自己嫌悪

自己嫌悪といっても、私の話ではない。
そういえば遠い昔の懐かしい会話。
「俺、このごろ自己嫌悪なんだ」
なんのことはない、最近そんな言葉を覚えたということにすぎない。
だいたい中学生ぐらいでそういう会話は終わらせたいものだ。
もっとも、このごろは流行らない言い回しなのだろう。
「俺様、こんなにすごいんですが、何か?」
こんな手合が多いようだ。
かかわりたくないものだ。
いや、そういう話でもない。
陽水さんの「自己嫌悪」という曲のことなのだ。
「桜三月散歩道」を聴き較べるために古いCDを引っ張り出して気づいた。
あれ? 曲が足りない?
昔のLPには、もう一曲あったじゃないか。
それが「自己嫌悪」。
 ♪ めくらの男は静かに見てる 自分の似顔絵
この歌詞が災いして、CD化される時に抹殺されたらしい。
手元のCDを眺めている分には、オリジナルのアルバムにそういう曲が入っていたという事実さえ、わからない。
今の自主規制は、昔の墨塗り検閲のような愚かな真似はしない。
そんなことはまったくなかったかのように、本当に消されてしまうのだ。
ところが、検索してみたところ、2001年に出た紙ジャケ[LIMITED EDITION]では、この曲が復活しているらしい。
どんどん自主規制による「言葉狩り」が進む中で、珍しいことだ。
ダブってしまうけど、これは注文しなければならんなあ。
吉田拓郎さんはSONY時代、井上陽水さんはポリドール時代のアルバムがいい。
もちろん、それを聴いた当時の自分が高校生だったという事情もあるのだろう。
そんなに枚数が多くないので、復刻CDを簡単に揃えることができる。
と思ったら、拓郎さんの『今はまだ人生を語らず』(1974年) は入手不能になってしまった。
一方、陽水さんの『氷の世界』(1973年)は、曲が削られたのだが、ちゃんと完全な形で復刻された。
これがSONYとポリドールの違いだ。
もちろんその姿勢は、直接担当者の意志によって決められた姿勢だ。
おそらくたった一人の決断が、こんな大きな違いを生んでしまう。
おい、『今はまだ人生を語らず』(1974年)の再プレスを認めないあんたは誰なんだ。
言葉を狩っているのはお前だ。
井上陽水『氷の世界』は、紙ジャケ[LIMITED EDITION]でない盤も現行商品なので、ご購入の際はお気を付けあれ。
プラケースの通常盤には「自己嫌悪」が入っていません。
楽天市場の店では、紙ジャケ版は見つかりませんでした。
amazon.co.jpには在庫ありました。
井上陽水『氷の世界』(1974年)
井上陽水『氷の世界』
1. あかずの踏切り
2. はじまり
3. 帰れない二人
4. チエちゃん
5. 氷の世界
6. 白い一日
7. 自己嫌悪
8. 心もよう
9. 待ちぼうけ
10. 桜三月散歩道
11. Fun
12. 小春おばさん
13. おやすみ
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消えた革命 桜三月散歩道 #3

雑誌『まんがNo.1』1973年3月号の付録ソノシートに収録された「桜三月散歩道」と、アルバム『氷の世界』(1973年12月)の「桜三月散歩道」を聴き較べた。
もちろんCDで聴けるアルバム版の方がずっと音が良いのだが、アレンジはかなり近い。
歌詞も思っていたほど変わってはいなかった。
言葉の順序を入れ替えた箇所が多い。
 ただ、ソノシートの三番で「町へ行けば 革命だ」と歌っているところが「町へ行けば 人が死ぬ」となっているのが、とても大きい。
でも、曲の印象を大きく変えたのは、語りの違いの方が大きいだろう。
声が違うということもあるが、2回あった朗読を1回にまとめてしまった。
キャッチボールや健康ボールが消え、江戸川や帝釈天といった具体的イメージを喚起するような言葉も消えている。
健康ボールというのは、時代を背負った言葉だったとも言えるだろう。
夏の日の夕方だけに絞り、時代や場所を表す具体的な言葉が消えたことによって、影踏みの幻想的なイメージが強調されたように思える。
長谷邦夫少年に残っていた戦後民主主義や革命のにおいが消えて、見事に「氷の世界」を構成するようになったのだ。
 →健康ボール
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【語り部分の異同】
[まんがNo.1版]
 (一番と二番の間)
 夏の日の夕方 水泳から帰った僕たちは
 みんな真っ白なシャツを着ると
 色の剥げた貨物船のような倉庫のある
 細い道に集まるんだ
 僕らがキャッチボールを始めると
 道路は瞳の中の涙のように急に広がって
 白シャツも影の中に沈んでしまい
 白く光るのは たった一つの健康ボールだけになっちゃうんだな
 (二番と三番の間)
 秋 やっぱり夕方近くになると
 僕たち子供は家の窓を開け
 涼しくなった空を見上げてから
 江戸川の堤に駆け登るんだ
 みんなで影を連れてね
 帝釈天の向こうの夕日が
 太い煙突に吸い込まれるまで
 影踏みをして遊ぶんだ
 影を踏もうとすると
 影は驚いた魚のように逃げたっけ
[氷の世界版]
 (二番と三番の間)
 夏の日の夕方 学校から帰ると僕たちは
 みんな真っ白なシャツを着て
 色の剥げた貨物船のような倉庫のある
 細い道に集まり
 それから川の堤に駆け登るんだ
 みんなで影を連れてね
 夕日が
 太い煙突に吸い込まれるまで
 影踏みをして遊ぶんだ
 影を踏もうとすると
 影は驚いた魚のように逃げたっけ
【歌詞の異同】
★一番
[まんがNo.1版]
 だって人が狂い始めるのは
 だって狂った桜が散るのは三月
[氷の世界版]
 だって君が花びらになるのは
 だって狂った恋が咲くのは三月
★二番
[まんがNo.1版]
 町へ行けば 人が死ぬ
 町へ行けば 人が死ぬ
 今は君だけ 思って走ろう
 だって僕が狂い始めるのは
 だって狂った恋が咲くのは三月
[氷の世界版]
 町へ行けば 風が舞う
 町へ行けば 風が舞う
 今は君だけ追いかけて風になろう
 だって僕が狂い始めるのは
 だって狂った風が吹くのは三月
★三番
[まんがNo.1版]
 町へ行けば 革命だ
 町へ行けば 革命だ
 今は君だけ想って風になろう
 だって君が花びらになるのは
 だって狂った風が吹くのは三月
 
[氷の世界版]
 町へ行けば 人が死ぬ
 町へ行けば 人が死ぬ
 今は君だけ想って生きよう
 だって人が狂い始めるのは
 だって狂った桜が散るのは三月
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ヒナ 2005年8月27日
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桜三月散歩道 #2

赤塚不二夫さんが出していた『まんがNo.1』の1973年3月号を探していたのだが、やっと入手した。
付録ソノシートはまだ聴いていないのだが、一見したところではきれいだ。
針飛びなどないことを祈る。
当時の高校生にとってはずいぶん高い雑誌だったのだけど、ソノシートを何度も繰り返して聴いた。
実家に置いておけば今も残っていたのだろうけど、井の頭のアパートに持って行き、1977年鶴巻町に引っ越す時に捨ててしまったのだ。
とりあえず本誌のマンガを懐かしく読み返すことにする。
赤塚さんは2002年の4月に脳内出血を起こして、それからずっと眠り続けているそうだ。
『まんがNo.1』付録ソノシート
 →井上陽水研究所 青いリンゴ
 →『まんがNo.1』大特集 !!!!
 →幻泉館過去日録:漫画に愛を叫んだ男たち
 →幻泉館過去日録:井上陽水「桜三月散歩道」(1973年)
『まんがNo.1』表紙
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三連符 CHRONICLES #216

千本浜 2005年8月18日
すごいよすごいよと、ディランは香具師のようにまくしたてるのですが、私には実際の演奏のイメージがつかめないので、そのすごさがわかりません。
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This is definitely a style that benefits the singer. In folk oriented and jazz-blues songs, it’s perfect.
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う?ん、とってもおいしそうです。
なんといっても完璧なんですよ。
わからんなあ。
ディランが考えていたのは、とにかく自分が歌う上で最も効果的な演奏法です。
全音階であれ、5音音階であれ、偶数に基づいていては古臭い月並みなものになってしまうと感じていました。
そこで、力強い効果を生むことができる演奏法に変えようとしたのです。
でも、時間が足りないと感じていたようです。
あの自信家ディランが、自分の楽器の音は周囲の演奏に埋もれて聞こえない方がいいのかもしれないとまで言っています。
それは、歌の骨格から抜け出て自由に歌いたかったからなのです。
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Ideally, I would have liked to have taken a song, played it more than a few times for a musicologist who would then write the basic parts for an orchestrated version. The orchestra could even play the vocal line. I wouldn’t even have to be there.
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これではもう本末転倒です。
だいたい、ディランが満足するように編曲してくれる「音楽理論家(musicologist)」なんぞ、この世に存在しないでしょう。
過去の自分の録音を振り返ります。
どの曲にも動的なアレンジ(kinetic arrangement)がまったくなかったと反省します。
スタジオでは、歌はざっとスケッチされるだけで、その影からは何も生まれませんでした。
それに対してこのシステムは、と新しく採用する奏法をまた説明するのですが、ここでやっと具体的な描写が出てきました。
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The total effect would be physiological, and triplet forms would fashion melodies at intervals.
その全体的な効果は生理的なものであり、時に三連符が旋律を形成する。
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やっぱり音程だけではなく、リズムにも奇数3が用いられるようです。
p.160に入りました。
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神秘の数 CHRONICLES #215

千本浜 2005年8月18日
ディランは奇数に基づいた演奏法を讃えます。
しかし、どうも具体的な部分がよくわからないんですわ。
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I’m not a numerologist. I don’t know why the number 3 is more metaphysically powerful than the number 2, but it is.
僕は数秘術師ではない。どうして理論的に3という数字が2という数字より強力なのかわからない。でも、そうなのだ。
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三位一体(Trinity)説以前に、ヨーロッパには3を神秘的な数とするが見方があるようです。
ふっとピタゴラスの名前が浮かんだのですが、キリン秋味でいい気持になってしまったので、もう頭が回りません。
ピタゴラス学派の禁忌に「豆」があったそうなので、それについて書いた寺田寅彦さんの随筆にリンクを張って、今夜はおやすみです。
豆はいいよな、豆は。
 →ピタゴラスと豆:寺田寅彦
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ペンタトニック・スケール CHRONICLES #214

保線区 2005年8月24日
「偶数と奇数」ということを読んでまず思い浮かべたのは、和音やハーモニーのことです。
四弦楽器の一五一会はキーの第一音と、その五度上の音に合わせます。
ギターは普通は「1・3・5」の音でコードを鳴らしますが、一五一会の場合は三度の音を省くので、長調(major)も短調(minior)もありません。
でも、これは奇数が基本だから違うよなあ。
と思って、成毛滋さんのギター教本を思い出したのでした。
4ビートも8ビートも2の倍数ですから、偶数システムではなかろうかと。
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The system works in a cyclycal way. Because you’re thinking in odd numbers instead of even numbers, you’re playing with a different value system. Popular music is usually based on the number 2 and then filled in with fabrics, colors, effects and technical wizardry to make a point.
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“fabrics”や”colors”は「構造」や「音色」といった読み方もできますが、そのまま比喩として「織物」や「色」もいいですね。
いや、比喩ですらなく、ディランは本当に質感や色を感じたりしているように思えるのです。
「2」という数字を基本にすると、無難だけれど結果として貧弱なものしかできあがらなくなってしまった、もうそれでは懐古的なものしか作れないと言っています。
あれあれ、ピッキングの問題ではありませんね。
やっぱり音程を問題にしているようです。
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In a diatonic scale there are eight notes, in a pentatonic scale there are five. If you’re using first scale, and you hit 2, 5 and 7 to the phrase and then repeat it, a melody forms. Or you can use 2 three times. Or you can use 4 once and 7 twice. It’s infinite what you can do, and each time wouild create a different melody. The possibilities are endless.
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“diatonic scale”は全音階、”pentatonic scale”は5音音階のことです。
あれ、全音階は7音じゃないのかな。
ディランさん、頭の中で「ド」を二回数えてないですか。
 →移調の限られた旋法
可能性が無限に広がるというこの奏法、私にはまだ具体的なイメージがわきません。
ただいまp.158です。
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成毛滋のロックギター・メソッド

ディランの言っている偶数と奇数とは何のことなのかなと考えていたら、成毛滋さんのことを思い出した。
そうか、あれかな、ピッキングのことなのかな。
僕は70年代にグレコのギターを持っていたことがある。
おまけに、「成毛滋のロックギター・メソッド」といったようなタイトルの薄い教本とカセットテープが付いていた。
レッド・ツェッペリンの「移民の歌」なんかがレッスンに使われていた。
かっこいい!
のだが、どうもピックの空打ちができなかったのだ。
成毛メソッドでは、右手のピックは常に8ビートでダウン&アップを繰り返す。
弦を弾かない時も、必ずダウン&アップの空打ちをしなければならない。
音だけ追いかけてのったりもったりしないよう、リズムが崩れないように、そうしていたのだろう。
これが実に難しくて、いわゆるエレキの世界とはおさらばしてしまった。
短音弾きの時には小指をギターのボディにつけて右手を支えていたのだが、それも絶対にダメだと成毛先生はおっしゃっていたなあ。
お、すごいサイトがありました。
これです、これです!
 →[グレコ]
いや知らなかった。
成毛さんは手が小さくてフェンダーやギブソンが弾けなかったんだ。
ああ、そういうことを知っていれば、もう少しがんばったかもなあ。
サイトのギター開発話はプロジェクトXみたいなんですが、ちゃんとその後の現実も書いてあるところが、NHKの回顧番組とは違います。
ずいぶんおもしろいサイトですなあ。Dr. Shigel’s Archives 成毛滋のレア音源というんですね。
音源満載なんですが、写真もおもしろいですぞ。
 →Photo Album
ちょっと諸行無常。
そうそう、「ナルモ・シゲル」さんですよ。
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魂を売ったギタリスト CHRONICLES #213

添地町 2005年8月24日
ディランはその奏法を自分で考え出したものではないと書いています。
1960年代の初めにロニー・ジョンソン(Lonnie Johnson)が弾いているのを見たんだそうです。
ロニー・ジョンソンは1930年代から活躍していたブルース・ギタリストで、ディランがグリニッジビレッジでレコーディングを夢見ていたころも、現役だったのです。
 →ロニー・ジョンソン(Lonnie Johnson)
ロバート・ジョンソンも、ロニー・ジョンソンから多くのことを学んだギタリストでした。
 →ロバート・ジョンソン(Robert Johnson)
 
そうそう、ロバート・ジョンソンは悪魔に魂を売り渡してギターの腕前を上げたという伝説のある人ですね。
中島らもさんも芝居でそのネタを使ってましたっけ。
ディランはロニー・ジョンソンから直接実際に奏法を教わりました。
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Lonnie took me aside one night and showed me a style of playing based on an odd-instead of even-number system. He had me play chords and he demonstrated how to do it.
——————————————————-
ロニーがいつもそういう演奏をしていたというわけではありません。
プロですからいろいろな演奏を知っていて、その一つをディランに教えてくれたのです。
「役に立つことがあるかもしれない」とまで言ってくれます。
ディランは秘密を教えてもらったとは思ったのですが、歌を歌うためにギターをかき鳴らすということが必要だったので、当時はあまりそれが意味を持っていませんでした。
しかし、「偶数ではなくて奇数に基づいた演奏法」とは何なんでしょうか。
ピンと来ませんね。
もちろん、その説明が始まります。
たぶん。
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大空と大地の中で

僕が小学生の時なのだが、高校生だった上の従姉ちゃんの好きな男の子の名前が松山千春によく似ていた。
順序は逆で、松山千春という歌手の名前を初めて耳にした時、従姉ちゃんの好きだった人の名前に似てるなあと思い出したのだ。
後年従姉ちゃんにそのことを言うと、やっぱり似てると思ったそうだ。
でも、それ以上にその男の子の名前を僕が覚えていたことに驚いていた。
もう忘れろと言われても、それは無理というものだ。
大脳皮質の最古層にしっかりと刻み込まれてしまった。
松山千春のオールナイトニッポンはエンディングに「大空と大地の中で」を流していた。
番組は聴いていなかったのだが、そのエンディングだけよく耳にしたものだ。
この曲は好きな人が多いようで、google検索するとすぐにmidi音源が見つかる。
 →「大空と大地の中で」
 →「大空と大地の中で」
 →「大空と大地の中で」
大隈講堂の前の広場で夜中にサークルの仲間たちと酒盛りをして騒いだ時、「長い夜」の物真似で盛り上がっている連中がいた。
テレビを見ていなかったので、その物真似はなんだかよくわからなかった。
「月の法善寺横丁」を持ち歌にしている大阪出身の先輩がいたのだが、いつも♪包丁い?っぽん♪の「ぽん」で大きく音を外していた。
その先輩が、「ええ歌やなぁ」と録音してもらっていたのが「旅立ち」だった。
そう、千葉県の千倉で春休みに合宿をした時のことだ。
それから5年ぐらい経ったころだろうか。
第三の故郷とでも言うべき高田馬場の街で、夕刊紙の記者になっていた友人と飯を食った。
僕は零細出版社に籍を置いていた。
北海道の国会議員が謎の死を遂げた直後だ。
友人に訊いた。
「あれは他殺じゃないのか?」
「自殺だ」
それじゃそうなんだろうなと思った。
自民党総裁選で敗れた中川一郎議員である。
その後、長男中川昭一と秘書鈴木宗男の間で壮絶な跡目争いが起きることとなった。
1983年、今から二十年以上も前のことだ。
元読売巨人軍の新浦寿夫投手がテレビ番組で好きな曲だと言って、松山千春の「恋」を歌っていたなあ。
選挙?
自民党の内紛だろ。
それで衆議院を解散してしまうなどというのは、本当に傲慢だ。
内紛を独裁に転化しようというのか。
小選挙区によって、日本国憲法の外堀は完全に埋められた。
総評は高野孟と津村喬の父親高野実の時にニワトリからアヒルに変わったけれど、連合はずっとニワトリのままなんだろう。
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