蕎麦屋

保線区 2005年4月16日

渡さん、死んじゃったんだなあ。
ぼんやりと仕事場を出て保線区で夕陽を眺めた。
なんとなく駅まで歩き、蕎麦屋に入る。
静かな店で、頭の中に渡さんの歌が流れる。
「ブラザー軒」だ。
小さなころ、このおそば屋さんに何度か来たことがある。
改装してなくなってしまったのだが、入り口の土間からすぐに上がれる座敷もあった。
壁にはお相撲さんのポスターが貼ってあったな。< 誰が写っているのかわからない。 大鵬柏戸の時代。 一瞬だけ懐かしい家族が見えたような気がした。 とうちゃん、おばちゃん、おばあちゃん。 死んでしまった人達もみんな元気だ。 ほとんど外食などしない貧乏な一家が、月に一度ぐらい出かけるという、ささやかな贅沢のひととき。。 映画を観た帰りだったのかな。 渡さんは非常に苛酷な幼少期を送っていたようだ。 菅原克巳さんの悲しい詩の世界も、渡さんには憧れだったんだろうか。 夕暮れの風景が、にじんだ。

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渡さん、さようなら

今朝、高田渡さんが亡くなりました。
公演先の北海道釧路市の病院だそうです。
享年56。
 →幻泉館日録:「高田渡」
 

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道草

畑に向かう車の中でラジオをつけると、朗読を流していた。
ああ、これは漱石だ。
う……何だろう。
ほどなく今日の分の放送が終わり、『道草』だとわかる。
悔しいなあ。
何気なくgoogleで検索すると、青空文庫がトップにヒット。
 →夏目漱石『道草』
車の中で聞いた箇所は、Firefoxの「検索」ですぐにわかる。
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吉田というのは、でっぷり肥(ふと)った、かっぷくの好(よ)い、四十恰好(がっこう)の男であった。縞(しま)の羽織(はおり)を着て、その頃まで流行(はや)った白縮緬(しろちりめん)の兵児帯(へこおび)にぴかぴかする時計の鎖を巻き付けていた。言葉使いから見ても、彼は全くの町人であった。そうかといって、決して堅気(かたぎ)の商人(あきんど)とは受取れなかった。「なるほど」というべきところを、わざと「なある」と引張ったり、「御尤(ごもっと)も」の代りに、さも感服したらしい調子で、「いかさま」と答えたりした。
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漱石の原稿の復刻版なんぞが出ているというのも知る。
 →夏目漱石原稿全三巻「道草」
 
そりゃ見てみたいわなと思いながら、「本体価格:95,000円(税別)」では無理だとがっくり。
でも、画像が拡大できたので、ちょっとだけ雰囲気が楽しめた。
専用の原稿用紙がいいな。
昔は自分専用の原稿用紙を作りたいと思っていたが、今ではその気になればパソコンで簡単に作れてしまう。
もっとも、私の場合は手書きで原稿など書けない。
パソコンがあったからこそ、原稿書きで糊口を凌ぐことができたのだった。
今では早稲田界隈の古本屋さんもすっかり数が減ってしまったが、あそこで全集の端本を買うのが好きだった。
岩波書店からは何度も漱石全集が出ているが、箱入り新書判のものが安いし、持ち運びに便利なので好きだった。
岩波新書の新刊より安かったものもあった。
小説部分はそれで一通り買うことができたように思う。
新しい四六判の全集は新刊で揃えたのだが、やはりあの頃古本屋さんで買った買った新書判が、愛着がある。

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ユダヤの王 CHRONICLES #124

千本浜 2005年4月15日

 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]
ディランはヴァン・ロンクのところに泊まるようになるのですが、その前は主にレイのところでに厄介になっていました。
多少は気をつかっていたようで、明け方に帰ってくる時などはあまり音を立てないようにそっとドアを閉めたなどと書いてあります。
レイはそんなことを気にするような人物であるはずもなく、詩篇を引用してピストルをベッドの脇に置いて眠りました。
やっぱり変な人です。
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At times he could say things that had way too much edge. Once he said that President Kennedy wouildn’t last out his term because he was a Catholic. When he said it, it made me think about my grandfather, who said to me that the Pope is the king of the Jews. She lived back in Dutch on the top of floor of a duplex on 5th Street.
レイは時々あまりにも鋭いことを言うことがあった。ある時など、ケネディ大統領はカトリックだから任期をまっとうすることができないだろうと言った。レイがそう言った時、僕はおばあちゃんのことを思い出した。おばあちゃんは僕に、ローマ教皇はユダヤ人の王だと言った。おばあちゃんはダルースの5番街にあるアパートの二階に暮らしていた。
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ダルースはミネソタ州の港町で、スペリオール湖の西端に臨んでいます。
おばあちゃんの部屋からも、湖が見えました。
ディランの両親は時々週末に、おばあちゃんのところへディランを預けて出かけたそうです。
おばあちゃんは片脚でした。
髪が黒く、パイプたばこを吸っていました。
ローマ教皇の話がよくわかりませんわ。
ケネディがカトリック云々というのは、結局WASP(White Anglo-Saxon Protestant)じゃない傍流だからということなんでしょうか。
カトリックの話が出たので、頭の中でローマ法王→おばあちゃんと、記憶がつながっていったんですね。
もう少しおばあちゃんの話が続くのですが、今夜はこの辺で。
もうすぐp.92が終わるところです。
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ベスパの二人乗り CHRONICLES #123

千本浜 2004年4月22日

どうやって凶悪犯の歌を書こうか、レンはディランにも相談しました。
ディランはあの「赤色灯」のことから書いたらいいかもしれないと答えました。
実際にはレンがその歌を書き上げることはありませんでした。
レン・チャンドラーは、とにかくガタイのいいやつだったというのが、ディランの抱いている印象です。
ラインバッカーのようだったというのですから、大きくてがっしりしていて、ぶつかっても決して負けないといった体つきでしょう。
賢くて善意に満ちた人なのですが、恐れというものを知りませんでした。
そして、向こう見ずでした。
凍てつくような寒い夜、ディランをべスパの後ろに乗せて、フルスロットルでブルックリン橋を疾走したことがあるそうです。
たぶん路面は凍結していますし、交通も激しかったようですから、大変危険なことですよ。
自分で運転するんならともかく、タンデムでそんなことしたくないなあ。
後年のオートバイ事故と違い、この時はレンに運があったということです。
 →Vespa The Official Web Site
 →ベスパ総代理店成川商会
映画『アメリカン・グラフィティ(AMERICAN GRAFFITI)』(1973年)のベスパが印象的でした。
実にさえないテリーがゴミ箱にベスパを追突させるのは、演技ではなくて偶然の事故だったそうです。
ああ、ベスパの二人乗りといえば、『ローマの休日(ROMAN HOLIDAY)』(1953年)ですかね。
心に残る名シーンですな。
ただ、私がベスパですぐに思い出すのは、『遊軍』という70年代のテレビドラマなんです。
ベスパで走り回り、朝日というレトロな吸い口付きタバコを吸う、社会部遊軍記者を演じてたのは中村敦夫さん。
結局ドラマの最後では事件にかかわった主人公は原稿を書けないということになってしまうんです。
あれがかっこよくて、私は将来新聞記者になろうと思ったものでした。
googleで探しても、この番組見つからないなあ。
残念。
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蛇が来る

「夜に口笛を吹くと蛇が来る」
あれは「邪」が「蛇」に転化したのだと聞いたことがある。
牛若丸はなぜ夜に笛を吹きながら橋を渡るのか。
ケーナの練習もあまりしていないのに、また笛を買ってしまった。
以前から楽器屋さんで見かけてはどうしようかと思っていた、ティンホイッスル。
おもちゃみたいなものなので失敗してもあまり惜しくないのだが、結局買わずにいた。
それがついついgoogle検索などしていろいろ調べたら、欲しくなってしまったのだ。
管によってだいぶ音が違うようなので、二種類の形のものを、せっかくだからケースと一緒に注文。
すぐに届きましたわ。
ケーナと違ってすぐに音は出るのだが、きれいな音で鳴らすには、やはり練習が必要だろう。
また夜泣きネタができてしまった。
へい、れっどすねーく、かもん、かもん!
 →Clarke Tinwhistle
Clarke Tinwhisles

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死刑廃止論 CHRONICLES #122

千本浜 2004年10月25日

凶悪犯のチェスマンはガス室に送られることが決まっていました。
電気椅子じゃなかったんですね。
彼の助命嘆願には、著名人の名が並びました。
 →ノーマン・メイラー
 
 →レイ・ブラッドベリ:日本ファンクラブ
 
 →オルダス・ハックスリー Aldous Huxley (1894-1963)
 →ロバート・フロスト:道が二本森の中に続いていた。
 →wikipedia: エレノア・ルーズベルト
そして、死刑廃止運動をやっているグループが、レンのところにチェスマンの歌を書くよう依頼してきました。
短いですが、今夜はこれまで。
ただいまp.91です。
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さよならコンタックス

千本浜 2005年4月8日

京セラがコンタックスのブランドで展開してきたカメラ事業から完全撤退するのだそうな。
これは寂しい。
日ごろ使っているコンパクトカメラが、35ミリもデジカメもコンタックスだから。
今年も春一番で活躍してくれるはずなんです。
高校生のころに使っていたカメラがヤシカのエレクトロ35だったので、その愛着もあるのです。
 →2003年11月16日付日録:ヤシカ エレクトロ35(1966年?1975年)
上の夕陽は、もちろんコンタックスで撮ったものです。
おなじみのブランドが消えるのは寂しいなあ。
さようなら、コンタックス!

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暗い山 CHRONICLES #121

千本浜 2004年4月12日

主婦だってキンキラのサングラスをかけたグラマーな女の子になることができるし、年寄りだって若返ることができる。
そんないいかげんな幻想をふりまく情報の氾濫の中で、アートも変わりつつありました。
抽象絵画や無調子の音楽が流行して、現実を切り刻んでいました。
「この新しい芸術の波を航海したら、ゴヤだって迷ったことだろう」とディランは書いています。
レンとディランはその新しいものが本当に価値あるものなのか、単なるノイズなのか、一緒にあれこれと吟味したようです。
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ニュースに繰り返し登場する人物に、「赤色灯強盗」と呼ばれた悪名高い強姦犯、キャリル・チェスマンがいた。若い娘を強姦したことで有罪判決を受けた後、カリフォルニアの死刑囚監房に収監されていた。その犯罪は実に独創的な方法で行なわれていた。自動車の屋根に赤色灯をくくり付けて光らせ、そして女性の車を路肩に止まらせて外に出るように命じ、森の中へ引き摺り込んで強盗強姦におよんだのである。
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アメリカでは有名な犯罪者なんですね。
『リーダーズ英和(プラス)』にも、この犯罪者の名前が載っていました。
死刑制度を見直すきっかけとなったんだそうです。
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チェスマン Caryl Whittier Chessman (1921-60) 《米国の犯罪人; 誘拐・強盗・強姦などの 17 の罪状により死刑を宣告されたが (1948), さまざまの法的手段に訴え, 数度の死刑延期をかちとった; この間, 獄中で Cell 2455 Death Row (1956), Trial by Ordeal (1956), The Face of Justice (1958) などを書き, 死刑に反対; 結局は死刑となったが, これによって, 米国の裁判制度が批判されることになった》.
————————————
日本では粗暴犯がこのような法廷闘争を行なうのは珍しいですね。
すぐに「連続射殺魔」永山則夫さんを思い出しましたが、連続暴行魔ということでは、「大久保清事件」も強烈でした。
 →大久保清連続殺人事件
この場所はその後、連合赤軍事件で連続殺人が起きることになります。
私は当初、偶然呪われた場所になったのかと思っていたのですが、後になって当事者たちの書いたものを読むと、だからこそわざわざ選んでキャンプを張ったようです。
 > もう一人は
 > 72年の年の2月の
 > 暗い山で
 > 道に迷った
樹村みのりさんのマンガに出てきた言葉を思い出します。
 →2003年10月7日付日録:樹村みのり「贈り物」(1974年)
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愛国

「愛の国から幸福へ」
こんなキャッチフレーズで、国鉄の赤字路線駅の切符が大ブームになったことがあった。
廃線となったので、もうその汽車に乗ることはできない。
「愛の国から幸福へ」は、70年代の幻だった。
本当は「愛の国」ではなかった。
「愛国」駅だったのだ。
駅舎だけは残っていると聞いたことがあるが、今でもあるのだろうか。
コンビニで買っていた東京新聞を、4月から宅配してもらっている。
朝刊のみの統合版だが、出かける時持って出るのにちょうど良い。
楽しみなのは署名記事の「こちら特報部」。
見開きに掲載されているのだが、寄せればちょうど一面に収まるぐらいの文章量である。
昨日が清沢洌『暗黒日記』の紹介。
今日は中国の「反日」教育に関する報道だ。
中国各地で広がっている反日デモの参加者は、二十代から三十代の若者が多い。
彼らは90年代に小学生・中学生だった若者たちで、当時強化された愛国教育を受けてきた。
「愛国教育」が始まったのは80年代のこと。
「抗日戦争四十周年」の前に「侵略」の文字を「進出」と書き換えさせた教科書検定による「教科書問題」があり、中曽根首相の靖国神社公式参拝が反日感情に火を点けた。
つまり、小泉内閣は中曽根内閣と同じネタで反日感情を煽っているのである。
さらに1989年の天安門事件によって中国共産党は政権維持に危機感を抱き、愛国教育を強化させた。
江沢民時代の1994年に「愛国主義実施要綱」を出して、愛国教育が徹底された。
この愛国教育の成果が、反日サイトで鬱憤を晴らしている若者たちなのだ。
安易な世代論にしたくはないのだが、並行して日本でも憎悪ばかりを振りまく「ネット右翼」が汚い姿をさらすようになった。
市場経済の導入によって、中国でももはや社会主義の優位という宣伝は通用しない。
かつて抗日戦争に勝利したという、過去の栄光にすがるしか中国共産党も生き延びる道を失っているのだろう。
ただ、統制を失った反日暴動になってしまうと、それは容易に反政府暴動に転化する可能性がある。
日本政府はそれを狙っているのかもしれない。
さて、日本の話だ。
十年に一度のはずの教育指導要領改訂に失敗したいうことで、文部なんとか省は急激に日本の愛国教育強化を始めた。
憎悪に憎悪をぶつけてどうするんだ。
将来は外国人に労働力を依存しなければならないのが目に見えているのに、排外政策を強化したり、アホちゃうか。
「愛国教育」=「亡国教育」なんだぞ。

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