造反有理

もう何年も前のことだが、有理という名の女の子と会った。
珍しい字を遣っているなと思ったので、「造反有理?」と訊いたら、こっくりとうなずいた。
お父さんの気持が込められていたらしい。
僕が中学生のころ、造反有理はとても魅力的な言葉だった。
有理のお父さんはたぶん、そのころ大学生だった。
こんなに素敵な四文字スローガンは、とても作れるものじゃない。
文化大革命の時、盛んに叫ばれた言葉だ。
『毛沢東語録』の有名な一節なのだが、元は抗日戦争時の1939年、革命根拠地の延安で開かれたスターリン生誕60年祝賀大会で語ったものであるそうだ。
もちろん「愛国無罪」の報道から思い出した言葉だ。
あまり報道されていないようだが、天安門事件でもこの「愛国無罪」が叫ばれていたはずだ。
なんだか使い方に違和感があるので、どこかに元ネタが書いてないかと検索したら、楽天広場のサイトがヒットした。
「書評日記 パペッティア通信」
 →「愛国無罪」は「救国入獄」の夢をみるか?:中国反日デモ「愛国無罪」の意味を知らない人たち
 →「愛国無罪」と宋慶齢(孫文の未亡人):1930年代の中国愛国運動とその路程
なるほど、です。

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戦艦ポチョムキン CHRONICLES #125

千本浜 2005年4月15日

なんだか力の入らない毎日を送っております。
本を読んでも、集中できないなあ。
そうそう、ディランのおばあちゃんの話です。
元々はトルコの生まれです。
一族はアルメニアとの国境近くのカウズマン(Kagizman)に暮らし、キルギス(Kirgihz)という姓でした。
おじいちゃんもその辺りの出身で、靴職人や革細工職人をしている一族だったようです。
おじいちゃんの方はもっと肌の色も白い一族だったそうですが、前述のようにおばあちゃんは黒髪です。
おばあちゃんはよく訛っていたそうです。
顔にはなにかあきらめたような表情を浮かべていました。
おばあちゃんは、かなり苦労を重ねてきた人だったんです。
ロシア南部の港町オデッサ(Odessa)からアメリカに渡ってきたそうです。
そう、あの映画『戦艦ポチョムキン』の有名なシーン、「オデッサの階段」のオデッサです。
今ではどちらかというと、パロディの方が有名なんでしょうね。
 →戦艦ポチョムキン
ただいまp.93です。
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非「タカダワタル的」

【追記】No.1
[タカダワタル的]のトップでは、「心不全の為、死去されました」と書いてありますね。
北海道新聞では、「髄膜脳炎」という報道がありました。
 →北海道新聞:訃報



2002年の秋からPCで日記のようなものを書き始めたのだが、時々訃報を書き留めている。
検索してみると、次のような方々だ。
訃報:マル・ウォルドロン 享年76 死因不明
訃報:イヴァン・イリイチ 享年76 死因不明
坂庭しょうごさん。享年53。
アート・カーニーさん、享年85。(『ハリーとトント』の主役)
横山光輝さん、亡くなりました。享年69。
ジョニー・キャッシュ逝去。享年71。
エルビン・ジョーンズさんが亡くなりました。享年76。
中島らもさん。享年52。
山平和彦さんが昨夜(12日)ひき逃げされて亡くなったそうだ。享年52。
北原謙二さん。享年65。
芝生瑞和さん。享年59。
岡田史子さん。享年55。
渡さんの場合はちょっと違うなあ。
どうにも我が心の師匠高田渡大人の訃報は、まだ実感できずにいる。
「タカダワタル的」のサイトではもう密葬を済ませたとの掲示があるのだが、音楽葬もあるのかしら。
最期に映画『タカダワタル的』ができたので、渡さんのイメージはあれで決定されてしまうのだろうか。
少し残念な気がする。
たとえば、去年の夏NEWS23金曜深夜便に渡さんが出た時、筑紫さんは「この人はそういうところから一番遠くにいる人だ」ということを言っていた。
実によく考え、良い意味で計算もしているのだと受け取れた。
NEWS23「金曜深夜便」
たとえば一昨年NHK BSの『世界・わが心の旅「ドイツ 僕と生きてきた詩(うた)」高田渡』でドイツに行き、ビリ・ベダルフと交わす握手はとても自然で洗練されていた。
高田渡 ビリ・ベダルフ
もちろん渡さんが呑み助だったのは事実なんだが、ことさらに酔いどれ歌手を演じていたような気もするのだ。
もしも。
もしも渡さんが自分の死期を知っていたのだったら。
映画の企画などを利用して、その準備を進めていたのだとしたら。
そんな「タカダワタル的」でないことを、いろいろ考えてしまうのだ。

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蕎麦屋

保線区 2005年4月16日

渡さん、死んじゃったんだなあ。
ぼんやりと仕事場を出て保線区で夕陽を眺めた。
なんとなく駅まで歩き、蕎麦屋に入る。
静かな店で、頭の中に渡さんの歌が流れる。
「ブラザー軒」だ。
小さなころ、このおそば屋さんに何度か来たことがある。
改装してなくなってしまったのだが、入り口の土間からすぐに上がれる座敷もあった。
壁にはお相撲さんのポスターが貼ってあったな。< 誰が写っているのかわからない。 大鵬柏戸の時代。 一瞬だけ懐かしい家族が見えたような気がした。 とうちゃん、おばちゃん、おばあちゃん。 死んでしまった人達もみんな元気だ。 ほとんど外食などしない貧乏な一家が、月に一度ぐらい出かけるという、ささやかな贅沢のひととき。。 映画を観た帰りだったのかな。 渡さんは非常に苛酷な幼少期を送っていたようだ。 菅原克巳さんの悲しい詩の世界も、渡さんには憧れだったんだろうか。 夕暮れの風景が、にじんだ。

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渡さん、さようなら

今朝、高田渡さんが亡くなりました。
公演先の北海道釧路市の病院だそうです。
享年56。
 →幻泉館日録:「高田渡」
 

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道草

畑に向かう車の中でラジオをつけると、朗読を流していた。
ああ、これは漱石だ。
う……何だろう。
ほどなく今日の分の放送が終わり、『道草』だとわかる。
悔しいなあ。
何気なくgoogleで検索すると、青空文庫がトップにヒット。
 →夏目漱石『道草』
車の中で聞いた箇所は、Firefoxの「検索」ですぐにわかる。
——————————————-
吉田というのは、でっぷり肥(ふと)った、かっぷくの好(よ)い、四十恰好(がっこう)の男であった。縞(しま)の羽織(はおり)を着て、その頃まで流行(はや)った白縮緬(しろちりめん)の兵児帯(へこおび)にぴかぴかする時計の鎖を巻き付けていた。言葉使いから見ても、彼は全くの町人であった。そうかといって、決して堅気(かたぎ)の商人(あきんど)とは受取れなかった。「なるほど」というべきところを、わざと「なある」と引張ったり、「御尤(ごもっと)も」の代りに、さも感服したらしい調子で、「いかさま」と答えたりした。
——————————————-
漱石の原稿の復刻版なんぞが出ているというのも知る。
 →夏目漱石原稿全三巻「道草」
 
そりゃ見てみたいわなと思いながら、「本体価格:95,000円(税別)」では無理だとがっくり。
でも、画像が拡大できたので、ちょっとだけ雰囲気が楽しめた。
専用の原稿用紙がいいな。
昔は自分専用の原稿用紙を作りたいと思っていたが、今ではその気になればパソコンで簡単に作れてしまう。
もっとも、私の場合は手書きで原稿など書けない。
パソコンがあったからこそ、原稿書きで糊口を凌ぐことができたのだった。
今では早稲田界隈の古本屋さんもすっかり数が減ってしまったが、あそこで全集の端本を買うのが好きだった。
岩波書店からは何度も漱石全集が出ているが、箱入り新書判のものが安いし、持ち運びに便利なので好きだった。
岩波新書の新刊より安かったものもあった。
小説部分はそれで一通り買うことができたように思う。
新しい四六判の全集は新刊で揃えたのだが、やはりあの頃古本屋さんで買った買った新書判が、愛着がある。

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ユダヤの王 CHRONICLES #124

千本浜 2005年4月15日

 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]
ディランはヴァン・ロンクのところに泊まるようになるのですが、その前は主にレイのところでに厄介になっていました。
多少は気をつかっていたようで、明け方に帰ってくる時などはあまり音を立てないようにそっとドアを閉めたなどと書いてあります。
レイはそんなことを気にするような人物であるはずもなく、詩篇を引用してピストルをベッドの脇に置いて眠りました。
やっぱり変な人です。
————————————————
At times he could say things that had way too much edge. Once he said that President Kennedy wouildn’t last out his term because he was a Catholic. When he said it, it made me think about my grandfather, who said to me that the Pope is the king of the Jews. She lived back in Dutch on the top of floor of a duplex on 5th Street.
レイは時々あまりにも鋭いことを言うことがあった。ある時など、ケネディ大統領はカトリックだから任期をまっとうすることができないだろうと言った。レイがそう言った時、僕はおばあちゃんのことを思い出した。おばあちゃんは僕に、ローマ教皇はユダヤ人の王だと言った。おばあちゃんはダルースの5番街にあるアパートの二階に暮らしていた。
————————————————
ダルースはミネソタ州の港町で、スペリオール湖の西端に臨んでいます。
おばあちゃんの部屋からも、湖が見えました。
ディランの両親は時々週末に、おばあちゃんのところへディランを預けて出かけたそうです。
おばあちゃんは片脚でした。
髪が黒く、パイプたばこを吸っていました。
ローマ教皇の話がよくわかりませんわ。
ケネディがカトリック云々というのは、結局WASP(White Anglo-Saxon Protestant)じゃない傍流だからということなんでしょうか。
カトリックの話が出たので、頭の中でローマ法王→おばあちゃんと、記憶がつながっていったんですね。
もう少しおばあちゃんの話が続くのですが、今夜はこの辺で。
もうすぐp.92が終わるところです。
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ベスパの二人乗り CHRONICLES #123

千本浜 2004年4月22日

どうやって凶悪犯の歌を書こうか、レンはディランにも相談しました。
ディランはあの「赤色灯」のことから書いたらいいかもしれないと答えました。
実際にはレンがその歌を書き上げることはありませんでした。
レン・チャンドラーは、とにかくガタイのいいやつだったというのが、ディランの抱いている印象です。
ラインバッカーのようだったというのですから、大きくてがっしりしていて、ぶつかっても決して負けないといった体つきでしょう。
賢くて善意に満ちた人なのですが、恐れというものを知りませんでした。
そして、向こう見ずでした。
凍てつくような寒い夜、ディランをべスパの後ろに乗せて、フルスロットルでブルックリン橋を疾走したことがあるそうです。
たぶん路面は凍結していますし、交通も激しかったようですから、大変危険なことですよ。
自分で運転するんならともかく、タンデムでそんなことしたくないなあ。
後年のオートバイ事故と違い、この時はレンに運があったということです。
 →Vespa The Official Web Site
 →ベスパ総代理店成川商会
映画『アメリカン・グラフィティ(AMERICAN GRAFFITI)』(1973年)のベスパが印象的でした。
実にさえないテリーがゴミ箱にベスパを追突させるのは、演技ではなくて偶然の事故だったそうです。
ああ、ベスパの二人乗りといえば、『ローマの休日(ROMAN HOLIDAY)』(1953年)ですかね。
心に残る名シーンですな。
ただ、私がベスパですぐに思い出すのは、『遊軍』という70年代のテレビドラマなんです。
ベスパで走り回り、朝日というレトロな吸い口付きタバコを吸う、社会部遊軍記者を演じてたのは中村敦夫さん。
結局ドラマの最後では事件にかかわった主人公は原稿を書けないということになってしまうんです。
あれがかっこよくて、私は将来新聞記者になろうと思ったものでした。
googleで探しても、この番組見つからないなあ。
残念。
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蛇が来る

「夜に口笛を吹くと蛇が来る」
あれは「邪」が「蛇」に転化したのだと聞いたことがある。
牛若丸はなぜ夜に笛を吹きながら橋を渡るのか。
ケーナの練習もあまりしていないのに、また笛を買ってしまった。
以前から楽器屋さんで見かけてはどうしようかと思っていた、ティンホイッスル。
おもちゃみたいなものなので失敗してもあまり惜しくないのだが、結局買わずにいた。
それがついついgoogle検索などしていろいろ調べたら、欲しくなってしまったのだ。
管によってだいぶ音が違うようなので、二種類の形のものを、せっかくだからケースと一緒に注文。
すぐに届きましたわ。
ケーナと違ってすぐに音は出るのだが、きれいな音で鳴らすには、やはり練習が必要だろう。
また夜泣きネタができてしまった。
へい、れっどすねーく、かもん、かもん!
 →Clarke Tinwhistle
Clarke Tinwhisles

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死刑廃止論 CHRONICLES #122

千本浜 2004年10月25日

凶悪犯のチェスマンはガス室に送られることが決まっていました。
電気椅子じゃなかったんですね。
彼の助命嘆願には、著名人の名が並びました。
 →ノーマン・メイラー
 
 →レイ・ブラッドベリ:日本ファンクラブ
 
 →オルダス・ハックスリー Aldous Huxley (1894-1963)
 →ロバート・フロスト:道が二本森の中に続いていた。
 →wikipedia: エレノア・ルーズベルト
そして、死刑廃止運動をやっているグループが、レンのところにチェスマンの歌を書くよう依頼してきました。
短いですが、今夜はこれまで。
ただいまp.91です。
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