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2005年4月 Archive

PP&M誕生 CHRONICLES #136

千本浜 2005年4月29日
 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]

 
2行空けて、話が変わります。

ある時「ガス灯」にアルバート・グロスマン(Albert Grossman)とボブ・ギブソン(Bob Gibson)が入ってきました。
ヴァン・ロンクに用があったんですね。
アルバート・グロスマンは当時オデッタのマネージャーをしている人で、すごい存在感がありました。
店に入ってくると、誰でもグロスマンに気がついたそうです。

 →Odetta

 →Bob Gibson

ヴァン・ロンクに、新しいスーパー・フォーク・グループに参加しないかと相談に来たようです。
グロスマン自身は、このグループがうまく行くかどうか、懐疑的だったそうです。

ヴァン・ロンクはこの申し出を断りました。
ノエル・ストーキーはこの申し出を受け入れました。
グロスマンはノエルの名前をポールに変えて、ピーター・ポール&マリーというグループを作ります。
そう、あのPP&Mです。

ディランはピーターやマリーとも面識があったそうです。
ピーターとはミネアポリスで知り合い、マリーはビレッジに来てすぐ知り合いました。

ディランはノエルの代わりに自分が入っていたら、やっぱり名前をポールに変えなきゃいけなかったんだろうなあと、おもしろい想像をしています。
もちろん、まだまだディランは格下の駆け出しです。
グロスマンはディランの演奏を何度か耳にしていますが、まだ売り出そうというところまで至っていません。
後にグロスマンがディランを売り出すことになるのですが。

以前NHK BS2で、「風に吹かれて」のことをやってくれました。
まずPP&Mで先行ヒットさせた敏腕プロデューサーとは、このグロスマンのことですね。

 →2003年9月8日付日録:風に吹かれて


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今日をこえて CHRONICLES #135

千本浜 2005年4月22日

ハンク・ウィリアムズの曲から音楽と歌詞の構造を学んだディランは、後にロバート・シェルトン(Robert Shelton)という人に評されます。

「曲作りのルールをすべて破っている。言いたいことがあるということを除いては」

-------------------------------------------
The rules, whether Shelton knew it or not, were Hank's rules, but it wasn't like I ever meant to break them. It's just that what I was trying to express was beyond the circle.

シェルトンが知っていたかどうかはともかく、そのルールとはハンクのルールだった。でも、僕はけっしてルールを破ろうとしていたのではなかった。ただ単に、僕が表現しようとしていたことが、その範囲を超えていただけなんだ。
-------------------------------------------

ロバート・シェルトンの批評は1961年9月21日付のニューヨーク・タイムズに載ったもののようです。

 →BOB DYLAN: A DISTINCTIVE STYLIST

「Resembling a cross between a choir boy and a beatnik...」の部分は同じです。
でも、『クロニクルズ』でディランが書いているような、曲作りに関する記述がありません。
う?ん、不思議ですな。

デビューしてすぐのディランは、他の人とははっきりと違う、際立った歌い方をしていたのですね。
ただし、まだ進化の途上だと言われています。

p.97に入りました。


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宝物

  • Posted by: 幻泉館主人
  • 2005年4月29日 00:09
  • 映画
『映画 日本国憲法』のDVDが届いた。 ジャケットの絵は奈良美智さん。 注文した時には気づいていなかったのだが、音楽はソウル・フラワー・ユニオン。

あの『絵のなかの僕の村』もシグロの制作だったな。
輸入でDVD買ったけど、日本でも出していただきたいものです。

 →2003年12月4日付日録:絵の中のぼくの村 Village Of Dreams

『映画 日本国憲法』のジャケットに書いてある。

「あなたには、
 この宝物が
 みえますか。」

『映画 日本国憲法』


『週刊金曜日』も届いていた。
4/29・5/6合併号。
「まるごと憲法特集号」だ。

4/29はまだ「みどりの日」なんだっけ?
4/29「昭和の日」で5/4「みどりの日」に変わる、変わった?
どっちだか知らない。

5月3日は憲法記念日だ。
11月3日の半年前。
翌日5月4日は、あの「五四運動」の日。

『週刊金曜日』


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浮浪者ルーク CHRONICLES #134

千本浜 2005年4月24日

小学生の時にアイドルであるハンク・ウィリアムズを失ったディラン。
でも、偶像だけに、レコードの中では生き続けていたのです。
何度も何度も同じレコードを繰り返して聴きました。

 →Hank Willaims as Luke The Drifter

ハンクは「浮浪者ルーク」という名前で霊歌のような曲をレコーディングしていたんですな。
ディランはこの78回転のレコードを、擦り切れるまで聴いたそうです。
そう、レコードって擦り切れたんですよね。

吉田拓郎さんのエレック時代の音源に『たくろう オン・ステージ ともだち』というライブ盤があります。
ステージで差別的言辞を連発しているのでこれからCDで復刻されることはないでしょう。
曲の部分だけはオムニバス盤に入っているかもしれません。

拓郎さんがその中で斉藤哲夫さんの「されど私の人生」を歌っているのですが、練習のために何度も繰り返して聴いたので、「シャリシャリ シャリシャリ いってる」ということを言っています。
アナログ盤は溝を針でなぞるわけですから、聴きすぎるとそうなります。

しかし、CDというのはどれぐらいもつものなんでしょう。
あっけなく逝ってしまうものなのかしら。

---------------------------------------
When I hear Hank sing, all movement ceases. The slightest whisper seems sacrilege.
---------------------------------------

おお、現在形で書いてますね。
ほんのわずかなささやきでさえも、それは冒涜(sacrilege)と言ってもいい。
つまり、神のようなものなんです。
あ、その昔、吉田拓郎さんがブレイクする前に、雑誌でボブ・ディランが神様だと言っていたのを思い出しました。

さて、ディラン少年は同じレコードを何度も繰り返して聴いているうちに、ハンクの歌っている歌には詩的な典型的規則(the archetype rules)があるのに気づきます。
曲に関しては大理石の柱を喩えに遣っています。
詞は、その語の音節が数学的な意味を表すものだと言っています。
音楽理論から分析しているわけではありませんが、小学生のディランが、ハンクの曲を繰り返して聴くことによって、その曲の中に美しい構造を発見したということなのでしょう。

---------------------------------------
You can learn a lot about the structure of songwriting by listening to his records, and I lisetened to them a lot and had them internalized.
---------------------------------------

「internalize」は軽く「血肉とする」ぐらいに読んでもかまわないと思うのですが、言語学で「内在化する(文法規則や構造などを言語能力の一部とする)」という意味で遣われる言葉です。
ディランはハンクのレコードを聴くことによって、まさに音楽言語を「内在化」したと言って良いでしょう。


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エッチ・スケッチ・マイペット

  • Posted by: 幻泉館主人
  • 2005年4月27日 22:47
  • 日常雑記
ペットボトルの緑茶飲料、一斉に景品がぶらさがりましたね。 競争が激しいのでしょう。 とりあえずお茶犬&お茶猫などゲットしました。

お茶犬&お茶猫

 →お茶犬のホームページ


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流星 CHRONICLES #133

保線区 2005年4月26日

ハンク・ウィリアムズは1953年の元旦、コンサートツアーを巡っていた車の中で急死しました。
ディランは、それが誤報であることを願ったそうです。
でも、それは本当のことでした。
「大きな木が倒れた」
そんな気がしたそうです。

------------------------------------------
Intuitively I knew, though, that his voice would never drop out of sight or fade away -- a voice like a beautiful horn.
------------------------------------------
 * intuitively 直感的に

ディランは1941年5月24日の生まれですから、その時はまだ11歳ですね。
小学生のディランが、アイドルを失ったんですからとてもショックだったことでしょう。

少し前に教室で縊死した小学校教師がいましたが、実はあれがここのところで最も腹立たしい事件でした。
死ぬのは勝手だが、自分の家でやれよ。
彼もまた自分しか愛せない若者だったのでしょう。

ハンクの死後だいぶ経ってから、ディランはハンクがずっと背骨の激痛に苦しんでいたことを知ります。
それを知ってハンクのレコードを聴くと、さらに驚くべきものだと感じたそうです。

「それは重力の法則に戦いを挑むようなものだ」

苦痛を感じさせない、ホルンのような美しい声。
小学生の時に予感したように、ハンクの声はディランにとって決して色褪せることのないものとなりました。


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沈黙の弾機

  • Posted by: 幻泉館主人
  • 2005年4月26日 13:03
  • 日常雑記
JR福知山線(宝塚線)の脱線事故は死者70人を超える大変な事故となっている。 いったい何があったのか。

東京オリンピック前年の1963年、東海道貨物線から脱線した貨物車両が横須賀線の旅客車両に二重衝突するという大事故があった。
死者160人を超える大事故である。

ところが、この同じ日に三井三池炭鉱の坑内で爆発事故があり、458人が亡くなるという大惨事が起きてしまった。
私がかすかに記憶しているのは、この炭鉱事故の方だ。

 →鶴見二重衝突と三池炭鉱爆発

今まで気づかなかったのだが、この11月9日という日はうちの親父様の祥月命日でもあるな。

ただ、今回の事故を聞いてまず思い出したのは、事故ではなくて人為的な爆破。
寸又峡の金嬉老事件や永山則夫「連続射殺魔」事件と同じ1968年に起きた、横須賀線爆破事件だ。

 →横須賀線電車爆破事件

この事件はさまざまな人が採り上げることになったが、私は『ガロ』で広告を見た上野昂志さんの本を、だいぶ後になってから買った。
まだどこかにとってあるはずなのだが、例によって見つからない。

死刑囚若松善紀は純多摩良樹という名で歌集を残した。


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カントリー・ボーイ CHRONICLES #132

千本浜 2005年4月24日

ハンク・ウィリアムズが歌ったのは、犬小屋で暮らす男の歌だけではありませんでした。
"When God Comes and Gathers His Jewels"や"Are You Walking and a-Talking for the Lord"といった霊歌(sprituals)も歌ったそうです。
リンク張りませんが、前者はamazonで試聴できますね。

-------------------------------------------
The sound of voice went through me like an electric rod and I managed to get a hold of a few of his 78s -- "Baby, We're Really in Love" and "Honky Tonkin'" and "Lost Highway" -- and I played them endlessly.
-------------------------------------------

あら、また電気が貫いてますね。
映画『ブルース・ブラザーズ』のジェームズ・ブラウンのようでもあり、ディランのアルバムのジャケットのようでもあり。
その気になりやすい人のようです。

「78s」というのが一瞬なんだかわかりませんでしたが、78回転のレコードのことですね。
いわゆるSP盤。
ディランはそれをぐるぐると繰り返して聴いたというのですが、これはまだ田舎にいる時のことなんでしょう。

ハンクは「ヒルビリー・シンガー(hillbilly singer)」と言われていましたが、ディランはこれに異を唱えています。

-------------------------------------------
They called him a "hillbilly singer," but I didn't know what that was. Homer and Jethro were more like what I thought a hillbilly was.
-------------------------------------------

 →Homer and Jethro!

「hillbilly」というのは、田舎者のことです。
「リーダーズ英和」によれば「《米国南部, 特に アパラチア山脈の》山地[山奥]の住民」を指すそうです。
その田舎者ぶりを嘲笑するジョークもあります。

 →Hillbilly joke

「hillbilly music」と言えば「カントリーミュージック」と考えて良いのでしょう。
ハンクは確かにカントリーの歌手だけれど、けっしてヒルビリーなんかではなかったとディランは言いたいようです。
そしてハンクに自分を重ね合わせました(identified with)。
ハンク・ウィリアムズは、一時期ディランの役割モデルのようなものだったんですね。

p.96に入りました。


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星は何でも知っている CHRONICLES #131

千本浜 2005年4月24日
 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]

ディランは、歌が「キングズイングリッシュ(King's English)」でわかりやすく平易に歌われるのを聴く必要があったのだと書いています。
その例として、トニー・ベネット(Tony Bennett)を挙げています。
確かにわかりやすくて平易な歌い方ですが、キングズイングリッシュなんでしょうか。

 →Tony Bennett

トニー・ベネットがハンク・ウィリアムズ(Hank Williams)の曲を歌っていたよということで段落が変わって、ハンクの話になってしまいます。

ディランが初めてハンクの歌を聴いたのは、土曜の夜のラジオ番組。
ナッシュビルからの中継だったようです。
アナウンサーがロイ・エイカフ(Roy Acuff)を「カントリーミュージックの王様」と紹介していたそうです。
ハンクはグランド・オール・オープリー(Grand Ole Opry)にいたんですね。
「Ole Opry」というのは、元々「Old Opera」の訛だと思います。

 →Acuff & The Grand Ole Opry

おお、ここでもエイカフは「The King of Country Music」と書いてありますね。

その番組では誰かが「次のテネシー州知事」だと紹介され、ドッグフードの宣伝があり、高齢者向けペンションの提案をしていたそうです。
ハンクが犬小屋で暮らす男の歌"Move It On Over"を歌ったので、ディランはとてもウケてしまったようです。
だからドッグフードのCMのことをよく覚えてるんですね。

 →Official Hank Williams Website

ハンク・ウィリアムズは日本の流行歌にも大きな影響を与えてますね。
う?ん、たとえばこんな感じかな?

 →星は何でも知っている


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月極

  • Posted by: 幻泉館主人
  • 2005年4月24日 12:43
  • 日常雑記

あ?、しかしなんだな、あの「月極」って会社はすごいね。
この辺だけかと思ったら、日本全国津々浦々、どこに行ったってあそこの駐車場がある。
もしかしたら、日本で一番の大地主かもしれんわね。
うむ、時々類似店で「月極め」ってのもある。


あ?、しかしなんだな、あの「通りすがり」って奴はすごいね。
楽天広場だけかと思ったら、どこの掲示板に行ったってあいつの書き込みがある。
もしかしたら、日本で一番ヒマなやつなのかもしれんわね。
うむ、時々自作自演だったりするのもある。


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映画 日本国憲法

  • Posted by: 幻泉館主人
  • 2005年4月24日 03:41
  • 映画
あ、これは知らなかった。 ジャン・ユンカーマン監督の『映画 日本国憲法』の上映会があったのだ。 シグロのサイトでDVD/ビデオの販売が始まったそうなので、注文しておこう。 なんだか説明的だな。 2時間ドラマの終盤、謎解き部分の下手なセリフみたいになっちまっただ。

 →SIGLO

---------------------------------------------
『映画 日本国憲法』
監督: ジャン・ユンカーマン

1952年、米国ミルウォーキー生まれ。
画家の丸木位里・俊夫妻を取材した『劫火一ヒロシマからの旅』(1988)は米国アカデミー賞記録映画部門ノミネート。
9.11のテロ後にノーム・チョムスキーにインタヴューした『チョムスキー9.11』(2002)は世界十数カ国語に翻訳・上映され、
現在も各国で劇場公開が続いている。他に、与那国のカジキ捕りの老漁師を描いた『老人と海』(1990)、
エミー賞受賞作『夢窓?庭との語らい』(1992)など。現在も日米両国を拠点に活動を続ける。

出演:ジョン・ダワ?
   ノーム・チョムスキー
   ベアテ・シロタ・ゴードン
   チャルマーズ・ジョンソン
   日高六郎
   ハン・ホング
---------------------------------------------
 
DVD:¥2,800(悪税込)
VHS:¥4,500(悪税込)


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モンクとの対話 CHRONICLES #130

白銀町 2005年4月23日

当時セロニアス・モンクはブルーノートという店で演奏していました。

--------------------------------------
Sometimes he'd be in there in the afternoon sitting at the piano all alone playing stuff that sounded like Ivory Joe Hunter -- a big half-eaten sandwich left on top of his piano.
--------------------------------------

夜のステージはピアノ・トリオだったのですが、昼間は一人でくつろぎながら、ピアノをポロポロと弾いていたのですね。
アイヴォリー・ジョー・ハンターというのは、甘い声で有名な歌手です。
モンクのピアノとして多くの人がイメージする音とは、だいぶ雰囲気が違います。

 →アイヴォリー・ジョー・ハンター

 →Ivory Joe Hunter

ある時ディランがそこへ立ち寄って、ピアノを聴いた後に「僕はフォークソングを演ってます」と言いました。
するとモンクは、「みんなフォークを演ってるんだよ(We all play folk music)」と言います。
くつろいでだらだらとしている時にも、モンクは独特の世界を感じさせたようです。
モンクが大ブレイクする、直前のことだったのでしょう。

 →Monk In Paris / Thelonious Monk

ディランはクラブでジャズの演奏を聴くのが大好きでしたが、夢中になってジャズを追いかけるということはしませんでした。
ジャズには特定の意味を持った普通の言葉というものが存在しなかったからだと、ディランは説明しています。

やっとp.95に入りました。


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沖縄そば

  • Posted by: 幻泉館主人
  • 2005年4月23日 18:03
  • 日常雑記
昨日近所のイトーヨーカドーに寄ったら、沖縄食品フェアのようなことをやっていた。 普段見かけない、沖縄そばのインスタントカップ麺がある。 嬉しくなって買ってしまった。

東洋水産(マルちゃん)
沖縄そば
かつおとソーキ味

明星食品
沖縄そば
かつお昆布だし

どちらも熱湯5分で、紅生姜&七味唐辛子付き。
ついでに明星食品のそーめんちゃんぷるー(沖縄の焼塩味 ゴーヤ風味 ふりかけ付)も購入。
もっとリッチな食品もいろいろあったのだが、一品百円程度のものしか買わない自分に気づいて愕然とした。

味はまだわからないのよ。
これからいただくのです。


沖縄そば


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『タカダワタル的』のDVD

  • Posted by: 幻泉館主人
  • 2005年4月23日 06:03
  • 映画
「タカダワタル的」の掲示板を覗いたら、またしょーもない書き込みがあった。 またまた不愉快になったのだが、映画『タカダワタル的』のDVDが出るよという書き込みをしてくれた方がいて、気分が良くなった。 気分屋いかんですな。

-----------------------------
監督: タナダユキ
製作: 桝井省志、小形雄二
製作総指揮: -
出演: 高田渡、柄本明
商品番号: PCBP-51458
発売日: 2005/06/24 (予定)
盤種: DVD
時間: 65分
販売元:ポニーキャニオン
定価(税込): 4,935円
-----------------------------

悪税込みで4,935円は高いなあと思ってアマゾンを覗いた。
おお、確かにもう予約できるわい。
この段階で既に20%引きになってました。
なぜに?

-----------------------------
価格: ¥3,948 (税込)
OFF: ¥987 (20%)
-----------------------------

だそうです。
でも、まだ高いね。
香典代わりに予約しておくか。


『タカダワタル的』



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ブルーノート CHRONICLES #129

今日(22日)に本屋さんで買い物をしたら、ずいぶんひさしぶりに書店くじを貰いました。 おお、明けて23日はサン・ジョルディの日ではありませんか。 つまり、聖ジョージ、シェークスピア、セルバンテスの命日ということになっている日ですね。

 →2003年11月9日付日録:よしだたくろう「もう寝ます」(1971年)

本は売れないんだろうなあ。

千本浜 2005年4月22日
 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]

60年代初めには、アメリカの音楽市場がどんどん成長していったのだと、ディランは書いています。
若い、創造力のある業界だったんでしょう。
当時のディランは男おいどん、田舎から単身花の都にやってきて、その業界で自分のレコードを出すんだと一所懸命がんばっていたのです。
絵に描いたような、青雲の志ね。

さて、レイのところにあったジャズのレコードです。

Dizzy Gillespie
 →Wheatly Aycock's Dizzy Gillespie Homepage

 →ディジー・ガレスピー“オール・スター”ビッグ・バンド

ディジー・ガレスピーは、なんといってもあのほっぺたですよね。
中学生か高校生の時にテレビで見て、びっくりしました。
まあ、カエルみたいにぷくぅっとふくらむんです。
ディランの場合は、ぱっと目覚めなければならない時にディジー・ガレスピーがいいぞと書いています。

Fats Navarro
 →Nostalgia: Honoring Fats Navarro

Art Farmer
 →Art Farmer: The Hard Bop Homepate

Charlie Christian
 →Charlie Christian - Legend of the Jazz Guitar

 →Charlie Christian チャーリー・クリスチャン

高校生のころ、とても安い海賊版の輸入盤でチャーリー・クリスチャンやチャーリー・パーカーのレコードを買いました。
とにかく音が悪かったので、長い間この人達の演奏を誤解していました。
早くジャズ喫茶でリクエストすれば良かったんですよね。
ただ、コルトレーンの『アフリカ』のようなアルバムをジャズ喫茶のすごい再生装置で、大音量で聴きたかったんで後回しになったんです。

Benny Goodman
 →Benny Goodman

 →WIKIPEDIA: Benny Goodman

 →ベニイ・グッドマン物語

あ、この映画、一瞬『グレン・ミラー物語』(1954年)と混ざっちゃうんです。
「茶色の小瓶」はグレン・ミラーの方ね。
 →グレン・ミラー物語

Charlie Parker
 →Chasin' The BIRD - for Charlie Parker fan(日本語サイト)

いやあ、出ました。
チャーリー・パーカー!
すごいです。
この人の演奏を複数のサックスで再現する、スーパーサックスというグループがいましたな。
そうそう、クリント・イーストウッドが監督した『バード』という映画もありました。

 →バード

ディランは、チャーリー・パーカーも目を覚ますのに良いレコードだったと言ってます。

Thelonious Monk
 →ピアノで刻む音の彫刻家 セロニアス・モンク

 →THE OFFICIAL THELONIOUS SPHERE MONK WEBSITE

モンクが数学や物理の天才だったとは知りませんでした。
コルトレーンがサックスで倍音を同時に出す「オクターブ奏法」を始めたのは、モンクがサックスの構造からそういう音が出るはずだと指摘したからだと聞いたことがあります。
なんだかうなずける話です。

というわけで、固有名詞が多いといつまでもgoogleで検索を繰り返すことになるのですが、そろそろこのページも終わります。
やれやれ。


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酒が飲みたい夜は

  • Posted by: 幻泉館主人
  • 2005年4月22日 04:49
  • 音楽
渡さんのCDを聴くだけの余裕がないので、代わりに『高田渡 トリビュート』を夜中にぐるぐると聴いている。

 →2004年10月27日付日録:高田渡 トリビュート

佐久間順平さんが「酒が飲みたい夜は」を歌うあたりから、ぐっと込み上げてくる。
最期にちょこっと渡さんが歌う「調査節」。

「タカダワタル的」のサイトに行く。
ああ、「送る会」行きたいなあ。
これは無理だ。
連休に春一番へ行こうと、ちょっと無理してスケジュールを変えたので、もう動かせない。
NHK BS2で流してくれないかなあ。

掲示板は弔問記帳簿のようになっている。
西岡恭蔵さんの時も、そんな感じになってたなあ。
そう、あの時も僕は一言書き込んだんだ。
ゾウさんのHPは生きているので覗いてみたら、こちらも渡さんの弔問記帳簿みたいになってた。

 →西岡恭蔵 ホームページ

「タカダワタル的」の掲示板の方には、いわゆる「荒らし」が入っていた。
なんなんだ、こいつは。
ばかやろう。

非常に不愉快なので、さっき発掘したフルーツのど飴の画像でもアップしておくわ。
あ、なんだか余計不愉快な感じがする。
なぜだ。


フルーツのど飴


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Sir Duke : CHRONICLES #128

添地町 2005年4月21日

ジャズの話が続きます。

-----------------------------------------
"Tattoo Bride," "A Drum Is a Woman," "Tourist Point of View" and "Jump for Joy" -- all by Duke Ellington -- they sounded like sophisticated folk music.
-----------------------------------------

出ましたね、デューク・エリントンです。
「洗練されたフォーク」という言い方はいいなと思います。
ディランはいわゆるモダン・フォークよりも、デューク・エリントンのジャズの方に、フォークソングを感じたのです。
つまり、ディランはデューク・エリントンが大好きだったんですね。

 →デューク・エリントン

 →Duke Ellington - The Official Web Site

デューク・エリントンが亡くなったのは、私が高校生の時です。
コルトレーンやドルフィーといった、既に亡くなった人のレコードをよく聴いていたのと、同時代の新しいジャズとしてはマイルスやチック・コリアを聴いていたので、同時代の人が亡くなったというショックはあまりありませんでした。
でも、巨星が落ちたんだなあという感慨はありました。

スティービー・ワンダー(Stevie Wonder)の「サー・デューク(Sir Duke)」がヒットした時は大学生になっていたでしょうか。
アレンジがデューク・エリントン楽団の音を模しているのがおもしろいなあと思いました。
ええ、大好きな曲ですよ。

 →Sir Duke


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勝ち組

  • Posted by: 幻泉館主人
  • 2005年4月21日 16:08
  • 日常雑記
薄っぺらな流行語に「勝ち組」というのがあるらしい。 初めて耳にした時は、自分の負けを認めない連中のことかと思った。

いや、昔はそういう意味で遣われていたのですよ。
第二次大戦後のブラジル。
日系人社会に「神国日本が負けるはずがない」と信じた人達がいたのです。

 →負組と勝組

 →大東亜戦争は日本が勝った! ブラジル最後の勝ち組老人

これだけ現実を否定できてしまうのはすごいんですが、そうしなければならない事情があったんでしょうね。
大日本帝国による臣民教育の成果です。

「かちぐみ」が耳に抵抗ないのは、元々「徒組・徒士組」という言葉があるためかもしれませんね。

今の「勝ち組・負け組」、自分なりの目標設定は結構なことでしょうが、それが週刊誌やワイドショーが作り出す実にインチキな世間様的なるものでは、つまらないことですよ。


日の丸弁当


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去年の渡さん

  • Posted by: 幻泉館主人
  • 2005年4月21日 04:21
  • 音楽

 ♪ 夕暮れの町で
 ♪ 僕は見る
 ♪ 自分の場所からはみ出してしまった
 ♪ 多くのひとびとを

 →高田渡「夕暮れ」

2004年5月1日 春一番コンサート 服部緑地野外音楽堂 春一番コンサート 2004年5月1日
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ジャズのレコード CHRONICLES #127

千本浜 2004年4月20日

ディランは当時聴いたクラシックのレコードの中で、フランツ・リストのレコードがお気に入りでした。
「一台のピアノでオーケストラ全体のように聞こえる」という、リストの曲が好きだったそうです。

あれ、ピアノって「一台、二台……」という数え方で良かったかしらん。

 →ものの数え方

あ、良さそうですね。

 →フランツ・リストの回想

ベートーベンのピアノソナタ「悲愴(Pathetic Sonata)」はどうも高く評価していません。

「旋律は美しいのだが、げっぷやおくびといった身体が出す音みたいに聞こえた。滑稽だった。まるでマンガだ。」

まあ、めちゃくちゃ書いてます。
でも、レコードのジャケットを読んで、天才少年ベートーベンが父親から搾取されていたので人を信用しなくなったことを知り、思うところがあったようです。

さて、この後、p.94ではジャズ・ミュージシャンの名前が延々と列挙されます。
グリニッジビレッジでは、ジャズが同時代の音楽として非常に流行っていたのです。

私の場合は70年代前半に故郷の町で、安い輸入盤のレコードを買いました。
盤が反っていたりすると、とても悲しかったですね。
特にピアノの音はふらつきがよくわかるのでつらいものがありました。
永島慎二さんの『フーテン』なんかの影響が大きかったのだと思います。
新宿のジャズ喫茶が憧れでした。

70年代後半は東京で暮らしていたので、ジャズ喫茶によく通いました。
新宿の木馬やポニーに行ったり、渋谷の音楽館に行ったりしましたが、なんといってもよく出かけたのは吉祥寺のfunkyやOUTBACKです。

まずいコーヒー一杯で2時間ぐらい、大音量のレコードを黙って聴いているわけです。
流れている音楽は確かにジャズだったんですが、どうもあんまりジャズらしくないですね。
姿勢が歪んでいたなあと思います。
いわば「ジャズ喫茶道」みたいなあり方ね。

ディランのジャズはそうではなかったと思います。
もちろんレコードも聴いているのですが、あくまでもナマの音楽、生きている同時代の音楽だったはずなんです。

とりあえずディランがよく聴いたという、「jazz and bebop records」。

 →George Russel

Johnny Cole

 →Red Garlandの世界

 →Don Byas

 →The Rahsaan Roland Kirk website

 →The Official Website for Gil Evans

おっと、ギル・エヴァンスはレッドベリの曲「Ella Speed」を録音していたそうです。
ディランはこのレコードで、メロディと構造を聴き取ろうとしました。

「ジャズとフォークには類似点がたくさんあった」

私はこの指摘にうなずけるのですが、たとえば今「フォーキー」と形容されるような曲のことではないと思います。

そういえば、キース・ジャレットがボブ・ディランの「マイ・バック・ページ」を演奏してましたね。

 →困った迷盤、苦手な名盤・人気盤

ここでボロくそに酷評されてますが、「SOMEWHERE BEFORE / KEITH JARRETT TRIO」(1968年)は70年代の一時期、確かに私の愛聴盤でした。

まだまだジャズ・ミュージシャンの名前が続きます。


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狼煙を見よ

  • Posted by: 幻泉館主人
  • 2005年4月20日 17:31
  • 日常雑記
白い煙が上がり、法王が決まったことが知らされたそうだ。 「鍵の掛かる部屋」という名の秘密会議には興味がない。 煙ということで「狼煙」を思い出し、そして松下竜一さんのことを思っただけだ。

 →2003年12月18日付日録:六月の子守唄

松下さんは昨年の6月17日に亡くなった。
過去日録をたどってみるとさすがに日記で触れているのだが、それを書いたということはすっかり忘れていた。

 →2004年6月17日付日録:アサヒ ペンタックス SP

「文藝」に掲載された時に読んで、単行本が出た時も買って読んだのだったと思う。
松下さんの著書『狼煙を見よ』の「狼煙」は無論「のろし」なのだが、三菱重工ビル爆破事件(1974年)を初めとする連続企業爆破事件を起こした、東アジア反日武装戦線の"狼"部隊を指している。
警察はアパートの部屋をしらみつぶしにチェックするアパートローラー作戦を展開したので、上京したばかりの私の部屋にも、何度も警察官がやってきた。

 →無限回廊日本赤軍と東アジア反日武装戦線

「フィドル少年漂流記♪」のtwin_lensさんが、あのころの渡さんの写真掲載して、トラックバックしてくださった。
三十年前の、青年高田渡だ。

 →高田渡1974年

どうにも気の滅入る雨だなあ。


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土曜の夜のポルカ CHRONICLES #126

2004年4月20日

ディランのおばあちゃんの御先祖様はコンスタンチノープルの出身でした。
それで、ディランは十代の頃、リッチー・ヴァレンス(Ritchie Valens)の"In a Turkish Twon"をよく歌ったそうです。
"La Bamba"よりも自分に合ってるような気がしたのだと書いています。
当時は、誰もが「ラ・バンバ」を歌っていました。
それがどうしてなのかわからなかったというのは、ディランはこの曲があまり好きではなかったのかしら。

 →Ritchie Valens Discography

レイのところには、リッチー・ヴァレンスのレコードが一枚もありませんでした。
ほとんどがクラシックとジャズのレコードだったのです。
そのレコードはインチキ弁護士(a shyster lawyer)から買っていたというのが、なんだか不思議です。

バッハのフーガ、ベルリオーズの交響曲、ヘンデルの「メサイア」、ショパンの「ポロネーズ イ長調」。
マドリガルと宗教曲、ミヨー(Milhaud)のバイオリン協奏曲。

 →メサイア解説

ディランが気に入ったのは、ポルカでした。
生で聴いて、血沸き肉踊ったそうです。
土曜の夜の酒場はポルカのバンドで大賑わいだったと書いています。
ホンマかいな。
そんなに流行っていたのかしらん???


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暗黒日記 #2

アマゾンから清沢洌『暗黒日記』ちくま文庫版の第一巻のみが届いた。 残りは分割発送となってしまったが、そんなに速く読んでしまう本でもなさそうなので、届いてくれるのなら不都合はない。

日本全体がカルト教団だったような狂気の時代。
橋川文三さんの解題によれば、「強靱なリベラリスト」であり、そして「熱烈な愛国者」である。
国家主義的な自称愛国者よりもずっと国を愛していたというのは、橋川さんの分析するところだ。

『非常日本への直言』(1933年)の序文「序にかえて わが児に与う」が冒頭に掲載されている。

-------------------------------------------
お前は『お父さん、あれは支那人じゃないの?』と、壁にかけてある写真を指して聞いた。『ウン、支那人ですよ』と答えると、『じゃ、あの人と戦争するんですね』というのだ。
『お父さんのお友達ですから戦争するんじゃなくて、仲よくするんです』
『だって支那人でしょう。あそこの道からタンクを持って来て、このお家を打ってしまいますよ』
-------------------------------------------

お父さんは晩生まれの七歳でまだ未就学児である「お前」の言葉に憂鬱になるのだが、この息子は出版社から寄贈された少年向け雑誌の絵を見て、「自然に時代の空気を感受してしまったのであるらしい」。

私のリンク先の中にも、中国での反日デモ報道に浮き足立って、しきりに中国に対する反感を煽る御仁も現われるようになってしまったが、それではまだ小学校にも上がっていないこの清沢さんの息子と知的水準があまり変わらないのではないかと思うのだ。


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造反有理

  • Posted by: 幻泉館主人
  • 2005年4月19日 02:29
  • 日常雑記
もう何年も前のことだが、有理という名の女の子と会った。 珍しい字を遣っているなと思ったので、「造反有理?」と訊いたら、こっくりとうなずいた。 お父さんの気持が込められていたらしい。

僕が中学生のころ、造反有理はとても魅力的な言葉だった。
有理のお父さんはたぶん、そのころ大学生だった。

こんなに素敵な四文字スローガンは、とても作れるものじゃない。
文化大革命の時、盛んに叫ばれた言葉だ。
『毛沢東語録』の有名な一節なのだが、元は抗日戦争時の1939年、革命根拠地の延安で開かれたスターリン生誕60年祝賀大会で語ったものであるそうだ。

もちろん「愛国無罪」の報道から思い出した言葉だ。
あまり報道されていないようだが、天安門事件でもこの「愛国無罪」が叫ばれていたはずだ。
なんだか使い方に違和感があるので、どこかに元ネタが書いてないかと検索したら、楽天広場のサイトがヒットした。

「書評日記 パペッティア通信」
 →「愛国無罪」は「救国入獄」の夢をみるか?:中国反日デモ「愛国無罪」の意味を知らない人たち

 →「愛国無罪」と宋慶齢(孫文の未亡人):1930年代の中国愛国運動とその路程

なるほど、です。


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戦艦ポチョムキン CHRONICLES #125

千本浜 2005年4月15日

なんだか力の入らない毎日を送っております。
本を読んでも、集中できないなあ。

そうそう、ディランのおばあちゃんの話です。
元々はトルコの生まれです。
一族はアルメニアとの国境近くのカウズマン(Kagizman)に暮らし、キルギス(Kirgihz)という姓でした。
おじいちゃんもその辺りの出身で、靴職人や革細工職人をしている一族だったようです。

おじいちゃんの方はもっと肌の色も白い一族だったそうですが、前述のようにおばあちゃんは黒髪です。
おばあちゃんはよく訛っていたそうです。
顔にはなにかあきらめたような表情を浮かべていました。
おばあちゃんは、かなり苦労を重ねてきた人だったんです。

ロシア南部の港町オデッサ(Odessa)からアメリカに渡ってきたそうです。
そう、あの映画『戦艦ポチョムキン』の有名なシーン、「オデッサの階段」のオデッサです。
今ではどちらかというと、パロディの方が有名なんでしょうね。

 →戦艦ポチョムキン

ただいまp.93です。


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非「タカダワタル的」

  • Posted by: 幻泉館主人
  • 2005年4月18日 00:14
  • 音楽

【追記】No.1
[タカダワタル的]のトップでは、「心不全の為、死去されました」と書いてありますね。

北海道新聞では、「髄膜脳炎」という報道がありました。

 →北海道新聞:訃報


2002年の秋からPCで日記のようなものを書き始めたのだが、時々訃報を書き留めている。
検索してみると、次のような方々だ。

訃報:マル・ウォルドロン 享年76 死因不明
訃報:イヴァン・イリイチ 享年76 死因不明
坂庭しょうごさん。享年53。
アート・カーニーさん、享年85。(『ハリーとトント』の主役)
横山光輝さん、亡くなりました。享年69。
ジョニー・キャッシュ逝去。享年71。
エルビン・ジョーンズさんが亡くなりました。享年76。
中島らもさん。享年52。
山平和彦さんが昨夜(12日)ひき逃げされて亡くなったそうだ。享年52。
北原謙二さん。享年65。
芝生瑞和さん。享年59。
岡田史子さん。享年55。

渡さんの場合はちょっと違うなあ。
どうにも我が心の師匠高田渡大人の訃報は、まだ実感できずにいる。
「タカダワタル的」のサイトではもう密葬を済ませたとの掲示があるのだが、音楽葬もあるのかしら。

最期に映画『タカダワタル的』ができたので、渡さんのイメージはあれで決定されてしまうのだろうか。
少し残念な気がする。

たとえば、去年の夏NEWS23金曜深夜便に渡さんが出た時、筑紫さんは「この人はそういうところから一番遠くにいる人だ」ということを言っていた。
実によく考え、良い意味で計算もしているのだと受け取れた。

NEWS23「金曜深夜便」

たとえば一昨年NHK BSの『世界・わが心の旅「ドイツ 僕と生きてきた詩(うた)」高田渡』でドイツに行き、ビリ・ベダルフと交わす握手はとても自然で洗練されていた。

高田渡 ビリ・ベダルフ

もちろん渡さんが呑み助だったのは事実なんだが、ことさらに酔いどれ歌手を演じていたような気もするのだ。

もしも。
もしも渡さんが自分の死期を知っていたのだったら。
映画の企画などを利用して、その準備を進めていたのだとしたら。

そんな「タカダワタル的」でないことを、いろいろ考えてしまうのだ。


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蕎麦屋

  • Posted by: 幻泉館主人
  • 2005年4月17日 01:10
  • 音楽
保線区 2005年4月16日

渡さん、死んじゃったんだなあ。

ぼんやりと仕事場を出て保線区で夕陽を眺めた。
なんとなく駅まで歩き、蕎麦屋に入る。
静かな店で、頭の中に渡さんの歌が流れる。
「ブラザー軒」だ。

小さなころ、このおそば屋さんに何度か来たことがある。
改装してなくなってしまったのだが、入り口の土間からすぐに上がれる座敷もあった。
壁にはお相撲さんのポスターが貼ってあったな。<
誰が写っているのかわからない。
大鵬柏戸の時代。

一瞬だけ懐かしい家族が見えたような気がした。
とうちゃん、おばちゃん、おばあちゃん。
死んでしまった人達もみんな元気だ。
ほとんど外食などしない貧乏な一家が、月に一度ぐらい出かけるという、ささやかな贅沢のひととき。。
映画を観た帰りだったのかな。

渡さんは非常に苛酷な幼少期を送っていたようだ。
菅原克巳さんの悲しい詩の世界も、渡さんには憧れだったんだろうか。

夕暮れの風景が、にじんだ。


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渡さん、さようなら

  • Posted by: 幻泉館主人
  • 2005年4月16日 12:01
  • 音楽
今朝、高田渡さんが亡くなりました。 公演先の北海道釧路市の病院だそうです。 享年56。

 →幻泉館日録:「高田渡」
 


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道草

畑に向かう車の中でラジオをつけると、朗読を流していた。 ああ、これは漱石だ。 う……何だろう。 ほどなく今日の分の放送が終わり、『道草』だとわかる。 悔しいなあ。

何気なくgoogleで検索すると、青空文庫がトップにヒット。

 →夏目漱石『道草』

車の中で聞いた箇所は、Firefoxの「検索」ですぐにわかる。

-------------------------------------------
吉田というのは、でっぷり肥(ふと)った、かっぷくの好(よ)い、四十恰好(がっこう)の男であった。縞(しま)の羽織(はおり)を着て、その頃まで流行(はや)った白縮緬(しろちりめん)の兵児帯(へこおび)にぴかぴかする時計の鎖を巻き付けていた。言葉使いから見ても、彼は全くの町人であった。そうかといって、決して堅気(かたぎ)の商人(あきんど)とは受取れなかった。「なるほど」というべきところを、わざと「なある」と引張ったり、「御尤(ごもっと)も」の代りに、さも感服したらしい調子で、「いかさま」と答えたりした。
-------------------------------------------

漱石の原稿の復刻版なんぞが出ているというのも知る。

 →夏目漱石原稿全三巻「道草」
 
そりゃ見てみたいわなと思いながら、「本体価格:95,000円(税別)」では無理だとがっくり。
でも、画像が拡大できたので、ちょっとだけ雰囲気が楽しめた。

専用の原稿用紙がいいな。
昔は自分専用の原稿用紙を作りたいと思っていたが、今ではその気になればパソコンで簡単に作れてしまう。
もっとも、私の場合は手書きで原稿など書けない。
パソコンがあったからこそ、原稿書きで糊口を凌ぐことができたのだった。

今では早稲田界隈の古本屋さんもすっかり数が減ってしまったが、あそこで全集の端本を買うのが好きだった。
岩波書店からは何度も漱石全集が出ているが、箱入り新書判のものが安いし、持ち運びに便利なので好きだった。
岩波新書の新刊より安かったものもあった。
小説部分はそれで一通り買うことができたように思う。
新しい四六判の全集は新刊で揃えたのだが、やはりあの頃古本屋さんで買った買った新書判が、愛着がある。


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ユダヤの王 CHRONICLES #124

千本浜 2005年4月15日
 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]

ディランはヴァン・ロンクのところに泊まるようになるのですが、その前は主にレイのところでに厄介になっていました。
多少は気をつかっていたようで、明け方に帰ってくる時などはあまり音を立てないようにそっとドアを閉めたなどと書いてあります。

レイはそんなことを気にするような人物であるはずもなく、詩篇を引用してピストルをベッドの脇に置いて眠りました。
やっぱり変な人です。

------------------------------------------------
At times he could say things that had way too much edge. Once he said that President Kennedy wouildn't last out his term because he was a Catholic. When he said it, it made me think about my grandfather, who said to me that the Pope is the king of the Jews. She lived back in Dutch on the top of floor of a duplex on 5th Street.

レイは時々あまりにも鋭いことを言うことがあった。ある時など、ケネディ大統領はカトリックだから任期をまっとうすることができないだろうと言った。レイがそう言った時、僕はおばあちゃんのことを思い出した。おばあちゃんは僕に、ローマ教皇はユダヤ人の王だと言った。おばあちゃんはダルースの5番街にあるアパートの二階に暮らしていた。
------------------------------------------------

ダルースはミネソタ州の港町で、スペリオール湖の西端に臨んでいます。
おばあちゃんの部屋からも、湖が見えました。
ディランの両親は時々週末に、おばあちゃんのところへディランを預けて出かけたそうです。
おばあちゃんは片脚でした。
髪が黒く、パイプたばこを吸っていました。

ローマ教皇の話がよくわかりませんわ。
ケネディがカトリック云々というのは、結局WASP(White Anglo-Saxon Protestant)じゃない傍流だからということなんでしょうか。
カトリックの話が出たので、頭の中でローマ法王→おばあちゃんと、記憶がつながっていったんですね。

もう少しおばあちゃんの話が続くのですが、今夜はこの辺で。
もうすぐp.92が終わるところです。


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ベスパの二人乗り CHRONICLES #123

千本浜 2004年4月22日

どうやって凶悪犯の歌を書こうか、レンはディランにも相談しました。
ディランはあの「赤色灯」のことから書いたらいいかもしれないと答えました。
実際にはレンがその歌を書き上げることはありませんでした。

レン・チャンドラーは、とにかくガタイのいいやつだったというのが、ディランの抱いている印象です。
ラインバッカーのようだったというのですから、大きくてがっしりしていて、ぶつかっても決して負けないといった体つきでしょう。

賢くて善意に満ちた人なのですが、恐れというものを知りませんでした。
そして、向こう見ずでした。

凍てつくような寒い夜、ディランをべスパの後ろに乗せて、フルスロットルでブルックリン橋を疾走したことがあるそうです。
たぶん路面は凍結していますし、交通も激しかったようですから、大変危険なことですよ。
自分で運転するんならともかく、タンデムでそんなことしたくないなあ。
後年のオートバイ事故と違い、この時はレンに運があったということです。


 →Vespa The Official Web Site

 →ベスパ総代理店成川商会

映画『アメリカン・グラフィティ(AMERICAN GRAFFITI)』(1973年)のベスパが印象的でした。
実にさえないテリーがゴミ箱にベスパを追突させるのは、演技ではなくて偶然の事故だったそうです。

ああ、ベスパの二人乗りといえば、『ローマの休日(ROMAN HOLIDAY)』(1953年)ですかね。
心に残る名シーンですな。

ただ、私がベスパですぐに思い出すのは、『遊軍』という70年代のテレビドラマなんです。
ベスパで走り回り、朝日というレトロな吸い口付きタバコを吸う、社会部遊軍記者を演じてたのは中村敦夫さん。
結局ドラマの最後では事件にかかわった主人公は原稿を書けないということになってしまうんです。
あれがかっこよくて、私は将来新聞記者になろうと思ったものでした。

googleで探しても、この番組見つからないなあ。
残念。


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蛇が来る

  • Posted by: 幻泉館主人
  • 2005年4月14日 15:56
  • 音楽
「夜に口笛を吹くと蛇が来る」

あれは「邪」が「蛇」に転化したのだと聞いたことがある。
牛若丸はなぜ夜に笛を吹きながら橋を渡るのか。

ケーナの練習もあまりしていないのに、また笛を買ってしまった。
以前から楽器屋さんで見かけてはどうしようかと思っていた、ティンホイッスル。
おもちゃみたいなものなので失敗してもあまり惜しくないのだが、結局買わずにいた。
それがついついgoogle検索などしていろいろ調べたら、欲しくなってしまったのだ。

管によってだいぶ音が違うようなので、二種類の形のものを、せっかくだからケースと一緒に注文。
すぐに届きましたわ。

ケーナと違ってすぐに音は出るのだが、きれいな音で鳴らすには、やはり練習が必要だろう。
また夜泣きネタができてしまった。
へい、れっどすねーく、かもん、かもん!

 →Clarke Tinwhistle

Clarke Tinwhisles


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死刑廃止論 CHRONICLES #122

千本浜 2004年10月25日

凶悪犯のチェスマンはガス室に送られることが決まっていました。
電気椅子じゃなかったんですね。
彼の助命嘆願には、著名人の名が並びました。

 →ノーマン・メイラー
 
 →レイ・ブラッドベリ:日本ファンクラブ
 
 →オルダス・ハックスリー Aldous Huxley (1894-1963)

 →ロバート・フロスト:道が二本森の中に続いていた。

 →wikipedia: エレノア・ルーズベルト

そして、死刑廃止運動をやっているグループが、レンのところにチェスマンの歌を書くよう依頼してきました。

短いですが、今夜はこれまで。
ただいまp.91です。


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さよならコンタックス

  • Posted by: 幻泉館主人
  • 2005年4月13日 01:48
  • 日常雑記
千本浜 2005年4月8日

京セラがコンタックスのブランドで展開してきたカメラ事業から完全撤退するのだそうな。
これは寂しい。
日ごろ使っているコンパクトカメラが、35ミリもデジカメもコンタックスだから。
今年も春一番で活躍してくれるはずなんです。

高校生のころに使っていたカメラがヤシカのエレクトロ35だったので、その愛着もあるのです。

 →2003年11月16日付日録:ヤシカ エレクトロ35(1966年?1975年)

上の夕陽は、もちろんコンタックスで撮ったものです。
おなじみのブランドが消えるのは寂しいなあ。

さようなら、コンタックス!


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暗い山 CHRONICLES #121

千本浜 2004年4月12日

主婦だってキンキラのサングラスをかけたグラマーな女の子になることができるし、年寄りだって若返ることができる。

そんないいかげんな幻想をふりまく情報の氾濫の中で、アートも変わりつつありました。
抽象絵画や無調子の音楽が流行して、現実を切り刻んでいました。
「この新しい芸術の波を航海したら、ゴヤだって迷ったことだろう」とディランは書いています。
レンとディランはその新しいものが本当に価値あるものなのか、単なるノイズなのか、一緒にあれこれと吟味したようです。

------------------------------------
ニュースに繰り返し登場する人物に、「赤色灯強盗」と呼ばれた悪名高い強姦犯、キャリル・チェスマンがいた。若い娘を強姦したことで有罪判決を受けた後、カリフォルニアの死刑囚監房に収監されていた。その犯罪は実に独創的な方法で行なわれていた。自動車の屋根に赤色灯をくくり付けて光らせ、そして女性の車を路肩に止まらせて外に出るように命じ、森の中へ引き摺り込んで強盗強姦におよんだのである。
------------------------------------

アメリカでは有名な犯罪者なんですね。
『リーダーズ英和(プラス)』にも、この犯罪者の名前が載っていました。
死刑制度を見直すきっかけとなったんだそうです。

------------------------------------
チェスマン Caryl Whittier Chessman (1921-60) 《米国の犯罪人; 誘拐・強盗・強姦などの 17 の罪状により死刑を宣告されたが (1948), さまざまの法的手段に訴え, 数度の死刑延期をかちとった; この間, 獄中で Cell 2455 Death Row (1956), Trial by Ordeal (1956), The Face of Justice (1958) などを書き, 死刑に反対; 結局は死刑となったが, これによって, 米国の裁判制度が批判されることになった》.
------------------------------------

日本では粗暴犯がこのような法廷闘争を行なうのは珍しいですね。
すぐに「連続射殺魔」永山則夫さんを思い出しましたが、連続暴行魔ということでは、「大久保清事件」も強烈でした。

 →大久保清連続殺人事件

この場所はその後、連合赤軍事件で連続殺人が起きることになります。
私は当初、偶然呪われた場所になったのかと思っていたのですが、後になって当事者たちの書いたものを読むと、だからこそわざわざ選んでキャンプを張ったようです。

 > もう一人は
 > 72年の年の2月の
 > 暗い山で
 > 道に迷った

樹村みのりさんのマンガに出てきた言葉を思い出します。

 →2003年10月7日付日録:樹村みのり「贈り物」(1974年)


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愛国

「愛の国から幸福へ」 こんなキャッチフレーズで、国鉄の赤字路線駅の切符が大ブームになったことがあった。 廃線となったので、もうその汽車に乗ることはできない。 「愛の国から幸福へ」は、70年代の幻だった。

本当は「愛の国」ではなかった。
「愛国」駅だったのだ。
駅舎だけは残っていると聞いたことがあるが、今でもあるのだろうか。

コンビニで買っていた東京新聞を、4月から宅配してもらっている。
朝刊のみの統合版だが、出かける時持って出るのにちょうど良い。
楽しみなのは署名記事の「こちら特報部」。
見開きに掲載されているのだが、寄せればちょうど一面に収まるぐらいの文章量である。
昨日が清沢洌『暗黒日記』の紹介。
今日は中国の「反日」教育に関する報道だ。

中国各地で広がっている反日デモの参加者は、二十代から三十代の若者が多い。
彼らは90年代に小学生・中学生だった若者たちで、当時強化された愛国教育を受けてきた。

「愛国教育」が始まったのは80年代のこと。
「抗日戦争四十周年」の前に「侵略」の文字を「進出」と書き換えさせた教科書検定による「教科書問題」があり、中曽根首相の靖国神社公式参拝が反日感情に火を点けた。
つまり、小泉内閣は中曽根内閣と同じネタで反日感情を煽っているのである。

さらに1989年の天安門事件によって中国共産党は政権維持に危機感を抱き、愛国教育を強化させた。
江沢民時代の1994年に「愛国主義実施要綱」を出して、愛国教育が徹底された。
この愛国教育の成果が、反日サイトで鬱憤を晴らしている若者たちなのだ。
安易な世代論にしたくはないのだが、並行して日本でも憎悪ばかりを振りまく「ネット右翼」が汚い姿をさらすようになった。

市場経済の導入によって、中国でももはや社会主義の優位という宣伝は通用しない。
かつて抗日戦争に勝利したという、過去の栄光にすがるしか中国共産党も生き延びる道を失っているのだろう。
ただ、統制を失った反日暴動になってしまうと、それは容易に反政府暴動に転化する可能性がある。
日本政府はそれを狙っているのかもしれない。

さて、日本の話だ。
十年に一度のはずの教育指導要領改訂に失敗したいうことで、文部なんとか省は急激に日本の愛国教育強化を始めた。
憎悪に憎悪をぶつけてどうするんだ。
将来は外国人に労働力を依存しなければならないのが目に見えているのに、排外政策を強化したり、アホちゃうか。

「愛国教育」=「亡国教育」なんだぞ。


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アメリカの夢 CHRONICLES #120

千本浜 2005年4月1日

ジョンソン大統領は「勝利を我らに(We Shall Overcome)」に込められた思想を、自分自身に合うように解釈してしまいました。
ディランが言うには、ジョンソンは見た目ほど素朴な人間ではなかったのです。

-------------------------------------------
The dominant myth of the day seemed to to be that anybody could do anything, even go to the moon. You could do whatever you wanted----in the ads and in the articles, ignore your limitation, defy them. If you were an indecisive person, you could become a leader and wear lederhosen.

その時代には、誰でも何にでもなれるのだという神話が支配的なようだった。君は月にだっていける。広告や記事の中では、自分の限界を無視して超越し、望むことが何でもできた。優柔不断な君だって、リーダーになってレーダーホーゼンを履くことができる。
------------------------------------------

おっと、これがわかりません。
レーダーホーゼンというのは、バヴァリア辺りの民族衣装で、膝までの革ズボンなんだそうですが、これはリーダーが履くものなんでしょうか?
被服系の話は私の弱点です。

1961年。
アメリカはまだ現代人が懐かしく回顧する、古き良き時代の残滓の中を生きていました。
新聞は、アメリカン・ドリームの夢を振りまいていたのでしょう。
ケネディ大統領がベトナムに対する直接的な軍事介入を決断する前夜です。

 →Wikipedia: ベトナム戦争


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暗黒日記

東京新聞の「こちら特報部」は、清沢洌『暗黒日記』の紹介。 1942年12月から1945年5月までの戦中日記である。 後に現代史の本を書くために社会を克明に記録しようとしたという経緯があるのだが、著者は日本の敗戦の3ヵ月前に55歳で病没した。

おお、忘れていた。
これも読んでおかないとな。

記事では評論社と筑摩書房から出ていることになっているが、amazonで調べたら岩波文庫版もあった。
ネット上だけで検討して、ちくま学芸文庫を注文することにした。

東京新聞の記事では、戦時中「特攻」に加わって攻撃直前に敗戦を迎えたお二方がこの本を語っている。
自身の生活体験に説得力がある。

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信太氏は子供時代の銭湯を思い出す。「帰還兵の人がいて『チャンコロ(中国人の蔑称)の首を切るとどんな音がするか、分かるか』と言い、手ぬぐいをパンとはたいた。その音を聞き、このおじさんは英雄だと疑いもなく思った」
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戦争は、まさに倫理意識の崩壊そのものである。
清沢洌『暗黒日記』には、無断で垣根の枝を折るといったような身近な生活体験からも描いている。
戦争が先か、民心の荒れが先か、ニワトリとタマゴみたいなものだ。

戦前の誤りを指摘すると「自虐史観」だなどと攻撃するアホが増えたのは、こんな体験から何も学んでいないからだ。
それでは、「日本人も必ず同じことを繰り返さん」ことであろう。
かつて侵略を受けた周辺諸国が脅えるのは当然だ。

『暗黒日記』
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勝利を我らに CHRONICLES #119

千本浜 2004年4月10日

ディランは当時の新聞記事を回想しているのです。
これは古新聞を調べたかもしれませんね。

スポーツ面では、ニューヨーク・レンジャーズがシカゴ・ブラックホークスに2対1で勝っています。
この2得点は両方ともヴィック・ハドフィールドによるものです。
ディランがアイスホッケーの試合結果を読んでるところというのは、なんだか想像しにくいです。

 →Alumni Spotlight VIC HADFIELD: THE FIRST TO 50

リンドン・ジョンソン副大統領が、合州国のシークレット・サービスに腹を立てていました。
私にまとわりつくんじゃない!
一人の襟元をひっつかんだりしたそうです。

それでディランはテックス・リッターのことを思い出したそうですが、これはあまりピンと来ません。
「飾り気なく現実的な(simple and down to earth)」人だと書いてありますから、まあ二人ともそうなんでしょう。

 →Tex Ritter

ケネディ大統領が暗殺されたため、このジョンソン副大統領が大統領になります。

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Later, when he became president, he used the phrase "We shall overcome" in a speech to the American people. "We Shall Overcome" was the spiritual marching anthem of the civil rights movement. It had been the rallying cry for the oppressed for many years.

後に大統領になった時、彼は国民への演説に「我々は勝利する(We shall overcome)」という言葉を使った。「勝利を我らに(We Shall Overcome)」は公民権運動の精神的な聖歌だった。長い間、抑圧された者たちのスローガンとなっていた。
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おお、ジョンソン大統領の就任演説でしょうか。
いや、違うようですね。
でもおもしろいのでリンク張っておきましょう。

 →Inaugural Address of Lyndon Baines Johnson

 →プロジェクト杉田玄白:アメリカ大統領就任演説

この曲はずいぶん古い曲なんですね。
1900年に作られたゴスペル"I'll Overcome Some Day"が元歌だと書いてあります。
今の形にしたのは、もちろんピート・シーガーさん。
私の場合、「We Shall Overcome」はジョーン・バエズさんが歌っているのがおなじみです。

 →勝利を我らに(We Shall Overcome)
 
 →HISTORICAL PLACES OT THE CIVIL RIGHTS MOVEMENT : WE SHALL OVERCOME

どのアルバムだったでしょうか。
岡林信康さんが「友よ」を歌う時、高石ともやさんが言ってました。
やっと日本にも「We Shall Overcome」のような曲ができたと。
残念なことに、それはほんの一瞬のことに終わってしまいましたが。

ただいまp.90です。


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キューバへ CHRONICLES #118

一緒に新聞を読んでは歌のネタを探していたレンとディラン。
トピカルソング友達とでも呼べばいいのでしょうか。

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I hadn't begun yet writing streams of songs as I would, but Len was, and everything around us looked absurd----there was a certain concsiousness of madness at work.

僕はまだ後に書くように歌を次々に書くようにはなっていなかった。でも、レンは書き始めていた。そして、僕たちの周りの何もかもが馬鹿げたものに思われた。作詞を始めると、ある種の狂気のようなものがあった。
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周囲のささいなことが煩わしく思えたりしたのでしょう。
ジャッキー・ケネディの写真というのが例に挙がっているのがおかしいです。

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Nearby at the Biltmore, the Cuban Revolutonary Council was meeting. The Cuban government in exile. They had recently given a news conference, said that they needed bazookas and recoilless rifles and demolition experts and that those things cost money. If they could get enough donations, they could take back Cuba, the old Cuba, land of plantations sugarcane, rice, tobacco----patricians. The Roman Republic.

ビルトモア・ホテルの近くにキューバ革命評議会が集まっていた。キューバ政府が亡命していたのだ。最近記者会見を開き、バズーカ砲と無反動ライフルと破壊の専門家が必要だと言っていた。そして、そういうものにはお金がかかるのだと。十分に募金が集まれば、キューバを取り戻すことができる。古いキューバを。サトウキビ、米、タバコのプランテーションを。古代貴族を。ローマ共和国を。
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ビルトモアはロサンゼルスの有名なホテルですね。
アメリカの傀儡だったバティスタが国外逃亡に追い込まれたのは、1959年1月1日。
カストロやゲバラのキューバ革命はまだ生々しい同時代のできごとでした。

日本では、援農のような形で「キューバへサトウキビ刈りに」という呼びかけがあったようです。
岡林信康さんも、実際には行けなかったのですが、それでキューバへ行くと言っていました。
雑誌に「キューバへサトウ刈りを」という言葉が載っていました。
サトウキビではなくて、サトウ栄作さんと言いたかったようです。


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原子力? おことわり

  • Posted by: 幻泉館主人
  • 2005年4月 9日 18:52
  • 日常雑記
経済産業省資源エネルギー庁は原子力発電の広報用ホームページの制作に、3年間で10億円の予算を計上しているのだそうな。 下記のホームページだそうです。

 →「原子力情報なび」

 →「原子力のページ」

ンなわけがなかろうが。
なんたる無駄遣い、ということにとどまらないんです、この問題は。
つまり、原子力開発は金儲けのために行なわれてきたということです。

ATOMKRAFT? NEIN DANKE 原子力? おことわり
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ガラス玉

以前岡田史子さんのことを間違えて故人と書いてしまったことがあった。 さっきasahi.comで訃報を見つけて驚いた。 本当に亡くなってしまったのだ。 胸が痛む。

虫プロが出していた『COM』の投稿者の中で、天才と称された人。

 →2003年10月23日付日録:虫プロ倒産(1973年)

4月3日逝去、8日に葬儀が行なわれたそうだ。
享年55。
ご冥福をお祈りします。


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ジュネの『バルコン』 CHRONICLES #117

千本浜 2005年4月8日

人は世間でうまくやろうと思ったら、無骨な個人主義者にならないといけません。
そして、少しばかり調整して順応するのです。
無骨な個人主義者が瞬きをする間に、体制順応者となるのです。
レンとディランは、そんなことを馬鹿げたことだと嘲笑していました。

そのころビレッジでは、ジャン・ジュネの戯曲「バルコン(The Balcony)」が上演されていました。
混沌が世界(the universe)を支配する巨大な売春宿(a mammoth cathouse)。
人間が放り出された意味のない宇宙(a meaningless cosmos)。
世界がそんなものとして描かれていました。

そして、ディランはこの劇に、南北戦争の時代から読み取ったのと同じもの、百年前の新聞で読んだものを見ました。

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The songs I'd write would be like that, too. They wouldn't conform to modern ideas.

僕がかく歌も、こういうものになるのだ。近代的な考え方に従うことのないものに。
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ジャン・ジュネの戯曲に共感して、こんな歌を書こうと思ったというのは、意外です。
でも、グリニッジ・ビレッジの雰囲気にはぴったりですね。

 →浅田彰【ジュネの『バルコン』を観る】

 →Jean Genet Le Site


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Ya Ya あの時代を忘れない

  • Posted by: 幻泉館主人
  • 2005年4月 8日 10:42
  • 日常雑記
僕が小学生のころ、中国というのは台湾のこと、中華民国のことだった。 大陸の中華人民共和国は「中共」と呼ばれていた。 日本国は「中共」と国交がなかった。

社会科の時間に国連安保理の常任理事国というものを教わった。
当時の5ヵ国。
* 中華民国
* フランス共和国
* ソビエト社会主義共和国連邦
* グレート・ブリテン及び北アイルランド連合王国
* アメリカ合州国

先生は、「アジアの大国で、当然この中に入るべきなのに入っていない国があるんだよ」と言った。
「ニッポンだ! ニッポンだ!」
大声を挙げる生徒もいたが、もちろんそれは間違っていた。
高度経済成長期、まだ日本は貧しくて、経済大国にはなっていなかった。
1ドルは360円だった。

もしも。
もし日本がアメリカの恫喝に屈せずに、イラク戦争に反対していたら。
ドイツやフランスと共に、日本が明確に反対していたら、この戦争は止めることができたのかもしれない。
もしも日本がそんな国だったら、常任理事国入りする意味はあるのかもしれない。
しかし、残念なことに日本はそんな国ではないのである。

いや、抽象的な日本国なんてものは存在しない。
つまり、日本政府と、そんな政府を選んだ日本国民が、日本国をそんなあり方にしていないのだ。
日本は常任理事国入りするに値しない。


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まともなブラウザとメーラー #2

  • Posted by: 幻泉館主人
  • 2005年4月 8日 03:24
  • 日常雑記
Micro$oftのIEやOUTLOOKよりも安全で使いやすい、MozillaのFirefoxとThunderbirdは、どちらも最近新しいバージョンがリリースされています。 セキュリティ脆弱性の問題解決が主な改訂内容なので、御利用の方はすぐにバージョンアップすることをお勧めします。

「FirefoxやThunderbirdは脆弱なんだ」という感想は間違っています。
その脆弱性が公開されてバグフィックスが行なわれるからこそ安全性が高まるのです。
これがオープンソースの強み、銭の亡者Micro$oftとの違いです。
 →Mozilla における既知の脆弱性

Get Thunderbird
Thunderbird 1.0.2(4月1日)

Get Firefox
Firefox 1.0.2(3月24日)

Windowsの場合は「プログラムの追加と削除」から旧バージョンをアンインストールしてから、新バージョンをインストールした方がよろしいです。
設定やメールなどはちゃんと残っていますので、御心配なく。


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ぼくがぼくであること CHRONICLES #116

白銀町 2005年4月7日

60年代初頭、アメリカでは新聞に登場する識者として精神科医がもてはやされていたようです。
いろいろなものを怖がる、新しい恐怖症(phobia)に関する記事がありました。
花、暗闇、高所、橋を渡ること、蛇、年を取ること、雲。
なんでもそれらしいラテン語の病名を付けて商売にしていたのでしょう。

ちなみに、ディランの恐怖は「ギターのチューニングが狂ってしまうこと」だったそうです。
これは確かに恐いですなあ。

ニュースの中ではまた、女性が現体制に挑んで声を挙げていました。
そんなことを契機に、呼称が問題となります。
教会でも、牧師が「師(the Reverend)」ではなくて単に「牧師(Reverend)」と呼ばれたがったりしました。

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Semantics and labels could drive you crazy.

意味論とレッテルで、人は気が狂いそうになった。
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これが60年代初頭。
日本も安保で揺れたころなのですが、個の意識が社会問題の中で大きな位置を占めるようになるのは、もっとずっと後のことですし、結局それは消えてしまったのではないかと思います。
延々と続いているかのように粉飾された「血」の流れ、「家」の中にまた飲み込まれてしまったようです。

そろそろp.89です。


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ヒナのひるね

  • Posted by: 幻泉館主人
  • 2005年4月 7日 18:23
  • 日常雑記
ノミは困るんだよ、ノミは。
ヒナのひるね 2005年4月7日
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わたしが一番きれいだったとき #4

  • Posted by: 幻泉館主人
  • 2005年4月 7日 00:31
  • 音楽
ピート・シーガーさんのアルバム"Sand In Your Shoes"はいつになったら届くかわからないので、先に"SEEDS"というアルバムを注文した。 すぐに届いた。

これはピートさんの曲がたくさん入っているのだが、御本人が歌っているものと、「Friends」が歌っているものがある。
「わたしが一番きれいだったとき」の英語バージョン"When I Was Most Beautiful"は、「LAST FOREVER」という人達の演奏。
Sonya Cohen:vocal
Kevin Kuhn:guitar

ピートさんの歌でなかったのは残念だが、どんな歌なのかはこれでわかりました。
とてもきれいな、悲しげな曲です。
確かに女声の方がいいかもしれません。
これは私には歌えなさそう。

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"When I was touring Japan in 1967 I met a young professor, Yuzuru Katagiri, who published a literary magazine of Japanese poetry in the English Language. I thought it interesting that they were trying to master our crazy language. I love magazines - I'm a magazinaholic - so I subscribed.
Shortly after, I read this poem in the professor's magazine. I could not get the poem out of my mind so I put a tune to it and got permisson to record it for Colombia Records. The woman who wrote this at age 31, Noriko Ibaragi, is now a well-kown poet. When I next returned to Japan, she came up on the stage and recited it in Japnese and I sang it in English. Sometimes putting poems to music works and sometimes it does not. I have tried with many poems to put music to them and they have not worked. My guess is that no two people will accompany this one the same way.
The poem and song are a good answer to the male English poet who tossed off the line, 'Women are. Men do.'"

「私は1967年に日本を旅行している時、日本の詩誌を英語で出している若き教授、片桐ユズルさんに会った。我々のとんでもない言葉をマスターしようとしているなんて、おもしろいなと思った。私は雑誌が大好きだ。雑誌中毒なのだ。それで定期購読した。
 そのすぐ後に、この教授の雑誌で私はこの詩を読んだ。この詩を頭から追い出すことができなくなったので曲を付け、許可を得てコロンビアからレコードを出した。31歳でこの詩を書いた茨木のり子さんは、今では著名な詩人である。私がその次に日本に行った時、茨木さんがステージに上がってこの詩を日本語で朗読して、私が英語で歌った。詩に曲を付けると、うまくいく時もあるし、うまくいかない時もある。私はたくさんの詩に曲を付けてきたのだが、あまりうまくいかなかった。たぶん、二人の人間が同じように一つの詩を歌うことはけっしてない。
 この詩と曲は、次の詩を投げかけた英国の男性詩人に対する、良い答えとなろう。『女は「である」もの。男は「する」もの。』」
---------------------------------------

さて、この英国詩人とはどなたなんでしょうか。

 →2005年3月12日付日録:わたしが一番きれいだったとき #3

あ、アマゾンで試聴できるようになりましたわ。
ちょっと悔しいけど、嬉しい。
disc2の14曲目です。

Seeds: The Songs of Pete Seeger, Vol. 3
[BEST OF] [FROM US] [IMPORT]
Pete Seeger and Friends
Seeds: The Songs of Pete Seeger, Vol. 3
disc: 1
1.Oh Sacred World
2.Bring Them Home (If You Love Your Uncle Sam) / Ani DiFranco
3.Trouble at the Bottom / Tao Rodriguez-Seeger
4.The Dove
5.English Is Cuh-Ray-Zee
6.A Little A' This 'N' That / Tao Rodriguez-Seeger
7.Maple Syrup Time / Tao Rodriguez-Seeger
8.Odds on Favorite
9.Estadio Chile
10.Flowers of Peace
11.Dr. King on Violence
12.Take It from Dr. King
13.Sower of Seeds
14.Visions of Children
15.Over the Rainbow
16.Sailing Down My Golden River

disc: 2
1.A Lucky Musician
2.Old Devil Time / Pat Humphries
3.Mrs. Clara Sullivan's Letter / John McCutcheon
4.Who Killed Norma Jean / Janis Ian
5.Jesu, Joy of Man's Desiring / Tony Trischka
6.Bells of Rhymney / Dick Gaughan
7.Turn! Turn! Turn! / Jessica Radcliffe
8.From Way Up Here
9.Times A-Getting Hard, Boys / Tom Paxton
10.One Man's Hands / Carolyn Hester
11.Sacco's Letter to His Son
12.Spider's Web (Natural History) / Peggy Seeger
13.River of My People
14.When I Was Most Beautiful / Last Forever
15.Tomorrow Is a Highway / Kim Harris
16.Which Side Are You On / Natalie Merchant
17.Precious Friend / Ronnie Gilbert
18.To My Old Brown Earth / Pat Humphries
19.50/50 Chance


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友よ

  • Posted by: 幻泉館主人
  • 2005年4月 6日 19:57
  • 音楽
今夜からNHK教育の趣味講座で『フォークギター弾き語り』という番組をやるんだそうな。 初回は岡林信康さんの「友よ」。 すごいなあ、そういう曲から始めますか。

先生役は「赤い鳥」→「紙ふうせん」の後藤悦治郎さんと平山泰代さん。
本屋さんでテキストを見かけたのだが、お二人の近影にショックを受けて買わず。
番組も見れないかな。


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薔薇の名前

  • Posted by: 幻泉館主人
  • 2005年4月 5日 02:23
  • 映画
BSで『薔薇の名前』(1986年)をやっている。 ショーン・コネリーという役者さんは、本当に年取ってからがいいなあ。 この映画の雰囲気は実に好きなんだが、ずっと長い間原作を読もうと思っていて、それでまだ果たせずにいる。

忘れていましたわ。
ウンベルト・エーコの原作、この際だから買ってしまおう。
amazonで「エーコ」を検索してみた。
「陸奥A子」までひっかかったのには笑ってしまった。

今回の放映は法王の死去(重体)と関係があるのかしら。
ヨハネ・パウロ二世は「解放の神学」を否定した人だったな。
法王の死去に関するニュースでは、ブッシュの映像が延々と流れていたのが不愉快だった。
正義の旗を降りかざし、神の名において人を殺し、人を支配する。
ブッシュを加護し給う神など、私は要らない。

神を笑え。


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看板だけの知識人 CHRONICLES #115

白銀町 2005年4月4日

フランスが最初の核実験を行なったのは、1960年2月13日のことでした。
ディランが書いているのは1961年の聖バレンタインデーの直後のことなので、それから一年後のことです。
当時のディランは新聞を熟読していたのだということがわかります。

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Anyway, France had now brought themselves into the atomic age and there were movements spring up to ban the bombs, French, American, Russian and otherwise, but this movement also had its detractors. Reputable psychiatrists were saying that some of these people who claimed to be so against nuclear testing are secular last judgment types----that if nuclear bombs are banned, it would deprive them of their highly comforting sense of doom.

それはともかく、今やフランスも原子力の時代に突入したので、フランスやアメリカやロシアやその他の国に対する原水禁運動が湧き起きていた。しかし、この運動に対する誹謗もまたあった。高名な精神科医が、これほど核実験に反対するような人は世俗的な最後の審判の典型であると言っていた。もしも核爆弾が禁止されたら、滅亡するという意識によって大いに彼らが感じている慰安を、取り上げてしまうことになるのだと。
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レンとディランはそんな「識者」の言ってることなど信じられませんでした。
そう、二人で新聞を読み漁って歌の素材を探していたのです。
だから当時の新聞記事を克明に覚えているのですね。

60年代初頭のディランはとても濃密な時間を送っていました。
ほんの少しだけなら、私もそんな瞬間を過ごしたことがあるような気がします。
新聞記事をメモしていたこともあります。
沖縄地籍明確化特別措置法が成立するころでした。

ただいまp.88です。


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さくらだより

  • Posted by: 幻泉館主人
  • 2005年4月 4日 00:11
  • 日常雑記
世間様は日曜日なのだが、私は仕事。 途中で嫌になって散歩に出かける。

D52のある公園。
昨年「全国ネットお花見会」などやって、撮影した場所ですな。

 →「全国ネットお花見会」会場 花より団子板

まだ咲き始め。
咲いてない木が多いのですが、SLの近くで咲いていたのでパチリ。
花見客はいません。
通りすがりにデジカメで撮っていく人が多かったです。

高沢公園 2005年4月3日


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アジアの片隅で CHRONICLES #114

御成橋 2005年3月31日

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The French had been plundering the country for years. The press reported Hanoi was grubby and cheerless, that the people dress in Chinese shapeless jackets and you couldn't tell the difference between the men and the women----everybody rode a bicycle and did calisthenics in public three times a day. The newspapers made it sound as if it were a weired place. The Vietnamese might have to be straightend out----might have to send some Americans over there.

フランス人は長年にわたり、この国(ベトナム)から収奪を続けていた。新聞は報じていた。ハノイは汚く(grubby)、陰気だ。人々は不格好な中国製の上着を着ており、男と女の区別もつかない。みんな自転車に乗り、日に三度公然と徒手体操を行なっている。新聞は、ベトナムが異様なところだと思えるような書き方をしていた。ベトナム人の考えは正さなければならない。そこにはアメリカ人を送り込まなければならないだろう。
-------------------------------------------

人種差別に対するディランの感覚は鋭敏です。
二十歳になる前、新聞でそんな記事を読んで、本当にそんなふうに感じたのでしょう。

たとえば『地獄の黙示録』という映画を初めて観た時、映画制作者の差別的な視点、アジア蔑視が気になりました。
普通のアメリカ人の感覚では、気になる映像表現だったのでしょうか。
それとも、まるで気にならないところなんでしょうか。

若者ディランには、大いに気になったところなんですね。

しかし、この文脈、アジアに民主主義を教えてやろうという、ブッシュが言ってることと同じですな。

p.88に入りました。


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ホー・チ・ミンのバラード CHRONICLES #113

千本浜 2005年4月1日
 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]

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One of his most coloful songs had been about a negligent school bus driver in Colorado who accidentally drove a bus full of kids down a cliff. It had an original melody and because I liked the melody so much, I wrote my own set of lyrics to it. Len didn't seem to mind.

レンの歌で最も派手なのは、子供で満員のバスを運転して崖から転落してしまう、コロラドの不注意なスクールバス運転手の歌だった。それはオリジナルのメロディだったのだが、僕はそのメロディがとても気に入ったので、その曲に自分の歌詞を付けた。レンは気にしていないようだった。
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レンの作ったメロディにディランが歌詞を付けて自分のものにしてしまった曲は何だったんでしょうか。
曲名は書いてありませんが、内容はトピカルソングだったようです。
レンと一緒にコーヒーを飲みながら、新聞に歌の素材になるような記事はないか漁ったものだと書いています。
でも、図書館で百年前の新聞を読んでからは、今の新聞記事がどれも陳腐でつまらないものになってしまったそうです。

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France was in the news and had exploded an atom bomb in the Sahara Desert. France had just been booted out of North Vietnam by Ho Chi Minh after one hunderd years of colonial rule. Ho had seen enough of the French. They had turned Hanoi, the capital city, into the "brothel-studded Paris of the orient."
-----------------------------------------
*「brothel-studded」は「売春宿が散在する」ぐらいの意味かな

ホーおじさんと慕われた、民族の英雄ホー・チ・ミンですね。
私が同時代として知っているベトナム戦争は、ベトコンの時代。
ホー・チ・ミンはベトミンを率いて独立を勝ち取った指導者です。

高石ともやさんが「ホー・チ・ミンのバラード」という曲を歌ってました。

 ♪ 平和と自由と
 ♪ そしてホーチミン
 ♪ インドシナの旗をなびかせ
 ♪ ベトミンの兵士はすすむ

 →【資料】偉人ホー・チ・ミン

そういえば、初めてレコード屋さんでディランのアルバム"THE TIMES THEY ARE A-CHANGIN'"を見た時、ジャケットにはベトナムの人が写っているのだと思い込んでしまいました。
まだ小学生だったのかな。

 →"THE TIMES THEY ARE A-CHANGIN'"


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誤認逮捕

  • Posted by: 幻泉館主人
  • 2005年4月 1日 15:32
  • 日常雑記
友部正人さんの「乾杯」。 浅間山荘事件の時の、新宿の夜を歌っている。

 ♪ 電気屋の前に30人ぐらいの人だかり 割り込んでぼくもその中に
 ♪ 「連合赤軍5人逮捕 泰子さんは無事救出されました」
 ♪ 金メダルでもとったかのようなアナウンサー

この「5人逮捕」が、どうも「誤認逮捕」に聞こえてしかたがない。

のどかな県は、その名前とは裏腹に冤罪事件の多かったところだ。
特に1950年代に起きた凶悪事件で、取り返しのつかない汚名を残している。

1948年 幸浦事件 4人連続強盗殺人死体遺棄
1950年 二俣事件 4人連続強盗殺人
1950年 小島事件 強盗殺人
1954年 島田事件 未成年者略取・殺人死体遺棄
1955年 丸正事件 殺人
1967年 袴田事件 強盗殺人

丸正事件の犯人とされた二人は最高裁で有罪判決を受けて服役し、再審請求中に死亡。
前にも書いたことだが、ホン・ヨンウンの「おいらトラックの運転手だったんだ」は、名誉回復されぬまま無念のうちに亡くなった、この李得賢さんのことを歌ったものだ。
もうい一人の鈴木一男さんの葬儀はうちの近所の、元労農派の市会議員さんの家でひっそりと行なわれた。

2003年8月に、テレビで袴田事件のドキュメンタリーを見たのだが、拘禁反応で袴田巌さんの神経は病んでしまったようだった。
袴田巌死刑囚のお姉さんの日常を描いた番組で、「テレメンタリー 弟…塀に引き裂かれた37年・袴田死刑囚の姉」。
その番組からも、もう二年近くが経ってしまった。

ひき逃げで中3の生徒が逮捕されて、その後「嫌疑なし」として釈放されたというニュースを読んで、思い出したことです。


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夕暮れ CHRONICLES #112

どたばたと忙しい日々が続いており、この二日間はとてもいい夕焼けだったのに、浜に出ることができませんでした。 明日は行けるといいな。
八幡町 2005年3月31日

二行空けて、当時のディランの生活に話が戻ります。

---------------------------------------------
Len Chandler, a classically trained musician from Ohio, was on the bill with me at the Gaslight and we got to be friends.

クラシックの教育を受けたオハイオ出身のミュージシャン、レン・チャンドラーは僕と一緒にガス灯に出演していたので、仲良くなった。
---------------------------------------------

ええっと、レン・チャンドラーさんは少し前にも出てきましたな。

 →CHRONICLES #101 みんな泰子さんには触りたかった

 →Len Chandler Discography

仲良くなって何をするかといえば、幕間に楽屋でポーカーをしていたようです。
六番街の「the Metro Diner」まで出かけてポーカーをすることもあったそうですが、これは不思議な光景ですね。

ポーカーばかりやっているわりにレンはマジメな人だったそうです。
教養があって、生活もマジメ。
奥さんと一緒に恵まれない子供たち(underprevileged children)のための学校を始めたりしていたということです。

レンの曲は、新聞から取材したトピカルソングでした。
たいていは古いメロディに新しい歌詞を乗せたものでしたが、時には自分でメロディを作ることもありました。

はい、これです、これです。
前回高田渡さんを思い出したのはこの手法です。
渡さんの場合はさらに、自分が読んだ現代詩を乗せるという手法を開発したのであります。
齢を重ねてからは、歌のために詩を書き換えるということまでやっています。
これは私も、何度も書いてましたね。

 →2004年1月3日付日録:高田渡「夕暮れ」


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