CHRONICLES #38 ディランとポーカー

千本浜 2004年12月17日

「ガス灯」では出番が終わると演者は楽屋に上がっていったそうです。
そこでは夜通しポーカーをやっていました。
いつもそこにいたメンバーとしては、ヴァン・ロンク(Van Ronk)の他にストゥーキー(Stooky)、ロムニー(Romney)、ハル・ウォーターズ(Hal Waters)ポール・クレイトン(Paul Clayton)ルーク・ファウスト(フォースト? Luke Faust)レン・チャンドラー(Ren Chandler)の名前が挙がっています。
この中のストゥーキー(Stooky)とロムニー(Romney)が誰なのかわかりません。
Stookeyというと、Peter, Paul and Maryのポール・ストゥーキーしか知りませんが、そうなのでしょうか。
 →Noel Paul Stookey
 
そこは出入り自由で、小さなスピーカーからステージの様子が流れていました。
自分の出番が近づいたらわかるようになっていたわけです。
掛け金はニッケル(5セント)、ダイム(10セント)、クォーター(25セント)といった小銭の硬貨だったけれど、時には総掛け金(pot)が20ドルといった大勝負(?)になることもあったそうです。
ここで確認しておきますと、ディランが後に初めてレコード契約をした時に渡された当面の生活費が100ドルでした。
週末に観光客の投げ銭目当てに徹夜で演奏して得たお金が一晩20ドルで、これは悪くない金額のようでした。
さて、若造ディラン君は、正直ポーカーをしていて助言をもらったようです。
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二度目か三度目のドローでワンペアもできなければ、僕はいつもカードを伏せてゲームを投げた。
ある時チャンドラーが教えてくれた。
「ブラフのかけ方を覚えなきゃ。それをやらなきゃ、このゲームでは絶対に勝てないよ。ブラフでしくじることだって必要なんだ。後で、勝ち札を持っているのにブラフをかけていると他の連中に思わせたい時に、役に立つだろ。」
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悪いこと教えるオトナがいるもんですな。
いや、チャンドラーさんは親切なんです。
こうやってオトナの仲間入りをしていくものなんでしょう。
ポーカーの用語やルールはこちらをどうぞ。
 →ポーカーの種類とルール
ただいまp.47です。
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アンデスのケーナ

ケーナを吹く人

ぼ・う・ね・ん・か・い?
アンデスのケーナをいただきました。
ケーナを物色していたところなので、とても嬉しいです。
立派なG管ですが、まだちゃんと音が出ません。
来年の春一番を目標に、少しずつ練習しましょう。
ガス灯の楽屋風景など読んだのですが、人名をチェックしている時間がなかったのでクロニクルズはお休みします。

CHRONICLES #37 ディランと「ガス灯」

千本浜 2004年12月18日

クラウゼヴィッツに触れて「政治は力だ」と言い、バルザックに触れて「人生は金だ」と語るディラン。
これだけだとなんだかその辺にいる普通のおじさんみたいに見えますね。
でも、二十歳ぐらいのディランがやってたことは尋常ではありません。
普通のおじさんがやらなかったことです。
歌手になるという目標を決めて、そのために突っ走っているのです。
自らの定義が「歌手」なんですから、他の仕事はしません。
自分の部屋はなくてもなんとかなるから、その分の時間を人脈作りと学習に当てます。
学習といえば、フォークロア・センター(the Folklore Center)はディランにとって文字どおり「私の大学」だったのではないかと思います。
レイとクローイの部屋も大衆文化の一般教育課程のようなものですから、グリニッチビレッジが「私の大学」かな。
バルザックの話から二行空けて、いきなり「The Gaslight(ガス灯)」の話に戻ります。
覚えておいででしょうか。
ヴァン・ロンクと一緒にステージに立つことができるようになってディランが喜んでいた、あのカフェです。
 →GASLIGHT CAFE
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「ガス灯」はかぶりつきのテーブルといったような特別なものは何もなかったが、最初から最後までいつもすし詰めの混雑だった。
テーブルに腰掛ける者もいれば、壁際に立っている者もいた。
壁は煉瓦造りで、照明は暗く、パイプが剥き出しだった。
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唐突です。
これでレイとクローイの部屋の回想は終わったのかしら。
よくわからないまま読み進みます。
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寒い冬の夜でも、入るのに列ができた。
地階にある二つの入り口まで、人の塊が続いていた。
中にはいつもとてもたくさん人がいるので、息もできないほどだった。
どれぐらい収容できたのか知らないが、いつも一万人以上いるみたいだった。
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ディランのおやじギャグです。
そんなに入るわけがない。
こういう状態ですから、いつも消防署長が出たり入ったりしていたそうです。
ディランはここで二十分の持ち時間で演奏をしました。
持ち歌のフォークソングを歌って、何が起こるか注意していたそうです。
はい、半端ですが、今夜はここまで。
ただいまp.46です。
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CHRONICLES #36 ディランとバルザック

千本浜 2004年12月17日

ディランの書物談義はまだ続きます。
ロバート・グレイブス(Robert Graves)の『白い女神たち(The White Goddess)』を読んだと書いています。
どうも映画『アマゾネス(The Amazoness)』(1973年)はこの人が原作者なんですね。
この映画は高校生の頃、友人たちと観に行きましたぞ。
お目当ては『燃えよドラゴン』(1973年)。
もちろん、あのブルース・リーの主演作です。
のんびり市では、この二本立てで興業していたのでありました。
あ、ロバート・グレイブスが映画になってるんですね。
来年公開のようです。
 →Poetic Unreason
 グレイブスの詩にリンクを張ってくれてます。
ディランは数年後、ロンドンでグレイブスに会います。
あれれ?
“Don’t Look Back”のころかしら。
二人でパディトン広場を元気に歩き回ったということです。
本に書いてあったことをグレイブス本人に尋ねたかったけれど、その場ではあまり思い出すことができなかったそうです。
それはそういうものですね。
それからまたまた意外なことに、ディランはあのバルザックが好きだったようです。
たくさん読んだと書いています。
『従兄ポンス(Le Cousin Pons)』はわかるんですが、『運と革(Luck and Leather)』というのはのは何なんでしょう。
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バルザックはとてもおもしろかった。
彼の哲学は平明で単純。
狂気に対する処方箋は基本的には純粋な物質主義であると言っている。
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う?ん、よくわかりません。
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B氏からはたくさん学ぶことができる。
彼を仲間として迎えることは、おもしろい。
彼は修道士のローブをはおり、絶えずコーヒーを飲み続ける。
眠り過ぎると、動きが滞ってしまうのだ。
歯の一本が抜け落ちると、こう言う。
「これはどういう意味だ?」
あらゆることを尋ねる。
彼の服はろうそくの火がついて燃える。
燃えるのはいい兆しかもしれない。
バルザックは楽しい。
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私の鬼門領域なのでありますが、確かに文豪というだけあって、バルザックは豪快さんらしいです。
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CHRONICLES #35 (Bob Dylan)

千本浜 2004年11月

昨日のゴージャズ・ジョージは強烈でしたが、読んでいて映画『ブルース・ブラザーズ』のジェームズ・ブラウンを思い出しました。
ジェイクとエルウッドが歌って踊る説教に天啓を受けてしまうところね。
ディランに聞こえた”You’re making it come alive.”は、まあ「君はそれを生きている状態にさせている」なんですが、たとえばナベサダさんの言葉だったら、「ゴキゲンだね」という誉め言葉になるんでしょう。
当然ながら、その時一緒に演奏していたバンドは例によって引き抜かれてしまいます。
他にも演奏を観ていた人がいたんですね。
またバンドのメンバーを集めようとはするのですが、結局その時から独りで演奏して歌うというスタイルを練習することになります。
「お金を払ってバンドを雇うことができるようになるまで。」
ここで、やっとクラウゼヴィッツの名前が出てくるのです。
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クラウゼヴィッツの本は時代遅れのようだったが、その中には本当のことがたくさん書いてあった。
それを読めば、慣習的な生活と環境からの圧力が理解できた。
政治が道徳に取って代わったが、政治とは暴力なのであるとクラウゼヴィッツが言う時、それは別にふざけているのではない。
それは信じなければならない。
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道義ではなく、力が人間関係を支配しているのだと、やや露悪的な書き方をしています。
その現実を直視しなければならない。
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クラウゼヴィッツはいくつかの点において預言者である。
気づかぬうちに、この本の中のいくつかのものが君の考え方を形成するかもしれない。
もしも自分が夢想家だと思うのなら、この本を読んで、自分が夢見ることさえできないのだと気づくかもしれない。
夢を見るのは危険なことだ。
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ただいまp.45です。
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ほうろくでコーヒー豆を

コーヒー豆の焙煎を始めたのです。
ずっと前からやってみたかったのね。
焙煎器なる道具はとても高いのでずっと躊躇していたのだけど、ほうろく(焙烙・炮烙)で良いのだ。
通信販売のコーヒー豆屋さんだと2千円台だが、「ほうろく」で検索すると、千円ぐらいからあった。
まだちょっとヘタクソ。
豆がはじけてから長く煎り過ぎるらしい。
煎った後は、家中が天津甘栗屋さんのように香ばしくなってしまう。
見掛けがちょっと黒いのだけど、でも、飲んでみるととてもおいしいのです。
それを見て、おっ母さんが青大豆を買って来た。
煎って食べるつもりらしい。
大豆ならかまわないが、魚はやめてもらいたいなと思った。

CHRONICLES #34 (Bob Dylan)

八幡町歩道橋 2004年12月15日

ディランのバンドが復員軍人会のロビーで演奏していても、誰も振り向いてはくれませんでした。
ところが突然ドアが開いてゴージャス・ジョージ本人が入って来ました。
これもすごいリングネームですね、ゴージャスって自分で名乗っちゃうんですよ。
「豪華絢爛ジョージ」って、あぁた、叶姉妹じゃないんだから。
で、その豪華絢爛な登場の仕方を描写するディランの筆致がおもしろいのです。
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He roared in like the storm, didn’t go through the backstage area, he came right through the lobby of the building and he seemed like forty men. It was Gorgeous George, in all his magnificent glory with all the lightning and vitality you’d expect.
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まさに一騎当千、後光がきんきらきんにまぶしいゴージャス・ジョージです。
従者が何人も付き、薔薇の花束を抱えた女性が取り囲み、長いブロンドの巻き毛がなびいていたそうです。
そして、音楽がする方向を向くと、ディランと視線を合わせ、ウィンクして言うのです。
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“You’re making it come alive.”
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さらにおかしいのは、本当にゴージャス・ジョージがそう言ったかどうかは問題ではないと、ディランが続けて書いていることです。
ゴージャス・ジョージがそうつぶやいたように、ディランに聞こえたということ、そしてそれを決して忘れてはいないということが大切なんだそうです。
自分が人に認めてもらって、それに励まされたということ。
とても嬉しかったんでしょうね。
ただいまp.44であります。
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CHRONICLES #33 (Bob Dylan)

千本浜 2004年12月14日

私が初めてクラウゼヴィッツの名を目にしてから二十年ぐらい経ったころのことだろうか。
広瀬隆さんが『クラウゼヴィッツの暗号文』という本を出したので、ふむふむと読んだ。
どうも閨閥などというのがピンと来なかった。
わたしゃ血で人を語るのが好きではないんだな。
従妹が防衛大出身の自衛官と結婚した時、うちの家族で私だけ結婚式に招待されなかった。
反戦自衛官の本を出したりしている会社にいたので、出世に関わるとでも思ったのだろうか。
その後NHKの下請け仕事をしている時には、その叔父さん(従妹の父親)が揉み手をしながら近寄ってきたのはおかしかった。
ディランが絶大な信頼を寄せていたおばあちゃんは、傷心のディランにこういったことを言います。
“There are some people you’ll never be able to win over. Just let it go–let it wear out.”
 「お前が絶対に勝てない連中もいるんだよ。それが廃れるまで放っておきなさい。」
そりゃそうなんだけど、ディラン少年の気持ちは収まりません。
せっかく作りかけたバンドを取り上げてしまう連中は、地域の議会や商店会にコネのあるやつらでした。
こういった血縁関係は、どの地域でもいたるところでさまざまに結びついていました。
なんだか丸裸にされたような気がしたと、ディランは言っています。
だからといって、それでスネるということもなかったそうです。
一族のコネはそれはそれで正当なのだと、オトナです。
コネがあるからといって誰も責めることはできない。
だからディラン少年はほとんどいつも自分のバンドを失ってしまうし、もし失ってもこれ以上ショックを受けることはなくなりました。
失ったら、また作ったのです。
とにかく演奏したい、だからバンドを作り続けました。
何度も停止して待ち続けても、認められることがほとんどありません。
それでも続けるのです。
すると、時にはこの不可解な存在の退屈さを変化させるようなウィンクや合図が訪れることもあるのです。
50年代半ば当時のディラン少年は、町の復員軍人会の建物にある州兵軍事教練場(the National Guard Armory)のロビーで演奏していたそうです。
なんだかすごい場所ですが、いろいろな催しを行なうイベント会場になっていたのですね。
ディランはここでSlim WhitmanHank SnowWebb Pierceといった歌手のステージを観たそうです。
この会場に、ゴージャス・ジョージ(Gorgeous George)という偉大なレスラーがやってきました。
 →Gorgeous George
  おっと、このサイトかなりおもしろいです。
  力道山やタイガーマスクもいます。
ゴージャス・ジョージと一緒に来たレスラーのリングネームが笑えます。
 ゴリアテ(Goliath)
 吸血鬼(The Vampire)
 竜巻(The Twister)
 絞殺魔(The Strangler)
 骨砕き(The Bone Crusher)
 厄介者(The Holy Terror)
ディランはプロレスが好きだったのでしょうか。
妙に記憶が詳しいですね。
女子プロレスや小人プロレス(midget wrestlers)も一緒に来たというのですから、田舎町ではすごいイベントだったのでしょう。
ああ、あの有名なゴージャズ・ジョージが、ディラン少年に声をかけてくれたのです。
とっても嬉しかったんですね。
その話はまた明日。
ただいまp.47です。
実はディランはまだクラウゼヴィッツのことを書いているつもりなんですよ。
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CHRONICLES #32 (Bob Dylan)

千本浜 2004年7月24日

私がクラウゼヴィッツの名を知ったのは、たぶん高校生の時に寺山修司の『さかさま世界史』といったものを読んだ時だと思います。
「怪物伝」だったか「英雄伝」だったか、覚えていません。
漠然と『戦争論』は読んでおいた方がいいんだろうなあと思って読んだのですが、どうもあまり残っていません。
似たような経緯で読んだジョルジュ・ソレルの『暴力論』の方が強烈な印象を受けたように記憶しています。
もっとも中身を全然覚えていないので、今読めばだいぶ印象が違うのでしょう。
そうそう、ベンヤミンの『暴力批判論』を読もうとして忘れていました。
ディランの場合は、クラウゼヴィッツの『戦争論』がかなり気に入ったようです。
もしかしたら、本に載っていた肖像画のためかもしれません。
詩人か俳優のような容貌に好感を持ったのでしょう。
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クラウゼヴィッツにとって、石を投げたりするのは戦争ではなかった。少なくとも、理想的な戦争ではなかった。彼は戦場において大きな役割を演じる、天候や気流といった心理的偶然的要因について多くを語っている。
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ディランの言葉に妙に力が入っているのは、実は歌手を志す前には陸軍士官学校(West Point)に入ろうかと思ったこともあるかららしいです。
これは意外です。
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Years earlier, before I knew I was going to be a singer and my mind was in full swing, I had even wanted to go to West Point. I’d always pictured myself dying in some heroic battle rather than in bed.
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思春期の少年が畳の上で死ぬより戦場で英雄的な死を遂げたいと夢見たりするのは、わからないでもありません。
でも、ディランがベトナムで死んだりしなくて良かったです。
少年ディランは、どうしたら陸軍士官学校に入れるのか、父親に尋ねたのだそうです。
すると、名前に”De”や”Von”が入っていないから、コネや身元証明書が必要だと言われました。
なんともとぼけた親父さんです。
とにかくコネを探せと。
叔父さんはもっとずっとそっけなかったそうです。
「政府のために働かなきゃいけないなんて思うな。兵隊ってのはおまんの方だ、モルモットだ。鉱山に行って働け。」
ディランは父親の「コネと身元証明書」という言葉にカチンと来たようです。
その言葉を思い出して、どうも人生ではうまく行かないことが起こるものだという回想を始めます。
自分のバンドのメンバーが揃いそうになると、誰かに持っていかれてしまう。
毎回そうだった。
演奏でお金が稼げるぞという甘言で、みんな釣られていってしまったのだそうです。
その度にディラン少年は、一緒に暮らしていたおばあちゃんに愚痴をこぼしていたのであります。
話はどこへ行ってしまうのか。
これでまだクラウゼヴィッツの話は終わってないのですよ。
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CHRONICLES #31 (Bob Dylan)

千本浜 2004年12月11日

今はamazonなんぞで本を買うことが多くなったので、本屋さんで立ち読みをすることが少なくなりました。
中学生や高校生ぐらいの時はどんなジャンルの本でもおもしろくて、何時間でもいろいろな本を読んでいたものです。
レコード屋さんでも、LPの大きなジャケットを一枚ずつ引っ張り出しては眺めていたものです。
二十歳ぐらいのディランも、何にでも目を通していたようです。
近くに大きな本屋さんがなかったそうなので、レイとクローイの部屋の本棚を隅から隅まで漁ったのでしょう。
曲がった膝の治し方、助産のやり方、寝室での虫垂切除法といった”how-to”もの。
こういった本はホットな夢を与えてくれるかもしれないとディランは書いていますが、これはヤバイなあ。
フェラーリドゥカッティのデッサンや、アマゾネスの女たち、ファラオのエジプトの本。
サーカスのアクロバットや、恋人たちや、墓地の写真集。
思いつくままにそこで見た本のことを書き出しています。
でも、やっぱり歴史物が好きなんですね。
フリードリヒ大王が作曲もしていたと知って驚いたと書いています。
詳述しているのは、クラウゼヴィッツ『戦争論(Vom Kriege)』
名前はヒンデンブルクみたいだけど、本にある肖像画では詩人のロバート・バーンズ(Robert Burns)俳優のモンゴメリー・クリフト(Montgomery Clift)みたいだと、妙な感想を書いています。
ただいまp.41です。
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70年代サブカルチャー&反原発

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