CHRONICLES #9 (Bob Dylan)

千本浜 2004年11月13日

【追記】No.2
「ずるいこと」と書いてしまいましたが、「ワザ」ぐらいの感じかもしれません。
その例として、リッチー・ヘヴンズ(Richie Havens)の例を挙げています。
リッチーはいつもきれいな女の子を連れていて、その子にお金を集めさせていました。
するとたくさん集まることにディランも気づいたのです。
そこで、「Cafe Wha?」で知り合った見た目のきれいな子にお金を集めてもらったのです。
ちょっと奇抜な格好で。
お金の取り分に関してはごたごたとうるさいのですが、それでも独りで歌ってお金を集めるより、ずっと多かったそうです。
彼女の格好は、こんな感じです。
… wear a funny little bonnet, heavy black mascara, low laced blouse–looked almost naked from the waist up under a capelike coat.
う?ん、やっぱりそういうものなのか。
 →THE OFFICIAL SITE OF RICHIE HAVENS
【追記】No.1
ところで楓。。さんにそそのかされて、いきなりですが「KYON2 My Best 5」
 No.1 「なんてったってアイドル」(1985年)
 No.2 「木枯しに抱かれて」(1986年)
 No.3 「The Stardust Memory」(1984年)
 No.4 「夜明けのMEW」(1986年)
 No.5 「ヤマトナデシコ七変化」(1984年)
う?ん、時期が集中してますね。
このころがアイドルとしての旬だったのかしら。
筒美京平メロディと高見沢俊彦メロディか。
「渚のはいから人魚」「スマイル・アゲイン」が次点。
「まっ赤な女の子」「私の16才」ってのも悪くないです。
 →小泉今日子 EPコレクション



ヴァン・ロンクは「The Gaslight(ガス灯)」というクラブで働いていました。
「The Gaslight」は派手な横断幕が外に掲げてあるというのが、いまひとつイメージがわきません。
ここは週給で支払ってくれた。
お酒は出さないけど、持ち込み可。
昼間は閉まっていて、夕方からだいたい六人ぐらいで一晩のステージをやったそうです。
オーディションは一切なし。
ディランは歌いたかったし、そうする必要がありました。
この「The Gaslight」のステージにいるボブ・ディランの画像がありました。
 →GASLIGHT CAFE
 真ん中にディランが写ってるんですが、くわえてるのは葉っぱでしょうか?
通りで出会ったヴァン・ロンクに声をかけそびれた時のことが書いてあります。
ディランはヴァン・ロンクと一緒に演奏をしたかったのです。
でも、行き過ぎる時にヴァン・ロンクの目の光を見ることができただけでした。
「The Gaslight」以外のコーヒーハウスはかなり劣悪な環境だったそうです。
もちろんマイクなんてものはありません。
「pass the hat」と書いてあるのは、つまりステージを務めた者自身がお金を集めたのでしょう。
大道芸を小屋の中でやってるようなものです。
たぶんすべて場所で一度や二度は演奏したはずだと言っています。
こういう薄汚れた暗い小屋には、タレントのスカウトは来ません。
どうやら観光客相手の商売だったようです。
投げ銭を期待して演奏していると、週末だったら、夕暮れから夜明けまで(from dusk ‘til dawn)までで20ドルぐらい。
ルー・レヴィのリーズ音楽出版社と版権の契約を結んだ時、ディランは100ドルを前払いで受け取りました。
これはやはりなんとか一ヵ月暮らせるかという程度の金額みたいですね。。
ウィークナイトは悲惨だったようです。
客の数に比べて競争相手が多すぎた。
したがって、生き残るためには多少ずるいこともしなければならなかったと書いているのには驚きました。
ちょっと戻ったので、まだp.17であります。
www.iraqbodycount.org www.iraqbodycount.org
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