帰郷 CHRONICLES #196

千本浜 2005年8月28日
ウィスキーのボトル一本空になるような理由というのが、どうも他人にははかりしれないことのようです。
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Prior to this, things had changed and not in an abstract way. A few months earlier something out of the ordinary had occurred and I became aware of a certain set of dynamic principles by which my performance could be transformed.
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抽象的にではなく、つまりまったく具体的な演奏の技術として、ディランは自分の演奏を変えるような、ある原則に気づいてしまったのだそうです。
「血の轍(Blood on the Tracks)」(1975年)や「欲望(Deisre)」(1976年)という傑作アルバム(だと思います)を生み出した後、ディランはいったい何をやっていたのでしょうか。
私はその時期のディランをあまり知りません。
前段落で”my complete recordings on disc for years”と書いているので、アルバムの録音そのものには満足していたようです。
でも、気持が歌から離れていってしまったのです。
なおかつ、演奏(歌唱)の技術的な問題として、あることに気づいたというのです。
既に頂点を極めたように見えるディランが、本当にそんな技術的な問題を抱えていたのでしょうか。
その具体的な点をまだ読んでいないのですが、実は他に問題があった部分を、技術的な問題だと考えようとしていたような気がします。
ここで、好きな詩の一節を思い出しました。
中原中也「帰郷」の結びです。
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あゝ おまへはなにをして来たのだと……
吹き来る風が私に云ふ
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 →帰郷
前回のタイトル「歌のわかれ」は、中野重治さんの小説から採ったものです。
短歌的叙情に対する「わかれ」とディランの「クロニクルズ」はまったく関係がないのですが、ディランは昔の自分の歌に、とっくに別れを告げていたのだなあと連想したのです。
だからいつまでも「時代は変わる」や「風に吹かれて」を歌ってくれとせがまれても、困っただろうなと想像できます。
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海賊によろしく #3

件の香港厨房君ですが、素直にリンクを切ったので、夕陽画像を元に戻しました。
壁紙の画像もまずいと思ったのか、変えてました。
この間、彼のblogのアクセス数は妙に増えていたので、やばいなと思ったのでしょう。
なんだかあっけなくて、ちょっと寂しい気もします。
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歌のわかれ CHRONICLES #195

千本浜 2005年7月27日
 →[ I Love Sunset! 夕陽が好き!]
私にとって80年代のディランは空白だったと書きましたが、忘れておりました。
トム・ペティとのツアーのライブ盤は買っています。
ただ、どちらかというとトム・ペティ&ハートブレーカーズを聴きたかったからのような気がします。
“New Morning”(1971年)を録音した時と同様、80年代のディランは何か壁にぶつかっていたのですね。
「歌の内なる魂というものを捕まえていない」ということに関して、ディランの記述は続きます。
おもしろい描写です。
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The intimacy, among a lot of other things, was gone. For the listeners, it must have been like going through deserted orchards and dead grass. My audience or future audience now would never be able to experience the newly plowed fields that I was about to enter. There were many reasons for this, reasons for the whisky to have gone out of the bottle.
他にも数多くのことがあるのだが、歌に対する親密さというものがなくなっていた。聴く者にとっては、荒れ果てた果樹園や枯れ草の中を通り抜けるようなものだったにちがいない。聴衆や、未来の聴衆は、僕が今まさに入ろうとしている、新しく耕した畑を経験することなどけっしてできないのだ。これには多くの理由があった。ウィスキーの瓶が空になってしまうほど、たくさんの理由があった。
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本人が何を言いだそうと、ディランの歌詞は詩だし、散文も十分に詩的でおもしろいものです。
ディランという人は言葉が生み出す具体的なイメージをとても大切にしているようです。
だから、こんな表現が出てきたら、本当にいちいち荒れ果てた果樹園や荒れ野を思い浮かべて、一緒に楽しんだ方がいいのだと思います。
私が母語ではないアメリカ語で書かれたディランの文章を読む時は、かえってそのひとつひとつにじっくりとつきあえるようです。
翻訳で読むと、これぐらいは0.5秒ぐらいで読みとばしてしまうことでしょう。
もちろんべたべたと日本語に直して読んでいくわけではありません。
最初のところは、ああ、”intimacy”がなくなったんだなあと読んでいくわけです。
「歌に対する親密さ」という訳は良くありませんね。
自分が作った歌が、よそよそしく感じられるようになったのでしょう。
“intimacy”ですが、特に男女の仲に関して使われたりします。
あの「親密さ」です。
形容詞の”intimate”はクリントン大統領の不倫もみ消し疑惑を捜査していたスター独立検察官の報告書(The Starr Report)に”inappropriate intimate contact”なんて言い回しで出てきました。
 →Full Text of the Starr Report
そうそう、菅野ヘッケル先生の翻訳が手元にあるではないですか。
該当箇所を見てみましょう。
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とりわけ、自分を大きくかかわらせて歌うということができなくなっていた。
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う?ん、なるほど。
以前流行った「超訳」まで行ってしまってはダメだと思います。
このぐらいならまずまずいい感じといったところでしょうか。
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オー・マーシー CHRONICLES #194

千本浜 2005年7月27日
さて、第4章”Oh Mercy”です。
なるべくディランの生の文章以外の情報を耳に入れないようにしていたのですが、月刊プレイボーイも買っちゃったし、WWWでもディランの名前を見かけると斜めに読んだり、いかんですなあ。
さすがにこの章はアルバム”Oh Mercy”を作る時の話だというのが、わかっちゃってます。
60年代初頭のニューヨークを描いて、70年代初頭の”New Morning”の話があって、今度は80年代後半。
なんだ、ちゃんと「年代記」になってるじゃないですか。
 →bobdylan.com: OH MERCY(1989)
 
私はただでさえディラン知らずなのですが、80年代は完全に空白の時代です。
このアルバムが出た時には、私は東京で食うや食わずの生活をしておりました。
下請けで本を作ったり、雑誌の原稿を書いたり、なんとか生きていけるだけのお金しか手に入らなかったので、CDなんてなかなか買えませんでした。
仕事仲間で吉祥寺に暮らすハルホ氏(仮名♂)というおじさんがいました。
私よりほんの少し年上。
私同様にごくビンボーでしたが、下駄屋やMANDALA-2にはよく出かけているようでした。
このハルホ氏が、興奮して言いました。
「ディランの新しいレコードが出るんだよ!」
一緒に喜んでほしかったのでしょうが、私の反応はいまひとつでした。
私はもうボブ・ディランの新譜を聴かなくなっていたのです。
今考えれば、あれが”Oh Mercy”だったんだな、というアルバムです。
さて、ディランの言葉に戻りましょうか。
1987年のことだそうです。
日本では『サラダ記念日』や『ノルウェーの森』が売れて、日本シリーズで西武ライオンズが読売巨人軍を破って優勝しています。
ディランは事故で手に怪我をしていました。
春に連続ステージがあるけれど間に合うかどうかわからないと書いているので、年頭のことですね。
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The public had been fed a steady diet of my complete recordings on disc for years, but my live performances never seemed to capture the inner spirit of the songs — had failed put the spin on them.
もう何年もの間大衆は僕から着実に、完璧にレコーディングしたディスクという献立を食わされていたのだが、僕のライブ演奏は歌の内なる魂というものを捕まえてはいないようだった。歌の上で空回りしているみたいだった。
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おやおや、どうしたんだ、ディラン御大。
こと歌に関してはとんでもない自信家だったのではなかったでしょうか。
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鰻の死滅する日

台風一過。
いかにも夏休みという青空が広がっている。
暑いなあ。
明日は土用丑の日だ。
鰻でも食うか。
だいたいこの時期は毎年ウナギ?と、思い、平賀源内さんを思い出すのだ。
 →ドラマの歴史:天下御免
本草学者、蘭学者、作家にして発明家の源内さんは、本邦初のコピーライターにしてCMソングライターということにもなっている。
実際に鉱山開発をしたり、火浣布を作ったりしているので、学者というよりも文字どおり山師のような人だったのだろう。
 →Wikipedia: 平賀源内
火浣布というのは石綿、今報道されているアスベストのことだ。
そういえば、目黒のアスベスト館は2003年に閉鎖されたそうだ。
知らなかった。
 →土方巽記念 アスベスト館
この「アスベスト館」という名前は60年代に土方巽さんが付けたそうだが、どうも名前が気持悪かった。
私は70年代後半には、アスベストが発癌性が高いということを知っていたことになる。
その頃使用禁止になったのだと思い込んでいたのだが、それは間違いだった。
 →Wikipedia: 石綿
鉄腕アトムと一緒に育った私の子供時代はだいたいみんなが科学少年だったりしたので、小学校の理科室が大好きだった。
週1回の「クラブ活動」の授業の時は理科室におしかけてずいぶん勝手な実験をやらせてもらった。
ガスバーナーはなかったので、アルコールランプ。
三脚の上に石綿付金網を載せた。
懐かしいな、石綿付金網。
これももうとっくになくなったのかと思ったら、小学校の授業案のようなサイトによく出てくる。
新しいものは石綿部分がセラミック製らしいのだが、見分けられるものなのかしら。
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ボブ・ディランとプロテスト・ソング #2

台風による豪雨の中、近所の郊外型書店に寄って『月刊プレイボーイ』9月号を買ってきました。
おお、もう9月号ですか。
500円の図書券2枚を出しておつりを貰ったので、ちょっと得した気分。
この図書券、なくなるんですね。
もう図書カードの販売しかしていませんでした。
小学生の時、何かの折に先生から貰った図書券で、ファーブルの『昆虫記』を買いました。
あの頃はおつりが出なかったので、小銭を足して買ったように覚えています。
しかしまあ久しぶりにこういう雑誌を買ったので、広告が新鮮です。
表4がスバルのNew IMPREZZA、表2は見開きでケンウッドのHDDカーナビ。
おお、やっぱり車なんだなあ。
それから濱田酒造「海童」。
ほぉ、芋焼酎。
そじゃない、そじゃない、特集の「ボブ・ディランとプロテスト・ソング」が読みたかったんだわさ。
p.22からp.57まで、ほとんどがフルカラーで、写真の持つ迫力がすごいなあ。
何年ぶりかで映画館に出かけたみたいだわ。
私はボブ・ディランに関する「常識」みたいなものがないので、北中正和さんの「ディランが駆け抜けたプロテスト・ソングの時代」は、勉強になりますな。
わはは。
菅野ヘッケル御大も1ページ書いてます。
実は森達也さんが何を書いているのか読みたかったのです。
[特別寄稿]
「新宿西口フォークゲリラが残したもの」
「日本のプロテスト・ソングはどこへ行った?」
小室等さんへのインタビューを軸に書いている。
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「でも……小室さん、ピート・シーガーはもう聴かないでしょう?」
一拍をおいてから、「聴かない」とつぶやいて、小室は頬の片側に微笑を浮かべる。
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アメリカ生まれのプロテスト・ソングからの決別から、本当に日本の歌が生まれてきたのならそれはそれでいいことじゃないかと思う。
でも、「新宿西口フォークゲリラ」を中心に据えるのはどうなのかな。
森達也さんは私と同年生まれなので、「1968年?72年の新宿と音楽」に関しては私と同様に少し遅れてきた少年だったと思う。
彼らが本当に歌を歌いたかったのなら、どこででも歌えたはずだ。
フォークゲリラは歌の問題ではなくて、運動の問題だったのではないだろうか。
この社会では、歌が滅びつつあると、森さんは言いたいようだ。
少なくとも、メジャーの放つヒット曲から、詞は消えつつあるように見える。
日本にはピート・シーガーもウッディ・ガスリーも現われなかった。
ニール・ヤングも現われない。
もちろん、「僕はプロテスト・ソングなど作ったことはない」とうそぶく、ボブ・ディランも現われないのだろう。
で、いきなりセンターフォールド(折り込み見開きページ)に飛んで驚きました。
そうだ、「月刊プレイボーイ」を読んでいたのであった。
月刊プレイボーイ 2005年9月号
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台風娘がやって来た

幻泉館地方では、午後3時過ぎにはもう台風らしくなくなってしまった。
普通の小雨。
夕方には雨も上がって、西の空にはおもしろい雲が出ている。
去年はこんな感じで浜に出たら、雲の隙間から鮮やかな夕焼けが見えた。
保線区 2005年7月26日
この台風7号には、BANYAN(バンヤン)というアジア名が付いているのだそうな。
台風の名前といえば、私の生まれる前だが、「ジェーン台風」というのはよく耳にした。
でも、人の名前より御当地「狩野川台風」のように、地名が付いたやつの方がおなじみかな。
 →Wikipedia: 台風
ところで自民党の鳩山邦夫議員の夫人は、昔高見エミリーさんという女優さんだった。
少女マンガ雑誌の表紙を飾ったモデルさんとしての方が有名だったかもしれない。
この人が主演したドラマがあって、長いこと「エミリー台風」と間違えて記憶していたのだが、さっき検索したら、「台風娘がやって来た」というドラマだったらしい。
 →[台風娘がやって来た]
 
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海賊によろしく #2

私の画像に直リン張った自称アーティスト君ですが、あまりメールのやりとりなどしたくないので、元画像に文字を入れることにしました。
こんな感じです。
香港厨用画像
過去日録で表示される画像もこれになってしまうのですが、まあ古いからよかっぺ。
香港の厨房君(ツェ・テリー?)が気づいて消したら、元に戻します。
それまではこれで晒しておきましょう。
下の呪文は元に戻すためのメモです。
気にしないでください。
/img/20050318/img1-050314.jpg
/img/20050330/img1-050326.jpg
/img/20050321/img1-050309b.jpg
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青空

午後6時過ぎに浜に出た。
空は厚い雲に覆われていたのだが、少しは西の空が赤くなったりするのだ。
散歩に来ている人達は結構たくさんいた。
数回シャッターを押すと、雨が降り始めた。
車に戻ると、豪雨になった。
あわてて傘をさして帰途につく人達がいた。
千本浜 2005年7月25日
ああ、青空。
夏の青空はどこへ行ったんだ。
 ♪ 人は 誰でも ココロに 青空を
 ♪ 胸に いつでも 青い空 抱いてる
郷(サト)ちゃんの声が教えてくれる。
そうだね、僕はいつも胸に夏休みの青い空を抱いてる。
買い忘れていた上々颱風の新譜が届いたのです。
坂上紅龍は保坂展人議員と同じ年で、1955年生まれだったと思う。
私はちょい下で同世代。
だからなのか、紅龍のセンチメンタリズムというのは、なんだかしっくりくるのです。
ただ、今回のアルバムは映美ちゃんや郷ちゃんの曲が入っています。
新基軸。
ライブを見ていればあんまり変わらないような気もするだろうけど、「上々颱風」になってから15年。
さすがに音もだいぶ変わってきました。
特にアルバム冒頭の映美ちゃんの2曲は新しい上々颱風という感じがします。
“Amazing Grace”ご存知ですよね。
あれを「レレレ」という歌詞で歌ってみてください。
そんな曲が1曲目「月夜のらくだは泣いてるだろか」です。
「アイアイニ、」はなんだか映画の『攻殻機動隊』で使われていたコーラスに、途中からスティールドラムが入るといった感じです。
「いつか晴れた朝に」はヒットしてもおかしくない、紅龍らしい曲です。
8月は富山県南砺市や映美ちゃんの故郷山形県酒田市でコンサートがあるようです。
ライブが楽しいバンドなので、お近くの方はぜひ出かけてみてくださいな。
 →上々颱風 official website
上々颱風『Shang Shang A GoGo!』
上々颱風『Shang Shang A GoGo!』
1. 月夜のらくだは泣いてるだろか
2. アイニアイニ、
3. いつか晴れた朝に
4. 夢みつつ高く翔ばせ
5. 二人をのせチャイな
6. 東京の夜
7. 帰って来たダンディ
8. 張り扇の薔薇
9. ヒマワリの海
10. お楽しみはこれからだ
11. 青空〈パーソネル〉
西川郷子
白崎映美
紅龍
渡野辺マント
猪野陽子
西村直樹
ゲスト:太田恵資(バイオリン)
ところで哺乳類のヒナですが、元気ですよ。
このごろは家に入らずに外でごろごろしていることが多いので、なかなか被写体になってくれないのです。
ヒナ 2005年7月25日

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