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→[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]
私にとって80年代のディランは空白だったと書きましたが、忘れておりました。
トム・ペティとのツアーのライブ盤は買っています。
ただ、どちらかというとトム・ペティ&ハートブレーカーズを聴きたかったからのような気がします。
"New Morning"(1971年)を録音した時と同様、80年代のディランは何か壁にぶつかっていたのですね。
「歌の内なる魂というものを捕まえていない」ということに関して、ディランの記述は続きます。
おもしろい描写です。
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The intimacy, among a lot of other things, was gone. For the listeners, it must have been like going through deserted orchards and dead grass. My audience or future audience now would never be able to experience the newly plowed fields that I was about to enter. There were many reasons for this, reasons for the whisky to have gone out of the bottle.
他にも数多くのことがあるのだが、歌に対する親密さというものがなくなっていた。聴く者にとっては、荒れ果てた果樹園や枯れ草の中を通り抜けるようなものだったにちがいない。聴衆や、未来の聴衆は、僕が今まさに入ろうとしている、新しく耕した畑を経験することなどけっしてできないのだ。これには多くの理由があった。ウィスキーの瓶が空になってしまうほど、たくさんの理由があった。
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本人が何を言いだそうと、ディランの歌詞は詩だし、散文も十分に詩的でおもしろいものです。
ディランという人は言葉が生み出す具体的なイメージをとても大切にしているようです。
だから、こんな表現が出てきたら、本当にいちいち荒れ果てた果樹園や荒れ野を思い浮かべて、一緒に楽しんだ方がいいのだと思います。
私が母語ではないアメリカ語で書かれたディランの文章を読む時は、かえってそのひとつひとつにじっくりとつきあえるようです。
翻訳で読むと、これぐらいは0.5秒ぐらいで読みとばしてしまうことでしょう。
もちろんべたべたと日本語に直して読んでいくわけではありません。
最初のところは、ああ、"intimacy"がなくなったんだなあと読んでいくわけです。
「歌に対する親密さ」という訳は良くありませんね。
自分が作った歌が、よそよそしく感じられるようになったのでしょう。
"intimacy"ですが、特に男女の仲に関して使われたりします。
あの「親密さ」です。
形容詞の"intimate"はクリントン大統領の不倫もみ消し疑惑を捜査していたスター独立検察官の報告書(The Starr Report)に"inappropriate intimate contact"なんて言い回しで出てきました。
→Full Text of the Starr Report
そうそう、菅野ヘッケル先生の翻訳が手元にあるではないですか。
該当箇所を見てみましょう。
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とりわけ、自分を大きくかかわらせて歌うということができなくなっていた。
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う?ん、なるほど。
以前流行った「超訳」まで行ってしまってはダメだと思います。
このぐらいならまずまずいい感じといったところでしょうか。

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