お湯で割ったらアメリカン

【追記】No.3
ヒマになってしまったので、浜へ夕陽を撮りに走る。
今日は人出が多かった。
中国語を話す人たちが記念写真を撮っている。

下の画像の娘さん(推定二十代)は手帳を広げていたが、結局夕陽を眺めただけで何も書いていないようだった。
日が沈むと自転車で帰っていった。

画像のアップは深夜に作業します。

千本浜 2004年1月31日

【追記】No.2
本日のヒナのひるね。
隙間にはまっています。
いまひとつ心地好くないらしく、眠りが浅いですね。
でも、眠気が勝ってしまい、寝相を変えられずにいます。
む?。

ヒナのひるね 2004年1月31日

【追記】No.1
うるとびーずさんの朝陽と夕陽、どっちが好き?、朝陽派が優勢ですね。
私は圧倒的に夕陽が好きなんで意外に思いました。

もちろん夕暮れとセットです。
晩秋の夕暮れ、いいなあ。

ところで私は日本語入力に「松茸」を使っています。
元々の登録語彙が少ない方が使いやすいのです。
必要な言葉は自分で登録していく。

「夕陽」は一発で変換できるんですが、「朝陽」という言葉は入っていませんでした。
あれは「旭」なのかな。


「ブランデー、お湯で割ったらアメリカン」
こんなアホなキャッチコピーをヒットさせたメーカーがありました。
水割りウィスキーというものを日本に普及させて成長した会社らしいです。
本物を作って売ることができなかったので、ニセモノをそれらしく飲む工夫だったとも言えます。

「ブレンドを、お湯で割ったらアメリカン」
コーヒーチェーン店で本当にブレンドにお湯を足しているのを見てびっくりしました。
本格コーヒーじゃないよという証明ですな。

SUNTRY ウィスキーもどき60年代末から70年代初頭のTVCMでおもしろいなあというのを連発していたのは、サントリーと資生堂だった。
今はテレビを見ないので、知らない。
他の時代も知らない。

この二社に共通しているのは、実体のない商品を売っていたことだ。
「薬九層倍」という悪口があるが、それに近い。
イメージを売ることに金をかけて、がらくたを高く売りつけていたのである。

1ドルが360円だった時代。
外国から輸入する本物は、今では考えられないぐらい高い値段で売られていた。
だから、普通の人が普通に飲むウィスキーとしては、ちょうど日本人の身の丈に合ったウィスキーだったのかもしれない。

水割りが濃いだ薄いだ一気飲みだと馬鹿な文化を作り上げた。
早稲田のアホ学生ワダさんたちを生み出したのも、水割り文化なんだろう。

70年代後半に学生時代を送った私たちは、飲み屋でウィスキーのボトルといえばサントリー・ホワイトだったのかな。
オールドだと少し高級というイメージがあった。
その少し前に読んだ故つりたくにこさんのマンガでも、オールドが高級酒という文脈で登場していたな。

実家で亡父が普段飲んでいたのは、レッドだった。
安ウィスキーだ。
水割りにはしていなかったと思う。
そうそう、伯父はハイボールだった。
子供には炭酸水が珍しかった。

あんなまがいものみたいな安酒で、でもにこにこと楽しそうに飲んでいたな。
酒で苦労する家庭は多いそうなのだが、不思議に家の酒席に悪い思い出はない。
父は人が集まるのが好きだったので、とにかくいつも大きなテーブルを欲しがっていた。
ナッツやいかのくんせいといったおつまみを少しもらうのが好きだった。
今でもウィスキーを飲む時は、そんな乾きものがないとちょっと寂しい。
水割りはなんだか気持ち悪い。

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どうして旅に出なかったんだ

 ♪ どうして旅に出なかったんだ ぼうや
 ♪ あんなに行きたがっていたじゃないか
 ♪ どうして旅に出なかったんだ ぼうや
 ♪ 行かなくてもおんなじだと思ったのかい

   友部正人「どうして旅に出なかったんだ」

【追記】No.5
ところで、私の愛車はめちゃくちゃ走りのいいミニバンなんです。
荷物を積んで遠くに行きたくなる車です。
平和のためのキャラバンに最適です。
楽器を積んで、歌を歌って回れるよ。

私の持っているイメージでは、「旅」は資本主義的生産からの脱落を意味するんだけど、普通は観光産業のお客さんになることらしい。

【追記】No.4
それで「旅」というと、生ゴミが食えるかというところまで行ってしまうのだ。

寄せ場で年寄り向きの半端な仕事にありつき、なんとかドヤに入れる金を稼げるかどうかのギリギリな暮らし。
暮らしとは言えない毎日。

「旅」の果てにはそんな日々が待っている。
高校への通学途中に見かけた、凍死したおっさん。
暖かなのんびり市でもあんなふうになってしまうんだ。
この季節、陸を敷いては眠れない。

【追記】No.3
私は「旅」を「tour」や「trip」というより「journey」でイメージしておりました。
つまりそれは観光旅行やすぐ帰ってくる周遊旅行ではなくて、陸路の長い旅で、再び帰ってくることを必ずしも意味しないと受け取っていたのです。
「旅」には感傷的なイメージが含まれます。

ところがもともと「たび」という言葉は単に住居を離れることを指していて、必ずしも遠い土地に行くことに限らないのですね。
数日間の観光旅行を「旅」と呼ぶことに抵抗のある私は、少し勘違いしていたらしいです。
なんだ、やっぱりそこのタバコ屋の角を曲がれば、もう旅なんだ。

それでも、ほんの数万円で太平洋の観光地にほいほい行ってくることができる今と違って、少し前まで旅はやはり危険でつらいものだったんだろうな。

以前は色の付いたメガネなどかけていなかったので、見るからに人畜無害、絶対安全キャラの私は新幹線の中でよくお年寄りの話を聞かされました。
たぶん家族にも話せなかった遠い過去の体験を話してくれたり、その際の心情を吐露してくれました。

仕事で独居老人のお話を聞いて回った時も、妙にスムーズにいきました。
他のおばあさんから「あの人絶対に他人を部屋に入れなかったのよ」などと言われるようなおばあさんの部屋にも気軽に入れてもらいました。
なんでしょう、三つ子の魂百までで、おばあちゃん子だったせいなんでしょうか。

「主人は発展家でございまして」と、数十年前に亡くなった亭主の行状を聞かされると、私も応答に困るのですが、適当な相づちを打つと、おばあさんはいくらでも昔の話をしてくれるのです。

家を飛び出してきてしまったけどやっぱり帰るというおばあさんに話しかけられたことがあります。
話を聞いてもらったお礼にと、おばあさんが食べるはずだったお弁当や蒲鉾をいただきました。
なんだか悲しい弁当なんですが、持って帰ってぺろりとたいらげちゃうところがワタクシ。
お気持ちを無駄にしちゃいかんでしょ、やっぱり。

【追記】No.2
タイトルだけでDr.悠々さんがレスを付けてくださったので、やっぱり「どうして旅に出なかったんだ」について書かなければいけないな。

書かない詩人、歌わない歌手、描かないマンガ家……。
どこかで聞いたなと思ったら、永島慎二さんの『若者たち』だ。
PANTAさんの「マーラーズ・パーラー」にも似たようなフレーズがあったような。

 ♪ どうして旅に出なかったんだ ぼうや

金とヒマ、必ずどちらかが欠けていたんだよなぁ。
だから旅行らしい旅行に行ったことがない。

何が新東京国際空港だ。
ナリタは廃港にせにゃならぬ。
こういう反発もあったわ。
北アメリカ西海岸経由で入ってきたインド趣味にも違和感があった。

そんなに遠い昔ではない、もっと海外旅行が安くなってから。
フランスはそんなに遠いところではなくなったけれど、僕はそこへに行かなかった。
その土地に行きたくなかったのではない、その人に会いたくなかったのだろう。

なに、別に外国でなくていいんだ。
そこの横丁の角を曲がってしまえば、放浪が始まる。
トラックの助手席、ヒッピーの流れついた島、寄せ場。
霊場をぐるぐると回り続けても良かったんじゃないか。

【追記】No.1
某大手スーパーへ夕陽の撮影に行き、ついでにヒナの餌を買ってきました。
いわゆるネコ缶とカリカリです。
目だけ食いしん坊なんで、大きい缶はダメなんです。
いつも目玉商品ばかりなので、少し不憫じゃ。

ネコ缶とカリカリ


いよいよ真打ち登場!
われらが妖怪仲間、異能の人、chappiさんが楽天デビューしました。

chappi-chappiのとんぴん日記

プチコスプレ主催者だった、あの方です。
おもしろい日記になることは必定なので、皆様どんどん煽ってあげてください。

え?、本日の日記がまるで書けていません。
ぼつぼつと【追記】で参ります。
タイトルは変わるかもしれません。

更新しました。夕陽が好き![I Love Sunset!]
IP屋上駐車場 2004年1月29日

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ぼくがぼくであること

【追記】No.3
本日の夕陽。
IP屋上駐車場より。

他の夕陽画像は深夜にアップします。
2004年1月29日 IP屋上駐車場より

【追記】No.2
私がリンクしている方が、少しトラブっているらしい。
相手は毎度おなじみ2ちゃんねら??
またかよ。

彼女は元ライコス難民の手練なのでおそらく心配は要らないだろうし、トラブル相手の知的水準がまたまったく問題にならないほどおそまつらしいので、こんなことも楽しんでいるのかもしれない。

そのおそまつ君、何があったのかとちょっと見ていただけで、ここや本館の方まで覗きに来ている。
卑怯者というのはやはり気が小さいんだな。
余計なことで消耗したくないから、こっちで面倒なことはしないでおくれな。

【追記】No.1
楽天広場の生活では相手の声は聞こえないはずなのに、それでもやたらに声の大きい人がいたり、早口な人がいるのはおかしいですね。
私がトップに貼っている「the Blue Ribbon Online Free Speech Campaign」をお気に召さない方が、いきなり大声で怒鳴っていったのには笑ってしまいました。

リアルパースンの彼が本当に大声なのかというと、そうでもなさそうです。
匿名性の陰に隠れていきなり無礼なことを言い出す卑怯者は、実はとても気が小さかったりします。
匿名を前提とする巨大掲示板でネットに慣れた人にありがちですね。
本名を言い当てるとおとなしくなってしまうのは、民話に現われる鬼のようです。
張り子の虎を見抜くのが、インターネットにおけるメディア・リテラシー(読み書き能力)の基本なのでしょう。


冗談や責任回避で「ネット人格」などという言葉を使っていたのですが、楽天広場のシステムでは、それはなかなか難しいですね。
本来の自分とまったく違う人格をネットでデビューさせようなんて、よっぽど根性がないと続かない。
一ヵ月もすれば、地金が出てきてしまう。

書いたものを掲げておくだけならもっともつかもしれないけど、楽天には出会い加速装置が付いているので、掲示板やメッセージで他者と関わらざるをえない。
「ぼく」だけでは「ぼく」は成立しない。
他者との関係性で「ぼくがぼくであること」ができあがる。
多少は歪みや偏りができたとしても、結局は原寸大の「ぼく」が登場してしまうのだ。



まったく意味合いの違う賞なのだが、芥川賞とアカデミー賞、この二つは学生時代に友達との会話に上った。
ただ、私はこの両者にあまり興味がなかった。
むしろ苦手な作品群なので敬遠することが多かったのではないだろうか。

それでも、受賞直後に読んでしまった芥川賞作品などというのがある。
『限りなく透明に近いブルー』(1976年)と『僕って何』(1977年)。
どちらもあまり良い印象は持たなかったように思う。
村上作品はひどく時代錯誤な感じがした。
三田作品は、主人公に似てるんじゃないかと言われて、ひどく不愉快だった。

この作家さんたち、商売が上手そうだなと思った。
そんなちんまい「アイデンティティの喪失感」にみんな悩んでいたのかしら?
マーケティングの時代を近い将来に控え、学生たちは嬉々として紺色のスーツに身を包んでいったのではなかったか。



NHKに少年ドラマシリーズというのがありました。
その最初のころの数本は見たようです。
1972年から1973年、高校生にもなってこんなものを見ていたのはどうなんでしょう。
でも、おもしろかった。

「タイムトラベラー」(1972年)
「怪人オヨヨ」(1972年)
「どっちがどっち」(1972年)
「けんかえれじい」(1973年)

こんなものでしょうか。

「けんかえれじい」は麒六の役を山田政直君という子役がやっていて、なかなか良かったです。
後年政治家の秘書になって選挙に立候補したのには驚きました。
残念ながら1973年の「つぶやき岩の秘密」や「ぼくがぼくであること」までは見ていません。
せっかくだから見れば良かったのに。

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卒業写真

【追記】No.4
昨日のレスでにゃんpiさんが付けてくれたレス、やっと話がわかりました。
世間様ではこのニュースで盛り上がっているのですか。
国会議員の学歴詐称というのは、わざわざ私が怒るなことでもないような。

googleしてみたら、実にこだわっている人もいるのだなと了解しました。
http://www.geocities.jp/dinepepper/

【追記】No.3
ところで暮れに高校の卒業写真を載せたのでありますが、画像は昨年の3月ごろに作ったものです。
人に請われて高校の卒業アルバムを持っていったところ、話が結構盛り上がりました。
年代が全然違うのに、あの子がかっこいいだのとぐだぐだ話せるものなんですな。

私の卒業写真は長い髪を後ろに回してごまかしています。
わりと評判が良くて携帯で撮影したりしてる人もいたのですが、うまく撮れないようなのでスキャナーで取り込みました。

サイズを携帯の壁紙用に調節して送ってあげたところ、一部でブームになったのです。
実存しない虚像だという気安さから、携帯電話の壁紙にしてくれたのです。
母親と娘二人が喜んで壁紙に使ったという伝説まで生まれました。
本人がオチになってしまうという、捨て身の冗談です。
諸行無常……南無阿弥陀仏……

そのままネットで公開するとウソツキ呼ばわりされてしまうので、顔を半分にカットしました。

それで、またユーミンの、ハイファイセットの、「卒業写真」なんですが、身勝手な歌ですよね。
私は現実を生きてどんどん変わるけど、あなたはそのまま変わらずにいて私を見守っていて。
私とあなたの実存が関わることはもうないのであります。
ただ思い出を歌う歌。

ま、身に覚えがあるから、身勝手な自分の気持ちを歌ってくれてるなという部分があって、ほろっときちゃうんですけどね。

【追記】No.2

更新しました。夕陽が好き![I Love Sunset!]
千本浜 2004年1月27日

【追記】No.1
戦争中の教員養成所がどんなものかよくわからない。
教師陣は著名な方が多かったそうで、宮城道雄さんの演奏を聴いたりしたと言っていた。
イメージとしては、今で言えば本来短大卒で取れる免許が、半年間の専門学校での集中講義で取得できるといった感じかな。

実際に東京都採用となった母がやった仕事は学校で授業をするのではなくて、小学生たちをひきつれて集団生活を行なうことだった。
どんな食べ物でも均等に分けることができるという特技を身につけたような仕事だ。

今回初めて聞いた話だが、富士山の近くで疎開した時にはB29をたくさん見たという。
爆撃機が富士山を目標に飛来し、それから東西に分かれて飛んで行く。
B29が墜落するところを一度目撃した。
ものすごい音をたててから、落ちて行ったそうだ。
撃墜されたのか、故障なのかまったくわからない。
報道というものが存在しなかったから、噂話を聞くしかなかったのだという。

戦後に九州で受け持った子供たちとは、一緒に遊んだという記憶ばかり残っているようだ。
机を片付けてままごと遊びをしたそうだ。

のんびり市ではもっと普通の教員の顔をしていたので、若き日の母の教員生活を見てみたかったと思う。
そのころ、母はまだ十代の娘だったのである。


幻子心母はその昔小学校の教員をしていました。
戦争中に都立の教員養成所で促成栽培された教師です。
すぐに子供たちを連れて学童疎開。
最初に富士山の近くに疎開したのですが、米兵が上陸して本土決戦になると危険だというので、青森に再疎開しました。
そこで敗戦を迎えたそうです。

戦後しばらくの間は、九州にある学校で教員をしていました。
その時の教え子から電話があったのだそうです。
「先生、同窓会に来ていただけませんか?」
教え子たちは64歳になるそうです。

暖かくなってからならいいよと返事をしたそうです。
隣町に暮らす弟を連れて、兄弟同様に育った従弟たちにも会いたいようです。
物故者も多く、墓参りも兼ね、もしかしたらこれが最後だという思いもあるのかもしれません。

この春。
穏やかな気候が続いてほしいものだと思います。

夕陽画像など、この後にぼちぼちと追記していきます。
とりあえず、お風呂に入ってきます。

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単独発言 私はブッシュの敵である

【追記】No.2
ちょこっと畑仕事をしたり、夕陽を撮影に出たり。
ただいま仕事中なので(おいおい)、夕陽画像のアップは深夜になります。
今のところ充実した一日っぽいぞ。

千本浜 2004年1月27日

【追記】No.1
お寒うございます。
ヒナめもお出かけしたいのですが、外が寒いのでぐずぐずしています。

ヒナ お出かけしたいのだが


コイズミさん、あんた、ブッシュの何なのさ?

私は元気なのですが、諸事情により日記が更新できず。
本館過去日録を「辺見庸」で検索してヒットしたものをアップしておきます。

—————————————————
辺見庸『単独発言』より
「汝が望みを、おのが生命に応じてはかれよ」。
なぜなら、欲望はわれわれを焼き焦がし、実現できるという過信がわれわれを滅ぼすから。
欲にまかせ何事かを得れば得るだけ、人間は命を縮めるものだから。
—————————————————


【2003年5月13日付日録より】
[ 単独発言 私はブッシュの敵である ]

5/11(日)です。
夕食後、先週と同様に爆睡。
夜10時過ぎにムクっと起き上がり、10日発売の雑誌『噂の真相』6月号を買いに近所のTSUTAYAに出かける。
ついでに、平積みになっていた辺見庸さんの『単独発言 私はブッシュの敵である』(角川文庫)を購入。
会員カードが期限切れだったが、更新せず。

『噂の真相』は蓮池兄さんの個人情報が気になる。
表紙に「◎北朝鮮外交を操る■蓮池透の正体 ◎◎◎北朝鮮との戦争を扇動するような言動の数々……。家族会を牛耳る人物の思想的ルーツとは?」と書かれている。

ニュースステーションで久米宏さんが蓮池透さんの職業について触れた時、「大きなお世話だ」と怒ってみせた蓮池さんだが、既に公人として活動している人がそれは変だと思った。
それとまったく同じ論理で、『噂の真相』は蓮池透さんの個人情報を掲載している。
『噂の真相』は来年3月で廃刊だそうだが、個人情報保護法という悪法の下で、頑張ってくれる雑誌が減るのはつらい。

原発関連企業とは聞いていたが、蓮池透さんは東京電力の社員であった。
ただし、2002年からは核廃棄物関連企業「日本原燃」に出向、燃料製造部副部長の職にあるそうだ。
核廃棄物からプルトニウムを抽出する「プルサーマル計画」を担当している。
つまり、日本国の核兵器所有プログラムを担っているのである。
「家族会」の主張とプルトニウム抽出があまりにもシンクロしているのが恐ろしい。

上の情報は雑誌『噂の真相』の記事からの引用であるが、もし私が個人的に調査した結果でこれを書いていたとしたら、個人情報保護法の下では完全にアウトになるものと思われる。
どんどん思想統制が進んでいるのだよ。

単独発言 私はブッシュの敵である『単独発言 私はブッシュの敵である』は単行本に一章加筆し、姜尚中さんが解説を付けたもの。
単行本の際の副題は「99年の反動からアフガン報復戦争まで」。
正直な話、副題に惹かれて買ったのである。
編集者の意図に乗せられたね。

2001年3月にタリバンがバーミアンの石仏を破壊した時、報道に接した大方の日本人の反応は「なんたる蛮行」だったと思う。
その時、アフガンの飢餓や難民に思いを馳せることができた日本人は何人いたのだろう。
辺見さんはイランの映画監督・作家モフセン・マフバルフの言葉を引用している。

 > ついに私は、(バーミアンの)石像は、誰が破壊したのでも
 >ないという結論に 達した。仏像は、恥辱のために崩れ落ちた
 >のだ。アフガニスタンの虐げられた人びとに対し世界がここ
 >まで無関心であることを恥じ、自らの偉大さなど何の足しに
 >もならないと知って砕けたのだ。

貧しい各民族が住まうアフガンだからこそ、虚偽でしかないブッシュの「善」と「正義」は、カンダハル周辺にデイジーカッターを使用することができた。
強化型クラスター爆弾、「劣化」ウラン弾が使用されたイラクも同様であったし、おそらく将来は北朝鮮に対してもそのような蛮行が可能なのだろう。

日本の主要メディアは、ニューヨークに対する過剰な関心と、アフガンに対する無関心によって、ブッシュの味方をしている。

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マチェクに自分重ねた

ふらりと入った本屋さんで、文庫本を一冊購入。
辺見庸さんの『独航記』(角川文庫)。
このごろテレビのニュース番組などを眺めると、実に偏った印象を受けて不愉快になっていたので、自分のバランス感覚を思い出すのに好著だろうと思う。

まさにパラ読み。
いろいろ触発されるところがある。
タイトルでひきつけられたのが、「マチェクに自分重ねた」。
もちろんアンジェイ・ワイダ『灰とダイヤモンド』のこと。

>しかし、私はそうした政治性ではなく、チブルスキー演じるマチェクの自暴自棄と、どこか気だるい孤独感、そして彼の死に様に、より強く魅かれたのだと思う。

そうそう。
そんなんで、私のメガネも色が付いているのでしょう。
結びの、女のセリフも思い当たる節があるぞ。

>「チブルスキーって外人のくせに顔が大きいから好きじゃないのよ」

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『愛の狩人』(1971年)

昨日に続いて今日も懐かしい人が登場。
ブンちゃん(仮名♀二十代)は、結婚を控えてるそうな。
やけにそんな話が集中するのね。
年下の彼氏を捕まえたんだと。
ブンちゃんは気配りをする面倒見のいい人なので、いい家庭ができることでしょう。
おみやげにシュークリームをいただく。

今日はバテバテ。
日ごろまじめに仕事をしていないので、たまに集中すると疲れること。
アート・ガーファンクルさんがマリファナで捕まったそうで、なんだかアナクロな雰囲気のニュース。
ガーファンクルさんを過去日録で検索して、ヒットしたやつを蔵出しします。


【2002年12月10日付日録より】
[ 愛の狩人 ]

先週録画した映画をぼちぼちと整理する。
なかなかゆっくり観ている時間がないので、「いつか」に備えて。
Someday never comes って言うけどね。

CSで放映した『不確かなメロディ』。
ラフィタフィの2000年ツアーを記録した音楽モノ。
要するにキヨシローさん。
これはまあ、VCDにしておけばよろしかろう。
HDDにMPEG-1フォーマットで録画したものを、TMPGEncで圧縮する。
[設定メモ] 約91分
 ビデオストリーム サイズ 352*240
          ビットレート 720kbits/sec
 オーディオ    44100Hz  256kbits/sec
これで685MBとなり、CD-R1枚に収まる。

同様にBSで放映した『愛の狩人』約94分。
上と同じ設定で約707MB。
730MBぐらいまでなら、普通に700MBのCD-Rに収まる。

この『愛の狩人』というのは、じつに妙な映画であるのよ。
原題は”Carnal Knowledge”(肉体の知識?)、1971年の制作です。
監督は『卒業』のマイク・ニコルズ、『シルクウッド』『ワーキング・ガール』『心の旅』あたりの評判がよろしいようですが、私の場合は『キャッチ22』なんぞが好みです。

俳優さんはジャック・ニコルソン、アート・ガーファンクル、キャンディス・バーゲン、アン・マーグレットとかなり豪華なんですが、出来としては「?」です。
やっぱ「ヰタ・セクスアリス」ものとでも言うのかなあ。

見るからに「いい人」ふうのガーファンクル君と、「悪いやつ」ふうのニコルソン君が学生時代に親友でありまして、いわゆる初体験をめぐってちょいごたごたあって、そして齢を重ねて後日談があって。

たいした映画じゃないっぽいでしょ、そうなんです。
でも、何かがひっかかるんだな。
川本三郎さんが、お嬢様キャンディス・バーゲンが「大学はスミス」よみたいなことを言う時の、その発音がひっかかったぜとどこかに書いていたような気がします。
「聖心からお茶よ」みたいな感じ?

そのすぐ後に、当時ロマンポルノ路線だった日活で『恋の狩人』というよく似たタイトルのシリーズが作られてます。
この辺の映画がはワイセツ容疑で摘発され、いわゆる「日活ロマンポルノ裁判」が始まりました。
よい子だったのでそういう映画は見に行きませんでしたが(行けませんでしたが)、硬派の映画雑誌を読んでは、裁判の情報を仕入れたものでした。
こういうことはいくらでもくだらないことが書けてしまうので、この辺でやめておこう。

『愛の狩人』の方だが、しり切れとんぼでむなしいエンディングに対して、冒頭はかなりいい感じ。
「ムーンライト・セレナーデ」をバックにクレジットが流れるのですが、それに野郎二人の対話がかぶさります。

愛の狩人 * どっちがいい
 * え?
 * 愛したい? それとも愛されたい?
 * 相思相愛
 * そうでない場合は?
 * どっちか選べってこと?
 * そう
 * あえて言うなら愛する方かな
 * 僕もだ
 * 傷つかない程度に

この後、具体的にガールフレンドの名前を挙げてなんだかんだ言うわけです。
ネタバレ的に言ってしまうと、この愛すべき悪童たちは、結局自分が傷つく程度までひとを愛してしまうわけですな。
ま、このイントロで想像つくか。

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男らしいってわかるかい

【追記】No.2
今日は「男らしいってわかるかい」のタイトルに釣られた方が多いようですね。
中身がなくて申し訳ございません。

艶消しにちょっと解説。
これはディランIIが歌った、ボブ・ディランの”I Shall Be Released”の邦題です。
名盤『きのうの思い出に別れをつげるんだもの』(1972)に入ってます。

ついでにしつこく自己宣伝。
♪満鉄の金ポタンのパカヤロウ♪

【追記】No.1
いまひとつ晴れず。

昨夜は肩や腰が猛烈にだるくなったので仕事を放り出して寝てしまいました。
インフルエンザにかかった人と接したので、大事をとったというところ。
それで午前中からぼつぼつとお仕事。
ちょっとだけ真人間。

灯油を買いに行かなくては。


ひさしぶりにカメちゃん(仮名♀二十代)が現われる。
以前「結婚するんだよ?!」と言っていたので尋ねると、あれはダメになったのだと言う。
それで、酒も入っていないのに男の優しさについてひとくさり。

>優しい男って、単に優柔不断である場合が多いんじゃないか。
>中途半端に優しいけど、あれは本当の優しさじゃない。

何があったのか知りませんが、とても耳が痛いお話でございました。
いまどきの男、じゃないんだけどね、私は。
圧倒的な優しさというのは、おそろしいほどの強さが必要なものなのだろう。
酔っ払いの人生論や恋愛論みたいなことをうだうだと考える夕でございました。

夜なべ仕事があるので、また本館より蔵出しいたします。
ほぼ一年前の日記から適当に。

【2003年2月5日付日録より】
[ 詩人の肩書き ]

シニード・オコナーを聴いていたら、やっぱり坊主頭娘のまゆぞう(仮名♀十代)が「あ、癒し系だね♪」と言って持っていってしまったので、もっぱらトレーシー・チャップマンを聴いております。
あたしゃやっぱりこっちの方が好きだな。
一見(一聴?)シンプルなアレンジだけど、すごい音出してます。
これはトラックダウンにめちゃくちゃ時間かけてますよ。
トレーシーの歌も似てますね。
すごく素朴でシンプルそうだけど、深いです。

誰でも生きていくうえで、自分なりの経験則を発見するものである。
たとえば隣家で子供が大騒ぎしている翌日は雨が降るとか(実話)。
70年代・80年代に私が獲得した経験則は、「やたらに吉本隆明を口にするやつはロクなもんじゃない。決して信頼するなかれ」である。
90年代以降は通用しない。
ご本人が単なるばななのパパに成り下がり、終わってしまったからである。

今の若い人はよく知らないだろうから軽く説明しておくと、在野の思想家として非アカデミズムの言論界に大きな影響を与えた人です。
本人はそれなりに偉い。
自分の頭で読み、考える人でありました。
なんで過去形なんだ。
「自立」がキーワードで、「試行」というミニコミがその拠点でした。
一般には「共同幻想」がキーワードです。

で、この言葉を振り回したがるのが、自分の頭で考えない似非インテリばかりで、私は実生活上で多大なる迷惑を被ったのであります。
すっごくエピゴーネン(追随者・模倣者・亜流)が多いという、不幸な思想家・評論家です。
人を育てるということができない人だったんですね。

前置きが長いですね。
今日はまだ日曜日、のどかな県のんびり市でも珍しく雪が舞いました。
先週は風邪でダウンしていたので2週間分の生ごみを菜園に埋めて、毎日新聞を買ってきました。
テレビ欄と読書欄が目当てです。

ああ、やっと出てきたぞ、吉本隆明さん。
「吉本隆明が読む 現代日本の詩歌」という連載がありまして、今日は「?41? 入沢康夫と天沢退二郎」でした。
この連載、いいんですよ、肩の力が抜けてて。
今回は筑摩書房で出している宮澤賢治全集を誉めております。
「銀河鉄道の夜」に出てくる、夢の中のジョバンニと溺死したカンパネルラ。
その地上の母と天上の母。
この二人の母を読み分けたのが、入沢・天沢の功績だと評価しているのである。
これは日蓮が古典「法華経」の中で評価した二人の母なのである……そうな。
こちらは知らないんだから、へへえと恐れ入る他ありませんが、おもしろいですなあ。

この天沢退二郎さんは高名なフランス文学者にして大学教授、なおかつかつてはかなりの論客として有名だった方です。
だけど、なんといっても良いのは『中島みゆきを求めて』という本が好著です。
尾崎翠全集を出している創樹社から80年代前半に出た本なんですが、今は河出文庫に入ってます。
今とは違う独特の世界を作り出していた中島みゆきさんに論客天沢退二郎がメロメロになっている様子が正直に書いてあって、実に微笑ましいです。

宮澤賢治全集

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友部正人「はじめぼくはひとりだった」

【追記】No.2
あまりの眠さに、仕事を放り出して浜に車を走らせる。
きれいな夕陽で目が覚めるだろう。
どころか、えらい天候でありました。

堤防を隔てても、車の窓に波のしぶきが飛んで来る。
堤防の上には誰もいない。
海の方を向くと呼吸がまったくできない。
カメラを構えても、風で手がぐらぐらする。
寒い!
口の周りがいきなり塩辛くなってます。

それでも何枚か撮影してきました。
なんなんだ、この情熱は。

更新しました。 夕陽が好き![I Love Sunset!]
千本浜 2004年1月23日

【追記】No.1
寒いですな、眠いですな、忙しいですな。
こういう時にはサイトをガンガン更新したくなるけど、じっと我慢。
出がけに撮ったヒナ画像だけアップしておきます。

珍しく外を眺めています。
もっともこの数秒後にはまたごろりとしてしまいました。
先代チビ君はボス猫だったので、本当にいつも縄張りを巡回していました。
ヒナの場合は「見張り塔からちょっと」。

ヒナ 見張り塔からちょっと


ふと思いついて友部正人さんのCDを引っ張り出す。
意外に枚数が少ない。
再発できないものが多かったのかな。

「一本道」「まるで正直者のように」はURC時代の曲。
その後のメジャーでは「レコ倫」「自主規制」にひっかかって、アルバムを出し続けることができなかった。
「どうして旅に出なかったんだ」「空が落ちて来る」、タイトルだけ眺めていてもステキだ。
「中道商店街」は、もちろん吉祥寺の、あの商店街。

友部正人「はじめぼくはひとりだった」(1976年)

 ♪ はじめぼくはひとりだった
 ♪ 線路端にもたれ大きな月を見ていた
 ♪ 離しかけるのもぼくならば
 ♪ それに答えるのもぼくだった
 ♪ 目の前を貨物列車が通り過ぎて行った

独りであることの幸せを歌った佳曲。
1987年よみうりホールでのライブ盤はこれが1曲目で、アルバムタイトルにもなっている。
これはデビュー15周年コンサート。
オリジナル40曲を5時間以上かけて歌ったのだそうな。
「びっこのポーの最後」をSIONが一緒に歌っているのが嬉しい。

繰り返して孤独を歌うこの曲、最後に大逆転の言葉があります。
どうしよう。
えい、書いてしまえ。

 ♪ ある日ぼくは素敵な言葉を見つけた
 ♪ そしてはじめてさびしさを知った

「はじめぼくはひとりだった」というタイトルでこれは予感できてるよね。
つまり、「ぼくはひとりじゃない」っていうことだ。

はじめぼくはひとりだった
そうだ、デビュー30周年記念のライブアルバムも出ているはずだ。
買わなくては。





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『キンキンのルンペン大将』(1976年)

【追記】No.3
キクチ先生からパンをいただいた。
キクチ先生は母の退職教員仲間。
なぜか隣県蒲鉾市で買ってきたパン。

あんぱんと甘食。
あんぱんはともかく、甘食なんて食べるの何年ぶりだろう。
事務所でおやつにいただいた。
なるほど、甘いわ。

ふと、とても懐かしい思い出が甦った。
これ、本当にそっくりだったなあ。
女の子たちが胸に当てていたアレ。
本当はなんて呼ぶのか知らないけど、あの子たちは確かに甘食と呼んでいたぞ。

学生時代、女の子の部屋で食事を御馳走になったのだ。
それで、これは何だかわかるかと見せてくれたのが、この甘食によく似たもの。
さすがになんだかわからないということはなく、ああ、これがそうなのかと感心しました。
本当に甘食じゃん。
感触は本当の甘食よりふわふわしていて、もっと甘食らしかった。

あ、違いますよ、身につけているものじゃなくて、小さなタンスからごそごそ出してきたんですよ。
後日その子の友人たちは彼女を大いに責めたそうです。
どーゆーつもりでそんなものを見せたのか。
いえ、私はとてもおもしろかったので、見せた本人も満足していたようですよ。

実を言うと、一度だけ彼女のおでこにキスをしたことがあります。
それだけです。

あんぱんと甘食

【追記】No.2
おはようございます。
とてもいい天気。
だけど、風が強いのです。
風がなければとても暖かいはず。
うちのサンルームはぽかぽかですけどね。

あちこちで真人間化したと言われてますが、残念ながらそうではございません。
昨夜は逃避欲求の方が勝っただけで、おそらく今夜はひーひー泣きながら夜なべ仕事をしております。
できるだけ昼間がんばりますが、もう無理だ、が見えている。

【追記】No.1
川上弘美さんの『センセイの鞄』のこと。
ポール・マザースキー監督の『ハリーとトント』(1974年)を思い出したのです。
物語は全然別物ですよ。
登場する爺様のことです。

謹厳実直に教員を続けてきた、というようなキャラクターが似てるのかなと思ったのです。
2003年09月16日 ハリーとトント
プロフィールの「好きな映画」はタイトルを全部削って監督名だけにしてしまいましたが、楽天に参入した直後は『ハリーとトント』を書いていたのですね。


自分が悪いのではありますが、まあ仕事をためたので忙しいこと。
反省。
あっという間に日付が変わる時刻になってしまったので、本館より蔵出しいたします。
去年の今頃を覗いてみて、忘れていたものを見つけました。

風邪がはやっているようです。
とにかく今倒れるとアウトなので、がんばらねば。
皆さんも気をつけてください。


【2003年1月29日付日録より】
[林光一さん、深沢七郎さん] 天気 : 晴れ とても さぶっ さぶっ

そういえば林光一さんという作家がいました。
フランスワールドカップの年になくなっています。
山谷で暮らす放浪作家でした。
そ、昨日の山谷バナの続き、おクスリは関係ないです。

愛川欽也主演『キンキンのルンペン大将』(1976年)という映画にもルンペン役で出てるはず……と思って調べたら、『金髪トルコ嬢(秘)SEX狂宴』(1975年)というすごいタイトルの映画にも出てますね。
享年79ということなので、ヤマの住人としては異例の長命だと思います。
山谷では四十歳代で老人の風貌になり、五十歳代で亡くなる方が多いそうですから。

本が売れた時には深夜放送でスペシャル番組を担当したこともあったと思います。
この人がマスコミに登場した頃、すごく気になったのでよく覚えているのです。
気になった理由がですね、私の高校・大学の先輩だということなのであります。(林さんは旧制ですが)

それで財閥系の信託銀行に就職なさったそうで、私よりずっとまっとうです。
ちゃんと結婚して所帯も持ったそうで、さらに私よりずっとまっとうです。
それがなぜドヤ暮らしをするようになったのか、肝心なところはよくわからないんです。
ただ、自由に生きたと言っていたので、やっぱりまっとうに生きることができたのでしょう。

う?ん、顔がなあ、『楢山節考』の深沢七郎さんと混ざっちゃってんだなあ。
深沢七郎さんも不思議な生き方をした人ですね。
達人の顔なのでしょうか。
『楢山節考』を発表した時深沢さんは日劇ミュージックホールでギターを弾いていたそうです。
カッパブックスから自伝エッセイ+楽譜集のような本を出していて、私大昔に買いました。

『楢山節考』の舞台は信州なんですが、出身地甲州を思い浮かべて書いていたそうです。
1958年に木下恵介監督が、1983年に今村昌平監督が映画化してますね。
どちらの映画でも母親役の女優(田中絹代・坂本スミ子)が歯を抜いて演じたというのが壮絶。
『戦場のメリークリスマス』でカンヌのグランプリ獲りを宣言していた大島渚監督はちょいかわいそうでした。
どう考えてもカンヌでは『楢山節考』の方が受けるわな。

その後『風流夢譚』事件(嶋中事件)が起こります。
1960年12月号「中央公論」に掲載された『風流夢譚』を読んで怒ったアホな右翼が、61年2月に中央公論社社長嶋中鵬二宅を襲い、社長夫人に重傷を負わせ、お手伝いさんを殺してしまうのであります。
この前年、60年安保の年には浅沼稲次郎社会党委員長が日比谷公会堂で刺殺されたばかりです。
掲載に関しては相談を受けた三島由紀夫が『憂国』を一気に書き上げて、「並べて掲載すれば毒が消える」と言ったという伝説もありますが、中央公論社は実に簡単にテロに屈してしまいます。

深沢七郎さんは姿をくらまし、放浪生活をすることになります。
そして、「ラブミー牧場」だの、今川焼の「夢屋」だのと、もう私にはわけわかりません。
かなりの変人ぶりだったそうです、金嬉老が逮捕された時の様子には変装した警官たちのことを「卑怯だ」と怒っていたそうな。

玄海深沢七郎自身は「人が亡くなっているのだから」と、『風流夢譚』の出版を二度と許可しなかったそうだが、海賊版はかなり出回っている。
同じ時期、1961年2月号の「文学界」には大江健三郎『セブンティーン』の続編『政治少年死す』が掲載されたのだが、右翼のテロにビビった大江さんがお蔵入りさせてしまいました。

だいたいこの2作品がセットで、海賊版として出回っていました。
雑誌「玄海」のコピー売ってたって書いてたのは誰だったけな?
探せば家のどこかにあるはずなので、興味のある方はお気軽にどうぞ。

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