隅田川乱一 / 空飛ぶキノコ

学生時代の友人が、浅川マキさんのエッセイ集が出たと教えてくれた。

『こんな風に過ぎて行くのなら』浅川マキ
石風社刊 定価2000円+悪税

すぐに届いたのだが、まだ読んでいない。
未読本の山がだんだん高くなっているので、埋もれてしまいそうなのが危険だ。
さらに危険なのは、山が崩れて何がなんだかわからなくなってしまうこと。
でも、ヒナは遊び場ができて喜ぶだろう。

石風社というのは、福岡でがんばっている出版社らしい。
東京以外の地で出版社を続けていくのは大変な苦労があると思う。
友人の御母堂がインドの本を石風社から出してらっしゃる。
アフガニスタンで井戸を掘っていた中村哲医師の本を何冊も出している。
阿部謹也『ヨーロッパを読む』は気になるが、残念なことに品切れ本。
あ、隅田川乱一!

以前毎日新聞の読書欄で隅田川乱一著『穴が開いちゃったりして』を知って、買ったのだ。
あれも石風社だったんだなあ。

「隅田川乱一」というのはいかにもペンネームだが、おそらく山上たつひこのマンガから採ったと思われる。
70年代半ばに『がきデカ』でブレイクする前、ストーリー・マンガからの転身を計っていた山上たつひこさんが、『喜劇新思想大系』というシリーズを発表していた。

主人公はおおむね「逆向春助」という一見普通の青年。
『がきデカ』ではかなりカットされたエロ・グロ的要素、青春のやるせなさなんぞがあって、こちらのシリーズの方が私は好きでした。

そのシリーズに出てくる医者のどら息子が「隅田川乱一」。
顔はほぼ骸骨で、犬猫を切り刻むのが趣味。
両親が病院内での患者殺しで死刑になった跡を継ぐという怪人。
ひどいマンガですなあ。

  喜劇新思想大系

で、こういうキャラクターの名前をペンネームにしたのが「隅田川乱一」さん。
70年代末から80年代初頭に『JAM』『HEAVEN』といった妙なインディーズ雑誌があったのですが、その編集者だった美沢真之助さんと同一人物です。
アングラ文化の怪人といったところでしょうか。
5年前、46歳で亡くなったんだそうです。

私が想像していたより年長。
それでも、なんとなく戦友を一人亡くしたような気になる。
去年ナンシー関さん(享年39)が亡くなった時も、そんな感じがした。
知り合いでもなんでもないし、やっていることや考え方も違うのだが、なんとなく「戦友」と感じるような人である。
えのきどいちろうさんや小田嶋隆さんもそうかな。
友だちにあんなやついなかったっけ、というところ。

穴が開いちゃったりしてロック、ドラッグ、映画、イスラム、禅、神秘学、プロレス等々、絞れない領域に一筋縄ではいかない文章を残している。
それをまとめたのが『穴が開いちゃったりして』です。

短いコラムが多いので、ぼちぼちと拾い読み。
初出のメディアによってだいぶ雰囲気が違うのだが、プロレス系の話はよくわからんのです。
堂々と偽書から引用してみせたりするのも、わかりにくい。
これは前提となる共通知識がないと、通用しないワザなんだよね。
たとえばサルトル「プロレスとは何か」や、ヴィトゲンシュタイン書簡集「或る女性プロレスファンへの手紙」からの引用があったら、それはウソに決まってるとすぐわかる。

でも、それに続けてH・ヘルムホルツJr「ヨルバレ族の宗教儀式と格闘技」や、松岡清文「宇宙模型としてのリキ・スポーツパレス」が出てきたら、あなたどう思います?
私にはウソかマコトか判断できません。

特にその直前まで、些細な事実をコツコツと追い続ける足立巻一『やちまた』なんか読んでいたので、こちらの頭がまったく切り替わらないのでございました。
これは反則ワザだなあ。

ただ、非常に懐かしい文体であるのに気づいた。
もっとメジャーどころだったら、80年代の「週刊漫画アクション」連載コラムが似ているかな。
ああ、あのコラム集も買ったんだけど、どこへ行ってしまったかしらん。

隅田川乱一で思い出したので、「らも」さんが逮捕された時の日録を載せておきます。
らもさんは戦友という感じはしない。
あの人は時々おもしろい小説を書いてくれる、変なおじさん。


「空飛ぶキノコ」  2003年2月7日(金)日録

中島らもさんがマリファナとマジックマッシュルームで捕まっちゃいましたね。
マリファナは確かに吸ったがキノコは知らない、と言ってるらしいのがおかしいです。
らもさん、アルコールで記憶中枢やられちゃってないか?
マリファナよりアルコールの方が有害だと思います。

マリファナなんて単なる麻なんだから、らもさんにマリファナ解禁に向けて頑張ってもらうと面白いのですが、まあ反省すれば初犯でもありますし(だよね?)情状酌量で実刑くらわんで済むのでしょう。
らもさんに塀の中の様子を書いてもらうと面白そうですが、さすがにそれはかわいそう。

だいたいマリファナというのは、「どぶろく」に似てますね。
いけないと決めたんだからやっちゃいかんということになってるというものです。
地下に潜ると暴力団の資金元になっちゃう。
あ、どぶろくはダメね。
あっという間に酸っぱくなっちゃうから流通できないので、暴力団は扱いません。
誰でも簡単にできるし。

ラスタマンにはマリファナが付き物なのに、Tシャツに描いた絵だけで満足しちゃうレゲエ・ファンはいったい?
いや、吸っちゃいかんのですよ、ハイ。

しかし、マジック・マッシュルームは非合法になったんすね。
近頃そういう事情に疎いので驚きました。
ええ、昔はかなり詳しかったんですよ。
80年代前半、本郷2丁目の交差点に麻が自生してたのも知ってます。
外に下げた鳥籠から鳥の餌の麻の実がこぼれて、大きくなってたんです。

そのころ、ちょい仕事がらみの遊びで、キノコ狩りに行きました。
私は植物の名前なんぞは疎いのですが、そんな私でもすぐに見分けられるキノコを食べに行ったのです。
赤い笠に白い斑点の付いたやつ。
そ、ベニテングダケというキノコです。
マンガなんかで毒キノコの代表みたいに出てくるやつね。
毒は毒なんですが、致死性はなくて幻覚作用があるというので、取材っぽい行楽に出かけたのです。

松茸の場合は花崗岩性の土地でアカマツの根元に生えるそうですね。
ベニテングダケの場合は、もっとわかりやすい。
白樺の根元に生えます。
私でも白樺はわかる。
ベニテングダケもわかる。
幼稚園児がチューリップの絵なら描けるといった水準で、実にわかりやすいのです。

ある年の秋、零細出版社の車を借りて、明日が国民の祝日という日の夜に非国民3人で出かけました。
目指すはラグビーの聖地、菅平高原。
夜中に目的地に到着し、適当なところに車を止めて夜を明かし、早朝からキノコ狩りです。

ところがあんまりないんですな、これが。
というのも、地元の人達がごく普通に食用にしてるから。
目立つところのやつは採りつくした後だったんです。
地元の人はゆでこぼしてから塩蔵しておくようです。
かなり旨味成分の強いキノコなんです。
みかけがどぎついですけど。

一応毒キノコなんで、地元ではゆでている時の湯気に当たって蝿が落ちる(ウソだよなあ)ということで、「ハエトリ」などと呼んでいます。
「あんたら東京からハエトリ採りに来たのか??」などと驚かれながら、仕方なくコソコソと私有地に入っていきます。
で、まあ、別荘地に勝手に入り込んで適当な量のベニテングダケを採取いたしました。

生で丸ごと食べてみましたが、私はどうということありませんでした。
一人妙にテンションが上がったのがいて、高速走行中にバックギアに入れそうになってヒヤリとしましたが、あんまり寝てないのでキノコのせいかどうかわかりません。
残りは全部ゆでて、スパゲッティなどに混ぜて食べました。
見かけを我慢すればおいしいです。
あれ?
全然トべなかったじゃんというお話でした。

ちなみに手近な合法ドラッグとしては、ナツメグなんぞがあります。
アーモンドのようなやつを丸ごとかじり……そんなにかじれません。
これはカリカリやりながらテンション上がっちゃったやつがいましたが、私はちょっとかじっても口の中がヒリヒリするので、とてもカリカリなんぞできませんでした。
あ、あれはヒリヒリして騒いでたのか。

【追記】
 リーダーズ英和辞典に、「昔これから蠅取り紙に塗る毒を採った」とありました。
 ひえ?!
 よい子はマネしてはいけませんよ。

 fly agaric [amanita]【植】ベニテングタケ (=fly mushroom)
 woodpecker of Mars
    ベニテングダケ

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樹村みのり「贈り物」(1974年)

本屋さんで樹村みのりさんの本を見かけなくなったのはいつごろだろうか。
80年代には、小学館フラワーコミックスの短編集『ポケットのなかの季節』の第1巻と第2巻が普通に買えたのではないかと思う。

ブロンズ社が倒産した後、その業務を引き継いで仕事をしていたことがあるが、その時にブロンズ社から出ていた『菜の花畑のむこうとこちら』をもらった。
樹村さんの作品はなんだか悲しみのクサビのようなものを読み手の心に残してしまう作品が多いのだけれど、「菜の花畑」のシリーズは明るくてあまり悲痛なエピソードが出てこないので、読みやすい。
この「菜の花畑」のシリーズが樹村みのりさんの代表作と言っていいのかな。

「菜の花畑」の「森ちゃん」みたいな女の子、どこにでもいそうだけど、意外に少ないのです。
無垢な子供の心を持った普通の子。
そう、無垢な子供の心、これが70年代の樹村みのりさんの作品に通じるテーマだろう。

『ポケットのなかの季節』は2冊とも買ったのに、どこかに行ってしまった。
特に一巻目は表紙が片思いをしていた誰かさんに見えたので、結構必死になって古本を探したかもしれない。
元々のフラワーコミックスは手に入らなかったけれど、第一巻の表紙の絵をデザインしたフラワーコミックスワイド版をヤフオクで落とすことができたのだった。

樹村みのり作品集それでふと思いついてgoogleで検索したら、見つけました。
http://www.iff.co.jp/book/c.html

IFF出版部ヘルスワーク協会というところで、短編集を4巻出しているのですね。
樹村さんは「運動」の方に行ってしまったのでしょうか。
それで普通の出版社から本が出ないというのは、考えすぎかな。

『樹村みのり作品集「菜の花畑編」菜の花畑のむこうとこちら』
『樹村みのり作品集「子ども編」悪い子』
『樹村みのり作品集「少女編」海辺のカイン』
『樹村みのり作品集「女性編」母親の娘たち』

各1500円ですが、早速発注いたしました。
まだ読んだことのない作品が入っている模様。
【追記】
 いやあ、失敗。
 普通にamazon.co.jpで注文できます。
【さらに追記】
 もう届きました♪
 amazonより速かったです。

樹村さんのマンガを熱心に読んだのは大学生の時、70年代後半です。
私は親戚のお姉ちゃんたちのマンガを読んでいたので抵抗なかったけど、当時むくつけき男子大学生の間で、少女マンガを読むのがはやりました。

石井隆さんのマンガをかっこつけて読むのと同じで、多分にスノッブなところがあったと思います。
ことさらに「りぼん」だったりするわけです。
連中は「りぼん」の付録はどうしたんだろう。
陸奥A子さん、太刀掛秀子さん、田渕由美子さん、一条ゆかりさん、土田よしこさん……。
ああ、懐かしいわ、私もよく読んでたんだ。

私がいた大学の近くに都電の駅(停留所か?)があって、その横を抜けて坂を上ると高級住宅地。
田中角栄さんのお宅の前にある女子大には、高橋留美子さんがいました。
在学中にデビューし、1978年には『うる星やつら』の連載が「少年サンデー」で始まります。
『うる星やつら』というといわゆる「をたく」の発生、80年代のイメージがありますが、70年代の後半に始まっているのです。
もちろん私も楽しく読んでいたのですが、ここまで行くとどうも幻泉館には似あわない。

せっかくだからなぞっておくと、1978年には吉田秋生さんの『カリフォルニア物語』が出現します。
おそらく後年の『BANANA FISH』の方が評価が高いのだろうけど、同じ70年代に呼吸した者として、私はこちらの方が愛着があります。
途中で吉田さんの描く絵が急に変わってしまうのも、ハラハラしました。
男の肉体を描くようになっちゃうんだよね。

ああ、大島弓子さんの『綿の国星』もそのころだ。
当時大島さんは井の頭公園の西側(井の頭公園の間というべきか)にあるパークサイド・マンションにいらしたのです。
いつかあんなマンションで暮らせたらいいなあと思いましたっけ。
それから天才高野文子さんや大友克洋さんが登場するのですが、それもまたいつか。

今並べたような、時代を特徴づけるようマンガ家の名前と比べると、樹村みのりさんはとても地味な印象を受けます。
1980年ごろに起きた、まさにマンガのニューウェーブとも言える大ブレイクからは完全に外れた、旧世代に見えます。

浮浪者と夢を分かちあう子供たちを描いた「贈り物」は、1974年の「別冊少女コミック」に掲載された作品。
世間的には単なるホームレスであるおじさんから、お別れに「天国への切符」を貰う子供たち。
それは人を信じる無垢な心の象徴であります。
その切符をいつまでもポケットの中にしまっている子供たちの、その後を語るページで樹村さんはさりげなく書いている。

 > もう一人は
 > 72年の年の2月の
 > 暗い山で
 > 道に迷った

これが連合赤軍事件のことだとすぐにわかる人は、今では少ないのだろう。
1974年当時の「別冊少女コミック」の読者にも、わかる人は少なかったかもしれない。

いつまでも「天国への切符」を大切に持っていたからこそ、子供たちの一人は道に迷ってしまったのだと、樹村さんは言っているようです。
おそらくは彼は同志によって「総括」を要求され、殺されてしまったのでしょう。
樹村みのりさんも、連赤事件を忘れることのできない、いつまでもポケットの中に切符を持ち続ける作家だったのです。
そんなだから寡作だったんだろうなぁ。

もちろん「樹村みのり=連合赤軍」と言っているのではありませんよ。
近頃はそんなことまでベタベタ説明しないと、わかってもらえないようなので。

吉田秋生さんや高野文子さんの顔写真は見つけました。
あと、私が顔を見てみたいと思うマンガ家さんは、いしいひさいちさんと樹村みのりさんぐらいかな。



【画像表示テスト】
 infoseekに置いた画像に直リンできるのか?

午前中の時間割り

あ、大丈夫ですね。
これで「画像の倉庫」容量問題は解決♪

infoseekの無料HPスペースは容量が50MB、CGIまで使えるので、おそらく国内最強。
ただ、CGIをぶん回すやつがいるから、午前零時前後はめちゃくちゃ重いかも。

自前の幻泉館サーバに画像を置いて楽天から表示させようとすると、ルータの仕様で自宅から確認できないのです。
それで、ただただ画像倉庫用にinfoseekを借りてみました。

http://gensenkan.infoseek.ne.jp/

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花はどこへいった Where have all the flowers gone?

33回転EPNHK BS2で『世紀を刻む歌・花はどこへいった』を再放送した際の日録です。
「例の33回転4曲入りEP」というのは説明が必要でしょうか。

私が中学1年生の時に初めて買ったレコードが、
ベッツィ&クリスの「白い色は恋人の色」
元フォークルの北山修&加藤和彦による佳曲です。
もちろん45回転/分のシングル盤です。
たぶん400円。
大きいLP盤は普通1800円でした。

安いと思われるかもしれませんが、ちょっと待っていただきたい。
1969年でこの価格は、今のCDよりずっと高いのです。
とても中学生の分際で毎月LPは買えません。

したがって、この後はシングル盤のサイズなのに33回転で4曲?6曲詰め込んであるミニアルバムのようなものを買うようになります。
これだとお値段は600円から1000円ぐらい。
ジャケットがちゃんとLPと同じような作りがしてあって、お買い得感がありました。
(当時からオバさん体質)

Peter Paul & Mary, Simon & Garfunkel, Bob Dylanあたりはそういうレコードで聴いたのです。
画像のレコードはどれも4曲入りで600円でした。
まあ珍盤なので、今は中古屋さんでかえって高値を呼びます。
Bob Dylanの『ワイト島フェスティバル』にいたっては、アルバム出てませんから、レアものです。(たぶん)

でも、1$=360円という時代なのに、輸入盤はやっぱり安かったんです。
だから高校生のころは輸入盤のJAZZなどをよく聴くようになります。
(1971年末?1973年のスミソニアン体制では1$=308円)
今も日本のCDやDVDは高すぎるね。


(2003年4月7日 記)
NHK BS2『世紀を刻む歌・花はどこへいった』

以前放映した時、途中からしか観ることができなかった番組。
直前になってリピート放送に気づき、あわてて録画する。
同じ時間帯に地上波でNHKアーカイブス『夢であいましょう』を観ていたので、まだ録画しただけ。
それほどテレビを見ないのに、どうしてこう重なるかなあ。
おお、黒柳徹子さん、両方に出てる、すごいなあ。

『夢であいましょう』は1965年放映回、なんとなくおばあちゃんのイメージだった越路吹雪さんが若い。
ジャニーズ「僕の手袋破れてる」が泣かせる。
そして、坂本九。
私は小学校の低学年でした。

小林信彦さんが『テレビの黄金時代』で描いた、まさにその時代、バラエティが本当におもしろかった時代である。

小学生の時、五つ年上の親戚のお姉ちゃんが一緒に暮らしていた。
サブカルチャーはそのお姉ちゃん経由で入ってきた。
だから私はビートルズやフォーク・クルセダーズではなくて、ジャニーズやモンキーズの洗礼を受けてしまったのである。
九つ年上の従姉が下宿していた時期もあるので、長男坊的体質よりも、お姉ちゃんがいる末っ子的体質が色濃い。
他人からも言われるし、自分でも確かにそう思う。
「アイス買っておいで」とか言われて、パシったもんだぜ。

で、お姉ちゃんたちが家を出ていって中学生になり、やっと自分の世界にたどり着いた。
「花はどこへいった」を歌うのである。

 ♪ Where have all the flowers gone?

例の33回転4曲入りEPを買って、歌詞を読みながらレコードに合わせて歌う。
まず、Peter, Paul & Maryでしたね。
中学校へ入って英語を習い始めて、意味が少しわかるのが嬉しかったということもあります。
およそ学習塾なんぞへ行くつもりはなかったので、こういうサブカルチャーで英語に親しみました。
まだ過去形も習っていなかったけれど、「have gone」という言い回しが「行ってしまった」という意味だということはよくわかりました。

そのうちに、レコードに合わせて歌っているだけではなくて、ギターを弾きながら歌いたくなったのです。
サイモン&ガーファンクルやボブ・ディランのEPも買ったのですが、なんといってもPP&Mの真似をしたかった。
これ、実は当時としては少し遅れてると思います。
数年前のヒット曲だったんで。

中学生の時にガットギターを買ってもらって、NHKの『ギター講座』でクラシック・ギターを少し練習して。
それから雑誌を買ってコードを鳴らしながら歌うことを覚えて。
高校生になって、掲示板に飾ってあるフォーク・ギターを買いました。
他人様の前でギターを弾いて歌ったのは、高校の3年間です。
毎年文化祭のステージでいろいろな曲をやりました。
もちろんPP&Mも。
TV CMで「There is a ship」という曲が流れてますが、PP&Mがやっていたので、私もステージで歌ったのですよ。
おお、天使の歌声でありました、いや、ホント。

世紀を刻む歌・花はどこへいったそれで「花はどこへいった」ですが、これは明らかに反戦歌なんです。
1994年リレハンメル冬季オリンピックで、ドイツのカタリーナ・ビット選手はボスニア内戦に抗議して、この曲でフィギュア・フリーの演技を行ないました。
これは1955年にできた歌なので、半世紀の間ずっと反戦の意思表示として歌われ、演奏されてきたことになります。
お、私より少し年上。

中学生の時に買ったレコードの解説には、ショーロホフの「静かなるドン」に着想を得てピート・シーガーが作ったと書かれていた。
花→少女→青年→墓場→花
易しい言葉で若者たちの愛と死を、静かな曲調で歌う。
確かに名曲ですな。

最初にヒットしたのはキングストン・トリオ。
これが1964年。
次にPeter, Paul & Mary。
それでベトナム反戦を象徴する歌となります。
1965年北爆開始。
しかし、短期で決着するはずの戦争は予想をはるかに超えて長引き、泥沼化する。
侵略者は、市民に支持されたゲリラには絶対に勝てないのである。
1968年テト攻勢。
殺人の映像が氾濫するようになり、アメリカの世論は反戦・厭戦に向かう。
ケサン海兵隊基地で米軍兵士がギターを弾きながら、「花はどこへいった」を歌う。
ベトナム戦争末期の兵士たちは、既に戦いの意味を見失っていた。

ベトナム戦争によって不思議な命を与えられた歌なのだが、日本では少し別の事情が入る。
六文銭以前の小室等さんは「PPMフォロワーズ」というグループで活動をしていた。
ただ、このようなカレッジ・フォークと呼ばれる曲に批判が生まれる。
お坊ちゃんたちの猿真似といった文脈である。
これは日本ポップス史の話なので、またの機会に。

さて、ベトナム反戦だが、昔はこんなことがあったんだよ、ではない。
もちろん、今の戦争をどう考えるかが問題なのだ。
評論家よろしく国家意志や戦略意図なんぞを訳知り顔に語る者どもよ。
若者に殺し合いをさせることを、私は許せないのだ。

ピート・シーガーがこの曲を作ったのは、アメリカで赤刈りが吹き荒れた時期。
まったく活動できなくなり、失意の中で生まれたものだそうな。
そういえば、前回の放送の後、ピート・シーガーのトリビュート・アルバムを買ったのであった。

Where Have All The Flowers Gone: The Songs of Pete Seeger
The Songs of Pete Seeger
Disc 1
1. Where Have All the Flowers Gone?
2. Kisses Sweeter Than Wine
3. Water Is Wide
4. Of Time and Rivers Flowing
5. My Name Is Liza Kalvelage
6. Turn! Turn! Turn! (To Everything There Is a Season)
7. Festival of Flowers
8. Step by Step
9. Blessed Be the Nation
10. My Father’s Mansion
11. Sailing Down My Golden River
12. Goofing off Suite
13. Those Three Are on My Mind
14. How Can I Keep from Singing?
15. All Mixed Up
16. Empty Pocket Blues
17. Get Up and Go
18. Old Riley
19. If I Had a Hammer
20. Wimoweh

Disc 2
1. We Shall Overcome
2. Bells of Rymney
3. Oh, Had I a Golden Thread
4. False from True
5. Letter to Eve
6. Waist Deep in the Big Muddy
7. All My Children of the Sun
8. Living in the Country
9. One Grain of Sand
10. Old Father Hudson-Sailing Down Dirty Stream
11. Torn Flag
12. Doublin’
13. To Everyone in the World
14. Over the Hills
15. I Come and Stand at Every Door
16. My Rainbow Race
17. Quiet Early Morning
18. Oh, Sacred World
19. And Still I Am Searching

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岡林信康「アメリカちゃん」(1969年)

以前から疑問に思っている言葉がある。
たとえばどういうわけか、幻泉館周辺では害虫駆除のために殺虫剤を撒布することを「消毒」というのである。
違うだろ、それは毒を撒いてるんだろ、といつも思う。
うちの猫が心配である。

「殺菌消毒」というようによくセットで使うから、「殺菌=消毒」という間違った刷り込みが行なわれたのだろう。
殺菌とは毒消しではなくて、毒を塗布したり撒布したりすることだ。
それがさらに「殺虫=消毒」と増幅されたのだろう。
殺虫剤の毒性を隠すための、意図的な誤用かもしれない。

法律の名前になってしまっているが、「地方自治」も間違いだと思う。
これはたとえば、local governmentやmunicipal governmentの誤訳が定着してしまったのではないだろうか。
これも誤訳じゃなくて、わざと、かな。
こんな言葉はないけど、誤解に対する曲解のように、「曲訳」。

localやmunicipalはある限定的な「地域の」という意味を表わしているのであって、断じて中央に対する地方ではない。
「自治」の方も二種類意味があって、住民が自らの意志で決定するという意味の「住民自治」と、中央政府に対して地方政府が自立的に意志決定するという意味の「団体自治」がある。
本当は「団体自治」のことなのに、「住民自治」と勘違いさせるような用法が多い。
う?ん、こいつも誤用じゃなくて、意味のすり替えをわざとやっているのか?
ま、「地方自治」なんていいかげんな言葉が大手を振っているかぎり、ニッポンでは地方自治なんぞ実現しないということらしい。

そしてネットをうろうろしていて気づいたのは、「差別用語」という言葉を使う人は、差別というものに対して無自覚に言葉を用いることが多いらしいということだ。
googleで「差別用語」を検索すると、サンプルが見つかるだろう。
これに気づいたのは、あの今は亡きLycosダイアリーの自称論客たちがそうだったから。

放送や出版の世界にそういうリストがあると思われているのだが、正確には「差別用語」ではない。
言葉狩りだと言って差別糾弾闘争を批判する人がいるが、実際に言葉狩りを行なうのは、「差別用語」があると思って、自主規制を行なう者たちである。
差別的な言葉の用い方は、もちろん存在する。
その場合は差別語という言い方もできる。
しかし、「差別用語」などという、安直な用語は存在しないのである。

今私は「自称」という言葉を非常に差別的に用いてしまった。
すまん、オレはいやなやつだ。
「自称論客」などといういやらしい言い方ではなく、「ファシズムの露払い」「権力の番犬」と、わかりやすくストレートに言ってやるべきだった。

「自称」に関しては、以前新聞記事で驚いたことがある。
のどかな県で起きた些細な事件でつかまった人が「自称哲学者」と書かれていたのだ。

だいたい私は「詩人」や「哲学者」という肩書きに憧れていた。
なぜかと考えたら、実は今の日本にはそういう職業が存在しないからだということに気づいた。
詩人や哲学者はいくらでもいるじゃないかと思われるかもしれないが、本当にそうだろうか。
職業詩人として生活できる人は、谷川俊太郎さんぐらいではあるまいか?
おおむね「詩人」「哲学者」は、職業としては大学の先生であったり、雑文書きで糊口を凌いでいることが多いようだ。

つまり、それでは生活できないから、私は憧れたのだろう。
流行らない喫茶店のマスターみたいなものである。
漱石の「猫」に出てきて実業家の悪口など言っている、あの素敵な面々。
実際は職業ではなくて、誇りとか名誉に近い。
だからこそかっこいい。

そんな風に思っている者に最も大きな打撃を与えるのが、この「自称」という接頭辞である。
万が一私が些細なことで塀の向こう側に行きそうになったりした時に、「自称詩人」「自称哲学者」「自称ヒマな喫茶店のマスター」などと報道されたら、私はもう二度と立ち直れないことだろう。

ああ、本当は「放送禁止歌」を語りたかったのだが、失敗。



岡林信康 初期アルバム
「替え歌」つながりで、以前Lycosダイアリーに書き込んだものを掲載しておきます。
岡林信康「アメリカちゃん」。
関西フォークの第一世代である高石友也&岡林信康は、共に壁にぶちあたって蒸発したり、アメリカに行ったりします。
私がこの人たちの歌を聴いたのは、その後のことです。

中学生の時に同級生からそのお兄さんの所有物であるレコードを借りました。
ビクターから出ていた『岡林信康の世界 第2集』です。
一晩で返さなければならなかったのですが、まだテープレコーダーを持っていなかったので、何度も何度も繰り返し聴いて歌を覚えました。
数年前に中古で第1集と第2集を手に入れて、手製復刻CD-Rを作りました。

初期岡林信康はいわゆる「放送禁止」曲の宝庫でした。
以前東芝EMIが出したURC音源の復刻CDにも、こっそりと消された曲があります。

「はっぴいえんど」がバックを演ってるために傑作ということにされ、若者が買ったりしていた『見るまえに跳べ』(1970年)。
「ロールオーバー庫之助」がカットされました。
早川義夫さんの作品なんですが、ヒット作曲家だった浜口庫之助さんを揶揄しているため、ギョーカイ人が自粛しちゃったという感じ?
(え?い、尻上がりにしゃべるな、気持ち悪い!)

同様に、『岡林信康自作自演コンサート 狂い咲き』(1971年)からは「ヘライデ」がカットされています。
もちろん皇室を揶揄した歌詞だからです。
『狂い咲き』CD版には、「この作品は1971年に録音されたものであり、当時の音楽背景を知る上での貴重な音源として復刻しました」と書いてあります。
ところが、あらあら、こっそり1曲消してあるのね。
どんな曲をなぜ削ったのか書かなければ、「当時の音楽背景を知る上での貴重な音源として復刻」したことにはならないでしょうにね。

東芝EMIのやり口は汚いと思います。
こういうアルバムは結局苦労してLPとCDの両方を入手するのでありますよ。

ついでに書いておくと、『1969 京都フォーク・キャンプ』というアルバムも、オリジナルのURC版LPと東芝EMIから出ていたCDは、選曲も曲順もまったく違うものでした。


2003/03/06(木) アメリカちゃん♪
趣味日記-音楽,感想日記-社会問題,感想日記-音楽

時節柄、岡林信康さんの「アメリカちゃん」など思い出してしまいました。
1969年6月にURCが会員配付したLPに入っている曲です。
アルバムはA面が『岡林信康リサイタル』、B面が『休みの国』で、B面はCD化されています。
「アメリカちゃん」はこのレコードだけにしか入っていない幻の名曲(?)なんですが、替え歌の寄せ集めなんで復刻しにくいのでしょう。
WOWOWが90年代初めにやっていた番組で、永遠のフォーク少年坂崎幸之助&なぎら健壱の「東京フォークジャンボリーズ」が演ってくれました。
歌詞を一部消してましたがね。
レコードから聞き取ったものをメモしておきます。

岡林信康「アメリカちゃん」(1969年)
(語り)
これは世界の警察国家、世界の平和の守り神であるアメリカを誉め称えあげる歌である。
おお、偉大なるアメリカよ!
あほらしこっちゃ。

♪♪(主メロ)
アメリカちゃん、アメリカちゃん、平和のために頑張ってや
ほうれん草のポパイちゃん、金のベルトのバットマン
雨にも負けず、風にも負けず、男一匹どこへ行く
アメリカや?、太郎

♪(人生劇場)
義理が廃ればこの世は闇だ
(語り)
泣くんじゃねえ、泣くんじゃねえ
アニキゃ暗殺、弟もやられ、末の弟エドワード、こんな一家に誰がした

♪(アメリカ国歌)
頼まれへんのに平和を作ると、爆弾落とし地獄を作る

♪(思い出の赤いヤッケ)
いつの日にか、このベトナムが
僕のものになると思ったが
けどもうやめた、やめた?

♪(スーダラ節)
ちょいと半年のつもりでやって
いつのまにやら泥沼へ
気がつきゃドルはスッカラカンのパ?ラパラ?
戦争で銭儲けしたやつぁないよ
わかっちゃいるけどやめられない
あほれ

♪(新聞少年)
僕の名前を知ってるかい
でしゃばりジョンソンというんだよ?
戦争始めてもう5年
今じゃベトコンに追い出され?

♪(ヨイトマケの唄)
苦労、苦労で死んでった?
母ちゃん、見てくれ、この姿?
父ちゃん、見てくれ、この姿?

♪(からすの赤ちゃん)
サトさん、サトさん、なぜ泣くの?
ジョ?ンソ?ンのおじちゃんの
核付きミサイル欲しいよ?
原子力潜水艦も欲しいよ?
と、アンポ、アンポ?、泣くのね?

(♪♪ 繰り返し)
アメリカばんざ?い!

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♪満鉄の金ポタンのパカヤロウ♪

私は楽天広場の住人夏見還さん「還尼抄」のファンなのであるが、思いがけなく「桃梨」の情報を目にした。
桃梨はベースとボーカルの不思議な二人で、フランスW杯の年に井の頭公園で歌っているのを目にして、カセットを買ったことがある。
> ベースのJIGENさんが今年ソウル・フラワーのメンバーになったんです。
> 桃梨としては、先週抱瓶でライブしてました。
お?、知らんかった。
嬉しい話♪



なぎらけんいち(健壱)さんのアルバムに『春歌』(1974年)というのがありまして、中古市場で高値を呼んでおります。
ヤフオクのおかげでさらに値段が上がり、今だとおそらく福澤さんお一人では無理でしょう。

なぎらけんいち『春歌』(1974)
なぎらけんいち『春歌』
SIDE A
1. タヌキの金玉
2. まっくろけ節
3. 満鉄小唄
4. キュッキュラキュ節
5. おっぴょ節
6. 秋田音頭
7. 一番電車
SIDE B
1. ぶったまげ節
2. 八百屋お七
3. ツンツン節
4. 十九の春
5. ヨサホイ数え唄
6. ぼんぼの子守唄

タイトルどおりの春歌が正々堂々と歌われております。
(#1「タヌキの金玉」はインストルメンタル。春歌のインストルメンタルってのも不思議だが。)

テレビに出てくる時のイメージからどぎつい歌い方を想像するかもしれませんが、なぎらさんはさわやかな歌い手さんなので、残念なことにまったくいやらしくありません。
バックは洪栄龍、武川雅寛、かしぶち哲郎、安田裕美、鈴木慶一といったおなじみのメンバーで、音もしっかりしています。
ジャケットのデザインも橋本治さんが凝りに凝っています。
CDでの再発売希望なんですが、どうもご本人が乗り気でないアルバムのようです。

#3「満鉄小唄」なる曲が入っていますが、その中にあの「五十銭(コチーセン)」という言葉が出てきます。

 ♪ 雨のしょぼしょぼ降る晩に
 ♪ ガラスの窓からのぞいてる
 ♪ 満鉄の金ボタンのばかやろう

 ♪ 触るは五十銭見るはただ
 ♪ 三円五十銭くれたなら
 ♪ かしわの鳴くまでぼぼするわ

 ♪ 上るの帰るのどうするの
 ♪ はやく精神きめなさい
 ♪ きめたらゲタ持って上がんなさい

 ♪ お客さんこの頃紙高い
 ♪ 帳場の手前もあるでしょう
 ♪ 五十銭祝儀をはずみなさい

 ♪ そしたら私も精だして
 ♪ 二つも三つもおまけして
 ♪ かしわの鳴くまでぼぼするわ

歌詞はこのレコードのものをベースに書き取りましたが、歌う人によって少しずつ違います。
たとえば中島貞夫監督の映画『懲役太郎 まむしの兄弟』(1971年)で使われた時は、次のような歌詞が入っていました。

  ♪ ああ騙された 騙された
  ♪ 五十銭金貨と 思うたに
  ♪ ビール瓶の栓かよ 騙された

元々替え歌なので、いろいろな歌詞があるのは当然です。
[b]の音が[p]で発音され、「五十銭」が「コチーセン」と歌われますが、それはこれが朝鮮人従軍慰安婦の哀歌だからです。
歌詞の異同も含めて、文字どおり民俗歌・ひとびとのうた・フォークソングと言えるでしょう。

この曲は大島渚監督『日本春歌考』(1967年)のモチーフにもなっています。
荒木一郎さんが学生服、吉田日出子さんがセーラー服を着て、高校生役で出演しています。
この映画で大島監督は、ベトナム反戦を訴えるのにアメリカのモダンフォークを猿真似する「カレッジフォーク」を批判的に描いています。
金持ちおぼっちゃまフォーク連に対峙させるのが、「春歌」をがなる荒木一郎や吉田日出子という図式。
この映画の音楽部分で関わった小室等さんはモダンフォークの人だったので、かなり嫌な思いをした模様です。

この「満鉄小唄」、普通なら聴けない幻の曲ということになっているみたいですが、実はちゃんと現行CDにも入っているはずです。
ディランII『きのうの思い出に別れをつげるんだもの』(1972年)の隠しトラック。

ディランII『きのうの思い出に別れをつげるんだもの』(1972)
ディランII『きのうの思い出にわかれをつげるんだもの』
1. 君の窓から
2. 子供達の朝
3. その時
4. 君をおもいうかべ
5. 男らしいってわかるかい
6. プカプカ
 (みなみの不演不唱)
7. さみしがりや
8. 君はきままに
9. うそつきあくま
10 サーカスにはピエロが

名盤ですね。
#5「男らしいってわかるかい」はBob Dylanの”I Shall Be Released”です。
「満鉄小唄」は、この盤の11曲目に、クレジットには入っていないのですが、かなり録音レベルを落としてフルで入っています。
アナログ盤だと本当に嬉しい発見でした。
CDだと、ちゃんと11曲目があるのがすぐにわかってしまいます。
東芝EMIから出た復刻CDではちゃんと聴けます。
ただ、avex版ではどうなったか知りません。

先ほど書いたように、この「満鉄小唄」は、替え歌であります。
元歌は戦時歌謡の「討匪行」、傀儡国家満州国建国の年、1932年に大ヒットした歌です。
作曲と歌はあの藤原歌劇団の藤原義江さん、作詞は関東軍参謀部八木沼丈夫という人だそうです。
八木沼さんはgoogleしてみると、どうもアララギ派の歌人だったようですね。
厭戦的雰囲気を持っているので、戦局が日本に不利になると歌唱を禁じられたといういわく付きの曲です。

 ♪ どこまで続く泥濘(ぬかるみ)ぞ
 ♪ 三日二夜を食もなく
 ♪ 雨降りしぶく鉄兜(かぶと)

これが元歌の歌い出しです。
おわかりになりますでしょうか?

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たくろう初体験

このごろは本当に半ばひきこもりおじさんになっているのですが、以前はコンサートにもほいほいでかけておりました。

肩肘張ったやつよりも、いいかげんに見ていられる野外コンサート、それも無料ならなお良いということで、なにかの集会音楽付きなんてのが好きでした。
そういうところへ出かけていったらNHKのニュースにどアップで映ってしまい、その翌日会社でからかわれました。
下手な勤務先だったら問題になっているような集会です。
私がいたのは、そんなところへ本を売りに行くような会社だったので、おもしろがられただけです。

PANTA&HALっていい音出してましたね。
反核コンサートでキーボード抱えてた千野秀一さん、かっこ良かったです。
ホン・ヨンウンさんも集会みたいなところで観たのだった。
こういうのは80年代ですね。

自分で最初に行ったコンサートはあれかな、中学3年の時。
そうそう、学校で一日つぶして写生大会というのがありました。
学校からだらだら3kmぐらい歩いて、一級河川の河原へ行ったんです。
いやな予感がしたんだ。

幻泉館主人、幼少の砌(みぎり)より不思議に川にハマるのです。
他の場所でなら身軽な方なのに、なぜか川には見入られたように落ちるのです。
河原で写生などというと、どうにも冷たい下半身を想像するのです。
やんぬるかな(已矣哉)中学3年にもなって見事にハマりました。
ただし、片足のくるぶしまでだけだったというところに成長の跡が見られます。

川の近くにあった図書館で足を洗い、濡れた靴をもって裸足でみんなとまただらだら学校へ帰ります。
その時、労音のポスターを見かけたんですね。
隣町での、六文銭と吉田拓郎さんのコンサートでした。
友人と相談して、後日チケットを買いに行きました。

まだ「出発の歌」(1971年)や「結婚しようよ」(1972年)でブレイクする前ですから、空席が目立ちました。
ずいぶんのどかな時代で、私はそのコンサートをカセットテープに録音しました。
120分テープだったので、しばらくしてワカメになってしまいましたが、繰り返して聴いたものです。

 ♪若い恋は 甘くせつなく♪
 ♪いつまでも 燃え上がる♪
 ♪君と二人きり 朝を迎えた♪
 ♪僕は大人だぜ♪

拓郎さんが歌う「甘い暴力」なんてご存知の方いらっしゃいますでしょうか?

数千円のガットギターを買ってもらって、NHKのギター講座で練習していたころです。
小室等さんと原茂さんの手許を一所懸命見ました。
こういうグループにしてはなんだか妙に色っぽいお姉さんがいて、それが四角佳子さん。

吉田拓郎さんの肺腫瘍摘出手術はちょっとショックでした。
初期の曲「ハイライト」。

 ♪僕はハイライトを吸ってます♪
 ♪女房は鬼の顔で見ています♪

ってな曲です。
この時の「女房」は森下愛子さんではなく、浅田美代子さんではなく、この四角佳子さん「おケイ」ですね。
時代を変えることになってしまう「結婚しようよ」も、このおケイさんに贈った歌……だよね?

新譜ジャーナル別冊六文銭だけでも私は十分に楽しかったのですが、その後に出てきた拓郎さんに驚きました。
ギター一本の弾き語りがとても迫力があるのです。
これは予想以上でした。
たった独りの弾き語りが、六文銭よりもずっと迫力があるのですから。
拓郎さん以上に楽しくて迫力のある弾き語りは、今までに見たことがありません。

しつこく繰り返しますが、吉田拓郎の凄さは、ギターの弾き語りです。
後年、中島みゆきさんの「ファイト!」を吉田拓郎さんがギター一本で弾き語りするのを観ることができました。
三代目魚武さんの歌う「ファイト!」がどんなものか知らないのですが、拓郎さんの「ファイト!」は凄いです。
ずしんと来ます。
やっぱりギター一本でやってもらいたいと思います。
拓郎さんがTBSラジオの深夜放送「パック・イン・ミュージック」のパーソナリティをやっている時は、毎週童謡なんかをギターで弾き語りしてくれました。
あ、単なるファンですな、こりゃ。

吉田拓郎の特色の一つは、歌の非政治化であります。
「ハッティ・キャロルの寂しい死」はあがた森魚さんの絶唱もありますが、吉田拓郎「島田準子が吉田拓郎に与えた多大なる影響」の元歌でもあります。
悲惨な人種差別を歌った曲を、徹底的に私的な恋の歌にしちゃうところが拓郎さんですな。

「結婚しようよ」の大ヒットによって、吉田拓郎さんは大ブレイクしました。
この1972年は転回点だったのかもしれません。
URCやELECの「フォーク」はここで終焉を迎え、「ニューミュージック」の時代が始まろうとしていました。
歌謡曲もそこに吸収されてしまいます。

今までの日録で誤解なさった方もいらっしゃるようですが、私の音楽との関わりは、当時のごく普通の少年の在り方だったことがわかっていただけたでしょうか。

高校生の時はテレビをほとんど見なかったのでいわゆるアイドルに興味を持つことはなかったのですが、それでも吉田拓郎&かまやつひろし「シンシア」(1974年)を聴くと、今でも胸がキュンとなります。
私はどうも、ゆったりとしたフォークロック調で、ブルースハープ(ハーモニカじゃ)やフィドル(バイオリンじゃ)やスチールギターの音がかぶさってくる曲に弱いのね。
それでシンシア(=南沙織)に片思いの女の子のイメージを重ねていたのですね。
本人の顔が似ていたということではありません。
髪が長かったこと、色が黒かったこと、眉毛がきりっとしてたこと、目が……結構似てるか。

画像は拓郎さんの非売品レコード(ソノシート)。
「サヨナラ 僕は気まぐれ」は大学生の時に女の子から貰ったもので、B面はケメのいたピピ&コットです。
スバルとフジカラーのCMソングは中古で買ったものです。

吉田拓郎 非売品レコード

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山松ゆうきちの世界

東京落語のトリックスターに「よたろう」がいる。
「与太郎」か。
与太郎の愚行そのものを笑うという、見下した笑いが多いのは、東京落語の弱点であると思う。
地域社会が「バカ」と呼ぶ人を包み込んで暮らしていた時代なら、それは温かさをもった笑いだったかもしれない。
でも、今は無理なんじゃないだろうか。
人情紙風船、本当に見下した嘲笑でしかない。

『フォレスト・ガンプ / 一期一会』、笑えました? 泣けました?
私はちょっと不愉快でした。
後味の悪い映画だったなあという印象です。

青林堂から出ている山松ゆうきちさんの自選短編集に、加川良「戦争しましょう」の原作は入っていませんでした。
でも、ひさびさにまとめて濃ゆ?い山松ゆうきちの世界を体験いたしました。

山松さんの作品は「○○バカ」と呼ばれそうな人物が主人公であることが多い。
この自選集にも「走りバカ」と呼べそうな人物が主人公のマンガが一編収められているのだが、それよりももっと「フォレスト・ガンプ」な「走りバカ」のマンガがあった。
妙に背筋を伸ばして、淡々と走りぬく「バカ」の話である。
もちろん山松ゆうきちの方がずっと早い時期に描いたものだ。
戦場を、そして果てしない道路を走り行くフォレスト・ガンプの姿は、山松ゆうきちのマンガの主人公そのものでありました。

ただ、山松ゆうきちさんのマンガにはストーリーがないのです。
いや、あるんですが、常に破綻しているのです。
いきなりチャンチャンとなって、こちらは「え?」と思って終わってしまうのです。

この自選短編集で初めて山松さんの文章を読んだのですが、つまり山松さんはマジメに一所懸命描いているだけらしいのです。
よく商業誌で食べていけたものだなあ。
それぐらいヘンです。

私はヘンなものにはかなり耐性がある方なのですが、山松ゆうきちさんのヘンさかげんにはやはりドギモを抜かれます。
一度お試しあれ。
怒らないでね。

歌の話がなかったので、唐突に加川良さんの名曲「流行歌」。
リフレインの歌詞が

 ♪君は君のことが好きでありますように♪
 ♪僕は僕のことが好きでありますように♪

優しいおじさんだ。
一番大切なのは自分だと思って暮らしているのに、実は自分のイヤなところしか見えない。
これでは寂しいわな。
一番大切なのが自分じゃないのなら、それが幸せというものだと思うよ。

山松ゆうきち

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加川良「戦争しましょう」(1971年)

【追記】
ところで加川良さんの1st『教訓』(1971年)はA面の最後に「働くな」という曲が入っていました。
これは初回のプレスだけ。
作詞作曲が加川良と書いてあるのだけど、実際は他の人の作詞だったからです。

代わりに入ったのが「その朝」。
この曲はNitty Gritty Dirt Bandで有名な「永遠の絆(Will the Circle Be Unbroken)」です。
とてもいい曲で、武蔵野タンポポ団の演奏では若林純夫さんが歌っているし、なぎら健壱さんはライブ盤のアルバムタイトルにまでしました。

怪我の功名みたいなものですが、当然ファンは「働くな」も聴きたいですね。
かなり売れたので比較的容易に中古で探せますが、収録曲をちゃんと確認した方がよろしいです。


我が心の師高田渡大人が最初に有名になったのは、「自衛隊に入ろう」という逆説的反戦歌であります。
「ポーラ婦人ニュース」という番組で歌ったところ、防衛庁から自衛隊の宣伝用に使えないかと問い合わせがあったという、ウソみたいな実話が残る名曲です。
番組がいつのことかは知りませんが、このレコードが当時のインディーズ・レーベルURC(アングラ・レコード・クラブ)から発売されたのが1969年。
中坊時代の幻泉館主人が初めてレコードを買ったころですが、レコード屋さんでもらえる新譜情報などには載らないので、すぐには気づきません。

「自衛隊に入ろう」はマルビナ・レイノルズの曲に渡さんが歌詞を付けたものです。
つまり替え歌。
さらに歌詞を替えて「機動隊に入ろう」などと歌っていた不届き者たちもいたそうですね。

さて、渡師匠がさらに師匠と仰いでいるのがウッディ・ガスリー。
輸入盤で安く買えるので、一度騙されたと思ってお試しあれ。
ゆめゆめWinMXなどで試聴してはいけません。
あ、「Woody Guthrie」です。MXなんかで検索するときは、違う、amazonなんかで検索する時は。
アメリカのフォーク・ソングのお父さんのような人なので、ガスリーズ・チルドレンと呼ばれる人がたくさんいます。
アーロ・ガスリーは実の息子です。

加川良 アルバム渡師匠も知り合いをステージで歌わせてデビューさせてしまう達人なので、ワタル・チルドレンと呼ばれた歌い手さんたちがいます。
その中の一人が、URCで社員をしていた加川良さん。
本名でコサイ君と呼ばれてましたが、加山雄三と池辺良ともう一人誰だかから芸名を考えたそうです。
大川橋蔵さんだったかな。
1971年の第三回全日本フォークジャンボりー(いわゆる中津川フォークジャンボりー)では、ものすごい人気者となります。

そのライブ盤を当時の私はなんとか購入しました。
高い買い物なので、各社から何種類も出ていた「実況盤」をレコード屋さんに通って何日も検討した結果、大レコード会社ビクターが作ったSFレーベルから出たものを買いました。
URCの人気を見て、メジャー各社がフォーク用レーベルを作っていたのですね。
その中で今も評価が高いのは、キングが作った「ベルウッド」なんですが、それはまたいつか。

ビクターSFのライブ盤は第1集と第2集に分かれていて、私は第1集だけ買いました。
それが限界だったのです。
これは今CDで出ています。
1800円の廉価版なんでお薦めです。
吉田拓郎さんの「人間なんて」はものすごい迫力です。
友人の父親(当時小学校教頭)がこの「人間なんて」を聴いて「キチガイか?」などという差別的発言してしまったくらいです。
第2集は岡林信康、六文銭、五つの赤い風船なんかが入ってまして、少し前に中古レコードを入手しました。
これが「五つの赤い風船」を名乗っていますが、実際は「トン&フー子」でして、看板に偽りあり。
明らかに第1集の方が濃ゆ?い内容なんですが、それもまたいつか。

加川良さんは「ゼニの効用力について」「教訓 I」という歌が入っていました。
「教訓 I」はとても女々しい反戦歌で、いいなと思いました。
「恐いから逃げよう」という厭戦姿勢はまったく正しいと思います。

 > ♪青くなって 尻ごみなさい♪
 > ♪逃げなさい 隠れなさい♪

「良心的兵役拒否」という言葉があります。
言葉だけじゃない、好戦的大統領がいる国の実際の制度です。
宗教的良心に従って戦いを拒否してもよいけど、他の活動をしなさいという制度。

これ、実は「良心」的兵役拒否ではないと思います。
この宗派セクトの者は戦場に行かなくていいから、後方支援に専念して戦争に協力しなさいという、国家からの妥協です。
国家に反逆はするなよという恫喝みたいなものです。
国家なんぞに自分の良心を決められてたまるかよ、と思います。

加川良さんには他にも逆説的反戦歌がありまして、やっと本題。
「戦争しましょう」というタイトルです。
第二次大戦中に一途な男が憎いアメリカをやっつけようと太平洋を泳いで渡ったら戦争が終わっていて、また泳いで帰ってきたら交通事故で頓死してしまうお話。

 > ♪国会議事堂前にして♪
 > ♪ギョロ目出てこいと叫んだが♪

「ギョロ目」というのは佐藤栄作という、当時の総理大臣のことです。
1964年?1972年という激動期に長期政権を維持したのだからすごいですね。
後にノーベル平和賞を受賞してしまうと、日本中がしらけました。

さて、この歌はずいぶんめちゃくちゃでマンガみたいなんですが、実は本当にマンガだったんです。
「山松ゆうきち」さんという風変わりなマンガを描く作家さんがいて、私はこのマンガを読んだ記憶があります。
どの雑誌にいつ載ったものなのか、覚えていません。
「ガロ」だったのかなあ?
その作品どおりの歌です。

最近ふと思い出して、山松さんの原作(って言うのか?)が読みたくなりました。
これが見つからない。
ただでさえ入手困難なマンガ家さんなのに、タイトルも覚えてないんで。
古本を何冊か買ってみましたが、どれも違う。

青林堂から短編集が2冊出たのですが、入っていません。
どなたか、ご存知でしたら教えてくださいませ。

渡師匠の心の師匠ウッディ・ガスリー大師匠のお言葉。
「ええ、私ゃアカですよ。通帳はずっと赤字続きでね…… 」

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五つの赤い風船「時々それは」(1971年)

お、今日で楽天広場参入一ヵ月です。
Lycos難民の皆さん、お元気ですか?
私は正確にはLycos難民ではないのですが、この別荘が気に入っています。

ただいまエイベックスとアマゾンの共同企画で、URCの復刻盤予約を受けつけています。
数を確保してプレスしたいという商売で、アマゾンだけの限定販売になるそうです。
このため、五つの赤い風船がURCで出したオリジナルアルバムはすべて入手不能となっています。
(高田渡さんとのアレはどこでも普通に買えます。)
発売が決定した場合の購入には再度予約手続が必要で、購買義務がないそうです。
つまり、予約とはいいながら、人気投票のようなものです。
是非是非アマゾンのサイトを訪れて、風船の「発売未定」のアルバムを「予約」してください。
E-mailアドレスを入力するだけです。
フリーのメールアドレスでかまいせん。

東芝EMIで出していたものは予約の数が集まりにくいので、もうプレスしないかもしれません。

『おとぎばなし』
『巫OLK脱出計画』
『五つの赤い風船 イン・コンサート』
『New Sky (アルバム第5集 part1)』
『Flight (アルバム第5集 part2)』

また、今までにCD化されていないアルバムもこれを逃すと、エイベックスの契約が切れるまで待たなければならないことでしょう。
個人的には『ゲームは終わり(解散記念実況盤)』を切望しております。
中古で買ったけど、状態がいまいちなんです。
レコード収録曲が完全復刻された場合は、斉藤哲夫とアーリータイムス・ストリングス・バンド、加川良、IMOバンド、岡林信康、加藤和彦の演奏もあるはずなんですが、入るのは風船の演奏だけかな?

五つの赤い風船『ゲームは終わり(解散記念実況盤)』

よろしくお願いいたします。
他にもアマゾンにはURC復刻投票リストとも呼ぶべきアルバムがいろいろあるので、じゃんじゃん投票しましょう。

【追記】おっと、楽天広場ではアマゾンへのリンクは蹴られてしまうことがわかりました。
ちっ。
リンク切りましたので、お手数ですがamazon.co.jpで「五つの赤い風船」を検索して、「予約」してください。


花の女子高生デインジャラスりえどん(仮名♀)が、五つの赤い風船にハマった。
ますますデインジャラスである。
うちにある風船のCDを次々に貸したので、並みの四十代よりずっと風船に詳しくなっている。
フー子さんの声がいいと、実に的確な感想である。
『五つの赤い風船 イン・コンサート』など、昔のコンサートの様子が今の若者には非常に新鮮なものに聞こえるようだ。

LPというものを見たことがなかったそうで、たまたま手元にあった『ゲームは終わり(解散記念実況盤)』(1972年)を見せると、その大きさと重量感に驚いていた。
値段も今よりずっと高かったんだよ。

考えてみると、復刻盤CDのジャケットはしょぼい。
元々あの大きさのLPジャケットを想定してデザインしたものであるから、どうしてもミニチュア、おもちゃみたいな感じになってしまう。
紙ジャケの復刻CDは楽しいけれど、それは例の食玩の楽しさに似ている。

ここから下が、書いたまま転載しなかった日録です。


今夜は本当は夜なべ仕事をしなければならないのだが、やめ。
ROOTS MUSIC DVD COLLECTIONのDVDを観ることにする。

五つの赤い風船Vol.1『五つの赤い風船』。
よく見ると、小さな字で「再生ドキュメント」と書いてある。
映像ではさらに「五つの赤い風船2000」になっている。
そうだよな、そりゃそうだ。
わかっちゃいるけど、そりゃそうだ。

収録曲(ライブ)
 #1 恋は風に乗って
 #2 風がなにかを…
 #3 遠い空の彼方に
 #4 上野市
 #5 血まみれの鳩
 #6 悲しみが時を刻んでいる
 #7 遠い世界に

このシリーズは他の4枚は本編約1時間なのだが、これだけが90分と長い。
まだ渡さんのしか見てないが、風船の方がずっとドキュメンタリーという雰囲気が強い。
再結成ではなくて、「再生」というタイトルになっている。
「新生」風船ですね。
オフィシャルサイトがあるはずなので、新生風船に関してはgoogleしてそちらをご覧ください。

新生風船が歌う「恋は風に乗って」、いい曲だ。
いい曲なのだが、悲しいことに西岡のおっちゃん、昔のようには声が出ていない。
残酷だなと思う。

昨夜観たのは渡さんがギター一本で弾き語りをする姿だった。
90年代末の映像。
歳をとっているのだが、それはあのMartin D-28と同じで、実にいい味になっている。
URCから出た片面ずつの不思議なLP『高田渡/五つの赤い風船』(1969年)の渡さんより、90年代末の渡さんの方がいい。

風船の場合はまた別の世界だと思う。
五つの赤い風船2000はいい。
心が温まる。
でも、五つの赤い風船は本当にもっともっと、ずっと凄かったのだ。

私はナマで五つの赤い風船を観たことがない。
たぶん中学3年の夏休み、友達の家に行くと大学生のお姉さんが帰省していた。
さわやかな元気のいい人で、僕たちを海に連れていってくれたりした。
今思えば『Flight』(1971年)なのだが、レコードをかけて一緒に大きな声で歌っていた。
素敵だなあと思った。
大学生ってこうなんだ!
実際に大学生になってみると全然そうではなかったのだが、それは自分の責任です、ハイ。

五つの赤い風船の曲は何かが変だった。
人数のわりにはやたらに色々な楽器を使うこともあるが、なんといってもコーラスが不思議だった。
低い女声(フー子さん)と高い男声(西岡さん)が互いの声を真似ているようで、どっちがどっちかよくわからなくなる。
まさに独特なサウンドだった。
ジャケットの雰囲気もペイネの絵のようだったりして、当時の「フォークソング」とはまったく違うものだった。

元々西岡たかしさんはデザインが専門の人なので、その音の世界もデザインと同じようにコラージュしていったのだろう。
色を重ねていっては壊す。
天才西岡たかしの楽曲は、常に破壊への衝動を孕んでいた。
風船は当時の他の「フォーク」に比べれば明るくて洗練されたイメージがあるのだが、同時に何かとても暗く、壊れている部分があった。

風船の出発は西岡たかしさんの部屋だという。
最初は中学生の有山じゅんじさんがいたなどというのは、ずっと後になって知ったことである。
中川砂人(イサト)さんは途中で喧嘩別れしてしまう。
西岡さんがガット弦による演奏を指定していたのに、イサトさんがスチール弦での演奏をステージで強行したのが直接の原因なんだそうな。

当時のレコード制作事情からどうにも不思議なことになっているが、1st『高田渡/五つの赤い風船』の風船部分と、2nd『おとぎばなし』を一つにまとめると、とんでもない傑作アルバムができあがる。
これ、明日にでも作ろう。
同様に双子の第5集アルバム『New Sky』『Flight』(1971年)も一枚に収まるかな?

実に悔しいことなのだが、私はこの『New Sky』を長いこと知らなかった。
人生を半分損した気がする。
今なら「アシッド・フォーク」などという呼び方をされてしまうのだろう。
札幌の町を歩き回って拾った音がコラージュされている「時々それは」は大傑作である。
1曲23分。

 ♪死人の顔と 皮膚のたるみが♪
 ♪紫に暗い沼に向って走っていく♪

 ♪お前は死人の顔を引きずっては♪
 ♪まだ明けもせぬ 町並みを歩く♪

気持ち悪いっしょ。
数年前、私は寝る時にこの「時々それは」をぐるぐるぐるぐる繰り返してエンドレスで聴いていたのです。 
その頃いやなことが相次いで起きました。
実に不吉な佳曲です。
この曲の後に、最近の私の愛唱歌「私は地の果てまで」が続きます。

 ♪苦しいからって 逃げないでいるのは♪
 ♪あなただけ なのでしょうか♪

 ♪色んな夢があなたをさそい♪
 ♪そしてあなたを狂わす♪

これもかなりシュールですね。
教科書に載るような風船とはまったく違う世界があります。

ああ、いいなあ。
藤原→東秀子さんのボーカル。
最後の解散は、西岡&長野は風船を続けたかったのだが、トン&フー子がもう風船を続ける気をなくしたということだそうです。

楽譜:私は地の果てまで

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ピート・シーガー「わたしが一番きれいだったとき」

【追記】No.2

本文中の書籍『虹の民におくる歌』は完売したそうです。
リンクも外しておきます。

【追記】No.1

いただいた質問

> 「虹の民」Rainbow Raceというのはどういった意味あいなのでしょう?
> PeopleではなくてRaceなのでRainbowは肌の色でしょうか?

「虹の民」はピート・シーガーの曲にもあります。
中川五郎さんの訳詞の「虹の民」が、反核・反原発の集会やデモでよく歌われました。

「虹の民」の原題も”My Rainbow Race”で、「people」ではありません。
これは本人ピートさんの弁では「地球へのラブソング」なんだそうです。
「one blue sky, one ocean, one earth」という詞が出てくるので、地球上の人々は「one race」であると歌っているのだと思います。
質問されるまで気づきませんでしたが、確かに「rainbow」は様々な肌の色を指しているのでしょう。

ちなみに、「虹の民」は1967年にピートさんが雑誌で見たヤマハの「世界歌謡コンテスト」に応募するために作ったんだそうです。
優勝賞品は日本への無料旅行。
あっけなく落選したそうです。


12弦ギターの良い教本はないかしらと探していたら、ピート・シーガーさんが出してました。
翻訳は出ていません。
amazon.co.jpでは品切れ。
amazon.comなら買えるようだけど、ちょっと待ってみます。
ピートさんが出している、5弦バンジョーの教本は日本でも買えます。

大昔ですが、「セサミストリート」にピートさんが何度かゲストで登場してました。
この人のバンジョーはやけにサオが長いなあと思ったのですが、やはりあれは特注品でした。
バンジョー奏者、そして12弦ギターの奏者としても有名なんですね。

そんなことをしていて見つけたのが、ピート・シーガー著『虹の民におくる歌』(社会思想社 本体7500円+悪税)。
だいぶ前に見かけて、ちょっと欲しいけど高いなあと手が出ませんでした。
ところが、版元の社会思想社が倒産してしまいました。
あ、あの本どうなったんだろ?
と思ったら、高石ともや事務所でかなりの部数を買い取ってくれたようです。
5000円+送料400円で買えるようになっているのを見つけました。

虹の民におくる歌
こういうふうにして、『虹の民におくる歌』が届きました。
B5の天地を4cmほど切り落したような変形版で、本文は250ページ程度。
予想していたよりずっと薄い本で、定価が7500円では誰も買わないだろうという感じです。

いくらなんでもこの定価はないだろうと思ったら、「日本語版への序」を読んで謎が解けました。
初版のうち1000部を日本中の図書館に寄贈したのだそうです。
もちろん増刷・重版などなかったはず。
ああ、社会思想社よ、安らかに眠れ!

ぱっと見、読みにくそうな本。
ピートさんの回想が、必ず楽曲の楽譜と共に語られている。
ギター片手に、あるいはバンジョー片手に読む本なのだろう。
ただ、歌詞が微妙。
つまり、日本語訳部分は、歌うための詞ではなくなっているからだ。
意味を伝えるための翻訳で、これでは歌えない。
アメリカ語を母語としていないのだからしかたがない。

でも、本の内容はとても濃いです。
ピート・シーガーさんはさすがに筋金入りであります。
日本で脱色されて商売になった「フォーク・ソング」のうさん臭さがよくわかります。
本田路津子さんの訳詞でヒットした「ひとりの手」の原詞が載っているのだが、まあ驚きました。
(私がモノを知らなかっただけか。商業主義の代表みたいな言及の仕方で、本田さんには申し訳ない。)

原曲”One Man’s Hand”の作詞者はアレックス・コンフォート(Alex Comfort)というアナーキストです。
数学者なんだそうで、1950年代にバートランド・ラッセルが率いた核軍縮の運動に参加して、この歌を作ったそうです。

  ♪Just my hands can’t tear a prison down♪
  ♪Just your hands can’t tear a prison down♪

tearは「涙」じゃなくて、「引き裂く」のテアですね。
だから、

  ♪私の手だけじゃ牢屋は壊せない♪
  ♪君の手だけじゃ牢屋は壊せない♪

と歌ってるんです。
「何もできない」と歌うのではなくて、もっと具体的に何をしたいかはっきり主張している、戦闘的な歌です。

 2番以降は
 「私の声だけじゃ彼らに届かない」
 「私の力だけじゃ原爆は止められない」
 「私の力だけじゃ人種差別は破れない」
 「私の力だけじゃ組合は作れない」
 「私の足だけじゃこの国を横断できない」
 「私の目だけじゃ未来をはっきり見ることはできない」

朝鮮戦争、マッカーシーの赤狩りの時代に、ピートさんは公の場でこれを歌ったわけですよ。

ギターとバンジョーのチューニングや、メロディや歌詞の話、自分と関わった人々の話と、いろいろ楽しいです。
分冊・完訳にしてほしかったなあという気がします。

この本での大きな収穫の一つは、茨木のり子さんの「わたしが一番きれいだったとき」の英訳にピートさんが曲を付けた”When I Was Most Beautiful”の楽譜が載っていること。
やっと見つけたという感じです。

 > わたしが一番きれいだったとき
 > 街はがらがら崩れていって
 > とんでもないところから
 > 青空なんかが見えたりした

この詩が

 > When I was most beautiful,
 > Cities were falling
 > and from unexpected places
 > blue sky was seen.

こんなふうに訳されてます。
訳詞の場合、素直な散文ではあるけれど、詩にはなっていないような気がしますが、これは仕方ないか。
私なんぞが偉そうに言えることではありませんな。
ボブ・ディランの訳詞で有名な片桐ユズルさんの翻訳です。
ピートさんが来日した時にユズルさんの訳詩に出会って曲を付けたという話です。

さて、どうして「most beautiful」に「the」が付いていないんでしょうか。
これは一人の人物の変化を比べているので、形容詞の最上級だけど「the」をつけちゃいけないんですね。

残念ながらピート・シーガーが歌った音源はまだ見つけていません。

わたしが一番きれいだったとき

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