだ。
この町、なんかよく知ってる風景みたい。
どこだろ?
気になって夜も眠れない。

それでgoogle検索しました。
CMのオフィシャルサイトがあるんですね。
gronsan.com

な?んだ、やっぱり☆☆☆☆か?。
☆☆橋だ。
ギターは1950年製ギブソン「J-20」なんですね。
歌の楽譜までありました。


ボブ・ディランの自伝『クロニクルズ』(Bob Dylan "CHRONICLES VOLUME ONE")なんだけど、読んだ先からどんどん忘れていって人の名前がわからなくなるので、ちょっとメモしておこう。

既刊の第一巻(VOLUME ONE)は五章仕立て。
第一章は「Markin'up the Score」。
楽譜、つまり曲の値上げのことだと思うんだけど、評価かもしれない。

最初に出てくる人がルー・レヴィ(Lou Levy)といって、リーズ音楽出版社(Leeds Music Publishing company)の社長さん。
ウエスト・コースト・ジャズのピアノ弾きで同じ名前の人がいるんだけど、同一人物なのかしら。
これがまずわからない。

あ、あった。
ピアニストのルー・レヴィは1928年生まれで2001年没。
別人だ。
こちらのルー・レヴィは1912年生まれで1995年没。
ASCAP(American Society of Composers, Authors and Publishers)のホームページに人物紹介がありました。
1930年代にティンパンアレーで仕事を始めたとありますね。

プロデビューをする若きボブ・ディランが、このやり手のおっちゃんに連れられてタクシーで小さなスタジオに行きます。
ビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツが「ロック・アラウンド・ザ・クロック」を録音したスタジオです。
実はロックンロール小僧だったディランが嬉しそうに書いてます。

それからジャック・デンプシーがやってるレストランへ連れていってもらいます。
なんだかおのぼりさんみたいね。

ジャック・デンプシー(1895-1983)はもちろんボクシングの元ヘビー級チャンピオン。
「クロニクル」のくせに何年のできごとか書いてないのでわかりませんが、ボブ・ディランとしてデビューする直前なんですから、60年代冒頭。
もう結構いい歳になった元チャンピオンが、若きボブ君に向けて握り拳を突き出します。

「重量級にしちゃ軽すぎるな。もう少し体重増やさないと。」

ルー・レヴィが「こいつはボクサーじゃないんだよ」と誤解を解くのですが、なかなかいい出だしでしょ。

300ページ近い本の、これでまだ最初の一ページ。
メモになりませんな。
人の名前がわからないのは、かえっていいかもしれない。
いろいろ調べながらゆっくり楽しめます。

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ブルーにこんがらがって

【追記】No.3

幻泉館大菜園 2004年10月24日ぐずぐずしていた空だが、午後から晴れ上がる。
選挙の投票と畑仕事に出かけて、一服しているところ。
これからまたちょっと仕事をして、浜へ夕陽を見に行こう。

選挙は市長選挙。
現職と元市長の対決。
というとかっこいいが、どちらも建設官僚の天下りだ。

元市長が国会選挙に出て敗れたので、こんなことになってしまった。
現職は元市長の政策を引き継いでいるので、元市長はかつての自分の施策を否定するというばかばかしい選挙になって、有権者は白けきっています。

それでも棄権は悔しいので、いわゆる批判票を投じてきました。

畑は何といっても柿ですよ、柿。
赤みの濃いものを70ほど採ってきましたが、まだまだこれから。
甘い「富有」です。

蓼の花がたくさん咲いていました。
薬味に使う植物で、「蓼食う虫」の蓼です。
葉をすりおろして酢と混ぜたものが蓼酢。
鮎の塩焼きなんぞに添えますね。
柿の渋抜きにも使うそうですが、試したことはありません。


【追記】No.2

ところで今日の日記のタイトルはもちろんボブ・ディラン御大の「Tangled Up in Blue」から採ったものです。
御大の場合はbobdylan.comで歌詞を見ることができるので、実に便利。

「Tangled Up in Blue」

英語はちょっとという方、今は便利なものがありまんにゃ。
URLを入力すると、ページをそのまんま翻訳して表示してくれるサービス。
これで実に明解に……

excite翻訳 英→日「Tangled Up in Blue」

……う?ん、かえってこんがらがってしまうかな。


【追記】No.1

新潟ではまだ地震が続いているらしい。
電気・ガス・水道といったライフラインを絶たれて、温かく眠る場所を確保するのも困難な方たちも多いそうだ。
疲労が限界を超える前に、なんとか十分な救援がいきわたってほしいものだ。
特に独居老人が心配だ。

今から四十年前、東京オリンピックの年の6月に新潟で発生した地震は、石油化学コンビナート火災を引き起こした。
下のリンク先、消防防災博物館から引用する。
消防防災博物館

-------------------------------------------------------------------
また、石油コンビナート災害には、昭和39年6月16日に発生した新潟地震により、石油コンビナート地帯で発生した原油タンク火災がある。これに対応する化学消防自動車及び消火剤が新潟市では不足したため、東京消防庁から化学消防自動車5台と応援隊員36人が、高岡市消防本部から化学消防自動車1台と応援隊員7人が、さらに石油連盟からも化学消防自動車5台が応援出動した。消火剤はトラックにより陸送したが、それでも不足したため航空自衛隊、在日米軍の協力を得て空路による緊急輸送が行われた。この大規模油火災に出場した消防自動車は延べ255台、消火活動にあたった消防職団員2,173人、使用した消火薬剤はエアフォーム原液約100キロリットル、ドライケミカル消火剤約3,000キロリットルに達した。
-------------------------------------------------------------------

これだけの消火活動にもかかわらず、タンクは二週間燃え続けた。
二週間後に消火できたのではない。
自然鎮火である。
東京消防庁 公開情報

当時幻泉館地方では、二市一町の住民が石油化学コンビナート反対運動を繰り広げていたのだが、この新潟の石油化学コンビナート火災が住民運動の勝利を決定づけたといってもよい。
「安全だ」と言われる大規模開発がどれだけ恐ろしい結果を招くことがあるのか、目の当たりに見せてくれたのだ。

おかげで、高度成長期に反開発の住民運動が勝利を収めた希有な例となった。
追い出されたコンビナートは関東地方に計画を変更した。
それが鹿島だったのか千葉だったのかは知らない。
新潟や鹿島(?)の方々には申し訳ないと思う。

私たちの町には富士山の湧水と、きれいな夕陽の沈む浜が残った。


amazonでボブ・ディランの自伝を見つけたので、即購入。

『Chronicles: Volume One』
(Simon & Schuster, $24:悪税込 2067円)

まだ出たばかりなんだな。
三巻本で出る予定の一冊目らしい。
そんなニュースを知らなかったので驚いた。

これまた即届いたのだが、今ちょっと読んでいる時間がないかな。
読んだぜという報告でなくてすみません。
買ったぜ、です。
これからぼちぼちと読むのです。

ぱらぱらと眺めると、タイトルは「Chronicles(年代記)」なのに、なんだか時系列に従って書いてはいないようだ。
きっとブルーにこんがらがって(Tangled up in Blue)いるんでしょう。
まあとりあえずデビュー前のことが書いてあるのでいいのだが。
固有名詞がよくわからん。

ハードカバーで2067円(amazon.co.jp 悪税込)は安いなあと思っていたら、やっぱり紙や印刷製本はあまり良くない。
カバーはきれいなので、飾りにはいいですぜ。
一応楽天市場で検索したけど、扱ってる店はありませんでした。
念の為。


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