「遠い空の彼方に」(1969年)

日曜日。
ひさびさによく晴れてくれて、洗濯物がさっぱりする。
これは素敵な夕陽日和、と思っていたのだが、ちょっと風が強すぎた。

先日ヤフオクで入手した300mmの望遠レンズを試したかったのだが、持って行った三脚がカメラバッグに収まる小さなものだったので、ちゃんと固定できないのだ。
風でガタガタ揺れてしまう。
しかたがないので300mmは1枚だけ。

これがうちでのFA☆300mmのデビューとなった。
かなり小さくリサイズしましたが、トリミングはしてません。

[PENTAX *ist D]+[FA☆300mmF4.5ED]
2003年11月16日 夕陽:千本浜

もう少し大きいものや他の写真は夕陽が好き![I Love Sunset!]にアップしました。

夕陽行の伴は五つの赤い風船の「遠い空の彼方に」。
「西岡たかし・五つの赤い風船 CD-BOX」からの1枚が車のCDドライブに突っ込んであって、それを聴きながら浜へ行き来した。

この録音はたぶんURCの第一回配付アルバム『高田渡/五つの赤い風船』(1969年)からのものだろう。
ギターがまだ中川砂人(イサト)さんの時。
これがデビューとは信じられないほど、楽曲の完成度が高い。
デザイナー西岡たかしが、しっかりとしたコンテを作っていたのである。

最初に潮騒がコラージュされている。
そしてヴィブラフォーンのイントロ。
五つの赤い風船のアレンジでは、ヴィブラフォーンで海を表現することが多い。
「遠い空の彼方に」は「空」の歌のはずなのだが、海と空が分かちがたく結びついている。
やはり絵画的だなあと思う。

 ♪ 遠い空の彼方に 小さく青い島がうかぶ
 ♪ 私はいつも島をながめ この浜辺で夢を見る

「みんなと暮らし」、「小さなしあわせ」を夢見るのだが、突然夢の中に戦争が現われる。
「遠い空の彼方に」は戦争があるのだ。
この曲は「まぼろしの翼と共に」や「血まみれの鳩」と共に、風船らしい静かな反戦歌である。
いわゆるプロテストソングではないが、メッセージははっきりとしていて力強い。
「血まみれの鳩」はケネディ暗殺を契機に、代表曲「遠い世界に」は政界の黒い霧事件をきっかけに作ったのだそうな。

 ♪ いやな夢… あの国では 戦争が…
 ♪ 人々が 子供達が 泣き 幸せ どこに あるのだろう

フー子さん(藤原秀子さん)の言葉が、レコードのライナーノーツに載っている。

 > 西岡さんの曲を初めて聞いた時、何曲か聞いたんですけど、
 > これだけは、絶対歌いたいという曲がありました。
 > その曲が風船を作ったのと違うかなと思うんです。

それが「遠い空の彼方に」である。

 ♪ 私はそっと ひざまずき
 ♪ みんなの幸せ 祈るんだ

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ヤシカ エレクトロ35(1966年?1975年)

幻泉館には時々古い写真がアップされますが、高校の卒業写真を除けば、おおむね自分で撮影したものです。
当時のフィルムが残っているものは、フィルムスキャナーにかけます。
専用スキャナーも持っているのですが、今は普通のスキャナーでもフィルムがスキャンできるようになりました。
また、紙焼きでも結構きれいにスキャンできるようになりましたね。

撮影に使ったカメラは、「ヤシカ エレクトロ35」という、一世を風靡したカメラです。
高校1年生の時(1972年)に買ってもらい、大学を出てしばらくしてから人にあげてしまいました。

今で言うコンパクトカメラなのですが、「ロウソク1本の光で写る」というキャッチフレーズで爆発的に売れた高性能EEカメラです。
一眼レフでなかったので当時の私は最初やや不満に思ったのですが、実は本当に使いやすい高性能カメラでした。

1966年に発売され、1975年に最後のモデルが発売されて、その歴史を終えます。
この約十年の間に価格が2万円台から3万円台に変わりますが、物価上昇を考えるとかなり安くなっていったのだと思います。
現在のカメラ価格を考えると、高級コンパクトカメラに匹敵する価格でもあります。
ずいぶん贅沢なものを買ってもらっていたのだなあ。
父さん、母さん、その節はありがとうございました。

googleで検索してみると、かつてのベストセラー機だけあって、いろいろなサイトでその姿を見ることができます。

YASHICA ELECTRO INVESTIGATION

魅惑のエレクトロルーム

クラカメ堂

1980.6.15 安保をつぶせこれで見ると付いていたレンズは「45mm F1.7」意外に明るいレンズです。
そして、しっかり三脚で固定していれば、確かにロウソク1本の明りで撮影できたのです。
今はちょっとしたデジカメではCCDの性能がものすごいですから、それほど驚くほどのことでもありませんが、当時手軽にこんなことができたのは、驚くべきことなのです。

『サインはV』というテレビドラマがありましたね。
実在の実業団バレーボール・チームを連想させるようなチーム名でした。

[実在チーム]→[ドラマのチーム]
 日立武蔵 → 立木大和
 ニチボー貝塚→ レインボー
 ヤシカ  → ミカサ光学

バレーボールのことはよく知らないのですが、ヤシカは強豪チームだったのですね。
ちなみに主人公の朝丘ユミ(岡田可愛)やジュン・サンダース(苑文雀)が所属しているのが、立木大和。
椿麻里(中山麻里)が移籍するライバルチームがレインボー。
「ミカサ」は大本竜子の殺人アタックが必殺技で出てたライバルチームです。

今はヤシカというメーカーはありません。
京セラと合併して、CONTAXブランドの製品を作っています。
私は一眼レフはPENTAXを使っていますが、コンパクトカメラは現在銀塩&デジタルどちらもCONTAXを使っております。
こちらの腕をはるかに凌ぐ写真を生み出してくれる良いカメラです。

画像は「80年安保」。
1980年6月15日、日比谷野外音楽堂で開かれた集会と、その後のデモで撮った写真です。
もちろんエレクトロ35。

本当は一緒に行った仲間達の写真がおもしろいのですが、顔が写っているので公開できません。
周囲から顰蹙を買いそうな、実に不真面目そうな面々でありました。
コンサートのつもりで集会に出かけていたのですから。
この時は水玉消防団やZELDAが出ていたんだったかな。
こりゃわかりませんわ。

1980.6.15 第8機動隊員

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小椋佳「海辺の恋」(1974年)

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【追記】
 今「h・kitchen」さんのところで得た情報。
 今夜NHK総合で00:50am?
 クレイジーケンバンドのコンサート録画放映です。
 渋谷公会堂。
 ちょうど楽天広場のメンテですな。
 夜の寂しさが紛れるかしら。
 2:21am?はデュランデュランの武道館だそうな。
 
 幻泉館本館はずっと開いております?。

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あら、また寝コケてしまいました。
はっと目を覚ますと、午前2時ですの。
起きてくれないかなあと、ヒナが周りをウロウロしてました。
日ごろわがまま娘のくせに、眠ってる人には気をつかうのです。

昨夜はまゆぞう&あやりん(共に仮名♀十代)のギター練習日。
これは、今私が一番心安らぐ時間かもしれない。

どうしてなのかと思ったら、アレなのかな。
以前書いた幻のフォークソング同好会。
10月26日付日録
今更これをやっているつもりなのかもしれない。
ン十年前の復讐なのか、私もかなりしつこいね。

天気が悪くてずっと夕陽を見ることができなかったのだけれど、ひさびさに夕焼けが見えました。
ただ、忙しくて空の広いところまで出かけることができませんでした。
事務所の近くでなんとか数枚。
ちょこっとだけ夕焼け画像を更新しております。

夕陽が好き![I Love Sunset!]

ああ、日曜日、晴れるといいな。

夕陽が好き! 2003年11月14日

日照りの道をさまよう若者が、お百姓さんのために雨がふってくれたらいいなと祈るのは……あれは『フーテン』の中のエピソードだったろうか。
こんなふうに、幼いころに読んだマンガの言葉なんかがふと浮かんでくることがある。

フーテン結局虫プロの月刊誌「COM」で私がいちばん影響を受けたマンガはこの『フーテン』なのかもしれない。
どういうわけか私の場合は絶対に薬物をやろうとは思わないのだが、あの白タマ(ハイミナール)でラリったおかしな連中の話が好きだった。

シロウトの想像なのだが、あれは理性の蓋を外したり、潜在意識を解放したりするだけなので、元々そのような平和願望を持っているのでなければ、そんな人類平和を希求する夢や幻を見ることはないのではなかろうか。

あの時代の若者だから悟りをひらいた気になれるのであって、ひたすら自己愛に向かってリストカットに励むような今の若者たち、「他者性への眼差しや意識が希薄化」している若者たちがいくらラリったとしても、けっして見えない夢なのではないかと思う。
自分の身の丈を越えて飛ぶことなどできなかろう。

「電脳・風月堂」は数年前にみつけたサイトだが、実に元気。
60年代新宿「風月堂」の姿を伝えてくれています。
電脳・風月堂

そういえば中学生の時に買った妙なマグカップがうちにあります。
かなり大きなカップで、まだ都電が走っていたころの新宿のイラストマップが描いてあるのです。
新宿に憧れていたんだね。

コートさんのキャラクターが小学生の私のお気に入りだったのですが、このごろは彼のような眼鏡をかけています。
色付きジョン・レノン丸メガネね。

実際は、60年代の『フーテン』よりも、70年代の『若者たち』の方が、私の生活には近いものとなりました。
時代が違うんだからあたりまえだわな。

『フーテン』はダンさん自身の物語ですが、『若者たち』は永島慎二さんのアシスタントをしていた村岡栄一さんが主人公のモデルです。
喫茶店「ぽえむ」が出てきます。
吉祥寺の南口に「ぽえむ」ができた時にはよく行きました。

若者たちこの『若者たち』はNHKの銀河ドラマになりました。
「黄色い涙」というタイトルだったと思います。
脚本家市川森一さんの名前はこのドラマで覚えました。
主題歌は小椋佳さん。
佐藤春夫さんの詩に曲を付けた「海辺の恋」がとても良かったです。

 ♪ こぼれ松葉をかきあつめ
 ♪ をとめのごとき君なりき
 ♪ こぼれ松葉に火をはなち
 ♪ わらべのごときわれなりき

出演は、森本レオさん、下条アトムさん、岸部シローさんなど。
彼らが若者だったころ。
私は高校生でした。
たぶん受験生だったのだと思います。
なぜか昼間の再放送を見ていた覚えがありますから。

少女マンガ雑誌でモデルなどをしていた保倉幸恵さんが女優になって出演していました。
あの痛快はちゃめちゃドラマ「天下御免」(1971年)に星娘という役で出演していて、その不思議な役の似合う人でした。
平賀源内(山口崇)が主人公のこのドラマも大好きでしたね。
小野寺右京之介(林隆三)、稲葉小僧(津坂匡章)、紅(中野良子)、田沼意次(仲谷昇)、杉田玄白(坂本九)などという配役です。

保倉幸恵さんが自殺をしたという小さな新聞記事をみかけた時はショックでした。
1975年のことです。

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中島みゆき「狼になりたい」(1979年)

深夜放送の中島みゆきファンは多かったと思う。
歌とのギャップがおもしろかった。
「あくしゅ券」と聞くたびにどんなものか不思議に思っていました。
半年ほど前、ヤフオクに出ていました。
100円から入札スタートで、29入札。
落札価格は34,500-でした。
そう、3万4千5百円!
驚きました。
私は画像だけ拾っておきました。
こういうものだったんですね、「あくしゅ券」。
ちゃんとナンバーがふってあります。

中島みゆきのあくしゅ券

夜明け前の吉野家で、ひとりぼっちの青年がやりきれない思いのぶつけどころもなく夢見る「狼」とは何なのか?
避暑地で顰蹙を買うはすっぱな「あたい」を見守るのと同様、中島みゆきが狼予備軍に注ぐ視線は意外に温かい。

救いようのない暗さと評された70年代末の中島みゆきだが、実は他者に対しては優しく温かい歌が多い。
人生の応援歌なんです。

ユーミンに比べてみゆきさんはコアなファンが多かったと思う。
だから、いわゆるみゆき本が多い。
語りたくなるのだろう。
で、たいていはクソ本です。

山月記唯一、天澤退二郎さんの本だけが、良かった。
『中島みゆきを求めて』。
尾崎翠全集を出している創樹社から80年代前半に出た本なんですが、今は河出文庫に入ってます。

今とは違う独特の世界を作り出していた中島みゆきさんに論客天沢退二郎がメロメロになっている様子が正直に書いてあって、実に微笑ましいです。

超ロングセラーとなった中島みゆき「地上の星」はわからんでもない。
だけど、これをカラオケで歌って目をうるうるさせるオジさん&オジイさんは、やっぱダメだ。

本当にごくわずかしか残っていないナケナシの元気を搾り出すような、殺人ソングではないかしら。
そこで元気出したら、もう死んじゃうのに?、みたいな。
あ、「腹上死ソング」?

あの紅白歌合戦の黒部中継、見ました、見ました。
すごかったですねえ、あの中継。
歌唱中継としては最悪の場所ですよ、あんなトンネル。
最初に少しハウリング出しただけで、後は全然なかったですよね。

あれ、どうやって吸音してるの?
ホント、すごいよね。
歌詞間違えたらあわててテロップ消すのも、局舎の方でがんばってるオジさんを想像させました。
(本当はオバさんやお姉さんかもしれないのに)
もう現場は「プロジェクトX」の主人公になり切ってますね、絶対。

仕事を終えてから、職場で「山月記」を読む。
短編なのですぐ読める。
本当は音読した方が良い作品なのだが、恥ずかしいのでMDを聴きながら黙読。
胸に染みました。

俺は詩人になるはずだった。
最後に吠える声は、獣の咆哮でしかない。

中島敦という作家は、最初に高校教科書に採用された時には、無名だったそうです。
第二次大戦後おびただしい数の小説が教科書に採用されながらも、すぐに消えてしまい、いつしか定番ともいえる作品が決まっていきました。
たとえば夏目漱石「こころ」、森鴎外「舞姫」。

その「こころ」や「舞姫」よりも採用頻度が高いのが、中島敦「山月記」なのだそうです。
国語教師に人気のある作品なのでしょう。
気持ちはわかります。

ちょいとamazonで検索してみると、各文庫で出てますね。
普通は「李陵」「山月記」は入っているので、他に何が入っているか、解説は誰なのかが選ぶポイントかな。
カバーのデザインなんかも重要……か?

最近中年男が女子高生に変身するマンガ(江口寿史)を読みましたが、変身譚というのはなぜこうも人の心を惹くのだろう。
コメディでも悲しいのな。

時間に関する感覚が世間と隔絶している場合は、これも変身みたいなものです。
北村薫さんの『スキップ』なんてのはそうだよね。
ある朝目が覚めると、女子高生がオバサンになっている。
これは実に悲劇ですが、そこをなんとか心暖まる物語にしてしまうのが、作者の力。
お、そういえばこの人、国語の先生でしたね。

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「ボブ・ディランがやって来た」(1978年)

【追記】————————————————-
私がナマのディランを見ることができたのは、東京国際フォーラムの柿落とし。
1997年になってからのことです。
泣き虫なんで、コンサートの途中から泣いちゃいました。
『欲望(DESIRE)』でディランは終わったと思っていたのに。

ぐーぐるしてみたら、同じコンサートに行った方の感想がありました。
1997年2月9日(日) Bob Dylan / 東京国際フォーラム

【さらに追記】
 ぐっすり寝たので元気です。
 皆様方、お見舞いのお言葉&御叱責ありがとうございました。
———————————————————

『ハリーとトント』の主役を演じていた方が亡くなったそうだ。
アート・カーニーさん、享年85。

体を冷やしてしまったらしく、頭がガンガンする。
またまた本館より蔵だしで失礼。

10月28日の日録に書いたのと同じ1978年制作の「ルポルタージュにっぽん」を見た時のもの。
似たような番組なのだが、レポーターの差が出てしまい、番組の質はだいぶ違います。

レポーターだけの責任じゃないわな。
社会現象として扱ったつもりなんだろうが、実に中途半端。
もちろん、まるっきり音楽番組ではない。
当時の風景がとても懐かしい、それだけの番組になってしまっています。


[2003年5月12日付日録より]
[ボブ・ディランがやって来た]

NHKアーカイブスはルポルタージュにっぽん。
『ボブ・ディランがやって来た』
1978(昭和53年)4月15日放送分。
時々見える東京の風景が懐かしいです。
そう、私の拉致前画像のころです。
たぶんテレビを持っていなかったので、こんな番組見ていません。

しかし、NHKのセンスのなさがひどい。
ディランの音楽に関してはかなり見当はずれ。
加賀美アナが「風に吹かれて」の訳詞を朗読。
本当にヘン。

しかしまあ、もったいない番組だなあ。
村上龍のいいかげんなインタビューなんだけど、これだけ様々な人が出てくるんだから、たっぷり濃い内容の2時間番組が作れただろうに。
NHKは経費ふんだんに使えるからなあ。
元はみんな皆様の聴取料。

ディランは1978年2月羽田空港に来日。
そう、成田空港開港直前。
もっとも、3/26の開港は阻止されたんだがね、ふふ。

ディラン来日時、共同記者会見の質問、最低。
ディラン、よく怒らないものだ。
当時のディランは36歳?
オトナですな。
質問「かつてはですね、反戦歌、いわゆるプロテスト・ソングをですね、主に歌われてたと思うんですが、愛をテーマにされた心境の変化とはどういうことなんですか?」
(Dylan:They are my most beautiful love songs.)
通訳「プロテストの曲が自分が一番素晴らしい愛の歌だと思っています。」

ボブ・ディランがやって来た]リポーター:村上龍(26)

中山ラビ……おお、ラビさん! 若い!(失礼)
「私、大真面目に音楽やってると思って惚れ直しましたけどね。」

児島鉄平(23)……誰?
「とにかく素敵だった、でも、それ以上は言いたくない。」

泉谷しげる(29)…テロップ「”ディランの子”と呼ばれる」嘘だ。
「わかんねえんだよ、とにかく。どれ聴いても、グニャグニャグニャグニャ歌っててね。もう、鼻水垂らしたような歌、歌ってるでしょ。『なんでこんなのが良いの?』って言ったわけ、俺は。」

岡本おさみ(36)……この人の感想は実に正確。
「一部の休憩があった時に、なんかそういう風に、向こうはすごく若返って……若返ろうとしてる感じを受けたのね。それで、でもお客さんはなんかちっとも若返ってないっていう。」

高橋三千綱(29)……村上龍と高橋三千綱ではディランを語れないだろ。
「ボブ・ディランってね、あんまり。聴いたけどね、今なんか反戦なんて言われてるみたいじゃない。昔言われてたの、そういう風にして聴いてたっていう記憶がないね。」

沢田研二(30)……バリバリにジュリーだったころ。
「一部はちょっと眠かったけど、二部は知ってる曲なんかも3曲ぐらいあって、結構観てよかったなと思いました。

清水哲男(40)……詩人なんだけど、FMの朝番組やってましたね。
「プロテストはプロテストなんだけれども、誰でもが、どんな立場からでも、”Yes”と言える、賛成できる歌なわけ。」

牛次郎(37)……おお、『包丁人味平』
「ボブ・ディランはどうやって終わってくれるのかと。終わりに興味があるね。」
実際は、ちょうどボブ・ディランが終わったところだったと思います。

立木義治(40)……紀信の前にメジャーのトップだった人。
「早い時間にバーンと山を散歩なさった方だから、なんかやっぱり非常に傲慢な部分は当然出てくるわけでしょ。その傲慢な部分つーのは、写真屋さんっていうか、その映像の分野の人が1番興味を持つ、まあ小説もおんなじだろうけども、欠陥人間の方がむしろ興味を、我々自身は抱くわけじゃない。」

つかこうへい(29)……あら、お若い。
「うん、嫌いでもないけどね。喫茶店のね、コーヒー飲んでる時の音楽だったらいいけどね。それ以上にしゃしゃり出られるとさ、おいおいチョット、チョットっていう感じになるけどね。」

加藤哲郎(36)……プレイボーイ編集デスク:お下品
「そうね、わりとさめる時期でしょ。ディランもさめてる。ディランがもう今ラブを歌った、平和だとか小市民的な歌をものすごく歌ってるわけじゃない。カーター大統領が選挙のコピーに使うぐらいの受け入れられ方っていうのが、キャパが違うわけだよね。」

女性:……誰?
「今度離婚するんでしょ? 女の人一人幸せにできなくて、世界は変わるとか時代は変わるとか言う資格あるのかなぁ?」
資格あるだろ、そりゃ関係ないだろ。

高石ともや(37)……福井県納田庄村にて
「ボブ・ディランとジョーン・バエズと僕と、同い年だという意識があるわけ。」

七字英輔(30)……CM雑誌編集者(今は演劇評論家?)
僕等の高校時代っていうのは、ディランはともかくとして、ギンズバーグだとか、クラークだとか、今はディランを持ち上げているナット・ヘントフとか。つまり、教典なわけですよね、我々の。」

芥正彦(32)……演劇家
「あいつはデモ行かないもの。それだけでも俺は好きだったね。」

西岡恭蔵(30)……ゾウさんだ。合掌。
「根本的なのがやっぱり、俺達はやっぱり時代とね、対決してる気分だと思うのね。それを感じていたいしね、負けたくないしね。」

秋田明大(31)……68年日大全共闘議長
村上龍はこの人に会いたかったのだということね。
「昔、なんかあることがどっかにあったっていうようなね、で、それはなんか、綺麗に見えるかもしれませんけどね、なんかどろどろした、それは人間の怨念とか何とかいうんじゃなくて、どろどろして、目茶目茶な何か……時代がどっかにあったっていうことじゃないかと思うんですけどね。」

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「忍者部隊 月光」(1964年)

【追記】
 J-PHONEがVODAPHONEに変わるとか。
 関係ないかと思っていたら、既にメールで実害あり。
 ぷんすかぷん。

来年の手帳はどうしようかと思っていたが、結局ちくまの文庫手帳を買ってくる。
取材で動き回っていた時は毎日人に会う約束や制作スケジュールをきちっと書き込む必要があったが、今はまったく必要ない。
事務所の机の上のカレンダーで事足りてしまう。
新潮社のシンプルな革手帳はかっこいいのだが、なにぶん高すぎる。
今度からこの文庫手帳にしよう。
amazonの文庫カバーをかけると結構いい感じ。
定価580円+悪税

総選挙に関してはまだまだいろいろ言いたいことがあるのだが、一昨日分日録で終了します。
たくさんの敵を作る可能性のある書き込みでありました。
本館で少数のおなじみさん相手にぼやいてる分にはかまわないが、楽天のような不特定多数が覗きにくる大規模システムでは、かなり危険なことです。
レスが付けにくいと連絡をいただいたが、さもありなん。

代わりにメッセージを数通いただいた。
亭屋(あずまや)さんから引用許可願いが来たのには驚いた。
引用してくださったのはこの部分。

 > 本人は覚えていないのだが、私は小さなころ、
 > 「戦争に行くのはいやだ」と言って泣いたのだそうな。

同様の体験をなさっているのだそうな。
だいたい同世代の方なので、同じ時代の空気を吸っていた。
だからにたような経験をなさったようだ。
分析にうなずくところが多かった。

いまでもなんとなく「戦後二十年」という感覚がある。
実は敗戦から六十年近く経っているとはちょっと信じがたい。

戦後二十年とは、「戦後は終わった」と宣言された時代。
終わったとされながらも、沖縄はまだ米軍の軍政下にあった。
二十歳で敗戦を迎えた者が四十歳。
自分のことを振り返ってみればよくわかる。
私が回想しているのはもっと長い時間を越えたできごとだ。

つまり、戦争の記憶は大人にとってまだ生々しかったころだ。
「自虐史観」などという言い方で戦後民主主義を否定する者がいるが、実は少年たちが接する大衆文化は、そんなに戦後民主主義的なものばかりではなかった。

「忍者部隊 月光」というテレビドラマがあったのを御記憶だろうか。

 ♪空を飛び 風を切り♪
 ♪進みゆく忍者 正義の味方♪

忍者部隊 月光

1964年、東京オリンピックの年に放映されたドラマである。
テレビでは、悪の組織「マキウラ」を相手に、正義の味方忍者部隊が戦いました。

原作は吉田竜夫さんの「少年忍者部隊月光」。
はい、竜の子プロの大将です。
『週刊少年キング』連載のマンガでした。
これが、テレビとは設定がだいぶ違うのです。
原作のマンガでは、少年忍者部隊とは、陸軍中野学校で甲賀流及び伊賀流の忍法を会得した少年兵の部隊なのです。

よく覚えているシーンとしては、戦艦の艦内で少年忍者たちが海軍の山本五十六長官と食事をするところ。
カツを盗んで雑巾を揚げたものとすりかえておいたら、それを自分が食べることになるという悲喜劇的状況。

後に今は亡き親父様が「のらくろ」の一巻を買ったので読んでいたら、同じ話が出てきました。
なんとまあ、「のらくろ」からパクっていたとは。

同じ『少年キング』連載、辻なおきさんの「0戦はやと」。
『冒険王』連載、貝塚ひろしさんの「ゼロ戦レッド」。
ゼロ戦は少年たちのヒーローを乗せて飛んでいました。

『週刊少年マガジン』連載、ちばてつやさんの「紫電改のタカ」あたりは反戦・厭戦的雰囲気を描いていましたが、今で言う軍事おたくの少年でなくても、戦記ものマンガに熱狂していたのです。

亭屋さんのおかげで、こんなことを思い出しました。

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『ジャクソン・ブラウン』(1972年)

寝コケてしまいました。
せっかくおいでくださってるので、また本館より蔵だしいたします。
申し訳ない。

最後に出てくる「コーヒーカップ」。
僕に何か贈り物をしようとすると、どんな物がいいのかわからなくて困るのだろう。
そのころ、僕は女の子からコーヒーカップをもらうことが多かった。
贈った本人はもう覚えていないのだろうが、どのカップも壊れずにいるので、僕は遠い日の女の子たちの顔を思い出すことがあるのだ。

[2003年3月19日付日録]————————————–
[精神のリレー]

「ETV特集 死霊」の続きを観る。
これを観るのは深夜がいい。
アナウンサーは「プロジェクトX」でおなじみの国井雅比古さん。
「死霊」の声の方がずっと落ち着いていていい。

埴谷さんは浴衣というより寝間着姿で熱弁をふるっていたが、今回はお洒落をして文壇バーへ。
アルコールをあおりながら、精神のリレーということを語る。
昔の人の本を読んでわかるということは、その人と友達になれるということ。
その友達の精神を次代につないでいく義務が私たちにはあるのだと。

遠い昔に死んでしまった人達とつきあうのは、気持ちのうえでは楽なことだ。
もうこの人達は、他人を裏切ったりしないから。
生きるということは、変わるということでもある。


僕はとにかく党派が嫌いだった。
口だけは革命を目指してセクトのために動くことは、紺のスーツを着てネクタイを絞め企業を回ってペコペコすることと、僕の目には同質に見えた。
実際、威勢のいいことを言っていたいっぱしの活動家が、妙にきちんとした身なりをして就職活動に励むなどという変身を見掛けて、欺瞞だと思った。
人は変わる。
あたりまえのことだ。
でも、そんな変わり方は本当にかっこ悪いと思った。

80年代に入る前に、新左翼系とされる雑誌がいくつか創刊された。
その中に、新左翼の運動と思想に疲れて今で言う「癒し系」に走ったと、世間的に評価されている雑誌があった。
千秋がその編集部で仕事をするようになり、僕もそこへ顔を出すようになった。
世間の評価とは違い、埴谷さんの言う「社会革命だけではだめだ、存在の革命が必要だ」に近いのではないかと感じた。
僕は別の出版社に勤めるようになったが、帰りにはその編集部に寄って、フリースペースでごろごろしていた。

千秋が少しずつ僕から離れていくのは、よくわかった。
嘘を積み重ねるのが見えた。
きっと彼女は引き止めてほしかったのだろう。

でも僕はそんな努力をする気が失せていた。
妻子ある男性は千秋ではなく、妻と生まれたばかりの娘の方を選んだ。
そんな結果は千秋も知っていたはずだ。

千秋が手首を切った時、僕が呼ばれた理由がわからなかった。
以前はおなじみだった部屋で大量に湯が沸かされ、優しい表情をした人達が集まっていた。
そんなことで死ねるわけがないし、今更自分が呼ばれることが不愉快だった。
腹立たしく思いながらも、元気のない千秋を見ると涙が出た。

その夜、僕を含めたみんなはどうしたのだったろうか。
帰ったのか、泊まったのか、まったく覚えていない。
ただ黙ってにこにこしてみせていたことだけ覚えている。

僕は毎晩のように誰かと酒を飲んでいたのだが、自分が何をしたのかわからなくなったのは、そのころの一度だけだ。
ザ・タイガースの「廃墟の鳩」を歌って、そのまま眠ってしまったそうだ。
人は誰も悪いことを覚えすぎたこの世界。

千秋は大学を中退し、それからセクトの活動家になった。
ローザ・ルクセンブルクの名を口にするようになり、人民戦線を唱えた。
それなら内ゲバはやめろよと、僕は言った。
高田馬場の駅前に呼び出され、セクトの活動家を紹介された。
千秋はセクトの拠点となっている大学に入りなおし、そこで名を知られるようになった。

千秋が完全に姿を消した後も、僕は仕事帰りに雑誌の編集部に寄った。
千秋の友達だったサトと一緒に夜歩くようになった。
まだ仏文科の学生で、僕以上に愛想がなかった。
誰かが「……に行こうよ」と言うと、「行けば」と答えてしまうような女の子だった。

小さくて細いので初対面の人はなめてかかることが多いのだが、そういうやつは決まってサトにひどく不愉快な思いをさせられることになる。

でも、僕と東京の夜空を見上げる時は素直だった。
自分の容姿にコンプレックスを持っているようだったが、僕に見せてくれる、はにかんだ笑顔はかわいいと思った。
実際は近づきがたいだけで、男の子には人気があった。

サトは一見虚弱体質で食が細そうなのだが、埋め立てられる前の飯田堀にあったステーキハウスで、安いホルモン焼きを食べるのが好きだった。
吉祥寺の「のろ」で焼酎を飲んだ。
サトとは毎晩静かにデートをしているようなものだった。

サトの下宿がある中野のスナックで飲んでいると、ジャクソン・ブラウンがかかった。
力のない声がかえって誠実さを感じさせた。
西海岸といえばニール・ヤングぐらいしか興味がなかったのだが、いいなと思った。
日ごろは冷静なサトが、無邪気に笑って喜んだ。
ジャクソン・ブラウンについて、ファンクラブの会報に記事を書くようにサトから頼まれた。
サトはファンクラブの会長をしていて、来日時には握手をしたのだと嬉しそうに言った。
結局記事は書けなかったのだが、僕はその時よりも今の方がずっとジャクソン・ブラウンが好きだ。

サトは自分には大きすぎるからと、弟の古着を僕にくれた。
そのダンガリーシャツは、確かに僕にぴったりだった。
コーヒーカップと違って、もうそのシャツはない。

Jackson Browne(1972)
1. Jamaica Say You Will
2. Child in These Hills
3. Song for Adam
4. Doctor My Eyes
5. From Silver Lake
6. Something Fine
7. Under the Falling Sky
8. Looking into You
9. Rock Me on the Water
10. My Opening Farewell


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身捨つるほどの祖国はありや

今は亡き親父様の祥月命日なので墓参り。
墓石に水が流れるのを見ているのは好きだ。

【追記】————————————————-
あの単なる石の塊に、やっぱり感情移入できてしまうのが不思議だ。
いつか夜中にテレビで見た『イン・カントリー(In Country)』(1989年)という映画で主人公の少女が戦没者の碑銘にある父親の名前を見つけ出すところが良かったな。
(この映画、なかなか拾い物)
亡くなった者の象徴を求める感情は宗教を問わないんだなと妙に納得した次第。
———————————————————

そのまま選挙の投票所に行った。
卒業した小学校の体育館がなくなっていた。
私はあそこで最初に卒業式をやった学年でした。
それも、私が最初に名前を呼ばれて。
学年は二百人ぐらいだったかな。
あの体育館がなくなっていたのは、ちょっと寂しい。

開票速報はあまり興味がないのだが、夜なべ仕事などあるので、テレビをつけておいてちらちら見るのかもしれない。

午後、少しごろごろしてから畑仕事。
なんとか雨は降らずに済んだが、午後4時にはもう夜のようになってしまた。
夕陽なし。
柚子の写真を本館掲示板に揚げてあります。

選挙区で土井たか子落選。
象徴的だ。
あたりまえの国家とやらを目指して、改憲への扉が開いた。

今年の四月に私が見た夢を自家引用しておきます。

[2003年4月16日付日録]—————————————
[身捨つるほどの祖国はありや]

本人は覚えていないのだが、私は小さなころ、「戦争に行くのはいやだ」と言って泣いたのだそうな。
どういう経緯でそんなことを言ったのかわからない。
三つ子の魂百まで。
私が御国のために戦争で人を殺すことは、絶対にない。

私怨ならあるかもしれない。
他人を殺したいと思ったことはある。
愛する者を守ったり、そのために復讐したり、そんなことで人を殺してしまうことはあるかもしれない。
もちろんそれは犯罪だから、裁かれることになる。
でも、たかが国家に、自分の良心まで裁かれはしない。

夢を見た。

徴兵制が敷かれているらしい。
召集令状が届いたと、女の子に言う。
その女の子が誰なのかは書かない。
きっと「僕」は恋をしているのだろう。
その子が抱きついて「死なないで」と泣く。
僕たちは初めてくちづけをした。

「絶対に死なない。」
僕は戦争には行かないのだから。
逃げるのだ。
兵役忌避である。
「一緒に来てくれるか?」

どうやら土地の有力者にかくまってもらうようだ。
土蔵の地下室のようなところにかくまってもらうらしい。
でも、こもりっきりではなくて、外を歩いたりしている。
古風な制服の警官に見咎められると、有力者が出てきて人を呼ぶ。
私兵のような群れの中に紛れて、僕たちは隠れ家に逃れる。

有力者は異形の者である。
出口王仁三郎なのかもしれない。
ドラム缶に湯を沸かさせ、入ろうとしている。
湯が青白く光っているのは、中にコバルト60が入っているからだ。
「危険ではないか」と問うと、これでなければいかんと言う。
彼が着物を脱ぐと、身体に付いたぬめりが同様に光っている。
それを落とすためには、この湯でないと駄目なのだ。

———————————————————


私の投票行動について書いておきます。
大衆社会状況の出現のおかげで、私のような非国民にも一票があります。
当然ながら、砂の中の一粒です。
さらに、三権分立と言いますが、実際は行政権力が圧倒的に力を持っています。
国家権力の最高機関であるはずの国会自体も軽くなっています。
でも、投票には毎回ちゃんと行きます。
もとより積極的にああせいこうせいと主張することがあまりないので、ネガティブに投票します。
これはダメということが主眼におかれます。
権力を削るという視点です。

最高裁の裁判官にはすべて×を付けます。
だって、これが楽しみで投票所に行くんですから。
内閣を支持していないので当然の行動です。
首相が指名する者にイエスというわけには参りません。
(正確には長官は指名、他は任命ね)

比例区の投票は、護憲のために存続している社民党に投票しました。
私は護憲派ではありません。
「貴族あれば賎族あり」
第1条は削除して共和国になってもらいたいと思っています。
今の「日本国」は他国と違って主権者が誰なのか名乗っていない、珍しい国です。
憲法を読めば明らかに、君主を象徴として定義した立憲君主国家です。
でも、何よりもまず第9条を死守しなければならないと考えています。
したがって護憲政党に投票しました。

選挙区も基準は同じなので、自民・民主は選びません。
でも、どちらかというと両党の候補者が二世議員であるというのが、私が選ばない主な理由です。
白票を投じても良いのですが、元前衛政党の候補者に投票しました。
その方が批判が生きると考えたからです。

下の画像は以前拾い物画像を連結してみたものです。
国民を戦争に駆り立てる、Mr. John BullとMr. Uncle Samです。
とても恐いです。
ずいぶん前の絵なのに、今でもこいつらが世界中で戦争を起こしています。
こいつらに尻尾を振ってついていくようなことは拒む。
これが投票の基準でした。

【さらに追記】
 このアンクル・サム、ちょっと我が国の首相に似てないか?
【さらにさらに追記】
 70年代との、最も大きな違い。
 当時は公明党が平和勢力だった。
 今はアンクル・サムの側にいる。

John Bull & Uncle Sam
【まだまだ追記】
さっき「噂の真相」12月号を買ってきた。
ぱらぱら見ていたら、佐高信さんの連載「タレント文化人 筆刀両断!」を読んで驚いた。

1969年秋に出版された藤原弘達著『創価学会を斬る』に現在の姿が予言されていたというのである。
70年代に平和勢力だったなんてのは、私の寝ぼけた甘い認識でした。
この本、うちにもあるはず。
折伏(しゃくぶく)に悩まされた親が買ったのだと思う。
出版妨害事件、すごかったもんなあ。

以下、佐高さんからの孫引き。
 > もし自由民主党が過半数の議席を失うというような
 > ことになった場合、公明党に手をさしのべて、これ
 > との連立政権によって圧倒的多数の政権を構成する
 > ならば、そのときは、日本の保守独裁体制が明らか
 > にファシズムへのワンステップを踏み出すときでは
 > ないかと思う。

さらに、自民党の中の「右翼ファシズム的要素」と公明党の「宗教的ファナティックな要素」の間に奇妙な癒着関係ができ、「強力にファッショ的要素にもっていく起爆剤的役割として働く可能性」を論じている。

いつまでもこんなことばかり書いていたくないので、レスが付けにくいと言われた今日の日録に押し込めておきます。

楽天の掲示板は書き込み制限を解除しました。
同時に、このホームページの詳細なアクセスログを取得できるように設定しました。
いたずらや「あらし」に関しては、お礼に伺います。



私の場合、楽天広場の自分のページでログを取るのに一番簡単な方法は、自宅サーバから何かを読み込ませることです。
たとえばページトップのヒナは、幻泉館鯖にある画像ファイルを表示させてみました。
そうすると、ApacheというWWWサーバのログが自動的にブラウザから出された要求を記録しているので、ヒナを見た人はみんな足跡を残してくれることになります。
幻泉館鯖に対してこのような要求だけを出した人は、楽天でヒナを見た人だということになります。
   ↓
[GET /~saturate/hina03.jpg]

画像を表示させないブラウザもありますね。
その場合どうするかは、ひ・み・つ(は?と)。
フリーのLinuxやFreeBSDには、いろいろなプログラム言語やスクリプト言語がセットで入っていますから、少しだけ勉強すればたいていのことはできてしまいます。

簡単なことしかしていませんが、やっぱ鯖持ってると何でもできるんだなあと実感。
よく、無料サービスで「アクセスログ解析」なんてのがありますね。
あれがちょこちょこっとやるだけで、自分でできちゃいます。

普通のブラウザなら、IPと呼ばれる自分の接続先を吐き出します。
これでおおむね身元がわかります。
それを隠すために、proxyサーバを通すということをする人がいます。
これがいわゆる「串」です。
ただ、実際は生のIPを洩らしている「洩れ串」も多いですし、「匿名串」のつもりでも、わざわざ覆面をして外を歩いていますよと言っているようなものなので、その人は目を付けられます。
「匿名串」の管理者が悪意を持っていれば、かなりヤバイことになります。

リファラーといって、どこのリンク先から飛んできたかという情報も吐き出します。
楽天の「ランダム」でアクセスしてきた人は、こんな足跡が残るのですぐにわかります。
   ↓
[http://plaza.rakuten.co.jp/?action=random&p_user_id=2035075]

ブラウザは自分が何者かを名乗ることになっているので、こんな足跡を残します。
   ↓
[Mozilla/5.0 (Windows; U; Windows NT 5.1; ja-JP; rv:1.4) Gecko/20030624 Netscape/7.1 (ax)]
これは私が普段あちこち残す足跡で、珍しくNetscapeを使ってる人だとわかります。
さらに、Micro$oft社WindowsXP用のNetscapeなので、OSもたぶんWinXPだろうということがわかります。

皆さんが普段受信しているe-mailにも、ヘッダーといってこんな情報を記述してある部分があります。
普通はどんなメーラーを使っているか、どんなサーバを通ってきたのか書いてあるので、読んでみるとおもしろいかも、です。

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よしだたくろう「もう寝ます」(1971年)

いやあ、寝コケちまいました。
帰宅して遅い晩飯食って、サッカーの結果など気にしながら、風呂入ろうか。
いや、先にメールだけチェックしておこう。
ここで書斎のデスクトップに向かえばよいものを、なぜか寝室のノートPCに向かう。
枕元に置いてあるので、当然横になって、ああ気持ちいい。
例によって目的意識を喪失して目を閉じると。
はい、午前2時です。

夜なべ仕事が待っているので、お風呂は割愛。
皆様に、初期「よしだたくろう」の曲を捧げます。
「もう寝ます」
寝れないのですが。

 ♪起きてても♪
 ゲラゲラ?

最初に聴いたのはお風呂で。
NHKラジオ、馬場こずえさんの「若いこだま」かな。
拓郎さんは馬場さんに「お尻みたいな顔してますねえ」と大変欠礼なこと言ってた。
うまいこと言うなあと、私も欠礼なリスナー。

『よしだたくろう・オン・ステージ!! ともだち』(1971年)に入っている曲です。
このころのエレックは実にいいかげんにアルバムを作っていました。
ただ、そのおかげで拓郎さんのライブの雰囲気がよく伝わるものとなっています。
「わっちゃいせい」なんて一発芸の曲(?)なんですが、拓郎さんがR&Bやってたのがわかります。
そうだ、朝日ソノラマの盤のこともいつか書かないと。

ともだち

このアルバムはフォーライフがCD化したのですが、今は廃盤。
おそらくそのままの形で再びCD化されることはもうありません。
MCや曲に自粛したいとされるような言葉遣いがてんこもりなのであります。

CDがヤフオクで出品されると、かなりの高値が付きます。
ただ、アナログ盤はエレックの元盤、CBSソニーが出した盤、ともによく見かけますし、千円程度で買えます。
ソニーの盤はジャケットが写真から絵に変わっているのではないかな。

エレックが契約切れの前にずっこいことして出した『たくろう オン・ステージ 第二集』なんてのもあります。
これはCD化されてません。
ボブ・ディランの曲に詞を付けてしまった「準ちゃんが吉田拓郎に与えた偉大なる影響」なんかが入ってるんですが、本人に無断で出したアルバムなので、これも丸ごと復刻されることはありません。


せっかくなのでまた本館より蔵だし。
まったく季節外れの日記です。

2003年4月24日付日録 —————————————–
[サンジョルディの日 / 小さな恋のメロディ]

日録の日付は4/24になってしまいましたが、これを書いている「今」はまだ4/21になったばかりです。
で、ふと思い出したのが、「書店くじ」なくなっちゃったなあということ。
秋の読書週間じゃなくて、春の「サンジョルディの日」の日書連のくじね。
前はよく100円の図書券もらいました。
4/23がサンジョルディの日なのでございます。

サンジョルディさんというのは、Saint Georgeつまり聖ジョージ(ゲオルギオス)さんのことです。
ベッカム様のイングランド代表が着ているユニフォーム、あれは白地に赤十字の「Saint George’s cross(聖ジョージ十字)」がモチーフですよね。
つまり、イングランドの守護聖人なんですが、ディオクレティアヌス帝によるキリスト教徒迫害で殉教したんですね。
その命日が303年4月23日。
私は中学校の時に英語の教科書でドラゴンを退治する聖ジョージさんの話を読んだ覚えがありますぞ。

この4月23日という日付は他にもいろいろ意味がありまして、イングランドのシェイクスピア(1564-1616)の誕生日にして命日(日付は怪しいようですが)。
ヒトゴロシのイロイロね。
それからスペインでシェークスピアに相当する、ドン・キホーテを書いたセルバンテス(1547-1616)の命日でもあります。
イーコヨナ、イロイロね。
同年同日というのがわかりやすい。

ついでに言うと、私が中学3年の時に初めて女の子と映画を見に行った、その相手の誕生日が4月23日でございました。
同級生なんですけど、半年ほど年上状態が続くのを気にしておりました。
かわいいやね。

実はこれもイングランドがらみ。
見に行った映画が『小さな恋のメロディ』というイングランドの映画なのでございます。
マーク・レスター、トレーシー・ハイド、ジャック・ワイルド、いやあ、良かった、良かった。

この映画、音楽も実に良かったんですよ。
The Bee Geesの「Melody Fair」「First of May」、それからなんつってもCSN&Yの「Teach Your Children」。
併映が、やっぱりガキの恋愛モノだったんすけど、こっちはベッドシーンまであってとっても恥ずかしかったっす。
あ、話が逸れた。

Melody...

で、聖ジョージ、聖ゲオルギウス信仰はケルト文化の中で語り継がれていたものが、例の十字軍の時に戦士たちの守護者として各地に定着したそうです。
それがイングランドであり、カタロニア(カタルーニャ)であったわけです。

カタロニアでは、ドラゴンの血の色をした赤い薔薇を、聖ゲオルギウスの日に男性が女性に送るようになったそうです。
その後、スペイン語(カッシリア語)の使用を義務付けられるようになったカタロニアでは、禁止されたカタロニア語の本をこっそりとプレゼントするようになりました。
カタロニアというのはカッシリア(カスティリア・カステラ)にまつろわぬ者どもですから、今でもバルセローナのレアルに対する敵愾心はすごいですよね。
レアル・マドリッドは、独裁者フランコのチームでもありました。
スペイン内乱で共和国派が破れた後、カタロニアの庶民は独裁者フランコを聖ゲオルギウスが倒したドラゴンに擬していたのです。

「本を贈る」という点に着目した広告代理店が仕掛けたのが、サンジョルディの日。
カタロニアでは、この日に本を贈るという行為が、自分たちの言葉を取り戻して、自分たちの国を作るという意味が込められていました。
そりゃ日本では無理よ。
いまどき、本なんて贈らないわなあ。
結局定着しなかったですね。

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高田渡「火吹竹」(1973年)

 ♪毎晩 夜通し 起きていて♪
 ♪ボクは 何にもしてやしないのです♪

高田渡さんが、亡父高田豊さんの詩に曲を付けたのが、この「火吹竹」。
ベルウッドからの3枚目のアルバム『石』の最後に入っている。
静かな、とてもいい曲です。

これから夜なべ仕事をします。
時々気分転換になんか書くかも。
です。

ほい、忘れてた。
掲示板に書いたことです。
以下、自家引用。

> とりあえずここも少し防御措置をとることにしました。
> 少なくともみなさんのブラウザが吐き出す情報はうち
> から丸見えになるようにいたしましたので、あしからず。
> つまらない「串」はかえって命取りになりますから、
> お間違えのなきよう。

—————————————————-
あ、しまった。
メッセージをくださった方がいたので、ついついず?っと気分転換してしまっていた。

うう、泣きそう。

しかし、あれだね、楽天の4:00am-5:00amごろ、閉まってるの痛いね。
でも、これがないと寝れない人も多いのかしら。
その間インフォシーク・プロフィールへ行って……んなことやってちゃ、ダメ、ダメ。
(この、「ダメ、ダメ」ってなんだかよくわかってないんすけど)


せっかくいらしてくださった方に悪いので、本館より蔵だし。

2002年12月15日付日録 ———————————–

[すかんぽ/哀れな草]

日曜の夜に冒頭を見逃した『世界・わが心の旅「ドイツ 僕と生きてきた詩(うた)」高田渡』のリピート放送を怪人KIRIさんが教えてくれた。
おかげで今夜最初から見ることができました♪
渡さんがドイツに行って、詩人ヨアヒム・リンゲルナッツ(1883-1934)の足跡を辿るものです。
正確にはリンゲルナッツの伝記ものではなくて、「哀れな草」という題の詩を辿るのですね。
語りは柄本明さん。
東京乾電池の面々は恭蔵さんのコンサートにも出演してたな。

「哀れな草」は高田渡さんの「すかんぽ」という歌の原詩である。
渡さんは60年代末から歌っているのだが、主にアメリカのフォークソングやブルースのメロディに、現代詩をのせて歌うという不思議な手法を開発してしまった。
思えば私が山之口貘やラングストン・ヒューズの詩集を買ったのは、渡さんのおかげであります。
つまり、師匠と呼んでいい人なのである。
吉祥寺東急デパートの裏あたりで、酔っ払っておまわりさんにからんでいた姿も、私の師匠そのものであると言える。

 ♪ 土堤の上ですかんぽは
 ♪ レールの間に立っていた

埃にまみれ、ただ立ち尽くすだけの「すかんぽ」に自身を重ね合わせ、渡師匠は哀感を込めて歌うのである。
ところが、本国ドイツでこの詩に付けられた曲は軽くユーモラスなのであった。
お? 師匠は間違っていたのか?
ドイツの若造ミュージシャンたちもこの詩を「滑稽な詩だ」と言う。

ヘンクドーベルというグループは、実に滑稽に演奏する。
どこかで聴いたような歌だな??
思い出した。
「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス」
(Supercalifragilisticexpialidocious)
ディズニー映画『メリー・ポピンズ(Mary Poppins)』で使われている曲にそっくりです。
ここで少し調べてみると、このおまじないにはちゃんと意味があるそうで、

> 高度に教育できる極端で繊細な美しさを償うこと
> (super-超,cali-美,fragilistic-繊細な,expiali-償う,docious教育できる)

なんだそうな。ほんまかいな。
さて、ヘンクドーベルの諸君は雑草が擬人化されるのが滑稽だと言う。
まあ、第一言語の詩を語る連中にはかなわないわな。
渡師匠敗れたり。
リンゲルナッツは道化を詠った詩人なんだそうな。
「ユーモアと人間愛」が放浪詩人リンゲルナッツのキーワード。

だけど、番組ではちゃんとクライマックスを用意してありました。
渡師匠同様に、リンゲルナッツの詩を歌うビリ・ベダルフというフォーク・シンガーが登場します。
ピート・シーガーとブルース・ウィルスを足して二で割ったようなおっちゃんです。
この人との交歓とセッションがヤマ場ね。
う?ん、なかなか良い番組でした。

高田渡 ビリ・ベダルフ

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70年代サブカルチャー&反原発

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