LAN内専用DNSサーバ

MovableTypeを導入したところ、やはりLAN内にDNSサーバを立てないと、まともに運用できないことが判明。
つまらないところでひっかかって試行錯誤を繰り返したのだが、やっと設定が終わった。
ひさしぶりにサーバをいじったのが、うまく動くようになると嬉しいものです。

CHRONICLES #41 ディランとジュディ・ガーランド

2004年12月19日

ジュディ・ガーランド(Judy Garland)はミネソタ州グランドラピッズ(Grand Rapids)の出身で、ディランの生まれたところから20マイルほどのところなのだそうです。
ミシガン州のグランドラピッズ以外に、ミネソタ州にもあるのですね。
ディランはミネソタ州ヒビング(Hibbing)の出身だそうです。
それで、ジュディの歌を聴くと、なんだか隣の家の女の子が歌っているような感じがしたのだと書いています。
なるほどね。
うちの親父様が若い頃に伊豆の山中で代用教員をやっていたのですが、研ナオコさんが出てきた時、隣の家の娘のことのように話していました。
研ナオコさんの親戚をよく知っていたのですね。
ジュディはディランよりずっと前の時代の人なので……ここでディランはエルトン・ジョン(Elton John)の歌を引用しています。
 ♪ I would have liked to have known you,
 ♪ but I was just a kid.
 
これは「Candle In The Wind」という曲ですね。
冒頭は
 ♪ Goodbye Norma Jean
 ♪ Though I never knew you at all
 ♪ You had the grace to uphold yourself
 ♪ While those around you crawled
そう。
これはノーマ・ジーン、つまりマリリン・モンローのことを歌った曲なんです。
 ♪ Goodbye Norma Jean
 ♪ Goodbye Norma Jean
 ♪ Goodbye
 ♪ Goodbye Norma Jean
 →MIDI INTERNATIONAL: Elton John
もちろんディランはジュディ・ガーランドのもう一つの名曲「Some where Over the Rainbow」にも触れています。
「the cosmic」という修飾語を付けて。
 →2003年9月15日付幻泉館日録@楽天
  世紀を刻んだ歌 オーバー・ザ・レインボウ
【追記】No.1
私の自己宣伝リンクをご覧になってくださると、なぜディランがジュディを隣の姉ちゃんみたいだったと語りながら、マリリン・モンローを歌ったエルトンの曲を思い出したのか、なんとなく納得できるのではないでしょうか。
ジュディが第二次世界大戦時に軍を慰問したように、マリリン・モンローは朝鮮戦争時に在韓米軍を慰問しています。
二人とも、兵士たちに守るべき「家」を思い起こさせるアイドルだったのでしょう。
スターになってしまったために幸福とは言えない短い一生を送ったジュディとマリリンは、今もやはり偶像として人々の心に中に生き続けているようです。
と、怪しい与太話を付け加えてしまいましたが、googleで「マリリン・モンロー」「慰問」と検索すると、朝鮮戦争で慰問した時のマリリン・モンローを再現したフィギュアなんぞがヒットしました。
驚き。
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CHRONICLES #40 ディランとジュークボックス

千本浜 2004年12月21日

ディランは後に親友になるニューワースのことを才能のある人物だったと書いています。
でも、あまり野心というものは持っていなかったとも。
二人は同じものを好むことが多かったそうです。
ジュークボックスの中の曲でさえ。
ジュークボックスというのは、私が高校生だった70年代前半には既にレトロな雰囲気をもったものでした。
小さいころ、あの西武が開発した箱根のスケート場でお兄さんお姉さんたちが興じているイメージ。
高校2年の高原教室では、ホテルのラウンジでこっそりかけたつもりが、大音量で響いてびっくりしてしましました。
「While My Guitar Gently Weeps」を聴くと、今でも志賀高原の夏を思い出します。
ボブとボビーが聴いていたジュークボックスは、ほとんどがジャズだったそうです。
日本のジュークボックスとはだいぶ違いますね。
 →Zoot Simms
 →Hampton Hawes
 
 →Stan Getz
 
リズム&ブルーズ(rhythm-and-blues)もあったそうです。
 →Bumble Bee Slim
 
 →Slim Galliard
 
 →Percy Mayfield
 
ディランによれば、いわゆるビート族はフォークに寛容ではあったが、別に好んでいたわけではないそうです。
好まれたのはモダンジャズ、ビバップです。
なんだかおかしいのは、ディランは実際に自分でコインを入れて、ジュディ・ガーランド(Judy Garland)の「The Man That Got Away」を何度かかけたと書いてることです。
夢中になったわけではないと言ってますが、好きな曲だったんですね。
 →The Man That Got Away Lyrics
音源を探したのですが、歌詞しかみつかりませんでした。
amazon.comあたりで試聴できることでしょう。
ジュディ・ガーランドは去年ベスト盤が出てるんですね。
すごいわあ。
ただいまp.49です。
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CHRONICLES #39 ボブとボビー

【追記】No.1
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Like Kerouac had immortalized Neal Cassady in On the Road, somebody should have immortalized Neuwirth.
ジャック・ケルアックが『路上』でニール・キャサディの名を不朽のものとしたように、誰かがニューワースの名をそうしておくべきだったのだが。
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ボブがボビーのことを語る時には、その思い入れがあふれてしまっています。
実際に二人が行なったのは「放浪」ではなかったのでしょうが、でもディランにとってはかけがえのない旅だったのでしょう。
OFFICIAL WEB SITE OF JACK KEROUAC
The Neal Cassady Experience
千本浜 2004年12月21日

「ガス灯」は混雑していたので、ディランはポーカーをやっている楽屋に行くほかに、隣の「魚鍋(Kettle of Fish)」という店にもよく遊びに行っていたようです。
もっとも、そこもいつも混雑していたというのですから、ディランはふらふらするのが好きだったのでしょう。
そこでいろいろな人を見るのがおもしろくてしかたがなかったようです。
お隣さんに出演していた人としては、こんな名前が挙がっています。
 →Richard Pryor
 
 →David Amram
 
 →Gregory Corso
 
 →Ted Joans
 
 →Fred Hellerman
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ある夜、ボビー・ニューワース(Bobby Neuwirth)という奴が友人と一緒にやってきて、大騒ぎを起こした。
その後、僕とボビーはフォーク・フェスティバルで何度か会うことになる。
最初から挑発的なやつで、あいつの自由はなにものも制することができないのがすぐにわかった。
何かに対してめちゃくちゃに反乱していた。
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ボビーはアクロンの出身で、ボブと同い年のバンジョー弾き。
ボストンの美術学校に通っていて、来年の春には田舎に帰ることになっていたそうです。
後に二人は親友になり、一緒にツアーをします。
 →A MOVIE FOR DAVID GEFFEN
ディラン19歳当時のグリニッチ・ビレッジを説明したサイトがありました。
 →Village Walking Tour
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CHRONICLES #38 ディランとポーカー

千本浜 2004年12月17日

「ガス灯」では出番が終わると演者は楽屋に上がっていったそうです。
そこでは夜通しポーカーをやっていました。
いつもそこにいたメンバーとしては、ヴァン・ロンク(Van Ronk)の他にストゥーキー(Stooky)、ロムニー(Romney)、ハル・ウォーターズ(Hal Waters)ポール・クレイトン(Paul Clayton)ルーク・ファウスト(フォースト? Luke Faust)レン・チャンドラー(Ren Chandler)の名前が挙がっています。
この中のストゥーキー(Stooky)とロムニー(Romney)が誰なのかわかりません。
Stookeyというと、Peter, Paul and Maryのポール・ストゥーキーしか知りませんが、そうなのでしょうか。
 →Noel Paul Stookey
 
そこは出入り自由で、小さなスピーカーからステージの様子が流れていました。
自分の出番が近づいたらわかるようになっていたわけです。
掛け金はニッケル(5セント)、ダイム(10セント)、クォーター(25セント)といった小銭の硬貨だったけれど、時には総掛け金(pot)が20ドルといった大勝負(?)になることもあったそうです。
ここで確認しておきますと、ディランが後に初めてレコード契約をした時に渡された当面の生活費が100ドルでした。
週末に観光客の投げ銭目当てに徹夜で演奏して得たお金が一晩20ドルで、これは悪くない金額のようでした。
さて、若造ディラン君は、正直ポーカーをしていて助言をもらったようです。
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二度目か三度目のドローでワンペアもできなければ、僕はいつもカードを伏せてゲームを投げた。
ある時チャンドラーが教えてくれた。
「ブラフのかけ方を覚えなきゃ。それをやらなきゃ、このゲームでは絶対に勝てないよ。ブラフでしくじることだって必要なんだ。後で、勝ち札を持っているのにブラフをかけていると他の連中に思わせたい時に、役に立つだろ。」
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悪いこと教えるオトナがいるもんですな。
いや、チャンドラーさんは親切なんです。
こうやってオトナの仲間入りをしていくものなんでしょう。
ポーカーの用語やルールはこちらをどうぞ。
 →ポーカーの種類とルール
ただいまp.47です。
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アンデスのケーナ

ケーナを吹く人

ぼ・う・ね・ん・か・い?
アンデスのケーナをいただきました。
ケーナを物色していたところなので、とても嬉しいです。
立派なG管ですが、まだちゃんと音が出ません。
来年の春一番を目標に、少しずつ練習しましょう。
ガス灯の楽屋風景など読んだのですが、人名をチェックしている時間がなかったのでクロニクルズはお休みします。

CHRONICLES #37 ディランと「ガス灯」

千本浜 2004年12月18日

クラウゼヴィッツに触れて「政治は力だ」と言い、バルザックに触れて「人生は金だ」と語るディラン。
これだけだとなんだかその辺にいる普通のおじさんみたいに見えますね。
でも、二十歳ぐらいのディランがやってたことは尋常ではありません。
普通のおじさんがやらなかったことです。
歌手になるという目標を決めて、そのために突っ走っているのです。
自らの定義が「歌手」なんですから、他の仕事はしません。
自分の部屋はなくてもなんとかなるから、その分の時間を人脈作りと学習に当てます。
学習といえば、フォークロア・センター(the Folklore Center)はディランにとって文字どおり「私の大学」だったのではないかと思います。
レイとクローイの部屋も大衆文化の一般教育課程のようなものですから、グリニッチビレッジが「私の大学」かな。
バルザックの話から二行空けて、いきなり「The Gaslight(ガス灯)」の話に戻ります。
覚えておいででしょうか。
ヴァン・ロンクと一緒にステージに立つことができるようになってディランが喜んでいた、あのカフェです。
 →GASLIGHT CAFE
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「ガス灯」はかぶりつきのテーブルといったような特別なものは何もなかったが、最初から最後までいつもすし詰めの混雑だった。
テーブルに腰掛ける者もいれば、壁際に立っている者もいた。
壁は煉瓦造りで、照明は暗く、パイプが剥き出しだった。
—————————————–
唐突です。
これでレイとクローイの部屋の回想は終わったのかしら。
よくわからないまま読み進みます。
—————————————–
寒い冬の夜でも、入るのに列ができた。
地階にある二つの入り口まで、人の塊が続いていた。
中にはいつもとてもたくさん人がいるので、息もできないほどだった。
どれぐらい収容できたのか知らないが、いつも一万人以上いるみたいだった。
—————————————–
ディランのおやじギャグです。
そんなに入るわけがない。
こういう状態ですから、いつも消防署長が出たり入ったりしていたそうです。
ディランはここで二十分の持ち時間で演奏をしました。
持ち歌のフォークソングを歌って、何が起こるか注意していたそうです。
はい、半端ですが、今夜はここまで。
ただいまp.46です。
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CHRONICLES #36 ディランとバルザック

千本浜 2004年12月17日

ディランの書物談義はまだ続きます。
ロバート・グレイブス(Robert Graves)の『白い女神たち(The White Goddess)』を読んだと書いています。
どうも映画『アマゾネス(The Amazoness)』(1973年)はこの人が原作者なんですね。
この映画は高校生の頃、友人たちと観に行きましたぞ。
お目当ては『燃えよドラゴン』(1973年)。
もちろん、あのブルース・リーの主演作です。
のんびり市では、この二本立てで興業していたのでありました。
あ、ロバート・グレイブスが映画になってるんですね。
来年公開のようです。
 →Poetic Unreason
 グレイブスの詩にリンクを張ってくれてます。
ディランは数年後、ロンドンでグレイブスに会います。
あれれ?
“Don’t Look Back”のころかしら。
二人でパディトン広場を元気に歩き回ったということです。
本に書いてあったことをグレイブス本人に尋ねたかったけれど、その場ではあまり思い出すことができなかったそうです。
それはそういうものですね。
それからまたまた意外なことに、ディランはあのバルザックが好きだったようです。
たくさん読んだと書いています。
『従兄ポンス(Le Cousin Pons)』はわかるんですが、『運と革(Luck and Leather)』というのはのは何なんでしょう。
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バルザックはとてもおもしろかった。
彼の哲学は平明で単純。
狂気に対する処方箋は基本的には純粋な物質主義であると言っている。
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う?ん、よくわかりません。
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B氏からはたくさん学ぶことができる。
彼を仲間として迎えることは、おもしろい。
彼は修道士のローブをはおり、絶えずコーヒーを飲み続ける。
眠り過ぎると、動きが滞ってしまうのだ。
歯の一本が抜け落ちると、こう言う。
「これはどういう意味だ?」
あらゆることを尋ねる。
彼の服はろうそくの火がついて燃える。
燃えるのはいい兆しかもしれない。
バルザックは楽しい。
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私の鬼門領域なのでありますが、確かに文豪というだけあって、バルザックは豪快さんらしいです。
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CHRONICLES #35 (Bob Dylan)

千本浜 2004年11月

昨日のゴージャズ・ジョージは強烈でしたが、読んでいて映画『ブルース・ブラザーズ』のジェームズ・ブラウンを思い出しました。
ジェイクとエルウッドが歌って踊る説教に天啓を受けてしまうところね。
ディランに聞こえた”You’re making it come alive.”は、まあ「君はそれを生きている状態にさせている」なんですが、たとえばナベサダさんの言葉だったら、「ゴキゲンだね」という誉め言葉になるんでしょう。
当然ながら、その時一緒に演奏していたバンドは例によって引き抜かれてしまいます。
他にも演奏を観ていた人がいたんですね。
またバンドのメンバーを集めようとはするのですが、結局その時から独りで演奏して歌うというスタイルを練習することになります。
「お金を払ってバンドを雇うことができるようになるまで。」
ここで、やっとクラウゼヴィッツの名前が出てくるのです。
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クラウゼヴィッツの本は時代遅れのようだったが、その中には本当のことがたくさん書いてあった。
それを読めば、慣習的な生活と環境からの圧力が理解できた。
政治が道徳に取って代わったが、政治とは暴力なのであるとクラウゼヴィッツが言う時、それは別にふざけているのではない。
それは信じなければならない。
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道義ではなく、力が人間関係を支配しているのだと、やや露悪的な書き方をしています。
その現実を直視しなければならない。
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クラウゼヴィッツはいくつかの点において預言者である。
気づかぬうちに、この本の中のいくつかのものが君の考え方を形成するかもしれない。
もしも自分が夢想家だと思うのなら、この本を読んで、自分が夢見ることさえできないのだと気づくかもしれない。
夢を見るのは危険なことだ。
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ただいまp.45です。
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70年代サブカルチャー&反原発

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