青春の吉野家

車が突っ込んだり、やっぱり牛丼食わせろと暴れるやつが出たり、吉野家牛丼関係のニュースはおもしろい。
おもしろいのだが、釈然としない。
どうして牛丼再開にはアメリカ産牛肉が必要なのか、わからない。
コストに関しては企業努力の問題だ。
安価な牛肉を確保するために厚生労働省の基準を緩和させようというのがわからない。
ああ、わからない。
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CHRONICLES #75 『Sing Out!』の批判

千本浜 2005年2月11日

カミーラのパーティには、芸術の世界の人たちもいました。
今アムステルダムやパリやストックホルムで何が起きているのかを知っていて、語っていました。
ロビン・ホイットロー(Robyn Whitlaw)もその一人です。
彼女がゆっくりとダンスをするように歩き回っているのでどうしたのかとディランが聞くと、御馳走を食べに来たのだと答えました。
ディランは「outlaw artist」という修飾語を付けていますが、ロビンは後に泥棒に入って逮捕されました。
あくまでも自分は芸術家であり、この行動もパフォーマンスなのだと言い張ったそうです。
フォーク雑誌『Sing Out!』の編集者アーウィン・シルバーも来ていました。
数年後に、アーウィンはディランがフォークの世界を裏切ったと、その雑誌で厳しく非難することになります。
それは怒りの手紙という形式でした。
 →AN OPEN LETTER TO BOB DYLAN
そのことを、ディランはマイルス・デイビスがアルバム『Bitches Brew』を出した時のことを引き合いに出して説明しています。
私はディランがフォークを捨てたと非難された時のことは知らないのですが、マイルスが後にクロスオーヴァーと呼ばれるような音楽を始めた時の雰囲気はわかります。
モダンジャズのルールに従わず、今までのポピュラー市場を破壊してしまうような、新しい音楽です。
一年ほど前に古い雑誌を引っ張り出してきて少しだけ書いたことがあります。
 →ADLIB 1973年秋
ディランはまた、ラテン音楽の反逆者たちのことにも触れています。
ジョアン・ジルベルト(Joao Gillberto)、ロベルト・メネスカル(Robert Menescal)、カルロス・ライラ(Carlos Lyra)が、サンバを破壊して新しい音楽を創造しました。
もちろん、ボサノヴァです。
こんなふうに、ディランがマイルスやジョアン・ジルベルトのことを語るとは思っていなかったので、驚きました。
新しい音楽を創り出そうとした、自分に似た者だと感じていたのですね。
『Sing Out!』のアーウィンはまるで自分とその他のわずかな者だけが、現実世界に関わる重要な鍵を持っているかのようにディランを叱りましたが、ディランは自分が何をやっているのかわかっていたし、決して自分が後戻りや退却などしないのだということもわかっていました。
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CHRONICLES #74 組合オルグのマック

千本浜 2005年2月10日

 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]
W杯予選、日本が次に対戦するイランはバーレーンと引き分けたそうだ。
ライバルはイランとの報道だったのだが、さすがに最終予選だと、どのチームが勝ってもおかしくないというところなのではないだろうか。
今夜はその試合をBSで放映するようなので、後で見てみようと思っています。
ところでまだ覚えてらっしゃいますか。
カミーラのところで開かれているパーティは、もうすぐ亡くなってしまうシスコ・ヒューストン(Cisco Houston)のお別れパーティなのでした。
だから、パーティには労働組合のオルグたちも来ていました。
ディランによれば、その少し前に全国ニュースで、AFL-CIO(American Federation of Labor and Congress of Industrial Organizations アメリカ労働総同盟産業別労働組合会議)の会議がプエルトリコで開催されたと報道されていました。
一週間にも及ぶイベントで、組合のボスたちが延々と酒を飲み続け(mammoth run drinks)、カジノやナイトクラブに通うところが写真に写っていて、奇妙だったそうです。
バスローブをなびかせ、ハリウッドっぽいサングラスをかけててホテルのプールをうろつく。
ディランは非常に頽廃的印象を抱いたそうです。
組合幹部は、自分たちが写真に撮られているのを気づいていなかったようです。
イメージ操作で敗れていたのですね。
その時は失業問題を訴えるためにワシントンへの大行進がになっていたはずなんだそうです。
でも、カミーラのところに来ていたオルグたちは、そういうダラ幹ではなかったそうです。
タグボートの船長や、作業員や沖仲仕みたいに見えたそうです。
労働の現場にいることを感じさせる人達ですね。
マック・マッケンジー(Mack Mackenzie)はブルックリンの波止場地区でオルグをしていました。
パーティでディランはマックとダンサーをしている奥さんに会いました。
二人は28番街に暮らしていて、ディランは後にその家へも行きました。
レイの家に泊まるのと同様、そこの居間のカウチで眠ったそうです。
当時のディランは、こうやって知り合った人の家を泊まり歩いていたのですね。
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CHRONICLES #73 カウボーイ・ハリー

千本浜 2005年1月28日

いやあ、外でW杯予選の経過を知ったのですが、危なかったですねえ。
これで実力伯仲のいい試合だったということは、次回はこのままではいかんということですなあ。
アウェーのイラン戦、中田選手や小野選手が必要です。
コンディションは間に合うのでしょうか。
心配。
本当に。
カミーラのパーティの続きです。
セオドア・バイケル(Theodore Bikel)もいました。
俳優さんで、ディランは代表作に『手錠のままの脱獄(The Defiant Ones)』(1958年)を挙げていますが、フォーク・ソングをいろいろな外国語で歌っていました。
数年後に、ピート・シーガーとセオドア・バイケルとディランで、選挙人登録ラリーを行ない、ミシシッピーに行ったそうです。
 →The Theodore Bikel Web Site
 →goo映画 Theodore Bikel (セオドア・バイケル)
フォーク・シティで既に顔なじみだったハリー・ジャクソン(Harry Jackson)とも会いました。
カウボーイ彫刻家兼画家にして、ワイオミング出身の歌手であります。
ブルーム街にスタジオを持っていて、ディランに絵を描いてくれたそうです。
イタリアにもスタジオを持っていて、町の広場のための彫刻も作ったのだそうです。
グラント将軍のような風貌で、カウボーイの歌を荒っぽいどら声で歌う、大酒飲みでした。
なんだかいいなあ、この人。
 →Harry Jackson ART IMAGES
 →HARRY JACKSON
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CHRONICLES #72 パーティの人々

千本浜 2005年1月28日

ディランはカミーラのところのパーティで、ヘンリー・シェリダン(Henry Sheridan)にも会いました。
メイ・ウェストのボーイ・フレンドだった人だそうです。
メイ・ウェストは後にディランの曲をレコーディングすることになります。
 →The Cybersuite of the Legendary Mae West
 →性悪女 vamp
他にもいろいろな人がいました。
ジュディス・デューン(Judith Dunne)のような前衛芸術家。
レスリングや野球のようなスポーツの動きに基づいたダンスの動きを取り入れた振付け師だそうです。
“Blond Cobra”を作ったアンダーグラウンド映像作家ケン・ジェイコブス(Ken Jacobs)。
 →Ken Jacobs Work
それからBread and Puppet Theaterのピーター・シューマン(Peter Schumann)。
彼の”Christmas Story”ではヘロデ王が大きな葉巻をくわえていて、三つの顔を持った人形が一人で東方の三博士の役をやってたそうです。
 →BREAD AND PUPPET
 →Bread and Puppet
フォークウェイ・レコードを作ったモウ・アッシュ(Moe Asch)もいたそうです。
ああ、調べきれない。
とりあえず一休み。
まだp.65です。
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CHRONICLES #71 ピートにハロー

千本浜 2005年2月9日

熱でうなされて見た夢には、いろいろな年齢のディランが出て来たのだけど、若者や中年のディランは、えらく人種差別に腹を立てていた。
こういうディラン像を消そうという動きもまた盛んなのだと思う。
たとえばこんな感じかな。
ディランは天才である。
ディランは何も考えていない。
ディランの音楽はすごい。
まあ、祭り上げて政治色を抜いてしまおうというのは、よくあるパターンだ。
ニール・ヤングにそういうことをしようという人はあまりいないと思うのだが、ボブ・ディランだと、そういうことを言って商売にする奴も出てくる。
さすがに懐が深いな、ディラン御大。
そうじゃない。
遥かな国、遠い昔としてしかバラッドを聴けないというのは、聴いたことにならないだろう。
ハッティ・キャロルを殴り殺したのにほとんど処罰されなかった、金持ちのドラ息子ウィリアム・ザンジンガーは、ディランの同時代人なのだ。
冤罪で平和な生活を失ったトラック運転手の同胞を、ホン・ヨンウンは歌った。
現代の日本で厳として人種差別が存在する。
見えないのではなくて、見ないだけだ。
見ない人は、たとえば純粋に音楽だけを鑑賞なさるのだろう。
さて、ひさびさに『クロニクルズ』に戻ります。
カミーラの部屋で開かれたパーティには、当時の「フォーク・コミュニティ」とも呼ぶべき社会の人達がたくさん集まっていました。
ほとんどの人がディランのことを何も知りません。
それでもピート・シーガーが「ハロー」と声をかけてくれました。
 →Pete Seeger Appreciation Page
ピートはThe Weaversのマネージャーをしていたハロルド・レブンソール(Harold Leventhal)と一緒でした。
ハロルドはしわがれ声でささやくように話します。
何言ってるか、ちゃんと聞いておかないと。
後にコンサートを開いてくれるんだから。
p.65に入ったところです。
【追記】No.1
せっかくだから例によって過去日録。
 →ピート・シーガー「わたしが一番きれいだったとき」
 →花はどこへいった Where have all the flowers gone?
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天王寺

千本浜 2004年2月23日
休日を寝て過ごすというのは、実に悔しいものがありますな。
丸々二日寝ていたのですが、まだ調子悪いです。
年とって回復力が落ちたのかしらん。
木村さんのアルバムをかけっぱなしにしているので、知らないはずの70年代の天王寺の風景に包まれて寝ていた。
おっ母さんはお祖母さんの三回忌に行ってくる。
まだ生きているような気がすることがよくあると言っていた。
いただいてきた苺がとてもおいしかった。
夢を見る。
事務所の建物がヨドバシカメラになってしまう。
(ビックカメラかもしれない)
売り場の一画から事務所に入れるのだが、机がコックピットのように改造されている。
恐いなあ。
一旦外に出ると、やはり二度と辿りつけない。
売り場が迷路のようになってしまう。
薄暗い階段の手すりにつかまりながら、自分の半生を悔やんでいる人がいる。
野中広務さんにそっくりだった。
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俺らのハウス

千本浜 2004年2月3日

今日は仕事に出ようと思っていたのだが、朝起きて無理だと判断。
予定をいくつかキャンセルして、ひたすら眠る。
調子が悪かったら丸くなって寝ている。
猫みたいだなあ。
枕元に転がっているCDの中からなるべく収録時間の長いものを選んで、ラジカセに放り込む。
『The Best Of Bob Dylan volume 2』
日本盤なので18曲入って、79分。
これをぐるぐるリピートで聴きながら眠る。
The Best Of Bob Dylan volume 2
夢にいろいろな人が出てくる。
若いディラン、おっちゃんのディラン。
若いドノヴァン。
どんと。
お、どんと?
そうか、どんとは”Positively 4th Street”を歌ってなかったかしら。
 →Positively 4th Street
夕方になると寝るのに飽きてきて、コーヒーを入れようと階下に降りる。
ヤフオクで落としたCDが届いていた。
”天使のダミ声”木村充揮さんの『俺らのハウス』。
これが不思議なことに未開封の新品だった。
廃棄処分にした不良在庫が流れたのかな。
夜はこのアルバムをぐるぐると聴くことになる。
俺らのハウス
1. DA! DA! DANCE
2. 黄昏の街角
3. あほやと言われても
4. 俺らのハウス
5. マザー
6. 天王寺
7. アニキィって呼ばれて
8. ハレルヤ
9. きれいや
10. AMAMI
11. わけもなく
【追記】No.1
「マザー」というレゲエの曲が入っているのだが、木村さんは「Don’t worry」を「どんわり」と歌っている。
これは正しいなと思った。
どういうわけか日本人英語では「worry」を「ウォーリー」と発音する人が多いように思う。
ユーミンの「守ってあげたい」あたりが元凶かしら。
気持ち悪い。
「front」も「ロ」より「ラ」のはずなのだが、外来語で定着しているし、どうせ「r」の発音も違うのだからこれはいいとしよう。
しかし、「worry」はなあ。
外来語になってないし。
ところでこの歌に出てくるボブおじさんは、やっぱりマーリーの方なのかな。
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日没する処の天子

千本浜 2005年1月28日
二月の祝日というと、「建国記念の日」だ。
影が薄いね。
これを「建国記念日」と間違えている人も多い。
日本国の建国とは一切関係がないので、「記念日」ではないのだよ。
 ♪ 雲に聳ゆる高千穂の
 ♪ 高根おろしに草も木も
 ♪ なびきふしけん大御世を
 ♪ 仰ぐ今日こそたのしけれ
大根おろしを想像してはいけません。
「お正月」でもありません。
明治時代に作られた「紀元節」という歌です。
前に書いたのだが、臣民が祝わなければならない「国家の祝日」があったころ、「紀元節」は祝日だった。
つまり、明治国家の祝日が紀元節です。
 →五つの赤い風船『ゲームは終わり』(1972年)
神武、綏靖、安寧、懿徳……
おっ母さんの世代が暗記させられた歴代天皇の諡号だが、最初の方は実在しなかったようだ。
欠史八代を飛び超えて、ハツクニシラスの応神天皇が神武天皇と一致する。
つまり、同一人物のようだ。
なぜそんな操作を行なったのかというと、神話と史実と間に緩衝地帯を設けなければ、ウソが丸見えになってしまうからではないだろうか。
紀元節は、古代の伝説を復活させて国家の祝日としたもの。
国家統合のためにこんなばかげたものを利用するなんて、やっぱり人間はあまり賢くない生き物なんだな。
「建国記念の日」は妥協の産物です。
1966年に政令で定められたのだが、史実に基づく建国の日とは関係なく、建国されたという事象そのものを記念する日であるという考えによるものであるということになり、「の」の字が入りました。
神武天皇が「辛酉年春正月」に即位したなんてことはありえないので、かえって「の」の字を取ってしまった方が、日本国のばかばかしさが露になって良かったのかもしれませんなあ。
明治政府の説明では、B.C.660年。
あの卑弥呼がA.D.3世紀のことなんだから、まったくばかばかしいでしょ。
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ゴホン!といえば龍角散

IP屋上駐車場 2005年2月3日
ゴホン!といえば龍角散
せきこえのどに浅田飴
クシャミ3回ルル3錠
風邪でダウンしております。
うう……。
明け方ヒナもかっぽんかっぽん音をさせてたな。
ちょっともどしてた。
やっぱりちょっと調子悪いんかな。
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