ありがとう♪

2003年最後の日です。
いい年でした。
一緒に遊んでくださって、ありがとうございました♪

私にとって今年はなんだかいろいろ変化があった年なんですが、その前にあった転機は1999年かな。
だいたい4年周期なのか。
ネットにのめりこみ、古いレコードや雑誌を集めるようになりました。
それがひと区切りついたのが今年。
閉じこもっていた殻がはじけて壊れたようです。

音響カプラを黒電話にはめて300bps程度で通信を始めたのが80年代半ば。
今の高校生が生まれたころです。
データが一行ずつ送られてきて、PCの画面に文字を書き込むのが見えるような速度の、パソコン通信でした。

それから数年後、東京で食い詰めた時に仕事をもらったのは、NiftyServeの掲示板でした。
まだ商取引などの規制がほとんどなかったので、人材募集のような書き込みもあったのです。
楽天広場住民ミドル英二さん(大勝文仁さん)の編集プロダクションで仕事をいただいて窮地を逃れたりしたこともあります。
その会社もたたんでしまわれるそうで、ずいぶんあっという間に時が流れたのだなあと、感慨深いものがあります。

前回の転機の前年、つまりフランスでワールドカップが行なわれたころだと思いますが、そのころに買った箸置きが出てきました。
ヒナに似ているので嬉しくなって買ったものです。
ずっと箸置きなんぞ使ったことがなかったので、妙な気分です。
幻子心母は「しっぽが違うね」などと妙なこだわりを見せています。
ヒナの尻尾は黒いのです。
時々屋上駐車場で夕陽を写している、IPのテナントに入っている店で買いました。

風水猫たち

風水猫と書いて、ぶす猫と読ませるようです。
失礼ね、ヒナはおぶすじゃありませんわ。

大晦日は東京に出かけておのぼりさんになるので、日録の更新は大幅に遅れると思います。
ずいぶんひさしぶりに渡さんが歌うところを観ることになっています。
おのぼりさんを引率してくださる方とは、初めてお会いします。
二十年近いネット生活で、初めてのオフです。
(うるとびーずさんの言い方だと密会。)

楽天広場では「幻泉館 主人」の人格がずいぶんふくれあがってしまったので、現実の自分を見てがっかりされるのではないかと不安でなりませんでした。
今はとても楽しみです。
日々の暮らしの中でのつらいことや悲しいことを今はあまり書いていませんが、この大晦日を楽しみにがんばったようなものです。
楽しんで参ります。
行ってきます♪

みなさん、よいお年を!

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『放送禁止歌』(1999年)

【追記】No.2
夕刻、浜へ夕陽を見に行く。
明日は東京へでかけておのぼりさんになるので、これが年内最後の夕陽撮影。
いわゆる撮り納め。

平日だけど年末休暇らしく、人が多い。
離れたところで、UAを大音量でかけて騒いでいる人たちがいた。
私が帰りにかけていたCDは、サイモン&ガーファンクルのベスト盤、「ニューヨークの少年」が良かったです。

更新しました。
夕陽が好き![I Love Sunset!]
2003年12月30日 千本浜より

【追記】No.1
ついさっきまで本文をいじりまくっていたのですが、この辺でバグを固定。
後は追記扱いとします。

歌詞の中の語句が問題となった場合は、該当部分に手を加えることによって放送できるようにすることもよくありました。

秀0430さんへのレスに書きましたが、小室等さんは「街と飛行船」の中の問題部分を、逆回転して貼り付けました。
今音源が手に入った場合は、PCに取り込めば編集して演奏を復元することができます。

ドキュメンタリー『放送禁止歌』で胸が痛むのは、山平和彦という新人歌手が「放送禁止歌手」というラベルを貼られることによって、歌えなくなってしまったことです。
ファーストアルバムは何曲も実質的な放送禁止歌となっています。
要するにアルバムタイトルに対する報復行為でしょう。
それは抽象的な組織といったものやメディア一般が行なったのではありません。
実際にはある一人の人物が、気に食わん奴だとカチンときて指定したはずなのです。
本当はその人物を確定して、話を聞いてもらいたかったと思います。

山平和彦さんは叙情的なソングライター&歌手でした。
ファーストアルバムに入っている「月経」は野田寿子さんの詩に曲をつけたもの。
ナチスの収容所の中で初潮を迎えた少女が、そのことで自らの生を確認するという曲です。
このタイトルと内容が「公序良俗になじまない」のなら、公序良俗なんてバカなものは要らないでしょう。


放送禁止歌
事情により、更新が全然間に合わず。
年内の仕事がほぼ終わったので、まるで力が入らないのでございます。
ふにゃふにゃ。
『放送禁止歌』について書こうと思っていたのですが、少しずつメモを追加していく予定です。
「放送禁止歌」そのものについてよりも、むしろ言語と差別についての考えを書いておきたかったのですが、ちょっと無理かな。

いろいろ言いたいことがあるのが、かえって書きにくくなっている理由かもしれません。
一つの歌の運命について調べたりした方が書きやすいでしょうね。

フジTVの深夜枠NONFIXで放映された『放送禁止歌 ?唄っているのは誰? 規制するのは誰??(1999)』がどうしても見たかったので、おなじみの某業界人氏に頼んで送っていただいた。
SkyPerfecTVでリピートしてくれたはずなのだが、見逃した。
問い合わせても、何の音沙汰もない。
もう何年も見たかったので、大感激。
御恩は一生忘れません、わんわん。

ところでフジTVのことをCXと呼んだりするのは、あんまり好きではない。
お上から賜った放送事業の免許という感じがしていやだ。
そういう人はNHKのことをAKとかBKとか呼んでるのかな?
ちなみに、サッカーどころであるのどかな県のNHKは、PKなんです。
以前はそういうサッカー番組をやってくれてました。

番組から生まれた書籍『放送禁止歌』のおかげで番組の内容はよくわかっていたので、実際に見ると拍子抜けする部分も多い。
でも、たとえばあまり目にすることのない現在の(1999年だが)山平和彦さんの姿は、映像だからこその説得力がある。
歌詞に詰まってもう一度途中から歌いなおすところなど、これがドキュメンタリーのおもしろさだなあと感心する。

書籍はまず番組制作の翌年、2000年に解放出版社から発行された。
A5判並製本文189p
定価1800円+悪税
かなり売れたのではないかと思う。
私も会う人ごとにこの本を薦めていた。

目次は下記の通りだが、番組制作に関して丁寧に説明していて、放映時に見ることができなくても、制作者の意図はよくわかった。

第1章 テレビから消えた放送禁止歌(企画の出発点―闇に消えた放送禁止歌
 企画着手―放送禁止の歌をどうやって放送するんだよ? ほか)
第2章 放送禁止歌、それぞれの具体的な背景(放送禁止歌と発売禁止歌
 有線放送で流される放送禁止歌 ほか)
第3章 放送禁止歌・日本VSアメリカ―デーブ・スペクターとの対話(アメリカ初期の放送禁止歌―性を連想させる歌はご法度
 アメリカ”表現の自由”をめぐる闘い―検閲は反対だが、創意工夫は必要 ほか)
第4章 部落差別と放送禁止歌(『竹田の子守唄』のルーツを訪ねて
 大ヒットフォーク『竹田の子守唄』の系譜 ほか)
「放送禁止歌」掲載曲名リスト

解放出版社版は現在も入手可能なのだが、今年の6月に光文社の「知恵の森文庫」に入った。
定価が648円+悪税。
さらに入手しやすくなったのは良いことだと思うのだが、解放出版社は大丈夫なのだろうか。

具体的に個々の歌を追っているのだが、高田渡「自衛隊に入ろう」、山平和彦「放送禁止歌」、赤い鳥「竹田の子守唄」、岡林信康「手紙」といったところがそれぞれヤマとなっている。
惜しいのは、岡林信康さんが姿を見せないことだ。
amazon/avexの復刻盤でごっそり曲が削られたのだが、岡林さんには姿を現わしていただきたい。
御本人は消したい過去なのかもしれないが、こっそりと消すにはあまりにも大きな存在なのだ。
少なくとも、なかったことにするのは歴史の歪曲だ。

過去の日録で「放送禁止歌」について書こうとして、何度も失敗しております。
代表は岡林信康「アメリカちゃん」(1969年)
よろしかったら御参照ください。

番組の結論は明快で、日記本文より先にレスを付けてくださったDr.悠々さんのおっしゃる通り、勝手な自主規制のために放送しなくなってしまったのだ。
「解放同盟の糾弾を受けたくない」という、自己保身による自主規制である。
これで「解同は恐い」というイメージがさらに増幅された。
思想統制を行ないたい者の、思うがツボといったところだろう。
この無限に続く無責任の構造は、故丸山真男氏が分析してみせた天皇制の思想構造と、なんとよく似ていることか。

まともに勉強しなかったのだが、僕が政治学などという学問を専攻したのは、高校生の時に丸山真男さんの本を読んだことによる。
岩波新書の『日本の思想』と、未来社から出ていた『現代政治の思想と行動』。
この2冊に、本当のインテリとはこういうものなんだろうとイカレタのである。
団塊の世代とやらの全共闘が、丸山真男を近代主義と批判して簡単に切って捨てたのにはまったく共感できなかった。

文庫版のためのあとがきで、森達也さんは9.11の追悼ライブでニール・ヤングがあえて放送禁止歌扱いになっていた「イマジン」を歌ったことを取り上げている。
一人の勇気がいかに貴重で大きな影響力を持つか。
あのニール・ヤングには、胸が熱くなった。

森達也さんは僕と同じ年齢らしい。

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おもちつき♪

【追記】No.4
スケジュールを間違えていたので、ぽっかり予定に穴が空いた。
ひま。
やらなければならないことは山のようにあるのだが、なんだか気が抜けてしまった。
こういう時に風邪をひきやすいので、要注意。
今日はいい天気なんだけど、風が強くて寒いです。

【追記】No.3
ところでついでにおいしいものの話をしておきますと、採れたての菜っ葉はとてもおいしいです。

日録に登場していませんが、畑に行った日は採ったばかりの葉物が食卓に上ります。
今夜はチンゲンサイ。
ゆでてそのまま食べるのが好きです。

こういうものを見るとすぐにドレッシングのようなものを掛けたがる方がいますが、そのままの方がおいしいと思います。
味噌汁にちょっと浸すなんてのでもいいですね。
採れたての野菜の甘みがわかる程度の味付けで。

質素な食卓ですが、実はかなり贅沢な味ですよ。

【追記】No.2
湯上がり♪
あの憎らしい乾パンめ。風呂の行き帰りに一枚ずつ成敗してくれたわ。
後はおいしいコーヒーが恐い。

これはキャラ違うな。
どちらかというとchappiさんだ。

【追記】No.1
だいたい暮れは普段より忙しいスケジュールになっている。
そのうえ大掃除をしろというのは無理だ、そりゃ。
といきなりな言い訳。
まっとうに生きてきた幻子心母は、私のエリアを除いて着実に掃除をしたらしい。
我が母ながら、立派なものである。

今年のヒットは、「乾パン」。
大きな缶であります。
東海大地震というものがおきたら、役に立つらしい。
だが、賞味期限があるので、時々入れ替えなければならない。
「食べておいてね」と、テーブルの上にこの缶が置いてある。

嬉しい。
好きなんだわ、乾パン。
通り掛かる度に蓋を開けて一つつまんでしまう。
眠っているヒナの側を通る度にちょっかいを出すのと似ている。
自然に手が出てしまう。

この、ぎしっと詰まった感じがいい。
いかにも非常時に生命を救ってくれそうだ。
しかし、あまり平時にかみしめていてはいけない。
血となり肉となるというより、すべて皮下脂肪になってくれそうだ。
肝臓にも付いてくれるかもしれない。

しかし、乾パン。
あの乾パンが、食べてくれと、誘惑しているのだ。
これから風呂に入るのだが、その前を通らなければならない。
乾パンめ。


12月28日の夕陽に映えた富士山です。
めでたい感じがしますな。
夕陽が好き![I Love Sunset!]
外港より

朝日を撮ってくれとの声があるのですが、朝日は海から昇ってこないのです。
御了承くださいませ。

もちつき2003今日は毎年恒例のもちつき。
親父様が元気だったころは早朝5時というとんでもない時刻につき始めたものだが、今は私の朝食前。
つまり、世間的には昼前であります。

ここ数年、準備段階では「来年は買ってこよう」と弱音を吐く幻子心母だが、いざつき始めると「やっぱりこれでなきゃ」ということになる。
雑煮の中でとけた場合も、買ってきた切り餅ではあんまりおいしくない。
そういえば数年前に大手の切り餅に米粉が混ぜてあって、営業停止処分をくらったのではなかったか。
変だと思ってたんだよなあ。

とにかくこの石臼が、普通に運ぼうとしても、びくともしません。
やっとの思いで少しずつ回転させるように、引っ張り出してくるのです。

だいたいつき始めは、つき方を忘れています。
ぺったんぺったんつく前にひょいひょいと軽くついて固めます。
そうしないともち米が飛び散るのです。

杵の重さを利用して、あまり力を込めずにずしっと振り下ろします。
これは気持ちいい。
時々幻子心母が手返しを入れます。
恐いよなあ。
これは一度もやったことがありません。

おそなえのような、ざらっとした粗いお餅が好きなので、あっという間につき上がります。
なれてきたなと思ったらもう終わり。
まあ、それぐらいがいいんでしょうね。
翌日あちこち痛くなっても困る。

左側の画像のもう少し大きいものが、本館の幻泉館掲示板に貼ってあります。
よろしかったらご覧ください。
掲示板の画像はサムネイル表示なので、クリックするともっと大きな画像が表示されます。

70年代サブカルチャーとはまったく関係ないですね。
特に苦情も来ませんが、小心者なんで少し気にしています。
港からの帰りにジャクソン・ブラウンを聴いていたなんてのでよろしいでしょうか。

幻泉館本館


「サヨナラ」ダケガ人生ダ

【追記】No.3
畑仕事を簡単に終えて、夕陽の撮影に出る。
いつもは千本公園というところに車を停めるのだが、今日は外港近くの港口公園。
結局堤防の上をいつもの方向へ歩いていって写真を撮った。
人が少なくて寂しい。

更新しました。
夕陽が好き![I Love Sunset!]
外港より

【追記】No.2
ふうっ、もちつき終了。
二升しかつかないので、あっという間に終わった。
詳細は翌日分日記にまわるのかな。

【追記】No.1
izumatsu氏よりビデオが届く。
大感激であります。
休みなので、安心してビデオを見ることができた。

驚いたのは、映像のグレードが低いこと。
悪い意味で言っているのではない。
どこぞの国営放送のように潤沢な資金を使って撮るのではなく、たとえば家庭用ビデオカメラに近いような機材で機動性を生かした、低予算制作の心意気のようなものを感じる。

先に本を読んでしまっているので、たとえば山平和彦さんの複雑な表情の意味がわかってしまっているのがやや残念ではある。
今夜にでもmpegに落としてみようと思っている。


年内の仕事もほとんどケリがついた。
明日の日曜日はお休みで、お餅をついたり、畑仕事をしたり。
まだ29日(月)と30日(火)にも仕事をするのだが、もう山場は越えたので、後片付けに近いです。

脱力。
今年どんな本を読んだかなということで、本館より蔵出しいたします。
追記はどうなるかわかりません。


【2003年2月11日付日録】
[「サヨナラ」ダケガ人生ダ]

今日はまだ2/9(日)です。
昨夜かなり雨が降っていたのですが、明けて快晴。
気温も上がり、「春が来た!」という感じの好日でした。

「ばあさんボケたぞ」という不安な連絡が入ったので、隣町へ見舞いに。
とにかく周りにold womenが多いので、暑さ寒さが厳しい時にはヒヤヒヤします。
行ってみれば心配したほどではなかったので、ちょい一安心。
持っていった見舞い品の数倍お土産を貰って帰ってきました。
なんとなく朝貢外交。

大島渚監督に『儀式』という映画がありましたな。
そんなに好きな映画でもないのですが、妙に思い出すんです。
冠婚葬祭の時にだけ会う親戚の人達。
私は宴席が苦手なので、長じてからもわりとお子ちゃま担当であります。

で、時の流れは頭ではわかっているつもりなのですが、ちびっ子のころに遊んでやったやつが、いきなりサラリーマンくさいおやじになって出てきたりするわけです。
儀式のウラシマ効果?
ちゃうちゃう、こっちもしっかり歳とってるんですなあ。

え?、今日も私の好きなやつ。

  コノサカヅキヲ受ケテクレ
  ドウゾナミナミツガシテオクレ
  ハナニアラシノタトヘモアルゾ
  「サヨナラ」ダケガ人生ダ

『「グッド・バイ」作者の言葉 』によればこうなる。

 >唐詩選の五言絶句の中に、人生足別離の一句があり、私の或る先輩はこれを「サヨナラ」ダケガ人生ダ、と訳した。

「グッド・バイ」作者は森田童子じゃないよ、太宰治だよぉ。
「或る先輩」というのは『富嶽百景』なんかにも登場する、井伏鱒二さんです。

井伏鱒二さんはおもしろい小説をたくさん残していますが、『厄除け詩集』という詩集もありまして、これがいいんですわ。
その中で一番有名なのがこれですね。
薄いのに高い本だなあと思っていたのですが、文庫に入りました。
講談社文芸文庫、940-、やっぱちょっと高いですね。

高校の漢文の授業で習ったような有名な漢詩を、わかりやすい日本語に訳したものを漢詩戯訳と呼ぶんだそうです。
他の人のも読んでみたいと思っていたら、本屋さんで新刊の棚に並んでいました。
それが松下緑『漢詩七五訳に遊ぶ 「サヨナラ」ダケガ人生カ』(集英社 1500円+悪税)です。

帯に俵万智さんの名前が出ていたりするので、やっぱり女性の歌人なのかなあと思ったら、全然違いました。
1928年生まれで、日通総合研究所に勤めていた方だそうです。
97年に亡くなったそうですが、『湖畔吟遊』という個人誌に連載した漢詩戯訳からより抜いて一冊にまとめた本だということです。

漢文の授業というと、もうただただ眠いというような思い出しかないんです。
ああ、漢詩というのは、やたらにお酒の話が多くて、高校の授業でこれはいいのかと思ったものでした。
漢文をノートに横書きで書いていたのを見つかって怒られましたっけ。

でも、漢文の教師というキャラクターはわりと好きです。
イギリスあたりを舞台にした映画だと、ラテン語の教師ということになりますね。
シャバっ気がまるでないところがいいんでしょうな。
数学教師もそうなりそうな気がするんですが、こちらは大学入試を意識しまくりで、かえってシャバっ気が強かったりします。

今は違うと思いますが、昔の英語教師は漢文の教師みたいな人が多かったです。
ジェントルマンで、モームとかオーウェルとかを嬉しそうに語るんですわ。
今は英語屋になりさがって、おそらく高校の英語教師の知的水準は昔よりかなり落ちてると思いますよ。
すくなくとも、のどかな県のんびり市ではそうなってます。

あ、高橋和巳とか中島敦とか、中国文学・漢文文化から出た作家は好きだなあ。
で、まあこの漢詩戯訳ですが、かなりの教養がないとできないワザです。

漢詩の教養よりも、日本語の表現力がないとダメですね。
陶淵明「帰去来の辞」を、松下さんは「サア帰ルンダ フルサトヘ」と訳しています。
これだけだとわかりにくいと思いますが、なかなかすごいです。
みずみずしくて、なおかつ俗に流れすぎてもいません。
六十歳代でこういう戯訳をやっていたんだそうです。
う?ん。

これは知っている漢詩の方がずっとおもしろいです。
あれをどう訳してるんだろう。
で、ハマってると嬉しいです。
冒頭の井伏鱒二訳は于武陵「勧酒」です。
なんといっても井伏訳があまりにも名訳なので、さすがに松下訳も今ひとつに見えてしまいます。

と思って読んでいたら、井伏鱒二訳にネタ本があるという記述がありました。
あ、そうだったんだ。
いやあ、初めて知りました、面目ない。
井伏訳漢詩は『厄除け詩集』に17首載っているのですが、そのうちの始めの10首は、18世紀の俳人中島潜魚庵『唐詩選和訓』からの引き写しなんだそうです。

いやあ、ガックリ来るなあ。
まあ、<「サヨナラ」ダケガ人生ダ>は井伏さんのオリジナル訳らしいんで、不幸中の幸い。

一応于武陵「勧酒」の書き下し訳も書いておきます。
横書きなんで、漢文の先生に怒られそうですが。

「サヨナラ」ダケガ人生カ

  酒を勧む 于武陵

  君に勧む金屈巵
  満酌辞するを須いず
  花発けば風雨多く
  人生別離足る

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フォークル『新結成記念 解散音楽會』

【追記】No.2
いやはや、年末ですな。
さすがの私も忙しい。
まだまだ仕事が残ってます。

昨夜は年賀状の宛名書きをほぼ仕上げた。
終わった!
と思った後に「喪中」の方々がいるのに気づいてしまった。
ただ、今年お世話になったお礼が言いたい人がいる。
封筒に入れて年内に手渡すことにした。
それも妙だが。

【追記】No.1
どこかで書いたつもりだったのですが、マエさんのところでお伺いをたてたところ未出のようなので、書いておきます。

高校生の時に凍死体を見ました。
もう春でした。
1973年か1974年。
のんびり市はあたたかいので、草を敷いて眠っても大丈夫そうな陽気でした。

朝、自転車で坂道を上っていくと、道端に労務者ふうのおっさんが気持ちよさそうに寝てました。
ああいいなぁ、もう少し寝ていたかったなぁと学校に着くと、さきほどのおっさんのあたりに救急車とパトカーが。
死んでたんだそうですわ。
幸せそうでした。

ワイン好きな主婦の方、オリオンビール好きな三線プレイヤーの方、飲み過ぎにはご注意ください。


北九州の若松にできた大学院に行っているたけぴい君(仮名♂二十代)が、おみやげに「博多通りもん」を買ってきてくれた。
おお、これこれ。
地元ではテレビCMが流れていて、『博多っ子純情』作者のはせがわほうせいさんが出演しているのだという。
実写のはせがわさんと、アニメの主人公。
これはかなり見てみたい。

聞くと、アニメでヒロインも出ているとか。
これは私の記憶に残るchappiさんそのものなのである。
たけぴい君は『博多っ子純情』を知らないようなので、キャラクターの特徴を言って確認する。
おさげ髪で、そばかすがあって……。
やっぱりそうらしい。

博多通りもん

のどかな県の地方CMでは、「こっこ」というお菓子がある。
はしのえみさんが出演している。
おみやげのお菓子としては悪くないと思うのだが、たけぴい君の説では、「うなぎパイ」の方が喜ばれるらしい。
全国的な知名度が違うものな。

フォークル 2003区切りとかけじめとかといったものとはほとんど縁がない。
高校も大学も卒業式に出なかったようなので、ぼんやりと学生気分のまま年をとってしまった。
ついでに言えば、努力とか忍耐も苦手だ。
だらだらと生き延びてきた。
でも、昨夜思いついてしまったので、いいきなり私の2003年CDベスト1。

昨日書いた『やちまた』はずいぶん前に出版された本だ。
それでも今年のベスト1。

CDの方はそれより少しマシで、去年の大晦日に発売されたもの。
昨年新結成&解散したザ・フォーク・クルセダーズ『新結成記念 解散音楽會』。
本当はアルバム『戦争と平和』や、NHKで放映されたコンサートの模様も込みでベスト1としたい。

おかげで今年はずっとマーチンの音が頭の中で鳴り続け、D-28という分不相応なものまで買ってしまった。
他人の死と自分の死について考えるきっかけの一つにもなったものだ。
大きく言えば、私の生き方を変えたCDです。

次点で五つの赤い風船の復刻盤『ゲームは終わり』を挙げておきます。

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足立巻一『やちまた』

あやりん(仮名♀十代)が、約束のお手製ケーキをもってきてくれた。
約束というのは、私の誕生日に焼いてくれるというもの。
だいぶ遅くなって、クリスマスと合体してしまった。
ジョン・レノンのCDを聴きながら、みんなでいただいた。

おいしかったですよ。
御馳走様でした。

誕生日&クリスマスケーキ

先日のことだが、僕がデインジャラスという修飾語を付けて呼んでいる娘が、川上弘美さんの本を持っていた。
冒頭を読ませてもらうとおもしろいので、いたずらごころから「朗読してあげよう」と、読んであげた。

女性の声でゆったりと読んだ方がいいのだろうが、少し速いかなというぐらいの速度で読み上げてみた。
間の取り方が良ければ、この方がわかりやすいのだ。
モグラの出てくる短いエピソードをさっと読み終えた。
朗読の出来は悪くないなと思った。

もう二十年ほども経ってしまった。
そのころはよく女の子たちに詩を朗読したものだ。
ちょうどうるとびーずさんやらいばあさんぐらいの女の子たち。
あまり多い人数の前ではやらない。
ささやきがはっきり聞こえるくらいの人数。
自作の詩でないのが残念だが、それは恥ずかしすぎる。

村上春樹さんという作家の作品はある時期からあまり好きでなくなった。
その境界線上ぐらいにある『ノルウェーの森』。
誰かごく少数の者のためだけのエンターテイナー。
登場人物のそういう生き方には親近感を覚えた。

公開日記という不思議なものを続けている。
深夜放送のリクエストカードとDJというたとえ話をしたのだが、時々だれか一人に向けて語りかけている場合がある。
万人に「それは私だ」と思わせるような商売人の技術は、あいにく持ち合わせていない。
今あなたにこれだけは伝えておきたいと、そんなふうに思うことが時々あるものだ。

深夜放送自体がそんな側面を持っていたかもしれない。
複製技術は、一人に向けた心情吐露を無数のひとりひとりに届けてくれる。
思いはどうつながるのだろう。
もともと広場ではなくて、そんな孤独な、片方向の通信だったのか。
CQ, CQ…

はっと我に返ると、近くで聞いていた他の娘が言った。
「モグラって名前の人がいるのね」
それは違うんだが。

やちまた今年読んだ本のベストは、足立巻一さんの『やちまた』。
後ほど、本館に書き散らしたメモを拾い集めて【追記】で書き足しておきます。

【追記】本館日録より

[2003年2月13日]

一年近く前に買って読み始めたはずの本を発掘。
しまった!
これは絶対に面白いはずだと思ったのに、何かドタバタ用事が入って、そのまま忘れていたらしい。
かなりお馬鹿さんである。
最初から読みなおしね。

足立巻一『やちまた』上・下(朝日文芸文庫)であります。
本居宣長の息子・本居春庭の評伝です。
なんですが、同時に足立巻一さんの自伝的作品でもあります。
本居春庭という人は、日本語の「四段活用」「変格活用」なんかを整理して命名した学者です。
その著書『詞の八衢』からこの本のタイトル『やちまた』が採られています。
八衢(やちまた)ってなんだかわかりませんので、広辞苑を引いてみます。

* 道が八つに分れた所。また、道がいくつにも分れた所。迷いやすいたとえにもいう。

天皇機関説事件の当時、神宮皇学館という国学の学校にいた足立さんの青春時代から話が始まる。
友人の名前は俳号で語られ、たとえば「腸」であったり、「遮莫」であったりする。
そして、教授の講義の中でごく普通に本居春庭のことを知り、興味をもったので調べ始める。
なんだかつまらなそうに聞こえるかもしれないが、これが実におもしろいのです。

大怪物・本居宣長の業績は、その弟子たちによって二系統に分かれたとされている。
伴信友らの考証学系と、平田篤胤の復古神道である。
この後者が明治維新正当化のイデオロギーとなり、さらに大日本帝国の超国家主義を生み出していく。
それがワタクシが大学での専門として、実はかなり好きだった「国語」を選ばなかった理由でもある。
はっきりと対象化できていたわけではなかったが、日本語への「国学」の呪縛を感じていたからである。

おっと話を急ぎすぎた。
日本語文法の研究という地味な世界の話なのだが、足立巻一さんの青春と、本居春庭さんの青春と、さらにさまざまな国学者のお話を、ゆっくりと楽しませていただくことにします。

[2003年2月21日]

ワタクシ、本を読むスピードはかなり速い方なんですが、『やちまた』は異様に時間がかかってます。
置き忘れたなんていう事件もあったのですが、本当に細切れにゆっくり進んでるんですな。
やっと上巻が終わろうというところ。

第九章で足立さんの学生時代最後の夏休みが終わり、知人が出征していく。
僧義門という文法学者が、かなり共感をもって語られる。
本居春庭の業績を真に理解して用言の分析を科学的に進めたのは鈴屋一門ではなく、門外の人義門であったと。
動詞の活用を現代文法と同じ六種(将然、連用、截断、連体、已然、希求)に分類し、春庭が及ばなかった形容詞の活用法則を発見したのが、この人である。
宣長、春庭をそれぞれ文化、文政の人とイメージすれば、義門は天保の人である。
今の目から見れば、明治維新もすぐそこまで迫っている。

そして第十章が前半のクライマックス、平田篤胤である。
国学の四大人とは平田派が言っていることなのでかなり眉唾なのだが、確かに日本の歴史に大きな影響を与えてしまったということでは大物である。
彼の復古神道が攘夷運動に大きな影響を与え、明治維新のイデオロギー的背景となる。
さらには大東亜戦争の際の超国家主義にまで直結する。
なおかつ、今なおこれを根拠に日本の歴史を改竄しようという「教育学者」までいるのだから困ったものである。

で、まあかなりファナティックなイメージを抱いていたのだが、平田篤胤さん自体はかなり興味深い怪物である。
生活に困窮しながら万巻の書を読み込み、それを再構成して強烈に主張する。
二・二六事件の黒幕として処刑されてしまった北一輝を思い出す。

ポイントは、江戸時代の復古神道が決して上から与えられたものではなかったということ。
篤胤さんはアカデミズムから弾き出された草莽の国学者(というより宗教家)であり、その復古神道を熱狂的に受け入れたのは攘夷派の武士だけではなかったということだ。
江戸末期に「ええじゃないか」と爆発した民衆が、篤胤さんの復古神道を熱狂的に受け入れたのである。

明治維新がどのような革命であったかということは、日本の歴史学の大きなテーマだった。
植民地化を逃れて近代国家として生まれ変わるために利用できるイデオロギーは、少なくとも江戸末期にはこれ以外なかったのだろう。
この時点では、ある意味で復古神道は日本を救ったのかもしれない。
しかし、明治期に入ってからは、それに代わりうる勢力がいくつも登場するのである。
たとえば自由民権運動の際、フランスから持ち込まれた自由・平等といった概念は、直接に多摩地区の百姓たちの心に届いていた。
平成の今よりも、人々はもっと自由に自分たちの国のことを考えていたと言えるかもしれない。
自分たちで憲法の私案まで作り出していたのだから。

ちょいと先走り過ぎたな。
まだまだゆっくり楽しみます、『やちまた』。

[2003年2月22日]

『やちまた』メモ
本居宣長→伴信伴(史学)・本居春庭(語学)・萩原広道(源氏物語研究)・小国重年(歌格研究)という、実証的研究、学問の流れ。
神話学・民俗学研究の流れは、他ならぬ平田篤胤によって断ち切られてしまう。
篤胤の神学は学問としての業績はあまり残さなかったが、「狂気をはらんだ思想は、動乱期をゆり動かす一つのエネルギーとなった。むしろ、篤胤は死後に維新の呪術者と化した。」

[2003年2月23日]

ゆっくりと楽しんでいた『やちまた』なのだが、下巻に入ると突然スピードが上がってしまった。
国学者たちの評伝部分が減り、著者足立巻一さんの自伝的記述が増えたためである。
出征し、戦争が終わり、上巻で描かれた友人たちが亡くなっていく。
学校を出てからの時の流れが速い、速い。
自分の来し方を考えても、まあそんな感じだわな。

時の流れが急に速くなったのは、著者がしばらく本居春庭から離れていたせいもある。
日々の暮らしに追われ、いつのまにか人が変わり、去り、ふと時の流れに気づく。
そこで自分の人生の意味を考えると、原点を思い出す……ものらしい。

そういえばうちのおやじさん、死ぬ数年前からめちゃくちゃに軍歌のレコードを聴いてたな。
稲荷神社と航空基地で有名な隣県の都市に何度も行きたがった。
空襲や神風特攻隊に直接関係はなかったのだが、晩年の思いはそこに向かっていたようだ。
それが彼の青春であり、原点だったのだな。
思えばワタクシめもここ数年、70年代のレコードをデジタル化したり、楽譜を集めたり、尋常ではないのめり込みようだ。
危ないかもしんない。
気をつけよ。

[2003年2月25日]

足立巻一『やちまた』上・下(朝日文芸文庫)読了。
やけに時間がかかったが、こういう読み方をして良い本だと思う。
面白い本に出会って、それがだいぶ前に刊行されたものだと、どうしてもっと早く巡りあわなかったのかと悔しく思うものだが、『やちまた』の場合はこれも例外。
今読んだからこそ、時の流れが身に沁みて感じられるのではないだろうか。
終盤、資料の発見が山場といえば山場なのだが、淡々と考察を続ける足立さんの人生と、本居春庭の生涯、そして様々な国学者、足立さんの友人たち、この描写が不思議に胸を打つのである。

日本語の文法学については門外漢のワタクシだが、盲目の文法学者・本居春庭を追い続ける足立さんの話はとてもおもしろかった。
そういえば「国語学会」か「日本語学会」か学会の名称変更に関して、会員の郵送による投票が行なわれていたはず。
変更が決まったのだろうか。

【Lycosダイアリー書き込み分】
[2003/02/25(火)] 日本語は国学から解放されるべき

「国語」という名称は「国家語」という用語と紛らわしいし、なんといっても国学の呪縛が強すぎると、個人的に(おいおい、門外漢だぜ)は思う。
本居宣長、本居春庭、僧義門といった国学者たちは実証主義的に、まさに国語学の基礎を築いた。
が、おなじみの国学者・平田篤胤は日本語学者ではない。
「狂気の天才」「怪物」ではあるが、学者ではなく、宗教者なのである。

国学の四大人という言い方は平田派が言っていることなのでかなり眉唾なのだが、確かに日本の歴史に大きな影響を与えてしまったということでは大物である。
彼の復古神道が攘夷運動の理論的根拠となり、明治維新のイデオロギー的背景となる。 さらには大東亜戦争の際の超国家主義にまで直結する。
なおかつ、今なおこれを根拠に日本の歴史を改竄しようという「教育学者」までいるのだからいやはや困ったものである。

確かに日本が植民地化を逃れて近代国家として生まれ変わるために利用できるイデオロギーは、少なくとも江戸末期にはこれ以外なかったのだろう。
この時点では、ある意味で復古神道は日本を救ったのかもしれない。
しかし明治期に入ってからは、それに代わりうる勢力がいくつも登場するのである。
たとえば『三酔人経綸問答』は中江兆民の頭の中のドラマではなく、当時の思潮を面白く戯画化してみせたものであろう。
自由民権運動の時代に日本人は、実は平成の現在よりももっと自由に国家の在り方を論じていたのである。
色川大吉『明治精神史』に描かれる憲法草案などもその具体例であろう。

[追記]
国語学会が「日本語学会」に改称決定
日本語学会 776/1170
改称決定ですね。


Happy Xmas (War Is Over)

メリー・クリスマス♪
平和をわれらに!

【追記】NO.3
幻泉館鯖御利用の皆様へ業務連絡です?☆☆☆

「goodmusic.dyndns.org」のDNSが更新できていないようです。
URLの該当部分を
「goodmusic.ddo.jp」に変えて御利用ください。

お手数かけて申し訳ございません。
更新作業は午後11時以降になると思います。

【追記】No.2
幻泉館鯖の一時停止は終了いたしました。
(わかりにくいな、つながった、ということです。)

無事にDNSにIP更新情報を流すことができたはず。
(これもわかりにくいな。)
ルータの仕様によりLAN内から確認することができませんが、楽天広場の情報が伝わってきたので、大丈夫でしょう。

ご迷惑をおかけいたしました。

【追記】No.1
あらあら、またタイトル曲に何もふれてなかった。
24日の夕刻、浜から家に帰る時に聴いてました。

ベスト盤の画像だけ出しておきます。

Lennon Legend


 月明かり 鏡と祝う 降誕祭 (幻)

高校生の時に作った句です。
お恥ずかしい。

毎年イブは家で静かに平和の祈りを捧げています。
ウソです。
ふて寝しています。
というより、疲れを癒しています。
スケジュールの都合上、必ずこうなります。
宵の口寝て、深夜に夜なべ仕事と年賀状の宛名書き。
例年特別な感慨はないのですが、今年は妙に人恋しいような気がします。

去年のイブは何をしていたのかと過去日録をまさぐると、既に自家引用済み。
午後街にふらふら出て、雑誌を買っているのですね。
そうか、街で聖歌聴いてくればよかったな。

さきほど24日付日録@楽天にアップした高校生カップルの別画像を揚げておきまする。
普通はこういう二人連れを見ると心の中で「バカップルめ」とか思うんですが、夕陽を眺める人たちだと、なんだか私はにこにこしてしまうのです。
この高校生君たちは、二人の間の空間的距離も初々しい感じで良かったのね。
隣町のマンモス大学附属高校に通っている少年少女です。

夕陽が好き![I Love Sunset!]
イブの夕陽 No.2

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あさま山荘1972

【追記】No.4

今日は早く帰れることになったので、浜に立ち寄って夕陽を眺めた。
平日なので人は少ない。
並んで腰を下ろして夕陽を見ている高校生のカップルがほほえましかった。
イブの夕陽じゃないか。

そういう高校生活を送ることができなかったので、ちょっとうらやましかった。
帰りの車の中では、ジョン・レノンのHappy Xmas (War Is Over)を聴いた。

夕陽が好き![I Love Sunset!]更新しました♪
イブの夕陽

【追記】No.3

NTTの工事により、12/25(木)の早朝より幻泉館本館サーバが停止する可能性があります。
最悪の場合、25日いっぱいサーバが停止します。

幻泉館本館へのアクセスだけでなく、店子の皆様のホームページに影響が出て、掲示板が使えなかったり画像が表示されなかったりという不都合が出てきます。
ご迷惑をおかけしますが、御容赦くださいませ。

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【追記】No.2
世間様ではクリスマスイブなのだそうな。
まるで関係ないのだが、それでもあたたかいクリスマスプレゼントをいただいたので、気持ちがあたたかくなったような気がする。

今日は夕方ヒマができるので、夕陽を見に行けるかも♪

【追記】No.1
友部正人さんの傑作「乾杯」は浅間山荘事件のことを歌っている。
日本のトーキング・ブルースといえば、この曲だろう。
長かった2月28日。
この歌のおかげで、僕はその日付を覚えている。

> ついさっきは 
> 駅で腹を押さえて倒れていた労務者にはさわろうともしなかったくせに
> 泰子さんにだけはさわりたいらしい

googleで検索したら、全歌詞を掲載しているサイトがありました。
みんな泰子さんには触りたかった


祝日に仕事をして帰宅し、遅い夕食をとる。
テレビでは、あさま山荘事件をモデルにした映画を流していた。
途中からだが、結局ちらちら見てしまう。
映画は映画、おもしろく作ってある。
役所広司さんが原作者の役だと思うと、ちょっと興ざめ。

1972年の日本人には見えない。

たとえば高校生や大学生がこれを見て、浅間山荘の事件をこのようなものだと思い込むのだろうか。
もちろん書かれた歴史ではないのだが、ひとびとにとっての歴史が、このようなものででっちあげられていくのかもしれない。
今の高校生諸君は、バブルの時代すら知らない世代なのである。

本館日録で「赤軍」をキーワードにして検索。
ヒットした日の日録をそのままアップしておきます。
去年から今年にかけて赤軍派関係資料を読み漁ったのだが、植垣康博氏の本で印象的だったのは、彼らの歌である。
軍事訓練のためにこもった山中で、彼らは歌を歌う。
革命家になるために、同志的団結のために、彼らは歌を歌った。
まじめな明るい歌声が、山中に響いたことだろう。
だが、その歌声はすぐに消えて、彼らは冬の寒い山の中で迷ってしまったのだ。

さて、今夜は自分の分の年賀状を作らねば。


【2003年6月8日付日録】
[連合赤軍事件]

6/7(土)深夜です。

夜なべ仕事で中断していた『一九七二』を読み進める。
やはり山場は「連合赤軍事件」である。
当事者である3人の著書の該当箇所を対照するという地味な作業が一番読ませてくれる。
これはいつかやろうと思っていた作業。
やられたね。

永田洋子『十六の墓標 上・下』『続 十六の墓標』
坂口弘『あさま山荘1972 上・下』『続 あさま山荘1972』
植垣康博『兵士たちの連合赤軍』『連合赤軍27年目の証言』

どれも発行は彩流社。
先日寝室の掃除をして赤軍関係の箱に入れた中にすべてある。
自称危機管理のプロ佐々淳行の著書は事件を振り返るのにまったく役に立たない。
また、ニュージャーナリズムとして売れたらしい角間隆『赤い雪』も、扇情的な記述に終始した駄作である。
それにくらべて、この3人の当事者の本は自らの死と向かい合った真剣な記述であり、基本資料として重要である。

永田・坂口は京浜安保共闘から連合赤軍の幹部、植垣が赤軍派からの兵士。
赤軍派から連合赤軍結党の責任者となった森恒夫の回想がないのが惜しまれる。
森恒夫は、けっして自殺してはならなかったのだ。
「森さん、ずるい」という永田洋子の感想は正しい。

オウム真理教事件がよく連合赤軍事件と比べられるのだが、二つの事件は明らかに質が違う。
連合赤軍の連中は、同志殺しや銃撃戦という突出した事件を引き起こしたのだが、論理的に思考し、語ることができる。
宗教カルトに比べれば、ずっと普通の感覚を持った人たちなのである。

ただ、好漢バロン植垣氏の著書で私が違和感を抱いたのは、すぐに「結婚」と言い出してしまうようなところです。
閉鎖的なオコト社会を作り出していた赤軍派の兵士は、妙に純情で潔癖だったりする。
悪意をもって描かれた連合赤軍モノのドラマなどとは、むしろ逆である。
また、非常によく歌を歌う。
もちろん当時流行っていた歌謡曲や反戦フォーク、そして最盛期を越えようとしていた反抗的なロックなんかではない。
もっと古典的なコーラスであり、革命歌なのである。
とってもマジメなのだ。

後付けの知恵で言えば、連合赤軍事件の悲劇は本来まったく別の戦略を持っていた二つのセクトが野合したところに始まる。

今夜はこれから『一九七二』の続きを読んで、それから寝床で『うしおととら』。
とりあえず10巻目まで預かってます。
明日読んでしまおう。

うしおととら

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山と川 フィールド・フォーク

【追記】No.3
昼食をとってから仕事に出かけようとしたら、ヒナが気持ちよさそうに寝ていた。
二階の廊下はサンルームと化している。
とってもうらやましかった。
ヒナはいいなあ。

今日は祝日なのだそうな。
非国民なんで関係ない。
でも、お正月みたいに静かで天気がいい。
いい日だ。

ヒナの昼寝

【追記】No.2
追記で蔵出しは珍しいですが、忘れていたことを思い出したのです。
一番下に書いてある、CD版『フィールド・フォークvol.1』はオリジナルのアナログLP版より一曲少ないのです。
その説明。


【2003年1月22日付日録より】
[朝の四時から]

お世話になっている大怪人野音氏の指摘で、CD版『フィールド・フォークvol.1』はアナログLPより1曲少ないことを知る。
アナログ盤を引っ張り出してみると、「朝の四時から」。
なるほど。
107ソング・ブック・シリーズでも、CD復刻ではその曲が削られていた。
これは「スキー」という童謡の替え歌ですね。

 ♪ 山はしろがね?♪

で始まるアレです。
ナターシャ・セブンは地元の小学生と一緒に楽しく演奏してました。
替え歌の歌詞は

 ♪ 朝の四時ごろ 空弁当下げて
 ♪ ウチを出て行く おやじの姿
 ♪ ズボンはぼろぼろ 股引き履いて
 ♪ あ?あ、哀れなおやじの姿

三行目が二番では 
 ♪ パンツはぼろぼろ 中身が見える ♪

三番では
 ♪ 靴はぼろぼろ ぼろ足袋履いて ♪

懐かしくも下品で楽しく悲しい歌詞ではありませんか。

元歌の著作権者を調べてみます。
→「スキー」 作詞:時雨音羽 作曲:平井康三郎
作曲は元大阪音楽大教授の平井康三郎さんで2002年11月30日逝去、享年92。
ごく最近までお元気だったわけです。
作詞の時雨音羽さんは「出船の港」「君恋し」「フニクリ・フニクラ」といったところが代表曲で、1980年に逝去。
大物ですね。
これでは、この替え歌は収録できなかっただろうなという結論に達しました。


【追記】No.1
おお、書き忘れておりました。
わざとじゃないのよ。
雑煮「のようなもの」路線もアリかも。

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坂庭しょうごさんの訃報を聞いて、ザ・ナターシャー・セブンのCDを発掘する。
ザ・ナターシャー・セブン107ソングブック全集はボックスセットを購入したので、いつもと違ってすぐに見つかった。
全集はオリジナル・アルバム11枚に、「おまけ 完成記念発表会」が付いた12枚。
LPで各アルバムに付いていた解説&楽譜が、ソングブックとして一冊に製本されている。(A4判128p)

LPで発売当時は、数枚しか買うことができなかった。
よく聴いたそのアルバムが結局CDでもお気に入りとなっている。
たぶんizumatsu氏のところで聴いて、いいなと思って買ったのだと思う。
それが『vol.7 山と川。フィールド・フォーク編』だ。
パブロ・ネルーダの詞を笠木透さんが訳した「山と川?おいで一緒に?」をはじめ、「私の子供達へ?父さんの子守唄?」「わが大地のうた」「川のほとり」といった、笠木透さんの傑作曲が収録されている。
「フィールド・フォーク」だけあって、録音は主に名田庄村で行なわれたもの。
森の中で、風の音や、鳥の声、虫の羽音などと共に歌がある。

坂庭しょうごさんの訃報を聞いた後なので、「川のほとり」が胸にしみる。

 ♪ 人は去り 時は流れ
 ♪ 変わってゆくのか かなしいぞ

人が老い、逝ってしまうのは避けられない。

ザ・ナターシャー・セブンは107ソングブックの4人にメンバーが固定するまで、いろいろメンバーが変わっている。
1972年に『高石ともやとザ・ナターシャー・セブン』が出た時には、坂庭しょうごさんはいない。

高石ともや:ギター&ヴォーカル
城田純二:バンジョー
金海孝寛:マンドリン
東理夫:ベース

アルバムには歌詞&コードの他に「マンドリン即席教室」が書かれていたりする。
CDでの復刻時にはこれが実に小さくて見にくい。
拡大コピーをしないと、読めないだろう。

107ソングブックのシリーズを作ったメンバーがおなじみのザ・ナターシャー・セブン。

高石ともや
城田じゅんじ
坂庭しょうご
木田たかすけ

80年に木田たかすけさんが交通事故で亡くなり、つい先日坂庭しょうごさんが癌で亡くなった。
昨日も書いたが、まるでビートルズのように、4人が2人になってしまった。

本館より、ザ・ナターシャー・セブンについて触れた日録を蔵出しします。
関係ない話がだらだらと長くて、最期にちらっと出てくるだけです。
ちょっと忙しくて編集するのも面倒なので、そのまま行ってしまいま?す。


【2003年1月21日付日録】
[ きだみのる「気違い部落周游紀行」 ]

世間的にはのんびりとした、土曜日の午後、車でとろとろ職場へ向かう。
運動不足なんで、片道30分、歩いた方がいいよなあなどと考えていると、信号待ちで前に止まったCIMAが妙。
大きい車だけど、それでもちょっとセンターライン越えるのはどうかしら。
と、突然ティッシュをポイッ。
一瞬コラコラとクラクションを鳴らそうとしたが、イヤな予感がするのでぐっと我慢。
動き出すと、いきなりトランクが開く。
あ、蛇行してる。
あ、またティッシュ投げ捨て。
あ、急ブレーキ。
車間距離をめちゃくちゃたっぷりとりましたが、さすがに後続車も気づいたらしくて、みんな静かに見守っているだけです。
その車はいつも私が立ち寄るセブンイレブンの前で急停車。
ここぞとばかりにワタクシ+後続車群はアクセルを踏み込んで、危険地帯を脱したのでした。
無免許なのか酔っ払いなのかシャブ中なのか、まあとりあえずヤっちゃん系でした。
これって、オレの日常のヒトコマ。
いいのか、のどかな県のんびり市?

「きだみのる」の『気違い部落周游紀行』が冨山房百科文庫に入って、書店でよく見かけたのが80年代。
買いそびれているうちに見かけなくなって、「絶版」などという噂を聞いて入手は断念していた。
のだが、今日本屋さんを覗いたら堂々と陳列されていましたわ。
買いました『気違い部落周游紀行』、定価1200円+悪税です。

どぎついタイトルだよね。
元々岩波書店の雑誌「世界」に連載されていたのだというから、驚き。
「部落」はもちろん居住地域としての「集落」の意味であり、差別的な意図はまったくない。
「気違い」の方も単なる記号として用いたというような弁明が中に書いてあるのだが、この語の方は完全にシロではない。
ただ、それは今の世間様一般よりも、もっとちゃんとシロいと思うよ。

きだみのる(山田吉彦)というのは不思議な人で、現在なら存在不可能でありそうな、在野の社会学者でありました。
デュルケームを訳したりしてますが、なんといっても岩波文庫『ファーブル昆虫記』を林達夫と共訳していたというのがわかりやすい。
ただ、林達夫は後できだのことをめちゃくちゃ言ってるらしいです。
あ、『昆虫記』と言えば、あの大杉栄も翻訳しています。

『気違い部落周游紀行』は第二次大戦敗戦直後、東京都下の山村での暮らしをおもしろおかしく書いたものであります。
おもしろおかしく、なんですけどかなり衒学的(ぺだんちっく)でありまして、なおかつ村を社会学的に分析してしまいます。
そういうことしたら、ムラには暮らせなくなるよね。
幸か不幸かこの本はヒットして毎日文化賞を受賞する。
それを機にきだみのるは「気違い部落」をキーワードに、放浪作家として後半生を送るのであります。

このきだみのるが晩年一緒に放浪していた娘がいたのだが、その子は岩手県の山村にある小学校(分校)の教師夫妻に預けられる。
その教員佐々木久雄さんが三好京三名で発表した小説が『子育てごっこ』です。
直木賞受賞作、かな。
実に数奇でありますね。
『子育てごっこ』は映画化され、加藤剛と栗原小巻が夫妻を演じてます。
娘を演じていた子役さんは牛原千恵ちゃん。
NHKのドラマで今江祥智さんの作品をもとにした『優しさごっこ』でも、印象に残る演技をしてました。
80年代半ばかな。
きだみのるはもうボロクソに描かれてます。
11歳の娘も野性児オオカミ少女扱い。
それをまっとうに教育しようとする教師夫妻という、まあ感動バナでしょ?
佐々木先生はいろいろな教育改革を実践していたということで、今も教育のお手本のように語られることがあるようです。
ところが、娘さんグレて「積み木くずし」状態。
その報道の中で、娘がまだかなり幼いうちに三好京三が手を出して性的関係を持ったなんつうのがバレてしまいます。
いやはや、何がなんだか。

————————————————

ヤフオクで落札したCD『フィールド・フォーク from NAKATSUGAWA』が届く。
このグループは表記がいろいろなんだけど、このアルバムでは「高石ともやとザ・ナターシャー・セブン」。
文字どおりのひとびと音楽で、このアルバムは笠木透率いる我夢土下座のコンサート。
波乱の第3回フォークジャンボリー(1971)を最後に、笠木透さんはジャンボリーをやめ、フィールド・フォーク・ムーブメントを始めます。
自然の中で、野外活動とともに歌う歌ですね。
バックパッカーは持ち運びに便利だけど、音が小さいから外ではキビシイよなあ。
マーチンだったら図体も音もでかいD-45……ええなあ。

フィールド・フォーク Vol.1 from NAKATSUGAWA(1972)
フィールドフォーク 1. ほっちょせ節
2. 野茨鳩
3. 川下りブラック・ジャック
4. いの字の唄
5. 海に向かって 
6. 付知の子守唄
7. 私の子供達へ
8. 青春の唄
9. 瀬戸の子守唄
10. フィールド・フォーク・ラグ
11. めぐりあい
12. 親父の人生 
13. 朝の四時ごろ 
14. 音頭与三郎

高石ともやとザ・ナターシャー・セブン(城田じゅんじ、金海たかひろ)
我夢土下座、山本よしき、高石とし子

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訃報:坂庭省吾さん

【追記】No.3
冬至でございます。
夕餉にはカボチャの煮物、お風呂には柚子が予定されています。
こういう習慣は大好きです。
お雑煮毎日でも、いいけど、正月は明けて七草粥や小豆粥もまた大好きなのでございます。
芋、豆、栗、かぼちゃ、いいですね。
こういうところもおばちゃん体質と呼ばれるユエンですな。
夜泣きじじいなんだけど。

【追記】No.2
坂庭省吾さんが亡くなったらしい。
まったく知らなかった。
え?
という印象。

怪人野音氏に教えられて、オフィシャルサイトに行ってみる。
BBSに書いてあった。
そうか、亡くなったのか。
享年53。
合掌。

【追記】No.1
mae_coさんから「雑煮自慢」関連の連絡です。
よろしく♪

—————————————–
大家様、雑煮会の告知ページをつくりました。
ご覧になってください。
トップページから別窓で開きます。

http://www.funk.ne.jp/~mae_web/
—————————————–

年忘れプチコスプレ劇場終了!

今回も楽しく遊ばせていただきました。
ありがとうございました。

書き込むことはできませんが、しばらくはこのまま放置しておきますので、どんなアホなことが行なわれていたのか、ご覧ください。

事情により日録は更新できず。
これから忙しいので、あまり【追記】もできないかもしれません。
とりあえずお雑煮が楽しみ、ですよね?
ということで、本館過去日録からもちつきモノを蔵出し。
ベタですが、もちろんこの宣伝。

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【2002年12月29日付日録】
[餅搗き♪]

今日は餅搗きだったのです。(12/28)
「くんち餅はいかん」というので、毎年28日か30日に搗きます。
道具が一式揃っているので、使わないとダメになるからということもあります。
やっぱ暮れには餅搗きしないと、ということもあります。
(それなら大掃除しろよ、おい。)
でもまあ、なんと言っても手で搗いた餅がうまいということですな、私の動機は。
あの、粗い、ザラっとした餅が、ンマイ!
幻子心母は少し音を上げております。
しかし独りでは搗けないので、まだまだ頑張ってもらいます。

亡父は遠州の出でありました。
すぐ隣の三河では良い石が採れたようで、その地方から遠州にかけては、餅搗き用の臼に石材が用いられることが多かったようなんですな。
それで、うちの餅搗き臼も御影石製なのです。
あんまり見かけませんよね。

したがって、幻泉館主人幼少の砌(みぎり・おー、こう書くんだ)、おもしろくてためになる大日本講談社の絵本などで「さるかにがっせん」を見ては、「どうしてうちのうすとちがうんだろう?」と寂しく思ったものでした。

もう一つ不思議なことがありました。
朝5時ごろから餅搗きを始めるのです。
元々亡父は大変な早起きさんで、高校生の私がオールナイトニッポンのエンディングや、「早起きも一度劇場」という古典芸能番組を聴きながら寝つこうとしていると(これは遅過ぎ)、元気に家中の掃除を始めたりしていました。
私は朦朧としたままひと臼搗かされていたわけですな。
餅搗きとはそういうものなんだと思いこんでいたのですが、どうも世間様は少し違うようだと、高校を卒業するころには気づき始めました。(もっと早く気づけよ)
テレビなんぞで流れる餅搗き風景は当然昼間なのですが、あれはイベントだから特別に昼間やっているものだと思いこんでいたのですね。
普通の家では、早朝に餅搗きをするのだろうと。
昼間だと痛みやすいんじゃないかとか、勝手に思っていました。

この謎が解けたのは、実はほんの数年前のことです。
父方の親戚が言うのには、昔実家が饅頭屋をやっていたことがあるのだと。
想像するに、常に営業していたわけではなくて、農閑期にいわゆる賃餅を搗いていたりしたのではなかろうかと。
んなこと聞いてね?よ、プロだったんじゃん、でした。
もちろん今は昼間、ぺったんぺったんしております。
本当はぺったんじゃないな。
振りがキマルと、ズシっといい音がします。
元剣道部(関係ない)、このズシっが好きなのかもしれないですね。

だらだらすんません、石の臼に話が戻るんですが、インターネットの通信販売サイトで見つけました。
なんと「京セラ」の販売です。
見た感じ、同じような臼です。
うちでは下に台座はありません。
だから杵を振り下ろした時にいい音がするのだと思います。
位置が高いと、軽くしか搗けないんじゃないかな。
それに、この臼めちゃくちゃ重いんですわ。
一人では絶対持ち上げられない。
というか、びくともしません。
二人懸りでも、台座に持ち上げるのはきついと思います。
だから、少しずつ回転させるようにして移動させるのです。
あ、「京セラ」のはサイズが全然違うわ。
うちのはもっとずっと大きいです。
うちの家宝ってば、この石の臼じゃないかな。
かなり昔から、たぶん昭和になるずっと前から使っているはずです。

餅搗きの後、形だけの墓参りと、ゴミ処理の畑仕事。
のどかな好日でありました。
布団も干したぜ♪
あ、年内まだまだ仕事あります。
今日はたまたま休日になっただけです。

「京セラ」餅搗き用石臼
餅搗き用石臼

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