アトムの子

【追記】No.3
お問い合わせをいただいたのですが、年末年始に行なったイベントの会場は閲覧が可能です。
ページトップ右下[ お気に入り一覧 ]から行けますが、以下の3ヵ所です。

【祭りのあと】顰蹙イベント会場
不眠酒場
 「ネット忘年会」会場。現在休業中。
プチコスプレ会場
  「プチコスプレ劇場」会場。現在休業中
雑煮自慢
 「雑煮自慢大会」会場。現在休業中。

【追記】No.2
午後になって曇ってしまったのだが、きれいな夕陽が見えたので仕事を抜けてIPへ走る。
ふとメモリーカードを買うことを思いつく。
付属していた16MBのSDメモリーカードでは、12枚しか撮影できないのだ。
浜へ撮影に行くときなどはPentaxのカメラを持って行くのでまったく問題ないのだが、実は東京でオフをした時、もっと写真を撮っておきたかったのだ。

奮発して128MBのSDメモリーカードを買って事務所に戻る。
差し替えて驚いた。
残り撮影枚数、99枚。
2560*1920の画像が99枚はすごい。
普通はそんなに貯めないと思うのだが、これで出先でも安心。
今のところバッテリーも長持ちしているが、次ぎはそのあたりの問題かな。

IP屋上駐車場より 2004年1月7日

【追記】No.1
七草粥をいただいてまいりました。
大根がなかったんで、蕪。
他には菜の花しかなくて、種類が少なくなってしまったのが残念。
あまり塩味は付けなない方がいいですね。
野菜の味と香りがおいしゅうございました。

外に出してあったお餅は黴が出てきました。
あ?あ、お正月終わっちゃった。


夕方買い物に出たのだが、買いたいものが二つあった。

一つは百人一首のCD。
これがなかなか見つからないのだ。
CDショップと本屋さんにはない。
おかしいなあと思って結局おもちゃ売り場に行くと、なんのことはないかるたにおまけでCDが付いているのだ。

かるたの封は切っていないが、CDの方を繰り返して聴く。
なるほどなあ、便利になったものだ。
ランダム演奏で読み上げさせればいいのですね。
お手つき用に1首余分な歌を読み上げていたのは、ちょっといただけない。

二十年ほど前に在籍していた零細出版社では、古典的ないろはかるたを出していた。
私が入る前には秋に行商のように注文をとって、正月の餅代を稼いでいたそうだ。
私の時には生協で注文をとったり、都内の絵本ショップにおいてもらったりした。

もう一つ買いたかったのは、スリッパ。
冬用のもこもこしたやつだ。
今使っているのは、買ってから十年以上経つ。
あらいぐまなのかな、タヌキなのかな、とにかく動物の顔になっているもの。

コタツを使わなくなったので、部屋履きとして必需品。
毎年大活躍してきたので、もう片方のやつは鼻を模したボタンが取れているし、底もだいぶすりきれた。
とっくにお役払いをしてあげなければいけないのだが、なかなか気に入るものがない。

だいたい私は小さなころから、同じものばかり着てしまうという癖がある。
「かたきのように」というやつ。
あ、思い出した。
パンツ画像があったな。
妙なものを蔵出ししておきます。


【2003年4月5日付日録より】
[アトムの子]

鉄腕アトムのパンツさあ、幻泉館日録もいよいよ下ネタだ。
しかも画像付き。
申し訳ないが、未使用だ。
買ったばかりだもので。

今日は明らかにハズレの日。
だから、買い物でむしゃくしゃを発散させようとしたのです。
でも、買うものがなかったのね。
しょうがないからパンツ買いました、パンツ。
トランクス型です。
おやぢのパンツ画像、最低ですね。

もうすぐアトムの誕生日なので、そういうグッズが多いらしい。
けど、記念品を買おうとも思わないのです。
ふと目に入ったこんなもの買ったのは、単に必要なのを思い出したから。
2枚1,280円、同じ柄のを買いました。
小学生のころにアトムのパジャマを着てたのも思い出しました。

だいたい昭和30年代生まれのおじさんたちは、「アトムの子」です。
1980年代の子供達をあまり「ドラえもんの子」とは言えないと思うけど、ぼくらはやっぱり「アトムの子」なんです。
ここで普段苦手な「ぼくら」という言葉を使ったのは、当時の雑誌でそういうのがあったからです。
70年代80年代は週刊少年マンガ誌が栄えましたが、それ以前は月刊漫画雑誌の時代だったのです。
鉄腕アトムが連載されていたのは『少年』。
ほかに『ぼくら』『冒険王』『漫画王』なんてのがあったのです。
月刊誌ですから、一月の間に何度も繰り返して読みます。
善悪の判断基準を、アトムの苦悩とともに学んだりしました。

誰かもそんなことを書いていましたが、ぼくらは少年時代にアトムと一緒に21世紀を生きてしまいました。
だから、現実に訪れた21世紀は、実は間違った現実なのだという認識を密かに抱いています。

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Bob Dylan Live 1975

【追記】No.2
夕方仕事を抜け出してお買い物。
ついでにちょこっと夕陽を撮影する。
逆だな、夕陽が見たくて買い物に出たんだ。

静かな日常が始まったのだと実感する。

更新しました。
夕陽が好き![I Love Sunset!]
2004年1月6日 IP屋上駐車場より

【追記】No.1
布団に潜って午前2時にすっと寝入る。
普通の人なら夜更かししたなあということなのだろうが、私の場合だと宵の口に寝コケたぐらいの感じ。
年末年始にはじけてそのまま仕事始めに突入した疲れが出たのだろう。

午前7時に目が覚める。
爽快。
も、も、もしかして真人間に生まれ変われるのかしらん?


ちょっと忙しいので、本館より蔵出しにてごめんなさいませ。


【2003年2月9日付日録】
[ウレシパモシリ共和国 / 琉球共和国]

今年に入って、「週刊金曜日」が少しリニューアルして読みやすくなった。
記事のバラエティが増えて、雑誌っぽく、有り体に言えば昔の「週刊 朝日ジャーナル」っぽくなったのだ。
今日(あは、金曜日です)届いた最新号の音楽欄は『ボブ・ディラン ライブ1975』の紹介記事でした。
幻泉館日録・元旦に出てくるCDですね。

→Bob Dylan Live 1975 (The Bootleg Series Volume 5)
 (With Limited Edition Bonus DVD)
Bob Dylan Live 1975
生田卍さんという人が書いているのだが、実にツボを得ていてよろしいです。

ボブ・ディランが最も油の乗っていた時期の、「ローリング・サンダー・レビュー」というツアー。
プロデュースしたのがジャック・エリオットとアレン・ギンズバーグだそうです。
様々なミュージシャンを柔軟に参加させて、即興性・演劇性を前面に出した、終始突っ込み気味の畳みかけるような疾走感。
そうそうそう。

「ハリケーン」や「ハッティ・キャロルの寂しい死」は私のお気に入りです。
「ハリケーン」は映画にもなった冤罪事件を扱ったもの。
黒人への差別に抗議して、当時のディラン様は顔を白塗りにしてステージに立っていました。
「ハッティ・キャロルの寂しい死」はあがた森魚さんの絶唱もありますが、吉田拓郎「島田準子が吉田拓郎に与えた多大なる影響」の元歌でもあります。
悲惨な人種差別を歌った曲を、徹底的に私的な恋の歌にしちゃうところが拓郎さんですな。
生田さんは「ウディ・ガスリーズ教室」と書いてますが、そうそう、ボブ・ディラン様もガスリーズ・チルドレンでありました。

音楽仲間の怪人きりぽんさん(仮名♂40代?)がドアーズのコンサートを観に美国へ旅立ってしまいました。
で、出発前にNHK人間講座で永六輔さんが「人はなぜ歌うか」ってのを始めたよと教えてくれました。
再々放送ぐらいで観るとして、「テキスト」を買ってきました。
ついでに買ったのが

 保阪正康『昭和史 七つの謎』講談社文庫
 松下緑『漢詩七五訳に遊ぶ 「サヨナラ」ダケガ人生カ』集英社

いやあ、楽しいものがたくさんあるので、いくら時間があっても足りない。

とりあえず眠い目をこすりながら『昭和史 七つの謎』。
第1話「日本の<文化大革命>は、なぜ起きたか?」
保阪さんは1933年(昭和8年)を契機に日本の社会状況が「文化大革命」化したと分析する。
この時期の日本の超国家主義を毛沢東の永久革命に似ていると決めつけるのは納得できないが、確かに日本全体が宗教カルトのようになったのは事実だ。
なるほどと思ったのは、こんな方向付けを行なった「犯人」、責任者である。
陸軍首脳部、つまり陸軍省が犯人であるのは論を待たない。
誰もが認めるところだろう。
それに結託した共犯者を保坂さんは1933年から約6年間の文部大臣と文部官僚であるとする。
文部大臣は、あの鳩山兄弟の祖父に始まる人々である。

歴代文部大臣

この文部大臣と文部官僚は、「教育」の名のもとに当時の日本国民から知性を封殺したのである。
陸軍だけで暴走などできなかった。
こいつらがいかんのである。
官僚は当然戦後も責任など取らずに生き延びたぞ。

民主党の党首だったお兄ちゃんは「だってお坊ちゃんなんだからしょうがない」とか開き直ってましたな。
爺さんの戦争責任とか考えたことあるんだろうか。
戦犯指定は「家」に降りかかった災難ぐらいに思ってるんじゃなかろうか。
(根拠はないすよ、私の想像です。)

いくぶんなりとも当時の文化状況を知っていたら、オウム真理教の国家ごっこも、金ちゃん国家の首領様も笑うことはできないと思うよ。
半世紀以上も前、大昔のことだから関係ない、ではありません。
間違いだらけのしょうもない「歴史教科書」を押しつけようとしている連中は、そんな文化状況の再現を狙ってるんだから。


え?、ここから金曜深夜です。
ちょっと日付足踏み。

日本というのは、不思議な国名です。
だいたい読み方がわからない。
「にほん」なのか「にっぽん」なのか。
どちらも音便が発生していて、文字の音と違います。
「にちほん」「じつぽん」はダメなんでしょうか。
「じゃぱん」「はぽん」「いるぼん」でもいいんでしょうか。
「じぱんぐ」や「やまと」なんてのもあります。

国の主人が誰なのか名乗っていないのも珍しいようです。
象徴天皇制なので、「共和国」ではありません。
形式的には立憲君主国家らしいのですが、「王国」「帝国」でもありません。
おら、ハダカで恥ずかしいだ。

保阪正康『昭和史 七つの謎』など読みながら、こんなことを考えてました。
1945年8月のポツダム宣言受諾前後、戦後日本の占領政策を巡って凄まじい駆け引きがあったのですね。
米英は、ドイツのようにある共通の常識・文化を持った文明国だとは、日本を見ていなかった。
日本にはレジスタンスが存在しなかったのだから、そう見られても仕方がないですね。
ソ連に手出しされたくないので原爆を投下したのも、黄色人種ならいいやという側面があったようです。
カナダの元首相が出した回顧録にも、そんなことが書いてありましたね。
「核兵器が用いられたのが黄色人種に対してであったのは、不幸中の幸いである」ってなことが。

でまあ、対ソ戦略の意図をもって、戦争責任が棚上げされてしまったわけです。
天皇の命令によって、連合国による占領はまったく平和に開始されました。
マッカーサーの「日本人は十二歳」という発言は、これから文明人として教育してやろうという宣言でもありました。
いや、戦争責任者、実にうまいことやりましたな。
太平洋戦争を始めたのは海軍なのに、東京裁判で絞首刑になったのは陸軍の軍人ばかりです。

東京裁判(極東国際軍事裁判)で平和に対する罪(侵略戦争の共同謀議に加わった罪)に問われた人達が、いわゆるA級戦犯。
被告の特定と量刑には、大いに疑問が残ることは確かです。
最も大きな疑問は、なぜ天皇の戦争責任が問われなかったのかということですが、これは前記占領政策のために、問わないことを前提としてしまったからですね。
保坂さんによれば、そのために海軍も免責されてしまったようです。
そして、陸軍の一部に全責任を負わせました。

ところでこのA級戦犯が収容されていたのが昔の東京拘置所、いわゆる巣鴨プリズンですね。
今はサンシャイン60が建っています。
東池袋中央公園にはその碑が残っています。

東京裁判には多くの疑問と謎が残るのだが、もし日本が戦勝国になっていたら、これほどまともな裁判を行なうことは絶対になかったことだろう。
これは推測というより、歴史的事実であります。
敗戦までの日本がどれだけ国際法なんてものを無視したか。
あるいは無知であったか。
ね。

ご存知フィリップ K. ディックに『高い城の男』という作品があります。
日独の枢軸国側が勝利したパラレル・ワールドを描いた小説です。
傑作という評判なんですが、お馬鹿なことにプロットをすっかり忘れてしまいました。
ただ、「易経」に従って行動を決定するといったような、アメリカ西海岸的東洋趣味の描写があったのを覚えています。
これがニッポンのイメージなんだよなあ。

あ、だらだらすんません、今夜ヒマなんです。

それで、歴史のれば・たらなんですが、もしあのころ、スターリンがもう少しうまく立ち回っていれば、日本の一部はソ連に占領されていたんですね。
北海道、あるいは北北海道が千島・樺太あたりと一緒にされて、日本ではない国になっていたかもしれない。
保阪さんの場合は「東日本社会主義人民共和国」と書いていますが、「東」はなかっただろうなあ。
東西ドイツ、南北ベトナム、南北朝鮮といった分断国家の悲劇を回避することができたのだから、実にうまく立ち回った(というか運が良かった)のだと思います。

その犠牲になったのが沖縄です。
実際に地上戦が行なわれ、久米島にいたっては、日本軍によって住民が虐殺されるなんていうことさえありました。
ニッポン全体が独立国家に戻った後も占領が続き、ニッポンに返還されたのは1972年です。
今もなお「象の檻」があったりするのはご存知のとおり。
こんな仕打ちを受けるより、独立国家になった方が幸せだったのではないかとも思います。
映画『ウンタマギルー』には琉球独立党という愉快な連中が出てきますね。
琉球独立党は実在の政治的党派でありました。
ヨーロッパの、ポルトガル、スペイン、カタロニア、バスク、あの辺の国境は、実に摩訶不思議ですよね。
歴史的たら・れば次第では、今沖縄が日本でなくても何の不思議もありません。
そういえば池袋に話が戻るんですが、某中華料理店の2階には台湾独立党の闘士という爺さんが潜んでいましたぞ。
あ、中東の国境の方がめちゃくちゃだ。
問題のイラク、クウェートあたりの国境って、実にいいかげんに作られたものですわな。
イスラエルにいたっては今も無茶して広げてます。

さて、それで保阪さんはソ連に占領されて東側陣営に入る幻の国家を「東日本社会主義人民共和国」と名付けましたが、私だったらそれは東日本の先住民、アイヌの共和国であってほしいですね。
名付けて「ウレシパモシリ共和国」。
どうせもうすぐ日本国憲法改正論議が首相近辺から出されることと思います。
私も憲法改正には賛成です。
第1章を削って、「ニッポン共和国憲法」と名前を変える。
ダメっすか?
ダメらしいんで、幻の琉球共和国とウレシパモシリ共和国に期待します♪
吉里吉里共和国でも、でんがなまんがな共和国でも、どってんばってん共和国でもいいぞ。

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Pissing in a River(1975)

多少時間的な無理をしてオフ会に強行参加したので、帳尻合わせに必死な一日。
これからまた夜なべ仕事などせにゃならぬ。

祭りのあとって寂しいな。
極端な言い方をすれば、もしかしたらもう二度と会えない人たちかもしれないのだし。
とても楽しかったですよ、ありがとうございました。

ちょっとスクラッチから日録を書く余裕がないので、蔵出しいたします。
単にまたパティ・スミスが聴きたくなったので本館日録で検索してヒットしたページ。
時々無性に聴きたくなることがあるのです。


【2003年6月23日付日録】
[ Patti Smith 発注 ]

6/21(土)深夜です。
眠いっす。
昨夜朝までサッカーの試合を見ていたから、ではありません。
このごろは毎日がそんな生活時間帯なのです。
一週間の疲れがたまったという感じですね。

ふとパティ・スミスが聴きたくなる。

え?っと、CDは買ってないか。
amazonで検索すると、不思議なことに日本盤も輸入盤もほとんど値段が変わらない。
こういうのは珍しいな。
まだまだ現役で頑張ってるようだが、うち(幻泉館っす)は元々70年代が専門なので、初期の3枚ぐらいが良かろう。
そうか、私の学生時代と重なるんだな。

歌詞を載せてるサイトを見つけました。
lyrics to patti smith songs
私の好きな曲”Pissing in a River”の冒頭はこんなです。

 ♪ Pissing in a river, watching it rise
 ♪ Tattoo fingers shy away from me
 ♪ Voices voices mesmerize
 ♪ Voices voices beckoning sea
 ♪ Come come come come back come back
 ♪ Come back come back come back

ちゃんと韻を踏んでるすね。
ああ、HORSESの写真は、今は亡きメイプルソープだ。
ジョン・レノンの写真も、メイプルソープのやつがいいよな。

HORSES(1975) / RADIO ETHIOPIA(1976) / EASTER(1978)
HORSES(1975) / RADIO ETHIOPIA(1976) / EASTER(1978)

あのジョージ・オーウェルが「隠れ共産主義者」のリストを英外務省情報調査局に提供していたというニュースがありました。
死の前年である1949年のことだそうです。
さらにその前年が1948年で、『1984年』を発表した年ですね。
なんか反共の闘士みたいになっちゃってますなあ。
晩節を汚したというのでしょうか。

リストに挙げられたのは作家、俳優、学者、ジャーナリストで、38人。

「隠れ共産主義者、共産主義のシンパ、あるいはその傾向があり、信用ができない」と付記され、チャップリンの名もあったそうな。
どうも英国情報機関の女性職員に懸想して求婚などしていたそうだ。
結核を煩った晩年、女の色香に迷ってリストを作ってしまった……という報道です。
動機としてはほほえましいかもしれないが、しかし、オーウェルが密告者かあ、ショックですわ。

朝鮮半島で大動乱があり、アメリカでマッカーシー議員が率いる非米活動委員会現代による魔女狩り「赤狩り/レッドパージ」が吹き荒れる直前のことである。
オーウェルさんには、マッカーシー旋風を見てもらいたかったと思います。

私を直接ご存知の方はおわかりと思いますが、ワタクシは共産主義者ではありません。
清く正しい前衛党の皆さんからは、むしろ嫌われるタイプの人間です。

でも、自分が狩られたくないので、「赤狩り」のような動きには反対します。
北朝鮮による拉致事件が大きく報道されるようになってから、「赤狩り」をしたいと思っている連中の声がやけに大きいので、不安です。

ところで、日本共産党さんであるが、綱領を全面改定するそうだ。
「君主制廃止の削除」
「自衛隊容認」
やはり元前衛党としか言いようがない。
それでも公安調査庁は共産党対策として予算を分捕るのだろう。

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幻ちゃんを探せ@新宿

[雑煮自慢開催中!!]
大団円迫る!
終了時刻は[ 1月4日24:00 / 1月5日00:00 ]
雑煮自慢大会 会場はこちらです♪

太陽がまぶしいです。
正月休みが明けた初日。
実は朝帰りからの仕事でございます。
日録の更新も、雑煮自慢の管理もほっぽりだして、困ったものです。
大変申し訳ございません。

タイトルからおわかりになると思いますが、新宿で待ち合わせて、新宿&吉祥寺で午後3時から朝まで飲み通し。
今までの静かな生活がウソのようにはじけまくってしまいました。
ぼつぼつと更新してまいります。

新宿アルタ前

何をしてきたのかというと、うるとびーずさんと匿名希望氏の「密会」(オフ会)に飛び入り参加してきたのでございます。
早晩豆腐の角にでも頭をぶつけて落命しそうな所業ですな。

寝ぼけたまま家を出て新幹線に飛び乗り、品川駅で降りました。
ここでふと周囲が妙にまぶしいのに気づきました。
あ、メガネ替えてない。
枕許でノートPCをいじる時の寝床メガネのままでした。
在来線との乗り換え口で岡田真澄さんを見掛けました。
幻ちゃんは小さいので、空を見上げるような角度になります。
恰幅がよろしいですが、とってもかっこいい方でした。
ちいさなお嬢さんの手を引いてました。

まだ時間が早いので、駅構内BECK’Sでホットドッグ&コーヒー。
ハンバーガーよりホットドッグの方がずっと好きなんです。
こんなの食べるのもずいぶんひさしぶり。
ここでカメラバッグの中に転がっていたおなじみの変装用「マスク」を着用します。

【新宿】
新宿アルタ前午後3時。
いきなり匿名希望氏に発見されます。
「とてもあやしい」そうです。
やっぱり一目でわかったとか。
同様にマスクをかけて人待ち顔のうるとびーずさんをすぐに発見。
しかし、みんな初対面なのに昔からよく見知った人たちのような気がするのはなぜでしょうか。

食事ができるところを探そうということになったのですが、ふと歌舞伎町の噴水跡が見たくなりました。
蓋がしてあるところは見たのですが、もっと平らに均してからは初めてです。
お店はまだ閉まっているところが多そうなのですが、学生時代に行ったことのある「セントラルパーク」を覗くと営業中。
いきなり生ビールで乾杯という展開になってしまいました。
いいんだ、まだ正月だから。

このお店はizumatsuさんも行ったことがあると思います。
ステージでジョージ川口さんの演奏を見たことがあります。
我々の学生時代はまだできてからそんなに経っていなかったのですね。
箸袋にこう書いてあります。

>ととや NEW YORK
>せんとらる ぱぁーく

>Let’s Zapping?を提唱して30年
>父母も通った青春の道?大型パブの草分け

だそうです。
ピザなんぞほおばりながら、生ビールをおかわり!
初対面とは思えぬ話の盛り上がりに、ピッチが上がります。
お?い、まだ日は高いんだぞぉ。
3人とも完全にできあがっております。

【吉祥寺】No.1
夕方の酔っ払い3人、吉祥寺に行こうということで盛り上がってしまいました。
想いは様々だったかも。
中央線のホームで友部正人さんの曲を口ずさんだり、幻ちゃんもごきげんです。
吉祥寺駅南口の階段を降りながら、斉藤哲夫さんの曲を歌っています。
丸井の角を曲がり、新しくなったお店を眺めながら公園へ。
残念ながら、「いせや」はお休みでした。

野外ステージの近くではギターを弾いている人がいます。
その人をアメリカ人らしき方々が囲んで何かわーわー言っています。
その中へうるとびーずさんがやはり英語でわーわー言って入っていくのですが、そちらには目もくれず、幻ちゃんはステージに上がります。
まだ夕方だよ、酔っ払いたち。

それから多少迷ったりしながら、懐かしい「のろ」にたどり着きます。
営業中!
新宿のセントラルパークでも一番乗りだったのですが、ここでも一番乗り。
なおかつ既に酔っ払った3人。
私は焼酎の湯割りからジントニックへ。
何杯でも飲めるぞぉ???

カウンターに置いてあった斉藤哲夫さんのCDを買って帰ろうと思っていたのに、買い忘れました。
残念。

「のろ」によく行ったのは、80年代の初めです。
お店の中の雰囲気は今もまったく変わっていません。
かかる音楽もジャストフィット。
私は壁に向かって座っていたのですが、振り返ると懐かしい人たちが飲んでいるのではないかと思えました。
うるちゃん&匿名希望氏もくつろげたようで、良かったです。

【吉祥寺】No.2
実家へ帰らなければならないうるとびーずさんを吉祥寺駅で見送り、酔漢二人は再び吉祥寺の街へ。
今度は友部正人さんの歌に出てくる「中道通り商店街」へ。
ラーメン屋「よしのや」さんや、焼き鳥「みすず」さんは健在。
ウニタがあったところが新しい建物に変わっているのは知っていた。
郵便局もきれいになった。

路地を曲がって「まめ蔵」のあるところは、シャッターが降りていた。
それから東急裏、伝説の「火薬庫・ぐゎらん堂」跡地。
雄弁に過去の姿を語り伝える幻ちゃんであった。

この時点で「朝帰り」を覚悟。
伊勢丹の西側にある小洒落た通りにある、「more」に入った。
ジャズ喫茶の名門「meg」の姉妹店である。
楽しくお酒が飲める店。
ここではアイリッシュ・ウィスキーのロック。
ぐだぐだニコニコと杯を重ねる。
もう電車はない。
吉祥寺の夜が更けていく。

高田渡「夕暮れ」

[雑煮自慢開催中!!]
終了時刻は[ 1月4日24:00 / 1月5日00:00 ]
雑煮自慢大会 会場はこちらです♪

更新しました。
夕陽が好き![I Love Sunset!]
2004年1月2日 千本浜

ここ十年ほどの間、私の年末年始休みは大晦日と三が日だけです。
今回もそうです。
ああ、もうすぐ休みが終わる。
しまった、ちょっと宿題があったんだ。
夕陽の撮影で身体を冷やしたらしく、ちょっと熱っぽい。
とりあえず今日は布団に潜ろう。

大晦日の妙なコンサートで渡さんが1曲だけだったのでちょっと欲求不満。
2枚組みの『Best Live』など引っ張り出してぐるぐる聴く。
そうそう、これこれ。
大晦日からずっと僕は「夕暮れ」を口ずさんでいたのだ。

黒田三郎さんの詩に、高田渡さんが曲を付けた作品。
ライブでは「明るい曲がなくてすいません」なんて言ってる。

 ♪ 夕暮れの町で
 ♪ 僕は見る
 ♪ 自分の場所からはみ出してしまった
 ♪ 多くのひとびとを

実は、渡さんは原作の詩を少し改変して曲を付けることが多い。
上の部分では3行目「はみ出してしまった」は、黒田さんの原詩では「はみ出てしまった」。
この先では、かなり大胆な改変を行なっている。
一連そっくり言葉遣いが入れ替わっているところもある。
先に渡さんの歌を知ってしまった身としては、少し原詩の響きが居心地悪く感じられる。
対照して並べてあるサイトを見つけたので、興味のある方はご覧ください。

安藤文隆のエッセイ

銀座ライオンのようなビヤホールなのである。
吉祥寺の「いせや」や「下駄屋」ではない。
渡さんではなく、黒田三郎さんの世界。

以前の渡さんは、リフレインなんかののために少し原詩をいじるといった感じだった。
ところが、「夕暮れ」では書き換えの水準がそのようなものではなくなっている。
上記サイト安藤文隆氏は、渡さんの「夕暮れ」では絶望感や無力感が強調されていると分析している。
原作の「夕暮れ」は「哀しいながらも哀しさのやり過ごし方を熟知した達人・黒田三郎ならではの確信と安定感」を感じるという。
見事な分析というほかなく、ただ脱帽である。

伝説のステージ泥酔事件や、実際に私が目撃した吉祥寺東急裏おまわりさんと口論事件など、渡さんはついついおもしろく語りたくなるが、哀しい歌うたいなのである。
以前高田渡「火吹き竹」(1973)というタイトルで、『世界・わが心の旅「ドイツ 僕と生きてきた詩(うた)」高田渡』という番組のことを自家引用しました。
ドイツ人の多くが滑稽だと感じるリンゲルナッツの「すかんぽ」を渡さんは哀感こめて歌うのです。

ふと、こんな光景が頭に浮かびました。
まっさらな原稿用紙に、丁寧に丁寧に言葉を書く渡さん。
ほんの少し書き換えては、納得できずにまた別の原稿用紙を引っ張り出す。
他人が見てもその違いがわからないほどの書き換えを、ほんの少しずつ加えていく。
何度も何度も繰り返して。
そう、ちょうど山之口獏、獏さんが詩を書く時のように。

高田渡『Best Live』

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初日の入り / 雑煮自慢!

【追記】No.3
どたばた用事を片付けて、浜へ夕陽を見に行ってきました。
昼間はぽかぽか陽気だったのに、曇ってしまい、風がめちゃくちゃ寒くて参りました。

ほとんど人がいないのに、撮影をしている人は元旦より多かったです。
元気にはしゃいでいたのが、外国人の人たち。
大きな波を喜んでいました。

夕陽画像は明日付けの日録にアップします。

【追記】No.2
それで、年賀状不配問題はあっさり解決してしまいました。
昼前に元日配達分を持ってきてくれたようです。
まだ昨年の半分にも満たないようですが、幻子心母がお詫び用タオルを受け取ってしまったので、これで終了。
呼ぶように言っておけばよかった。

あのうち(の息子)はうるさいということで、必死になって探したのでしょう。
おそらく「誤配」は本当だったのでしょう。
あとは説明がめちゃくちゃでしたが。
あ?あ、終わっちゃった。

【追記】No.1
ほとんど寝ていないのだが、朝目を覚ましてしまう。
おなかが空いたので、まだお澄まし状態の雑煮を食べようとしたら、餅が入っていない。
それでお餅を入れてぼぉっと待つ。
あ、郵便局に電話しておこう。

年賀状の不配・紛失はよくあるようだ。
izumatsuさんの他にも、そんなことがあったという連絡をいただく。
黙っているとそのままになってしまいそうなので、電話をかけることにした。
雑煮に餅が入っていなかったおかげである。

電話が「集配課」に回されると、「住所は?」と聞かれる。
ちょっとむっとしたので、名前は言わない。
その人物がなかなか電話にもどってこないので、ぼぉっと待つ。
あ、風水猫は他にも買ったわ。
電話の近くに、活躍中の風水猫が一匹。

担当氏が電話に戻る。
「これから見るところですから」
いきなり訳がわからない。
お客さんがポストに入れたから、その中から発見するという主旨のことをおっしゃる。
お客って誰だ?
説明になっていないので、もう一段階「むっ」のレベルが上がる。
これで2「むっ」である。
ここで自分の中で確認する。
けっして怒鳴ってはいけない。
「調査してご説明をいただくことになっています。まったく聞いてませんよ。見つかったのですか?」

またほうっておかれて、「むっ」がさらに3つほど増える。
また同じ人物が出ても、要領を得ない。
誤配をして、その家の人がポストに投函したと言いたいらしい。
後ろで騒がしい音がして聞き取りにくくなる。
結局他の人物が電話に出ることになる。
後ろの音が静かになる。

「だいたいそちらの不手際で、ご連絡をくださることになっているのに、どうして私が電話代払って待たされてるんですか?」
我ながら言うことがみみっちい。
とりあえず発見した分だけすぐに届けてくれるという話になった。

雑煮を食べて書斎のPCに向かうと、郵便局の人が年賀状を持ってきてくれた。
粗品を渡そうとするのを押し返して、持ってきた年賀状をチェックする。
ここで発見してしまったのだよ、29日に大阪で投函してくれたかわいい年賀状を。
「ウソですね。これは元旦配達分ではありません。明日の配達分です。昨夜確認してあります。これは29日に大阪で投函されたものです。元旦配達分はどうなったんですか?」
だいたい、同じブロックの家に誤配されていたら、ポストに入れるのではなく直接うちに持ってきてくれる。
郵便局の説明が実に怪しい。
「わざわざ持ってきていただいて御苦労様でした。でも、説明がウソなのでとても怒っていたとお伝えください。」

さて、どうなるんでしょうか?


[雑煮自慢開催中!!]
王道関東雑煮、本格京都雑煮、細密創作雑煮、厚顔無恥餅粥……
終了時刻は[ 1月4日24:00 / 1月5日00:00 ]
雑煮自慢大会 会場はこちらです♪


元旦の午後7-11に出かけて、毎日新聞と「のどかな新聞」を買ってきました。
毎年の習慣です。
分厚いので得した気になるのと(おばちゃん体質)、1月2日に新聞がなくて寂しい、一応テレビ欄をチェックしておきたい、なんてところでしょうか。

大学を出てからしばらく7-11のバイトをして暮らしていたのですが、おなじみの新聞配達のみなさん、大変そうでしたね。
元旦の新聞配達は普段の2倍あるから。
一度で回れるところを、2回に分けないと配達できない。
かわいそうでした。
「がんばってね!」
そんな挨拶で、彼らとの一年が始まりました。

私は人の名前と顔を覚えるのは苦手なのですが、お客さんで来たことがあるかどうかは、すぐにわかりました。
たぶん一度でもお店に来たという方はわかりました。
吉祥寺ウニタというちょっと特殊な本屋さんで店番をしている時もそうでした。
他の方もそうなんでしょうか。

初日の入り。
山からのんびり市の街と海と夕陽が見えないかと思ったが、それは無理だと再確認。
山中の運動公園では、夕陽は西の山に沈むのである。
それから急いで浜に向かった。

夕陽を見にきた人は多かったけど、撮影してる人はあまりいませんでした。
小さな子供を連れた若夫婦が、太陽に向かって手を合わせて拝んでいました。
子供の将来を祈っていたのでしょうか。

のんびり高等女学校出身だった故浦辺粂子さんは、「徹子の部屋」に出演した際に、のんびり市では毎朝富士山を拝むということをおっしゃってました。
実際はそういう人は少ないだろうけど、気持ちはなんとなくわかります。

更新しました。
夕陽が好き![I Love Sunset!]
2004年1月1日 千本浜初日の入り

富士山や夕陽に手を合わせる気持ちはわかる。
お祭りは好きだから、初詣に行くのもかまわない。
しかし、「初」だけで別に神社を拝む気にはならない。
実際、初詣など何十年行ってない。

靖国神社に参拝しようという気にはならない。
それは断じて、「どこの国にもある自然な宗教行為」なんかではない。

過去日録より蔵出しします。
靖国神社を日本にある「一番偉い神社」だと思っている人がいるようですが、それは違います。
ある目的のために作られた、数ある神社の中の一つにすぎません。
ただ、歴史的には非常に重要であった、つまり重い過去を持った神社ではあります。



【2003年4月26日付日録より】
[靖国神社 そこに祀られている人々]

amazonより板倉聖宣さんの本が届く。
朝日選書『日本史再発見』
四六判並製本文312p 定価:本体1300円+悪税
「理系の視点から」と副題が付いている。
『科学朝日』1991年1月号?1992年12月号に連載されたもの。
第一部「車と乗り物の歴史」
第二部「数字で見る江戸時代」
『日本史再発見』

仮説社『差別と迷信 被差別部落の歴史』
B6判並製本文248p 定価:本体2000円+悪税
住本健次氏との共著。
仮説実験授業の形式に従って解説。
授業書付き。

仮説社『靖国神社』
文庫判本文60p 定価:本体500円+悪税
仮説実験授業のミニ授業書。
『差別と迷信』『靖国神社』

さて、仮説実験授業とは、国立教育研究所に勤務していた板倉聖宣さんが提唱している授業方法です。
1963年に始めたそうなので、もう40年の歴史があるのですね。
あらかじめ準備しておいた授業書にしたがって、「問題→予想(仮説)→討論→実験」を繰り返して、科学的認識、科学的思考を教育することを意図してます。

>科学的認識は,対象に対して目的意識的に問いかける実践(実験)によってのみ成立し,
>未知の現象を正しく予言しうるような知識体系の増大確保を意図するものである。

こう書くと難しいのですが、一見クイズ形式の「たのしい授業」です。

板倉さんの専門は科学史なので、当初の授業書は理科教育でした。
それが、歴史や地理といった「社会科学」の分野にまで広がっていきます。
私がそのあたりのものを読んだのは80年ごろで、それまで漠然と知っていた日本史の知識が、科学とはかけはなれていることに気づいて愕然としたものです。
板倉さんも『日本史最発見』の序文で、かなり意識して挑発的に歴史学の非科学性を説いています。
実証的であることと、科学的であることは違うのです。

わかりやすい例としていろいろな本に書いてあるのは、江戸時代の米です。
間違った思い込みでありがちなのが、「江戸時代は年貢で米を持っていかれるので、百姓は粟稗の類いを食べていた」。
当時の人口の九割の人間が百姓なんですから、彼らが消費しなければ米が余ってしまってしかたがない。
最終的には生産された米のほとんどを百姓が消費するのです。
ただ、百姓は自分で生産した米を貨幣で買い戻さなければならない。
これは誤ったイメージを抱いていることが多いですね。
今の高校では、正しいイメージを教えてくれるのでしょうか?

『靖国神社』は授業書のコンパクト版で、靖国神社に関するクイズ集のような感じ。
あっという間に読めます。
本当は多人数でわいわいやる方がよろしい。
副題が「そこに祀られている人々」で、この神社が何なのかをわかりやすく解説しています。

ここで質問。
つぎの中で、靖国神社に祀られているのは誰でしょう?
1. 坂本龍馬
2. 西郷隆盛
3. 大久保利通
4. 乃木希典
5. 東郷平八郎

ネタバレになるので、答えは書きません。
人数もここには書きません。



さて、大晦日おのぼりさんの続きです。
アフターコンサート。
本館の方だけに書いておこうと思いましたが、ええい、転記。

腹減ったからメシだねということで行ったのが、109。
コギャルの巣窟を見せてくださるという、引率者の方のありがた?いお心遣いです。
8階にあるバンコク屋台料理「チャンパー」。
コギャルなんぞ影も形もありません。
というか、お客なんぞ一人もいません。
厨房にはたくさん人がいるのに。
ちょっとびびりましたぞ。
飲み食いしているうちに少しお客さんが来てお店らしくなりましたが、大晦日ってそんなものなんですね。

レシートを見ると、お店を出たのが19:31。
この時間でも、既にラストオーダーを聞きにきたりしてました。
お店には外国人の方々がたくさん集まってきていました。
これから年越しのイベントだったのでしょう。
どこで何をするのかしら。
109もシャッター降りまくってました。
もう少しで閉じ込められるところ。
それはそれでおもしろかったでしょうね。

レシートから二人で飲み食いしたものを書き写しておきます。
何がなんだかわからないけど、カオスウェイから下がビールかな。

人数 2名
トートマンプラ
ソムタム
パッメアムアン
キオワン
カオスウェイ 4×
シンハー 2×
シンハーゴールド

ビールは元々好きなんですけど、30代の間は痛風だったので、自粛しておりました。
不惑を越えたらなぜか治っていたので解禁なんですが、独りで飲むとアル中になるので、ほとんど飲んでいません。
とってもおいしかったですよ。

幻泉館 リンク用バナー

幻ちゃんを探せ@渋谷

【追記】No.4(追記No.1は一番下にあります。)
2004年冒頭のイベント、オンラインお雑煮新年会がもうすぐ始まります♪

とってもおいしい我が家の雑煮、オリジナル雑煮、「雑煮、のようなもの」等々御自由に投稿なさってください。
コメントは新スレッドを立てずに、[RES]の形でお願いします。

開始時刻は[ 1月1日24:00 / 1月2日00:00 ]
終了時刻は[ 1月4日24:00 / 1月5日00:00 ]

雑煮自慢大会 会場はこちら♪

【追記】No.3
初日の入りを撮影して参りました。
人出は多かったけど、撮影してる人はあまりいませんでした。

ところで初事件。
うちに年賀状が一枚も来なかったのです。
やっぱりひきこもってるとねえ。

違います。
私はそれほどの数ではありませんが、幻子心母は退職教員なんで、絶対に三桁の枚数の年賀状が届きます。

午後に何度も郵便局に電話をしていたようですがつながらず、5時ごろ私が夕陽撮影から戻ると、ちょうど郵便局の方がうちに来ました。
周囲のお宅はみんな届いているそうです。
うちだけゼロ枚。
バイトの高校生君が、「この家には一枚もなかった」と証言しているようです。
お?い、それはありえないんだよぉ。
どうなるのかしら。

成り行きを実況中継しましょうか。

【追記】No.2
フィナーレの全員歌唱「遠い世界に」ですが、高田渡さんは一番しか歌えないことが判明。
間近でにこにこもごもごごまかしているのを見ました。

司会コウタローさんが言ってました。
「すごいなあ、渡も楽譜見ないで歌えるようになったんだ。すると『もう見えないんだ』と言われました。」
捨て身の冗談ですな。
明日は我が身。


皆様、明けましておめでとうございます♪
本年もよろしくお願いいたします。

2004年の正月といえば、あなた、お雑煮を自慢する時が来たのでありますよ。
雑煮自慢大会、開始時刻は2日午前0時ジャストです。
会場URLは、1日午後7時頃に発表します。

さて、年は明けたのですが、日録の内容は2003年最後の日、大晦日に幻泉館主人がおのぼりさんとなって渋谷をうろうろした話です。

まず朝なのですが、乗ろうと思っていた新幹線こだま号に乗れませんでした。
あらま。
ところが、そのすぐ後に来たひかり号が停車してくれ、なおかつ品川駅に停まる。
知らない間にずいぶん便利になっているので、まず驚きました。

渋谷駅から外に出ると、中国喜び組の映像がガンガン流れていて、まあさすが大都会。
なんとかビジョンの数がずいぶん増えていました。
意外に人の数が少ないのにも驚きました。
ただ、人の動きとテンポが合いません。
そうそう、こういうことは何度も経験しているので、あまり気にはなりません。
モアイ像の近くで救世軍の演奏をぼおっと眺めて、目を人込みに順応させます。

引率をお願いした方(妙齢の美女♪匿名希望)に携帯でメールを出して、「もう着いちゃったよ?」と泣き言を言う。
某国営放送へ通っていた時によく朝食をとった「アートコーヒー」を待ち合わせの場所に考えていたのだが、もうその店はなくなっていた。
「カラオケ歌広場」がある所かなあ。

他人様を急かしておいて、自分はぶらぶらと街の変化を確認して歩く。
それで「竹久夢二居住地跡」なんてのを見つける。
これは引率者さんに撮影してもらおう。

人が少ないので、待ち合わせはハチ公の尻尾あたりということにした。
携帯でメールを送る。
「幻ちゃんを探せ♪」
初対面なので、わかりやすいように楽天のプロフィール画像に似せることにした。
大サービスでマスクを付ける。
一発でわかったそうです。
でも、わかりやすくあるが、すっと引かれてしまった。
どう見ても、あぶない人なんだそうな。

そうまでおっしゃるのならと、せっかくだから上京記念の写真を撮ってもらう。
それが下の画像です。

幻ちゃんを探せ@渋谷

肝心のコンサートについては、後で書きます。
[この項続く]

【追記】No.1
さて、ずいぶん早く渋谷に着いてしまったのに、アホな写真を撮ったりしてぐずぐずしていたので、渋谷公会堂に滑り込んだのは開演直前でした。
一目見て、観客の年齢層が非常に偏っていることがよくわかります。
ずばり50代の面々。
幻泉館主人が「若手」、引率者さんは娘みたいなものです。
おかしいのは、ステージ上で機材を動かしているのも、観客と同じ世代でありそうなこと。

これがいったい何のコンサートなのかというと、タイトル長いんです。
 「パックイン・ミュージック」Presents
 あのラジオ、あの歌、あの青春 Part.2
去年Part.1があったんですね。
TBSのオフィシャルサイトでは、こんなふうに書いてます。
—————————————————-
TBSラジオ伝説の深夜番組「パックイン・ミュージック」の名物パーソナリティー「ナッチャコ」こと野沢那智&白石冬美が、70?80年代のフォークソングの名曲とともに大晦日に渋谷で年忘れコンサート!!
—————————————————-

もうレトロ一色、開演前にはPP&Mが流れています。
最初に野沢那智さん、白石冬美さんの語り。
このお二人は最後にもう一度出てきて、コンサートを閉めました。
実際に進行上の司会は山本コウタローさんと山田パンダさん。
ノリノリで踊るといったようなコンサートではなく、風邪をひいたおじさんたちが座席に座っておなじみ曲を口ずさむといった感じの催しものでした。

基本は出演者の生ギター弾き語り。
前から3列目の席だったので、それほど興味のない曲でもギターを弾く手許を見ていて楽しかったです。
「ギター弾こう!」と思いました。
ストーブをつけるようになって部屋からギターを避難させたので、このごろあんまりいじってなかったのです。

山田パンダさんは予想より良かったです。
「別格」出演者を除いてはみんな1曲ずつだったのが寂しい。
斉藤哲夫さんが「吉祥寺」を歌ってくれたのは嬉しかったです。
高田渡さんは、中川イサトさんのギターと竹田裕美子さんのアコーディオンがバックに付きました。
「え、これだけなの?」
引率者さんも思わずつぶやいてましたぞ、寂しい!

三浦和人さんから太田裕美さんまではかなり歌謡ショーの雰囲気。
山木康世さんの弾き語りは迫力がありました。
佐田玲子さんは白鳥座をやっているころに昼間のラジオ番組をよく聴きましたが、それは80年代半ばのこと。
生ギターだったのでステージを見ていましたが、沢田聖子さんと太田裕美さんの時はピアノの陰になってしまって見えないので、睡魔と闘っておりました。

この日一番良かったのは、木村充輝さんの弾き語り。
この曲なんだっけなあと思っていたら、リフレインで、♪ケセラ ケセラ ケセラ?♪
ああ、そうだ、ホセ・フェリシアーノでヒットした「ケサラ」だ。
どうも観客には木村さんも「ケサラ」もほとんど知られていなかったようですが、歌は染み透っていったようです。
しかしまあ、顔が丸くなられて、あの語りといい、ジミー大西画伯に近いものがありました。

はしだのりひこさんは枯れた落語家さんのようにボケをかましまくって、さすがに元フォークル。
ただ、一昨年末の新生フォークルが坂崎幸之助さんだったのは、やはり正しかっのだろうと、ステージを観て思いました。
そういう意味では五つの赤い風船も、フー子ちゃんでなくて青木まり子さんが歌うことに意味があるのでしょう。
フー子ちゃんで聴きたいですけどね。

後が詰まっているようで、懐メロおやぢたちは午後5時に会場を追い出されました。
すぐ側のNHKホールではあの赤白に分かれた戦争ごっこが行なわれることになっていました。
お腹が空いたので渋谷で食事をすることになったのですが、しかし大晦日の渋谷、人が少なくて寂しかったです。

以下、いいかげんな概要です。

山本コウタロー:岬めぐり
山田パンダ:僕の胸でおやすみ
斉藤哲夫:吉祥寺
高田渡:生活の柄
三浦和人(元雅夢): 愛はかげろう
大久保一久(元猫・元風):?
山木康世(元ふきのとう):思えば遠くに来たもんだ
佐田玲子:?
沢田聖子:?
太田裕美:木綿のハンカチーフ/?
木村充輝(元憂歌団):ケサラ
はしだのりひこ:風/イムジン河
五つの赤い風船:恋は風に乗って/これがボクらの道なのか
はしだのりひこ:花嫁
全員:遠い世界に

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ありがとう♪

2003年最後の日です。
いい年でした。
一緒に遊んでくださって、ありがとうございました♪

私にとって今年はなんだかいろいろ変化があった年なんですが、その前にあった転機は1999年かな。
だいたい4年周期なのか。
ネットにのめりこみ、古いレコードや雑誌を集めるようになりました。
それがひと区切りついたのが今年。
閉じこもっていた殻がはじけて壊れたようです。

音響カプラを黒電話にはめて300bps程度で通信を始めたのが80年代半ば。
今の高校生が生まれたころです。
データが一行ずつ送られてきて、PCの画面に文字を書き込むのが見えるような速度の、パソコン通信でした。

それから数年後、東京で食い詰めた時に仕事をもらったのは、NiftyServeの掲示板でした。
まだ商取引などの規制がほとんどなかったので、人材募集のような書き込みもあったのです。
楽天広場住民ミドル英二さん(大勝文仁さん)の編集プロダクションで仕事をいただいて窮地を逃れたりしたこともあります。
その会社もたたんでしまわれるそうで、ずいぶんあっという間に時が流れたのだなあと、感慨深いものがあります。

前回の転機の前年、つまりフランスでワールドカップが行なわれたころだと思いますが、そのころに買った箸置きが出てきました。
ヒナに似ているので嬉しくなって買ったものです。
ずっと箸置きなんぞ使ったことがなかったので、妙な気分です。
幻子心母は「しっぽが違うね」などと妙なこだわりを見せています。
ヒナの尻尾は黒いのです。
時々屋上駐車場で夕陽を写している、IPのテナントに入っている店で買いました。

風水猫たち

風水猫と書いて、ぶす猫と読ませるようです。
失礼ね、ヒナはおぶすじゃありませんわ。

大晦日は東京に出かけておのぼりさんになるので、日録の更新は大幅に遅れると思います。
ずいぶんひさしぶりに渡さんが歌うところを観ることになっています。
おのぼりさんを引率してくださる方とは、初めてお会いします。
二十年近いネット生活で、初めてのオフです。
(うるとびーずさんの言い方だと密会。)

楽天広場では「幻泉館 主人」の人格がずいぶんふくれあがってしまったので、現実の自分を見てがっかりされるのではないかと不安でなりませんでした。
今はとても楽しみです。
日々の暮らしの中でのつらいことや悲しいことを今はあまり書いていませんが、この大晦日を楽しみにがんばったようなものです。
楽しんで参ります。
行ってきます♪

みなさん、よいお年を!

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『放送禁止歌』(1999年)

【追記】No.2
夕刻、浜へ夕陽を見に行く。
明日は東京へでかけておのぼりさんになるので、これが年内最後の夕陽撮影。
いわゆる撮り納め。

平日だけど年末休暇らしく、人が多い。
離れたところで、UAを大音量でかけて騒いでいる人たちがいた。
私が帰りにかけていたCDは、サイモン&ガーファンクルのベスト盤、「ニューヨークの少年」が良かったです。

更新しました。
夕陽が好き![I Love Sunset!]
2003年12月30日 千本浜より

【追記】No.1
ついさっきまで本文をいじりまくっていたのですが、この辺でバグを固定。
後は追記扱いとします。

歌詞の中の語句が問題となった場合は、該当部分に手を加えることによって放送できるようにすることもよくありました。

秀0430さんへのレスに書きましたが、小室等さんは「街と飛行船」の中の問題部分を、逆回転して貼り付けました。
今音源が手に入った場合は、PCに取り込めば編集して演奏を復元することができます。

ドキュメンタリー『放送禁止歌』で胸が痛むのは、山平和彦という新人歌手が「放送禁止歌手」というラベルを貼られることによって、歌えなくなってしまったことです。
ファーストアルバムは何曲も実質的な放送禁止歌となっています。
要するにアルバムタイトルに対する報復行為でしょう。
それは抽象的な組織といったものやメディア一般が行なったのではありません。
実際にはある一人の人物が、気に食わん奴だとカチンときて指定したはずなのです。
本当はその人物を確定して、話を聞いてもらいたかったと思います。

山平和彦さんは叙情的なソングライター&歌手でした。
ファーストアルバムに入っている「月経」は野田寿子さんの詩に曲をつけたもの。
ナチスの収容所の中で初潮を迎えた少女が、そのことで自らの生を確認するという曲です。
このタイトルと内容が「公序良俗になじまない」のなら、公序良俗なんてバカなものは要らないでしょう。


放送禁止歌
事情により、更新が全然間に合わず。
年内の仕事がほぼ終わったので、まるで力が入らないのでございます。
ふにゃふにゃ。
『放送禁止歌』について書こうと思っていたのですが、少しずつメモを追加していく予定です。
「放送禁止歌」そのものについてよりも、むしろ言語と差別についての考えを書いておきたかったのですが、ちょっと無理かな。

いろいろ言いたいことがあるのが、かえって書きにくくなっている理由かもしれません。
一つの歌の運命について調べたりした方が書きやすいでしょうね。

フジTVの深夜枠NONFIXで放映された『放送禁止歌 ?唄っているのは誰? 規制するのは誰??(1999)』がどうしても見たかったので、おなじみの某業界人氏に頼んで送っていただいた。
SkyPerfecTVでリピートしてくれたはずなのだが、見逃した。
問い合わせても、何の音沙汰もない。
もう何年も見たかったので、大感激。
御恩は一生忘れません、わんわん。

ところでフジTVのことをCXと呼んだりするのは、あんまり好きではない。
お上から賜った放送事業の免許という感じがしていやだ。
そういう人はNHKのことをAKとかBKとか呼んでるのかな?
ちなみに、サッカーどころであるのどかな県のNHKは、PKなんです。
以前はそういうサッカー番組をやってくれてました。

番組から生まれた書籍『放送禁止歌』のおかげで番組の内容はよくわかっていたので、実際に見ると拍子抜けする部分も多い。
でも、たとえばあまり目にすることのない現在の(1999年だが)山平和彦さんの姿は、映像だからこその説得力がある。
歌詞に詰まってもう一度途中から歌いなおすところなど、これがドキュメンタリーのおもしろさだなあと感心する。

書籍はまず番組制作の翌年、2000年に解放出版社から発行された。
A5判並製本文189p
定価1800円+悪税
かなり売れたのではないかと思う。
私も会う人ごとにこの本を薦めていた。

目次は下記の通りだが、番組制作に関して丁寧に説明していて、放映時に見ることができなくても、制作者の意図はよくわかった。

第1章 テレビから消えた放送禁止歌(企画の出発点―闇に消えた放送禁止歌
 企画着手―放送禁止の歌をどうやって放送するんだよ? ほか)
第2章 放送禁止歌、それぞれの具体的な背景(放送禁止歌と発売禁止歌
 有線放送で流される放送禁止歌 ほか)
第3章 放送禁止歌・日本VSアメリカ―デーブ・スペクターとの対話(アメリカ初期の放送禁止歌―性を連想させる歌はご法度
 アメリカ”表現の自由”をめぐる闘い―検閲は反対だが、創意工夫は必要 ほか)
第4章 部落差別と放送禁止歌(『竹田の子守唄』のルーツを訪ねて
 大ヒットフォーク『竹田の子守唄』の系譜 ほか)
「放送禁止歌」掲載曲名リスト

解放出版社版は現在も入手可能なのだが、今年の6月に光文社の「知恵の森文庫」に入った。
定価が648円+悪税。
さらに入手しやすくなったのは良いことだと思うのだが、解放出版社は大丈夫なのだろうか。

具体的に個々の歌を追っているのだが、高田渡「自衛隊に入ろう」、山平和彦「放送禁止歌」、赤い鳥「竹田の子守唄」、岡林信康「手紙」といったところがそれぞれヤマとなっている。
惜しいのは、岡林信康さんが姿を見せないことだ。
amazon/avexの復刻盤でごっそり曲が削られたのだが、岡林さんには姿を現わしていただきたい。
御本人は消したい過去なのかもしれないが、こっそりと消すにはあまりにも大きな存在なのだ。
少なくとも、なかったことにするのは歴史の歪曲だ。

過去の日録で「放送禁止歌」について書こうとして、何度も失敗しております。
代表は岡林信康「アメリカちゃん」(1969年)
よろしかったら御参照ください。

番組の結論は明快で、日記本文より先にレスを付けてくださったDr.悠々さんのおっしゃる通り、勝手な自主規制のために放送しなくなってしまったのだ。
「解放同盟の糾弾を受けたくない」という、自己保身による自主規制である。
これで「解同は恐い」というイメージがさらに増幅された。
思想統制を行ないたい者の、思うがツボといったところだろう。
この無限に続く無責任の構造は、故丸山真男氏が分析してみせた天皇制の思想構造と、なんとよく似ていることか。

まともに勉強しなかったのだが、僕が政治学などという学問を専攻したのは、高校生の時に丸山真男さんの本を読んだことによる。
岩波新書の『日本の思想』と、未来社から出ていた『現代政治の思想と行動』。
この2冊に、本当のインテリとはこういうものなんだろうとイカレタのである。
団塊の世代とやらの全共闘が、丸山真男を近代主義と批判して簡単に切って捨てたのにはまったく共感できなかった。

文庫版のためのあとがきで、森達也さんは9.11の追悼ライブでニール・ヤングがあえて放送禁止歌扱いになっていた「イマジン」を歌ったことを取り上げている。
一人の勇気がいかに貴重で大きな影響力を持つか。
あのニール・ヤングには、胸が熱くなった。

森達也さんは僕と同じ年齢らしい。

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おもちつき♪

【追記】No.4
スケジュールを間違えていたので、ぽっかり予定に穴が空いた。
ひま。
やらなければならないことは山のようにあるのだが、なんだか気が抜けてしまった。
こういう時に風邪をひきやすいので、要注意。
今日はいい天気なんだけど、風が強くて寒いです。

【追記】No.3
ところでついでにおいしいものの話をしておきますと、採れたての菜っ葉はとてもおいしいです。

日録に登場していませんが、畑に行った日は採ったばかりの葉物が食卓に上ります。
今夜はチンゲンサイ。
ゆでてそのまま食べるのが好きです。

こういうものを見るとすぐにドレッシングのようなものを掛けたがる方がいますが、そのままの方がおいしいと思います。
味噌汁にちょっと浸すなんてのでもいいですね。
採れたての野菜の甘みがわかる程度の味付けで。

質素な食卓ですが、実はかなり贅沢な味ですよ。

【追記】No.2
湯上がり♪
あの憎らしい乾パンめ。風呂の行き帰りに一枚ずつ成敗してくれたわ。
後はおいしいコーヒーが恐い。

これはキャラ違うな。
どちらかというとchappiさんだ。

【追記】No.1
だいたい暮れは普段より忙しいスケジュールになっている。
そのうえ大掃除をしろというのは無理だ、そりゃ。
といきなりな言い訳。
まっとうに生きてきた幻子心母は、私のエリアを除いて着実に掃除をしたらしい。
我が母ながら、立派なものである。

今年のヒットは、「乾パン」。
大きな缶であります。
東海大地震というものがおきたら、役に立つらしい。
だが、賞味期限があるので、時々入れ替えなければならない。
「食べておいてね」と、テーブルの上にこの缶が置いてある。

嬉しい。
好きなんだわ、乾パン。
通り掛かる度に蓋を開けて一つつまんでしまう。
眠っているヒナの側を通る度にちょっかいを出すのと似ている。
自然に手が出てしまう。

この、ぎしっと詰まった感じがいい。
いかにも非常時に生命を救ってくれそうだ。
しかし、あまり平時にかみしめていてはいけない。
血となり肉となるというより、すべて皮下脂肪になってくれそうだ。
肝臓にも付いてくれるかもしれない。

しかし、乾パン。
あの乾パンが、食べてくれと、誘惑しているのだ。
これから風呂に入るのだが、その前を通らなければならない。
乾パンめ。


12月28日の夕陽に映えた富士山です。
めでたい感じがしますな。
夕陽が好き![I Love Sunset!]
外港より

朝日を撮ってくれとの声があるのですが、朝日は海から昇ってこないのです。
御了承くださいませ。

もちつき2003今日は毎年恒例のもちつき。
親父様が元気だったころは早朝5時というとんでもない時刻につき始めたものだが、今は私の朝食前。
つまり、世間的には昼前であります。

ここ数年、準備段階では「来年は買ってこよう」と弱音を吐く幻子心母だが、いざつき始めると「やっぱりこれでなきゃ」ということになる。
雑煮の中でとけた場合も、買ってきた切り餅ではあんまりおいしくない。
そういえば数年前に大手の切り餅に米粉が混ぜてあって、営業停止処分をくらったのではなかったか。
変だと思ってたんだよなあ。

とにかくこの石臼が、普通に運ぼうとしても、びくともしません。
やっとの思いで少しずつ回転させるように、引っ張り出してくるのです。

だいたいつき始めは、つき方を忘れています。
ぺったんぺったんつく前にひょいひょいと軽くついて固めます。
そうしないともち米が飛び散るのです。

杵の重さを利用して、あまり力を込めずにずしっと振り下ろします。
これは気持ちいい。
時々幻子心母が手返しを入れます。
恐いよなあ。
これは一度もやったことがありません。

おそなえのような、ざらっとした粗いお餅が好きなので、あっという間につき上がります。
なれてきたなと思ったらもう終わり。
まあ、それぐらいがいいんでしょうね。
翌日あちこち痛くなっても困る。

左側の画像のもう少し大きいものが、本館の幻泉館掲示板に貼ってあります。
よろしかったらご覧ください。
掲示板の画像はサムネイル表示なので、クリックするともっと大きな画像が表示されます。

70年代サブカルチャーとはまったく関係ないですね。
特に苦情も来ませんが、小心者なんで少し気にしています。
港からの帰りにジャクソン・ブラウンを聴いていたなんてのでよろしいでしょうか。

幻泉館本館


70年代サブカルチャー&反原発

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