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とりあえずさっき書いたメモをちょこっとだけアップ。



小さなころに聴いたラジオ番組の話をしていると思ったら、また突然二行空けて、歌作りについて語り始めます。
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自分の歌を書こうなんていつ思いついたのかわからない。自分が歌っているフォークソングの歌詞が世界をどう感じるか決めてくれたのだけど、それに似たようなものを作ることも僕にはできなかった。そういうことはきっと少しずつ起こるものなのだろう。ある日目を覚ましたて歌を書こうと決めるというものではない。特にたくさんの歌を知っていて、毎日さらに多くの歌を覚える歌手の場合は。
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CHRONICLES #45 ディランとマイク・ハマー

千本浜 2004年12月27日

ディラン少年はラジオドラマ『パラディン』で人生を学びます。
「石(stones)」というのは宝石のことだよ。
悪者はコンバーティブルに乗ってるんだ。
もしも木を隠すのなら、誰にも見つからないように森の中へ隠せ。
わくわくとラジオを聴いて、こんなことを覚えながら成長したのです。
ラジオ番組は世間がどんなものなのかを知る手掛かりを与えてくれた。
番組が終わってからも、楽しい空想をかきたててくれた。
ラジオのCMからも、ディラン少年はいろいろなことを学びました。
実際に消費活動を行なうずっと前に、ラジオのCMによって特定の商品を使う生活が頭に刷り込まれていたのです。
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Before I had ever gone into any departmentstore, I was already an imaginary consumer.
デパートというものに入る前から、僕は既に想像上の消費者だった。
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1940年からら1950年代に、こんな商品のラジオCMがよく流れていたのでしょう。
ディラン少年は幻の消費者になります。
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僕は「ラバソープ」を使い、「ジレットのブルーブレード」で髭を剃り、髪には「バイタリス」をつけていた。
お通じが悪ければ「フィーナミント」の錠剤を。
それから「ドクター・ライアン」の歯磨き粉。
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 →LAVA SOAP
  ラジオCMを聴くことができます。
  
豊かな大量消費時代のディラン少年。
なんだか不思議です。
僕は鉄腕アトムに正義を学びましたが、ディラン少年はマイク・ハマー(Mike Hammer)に学んだそうです。
あれれ?
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My sentiment was that the law is fine but this time, I’m the law—-the dead can’t speak for themselves.
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ハードボイルドですな。
 →the Unofficial Mickey Spillane Mike Hammer Site
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CHRONICLES #44 ディランとパラディン

千本浜 2004年12月27日

70年代初頭、田舎町の少年であった私もよくラジオを聴いていました。
AM局の受信報告書を書くことはありませんでしたが、北京放送やモスクワ放送もちょこっと聴きました。
タモリさんの芸で北京放送の真似というのがありましたが、似たようなことをやっていました。
両手で口を覆って、開いたり閉じたりしながら、あの独特なイントネーションでアナウンサーの真似をするのです。
「アメリカ帝国主義」
「ソビエト修正主義裏切り者集団」
こんな言葉を使いながら、時々シューシューというとよろしい。
彼の国は文化大革命の真っ最中でありました。
FENもよく聴きました。
「Far East Network」、つまり米軍の「極東放送網」ですね。
今は聴きませんが、確かAFNに名前が変わっていたように思います。
「American Forces Network(米軍放送網)」だったと思いますが、もしかしたら「Armed Forces Network」かもしれません。
FENは音楽番組がお目当てでした。
「American Top 40」みたいな番組ね。
番組スケジュールがわからないので、なんとなくスイッチを入れて、ヒットチャートをやっていればアタリなわけです。
フットボール中継だとハズレ。
わけわからないんですもの。
ラジオドラマもよく流れていて、これはビミョーにハズレかな。
田舎町のディラン少年がラジオを聴いていたということで、そんなことを思い出しました。
1950年代から60年代の、アメリカのラジオ番組。
昨日書いた「Inner Sanctum」「Suspense」「The Lone Ranger」はなんとなく雰囲気がわかります。
でも、他に挙げられた番組はお手上げです。
「This Is Your FBI」
 →Jerry Haendiges Vintage Radio Logs
「Fibber McGee and Molly」
 →The Unoffical Fibber McGee and Molly Home Page
 →Frequently Asked Questions about Fibber McGee and Molly
「The Fat Man」
 →Brad Runyon
「The Shadow」
 →The old-time radio show The Shadow
「Dragnet」
 →Dragnet
「The Colgate Comedy Hour」
 →The Colgate Comedy Hour
ディランが覚えている番組は人気があったものばかりなようです。
人気番組はそのままテレビにひきつがれているんですね。
日本でパクって番組にしてしまったものもあるようです。
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遠すぎる場所なんてなかった。
全部目に見えた。
サンフランシスコに関して僕が知る必要があるのは、パラディンがそこでホテル暮らしをしていることと、彼が雇われガンマンだということだけだった。
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なんとなくこのパラディン(Paladin)を辞書で引いてみると、ちゃんと載っていました。
さすが「リーダーズプラス」!
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(西部の男)パラディン 《米国テレビの西部劇 `Have Gun Will Travel’_ の主人公; ふだんは高級ホテルで優雅に過ごし `Have Gun, Will Travel …’ (腕に自信あり, 依頼により参上) と書いた名刺を持ち歩く雇われガンマン; 依頼があると黒装束で出向いて仕事をする; Richard Boone (1917-81) が演じた》.
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 →Paladin
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夕陽とおじさん

千本浜 2004年12月27日

今日は丸一日オフだったが、餅つきに始まりドタバタ忙しく動き回った。
それでも夕方なんとか浜に出ることができた。
大晦日までずっと予定が入っているので、これが今年最後の夕陽撮影かな。
平日なのでそれほど人は多くなかったのだが、元気に散歩をしている初老の方が声をかけてきた。
勝手にカメラの話を始めたのだが、実はこの手が一番タチが悪い。
自分のカメラの話をしたいだけなのである。
ニコンのデジカメを持っていて、アドビで彩度を上げるときれいな写真になるのだそうな。
困ったな。
PENTAXのデジタル一眼レフを触らせろと言い出す。
無礼者め。
本当に迷惑なおっさんやなあ。
あっという間に日が沈んでしまうから、時間が貴重なのだよ。
CONTAXのコンパクトカメラには興味を示さない。
ご存知ではないようだ。
善意の人なのである。
退職教員にありがちなタイプだ。
人間関係のプロというプライドを持っているが、実は世間知らず。
写真雑誌や本でデジカメの使い方を勉強したんだろうな。
デジカメの画像をホームページにアップするような時には、彩度を上げろと書いてあったりしそうだ。
それを私に教えてくださらなくても結構です。
私の場合、たとえば鳥の部分を切り取るトリミング、画像の大きさを変えるリサイズ、画像の外側に少し影を付ける、この3種類の処理以外は行なわない。
元々空が様々な色に撮れるのがおもしろくて始めた撮影なので、明度や彩度をいじりたいとは思わない。
他の人にどう見えるかわからないということもある。
今はノートPCの液晶画面に向かうことが多いのだが、家にはナナオのモニターが2台ある。
CRTだと、液晶画面の画像とはまったく違うものに見える。
自分できれいだと思う画像に加工したい場合、どちらでいじればいいのだろう。
わからないし、面倒くさい。
というわけで、本日もイフェクトなしで夕陽画像をアップしました。

CHRONICLES #43 ディランとローン・レンジャー

八幡町歩道橋 2004年12月26日

クリスマスケーキで思い出したのだが、去年の日記では今年読んだ本のベストとして『やちまた』を挙げていたのだった。
 →2003年12月26日付幻泉館日録@楽天:足立巻一『やちまた』
私の読書速度はめちゃくちゃ速いのでその気になればあっという間に読み終えたはずなのですが、とにかくゆっくりと読んだ本です。
早く終わってしまうのがもったいないのです。
今年のベストはもちろんBob Dylanの”Chronicles: Volume One”。
googleを使って調べないと出てくる固有名詞がわからないので、いつ読み終わるのかわかりません。
もちろんそれが楽しいのです。
「Kettle of Fish」は何と訳したらいいのかわかりません。
店の名前なので「ケトル・オブ・フィッシュ」でもいいのですが、まあ「魚鍋」ということで。
未来に向けて壁があったという記述の後で、また二行空き。
いきなり「魚鍋」の話になります。
それでライブハウスの様子を書くのかと思ったら、田舎で聴いたラジオ番組のタイトルを列挙し始めます。
御大ディランおやじ、やっぱり思いつくままに書いているのではないかしら。
ラジオ番組は、中西部にいたころのディランの心象風景の大きな部分を占めているのです。
その時は今生きている時間が永遠に続くかのように感じる多感な思春期。
ディランは田舎町でこんな番組を聴いていました。
1940年代と50年代の、アメリカのラジオ番組。
★「Inner Sanctum(心の聖域)」
★「Suspense(サスペンス)」
 ディランはホラーとユーモアという解説を付けていますが、傑作ドラマが多かったようです。
 テレビの「ヒッチコック劇場」が始まったのは1955年。
 「ミステリー・ゾーン」「ロアルド・ダール劇場/予期せぬ出来事」も同系統ですね。
 →全米ラジオドラマ傑作選
★「The Lone Ranger(ローン・レンジャー)」
 テレビ版は私も知っています。
 小さなころ、おもちゃの拳銃とガンベルトを買ってもらいました。
 白馬シルバーに乗っています。
 「ハイヨー、シルバー!」
 ストーリーはまったく覚えていません。
 →The Lone Ranger
 →CLAYTON MOORE, THE LONE RANGER
 →ノスタルジック ワールド
田舎町の少年ディランは、こんなラジオ番組を夢中になって聴いていたんですね。
ただいまp.50です。
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CHRONICLES #42 ディランとハロルド・アーレン

クリスマスの土曜日夕方、浜に行ってみた。
海も空も静かで、夕陽を眺めに来る人も多い。
昨年のクリスマスイブに見かけた高校生とよく似たカップルがいたのだが、別人なのだろう。
人は去り時は流れ、でも海と空は変わらない。
来年のクリスマスにもまたほほえましいカップルが夕陽を見に来るのだろうか。
千本浜 2004年12月25日

ジュディ・ガーランド(Judy Garland)が歌った名曲”The Man That Got Away”と”Some where Over the Rainbow”はハロルド・アーレン(Harold Arlen)が書いた曲です。
アーレンはハーレムのあのコットン・クラブでピアノを弾いていた人です。
デューク・エリントンとの競演もあるそうですが、このあたりではもう私にはわからない世界です。
ディランはアーレンのヒット曲として次のようなタイトルを挙げています。
つまり、好きだったんですね。
“Blues in the Night”
“Stormy Weather”
“Come Rain or Come Shine”
“Get Happy”
「ハロルドの曲には、田舎のブルーズとフォークが聞こえた」とディランは書いています。
なんだか仲間のような感情(emotional kinship)を抱いたのですね。
当時のディランはウッディ・ガスリーに夢中だったのですが、その前にはハンク・ウィリアムズが大好きだったそうです。
ハロルド・アーレンのほろ苦く、孤独な歌の世界が大好きになったのですが、ヴァン・ロンクはそういう歌を歌うことができました。
ディランは自分もそんなふうに歌うことができたはずだが、そうしようとは夢にも思わなかったと言っています。
自分の台本にはそんなことが書いていなかった。
自分の未来にもそんなことはなかった。
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What was the future? The future was a solid wall, not promising, not threatening—-all bank. No gurantees of anything, not even the guarantee that life isn’t one big joke.
未来はどんなものだったのだろうか。未来は固い壁だった。見込みがあるわけでも、不気味なわけでもない堤。何の保証もまったくなかった。人生がおおげさな冗談ではないという保証さえなかった。
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