CHRONICLES #2 (Bob Dylan)


千本浜 2004年11月6日

【追記】No.2
続けて幻泉館鯖のアクセスログなのだが、teacup.comから飛んでくる人も何人かいるようだった。
懐かしフリー掲示板のteacupも、今はblogを始めたらしい。
ボブ・ディラン自伝『クロニクルズ』を読んだよという方らしい。
せっかくだからトラックバックを付けようとしたのだが、どうもうまくいかない。
楽天のせいなのか、teacupのせいなのか、わかりません。
loveminus0の“コーヒーをもう1杯”
相変わらず「出産シーン」で検索して飛んでくるんだけど、何かあったのでしょうか?
【追記】No.1
幻泉館鯖のログを見ていると、時々不思議なことがある。
今日は「search.msn.co.jp」で「出産シーン」という検索語で飛んできた人が何人もいた。
う?む。
なぜ「msn.co.jp」で「出産シーン」なのかわからない。
う?む。



さて、ボブ・ディランの自伝『クロニクルズ』に戻りましょう。
2ページ目(ノンブルはp.4)で一段落を使って、ニューヨークの街が描写されています。
いわゆる分詞構文が並び、リズムを作っています。
外では風が吹き、叢雲が流れ、赤い街灯がともる通りには雪がうずまき……といった調子です。
ウサギの毛の耳あてや、焼き栗や、マンホールからの蒸気ということで、冬の街の様子が思い浮かびます。
ニューヨークの街に詳しければ、だいたい正確な時季がわかるように書いているのしょう。
ディランはまだ自作曲が少なかったようですが、ルー・レヴィのリーズ音楽出版社と版権の契約を結びます。
ディランへの先行投資です。
書類にサインすることで、ディランは100ドルを前払いしてもらいます。
1960年ごろの100ドル。
今の金額に換算しても、そんなに大金というわけでもないと思います。
一か月暮らせる程度の、当面の生活費といったところでしょうか。
「and that was fine with me」とディランは書いています。
ボブ・ディランの偉いところは、生活のためのアルバイトをしなかったことです。
だから本当に着たきり雀。
誰かしらに食わしてもらって、とにかく歌を歌う。
それができたのだから、やっぱり天才だったんでしょう。
事務所に戻ってディランは自分のギターを爪弾きます。
乱雑な事務所の描写もいいですね。
レコードやサイン入りブロマイドが散乱しています。
音楽出版社ですが、芸能プロダクションをイメージすれば良いのでしょう。
当時ルー・レヴィの会社に所属していた歌手の名前が挙げてあります。
Jerry Vale
 →Jerry Vale collection
  リンク先で「ブルー・ベルベット」や「サンホセへの道」が聴けます。
Al Martino
 →Al Martino Welcome!
The Andrew Sisters
 →THE OFFICIAL WEB SITE
  ルー・レヴィの奥さんはこのメンバーの中にいるそうです。
Nat King Cole
 →NAT KING COLE HOUR
 キャピタルレコードのサイトで「モナリザ」「ルート66」などが聴けます。
Patti Page
 →Miss Patti Page
  なんと健在、現役バリバリ!
  11月8日が誕生日だそうですが、幻子心母と同い年ですな。
The Crew Cuts
 →The Crew Cuts
  カナダのコーラス・グループ。
  「Sh-Boom」(1954年)
ルーは葉巻をくわえたまま、オープンリールのデッキでディランの歌を録音します。
ルー・レヴィがディランの面倒を見ることになったのは、非常に有能なスカウトであるジョン・ハモンド(John Hammond)に依頼されたからです。
いわゆる敏腕プロデューサーですね。
ディランをコロンビア・レコードに連れていったのもジョン・ハモンドです。
このジョン・ハモンドが発掘してレコードを録音させた人達がまたすごいんですわ。
Billie Holiday
 →The Official Site of Billie Holiday
 →The Unofficial BILLIE HOLIDAY Website
   ファンサイトの方では音源にリンクが張ってあります。
Teddy Wilson
 →Wiki Pedia “Teddy Wilson”
Charlie Christian
 →Legend of the Jazz Guitar
Cab Calloway
 →CCO Offcial Homepage
Benny Goodman
 →Selected Artist Biography – “Benny Goodman”
Count Basie
 →Count Basie
Lionel Hampton
 →Lionel Hampton: His Life and Legacy
ジョン・ハモンドはベシー・スミス(Bessie Smith 1895-1937)の最後のレコーディングの時に指揮を執ったとも書いてあります。
まさに伝説的なスカウトなんですが、みんなジャズの人ですね。
ディランの説明によれば、当時フォークはまだガラクタみたいなもので、小さなレーベルからしかレコードが出せなかったのだそうです。
「But John was an extraordinary man.」
そんな時代に、ジョン・ハモンドは大レコード会社コロンビアに、ディランのレコードを作らせてしまうわけです。
世の中にはすごい人がいるものですな。
おっと、googleで検索したら、解説ページがありました。
http://www.pbs.org/wnet/americanmasters/database/hammond_j.html
ディランが挙げた名前以外に、Aretha Franklin, Pete Seeger, Bruce Springsteenといった名前が挙がってますね。
もちろんBob Dylanも。
同名のJohn Hammondという歌い手さんは、この超大物プロデューサーの息子さんです。
お父さんはJohn Henry Hammondで、息子さんはJohn Paul Hammondです。

CHRONICLES #2 (Bob Dylan)


千本浜 2004年11月6日

【追記】No.2
続けて幻泉館鯖のアクセスログなのだが、teacup.comから飛んでくる人も何人かいるようだった。
懐かしフリー掲示板のteacupも、今はblogを始めたらしい。
ボブ・ディラン自伝『クロニクルズ』を読んだよという方らしい。
せっかくだからトラックバックを付けようとしたのだが、どうもうまくいかない。
楽天のせいなのか、teacupのせいなのか、わかりません。
loveminus0の“コーヒーをもう1杯”
相変わらず「出産シーン」で検索して飛んでくるんだけど、何かあったのでしょうか?
【追記】No.1
幻泉館鯖のログを見ていると、時々不思議なことがある。
今日は「search.msn.co.jp」で「出産シーン」という検索語で飛んできた人が何人もいた。
う?む。
なぜ「msn.co.jp」で「出産シーン」なのかわからない。
う?む。



さて、ボブ・ディランの自伝『クロニクルズ』に戻りましょう。
2ページ目(ノンブルはp.4)で一段落を使って、ニューヨークの街が描写されています。
いわゆる分詞構文が並び、リズムを作っています。
外では風が吹き、叢雲が流れ、赤い街灯がともる通りには雪がうずまき……といった調子です。
ウサギの毛の耳あてや、焼き栗や、マンホールからの蒸気ということで、冬の街の様子が思い浮かびます。
ニューヨークの街に詳しければ、だいたい正確な時季がわかるように書いているのしょう。
ディランはまだ自作曲が少なかったようですが、ルー・レヴィのリーズ音楽出版社と版権の契約を結びます。
ディランへの先行投資です。
書類にサインすることで、ディランは100ドルを前払いしてもらいます。
1960年ごろの100ドル。
今の金額に換算しても、そんなに大金というわけでもないと思います。
一か月暮らせる程度の、当面の生活費といったところでしょうか。
「and that was fine with me」とディランは書いています。
ボブ・ディランの偉いところは、生活のためのアルバイトをしなかったことです。
だから本当に着たきり雀。
誰かしらに食わしてもらって、とにかく歌を歌う。
それができたのだから、やっぱり天才だったんでしょう。
事務所に戻ってディランは自分のギターを爪弾きます。
乱雑な事務所の描写もいいですね。
レコードやサイン入りブロマイドが散乱しています。
音楽出版社ですが、芸能プロダクションをイメージすれば良いのでしょう。
当時ルー・レヴィの会社に所属していた歌手の名前が挙げてあります。
Jerry Vale
 →Jerry Vale collection
  リンク先で「ブルー・ベルベット」や「サンホセへの道」が聴けます。
Al Martino
 →Al Martino Welcome!
The Andrew Sisters
 →THE OFFICIAL WEB SITE
  ルー・レヴィの奥さんはこのメンバーの中にいるそうです。
Nat King Cole
 →NAT KING COLE HOUR
 キャピタルレコードのサイトで「モナリザ」「ルート66」などが聴けます。
Patti Page
 →Miss Patti Page
  なんと健在、現役バリバリ!
  11月8日が誕生日だそうですが、幻子心母と同い年ですな。
The Crew Cuts
 →The Crew Cuts
  カナダのコーラス・グループ。
  「Sh-Boom」(1954年)
ルーは葉巻をくわえたまま、オープンリールのデッキでディランの歌を録音します。
ルー・レヴィがディランの面倒を見ることになったのは、非常に有能なスカウトであるジョン・ハモンド(John Hammond)に依頼されたからです。
いわゆる敏腕プロデューサーですね。
ディランをコロンビア・レコードに連れていったのもジョン・ハモンドです。
このジョン・ハモンドが発掘してレコードを録音させた人達がまたすごいんですわ。
Billie Holiday
 →The Official Site of Billie Holiday
 →The Unofficial BILLIE HOLIDAY Website
   ファンサイトの方では音源にリンクが張ってあります。
Teddy Wilson
 →Wiki Pedia “Teddy Wilson”
Charlie Christian
 →Legend of the Jazz Guitar
Cab Calloway
 →CCO Offcial Homepage
Benny Goodman
 →Selected Artist Biography – “Benny Goodman”
Count Basie
 →Count Basie
Lionel Hampton
 →Lionel Hampton: His Life and Legacy
ジョン・ハモンドはベシー・スミス(Bessie Smith 1895-1937)の最後のレコーディングの時に指揮を執ったとも書いてあります。
まさに伝説的なスカウトなんですが、みんなジャズの人ですね。
ディランの説明によれば、当時フォークはまだガラクタみたいなもので、小さなレーベルからしかレコードが出せなかったのだそうです。
「But John was an extraordinary man.」
そんな時代に、ジョン・ハモンドは大レコード会社コロンビアに、ディランのレコードを作らせてしまうわけです。
世の中にはすごい人がいるものですな。
おっと、googleで検索したら、解説ページがありました。
http://www.pbs.org/wnet/americanmasters/database/hammond_j.html
ディランが挙げた名前以外に、Aretha Franklin, Pete Seeger, Bruce Springsteenといった名前が挙がってますね。
もちろんBob Dylanも。
同名のJohn Hammondという歌い手さんは、この超大物プロデューサーの息子さんです。
お父さんはJohn Henry Hammondで、息子さんはJohn Paul Hammondです。

グリニッチ・ビレッジの青春


千本浜 2004年11月5日

【追記】No.2
ところでボブ・ディランの自伝『クロニクルズ』(Bob Dylan “Chronicles: Volume One”)日本語版はどこから出るのだろう。
これは少し心配だ。
ん、楽しみなのかな。
私が今も腹を立てている翻訳本というのがあって、けっしてその出版社からは出してほしくないと思っているのだ。
一社はソニー・マガジンズ。
ポール・サモン著『メイキング・オブ・ブレードランナー』には、トンデモ訳大賞の銀賞を進呈したい。
監訳の長谷川四郎さんという方には、恥という言葉をどこかから拾ってきていただきたい。
もう一社は文藝春秋社。
ノーム・チョムスキー著『9.11』の訳書には、トンデモ訳大賞の金賞を進呈したい。
山崎淳さんという訳者は、そこまでチョムスキーが憎いのかと誉めてさしあげよう。
もっとも、誰が信用できないかという基準には良かったですよ。
もちろん翻訳本誉めてた人は、信用すべきではないということです。
ボブ・ディランの自伝を、こういったいいかげんな翻訳で出してほしくないものだ。
というのも、一見平易な言葉で書いてあるのだが、恥辱のトンデモ訳大賞金賞受賞者山崎淳のような人が訳すと、内容が本当にとんでもないものになってしまいそうだから。
ちゃんとわかってる人が訳さないといかんでしょ。
片桐ユズルさんが適当なのか、菅野ヘッケルさんが適当なのか、よくわかりません。
ただ、その程度の水準でボブ・ディランを知っている人でないと、無理だと思いますよ。
実はリットーミュージックから出た『THE BEATLES アンソロジー』も誤訳曲訳疑惑がたくさんあるのですが、まだ全然チェックしていないので、これは番外疑惑賞にとどめておきましょう。
ボブ・ディラン自伝『クロニクルズ』、どこから訳書が出るか知りませんが、いいかげんな仕事したら、ただじゃおかんぜえ?。
のんびりと原書を読みながら、楽しみにしておりますぞ。
【追記】No.1
映画のロケ地ガイドなのですが、ニューヨークをわかりやすく説明してくれているので、ここにメモしておきます。
ニューヨーク ロケ地ガイド



ボブ・ディランの『クロニクルズ』をさっさと読み進めろという声もあるかもしれませんが、ここでちょっと思い出したことを書いておきます。
私の心のベスト10に上位入賞するはずの映画に『ハリーとトント』(1974年)があります。
ポール・マザースキー監督の作品です。
たぶん『結婚しない女』(1978年)が評価が高いのだと思いますが、私の場合はなんてったって『ハリーとトント』です。
マザースキーさんは役者としてハリウッドでデビューした人で、『暴力教室』(1955年)に出演していたりします。
松田優作さんが出ていた映画じゃありませんよ。
もっとずっと前の、いわゆる名画です。
若きボブ・ディランが小さなスタジオで感激していた、あのビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」は、この『暴力教室』の主題歌です。
役者を目指していた若き日のマザースキー監督が、役者や作家や音楽家の卵たちと青春の日々を送ったのがグリニッチ・ビレッジ。
彼の自伝的映画がそのままのタイトルで『グリニッチ・ビレッジの青春』(1976年)です。
『グリニッチ・ビレッジの青春』はチャンスをつかんだ青年がハリウッドに旅立つところで終わるのですが、後味はあまりよくありません。
若者たちの個性も、エピソードも、悪くないと思うのですが、妙にほろ苦いのです。
身につまされるところがあるのかな。
主人公たちが真似をする台詞は『欲望という名の電車』だったでしょうか。
似たようなことを、井の頭公園の野外ステージに深夜やったことがあります。
私たちの場合はつかこうへいさんの芝居でした。
『欲望という名の電車』が映画化された時の監督はエリア・カザンだったでしょうか。
マッカーシーという名の議員がでっちあげた内容の演説で反共を煽ったのが1950年の初め。
ハリウッドでも熾烈な「赤狩り」が行なわれ、エリア・カザンは映画界の仲間を密告しました。
1952年4月に、エリア・カザンは八人の映画人を共産主義者であると指名しました。
さらに、新聞紙上で密告を奨励しました。
名作『エデンの東』の監督であるこの名匠は、この件で裏切り者の烙印を押され、それは終生消えることがありませんでした。
1999年のアカデミー賞受賞式では、エリア・カザンの生涯功労賞を賞賛する者と反対する者に分かれました。
半世紀近く経っても、まだ彼を許せない者が数多くいたのです。
「エリア・カザンのやったこと」
1930年生まれのポール・マザースキー監督は、50年代にグリニッチ・ビレッジの青春を送りました。
1941年生まれのボブ・ディランはその十年後に、グリニッチ・ビレッジで青春を送り、そしてチャンスをつかんだのです。
ところで、ボブ・ディランというとなんとなくアメリカ各地を放浪しながら歌を歌っていたような錯覚を抱いてしまいがちですが、それは虚像です。
本人がそういう伝説作りに加担していたフシもあります。
ウディ・ガスリーのイメージを自分に利用したという感じでしょうか。
高校時代はバンドを作って流行のロックンロールを演奏し、大学を中退してグリニッチ・ビレッジに行き、これまた流行のフォークをやってライブスポット(コーヒー・ハウス)で歌う。
ボブ・ディラン、なんだか意外に普通なんです。
もちろん、彼の歌は非凡なものですよ。

CHRONICLES #1 (Bob Dylan)


八幡町歩道橋 2004年11月4日

【追記】No.2
何の映像だったのか。
イギリス(という国はないのだが)のブレア首相が大統領選の話をしている。
周囲に「あれ?」と思わせておいて、最後に「アフガニスタンのカザル大統領は」と落とす。
アフガニスタンでも大統領選があったのだ。
周囲にかなりウケていて本人も御機嫌だったのだが、非常に不愉快な気分になった。
つまり、本音の部分での、傲岸不遜さである。
言葉の字面だけだと何の問題もないのだが、「な?んだアフガニスタンの話かよ」と、アフガニスタンの大統領選挙をオチにしてしまったことだ。
話し手と聞き手の間に、暗黙の価値観がある。
アメリカ(という国もないのだが)の大統領選挙の結果は一大事だが、アフガニスタンはね。
その落差が笑いになる。
他国を侵略して植民地を持っていた大国の傲慢さは、今もこんなふうに日常的に現われる。
もちろん日本もそうだ。
【追記】No.1
テレビをつけると清志郎さんの声が。
 ♪ 幸せになりたいけど
 ♪ ガンバリたくな?い
通りをギター弾きながら忌野清志郎さんが歌って歩いてる。
グロンサンのCMなんだ。
この町、なんかよく知ってる風景みたい。
どこだろ?
気になって夜も眠れない。
それでgoogle検索しました。
CMのオフィシャルサイトがあるんですね。
gronsan.com
な?んだ、やっぱり☆☆☆☆か?。
☆☆橋だ。
ギターは1950年製ギブソン「J-20」なんですね。
歌の楽譜までありました。



ボブ・ディランの自伝『クロニクルズ』(Bob Dylan “CHRONICLES VOLUME ONE”)なんだけど、読んだ先からどんどん忘れていって人の名前がわからなくなるので、ちょっとメモしておこう。
既刊の第一巻(VOLUME ONE)は五章仕立て。
第一章は「Markin’up the Score」。
楽譜、つまり曲の値上げのことだと思うんだけど、評価かもしれない。
最初に出てくる人がルー・レヴィ(Lou Levy)といって、リーズ音楽出版社(Leeds Music Publishing company)の社長さん。
ウエスト・コースト・ジャズのピアノ弾きで同じ名前の人がいるんだけど、同一人物なのかしら。
これがまずわからない。
あ、あった。
ピアニストのルー・レヴィは1928年生まれで2001年没。
別人だ。
こちらのルー・レヴィは1912年生まれで1995年没。
ASCAP(American Society of Composers, Authors and Publishers)のホームページに人物紹介がありました。
1930年代にティンパンアレーで仕事を始めたとありますね。
プロデビューをする若きボブ・ディランが、このやり手のおっちゃんに連れられてタクシーで小さなスタジオに行きます。
ビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツが「ロック・アラウンド・ザ・クロック」を録音したスタジオです。
実はロックンロール小僧だったディランが嬉しそうに書いてます。
それからジャック・デンプシーがやってるレストランへ連れていってもらいます。
なんだかおのぼりさんみたいね。
ジャック・デンプシー(1895-1983)はもちろんボクシングの元ヘビー級チャンピオン。
「クロニクル」のくせに何年のできごとか書いてないのでわかりませんが、ボブ・ディランとしてデビューする直前なんですから、60年代冒頭。
もう結構いい歳になった元チャンピオンが、若きボブ君に向けて握り拳を突き出します。
「重量級にしちゃ軽すぎるな。もう少し体重増やさないと。」
ルー・レヴィが「こいつはボクサーじゃないんだよ」と誤解を解くのですが、なかなかいい出だしでしょ。
300ページ近い本の、これでまだ最初の一ページ。
メモになりませんな。
人の名前がわからないのは、かえっていいかもしれない。
いろいろ調べながらゆっくり楽しめます。

ブルーにこんがらがって

【追記】No.3
幻泉館大菜園 2004年10月24日ぐずぐずしていた空だが、午後から晴れ上がる。
選挙の投票と畑仕事に出かけて、一服しているところ。
これからまたちょっと仕事をして、浜へ夕陽を見に行こう。
選挙は市長選挙。
現職と元市長の対決。
というとかっこいいが、どちらも建設官僚の天下りだ。
元市長が国会選挙に出て敗れたので、こんなことになってしまった。
現職は元市長の政策を引き継いでいるので、元市長はかつての自分の施策を否定するというばかばかしい選挙になって、有権者は白けきっています。
それでも棄権は悔しいので、いわゆる批判票を投じてきました。
畑は何といっても柿ですよ、柿。
赤みの濃いものを70ほど採ってきましたが、まだまだこれから。
甘い「富有」です。
蓼の花がたくさん咲いていました。
薬味に使う植物で、「蓼食う虫」の蓼です。
葉をすりおろして酢と混ぜたものが蓼酢。
鮎の塩焼きなんぞに添えますね。
柿の渋抜きにも使うそうですが、試したことはありません。
【追記】No.2
ところで今日の日記のタイトルはもちろんボブ・ディラン御大の「Tangled Up in Blue」から採ったものです。
御大の場合はbobdylan.comで歌詞を見ることができるので、実に便利。
「Tangled Up in Blue」
英語はちょっとという方、今は便利なものがありまんにゃ。
URLを入力すると、ページをそのまんま翻訳して表示してくれるサービス。
これで実に明解に……
excite翻訳 英→日「Tangled Up in Blue」
……う?ん、かえってこんがらがってしまうかな。
【追記】No.1
新潟ではまだ地震が続いているらしい。
電気・ガス・水道といったライフラインを絶たれて、温かく眠る場所を確保するのも困難な方たちも多いそうだ。
疲労が限界を超える前に、なんとか十分な救援がいきわたってほしいものだ。
特に独居老人が心配だ。
今から四十年前、東京オリンピックの年の6月に新潟で発生した地震は、石油化学コンビナート火災を引き起こした。
下のリンク先、消防防災博物館から引用する。
消防防災博物館
——————————————————————-
また、石油コンビナート災害には、昭和39年6月16日に発生した新潟地震により、石油コンビナート地帯で発生した原油タンク火災がある。これに対応する化学消防自動車及び消火剤が新潟市では不足したため、東京消防庁から化学消防自動車5台と応援隊員36人が、高岡市消防本部から化学消防自動車1台と応援隊員7人が、さらに石油連盟からも化学消防自動車5台が応援出動した。消火剤はトラックにより陸送したが、それでも不足したため航空自衛隊、在日米軍の協力を得て空路による緊急輸送が行われた。この大規模油火災に出場した消防自動車は延べ255台、消火活動にあたった消防職団員2,173人、使用した消火薬剤はエアフォーム原液約100キロリットル、ドライケミカル消火剤約3,000キロリットルに達した。
——————————————————————-
これだけの消火活動にもかかわらず、タンクは二週間燃え続けた。
二週間後に消火できたのではない。
自然鎮火である。
東京消防庁 公開情報
当時幻泉館地方では、二市一町の住民が石油化学コンビナート反対運動を繰り広げていたのだが、この新潟の石油化学コンビナート火災が住民運動の勝利を決定づけたといってもよい。
「安全だ」と言われる大規模開発がどれだけ恐ろしい結果を招くことがあるのか、目の当たりに見せてくれたのだ。
おかげで、高度成長期に反開発の住民運動が勝利を収めた希有な例となった。
追い出されたコンビナートは関東地方に計画を変更した。
それが鹿島だったのか千葉だったのかは知らない。
新潟や鹿島(?)の方々には申し訳ないと思う。
私たちの町には富士山の湧水と、きれいな夕陽の沈む浜が残った。



amazonでボブ・ディランの自伝を見つけたので、即購入。
『Chronicles: Volume One』
(Simon & Schuster, $24:悪税込 2067円)
まだ出たばかりなんだな。
三巻本で出る予定の一冊目らしい。
そんなニュースを知らなかったので驚いた。
これまた即届いたのだが、今ちょっと読んでいる時間がないかな。
読んだぜという報告でなくてすみません。
買ったぜ、です。
これからぼちぼちと読むのです。
ぱらぱらと眺めると、タイトルは「Chronicles(年代記)」なのに、なんだか時系列に従って書いてはいないようだ。
きっとブルーにこんがらがって(Tangled up in Blue)いるんでしょう。
まあとりあえずデビュー前のことが書いてあるのでいいのだが。
固有名詞がよくわからん。
ハードカバーで2067円(amazon.co.jp 悪税込)は安いなあと思っていたら、やっぱり紙や印刷製本はあまり良くない。
カバーはきれいなので、飾りにはいいですぜ。
一応楽天市場で検索したけど、扱ってる店はありませんでした。
念の為。

Bob Dylan CHRONICLES

井上陽水「いつのまにか少女は」(1973年)

【追記】No.1
さっき加藤登紀子さんのライブアルバムを聴いたのですが、その中で「子供産んだからといって大人になるわけじゃないし」と言ってました。

ね、いくつになっても少女の方も、少年の方もいるわけです。
外見はともかくさ。


僕が一番好きな陽水さんの曲は「桜三月散歩道」です。
と、以前書いたことがありますね。
井上陽水「桜三月散歩道」(1973年)
長谷邦夫さんの描く狂気がたまらなく好きなんです。

二番目に好きな曲もすぐに言うことができます。
こんなふうにパッとベスト1、ベスト2を挙げられる人は他にいません。

「いつのまにか少女は」(1973年)

 ♪ 君は どこで生まれたの
 ♪ 育って きたの

ここがとても好きなんです。
出会った少女のことをとても知りたいなと思う、あの感じ。
君のことがとても知りたいんだ。
言えなかったよね、そんなこと。

ところが、とても好きな歌詞のすぐ後に、ツッコミいれたくなる言葉が出てきてしまうんです。

 ♪ 君は静かに 音もたてずに
 ♪ 大人に なった

「静かに」はまあいいんですが、「音もたてずに」はどうなんでしょう。
ガラガラ ガッシャーン!
とか
むにゅむにゅ むりむり?
音たてたら、変でしょ。

好きな曲でこれだけ変だと思うのは、他にはありません。
単にツッコミ入れたくなる曲は、めちゃくちゃたくさんあるのですが、一つだけ。

五輪真弓さんの
「恋人よ」(1980年)

 ♪ 砂利道を 駆け足で
 ♪ マラソン人が行き過ぎる

「マラソン人(びと)」です。
「マラソン」に、やまとことばの「ひと」がくっついている。
う?ん、すごい、すごすぎる。
でも、「マラソン人(じん)」と読んだらもっとすごいな。
元々地名が競技名になっているので、彼の国の人を指しているようでもあります。
ん?
本当は「ジョギング人」ではなかろうか。

これが松任谷由実さん、ユーミンの「春よ、来い」(1994年)だと、文語と口語の混ざり具合のめちゃくちゃさが、私はもうダメです。
気持ち悪い。
中島みゆきさんだったら、絶対こんな言葉遣いはしないでしょう。
ブレイク後のユーミンは、この言葉のゆるさ加減が、まさに良くも悪くもニューミュージックなのだと思います。

陽水さんの「いつのまにか少女は」は、1973年に出たライブ盤『陽水ライヴ もどり道』で繰り返して聴きました。
とても好きなアルバムです。
その前年、高校1年の時にRCサクセションと一緒にのんびり市でやったライブを観に行ったのです。
このアルバムとよく似た雰囲気のコンサートでした。

「あかずの踏み切り」は『氷の世界』に入っているものと、メロディが違います。
『もどり道』は陽水さんの作曲、『氷の世界』は星勝さんの作曲だったと思います。
私はアコースティックな『もどり道』バージョンの方が好きです。

『陽水ライヴ もどり道』(1973年)
陽水ライヴ もどり道1. 夏まつり
2. いつのまにか少女は
3. 紙飛行機
4. あかずの踏み切り
5. たいくつ
6. 人生が二度あれは
7. 帰郷(危篤電報を受け取って)
8. 感謝知らずの女
9. 愛は君
10. 東へ西へ
11. 家へお帰り
12. 傘がない
13. 星(終りのテーマ)
14. 夢の中へ

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祭りの準備

【追記】No.4
またまたあいもわらずヒナのひるね。

春の日差しになり、廊下に日の当たる部分が減りました。
このサンルーム(廊下)は冬場は陽光が入りますが、夏場は太陽が高く昇るので日光が差し込みません。
つまり、冬暖かくて夏涼しいのです。
いかにも猫が昼寝してそうでしょ。

実際、昼間はここで寝ていることが多いのです。

ヒナのひるね 2004年2月28日

【追記】No.3
すっかり失念しておりました。
この映画はDr.悠々さんが1月15日の日記で紹介しています。
映画の詳細はそちらでどうぞ。

【追記】No.2
ところで、星紀市さんという方が砂川反戦闘争を撮ったドキュメンタリー映画があります。

『塹壕』(1971年)
『大地の砦』(1978年)

たぶん四谷公会堂あたりの上映会へ見に行ったのですが、ナレーションが原田芳雄さんだったので驚いた覚えがあります。

【追記】No.1
今日の日記タイトルは、もちろん黒木和雄監督の映画『祭りの準備』(1975年)から頂いたものです。
脚本家中島丈博さんの自伝的(?)作品ですね。

同じ大学に進学した高校の同級生が、「竹下景子が脱いでるぞ!」と騒いでいたのを覚えています。
ところが、私は当時テレビを見ていなかったので、竹下景子さんがわからない。
ずっと桂木梨江さんのことを竹下景子さんだと思い込んでいました。
ずっと後になって『クイズダービー』か何かを見て、あ、と間違いに気づきました。

主演の江藤潤さんは、テレビ版の『青春の門』で主役を演じましたね。
最近見た覚えがないのですが、お元気なんでしょうか。


選手名鑑私は以前、近所の郊外型大書店に毎日通っておりました。
新刊書籍や雑誌をチェックしてから出かけるのが日課でした。
それが、amazonでほいほい注文できるようになって、めっきり頻度が落ちました。
品揃えが違うからなあ。
でも、雑誌は困るのね。
買い逃しが増えたかも。

毎年この時期になると、Jリーグやプロ野球の選手名鑑を購入します。
そして、今年は夢中になって応援したいなあという祈ります。
でも、プロ野球はもう本当に長いことノリそびれてます。
Jリーグもごひいきの御当地蜜柑色チームが優勝争いから脱落すると、意識が遠くへ行ってしまいます。
ああ、アレックス。

選手名鑑はコンビニでも買えるのですが、なるべく揃って買ってしまいたいので、少し疎遠になった大型書店に行ってきました。

サッカーと野球は、文庫版の日刊スポーツグラフを買います。
安いし、かさばらないので何年もとっておきます。
野球の方はスカイパーフェクTVがまったく同じものを無料配付してましたな。
今年はまだ野球の方しか出ていないようです。

それとは別に、「週刊サッカーマガジン」と「週刊ベースボール」の、選手名鑑が掲載される特別号も買います。
ただ、これは買い逃す年も多いですね。
今年はばっちり買いました。
どのチームも、今年は頑張れよと、まだ実にいい感じ。
ひさびさに記事を読むのが楽しいです。

春だよね。

文芸ポストで、実際に本屋さんに行くとついついいろいろな雑誌をチェックして、余計なものを買い込んでしまいます。
今回は「文芸ポスト」にひっかかってしまいました。
一時期の「月刊カドカワ」みたいな感じ。。
文芸雑誌のような体裁をした音楽雑誌、かと思えばやっぱり文芸雑誌?

今回の特集は、[中島みゆきの「詞世界」散策]。
この特集に惹かれて買ったと思うでしょ?
違うんです。
特集には全然期待しておりません。

ただただ一つの記事が読みたかったから。
獄中告白 殺人未遂犯・幸月「遍路逃亡の果てに」
先日実刑判決が出てましたね。

殺人未遂容疑で指名手配されていた八十歳の人物が、NHKのドキュメンタリー番組で紹介されたために身元がバレて逮捕されたのです。
それが昨年の夏。
生江有二さんが書いてます。

あ、それから結局あの「文藝春秋」も買ってしまいました。
ちょっと悔しい。
芥川賞受賞作、そのうち読むことでしょう。

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邪宗門

【追記】No.4
chappiさんが書いてくれたように、高橋和巳さんの小説はどれも破滅に向かっている暗い物語です。
やっぱり今の高校生大学生は読まないようですね。
登場人物の苦悩に、説明が必要なのかもしれません。

画像を載せた全集版『邪宗門』は、もう私の手元にはありません。
お話をうかがった大本の方に差し上げてきました。

【追記】No.3
オウム真理教教祖への死刑判決が出たようだ。

信者にとっては、彼が生き恥を晒すよりも殉教をしてくれた方がわかりやすいのではないだろうか。
まだ最高裁まで長い時間がかかるし、執行がいつになるかわからないが、死刑執行後夢枕にでもたってくれれば、それで「復活」の伝説までできてしまう。

信者への一連の判決からみれば、妥当な判決なのだろう。
しかし、逮捕後うまく立ち回って死刑を逃れた者や、起訴さえされなかった責任者がいるのは、不公平だ。
そう、元医師や、元「法皇官房」長官。
口先だけでなんとか死刑を逃れたり、有力な縁故者のおかげで逃げおおせたのではないだろうか。

一般信者のオタク的宗教活動を経済的基盤として、責任者のその場しのぎの決定が、前代未聞の地下鉄サリン攻撃を引き起こし、世界を震撼させた。
連合赤軍兵士の手記に共感できる部分はあるが、オウム真理教事件にはまったく共感できる部分がない。
それでも、どうにも気になる事件である。

しかし、犯罪は時をかまわず発生しているのだが、年度末に判決がまとめて出るのはなにか奇異な感じがする。

あ、これは書いておこう。
私は死刑という制度には反対だ。
基準がブレてはいけない。
どんなに凶悪な犯罪者であろうと、国家による死罪は認めない。
ましてや、他国の元首を殺すために爆撃を行なうなんてことも不正義であると思う。

【追記】No.2
あら、今日も午後一時から緊急メンテナンスですね。
いろいろ不都合があるんでしょうね。

それにしても「メールで保存」、昨日一度だけメールが来たので直ったかと思ったのですが、あの一度だけでした。

【追記】No.1
2月26日の夕陽画像、更新しました。

[I Love Sunset!] 夕陽が好き!
千本浜 2004年2月26日


幻泉館主人は温和な性格なので、あまり他人様の間違いをあげつらったりはしないのですよ。
でも、どうにも気になるニュースがあったので、余計なことを言っておきます。

千葉大学の入試問題出題ミスです。
教育学部スポーツ科学課程の総合テスト(記述式)。
朝日新聞の記事だけなので詳細がわかりませんが、サッカー日本代表トルシエ監督に関する説明が「日本代表チームを初めてワールドカップに導き、ベスト8という快挙を成し遂げた」。

サッカーが嫌いな人はともかく、韓日W杯を熱く観戦した人なら、この部分に二つの間違いがあることにすぐ気づくと思います。
日本代表チームのワールドカップ初出場は岡田武史監督。
日本代表チームはベスト16。

この程度の間違いは、普段ならアホやなあと笑って済ませることができます。
ところが、この問題は「サッカー日本代表チームのジーコ監督のチームづくりについて800字以内で答える」というものなのです。
これでは笑って済ませることができない。
出題者は、何をどう採点するつもりだったのか。

千葉大学教育学部には、受験生を選抜する能力がない。

私は元々大学入試センター試験は不要だと考えておりました。
まさに行政改革で切り捨てるべき機関が、大学入試センターです。
センター試験は、河合塾などの大手予備校が発表する「ボーダーライン予想」がなければ、まったく意味を持ちません。
そんな半端な行政は切り捨てるべきだと思うのです。

自前で受験生を選抜することができない大学は、選抜しなければいいのです。
つまり、入学希望者は全員入学させればよろしい。
初年度は混乱するかもしれませんが、すぐに落ち着くはずです。


去年の初夏のことだが、珍しく休日が続いたので県境の町まで足を伸ばして、大本の方の話を聞きに行った。
暮れに家出のすすめと題して書いたのだが、高橋和巳さんが『邪宗門』に仕掛けた「ひのもと救霊会」の自殺容認に関して質するのが、その本筋。

邪宗門『邪宗門』は高校生の時に講談社文庫で出ていた版を買って読んだのが、最初でした。
「おかえり」と迎えてくれるあたたかい場所が、「死んでもいいんだよ」と包んでくれるという設定は、魅力的だと思いました。
それが虚構を構築するうえでの創作なのか、モデルとなった大本が本当にそうなのか、確かめたかったのです。

公式に「自殺をしてもいいんだよ」と言うはずもないのですが、その訪問にはもう一つ目的がありました。
かなり高齢な方なので、若い頃に出口王仁三郎氏を直接知っている可能性があったのです。
国家神道と原理的に真っ向から対決することによってその神殿を爆破された大本。
その中心にいた王仁三郎という人物に興味があったのです。

残念なことに直接経験としての王仁三郎像を聞くことはできなかったのですが、浄土真宗で言えば妙高人のように生きた、優しいお母さんのことを聞くことができました。

五島勉『ノストラダムスの大予言』(1973年)というひどいタイトルで触れたことがあるのですが、オウム真理教の事件といえば、私はこの小説『邪宗門』を思い出すのです。

オウムが宗教ではないとか、単なる宗教カルトであると切って捨ててしまうのには抵抗があります。
doom cultオウム真理教の信者はアホだとは思いますが、それでもあれは宗教だと私は考えています。
邪宗は邪宗なのでしょう。
私は絶対に信者にはなりません。
でも、たとえば連合赤軍事件やM君による連続少女殺人事件と同様に、「おまえはどうなんだ?」と問い掛けてくる事件なんです。

オウム なぜ宗教はテロリズムを生んだか昨年の2月に隅田川乱一さんの『穴が開いちゃったりして』(石風社)と一緒にbk1に注文したのが、島田裕巳さんの『オウム なぜ宗教はテロリズムを生んだのか』(トランスビュー)。

島田裕巳さんは実にとぼけた雰囲気の宗教学者です。
オウム事件のころにオウム真理教のシンパと看做されたり、マンションに火炎瓶かなんか仕掛けられたりした挙げ句、おそらくそのせいで大学の職を失っちゃった人です。
別にオウムのシンパじゃありませんよ。

ちくま新書から出ている『日本人の神はどこにいるか』という本なんかがお薦めです。
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教という一神教の本質を知るのによろしいです。
少なくとも少し前によく売れたらしい岸田秀&三浦雅士の『一神教vs多神教』よりはまともだと思います。

で、オウム事件以降、島田さんがオウムのことどう言っているのか知らないので、読みたいと思って注文したのです。
冒頭部分を読んだ時のメモがあったので、転記しておきます。

【島田裕巳『オウム なぜ宗教はテロリズムを生んだのか』メモ】
島田さんがまず問題として指摘するのは、石川公一氏の釈放である。
麻原の三女アーチャリーが長官であった「法皇官房庁」の次官であり、東大医学部に在籍していた人物である。
まさに組織の中枢にいた人物の不起訴は私も異様に感じた。
有力政治家が強引に不起訴にしたという噂が当時流れたほどである。

1995年3月18日午前2時ごろ、東京都杉並区の教団経営飲食店から上九一色村に向けてリムジンが出発した。
その車中で、警察の強制操作を遅らせる手段が話し合われている。
乗車していたのは、麻原・村井・遠藤・青山・井上・石川。
裁判で石川は同乗を認めたが、サリンの部分に関しては「聞こえなかった」と証言したので、謀議には加わらなかったことになってしまったのである。

島田さんは正直な人なので、「石川の証言が信じられない」と書いている。
オウムにおける「法皇官房」とは、いわゆるエリートによる意志決定機関であり、石井久子や井上といった古くからの側近を跳び超えて、オウムが生き延びるために作られたものである。
林郁夫の著書『オウムと私』によれば、まさにこのエリートである井上公一と弁護士青山吉伸のグループが1994年の段階で、情報操作のシステムを作り上げた。
教団が武装化に突き進む中で青山・石川の果たした役割は大きい。
青山は裁判から逃げることに失敗したが、石川は完全に逃げおおせてしまったのである。

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友部正人&加川良

【追記】No.4
今日も今日とて浜へ夕陽を眺めに参りました。
よく晴れていたのに、風が強いこと。
だいぶ暖かくなったとはいえ、顔がぐじゃぐじゃになりました。

画像は夜中にアップします。

千本浜 2004年2月26日

【追記】No.3
友部正人さんの「トーキング自動車レースブルース」には、

 ♪ もうずっとたたずんでいた 僕とコサイ君

というフレーズが出てきますが、この「コサイ君」というのは加川良さんのことです。
あだ名ではなくて、そちらが本名です。

加川良さんは御本人の歌よりも、大メジャーになってしまった吉田拓郎さんの「加川良の手紙」の方が有名かもしれませんね。

この曲はアルバム録音中に曲数が足りないと、拓郎さんがコサイさんにSOSを出して、歌詞をもらったんだそうです。
本当はどんなメロディが付くはずだったんでしょうか。

【追記】No.2
前にも書きましたが、加川良さんが歌っている「その朝」は、Nitty Gritty Dirt Bandで有名な「永遠の絆(Will the Circle Be Unbroken)」です。
とてもいい曲で、武蔵野タンポポ団の演奏では若林純夫さんが歌っているし、なぎらけん壱さんはライブ盤のアルバムタイトルにまでしました。

なぎらさんのライブ盤では、ゲストで加川良さんがドラムを叩いています。
そういえばこの人はURCに就職する前は、R&Bのバンドをやってたんですよね。

これも前に書きましたが、1st『教訓』(1971年)の初回プレスには、「その朝」は入っていません。
A面の最後には「働くな」という曲が入っていました。
作詞作曲が加川良と書いてあるのだけど、実際は他の人の作詞だったからです。

【追記】No.1
以前ぐっち君(仮名♂二十代)から、私のPCのmp3に「民謡みたいなの入ってますね」と言われた。
加川良さんのことであった。
ま、ひとびと(folk)うた(song)なんで、確かに民謡なのではあるが。
そんな彼は、Tommy Februaryが大好きなのであります。

そういえばぐっち君に吉田秋生さんの本を貸したら、「すっごい昔のマンガですねぇ」と言っていた。
あれは最近じゃん、と思ったら、確かにもうだいぶ昔のマンガなのではあった。

しかし、「メールで保存」のメールが来ないなあ。


楽天広場のシステム改良、評判の悪いカウンターだが、私は画像からテキスト化したのには賛成。
日記の書き込みも使いやすくなっている。
ただただ、バックアップ用のメールが届かないのが残念。
お?い、ちゃんと動いてないよ?。

友部正人&加川良 URC編夜なべ仕事。
こういう時は試験前の高校生と同じで、机の周りをかたづけたくなったりする。
ギターをいじりたくなる。
ああ、夜泣き歌、歌いたい。

で、結局マイベストMDを作ることにする。
まあ、逃避でござる。
そんなふうにしてボブ・ディランのマイ・ベストMDやら、高田渡さんのマイ・ベストMDやらを作ったりしたのです。

今夜はたまたま引っ張り出した4枚のCDからセレクトして1枚のMDに収めるという、安直な作業。
え?っと、友部正人さんと加川良さんがURCから出した1枚目のアルバムと2枚目のアルバム。

ええ、ずいぶん失礼な作業ですよ。
4枚とも傑作と呼ばれるようなアルバムなんですから。
選曲に関しては異論のある方も多いことでありましょうが、今の気分ではこんな感じ。

だいたいこれを1枚のMDに収めて、車を運転しながら聴いたり、仕事をしながら聴いたり、それは変です。

マイベストMD「友部正人&加川良 URC編」
1. 乾杯
2. 一本道
3. にんじん
4. トーキング自動車レースブルース
5. 大阪へやって来た
6. まるで正直者のように
7. こもりうた
8. 下宿屋
9. 親愛なるQに捧ぐ
10. 戦争しましょう
11. その朝
12. 伝道

1?4 『にんじん』友部正人(1973年)
5?6 『大阪へやって来た』友部正人(1972年)
7?9 『教訓』加川良(1971年)
10?12 『親愛なるQに捧ぐ』(1972年)
いずれもエイベックスより復刻CDエクストラ発売中。
定価1700円+悪税。

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ドゥーチュイムニー

【追記】No.5
ミズナの漬物をいただいた。
たんまり。
しあわせ。

さっそく遅い晩飯で食べてみる。
御飯としっかりカミシメル。
うまいです。
季節がしみでてきます。

【追記】No.4
今日も夕方浜に出た。
ちょっと風が強かったのだが、もうそれほど寒くない。
日没時刻もだいぶ遅くなってきた。

春なのであります。

[I Love Sunset!] 夕陽が好き!
千本浜 2004年2月25日

【追記】No.3
ふと気づくと、「日記を自分宛にメールで保存しておきます」が反映されていない。
つまり、メールが届かない。
もう直ったかしら、お試し。

 →やっぱりメール来ません?。

【追記】No.2
あいもかわらずヒナのひるね。

今日はとても暖かい陽気なのに、風が強いので中でぐだぐだしています。
出たいなあと外を眺めながら寝入ってしまいました。

ヒナのひるね 2004年2月25日

【追記】No.1
amazonからメール。
すっかり忘れていた。
ラングストン・ヒューズが自身で詩を読んでいるビデオを見つけて注文していたのだが、遅れるらしい。
というより、ダメかもしれない。
4週間から6週間お待ちくださいとのこと。
在庫なかったのね。

“Voices & Visions: Langston Hughes”


貘さんの番組を見たからなのだが、沖縄フォーク村のアルバムを引っ張り出した。
ELECから出ていた『唄の市 沖縄フォーク村』、復刻盤CDである。
「沖縄」には、「ウチナア」とルビが振ってある。

1曲目が沖縄フォーク村の村長である、佐渡山豊さんの「ドゥーチュイムニー」。
8分43秒に及ぶ演奏は圧巻、なのだが。

1972年の発表当時、「ドゥーチュイムニー」はショックだった。
これだけはっきりとウチナーグチで歌ったシンガー&ソングライターは、いなかったからだ。

 ♪ わったあ島や 沖縄ぬ
 ♪ コザぬ街るや いびいしが
 ♪ 中の町んかいやぁぐゎあかとる
 ♪ いぺぇぼうちらぁわらばやさ

意味はなんとなくわかるような、わからないような、その歌声は確かに新鮮だった。
ヤマトグチで意味が付いているのだが、なんだか正確な翻訳ではないような気もする。

 > 俺のすんでいるところは沖縄の
 > コザの中の町というところに
 > 家をかりているが 俺はとても
 > ひねくれたガキです

このウチナーグチで歌っている部分には強烈なインパクトを感じたのであるが、ヤマトグチで歌っている部分はむしろ稚拙な歌詞という印象を受けた。
これがその2年前、1970年に出たアルバムだったら、そう感じることはなかったのだろう。
この年はURCやELECから、メジャーによるニューミュージックに時代が大きく変わろうとしていた時だったのだ。
彼らは遅れてきた青年だったのかもしれない。

この「独りごと」はまさに「イメージの詩」であると、本人の弁。
もちろん「イメージの詩」とはELECが生んだ、そしてメジャーに巣立った新しい時代のスター吉田拓郎の「イメージの詩」である。

このアルバムの「ドゥーチュイムニー」の演奏はすごい。
途中からいきなり歌とかけはなれたすごいバックが入ってくる。
やけにうまい。

つのだ☆ひろ(ドラムス)
小原礼(ベース)
高中正義(ギター)

うまいのも当然だ。
もちろん彼らは沖縄フォーク村の村民ではない。
録音のためにELECが送り込んだサポート・メンバーである。

ポスト吉田拓郎を、ELECは必死に探していた。
広島フォーク村の夢よふたたび。
力が入るわけである。

広島フォーク村の確認をしておくと、活動開始は1968年、1970年にアルバム『古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう』を制作。
同じ年によしだたくろう「イメージの詩」1970年が発売される。
そしてその翌年に解散。

『唄の市 沖縄フォーク村』
唄の市 沖縄フォーク村1. ドゥーチュイムニー(佐渡山豊)
2. 生きていようよね(北炭生)
3. 守礼門(ひろし)
4. ゆうなの花(じーんず)
5. 赤田首里殿内(じーんず)
6. 平凡で人並に(井口と福治)
7. 空なるかな 空の空なるかな(セイ・シモン)
8. 水が欲しい(嵩原千恵子とそのふろく)
9. わったあ島ウチナア(魔世中しんや)

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70年代サブカルチャー&反原発

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