ベスパの二人乗り CHRONICLES #123

千本浜 2004年4月22日

どうやって凶悪犯の歌を書こうか、レンはディランにも相談しました。
ディランはあの「赤色灯」のことから書いたらいいかもしれないと答えました。
実際にはレンがその歌を書き上げることはありませんでした。
レン・チャンドラーは、とにかくガタイのいいやつだったというのが、ディランの抱いている印象です。
ラインバッカーのようだったというのですから、大きくてがっしりしていて、ぶつかっても決して負けないといった体つきでしょう。
賢くて善意に満ちた人なのですが、恐れというものを知りませんでした。
そして、向こう見ずでした。
凍てつくような寒い夜、ディランをべスパの後ろに乗せて、フルスロットルでブルックリン橋を疾走したことがあるそうです。
たぶん路面は凍結していますし、交通も激しかったようですから、大変危険なことですよ。
自分で運転するんならともかく、タンデムでそんなことしたくないなあ。
後年のオートバイ事故と違い、この時はレンに運があったということです。
 →Vespa The Official Web Site
 →ベスパ総代理店成川商会
映画『アメリカン・グラフィティ(AMERICAN GRAFFITI)』(1973年)のベスパが印象的でした。
実にさえないテリーがゴミ箱にベスパを追突させるのは、演技ではなくて偶然の事故だったそうです。
ああ、ベスパの二人乗りといえば、『ローマの休日(ROMAN HOLIDAY)』(1953年)ですかね。
心に残る名シーンですな。
ただ、私がベスパですぐに思い出すのは、『遊軍』という70年代のテレビドラマなんです。
ベスパで走り回り、朝日というレトロな吸い口付きタバコを吸う、社会部遊軍記者を演じてたのは中村敦夫さん。
結局ドラマの最後では事件にかかわった主人公は原稿を書けないということになってしまうんです。
あれがかっこよくて、私は将来新聞記者になろうと思ったものでした。
googleで探しても、この番組見つからないなあ。
残念。
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蛇が来る

「夜に口笛を吹くと蛇が来る」
あれは「邪」が「蛇」に転化したのだと聞いたことがある。
牛若丸はなぜ夜に笛を吹きながら橋を渡るのか。
ケーナの練習もあまりしていないのに、また笛を買ってしまった。
以前から楽器屋さんで見かけてはどうしようかと思っていた、ティンホイッスル。
おもちゃみたいなものなので失敗してもあまり惜しくないのだが、結局買わずにいた。
それがついついgoogle検索などしていろいろ調べたら、欲しくなってしまったのだ。
管によってだいぶ音が違うようなので、二種類の形のものを、せっかくだからケースと一緒に注文。
すぐに届きましたわ。
ケーナと違ってすぐに音は出るのだが、きれいな音で鳴らすには、やはり練習が必要だろう。
また夜泣きネタができてしまった。
へい、れっどすねーく、かもん、かもん!
 →Clarke Tinwhistle
Clarke Tinwhisles

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死刑廃止論 CHRONICLES #122

千本浜 2004年10月25日

凶悪犯のチェスマンはガス室に送られることが決まっていました。
電気椅子じゃなかったんですね。
彼の助命嘆願には、著名人の名が並びました。
 →ノーマン・メイラー
 
 →レイ・ブラッドベリ:日本ファンクラブ
 
 →オルダス・ハックスリー Aldous Huxley (1894-1963)
 →ロバート・フロスト:道が二本森の中に続いていた。
 →wikipedia: エレノア・ルーズベルト
そして、死刑廃止運動をやっているグループが、レンのところにチェスマンの歌を書くよう依頼してきました。
短いですが、今夜はこれまで。
ただいまp.91です。
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さよならコンタックス

千本浜 2005年4月8日

京セラがコンタックスのブランドで展開してきたカメラ事業から完全撤退するのだそうな。
これは寂しい。
日ごろ使っているコンパクトカメラが、35ミリもデジカメもコンタックスだから。
今年も春一番で活躍してくれるはずなんです。
高校生のころに使っていたカメラがヤシカのエレクトロ35だったので、その愛着もあるのです。
 →2003年11月16日付日録:ヤシカ エレクトロ35(1966年?1975年)
上の夕陽は、もちろんコンタックスで撮ったものです。
おなじみのブランドが消えるのは寂しいなあ。
さようなら、コンタックス!

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暗い山 CHRONICLES #121

千本浜 2004年4月12日

主婦だってキンキラのサングラスをかけたグラマーな女の子になることができるし、年寄りだって若返ることができる。
そんないいかげんな幻想をふりまく情報の氾濫の中で、アートも変わりつつありました。
抽象絵画や無調子の音楽が流行して、現実を切り刻んでいました。
「この新しい芸術の波を航海したら、ゴヤだって迷ったことだろう」とディランは書いています。
レンとディランはその新しいものが本当に価値あるものなのか、単なるノイズなのか、一緒にあれこれと吟味したようです。
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ニュースに繰り返し登場する人物に、「赤色灯強盗」と呼ばれた悪名高い強姦犯、キャリル・チェスマンがいた。若い娘を強姦したことで有罪判決を受けた後、カリフォルニアの死刑囚監房に収監されていた。その犯罪は実に独創的な方法で行なわれていた。自動車の屋根に赤色灯をくくり付けて光らせ、そして女性の車を路肩に止まらせて外に出るように命じ、森の中へ引き摺り込んで強盗強姦におよんだのである。
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アメリカでは有名な犯罪者なんですね。
『リーダーズ英和(プラス)』にも、この犯罪者の名前が載っていました。
死刑制度を見直すきっかけとなったんだそうです。
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チェスマン Caryl Whittier Chessman (1921-60) 《米国の犯罪人; 誘拐・強盗・強姦などの 17 の罪状により死刑を宣告されたが (1948), さまざまの法的手段に訴え, 数度の死刑延期をかちとった; この間, 獄中で Cell 2455 Death Row (1956), Trial by Ordeal (1956), The Face of Justice (1958) などを書き, 死刑に反対; 結局は死刑となったが, これによって, 米国の裁判制度が批判されることになった》.
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日本では粗暴犯がこのような法廷闘争を行なうのは珍しいですね。
すぐに「連続射殺魔」永山則夫さんを思い出しましたが、連続暴行魔ということでは、「大久保清事件」も強烈でした。
 →大久保清連続殺人事件
この場所はその後、連合赤軍事件で連続殺人が起きることになります。
私は当初、偶然呪われた場所になったのかと思っていたのですが、後になって当事者たちの書いたものを読むと、だからこそわざわざ選んでキャンプを張ったようです。
 > もう一人は
 > 72年の年の2月の
 > 暗い山で
 > 道に迷った
樹村みのりさんのマンガに出てきた言葉を思い出します。
 →2003年10月7日付日録:樹村みのり「贈り物」(1974年)
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愛国

「愛の国から幸福へ」
こんなキャッチフレーズで、国鉄の赤字路線駅の切符が大ブームになったことがあった。
廃線となったので、もうその汽車に乗ることはできない。
「愛の国から幸福へ」は、70年代の幻だった。
本当は「愛の国」ではなかった。
「愛国」駅だったのだ。
駅舎だけは残っていると聞いたことがあるが、今でもあるのだろうか。
コンビニで買っていた東京新聞を、4月から宅配してもらっている。
朝刊のみの統合版だが、出かける時持って出るのにちょうど良い。
楽しみなのは署名記事の「こちら特報部」。
見開きに掲載されているのだが、寄せればちょうど一面に収まるぐらいの文章量である。
昨日が清沢洌『暗黒日記』の紹介。
今日は中国の「反日」教育に関する報道だ。
中国各地で広がっている反日デモの参加者は、二十代から三十代の若者が多い。
彼らは90年代に小学生・中学生だった若者たちで、当時強化された愛国教育を受けてきた。
「愛国教育」が始まったのは80年代のこと。
「抗日戦争四十周年」の前に「侵略」の文字を「進出」と書き換えさせた教科書検定による「教科書問題」があり、中曽根首相の靖国神社公式参拝が反日感情に火を点けた。
つまり、小泉内閣は中曽根内閣と同じネタで反日感情を煽っているのである。
さらに1989年の天安門事件によって中国共産党は政権維持に危機感を抱き、愛国教育を強化させた。
江沢民時代の1994年に「愛国主義実施要綱」を出して、愛国教育が徹底された。
この愛国教育の成果が、反日サイトで鬱憤を晴らしている若者たちなのだ。
安易な世代論にしたくはないのだが、並行して日本でも憎悪ばかりを振りまく「ネット右翼」が汚い姿をさらすようになった。
市場経済の導入によって、中国でももはや社会主義の優位という宣伝は通用しない。
かつて抗日戦争に勝利したという、過去の栄光にすがるしか中国共産党も生き延びる道を失っているのだろう。
ただ、統制を失った反日暴動になってしまうと、それは容易に反政府暴動に転化する可能性がある。
日本政府はそれを狙っているのかもしれない。
さて、日本の話だ。
十年に一度のはずの教育指導要領改訂に失敗したいうことで、文部なんとか省は急激に日本の愛国教育強化を始めた。
憎悪に憎悪をぶつけてどうするんだ。
将来は外国人に労働力を依存しなければならないのが目に見えているのに、排外政策を強化したり、アホちゃうか。
「愛国教育」=「亡国教育」なんだぞ。

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アメリカの夢 CHRONICLES #120

千本浜 2005年4月1日

ジョンソン大統領は「勝利を我らに(We Shall Overcome)」に込められた思想を、自分自身に合うように解釈してしまいました。
ディランが言うには、ジョンソンは見た目ほど素朴な人間ではなかったのです。
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The dominant myth of the day seemed to to be that anybody could do anything, even go to the moon. You could do whatever you wanted—-in the ads and in the articles, ignore your limitation, defy them. If you were an indecisive person, you could become a leader and wear lederhosen.
その時代には、誰でも何にでもなれるのだという神話が支配的なようだった。君は月にだっていける。広告や記事の中では、自分の限界を無視して超越し、望むことが何でもできた。優柔不断な君だって、リーダーになってレーダーホーゼンを履くことができる。
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おっと、これがわかりません。
レーダーホーゼンというのは、バヴァリア辺りの民族衣装で、膝までの革ズボンなんだそうですが、これはリーダーが履くものなんでしょうか?
被服系の話は私の弱点です。
1961年。
アメリカはまだ現代人が懐かしく回顧する、古き良き時代の残滓の中を生きていました。
新聞は、アメリカン・ドリームの夢を振りまいていたのでしょう。
ケネディ大統領がベトナムに対する直接的な軍事介入を決断する前夜です。
 →Wikipedia: ベトナム戦争
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暗黒日記

東京新聞の「こちら特報部」は、清沢洌『暗黒日記』の紹介。
1942年12月から1945年5月までの戦中日記である。
後に現代史の本を書くために社会を克明に記録しようとしたという経緯があるのだが、著者は日本の敗戦の3ヵ月前に55歳で病没した。
おお、忘れていた。
これも読んでおかないとな。
記事では評論社と筑摩書房から出ていることになっているが、amazonで調べたら岩波文庫版もあった。
ネット上だけで検討して、ちくま学芸文庫を注文することにした。
東京新聞の記事では、戦時中「特攻」に加わって攻撃直前に敗戦を迎えたお二方がこの本を語っている。
自身の生活体験に説得力がある。
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信太氏は子供時代の銭湯を思い出す。「帰還兵の人がいて『チャンコロ(中国人の蔑称)の首を切るとどんな音がするか、分かるか』と言い、手ぬぐいをパンとはたいた。その音を聞き、このおじさんは英雄だと疑いもなく思った」
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戦争は、まさに倫理意識の崩壊そのものである。
清沢洌『暗黒日記』には、無断で垣根の枝を折るといったような身近な生活体験からも描いている。
戦争が先か、民心の荒れが先か、ニワトリとタマゴみたいなものだ。
戦前の誤りを指摘すると「自虐史観」だなどと攻撃するアホが増えたのは、こんな体験から何も学んでいないからだ。
それでは、「日本人も必ず同じことを繰り返さん」ことであろう。
かつて侵略を受けた周辺諸国が脅えるのは当然だ。
『暗黒日記』

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勝利を我らに CHRONICLES #119

千本浜 2004年4月10日

ディランは当時の新聞記事を回想しているのです。
これは古新聞を調べたかもしれませんね。
スポーツ面では、ニューヨーク・レンジャーズがシカゴ・ブラックホークスに2対1で勝っています。
この2得点は両方ともヴィック・ハドフィールドによるものです。
ディランがアイスホッケーの試合結果を読んでるところというのは、なんだか想像しにくいです。
 →Alumni Spotlight VIC HADFIELD: THE FIRST TO 50
リンドン・ジョンソン副大統領が、合州国のシークレット・サービスに腹を立てていました。
私にまとわりつくんじゃない!
一人の襟元をひっつかんだりしたそうです。
それでディランはテックス・リッターのことを思い出したそうですが、これはあまりピンと来ません。
「飾り気なく現実的な(simple and down to earth)」人だと書いてありますから、まあ二人ともそうなんでしょう。
 →Tex Ritter
ケネディ大統領が暗殺されたため、このジョンソン副大統領が大統領になります。
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Later, when he became president, he used the phrase “We shall overcome” in a speech to the American people. “We Shall Overcome” was the spiritual marching anthem of the civil rights movement. It had been the rallying cry for the oppressed for many years.
後に大統領になった時、彼は国民への演説に「我々は勝利する(We shall overcome)」という言葉を使った。「勝利を我らに(We Shall Overcome)」は公民権運動の精神的な聖歌だった。長い間、抑圧された者たちのスローガンとなっていた。
—————————————–
おお、ジョンソン大統領の就任演説でしょうか。
いや、違うようですね。
でもおもしろいのでリンク張っておきましょう。
 →Inaugural Address of Lyndon Baines Johnson
 →プロジェクト杉田玄白:アメリカ大統領就任演説
この曲はずいぶん古い曲なんですね。
1900年に作られたゴスペル”I’ll Overcome Some Day”が元歌だと書いてあります。
今の形にしたのは、もちろんピート・シーガーさん。
私の場合、「We Shall Overcome」はジョーン・バエズさんが歌っているのがおなじみです。
 →勝利を我らに(We Shall Overcome)
 
 →HISTORICAL PLACES OT THE CIVIL RIGHTS MOVEMENT : WE SHALL OVERCOME
どのアルバムだったでしょうか。
岡林信康さんが「友よ」を歌う時、高石ともやさんが言ってました。
やっと日本にも「We Shall Overcome」のような曲ができたと。
残念なことに、それはほんの一瞬のことに終わってしまいましたが。
ただいまp.90です。
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キューバへ CHRONICLES #118


一緒に新聞を読んでは歌のネタを探していたレンとディラン。
トピカルソング友達とでも呼べばいいのでしょうか。
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I hadn’t begun yet writing streams of songs as I would, but Len was, and everything around us looked absurd—-there was a certain concsiousness of madness at work.
僕はまだ後に書くように歌を次々に書くようにはなっていなかった。でも、レンは書き始めていた。そして、僕たちの周りの何もかもが馬鹿げたものに思われた。作詞を始めると、ある種の狂気のようなものがあった。
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周囲のささいなことが煩わしく思えたりしたのでしょう。
ジャッキー・ケネディの写真というのが例に挙がっているのがおかしいです。
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Nearby at the Biltmore, the Cuban Revolutonary Council was meeting. The Cuban government in exile. They had recently given a news conference, said that they needed bazookas and recoilless rifles and demolition experts and that those things cost money. If they could get enough donations, they could take back Cuba, the old Cuba, land of plantations sugarcane, rice, tobacco—-patricians. The Roman Republic.
ビルトモア・ホテルの近くにキューバ革命評議会が集まっていた。キューバ政府が亡命していたのだ。最近記者会見を開き、バズーカ砲と無反動ライフルと破壊の専門家が必要だと言っていた。そして、そういうものにはお金がかかるのだと。十分に募金が集まれば、キューバを取り戻すことができる。古いキューバを。サトウキビ、米、タバコのプランテーションを。古代貴族を。ローマ共和国を。
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ビルトモアはロサンゼルスの有名なホテルですね。
アメリカの傀儡だったバティスタが国外逃亡に追い込まれたのは、1959年1月1日。
カストロやゲバラのキューバ革命はまだ生々しい同時代のできごとでした。
日本では、援農のような形で「キューバへサトウキビ刈りに」という呼びかけがあったようです。
岡林信康さんも、実際には行けなかったのですが、それでキューバへ行くと言っていました。
雑誌に「キューバへサトウ刈りを」という言葉が載っていました。
サトウキビではなくて、サトウ栄作さんと言いたかったようです。
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70年代サブカルチャー&反原発

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