五つの赤い風船「時々それは」(1971年)

お、今日で楽天広場参入一ヵ月です。
Lycos難民の皆さん、お元気ですか?
私は正確にはLycos難民ではないのですが、この別荘が気に入っています。

ただいまエイベックスとアマゾンの共同企画で、URCの復刻盤予約を受けつけています。
数を確保してプレスしたいという商売で、アマゾンだけの限定販売になるそうです。
このため、五つの赤い風船がURCで出したオリジナルアルバムはすべて入手不能となっています。
(高田渡さんとのアレはどこでも普通に買えます。)
発売が決定した場合の購入には再度予約手続が必要で、購買義務がないそうです。
つまり、予約とはいいながら、人気投票のようなものです。
是非是非アマゾンのサイトを訪れて、風船の「発売未定」のアルバムを「予約」してください。
E-mailアドレスを入力するだけです。
フリーのメールアドレスでかまいせん。

東芝EMIで出していたものは予約の数が集まりにくいので、もうプレスしないかもしれません。

『おとぎばなし』
『巫OLK脱出計画』
『五つの赤い風船 イン・コンサート』
『New Sky (アルバム第5集 part1)』
『Flight (アルバム第5集 part2)』

また、今までにCD化されていないアルバムもこれを逃すと、エイベックスの契約が切れるまで待たなければならないことでしょう。
個人的には『ゲームは終わり(解散記念実況盤)』を切望しております。
中古で買ったけど、状態がいまいちなんです。
レコード収録曲が完全復刻された場合は、斉藤哲夫とアーリータイムス・ストリングス・バンド、加川良、IMOバンド、岡林信康、加藤和彦の演奏もあるはずなんですが、入るのは風船の演奏だけかな?

五つの赤い風船『ゲームは終わり(解散記念実況盤)』

よろしくお願いいたします。
他にもアマゾンにはURC復刻投票リストとも呼ぶべきアルバムがいろいろあるので、じゃんじゃん投票しましょう。

【追記】おっと、楽天広場ではアマゾンへのリンクは蹴られてしまうことがわかりました。
ちっ。
リンク切りましたので、お手数ですがamazon.co.jpで「五つの赤い風船」を検索して、「予約」してください。


花の女子高生デインジャラスりえどん(仮名♀)が、五つの赤い風船にハマった。
ますますデインジャラスである。
うちにある風船のCDを次々に貸したので、並みの四十代よりずっと風船に詳しくなっている。
フー子さんの声がいいと、実に的確な感想である。
『五つの赤い風船 イン・コンサート』など、昔のコンサートの様子が今の若者には非常に新鮮なものに聞こえるようだ。

LPというものを見たことがなかったそうで、たまたま手元にあった『ゲームは終わり(解散記念実況盤)』(1972年)を見せると、その大きさと重量感に驚いていた。
値段も今よりずっと高かったんだよ。

考えてみると、復刻盤CDのジャケットはしょぼい。
元々あの大きさのLPジャケットを想定してデザインしたものであるから、どうしてもミニチュア、おもちゃみたいな感じになってしまう。
紙ジャケの復刻CDは楽しいけれど、それは例の食玩の楽しさに似ている。

ここから下が、書いたまま転載しなかった日録です。


今夜は本当は夜なべ仕事をしなければならないのだが、やめ。
ROOTS MUSIC DVD COLLECTIONのDVDを観ることにする。

五つの赤い風船Vol.1『五つの赤い風船』。
よく見ると、小さな字で「再生ドキュメント」と書いてある。
映像ではさらに「五つの赤い風船2000」になっている。
そうだよな、そりゃそうだ。
わかっちゃいるけど、そりゃそうだ。

収録曲(ライブ)
 #1 恋は風に乗って
 #2 風がなにかを…
 #3 遠い空の彼方に
 #4 上野市
 #5 血まみれの鳩
 #6 悲しみが時を刻んでいる
 #7 遠い世界に

このシリーズは他の4枚は本編約1時間なのだが、これだけが90分と長い。
まだ渡さんのしか見てないが、風船の方がずっとドキュメンタリーという雰囲気が強い。
再結成ではなくて、「再生」というタイトルになっている。
「新生」風船ですね。
オフィシャルサイトがあるはずなので、新生風船に関してはgoogleしてそちらをご覧ください。

新生風船が歌う「恋は風に乗って」、いい曲だ。
いい曲なのだが、悲しいことに西岡のおっちゃん、昔のようには声が出ていない。
残酷だなと思う。

昨夜観たのは渡さんがギター一本で弾き語りをする姿だった。
90年代末の映像。
歳をとっているのだが、それはあのMartin D-28と同じで、実にいい味になっている。
URCから出た片面ずつの不思議なLP『高田渡/五つの赤い風船』(1969年)の渡さんより、90年代末の渡さんの方がいい。

風船の場合はまた別の世界だと思う。
五つの赤い風船2000はいい。
心が温まる。
でも、五つの赤い風船は本当にもっともっと、ずっと凄かったのだ。

私はナマで五つの赤い風船を観たことがない。
たぶん中学3年の夏休み、友達の家に行くと大学生のお姉さんが帰省していた。
さわやかな元気のいい人で、僕たちを海に連れていってくれたりした。
今思えば『Flight』(1971年)なのだが、レコードをかけて一緒に大きな声で歌っていた。
素敵だなあと思った。
大学生ってこうなんだ!
実際に大学生になってみると全然そうではなかったのだが、それは自分の責任です、ハイ。

五つの赤い風船の曲は何かが変だった。
人数のわりにはやたらに色々な楽器を使うこともあるが、なんといってもコーラスが不思議だった。
低い女声(フー子さん)と高い男声(西岡さん)が互いの声を真似ているようで、どっちがどっちかよくわからなくなる。
まさに独特なサウンドだった。
ジャケットの雰囲気もペイネの絵のようだったりして、当時の「フォークソング」とはまったく違うものだった。

元々西岡たかしさんはデザインが専門の人なので、その音の世界もデザインと同じようにコラージュしていったのだろう。
色を重ねていっては壊す。
天才西岡たかしの楽曲は、常に破壊への衝動を孕んでいた。
風船は当時の他の「フォーク」に比べれば明るくて洗練されたイメージがあるのだが、同時に何かとても暗く、壊れている部分があった。

風船の出発は西岡たかしさんの部屋だという。
最初は中学生の有山じゅんじさんがいたなどというのは、ずっと後になって知ったことである。
中川砂人(イサト)さんは途中で喧嘩別れしてしまう。
西岡さんがガット弦による演奏を指定していたのに、イサトさんがスチール弦での演奏をステージで強行したのが直接の原因なんだそうな。

当時のレコード制作事情からどうにも不思議なことになっているが、1st『高田渡/五つの赤い風船』の風船部分と、2nd『おとぎばなし』を一つにまとめると、とんでもない傑作アルバムができあがる。
これ、明日にでも作ろう。
同様に双子の第5集アルバム『New Sky』『Flight』(1971年)も一枚に収まるかな?

実に悔しいことなのだが、私はこの『New Sky』を長いこと知らなかった。
人生を半分損した気がする。
今なら「アシッド・フォーク」などという呼び方をされてしまうのだろう。
札幌の町を歩き回って拾った音がコラージュされている「時々それは」は大傑作である。
1曲23分。

 ♪死人の顔と 皮膚のたるみが♪
 ♪紫に暗い沼に向って走っていく♪

 ♪お前は死人の顔を引きずっては♪
 ♪まだ明けもせぬ 町並みを歩く♪

気持ち悪いっしょ。
数年前、私は寝る時にこの「時々それは」をぐるぐるぐるぐる繰り返してエンドレスで聴いていたのです。 
その頃いやなことが相次いで起きました。
実に不吉な佳曲です。
この曲の後に、最近の私の愛唱歌「私は地の果てまで」が続きます。

 ♪苦しいからって 逃げないでいるのは♪
 ♪あなただけ なのでしょうか♪

 ♪色んな夢があなたをさそい♪
 ♪そしてあなたを狂わす♪

これもかなりシュールですね。
教科書に載るような風船とはまったく違う世界があります。

ああ、いいなあ。
藤原→東秀子さんのボーカル。
最後の解散は、西岡&長野は風船を続けたかったのだが、トン&フー子がもう風船を続ける気をなくしたということだそうです。

楽譜:私は地の果てまで

幻泉館 リンク用バナー

ピート・シーガー「わたしが一番きれいだったとき」

【追記】No.2

本文中の書籍『虹の民におくる歌』は完売したそうです。
リンクも外しておきます。

【追記】No.1

いただいた質問

> 「虹の民」Rainbow Raceというのはどういった意味あいなのでしょう?
> PeopleではなくてRaceなのでRainbowは肌の色でしょうか?

「虹の民」はピート・シーガーの曲にもあります。
中川五郎さんの訳詞の「虹の民」が、反核・反原発の集会やデモでよく歌われました。

「虹の民」の原題も”My Rainbow Race”で、「people」ではありません。
これは本人ピートさんの弁では「地球へのラブソング」なんだそうです。
「one blue sky, one ocean, one earth」という詞が出てくるので、地球上の人々は「one race」であると歌っているのだと思います。
質問されるまで気づきませんでしたが、確かに「rainbow」は様々な肌の色を指しているのでしょう。

ちなみに、「虹の民」は1967年にピートさんが雑誌で見たヤマハの「世界歌謡コンテスト」に応募するために作ったんだそうです。
優勝賞品は日本への無料旅行。
あっけなく落選したそうです。


12弦ギターの良い教本はないかしらと探していたら、ピート・シーガーさんが出してました。
翻訳は出ていません。
amazon.co.jpでは品切れ。
amazon.comなら買えるようだけど、ちょっと待ってみます。
ピートさんが出している、5弦バンジョーの教本は日本でも買えます。

大昔ですが、「セサミストリート」にピートさんが何度かゲストで登場してました。
この人のバンジョーはやけにサオが長いなあと思ったのですが、やはりあれは特注品でした。
バンジョー奏者、そして12弦ギターの奏者としても有名なんですね。

そんなことをしていて見つけたのが、ピート・シーガー著『虹の民におくる歌』(社会思想社 本体7500円+悪税)。
だいぶ前に見かけて、ちょっと欲しいけど高いなあと手が出ませんでした。
ところが、版元の社会思想社が倒産してしまいました。
あ、あの本どうなったんだろ?
と思ったら、高石ともや事務所でかなりの部数を買い取ってくれたようです。
5000円+送料400円で買えるようになっているのを見つけました。

虹の民におくる歌
こういうふうにして、『虹の民におくる歌』が届きました。
B5の天地を4cmほど切り落したような変形版で、本文は250ページ程度。
予想していたよりずっと薄い本で、定価が7500円では誰も買わないだろうという感じです。

いくらなんでもこの定価はないだろうと思ったら、「日本語版への序」を読んで謎が解けました。
初版のうち1000部を日本中の図書館に寄贈したのだそうです。
もちろん増刷・重版などなかったはず。
ああ、社会思想社よ、安らかに眠れ!

ぱっと見、読みにくそうな本。
ピートさんの回想が、必ず楽曲の楽譜と共に語られている。
ギター片手に、あるいはバンジョー片手に読む本なのだろう。
ただ、歌詞が微妙。
つまり、日本語訳部分は、歌うための詞ではなくなっているからだ。
意味を伝えるための翻訳で、これでは歌えない。
アメリカ語を母語としていないのだからしかたがない。

でも、本の内容はとても濃いです。
ピート・シーガーさんはさすがに筋金入りであります。
日本で脱色されて商売になった「フォーク・ソング」のうさん臭さがよくわかります。
本田路津子さんの訳詞でヒットした「ひとりの手」の原詞が載っているのだが、まあ驚きました。
(私がモノを知らなかっただけか。商業主義の代表みたいな言及の仕方で、本田さんには申し訳ない。)

原曲”One Man’s Hand”の作詞者はアレックス・コンフォート(Alex Comfort)というアナーキストです。
数学者なんだそうで、1950年代にバートランド・ラッセルが率いた核軍縮の運動に参加して、この歌を作ったそうです。

  ♪Just my hands can’t tear a prison down♪
  ♪Just your hands can’t tear a prison down♪

tearは「涙」じゃなくて、「引き裂く」のテアですね。
だから、

  ♪私の手だけじゃ牢屋は壊せない♪
  ♪君の手だけじゃ牢屋は壊せない♪

と歌ってるんです。
「何もできない」と歌うのではなくて、もっと具体的に何をしたいかはっきり主張している、戦闘的な歌です。

 2番以降は
 「私の声だけじゃ彼らに届かない」
 「私の力だけじゃ原爆は止められない」
 「私の力だけじゃ人種差別は破れない」
 「私の力だけじゃ組合は作れない」
 「私の足だけじゃこの国を横断できない」
 「私の目だけじゃ未来をはっきり見ることはできない」

朝鮮戦争、マッカーシーの赤狩りの時代に、ピートさんは公の場でこれを歌ったわけですよ。

ギターとバンジョーのチューニングや、メロディや歌詞の話、自分と関わった人々の話と、いろいろ楽しいです。
分冊・完訳にしてほしかったなあという気がします。

この本での大きな収穫の一つは、茨木のり子さんの「わたしが一番きれいだったとき」の英訳にピートさんが曲を付けた”When I Was Most Beautiful”の楽譜が載っていること。
やっと見つけたという感じです。

 > わたしが一番きれいだったとき
 > 街はがらがら崩れていって
 > とんでもないところから
 > 青空なんかが見えたりした

この詩が

 > When I was most beautiful,
 > Cities were falling
 > and from unexpected places
 > blue sky was seen.

こんなふうに訳されてます。
訳詞の場合、素直な散文ではあるけれど、詩にはなっていないような気がしますが、これは仕方ないか。
私なんぞが偉そうに言えることではありませんな。
ボブ・ディランの訳詞で有名な片桐ユズルさんの翻訳です。
ピートさんが来日した時にユズルさんの訳詩に出会って曲を付けたという話です。

さて、どうして「most beautiful」に「the」が付いていないんでしょうか。
これは一人の人物の変化を比べているので、形容詞の最上級だけど「the」をつけちゃいけないんですね。

残念ながらピート・シーガーが歌った音源はまだ見つけていません。

わたしが一番きれいだったとき

幻泉館 リンク用バナー

林亭「わたしが一番きれいだったとき」(1973年)

中山ラビさんのところからライブの案内をいただきました。

> 10/25(土) 吉祥寺スターパインズ・カフェ
> open 6:00pm  start 7:30pm
> 中山ラビ ゲスト:泉谷しげる
> 前売り3500円 当日3800円 +ドリンク
> チケットぴあ9/12  SPC9/6より
> 要予約 問 ほんやら洞042-323-4400

あれま、また行けないわ。
どなたかライブの様子を観てきて教えてくださいませ。


今では分別あるオトナなのでやりませんが、学生時代の私はハタ迷惑な習慣がありました。
部屋に泊まりに来たやつに、詩を読んできかせるのです。

今はなき劇団カクスコで、中村育二さんが歌本を見ながらギターを弾き語りするというおなじみの風景がありました。
アレももちろんやりました。
自分の好きな曲を、自分の好きなキーで、自分の好きなテンポで歌うわけです。
なぜか夜中ですね。

そういうことをする人は多かったと思いますが、私の場合はさらに興が乗ると、ベッドの下から詩集を引っ張り出して朗読して聞かせるのであります。
実に迷惑な話です。

あ、本箱持ってなかったんです。
四畳半に机とベッドを入れたので、本を飾っておく場所なんかないのです。
こんな場所に十人の人間が寝たこともありました。
女の子もいたのにすごいですね。
若さというよりバカさです。

中野重治、山之口貘、三好達治、石川啄木、中原中也、草野心平、宮澤賢治……。
ま、なんでもありなんですが、基本的には翻訳ものはなし。
それでも魯迅の散文詩を訳したものとか、金子光晴訳ランボー「いちばん高い塔の歌」なんかは例外的に朗読いたしました。
知ってそうでいて知らない詩を聞かせて、「これいいいね?」と言ってもらえるのが嬉しかったのです。

ベッドの下に突っ込んである本の中からのリクエストもありまして、女の子たちには谷川俊太郎さんの「男の子のマーチ」が一番人気でした。

 > おちんちんはとがってて
 > 月へゆくロケットそっくりだ

ってやつね。とほほ。

で、私は茨木のり子さんの詩が大好きだったんですが、これが読みにくいんです。
「うまく読めた!」とならないんです。
「わたしが一番きれいだったとき」という有名な詩、これがなあ。
冒頭一連はすごくリズム良く行きそうなんだけど、途中で変拍子になって、ごにょごにょごにょ……竜頭蛇尾。
不思議だなあと思っていたのですが、半年ほど前の毎日新聞で吉本隆明さんが書いてました。

 > 茨木さんの詩のもう一つの特色は、言葉で書いているのではなくて、人格で書いているということだ。

さすが腐っても吉本リュウメイ。
一発で核心を突いてくれました。
なるほど、ワタクシの人格修業が足りなかったんですね。
敗戦直後のカラっと晴れた青空の下、元気よくブラウスの腕をまくって歩く女性の域に、私は全然達していないということです。
もちろん今でもダメだべ。

ところでこの「わたしが一番きれいだったとき」は、ずいぶんたくさんのソングライターたちの心を揺さぶったようで、何人もの人が曲を付けて歌っています。
ちょっとラグタイムっぽい雰囲気で男の人が歌っていたのを覚えていたのですが、ずっと誰なのかわかりませんでした。
それが、つい最近判明してうれしく思っています。

意外におなじみのところでした。
よく高田渡さんと一緒にやっている佐久間順平さんが、以前大江田信さんと一緒に「林亭」というデュオをやってまして、ソレでした。
ヤフオクなんかで出るとすごい値段が付いていた自主制作アルバム『夜だから』に入っています。

オリジナルのアルバムは1973年、二人の大学生が15万円ずつを出しあって作った自主制作のレコードであります。
当時の15万円はかなりな金額。
下手すると貧乏学生の半年分の生活費ぐらいだったかも。
写真を見ると、フラットマンドリンやギターもかなり良いものをお使いだったのではなかろうか。
演奏もうまいのですが、そういう意味でもすごいなあ。

制作枚数200枚。
高田渡さんが絶賛したりしたおかげで、すぐ売り切れたそうです。
あ、これはぐゎらん堂では、なんて写真も。
CDはそれからおよそ20年後の1992年に復刻されたものです。
それからさらにまた十年後、こうやってまだ初回プレスが売れ残っている……のかな?

林亭『夜だから』CDが届いて早速聴いてみると、私が大昔にラジオで聴いた「わたしが一番きれいだったとき」は、やはり林亭が歌っていたものでした。
ラジオで耳にしたのは高校生の時だったでしょうか。
ずいぶん久しぶりに出会う音源で、さすがに感慨深いものがありました。

他の曲なんですが、やけに名古屋にいる女の子というのが出てくるのも、ちょいときます。
そう、きれいな思い出(=片思い)の女の子が、名古屋で学生生活を送っていたのであります。
これでまた、少しだけ胸キュン。

明日は、もうひとつの「わたしが一番きれいだったとき」について書かせていただきます。

幻泉館 リンク用バナー

ルー・リード「ワイルドサイドを歩け」

amazonからCDが届いた。
ルー・リードのベスト盤。
本館掲示板でのSHIZUMU殿の書き込みから聴きたくなって注文したCDですね。
ベスト盤が何種類かあったけど、カスタマーレビューで納得してこれに決めました。
早速仕事をしながらぐるぐるリピートで聴く。
おお、ええなあ。
当たりだと思います。
特に入れ込んでるわけでなければ、このぐらいのCDが、コストパフォーマンスが高くてよろしいと存じます。

Walk on he Wild SideWalk on the Wild Side: The Best of Lou Reed [FROM US] [IMPORT]
Lou Reed
U.S. 定価: $17.98
価格: ¥1,684+悪税
1. Satellite Of Love
2. Wild Child
3. I Love You
4. How Do You Think It Feels
5. New York Telephone Conversation
6. Walk On The Wild Side
7. Sweet Jane
8. White Light/White Heat
9. Sally Can’t Dance
10. Nowhere At All
11. Coney Island Baby

御年六十一歳のルー・リード、来日中なんだ。
ちっとも知らなかったわ。
数日前の報道だけど、大阪ライブの後阪神フィーバーに驚いたとか、ニューヨーカーであるルー・リードが「MATASUI(松井秀喜)のおかげで僕の周りも東洋に興味を持つようになった」は変。
スポーツ報知のインタビューじゃしょうがないか。

タイトルになっているのが、ルー・リードのヒット曲「ワイルドサイドを歩け」。
私がこの曲をよく聴いたのは、実は80年代になってから。
『タイムズ・スクエア』(1981年)という映画に使われてからです。
遅れてる?。

映画の方はわがまま娘がみんなに迷惑かけるといった内容なんですが、年齢がバチっと合ってしまった人には、心に残る青春の一ページとなったことでしょう。
パティ・スミスやラモーンズの曲もかかります。
重要なDJの役が『ロッキー・ホラー・ショー』(1975年)のティム・カリー。
彼はトム・クルーズ主演の『レジェンド 光と闇の伝説』(1985年)では闇の魔王という役もやっていてなんか化け物系役者さんみたいだけど、『タイムズ・スクエア』ではちゃんと素顔出してます。

映画としては『ロッキー・ホラー・ショー』なんかの方が全然おもしろいと思いますが、『タイムズ・スクエア』のサントラ盤は、実にいいんですよ。
CDが見つからなかったので、LPから手製復刻盤CD-Rを作成しました。
The Rocky Horror Picture Show はサントラCD買いましたよ。
これは映画見てないとつまらないでしょう。
でも、『タイムズ・スクエア』の方は、映画見てなくても実にいいアルバムです。
つまり、音楽に依存した映画だったんだな。

で、話をルー・リードに戻すと、苦手領域なので、あまり多くを語れないんですよ。
Velvet Underground & Nicoの有名なアルバムありますね。
でも、バナナのジャケットと言われても、私、高田渡師匠のアルバムが頭に浮かんでしまうので。
どうもアンディ・ウォーホールって接点を感じないのです。

「ワイルドサイドを歩け」にしても飄飄として素敵な曲なのだが、内容は性倒錯ですね。
その辺がダメみたい。
そういえば、その昔「YMCA」が西城秀樹さんでヒットしましたが、奇妙でしたよね。
日本国中元気に♪わ?いえむし?え?!♪って踊ってたけど、どうなのよ。

たとえば知り合いがゲイだとカムアウトしても、そうですかぐらいの感じしかしない。
知り合いが、じつはカツラかぶってるんだとカムアウトする方がショックかもしれない。
その程度には寛容だけど、でも積極的に関わりたいとは思わないという感じ。
これは、性的欲望には多分に「作られた」部分があると思っているからだろう。
どこまでが嗜好で、どこから病気になるのかわからない。
というか、あまり興味がない。

だいたいいい齢して結婚していないと、町内会では半人前だったり、あの人どこか悪いんじゃないかと言われたりする。
ええ、どこか悪いんです。
反社会的性格かもしれません。
お姉さんキャラなので、ゲイ疑惑というのもよく受けましたわ。
(嘘です、今はオバちゃんキャラです。)
でも、そういうわけでもないんですよ。
と、弁解で終わります。

あ、しまった!
またもや昨夜書いておいた分を書き込むのを忘れた。
「五つの赤い風船」でした。

幻泉館 リンク用バナー

高田渡「ブラザー軒」

ROOTS MUSIC DVD COLLECTIONがやっと届く。
5枚あるのだが、何はともあれVol.2、我が心の師匠高田渡大先生の巻をありがたく再生させていただく。

内容はCS第一興商ch.「ザ・フォーク」で放送した番組そのまま、スタジオライブ&インタヴュー。
インタヴューは一回目はまあいいけれど、二度は見たくないなあ。
ヒマができたらPCに吸い出してスタジオライブだけまとめるか。

ライブは観客なし。
大島渚監督『絞死刑』の舞台になっているような部屋で、渡さんが淡々と弾き語り。
これはいい。
おお、これはマーチンD-28じゃないか。
すごい色になってる。
1949年生まれの渡さんと同じ齢のギターだそうだ。

実に音がいい。
うちのピカピカ弩級28号君ととは大違い。
もちろん弾き手も大違いなのだが。
インタビューで渡さんが言っているが、これはやっぱり当たりのマーチンで、中川イサトさんやなぎら健壱さんが狙っているそうな。

本編56分のDVDで、ライブ収録は13曲。
ベスト盤みたいな選曲なので、音声のみ取りだしてCDにするという手もあるか。
高田渡師匠
 #1 仕事さがし
 #2 スキンシップ・ブルース
 #3 アイスクリーム
 #4 69
 #5 鮪に鰯
 #6 値上げ
 #7 コーヒーブルース
 #8 鎮静剤
 #9 年輪・歯車
 #10 夕暮れ
 #11 生活の柄
 #12 ブラザー軒
 #13 トンネルの唄

渡さんは60年代末から歌っているのだが、主にアメリカのフォークソングやブルースのメロディに、現代詩をのせて歌うという不思議な手法を開発してしまいました。
思えば私が山之口貘やラングストン・ヒューズの詩集を買ったのは、渡さんのおかげであります。
つまり、師匠と呼んでいい人なのです。
吉祥寺東急デパートの裏あたりで、酔っ払っておまわりさんにからんでいた姿も、私の師匠そのものであると言えます。

加川良さんの『親愛なるQに捧ぐ』(1972年)に「下宿屋」という曲が入っています。
渡さんのことを歌ったもので、そこで岩井宏さんやシバさんに出会ったことなどが出てきます。
渡さんのお父さんが酔いどれ詩人であったことも出てきます。
これは知識としては知っていたのですが、具体的にどのような生活だったのか私が知ったのは、最近です。

二年ほど前に高田渡さんが『バーボン・ストリート・ブルース』(山と渓谷社)という本を出しました。
ここに、幼少時の極貧生活や父上である詩人高田豊のことを語っています。
そうだったんだ、という感想です。
これだけだとなんだかわからないと思いますから、ぜひ買ってお読みください。
あるいは、図書館でリクエストしてください。
定価は本体1,500円+悪税です。

昨年のことですが、NHK BS-2で『世界・わが心の旅「ドイツ 僕と生きてきた詩(うた)」高田渡』を見ていたら、やはりお父さんのことが出てきました。
今日観たDVDのインタビューでも、高田豊『詭妄性詩集』を取りだしていました。
宝物なんですね。

ところで、渡さんはURCからアルバムを出していたのですが、1972年にキングから『高田渡 ファーストアルバム ごあいさつ』というアルバムを出します。
バックではっぴいえんど、キャラメルママの面々が参加しているので、妙な「はっぴいえんど史観」に染まった若者が買ったりすることもあるのですが、今の復刻盤CDだと、最初に付いていた三橋一夫さんの感動的な解説が落ちているようです。
若き高田渡の情熱がじわっとくるエピソードが書いてあったんですよ。
あれは削らないでほしかったなあ。

ブラザー軒ああ、そういえばこの春から仙台で学生生活を送っているサユさん(仮名♀十代)がブラザー軒を見てきて、報告してくれました。
結婚式場があるようなビルなんだそうです。
画像はサユさんが携帯で撮ってくれた「ブラザー軒」。

「ブラザー軒」は菅原克己さんの詩に曲を付けた作品です。
七夕の夜、「僕」の前に亡くなった父親と妹が現われます。
妹さんは幼くして亡くなったのでしょうか。
一所懸命にかき氷をほおばる妹を「僕」は見守るのですが、「二人には声がない 二人には僕が見えない」のです。
硝子暖簾という、郷愁を誘う描写が出てきますが、今のブラザー軒に硝子暖簾は掛っていないそうです。

ちなみに、半年ほど前に不可能性に挑戦して私が作ったマイベストMD「高田渡編」は次のような選曲となっております。
 #1 年輪・歯車
 #2 鮪に鰯
 #3 自転車にのって
 #4 生活の柄
 #5 長屋の路地に
 #6 系図
 #7 鎮静剤
 #8 鉱夫の祈り
 #9 私の青空(MY BLUE HEAVEN)
 #10 石
 #11 火吹竹
 #12 フィッシング オン サンデー
 #13 ねこのねごと
 #14 酒が飲みたい夜は
 #15 よろん小唄(十九の春)
 #16 ブラザー軒
 #17 ホントはみんな
 #18 夕暮れ
 #19 風

幻泉館 リンク用バナー

中山ラビ『はだ絵』(1978年)

中山ラビさんのアルバムを発掘して順番に聴いていったのだが、手製復刻CD-ROMがステレオのCDデッキでも、CDラジカセでもかからないことがわかった。
また作業をやりなおすのはつらいなあと思ったが、PCだと読み込めた。
仕方がない、PCでWAVEファイルに吸い出して、また焼きなおそう。

まだCDが入手できていないのはこの3枚。
『ラビ 女です』(1975年)
『ラビ・もうすぐ』(1976年)
『ラビ なかのあなた』(1977年)
実はラビさんをよく聴いた時期に出たアルバムだ。
そんなにたいした手間でもないので、仕事をしながらちょいちょいとできる、かな。

一番胸にグッと来てしまったのは、『はだ絵』(1978年)だった。
聴く前に予想していた感銘度からすれば、このアルバムはせいぜいベスト3に入れるかどうかというところだったのだ。
それが、一曲目のイントロを聴いたらいきなり涙が浮かんできた。
忘れていた、忘れたかった思い出が急に湧き出てきたのだ。
ゆったりとした曲が優しく思い出を呼んでくれた。

A面1曲目「何年ぶりかで」。

 ♪何年ぶりかで ふとよびとめられた♪

このレコードはいつも、独りで聴いていたのではなかった。
僕と似た服を着て、僕の真似をしてタバコを吸う「千秋」と一緒に聴いていた。

 ♪つれづれの話をした にこやかに♪

晩秋から初冬、僕たちはあてもなくただ歩いた。
早稲田から神楽坂を抜けて北の丸公園へ歩いた。
日比谷公園から洗足池へ歩いた。
寒いので抱き合ったまま眠ってしまった僕たちを見て、千秋のお母さんは微笑んでいた。

 ♪タバコをすすめ 火をつける手首には♪

千秋は池上線の商店街にある小さなレコード屋でアルバイトをしていた。
『はだ絵』を買ってきて聴かせてくれた。

 ♪ほそい傷あとがあった みる目のうれいは海のようで♪

まるで自分のことのように千秋が繰り返してその詞を口ずさんだのは、この曲ではなかった。B面1曲目、「半分だけ」。

泣くような目をして千秋がその曲のことを語るのはなぜなのか僕が理解したのは、それから何年も経ってからだった。
千秋はけっして語らなかったけれど。


1978年10月早稲田鶴巻町画像は、ラビさんの曲を聴いて思い出した当時の写真を少し見にくく細工したものです。
ピントの合っているところに光をトバしたので何がなんだかわからないと思いますが、ちょうど思い出とはこんなものでしょう。
早稲田鶴巻町の四畳半の下宿、撮影者が「千秋」で、写っているのは二十代の私です。
アーミー・ジャケットを着て、寒いので丸くなっています。

後ろの壁の雰囲気がわかるでしょうか。
木造モルタル二階建て。
この後、区画整理で周辺の建物はすべて取り壊されます。

カラーボックスにはレコードが詰め込んであります。
その上にONKYOのアンプとSONYのチューナー、TEACのテープデッキが載っています。
壁のポスターのように見えるのは、ジャズ喫茶Funkyのカレンダーです。
ソニー・ロリンズですね。
森田童子の歌の世界ですなぁ。

もちろんお風呂なんて付いてません。
トイレも共同です。
半畳のスペースに流しと台所。
これが我々の時代の普通の下宿生活でした。

【追記】
ヤフオクで「中山ラビ CD7枚セット」が10,000円からスタート。
9月26日11:00の時点で12,500円。
さて、どこまで上がるのでしょうか。
終了日時は9月30日22時43分。
あれ?
8枚あるじゃん。
それでこの値段なら高くないな。
中山ラビ”廃盤CD”「会えば最高」一枚を5,000円でスタートしてる強者もいるものなあ。

【追記】
「中山ラビ CD7枚セット」は結局【33,800円】で終了しました。
買えるかなと思ったけど、ムリムリ。

幻泉館 リンク用バナー


人生よ、ありがとう:サンチャゴに雨が降る

本当は番組を見たすぐ後、日曜深夜に書いたのですが、楽天広場に書き込んだつもりになって放置していたものです。
ぼけらった?。


珍しくテレビドラマを観た。
『世紀を刻んだ歌3 人生よ、ありがとう』の前にやっていた大河ドラマ『宮本武蔵』。
おお、巌流島じゃん。
ちょうど良かったと思いながら見ていたら……しょぼい。
なんつっても決闘シーンがひどい。
もう少しどうにかならなかったんだろうか。
やっぱり、もうテレビドラマはダメなんじゃないだろうか。

それに比べて、『世紀を刻んだ歌3 人生よ、ありがとう』は良かった。
NHK BS-2『世紀を刻んだ歌3 人生よ、ありがとう』

> Gracias a la Vida
> que me ha dado tanto
>
> 人生よ ありがとう
> こんなにたくさん 私にくれて

人生よ、ありがとうこの番組シリーズで取り上げるにしては、日本では知名度の低い曲だと思います。
ただ、その分番組は内容が濃かったと思います。

アルゼンチン人であるメルセデス・ソーサの歌でヒットした曲です。
私はジョーン・バエズの歌で知ってたのかな。
在日コリアンである李政美(い・ぢょんみ)さんの「ありがとう、いのち」も同じ曲です。
チリ人であるヴィオレータ・パラが作りました。
といっても、ラテン・アメリカやアラブ世界における国境とは、近代国民国家の国境とまったく意味が違います。
汎アラブや汎ラテンアメリカという考え方が成立するのは、実際にはイギリスのような大国の都合で国境が作られたからです。
ゲバラもアルゼンチン人でしたが、キューバの革命指導者であり、ボリビアで射殺されました。

最近はアフガニスタン、イラクと、アラブ世界でアメリカが勝手なことを始めて大変なことになってしまいました。
ただ、アラブが目立つのは、今までアメリカが比較的この地域に無頓着であったからにすぎません。
中南米に目を向ければ、ラテンアメリカの危機構造をずっと維持してきた「ならず者国家」がどの国なのか、あまりにも自明です。

1973年9月11日。
そう、9.11はアメリカこそが「テロ支援国家」であった歴史的日付なのです。
今年は三十周年です。
チリのアジェンデ政権が、ピノチェトの軍事クーデターで倒された日。

選挙によって社会主義政権を成立させたアジェンデが政策を進めていくと、CIAが暗躍します。
そしてクーデター、爆撃による大統領暗殺。
チリだけではありません。
CIAとFBIによる謀略によって、ラテンアメリカではクーデターが相次ぎます。
メルセデス・ソーサは軍政のアルゼンチンから亡命しなければなりませんでした。

チリでは、文字どおり本やレコードが焼かれました。
アジェンデ政権を連想させるような思想は徹底的に弾圧されたのである。
アジェンデが好んだ「人生よ、ありがとう」は本当に焼かれたのです。
歌を歌っために、殺された時代なのであります。
この時代……韓国でもパク大統領による軍政が行なわれていた時代です。

その代わり、この歌は軍政への抵抗の象徴となりました。
軍政が倒れるまで、ラテンアメリカではこの歌は自由を求める歌として歌われ続けたのです。
80年代の女性たちの抗議行動は「la vida」(生命・人生)と名付けられ、厳寒の中で放水を浴びながらこの歌を力強く歌いました。
「行方不明」となった夫や息子の写真、家族の写真を掲げて「人生よ、ありがとう」と歌うのです。
このような試練の中で「ありがとう」と歌えるものなんですね。
虐殺された家族に「ありがとう」と歌うのです。
おそらく命がけで撮影されたその映像に、涙が出ました。

チリでは軍政の17年間に、千人以上が「行方不明」になったのだという。
?DONDE ESTAN?
今もなお、彼女たちは家族の写真を掲げて「人生よ、ありがとう」を歌う。

http://www.bzbz.org/chikako/mangetsu/0305.html
http://smash-jpn.com/i/dis/dis03/dis_0303bassotti4_ken.html

幻泉館 リンク用バナー

中山ラビ「13円50銭」

中山ラビ1st13th中山ラビさんのところから何度かライブの御案内を頂いているのだが、ずっと行けないでいる。
吉祥寺Star Pine’s Cafeって行ったことありません。
どんなところなのかなあ。

ラビさんは子育てのために十年ほど活動を停止していて伝説のシンガーになっていましたが、中山容さんの逝去を機にまた歌うようになりました。
ビデオとCDでしか復活後のラビさんを知らないのですが、ずいぶん頑張ってるようです。
ああ、これでは失礼だな。
相変わらずかっこいい、でよろしいでしょうか。

80年代に渋谷PARCOあたりでド派手なステージを観ましたが、場所もアレだし、ちょっと居心地悪かったです。

一番よく聴いたのは2nd『ひらひら』(1974年)かな。
1st『私ってこんな』(1972年)は後付けで聴いたけど、どちらも傑作だと思います。

私の周りは知っている人が多いのですが、一般的には知名度が低いようですね。
国分寺に住んでいたサークルの先輩はラビさんの大ファンだったので、ラビさんのお店「ほんやら洞」でバイトまでしてました。
中央線沿いの坂道、いまも健在だそうだけど、どんな感じになってるのかな。
今度東京サ出て行ったら、寄ってみよう。

70年代のラビさんのアルバムは、今ほとんど品切れ状態らしいです。
「女ボブ・ディラン」の時代。
私はアナログ盤から手製復刻CDを作ったりしました。
『私ってこんな』のCDは、まだ「ほんやら洞」に少し在庫がありそうです。
ぜひぜひ御聴きください。

地震の噂があったりすると思いだすのが、このアルバムに入っている「13円50銭」。
「50銭」の部分は「コチーセン」と発音して歌っています。
これは関東大震災(1923年)の際に朝鮮人が大勢虐殺されたことを歌っているのね。
見慣れぬ人が通り掛かると(つまり被災者ね)、「13円50銭」と言ってみろと問い詰めて、「日本語」らしく発音できない者を朝鮮人だとして、なぶり殺しにしたのです。
当時の地方出身者はいわゆる「標準語」を話すことができない者が多かったので、間違って殺された日本人も多いらしい。
もちろん中国人はアウトで、紅毛碧眼ならセーフなわけだ。
ひどい話でしょ、これ史実です。

一応「不逞鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」というデマのために、地域社会の自警団が行なったということになっています。
震災後にこのようにして殺された被害者の数は約6千人とも言われています。
なんと阪神淡路大震災での死者に匹敵する殺人が行なわれたのでありますよ。

もっとすごいのは、これが自然発生的なデマではないということです。
震災当時の治安担当者(内務大臣・内務省警保局長・警視総監)が戒厳令を発令する口実として「朝鮮人暴動」をでっちあげ、意図的にデマを流したのです。
震災の数年前、1919年の三一独立運動がその伏線としてあります。
殺人は日本軍が直接手を下したケースも多かったようですが、情報操作によって踊らされた「普通の人々」もかなりの人数の朝鮮人をなぶり殺しにしています。
被災者の救出よりもまず治安維持に利用することを、当時の政治家や官僚が考えたのです。

中山ラビさんの「13円50銭」は、迫って来る「普通の人々」と向かい合う朝鮮人の側に視点を置いて、自分の心象風景を歌うという、不思議な歌になっています。
この歌、今どきの若い衆には詳しい解説がないと何のことだかわからないだろうね。

今度はわざわざ情報操作などされなくても、「2ちゃんねる」型の悪意あるデマによってかなりの犠牲者が出てしまうかもしれない。
メディアが解放されたはずなのに、阪神淡路大震災の時よりも、今の方がずっとデマに弱くなっていると思うよ。
おお、そういえばここのトップにその言葉が掲げてある大杉栄も、関東大震災の時に虐殺されたのであった。
首相もタカ派なら、防衛庁長官もウルトラがつくほどのタカ派。
首都圏に大地震が起きたら、前代未聞自衛隊の治安出動があるのかな?

『私ってこんな』には、岡林信康さんの「私たちの望むものは」へのアンサーソングも入っています。
「私が望むのは」で、一人称は単数、独りの私です。

岡林さんの「私たちの望むものは」は、前半と後半で歌詞の内容がひっくり返してある逆説ソングです。
同じはっぴいえんどの演奏でも、アコースティック音に近いバージョンと、エレキ音バージョンがあります。
片方は銃声が入っていて、片方はギターで銃声を模写してます。
というようなことより、当時は歌詞の内容の方が語られたものです。
「私たち」という一人称に対する反発も強かったと思います。

思えば岡林信康さんが失踪して、はっぴいえんどをバックに引き連れて再登場するといった行動をとった時。
それはもちろんBob Dylan様の真似だったのですが、運動の象徴とされ、「みんな」を背負わされるのに疲れていたのですね。
部落差別をストレートに歌った「手紙」や「チューリップのアップリケ」は、封印したというよりも、本当に歌うのがつらくなっていたのでしょう。
「私たちの望むものは」の歌詞が後半逆転するのは、それは「WE」を拒否した「I」の宣言であります。

ラビさんの「私が望むのは」には、岡林さんがハーモニカで参加しています。
あ、しまった、今日は「人生よ、ありがとう」について書くはずだったのに。

【追記】
家の中をひっくりかえして、全アルバムを発掘しました。
ラビさんは13枚のアルバムを出していたんですね。
全部揃ってました。

ただし、CDでは入手していないものがあります。
そういうものは自分でアナログ→デジタル変換して手製復刻CD-Rを作りました。
ジャケットも縮小コピーして作りましたが、悲しいことにちょっとだけはみでてしまいます。
Q盤で見かけた時に買っておけばよかったなあ、というのは、まさに後の祭りです。

せっかくだからジャケット画像を揃えてみました。
時の流れというものは……わぁ、なんでもないっす。
かなり小さくしたつもりですが、それでもでかいファイルですんません。

幻泉館 リンク用バナー

フォークリポート「わいせつ」事件:ふたりのラブ・ジュース

NHK BS-2で『世紀を刻んだ歌3 人生よ、ありがとう』を観たのだが、それはまた明日の日録にて。
ああ、映画『サンチャゴに雨が降る』は観てないんですよ。
1973年9月11日。
そう、「9.11」はアメリカこそが「テロ支援国家」であった歴史的日付なのです。
今年は三十周年です。

数年前からURC(アングラ・レコード・クラブ)の音源や雑誌なんぞを探してぼつぼつと入手しているのだが、実際に当時買ったものは少ない。
AMの深夜放送で聴いたり、立ち読みしたりといったところがせいぜい。
中学生のおこずかいでは、そうそう買えるものではありませんでした。
お兄さん欲しかったです。
坂崎幸之助さんは、その辺を網羅して買っているお兄さんがいたんですね。
同居していた従姉がモンキーズのデイビーのファンだったので、モンキーズだけは詳しかったのよ、とほほ。

私がもう少し長じて高校生になると、既にURCの時代は終わろうとしていました。
このぐらいの年齢での一年の差は大きい。
中津川フォーク・ジャンボリーの第三回、つまり最後は1971年でした。
これが最後になるんだなんて、こちらにはわからない。
高校生になったら行こうと思って、一所懸命ギターの練習なんかしてるわけです。
佐野史郎さんは「はっぴいえんど」を見に行ったそうで、「はいからはくち」と「春よ来い」の間に「えーど、えーど」と叫んでいる高校生佐野君の声が聞こえます。
うらやましい。

URC・音楽舎は雑誌も出していました。
時期によって「folk report うた うた うた」だったり、「季刊フォーク・リポート」だったりします。
書籍雑誌の取次は通さずに、レコード流通でレコード店に置いていたようです。
田舎町の小さなレコード屋さんの片隅で、私は一所懸命立ち読みしました。
当時私が唯一買ったのは「1971秋号」。
第三回フォーク・ジャンボリーの詳細なタイムテーブルが載っているので、今まで捨てずに手元に生き残りました。
当時は高校生だった、評論家黒沢進さんの投書なんぞ載ってたりします。

ここ数年、その他の号も読みたいと思っていたのですが、ネット上に目録を出している古本屋やYahoo!オークションで、数冊買うことができました。
ヤフオクの場合はとんでもない値段になることがあるのですが、あわてても仕方がない。
何回か我慢したら、「わいせつ裁判」になった号までリーズナブルな価格で入手することができました。
画像は左から、
『folk report うた うた うた 1970年 冬の号』
『季刊フォークリポート 1971年春号』
『季刊フォークリポート 1971年秋号』
元々自分で買った「1971年秋号」が一番汚いです。

季刊フォークリポート

「71夏号」「71秋号」は編集長が室謙二さん。
BASIC ENGLISHという人工言語なんかも研究していた早稲田の室勝先生の息子さん。
その後「思想の科学」の編集長なんかもやったりしますが、「PopEye」なんかに原稿を書いたり、「朝日パソコン」なんかでも連載してましたね。
今はアメリカ在住なんでしょうか。
編集長に対する批判の投書がたくさん載ってまして、室編集長なかなか頑張ってますな。

なぜ批判が多いのかというと、「70冬号」の編集長が中川五郎さん、そしてその号が「わいせつ」を理由に押収され、後に五郎さんが猥褻図画販売裁判の被告となるからであります。(起訴は72年)
五郎さんは編集長としての責任と、掲載した小説「ふたりのラブジュース」の作者としての責任を問われ、法廷で闘うことになったのです。
その直後の編集長なんか、大変だわよね。
何やったって誰かに怒られるんだから。

当時は野坂昭如さんが雑誌「面白半分」で、やはり猥褻でやられてます。
猥褻というより、野坂さんも五郎さんも実際は権力に狙い打ちされたというのが正解ね。
中川五郎さんはあの「受験生ブルース」の作詞者だったり、「腰まで泥まみれ」という反戦歌を歌っていたり、実に跳ね返っていたのです。
が、どうも今ひとつ線が細くて、今で言う癒し系みたいな人なんです。
「25年目のおっぱい」という実に温かい名曲も歌っています。
ああ、あの曲好きだな。

定期購読していた中学生・高校生のところへ警察がやってきて、雑誌を押収していったのですね。
実は任意なんだけど、跳ね上がりに対する威嚇効果は抜群です。
みんな恐れ入って腰が引けてしまう。
「71秋号」にはその辺の生々しい投書が載っています。

実は問題の小説「ふたりのラブジュース」(山寺和正=中川五郎)にはあまり興味がない。
これ、いつかどこかで読んだと思う。
ただ、この雑誌そのものが読みたかったのだ。

表2の広告が社会新報の新報新書。
『部落 ある靴職人の視点』(土方鉄)や『どきゅめんと筑豊』(上野英信)が並んでいて、ああ、日本社会党がなくなったのは痛いなと思う。

ジミ・ヘンドリックス(9月)、ジャニス・ジョプリン(10月)の訃報が載っているのもすごい。
二人とも「麻薬過多服用」のため。

特集が「岡林と高石を裸にする」で、実は壁にブチ当たっていた第一世代の二人が詳しく語られている。
三橋一夫さんの高石論、良いです。
片桐ユズルさんが岡林を語っています。
ダグラス・ラミスさんが室謙二、岡林と鼎談(ていだん・書けない)しています。
あ、『スリーマイル島』訳者にしてユズルさん弟の中尾ハジメさんが「うんち穴ファシズム論」というわけのわからない文章を書いてます。
やっぱ濃いわ。

で、小説はまあわりと正直に高校生の愛と性を語ってみました、みたいな感じだったんですが。
五郎さんは裁判の開始から10年後の1982年に晶文社から『裁判長殿、愛って何?』というタイトルで、この裁判の記録集&エッセイを出します。
私、その本の書評(っつうか、宣伝だわな)を某雑誌に書かせていただきました。
そいういうふうに関わるとは思ってなかったけど。
80年当時はやっぱり吉祥寺周辺にお住まいでありましたな。

幻泉館 リンク用バナー

Imagine : John Lennon -> Neil Young

女子十二楽坊のことを「中国喜び組」と言ったら、反応が二つに分かれた。
こういう冗談は人を選んで言わなければならないと痛感。
もちろん十二楽坊は主体思想ではなく資本主義なので、将軍様のためではなくて貨幣のためにパフォーマンスを行なう。

「9.11」に関して少し気になったことがあるので、ネットで調べてみた。
私の認識はこうだった。

 ● 9.11の直後に、米のネットワークがジョン・レノンの「イマジン」などを放送禁止曲に指定した。
 ● 9.11被害者の追悼コンサートで、ニール・ヤングはあえてこの「イマジン」を歌った。
 ● さすがニール・ヤングである。

大筋では間違っていないと思うのだが、「放送禁止」は正確な表現ではなさそうなので、実際はどうだったか確認したかったのである。

googleで「イマジン」「放送禁止」を検索すると、ヒットしたのが
Beats 21 Archive – 近づく戦争の足音/またも「イマジン」、放送禁止歌に

Beats 21 Archive – 近づく戦争の足音/史上最大のチャリティ番組と全曲放送禁止

なるほど、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンは全曲放送禁止、国賊バンドだったんだな。
もちろん「放送禁止」ではなくて、業界の自主規制であるが、実質上の「放送禁止」と理解して良いようだ。

米ポップス界などというのもあまり興味がないので知らなかったのだが、あのコンサートは
> 21日に、27のテレビ局と数多くのラジオ局が一つとなり、
> 多くのスターを集めてテロの犠牲者に対する慈善番組
> 「America: A Tribute To Heroes」を放送
だったんですな。
すごい規模だ。

今更寝ぼけたようなことを言っていてすみません。
確認しておきたかったのです。

「イマジン」という曲は本当に歌詞が「過激」です。
Imagine

Imagine

でも、宗教の否定とか国家の否定というのは、実はその過激さが日本の文化状況ではピンと来ないと思います。
「宗教」「国家」を、たとえば「天皇」「天皇制」と置き換えると、保守的なクリスチャンにとってこの曲が持っているインパクトがわかりやすいかもしれません。
今、生ギターを抱えて地方都市の駅前で「天皇制なんてないって想像してごらん」と歌ったら、大変なことになると思います。
日本の状況って、かなりキテますよ。

これもうろ覚えなのだけど、つい先日「イマジン」はヨーコさんの詩が元になっているという報道がありました。
それはそうだろうなと思いました。
ジョン&ヨーコの曲であったのは明らかですもの。

楽天広場をうろうろしてみたら、Lycosの時と同様にファシズムの露払いが大勢いることがわかりました。
あれ、自分では過激なこと言ってるつもりなんだよなあ。
時流に乗っかっているだけなのに。

幻泉館 リンク用バナー