岡林信康「山谷ブルース」(1969年)

avex/amazonのURC音源復刻盤は岡林信康の曲をすべて削除した形だったので聴く気をなくし、積んだままになっている。
岡林本人がURCから版権を取得し、収録を拒否したようである。
それはそれで一つの見識だが、avex/amazonはもっとちゃんとした説明をすべきである。

10月5日付日録に書いたように当時の音源は苦労してかなり揃えたのであるが、私が死蔵していてもしかたがない。
出してくれよ、岡林さん。

私は少し遅れてきた少年だったので、岡林信康を聴いたのはレコードだけ。
既に「はっぴいえんど」をバックに従えてからだ。

「はっぴいえんど史観」から見れば岡林はロックの乗りじゃないどうでもいい歌手なのだが、そりゃ当たり前だ。
エンヤトットなるものを「発見」し、美空ひばりに共感する岡林は元々ロックなんて歌ってないんだから。

ギター1本でAmをかきならして歌う姿は、場末の流しみたいに見えるだろう。
「山谷ブルース」(1969年)など、演歌にしか聞こえないんだろう。

 ♪ きょうの? 仕事はつらかった
 ♪ あとは? 焼酎を あおるだけ

「働く俺達の世の中が きっときっと来るさそのうちに」などという最後の部分は、何を言っているのかわからないかもしれない。

きつくて危険で汚い労働現場からは徐々に日本人の姿が減っている。
わざわざイラン人やパキスタン人に連帯したいなどと、あんたは思っていないんだろう。
大新聞社が出している雑誌の広告の地口よろしく、「イランに核は要らん」などとはしゃいでみせるぐらいの認識だ。
周辺部を作り出したからこそ、日本は繁栄していられる。
自分の繁栄を守るためにはそれが正しい態度だろうし、ブッシュに尻尾も振ってみせる。
ずいぶんいやらしい書き方になってしまったので、この辺でやめておこう。

「山谷ブルース」「手紙」「チューリップのアップリケ」。
暗い歌である。
吉田拓郎さんのドキュメンタリーには「タムジン」こと田村仁さんが出てきて映像を撮っていた。
あの番組はタムジンさんが準主役だったのだ。
まだ拓郎さんがオールナイト・ニッポンをやっていた時(パックかもしれない)「手紙」のことを、「タムジンがギター弾いて泣きながら歌う歌だ」と言っていた。

初期の岡林、暗い歌が多いのである。
差別に対する憎しみと悲しみがナマの形であふれ出た歌だから。
ところが、この歌を歌っていたころの岡林さんは、不思議に明るいのだ。
皇室一家をおちょくった「ヘライデ」や権威・権力に対する反発「くそくらえ節」「がいこつの唄」、屈託なく明るい。
映画『無法松の一生』(1943年)で坂東妻三郎が見せる、日本の庶民の笑顔。
あれを思い出す。
「友よ」をなんのてらいもなく歌えた時代を私は知らない。

今私は楽天広場で「懐かし屋」さんみたいになってしまっているが、本当は懐古趣味でこんなことばかり書き始めたのではない。
一つのきっかけは、『一九七二』という本にある。
以下、本館日録2003年6月4日付日録から自家引用。



日曜日の毎日新聞書評欄に出ていた『一九七二』がおもしろそうだったので、購入。
まだ読み始めたばかりだが、確かに面白い。

一九七二
『一九七二』
坪内祐三著
文藝春秋社
定価:本体1800円+悪税
四六判上製 本文413p
2003年4月25日発行

著者の坪内祐三さんは私と同世代。
1972年には中学1年生から中学2年生、私は中学3年生から高校1年生という年齢である。
このぐらいの年齢の時には、ほんの少しの年齢差がかなり大きく感じられるものだ。
一つ一つの事件に関してはだいぶ感じ方が違かったことだろうが、後付けの知恵で語る時はやっぱり視点が近しい。

目次を辿ると、「日活ロマンポルノ」、野坂昭如の「四畳半襖の下張り」裁判、連合赤軍事件、『ヤマザキ、天皇を撃て』、ロックの時代の幕開け、『ぴあ』の創刊、田中角栄の登場、雑誌『世界』とまあ、ツボにはまりまくり。
わたしゃつくづくサブカルチャーのヒトなんだわなあ。

雑誌『諸君!』に連載されたものだそうだが、全然知りませんでした。
しょーもない雑誌だけど、中にはおもしろい記事があるのですね。

さて、少し読み進めて。
この著者は1972年が時代の転換点であるという認識の下に、1972年の文化現象を陳列して見せてくれている。
のだが、何か欠けていないか?
私がいいかげんな高校受験を過ごした年。
札幌オリンピック、連合赤軍事件……。
雑誌『終末から』は1973年か。
雑誌『ガロ』はどうだろう。
まったく触れてないかな。
ああ、音楽状況、「はっぴいえんど」「頭脳警察」「キャロル」には触れているが、やっぱり何か違う。
今『ロック画報』や『コレクターズ・マガジン』で学習する若者たちに似ているなあ。



読み終えての結論は、やっぱり違うというものだった。
竹内さんは時々自分の生活からのエピソードを書いているのだが、資料に頼った部分にはやはリアリティがない。
1972年が転換点であるということに異論はないが、「社会学的アプローチ」が正しいかというと疑問だ。
これが歴史になってしまうということなのか?
なんだか自分が生きていた事実が否定されたような気がした。
別に歴史に名を残そうなどとは思わないが、いなかったことにされるのはちょっと寂しい。

少なくとも連合赤軍関係は、この本を読んでわかったつもりになるよりも、彩流社などから出ている、当事者による記録を読むべきである。
それで、私も自分の生活の中でどうだったのか思い出そうとしているのである。



一回り前の午年の秋、私は二回山谷に行った。
仕事の本筋ではなかったが、「山谷の写真が要る」ということにして取材に行ったのだ。
初回は一人で、二度目は瀬戸山さんというカメラマンに写真を撮ってもらった。
この人もかなり怪人の部類に入る人で、「フォトジェニックな場所ですねえ」と喜んでいた。
翻訳すれば、「山谷ではいい写真がたくさん撮れますね」といったところか。
帰りには隅田川沿いの、いわゆる段ボール・ハウスの撮影をして、あの強烈な形の建物でビールを飲んだ。
実にのんきな取材であるが、それでも山谷にいる間は結構緊張したのであるよ。

どうしてそんな余計な作業を突っ込んだかというと、そんなに遠くない将来に山谷のルポをものしたかったからである。
果たせぬまま、あっという間に暦が一巡してしまった。
あらあら。

新潮OH!文庫『山谷ブルース』は、カリフォルニア大学アーバイン校教授エドワード・ファウラーさんによる、ちょうどそのころの山谷ルポである。
私の嫌いな社会学的分析ではない。
ガイジン・ファウラーさんが実際にドヤに寝泊まりして書いたルポである。
ただ、状況べったりの記述だけでは意味がない。
「状況と斬り結ぶ」客観的視線。
これが難しいんすね。
ファウラーさんの山谷ルポ、いい線だと思います。
カラオケで岡林信康の「山谷ブルース」と菅原洋一の「今日でお別れ」を歌う、そういう外国人学者さんです。

だいたい、「天皇」や「ヤクザ」の分析は外国人が書いたものの方がしっかりしている。
そういうものは日本人が客観的な分析をできる領域にないらしいのである。
以前は寄せ場も似たような領域にあった。
今は……山谷そのものがどうなってるんだろう?
私がちょろちょろっと歩いたのは猛烈な地上げの真っ最中。
ドヤもホテルへの立て替えが進行中だった。
ドヤがなくなる予感があった。
あれから13年も経っているのだ。

日雇い労働者は、景気が悪くなれば切り捨てられる「雇用の安全弁」という呼び方があった。
それは実に不遜な言い方だが、既に安全弁としては機能しなくなっているのかもしれない。
「Bum(浮浪者)はu(YOU)なしには語れない」のだそうな。
あんたもそうなるかもしれないよ。
そういう時代が近づいているのだろう。

ところで、私がウロウロしたのがなぜ午年だと覚えているのか。
この取材の本筋は、「建て替えのために木賃アパートから追い出される高齢者」だったのです。
追い立てを食うことになっていたおばあさんに、その年の暮れ、私は年賀状を出しました。
取材先へ年賀状を出したのは後にも先にもこの1枚だけ。
そのおばあさんが返事の葉書に羊の絵を描いてくれたので、年がわかるのです。
山谷ブルース
エドワード・ファウラー著
『山谷ブルース』
新潮OH!文庫
本文 398p
定価:¥733+悪税





幻泉館 リンク用バナー

「イムジン河」(1968年/2002年)

【追記】
 今日は夕方うまいこと仕事を抜けることができた。(おいおい)
 スーパー屋上で夕焼け観賞。
 途中でバッテリーが切れたのが残念。

 [I Love Sunset!]夕陽が好き!
 画像追加しました。


数日前の深夜、書斎の電話が一回だけ鳴って切れた。
一瞬、電話をかけなおさなけりゃと思った。
ちょっと苦笑した。
そんな必要はないのだ。

以前そんな習慣があった。
一回だけ電話が鳴って切れたら、僕がかけなおす。
もうそんな相手はどこにもいない。

今はインターネットに接続するための回線。
おまけのようにFAXがつないであるだけだ。
連絡をとる必要がある人は、携帯電話にかけてくるだろう。
ワンコールで、誰なのかちゃんと着信履歴が残ってくれる。

でも、もしかしたらと少しだけ思ったのも確かだった。


70年代後半だろうか、松山猛さんの名前をいろいろな雑誌で見かけるようになって、ずいぶん不思議に思ったものだ。
この人は「イムジン河」の作詞者だよな???
どうして???
加藤和彦さんや北山修さんと友達らしいのだが、それでもなんだか釈然としなかった。
黒幕みたいな人なのかしらという感想。

その、謎の怪人松山猛さんが『少年Mの イムジン河』という本を出しているのを知って、注文してみた。
「少年M」の戦後史をごく簡潔に、しかも地に足のついた具体的な書き方をしているので、フォークルと松山さんのイメージがちゃんと結びついた。
これでやっと長年の「???」が晴れたのである。

曲で歌われる「イムジン河」は朝鮮半島を南北に分ける軍事境界線に沿って流れる臨津江(リムジン川)。
もちろん元曲は「リムジン川」と歌われるべきである。
ただ、フォークル松山版「イムジン河」は、「イムジン川」でいいと思う。
それだけの歴史を背負った曲なのだから。
「イムジン河」と「リムジン川」を比べたい方は、googleしてみたのでどうぞ。

北朝鮮の歌<リムジン川>>

この本の中では、同時代人としてキング牧師が語られ、有名な「私には夢がある」が引用されているのだが、これがとても良い。
少年時代に在日朝鮮人の友人がいたことを語り、朝鮮動乱、ヴェトナム戦争を語り、自然な流れでキング牧師が引用される。
このきわめてあたりまえなことを、日本の学校では普通は教えないから。

のどかな県のんびり市にあるのんびり西高という公立高校は、アンネ・フランクやマーチン・ルーサー・キングJr.が大好きなのです。
私の出身校ではありません。
去年まで女子高だったので。
今年からやっと名目どおり男女共学になったのです。

とにかく毎年アンネ・フランクやマーチン・ルーサー・キングJr.に関する読み物を読ませるのですが、それをこの現代や日本と関連づけて語ることは絶対にありません。
ユダヤ人差別と黒人差別は、まるで遥かな国、遠い昔のことなのです。

もちろんパレスチナ人を追い立てるイスラエルとアンネ・フランクはまったく関係ない出来事に見えてしまうし、日本の中の差別は見ないふりをします。
ついでに言えば、その高校は原爆の話も大好きなのですが、戦争で日本の国民はとても苦労したんだという文脈でしか語られません。
日本の植民地になったり、日本に占領された国々のことには触れません。
庶民、つまり日本国民が単に被害者だったとしたら、どうして東アジアでこんなに反日感情が盛り上がるのでしょう。

1968年に発売中止になったザ・フォーク・クルセダーズの「イムジン河」は、昨年2002年、34年ぶりにシングルCDで発売された。
フォークルのメンバーと松山さんが朝鮮民謡だと思っていた原曲には作詞作曲者がいて、それが北朝鮮の人だったために朝鮮総連からクレームがついたのだという。
2番と3番が原曲に忠実ではない、松山さんの作詞だったからだ。

昨年の再発売の際に、そこが本当にクリアーされたのか、疑問が残る。
実はこれも日本国内の自主規制による「放送禁止」の問題だったのではないか。

ところで、昨年の新生フォークル「新結成記念 解散音楽會」コンサートで北山修さんは何度も「ハングル語」と言ってしまっているが、そんな言語はない。
日本語のことを「かな語」とは言わないだろう。
「韓国語」や「朝鮮語」がまずいのなら、どうして「韓国朝鮮語」と言わなかったのかなと思う。

少年M イムジン河

幻泉館 リンク用バナー

吉田拓郎「シンシア」(1974年)

楽天広場に出店を開いて、これで丸二ヵ月経過。
記念して、今日は蔵だし。

ある言葉を耳にすると反射的に思い出すことがある。
たとえば「domestic」→『邪宗門』。
これは高橋和巳さんの小説の中で、旧制高校の生徒が生煮えの芋をかじって叫ぶ冗談が染みついてしまったのです。
「どめすちっく!」→「家庭の!」→「固いのぉ!」

regretなんて言葉も、ユーミンの歌を思い出す。
ところが頭の悪いことに、これがいつも間違っている。
「regret」→「安いサンダルをはいてた」
これ、違うんです。

これは私の記憶回路がショートしてまして、正しくはこうなんです。
「regret」→「憎んでも覚えてて」
強烈な印象を受けた二曲の歌詞がまざってしまったんですね。

「青春のリグレット」(1985)
 ♪ 私を許さないで 憎んでも覚えてて ♪

「DESTINY」(1979)
 ♪ 今日にかぎって 安いサンダルをはいてた ♪

今はこういう言い方をしないけど、以前は「ユーミン派」「みゆき派」などという分類が可能でありました。
まあ、一途なファンが多いのかもしれませんが、私の場合は70年代はユーミンの方を聴いていて、80年代以降は明らかに「みゆき派」でありました。
ほら、リゾートで信州とか湘南とかに出かけたりしないから。
近いんだけどね。
今は大御所たちより、椎名林檎の方がいいっす。
まったく若い娘に弱いんだから。

このごろはなくなってほっとしている質問が、「モーニング娘。の中で誰がいい?」
すまんです、誰がいいなんて、とてもとても。
「どうでもいい」が私の回答でした。
なんといっても個体識別ができない。
林檎、ヤイコ、UA、Coccoは個体識別ができます。
誰でもできるか。

ず?っと、アイドルというものに興味がなかったのです。
小泉今日子さんはかなり好きでしたが、それはNHKの近所で偶然本人を見かけて、とってもかわいかったから。
メディアで見かけても、いまひとつ実感わかないのね。
生身の女性の方が好きでした。
おお、すごくいやらしい発言だぞ。

それでも、南沙織というとちょっと胸がキュンとなるかな。
これはね、吉田拓郎&かまやつひろし「シンシア」という曲が好きだったんです。
ゆったりとしたフォークロック調で、ブルースハープ(ハーモニカじゃ)の音がかぶさってくる曲に弱いのね。
フィドル(バイオリンじゃ)やスチールギターも可です。

1974年の曲。
高校2年生の時(からン年間)好きだった子のイメージを重ねて聴いていたのでしょう。

ここのところ思考回路が回顧モードに入りっぱなしだったので、高校時代に好きだった女の子の名前などふと漏らしてしまう。
男女比が[6:1]ぐらいの学校だったし、自分としてはハードボイルドな日々を送っていたので、女の子と話すことはほとんどなかった。
でも、元来は惚れっぽいタチなんで、密かな片思いをじゃんじゃん繰り返すわけだ。

あやりん(仮名♀十代)が言う。
「今頃はいいオバサンだぜ。子供なんか三人ぐらい産んじゃって。」
「どしてそーゆーことを言うかなあ!」(半ばマジ)
「きれいな思い出なんだよね。」
すかさずフォローを入れる、あんたはオトナだ。

片思いはきれいな思い出になってくれるなんて私が気づいたのは、つい最近だよ。


ミカちゃんは僕より一つ年下だった。

高校2年の夏、僕たちは学校のバンガローに泊まる届けを出した。
ふざけた団体名にしたら先生に怒られたので、「水泳部」などという名前にした。
仲間に水泳部なんて一人しかいなかったのに、それで許可が下りる。
これもなんだか欺瞞だよね。

そのころ僕は毎年夏風邪をひいていた。
野球の応援や高原教室で冷房の利いたバスに何時間も乗らされると、必ず風邪をひいてしまうのだ。
7月の終わりに数日寝込み、そして8月に静かな長い夏休みを迎える。

怪しげな僕たち「水泳部」と同じ時期にバンガローにやってきたのは、テニス部の女の子たちだった。
人数が少ないとはいえ見慣れてしまった同級生の女の子たちと比べると、1年生の女の子たちは新鮮に見えた。
おとなしい野獣である「水泳部」は、ろうそくの明かりを囲んで蚊取り線香の煙に燻されながら、どの子がかわいいなどと品定めをした。
僕は髪の長い小柄な女の子がかわいいと思った。
友人と見解が異なるのは、このような場合は幸いである。

学校ではまったく女の子と会話をすることがなかったのに、海辺のバンガローでは少しだけ口が開いた。
ただただ泳いで、食事を作って片付け、夜中にこっそり酒を飲みながらくだらない話をする数日が続いた。
その間にどこをどうしたものか、その子と一緒にボートに乗る機会までできてしまった。
髪の長い子はたまたま僕と苗字が同じだったので、自然にファーストネームで呼び合うことができた。
ミカちゃん!

1973年8月11日本当に月並みな言葉しか思いつかない。
ボートに乗った水着のミカちゃんはまぶしかった。
何か楽しいことを言わなけりゃと思いながらも、やっぱり言葉が浮かんでこない。
泳ぐときは髪を束ねてあるのだが、あの長い髪がそんなに小さくまとまるものなのか。
そんなくだらないことしか言えなかった。
見りゃわかるだろ。

もちろん時は美しいからといって止まるはずもなく、幸せな瞬間はすぐに終わってしまった。
まったく接点のない日常が戻った。
が、友人たちを驚かせたのは、誰も予想しなかった、その後の僕のしぶとさである。
僕は年賀状と暑中見舞いを出し続けた。
毎回ちゃんと返事が来た。
そのハガキは当時の宝物になった。
受験参考書「試験にでる英単語」にミカちゃんの似顔絵を描いた。

その後僕は東京で暮らすようになり、それから一年後ミカちゃんは名古屋の大学に進学した。
夏休み、僕はミカちゃんの実家に電話をかけた。
お母さんが電話に出て、明るい声でミカちゃんを呼んでくれた。

寒い夏で、トレーナーを着ていても薄ら寒かった。
久しぶりに見るミカちゃんの髪はショートカットになっていた。
晴れていたらあの公園に行こうと思っていたと、ミカちゃんが丘の中腹にある平和祈念公園を指さした。
喫茶店で何時間も話をした。
高校時代の彼氏と別れたのだという。
それじゃあオレが代わりに、とは思わなかった。
大学の話をして、下宿生活の話をして、サークルの話をして……。

冬休みにも会った。
同じように何時間か話をした。
これで終わり。
たったこれだけ。

ダッフルコートを着たミカちゃんは、樹村みのりさんのコミック「ポケットの中の季節」の表紙の女の子に似ていた。
かぐや姫の曲「おもかげ色の空」の歌詞を思い出した。
年賀状と暑中見舞いの返事は、今も机の引き出しの中にあるはずだ。
ミカちゃんは僕より一つ年下で身長は152cm、小さくて、とってもかわいかったんだよ!

幻泉館 リンク用バナー

「おとこ東大どこへ行く?10年目の東大全共闘?」(1978年)

【追記】

中の人などいない。

覚えてないが、たぶん画像への直リンをやめてくれと言ったのだろう。
あんたのサイトにどうしてアタシが画像をサービスしてやらにゃならんの。

引用という言葉はご存知ないようだな。

—————————————————–
@hisamichi 自分の描いたもんでもあるまいしそのキャプだって本からの無断転載だろ日本人めんどくせーって思ってすぐ外国のサイトからの画像に差し替えた 半年くらい前 Web Site Twitter web 2007-10-20 18:47:09+09
@hisamichi 2003年に再放送してたんだ どうでもいいけどこのブログの中の人に、「無断リンクはいいけど画像転載は許してませんっていわれたことあったな」赤瀬川源平の漫画http://plaza.rakuten.co.jp/gensenkan/diary/200310280000/
—————————————————–


10/26(日)の「NHKアーカイブス」は1978年11月25日放送の『ルポルタージュにっぽん「おとこ東大どこへ行く」?10年目の東大全共闘?』だった。
東大紛争から十年後、東大全共闘のメンバーを作家橋本治さんが訪ね歩く。

「桃尻娘」「桃尻語訳 枕草子」「窯変 源氏物語」の橋本治さんである。
1968年、東大紛争の真っ最中に橋本さんが作った東大駒場祭のポスターが話題を呼んだ。

 > とめてくれるなおっかさん、
 > 背中の銀杏が泣いている、
 > 男東大どこへ行く

ルポルタージュにっぽん橋本さんの言い方だと、それから十年「布団をかぶって寝ていた」そうだ。
十年寝太郎、橋本治。
「われわれ」ではなく、徹底的に「個」に閉じこもり続けたということである。
岡林信康「わたしたちの望むものは」が「わたしたち」を否定する逆説的な歌であり、「友よ」の連帯を拒否したことを思い出す。
しかし、このドキュメンタリーは、「個」がまた再び連帯を求めて「われわれ」を取り戻そうとする旅である。

番組は1978年の駒場祭の映像から始まる。
1978年、私は都の西北大学の学生だった。
つまり、そこに出てくる東大生諸君は同じ世代の学生たちだ。
昔のポスターを抱えて登場する橋本さんは長髪にオーバーオールのジーンズ。
「俺たちの旅」に出てきそうな風体である。

紛争当時の映像では、本当にキャラメル・ママみたいなおばちゃんが出てくる。
もちろん細野晴臣さんや鈴木茂さんみたいなのが出てくるわけじゃないですよ。
バリケードの中のボクちゃんにキャラメルを差し入れしようととしたお母さんのことを揶揄して「キャラメル・ママ」と言ったのです。
自信ないですけど。
なにぶん1969年1月の安田講堂の攻防戦の時はまだ小学生だったので、よくわかってません。
権威や権力と戦うのもかっこいいなあ、ぐらいの感想はありましたです。
1970年11月の三島由紀夫割腹事件の時は中学校1年生でして、全共闘やら憂国やらより、とにかく新聞に載った生首が気持悪かったという印象しかありません。

お、「10.21」の映像だ。

●芥正彦(俳優)
●相原亮司(三里塚農民)

ああ、そうだった。
まるでノンポリだった私のようないいかげん学生にも、1978年3月26日には三里塚に行くように大動員がかかったのだった。
その日、空港の管制塔が破壊され、成田空港は開港が延期された。
掲示板に書きましたが、帰りは夜になって、ヘリからサーチライトで照らされて周囲が昼間のように明るくなるのが、とっても恐かったです。
 ♪烏合の衆?♪

集会にはフランスのラルザックから空港反対運動をしている人が来て連帯のアピールをしていました。
空港というのはやばいなあと思いました。

今、のどかな県では要らない空港を作ろうとしています。
横に長い県なんで、東部ののんびり市にはまったく関係ない空港です。
羽田に行った方がはやくて便利なのですから。

1978年、私は論文を書こうとしていました。
卒論は不要な学部なので、ゼミの先生に提出するゼミ論です。
本当は日本思想史をやりたかったのですが、なんとなく友だちに誘われて地方自治論・住民運動論のゼミに入りました。
論文の研究対象は、故郷のんびり市の住民運動です。

1963年から1964年、東京オリンピックに向けた高度成長期に、のんびり市では石油化学コンビナートの建設計画を、住民運動によって撤回させたのです。
全国各地の住民運動が開発側に破れていく中で、ひときわ目立つ、「勝利した」住民運動なのです。

私は『平成狸合戦ぽんぽこ』という映画を見ると、必ず泣いてしまいます。
次々に戦いに破れ、無念のうちに死んでいった方々の姿が見えるからです。
私は泣き虫です。

のんびり市で反開発側が勝利したのは、リーダーが地元の高校の先生たちであり、草の根保守も、地区労組も、反コンビナートという一点で協力したからです。
おかげで、今も海や山できれいな夕陽を眺めることができます。

人口20万人の都市で8万人規模の建設反対集会が行なわれました。
普通の家庭で近所の人たちと建設の是非が論じられ、小学校低学年だった私も、家でデモ用のプラカードの看板を描くのを手伝いました。
ちばてつやさんのマンガのコマから、咳をしている絵をパクッて、喘息になりたくないというような絵を描いたのです。
四日市ぜんそくが社会問題となり、新潟のコンビナートで1ヵ月以上火災が続いていたのです。
これが私の、民主主義の原体験です。
どうしてみんな、こんなことがあったのを忘れてしまうんでしょうか。

この石油化学コンビナート反対運動の継続的な成果として、70年代には全国でもトップを切って先進的なゴミ処理システムが作られました。
ゴミにせず、資源としてリサイクルしようという、分別収集です。

が、遺産は食いつくしてしまったようです。
今は天下り市長が典型的な土建屋行政を行なっています。
駅周辺、それから私が夕陽を撮影した山も海も、夜はずいぶん物騒な雰囲気です。

土建業界のために行なう開発は、人心が荒廃します。
柳町光男監督の『さらば愛しき大地』(1982年)は覚醒剤の恐ろしさを描いた映画ということになっています。
が、あれは開発によって崩壊していく共同体を描いたものです。
のんびり市から追い出されたコンビナートは、千葉や茨城に行ったわけです。
大変申し訳ないことをしましたね。

●武田和夫(山谷労働者)

東大法学部を中退して山谷に入った武田さんは、番組制作当時、永山則夫さんの「反省共立運動」を支援していた。
その後も多くの死刑囚の支援に取り組んで、「死刑廃止全国ねっとわあく」の活動をしている。
「連続射殺魔」永山則夫もまた団塊の世代だったのだ。

山谷での取材中、妨害が入るのが生々しい。
NHKは暴力団の悪事をもっとやってくれという山谷労働者の声が痛い。
これがせいいっぱいだろう。
番組製作者はよくがんばっている。

●今井澄(諏訪総合病院・院長)
●水戸部貴士(当時・横浜国立大学生)

水戸部さんの言葉。
「外人部隊が罪が重かったわけだ、みんな」
事実はどうなのか知らないが、ありそうな話だ。
官僚養成学校の学生は、身内に支配者層に近い者が多い。
オウム真理教事件の際に、法皇がどうしたとかいう部署の責任者だった人物は、無罪放免になったことを思い出す。
大江健三郎に「私大生」などとばっさり切り捨てられる都の西北大学出身者は、楽天広場でウダ巻いてるぐらいのところだ。
「ボクって何?」どまりではちょっと悔しいね。

●加藤一郎(東大法学部教授 当時・東大総長代行)
●林健太郎(日本育英会会長 当時・東大文学部長)

ま、この人たちはどうでもいいわ。
橋本さん、「東大紛争」と言うはずのところを「東大闘争」と言い間違えている。
ついつい気持ちが、ね。
NHKさん、これをアーカイブだけで流すのはもったいないよ。
今を撮って一緒に流してくれ。


【追記】
 実に不愉快な請求書&督促状が来ます。
 いかにも怪しいので、すぐに詐欺だとわかります。
 うちの場合は幻の家人宛てだし。
 お好きな方は画像をご覧ください。
 電話しちゃいけませんよ。
 
 http://gensenkan.hp.infoseek.co.jp/images/sagicard03.jpeg
 http://gensenkan.hp.infoseek.co.jp/images/fiddlecard.jpg
 http://gensenkan.hp.infoseek.co.jp/images/q2bill.jpg


幻泉館 リンク用バナー

五つの赤い風船「美しいものは」(1973年)

秋の好日。
法事の後、時間ができたので海に急ぐ。
なんとか夕焼けに間に合った。
記号化した地図だと海岸線が東西に走っているように見えるところなので海に沈む夕陽は見ることができないのかと思ったら、堂々と海に沈んでいった。

堤防には、夕陽を見に来ている市民が多かった。
堤防の上はまさに夕陽に照らされたプロムナード。
子供たちが水際で遊んでいるが、静かに海と空を眺める人が多い。
町なかではバカップルなど見かけると腹が立つのだが、夕陽を眺める人たちはみんな幸せな表情をしているので、カップルもほほえましく見える。
本当は撮影なんかしないで、ただじっと夕陽を見ている方が幸せだったんだろう。

山で見た夕陽も、海で見た夕陽も、とてもきれいだった。
のんびり市、とてもいいところだ。
幻泉館主人は非国民かもしれないが、のんびり市の市民ではある。

今までこんな風景を知らなかったので、損をしていた気がする。
でも、今発見したからこそ、素直に美しいと言えるのかもしれない。
日曜日の夕方、家族で海に沈む夕陽を眺める。
これが幸せというものなんだろうな。
本当に絵に描いたような、幸せだ。
だけど、他人の幸せを嫉妬するような気がまるで起きない。
何より、海と夕陽の美しさのおかげだと思う。

夕陽の中を、小さな漁船が横切っていく。

五つの赤い風船に「美しいものは」という曲がある。
あの『ゲームは終わり 五つの赤い風船解散記念実況盤』にしか入っていないのではなかろうか。
歌っているのはベースの長野隆さんかな。

 ♪ 山を見ていると ♪

何もほしくなくなるという歌である。
「家も道も車も」「町も汽車も畑も」

 ♪ 何もほしくなくなる ♪

およそ人為的なものは何も要らないというのである。

 ♪ 美しいものは 人の世にはなく ♪

さらには、「愛する人さえも」ほしくなくなるし、「私もいなくていい」という歌である。
ああ、いなくていいなと思った。

帰りの車の中では、ジョン・レノンの「イマジン」がかかった。
私は音量を上げて、大声で歌いながら家に帰った。
天国も地獄も国家も要らんのだ。

夕陽が好き![I Love Sunset!] 本日の夕焼け画像を追加しました。

2003年10月26日 千本浜



掲示板が変わってからレスが付けにくくなって、すっかり御無沙汰していた「日本のフォークソング」の掲示板。
なんとなく覗いてみたら、avexから出たURCの復刻盤CDに岡林信康の曲が入っていない理由がわかった。

http://6027.teacup.com/folk/bbs

わかったのだが、納得はできない。
avex/amazonの売り方である。
これでは「復刻盤」ではないじゃないか。
収録できなかったのなら、その説明をすべきである。
非常に不愉快。
かといって、五つの赤い風船の『ゲームは終わり』は風船の部分だけでも聴きたいことは聴きたい。
ちっ。

五つの赤い風船にハマッたデインジャラスりえどん(仮名♀十代)だが、その後続けて古い流行歌の世界を探検しているようである。
ただ、「なごり雪」とか「木綿のハンカチーフ」とか言っているので、風船ほど特殊ではない。
このあたりの曲ならカラオケ屋さんにもあるだろうし、どこの高校にもそんな曲を好む変わり者がいるものだ。

「なごり雪」を歌ってくれとせがまれて、歌いながらついつい余計なことを言ってしまう。

 ♪ なご?りゆき?も ふるときをし?り?♪

いちばんいいところだ。
「これさ、こう聞こえない?」

 ♪ ふるとき お尻?♪

だまし絵と一緒で、一旦そう聞こえるようになると、もうダメである。
名曲がだいなしですな。
実に申し訳ないことをした。

「鈴を鳴らして」という歌詞が出てくるのはアン・ルイス「白い週末」だったかしら。
「すず おならして」に聞こえていました。



今は亡き親父様の十三回忌。
親父様の世代の近い親戚だけなのでごくごく小規模に済み、良かった良かった。
寝ぼけたまま頭をからっぽにして言われるままに動いたので、楽チンは楽チン。
年寄りばかりなので、若者(!)である私がへいへいと車でパシりまくる。
こういうのは気楽でありますな。

宗教は阿片であるという命題は正しいと、私は考えています。
だから帰依なんぞしていない。

ただ、寝ぼけた頭で和讃や正信偈を唱するのは好きだ。
みな自分の声の高さで、時々間違えたりしながら読み上げていくと、西洋音楽の平均律にはない、深いハーモニーが生まれる。
身をゆだねていると、まさに往生安楽国?という感じがしてくるわ。

正信偈というのは、日本史で習った親鸞の「教行信証」の行巻末尾にある偈文(げもん)のことです。
「正信念仏偈」の略だそうで、信仰告白と宗派の要旨のようなもの。
龍樹のような見知った名前が出てくると嬉しいですな。

思想史上、現在に直結する日本のオリジナルな思想が生まれ出たのが鎌倉新仏教だと言われています。
その一人、親鸞の思想のエッセンスが、この正信偈なんだそうです。

正信偈 本文, MIDI, MP3

正信偈 解説

浄土真宗は他力本願なので、行を説く般若心経を読み上げることはしません。
他宗派の葬式なんぞにも行ったことがあるはずなんだけど、でも教典を読み上げたりした覚えがないなあ。
いろいろやってみたい気はするのだけど、まだ機会がありません。
御詠歌というのに興味があります。

【追記】
 法事から帰ってこの「幻泉館日録@楽天」にアクセスして気づいたのだが、この色合いは葬式ではないか?
 本館はちゃんとスタイルシートが使えるので文字色を淡くしてみたのだが、楽天では細かい設定ができない。
 それで墨のグラデーションをバックに敷いてみて、落ち着いていて良かろうと思ったのだが、実に抹香臭いではないか。
 話題が仏教だと、本当に滅入ってしまう。
 早く気づけよなあ。

幻泉館 リンク用バナー

鈴木翁二「オートバイ少女」(1973年)

朝出掛けに新聞のテレビ欄で「お」と思う番組があったので、どたばたと録画予約をした。
【追記】
 ウソですね。
 出掛けはいつも朝じゃなくて、昼です。

NHK BS-2で新番組「青春のポップス カーペンターズ・映画音楽特集」と映画『天井桟敷の人々』(1945年)。
まだまるで見ていないのだが、帰ってきてちょっと調べると、「青春のポップス」というのは、これは違うかな。
見ないまま埋もれていって、いつのまにか上書きしてしまうかも。(蓋然性高い)
【追記】
 早速見ています。
 前半、オールディーズを日本の懐かしめ歌手が歌う。
 その部分は楽しく観てしまいました。
 真知子さん顔大きいなあという、失礼な感想。


アマゾンより楽譜集「U2 THE BEST OF 1980-1990」が届く。

U2 THE BEST OF 1980-1990U2: The Best of 1980-1990
$18.95 ¥2,068

古い方のベスト盤の楽譜。
中には80年代の彼ら、つまり若者の顔をしたU2が写っている。
私のD-28で一所懸命クラプトンの”Tears in Heaven”を弾いていたまゆぞう君(仮名♀十代)が覗きに来て、とても驚いている。

まゆぞう君にとって、U2とはつまりおじさんなのだそうな。
そりゃそうなんだけど、U2が若者であった時というのが想像できなかったらしい。
昔からおじさん。
私もそうなんだよな、きっと昔からちょっとおばさんみたいなおじさん。
これがボノだよと指さすと、さらに驚く。
「あんなになっちゃって」というのだ。
驚いたのはこっちだぜ。

「表紙の男の子かわいいね」ということでは意見が一致した。
表紙のそばかす小僧、確かにかわいい。
CDと同じ写真である。


鈴木翁二さんの代表作というと、「オートバイ少女」になるんだろうか。
筑摩書房から出ている短編集のタイトルはこの短編から採っているし、あがた森魚さんが監督をして映画にもなっている。

中学生の女の子「みつる」が無免許でオートバイを駆り、海へ走る。
それだけのマンガだ。
オートバイがまだノーヘルで走り回っていた時代。

1970年前後には、カミナリ族と呼ばれるライダーたちがいた。
それから十年後の1980年ごろは暴走族と呼ばれた。
暴走族の最盛期は猫も杓子も暴走族だったので、中学校の仲良しグループの延長みたいな連中も多かった。
80年代末のバンドブームみたいなものである。

「みつる」は途中でところてんを食べる。
「ところ天は 子供の頃の方が つめたかった」

「みつる」は身体の変化にとまどっているのだろう。
胸ポケットに入れた桜の花びらを海に流しながら、「花びらを食べなさい」と言う自分を恥ずかしく思う。
「そんなことを想うのは やっぱり女なのかな」
「女は嫌いだ」

あやりん(仮名♀十代)がよく男の子のふりをしたがるな。
美少年になりたがったり、マッチョだと言いたがったり。
別に性倒錯とかではなくて、きっと大人になる過程へのためらいや足踏みといったものなんだろう。

「みつる」が堤防から飛び降りるコマで、映画の1シーンを思い出した。
あがた監督の『オートバイ少女』(1994年)ではない。
磯村一路監督の『がんばっていきまっしょい』(1998年)の冒頭のシーンである。
主人公の悦子(田中麗奈)が高校に合格した春休み、やはり海を見てぼんやりとものを思う。
悦子も何か満たされないまま、堤防を飛び降りる。

思春期の一瞬。
海のにおい。

『がんばっていきまっしょい』の舞台は1976年の愛媛県松山市。
私が大学生のころの、ボート部のある地方都市の県立進学高、それも「東高」なので、とても身近に感じることができた。
主人公と友人たちを演じた高校生たちがとても良い。
この映画に出た俳優さんたちはもうひとつの高校生活を体験できて幸せだろうと思う。
クライマックスのレース場面に不満がある方も多いようだが、全体としては静かな秀作だ。

同様に四国を舞台にした『青春デンデケデケデケ』(大林宣彦監督 1992年)も、高校生を描いた佳作。
おうどんさんがおいしそうな映画ね。
大林監督の「遊び」の部分は好き嫌いがあるだろうが、この映画もやっぱり、お腹の弱いギター少年白井(浅野忠信)、怪僧高校生(大森嘉文)、明石の蛸(永堀剛敏)と、主人公と共にバンド活動をする友人たちがとても良い。
こちらは私が小学生だったころの香川県観音寺が舞台。
従姉のお姉ちゃんたちが聴いていた歌謡曲やポップスが耳に心地好い。

ありえたはずの高校生活がうらやましいかぎりである。
そう、ありえたはずの高校生活。
僕は学校でフォークソング同好会を作ろうとしたのだ。

坂崎幸之助さんの本を買いました。
岩波アクティブ新書『坂崎幸之助のJ-POPスクール』本体740円+悪税
岩波書店さん、ずいぶんなタイトルの本を出しますが、タイトルから受ける印象と中身の印象はだいぶ違います。
これはFM埼玉(って今は言わないのか、「NACK 5」ね)の番組にあるコーナーの名称そのままだからしょうがないんですね。

「J-POP」というよりは、「J-POP」と呼ばれる前の日本のポップス史です。
なぎら健壱さんに『日本フォーク史的大全』(ちくま文庫)という本があって、これはとてもおもしろい。

だいたいそれと同じ時代を、坂崎さんの個人史と併せて語っています。
自分史「第n楽期」に「講義」が挟まれていて、取り上げている人は
 ザ・フォーク・クルセダーズ
 岡林信康
 吉田拓郎
 ガロ
 古井戸
 はっぴいえんど
 斉藤哲夫
ちゃんと色が出ていて、妥当な選択です。
幸之助さんは、日本のポップス史関係だと、実にいい仕事をしてます。
アルフィーは……あくまでも御本人はアルフィーが本職。

幸之助さんがアマチュア時代にやっていた「へそ下三寸」というバンドのことは耳にしたことがあるのですが、そのメンバーだった人に驚きました。
岩波文庫『ドイツ・イデオロギー』の訳者なんだそうですわ。
あ、「新編輯版」になって名前が落ちてる。
もちろん廣松渉さんではありませんよ。
それはさすがにありえない。
小林昌人さんという人です。

「ドイデ」って言い方、懐かしい。
「なになす」なんてのもあったんですよ。
レーニンの『何をなすべきか』ね。
吉祥寺の特殊書店で店番をしている時にそれっぽいお客さんが「ナニナスを10冊欲しいんだけど」みたいな言い方をしまして、私にはなんだかわかりませんでした。

ロベルト・カルロスが「ロベカル」になるのと一緒ですな。
これもあんまり好きじゃない言い方です。

つげ義春が「つげよし」
江口寿史が「えぐひさ」
ナンシー関が「なんせき」
佐高信が「さたまこ」
アグネス・チャンが「あぐちゃん」
南沙織が「みなさお」

あ、また始まっちまった、やめておきます。
やっぱり枕元の山です。

幸之助さんは名門都立隅田川高校にフォークソング同好会を作りました。
私もその少し後、のどかな県立のんびり東高校にて「フォークソング同好会」を結成いたしました。
が、それは一瞬のことに終わっていまいました。

学校当局に認めてもらおうと、その必要条件である20人のメンバーを集め、顧問になってくれる先生をお願いして、「やった!」と思ったら生徒課というところからお呼び出し。
教師に昼休みに廊下で説教され、次の授業が始まっても「ちょっと待て」とさらにだらだら。
要するに「やめろ」です。
結局生まれかけた「フォークソング同好会」は圧殺されてしまいました。

実に不愉快な思いをしたので、私はそれ以後マジメに学校行事に参加することがなくなりました。
ナニかといえばエスケープするようになったのは、そのセンセイのおかげです。
実に虫の好かない教師でしたが、その後確実に出世コースを昇って校長となり、さらにはこの地域の教育長とまでなったそうです。
勲章なんぞももらったのかな?
ま、社会的地位が高いとされるヒトなわけですが、私が今まで出会った教師の中で、私が最も軽蔑する人物であります。

幻泉館 リンク用バナー

[1977-1970 > 2003-1996]

ヤフオクで落札した「朝日ジャーナル」2冊が届く。

朝日ジャーナル 1970&19771970年9月20日号
特集「せまりくる右翼の季節」定価70円

1977年3月18日号
特集「右翼反体制テロの蠢動」定価200円

77年の方は当時自分でも買ったはずだ。
まったく内容を覚えていないところがすばからしい。
情けないものである。
一旦捨てたものをまた買い戻すというのも悲しいが、オークションで100円だったんで勘弁してくれ。

私が中学生だった時の週刊朝日ジャーナルと、大学生だった時の週刊朝日ジャーナル。
そう考えるとずいぶん長い時間のように思えるが、今から7年前、つまり1996年から今までの時間と同じ長さだと考えると、とても短い時間のようだ。
これが年をとったということか。
事実[1977-1970 = 2003-1996]
実感[1977-1970 > 2003-1996]

表紙のデザインがほぼ同じなのはおわかりになりますね。
70年代の週刊朝日ジャーナルは、ずっとこんな感じでした。
リニューアルしてロゴが変わったとき、その時終わりが見えていたのかもしれない。
10/14付日録「朝日ジャーナル 71年3月19日号」がいかに破天荒な表紙だったかもおわかりいただけるだろう。

特集が両方とも「右翼」というのはちょっと寂しいが、誰かが資料として持っていて、それだからこそこうやって生き残ったたのだろう。
しかし、7年間で定価が70円から200円に上がっているというのはすごい。
経済成長が続いていた……わけでもないが、70年から77年ならそうなんだろう。
私が中学生のころ、友達のお姉ちゃんは仕送りを3万円に上げてくれというハガキを実家に送っていた。
私が大学に入ったころは、大学生の生活費は月に5万円ぐらいだったろうか。
卒業するころには8万円ぐらいかな。

もっとも、渋谷にある女子大からうちのサークルに来ていた女の子は、仕送りが12万円とか15万円とか言ってたなあ。
うちのサークルのメンバーなら三人分ぐらいに相当していたんじゃないか。
当然のことながら、みんなで飲みに行ったって、オゴる気にはならない。
飲み食いする分量は全然違うのに、きっちり均等にワリカンであった。
はるばるとよく通ってきたものだな、あの子たち。

77/03/18号は竹内好さんが亡くなった後なんだ。
「竹内好?あるナショナリズムの軌跡」
「追悼対談 磯田光一/桶谷秀昭」

そうか、若者は知らないだろうなあ。
魯迅の訳者と言っておこうか。

ガンダムを描いた安彦良和さんの『虹色のトロツキー』。
この方が話はわかりやすいかもしれないね。
このマンガ読んだから、私も石原莞爾の『最終戦争論』を買ったりしたんだな。
己の内なる大陸浪人的ロマンがくすぐられるんだよなあ。
与謝野晶子『みだれ髪』のところで引用した鉄幹の歌がまさにそれね。

 > 韓山に、秋風立つや、太刀なでて
 > われ思ふこと、無きにしもあらず。

大東亜共栄圏の発想にまったく真実がなかったら、そんなに無理をして国民を戦争に駆り立てることができなかったはずだ。
実現されなかった一片の真実はある。
もちろん今日本が大東亜共栄圏などと言ったらまさに東アジア諸国の反感を買うだけだが、姜尚中(カンサンジュン)さんの言うように、東アジアは手を組まざるを得ない。
マンガの終わり方には不満があるのだが、この石原莞爾やトリックスターにさせられた辻政信、ずいぶん魅力的に描かれてます。

小澤征爾という著名な指揮者がいる。

オザケンのおじさんね。
小沢健二クンはどうもあまり好きになれない。
奥田民生チャンが「ほら、ビートルズみたいにやってみたよ」っていうのはわかる。
というか、楽しい。
オザケンの場合は「ほら、ジャクソン5みたいにやってみたよ」とは絶対に言わないような気がする。
曲を聴いて私が、まんま「ABC」じゃんかと思っただけである。
オザケン好きな方、ごめんなさいね。
両者ともに、あくまで曲を聴いただけでの印象です。
この二人がどこかで元歌について発言しているのなら教えてくださいませ。

で、おじさんの小澤征爾さんは珍しい字を使った名前だなあと思っていたのだが、これは「板垣征四郎」と「石原莞爾」から採った名前なのだそうな。
小澤さんの誕生は1935年(昭和10年)。
満州事変が1931年で、翌1932年に満州国樹立。
これはどう見ても日本による中国侵略戦争なのだが、その満州事変首謀者の名前を採ったものなのである。
小澤の父親である医師小澤開策が満州に王道楽土をという思想を信じて満州青年連盟の中心人物として活躍していたそうである。

例によって広辞苑から引用しておこう。

> いたがき‐せいしろう【板垣征四郎】
> 陸軍大将。岩手県生れ。満州事変を画策。
> 陸相・支那派遣軍総参謀長などの要職を歴任。
> 敗戦後、A級戦犯として絞首刑。(1885?1948)

> いしわら‐かんじ【石原莞爾】
> 陸軍中将。鶴岡生れ。満州事変の首謀者。
> 日中戦争勃発当時の参謀本部作戦部長。
> 世界最終戦論を唱え、東亜連盟を指導。(1889?1949)

『虹色のトロツキー』(安彦良和)というのは、実によく調べて描いているマンガなのだが、そこに描かれる大人物石原莞爾のイメージは、かなり実像に近いようだ。
「目標は東亜の大同である」を石原莞爾が語ると、実に説得力がある。
本人を知っていたら、コロっと参ってしまうことだろう。

70年代の一時期、二・二六事件の首謀者として刑死した北一輝がもてはやされたことがある。
見果てぬ夢を見た悲劇の革命家としてとらえなおそうということが小ブームであったのだ。
鈴木清順監督『けんかえれじい』にちらりと出てくる北一輝、かっこいいよねえ。
吉祥寺東急デパートの裏にある古風な喫茶店を、私と「千秋」は「北一輝がいそうな喫茶店」と呼んでいた。
「喫茶ロック」シリーズのジャケットに使われてもよさそうな喫茶店。

ただ、私の場合はどうも北一輝の場合は屈折したルサンチマンを感じてあまり好きではなかった。
石原莞爾の場合はこのような屈折を感じないのである。
人間がもっとだいぶ大きかったのではないかと思う。
中国戦線の拡大に反対し、反東条英機の立場をとったということも、現在石原莞爾の評価を高めているようだ。

佐高信さんは、石原莞爾の「戦線不拡大方針」も結局は放火犯の消火作業であると、著書『黄砂の楽土』で断じています。

しまった、70年代の音楽ネタを書いてない。
どちらの号にも、音楽記事などまったくない。
例の「櫻画報」があったり、玉三郎の写真が載っていたりはするのだが、意外だ。
音楽コラムが載ったのは、リニューアル以降だったのか。



下の[BLOCK 1]は、楽天広場の各サイトで公開されているアクセスログである。
普通の人がアクセスしない時間帯には、こんな状態になってしまう。
「ゲスト」は私が「アクセス数」のページでわざとリロードしてみた結果。
つまり、同じIPから続けてアクセスしてもカウントされないので、それをあぶり出すためにアクセスログを見ながらリロードしてみた。
ずっとリロードを繰り返していたわけではないので、実際に下記の「♪みこ♪さん」や「亜耶夜羅々さん」がアクセスしてきた回数は、これよりずっと多いはずだ。

「♪みこ♪さん」と「亜耶夜羅々さん」のアクセス回数は多すぎる。
絶対にサイトの内容など読んでいない。
これは[white rabbit2003]さんがやっていたのと同じように、スクリプトを使って自動巡回しているのである。
この中に、あれだけ攻撃されている[white rabbit2003]さんはいない。

なぜ「♪みこ♪さん」と「亜耶夜羅々さん」は攻撃されず、[white rabbit2003]さんだけが攻撃されるのか?

ここには詳細を書かないが、[white rabbit2003]さんが攻撃される本当の理由は、スクリプトを使ったランダムアクセスを繰り返していたからではない。
虚偽の申請を行なって「捨てID」まで作るという卑劣な手段で[white rabbit2003]さんを攻撃した理由は、まさに彼らが卑劣だからだとだけ言っておく。

卑怯者め。

[BLOCK 1]
9833 10-24 06:06 ゲストさん
9832 10-24 06:04 jooxさん
9831 10-24 06:03 ♪みこ♪さん
9830 10-24 05:59 ゲストさん
9829 10-24 05:57 ♪みこ♪さん
9828 10-24 05:56 楽天金太さん
9827 10-24 05:56 亜耶夜羅々さん
9826 10-24 05:53 ♪みこ♪さん
9825 10-24 05:53 maruba15さん
9824 10-24 05:50 ♪みこ♪さん
9823 10-24 05:48 ゲストさん
9822 10-24 05:47 ♪みこ♪さん
9821 10-24 05:46 japantnさん
9820 10-24 05:45 ♪みこ♪さん
9819 10-24 05:45 ゲストさん
9818 10-24 05:45 ♪みこ♪さん
9817 10-24 05:43 ゲストさん
9816 10-24 05:42 ♪みこ♪さん
9815 10-24 05:41 亜耶夜羅々さん
9814 10-24 05:34 ♪みこ♪さん
9813 10-24 05:32 ゲストさん
9812 10-24 05:28 亜耶夜羅々さん
9811 10-24 05:27 Yoshkiさん
9810 10-24 05:25 ♪みこ♪さん
9809 10-24 05:24 LottaNymanさん
9808 10-24 05:23 亜耶夜羅々さん
9807 10-24 05:16 ゲストさん
9806 10-24 05:15 ♪みこ♪さん
9805 10-24 05:14 LottaNymanさん
9804 10-24 05:13 ゲストさん
9803 10-24 05:12 亜耶夜羅々さん
9802 10-24 05:10 ゲストさん
9801 10-24 05:04 ♪みこ♪さん
9800 10-24 05:02 ゲストさん
9799 10-24 05:02 ♪みこ♪さん

幻泉館 リンク用バナー

「あの素晴らしい愛をもう一度」(1971年)

『小さな恋のメロディ』のビデオが発掘できず。
だから?、ちゃんと片付けておかないから。

その代わり、サントラ盤CDが出てきた。
これがねえ、いいですよ、なかなか。

今日は好天だったので、夕方仕事を抜けて先週と同じスーパーへ。
広い駐車場屋上で写真を撮っていたら、いつのまにか離れたところで夕陽を眺めている人がいた。
店内を巡回してる社員さんだな。
せっかく独りで見てたのに……などと思ってはいけない。
私の夕陽じゃないんだから。

誰かと一緒に夕陽を眺めたという懐かし話は前に書いたから、今回はもうしませんよ。

夕陽を眺めていて最初にちょこっと思い浮かべるのは、実はスパイダーズの曲。
グループサウンズのころは特に自分で流行歌を聴いたりしなかったのであまり接点がないのだが、従姉たちが聴いていたので印象的なフレーズが染み込んでしまったのだろう。
でも、ちょことだけなんです。
一曲通して歌うことはできないかもしれない。

 >♪ 赤トンボの唄を 歌った空は
やっぱりこれかなあ。
もちろん、北山修&加藤和彦の「あの素晴らしい愛をもう一度」。

内容はなんだか変な歌ですよね。
その、昔の恋愛をもう一度どうしろって言うんだろう。
「心と心が 今はもう通わない」けど、通わそうよと提案しているわけでもないんだよね?
本当、もう一度思い出そう、ぐらいなのかな。

各連がきれいにまとまってますね。
 一番「誓い」「想い出」「花」
 二番「赤トンボの唄」「空」「夕焼け」
 三番「荒野」「涙」「風」

この歌が好きな人は多いけれど、何番が人気あるのかしら。
私はにわか夕焼けマニアですが、圧倒的に三番が好きです。
とても殺伐とした荒れ地。
キラキラとした12弦ギターの音なんかから華やかなイメージのある曲なのに、とても寂しい歌ですね。

若者たちに聞くと、結構学校で合唱したりした曲だそうです。
へぇ?。
あ?
そう言えばですね、私もこれ、大人数で、大声で歌いましたわ。
もう十年ほど前になってしまうのか、「日本を救え」という名前の付いたコンサートが武道館であった時。
一番最後に全員立って歌いました。
おおむね斉唱なんですが、私の隣にいた人が合唱をやっている人らしく、低音のパートをとても大きな声で歌ってくれたので、それに負けないようにめちゃくちゃ声を張り上げました。

今日はタイトルがこんなだけど、色っぽい話は出ませんのです。
ごめんね。


BELLWOOD BOX SETamazonからDMが届いた。
おお、ベルウッドのBOX SET!
発売はだいぶ先だが、忘れないように予約しておこう。
1月が渡さんと恭蔵さん。
2月が六文銭・小室等・及川恒平。
入手不可能になっているアルバムがてんこもりで入ってる。
特に六文銭が嬉しい。
本当はオリジナルアルバムの復刻盤をそれぞれ出してほしいところだが、このセット、高くはない。

【ベルウッド三十周年記念ボックスセット】
[2004/01/10 発売]
●高田渡「ごあいさつ」「系図」「石」
 3枚組 4000-

●西岡恭蔵「ディランにて」「街行き村行き」
 2枚組 2857-

[2004/02/10 発売]
●六文銭「キング・サーモンのいる島」「六文銭メモリアルI」「六文銭メモリアルII」「ボーナスCD」(自主盤EPより)
 4枚組 4000-

●小室等「私は月には行かないだろう」「東京」
 「デッド・ヒート / 74年ライブ」「小室等コンサート70年9月16日」
 4枚組 4571-

●及川恒平「忘れたお話」「名前のない君の部屋」
 2枚組 2857-


—————————————————-
Dear my friends

楽天広場のお友だちのみなさん、こんばんは(おはよう/こんにちは)。
今ちょっと忙しいのですが、少しばかりやっかいなことに関わってしまったかもしれません。
「幻泉館日録@楽天」が突然削除されるようなことになった場合、ここでサイトを再度開くことはいたしません。
自宅の幻泉館本館は続けていきますので、そのような場合はgoogleなどで「幻泉館」を検索なさって遊びにいらしてください。
あるいはhttp://gensenkan.hn.org/~saturate/を非常用にブックマーク(お気に入り)に追加なさっていただけると嬉しいです。
本館は自前のサーバで運営しているのですぐに復旧できますし、その気になれば「あらし」君に対しての迎撃も可能です。
物騒なことを申し上げましたが、あくまでも可能性のお話です。
皆さんにまではご迷惑はおかけしませんのでご安心ください。
ご来館ありがとうございます。
                                                 Sincerely
—————————————————–
【追記】
中途半端な書き方をして御心配をおかけしてしまったようですので、少し説明しておきます。
「幻泉館日録@楽天」内の記述に関してクレームがあったわけではありません。
他人様の争いに首を突っ込んで、また要らない敵を増やしてしまったということです。
[white rabbit2003]さんのサイトが楽天広場から繰り返し削除されていることに関して発言をしたというだけのことです。
[white rabbit2003]さんのサイトが攻撃を受けていることは知っていました。
その争い自体に口を挟むつもりはなかったのですが、楽天広場がサイトの削除を行なうということになると、これは単なるアホな「あらし」という水準の問題ではありません。

楽天広場では、具体的に問題点を指摘することなくサイトを削除される。

つまり、気にいらないサイトをチクって削除させるという手法が有効な場であるなら、以前から「敵」を抱え込んでいるこの日録などひとたまりもありません。
[white rabbit2003]さんが攻撃を受けるのも無理はないとお考えの方もいらっしゃるでしょうが、削除されるのが誰であれ、私は楽天広場がこのような方法で削除を繰り返すことを批判します。
私は自分の自由を守るために、[white rabbit2003]さんを応援するのです。

また、[white rabbit2003]さんを攻撃していた者が、攻撃のためだけに捨てIDを使うなど、非常に卑劣な手法を用いていたのも目撃しております。
—————————————————-
【追記】その2
 すいませ?ん!
 楽天広場のサイト内容をバックアップしておきたいのですが、どうするのが一番楽でしょうか?
 画像は要らないのですが、掲示板のレスは欲しいんです。
 やっぱり表示させてコピー&ペーストするんでしょうか?
—————————————————-

幻泉館 リンク用バナー

虫プロ倒産(1973年)

渡辺真知子さん、誕生日おめでとうございます♪

以下は10/22(水)の記述です。


あいにくの雨空で秋の夕陽が見えないのが残念なのだが、午後雨が上がったのでぼぉっと空を見ていた。
ほんの少しだけ青空が覗いているところは光が差して、白い雲が金色に輝く。
もっと青空が広ければ、「天使が降りてきそうな空」って言うんだろうな。

今日は明るい雨雲と暗い雨雲が墨絵のように空の大部分を覆っている。
空がとっても低くて、大きな龍の鱗が迫ってくるようだ。
ああそうだ、これが竜神だ。

マンガ家入門etc小学生のころはマンガ家志望だったので、秋田書店から出ていた『マンガ家入門』『続 マンガ家入門』を買ってもらったっけ。
お手本として「竜神沼」が載っていた。
石森章太郎さんです。
「石ノ森」じゃなくて「石森」。
石森さんは60年代後半、実験的な表現を繰り返して、油が乗っていました。
「ノ」の字が入ってから、この人のマンガは読んでいません。

手塚治虫さんの虫プロが出していた月刊誌が『COM』です。
本だけは欲しいと言えばすぐに買ってくれたので、小学校5年生ぐらいかな、月刊誌だから何度も繰り返して読みました。

手塚さんの「火の鳥」、石森さんの「ファンタジーワールド ジュン」、永島慎二さんの「フーテン」。
すごい作品が並んでいました。
それに、マンガ家を目指して投稿する人たちの作品が寸評付きで並んでいました。
はせがわほうせいさんや青柳裕介さん、宮谷一彦さんなんかがこの雑誌出身です。
ああ、『ガラス玉』の天才岡田史子さん!

『COM』に関してはまた書くことがあるでしょうが、この虫プロが倒産したのは、私にとって大事件でした。
1973年、私が高校生の時のことです。
実は個人的には、幸せな結果となりました。
虫プロの在庫が古書流通に大量に流れたからです。

近くの古本屋さんは実にしょぼいお店でした。
近所の人が新刊雑誌を予約しておいて取りに行くだけという感じ。
店番のおばあさんが三味線の稽古などしていて、それはそれで風情があったのですが、棚に古本がほとんどない。

唯一、ガロのバックナンバーが時々入るので、それを目当てによく立ち寄っていました。
そこへ虫プロのコミックも入るようになりました。
うれしかったなあ。
覗いてみて虫プロのマンガが入っていると手持ちのお金を全部使って買えるだけ買い、家に急ぎます。
そして小遣いの残りをひっつかんでまたお店に走る、走る、走る。
走らないとなくなっちゃうかもしれない。
ライバルが何人もいたんです。

新書サイズのコミックスは、他社の雑誌・新聞で連載していたものも多かったです。
『ストップ! にいちゃん』関谷ひさし
『がんばれゴンベ』園山俊二
『ゲゲゲの鬼太郎』水木しげる
これ以外のものは散逸してしまったようです。
石森章太郎さんの四六判上製函入り本は残っています。
『おかしな おかしな おかしな あの子』
『二級天使』
『にいちゃん戦車』
『ゼロゼロ指令』
『赤いトナカイ』
発掘すればもっと出てくるのかな。
単なる持ち物自慢でした。


 ♪宮さん宮さんお馬の前に
 ♪ヒラヒラするのは何じやいな
 ♪トコトンヤレ トンヤレナ
 ♪あれは朝敵征伐せよとの
 ♪錦の御旗じや知らないか
 ♪トコトンヤレ トンヤレナ

これは作詞品川弥二郎、作曲大村益次郎 (ほんまかいな?)とされる歌です。
タイトルは知らなかったのですが、まんま「宮さん宮さん」というらしい。

この「宮さん」が有栖川宮熾仁親王。
十四代将軍徳川家茂に降嫁した皇女和宮が元々婚約していた相手は、この宮さんです。
公武合体の犠牲者とも言えます。
そのためかどうか、有栖川宮は熱烈な攘夷論者となり、さらには倒幕の先頭に立ち、錦の御旗を掲げて進軍します。

なんてことを大昔に受験勉強で覚えたような。
このあたりは勉強したというより、講談話みたいにおもしろく読めましたね。

有栖川有栖さんという作家が出てきた時は、ペンネームを見てやられたなと思いました。
有栖川の「アリス」という音が魅力的なんだよね。
新本格派と呼ばれる人たちの一人なんですが、『月光ゲーム』『孤島パズル』『双頭の悪魔』といった、大学のサークルの連中が出てくるシリーズは青春ものとしても読めます。
読んだ後にちょっとせつなくなる感じが好きです。

『双頭の悪魔』はWOWOWでドラマ化されました。
ヒロインの麻里亜役が渡辺満里奈さんで、江神先輩役が香川照之さん。
一応主人公のアリス君の役者さんは名前知りませんが、いい感じでした。
ちょっと浦和レッズの福田選手(ああ、引退したんだ!)に似た感じの人。
『瀬戸内少年野球団』(1984年)や『青春デンデケデケデケ』(1992年)での好演が印象的な大森嘉之君も出ています。
どこかで「ちっちゃな江神さん」とか書かれてましたが、小説と別物だと思えば悪くないと思いました。
テレビで半分しか見てないので欲求不満となり、ヤフオクで中古ビデオを見かけたので衝動買いしました。

もちろんあの詐欺事件のニュースから連想したことです。
全然関係ないのに、テレビに出てくる加納姉妹とかいう人たちのことも連想しました。
なんでしょうかね。

事件そのものに関しては、「被害者なき犯罪」といった感もあります。
「尊族あれば、賎族あり」
松本冶一郎さんの言葉が頭に浮かびます。
尊い血統をありがたがる心性は、反射的に見下すための卑しい血統を求めるものです。
人の心というものはこんなことでずいぶんと醜くなれるのです。

だから、あのケチな詐欺師たちの犯罪が妙に滑稽だったりするのは、私たちが自分の中にある差別的心情を、戯画化して見せてくれるからです。
私の場合はそんなマンガのような犯罪を少し痛快に感じます。
そんな構造は壊したいと望んでいるからでしょう。
逆に、カンカンになって怒る人もいるのかもしれません。
自分の心の中の醜い恥ずかしい部分が滑稽に描かれていることに腹を立てるのです。

幻泉館の近くに社会保険事務所というのがあります。
もう何年も前のことですが、用事があって出かけたら偉そうにした職員のおっさんが窓口で年寄りを怒鳴りつけていました。
わからないから尋ねたら怒鳴られたので、御老人はおろおろしています。
あまりな小役人根性に腹が立ち、オレがそのおっさんを怒鳴りつけてやろうかと思ったら、他の職員が出てきて代わりに御老人に説明してくれました。
温厚な幻泉館主人はこんなふうにカッとなることはあまりないのですが、それはひきこもりぎみで世間様とあまり接していないからかもしれません。
世間にはよくあることなのですか?

だいたいこんなふうに威張りたがる人は人間にランクを付けるものです。
人に飼われている犬が、家庭内の人間にランクをつけるのと同じ。
周囲の人間をランク付けして、自分より上だと思う者にはへいこらして、下だと思う者には威張り散らす。
他人をありがたがる者は、他人を卑しむのである。
簡単に操れるので、支配者にはさぞかし便利な存在だろう。
「番犬」と呼んでもいい。

本当は解放出版社から出ている二冊の本を紹介するつもりでした。
私なりの締め切りに間に合わず、時間切れ。
明日はまた明日の風が吹きます。

お薦め図書
『近代の奈落』宮崎学著 解放出版社刊
 四六上製 475p 定価 2000円+悪税

『放送禁止歌』森達也著 解放出版社刊
 A5並製 189p 定価 1800円+悪税

あ、文庫化されてる。
『放送禁止歌』森達也著 知恵の森文庫
 文庫版 定価648円+悪税

幻泉館 リンク用バナー

渡辺真知子「かもめが翔んだ日」(1978年)

幻泉館日録はタイトルと内容が一致しないことが多いですね。
ごめんなさい、♪迷い道くねくね♪生きてます。(「迷い道」渡辺真知子 1977年)

うるとびーずさんが10/21付けの「うるとび日記」で『小さな恋のメロディ』をわかりやすく解説なさってるので御覧ください。
私の記述では、映画を観ていない人には何がなんだかわかりませんよね。
封切りで観た当時に思った以上にこれはいい映画なのではないかと思うようになりました。

二人でトロッコを漕いでいくラストシーン、いいですね。
映画のラストというのは心に残るもので、『明日に向かって撃て!』(1969年)のブッチとサンダンスは、ボリビアを目指して飛び出したままずっとストップモーションです。
撃たれて蜂の巣のようになってしまったに決まってるのに。
バート・バカラック良かったですね。
『卒業』(1967年)のラストはハッピーエンドのようでいて、でもやっぱり破綻を予期させるものだと思います。

掲示板のレスに使った「遠くまで行くんだ」は、実は白土三平さんの『忍者武芸帳』(1959年)が頭にありました。
処刑される前に影丸が言うのです。
「われらは遠くから来た。そして遠くまで行くのだ」

元は吉本隆明の詩なんでしょうか。
三平さんのオリジナルなんでしょうか。
あるいはもっと先に出典があるのでしょうか。
いずれにしても、新左翼の人たちが一時期この言葉を好んで用いていたのは確かです。

『忍者武芸帳』はずっと後になってから読んだものです。
リアルタイムで読んでいたのは、『忍者武芸帳』の影丸と敵対するはずの体制側の手先「伊賀の影丸」(横山光輝)が主人公の方のマンガです。
『忍者武芸帳』は大島渚監督が紙芝居みたいな映画を作りましたね(1967年)。

「我々は“あしたのジョー”である」と言って赤軍派よど号グループは北朝鮮に渡りましたが、あの人たちは本当に遠くまで行ってしまいました。
ニッポンの受験制度の中で勝利者であったとしても、それは正しい判断力を持っていることの証明にはならない。
金日成をオルグするどころか、頭の中を主体思想で染め上げられてしまったようです。
当時は彼らもまだ若造君だったのだ。
痛ましい。
私は赤軍派の戦略は間違っていたと思うのですが、当時あのハイジャックはちょっとかっこいいなと感じました。

『小さな恋のメロディ』のラストシーンの話なんですが、幻泉館主人には一緒にトロッコを漕いでいる人はいないのかという御質問をいただいたので、少し考えてみました。
おりませんよ、はい。
なぜいないんだろう?

わかりにくいたとえ話をしますと、たとえば私が二輪のライダーだとします。
それで、私の後ろに乗っけてよと言いたがるタイプの女性は苦手だったんです。
タンデムなんて恐くてしかたがない。
他人様の後ろにもあまり乗りたくないです。

気持ちよさそうだから乗り方を教えてと言ってくるタイプが好きだったんですね。
う?ん、そういうタイプがとりわけ好きというわけでもないかもしれない。
教えてやるよとふれまわるわけでもないんですが、こういう女性も結構現われてくれたわけです。
そういう女性でないと近づいてこなかったというのが本当のところかな。

それでその人がそこそこ乗れるようになると、二人で走り始めるわけです。
二台のオートバイで。
とても楽しいですね。
その時には、ずっとこうやって走り続けられるような気がします。
でも、ふと気づくと独りで走ってるんです。
あの人はどこに行ってしまったんだろう。
いくつか前の脇道に逸れていってしまったのかもしれないし、どんどんスキルが上達したので私みたいな亀ライダーは置き去りにして行ってしまったのかもしれない。

♪あなたは一人で生きられるのね♪という言い方をされたことが何度もあります。(「かもめが翔んだ日」1978年 渡辺真知子)
よく誤解されるところです。
独りで生きることができそうに見えるのかね。
人は独りでは生きられないのよ。
私も独りでは生きられないんです。
でも何度か言われたことがあるってのは、よっぽど協調性がないのかね。
確かにないです。
内容的には命令文なのかな。
「あんたは独りで生きなさい」とか「あんたとはもう関わりたくない」ってことかな。

渡辺真知子 70年代シングル盤もうおわかりだと思いますが、渡辺真知子さんについて書こうとしているようです。
っつうか、タイトルに書いてあるじゃん。
あ、違いますよ、「やもめが翔んだ日」じゃありませんよ。
かもめです、かもめ。

ところで「かごめ」なんですけど、あれを「かもめ」だと思い込んでる人も多いみたい。
「籠目」なんですよね、鳥じゃありません。
「夜明けの晩」「後ろの正面」と、矛盾した言葉がかなり恐い歌ですね。
「籠の中の鳥」というのは死刑囚の隠喩なんでしょうか。
【追記】
 「後ろの正面」は「真後ろ」のことではないと思います。
 「夜明けの晩」がありえない時間帯であるのと同様、ありえない空間のことです。
 ただ、「本当は恐い●●」シリーズみたいなのもいやなので、矛盾した内容をおもしろがるナンセンスソングということでもいいですよね。

すいません、無謀です、真知子さんのこと全然わかってません。
特にファンでもないのですが、でもこうやって書いていてすぐに真知子さんの歌の言葉が出てくるというのは、身体に染み込んでいるのでしょう。
親父の地口でありますよね。
「別人28号」とか「いたれりつくせり石川セリ」とか。
これ、染み込んじゃってるんです。

真知子さんのことはよく知らないので、しかたがなくgoogleなどしてみます。

> 生年月日1956年(昭和31年)10月23日
すごい!
明日誕生日じゃないですか。
同い年です。

> 出身校 洗足学園短期大学 音楽科(声楽 ソプラノ)
ああ、声楽やってたんだ。
声量あるわけだね。

> 血液型 B型
おお! 同じだ。

> 身長:158cm:体重:51kg
これはデビュー時なので、今はきっともっと……むにゃむにゃ……。

私は真知子さんと並ぶと結構カタチが似ているかもしれない。
幻泉館主人、いい齢していまだにかわいいと言われることがありますが、かっこいいと言われたことは一度もございません。
「かわいい」ってのはクセモノでね、ムーミンやトトロだってかわいいんですから。
そうそう、プロフィールの画像変えました。
誤解されるようなので、文句が出ないやつに。

もう書くことないか。
え?、私はもの静かな人間なので(ホントだってば!)、静かな人と二人になると困ってしまいます。

「……」
「……」
「……」
「……」

これでは困るでしょ。
恋でもしてる時はそれでもいいんですけど、そんな機会は絶えて久しい。
う?んと久しい。
ただただ対人関係というレベルの話ね。
だから、元気のいい人の方が気が楽です。

「☆★○●◎◇◆□■△▲▽▼※!」
「えへ……」
「√∽∝∵∫∬ʼn♯♭♪†‡¶?」
「ええ、まあ……」

ね、楽チンでしょ。
よく誤解されるのですが、渡辺真知子さんみたいなおばさんは、嫌いではありません。
同級生にこんな人いたような、そんな感じのする懐かしい歌い手さんです。
歌は好きなんですが、一度もレコード買ったことがない。
それでは書けませんね。

よく知らないことについて書くのはやっぱり無理があったので、真知子さんが華々しくデビューした70年代末のことを少し。
ドキュメンタリー映画をよく見に行きました。
映画館よりも、四谷公会堂みたいなところが多かったでしょうか。
土本典昭監督の水俣作品、小川紳介監督の三里塚作品。
こういうものはいかにも運動やってますよみたいな人が多くて、下手なこと言うと怒られそう。
私はただただ映像作品が見たくて行ってるわけです。

自主上映というような形でしか見ることのできない監督に、原一男さんがいました。
そうです、80年代末に『ゆきゆきて神軍』で妙にブレイクしてしまった原監督です。
この人の『極私的エロス・恋歌1974』がショックでしたね。
原監督が同棲していた相手「武田美由紀」さんを撮った映画です。

一緒にカメラを回しているのは、制作の小林佐智子さん。
つまり、美由紀さんが昔のオンナ、佐智子さんさが今のオンナです。
美由紀さんが沖縄へ行くのを追います。
美由紀さん、佐智子さんの出産シーンがセンセーショナルな売り方をされた作品です。
この武田美由紀さんには圧倒されましたね。

お、DVDが出てるわ。

一月に本屋さんでもらった草思社のPR誌「草思」二月号に、『放送禁止歌』『A2』の森達也さんの「自らを撮る映画の氾濫」という文章が掲載されていました。
森監督と原監督が、学生のドキュメンタリー映画祭で審査員として参加した話が書いてあります。
タイトルからもわかるように、学生たちの作品うまいこと作ってはいるのだが、ほとんどが存在の不安を契機とする「自分探し」の個人映画(セルフドキュメント)なんだそうな。
まあ、ナルちゃんの氾濫、かね。
いまどきの若い者が、「他者性への眼差しや意識が希薄化」しているのは私も大いに感じているところであります。

原一男監督 ビデオ

幻泉館 リンク用バナー